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国際音楽祭「プラハの春」 [海外音楽鑑賞旅行]

みなさんのおかげで今があるわたくし。いままでを深く感謝しつつ、また今後ともよろしくお願い申し上げます。


この先行きの見通せないコロナ事情で、はたして海外へ渡航できる日が来るのだろうか。日本に帰国しても自宅待機14日間の壁はいつ払拭?(これがあるかぎり、会社人は無理。)


おそらくとうぶん無理でしょうね。


でもそのままなにもせずに悶々と過ごすのも、あまりに人生の過ごし方無駄すぎる。こういうときは、自分流のやり方として、仮想トリップするしかない。(よくやります。)せっかくここまでチェコ熱がフィーバーしてきたので、この火を鎮めたくない。


熱いうちに仮想トリップしたいです。


そういうことで、目標である国際音楽祭「プラハの春」について、どのような音楽祭なのか、書いてみることにした。


プラハの春音楽祭という呼称が一般的かもしれないが、国際音楽祭「プラハの春」が正式名称なのだろう。


東京・春・音楽祭は、ここから由来しているんですね。


チェコ・プラハの街は、ヨーロッパ随一の美しい街だと言われている。
この音楽祭に行ったら、やはりプラハの街散策が最高に楽しみですね。
ぜひこの美しい街プラハをいろいろぶらぶらしてみたいです。


悲劇的な歴史を背負ってきたにも関わらず、これだけ美しい街の景観がいまも残っているというのは、本当に奇跡としか言えないのではないだろうか。


チェコって、ちょっとコンパクトでユニークな印象なのがいいですね。
独特の美的感覚があって、自分にはかなりユニークに感じます。


ドイツ、フランス、オランダ、イギリスというような大国専門であった自分にとって、チェコは東欧独特のモノトーンのブラウン系というか、国のカラーとして、独創的な色彩がありますね。


街全体が芸術作品のような、チェコの首都「プラハ」。


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プラハ歴史地区


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プラハ市街中心部には、1992年に世界遺産登録された「プラハ歴史地区」があり、美しい中世の街並みを堪能することができる。


カレル橋


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「カレル橋」は1402年に建設された、プラハ最古のゴシック様式の石橋。


写真:建築&クラシック好きにはたまらない♪チェコの芸術都市「プラハ」で体験したい6つのこと。




そんな美しい街で毎年5月に開催される国際音楽祭「プラハの春」。


スメタナの命日の5月12日に開幕。チェコフィル@スメタナホール(市民会館)でスメタナ「わが祖国」が演奏される。



2014年の国際音楽祭「プラハの春」。(スメタナホール(市民会館))

チェコの国旗掲揚に、フェスティバルのロゴ旗も掲揚。


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フェスティバル・ロゴ


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オープニングに、スメタナ・オペラ「リブシェ」からのアリア、そしてチェコ国家が演奏される。


このプラハの春音楽祭は管弦楽や室内楽のための国際音楽祭。ホスト役はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団。その他にも著名な音楽家やオーケストラが招かれる。


黒沼ユリ子さんの時代では、東と西とで社会体制が違う国のアーティストも、この「プラハの春」音楽祭では同じステージに立つという当時からインターナショナルで画期的な音楽祭でもあったようだ。


チェコ・フィルハーモニー管弦楽団創設50周年にあたる1946年に、エドヴァルド・ベネシュ大統領の後援で、首席指揮者のラファエル・クーベリックの指導のもと第1回の音楽祭が開催された。


ビロード革命による民主化直後の1990年には、1948年のチェコスロバキア共産党の政権の成立による共産化を嫌って西側へ亡命していたクーベリックが、チェコ・フィルと歴史的な再共演を果たしている。


この1990年、クーベリック、プラハの春音楽祭に復帰!という映像作品DVD、購入しました。ドキュメンタリー付きです。あとでレポートします。


いわゆるあの「人間の顔をした社会主義」の「プラハの春」が起きたのが、1968年。
でも国際音楽祭「プラハの春」がスタートしたのが、1946年。


自分の最初の誤解は、変革運動「プラハの春」が起きて、その後にその名称が、その音楽祭に使われるようになった感覚があったのだけれど、そうじゃないんですね。まず「プラハの春」音楽祭が最初にあって、その後に起きた変革運動にその音楽祭の「プラハの春」を持ってきたということなのでしょうか。



会場は(たとえば2000年)、スメタナホール(市民会館)をメインにルドフィヌス(芸術家の家)、聖ヴィート大聖堂、シュパニェルスキー庭園、聖ミクラーシュ教会、聖ヤクブ教会、聖ベトル=聖パヴェル教会、聖イジー教会、聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂、マーネス、ベルトラムカ別荘、国民劇場、ヤナーチェク・ホール等、25を超える会場が使用される。


まさにプラハの街にあるコンサートホール、教会全部を使って盛大におこなわれる音楽祭なんですね。


毎回、スメタナの命日である5月12日に彼の代表作「わが祖国」の演奏で幕を開けることで知られる。3週間にわたって開かれる。


演奏会では記念年に当たる作曲家の作品が取り上げられたり、現代のチェコの作曲家の作品の初演が行われる。また創設の翌年から若手演奏家のためのプラハの春国際音楽コンクールも開かれているそうだ。


コンサートホール・マニアの自分は、やはりコンサートホールについて、語りたい。


スメタナホール(市民会館)


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共和国広場に立つ、ひと際華やかなセッション様式の市民会館。中央奥にあるホールが、クラシックファン垂涎の「プラハの春」音楽祭が開幕される聖地だ。このホールはプラハ最大のホールで、舞台中央にスメタナのレリーフが象徴として収められている。天井には、音楽、ダンス、詩、演劇の寓意のフレスコ画。彫刻やパネル、天井のガラスなど。20世紀初めに活躍したチェコの芸術家たちが腕を振るった装飾は、細部にわたり素晴らしい。


ホール内装は、一見シンプルに見えるが、要所要所ディテールにこだわった装飾は、見事。チェコ芸術の粋を集めた劇場と言えるだろう。


ホール音響は、この写真を見てまず思うことは、天井がすごく高く、ホール容積も広い。でもホールの横幅がそんなに広くない細長いホール。座席は完全なシューボックスなのだけれど、ホールの中高空間はその形状に限定されないように広がっている。内装彫刻のデザインも含め、独特の空間形状ですね。


そこから想像するのは、やはり残響感豊かなホール。響きが非常に濃いホールであることに違いない。この中高空間の彫刻は、より反射音の拡散を際立たせ、まだ天井も高いので、滞空時間や残響時間(響きの長さ)も長くて、かなりいいのではないのでしょうか・・・


写真見ていて、いかにもいい響きがしそうだ。



地上波で再放送が決まった「のだめカンタービレ」。いま話題沸騰であるが、そのヨーロッパ編でプラハが舞台になっているんですよね。このスメタナホールは、ヨーロッパ編の「のだめカンタービレ」で千秋がヨーロッパ・デビューコンサートを行ったホールであり、さらに映画版では、ここの壁にシュトレーゼマン(縦ロールヅラかぶりの竹中直人)の「プラハ公演」特大ポスターが貼られている。


さらにクライマックスといえるシュトレーゼマンとのだめのコンチェルトのシーンが撮られている。



ルドルフィヌム(芸術家の家)。モデル付き(笑)


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ドヴォルジャーク・ホール


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ドヴォルジャークホールでプラハの春音楽祭


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ルドルフィヌム(芸術家の家)は、チェコのプラハにある音楽公会堂である。何十年にもわたってチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であり、毎年5月と6月に開催されるプラハの春音楽祭では主要な開催地の一つとなっている。


1885年2月8日にこけら落としを迎え、これを主催したオーストリア皇太子、ルドルフに敬意を表して「ルドルフィヌム」と命名された。


ルドルフィヌム内にあるドヴォルジャーク・ホールは、ヨーロッパのコンサートホールの中では最古のものの一つであり、音響効果の面でよく名前を知られている。


1896年1月4日、ここでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の最初期の演奏会が開かれた。アントニン・ドヴォルジャークの指揮によるものだった。


スメタナホールに比べると、若干容積控えめという感じですが、そこが逆に音響の面でいい要因になっているように思います。ヨーロッパ最古のコンサートホールのひとつ。


こちらもシューボックスタイプで四隅をラウンドさせている室内形状で、反射音を得るのが容易で、響きがとても豊かな感じですね。いかにも音響良さそうです。


このドヴォルジャークホールも、のだめカンタービレ ヨーロッパ編ではヨーロッパ上陸した千秋とのだめが最初にヴィエラ先生のコンサートに行った場所、という設定で使われている。


スメタナホールもドヴォルジャークホールも日本のドラマ&映画に大協力してくれた太っ腹なホールですよね、ホントに。(笑)いまのコロナ禍の惨状を考えると、本当に遠い世界のできごとみたいになってしまいましたね。


プラハを舞台にした”のだめカンタービレ ヨーロッパ編”、DVD持っているので、また後日観て感想を書きます。自分は、このヨーロッパ編、当時、ドラマも映画(ちゃんと映画館で前編・後編みた)もしっかり見ているのですが、プラハが舞台になっていたというのは全然覚えていないんですよね。のだめがパリを拠点にして、そこのコンセルヴァトワールに通っていたのは覚えているのですが・・・。



スメタナホール、ルドルフィヌムの中のドヴォルジャーク・ホール、この2つのホールが有名ですが、自分的には、どうしても体験してみたいオペラハウスに、国民劇場がある。


チェコ、プラハを訪れるならば、この国民劇場は絶対必須でしょう!


国民劇場


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国民劇場は、音楽の盛んなチェコにおける最重要機関であり、チェコを代表する芸術家らによって創設、維持されてきた。この伝統により、チェコの言語、音楽、思想などが保存・発展してきたものと言われている。


チェコの中のもっともチェコ的な文化劇場、それが国民劇場です。


国民劇場は、いわばチェコ国民・民族のアイデンティティと独立を体現するために建設されたもの。当時のチェコはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあって、公用語はドイツ語。自分たちの言語チェコ語を面前で話せなかった。


だから劇場もドイツ語による上演が多く、チェコ語で上演できる劇場はなかった。


当時、ドイツ語の劇場しかなかったプラハにおいて、1844年にはチェコの愛国者たちの間にはチェコ語による劇場を求める声が高まり、「チェコ語によるチェコ人のための舞台」を求めて1845年には申請を行い、建設許可を得ている。


そういうプラハを中心としたチェコ国民の寄付によってできたのが国民劇場なのである。


そういう歴史があるからチェコ国民にとって、もっとも重要な劇場である、ということがわかるであろう。


初演は、1881年6月11日、ベドルジハ・スメタナのオペラ「リブシェ」。


残念ながら、その初演からわずか2か月後に、火事で焼失してしまうんですよね。でも不屈の闘志、そこから47日間でふたたび民衆から資金を集め、2年後の1883年に再開するのです。



これは黒沼ユリ子さんの著書”アジタート・マ・ノン・トロッポ”でも、この国民劇場については熱く語られていたところで、その箇所を紹介しますね。


その1881年当時の国民劇場の写真です。


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自分の国を失った弱小民族が、ようやく1918年に悲願かなって独立国となるまで一体どうやって自分たちの文化を守り続けてきたのか、という問への答えの中の重要なポイントのひとつが「音楽」であったといっても言い過ぎではないと私は思う。


長い間、異民族の支配下で抑圧されている民族が、音楽に祖国の独立の希望と夢を託して現状の苦しみを慰めるということは、歴史上どこでも繰り返されていることだからだ。チェコ人には次のようなエピソードが、これを裏付けるもののひとつとして残っている。


それはチェコ人が自民族復活への熱望のシンボルを「国民劇場を持つ」ということに集約していたという事実だ。


つまり自分の言語と音楽で芝居やオペラが上演される場所を持つということ。


1868年5月、プラハで待望の国民劇場の定礎式がおこなわれたが、この礎石になったいくつかの石は、ボヘミア、モラヴィア両地方の名所や、チェコ人にとっての精神的絆のヤン・フスが捕らえられていたコンスタンツァなどから運ばれ、またアメリカに移住したチェコ人からも連帯のシンボルとして石が送られてきたそうだ。


この国民劇場は1881年6月の落成し、スメタナのオペラ「リブシェ」(チェコ建国の伝説的プリンセス)の初演によって幕を開けた。


ところがなんという悲劇か、二か月後にはこの新築の劇場は火事で全焼してしまったのだ。しかしその1か月後のうちにチェコ人すべての団結した献身的努力により、百万グルデン以上の大金が集まり再建が始まった。


それには裕福な婦人たちは自分たちの宝石を、田舎の人々はレース編や民芸品をと、すべての国民が何かしらの寄付をしその売上金によって資金の調達ができるように協力したからだった。


2年後の1883年には早くも修復が完成し、タイトルロールのリブシェの歌う「私の愛するチェコ民族は、決して死に絶えることはないだろう。どんな苦しみをも栄光を持って切り抜けるのだ」というアリアがふたたび響き渡り、チェコ人の胸に滲み入っていったのだった。ステージの真正面には「ナーロド・ソビエ」(民族はそれ自身へ)という言葉が彫られ、その9文字は今も変わることなく金色に輝いている。


この翌年チェコ・フィルハーモニーが発足した。当時は国民劇場のオーケストラのメンバーが兼任している者も多かったが、 1896年1月には、ドヴォルジャーク自身の指揮によって彼の交響曲第9番「新世界より」が演奏されて正式のデビューをした。


しかしその5年後に国民劇場のストがあってそれが長引いたため、チェコ・フィルハーモニーはオペラのオーケストラと完全に分かれて独立し、コンサート専門オーケストラになった。まだまだオペラに人気が集中し、コンサート収入だけでオーケストラを維持するのはとても困難だった当時、チェコ・フィルハーモニーをささえる保証をしたのは、むろん当時のオーストリア・ハンガリー帝国の政府ではなく、チェコ人1人ひとりからの精神的、経済的援助だったのだ。音楽を求める心を国民の誰もが持つようになるということは、私たちにとって大変うらやましいことでもあるが、それはこの国の歴史が創り上げた民族的感情と切っても切れないものとして、今もチェコ人の中に脈々と流れ続けているものだと思う。


今日のチェコ人音楽家の演奏に欠けることのない特徴のひとつに、音楽へのアプローチの精神的な深さをあげることができるが、それは、過去の大作曲家たちの偉業のみに帰するものではなく、音楽を心から愛し、音楽なしには生きることすらできないほど熱心な聴衆によってたえず求め続けられてきたからこそ、絶対不可欠な要素として、今も彼らの間に息づき続けているのではないだろうか?




いやぁ~熱い語り口ですねぇ。(笑)思わず前のめりになりそうです。


そういうこともあって、プラハに行くなら、スメタナホールやドヴォルジャーク・ホールもいいけど私なら、国民劇場。ここでチェコのオペラ、演劇をチェコ語で観てみたいです。


いまは、国民劇場はオペラ、バレエ、演劇を提供しているみたいです。いずれも、著名なクラシックなどに限定せず、地域のものや現代のものも上演しているとか。


ちなみにプラハ国立歌劇場と、国民劇場は違うので要注意。
プラハ国立歌劇場は、ドイツ語での上演の劇場です。


プラハのドイツ系住民がドイツ語の上演を求めて結成したドイツ劇場組合によって建てられた劇場になります。だから国民劇場とは、もう根本的に違いますね。


近年では、エディタ・グルベローヴァの来日公演で、このプラハ国立歌劇場とのジョイントで渋谷オーチャードホールでオペラ(ベッリーニのノルマ)を観たことがあります。(2016/11/6)


グルベローヴァさまもチェコスロヴァキア(チェコ+スロヴァキア)生まれなんですね。


最後に、1990年のプラハの春音楽祭のコンサートの模様をDVDで鑑賞して、締めとしましょう。



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クーベリック/わが祖国(1990年プラハ・ライヴ)+祖国との再会(ドキュメント)
ラファエル・クーベリック




共産主義体制に反対し、チェコ・フィル首席指揮者の地位を投げうって西側に亡命した指揮者クーベリックが42年ぶりに祖国を訪れ、「プラハの春」でチェコ・フィルと「わが祖国」を演奏するという感動的なステージ。


1990年「プラハの春」音楽祭オープニング・コンサート・ライブ


ドキュメンタリーでは、祖国に到着した巨匠、父の墓参に訪れるシーン、そしてリハーサルの模様などが網羅されている。


「プラハの春」音楽祭のオープニング・コンサートの雰囲気よくわかりました。
そしてスメタナホールの中の雰囲気もよくわかりました。


自分がその観客席の中にいるような感覚になれました。
画質・音質悪いですが。(笑)


ホールの側壁に皇室VIP専用のロイヤルボックスがあるんですね。
全員スタンディングで拍手で迎えられ、そこに皇室が入られる。

そしてチェコの国家斉唱という感じでしょうか。


クーベリック&チェコフィルやノイマン&チェコフィルって、昔自分がクラシックの勉強をしていたとき、一生懸命音源を購入して聴いていましたが、それっきり。最近はまったくご無沙汰。


でも映像で指揮姿を見たことはなかった。


今回初めてクーベリックの指揮姿を見ました。
チェコフィルうまかったです。


「わが祖国」のモルダウ。川のせせらぎをイメージした旋律。
木管の音色がホール空間をよく通っていました。


このDVDの素晴らしさは、コンサート以上に父の墓参りやリハーサルに注目してほしいです。


リハーサルというのは、その指揮者がオーケストラとともに、どうやって音楽(その曲)をいっしょに作っていくかがよくわかるし、その指揮者のその曲への拘り、考え方がよくわかりますね。


自分はリハーサルを見て、クーベリックはやはりすごい指揮者だと感嘆しました。スメタナの「わが祖国」に対する並々ならぬ拘り、楽譜への理解力すごいと思いました。インタビューではチェコ音楽の調性について熱く語っていたのも印象的でした。


実演を見ただけじゃわかりませんね。


「42年ぶりに私を迎えてくれてありがとう。君たちは私のことを知らないし、私も君らのことを知らない。」


もうひとつ嬉しかったのは、クーベリックのリハーサルやインタビューを見ることで(聴くことで)、チェコ語というのを耳にすることができたこと。これがチェコ語として意識して聴いたのはたぶん人生初めて。


それには伏線があって、黒沼著書でチェコ語の難しさがかなり詳しく言及されていて、文法はもちろんその発音、日本語表記することの難しさなど、説明されていて、自分は、チェコ語ってどんな言葉?と自然と興味を持ってしまったのでした。


それをリアル・チェコ語として聴けたのはよかった。
やはり難しそうです。(笑)


インタビューでは、民主主義の大切さ、共産主義に対するアンチテーゼを強く主張していた。自分の選択肢は間違いではなかった。そこには男としてどうしても引けない一線があったのだろうと思いました。


民主主義のためならば、命を捧げることもできる!と強く断言していた。


最後は、おそらくビロード革命のときと思われる場面、広場をチェコ国民が国旗を抱えながら行進していくデモ行進が映され、思わずこの国特有の複雑な歴史事情のインパクト、ちょっとジ~ンとくるシーンでした。


このDVDで、プラハの春音楽祭が大体どのようなものなのか、体験できる素晴らしい作品ですね。(時代遅れのカメラアングル、単調な固定画面、切り替えなど、やはり古い時代だな~とは思いましたが、それを言っちゃダメでしょう。)


ゴローさんの上司であったAプロデューサーから、「ノンノンさん、ぜひプラハの春音楽祭は必ず行ってください!」と太鼓判のお勧めを、知り合った当時、もらっていたので、ようやくこの今になって、これで少しは恩返しできたのではないでしょうか?まだ実際に行っていないけど。(笑)


これで、国際音楽祭「プラハの春」を仮想トリップできたのではないかと思います。










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コメント 2

Masa

ノンノンさん

プラハいいですね。デンマークにいるときに訪問しました!
国民劇場の前にCafe Slaviaがあって、カレル橋を眺めながらビールを楽しめます。とても雰囲気があって良かったですよ。
お叱りを受けそうですが国民劇場は外から見ただけでした、、、
カレル橋では多くのアーティストが絵を書いたり売っているのですが、その時に買った小さい絵を今でも寝室に置いて、癒されています。
次行く機会があれば音楽も楽しんでみたいです!
ノンノンさんの仮想トリップは深いですね。これで現地に赴けばほぼデジャブだと思います!
あとチェコは北欧から行くと物価が安いので、貧乏学生だった自分には少しリッチな気分で過ごせました。近くのハンガリーも同様によかったです。また投稿を楽しみにしています。
by Masa (2020-09-05 12:06) 

ノンノン

Masaさん、コメントありがとうございます。

Masaさんは海外生活経験が長いので、とても経験豊かで羨ましいです。(笑)国民劇場の前のカフェとか、絵を書いて、売っている人がたくさんいたり、とかいいですねぇ。そこにいないとわからないとても刺激的な描写でとてもいいです。グーです。こちらまで嬉しくなります。(笑)やっぱり我々、ヨーロッパが大好きなんですね。それだけは確かなことなんだと思います。

仮想トリップするときは、徹底的にやりたい、徹底的に知りたいという自分の性格があって、きちんと詳しく知るとなんか行ったみたいな満足感が得られるような気がします。ふつうは旅行に行って体験で終わりですよね。思い込んだら命懸けは、もう自分の性格だから仕方がないと思います。(笑)
by ノンノン (2020-09-06 06:18) 

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