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内田光子さん [クラシック演奏家]

内田光子さん&マーラー・チェンバー・オーケストラで去年の秋に来日予定だったので、そのコンサートレビューのときに内田光子さんのことを日記で触れようと思ったのだが、残念ながら来日中止。


そこで、内田光子さんのことだけで日記で取り上げてみようと考えた。
コロナ禍になって以来、このケースが多いですね。

でもそのほうが、しっかり深く掘り下げれるから、かえっていいですね。


内田光子さんは、本当に日本が誇るクラシック界の至宝で、その深い知見と高い知性を兼ね備えた芸術家。その人格の崇高さ風格から格が違うという感じなので、果たして自分のような者が日記で語っていいものなのか、恐縮してしまう限りなのだが、でも自分も内田光子さんの実演やCDなどで、数えきれない経験をしてきたので、自分のクラシック人生ではとても縁が深いピアニスト。


このまま日記で取り上げないのもいかがなものなのか、ということで思いっきりチャレンジしてみようと思った次第である。


いつもと違ってかなり気を使います。(笑)



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自分がクラシックの世界に入るようになったときから、内田光子さんは当然ながらすでに大ピアニストであった。自分はクラシックピアノは、ポリーニ、アルゲリッチのショパン系から入った人なので、5年に一度ポーランド・ワルシャワで開催されるショパン国際ピアノコンクールはピアニストにとって世界最高峰のピアノコンクールだと思っていた。


その中で日本人の最高位は、ということを調べたときに、それが1970年度大会の内田光子さんの2位ということを学んだ。


やっぱり内田光子さんはすごいんだな、とそのときに感心し、それが最初の出会い、意識したきっかけだったかもしれない。


レパートリーは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの前期ロマン派ですね。

もう内田光子さんのピアノといえば、もうこの3人の作曲家しか自分は思い浮かばないです。


内田光子さんにラフマニノフは似合わないですね。(笑)


ご本人もこれが自分のスタイルということで、意識されてこのレパートリーに固定されているのではないでしょうか。


モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトというオーストリアの古典に関しては、アルフレッド・ブレンデルが引退した今、世界的にも内田光子さんが最高権威ということになるのでしょう。


世界的な名声、世に出たきっかけはモーツァルト。ピアノソナタとピアノ協奏曲の全曲演奏会、そしてその録音全集で世界に名を馳せることになる。そういう意味でもご自身にとって、モーツァルトは本当に大切な作曲家で、いまでもコンサートではここぞ、というときの十八番のレパートリーになっていることは間違いない。



でも自分の場合、内田光子というピアニストの世界に深く踏み入れることになったのは、じつはシューベルトのピアノ・ソナタだったのである。


その頃の自分は若輩ということもあったせいか、シューベルトのピアノ・ソナタの世界がどうしても理解できなかった。


いわゆる音楽の造形、型というものを、その曲々の中に捉えることができなく、どうしても散文的に聴こえてしまってのめり込めなかった。人々に愛される名曲には、必ずこの型というのがしっかりあって、人の心を捉えるのはその造形ありきだと思っていたのである。


クラシックに限らず幅広いジャンルで希代のメロディメーカーと呼ばれる作曲家たちは、人の心を捉えるこの型の作り方に秀でている人たちなのでは、という考え方を持っていたからである。


でも自分はシューベルトのピアノソナタを全曲通して聴くのだけれど、捉えどころのない、というか、その型のようなものを見つけることができず、どう愛していいのかわからなかった。


いろいろなピアニストの作品を聴くのだけれど、それは変わらなかった。


(シューベルトといえば歌曲王といわれるくらい歌曲が有名ですが、逆にシューベルト歌曲は一発で大好きになりました。)


その中で内田光子さんのシューベルトのピアノソナタ選集(PHILIPSレーベル)は名盤という評判の噂を聞いて、ダメ元と思いながら聴いてみたら、それがまさに衝撃の出会いであった。いままでなにを悩んでいたのか、という感じで自分の中にすっと入ってくるので、驚いた。


他の演奏家の録音となにが違うのか?ということは当時、厳密に解析できなかったけれど、内田光子さんのシューベルトのピアノソナタは、いままでわからなかったものを自分の世界に取り込めるようになった、そんな感触の出会いだった。


いままでわからなかったその曲の構造、型などの聴かせどころ、旋律の進行の巧妙さなどが何回も聴き込んでいくうちにその良さがわかってくるような気がした。


それ以来、自分はこの内田光子さんのシューベルトのピアノソナタ選集をiPodに取り込んで、毎朝夕の通勤時間に電車内で聴き込んで、勉強していったのである。


だから極端なことを言えば、内田光子といえば、自分にシューベルトのピアノソナタの良さを教えてくれたピアニスト、恩人と断言していいのである。


それが最初にのめり込むきっかけだったかもしれない。


それほど内田光子のシューベルト・ピアノ・ソナタ選集は名盤中の名盤と言っていい!


その魔力はどこから来るのだろう、と思い調べてみたら、こんなご本人のインタビュー記事を見つけた。


「ピアニスト内田光子の尽きることなきシューベルトへの愛」



内田光子にとって、シューベルトを学ぶということは実に長い道のりだった。生まれ育った日本の家には、外交官である彼女の父親が所有していたシューベルトのレコードコレクションがあった。彼女はドイツ語がわからなかったため、そのレコードのカバーやライナーノートの意味は理解できなかったが、それらのコレクションの中の一枚に、彼女のお気に入りの民謡があった。


彼女が12、3歳の頃、一家はウィーンに移り住み、そこで偉大なバリトン歌手であるディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが歌う、シューベルトの「冬の旅」を耳にした。


「その中盤に、いきなり、私たちの慣れ親しんだ民謡が登場したのです」


それは、歌曲のレパートリーの中でも最も有名な作品の一つである「Der Lindenbaum(菩提樹)」であった。ピアノを学んだ学生時代、彼女はモーツァルトとベートーヴェンも愛した。そして次第に、バルトークやベルク、シューマン、さらにはクルターグ・ジェルジュのようなコンテンポラリー音楽の作曲家も弾きこなすようになっていった。


しかし、内田はこう語っている。「誰よりもシューベルトに心が繋がっていると感じていたのです。彼の音楽はほんのわずかにミニマルなところがあります。必要でないものは全くない、私はそこがずっと好きなのです」


初期からの内田光子のファンが、これを必ずしも知っているわけではない。彼女は1980年代初期に、モーツァルトの素晴らしいアルバム(1作目がソナタ、2作目が協奏曲)のシリーズによって名声を上げた。


それは「アマデウス」のおかげだとも言えるだろう。最初の大きなレコード契約を締結した時、内田光子はシューベルトのアルバムを制作したかったそうだ。しかし、当時ツアーで、彼女はモーツァルトのソナタを弾いており、また「アマデウス」がピーター・シェーファーの演劇作品とそれに続く映画化により大ヒットしたことあって、彼女はモーツァルトのソナタとロンドを収録した作品を発表するに至ったのである。


彼女はシューベルトを追い続けるはずだったが、彼女の所属するレーベルやリスナーはさらにモーツァルトを求めた。結局、内田は1990年代の後半になるまで、シューベルトのアルバムを発表しなかった。しかしついにそれが実現すると、待つ甲斐あって、その収録曲は2004年発表のボックスセットにも収められることとなったのだ。



自分にシューベルトのピアノソナタの魅力を教えてくれた選集には、このような内田光子さんの想い、経過があって生まれたものだということがわかって、やっぱりこれも運命なんだな~と思い自分は感動しました。



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内田光子さんの演奏スタイルとして、


「拍節感を強調しない、拍子がそろった均等拍の特徴を使いこなす。」


という評があるのだが、非常に音楽の専門知識を要するのだけれどなるほどと思ったことがある。


この均等拍というのは、曲想によっても違うが、多くの場合は楽曲の躍動感やメロディーの生命感を殺し、音楽を平板なものにする。


均等拍は、リズムの「正確性」だけが優先されて、本当の音楽に必要な「身体性・自発性・即興性」が軽視されてしまう。


でも、内田光子さんのように西洋文明の歴史や哲学などを知的に分析して作曲家の思想性に独自の解釈を作り上げ、それを細かな表現技法に乗せて表現しているプロ中のプロであり、この均等拍を基本とし、その上に意図的かつ知的な表現を散りばめ、全体としてシリアスかつ知的な印象を与えている、というのが内田光子の演奏スタイルである。


内田光子さんだからできることであって、ふつうの音楽家はやってはいけない。


自分はもちろんここまで専門的に意識して聴いたことはなかったけれど、そう言われれば感覚的にそのイメージはよく理解できる。内田光子さんのピアノを聴いているとその感覚はよくわかる。


でもそれはモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの古典派の特にソナタ系の曲を弾いていると、大概そのような弾き方になるのでは、と素人の自分は思うのだが、どうなのであろう?


内田光子さんのベートーヴェンやシューマンのピアノ協奏曲などおもにコンチェルト系を実際聴いてみると、そんなに均等拍という感じでもなく、非常にエモーショナルで情熱的に弾かれている。


強拍と弱拍が混在するようなきちんと拍節感のある感じで演奏されている。


だから一概にそのような演奏スタイルと定義づけるのもどうなのかな、というのが自分が思うところである。もちろんそのようなことはご本人も意識されていることではないと思うのだが、どうであろうか。



内田光子さんは、作品に対する深い研究と解釈、もちろん作品だけに限らず、西洋文明の歴史や哲学などにも精通していて、本当に知的である。2005年日本芸術院賞を受賞、文化功労者に選出、2009年には大英帝国勲章「デイム」の称号も授与されている。


CDのライナーノーツなどにもその作品についてのご自身の解釈を寄稿されていることもよく拝見する。


昔、HMVのサイトにベルリンフィル・ラウンジという記事があって、そこに内田光子さんのインタビューが掲載されていたりする。(インタビュアーはもちろんサラ・ウイルス)


そうするとそのインタビューの記事内容がとても哲学的で知性溢れる内容で、日本語で書いてあるのを読んでいる自分がもう読解困難(笑)なのに、それを内田さんは実際はその内容を英語や独語で話されているんだと思うと気が遠くなったことがある。


ある意味完璧主義者という感じがしたものです。



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内田光子さんは12歳で渡欧して、ウィーン音楽院で学ぶ。現在は英国在住である。


ピアニスト・内田光子“名もなき国”イギリスへ
https://www.sankei.com/life/news/151006/lif1510060007-n2.html


●1972年、内田さんはウィーンを去り、英ロンドンへ移住する。愛してやまない音楽の都を離れたのはなぜなのか。


誰もが「何でも知っている」と思っていることはすてきなことですが、半面、問題も生じます。「モーツァルトの弾き方はこうだ」とある人が言えば、別の人は違ったことを言い、「私は知っている」と言うのです。名もない日本から来た私には、少し息苦しくなってきたのです。


同じように、ドイツ人はベートーベンの弾き方を「よく知っている」と言い、フランス人も自国の作曲家の弾き方を「知っている」と言います。そういう国には行きたくありませんでした。それでロンドンを選んだのです。


●もともと内田さんはロンドンが好きだったが、クラシック音楽の世界において、イギリスが“名もなき国”だったことが大きかったという。


もちろん、すばらしい作曲家はいますよ。でも、ベートーヴェン、シューベルト、モーツァルトといった巨人はいません。ヘンデルはイギリスに帰化しましたが、ドイツ人は今でも「ヘンデルは自分たちのものだ」と言い張り、ヘンデルを諦めろと言っています。


まあ、そんな具合ですが、イギリス人は自国の作曲家が作った音楽をこよなく愛していますし、何よりここでは「○○を知っている」「○○は自分たちのもの」ということがないのです。これがイギリスに来た真の理由です。

もうひとつ。イギリスには「知的寛容さ」があります。ここでは自分の好きなように行動できます。外国人が多いので、じろじろと見られることもありませんしね。




自分にとって、内田光子さんといえば、やはりベルリンフィルとの共演がとても鮮烈な想い出として残っている。自分の内田光子というピアニストのリアルタイムでの想い出である。


”ソリストと指揮者との運命の絆”という日記でも書いたように、ソリストの出演の運命というのは、指揮者との絆というか縁が非常に大きな影響を及ぼすものだ。


ベルリンフィルでいえば、カラヤン時代なら、アンネ・ゾフィー・ムター、アレクシス・ワイセンベルクなどカラヤンに重宝され、ベルリンフィルの定期公演によく呼ばれていた。アバド時代ならば、ポリーニやアルゲリッチ、そしてアンネ・ゾフィー・フォン・オッターである。ベルリンフィルのその首席指揮者の時代に応じたソリストの顔というのがあった。


いまの時代はソリストはもっと多様化され、そんなに固定化はされないと思うが、当時の時代はそんな固定観念があったような気がする。


内田光子さんは、サー・サイモン・ラトルの首席指揮者時代のソリストである。ベルリンフィルのその年の選任ソリストという意味のレジデンス・アーティストでもあったと思う。本拠地ベルリンフィルハーモニーで、合計10回はこのコンビで共演をしている。


その演目の大半は、モーツァルトとベートーヴェンである。中にはメシアンが1曲あった。ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、第1番~第5番までの全曲演奏会をラトル&ベルリンフィルでおこなっている。この公演の模様は、ベルリンフィルのDCH(Digital Concert Hall)でも収録されており、自分は2010年当時、全部コンプリートして拝見した。素晴らしかった。


そのラトル&ベルリンフィルとの共演で忘れられないのが、2009年2月13日にベルリンフィルハーモニーでおこなわれたシューマンのピアノ協奏曲である。


この2009年という年は、ゴローさん収録のアムステルダム・コンセルトヘボウでの、ハイティンク&ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、ピアノ独奏:マレイ・ペライアでのシューマンのピアノ協奏曲が、もう自分的に最高のボルテージでマイブームだったからである。


このシューマンのピアノ協奏曲。

本当にいい曲ですよね~。


この年、この曲のすっかり虜になってしまった自分は映像作品だけでなく、いろいろな演奏家のCDを買いあさっていた。そして自分なりにいろいろ研究していたのである。


そんなときに、ラトル&ベルリンフィルで、ピアノ独奏が内田光子で、このシューマンのピアノ協奏曲をやる、という。このニュースが飛び込んできたときは、飛び上がるほど喜びましたから。


マレイ・ペライア&コンセルトヘボウと内田光子&ベルリンフィルの対決!


と自分で勝手にネーミングして盛り上がっていました。


こんなマイブームで盛り上がっているときに、こんな夢のような組み合わせのタッグでこの曲が体験できるなんて!アーカイブはもちろん、リアルタイムのライブ放送も朝4時に起きて観たんじゃないかな?アーカイブはそれこそ擦れきれるほど繰り返して観ました。


絶対忘れられない映像素材です。

今日10年以上ぶりに観たら、やっぱり感動した~。(笑)


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このときゴローさんがポロっと言ったこと。


音楽評論家の故・黒田恭一さんが内田光子さんのことを評して言ったことを、そのまま受け売りで言ったわけだが、これがあまりに内田光子さんに失礼で(笑)、腰を抜かすほど驚愕しました。いかにもブラックで言いたい放題の黒田恭一さんらしいコメントだな、とは思いましたが。


申し訳ないですが、その発言内容は、ここではとてもじゃないですが、ボクの口から絶対口が裂けても言えないです。(笑)



内田光子さんの実演体験であるが、自分の記憶によると累計4~5回くらいは行っていると思う。そのうちmixiを始めた2009年以降では、2010年のフランツ・ウエルザー=メストとクリーヴランド管弦楽団との共演でサントリーホールでの公演に行った。


そのときの座席からの写真。


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このとき内田光子さんはベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番を演奏してくれた。自分はベートーヴェンのコンチェルトでは、第5番「皇帝」より、第4番派である。


この日は、当時の天皇陛下、いまの上皇・上皇后さまもいらして、天覧コンサートであった。内田光子さんは、美智子上皇后さまとも親通でいらっしゃると聞く。


終演後、内田さんは、皇族VIP席のRBブロックのほうに向かって、何度も何度もお辞儀をされていたのをよく覚えている。


あとは、2015年のサントリーホールでおこなわれたピアノ・リサイタルですね。


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2015年 内田光子ピアノリサイタル@サントリーホール


演目は覚えていませんが、おそらくモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトだとは思います。


マーラー・チェンバー・オーケストラとも蜜月の関係で、2016年にはモーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りをしている。内田さんが日本のコンサートホールで御贔屓なホールは、サントリーホールと札幌コンサートホールKitaraなのである。内田さんは日本国内のホールの中で、とりわけサントリーホールと札幌コンサートホールKitaraの音響を高く評価し、定期的にコンサートを開いている。MCOとの公演もこの両ホールでの開催となった。


内田さんはマーラー・チェンバー・オーケストラ(MCO)について、


「マーラー・チェンバーは私が作らんとしている音楽に対する反応がとても速い、ということがひとつの要素です。弾き振りしている際にハッと新しいアイデアを思いついた場合、誰かが以前のように弾いたら困るわけで、彼らにはそれはありません。指揮者がいないので、目で見るのではなくお互い耳で聴き合って即座に反応できる人たちなのです。そして音楽を作るということに対して根源的な部分での〝心〟を明確に持った集団でもあります。彼らがその〝心〟の中で一丸となって求めているものと私が作らんとしている音楽に、どこか共通性があるのだと思います。」


と絶大な信頼を寄せている。


この年、自分はバイロイトと京都夏秋ツアーで予算オーバー気味の年で、行けなかった。
そんな雪辱もあって、2020年度はすごく楽しみにしていたのに残念でした。


数年前のセイジ・オザワ松本フェスティバルで、内田光子さんを招聘というときは驚いた。


ぜひ行きたかったけれど、もういまや貧乏体質なので、あまりのチケット高杉で夢かなわず。このときは、この組み合わせはすごい意外と思ったのだけれど、内田さんは1984年、小澤征爾さんが指揮するベルリン・フィル定期演奏会にバッハのピアノ協奏曲とメシアンの異国の鳥たちを弾いてデビューしているんですよね。


そういう縁がある。


小澤さんは自分がしっかりしている間に、ぜひ内田光子さんを自分の音楽祭のサイトウキネンに招聘したいと思ったのではないか、と思うのです。




内田光子さんといえば、それこそデビューのPHILIPSレーベルから現在のDECCAレーベルに至るまで、彼女の音をずっと録り続けているのは、ポリヒムニアのエベレット・ポーター氏なのである。


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BBCスタジオで内田光子さんの音を収録作業しているエベレット・ポーター氏。


自分が所有しているCD全部のクレジットは、全てエベレット・ポーター氏であった。


まさに演奏家にとって、自分の音を作ってくれる人、自分の音を形にして具現化してくれる人は、つねに定点で決まっている。ものさしや基準は絶対変えちゃいけないのである。ブレちゃいけないところでもある。


それを貫いていることはじつに素晴らしいの一言だと思うのである。


ポリヒムニアはもともとPHILIPSのクラシック部門から独立した組織であるから、その頃からのお付き合いなのだろう。だから内田光子さんのCDの音はもちろん素晴らしいのです。




デビュー当時の1970年代は、なかなか売れず不遇の時代だったようだが、1982年、東京文化会館小ホール、そしてロンドンのウィグモア・ホールでのモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」は「ウチダの火曜日」とロンドンの批評家から絶賛を浴び、一躍、楽壇の寵児となる。続いて1984年に、イギリス室内管弦楽団を自ら指揮しつつ演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演奏会を契機に、PHILIPSにモーツァルトのピアノ・ソナタとピアノ協奏曲を全曲録音。


これら一連のチクルスは空前の大成功を収め、これを契機に長い不遇の時代を経て名実ともに国際的な名声を不動のものとする。


それ以降、国際メジャー・オーケストラの定期演奏会、そしてザルツブルク音楽祭、BBCプロムス、タングルウッド音楽祭、ルツェルン音楽祭などの世界的音楽祭の常連となった。


まさに世界のUchidaで現在に至る。


「歳を取ることの美しさは、まるで自分が世界を手に入れたかのように、言ったり行動したりできることね。」


内田光子さんの言葉である。


自分もこのように達観した境地に至りたいものである。











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