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マーラーフェスト (MAHLER FEEST) 2020 [クラシック演奏会]

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、ブラームス、マーラー、ブルックナー、そしてリヒャルト・シュトラウスを含む、後期ロマン派のレパートリーの演奏によって喝采を受けてきた。

マーラーの伝統は、マーラー自身がここで指揮(客演)をしたおびただしい演奏会に基盤を置いていて、アムステルダム・コンセルトヘボウは、歴史上、まさにマーラー演奏のメッカといえるホールなのである。


アムステルダム・コンセルトヘボウ.jpg

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「名門オーケストラを聴く!」(音楽之友社編,音楽之友社,1999)その他の資料によると(抜粋させてもらいます。)、最初に客演に招かれたのは1903年10月22日と23日、曲は自作の交響曲第3番だったとのこと。

1903年といえばコンセルトヘボウ管弦楽団の創設から15年、メンゲルベルクの時代になってから8年目という時期にあたり、マーラー自身は交響曲第5番を完成し第6番の作曲を開始した頃ということになる。


当時マーラーはウィーン宮廷歌劇場の楽長で、ウィーンを拠点に活動していたのだが、その作品はウィーンで必ずしも高く評価されていたわけではなかったらしい。

ところがアムステルダムでのその演奏会は大成功をおさめたため、すっかりアムス贔屓となったマーラーはその後もコンセルトヘボウ管弦楽団に何度も登場、翌1904年には2番と4番の交響曲をとりあげ、1906年には交響曲第5番、『亡き子をしのぶ歌』や『嘆きの歌』、1909年にはその前年にプラハで初演されたばかりの交響曲第7番を指揮している。

1907年にはメトロポリタン歌劇場の指揮者としてニューヨークに居を移していたマーラーであったが、ジェット機などなかった当時、船によるヨーロッパへの行き来はさぞ大変だったと思われる。

しかしマーラーはアムスをしばしば訪れ、自身で指揮をするだけでなくメンゲルベルクが指揮する自分の曲の演奏会も聴いて、そのことが作品の改訂や補筆につながったという。


要は、自分の本職のエリアであったウィーンやニューヨークでは、自分の作品の評判はさっぱりだったのが、アムステルダムでの客演で人気が出て、自分の指揮&創作活動にも弾みが出た、ということだ。(笑)



ポイントはこのメンゲルベルク。 

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オランダの指揮者で、ベートーヴェン直系の曾孫弟子にあたり、ベートーヴェン解釈には一目を置かれたそうだ。マーラーの作品の理解者であったメンゲルベルクが、1902年にマーラー本人と会って親交を深め、翌年彼をコンセルトヘボウ管弦楽団に招いた、というわけ。

マーラーはアムス滞在中は、コンセルトヘボウのすぐ近くにあったメンゲルベルクの家に居候していたということなので、相当親しい関係にあったと思われる。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、そしてアムステルダム・コンセルトヘボウというホールが、マーラー演奏のメッカとして伝統を持っていたのは、こんな背景がある。




このホールで、過去に大規模なマーラー音楽祭が2回行われているのだ。

正式名称は、Gustav Mahler Festival Amsterdam 。通称、マーラーフェスト(MAHLER FEEST)。

最初に開催されたのが、1920年。まさにマーラーの交響曲全曲&歌曲を、メンゲルベルクの指揮&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でやり通した。

2回目に開催されたのが、1995年。この年は、コンセルトヘボウ管弦楽団、 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの三大楽団と、その予備軍というべきグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団が登場。これらが一同に、アムステルダムのコンセルヘボウに会するという夢のようなフェスティバルであった。

指揮者は、ハイティンク、シャイー、アバド、ムーティ、ラトルという凄い豪華陣。

この時期、ちょうど自分はヨーロッパに赴任していた時期で、同時期にアムスに赴任していた親友が、このマーラーフェストに通い尽くし、いままでマーラーというのはどうも疎遠だったのが、このフェストに通ったことでマーラーに開眼したそうだ。



そして、なんと!!!来る2020年。3回目のマーラーフェストが開催されるそうだ!


長い前振りだったが、この日記の真の目的はこれを言いたかったことにある。(笑)



マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 2020

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1102-mahler-festival-amsterdam-2020


これは心底驚いた。同時に張り裂ける胸の鼓動を抑えることが出来なかった。


コンセルトヘボウ管弦楽団、 ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの三大楽団とニューヨークフィル。指揮はRCOはダニエル・ガッティ、NYPは、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。(オランダの指揮者、ヴァイオリニスト)が決まっているが、ウィーンフィル、ベルリンフィルはまだ未定のようだ。


今回新たにニューヨークフィルが参加するが、まさにマーラーが指揮をしていた楽団で、マーラー所縁のフェストには欠かせないキャストであろう。


日程はご覧の通り。(演目の日程はまだ未定。)

06-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 20.15 pm. Symphony No. 1, New York Philharmonic Orchestra (NYPO/NPO)

07-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Thursday.
08-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Friday. 
09-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Saturday. 
10-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Sunday. 
11-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Monday. 
12-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Tuesday. 
13-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 
14-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Thursday. 
15-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Friday. 
16-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Saturday. 
17-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Sunday. 
18-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Monday. Gustav Mahler (1860-1911) died 109 years ago.

19-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Tuesday. 
20-05-2020 Amsterdam: Royal Concertgebouw. Wednesday. 23.15 pm.


マーラーフェストは、毎回この5月上旬に開催され、その理由は、5/18がマーラーの命日で、その日は、必ずマーラー9番が演奏されるのだ。マーラーが死を考えながら作曲した曲である由縁なのだろう。



ここで、過去2回のマーラーフェストを振り返ってみよう。

まず最初の1920年の開催。

マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 1920

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1103-mahler-feest-festival-1920


はじめて開催されるマーラーフェスト。マーラーの親友のメンゲルベルクが、RCOを率いて1人で全曲を振り切った。

MAHLER FEEST 1920 (4).jpg



この年は大変なフェスティヴァルになったようだ。

マーラーの妻であるアルマ夫人、そしてシェーンベルクやベルクといった後の新ウィーン楽派と言われるマーラーのお弟子さんたちも駆けつけた。当時は彼らはアメリカに在住していたのだろう。

上のページ記事では、タイタニックのような豪華客船にのって、このフェストのために大勢で駆け付けたようだ。

そのときの写真。

客船から下船してみんなで集合写真。

MAHLER FEEST 1920 (1).jpg



アルマ夫人と新ウィーン楽派のアルノルト・シェーンベルク。

MAHLER FEEST 1920 (3).jpg



さらにもうひとショット。

MAHLER FEEST (5).jpg



日程は、ご覧の通り。

1920/5/6~1920/5/21

1920年5月5日 リハーサル
1920年5月6日 嘆きの歌、さすらう若者の歌、交響曲第1番
1920年5月8日 交響曲第2番
1920年5月10日 交響曲第3番
1920年5月12日 交響曲第4番、交響曲第5番
1920年5月14日 交響曲第6番、亡き子をしのぶ歌
1920年5月15日 交響曲第7番
1920年5月17日 大地の歌
1920年5月18日 交響曲第9番 ( Gustav Mahler (1860-1911) died 9 years ago.)
1920年5月21日 交響曲第8番 


アルマ夫人やシェーンベルクが船でアムス入りしたのは、5/13のことだったようだ。
最初のマーラーフェストは、マーラーの死の9年後に開催されている。
やはり8番、千人の交響曲は、大変な人数の舞台なので、1番最後なのかもです。

この記事の記載によると、このマーラーフェストの組織運営体は、Amsterdam art show choirの人とロイヤルコンセルトヘボウの管理者、そしてロイヤルコンセルトヘボウのコンサートプログラムを組んでいる人の3人で運営されていて、パトロン、いわゆるファウンドはオランダのヘンリー王室から出ていたようだ。



つぎに開催されたのが、1995年。


マーラーフェスト(MAHLER FEEST) 1995

https://www.gustav-mahler.eu/index.php/plaatsen/241-netherlands/amsterdam/1104-mahler-feest-festival-1995-amsterdam


日程は、この通り。


第1番 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月3日 (さすらう若人の歌併録)
第2番 ハイティンク・コンセルトヘボウ管 マルジョーノ、ネス 5月5日
第3番 ハイティンク・ウィーンフィル ネス 5月7日
第4番 ムーティ・ウィーンフィル ボニー 5月8日(リュッケルト歌曲集併録)
第5番 アバド・ベルリンフィル 5月9日(オッターとの子供の魔法の角笛から併録)
第6番 ハイティンク・ベルリンフィル 5月10日 (リポヴシェクとの亡き子をしのぶ歌併録)
第7番 ラトル・ウィーンフィル 5月11日
第8番 シャイー・コンセルトヘボウ管 ボニー、アンドレアス・シュミット他 5月16日
第9番 アバド・ベルリンフィル 5月12日
第10番からアダージョ ハイティンク・グスタフマーラー・ユーゲント管 5月14日
大地の歌 ハイティンク・マーラーユーゲント管 ハンプソン、ヘップナー 5月14日
嘆きの歌 シャイー・コンセルトヘボウ管 5月2日 (子供の不思議な角笛から併録)


この年は、なぜか、マーラーの命日5/18は、フェストに組み込まれないで、祝祭日(Anniversary)として特別に祝ったようだ。

友人の話では、9番の日は、オランダのベアトリクス女王が来る特別な演奏会だったそうだ。
(やっぱり9番です。)最初に女王入場で拍手と起立でお出迎え。2階席中央に座っていたそうだ。


また1995年当時では画期的とも思われるパブリック・ビューイングがあって、ホールの外に大きなスクリーンをたてて、中に入れない人のために演奏風景を外に映し出していた、と友人は言っていたので、映像収録素材があったりするのでは、と想像したりしていた。

ネットでググってみたら、この年のマーラーフェスト1995がYouTubeに上がっていた。(笑)
ハイティンクの指揮だ。

このときの演奏の模様をじつは収録していて非売品CDとして世の中に存在しているのだ。

自主制作CD.JPG



録音はオランダ放送協会によるもの。
このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようなのだが、一般には全く流通していない大変貴重な非売品である。(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤。)

実際聴いてみたが、確かに、最新の新しい録音と比較するとナローレンジだし、優秀録音とは言えないけれど、素晴らしいホールの響きも適度に含んだライブ感覚を大切にした質のいい録音だと思った。

自分は、オークションで出品されていたのを偶然見つけて、即座に落札。10万円という信じられない高値であったが、これだけの歴史的演奏会の録音、自分はまったく高くない、と思った。




そして、来る2020年。ついに3回目のマーラーフェスト。

1回目から2回目が開催されるまで35年という月日が経過した。
そして2回目から3回目に至るまでは25年。

今回を逃したら、もう巡り会うことはできないかもしれない。まさに一期一会。

2020年の海外音楽鑑賞旅行は、このマーラーフェストに決定である!

アムステルダム・コンセルトヘボウは、もう過去に何回も行っているけど、そういう問題じゃない。

コンテンツの問題!
                                                       
                                                       
海外音楽鑑賞旅行で行くホールや演目を決めるときは、自分であれば、ここはどうしても譲れない、抑えておかないといけない決め処というものがあるのだ。まさに今回は自分のアンテナにビビッと来る感じで、まさに自分のためにあるイヴェントとさえ思ってしまうのだ。

1920年は大昔だから、映像・音声技術はない時代と言っていいので仕方がないかもしれないが、1995年はインターネットが登場し始めた時代で、自分もしっかり意識のあった時代。この時代、非売品だけどCDとして存在しているし、ひょっとしたら映像素材もまだパブリックになっていないだけで、オランダ放送局の倉庫に眠っているのかもしれない。

2020年は、もう最新のAV技術最先端の時代だ。ぜひ今回のフェストを音源、そして映像素材を、後世にハイクオリティな品質で残してほしいと思う。非売品という形でなく、堂々とビジネスに載せてほしいと思う。

1995年では存在していなかったが、いまやアムステルダム・コンセルトヘボウのホールには、このホールの音響特性を知り尽くしたポリヒムニア(Polyhymnia International BV)という最強技術集団がいるではないか!

彼らは当時はフィリップス(Philips)だったのだ。(笑)

この一期一会のイヴェントを、ぜひ彼らの最新技術で、余すところなく収録して後世に残して欲しい、と心から願うばかりである。
                                                       
                                                       
                                                      
                                                      
                                                        

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菜摘

mahler feest 1995 チケットは法外に高かった 200fl.だったかと。普段は55fl.プラスアルファくらい(もうちょっと20-30fl.値上がりしてたかな) fl.はダッチギルダー シャイ-のマラ1をmahler feestで聴くとはなんと贅沢な 半月ずらせば同じメンバーの同じ演奏を同じ会場でAmsっ子の適正価格で聴けた このCDセットをお持ちとはうらやましい ちなみにこの95feestを契機にシャイ-のRCOとの音はがらりと(もちろん好い意味で)変わったのですよ(小生の耳、RCO altcviool古参メンバー友人の述懐が根拠) 大ホールはぜひ楽しんで来てください」元Ams住人のアカデミアOB(菜摘はHMVオンラインサイトでのCD評ペンネーム)
by 菜摘 (2020-01-22 13:13) 

ノンノン

菜摘さま、コメントありがとうございます。ギルダーですか?あまりの懐かしさに、驚くとともにすっかり忘れておりました。(笑)そうでしたね。いまでは現地通貨ですとどれくらいの高さかピンと来ませんので、換算しますとfeest1995の200flは1万円、通常公演の55flで3千円くらいなんですね。3千円くらいで、現地アムスで、コンセルトヘボウでRCO聴けるんですから、本当に羨ましいです。ベルリンでBPO聴いても8千円くらいですから、日本での来日公演は本当に信じられないプライスです。feest1995を体験されたなんて本当に羨ましいです。やっぱりfeestでのRCO実演は通常と違いますよね。私はfeest 2020を体験できることになりそうです。十分に調べて盛り上げていきたいと思っています。これから本番の5月までこのブログに連載していきますので、楽しみにしていてください。菜摘というのは素敵なHNですね。(^^)
by ノンノン (2020-01-23 23:24) 

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