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豊臣大坂城と徳川大坂城 [雑感]

実際間近で観る大阪城は、やっぱり天下の日本一のお城だと思いました。
(天守閣のことを言っています。)


城としての美しさがあると同時に、荘厳、威厳あるお姿というか、格好よさがありますね。日本一の美城として有名な白鷺城こと姫路城もぜひ現地に行ってじかに見てみたいのだが、そういう美しさの次元に留まるのではなく、もっと勇敢な武士道精神を表現した男らしい格好よさ、そして天下人という頂点を達観した英雄感のオーラが大阪城にはありますね。


やっぱり天下人のお城、太閤はんのお城という名の通り、天下のお城なんだと思います。


大阪城は、上京したての頃の若い頃、1回大阪に行って観たことがあったのだが、記憶が薄っすらとしか残っていなくて、また当時写真を撮影する趣味もなかったため、ぜひもう1回チャレンジしてみたいと思っていた。


今回いずみホールを体験するのが一番の目的だったのだが、大阪城がある大阪城公園は、そのすぐ目の前にあるので驚いてしまいました。(笑)


大阪城の”阪”という字は、じつは昔は”坂”と書き、大坂城と書くのが常であった。この表記については、近代以降「大坂」を「大阪」と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。


大坂城と言えば、豊臣秀吉が建てたお城と誰もが思うかもしれないが、大坂城の歴史からすると豊臣時代(豊臣秀吉)に造られた大坂城、徳川時代(徳川秀忠)に造られた大坂城と2つ存在するのだ。


豊臣大坂城と徳川大坂城は、まったく別モノなのである。


秀吉の死後に、関ヶ原の戦い、そして大坂冬の陣、夏の陣で豊臣家が滅亡すると、大坂城は、初め家康の外孫松平忠明に与えられて、忠明に課せられた任務はまずは大坂城下の復興であった。


ところが2代将軍徳川秀忠によって、豊臣色を払拭する大坂城修築工事が開始されたのだ。幕府直轄の城である徳川大坂城の城主は徳川将軍家の歴代将軍自身であり、譜代大名から選ばれる大坂城代が預かった。


江戸時代は、度重なる火災、落雷などで天守閣の焼失を始め、大半の建物は焼失、修復を繰り返した。



天守閣に限って言及すれば、結局、大坂城天守閣が再建されたのは、いままで3回。


秀吉時代の初代天守は天正13年(1585)から慶長20年(1615)まで・・・31年


徳川時代の2代天守は寛永3年(1626)から寛永5年(1665)まで・・・40年


・・・そして時を経て


3代目のいまの天守閣は、昭和6年(1931)から・・・最長記録更新中。


今回自分が観てきたこの3代目天守閣は、大阪夏の陣図屏風(大阪天守閣蔵、重要文化財)に描かれた豊臣時代の天守の外観に基づいて復興されたものなのだ。


よかったぁ!自分はてっきりいまの天守閣は、徳川大坂城の天守だと誤解していたので、いまこうやって調べたところ、豊臣天守閣だったことが判明してほっと胸をなでおろしました。


そりゃそうだよね。昭和に天下の大坂城を復興再建するのに、豊臣天守の意匠を使うのは当然のことだと思います。


大坂城は豊臣秀吉のお城です!


この3代目天守(復興天守と呼ばれている)は、当時としては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造りで、第二次大戦の空襲にも耐えて現在に至り、平成9年(1997)には国の登録文化財に指定された。


せっかくだからここで、豊臣大坂城天守と徳川大坂城天守についての違いを書いてみよう。(引用元:Wikipedia)


豊臣大坂城天守



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大坂冬の陣図屏風に描かれた豊臣大坂城天守



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大坂夏の陣図屏風に描かれた豊臣大坂城天守
いまの3代目天守(復興天守)は、このときの意匠を参考にしている。


大阪夏の陣のときの落城で焼失。


天守は、複合式もしくは連結式望楼型5重6階地下2階であったと考えられており、外観は、黒漆塗りの下見板張りで、漆喰壁部分も灰色の暗色を用いて、金具や、瓦(金箔瓦)などに施された金を目立たせたと考えられている。一説には、壁板に金の彫刻を施していたというものもある。


なお、5階には、黄金の茶室があったといわれている。

最上階は、30人ほど入ると関白の服に触れるほどであったとルイス・フロイスの「日本史」にある。


大坂夏の陣図と冬の陣図では天守の姿が大きく異なっているため、夏の陣のものは再建または改築されたものであるといわれている。冬の陣より夏の陣のときのほう荘厳な天守だったので、いまの3代目復興天守は、夏の陣のときを参考にしたのだと思われる。



徳川大坂城天守




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徳川大坂城天守(願生寺指図を元にしている。)


徳川大坂城の天守は江戸城の本丸・初代天守の配置関係と同配置に建てられたと見られている。建物は独立式層塔型5重5階地下1階で、江戸城天守(初代)を細身にしたような外観があり、白漆喰塗籠の壁面だったとみられている。最上重屋根は銅瓦(銅板で造られた本瓦型の金属瓦)葺で、以下は本瓦葺だったという。


高さは天守台を含めて58.32メートルあったとみられている。このことから江戸城の初代天守の縮小移築との説もある。


これが今回大阪城公園の大阪城復興天守の中に入った時に、展示されていたパネル。
天守閣の中は、博物館のようになっていて、当然豊臣大坂城と徳川大坂城の違いについての説明展示がある。


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これを見ると徳川大坂城は、基本は江戸城をベースとしていたところがあるので、巨大な天守(約58m)だったのがわかる。それと比較して、豊臣大坂城の天守(約39m)のなんと小さいことか!


自分はこのパネルを見たときは正直ショックでした。(笑)


図を見てわかるように、徳川大坂城は、豊臣大坂城よりも地表が高い所にある。徳川大坂城は、全体に高さ約1メートルから10メートルの盛り土をした上に、より高く石垣を積んだので、豊臣大坂城の遺構は地中に埋もれることになった。また天守など建物も構造を踏襲せずに独自のものに造り替えることになった。


徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、完全に大坂城を作り替えたのである。


だから、現在の大阪城公園にある地表に見ることのできる大坂城の遺構は全部徳川大坂城のものなのだ。豊臣時代の遺構は地下に埋まっている・・・


ということは、現在の復興天守閣の天守台も徳川大坂城のものである。
天守台は徳川大坂城で、その上の天守閣は豊臣大坂城のものを建立した、ということになる。


いまの復興天守閣の中は、博物館のようになっていて、そこで自分が1番ズキ~ンと心射貫れたのは、豊臣時代の大坂城の全建物の縮小プラモデル。天守閣を始め、本丸、二の丸、三の丸や、とにかくすべて。ものすごい広くて大きな建物群でこれは圧巻で素晴らしかった。


この博物館は、3F,4Fはカメラ撮影禁止になっていて、たぶん4Fだったと思うのだけれど、無性にカメラに収めたい衝動に駆られた。一瞬だったら撮っても大丈夫なような感じだったし、たぶん出来たと思うけれど、どこかで良心の呵責が・・・(笑)


いまものすごく後悔しています。撮っておけばよかったと。。。
それだけこの縮小プラモデルは自分の心をガシっと捉えました。


それではいよいよ自分が体験してきた3代目復興天守閣の荘厳なお姿を披露します。
どこがベストアングルか、というのは、もうすぐにわかるようになっている。


大阪城公園を順路で進んでいけば、天守閣が見えてくると、おぉぉ~ここだ!というのがピンとわかるのです。写真にそれなりに心得、拘りがある人ならば。。。


そしてそこには大抵観光客カメラマンがたくさんたむろっている。

観光雑誌などで使われている有名アングル、スポットも大体この中にあると思います。


では、これが大阪城3代目復興天守閣だ!


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大阪城公園を順路で歩いていくと最初に出くわす撮影スポット。
あっここだ!と思いました。雑誌でよく見るアングルです。


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ここが天守閣を最高のアングルで撮れるスポットですね。
そのように公園が設計されています。
その前がこのように広場になっているのです。


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休日です。天守閣の中に入るには当然長蛇の観光客の列に並ばないといけません。
そこに並びながら撮ったショット。


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天守台の麓からのアングル。


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これは西の丸庭園から撮影したアングル。たぶん珍しいショットだと思います。西の丸庭園からは、天守閣には行けないのですが、この広い庭園を散策していたら、ふっと振り向いたらこのような方向から天守閣が臨めるとは思いもよらず相当心臓がドキッとしました。


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さて、せっかく来たのだから、当然天守閣の中に入るつもりでした。
中に入るとミュージアムショップのお土産屋さんもありました。


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天守閣の中は、上階へはこのように当然エレベーターを使います。
スミマセン、思いっきりイヤミのつもりで言っています。(笑)

先の大阪サミットで、某首相の失言について皮肉っているつもりです。
もちろん階段でも行けます。5Fまでエレベータで昇り、最上階の8Fまでは階段です。


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天守閣の中はこのように博物館になっています。豊臣(秀吉)時代の歴史説明パネル、貴重な屏風や資料、実際使用していた武具などの展示など大変興味深いものばかり。時間を忘れました。


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これが天守閣に装飾されている金のシャチホコなどの装飾具。圧巻でした。


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これはかなり自分を魅了、惹きつけました。
豊臣秀吉はじめその勇敢な武将たちがかぶっていた兜。

手前から黒田官兵衛、後藤又兵衛、加藤清正、ひとつおいて豊臣秀吉。
当時の人間の頭は小さかったんだね。(笑)


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そして展望台になっている天守閣最上階へ。
階段で昇っていくとこんな感じです。


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外に出てみると、防護の網が張っている。


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ここから大阪の街を四方から眺めて観ます。

ここが天守閣を撮影する最高のスポットの広場になっている方面。
こんな広い広場だったんですね。


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高層ビルが立ち並んでいる。大阪は都会なんだなぁ。
手前に見える緑色のドーム式の屋根が大阪城ホールです。


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そして他の2方面。
西の丸庭園など大阪城公園は緑も多く、本当に広いです。


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これで大阪城天守閣を巡るメイン・ミッションはコンプリートです。

ほか、ちょっと大阪城公園を散策してみようと思いました。


あなたも戦国武将になれる!インスタ映えスポットなのでしょうか?(笑)
特に外人さんに人気でした。


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どうしても行っておきたかったのが、大阪城公園内にある豊臣秀吉を祀っている豊國神社。

秀吉像がそびえ立つ!


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ここではみなさん、秀吉に倣って、出世、開運を祈願するそうです。
・・・もうそういうのは、疲れるので、自分の場合、もういいです。(笑)

平穏な未来、小さな幸せを祈願してきました。



そして広大な緑の地平線が広がる西の丸庭園へ。


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ここには、国際会議などで使われる大阪迎賓館があることで有名ですね。


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この建物が大阪迎賓館です。


写真を撮影しているときは、この建物が迎賓館だとは知らずに撮っていたので(笑)、もっと真正面のショットが欲しかったですね。


国際会議(1995年のAPEC'95)などや結婚式場はもちろん2016年から予約制高級レストランとなったことで納涼会や企業の周年パーティ、忘年会、新年会などを愉しむことができるようです。なんといっても周りは、約6万5千平方メートルの広大な緑豊かな敷地内にありますから、四季折々の自然と開放的な空間そのもの。



広大な緑の敷地を歩いていると、ふっと後ろを振り向くと、なんと天守閣が!(笑)
さきほど紹介した、まさかここから天守閣が見えるとは!という驚きでした。

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これで大坂城ミッション、すべて終了。
いやぁ、やっぱり自分は日本史大好きなんですね。
こうやってあの日を振り返ってこの日記を調べながら書いているだけでもうドキドキ、ワクワク。

そして城マニアと言えるほど、全然詳しくないのだけれど、日本の城が大好き、ということを実感。


つぎなるターゲットは、もう決まっています。
日本一美しい白鷺城の姫路城です!


このときに、まだ14時。
開演の19:00まで5時間もある。
いずみホールはすぐ近く。


どうしようか、かなり困りました。
そこで大阪城公園入口のスターバックスへ。
この日は暑かったから涼をとる目的もありました。


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ここはいいですね!


自分はスターバックスにはあまりいい印象を持っていなくて、自分から好んで入るところではない。というのは、スターバックスと言ったら、もう東京では渋谷のスクランブル交差点のあのお店をすぐに思い出し、狭くて、汚くていつも女子高校生や若い人でごちゃごちゃに混みあっているという印象。


そんなイメージだったから、ここの広くて店内が綺麗で、天国のような場所は雲泥の違いだと思いました。冷房もガンガン効いているし。若い人が本、パソコンやiPadを持ち込んで、みんな勉強場所として使っているんだよね。こんな綺麗な環境だったらさぞかし効率いいと思いました。


ボクの向かいに座っているお兄さんは、電気技師資格の参考書持ち込んで長時間勉強していました。


自分は最初、iPodで音楽を聴きながら、ジュース飲んで時間を潰していたんだけれど、やっぱり5時間は・・・(笑)


最近よく思うのは、イヤフォン型のインナータイプで音楽を大音量で聴いていると難聴になる可能性が大きいということですね。最近歳のせいか、イヤフォンを外すと、軽い耳鳴りみたいな後遺症があって、それが鎮まるまで2時間ぐらいかかる。これは耳悪くするな~とつとに思います。


特にiPodではポップスやロックを聴くことが多いですから。

商売道具の耳は大切にしないとですね。

音楽はやっぱりスピーカーで聴きましょう!


開演は19:00なので、耳を鎮めるために、2時間前にはiPodをやめました。

その後の2時間はヒマでヒマで苦痛でした。(笑)



ようやく開演時間近くになって店を出る。


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大阪城公園入り口には、大坂城ホールという16000人も収容できるドーム式の多目的アリーナがありました。自分がここで音楽を聴くことはまずないだろうな・・・たぶん。(笑)







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