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ヤノフスキの音楽観と絆 [クラシック指揮者]

自分はクラシックの世界に入っていくとき、カラヤン&ベルリンフィルを基本として入門した。まさにクラシックの魅力をアナログレコードを通して、一般大衆に普及させた、その功労者、第一人者といっていい。


35年間に渡って、ベルリンフィルの芸術監督、首席指揮者に君臨し、まさに”帝王”の呼び名を欲しいままにした。


カラヤンの音源、映像素材、含め全部コレクションした。そしてその膨大な音源を徹底的に聴き込み、クラシックとはなにか、を勉強したのである。もうカラヤンについては、いままでの日記で数えきれないほど、いろいろなことを書いてきた。カラヤンのことを、それこそエピソードからプライベートなことまでいろいろ知りたい、そうやって勉強してきた。


カラヤンの音楽は、その完璧なまでに絶対的な美しさにあると思う。


もちろんアンチカラヤンの声もよく理解できた。表面的な美しさだけで、中身が乏しいとか、レガートを強調する、いわゆるカラヤン節が嫌いで嫌いで仕方がない、ここまで爆音の鳴らし過ぎ、もういろいろな意見を拝聴してきた。


彼らの言うことはもっともだと思うし、よく理解できる。


でもそういう数多なアンチ意見をすべて受け止めたとしても、やっぱり自分にとってカラヤンが基本であることは、まったく揺るがない。


強いもの、頂点にあるものは、それだけ反するものも多く、それが共存して初めて正常な世の中なのだと思う。政治でもそうだけれど、一党独裁はあってはいけないし、常に二大政党、諸々に民主主義でないといけない。


そんなカラヤンをはじめ、過去の偉大なる指揮者はたくさん存在してきて、自分がクラシックに入門した当時は、その巨匠たちの音源、伝説などを徹底的に勉強した時期があった。そういう時期って必ずある。ロックやジャズ以上に、自分はクラシックにはそういう過去の巨匠、過去の名盤というのを徹底的にコレクションして、完璧なまでに勉強しないと気が済まない。。。そんな衝動にかられ、そういう夢中になる時期が必ずあるのだ。


それをやらないとなんかクラシックの領域に入ってはいけないような気がして、それがひとつの禊みたいな感じがしたものだ。クラシックは敷居が高いと思われるのは、そういうところが原因ということもたぶんにあると思う。


〇〇年の名録音、と呼ばれるものは徹底的にコレクションした。
そして聴き込んで勉強した。


もちろん過去の名盤、名録音の歴史的意義、重要性、そしてその骨董品を扱うように崇拝する気持ち、そういう過去の音源はとても人間の好奇心をくすぶるものである。


ところが新しい録音技術が発達にするにつれて、その過去の名盤を聴いても、それほど新人のときのように胸ときめくこともなくなってしまった。


いつぞやPENTATONEの新譜で、新進チェリストのヨハネス・モーザーがヤクブ・フルシャ&プラハ・フィルハーモニアとともに演奏するドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴いたときのこと。


そのあまりに新しい音の世界に自分は心底魅せられた。


そして、このドヴォルザークのチェロ協奏曲の名録音として有名なカラヤン&ロストロポーヴィチの名演を聴きなおしてみたのだ。


聴いてげんなりした。


彼らの名演をそしるつもりはなく 録音された時制を考えれば、実に素晴らしいクオリティの録音だということに異論はない。


だが しかしだ。


しかし そのクオリティは 45年前にすでに明らかに聴きとれた。


「チェロ、そしてそれに伴うオケの音が、こんな風に録れてるなんて何と素晴らしい録音なんだろう!」と 45年前に思った以上のものが 新たには感じられなかった。


逆に 演奏がひどく色あせて感じられた。


モーザー&フィルハーモニアの「ドヴォルザークのチェロ協奏曲」には、1970年のカラヤン指揮ベルリンフィル&ロストロポーヴィチのDG録音の時点では捉えることができなかった「音のさま」がある。


新しい録音というのは、そういうものなのだ。


いままでの価値観を、すべてを吹き飛ばしてしまう可能性を秘めている。


その当時では最高の録音技術で表現されたものでも、それが何十年も経てば、新しい時代の録音技術は、その過去の録音を凌駕し、まったく別次元のもっと優れた、当時では考えもつかなかった表現を新たに可能にしてくれる。


あの当時あれだけ、鼓舞した録音にもかかわらず、いまの最新録音を聴くと、セピア色なみに色褪せてしまう。


「新しい録音を聴こうよ!」


である。


それが世の常というものである。


もちろん過去の名盤を徹底的に研究し、それが単に新しいというだけでは括れない独特の魅力を醸し出していることももちろん否定しない。そういう世界もある。クラシックの世界では特にそういう嗜好性はむしろ高いのではないだろうか。


自分はもちろんその気持ちもよく理解できるし、尊重する。


でも自分は基本は貧乏人なんだな。(笑)予算があれば、そして音盤をラックにしまっておけるだけの部屋のスペースがあれば、どんどん過去の名盤もコレクションするであろう。


でも自分の進む道はそういう方向ではないような気がするのだ。「新しい録音を聴こうよ!」のアプローチでいくことこそが自分のスタイルだと確信している。


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マレク・ヤノフスキという指揮者には、カラヤンのような過去の大指揮者たちに憧れるという類のものではなく、自分といっしょに同じ時代を生きてきて、同じようなタイミングでメジャーになって、一緒に育ってきた、という感覚がある。


キャリア的にも大巨匠の年齢だが、いわゆる大器晩成型である。


だから自分にとって本当に身近に感じてきた指揮者であり、リアルタイムでいっしょに感動を分かち合ってきた、そういう親近感がある。


そしてなによりもPENTATONEという最新録音を極める技術集団のレーベルで音源をリリースする。ここが一番自分との絆を感じるところでもある。(笑)


ヤノフスキの活躍がわが国、日本で注目され始めたのは、彼が芸術監督、首席指揮者をしていたベルリン放送交響楽団を指揮して、ベルリンフィルハーモニーでワーグナー主要10作品を演奏会形式で上演し、そのライブ録音をPENTATONEが収録し、それが非常に素晴らしく大きな評判を呼んだからであった。


それがきっかけで我が国でも東京・春・音楽祭でのN響&ワーグナーシリーズでもリング4部作の演奏会式上演でも指揮をして大成功を収める。


そしてワーグナーの聖地、バイロイト音楽祭でもリング4部作を指揮し、バイロイト・デビューをした。


いずれも自分は、しっかりと体験出来て、まさにヤノフスキといっしょに時代を生きてきた、という実感があるのだ。大巨匠だけれど、同じタイミングでメジャーになって、いっしょに育ってきた、まさにそんな感じがするのである。


こういうリアルタイムでいっしょに生きてきた指揮者こそ、自分にとって、ある意味カラヤンより、より親しみ、親近感がわくというものではないだろうか。


大指揮者、大巨匠だけれど、自分と等身大。
まさにそんな感じである。


ヤノフスキの指揮、彼が作り出す音楽をいままでの経験からひと言でいうならば、極めて引き締まった響きで明晰な音楽を造ることを信条としていて、恐るべく超快速テンポでクライマックスに向かってぐいぐいと引っ張っていく・・・こんな感じである。


ヤノフスキの音楽は非常に引き締まっていますよね。非常に引き締まった音をオーケストラから引き出すのに長けている指揮者である、と言えると思う。


ヤノフスキの音楽作りでとても特徴を感じるのは特にその明晰さにある。それはあらゆる声部が明確に聴き取れることを指している。彼にとって、感情表現も重要だが明晰さは更にその上をいく重要なことなのだと思う。


指揮スタイルとしては、非常に禁欲的で、派手なパフォーマンスとは無縁の玄人好みする指揮。指揮者からの余計な感情移入や虚飾をいっさい抑え、そういうスタイルながらも洗練されていますよね。


好きだなぁ。


そしてヤノフスキの音楽はとにかくテンポが速い。速すぎるくらい。
大体どの曲も快速テンポでぐいぐい引っ張っていく。

バイロイト音楽祭のときも、現地メディアはヤノフスキは速すぎる!というもっぱらの批評だった。


ヤノフスキの音楽は、引き締まっていて明晰で超快速テンポでぐいぐい、というひと言がすべてを言い表していると思う、本当に。


東京春祭でもヤノフスキの4年間が終わった後の、翌年のローエングリンでは、N響が全然鳴っておらず、大不評でしたね。やっぱりヤノフスキじゃないとダメだ、というもっぱらの批評で、トリスタンとイゾルテやパルジファルは、それでやはりヤノフスキの再登板なのかな、と思いました。N響とは定期公演でベートーヴェンの第3番「英雄」と第九も一緒しており、もうお互い運命の絆ですね。


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ヤノフスキ&ベルリン放送響に在籍したことのある女性ヴァイオリニストの立上舞さんのインタビューを聞いたことがある。


ベルリン放送響は、通常のコンサートであれば、大体リハーサルに3日間とるらしいのだが、このベルリンフィルハーモニーでのワーグナー演奏会形式のときは、1か月の長期間をかけてリハーサルに臨んだのそうだ。


そのワーグナープロジェクトのときに、オケの中にいた立上さんは、ヤノフスキの指揮について、こんな印象を抱いていたそうだ。


弦楽器や管楽器に対しても、ピアノをピアニシッモ、メゾピアノはピアノぐらいの音量で、大体音量は小さい方向に修正される感じで、全体の音量のバランスを取りながらリハーサルを進めていく指揮者という印象だった。


でもワーグナープロジェクトのときは、もっと弾け!フォルテを弾け、もっとフォルトを弾け、みんなを鼓舞する感じで大変驚きました。歌手の声をかき消さないように、オーケストラの音量を落として抑えるのが劇場でもあたりまえのことなのに、その逆のことをしているのがとても不思議だった。


小澤征爾さん、サイトウキネン、小澤音楽塾でオペラの勉強をしているときは、歌い手さんの声を消さないように、なるべく静かに、でも芯のある音で。そのアドバイスをつねに心に秘めながらリハーサルに行ったところ、


もっと弾け、もっと弾け、もっと弾けるだろう!こんなに弾いていいものなのか?これは歌い手さんの声をかき消してしまわないのかしら?と心配しながらも全力で弾いておりました。


とのことでした。これは面白いですね。(笑)


元N響オーボエ首席奏者の茂木大輔さんの「交響録 N響で出会った名指揮者たち」のご著書の中でもヤノフスキの指揮ぶり、音楽造りについて書かれています。


不愛想で仏頂面で、その冗談か本気なのかわからないニュアンスこそが「ヤノフスキ・ワールド」なのであった。


なんとなくその雰囲気がよくわかって大笑いでした。

好きだなぁ。

茂木大輔さんのこの本をぜひ買って読んでみてください。
最高に面白いですよ!


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ヤノフスキと自分の最初の出会いは、2011年と2012年のベルリンフィルハーモニーでベルリン放送響とワーグナー主要10作品の演奏会形式上演を現地で生体験できたことであった。


2011年6月の「ニュルンベルクのマイスタージンガー」と2012年5月の「タンホイザー」だった。こんな一大プロイジェクトを2公演も生体験できたなんて、本当に一生に宝物の想い出である。もちろんPENTATONEが収録していた。


「今日のワーグナー上演において、演出が過剰に発展し、音楽面が二の次になっていると感じられるからです。演出家の無茶な解釈に惑わされず、オーケストラと歌手だけで観客にワーグナーの考えたことを感得させる~この発想は、今日では逆に新しいのではないでしょうか。」


これが当時のヤノフスキのインタビューである。ワーグナーは演奏会形式こそ一番である。


主要10作品に登場する歌手はそれこそ、超一流のワーグナー歌手ばかり。ロバート・ディーン・スミス、クラウス・フロリアン・フォークト、アンドレアス・シャーガー、ニーナ・ステンメ、アネッテ・ダッシュなどなど、もう蒼々たる当代きってのワーグナー歌手である。


一流の歌手と契約しているそうですが、貴重なワーグナー歌手を揃えるのは大変でしょうね。 「彼らは揃えるのが大変なだけでなく、ギャラも天文学的数字なんですよ(笑)。実はこのプロジェクトのために、特別にスポンサーに付いてもらいました。そうでなければとてもできません。」


このヤノフスキ氏が言っているスポンサーというのが、いわゆるDLRと呼ばれているもので、ドイツの放送局が関連しているドイツ独特のビジネス形態なのだ。DLRという組織は、ドイツ内のクラシック音楽のさまざまな録音をコ・プロデュース(共同制作)している。


文字どおりコ・プロデュースというのは共同で原盤を制作するという意味なのだが、このDLRのコ・プロデュースは、作品のラジオ・オンエアを行う目的で、録音技術、録音スタッフ、場合によっては録音場所等を援助しながら制作し、作品のリリース自体は外部レーベルから行うという手法なのである。


つまり自分たちが放送媒体機関、つまりメディアであるが故に、そこでのオンエアをさせるために再生する原盤を作成させる援助をするということ。そして原盤自体は外部レーベルからさせる、ということらしい。


DLRのコ・プロデュースの多くは、ベルリン・フィルハーモニー、コンツェルトハウス・ベルリンと、ベルリン・イエスキリスト教会で行われている。


このDLRによるコ・プロデュースの最近での大きな成果が、じつはPENTATONEから出ているこのヤノフスキ&ベルリン放送響のワーグナーSACD全集なのだ。


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このコ・プロデュースの背景には、DLRがRSBベルリン放送交響楽団、ベルリン放送合唱団、RIAS室内合唱団を運営するRundfunk Orchester und Chore GmbH (roc berlin)の一番の出資元であることがあげられる。roc berlinは、DLR(40%)、ドイツ政府(35%)、ベルリン市(20%)、ブランデンブルク放送(RBB)(5%)により出資されていて、だから、これらの団体は、ドイツの準公共放送オーケストラであるといえるのだ。


収録チームは、DLR側ラジオオンエア用録音スタッフとして、トーンマイスター、トーンエンジニア、トーンテクニックが参加し、PENTATONEよりプロデューサー、ポリヒムニアより、トーンエンジニア、トーンテクニックが参加するとても大きなチームであったが、すばらしいチームワークで、このワーグナーの大全集を作り上げたのだ。


PENTATONEは自社設立10周年の2011年に向けて、今までどのレコード会社も行っていなかった10作品のワーグナーの主要オペラの録音を、同一の指揮者、オーケストラ、コーラスで行うことを決めた。


ワーグナープロジェクトというのは、こんなクラシック業界でも一大プロジェクトだったのである。ヤノフスキはこのプロジェクトで一躍スターダムにのし上がり、世に名を知らしめた。ワーグナー指揮者として。


自分もニュルンベルクのマイスタージンガーとタンホイザーの2公演を現地で生体験できた。その日記は何回もアップしているので、ここでは本番ではボツになったお蔵入り写真をここでご披露しよう。当時のデジカメは性能が悪いので、解像度ボケボケでスミマセン。


まず


2011年6月のニュルンベルクのマイスタージンガー。


ここがベルリンフィルハーモニーの団員達が入っていく楽屋入り口。

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この入り口に入ったところで、ホール・ガイドツアーを受ける人たちが待ち合わせる。ホール・ガイドツアーというのは、ホールの中をガイドさんが案内してくれるというサービスだ。ボクもこのサービスを受けてみた。


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これがホール・ガイドツアーを受けているときに大ホールの左ウィングの席からリハーサルを見ているときの写真。このときヤノフスキ&ベルリン放送響はマイスタージンガーのあの有名な前奏曲を演奏していました。これが人生初のヤノフスキ生体験でした!


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そしてマイスタージンガー演奏会形式の本番のカーテンコール。


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このワーグナープロジェクトでは、ベルリンフィルハーモニーの大ホールのホワイエでは、こんな看板が立っていたり、グッズショップが開かれていました。


マイスタージンガーのとき。


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タンホイザーのとき。


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タンホイザーのとき、まだ開演前のリハーサルのときに、係員の目を盗んでこっそり無人のホールに入り込み、自分の座席であるこの最前列でタンホイザーのリハーサルを見ていました。ヤノフスキ・リハーサルの体験2回目。


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タンホイザー演奏会形式の本番のカーテンコール。


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懐かしいです。つい最近のときのよう。


まさか自分がバイロイト音楽祭に行けるとは夢にも思っていませんでしたが、その夢が正夢になったのも2016年8月のヤノフスキのバイロイト・デビューであった。運命の絆なんだな~。


「音楽だけに集中して舞台装置による解釈なしにワーグナーの楽曲の音楽的な質の高さを観客に伝えること。」と、演奏会形式のスタイルにこだわり続けてきた巨匠にとって、今回のオペラ指揮には、本人の大きな決断もあったようだ。


BR-KLASSIKでのインタビューで、ヤノフスキは、思わず本音で、このように答えている。 「自分も77歳。この機会を断ったら、あの音響が独特のオーケストラピットを味わうことは二度とできない。私は弱くなったのです。後悔はしていません。」


カーテンコールでの歓声は、もう間違いなく1番大きかったです。


相変わらず、控えめな所作であるけれど、この割れんばかりの大歓声・ブラボー、そして床の踏み鳴らしに、なにか自分が褒められているかのように嬉しく涙が止まらなかった。自分は惜しみない拍手をずっと送り続けていました。


ヤノフスキのカーテンコールは幕が閉まって、その幕の前に出てくるときなのだけれど、これが40枚くらい撮影しましたが、どれもピンボケでうまくいかず。このときの自分の一番の後悔でした。


一番最尾列の上階の席でしたので。しかも照明が暗いので難しいかな。その中でも、なんとか一番まともな写真をアップしますね。これも日記初公開です。


バイロイト音楽祭2016でのヤノフスキのカーテンコールです。


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そして言わずもがなの2014年~2017年の東京・春・音楽祭のリング4部作。もうこれは説明不要でしょう。大感動の4年間でした。


ありがとう、マエストロ ヤノフスキ。
東京・春・音楽祭のFB公式Pageから写真をお借りしています。


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あと、ヤノフスキ&ベルリン放送響の来日公演も2回ほど体験しているんですよね。サントリーホールと横浜みなとみらいホール。


横浜みなとみらいホールでは、前半は河村尚子さんのベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」後半がベートーヴェン交響曲第3番「英雄」でした。


自分の周りにはとても河村尚子さんの大ファンの方が多かったので、この日は初めて河村さんの実演に接することができて大感動の日でした。素晴らしいピアニストだと心から感動しました。横浜みなとみらいはピアノの音がとてもクリスタルな響きで驚いた記憶があります。


結局、自分は生涯でヤノフスキの実演を8回も経験しているのです!

こんなに体験しているマエストロは他にいません。
自分の実演体験で最多出場なのです。

いかに自分と縁が深いか。。。


あとアラベラ・美歩・シュタインバッハーのPENTATONEのアルバムでもオーケストラ、指揮者として共演しているので、その回数分も加味しないといけない。


ヤノフスキは、伝統的なドイツ音楽における偉大な巨匠の一人であり、ワーグナー、 シュトラウス、ブルックナー、ブラームス、ヒンデミット、新ウィーン楽派についての解釈は、世界的に定評がある。


そしてヤノフスキは、根っからのオペラ指揮者であり、その意味ではドイツの指揮者としての王道を歩んできた人なのだ。現在ではコンクールや、その入賞後のコンサート活動などを通じて名を成していく人が少なくないが、かつては、特にドイツ語圏などでは、オペラのコレペティートル(歌手たちをピアノでトレーニングする人)から出発し、次にオペラの指揮に手を染め、様々な歌劇場での指揮者を経て、ある劇場の音楽監督に着任するという遍歴を重ねた後、やっとコンサートに指揮者として登場するというのが指揮者の進むべき道であった。そしてヤノフスキこそは、今では少なくなった、指揮者への王道を歩んで今に至った指揮者だったのだ、と言えるのであろう。


そういう意味でも自分のクラシック人生でリアルタイムで、いっしょに感動を分かち合ってきた指揮者でもあり、自分にとってはある意味、カラヤンより偉大な大巨匠であると断言してもいいのではないだろうか。


 



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28の浮浪者

初めまして。

両親がカラヤン大嫌いなのと、家に置いてあったのがデッカのモノラル(デコラ以前の物)だった為にフルトヴェングラーの方が良く聴こえた…相性が良かったので私自身もカラヤンは聴いても「ハッ!」と途中で止めてしまっていました。

ただ、例えばYoutubeの映像をスマホで…つまりは現代の再生機でフルヴェンとカラヤンを聴き比べたら…「カラヤンもエエヤン」と思う自分もいます。
両親が亡くなったので彼らの意見に縛られなくて良くなったのも有りますが、どちらがより素晴らしいではなく正しく時代の移り変わりを体感しているのだなぁ…とどちらも狂信者にならない位に好印象なのが今です。

今の機器で聴くとコバケンの方が好きですし、彼の場合まだ現役ですから生も聴きに行けますしw
パッサカリア、夏祭りとかまた聴きたいなぁ。

…話が逸れましたが、時代を重ね移り変わり、新しい世代が出てくるという点では仰られた「色褪せて感じる」のも大事なことなのかもしれません。
マスターピースは残りますが、それでも大衆がある程度忘れていかないと新しい世代のやることが何から何まで過去の丸々のパクリと言われてしまう程にネタ切れになりますから…

ただ、一方でこの演奏だけはこの人のが良い!この時のこの名盤が良い!と見つけられるのもまた幸せなことでしょう。

自分にとっては今のところはクレンペラーのマタイ受難がそれの様です。
by 28の浮浪者 (2023-12-24 08:08) 

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