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徳川文化遺産 [国内旅行]

愛知・名古屋は、尾張藩主徳川家が代々治めてきた領地であったから、そこに残る文化遺産はどうしても徳川家伝来の什宝​になるのであろう。


そのことに気づいたのは、名古屋城が尾張藩主徳川家の居城であったこと。


そして、ほかに自分が名古屋でどうしても観光したいと思った場所が、徳川園・徳川美術館であったことからだ。


名古屋に行くなら、この徳川園・徳川美術館はぜったい行かないといけないと思った。

徳川園と徳川美術館は、同じエリアに併設されていて、一気に攻略できる。
大曽根駅にあるのだが、行きは山本屋本店からタクシーで直行した。


正門である徳川園黒門。


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徳川美術館。


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入ったすぐに大広間のロビーがある。
一番奥の入り口が、美術館への入り口である。


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この写真からだと、少しわかりずらいと思うが、中を見ると、展示室の中は照明がかなり薄暗く、温度・湿度管理もされている。


什宝はウィンドウケースの中に収納され、展示されている。

やはり歴史があって、時代もかなり経っている什宝たちばかり。


照明が強いと、それだけで絵巻とか書物は色褪せてしまうのだろうし、温度・湿度管理も保存を考えると当然だ。


館内は、当然撮影禁止だ。


そのまえに、徳川美術館について。


公益財団法人 徳川黎明会が運営する私立美術館。1935年に開設された。収蔵品は駿府御分物(徳川家康の遺品)など尾張徳川家伝来の大名道具や他の大名家の売立てでの購入品、名古屋の豪商らからの寄贈品など。


2019年現在で、国宝9件、重要文化財59件を収蔵する。



美術館の開設までの道のりを、ネット情報を使って少し説明しておくと、
(これは知っておいたほうがよい。)


1910(明治43)年は「名古屋開府300年」にあたり、祝賀行事の一環として、尾張徳川家は名古屋で、初代・義直ゆかりの品を中心とした什器の展覧会を開催し、また新古美術展覧会にも書画や器物を出品した。それ以降、尾張徳川家の什宝は「国華」誌でたびたび取り上げられるようになった。


1912(明治45)年には、東京帝国大学・京都帝国大学の文科大学の教授・講師が名古屋・大曽根邸を訪問して什宝を観覧。同行した国華社が什宝の写真を撮影し、この写真の展示会が行なわれ、反響を呼んだ。こうして什宝の展覧会がたびたび話題を呼んだことで、尾張徳川家第19代当主・義親は、什宝の保存や公開の必要性を感じるようになり、美術館の設立を構想したとみられている。


1910年代後半に尾張徳川家は拠点を名古屋から東京に移して、名古屋の土地家屋を処分、拠点・事業の整理・縮小を進め、名古屋における同家の拠点は大曽根の別邸に集約されることになった。


1920年に義親は新聞を通じて大曽根邸の敷地に尾張徳川家の宝物を公開する博物館を設立する構想を発表。予算は50-100万円で、収蔵点数は約1万点、刀剣が多いと見積もられていた。


1921年には、片桐の整理の結果を基に、重複品・不要品とされた什宝(全体の10-15%)が競売に出され、売上総額約57万円は博物館の設立準備金として運用された。


1929年に鈴木信吉が尾張徳川家の家令となると、博物館構想は急速に具体化し、1931年、財団法人尾張徳川黎明会が設立され、尾張徳川家伝来の什宝・書籍類のほとんどが同財団に寄付された。


1932年9月には大曽根で美術館建設が着工した。


義親は、他の華族が経済的に逼迫して競売に出した家宝をかたっぱしから落札。(やっぱり世の中そうなんだね。。笑笑)1935年には近衛文麿から「侍中群要」を交換で入手するなどして、開館準備を進めた。1935年に美術館の建物が竣工し、同年11月10日に一般公開を開始。



まっざっとこんな感じなのである。


自分は、事前に調べていく過程で、この徳川美術館所蔵の徳川家の什宝で、なにに優先順位をつけて観るべきなのか?を検討した。おそらくこうやって的を絞らないと、数多の所蔵品に目を奪われ、印象度合いが分散してしまう気がしたのである。


自分がターゲットを絞ったのはふたつ。


●国宝・初音の調度


千代姫は三代将軍家光の長女で、寛永16年(1639)、わずか数え年三歳で尾張徳川家二代光友にお嫁入りした。千代姫の婚礼調度は、調度の意匠が「源氏物語」の「初音」の帖に因んだ「初音の調度」が47件、同じく「胡蝶」の帖に因んだ「胡蝶の調度」が10件、さらに染織品・金工品を加えた総計70件が現存し、一括で国宝に指定されている。


要は、徳川家に伝わる日本一の嫁入り道具ですね。
三代将軍家光の愛娘千代姫が尾張家に嫁ぐ際に持参した嫁入り道具です。


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これはすごい!!!

これは絶対観ないといけないでしょう。


期待を膨らませて、展示室を隈なく回ったが、該当のものが見つからず。係員スタッフに確認したところ、この写真は、全品展示の写真で、これは保管の観点から10年に1度しかお披露目しないのだそうだ。


だから毎年はやらない。

今年はこの中で、4品だけの展示だそうだ。


実際その展示まで案内してもらったが、単品で見ると、これが意外にもあまり感動しないんだな。(笑)10年に1度の全品展示の際は、ぜひ再訪することにしよう。


そしてもうひとつが、


●源氏物語絵巻


これが自分にとって最大の目玉であった。

平安時代の紫式部が著した源氏物語を描いた絵巻である。
作品保存の観点から、毎年11月に2~3面のみが特別公開されるそうだ。

ということは、このいまの10月には見れないということになる。


あ~もう残念!


「源氏物語絵巻」というのが、どのようなものであるかはネットでの拾い絵で申し訳ありませんが、こんな感じのものです。


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ここで源氏物語絵巻について、同様に解説を試みてみよう。


源氏物語絵巻は、源氏物語を題材にした絵巻物である。源氏物語を題材とする絵巻物は複数存在するが、ここでは通称「隆能源氏」(たかよしげんじ)と呼ばれている平安時代末期の作品で、国宝に指定されている作品のことに言及している。


日本四大絵巻として、


・源氏物語絵巻
・伴大納言絵詞
・信貴山縁起絵巻
・鳥獣人物戯画


(いずれも国宝)


が存在する。


かつて「隆能源氏」と呼ばれてきた「源氏物語絵巻」は、源氏物語を題材にして制作された絵巻としては現存最古のもので、平安時代末期の制作であるとされている。


本来は源氏物語の54帖全体について作成されたと考えられている。


各帖より1ないし3場面を選んで絵画化し、その絵に対応する物語本文を書写した「詞書」を各図の前に添え、「詞書」と「絵」を交互に繰り返す形式である。全部で10巻程度の絵巻であったと推定される。


本絵巻で現存するのは絵巻全体の一部分のみである。


名古屋市の徳川美術館に絵15面・詞28面、東京都世田谷区の五島美術館に絵4面・詞9面が所蔵され、それぞれ国宝に指定されている。


徳川美術館に所蔵されている3巻強はもと尾張徳川家にあったものである。


あとで写真を御覧に入れるが、源氏物語絵巻の昭和復元模写とは、櫻井清香により徳川美術館に保存されている原本を複製した物。最新の科学技術を使って原本を精確に複写した平成復元模写と違い、絵に櫻井清香自身の個性が反映されているため、原本とはまた違った絵画作品となっているとされる。


要は、本物は品質管理上の問題から、とても展示するに堪えないけれど、それの復元模写は、堂々と展示されているのである。


自分が観てきたのは、この復元模写である。しかも櫻井清香による、そして絵に櫻井清香自身の個性が反映されているため、オリジナル原本とはちょっと違う趣の作品だったということになる。


むむっちょっと待て?


自分が観た絵巻には、印刷模写と書いてあったから、ひょっとしたら平成復元模写なのかもしれない?そうすると原本に忠実ということになる。


よくわかんなくなってきたので、そのままにしておこう。(笑)


館内は撮影禁止である。


でもこそっと。(笑)
ここがメインだったので。


こうやって、源氏物語絵巻の展示コーナーには、こういう電子パネルでその絵巻が表示されるようになっていた。


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そして、これが源氏物語絵巻の復元模写、櫻井清香による絵である。(昭和復元模写)もしくは、最新の科学技術を使って原本を精確に複写した平成復元模写のどちらか。


「絵」と「詞書(ことばがき)」が交互に繰り返す形式であることが、よくわかるだろう。「詞書(ことばがき)」というのは、その「絵」に対応する物語本文のことである。


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自分は復元模写とはいえ、これを観たときは感動のあまり震えた。


素晴らしい!!!


源氏物語ってどういうストーリーなのか知りたくなってきました。(笑)

この徳川美術館での最大のイベント、最高潮ボルテージでした。


「源氏物語絵巻」は、東京都世田谷区の五島美術館にもあるようだから、ぜひ観に行きましょう!


これで徳川美術館のミッション、お終い。


ここが、ロビーのところにあるグッズショップです。
きっと徳川家の什宝の記念グッズがいっぱい売っているのでしょう。


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徳川美術館を出て、徳川園に行くのだが、その途中に、徳川園ショップ「葵」というお店があった。徳川家は葵の御紋であるから、そういうネーミングなのでしょう。


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ここも記念グッズをたくさん売っていました。



そしてつぎに徳川園。

徳川園というのは、尾張徳川家の邸宅跡を利用した日本庭園のことである。
池を海に見立てた池泉回遊式庭園である。


徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としている。


光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となった。


昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開された。


徳川園は、池泉回遊式の日本庭園で、江戸時代の主だった大名庭園もこの様式である。清流が滝から渓谷を下り海に見立てた池へと流れるありさまは、日本の自然景観を象徴的に凝縮している、と言われている。



ざっとこんな感じである。


庭園を歩いていると、とにかくその風光明媚な景色に圧倒されます。敷地内は結構高低差があって、渓流、滝などがあって、それが低い下のほうに流れていって、そして池に流れ込む、それを海に流れ込む、というように解釈する、ということなのだろう、と思う。


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これが大曽根の滝です。


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このショットが、徳川園の庭園をもっとも美しく撮る構図だと思います。
徳川園の代表的なアングルですね。


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池の鯉は、信じられないくらい人懐っこいです。


鯉にエサをやれるようにエサが売られているので、観光客がかならずエサをくれるものだと、もう鯉のほうでもわかっていて、人が近づいていくとこのように寄ってきて、口をパクパクしてエサくれ!とやるわけです。


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徳川美術館と徳川園は、上からの航空写真をみると、こんな感じである。


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美術館の横に、庭園が一面に広がっているのがよくわかるであろう。
結構広い庭園でした。


これにて、徳川美術館、徳川園の鑑賞終了。

すばらしい徳川文化遺産でした。


ここから最寄り駅の大曽根駅まで歩いて帰る訳だが、結構距離があり、かなり歩いた感じがします。途中で喉が渇いて、渇いて。。。その前に、山本屋の味噌煮込みうどんを2杯も食べて、だしも完飲。


そりゃ喉カラッカラッになります。

ここで自販機を探すのが一苦労でした。


ようやく駅近辺で見つけたとき、ペットボトルのお茶にありつけたときは、まさにこの世の天国と言っていいほど、美味しかったです。生き返りました。


ペットボトルのお茶、90円でした。(ふつう東京では160円くらいはするだろう。)












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