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名古屋城の本丸御殿 [城]

関ケ原の戦で勝利し、天下人となった徳川家康は、大坂城にいる豊臣秀頼との武力衝突に備えて築城を決意。豊臣方の財力を削ぐため、加藤清正をはじめ、秀吉ゆかりの大名20家に普請を命じた。さらには江戸に直結する東海道を防衛する目的もあった。


それが名古屋城である。


築城は慶長17(1612)年、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城で、尾張初代藩主・徳川義直の入城以来、御三家筆頭である尾張徳川家の居城として栄えた。


実は、昭和20(1945)年の空襲で焼失する前の名古屋城は、天守閣・本丸御殿ともに城郭としての国宝第1号に指定されていた。その際に作られた「昭和実測図」や、古くから記録されている豊富な資料によって、日本で唯一、史実に忠実な復元ができる城ともいわれているのだ。


名古屋城で話題が尽きないことが、


・本丸御殿の復元が完成。
・天守閣の木造復元事業が進行中。


この2点だ。


特に本丸御殿は、2009年から10年に渡って続けられてきた復元工事が完了し、2018年6月に完成公開を迎えた。現代に蘇った近世城郭御殿の最高傑作に、全国から注目が集まっている。


何を隠そう、自分は天守閣以上に、この本丸御殿が最高の楽しみであった。


名古屋城の天守閣は、戦後に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建されて半世紀以上が経ち、老朽化や耐震性の確保などの問題もあって、2018年5月より入場禁止になっている。


もう残念!


それと同時に、豊富な資料にもとづいた木造復元事業が始まったのだ。やはり木造建築というのは、原型オリジナルに忠実に、歴史学者、城マニアの方にとっては大切なことかもしれないけれど、自分のような素人考えで考えると、木造だと老朽化も早く、返って危険のような気がする。


建築の安全性からすると、どうしても木造って、むむって引いてしまう感じがするのだけれど、そこはやはり歴史に忠実に、というところが引けない一線なのでしょうね。


自分のように城マニアとはとても言えない浅識な赤ん坊だけれど、お城が大好きなので、こうやって有名なお城をいろいろ廻ってみたかった。


その中でも名古屋城はどうしても訪れておきたかった。


名古屋駅から地下鉄の東山線と名城線と乗り継いで行って、市役所という駅で下車。

もうこんな駅の出口なのである。(笑)
もうここからして観光地ですね。


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市役所の出口からすると、正門より東門のほうが近いのだ。


東門

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そして東南隅櫓。

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さらに二之丸広場を通り越して、本丸御殿と天守閣が見えてくる。やっぱりお城の天守閣って、生で初めて見るとき、もうドッキドッキしますよね。心臓のバクバクが大変でした。


名古屋城天守


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天下人のお城は、五重の天守。
いやぁ見事、本当に素晴らしいですね。


五重の屋根を持つ大天守と二重の小天守から成る天守閣。現在の姿は昭和34(1959)年に再建されたもの。石垣の丁場を任された築城の名手・加藤清正による、台座の美しい弓なりカーブが見ものである。


江戸城にも共通する感じですが、家康らしい堅実なデザインの天守という感じですよね。信長の安土城や、秀吉の大坂城の格好良さと違って、どこか堅実という表現がぴったりくるいかにも家康らしいお城だと思います。


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名古屋城といえば、この金の鯱(シャチホコ)、いわゆる金シャチがシンボルというか有名ですね。


シャチホコは火除けの守り神として、室町時代から建物に飾る風習があったそう。名古屋城の天守閣に輝く2体のシャチホコは、北側がオスで、南側がメス。創建時は慶長大判1940枚分の金が使われていたといわれ、徳川家の権力、財力の象徴そのものであった。


天守閣をいろいろな角度アングルで撮影。


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名古屋城の石垣


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名古屋城おみやげ(笑)


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そしてなんといっても、名古屋城訪問で一番の観光の名所は間違いなく、本丸御殿。


本丸御殿


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本丸御殿というのは、初代藩主・徳川義直の住居かつ藩の政庁として慶長20(1615)年に建てられ、後に将軍上洛の際の宿舎として使われた。


もう江戸時代になると天守閣というのは、象徴シンボルくらいの役割しかなくて、普段の住居や政治を司るところは、じつは本丸や二の丸、三の丸だったりするんですね。


名古屋城の本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作とされ、現在国宝になっている京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の双璧とまで言われているのだ。


天守閣とともに国宝に指定されたが、惜しくも戦火により焼失。


2009年から復元工事が始まり、2013年、2016年と順次公開。そして10年の月日をかけ、2018年に全部屋が完成し完全公開となった。


本丸御殿といえば、なんといっても狩野派の障壁画であろう。


日本画史上最大の画派・狩野派の絵師たちによる床の間絵や襖絵が精密に復元模写されている。これは本当に圧巻ですよ!


まさにこの荘厳で華麗な狩野派の障壁画の世界を見るために、名古屋城に来た、と言ってもよかった。


では、これからみなさんを400年前の姿が蘇った荘厳な本丸御殿の世界へ。
私が玄関から入って、順路で観ていった順番で紹介していきます。


この日記のメインイベントですよ!!!


写真撮影は許可されました。でもフラッシュは炊かないこと、というお約束で。


観ているときは、もう夢中になってシャッターを押して、そして鑑賞するという感じでどの襖絵がなんという名前なのかなんて、そのときはわかりません。いまこの日記を書いているときに、HPで照合して理解しています。もちろんたくさんの部屋がありますので、名前のわからない画・部屋はそのまま写真だけを掲載しておきます。


玄関
来訪者を最初に迎えた部屋であり、本丸御殿への正式な入口。障壁画には勇猛な虎や豹が描かれており、来訪者を威圧する意図があったといわれている。


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表書院
藩主や家臣が使用した正式な謁見の間で、最高格式の殿舎だった場所。5部屋からなる広間はおもに花鳥図で飾られ、それぞれ早春、春、秋、夏の季節が描かれている。


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各部屋を渡り歩いていくわけですが、こんな感じで、その廊下もまさに絢爛豪華。和の極致ですなぁ。


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対面所
藩主が身内や家臣との内向きの対面・宴席の場として使用していた。「風俗図」と呼ばれる障壁画には、洛中・洛外の年中行事や庶民の生活がおだやかな筆致で描き出されている。


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さらに廊下を歩いていくと。。。


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上洛殿
寛永11(1634)年の三代将軍・家光の上洛に合わせて増築された建物。幕府御用絵師の狩野探幽によって描かれた「帝艦図」や「雪中梅竹鳥図」などの障壁画、絢爛豪華な彫刻、飾金具など、すべてに贅の限りが尽くされている。


まさにこの本丸御殿の中で最高峰はここの上洛殿です!
ここでいま頂にいます。


こんなに豪華に作られた部屋だが、家光が一度泊まったあとは、ほとんど使われなかったのだそう。(笑)


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黒木書院
清州城内にあった家康の宿舎を移築した殿舎とも伝えられる。ほかの部屋は総檜造りであるのに対し、この部屋のみ良質な松材が使われ、その用材の色から黒木書院とよばれる。


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そして本丸御殿の中では、恵まれない子供たちが撮影した写真の展示会がおこなわれていました。気に入った写真に赤丸のシールを貼ってあげてくださいね、と受付の和服姿の女性スタッフ。しっかり氏名と電話番号を書いておきました。本当にプロ並みのレベルの高い風景画の写真にもうびっくり。


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どうでしたか?
本丸御殿の世界。


私はここを観るために名古屋城に来たといっても言い過ぎではないです。


清正公石曳きの像


天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられた。巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられている。本像は、その様子を模したもの。


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つぎに二之丸庭園の散策と行きたいところだが、ちょっと飛ばし過ぎて疲れたので、二の丸茶亭で休憩。


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金箔入り抹茶セット、和菓子付き。


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いやぁ和の極致、美の世界ですなぁ。


元気を回復した後に、二之丸庭園を散策。


東京の皇居東御苑のあの名庭園の美しさとまでは、さすがに言わないけれど、それでも十分なわび・さびの世界、和の美しさが伝わってきます。


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最後に、金シャチ横丁をご紹介してお終いにしましょう。

2020年3月で開業2周年を迎えた「金シャチ横丁」。


それぞれコンセプトの異なる「義直ゾーン」と「宗春ゾーン」があり、名古屋の名店が出店している。ココだけの限定メニューを販売することもある。


「義直ゾーン」


正面エリアにある「義直ゾーン」。父・徳川家康の遺訓を守り名古屋発展の基盤を作り上げた尾張藩初代藩主・義直の名を冠する。古くから愛される「名古屋めし」の老舗が大集結なのである。なごやめし12店舗が並ぶ。


今回の旅行で、自分がぜひ訪れたいと思っていた”なごやめし”の有名な老舗。もう全部その支店がこの金シャチ横丁に揃っているのである。


でも自分は、やはり本店で食べたい、体験したいと思っていたので、ここで食べるのはやめといた。(笑)


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「宗春ソーン」


自分が地下鉄で下車した市役所前の出口のすぐそばにある。この東門エリアには、斬新な政治方針で名古屋をにぎあう都市に成長させた尾張藩七代藩主・宗春の名前がつけられたゾーンが広がる。新進気鋭の食文化を発信する7店舗が集うので、新しい”なごやめし”を求めるならこちらがいい。確かにここに並ぶ店舗は、新しい時代のお店が多かったです。


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名古屋に来たならば、まず名古屋城を制すべし。
まず第一目標は達成。


名古屋城は、東京の皇居東御苑や、大阪城と比較すると、いくぶん狭いと感じました。
全部見終えるのに大体2時間かかった。

これでちょうど正午ぴったり。


初日まだまだ予定がこのあとビッシリ詰まっていましたが、もうこれだけで足が棒になるほど疲労困憊でした。









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