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私の音楽遍歴 [海外ロック]

自分はオーディオでもアナログレコードをまったくやらない人なので、手元にコレクションをほとんど持っていない。自分が社会人1年生になったときに、企業に勤めてお給料をもらえるようになってからは、全部CDに切り替えた。


だから持っているアナログレコードと言ったら、音楽、とくにロックに目覚めた1977年の中学1年生のときから大学卒業までの間にお小遣いをはたいて買ったものばかりである。だからそのレコードコレクションをいま見てみると、本当に懐かしいし、自分の青春の想い出がいっぱいである。


おそらく自分と同じ50年代後半の人なら、同じ音楽シーンを見てきているはずなので、共感してもらえるのではないか、と思う。


いまと違って、当時の洋楽シーンはとても狭いというか、夢中になるスターは決まっていた。


だから同じものを見てきているはずなのだ。

40年も前の昔に買ったアナログレコードである。
大体100枚くらいのコレクションである。


アナログを趣味にされているオーディオファンの方は、壁一面の大きなラックにびっしりとレコードコレクションが詰まっていて、高級なターンテーブルでレコード再生を楽しまれる。


いいな~、高級で優雅な感じで、いいですよね~。


どうせアナログをやるんだったら、そういう環境にならないと、素人じゃないんだから、どこか中途半端で、いまひとつやり始めようという気になれないのだ。予算もないし。経年というか時間がかかる賜物ですね。


でもいいタンテは欲しいかな、やっぱり。


そんな学生時代に買ったアナログレコード、いま考えると処分しないで本当に良かった。途中何度もその危機はあった。処分してしまおうかな、とか。。で。特に日本から海外へ居住を移すときとか、その反対とか、そのときは本気で処分しようか、と思った。


もうアナログレコードを再生することもないだろう、まさか、昨今こんなアナログ・リバイバルになるとは思ってもおらず。


いま考えればすっかりお宝である。


貴重なのは、当時の40年前のレコードには、レコードの”帯”というのがついているということだ。いま入手したくても、こういう当時の帯がついているブツはなかなか手に入らないだろう???


生き証人という感じである。


ところで40年間、まったく再生していないアナログレコードってちゃんと再生できるんですかね?(笑)経年劣化とかやはりあるんだろうな。やってみればいいが、やめておく。


社会人になってから、数年間、しばらくの間、音楽の世界から距離を置いていたブランク期間があった。社会人になってからは、東京に上京して親元を離れて1人暮らしでホームシックにかかってしまい、学生時代とまったく異なり、仕事のことで精一杯。毎日1日を生きていくことだけで精一杯だった。


食うことだけが唯一の楽しみだったかな。

音楽まで気が回らなかった。


やっぱり音楽というのは、精神的に余裕があるときじゃないと、鑑賞しようという気にならないものなんですね。自分の経験からすると。気分がLowのとき、落ち込んでいるときは、音楽を聴こうという感じにならないです。


やっぱり相乗効果なんです。気分がいいときに聴くから、最高なのであって。それはいま現在もそうです。仕事やプライベートの問題で落ち込んでいるときはオーディオ機器をオンすることはないです。部屋の中を静かにしておくほうが、精神健康上いいです。


悩み事がない、ある程度いい状態のときじゃないと音楽って楽しくないですね。


中1のときに、ビートルズ、ポール・マッカートニー&ウィングスからロックの世界に入って、大学4年生までロック一筋の人生。


社会人になって、ブランク期間があって、そこからややあって、クラシック・ジャズの世界に基軸を移した。湯水のようにお金つぎ込んで勉強しました。オーディオはもちろん、生演奏、コンサートに通いまくった。


自分は本当に音楽が好きで、人生の生きがいだったですね。音楽がなかったらいまの自分はありえないです。


これは、あくまで結果論ですけど、クラシック、ジャズ、ロック、そしてJ-POPも、壁をまたいであらゆるジャンルの音楽を勉強して聴いてきたのは自分の人生の財産だと思うんですよね。


いろんなジャンルの音楽を聴いてこれたというのは自分のひとつの強みになっているのでは、と思うのです。これは長い人生の中で別に自分で意図したことでもないし、計画的でもなくて、あくまで本当に結果論。


もちろん幼少時代からクラシック一筋、ジャズ一筋でも全然素晴らしい人生だし、専門的に極め尽くせる、そういう道も素晴らしいです。


でも自分は結果論的に雑種な音楽人生になったけれど、自分にはそれが似合っているというか、それが自分のいいところ、長所なのだと思っています。


今日40年間封開けずだった埃にまみれたアナログレコードをひさしぶりに取り出して自分の音楽遍歴について感傷に浸ろうという意図である。(笑)


懐かしような~って感じです。


中学1年の1977年から、大学4年の1986年の10年間の洋楽ロックシーンは、もう同世代の人は同じものを見てきているはず。そういうあういう世界でありました。


いままでビートルズ、ポール・マッカートニー&ウィングス、ポリス、スティングについては、日記で熱く語ってきているので、ここでは省略。


ジャム、スタイル・カウンシル、ポール・ウエラーについてはちょっとやはり語っておかないといけない。


自分は、アメリカン・ロックよりもブリティッシュ・ロックのほうが好きであった。英ロックにかなり傾倒していた。尖っている、ハングリー精神、音楽性、ファッション含め、つねに流行の最先端みたいなものをロンドンに感じていた。


英国発のロックバンドの辿る道筋というか、運命というのは、最初デビューのときはUKチャートで、もてはやされて話題沸騰になるのだが、それが数年後に、よりマーケットの大きい米USチャートの上位に認識されて独占したりして世界的に知名度が上がってくると、英国では見放されるというか(笑)、人気が落ち着いてきてそんなに騒がれなくなるということだ。


英国にはつねにそういう反骨精神があった。(笑)格好良かったな。


でもやっぱり当時の洋楽シーンは米のマーケットの大きさは、バンドにとってビジネス収入的に魅力満載であった。


自分のロック10年間は、英国発のパンク、ニューウエーブが最高潮のときだった。衝撃のセックス・ピストルズの登場以来、あんなに心が恐怖に感じたことはなかった。


もうこれから将来のロックシーンで、あの10年間ほどの衝撃のことはもう起こらないだろうと思うのだ。自分は本当に運がいいときに、そのときに巡り合えた。


テレビで映る、ロンドンのあのセピア色の街の景観に、髪をビンビンに尖がらせたパンクな人がその街中を歩くシーンに相当憧れました。


カッコいいな~って感じで。

ロンドンに相当憧れました。ロンドンにはそういう格好良さがある。


自分がその当時テレビで見たロンドンのパンク人入りの風景シーンを、いまネットで探してみるんだけれど、いい画がないんですよね。自分のあのときのイメージとピッタリくるのがない。だからやめておく。


学生時代にそういう経緯でロンドンに憧れていたので、社会人になって、ヨーロッパの放送関係の仕事をするようになって、ロンドンに住むことができるようになったときは、外面には出さなかったけれど、もう心の中でやったー!!!を10連発かましましたから。(笑)


憧れのロンドンに住める!

どんなに心ときめいたか。


パンク・ニューウエーブ ムーブメントのとき、最高に夢中になったのは、もうご存じのようにスティングのポリスだったが、この頃から、自分はスリーピース、3人編成のバンドってカッコいいな~と特別の想いを寄せるようになった。


ギター、ベース、ドラムスだけの最小単位の構成。本当に演奏技術、テクがないとトリオってバンドとして成り立たないと思う。


またトリオって肖像ポートレートもビシッと決まる格好良さがあるんですよね。絵になる。3人は格好いいです。4人、5人編成じゃこの格好良さは出せないんですよね。


ポリスの他に、夢中になった3人編成バンドがポール・ウエラー率いるザ・ジャム。


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モッズとか言われていたジャンルで、いかにもブリティッシュ・ロックぽい汚い感じ(笑)でよかった。


学生時代、当時塾講師や家庭教師などで貯めたアルバイト代は全部レコード買うことに消えていった。そのためにアルバイトをやっていたようなものだった。


ジャムのレコードは当時こんなに買っていた!
この当時は燃えていたね~。


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英国で大人気を博しながらも、その頂点で解散したジャムを経て、ポール・ウェラーが向かったのは、より幅広い音楽要素~ソウル、R&B、モダン・ジャズ~などを包括しつつ展開するスタイリッシュなポップス志向だった。もともとモータウンやモッズなどが好きなポール・ウェラーはパンクを経て、独自の音楽を目指したのだった。


このスタイル・カウンシルがまたカッコよかったですね。当時のお洒落音楽の代表格的な存在でしたね。一世を風靡していました。ポール・ウエラーは本当に気難しい人で、とにかく尖っていた。そこが格好良かった。



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Cafe Bleu
Style Council



スタイル・カウンシルのアルバムと言ったら、もう絶対これなんですね。当時相当憧れました。ジャケットが最高に格好良くて、スタイル・カウンシルといえば、自分はこれを最高傑作に挙げます。”ホワイトハウスを爆撃”なんて曲もあって、ポールの過激なところが垣間見えました。シングルカットされたマイ・エヴァー・チェンジング・ムーズはいい曲です。



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Our Favourite Shop
Style Council



スタイル・カウンシルがもっとも商業的に大成功したのが、このOur Favourite Shop。これは当時の自分はどう思ったかと言うと、確かに耳障りのいいヒット・ソングスばかりで本当にいいアルバム。でも当時の自分はやや不満だった。なんかポール・ウエラーが商業主義に走ってしまった感じで、こうじゃないよな~、もっと尖っていないと、と不満だったです。当時の自分は本当に生意気でしたね。粋がっていましたね。自分はスタイル・カウンシルは、やはり1作目のCafe Bleuがいいです。



スタイル・カウンシルのアルバムも当時こんなに買っていました。
宝物ですね。


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じゃあ、ポール・ウエラー、ジャム、スタイル・カウンシルについては、これくらいにして、今日40年ぶりに埃の中から取り出したアナログレコードを見ながら、当時の音楽シーンについて感傷に浸りましょう。



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この当時のロックシーンでは、三大ギタリストという命名をされていたギターの名人がいた。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、そしてジミー・ペイジである。


エリック・クラプトンは、ギターの神様、スローハンドと言われていて、この3人の中で一番格が高いような扱いだったような気がする。ブルースを基本にしていましたね。子供だった自分は、このクラプトンのギター・テクニックがどれだけうまいのか、を知りたいと熱望していた。一番気になるギタリストだった。


当時の若輩の自分が思っていたのは、ギターがうまいイコール早弾きができる人という単純思考だったので、よくわかっていなかったんだよね。ギターのテクっていろいろな奏法がある訳で。。ジミーペイジはレッド・ツッペリンでカリスマだけれど、よれよれという感じだったし。(笑)


当時の自分が一番うまいと思っていた、つまり目も止まらない速さで早弾き出来るギタリストは、このジェフベックだった。このワイアードはその超早弾きが堪能できるベックの最高傑作だと思っていたのである。



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クイーンは最近の映画のおかげでいまや若い人にもすっかり認知された超有名なバンドになりましたが、じつは彼らは世界の中でいち早く先に人気がでたのは日本マーケットなのでした。中学のときでしたね。「世界に捧ぐ」が世界で爆売れして認知されたのが衝撃だった。とにかくいままでのロックバンドにはなかったコーラスの美しさ、重厚さ、そして全員美形と来たもんだ。(笑)エポックメイキングでした。日本でのファン層は圧倒的に女性ファンだったような。日本の女性ファンが彼らをここまでビッグにしたのです。



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ブリティッシュ・ロックではないけれど、ブルース・スプリングスティーンも自分の青春時代の輝けるロックスター。この「ボーン・イン・ザ・USA」が空前絶後の大ヒット。彼の代表作になった。まさにアメリカの国旗をジャケット写真に使い、当時のアメリカ・ナショナリズムを大いに刺激した。アメリカ星条旗にジーンズ。いかにもアメリカです。この当時はシルベスター・スタローンのロッキー4とかで、アメリカ国粋主義を煽る、すごい波動だった。アメリカ国民はみんなこういうのに弱いんだよね。ボクも大いに興奮し酔いました。(笑)


自分の大学の同級生の女の子は、スプリングスティーンのコンサートを生体験したくて、単身でアメリカに渡りましたよ。当時インターネットとかなかった時代だから、すごい勇気のいること。当時すっごいな~と思いました。一種の社会現象でした。



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ダイアー・ストレイツも渋かったよね~。バンダナを頭に巻いて、いかにも職人という感じでした。このブラザーズ・イン・アームズが大ヒットして、一躍スターダムにのし上がりましたね。


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自分はビートルズ派とローリング・ストーンズ派というなら、断然ビートルズ派なので、正直ストーンズのほうはあまり聴き込まなかったですが、でもこのタットー・ユーのアルバムは好きで買いました。



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レッド・ツェッペリンは、もちろんロッキンオンの渋谷陽一氏がいたので、彼が、ツェッペリンの最高傑作は、天国の階段が入っているLed Zeppelin 4とか、他じゃなくて、もうこの「プレゼンス」が最高傑作という強い押しがあって、買いました。素晴らしかったです。



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当時の洋楽シーンの大きな特徴にレゲエがすごいブームだったことです。ポリスのようにレゲエのリズムをロックの中に取り込む斬新なアプローチ(ホワイト・レゲエ)もあって、すごい注目された音楽でした。そんなたくさんのレゲエ・ミュージシャンが登場した中で、自分的にツボだったのが、このイギリスのレゲエ・ポップ・バンドのUB40。イギリスのバンドということもあって、気にいってました。



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当時のレゲエ・ブームの中で、このサードワールドはかなり大ヒットしてました。
レゲエを聴くと、どうしても南国の海を思い出します。


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プリテンダーズはシンガーが紅一点の女性だったのが人気で格好良かったですね。このバンドもUKバンドです。大ヒットしたこのアルバムのシングルカット曲が大好きでこのアルバムも買いました。


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ロキシーミュージック、懐かしい~。(笑)ロキシーミュージックと言えばこのアバロンが代表作でした。確か美形の化粧する派のダンディな男性シンガーではなかったでしょうか???



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スウィングアウトシスターのブレイクアウトは、いまでもラジオで流れてくるお洒落ソングの代表格ですね。若い方でもよく知っているのではないでしょうか?うろ覚えなのですが、隣のEveryThing But The Girlはユニット名が違うだけで、シンガーは同じだったような。その隣のトレイシー・ソーンもそうですね。この3枚は同じ系列だと思いました。(違ったかな?)イギリスのいまをときめくお洒落ソングでした。



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ジョニ・ミッチェルは当時、自分が最も尊敬するシンガー・ソング・ライターでした。彼女の歌にはつねに知性を感じたものです。


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ディープ・パープルは思春期の男の子であれば、必ず通る門ではないでしょうか?(笑)マシン・ヘッド格好良かったですね。武道館ライブのアルバムも買いました。


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U2も自分のブリティッシュ・ロック狂時代の中で、もっとも熱く愛したバンド。凍り付いた寒色系のギターサウンドで、政治的なメッセージを好むかなり個性的なバンドでした。ポリスとU2は同時代に出てきたバンドで、この2つのバンドはもっとも熱く熱中しました。


U2も英国バンドの辿るパターンをそのまま歩んでいきました。UKチャートで人気が出ている頃が尖っていてよかった。米USチャートで認知されて世界的な名声、人気が出るのが、自分が社会人1年生のときのヨショア・ツリーですね。本当に最高のアルバムですが、これ以降どうしても商業主義に傾いていきましたね。



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パンクは下手なバンドばかりなので、出始めの勢いだけで、あとは遠からず自然と消滅していくバンドが多かったですが、このクラッシュはちょっと違いましたね。演奏力も骨がありました。ロンドンコーリングが有名でしたが、なぜか自分が持っているアルバムはこれでした。


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このときのロックシーンの大きなイヴェントとして、アフリカ難民救済の臨時バンドが組まれたことでした。UKのバンド・エイドと、USのUSAフォー・アフリカですね。まず、UKが最初で、その後US。これは結構ショッキングというか、かなり興奮しました。あの有名なバンドのスターたちが一堂に集まって、みんなで唄うなんて。ロック界のオールスターゲームですね。UKのほうはポリスのスティングとU2のボノが同じマイクで
歌っているなんて!と当時相当興奮しました。自分が持っているのはUKのほうです。


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UKバンド・エイド


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USAフォー・アフリカ


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100枚のアルバムの中には我らが日本のYMOもありました。(笑)
やっぱり当時の自分は3人編成というのに相当拘っていました。
YMOはカリスマありました。その後のソロはあまり聴いていないです。
ちょっと最近の坂本教授のアルバムも聴いてみたいです。


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ここから映像素材。レーザーディスクとかビデオディスクというメディア媒体知っていますか?(笑)当時は画像圧縮という技術が確立していなかったので、画像信号をA/Dしたら、そのまま非圧縮のRAW DATAで媒体に記録していたんですね。だから大容量で、こんなLPサイズのでかいディスクに映像と音声を記録していた。その後MPEG2など画像圧縮技術が確立されて、CDサイズの12cmディスクに映像・音声を盛り込めるようになりました。


ポリスのシンクロニシティ・コンサートは、ロックのライブ・ビデオの中でも最高傑作だと思います。ゴドレイ・アンド・クレイムによる映像監修は最高。シーンによるカット割りとか、メンバーのステージパフォーマンスがうまく曲と同期してあってカッコいいなと思いながら、何回も擦り切れるほど観ました。


その隣のアラウンド・ワールド・ツアーはポリスの世界ツアーをステージだけではなく、プライベートシーンに至るまで追ったフィルムでファンには堪らないです。



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なんと!ポール・マッカートニー&ウィングスのUSAライブのロックショー、レーザーディスクで持っていました。最近発見してBDで買いましたが、すでに昔に買っていたんですね。全然覚えていません。ポール&ウィングスといえば、このUSAライブです。


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エリック・クラプトンが在籍していた伝説のロックバンド「クリーム」のレーザーディスクも持っています。やっぱり3人編成がカッコいい。



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なぜか今井美樹さんのレーザーディスクも持っていました。(笑)
ぜんぜん記憶になくて覚えていません。(^^;;


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森高千里さんのレーザーディスクも持っています。(笑)1993年のコンサート。これは覚えています。当時の森高さんはミニスカートの美脚がアピールポイントで、自分もそこに魅入られてしまい買ってしまったのでした。森高千里さんは、この頃より、いま最近の近影の方が全然いいですね。やっぱり女性アーティストは経年がいいです。



こんな感じでしょうか。。J-POPSも日常的に聴いていましたよ。宇多田ヒカル、ドリカム、山下達郎、竹内まりやとか。数えきれずたくさん。1999年の宇多田ヒカルの登場は、かなり衝撃でした。


洋楽でもロックに限らず、マドンナとかホイットニー・ヒューストンとかガンガンに聴いていましたよ。


ここで紹介したのは100枚あるうちの一部だけど、よく鮮明に覚えていました。
自分の青春時代を彩った音楽たちです。


やっぱり自分は音楽雑種なんだな、と思います。
またそれを嬉しく思います。財産だと思います。


ストリーミングが登場して、自分の音楽生活に激動の変化があったのは、J-POPSを聴くようになったことですね。大きな変化です。


もちろんクラシックが基軸ですが、これからもそれに制約されることなく、いろいろな音楽を聴いていきたいと思います。







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