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PENTATONEの新譜:児玉麻里さんのベートーヴェン弦楽四重奏のピアノ編曲版 [ディスク・レビュー]

児玉麻里によるベートーヴェン・イヤー2020に贈る最高の変化球。


PENTATONEレーベルによる児玉麻里・児玉桃の姉妹共演の「チャイコフスキー・ファンタジー」に続くキングインターナショナル企画による第2弾だそうだ。


児玉麻里さんのここ最近の録音は、キングインターナショナルが日本独自企画という形でしっかりと日本側からアルバム・コンセプトをサポートしているのが、素晴らしいですね。


現地レーベルに所属する日本人アーティストのアルバムコンセプト含め、企画そのものを日本側からしっかりサポートしていると、そのアーティストのことをよく考えてくれるしいいと思いますね。それじゃ日本のレーベルでいいのじゃないか、と仰いますが、そこは海外レーベルならではのプロモーション、販路など、そこには日本のレーベルでは成し得ないメリットもたくさんありますね。


しっかりと日本側からサポートしてあげるというのは、いままでになかった素晴らしい戦略アプローチだと思います。


児玉麻里さんといえば、ベートーヴェンのスペシャリスト。


児玉麻里さんにとって、ベートーヴェンは特別に大切な作曲家で、これまでにPENATONEに録音してきたベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集と、そしてキングインターナショナルによる日本独自企画・限定盤のベートーヴェン ピアノ協奏曲全集と、ベートーヴェンについて大きな主要作品を残してきた。


ベートーヴェン ピアノ協奏曲全集のほうは、旦那さまのケント・ナガノ氏とベルリン・ドイツ交響楽団とのSACD全集。2006年から2019年にかけてベルリン・イエス・キリスト教会で録音されてきた力作だ。ベートーヴェン・ピアノ・コンチェルトは1番~5番であるが、このSACD-Boxには特別に第0番という作品も収録されているのだ。


第0番は、ベルリン州立図書館に所蔵されていた第0番の自筆譜にあたり、緻密なリサーチを経て、両者で丁寧に解釈を深めていったとても貴重な作品。このSACD-Boxはぜひ、ぜひ買わないといけない、と思っていて、そのままになっていたので、さっそくいま注文しました。


もちろんレビュー日記も後日書かせてもらいます。


ベートーヴェンについて、ピアニストとして、そういう大きな偉業を残してきた後なので、今回のPENTATONEへ録音したベートーヴェンの作品は、まさに”変化球”という表現は言い得て妙なのだと思いました。


今回のアルバムは、2つの偉大な業績の後の補巻という位置づけで、なんとベートーヴェンの弦楽四重奏をピアノで編曲した作品を演奏する、というびっくり仰天の内容なのだ。


まさに児玉麻里によるベートーヴェン・イヤー2020に贈る最高の変化球。


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「ピアノによるベートーヴェン:弦楽四重奏曲~サン=サーンス、バラキレフ、ムソルグスキー編曲」
 児玉麻里


輸入盤(2020/2/27発売)
http://urx3.nu/AVb2


国内盤(2020/5/20発売)
http://urx3.nu/AXWG


小澤征爾さんが「クラシック音楽の基本は弦楽四重奏」と仰ったのは有名な話。

また室内楽の最高峰とも云われる弦楽四重奏。


ベートーヴェンの16曲の弦楽四重奏をいま一度じっくり腰を据えて聴いてみたいと思いながら、すでにもう何年・・・。


これを児玉麻里さんのピアノで聴けるのは最高ではないか!


このベートーヴェンの弦楽四重奏曲のピアノ版への編曲者がサン=サーンス、バラキレフ、ムソルグスキーといういずれもピアノ音楽の傑作を残しているひとかどの作曲家である点が素晴らしい。


ベートーヴェンが生涯にわたり作り続けたのは弦楽四重奏曲。
ベートーヴェン好きのピアニストにとり、この世界を担える弦楽器奏者は羨望の存在であった。


それが今回実現したということになる。編曲者は大物ながら、児玉麻里さんはあくまでベートーヴェン弾きの側から見た世界を主にしている。児玉麻里さんもベートーヴェンの弦楽四重奏曲をピアノ曲として弾くのはもちろん初めての経験である。


ベートーヴェン:
● サン=サーンス編:弦楽四重奏曲第7番 Op.59-1「ラズモフスキー第1番」
  ~第2楽章アレグレット・ヴィヴァーチェ・エ・センプレ・スケルツァンド
● サン=サーンス編:弦楽四重奏曲第6番 Op.18-6~第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ
● バラキレフ編:弦楽四重奏曲第8番 Op.59-2「ラズモフスキー第2番」~第3楽章アレグレット
● バラキレフ編:弦楽四重奏曲第13番 Op.130~第5楽章カヴァティーナ
● ムソルグスキー編:弦楽四重奏曲第16番 Op.135~第2楽章ヴィヴァーチェ
● ムソルグスキー編:弦楽四重奏曲第16番 Op.135~第3楽章レント・アッサイ


 モーツァルト:
● ベートーヴェン編:クラリネット五重奏曲 K.581~第4楽章アレグレットと変奏曲


興味深いのは、サン=サーンス、バラキレフ、ムソルグスキーが原曲をただピアノに置き換えるのではなく、それぞれのピアニズムを反映させつつ完全なピアノ曲にしていること。


サン=サーンスとバラキレフは難技巧の要求されるピアノ曲が多く、それらと同様のレベルが要求されるものとなっている。超お宝がムソルグスキー編曲による第16番。ムソルグスキーはもっぱら編曲される側の作曲家で、彼の編曲は極めて珍しい。ムソルグスキーはベートーヴェンを崇拝しており、彼の激しく革新的な音楽の原点だったことを認識させてくれるのではないか。この編曲は楽譜が極めて入手困難なためムソルグスキー研究家の間でも伝説となっていたものだそうだ。それがついに音になったということになる。ベートーヴェン最後の弦楽四重奏曲の異常な感覚がムソルグスキーの異常な感覚とあいまって世にも稀な逸品となっている。


おまけとしてベートーヴェンがモーツァルトの名作「クラリネット五重奏曲」のフィナーレをピアノ独奏用に編曲したものも収められている。(HMVサイト記載情報による)


じつにいい素晴らしい企画力。

さっそく聴いてみた。


まず直感的に思ったのは、弦楽四重奏というストリングス的なサウンドを聴いている感じがしない、そんな面影が一切ない、まったく独立した立派なピアノ曲として体を成していることだ。


原曲を知らなければ、オリジナルのピアノ曲としてまったく違和感なく受け入れられる。


ピアノへの編曲版というのはオーケストラの交響曲をピアノ編曲版にしたものというのは何曲か聴いた経験はあるのだが、やはりそこには原曲の面影があって、置き換え感という感覚がどうしても漂ってしまう。(もちろんそのピアノ編曲バージョンはそれはそれでまた大変魅力的ではあります。)


ここではそういうものを感じない完全な独立したオリジナリティを感じますね。


それはやっぱりサン=サーンス、バラキレフ、ムソルグスキーというそれぞれの作曲家独自のピアニズムが色濃く反映されていて、原曲の面影がないからなのだと思います。


とても新鮮に感じます。


そしてやっぱりどうしても感じるベートーヴェンの音楽の様式感。ベートーヴェンのピアノ曲を聴くと、それはショパンでもない、モーツァルトでもない、ベートーヴェンらしい骨格感のある美しさ、厳格さがありますね。


男らしい旋律の中にふっと一瞬現れる女性的な美しい旋律がなんとも堪らなく美しいです。


そういうベートーヴェン音楽特有の様式感って絶対ありますね。


聴いていると、あ~やっぱりベートーヴェンだ、と感じてしまいます。


それは決してベートーヴェン・オリジナルの作品ではなく、サン=サーンス、バラキレフ、ムソルグスキーによる編曲版でもその気高い精神性は間違いなく伝わってきます。


そこはけっして損なわれていないと思います。

児玉麻里さんがベートーヴェンを生涯のライフワークにしているのもよくわかります。


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今回のこのPENTATONEの録音は、オランダのヒルフェルムス、MCOスタジオ1で収録された。もうこのヒルフェルムスのMCOスタジオというのは、ポリヒムニアが専属契約してずっと使ってきているスタジオなのだ。PENTATONEの黎明期の録音の頃から大半のディスクでこのクレジットを見かけている。


コンサートホールに出張録音するか、このMCOスタジオなのか、のどちらかである。室内楽の録音が多いが、このようにスペースの大きいスタジオなので、オランダ放送フィルのようなオーケストラの録音でも使用されている。


そもそもオランダのヒルフェルムスというところは、オランダ中部北ホラント州の基礎自治体(ヘメーンテ)。ヨーロッパ最大のコナベーションエリアであるランドスタットの一角を占めているエリアだそうだ。


首都アムステルダムの南東30km、ユトレヒトの北20kmに位置している。1920年代から続く短波ラジオ局のラジオ・ネーデルランドなどのラジオ局、テレビ局が集中しているため、「メディアの街」と呼ばれている。


このスタジオ写真をずっと見てきた自分の予想なのだけれど、このMCOスタジオというのはテレビ、ラジオ公開放送用のスタジオではないか?と思うのだ。


写真で見ると観客席の奥行きが浅いのでコンサートホールとは思えないのだ。そうすると普通に公開録音するため、その観客用の座席で、そのための放送録音スタジオなのではないか、と思うわけだ。


だから壁にはきちんとコンサートホールのように拡散材パネルも装飾されている。


スタジオだから、MCOスタジオ1~5までと複数別れているのだと思う。
メディア街だから、こういう施設が多いのだろう。


PENTATONE、ポリヒムニアはずっとこのMCOスタジオを愛用してきています。


自分はいままでPENTATONEの数多のアーティストがここを使っている写真を数多く観てきました。児玉麻里・児玉桃さんの「チャイコフスキー・ファンタジー」もこのMCOスタジオで収録されました。



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児玉麻里さんと録音エンジニア・エルド・グロート氏とピアノ調律師マイケル・ブランデス氏。(c)Mari Kodama FB


ポリヒムニアのバランスエンジニア、録音、編集は、お馴染みエルド・グロート氏。
もう長年自分が聴いてきた期待を裏切らない録音ですね。


ポリヒムニアがピアノ録音を録るとまさにこういう音がします。


ピアノ録音の素晴らしさで定評のあるDGは、どちらかというと硬質でクリスタル感のある音色なんですよね。ピンと張りつめたようなそういう透明感が命みたいな・・・。


でもポリヒムニア、PENTATONEが録るピアノの音は、温度感が高めで、質感の柔らかい音色なんですよね。彼らの録るピアノの音は昔からこういう音がします。


一発の出音を聴いた瞬間、あ~やっぱりと思いました。(笑)


ピアノ録音のオーディオ再生で大切なことは、打鍵の一音一音に質量感が出るような再生ができるかどうか、ですね。このニュアンスが出るとピアノのサウンドは最高の鳴り方をしますね。


児玉麻里さんの今回の録音、じつに素晴らしいです。
期待裏切らないいつも通りのサウンドでした。



最後にブックレットの中に記載されている児玉麻里さんの今回の新譜に対する寄稿コメントを紹介しておこう。


PENTATONEの新譜は、必ずブックレットの中で冒頭にアーティストに寄稿をさせる。


それが彼らのスタイルなのだ。


この児玉麻里さんの寄稿には溢れんばかりのベートーヴェン愛と尊敬の念が記されている。


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”真の芸術は、頑強なものである。”



おそらくルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンほど私を大きく揺り動かしてきた芸術家はいないであろう。この数十年間、私はこの個性的な作曲家とともに歩んできた。私は子供のとき、ティーンエージャーのとき、そして学生のとき、そして今なお、コンサートで彼の曲を弾いている。


私はベートーヴェンとともに生きてきたし、彼の音楽を聴いてきた。


そして彼をもっと深く理解したいとずっと努力してきたし、特に、彼の作曲技法の複雑さや深さ、そしてそれが与えるインパクトについて理解したいと思ってきた。この男は実際のところどのような男なの?ときどき、もし私が彼に会えるチャンスがあるとしたら、彼に何を聞くべきかを考えることがある。


この数十年の間、ベートーヴェンは私の芸術作品という観点からだけでなく、自分の人生の哲学者でもあってきた存在だった。それはどうして?それはあきらかに、彼の芸術作品やそう至るまでの中で表現してきた考え方の中に、”真の芸術は、頑強なものである・・・それはけっして見かけのいい綺麗な形に抑制することはできない。”という言葉があるからだ。


彼は耳が不自由であったにもかかわらず、他人と会話をすることを助けた1820年の会話本の中にそう書かれている。この本では、彼にとってあきらかにネガティブなことではなく、そして彼の芸術に関することだけでもなく、個人の尊厳に寄与する個人の自由、人間の主張についての考え方がまとめられている。


しかしながら、同時に、この自由を自分のものとし、それを発展させ、従来の伝統的な考え方を超えるなにか新しいものをつねに探し創作する責務についてもまとめている。


彼の作品にはすべて、己で決め、己で理解すること、そしてそれを前へ動かし成長させることが要求される。これは常に彼自身がおこなってきたことであり、すべての作曲の中に新しい音楽的手法をつねに探しながら、彼の時代の作曲技法を超えるなにかを見つける、そしてそれが彼の曲にある偉大なるダイナミズムにもなる要因ともなっていた。


彼は決して同じことを繰り返さなかった。


私は彼のそのような姿勢をとても楽観主義なものとして捉えていた。彼の作品には大きな希望がある。そして人間は自分の個性を守るためと、それをさらによい方向へ発展させるために、その知性を喜んで使うことができる。彼は自分の人生がもっとも深い暗闇の中にあろうとも決して希望を諦めなかった。


それが私に深い影響を及ぼしてきた彼の音楽である。


ベートーヴェンは間違いなく、私の中にある楽観主義に大きな貢献をしてきた。


このレコーディングでは、私はいつもとはまったく違う側面からベートーヴェンにアプローチした。初めて、彼の弦楽四重奏から抜粋してピアノで演奏した。これは私にとって大変感動的な体験であった。ピアニストとして、私は彼のその弦楽四重奏の作品を聴いてきたが、そのときはそのモダンでパイオニア的な手法という観点から非常に彼を尊敬していた。演奏家にとってピアノを弾かずに、ただ聴いているだけというのは、子供が手の中に収めてみたいという、いわゆる把握したい、触りたいという観念にとらわれているのを禁じられているような感覚に似ている。


それはスコアを勉強して、その作品に深く入り込み、私自身がどのように弾こうか、どのように音楽を奏でていくか、という気持ちからくるものであった。


結果として、サン=サーンス、ムソルグスキーやバラキレフのような有名なベートーヴェンの弦楽四重奏のピアノ編曲版を勉強することでベートーヴェンと彼の作品へ新しくアプローチすることが可能となった。


まず最初にいま私が弾くことができるベートーヴェンの後期の作品のパートを弾く、その3人の作曲家との違いが理解できるように。そしてつぎに私にとって同じような感覚のパートを彼らの作品の中で探して弾けるようになる。そうすることでベートーヴェンにより近づくことができるし、彼を完全に理解することができる。


これらのピアノ編曲版を弾けるようになって、実際のところその作業はピアノ編曲というより、アレンジというか、やや詩的適応という感じの作業なのだけれど、おかげでこれら3人の作曲家がどのようにベートーヴェンを理解しているのか、どのようにベートーヴェンの弦楽四重奏のエッセンスを正確に表現しているのか、そしてどのように彼ら独自の音楽性を盛り込んでいるのか、そしてそれゆえにベートーヴェンが絶えず要求していた頑強さというのを、正確に表現できていたかを学ぶことができた。


このような編曲版を演奏できる機会を得ることができて、たとえベートーヴェンその人の作品でなくても、サン=サーンス、ムソルグスキーやバラキレフ、彼らによるベートーヴェン観を、学ぶことができたのではないか、と思っている。


編曲版で表現されているように、彼らの解釈は、私にとって、よりベートーヴェンに対してより理解が深まり、新しいベートーヴェン像を描き切ってくれたと間違いなく思います。この録音を聴いてくださる皆様方にとっても同じであるように。



児玉麻里
Mari kodama











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