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冒険家 植村直己 北米マッキンリーに死す [雑感]

自分は登山の世界とか、自分でやろうとはまったく思わないのだけれど、冒険家 植村直己さんには子供時代にとても憧れた。


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植村直己さんは、日本の冒険家のパイオニア的な存在で、エベレストに日本人として初登頂、世界五大陸の最高峰初登頂、そして北極、グリーンランド大陸の犬ぞり紀行など輝かしい冒険歴を残した。


その後、現在に至るまでいろいろな冒険家が出てきて、植村さんの記録をどんどん破っていくわけだが、自分には”その後”はまったく記憶に残らない。


やっぱりオリジネーター、最初にやった人、植村直己さんが一番なのである。


希代の日本の冒険家といえば、植村直己なのである。


とくにそのご著書をかなり読んで、そこで描かれる冒険家の日常、冒険のその現場のリアルな描写、冒険をするためにはやはり費用が必要で、それを工面する工夫、そして奥さん公子さんのことなど、あからさまに書かれていて、とても子供心に心打たれた。


特に冒険のその現場のリアルな描写は、とても印象的で、それを読むだけで、自分が実際その場にいる感じで、その厳しい自然の世界と闘っているその場面が頭の中で鮮烈に描かれるほど感動的であった。


犬ぞりで犬たちの実際の群れでの行動などについて、その犬の持つ習性について学んだことなども描写されとても興味深い。


あと、カリブー(トナカイ)の肉を食べるときのこと。

テントの中での生活。


とにかく自分にはない世界で、夢の中で想像を張り巡らすことだけで、とても夢のある世界に連れて行ってくれた。同時に自分にはとてもできないこと、こんな厳しい環境には自分はへこたれてダメだろうな、絶対無理な世界とは思いましたが。


そして、テントの中で、愛する奥さん公子さんの写真を見ながら、オ〇ニーをしたことなど。。。


とにかく植村直己さんの著書は全部読んだ。


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植村直己さんの冒険歴の大きな流れとして、若いときは登山の垂直方向の冒険、そして晩年の大陸の犬ぞり紀行などの水平方向の冒険というように分けられる。


垂直方向から水平方向へ。

これが流れであった。


植村直己さんの冒険で唯一果たせなかった夢は、南極大陸の制覇、犬ぞり紀行だった。この南極を果たせなかったのが冒険家人生で唯一やり残した夢だった。


もちろん輝かしい冒険も、実際はすごいお金が必要なことなのだ。大変な費用がかかる。その費用をなんとか捻りださないとということで、著書などの執筆、そして講演会など全国に足を運んだこと、そして企業などのスポンサー探しである。


理想と現実。実際そのお金を捻りださないといけない苦労がその本に刻銘に書かれていて、とてもリアル現実を見る感じで、その痛ましさにう~んと読んでいた。


もともと内気な性格で人前であまり話すことが得意でない。1人が好き。だからこそ冒険に出るわけだが、それも団体での行動を嫌い、単独行が多かった。


たしか子供のときにニュースで見たことがあり記憶にあるのだが、遭難事故があって、1人で登山をすることの危険性、そういう人の気持ちがわからない、という日本中の非難の声が上がったときに、植村直己さんはインタビューで、「ご批判の気持ちはよく理解できるけれど、自分は1人を好み、そういう登山の世界を1人で楽しみたい、という世界はとても理解できるんですよね。それは決して責めれられることではない、と思う。」と擁護していたのをいまでも覚えている。


内気な性格で人前であまり話すことが得意でない。1人が好き。


これは自分の性格にも身に覚えがあるところで、似たもの同士という共感もあって、その孤独性をあるところに昇華させるエネルギーにとても尊敬していた。


自分のような性格でも大きなことができるんだ、という自分の子供時代の先生、大きな鏡だった人だったような気がする。


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そして世界中に衝撃のニュースが走った1984年冬。


北米最高峰のマッキンリーに冬季初登頂という偉業を達成した後、下山後消息を絶った。これは子供心にも大ショックだった。


あれだけ輝かしい冒険歴を重ねてきた植村直己さんでも、結局遭難するということもあるんだな、と驚きだった。ちょっと信じられなかった。


うちのオヤジは、そのニュースを見ながら、このように吐き捨てるようにつぶやいた。

「結局、こういうことをやっている人は、最後はこういう死に方をするんだよな。」


自分はこのとき、確かにこの意見に同調すると同時に、冒険家としてそれはある意味望ましいというかカッコいい死に方だったのでは、と思うようになった。


男の死に様として最高の格好良さだったのでは、と。
男の引き際、散り際の美学というか・・・。


男として、自分の大好きなこと、自分の人生そのものに打ち込んでいるときに、そのまま死にたいというある意味の欲望。歌手が歌っているときにステージでそのまま最期を迎えたい、というような。。


たとえば、ファンから怒られるかもしれないけれど、トム・クルーズが映画のスタントの最中の不慮の事故で命を落としたとしても、それはある意味、彼にとって最高の散り際の美学なのではないか、と思ったりするのだ。


植村直己、北米マッキンリーで死す。


は自分にそんな教訓を子供心に強烈に残したのだ。


「植村直己、北米マッキンリーで消息不明」


は衝撃のニュースであった。すぐに植村さんの大学であった明治大学の登山部が、植村さんと同じルートでマッキンリー登頂をおこない、植村さんの消息の行方を探索した。


頂上に登頂した時の旗、そしてその途中に宿泊したと思われるテントの残骸など、見つかったが植村直己さんの消息は不明だった。


そのときに下された判断は、下山途中で、強風に煽られ、クレバス(氷河の割れ目)に落下したのではないか、という結論で収まったように思う。


自分はそのとき植村さんについての遺骸含め、なにか見つかってほしいと思っていたので、この結果はこの結果で納得と言うか、物足りなさも感じた。


あれから36年経過しても植村直己さんの遺体の発見のニュースはない。永遠の美学として、永遠に見つからないでほしいという想いと、見つかってほしいという、好奇心の気持ちと半々である。


もし見つかったときはこれまた世界中で衝撃のニュースになると思う。


植村直己遭難が確定したときに、奥さんが記者会見をしたときのこと。鮮明に覚えている。


「冒険家はつねに命あって帰ってくる、それこそが本当の冒険家、と普段言っていた人がこれでは本当にだらしない、と思います。」


と涙をこらえながら気丈に話していたのは、涙なくして見れなかったです。


・内気な性格で人前であまり話すことが得意でない。1人が好き。
・それでも大きなことができる。
・男の散り際の美学


こういう点で、冒険家 植村直己さんは、子供の頃の自分に大きな影響を及ぼした人だったのである。







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