黒沼ユリ子さんの音源を聴く [ディスク・レビュー]
いよいよ音源の方を聴いていこう。
普通の物販CDサイトを見ても、黒沼ユリ子さんのCDはほとんど売っていないのだ。レコーディング活動も活発におこなっていたと思うのだが、おそらく大半が廃盤となっていてあまり録音という形では現在に残っていない。
いや活躍した時代から、当然アナログLPが主流だろうということで、中古市場を探ってみると結構存在した。すかさずこの3枚をゲットした。
黒沼ユリ子さんの所属レーベルは、ビクターエンターテイメントとCBSソニーである。
まずCDのほうから堪能したい。
Czech Violin Works-martinu, Janacek, Smetana:
黒沼ユリ子(Vn)Panenka(P)
黒沼ユリ子(Vn)Panenka(P)
”チェコ・ヴァイオリン音楽選”というタイトルのこのCDは、チェコの作曲家マルティヌー、ヤナーチェク、そしてスメタナというところのヴァイオリン・ソナタを集めた作品。
パートナーのピアノは、ヤン・パネンカ。
ヤン・パネンカは、黒沼ユリ子さんがヴァイオリン・ソナタをやるときの永遠のパートナーである。プラハ生まれ、チェコのピアニスト。プラハ音楽院でフランティシェク・マクシアーンに師事、ついでレニングラード音楽院でパーヴェル・セレブリャーコフに師事。1999年7月12日没。
この録音は、1971年7月5日~8日というたった3日間でレコーディングされたもので、プラハのドモヴィナ・スタジオで収録されている。
おそらく黒沼さんがメキシコに移住した後に、プラハをたびたび訪れ、演奏会、録音をしているので、この録音もその一環のものなのであろう。
このCDの中で、黒沼さんは、”チェコ人と音楽と私”というタイトルで寄稿をされている。まさにチェコへの熱い気持ちが書かれており、それを全文ぜひ紹介してみたい。
●チェコ人と音楽と私 黒沼ユリ子
1958年の晩秋、私は生まれて初めてプラハに降り立ちました。それまで全く未知の国での未知の街、未知の人々の暮らすところへ。でもそこには私を結びつけたただ一つの理由がありました。
それが「音楽」だったのです。
ドヴォルジャークという人がチェコ人であることを知り、その人のヴァイオリンとチェロの協奏曲や「スラブ舞曲集」などを聴くにつけ、それらが何と人間的なぬくもりと同時に人生の悲しみも濃い、また歓びに満ちて踊るリズムに溢れているかに感動していたからです。
一体チェコという国はどんな国でプラハはどんな街で、そこにはどんな人々が、どんな風に暮らしているか・・・全く謎の中に入っていく感じでした。
チェコに行ってみて、そこに暮らしてみて、人々と交わり、彼らの自然の風景の中に身を置き、過去から現代までの歴史を知ってみて、今初めて「チェコ人にとっての音楽」とも呼べる「何か」が分かってきたような気がしています。
中央ヨーロッパの小さな民族であるチェコ人たちは、独立国の「ボヘミア王国」として中世から近世にかけて発展していました。すでに1348年にはプラハには、「カレル大学」が開設されていたり、優れた学問や文化の中心的存在でもあったのですが、その大学長で哲学者の僧侶ヤン・フスが、腐敗したローマ・カトリックを批判して宗教改革運動を起こしたにも関わらず、「和解協定を結ぶため」と約束されて出向いたスイスでの公聴会で捕らえられ、1415年には火刑に処されました。
そこから所謂フス戦争が15年も続いたり・・・この歴史的ルーツは、今日の全チェコ人の中にあるのです。ドヴォルジャークの先輩にあたるスメタナは、交響詩「わが祖国」に、「リブシェ」という建国の神話的歴史から、「フス戦争」を描くターボルなどチェコ民族の複雑で苦悩に満ちた歴史を、見事に音楽で描き残しています。もしその理由をひと口で表現することを試みるなら、大国に自らの国の運命を翻弄され続けたチェコ人たちが、いかにして自己を見失わず今日まで生き抜いて来れたかの、最大のエネルギーの源泉が「音楽」にあり、「文学ではなく音楽」で証明したかったから、と言えるのではないかと、私は思うのです。
それは「昨日のこと」とも言える20世紀においても「然り」なのです。第二次世界大戦終了後すぐの1946年に、いちはやく「国際音楽祭・プラハの春」をスタートさせ、東西の冷戦の中にあっても両側からの音楽家たちがプラハに集まって「音楽」を演奏しながら出会うチャンスを作ったり、政治的にはまだ言論の自由が縛られていた1950年代にもコンサート・ライブは盛んで、人口100万のプラハにある3つのオペラ劇場も4つのコンサートホールも常に音楽を求める聴衆で溢れていました。
チェコ人にとって「音楽のない生活など想像もつかない」と言うことを、態度で示されているのを眼前に見るようだったのです。ニーチェも「音楽もない人生、それは間違った人生だ」と言っています。
1958年11月から62年の春までのプラハでの留学生生活と、その後の30年ほどの間、ほぼ2~3年おきには演奏旅行に招かれたり、レコード録音のために滞在してきたチェコという国は、その後の私の人生にとっての「第二の祖国」であり、「音楽」が自然に泉からあふれ出る土地なのです。
スメタナやドヴォルジャークのみならず、ヤナーチェクやマルティヌーの音楽を聴いたり、彼らの作品を弾いたりしているときの自分の精神状態が、なぜか一番落ち着き、自然で、幸せな気持ちになるからです。それは「音楽」という食べ物にも似た「何か」によって精神に栄養がゆきわたり、非日常的な時間の中に身をゆだねることによって、宇宙をさまようことも可能にしながら、と同時に、自分を小さな昆虫ででもあるかのように客観視できたり、水の流れのような平衡感覚を取り戻すことも出来たりする「音楽の不思議な力」を、チェコ人たちがいかに大切にしながら彼らの長い歴史を歩んできたかを学ばせてくれたからかもしれません。
スメタナは「チェコ人の生命は音楽にあり」と言い残しました。
ドヴォルジャークは「自分は一介の平凡で真面目なチェコ人です」と言いながら、あのような「自然に心から生まれたような音楽」を残し、チェコ人の団結を音楽で強め、新しい国を作る手助けまでもしていました。
「小さい国でもいい。文化的レベルが高ければ・・・」というチェコ人の精神は音楽によって支えられ、「音楽があるから」なのでしょうねぇ。何しろ国歌が19世紀のチェコの作曲家シュクロウブのオペラのアリアの一節「我が故郷よ、いずこに」なのですから・・・。
熱い熱筆ですね。いままで何回にも分けて日記で語ってきたことが、じつはこのCDのライナーノーツに全部書いてあるのでは?という感じですね。(笑)
では、このCDを聴いてみます。
1971年度録音とは思えないくらいS/Nがよくてクリアな録音。
まずそこに驚きました。
まずそこに驚きました。
でもいまの現代録音の趣とはちょっと違う感じがしますね。
いまは、全体の音場を捉える空間をまず録って、そこから各楽器にスポットマイクで各声部をはっきり捉えるという手法で、(それはオーケストラでも室内楽でも、です。)実際オーディオで聴いてみるとまず全体の空間感を感じて、その中で鳴っているという立体的な聴こえ方をしますが、この1971年当時はそこまで空間を意識せず、ふつうのオンマイクの録音のように感じます。
それはホール録音ではなく、スタジオ録音というのもあるかもしれませんね。
そこが違うかな、というくらいで、あとは全然ふつうにすんなりと自分の中に受け入れることができます。でもそれって意識的な聴き方をしているだけで、ふつうに聴いている分には全然わからない程度のこと。
いまの録音とまったく違わないといってもいいと思います。
本当に素晴らしい録音だと思います。
本当に素晴らしい録音だと思います。
クリアな感じ、鮮度感、そして明晰な質感など、全体に音の輪郭がキリっとしていて、メリハリの効いたとてもいい録音ですね。感動します。
艶感のあるヴァイオリンの音色、硬質で響きが豊かなピアノの音色。
ヴァイオリンとピアノとのバランス。
ヴァイオリンとピアノとのバランス。
本当にいい感じ・・・。
後述するアナログLPは、やはり年代物の中古LPだけあって、入手困難であること、またスクラッチノイズもそれなりにあるので、黒沼ユリ子の演奏をいい状態で聴きたいなら、このCDしかないと思います。
黒沼ユリ子さんの録音を聴くなら、この1枚でしょう!
なにせ、黒沼音楽人生の大本命のチェコ音楽、チェコの作曲家、マルティヌー、ヤナーチェク、スメタナですから。
マルティヌー、ヤナーチェク、スメタナのヴァイオリン・ソナタ。
おそらくいままでもあまり聴いていない作品だと思う。
おそらくいままでもあまり聴いていない作品だと思う。
チェコ音楽って自分の場合スメタナかドヴォルジャークでしたから。マルティヌーは数年前にPENTATONEの新譜で児玉麻里・児玉桃姉妹の録音で接したぐらいです。
マルティヌーはいいですね。バッチリ自分の好みだと思いました。
このCD全曲通して思ったのは、渋い旋律だということ。東欧の民族色的な音色といえばそれまでだけれど、どこか実験的書風というか、捉えどころのない、形式の枠にとらわれない自由な書風といえるのではないでしょうか?
クラシック古典派の正統派というより、もっと新世代寄りの現代音楽をもっと聴きやすくした感じのように思いました。
最後のスメタナが一番お気に入りになりました。
スメタナは、チェコ民族の自民族意識(ナショナリズム)の高揚のために、もっぱらチェコの民話や伝説、史実などをテーマに作品を書き続けたと言われ、いわゆるそういう心情を煽るような情熱的な旋律が得意とするところですね。聴いていてそういう情緒的だけどどこか哀愁を感じるようなメロディの美しさを感じます。
あとで紹介するフォーレのヴァイオリン・ソナタを録音しているアナログLPのライナーノーツに林光氏の解説文が記載されているのですが、その中に、
黒沼ユリ子のレコードでは、チェコの音楽が一番多いのであるが、その中でも、この永遠のパートナー、パネンカとのコンビで演奏しているヤナーチェクの「ソナタ」は、私がとくに高く評価したいと思っているものだ。と同時に、この演奏には、黒沼の音楽の本質といっていい特徴がよくあらわれている。
なになに?
この解説文を偶然読んで、慌ててもう一回このCDに戻ってそのヤナーチェクのソナタを聴き返しました。
あやうくそのままスルーするところでした。(笑)
堂々の大曲ですね。森林の中の大樹。そんな感じの本当に大きな器の曲。ヤナーチェクの世界をもう少し理解しないとその極みを理解できないような気がします。独特の世界がありますね。ヤナーチェクの世界を強く意識しないと自分に響いてこない曲だと思います。何回も何回も聴き込むことが必要ですね。
じつに素晴らしい作品群でした。
お薦めの特選盤です。
つぎに中古市場で購入したLPの数々。
、
これも盟友ヤン・パネンカとのヴァイオリン・ソナタ
ラヴェルのヴァイオリン・ソナタ
マルティヌーの間奏曲
プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 作品94
マルティヌーの間奏曲
プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ長調 作品94
やっぱりアナログLPはいいですねぇ。
こんな感じでライナーノーツが広い誌面で充実していますね。
とても正統派の解説文です。
黒沼ユリ子のヴァイオリンはボヘミア派の伝統の忠実な継承者である、と断言していますね。
アナログLPの中ではこれが1番好きですね。
ラヴェルのヴァイオリン・ソナタはあまり聞いたことがないですが、ラヴェルの中で唯一の1曲だけの作品のようですね。
当時のジャズ・ブルースの語法が取り入れられていて、当時のパリの楽壇に一種のジャズ・ブームが巻き起こっていたことを物語っているようです。
黒沼さんの超絶技巧が冴えわたっていて、リズミカルでスピーディーな曲の展開に圧倒されます。
三善晃・ヴァイオリン協奏曲
諸井誠・ヴァイオリンとオーケストラのための協奏組曲
諸井誠・ヴァイオリンとオーケストラのための協奏組曲
黒沼ユリ子:ヴァイオリン
若杉弘・指揮
管弦楽:読売日本交響楽団
若杉弘・指揮
管弦楽:読売日本交響楽団
三善晃、諸井誠という日本の作曲家は、知りませんでした。
おもに現代音楽の作曲家なのでしょうね。
おもに現代音楽の作曲家なのでしょうね。
若杉弘さんも懐かしすぎですね。
やはり現代音楽はオーディオ的に音がよく感じます。
漆黒の中の鋭音という感じで、鳥肌が立つ作品です。
漆黒の中の鋭音という感じで、鳥肌が立つ作品です。
黒沼さんは、こういうジャンルの音楽も積極的にチャレンジしていたんですね。
フォーレ
ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品13
ヴァイオリン・ソナタ第2番ホ短調作品108
黒沼ユリ子:ヴァイオリン
ヤン・パネンカ:ピアノ
ヤン・パネンカ:ピアノ
1975年10月20,21,24日の3日間、チェコのスプラフォン・スタジオにて録音されたものです。
フォーレいいですねー!!!
この作曲家のソナタも普段あまり聴かないし、日本のプロモーターもあまりコンサートで採用しない作曲家ですよね。フォーレのソナタがこんなに素敵なんて目からウロコでした。
フォーレは、フランスの作曲家で、むしろ小規模編成の楽曲を好み、室内楽作品に名作が多いとされている。それぞれ2曲ずつのピアノ五重奏曲、ピアノ四重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタと、各1曲のピアノ三重奏曲、弦楽四重奏曲がある。
ラヴェルやドビュッシーのようなフランス音楽特有の浮遊感、色彩感豊かな感じでもなく、結構メリハリの効いた感じの作風です。でもとても美しい、万人に受けやすい不偏のメロディーですね。
このヴァイオリン・ソナタを聴いて、すっかりフォーレの大ファンになってしまいました。
以上、黒沼ユリ子の音源を聴いてきましたが、ヴァイオリニストとしての奏法も現代のヴァイオリニストとまったく遜色なく、堂々とたるもので目の前で演奏している姿が目に浮かぶようでした。
”チェコ音楽を奏でるヴァイオリニスト”というのは、やはりとてもユニークな個性が際立っていて、それがひとつのヴァイオリン奏者としての個性的なカラーになっていますね。
チェコやチェコ音楽ってかなり個性的なのではないでしょうか?
それはその国の歴史諸共、ひとつのワンセットになっていて、とてもコンパクトながらも独特のカラーがあって、とてもユニークですね。
自分はすごく魅力的だと思います。
素晴らしい音源でした。
2020-08-30 16:57
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