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アラベラさんのベートーヴェン・コンチェルト [国内クラシックコンサート・レビュー]

年に1回必ず来日してくれるアラベラさん。毎年春先の3月が多いだろうか。日本に所縁のあるアーティストだけにそのように企画してくれる招聘元にはファンとして、いつも本当に感謝しています。 

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炎のマエストロ、コバケンこと小林研一郎巨匠と日本フィルとの競演@サントリーホール。

ベートーヴェンのコンチェルト。

以前にも日記に書いたように、ヴァイオリン奏者にとって、このベートーヴェンの協奏曲ってとても難しい演目なのだ。

諏訪内晶子さんがご著書で、「この曲だけは、他の協奏曲と違って、何回弾いても自分で納得のいく演奏ができない。楽譜としては弾けても、音楽として弾けていない。」と告白されていて、奏者でないとわからないその独特の心情を吐露されていた。

他の協奏曲は、ヴァイオリンとオーケストラの比重が圧倒的にヴァイオリン主体で書かれているのに対し、ベートーヴェンはそれが対等の比重で書かれていて、全楽章を通じて独奏ヴァイオリンと協奏のオーケストラとの交互の「語らい」の中で進行する。そのあくまで対等の重きが、独奏者にとって音楽として表現できている、という感覚には、なかなか到達できないということなのだろう。

確かにチャイコフスキーやブラームスに代表されるように、ヴァイオリンの見せ場の旋律が随所に散りばめられていて、ヴァイオリンがぐいぐいとその曲を引っ張っていっているような曲に比べると、ベートーヴェンのそれは、最初自分が聴いたときの印象は、盛り上がりに欠けるなんと地味な曲なんだろう、という感じのものだった。


演奏する立場から言うと、技術的には、チャイコフスキーやパガニーニのほうが遥かに複雑で難しい。でもベートーヴェンの場合、いくら努力してみても自分で納得のいく表現ができない、とまで仰っている。


ヴァイオリンとオーケストラの対等の重き。


そういう”対等の重き”、というある意味制約のある曲の構成の枠組みの中で、聴衆に音楽的な感動を与えることが、この上なく難しいという意味なのではないか、と自分では理解している。

でもそんなベートーヴェンの曲のこの対等の語らいの中でも、自分にはとても痺れる部分がある。

それは、特に第3楽章の中あたりに、独奏ヴァイオリンとファゴットがお互い語らう箇所があり、ここはこの曲の中でももっとも恍惚というか美しい旋律と自分が思う部分。 長い前振りも、この部分がすべてを浄化してしまうような美しさがこのフレーズの中にはある。

そしてまさに終演部分の、ヴァイオリンとオーケストラとの丁々発止の掛け合い。
この部分は、まさに最後の盛り上げにふさわしいじつに感動的なフィナーレ。

ここも、長い語り部の部分をすべてここで終結し、いままでのすべてを浄化してくれる劇的な終結部と感じる。


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この日は、1階席18列のややステージより遠い席。

コバケン巨匠や日フィルを聴くのは、本当に久しぶり。
いつ以来か自分でも記憶にない。

アラベラさんはブルーのドレスで、相変わらず麗しく美しかった。
アラベラさんのベートーヴェンのコンチェルトは、2~3年前に所沢と東京でN響&プロムシュテットとのタッグで2回聴いたことがある。その音楽的センスの良さに当時は大変感動したのを覚えている。

今回は、座席がステージから遠かったせいもあるのか、全体に線が細い、とても繊細なベートーヴェンのような印象を受けた。ある意味これは彼女の持ち味なのだが、弱音表現が非常に秀逸で、強奏の部分でも決して強い主張をしない、それが彼女の細身のシルエットと相まって、全体的に繊細な印象なのだ。

2~3年前に聴いたときは、もっとパワフルでかなり凌駕する感じのベートーヴェンだったが、そのときを知っているだけに、やや物足りなさというか、今回は大人しいなぁという印象を受けたことも確か。

すぐに思ったことはステージから遠い音響のせいなのかなとも考えた。

テクニカル的には、完璧で、見事な演奏、美しく繊細なベートーヴェンを見事に演じていたと思う。
自分が先に述べたこの曲の見せ処も、ものの見事に弾きあげた。
アラベラさんはヴァイオリニストとしての技巧レベルは本当に高いですね。

エレガント!

まさにそんな感じの演奏で、アラベラさんのイメージにぴったりで、ベートーヴェンにこういう演奏もありで、ある意味彼女らしいといえば、彼女らしいのかもしれないと感じた演奏だった。


後半は、ストラヴィンスキーの春の祭典。いわゆるハルサイ。


つい先日N響で同じ曲を聴いたばかり。
これはなかなか素晴らしかった。音の立ち上がり、トランジェントの速さ、全体の迫力といった点では、N響のときを上回るのではないか、と思うほどの素晴らしい演奏で、日フィルをかなり見直した。

オーディオファンにとっては、まさに18番の曲で、ある意味この曲に関しては煩いぐらい要求するレベルは高いのだが、そういう瞬発性、アバンギャルドな装い、爆発的な感情を見事なまでに表現していた。

日フィルのオーケストレーションの高さに感心した。

やはりコバケン巨匠の指揮によるところも大きいと思う。

コバケン巨匠は炎のマエストロと呼ばれるのがわかるくらい劇場型の魅せる指揮スタイルだが、でもそのような上位概念だけでは計り知れないもっと計算された緻密なオーケストラとのあ・うんの呼吸はきっとあるに違いない。積年の関係であることの事実だけが成しうるような。。。

見事な一夜でした。


アラベラさんは、いよいよ来週初来日で話題沸騰のデンマーク国立響と、あのファビオ・ルィージ指揮で、同じサントリーホールに登場する。(もちろんいま全国ツアーをしている。)

とてもフレッシュな顔合わせで、とても楽しみだ。
ルイージとどういうコンビネーション、化学反応を魅せるのか?

ブルッフのコンチェルトを演奏する。

いまから楽しみで楽しみで待ちきれない感じである。


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(c)アラベラさんFB
 (大宮公演後でのショット。サントリー公演ではブルーのドレスでした。)




日本フィルハーモニー交響楽団 コバケン・ワールド Vol.21

2019年3月10日(日)14:00~
サントリーホール大ホール

指揮:小林研一郎
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー
管弦楽:日本フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

~アンコール
J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第3番より「ラルゴ」

ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」

~アンコール
ビゼー:「アルルの女」第2組曲より「ファランドール」 










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コメント 3

とみぃ

こんにちは、とみぃです。
ちょっと気になったことがあるので、コメントさせていただきます。
私の記憶に間違いなければ、この日、ヴァイオリン協奏曲の第1楽章終了時にパラパラと拍手がおこったと思います。実はyoutubeでヒラリー・ハーンの演奏する同曲を試聴していたところ同じ現象があり、思い出しました。
コンサート鑑賞経験豊富なノンノンさんなら色々ご存知かと思うのですが、楽章間の拍手というのは現状どうなんでしょうか?ここ最近の変化なのでしょうか?
私の記憶では、拍手は行わないのが通例となっていたと思いますが、、、
個人的な意見としては、良かった時には楽章間であれ拍手もいいのかな、と思います。が、しかし演奏者側からすれば、例えばワンテンポ置いてすぐに次の楽章に入る、というタイミングもあると思うのです。嘘か真か分かりませんが、曲によっては作曲家が楽章間の拍手を嫌ってアタッカにした、という話もあるようです。
また別の側面ですが、演奏終了後の間髪入れない拍手およびブラボーの歓声、私は好きではありません。個人的にはせっかくのコンサート会場、最後の音の残響が消えるまで(ほんの2~3秒)が曲の終わりではないかと。昨今のコンサートで開始前に「演奏終了後、指揮者がタクトを降ろすまでは拍手をご遠慮下さい」というアナウンスがあり、曲の最後を堪能できた事もありました。(ベト5とシューベルトの未完成だったかな?)
マーラーの交響曲第9番のコンサートでは、終了後の拍手はご遠慮下さい、というのもあったみたいですね。
その辺りについてご存知の事そして思う所、お聞かせいただければ幸いです。

追伸
本日知りましたが、アンドレ・プレヴィン氏が2月の末で亡くなられていたようですね。クラッシック、ジャズ、そして映画も、色々な側面で楽しませてくれました。ご冥福を祈りたいと思います。
by とみぃ (2019-03-28 10:52) 

ノンノン

とみぃさん コメントありがとうございます。
これはあくまで私の個人的な意見ですが、楽章間の拍手については、基本はやはりしないことがマナーではないか、と思います。このクラシックの基本マナーは、日本のほうがよく守られていたりして、本場のヨーロッパのほうが逆に楽章間の拍手あったりします。

これは、意識的というより、観客の皆さんは、思わず、拍手してしまった!という感覚のほうが正しいのではないでしょうか。まだ最終楽章でもないのに、あまりに感動的なエンディングなので、思わず拍手しちゃったとか。。。この間のベートーヴェンのコンチェルトはまさにそうですね。あと演奏家の方に聞くと、チャイコフスキーの6番悲愴の第3楽章が終わると、95%以上の確率でヨーロッパでは拍手が起きるそうです。(笑)

そこには無意識に思わず・・・という感覚のほうが大きいと思いますが、じつはとみぃさん推測のように、それが最近の流行だったりするかもしれませんね。マーラーの9番のラストは、まさに観客に沈黙を強いる、呼吸すること自体、困難な大変厳しい苦しい状況を強いる有名なラストですね。

クラシックの全楽章終了時は、私もとみぃさんの意見に賛成です。
やはり指揮者がタクトを下ろして少しの沈黙が欲しいですね。そういう余韻って大事だと思います。自分の経験からすると、概してヨーロッパの聴衆に比べて、日本の聴衆のほうが大人しいし、マナーは守るような気がします。
by ノンノン (2019-03-29 14:47) 

とみぃ

ノンノンさん、ご返信ありがとうございます。

>「楽章間の拍手については、基本はやはりしないことがマナーではないか」、コンサートに行き慣れていない私としては、素直に従いたいですね!
>「チャイコフスキーの6番悲愴の第3楽章が終わると、95%以上の確率で」、思わず納得。チャイコフスキーは、第5番の第4楽章も最終コーダ前の休止で時おり拍手のフライングがあるようですね!
誰もが音楽を聴きに来ているわけなので、迷惑にならないよう心掛けるのは当たり前のことだと改めて感じました。
でも今回の拍手は、不快なものではなかったというのも正直な感想です。
by とみぃ (2019-03-30 21:54) 

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