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DOUBLE FANTASY - John & Yoko [海外ロック]

今年はジョン・レノンの没後40周年ということで、ジョンの誕生日10月9日から、さらには凶弾に倒れた12月8日に照準をあわせて、展示会やテレビ番組の特集が組まれているようだ。


展示会は、ソニーミュージック六本木ミュージアムで開かれている「ジョン&ヨーコ ダブル・ファンタジー東京展(DOUBLE FANTASY-John & Yoko)」。


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“DOUBLE FANTASY – John & Yoko”は、2018年5月から2019年11月までジョンの故郷であるイギリス・リバプール博物館で開催された大規模な展覧会。


”ジョンの故郷であるリバプールのために”とヨーコ自身も深く関って完成させたその圧倒的な内容で高い評価と反響を呼び、会期も当初の予定から7ヵ月も延長、異例の70万人を動員した。


その話題の展覧会が、ジョン・レノン生誕80年、そしてその生涯を閉じてから40年となる2020年10月9日、ジョンの故郷リバプールから、ヨーコの故郷東京にやってくる、という試みだ。


しかも東京オリジナルな装いもある。ジョンとヨーコ、そしてショーンは、1976年にジョンがグリーンカードを獲得したことでアメリカ国外への旅行が叶い、1977~1979年の間、毎年日本を訪れ家族旅行を楽しんでいたことが知られている。


東京展独自展示コーナーでは、日本との絆を感じさせる品々を展示しているそうだ。


そういえば、自分はジョンとヨーコが愛した軽井沢万平ホテルを体験しに行ったこともあったなぁ(笑)いまから6年前の2014年に行っている。


特集番組は、NHK BSプレミアムで、このダブルファンタジー東京展の特集番組をやったそうで、その大反響に加えて、さらに新たにポール・マッカートニーのインタビューなどを加えて再構成した新装版「“イマジン”は生きているジョンとヨーコからのメッセージ奇跡の名曲誕生秘話」が放送されたのだそうだ。


12月24日のクリスマス・イブにだ。

もっと早くに言えよ~。(笑)

すっかり見逃していた。

ぜひ再放送お願いします。


ちなみに、ダブルファンタジー東京展は知っていた。ぜひ行かないとな、と思っていたのだが、11月28日~12月中旬まで、突然の家庭の事情により、自分は地獄のどん底でそれどころではなかった。


それですっかり飛んでいて忘れていた。

ところがイブの深夜から、突然ジョンが自分に降りてきた。

ジョン降臨!


瞬く間にあれよあれよと。もしやと思い調べてみたら、展示会やテレビ特集番組のことなどいろいろ知って、これは神様が自分にジョンのことを日記で熱く語らないとというお達しなのだと思った。


自分なりのジョンの想い出を熱く語ってみたいと思った。

ジョンの特集を組もう!



自分はポールのウィングスから入ってビートルズを知った。リアルタイムのビートルズ世代ではないけれど、自分は第2世代ブームのときのファンだと思う。


自分がビートルズを知ったのは中学1年、1977年のとき。ビートルズが解散したのが1971年だから、6年後で、ちょうどその頃にビートルズ第2次ブームというのがあって、自分はその波に乗っていたのだと思う。その頃のビートルズは必ず再結成の話題が持ち上がるのが常だった。


自分は子供だったから、再結成してくれるといいな~ってずっと夢焦がれていたのだ。音楽雑誌をずっと眺めながらそんなことを妄想するのが楽しかった。ジョンやポールはそのたびにその噂は否定するのだけれど、自分は絶対再結成あると思っていた。


よくあなたはジョン派、ポール派っていう質問が有名だけれど、自分はもちろんポール派である。でもジョンもリスペクトしていた。 どちらかというと温かい人柄でポップス的なポールにはないロック魂、カリスマ性、世相をシニカルにみるなどジョンは個性的で格好良かった。


やっぱりビートルズの長男はジョンで、ポールは次男なんだよね。
それは間違いない。


ポールはラブソング、ジョンは、もっと皮肉屋でそういう辛辣な表現にセンスがあった。だから子供の頃、自分が信じていたことに、レノン・マッカートニーのクレジットは、作詞がジョンで、作曲がポールだとずっと思っていたことだ。


ジョンの詩はセンスがあって、ポールには絶対書けないセンスだと思っていた。


でもレノン・マッカートニーのクレジットはそういう意味ではなく、ジョンが全部書いた曲もあれば、ポールが全部書いた曲もあるし、あるいはどちらかが作詞でどちらかが作曲といういろんなパターンがあるらしい。


でもそれも全部ひっくるめて、とにかくビートルズとして出す曲は全部レノン・マッカートニーのクレジットとして出す。それが彼らの著作権ルールだった。


噂ではその曲によってその役割分担がどっちというのを聴いたことがあるけれど、それは公表しないほうが絶対いいと思う。ファンの夢を壊しますね。


それを言えるのは唯一ポールだけだと思うけれど、ポールは死んでもそのことは公表しないと思う。それがバンドの美学ですね。



ジョンが凶弾に倒れたとき、世界は大きな悲しみに襲われたし、そして自分も大きな喪失感を味わった。


1980年12月8日。


自分がビートルズの存在を知った頃からわずかに3年後なんですよね。高校1年のとき。わずか3年後にジョンがすでにこの世にいなくなってしまった。この現実は子供だった自分の心に大きく深い傷であった。もうビートルズの再結成はないんだな、と思うと泣きました。


字幕のニュース速報でその事実を知ったのだけれど、あのときの衝撃はいまでも覚えている。目の前が真っ暗になって具合が悪くなった。


そのときに想ったこと、そしていまでも想うことは、ジョンの死、それも射殺というショッキングな死に様だったけれど、ある意味ロック・ミュージシャンとしては最高の美学というかカッコいい死に方だったのではないのかな、と思うのだ。


ドラッグ漬けで若くして世を去る、そういう不健康で尋常ではない死に方が当時のロック・ミュージシャンには似合っていたというか、そういう世界だったような気がする。


ジョンはあういう最期だったからこそ尚更、伝説的、神的なカリスマとして永遠の星としてファンの心に残るスターになったのだと思う。


これは後年ポールがインタビューで同じような感想を言っていたような気がする。


ジョンのあのショッキングな死で、ジョンはファンから完全に神的な領域に持ち上げられてしまった。残された僕たちはつまらない存在に見えてしまって非常に困ってしまった。。。ジョンとの間にすごい距離ができてしまった。。


こんなようなことを言っていたように思う。
それに対しポールにすごいバッシングな反論が集中した。

でも自分はポールの気持ちがよくわかるような気がした。


ジョンはあまりに格好良すぎた人生だった、ロック・ミュージシャンとして。そういう終わり方だった。


ジョンの格好良さというのは、ポールの格好良さとはまた違うんだよね。ジョンは、やっぱりロックで、社会的メッセージ色の強い、またそれがよく似合っていた。


ジョンの声はカッコいいですね。


ポールはやっぱりラブソング、ポップスで温かい雰囲気ですね。


こういうまったく違ったタイプのカッコいい個性を持った2人が同時に同じバンドで凌ぎを削るのって本当に神様が与えてくれた奇跡だと思うんですよね。もちろんジョージやリンゴも個性あって、この4人は本当に奇跡の組み合わせだといまでも驚くばかり。


ジョンが凶弾に倒れたときに、その数か月前に発売されていたアルバム「ダブル・ファンタジー」がそのショッキングな事件に乗じて、驚異的なセールスを上げ、社会現象になった。


世界中で枯渇現象に陥った。


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息子ショーン・レノンの育児に専念していたジョンが、5年間の主夫生活を終え、音楽業界に復帰する記念すべき作品となるはずであった。しかし発売から間もない12月8日に射殺されたことでジョンにとってこの作品が生前最後のアルバムとなった。


世界中に衝撃を与えたこの訃報もあって全英・全米で1位を獲得し、1981年度グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞している。


アルバムジャケットは日本人写真家の篠山紀信さんが撮影したものである。原版ではカラー撮影されているが、リリースされたジャケットではモノクロになっているため、篠山は「不吉な感じがした」という。その直後にジョンが死去したため、不安が的中してしまった、という。


有名なこのジャケットはニューヨークのセントラルパークで撮影された1枚で、この美しい1枚を撮るために、他にも800枚以上も写真が撮られていた。


「ジョンとヨーコの、かけがえのない幸せな一瞬がとれた、本当にラッキーな時間だったと思います。」(篠山紀信)


それらの写真を収めた写真集「Double Fantasy JOHN LENNON & YOKO ONO」が、タッシェン社から発売されている。時が止められたままの2人の写真には、いったい何が写っているのであろうか?


調べてみると2010年にその篠山紀信さん写真集が発売されている。
欲しいな、と思い探したけれど、ネット中古市場で簡単には見つかりませんでした。
あっても11万4800円とか34万8000円もするとか!!!驚きである。(笑)
大変なプレミアになっている。


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いまこうやってPCオーディオで「ダブル・ファンタジー」を聴いてみると、じつにいいアルバムだ。


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ジョンが亡くなった1980年当時にも聴いたけれど、あの頃に受けた衝撃とまた違った感覚で自分に迫ってくる。ジョンとヨーコの共作で、交互に曲のボーカルを取っている。カッコいいセンスですね。


ジョンの声はカッコいい。


このアルバムのファースト・シングルカットの「スターティング・オーヴァー」は、アメリカでは1位、年間チャートで10位を獲得しジョンのソロ・シングルの中で最も大きな成功を収めた。本国イギリスでもビートルズ解散後のジョンのシングルとしては初の1位を獲得した。


2曲目はヨーコが日本語でセックスを誘惑させる台詞を発したり喘ぎ声が吹き込まれた異色な作品である。自分は最初にこの曲を聴いたとき、びっくり。こういう遊び心は、絶対ポールのアルバムではあり得ないよね~。(笑)


ジョンのアルバムらしいセンス。


そして、自分がこの「ダブル・ファンタジー」の中で、最高と思っているのが、セカンド・シングルカットの「ウーマン」。


ビートルズ解散後、ジョンのソロになってからの最高傑作、有名作品は「イマジン」だという方が多いが、自分は間違いなくこの「ウーマン」を推奨する。


「ウーマン」こそジョンのソロ時代の最高傑作である!!!


当時、この曲を初めて聴いたとき、なんと美しい曲なんだろう!と驚いた。自分はこの「ウーマン」が大好きで、大好きで、当時のカセットテープのウォークマンで何回も繰り返し聴いていた。懐かしい想い出深い曲である。


ジョンはどちらかというと作詞のセンスに鋭いものを持っているという認識だったのだけれど、この「ウーマン」を聴いて、改めてジョンのメロディメーカーとしてのセンスを再評価したものである。


「スターティング・オーヴァー」や「ウーマン」が収められているこの「ダブル・ファンタジー」こそジョンのソロ時代の最高傑作のアルバムだと思うのである。それが彼の最後のアルバムになってしまうとは。。


そして40年後の2020年のいま。ジョン&ヨーコの写真展としてのタイトルに、このアルバムの「ダブル・ファンタジー」を持ってくることにどのような深い意味があるのだろうか・・・。


このアルバムは、ジョンとヨーコの楽曲が交互に並ぶような構成で、「男女の会話」といった趣になっていて、より2人の絆の深さと表現した作品ともいえるわけで、それが今回のジョンとヨーコの想い出の作品展の主題のテーマとぴったりあったのだろう。



そのジョン&ヨーコ ダブル・ファンタジー東京展(DOUBLE FANTASY - John & Yoko)に行ってきた。ソニーミュージック六本木ミュージアムで開催されている。


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ジョンとヨーコの言葉、メッセージ、作品だけで満たされる世界初の展示会である。展示会場は、こんな感じである。壁にその年その年のジョン&ヨーコの出来事が、 写真パネルと、そのとき2人が世界に発した言葉、メッセージの語録とでディスプレイされているのだ。


写真だけではない。音楽&アート作品、貴重な私物を通して追体験する。
そのコーナー、コーナーでジョンのいろいろな曲が再生されていた。


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この写真と語録がセットになって結構グッとくるんだよね。
ちょっと感傷めいた気持ちになる。

ファンには堪らないだろうね。

あまりにたくさんの語録があって、全部読むのは大変だった。
もう2,3回行かないとダメ。ぜひ行こうと思っている。



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あの12月8日に照準を合わせて、展示会場ではこうやってファン1人1人が献花できるようになっていたんだそうだ。残念ながらその日は自分は気づいていなかったのでできなかったが、ボクもひと花捧げたかった。




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展示会名となっている「DOUBLE FANTASY」はジョンとヨーコのアルバム・タイトルから。このアルバムがジョンの生前最後のアルバムとなる。


ジョンが凶弾に倒れた日から、このアルバムが世界中で売れまくり社会現象になったよね。世界中で枯渇状態になった。いまでもよく覚えてるよ。



まずジョンとヨーコの生い立ちから。


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ジョンのコーナーでは、少年時代に描いた「The Daily Howl」ほか「In My Life」の手書きの歌詞が展示されている。


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ヨーコのコーナーでは、1967年にヨーコがジョンにプレゼントしたアートブック「Grapefruit」の現物を展示。日本初の公開。


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1966に2人が初めて出会ったインディカ・ギャラリーを再現。作品の「Celling Painting(天井の絵)」と「Painting to Hammer a Nail(釘を打つための絵)」は当時の作品が再展示されている。


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ジョンとヨーコの結婚式。婚姻届けも。


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1969年に行われた有名な平和活動「Bed In」で使用したギブソンのギターや窓に貼られていたプラカードを展示。プラカードは日本初公開。


「結婚~平和活動」のエリアでは、有名な平和活動「Bed In」が展示。1969/3/20にジブラルタルで結婚式を挙げたジョンとヨーコは、その5日後、アムステルダムのホテルで世界平和のための平和活動「Bed In」を行う。


これは当時ベトナム戦争をはじめとしたアメリカ・ヨーロッパなどの政界情勢の不安が背景にある。ジョンとヨーコは自分たちに注目が集まるこのタイミングで訪れる記者たちに愛とユーモアを持って平和を訴えかけた。


この平和活動は2回行われており、2回目は1965年5月にモントリオールで活動。その際には「Give Peace A Chance(平和を我等に)」/Plastic Ono Bandのレコーディングも行われている。


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写真家ボブ・グルーエンのポートレートで着用した有名な”NEW YORK CITY "Tシャツの実物。


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クリスマスの定番曲となっている「Happy Xmas (War Is Over)」。
この曲はじつは反戦歌として制作されたもの。


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パワー・トゥ・ザ・ピープル!
この曲がこのエリアで鳴っていて格好良かった。
ジョンは、やっぱりメロディメーカーとしても最高の才能を開花させていたんだな。ハピー・クリスマスといい、このパワー・トゥ・ザ・ピープルといい、よく聴いたことのある馴染みの曲だ。


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WAR IS OVER!
ジョンの代名詞だった。
反戦、世界平和、そんな社会的なメッセージがジョンにはよく似合った。


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イマジンはそれこそジョンの代表曲であろう。
映画にもなっている。


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ビートルズだけでは、表現のはけ口が足りない。プラスティック・オノ・バンドは僕にとっての逃し弁だ。それがビートルズと比べて自分にとってそれだけ重要な存在になるかは、成り行きを見守るしかない。


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在留のための戦い。
アメリカ在留のために、最強の弁護士を携えて、その権利を勝ち取った。


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ここに住もうと思ったわけじゃない。たまたまそうなったんだ。
荷物をまとめることもなかった。所持品は全てイギリスの家に置いてきた。
短期滞在のつもりで来たんだ・・・・・けど、戻ることはなかった。


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この写真を前から撮影した写真もSNSで見たことあります。
ジョンのぺニスはかなり大きかったです。(笑)


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ジョンとヨーコのファッション。


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再出発。
ショーンの養育の5年間の主夫生活の沈黙から再出発のレコーディング。


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イマジン・モザイク。
ニューヨーク・セントラルの一画にある記念碑「ストロベリー・フィールズ」の「イマジン」のモザイク・アートを再現したもの。このグレコ・ローマン様式の作品制作に携わった卓越したイタリアの職人チーム、および贈呈いただいたナポリ市にヨーコより感謝申し上げます。


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ミュージアムショップ。
ジョン&ヨーコ グッズがいっぱい!


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これでおしまいです。


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ジョンとヨーコが紡いだ言葉の数々、多くの写真とともにもう一回体験しに行きたい。


やはりその場にいて写真とともに、その言葉、メッセージの語録を見ないと、あのジ~ンとくる感動は味わえないと思うから。


DOUBLE FANTASY - John & Yoko (ジョン&ヨーコ ダブル・ファンタジー東京展)

2021年2月18日、オノ・ヨーコの誕生日までの開催である。


ぜひ行かれてみてください。





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