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スティングが歌うダウランド歌曲 [国内音楽鑑賞旅行]

松本市音楽文化ホールでのコンサートで、イギリスのジョン・ダウランドの歌曲が演奏された。


続くブリテンもイギリスの作曲家で、「ラクリメ:ダウランドの歌曲の投影 Op.48」という曲が演奏され、「ジョン・ダウランドの歌曲」という繋がりで、しっかりとコンセプトが決まっていて、そういう狙いがあったんだな、と後日プログラムを見ながら、そう回顧した。


自分の場合、コンサートに行くときは、あまり予習はしないし、プログラムも開演前に、さっと眺めるくらいなので、そこにしっかりと埋め込まれている深い想いというのを、そのときに、なかなか汲み取れなかったりして申し訳ないと思う。


そのコンセプト、想いというのを、こうやって日記を書くにあたって、いろいろ調べてみて初めて、気づく・・・そういうものなのかもしれない。


ジョン・ダウランドの歌曲は、スティングも取り上げて歌っているということで、自分はびっくりしてしまい、あとで調べようと思った。


これですね。


171[1].jpg



Songs From The Labyrinth
Sting



ジョン・ダウランドという作曲家の歌曲を聴いたこともなかったので、スティングがこの作曲家の歌曲を取り上げているということも知らなかったのであるが、HMVの紹介文を読んでみると、


「もともとユニバーサルでアルバムを制作していたスティングであったが、ここでは敢えて同じユニバーサルに属する世界最大のクラシック・ブランドである「ドイツ・グラモフォン」からアルバムをリリースすることで、クラシック・ファンにも自らの音楽を訴求していこうということなのであろう。」


この箇所を読んで、自分ははっきりとこのことを覚えていた。


そうである。


自分の記憶によれば、確かにスティングは、クラシックに挑戦!ということで、DGからアルバムをリリースした、ということがあった。2000年半ば。(正確には2006年)


そのとき、自分は、スティングもアーティストとしての自分のキャリアを広げるべく頑張っているな~という親心でそのニュースに接していた。


たぶん間違いなくそのときの話だったんだろうと思う。
それがまさかジョン・ダウランドの歌曲だったとは、そのときは夢にも思わなかった。
そしてそれから十数年後に、その事実を知ろうとは思ってもみなかった。

数奇な運命である。


自分はその当時、そのCDを買わなくて、そのまま素通りしてしまっていたのである。

いまこうやって改めて聴くなんて、なんか感慨深い。


その前に、ジョン・ダウランドという作曲家について、ちょっと解説を試みる。


ジョン・ダウランドは、17世紀イギリスで活躍した王室リュート奏者。作曲も手がけ、人間の愛や悲しみを歌ったリュート歌曲は80曲以上が残されている。


イギリスのエリザベス朝後期およびそれに続く時代に活動した作曲家・リュート奏者である。デンマーク王クリスチャン4世の宮廷リュート奏者や、イングランド王ジェームズ1世およびチャールズ1世の宮廷リュート奏者を務めた。エリザベス朝前後に流行したメランコリア(憂鬱)の芸術の巨匠とされ、特に代表作であるリュート歌曲「流れよ、わが涙」とその器楽曲版「涙のパヴァーヌ」は当時の欧州で群を抜いて最も高名な楽曲として、東欧を除く全ヨーロッパで広く演奏された。


リュートという楽器は、ギターの先祖のような楽器である。


自分は、リュートという楽器は、大昔に、初めてワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を観たときに、ベックメッサーがリュートを弾く場面を見て、リュートという楽器の存在を知ったのである。


いまのクラシックギターより、ひとまわりも小さく、音色も古楽器然としている。


ダウランドという作曲家は、サイン、自署するときは、「涙のジョン・ダウランド」(Jo: dolandi de Lachrimae)と書き、その実際の性格については、自称および作風通り陰気な人間であったとする説と、その逆に陽気な人間であったとする説があるみたいである。


「作風通り陰気」という記述があるが、これはあとで述べるが、確かにじつに渋い作風ではある。(笑)


スティングはダウランドについて、「私にとってそれらは17世紀のポピュラー・ソングであり、自分にも関係があることなのです。それらは美しいメロディーと幻想的な歌詞、そして素晴らしい音楽を持っています。私は常にダウランドの音楽を尊敬してきました」


と述べ、


「実は彼はシンガー・ソングライターの先駆けで、だから我々の多くが生活できるのは彼のおかげでもあるのです」とも語っている。


スティングはそんなダウランドへの単に音楽だけでない尊敬・共感の気持ちをあらわすためか、このアルバムで、楽曲解説の執筆に加え、ダウランドが国務大臣へ宛てた手紙の朗読までおこなっている。


曲の合間に、スティングによるダウランドの手紙の朗読があるのだ。
1節ごとに語り終わったら、手紙の送り主の「ジョン・ダウランド」で閉めるのが渋いのである。


そのライナーノーツを読んでみると、スティングがどうやってジョン・ダウランドという作曲家・リュート奏者を知って傾倒していったか、が刻銘に書かれている。


以下、スティングの記述。(ダウランドを知り始めたきっかけの部分を要約して抜粋。)


************


20年以上にわたって、私はジョン・ダウランドの歌曲に徐々にとりつかれていった。1982年に私は、アムネスティー・インターナショナルのためのバライティー・ショーの一環として、コヴェント・ガーデンのドルリー・レイン劇場に出演していた。自分の歌を1曲ソロで歌ったあと、俳優のジョン・バード氏がわざわざ来てほめてくださり、ジョン・ダウランドの歌曲を聴いたことがあるかと尋ねられた。


私はその名前は知っていたし、漠然とではあるけれど、ダウランドがエリザベス朝からジェイムス朝にかけて活動した作曲家だったということは知っていたものの、そのほかのことはほとんど知らないということは認めざるを得なかった。


バード氏の言葉に感謝し、その話にすっかり興味をそそられた私は、翌日、ジュリアン・ブリームのリュート伴奏でピーター・ビアーズが歌っているダウランドの歌曲集を捜し出した。


その音楽のもの悲しい美しさはよくわかったものの、ロック・シンガーを目指している私のレパートリーの中に一体どのようにそれを取り入れることができるのかは、まったくわからなかった。



●ダウランドと貴重な贈り物


私の友人で名高いコンサート・ピアニストのカティア・ラベックが、ダウランドの歌曲は、どうも正規の音楽教育を受けていない私のテノールの声に合っているかもしれないと示唆してくれたのは、それから10年以上経ってからであった。


再び興味をそそられた私は、ちょっとしたお世辞とは思わず、戯れにしかすぎなかったが、ダウランドの歌曲を3曲、彼女の指導のもとに学んだのである。挑戦したのは、「来たれ、重い眠り」、「ご婦人用の見事な細工物」、「あのひとは言い訳できるのか」の3曲で、2回にわたる非公式の音楽の夕べで、美しく異国情緒にあふれたカティアのフォルテピアノの伴奏で披露した。


そのとき、私はイングランドの作曲家たちの中でも最も不思議なこの作曲家について、少しだけわかった。つまりダウランドが、とくにヨーロッパの大陸では、当時の最も完璧なリュート奏者のひとりとみなされ、その名声は「イギリスのオルフェウス」として知られるほどのものであったということをである。その国際的な名声にもかかわらず、ダウランドは、一番望んでいた地位、すなわち女王エリザベス1世の宮廷音楽家という地位を確保することに失敗してしまったのだ。


数年前に、ダウランドへの興味を再び燃え上がらせてくれたのは、友人で長年の仲間であるギタリスト、ドミニク・ミラーであった。うれしいことにミラーは、私へのプレゼントとして9コースのリュートの制作を頼んでくれた。


・・・(以下中略)


リュートはアラブのウードの仲間で、モダンギターの奏者にとって比較的よく知っているように感じてしまうほどギターとよく似ているのだが、調弦や、シナプスを再構築するほどの難問をつきつけられているような指使いはギターとはまったく違うものである。


ゆっくりと、また確実に、私はこの古の楽器の迷宮のような複雑さと、慰めをもたらすその音楽に引き込まれ始めたのであった。


***********


こんな感じである。


スティングが最初にダウランドを知ったのは、1982年ということだから、ポリス4作目のGHOST IN THE MASCHINEのときですね。


バリバリのロックミュージシャンのときですね。(笑)


ダウランド歌曲とスティングの声質があう、と推薦されていても、ダウランド歌曲とロックでは、確かに、まったく異質で、自分のアルバムやコンサートのレパートリーにどのように組み込めばいいか、わからなかった、というのはよく理解できる。


両者はまったく異質な音楽で、溶け合うこともなく、それはスティングがロック・ミュージシャンであるうちは、公で歌うことは難しいというのは、必然のことなんだと思いました。


アルバムリリースが2006年だから、まさにダウランドを知って24年目の歳月。


スティングの中でどのようにダウランド歌曲に傾倒していき、ついには自分のアルバムとして、ダウランド歌曲のアルバムをリリースしていくかは、このライナーノーツに8ページにわたって、びっしりと熱筆が書かれている。


相当読み応えありますよ。


アルバムに収録された楽曲のうち、声楽作品は11曲で、ボスニア出身のエディン・カラマーゾフの爪弾くリュート伴奏に乗って、スティングが気持ちのこもった歌を聴かせている。


ダウランド歌曲は、まさに渋いです。
暗い憂鬱な感じで、最初聴いたときは、こりゃ渋いな~(笑)と思わず苦笑い。


確かにスティングのあのハスキーでセクシーな声質に合っているとは思うけれど、これを歌曲の作品として理解するには、やはりダウランドに対する理解と傾倒がないとなかなか難しいかなと感じたことは事実。


スティングの歌唱法はあのいつものふだん通りの歌い方で、その飾らない自然な歌い方がとてもいい。彼の物憂げな歌と郷愁感漂う曲調が見事にマッチし、上質のヴォーカル・アルバムといった雰囲気に仕上がっているが、やはりダウランド歌曲に対する理解と、習熟がないとなかなか難しい音楽のように感じるかもしれない。


自分は渋いな~というのが第一印象であった。


何回も聴き込んでいくと、そこには、なにかイングランド音楽固有の美しさがあるような感覚はしてきた。英国に根ざしている昔からある懐かしい旋律のような・・・そんな雰囲気はわかるような気がした。


自分勝手な理解ではあるけれど。。


でもダウランド歌曲はいろいろな人が歌ったり、リュートで演奏してたりするけれど、ロック・スターであるスティングが歌ったことで、その話題性で一躍有名になったのかもしれませんね。


スティング・ファンとして、こういう一面の彼を聴けたことも、とても貴重な体験でした。


自分のお宝盤として重宝しておきます。

   
 





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