バーンスタインのマーラー [海外音楽鑑賞旅行]
マーラーの死後、マーラーの作品はほとんど演奏される機会がなかった。マーラーのよきサポーターであったメンゲルベルクや、直弟子であったブルーノ・ワルター、そしてマーラーから作曲や指揮法を学んだオットー・クレンペラーは、確かにマーラーの作品を取り上げ録音を残した。
しかしマーラーの作品を後世に渡って真に世に普及させ、商業的な成功に導いたのはレナード・バーンスタインであることは誰も異論はないであろう。もうこれは歴史上の事実で定説なのだ。
昨今のマーラーブームの礎を築いたのがバーンスタインなのだ。
バーンスタインは、自分のことを”マーラー音楽の使徒”と考えていたところがあって、”We Love マーラー”のキャンペーンもやったりして、その頃はあまり演奏される機会のなかったマーラー音楽をこの世に普及させていこうという使命感に燃えていた。
「マーラーは、交響曲の分野で、20世紀の最も重要なイヴェントになると確信している。」と予言していた。
「つぎの時代には、必ずマーラーが来る」と言ってはばからなかった。
自分もマーラーに初めて取り組んだときは、まずバーンスタインの録音で勉強をした。バーンスタインの作品でマーラーを勉強するのが、筋なのだろう、王道なのだろう、と疑いもしなかった。
マーラーの交響曲全集をはじめて録音したのがバーンスタインである。
CBS(のちのCBSソニーで、いまのソニーミュージックの前身)でその全集を作った。
もちろんこの頃はアナログLPの全集という意味ですよ。
もちろんこの頃はアナログLPの全集という意味ですよ。
アメリカ初出LPボックスのアルバム
まさしく録音史上初の「マーラー:交響曲全集」である。
だからその記念すべき初めてのマーラー全集は、いまはソニークラシカルが版権を持っている。自分はこのCBSに録音した初のマーラー全集のCD-Boxで持っているが、今回ネットでいろいろ調べていたら、すごい危険なものを発見してしまった。(笑)
見なければよかった。(笑)
なんとソニークラシカルから、この初のマーラー全集をシングルレイヤーのSACDでマスタリングしたSACD-Box(9枚組)が出ているのだ!日本独自企画。完全生産限定。2018年に発売されている。完全生産限定だけれどまだ売り切れていません。
2万円!!!でも欲っすい~。ここで散財したら、なんのための旅行貯蓄をしてきたのかわかんない。あまりに危険すぎる。
全然気が付かなかった。2年前はマーラーといっても素通りだったからね。
ソニーは、やはりこの初のマーラー全集の版権を大切なビジネス源だと思っているんですね。
ソニーは、やはりこの初のマーラー全集の版権を大切なビジネス源だと思っているんですね。
そのページから当時の初全集録音に纏わる写真をちょっと拝借。
1961年4月、マンハッタン・センターでの交響曲第3番のレコーディングでマーサ・リプトンと
1967年10月、「マーラー:交響曲全集」のLPアルバムを手にして喜ぶバーンスタイン。アルバムのボックスケースを持っている左の人物はプロデューサーのジョン・マックルーア、バーンスタインの右はフェリシア夫人、コロンビア・レコード社長クライヴ・デイヴィス
結局、バーンスタインはマーラーの全集を3回作っているのだ。(ソニーに1回、DGに2回)
いち早くアメリカ時代の1960年代にこのCBSによる交響曲全曲をセッション録音して、1970年代に交響曲全曲の映像をライヴ収録(DG)、晩年の1980年代にもライヴ録音で全集(DG)に取り組みながら、第8番の収録を残し完成間近に世を去っている。
最後の1980年代の第8番だけ未収録の未完のDGへのライブ録音は、結局DECCAに録音した「大地の歌」、ザルツブルク音楽祭のライヴである第8番「千人の交響曲」、さらに映像用に収録された第10番を加えて全集の形にこぎつけた。
1966年~1988年の22年かけて収録。マーラーとつながりの深かったウィーン・フィル、コンセルトヘボウ、ニューヨーク・フィルを指揮してバーンスタインが思いのたけをぶちまけた過激でヘヴィーな録音。
このマーラー所縁の3楽団を使っての録音というのは、もう彼の意図的な強い意識の現れですね。
初めてのCBSによる全集も歴史的価値があると思うけれど、自分のマーラーを勉強するための基本はこの最後のDG全集でした。これで初めてマーラーを勉強した。22年間かけての録音の賜物はやはり一番の価値があると思う。これがバーンスタインのマーラー全集の最高傑作だとまで思う。
いまマーラーフェストに行くための準備として、自分が所持しているマーラー音源を全部復習して完璧にして臨みたいと思っている。そのトップバッターにやはりバーンスタインから入っていきたいと思いました。
まずバーンスタインのマーラーの映像作品。
マーラー交響曲全集
バーンスタイン&ウィーン・フィル、他(9DVD)
1970年代に撮られたライブ録音。バーンスタインの3回の全集録音の真ん中にあたる脂の乗り切った時期ですね。これはもう相当昔に何回も見て勉強した映像素材だけれど、いま全曲コンプリートしたら、ずいぶん新しい発見がある。
ウィーンフィル、ロンドン響とイスラエル・フィルで、ウィーン楽友協会、コンツエルトハウス、ベルリンフィルハーモニーなどでライブ録音、撮影されている。
本当にじつに久しぶりにバーンスタインの指揮姿の映像を見た。
(何年ぶり?いつ以来だろうか?)
(何年ぶり?いつ以来だろうか?)
そのとき自分が思ったこと。
バーンスタインは指揮者としてだけではなく、作曲家でもある音楽人であるということ。小刻みに踊るような指揮の歯切れの良さ、そしてそのリズム感のよさ。奏でられている音楽の波動とものの見事に整合している。
その指揮姿の映像を見ている自分が気持ちがよくて乗ってきてしまうくらいだから、演奏する側もさぞかし気持ちがよいに違いない。オーケストラからこれだけよく鳴る音を引き出す能力は、指揮者としての前に、まず音楽人である、その才能がそうならしめているのではないだろうか?
バーンスタインのマーラーは、途方もないスケール感と感情移入全開の歌い込みに特徴がある。濃厚なうたい回しと主情的な表現が一種独特の世界を醸し出す。とにかく熱くて濃いマーラー。この没入ぶりがまさしく「バーンスタインのマーラー」なんだろう。
よく言われていることだけれど、同じユダヤ人で、同じニューヨークフィルの音楽監督であることからバーンスタイン自身が、自分の姿をマーラーと重ね合わせて、ある意味陶酔している・・・それがこのちょっと半端ではない没入感ぶりとなっているに違いない。
もちろんマーラーだけでなく、ベートーヴェンやブラームスのドイツ音楽もみんなそのようなパターンなのかもしれないけれど、やはりバーンスタインのマーラーは別格というか、基本、彼はやはりマーラー指揮者なのだろう、と思う。
とにかくオケがよく鳴っている。ウィーンフィルがまるでベルリンフィルのようにこんなに機能的なオケの鳴り方をするというのは信じられない感じがした。
「新版 クラシックCDの名盤」(宇野功芳・中野雄・福島章恭 著。文春新書)の中で、中野氏がバーンスタインとベルリンフィルとのマーラー9番の一期一会の演奏会のあの名盤に際しこんなエピソードを披露している。
バーンスタインがベルリン・フィルに登場した翌週、常任のカラヤンが指揮台に立った。自分のオーケストラがいつになくよく鳴る。「私の前には誰が振ったんだ」と帝王。「バーンスタインです」と誰かが答える。一瞬面白くない表情をした彼は、「そうか。彼は練習指揮者としてはいい腕してるんだな」と、わざとらしい冗談でその場を胡麻化したという。カラヤンは二度とバーンスタインを同じ指揮台には立たせなかった。
このエピソードは、いろいろ調べていたら偶然見つけたものだが、この信憑性はじつに的を得ていると思う。現に、自分がバーンスタインのマーラー全集の映像作品を全曲コンプリートして、思った第一印象がこれだったからだ。
オケを気持ちよくさせて、じつによく鳴らしている。
ただ鳴っているだけでなく、演奏に躍動感がある。
ただ鳴っているだけでなく、演奏に躍動感がある。
カラヤンとはやはりタイプが全然違う。カラヤンは、やはりカリスマ、ある意味求道的な求心力で、統率するという感じだが、バーンスタインはもっと開放的だ。両雄並び立たずとも言われますが、それぞれの持ち味がありますね。
バーンスタインのマーラー第6番「悲劇的」のハンマーは3発なんだよね。(笑)
6番はずいぶん聴いてきたけれど、大抵は2発です。マーラーの最終稿も2発です。
3発目ってどこで鳴らすのか、昔から興味があったけれど、ここで鳴らすものなのか?(笑)
「第1の打撃は「家庭の崩壊」、第2の打撃は「生活の崩壊」、第3の打撃は「(マーラー)自身の死」」との意味付けで、「マーラーは「自身の死」を意味する第3の打撃を打つことができなかった」としている。バーンスタインの愛弟子だった佐渡裕さんがハンマー打撃を3度としているのは、佐渡さんの師であったバーンスタインの影響によるものだそうだ。
歌手が必要な曲については、登場する歌手は、やっぱりこのバーンスタインの時代の歌手というのが興味深いですね。交響曲第4番については、なんと!あのエディット・マティスが登場する。もう大感動!やはりすごいキュートで可愛い。これだけの美貌であれば、当時すごい人気があったのがよくわかる。声はリリックで硬質な芯のある声質で楷書風の歌い方。マティスの歌っている映像ってYouTube以外にきちんと映像ソフトになっているのは少ないので、これは本当に貴重です。
フィッシャー・ディスカウもそうですね。この時代が黄金時代でした。
とにかくCDのオーディオを聴いてるだけでは、わかりにくいけれど、映像でバーンスタインの指揮を見ていたら、もう一発で、「バーンスタインのマーラー」というのがこれだ!というのがピンと来てしまう。それだけインパクト大な作品です。バーンスタインのマーラーを知りたいのなら、まずこの映像作品を見ることをお勧めしたいです。
そして1980年代の最後のDG全集。自分が初めてマーラーを勉強した録音。
なんと調べてみたら輸入盤と国内盤の2つ持っていました。いま聴いても、録音もそんなに古いとは思わないし、バーンスタインの没入感たっぷりの熱くて濃いマーラーが聴ける。聴いていて本当に懐かしかったです。
そして、いろいろ異論はあるとは思うが、マーラーの最高傑作とも言われている第9番で、ベルリンフィルにたった1回だけ客演したという名盤。もうこれは超有名盤ですね。自分は最初はCDで持っていましたが、エソテリックがSACDにマスタリングしたレア盤をすかさず購入していまこちらを愛聴しています。
この盤、いまはエソテリックではないけれど、シングルレイヤーSACDでマスタリングされた録音が売られているので、こちらのほうをリンクしておきますね。
まさに”一期一会”とはこのこと。
1979年10月4・5日、バーンスタインは生涯でただ一回、ベルリンフィルに客演。自ら「最愛の作品」と語るマーラーの第9交響曲を指揮した。同じ時期にカラヤンもまた同じ作品に関心を持ち始めており、バーンスタインの練習ぶりにベルリンフィルのメンバーは戸惑い、コンサート演奏は特殊な緊張感があるものの、決して第一級の演奏とはならなかった。
もうこの一期一会の録音については、いろいろ面白おかしく数えきれないエピソードがありますね。みんなそれってどこから聞いてきたの?情報源は?という感じで、本当にミステリアスに話を仕上げています。
カラヤンとバーンスタインとの強烈なライバル意識。このエピソードを知ると、もうそれだけでゾクゾクする、というか、そういう危険なシチュエーションだったからこそ、結果としてベルリンフィルにしては傷だらけの演奏だったにも関わらず、第9番の超名盤ならしめているところがあるのでしょう。
この逸話をネットで調べていたら、こんなエピソードありました。紹介します。
もうこの録音に関しては、こんな話がたくさんあります。
このころ、すでにカラヤンとベルリン・フィルとの間には不協和音が充満していたが、「カラヤン帝国興亡史―史上最高の指揮者の栄光と挫折」(幻冬舎新書)の中で、このコンサートについて著者の中川右介氏は次のように書いている。
1979年10月4日と5日、ベルリン・フィルの「カラヤン離れ」を象徴するコンサートが行なわれた。ついにレナード・バーンスタインがベルリン・フィルを指揮したのである。曲はマーラーの交響曲第9番。一期一会の名演として、いまもなお伝説となっている。
バーンスタインがベルリン・フィルを指揮したのは、これが最初で最後となった。
カラヤンがどのようにバーンスタインの出演を妨害したのかは、噂として語られるのみである。帝王とその側近たちは具体的な文書を残すようなことはしない。
オーケストラ内部の、バーンスタインを招聘しようと考える人々がいかに用意周到であったかは、結果が物語っている。音楽監督であるカラヤンの承認を必要とする、ベルリン・フィルの定期演奏会にバーンスタインを呼ぶような愚作はとらなかった。
毎年ベルリン・フィルが客演することになっているベルリン芸術週間に、バーンスタインを招聘し、さらに、反対する者が出ないように、コンサートの収益はアムネスティ・インターナショナルに寄付することを決めた上で、発表したのである。
あくまで、バーンスタインもベルリン・フィルとともに、ベルリン芸術週間に呼ばれて出演するかたちをとった。これであれば、カラヤンも反対はできなかった。
実際聴いてみるとわかるが、バーンスタインとベルリンフィルの息もつけぬ緊張感溢れるスリリングなやりとりに手汗を握る感じで、結果として名演とは言い難い傷が多い演奏だった。
有名なのは、終楽章の第118小節でトロンボーンがまったく鳴っていない。「落ちてる」とか・・・いろいろ。でもこういった背景があっても尚、第9番の超名盤と言われるのは、やはりなにかそこにカリスマ的な危険な香りが匂うからではないだろうか。まさに一期一会のスリリングな演奏である。
自分はこの危険な香りにやられました。かなり好きな録音です。
この盤を自分が日記で意識して取り上げたのは、2011年のラトル&ベルリンフィルのサントリーホールでの来日公演でマーラー第9番を演奏するときの準備として取り上げました。
自分の第9番の演奏としてのメモリアルでは、このラトル&ベルリンフィルの演奏は素晴らしく忘れられないものになりました。自分の第9番としての現代の名演です。
日本公演でのイスラエル・フィルとのマーラー第9番
バーンスタインのマーラー第9番の録音としては、1985年のイスラエル・フィルとの録音がある。
ただ、このレコーディングとは別に、比較するもののない空前絶後の大演奏として語り草となっているのが、1985年9月の来日公演でバーンスタインが指揮したマーラーの第9番。終身桂冠指揮者としてイスラエル・フィルを率いた全9公演のうち、マーラーの第9番を演奏したのは4公演、なかでも初日3日の大阪・フェスティバルホールと、8日の東京・NHKホールがことのほか凄絶な内容であったとは衆目の一致するところのようで、8日の東京公演を目の当たりにした音楽評論家の許光俊氏も、当時を振り返り次のように述べている。
「実際、あれ以後、この曲でそれ以上の演奏は聴いていません。期待もしていないほどです。あまりに強烈すぎて、あれ以上のは、バーンスタイン自身が蘇らない限りあり得ないと思われます。」
「あのときは、まず大阪で演奏会があり、吉田秀和がそれを絶讃する評が東京公演の直前に朝日新聞に掲載された。ただの名演奏と言うよりも、歴史的な大演奏とか何とか、そんなことが書かれていたように記憶している。それは嘘でもなければ大げさでもなかった。今でこそ、曲が静かに終わったときには拍手を控えるようになった日本の聴衆だが、かつてはそうではなかった。むしろ逆で、すばやく拍手するのが礼儀だと信じられていた。ところが、この時ばかりは二十秒も沈黙が続いた。何しろ、黒田恭一がそれに仰天して、後日バーンスタインとのインタビューでわざわざ触れたほどだ(もっとも、バーンスタインはそんなことは意に介さず、マーラーの魂が話しかけてきた云々と彼らしい怪しい話をしていたのだが)。・・・」
音楽評論家としてここまで言うか、という大絶賛である。
吉田秀和さんや黒田恭一さんが出てくるところが、当時の背景を表していて懐かしいですね。自分の周辺の近いクラシックファンの方も、この演奏は、マーラー演奏としては空前絶後の名演だったようで、この公演がバーンスタインの最高のパフォーマンスと口をそろえて言う。
くっ~。羨ましい、そして悔しい~。
自分は、この1985年のときは、まだ大学生で北海道にいました。(笑)
クラシックの世界で、こういう歴史的名演に立ち会えなかった。そしてそれが壮絶な名演だった、と皆々が口にするのって、これほど悔しいものはありませんね。(笑)
NHKホールでもあるから、当時のその演奏の録音が残っている可能性もあるが、それが公に出る可能性もいまのところない。
その代わり、同年の1985年に録音した同じイスラエル・フィルとの第9番との録音を聴いてみる。
セッション録音なのかな。音つくりがとても丁寧で、音色の厚み、定位感などとても安心して聴いていられる録音。確かに第9番の録音としては素晴らしいできだと思います。ただ自分は平和すぎるというか、安心すぎるというか、この9番の持つ”死”の匂いが感じず、あのベルリンフィル盤の悲壮感のほうが自分に来ます。とても丁寧な演奏、録音なのだけれど、9番はもっと悲壮でもいい。
そして最後に、CBSに録音した初のマーラー交響曲全集のCD-Boxを持っているので聴いてみる。自分が持っているこのCD-Box盤はもう廃盤ですね。デザインがリニューアルされています。いつまで経っても、このCBSに最初に録音した録音史上初のマーラー交響曲全集は不滅の名作なのです。
いい録音。全然古臭くない。熱いこってりとしたバーンスタインのマーラーが聴けます。予想以上にいい録音なので、驚きました。そして、いまの現代解釈のマーラーと比較して、全然遜色なくて、やっぱりマーラー演奏ってバーンスタインの演奏が教科書になっているんだな、と思いました。
当時としては、驚きだっただろうなぁ。
ちょっとバーンスタインからレールを離れますが、マーラーの直弟子であったブルーノ・ワルターのマーラー選集もこの機会に新たに購入して聴いてみました。
自分はこういう古い録音は、昔ならいざ知らず最近は全然触手が伸びませんが、久しぶりに聴きました。しかもモノラル音源。やっぱり最初はそのナローバンドな音にしかめっ面でしたが、慣れてくるとやはりこれもバーンスタイン録音と同じで、その演奏解釈は歴代刻々と受け継がれているんだなと思いました。現代解釈とまったく違和感ないのです。
特に第1番「巨人」は完璧な造型に豊潤な情感を盛り込んだ稀代の名演として知られ、同じレーベルに所属していたバーンスタインが、この演奏を聴いた感激から自身の録音計画を放棄したエピソードはあまりにも有名。
バーンスタインについてもブルーノ・ワルターはマーラーを極めるうえで、まさしくマーラー自身を知る先人で頭が上がらなかったのでしょう。
以上、長々と書いてきましたが、これが自分の体験してきたバーンスタインのマーラー感。体験してきた、というのは、そのままその音源を持っているという意味になります。
バーンスタインについて自分が知っていることを全てとにかくガムシャラに詰め込んだ、という感じで文章としてのまとまりもないけれど、自分はスッキリしました。
これらが、自分のマーラー音源の土台、基本でした。
2020-02-14 21:41
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