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サントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラム 通称”黒本” [クラシック雑感]

マニアの中では、貴重な存在である通称”黒本”と呼ばれるサントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラム。1986年10月開幕なので、翌年の1987年3月までのプログラム、約半年分であるが網羅されている。

それだけではなくて、小澤さんやアバドなどたくさんのアーティスト・インタビューが掲載されていて、また「建てものと、その周辺」と題して、サントリーホールの音響設計について、永田音響設計の永田穂先生による投稿がある。

かなり読みごたえがあった。

黒本

600ページもおよぶ黒色でなんともいえない高級感が漂う。

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この部分は金色に塗装されている。

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ブログのほうにコメントをいただき、確かに言い忘れたので、ちょっと補筆しておく。

サントリーホール開館の前の、ちょうど4年前に大阪の方にシンフォニーホールが開館した。
このシンフォニーホールこそが、日本ではじめてのクラシック専用音楽ホールという位置づけだった。

サントリーホールは、東京初のクラシック専用音楽ホールで日本としては2番目。

サントリーホールは、サントリーホールディングスが、そしてシンフォニーホールは、朝日放送がオーナーで、当時のサントリーには佐治敬三さん、朝日放送には原清さんと、いずれも文化事業に熱心な経営者がいたからこそ、ホールの実現に寄与したとも言える。

サントリーも朝日放送もどちらも関西が地元の企業なんですね。

シンフォニーホールのほうも、サントリーホールと同じで、なにかといろいろ言われることも多いが、ホール設計は時代とともに、格段に進化していくもの。近代の最新のホールと比較して、どうだこうだ、ということ自体が、人間としての器が小さいと感じるし、この両ホールが、いわゆる日本のコンサートホール史の中で、クラシック専用音楽ホールとしての礎を築いてきたその功績はなににも替え難いしじつに大きい。

特にサントリーホールでの、ホールでのチケットをもぎって座席を案内する優しい「レセプショニスト」の存在。

ご案内の仕方を一流ホテルと同じくらいのレベルに高めよう。

いままではコンサートのチケットもぎり方なども、本当に味気なくて、働く人たちは「制服」というよりは、「うわっぱり」みたいなものを着ていた。

サントリーではもともと工場案内のサービスをするスタッフの所属・育成する部署があって、そこでクラシックのホール案内として質の高いサービスができる人も育てようということになったそうだ。

この流れが今や、全国のホールへと広がった。

休憩中にワインやシャンパンなどのお酒類を楽しめるのも、それまでは当たり前じゃなかった。

いまでは、日本のホールでは当たり前であるこういう光景も、ここに礎があった。

サントリーホール完成までのドラマは、結構本になっているものがあって、自分はじつに遠い昔に、2冊くらい読んだことがあって、佐治敬三さん、カラヤン、眞鍋圭子んとかの経緯のドラマはよく知っていた。

その遠い昔の記憶に基づいていままで書いていたのだが、この黒本には、作曲家や指揮者、演奏家などのインタビューが豊富に掲載されていて、自分がいままで知らなかったことがいっぱいで目から鱗であった。

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サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団、オルガン林佑子で芥川也寸志のサントリーホール落成記念委嘱作品である「オルガンとオーケストラのための響」が初演。それに引き続き、バッハのパッサカリアハ短調BWV582とベートーヴェンのレオノーレ第3番が演奏された。

また、その後の13時30分からは落成記念演奏会としてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏された。

サントリーホール最初の交響曲は第九だった!

ベルリンフィルハーモニー落成式のときのカラヤン&ベルリンフィルによる柿落とし公演も第九だった。

ここら辺は、やはり倣ったという感じなのかな?とは、自分は直感で感じたのだが、その当時の指揮者であるサヴァリッシュ氏はこの黒本のインタビューで、この第九を選んだことをこう答えている。

これは私の強い主張によるものではありません。サントリーの佐治社長が何が何でも「第九」でやりたいということでした。彼自身コーラスの中で歌ったことがあるそうですね。またホール側も「第九」ということでした。この曲は極めて荘厳で力強く、シラーの詩も含めて、民衆に大きくアピールするので、これほどにオープニングのお祝いに相応しい曲はないでしょう。


・・・う~む。当時の佐治社長やホール側からの推薦曲。やはり自分の直感に間違いないようだ。

アーティストのインタビューについては、どれも大変興味深いのだが、やはり小澤さんのインタビューが、自分には面白かった。

世界のオーケストラを指揮しているからこそわかる達観した真実といおうか・・・その一部を抜粋して紹介してみよう。

●世界各地のオーケストラを指揮していて、オーケストラの風土性というのを感じますか?

これは本当にありますね。オーケストラの機能、つまりオケの持っている読譜力とかアンサンブルの実力ですが、この点から言えば、日本のはアメリカやイギリスのオケに近くて速いですね。

ベルリンフィルは現代のものはまったく不得意だと僕はかねがね思っていたのですが、このベルリンフィルは、メシアンといえども、自分たちの言葉にしてしまうんですね。つまり音符を読んで音を出すだけでは、彼らは精神的に満足しない。ただし、彼らはいろいろなおかしな音がするので本当に苦労していましたが、結果はとても面白いものになりました。

ロンドンのBBCは、一番早く音符を読んだですね。やはりそういうことに慣れていますから。だけどその音楽は、ベルリンフィルほど深いものではなかったと思います。

それからボストンも譜読みには慣れていますね。ボストンにしてみれば、メシアンといっても特別な現代曲ではなく、もう日常なものといった感じです。

日本のは技術的に完璧で、しかも素直に音楽に入っていました。ベルリンフィルのように自分たちのものにして出そうという深刻な面はありませんが、曲にのめり込んでいるのです。

たとえて言うと、ベルリンフィルは苦しんだあげくに自分の言葉にしているが、ロンドンは器用で頭の回転が速い。ボストンは機能性はすごく高いが本当の深みには欠ける。コーラスも同じことで、日本とボストンは大変に努力してあの難しい曲を暗譜していましたね。



メシアンに関して長々としゃべっちゃったけれど、3週間くらい前にスカラ座で指揮をしてね。彼らの気質や考え方がまるで違うのには驚きました。まず第1にイタリアの音楽に対する絶大な自信といったものがある。極端に言えばイタリア以外の音楽はそれほど大事じゃないかもしれない(笑)。

第2に彼らのつくる音楽は横の線、つまりリズムの線やハーモニーの線が大事だと習ってきたんですが、彼らは横が大事なところになってくると生き生きして、縦が肝要なところでは苦しみながらやっている。縦に弱いんですね。

5年ほど前にパリで「フィデリオ」をやったときも、フランスのオケは横の線指向でした。

そこへゆくと、アメリカやイギリスのオケは縦と横のバランスがとれてますよ。

ドイツはやっぱり縦を大事にしますね。しかしウィーンとかベルリンとかミュンヘンのいいオケは、縦の線を大切にしながら、横のほうも納得のゆくまでやるという良さがありますね。


●海外で指揮をしているとき、日本的だな、と自分自身思ったり思われたりすることありますか?


あるようですよ。たとえばR.シュトラウスの曲で「英雄の生涯」。

僕なんかがやると、それぞれの声部がはっきり聴こえるようにやっちゃうわけですよ。1本の太い線の音楽、いわゆる太書きしたようなものはいやなのね。ところがシュトラウスの場合は、いろいろな声部がうんと重なっているので、ある程度のところまでいくと、声部をはっきりさせるというのは不可能になってしまう。そういうところで苦しみながらやっているわけ。

あるドイツの指揮者なんか、初めから太書きするつもりでいますから、苦しみがないんですよ。
シュトラウスもあれだけ書くには苦しんだと思うんです。それを指揮するほうも、やっぱり苦しんでやって、それでどこかの声部が聴こえなかったら仕方がないという方式でやりたいと思うんですね。そうすると日本人だからきめ細かくやったと言われるんです。

ベルリンでマーラの第1番を初めてやったときは、細かく合図を出し過ぎて、何もあんなに指示を出さなくてもいいのじゃないかと言われたこともあります。それだけに、指揮者というものは太書きの音楽を作ったほうがいいという批判は受けますね。

そして僕も細書きから次第に太書きに変わってきたと思いますね。



あくまで抜粋ですが、さすが深いなーと思いましたね。

後半は、「建ものと、その周辺」ということで、ホール建設のことと、永田先生による”響き”に関する若干の前置きについて、そしてサントリーホールの音響設計について書いてみます。

日記としては別途分けます。

ここは、まさに自分の興味の多い”本命”の所ですので、大変興奮しました。





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小澤さんの勇姿を顧みる 後編 [クラシック指揮者]

小澤さんの勇姿を観たい。急にふっと思いついたこと。それもまさに全盛のときで、自分にとって思い入れのある公演。

つぎにどうしても観たかったのが、

1999年 ザルツブルク音楽祭・カラヤン没後10年記念コンサート。

ホールはザルツブルク祝祭大劇場。

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この名誉ある公演をカラヤンの愛弟子だった小澤征爾さんが大役を引き受けてウィーン・フィルを相手に振る。 バッハのG線上のアリア、ワーグナーのトリスタンとイゾルテ、ブルックナーの交響曲第9番。

この大舞台で日本人の小澤さんが、まさにカラヤン追悼コンサートを振るというステータスに同じ日本人として、とても誇りを持ったし、なにか熱いものを感じた。

この公演は衛星生中継をNHKが録画して時差再生してTV放映した記念番組。

途中に小澤さんのカラヤンに対する思い出などのインタビューが挿入されている。
これが、またものすごく貴重。小澤さんとカラヤンの師弟関係の想い出がぎっしり詰まっている。
このインタビューが聴きたくて、この公演の録画を重宝しているくらいなのだ。

まず最初はバッハのG線上のアリア。この曲は、もう小澤さんにとっては鎮魂歌。亡くなられた方を偲んで、冒頭に必ずこの曲を演奏する。

松本のサイトウキネンでも東日本大震災を追悼、水戸室の潮田益子さんが亡くなられたときも水戸芸術館で聴いた。

もう自分は何回実演で聴いたかわかんない。


G線上のアリアが終わったら、思わず拍手してしまった観客を、ここで拍手しちゃいかん!と小澤さんジェスチャー。

すぐに楽団員、観客全員起立してカラヤン追悼で黙祷。
この間TV画面ではカラヤンの写真がいろいろ映し出されていた。

つぎにソプラノのジェシー・ノーマンを迎えてのワーグナーのトリスタンとイゾルテから前奏曲とイゾルテの愛の死「優しくかすかな彼のほほえみ」。

ジェシー・ノーマンもカラヤンとは非常に関係の深かったソプラノ歌手。

しかしトリスタン和音の効果というか、この曲本当になんともいえない官能美で切ない美しい旋律なんだろう。人の心をグッとえぐっていくような、うねりみたいなものを感じる。ワーグナー音楽の美しさの極致ですね。

ノーマンも声量豊かで、素晴らしい艶のある歌声で堪能した。

ブルックナー9番。悪くはないが、ウィーンフィルの音色だと思った。艶感はあるが、重厚感という点で、やや腰高サウンド。ブル9には、自分的にはやや物足りないかな?まっこれがウィーンフィルのサウンドと言ってしまえばそれまで。



次に小澤さんのインタビュー(カラヤンについての思い出)。
カラヤンの頭像のある祝祭大劇場内のロビーで。

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(2013年に自分が行ったときに撮影した写真です。写真の中央奥のほうに頭像があります。その手前に小澤さん立ってインタビューを受けていたのかな?) 

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小澤さんが初めてカラヤンを観たのは、確かN響を振っているときで、ドボルザークの「新世界」。
当時川崎に住んでいて、自宅にテレビがなかったので、近所のお蕎麦屋さんで、事前に相談して、そのお店のテレビ放映に合せて来店して、そこで、そのテレビを見て初めてカラヤン先生の姿を観た。

(自分の予想では、N響を振っているときではなく、クルーゾー監督によるスタジオでベルリンフィルを相手に新世界を振っているプロモビデオがあるのだが~白黒でカラヤン&ベルリンフィルの初の映像作品です~それではないか?と思っている。)

カラヤンが自分の弟子の指揮者を決めるコンクールで小澤さんが優勝して、カラヤンの弟子になることができた。

カラヤン先生はとにかく最初のイメージは怖くて怖くてとっつきにくい人だという印象があった。
10年くらいそんなイメージを持ち続けた。

あるときポッと怖くないと思い始めた時期が訪れた。それまでマエストロ・フォン・カラヤンと呼んでいたんだが、ヘルベルトと呼べ、と言われた。こればかりは言ってみたが恥ずかしくてしっくりこなくて、どうも調子が悪かった。

齋藤秀雄先生のことを、秀雄、秀雄と呼んでいるようなもので。(笑)

カラヤン先生は自分のことを死ぬまで自分の愛弟子だと思ってくれた。これは一生の宝。

カラヤン先生から指揮のことを学ぶのだが、カラヤン先生の指揮は普通の指揮とは違うので、すごい心配だったが、じつは基本に忠実だった。オーケストラにとって何が悪かったのか?何が必要なのか?そういった基本的で、しかも実践的なことを、実際のオケを使いながら教えてくれた。


それまで齋藤秀雄先生に基本的なことを学んでいたので、カラヤン先生から学んだのは、長いラインをどう掴むか、ということだった。シベリウスの3番やマーラーの大地の歌を使って、何フレーズも先の、いかに長いラインを先に掴みながら指揮をするか、ということを実践的に教えてくれた。

小澤さんは齋藤秀雄先生の弟子だから、シンフォニーだけで、オペラは教わらなかった。ところがカラヤン先生から、それでは駄目だ。シンフォニーとオペラは音楽家(指揮者)にとって両輪なんだ。

シンフォニーだけでオペラをやらなかったら、お前はモーツァルトの半分も知らない、ワーグナー、プッチーニ―、ヴェルディを分からないで死ぬんだぞ。それでいいのか?

それでカラヤン先生に言われて生まれてはじめてのオペラの指揮は祝祭大劇場でウィーン・フィルで、モーツァルトのコジ・ファン・トゥッテを振った。

これが小澤さんのオペラの初指揮だった。


カラヤン先生は、自己規律がしっかりした人だった。普通の人はお腹がすいたらたくさん食べたりとかするが、カラヤン先生は毎日決められた量だけを食べる人だった。指揮の勉強も、自分だったら公演間近になったら詰め込みで猛勉強するが、 カラヤン先生は毎日決まった時間を毎日続ける。そして公演当日は睡眠を十分に取る、という人だった。

カラヤン先生は、なんかとっつきにくい人、怖い人、傲慢な人とかかなり誤解されていると思う。
本当はものすごいシャイな人だった。

公演終了後、観客にカーテンコールをしないで、燕尾服着替えないで、そのまま奥さんと車に乗って家に帰ってしまう、というような人だった。カラヤン先生と話をしたいときは、その車の中にいっしょに乗って話すしかなかった。

でもその日の自分の公演の話は絶対にしたがらなかった。それはある意味知られざるタブーなことでもあった。公演以外のこれから何を食べるとか、そういう差しさわりのない話が良かった。

自分が指揮した公演をカラヤン先生が観に来てくれたことが何回もあるが、そのときに後日、征爾、あのときのこの場面はお前の指揮が悪かった、この場面はオケが悪かった、ここはこうするべきとか、本当にもの凄い細かなところまで覚えていて、凄い 記憶力だと思った。そのときの実際指揮している自分が驚くぐらいだから。

カラヤン先生はそのときはすでに高齢だったはずで、それなのにあの記憶力は本当に驚いた。



この1999年のカラヤン没後10周年記念コンサートとしては、そのときの音楽監督であったクラウディオ・アバドもベルリンフィルを振って、カラヤンの追悼ミサがおこなわれたザルツブルク大聖堂でコンサートをやっているのだ。

その映像素材ももちろんある。モーツァルトのレクイエムなどが演奏された。あのスウェーデン放送合唱団も参加という贅沢な布陣。


つぎに観た記念すべき公演は、

・1986年ベルリン・フィル サントリーホール柿落とし公演(小澤征爾指揮)

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東京初のクラシック音楽専用ホールとして1986年にオープン。これまた初の試みであった民間企業(サントリー)によるホール造りは当時大きな話題になった。

ベルリンフィルフィルハーモニーを参考にして作られ、その設計の際はカラヤンのアドバイスがかなりあったと言われている。(ワインヤード方式を採用したのもそのひとつ。)


サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団、オルガン林佑子で芥川也寸志のサントリーホール落成記念委嘱作品である「オルガンとオーケストラのための響」が初演。それに引き続き、バッハのパッサカリアハ短調BWV582とベートーヴェンのレオノーレ第3番が演奏された。

また、その後の13時30分からは落成記念演奏会としてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏された。

サントリーホール最初の交響曲は第九だった!

ベルリンフィルハーモニー落成式のときのカラヤン&ベルリンフィルによる柿落とし公演も第九だった。

ここら辺は、やはり倣ったという感じなのかな?

サントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラムは、通称”黒本”と呼ばれ、マニアの中では貴重な存在。

先日中古市場で見事ゲットした。

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これについては、また別途日記にします。

そして、カラヤン&ベルリンフィルによる最初のこのホールでの来日公演。

当然話題になるのは当たり前。ホール建設のアドバイザーでもあったカラヤンを招聘するのはひとつの目標、けじめでもあった。

しかし来日直前にカラヤンは急な風邪でキャンセル。自ら小澤さんを指名。

急遽、愛弟子の小澤さんが振ることになった。

そのときの公演の模様である。

小澤さんはコンサート後の「ベルリンフィルお別れパーティ」で、演奏会の途中(英雄の生涯)で第1ハープの弦が切れたことを聞かされビックリした様子だったが、ハープは即座に弦を張り替えて無事ソロ演奏を終えていたので「よかった」と相好を崩したそうです。

このベルリンフィルによる柿落とし公演の演目は、シューベルトの未完成と、R.シュトラウスの英雄の生涯。

開演前に、いまの皇太子さま(若い!)が来場。天覧コンサートとなったようだ。

TV画面に映っている聴衆は、ほとんどが正装のように感じた。

幕間に、眞鍋圭子さんによる団員やステージマネージャーへのインタビューがあった。眞鍋さんについては今更説明の必要はないだろう。サントリーホール設立に至るまでじつに大きな役割を果たし、カラヤンの日本とのパイプ役・マネージャー的存在でもあり、その後長年ホールのエクゼクティブ・プロデューサーとして活躍していらっしゃった。

さすが!ドイツ語じつに堪能でいらっしゃいました!

もうひとつNHKのアナウンサーは清水圭子さん(記憶にある。いまはどうなされているのかな?)だったのだが、日本人として初のコンサートマスターになった安永徹さんにインタビュー。ベルリンフィルのコンマスの重責と、後半の英雄の生涯のヴァイオリン・ソロ(当然安永さんが弾く)はじつは女性の役割ということを説明していた。(シュトラウスは多くのヴァイオリン・ソロを書いているが、大半は女性だとか。)

公演は素晴らしかった。特に英雄の生涯は、自分のマイカテゴリーといえるほどの大好きな曲で、この雄大でスケール感の大きい大曲を久しぶりに聴いて感動した。

小澤さんも汗びっしょり。やはりこれだけの大曲を指揮すると、終演直後では興奮が冷めやらず、笑顔になるまでかなりの時間があった。

いままで観てきた小澤さんは、いずれも汗びっしょりかく。やはり健康体の時代だったんだな。

大病を患って、体が思うように動かない現在では、なかなか汗をかくまでの熱血指揮ふりは見れないような気がする。

汗びっしょりの小澤さんを観て、なんとも言えない久し振り感があった。

以上が小澤さんの若き頃の勇姿を楽しんだ映像素材。思いっきり溜飲を下げた。



他にとてもよかったのが、1996/10/17のアバド&ベルリンフィルのサントリーホール来日公演。

マーラー交響曲第2番「復活」

まさにキラーコンテンツ!
この曲は、いままでもう数えきれないくらい聴いてきているが、その中でもこの公演は3本の指に入る名演だと思う。

いま観ても感動する。

特に合唱の世界では世界最高の合唱団との呼び声高いスウェーデン放送合唱団が帯同し、話題になり、この公演で日本での知名度を一気に上げた。

この日の公演では、他にエリック・エリクソン室内合唱団との合同スタイルであった。

アバドは、自分の在任期間中、このスウェーデン放送合唱団を厚迎していた。



友人のお薦めは、

ジルベスター:1995,1996,1997(この年は最高らしい),1998
ヴァルトビューネ:1996(アバドのイタリア・オペラ)
ベルリンフィル定期公演:1996(マーラー2番)、1996(レバイン)

今度またの機会にゆっくり観ましょう。


またドキュメンタリー関連、お宝映像などが面白い。


・佐渡さんとベルリン・フィルとの「情熱のタクト」
・アバドのハーモニーを求めて
・安永徹と中村梅雀対談
・ソニー大賀典雄「ドイツ音楽の夢」
・黒田恭一「20世紀の名演奏」
・カラヤンの音楽三都物語~ザルツブルグ・ウィーン・ベルリン

個人的には、大賀さんのドキュメンタリーが一番感慨深かったと同時に凄いスーパーマンだな、と改めて驚嘆してしまった。

あと佐渡さんとベルリン・フィルとのファースト・コンタクトの場面。指揮者があるオーケストラに客演するとき、上手くいくかどうかは初対面の日の最初の30分で決まる!まさにこのファースト・コンタクトで決まってしまうのだ。

ベルリンフィルのメンバーから、樫本大進を通じて、どういう音が欲しいのか明確に示唆してほしい。我々はその望み通りの音を届ける、とダメだしされてしまう。改めてベルリンフィルの怖さを感じてしまった。(笑)

なんか観ているほうで緊張してしまって、昔自分が塾の講師のアルバイトをしていた頃を思い出してしまった。

黒田恭一さんの番組はさすがにあの明朗でわかりやすい解説がとても懐かしかった。日本いや世界中でアンチカラヤンブームが巻き起こったときにも中立の立場でカラヤンを評価してくれていた唯一の評論家であった。

大賀さんのドキュメンタリーと、カラヤンの生涯ドキュメンタリーでは、モーツァルテウム音楽院大ホールの魅力に執りつかれてしまった。ぜひ行ってみたいホールだと確信した。 その内装空間の美しさもさることながら、観客がまったくいない状態での音響ではあるのだが、あまりにも素晴らしいピアノの音に、アナログの古いメディアの音で、昔の番組という次元を通り越して、その素晴らしさを感じ取れた。

これを観たことがきっかけで、2013年のザルツブルク音楽祭に行くことを決めた。
そして、このモーツァルテウムを体験できた。

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そんなからくりがあった。



まだまだ観ていない素材は、たくさんある。
これだけのライブラリー、全部制覇するのは大変、いったいいつになることやら・・・

大変長文の日記で、とりとめもなく書いてきたが、改めてこのライブラリーを作った友人に感謝しつつ、筆を置くことにしよう。







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小澤さんの勇姿を顧みる 前編 [クラシック指揮者]

いま病気療養中で長期お休みをいただている小澤さん。もちろん予定されていた公演もすべて降板キャンセル。残念なことだが、早く良くなってまた復帰してほしいもの。そんなことがふっと頭をよぎり、小澤さんの若かりし頃の勇姿を映像で観てみたい、と急に思いついた。

これは例によって、急に思い立つことなので、いつもの通り、自分でも予想できません。(^^;;


2,3日前から無性に小澤さんの若き頃の勇姿を観たい衝動に駆られ、ガムシャラに観まくって日記も書いた。(とくにカラヤン先生とのこと)

そういった自分の突然の思いつき、胸騒ぎがハッピーなことでよかった!
25日、各新聞発表の記事。 

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「小澤征爾さんは3月2日に大動脈弁狭窄症と診断されて入院。4月上旬に手術を受け、10日に退院。現在は自宅療養中で、夏の8月、9月長野松本市での音楽祭「セイジ・オザワ松本フェスティバル」で活動を再開する予定ですすめている!」

よかった!自分が心配していたのは、大動脈弁狭窄症という心臓の病気。ちょっと素人では事のシリアスさを十分把握できないため、余計に不安を募らせた原因だった。


とにかく自分の考えたこと、ふっと突然思いついたこと、行動などが、なぜか周りの事象とシンクロしちゃうんだよねー。(^^;;

2年前あたりから意識するようになったんだが、こればかりは、自分で意図できることではないし、どうしようもできないことなのだ。

だから、今回も不安に思った。なぜ?急に小澤さんのことを考えたんだろう・・・?と。
もしや?なんて心配したわけだ。

自分は、やっぱりハッピーなことを予知する専門でいきたいです。(笑)


小澤さんの若い頃の勇姿を顧みる。

それも最近のサイトウキネンのコンサートとかではなく、ちょっと自分特有の変わったコレクションにて実行してみたいと考えた。

前職時代の友人が、1984年~2006年に渡るNHKのクラシック番組を、家庭用記録メディアにコレクションしていたものを、永久保存版としてそれらの映像素材をデジタイズしてBD-Rに一斉にダビングして整理しようという「VHSダビングプロジェクト」をやってくれたのだ。

いまから7年前の2011年のこと。

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ご存知のように家庭用記録メディアはアナログテープからディスクへと記録フォーマットがどんどん変遷していくので、その時代に応じた記録フォーマットで録画して保管してあった訳だ。

友人のご好意により、そのライブラリー全てをダビングして譲ってくれるというのだ。

大変貴重なライブラリー。

市販ソフトでは手に入らない貴重な素材ばかり。

簡単にダビングというけど、今でこそHDDなどから32倍速、64倍速などの高速ダビングで短時間でダビングすることが当たり前になっているこの時代に、アナログテープからダビングするということは、120分の番組を録画するのに、そのまま120分かかるということなのだ!!!

アナログテープのライブラリーは、ED-β,Hi8,VHSとあって、合計80本くらいあった。その他にもLD,VHDなどの市販ソフトからのダビングもあった。

いまでこそ、DVDなどのアナログ出力はマクロビジョンがついていて著作権対策でダビングできないようになっているのだが、当時のLD,VHDにそのような発想はなく、アナログ出力からダビングし放題な訳だ。いまはもう映像機器としてアナログ出力は出していないんじゃないかな?

写真のように全部で24枚のBD-R (記憶容量25GB)。1枚のBDに4番組くらいは入っているから、96番組のライブラリーになる。



しかも1枚1枚に、このようにカラープリンターでラベリングされている。
これもディスクの中身をいちいち再生して確認してはラベリングという凄い重労働だと思う。見てください!この細かい詳細なラベリング。

恐れ入りました。

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友人にはひたすら感謝するしかない。


この録画ライブラリーも大半はベルリンフィル、ウィーンフィルの番組。ベルリンフィルの3大コンサートであるヨーロッパ/ヴァルトビューネ/ジルベスターのコンサートも毎年すべて録画されている。あと90年代のベルリンフィルの定期公演やウィーンフィルのニューイヤーコンサートも網羅。ザルツブルグ、ルツェルンの音楽祭関連やドキュメンタリーももちろん。

こういったコンサートで実際の市販ソフトになっているのは数が限られていて、しかも廃盤になっていたりするから、この毎年のライブラリーは本当に貴重な財産だと言える。

もっと貴重だと思ったのは、ドキュメンタリー関係が充実していること。
ふつうのNHKの番組でドキュメンタリーとして造られた特別番組だったりするから、よっぽどのことがない限り、絶対市販ソフトにはならない。

たとえば1989/7/16 カラヤンが死去したときのNHKニュースセンター9時(キャスターは木村太郎さん)の生映像をはじめ、テレビ朝日のニュースステーション(キャスター久米宏さん、若い!)とか、カラヤン死去ニュースを片っ端からはしごで録画。(笑)

若かりし頃の小澤征爾さん、安永徹さんのコメントも映っている超お宝映像だ。
これを持っているのは自分しかいないと自負していました。(笑)

やはり巨星カラヤンが死去したときのクラシック音楽界への衝撃は大きく、NHKが盛んにカラヤン特集を急遽制作したのだ。



1989/7 栄光の指揮者カラヤン&カラヤン懐かしの日本公演。
1989/7 帝王カラヤン氏逝く。

1989年7月16日に自宅で急性心不全で亡くなったカラヤンは(ソニー大賀さんとの商談中に起こった)、翌17日午後9時半には、11人の手によって、アニフの教会に埋葬された。

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ザルツブルク郊外にあるアニフの教会、自分も2013年にザルツブルク音楽祭に行ったとき、アニフに寄ってカラヤンのお墓詣りをしてきた。

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本人の希望により、これだけの偉人にしては、じつに質素なお墓であった。
もう一度行ってみたいな。


カラヤンの訃報に対して、やはり日本人指揮者として、代表でインタビューを受けるのは、当然小澤さん。

その若かりし頃の小澤さん(当時はボストン響の音楽監督)のインタビューをずっと観ていた。

カラヤン先生は、とにかく音楽家、指揮者として本当に素晴らしい人だったんだけれど、晩年は帝王とか、楽団員とのイザコザとか、本来の先生の素晴らしいところとは別のところで話題に上がっていたのは、なんとも残念だった。

とにかく最初はとてもとても怖い人だと思って、全く近づけなかったのだけれど、一度中に入ってしまうとメチャメチャ暖かい人だった。

カラヤン先生から学んだことは、オーケストラの基本は弦楽四重奏。そこから弦メンバーの数増やして、木管、金管などの管楽器、そして打楽器など、どんどん増えていってイメージを膨らませることが指揮者にとって重要、それが指揮をするためのひとつの手法なんだ。

これは後の小澤さんが始める小澤奥志賀国際アカデミーへとつながるんですね。

カラヤン先生はよく日本人の指揮者で自分がいいと気になる人がいたら、かならず僕(小澤さん)のところに連絡をよこすんだよね。

「征爾、〇〇知っているか?」当時の高関健さん、小泉和裕さん、山下一史さんとか。当然知っているんだけど、先生は、誰それは、こういうところがいい、とか事細かく小澤さんに話してきたのだそうだ。


カラヤン先生は、いわゆる独特の指揮法で、みんなすぐに真似をしたがるんだけれど、それは全くダメ。指揮はやはり自分のスタイルを確立すること。僕はカラヤン先生、斎藤秀雄先生の両方から指揮を学べたので、本当にラッキーだったとしかいいようがない。

こんなことを小澤さん、インタビューで話していました。


上の急遽制作されたドキュメンタリーでは、カラヤンの訃報がちょうどザルツブルク音楽祭の開幕直前だったこと、そしてこの音楽祭はまさしくカラヤンとともに、育ってきた音楽祭と言ってもよかったので、そのザルツブルクで急遽取材。音楽祭がまさに開かれているその最中で、正装した紳士淑女たちに、インタビューしていた。



ひとつの大きな時代が終わった。
すぐには彼に相当する後任は出てこないんじゃないか?

晩年は、人間性を疑われるような傲慢な面も報道されていたので、特別な感慨はない。

彼がいなくなって、音楽祭の品位の高さが失われるんではないか?

後任は誰だと思う?

オザワと答えたのが、日本人を含め、2人いた。(^^)
あとはアバド、ムーティ。

クライバーもいいけど、彼は気まぐれだからダメね。

マゼールが適任だと思います。

音楽祭の観客は、意外にも冷静に受け止めているような感じがした。


自分が小澤さんの勇姿を観たいと漠然と思ったのは、

1989年ベルリン・フィル ジルヴェスターコンサート(小澤征爾指揮)。

あの小澤さんのオルフの「カルミナ・ブラーナ」。このジルヴェスターの公演も最高なのだが、前年の1988年、小澤さんが日本から晋友会という、まあいってみればアマチュアの混声の合同合唱団を率きつれてベルリン・フィルハーモニーホールへ乗り込み、ベルリン・フィルの定期演奏会でカルミナ・ブラーナを披露しちゃったという逸話付きの演奏会なのだ。


合唱のような大所帯を海外遠征に引き連れていくというのは、その経費含め、じつに大変なこと。

この晋友会というのが半端な合唱団ではなく、もう、ベルリナーを唖然とさせるくらいのすばらしい合唱団だったのだ。 わざわざ小澤さんが晋友会全員を連れていったというのが頷けるという。。。

合唱を現地メンバーで賄えば、それで済む問題だったのかもしれないが、そこを敢えて日本人合唱団で押したことに、現地ベルリンでの晴れ舞台での、日本人としての心意気を観た感じがした。

これぞ日本のレヴェルを世界にアピールした晴れ舞台という感じで誇らしかった。

このときのソプラノが、エディタ・グルベローヴァだというから、尚更自分にとって感慨深い。

この1988年の定期公演のCD、当時収録されていて、いまも発売されています。 



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カルミナ・ブラーナ 小澤征爾&ベルリン・フィル、
晋友会合唱団、グルベローヴァ、他

http://urx2.nu/JG1S

もちろん翌年の1989年のジルヴェスターでもこの晋友会を引き連れて乗り込んでいて、このオルフのカルミナ・ブラーナを披露している。このときは、ソプラノはキャサリーン・バトルが務めている。

今回観るのは、このジルヴェスターの映像素材。


この公演以来、小澤さんはベルリンフィルのジルヴェスターとは遠ざかっていて、2010年にチャンスが1度あったのだが、ご存知食道がんでキャンセル。

いやぁ、このカルミナ・ブラーナ。まさに合唱のための曲ですね。
最初から最後まで合唱ずっと大活躍!

1番最初の「全世界の支配者なる運命の女神」は、誰もが知っているあまりに有名なフレーズ。
ゾクゾクっとする。

この当時、つまり1980年代後半って、まさに自分の青春時代。日本が絶好調のバブリーな時代だった頃。晋友会の合唱団は、ずっとカメラアップされて映るんだが、女性陣はみんな当時の聖子ちゃんカット(笑)、男性陣も当時の髪型ファッション、明らかに今とは違う違和感、あの当時の世相を表していたよ。

懐かしく見てました。

21番目のフレーズの「天秤棒に心をかけて」のソプラノ・ソロ。

これもあまりに有名な美しいソロ。キャサリーン・バトルの美声に酔いました。
彼女は決して声帯が広くて声量豊かとは言えない歌手かもですが、やはりディーヴァとしてのオーラが際立っていた。

やっぱり華形スターだ。

最後のカーテンコールでも晋友会への拍手はひと際大きかったです。

まさに小澤さん全盛のときの指揮振りですね。
このときはタクト棒を持つスタイルでした。

この公演を観ることで、今回の自分の本懐を遂げられたと言ってもいい。

でもまだまだこれからなんですよ。



つづく


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札幌のクラシック音楽と舞台芸術に関する専門誌を創刊したい! [クラシック雑感]

幼少時代から大学時代まで過ごした北海道。いまも夏休みと年末年始は北海道に帰省する・・・ 自分にとって、いわゆる実家のある土地。その北海道・札幌で、

「札幌のクラシック音楽と舞台芸術に関する専門誌を創刊したい!」

というムーヴメントが立ち上がった。

FBで、その投稿を知ったときは、なんともいえない衝撃と感動を受けてしまった。
自分のアンテナにビビッとくるあの感覚。

ある意味盲点でもあった。
いいところに目をつけたなーというのが自分の素直な印象。
本当に素晴らしい!としか言えない。

もちろん応援していきたい!

わが故郷で、クラシックを啓蒙するためのメディアが立ち上がるなんて、なんか夢がありすぎる。
そこには、自分の故郷という点、そして自分の人生の生きがいの支えでもあるクラシック音楽が融合した、そんな自分の心の琴線を、思いっ切り刺激するようなそんな響きがあった。

興奮で、乱文となりそうになる前に(笑)まず大事な要点をピックアップしてみる。

●プロジェクトを立ち上げたのは、2018年が札幌の文化芸術にとってメモリアルイヤーになること。

今年は、札幌で毎年開催されている、世界の若手音楽家を育てる国際教育音楽祭・PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の創設者であるレナード・バーンスタインの生誕100周年にあたること。


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PMF

さらに、10月には北海道初のオペラ専門劇場である札幌文化芸術劇場hitaru(札幌市民交流プラザ内)のオープンも重なる。


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完成イメージ図

この大きなビッグイヴェントが2つ重なることで、ぜひ地元札幌を盛り上げていきたい!

これが第1の目標。

●札幌にはこの地域のクラシック音楽を紹介する専門誌が存在していない。
 こうした既存コンテンツの魅力をわかりやすく発信していく。

札幌といえば、自分がすぐ思いつくのは、札幌コンサートホールKitara。ここではまさに地元札響(札幌交響楽団)のフランチャイズはもちろんのこと、首都圏レヴェルの招聘によるコンサートもかなりの数に及ぶ。

もちろんKitaraだけではなく、札幌には素晴らしいホールや劇場、また地元企業の文化事業が多数存在しているにも関わらず、十分に認知されているとは言えない状況なのだ。

たしかに実家に帰ってテレビを眺めていたりすると、さかんにTV CMでKitaraの公演の宣伝をやっているのを目にする。北海道民にとって、TV CMの効果って大きい、これでどういう演奏家が来てどういう演目をやるのかがわかる。

でもそれってKitaraだけの話なのだ。それ以外のホールはお目にかからない。
それも単に公演の告知、宣伝だけだ。それに対して、コンサート、奏者に関する深い見識なんかが網羅されれば全然存在感が違ってくる。

さらに今度新たにオペラハウスhitaruがスタートすれば、相乗効果も大きい。

そんな活動、もちろん宣伝含め、あらゆる方面と連携して、こうした既存コンテンツの魅力をわかりやすく発信していく。。。これが第二の目標。


ずばり、

「さっぽろ劇場ジャーナル」




すでに準備号を創刊中で、6月発売を目標に進めている。内容は札幌で開催されるコンサートやオペラの見どころ聴きどころの紹介、そして上半期に終了した主要イヴェントの批評を掲載していく。

製作したジャーナルは、コンサート会場での配布ほか、ホール、楽器店、音楽教室などの配置を含め、計画中。

もちろん印刷媒体だけではない。Webサイトの開設も視野にあって、独自のサイトを持てば、紙面での限界を心配することなく、より深く詳細な記事を楽しめるような仕組みも作れるわけだ。

そしていずれは、地元札幌だけではなく、全国に発信できるジャーナルとなることを目標としている。

うれしい、というか、なんかワクワク、ドキドキしてきた。(笑)

今回のこのプロジェクトを立ち上げたのは、

藤女子大(北大の近くにあります)およびミュージック・ペンクラブ・ジャパンに所属している多田圭介さんと、札幌大谷大学学長の高橋肇さん。


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左:多田圭介さん、右:高橋肇さん



多田さんの投稿と紹介で、このプロジェクトの存在を知った。

多田さんとは、5年前からFBのほうでクラシック音楽仲間として友人でつながっている。
いまは藤女子大だが、つい最近まで北大のほうで勤務されていて、自分の後輩にあたる。

大学での研究、教鞭は、哲学・論理学の研究。もう一方で、音楽評論家、音楽ライターとしても活躍していて二束のわらじでの大活躍なのだ。

まさに修士・博士課程に至るまで、いろいろな大学で勉強されている。その中でも音楽大学にも在籍、勉強され、音楽学をはじめ、クラシック音楽の研究をしていた。


多田さんがスゴイと自分は思ってしまうのは、北海道・札幌に住んでおられながら、首都圏のこれは逃せない!というキーになるコンサートは、必ず上京して、東京のコンサートホールをハシゴして聴かれていることなのだ。


それも頻繁に!

札幌⇔東京の航空券代を知っている自分としては、これってじつに凄いことなんですよ。
多田さんが来京する回数、度合いからすると、ひたすらすごい熱意としか思えない。(笑)

もちろん音楽ライターとしてのご職業でもあるので、交通費としての社費なのかもしれないが、そんなことを詮索する必要もなく(笑)、とにかくいつもすごいなーと思っていた。

もちろん交通費だけではない。ホテル宿泊代とか雑費含めるとかなりの額になる。
自分も似たような境遇なので、そこら辺の事情がよ~くわかるのだ。

もちろんコンサート評は、専門誌のミュージック・ペンクラブ・ジャパンに寄稿されるのだが、FBの友人に対しても、そのコンサート評を投稿してくれる。


ミュージック・ペンクラブ・ジャパン
クラシックコンサートレビュー 2018年4月号

http://www.musicpenclub.com/review-c-201804.html



さすが音楽大学で専門に音楽学を学ばれているだけあって、スコアリーディングに基づいた、かなり専門的な解析手法で、ちょっと一般素人評とは一線を画す格調の高さと専門性を感じる。


多田さんに関しては、その専門性の高い論評と、交通費(笑)で、とにかくクラシックが本当に大好きで真の熱意を感じる好青年という印象なのだ。

そんな多田さんが、今回のプロジェクトの発起人で、「さっぽろ劇場ジャーナル」を立ち上げるという相談をいただいたときは、北海道というシンパシーと、5年をかけて蓄積された信頼で、もちろん応援していくことが必然の道筋というもんだ。

またこれだけ首都圏のコンサートもしっかり自分の眼、耳で確認しているわけだから、その記事を取り上げる”時”や”タイミング”への嗅覚や、そのコンサートそのものに対する価値観、見識の深さも適格者だろう。

もちろん首都圏のクラシック業界・メディアとのパイプも豊富で、今回の責任者としては、もっとも最適任者だと自分は確信しています。


自分にとって、札幌のクラシックコンサートといえば、やはり札幌コンサートホールKitara。

ここはとても素敵なコンサートホール。大ホールではオルガンコンサート、小ホールではピアノリサイタルを経験したことがある。

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大ホール

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小ホール

大ホールの中に入ると、その内装空間は、なんかどことなく東京赤坂のサントリーホールに似ているのだ。

Kitaraのほうが、曲線美というか丸みのあるデザインなのだが、でも全体に視覚に入ってくる配色カラーリングのセンスとか、全体から受ける印象が、すごくサントリーホールに似ている。

北海道の木材がふんだんに使われているそうで、木のホール独特のやわらかい響きがする。
ここのホールの音響の良さは折り紙つきで、絶賛するクラシックファンの方はかなり多い。

ある意味、サントリー時代から、その設計手法も進化した証拠なのだろう。


音響設計は、永田音響設計のご存知、豊田泰久さん。

どうりでサントリーに似ていると思った。(笑)

Kitaraの方が天井が10m高く1席当たりの空間が1.5倍デカいそうだ。前から後ろまでクリアな音。
実測周波数特性は他のホールと違って、「ど・フラット」な驚異的な音響特性だそうです。(笑)

自分は、残念ながらKitaraで大編成のオケを聴いたことがない。
このホールで札響を聴くことが、自分の究極の夢。

いつも夏休み、年末年始に北海道に帰省するのだが、なぜかこの期間は札響、お休みなんですよね。いや札響が休みというより、Kitaraが休館お休みで公演入れてないみたいな。いつもKitaraの公演カレンダーを見て判断しているので・・・。

この夢が成就するのは、いつのことになるだろうか?



さて、ここでこの記事を読んでいただいているみなさんに、ちょっとしたお願いがあります。
いつも拙稿を読んでいただいて、本当にいつも感謝しているのですが、その皆様方に今回のこのプロジェクトを支援していただけるとこれ以上にない幸せを感じます。



今回のこの「さっぽろ劇場ジャーナル」創刊に向けて、ファウンド(資金)を集めている最中です。
もちろん各方面からのスポンサー探しも必須でやっていますが、一般市民、ファンの方々からも有志の心ある方に期待しています。

今風のファンウドの仕方で、クラウド・ファンディングという手法になります。


目標額は第一目標60万で、現在は見事その額をクリアできたようですが、もちろん資金は多いに越したことはありません。

そこで、さらに第二の目標を80万に設定して邁進中です。(笑)

皆様の都合に合わせて、その心遣いだけでも十分。5000円コース/10000円コースなど。0円からの支援というのもあります。もちろん支援していただいた方には、できあがったジャーナルの配布などキックバックもあります。


詳しくは、こちらからになります。

https://readyfor.jp/projects/Sap-theater-J



岐阜県のオルガン建造家 辻宏さんが、スペインのサマランカ大聖堂のパイプオルガン「天使の歌声」を修復する費用3000万円を都合するために、ファンディングしたのを思い出しました。このわくわく感。(笑)

やっぱり夢の実現には、先立つものが必要ですね。
現実の世界に引き戻される瞬間です。(笑)

でもその目指しているところが実に理にかなっていること、そして多田さんへの個人的な信頼も含めて、応援していきたいと思った次第です。


私からも、どうかよろしくお願い申し上げます。






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マリア・ジョアン・ピリスに”さようなら” [クラシック演奏家]

現役で最も高く評価されているピアニストの1人のマリア・ジョアン・ピリスが引退する。日本のファンの方々へのお別れコンサートとして2018年4月に日本を訪れてくれているのだ。

ピリスは、自分にとって縁があるピアニストだと思う。ここ5年の間にサントリーホールと横浜みなとみらいで、ラストの今日を入れて3回もリサイタルの実演に接することができた。 

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ピリスの魅力って、スター演奏家とは思えない、飾らないとても素朴な人柄。彼女のステージ衣装なんてそれを最も端的に表していると思う。

ある意味とても地味。ドレスのような原色キラキラ系とは程遠いモノトーンなダーク系のシンプルな衣装。彼女自身が紡ぎ出すイメージは、とてもシンプルで、ある意味俗世からかけ離れたような素朴なもの。

でもその全体のシルエットは、やはりピリスだけが醸し出すオーラで誰も真似できない彼女独特の強烈な個性を表しいると思う。

音楽への考え方、ピアノへの取り組みの姿勢はある種、求道的とさえ思えるところがある。
それは彼女の残してきた数多の作品において、色濃く投影されている。

自分は彼女の作品の中では、モーツァルトとシューベルトのソナタをとても愛聴していた。
彼女の作品の中でもベストだと思っているし、そんな彼女のイメージがそのまま感じ取れるような気がするからである。

だから、お別れコンサートのときは、そのモーツァルトとシューベルトの演奏の日を選んだ。

ピリスは、DECCA,Eratoなどいろいろ渡り歩いたが、1989年にDGに移籍し、専属アーティストとして契約してからは、膨大な録音をDGに残してきた。自分的にはDGのアーティストというイメージが圧倒的に大きい。そのDG時代のコンチェルト、そしてソナタなど作品は、BOXセットになっている。

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今回のお別れコンサートは、4/8の岐阜でのサマランカホールを皮切りにスタートしたのであるが、その数日前に、そのサマランカホールでとても興味深いイヴェントが開催された。

マリア・ジョアン・ピリスと日本の若きピアニスト6人による4日間にわたる滞在型ワークショップ「パルティトゥーラ in 岐阜」。

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(C)Toshihiko Urahisa


単なるピアノ・レッスンではなく、ピアノを弾くとはどういうことか?心と身体をどう音にするか?からはじまり、音楽とは何か?ピアニストとして生きるとは?を、世界を代表するピアニストとともに暮らし、食べ、話しながら考え、学ぶというプロジェクト。

まさにピリスと寝食を共にし、これらのテーマをピリスからダイレクトに学び取っていくというプロジェクト。

サマランカホール音楽監督の浦久俊彦さんが、就任1年目にしてどうしても実現させたかったプロジェクトでもある。

今回の日本ツアーを最後に引退を表明したピリスのライフワークであるこのプロジェクトを日本ではじめて実現するために、岐阜県では一年間にわたる準備を重ねてきたのだそうだ。

そこにピリスの引退の理由があるように思えた。
こういう活動を、彼女はその後の人生でやっていきたいのだ。それをライフワークにしていきたい。


教育家としての彼女は、いままでも世界各地でマスタークラスを主宰していて、フランス語と英語によって指導を行ってきた。

ポルトガルの地方における芸術センターの振興についても取り組んでいる。

そして大の親日家でもある。

だから、演奏家としての活動は引退するけれど、教育活動は今まで通り今後も継続というスタンス。



去年の秋頃に、突然流れてきたピリスの引退の噂。
まだ70歳代なのに早すぎる。どうして?なぜに?という気持ちは当然あった。

真偽のほどはどうなのかな?と思うところもあるのだが、こんな噂もあった。

もともと田舎で隠遁者のような生活をしていて、ビジネスに飽き飽きした、というようなことがあるらしい。ビジネスの世界との相性については、よろしくないとか。

加えて彼女は大勢の取り巻きに囲まれて暮らしていて、海外にもいっぱい人が付いてくる、とか、子どもたちを連れて集団で移動する、とか、若手ピアニストと一緒の舞台で演奏したりとかもしている。

それはもうビジネスする側とすればとても大変なこと。若手にとってはいいチャンス、かもしれないが、多くの聴衆はピリスを聴きたいのであって、ビジネスとして成立しづらい。

ピリスが若手と出てきても、現実問題、チケットは売れない。多分、誰が手がけても売れない。それもまたピリスがビジネス界とそりが合わなくなった一つの要因なのかもしれない。

アルゲリッチも取り巻きに囲まれて暮らしているので、その点似ているのだが、アルゲリッチの場合はそもそもパリとかブリュッセルとか、こちらから会いに行きやすい大都会に拠点を構えているし、取り巻きや子供たちを「引き連れて」あちこちに行くことはない。


そこが大きく違う。


眉唾物か本当かは、断定できないが、ピリスの中に”真”としてあるのは、”若手を育てたい”、”残りの人生で若手に自分の持っているものを伝えていきたい”というところにあるのだと思えて仕方がない。

また、ピリスは、”音楽はコンサートホールですべてを表現できるものではない”という晩年のグレン・グールドのような(笑)ことも言っている。

こういう重ね重ねの背景を紐づけていくと、自ずと自分だけを売っていくビジネスとそりが合わなくなって、自分の将来の進む道は”若手への教育”というところに落ち着く、という落し処なのかな、と思ったりするのだ。


サマランカホールでのようなワークショップは、それこそ彼女にとって、ひとつの理想形なのかもしれない。


これは噂に基づいての推測でしかないし、引退の真の理由は、今後も彼女の口から正直に語られることはないかもしれない。


でもそんなことどうでもいいじゃないか!

現に自分は、いままでたくさんのピリスのアルバムを聴いて感化されてきたことは確かだし、実演もラストの今日も入れて3回も経験出来て、自分に縁のあるピアニストとして堂々と自分の中のメモリアルに刻み込まれている。

そんな偉大なピアニストだ。

その最後のお別れに、ここサントリーホールにやってきた。

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久し振りのサントリーホール。話は飛んでしまうが、このホールについて書いておきたいことがあった。2年前の2016年の開館30周年記念事業のときに改めて、そのクラシック音楽界への貢献としてクラシックファンに認識されたこと。

サントリホールのなにが革新的だったのか?

日本のコンサートホールの歴史は、サントリーホール誕生以前と以後で大きく分かれると言っていい。

「すべてはサントリーホールから始まった。」

まさに後に続くホールは、そのほとんどがサントリーホールの影響を受けたと言っても過言ではない。

その当時、サントリーホールの何が新しかったのか?


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まずは「レセプショニスト」と呼ばれる接客係の存在。

これまでのホールでは、クラシックファンの間で「もぎりのおばちゃん」などと愛着を込めて呼ばれたご婦人方が、ホール入口でチケットの半券をもぎるだけだった。

ところが、サントリーホールに登場したのは、キャビンアテンダントばりのそろいの制服を身に着けた女性たち。

柔らかい物腰と丁寧な受け答えで聴衆を迎え入れ、席に案内する姿は、高級ホテルでのおもてなしのようだった。

これは、サントリーの工場や各種イベント等で接客業務を行っている「サントリーパブリシティサービス株式会社」の存在があっての賜物だった。

ホールの入り口で「いらっしゃいませ」と迎えられることが大きな話題となったことが思い出される。そしてこのサービススタイルは以後多くのホールで採用されることになる。


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さらには、コンサートの前や休憩時間にお酒を楽しむ習慣も、サントリーホール以前にはなかったことだ。これによってホールは単にコンサートを楽しむためだけの場所ではなく、社交の場所にもなった。必然的におしゃれをして来場する人が増えたことも、これまでにない新鮮な出来事だった。


いまでは日本のどこのコンサートホールでもごく当たり前のこの光景も、そういう経緯があっての歴史なのだ。

「ホールが人を呼ぶ」という事実こそがまったく新しい時代の到来を感じさせた。

サントリーホールが高級感含め一種独特の雰囲気があるのは、そういったサントリー企業のブランドイメージ戦略の賜物と、そういう歴史の重みがあるからなのだと思うな。

そんなホールで、ピリスのお別れコンサートを観れるのは極上の喜びと言える。



この日も満員御礼。

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東京公演としては、先に4/12に、オール・ヴェートーヴェン・プログラムがあって、それも悩んだのだが、結局自分としては、ピリスといえば、やはりモーツァルトという先入観があって、今日のモーツァルト・シューベルトのプログラムを選んだ。

結果は大正解だった。

過去に経験した2回の公演と比較しても、感動の度合いが大きく、とても素晴らしい公演となった。

最初の2曲は、モーツァルト・ソナタ12番、13番であったが、モーツァルトらしい長調の明るい旋律に沿うような、弾むようなタッチで明快そのもの、見事に弾きあげた。

やはりモーツァルトの調性のせいか、”さようなら、ピリス”的な感傷モードに浸る暇はまったくなく、目の前で繰り広げられるパフォーマンスにただ唖然とさせられた。これは涙とは無関係な、さようならコンサートになりそう、と思った。

そのときはそのように感動したのだが、後半のシューベルト 4つの即興曲は、さらにその上を行った。特に後半の第3曲、第4曲の流れるような旋律の描き方、そして感情の起伏を豊かに表現する、そのじつに柔らかな指捌き。なんと表情豊かな弾き方、表現なんだろう!

まさに巨匠故なる熟練のわざで、我々観衆を一気に高みに連れて行ってくれた。

最後のアンコールのシューベルト 3つのピアノ曲 第2曲では、その美しさに、ついに涙がふっとこぼれそうになった。

前半の感傷モード無縁の世界から、後半に一気にそのモードに突入。

これは、ある意味、ピリスの選曲時のひとつの戦略なのかもしれない。

前半あれだけ感動したのに、後半を聴くとその前半が平坦だったかのように思えるほど、後半にはドラマが待っていた。

ピリスのリサイタルを3回経験できて、もちろん最高に感動できた。まさに有終の美。

カーテンコールで何回もステージに戻されるピリス。
丁寧に後方P席にもお辞儀を忘れず、手を前に組んで感謝の意を表す。

観客は徐々に立ち始め、ついに最後には、ホール全体の観客がスタンディングオーベーション、そして大歓声のブラヴォー。

思わず、自分は胸がグッと熱くなる瞬間であった。

最後のピリスを観れて、本当に記念に残る素晴らしい公演となった。

彼女には、これから第2のキャリアが待っている。
でも、いままで経験し蓄積してきた財産を若者に思う存分分け与えていくこと。

けっして難しいことではあるまい。

がんばれ!ピリス!




マリア・ジョアン・ピリス リサイタル ”お別れ”コンサート
2018/4/17(火)19:00~ サントリーホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第12番ヘ長調 K.322
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第13番変ロ長調 K.333

(休憩)

シューベルト:4つの即興曲 Op.142.D935

(アンコール)
シューベルト:3つのピアノ曲 D946 第2曲変ホ長調







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世界の朝食を食べさせてくれるお店 マレーシアの朝ごはん [グルメ]

マレー半島とボルネオ島の一部から成る熱帯の国マレーシア。典型的な多民族国家で、マレー系、中華系、インド系、および先住民族が一緒に生活している。超高層のペトロナスツインタワーが建つクアラルンプールの街では、イスラム教のモスク以外に、仏教やヒンドゥー教の寺院、キリスト教の教会も見かける。

首都は、クアラルンプール、人口 3,163万人、言語:マレーシア語、国花:ハイビスカス。

マレーシアとかインドネシアに代表される東南アジアの国々は、自分の場合は、やはり自分の会社の工場がある土地というイメージがある。

国内に工場を持つことイコール、人件費の高さもあって、いまは研究&開発は日本国内でやって、生産の工場は、みんな安い人件費で賄える海外進出というのが通例パターン。弊社もご多分に漏れず。

一時期は日系企業は、中国進出に熱心だったが、ご存知のようにチャイナリスクの問題もあって、中国は避けて東南アジアという展開が多い、という理解もしている。

弊社もマレーシアやインドネシアに弊社の工場がある。

だから仕事の出張で行く以外、縁がない国だとも言える。
自分の趣味で行くことってあるかなぁ。



イスラム系の人の食事は、基本的に右手を使って食べる。カトラリーを使うときは、右手にスプーン、左手にフォークを持って食べる。

食事の決まりとして、ムスリムの人は豚肉を食べてはいけないという決まりがある。

豚肉以外でもハラルの肉を使ったマレー料理しか食べない。ハラルとは、イスラム法で食べることが許されている食べ物のことで、認証された食品にはハラルマークが付与されている。

またインド系の人と中国の系の人の一部は、牛を食べてはいけないとされている。

同じのマレーシアの人同士でも宗教の決まりで同じものを食べられないなんてこともあるのだ。


そんなマレーシアの朝ごはん。

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多民族国家で、同じ国民でも宗教の決まりがあって同じものを食べるのが難しいマレーシアだが、朝ごはんにはバナナの葉にのった「ナシレマ」が定番。ココナッツミルクとパンダンリーフで炊いた香りの良いごはんの周りに、スパイスと一緒に鶏肉をやわらかく煮込んだ「レンダン」、唐辛子と玉ねぎをベースにした辛味のある「サンバル」、小さなイワシを揚げた「イカンビリス」に茹で卵とピーナツ、それにスライスしたきゅうりがのった定番のマレー系の料理。

レストランから屋台まで街の様々な場所で売られていて、テイクアウト用にバナナの葉で三角に包んだ「ナシレマ」も売られている。

「ナシレマ」のナシ(Nasi)はごはん、レマ(Lemak)は脂肪という意味である。

写真の緑の葉っぱがバナナの葉。

さすがに右手で食べることはできないが(笑)、ココナッツミルクとパンダンリーフで炊いた香りの良いごはんは、とても香ばしい味がする。ちょっと日本では味わえない独特のごはん。

そのごはんの右下にあるスパイスと一緒に鶏肉をやわらかく煮込んだ「レンダン」は、風味はカレー味で味付けされていた。ごはんと食べるおかずでは一番食べ応えのある一品だった。鶏肉は世界共通でやはり美味しい。

その左にある唐辛子と玉ねぎをベースにした「サンバル」。これはとても辛い!一番味覚にアクセントがある一品でもある。

これに、小さなイワシを揚げた「イカンビリス」に茹で卵とピーナツ、それにスライスしたきゅうりという日本でもお馴染みの食材が並んでいる。

サイドメニューとして、プレートの上に映っている2品。
右が、カリーパフというスパイシーなジャガイモ入りのサクサクした揚げ餃子のような料理。
食感の豊富なジャガイモベースの具が入っていて、カレーの味でかなり濃厚に味付けされている揚げ餃子いう感じだろうか。

その左が、アチャールというマレーシアの漬物。
これはかなり辛い!なんかちょっと韓国系の食べ物を連想させるような、そんなお漬物である。
日本風で言えば、白いご飯がお供に食べたくなる・・・感じ。


マレーシアの朝ごはんは、なんかいかにも熱帯地域の独特のあのイメージが湧いてくるようなスパイスの効いた湿り気のある食べ物のような感想を抱いた。決して日本人の味覚のストライクゾーンから外れる訳ではなく、理解可能な範疇に入ると思う。

まさにアジアの朝を感じるねぇ。(^^)

そんなマレーシアの朝ごはん。4~5月までやっています。




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東京・春・音楽祭 「ローエングリン」演奏会形式上演 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ローエングリンという演目は、ワーグナーの長いオペラの中でも、どちらかというと快速テンポでサクサク進む感じ。

ワーグナー作品にある独特のうねりのようなものとは、やや距離感があって、毒気のないサッパリした音楽のような印象をいつも持つ。

東京・春・音楽祭の最大目玉公演であるN響によるワーグナーシリーズも今年で9年目。

2010年 パルジファル
2011年 ローエングリン 東日本大震災により中止
2012年 タンホイザー[ドレスデン版]
2013年 ニュルンベルクのマイスタージンガー
2014年 ニーベルングの指環 序夜 ラインの黄金
2015年 ニーベルングの指環 第1日 ワルキューレ
2016年   ニーベルングの指環 第2日 ジークフリート
2017年   ニーベルングの指環 第3日 神々の黄昏
2018年   ローエングリン

これに来年は、さまよえるオランダ人、その翌年の最終の美を飾るのが、トリスタンとイゾルデ。
自分は、第3回のタンホイザーからずっと聴いてきているので、結局、初回のパルジファルを除いて皆勤賞となりそうだ。

よく通ってきた。とても感慨深い。

毎回、とても感動させてもらい、このコンサートを聴いた後は、いつもとてつもなく雄大な音楽を聴かせてもらった、という満足感という余韻に浸らせてもらっている。

今回のローエングリンは、第2回でやる予定だったのが、東日本大震災でやむなく中止。今年は、じつに7年振りとなる悲願達成になるのだ。

2年後にこのシリーズが完結したら、その翌年からどうするのかな?
もうお終いなんだよね。東京春祭での最大の楽しみだったから、これが終わってしまったら、ワーグナーロスになってしまいそうだ。

バイロイト方式にならっての開演のファンファーレ。

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バイロイトでは、幕間ブレークになると、お客さんを劇場からいっさい締め出して鍵をかけちゃうので(笑)、外で食事、お酒など楽しんでいるお客さんに対して、そろそろ始まりますよ~ということを知らせる合図として、このファンファーレをやるのだ。だから各幕間ごとにやっている。

でも、こちらは、そんなホールに鍵をかけたりしないので(笑)、開演前のみだ。

ローエングリンは、タイトルロールにクラウス・フローリアン・フォークトを迎えてのまさに万全を期しての布陣。

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大いに期待した。

結論からすると、アクシデントがあった去年に比べると、キズはあったものの、段違いにレヴェルが高い公演だったと思う。

去年は、リング完結ということで、4年間の総決算という意味合いで、称賛したかったのに、突然の主役級歌手のキャンセルで公演の出来栄えも、なんともすっきりしない欲求不満が溜まった公演だった。いまだから告白すると。

それに対して、今年は対価を払って、十分すぎるほどの見返りをいただいた、という満足感が感じられて、自分は大満足だった。

第1幕は手探り状態で、ややエンジンのかかりが遅いかな、という感じはしなかったでもなかったが、徐々にペースを持ち直した。

今年もゲスト・コンサートマスターはライナー・キュッヒル氏。

いつも1階席の前方席を取るのだが、今年は、2階席。やはり自分の好みである分厚い響きとはいかなく、全体を俯瞰出来てバランスは取れているけど、サウンド的にこじんまりしていてやや不満を感じたことも事実。

でも聴こえ方に慣れてくると、第2幕、第3幕にかけて、まさにフル回転。とても満足いく出来栄えだった。

その1番の理由は、やはり歌手陣の充実ぶりが大きいと思う。

フォークトを筆頭に、レヴェルが高く、やはり演奏会形式のコンサートは歌手の出来が大きなウェイトを占めるんだな、と改めて認識した。

今回驚きだったのは、合唱の東京オペラシンガーズ。去年までのリングでは、自分の記憶違いかもしれないが、合唱ってあったけな?という感じで、今回じつに久し振りに合唱を聴いた気分だった。

東京オペラシンガーズは、1992年、小澤征爾指揮、蜷川幸雄演出で話題を呼んだ《さまよえるオランダ人》の公演に際して、世界的水準のコーラスをという小澤さんの要望により、東京を中心に活躍する中堅、若手の声楽家によって組織された合唱団。

サイトウキネンは1993~2009年まで連続出演、そしてこの東京・春・音楽祭での常連、国内外で活躍しているまさに水準の高いプロフェッショナルな合唱団なのだ。

1998年の長野冬季オリンピックの開会式のとき、ゴローさんがプロデュースした世界6ヵ国を結ぶ《第九》合唱でも、中心となる日本側の合唱コーラスを担当した。

東京春祭ではまさにレギュラー出演の常連さんなので、自分もずっと彼らを聴いてきているのだが、リングではあまり記憶に残っていないので、そうすると2013年のマイスタージンガー以来、じつに5年振りということになる。

久し振りに聴く彼らの合唱は美しく、その幾重にも重なる人の声による和音のハーモニーの美しさ、壮大さは、生で聴くと本当に感動する。この圧倒的なスケール感、こればかりはオーディオでは絶対かなわないなーと思いながら聴いていた。

なにせオーケストラの音より数段音量やボリューム、そして音の厚みが豊かなのだ。ずっとオケの演奏を聴いていて、そこに一斉に合唱が入ると、その人の声の部分が、オケよりもずっと分厚く発音量も大きいのに感動してしまう。

合唱、とくにこの人の声の厚みだけは絶対オーディオよりも生演奏に限ります、実感!

N響もじつに素晴らしい演奏であった。ドイツのオケを聴いているような硬質で男らしいサウンド。バランスも取れていた。

じつに8年間におよびこのワーグナー作品を演奏してきた彼ら。毎年十分すぎるくらいに期待に応えてきてくれ、彼らから感動をいただいてきた。今年もその期待を裏切らなかった。

今年のローングリンでは、3階席の中央と左右の3方向にバンダを配して、その重厚な金管の音色、ステージオケとのバランスも素晴らしかった。

ローエングリンと言ったら、みなさん第3幕が圧倒的に大人気なんだけれど、自分もちろんそうだけど、じつは第2幕が大好きなのだ。

恍惚の幸せであった。合唱のあまりの美しさ。そして茂木大輔さん(首席オーボエ)、甲斐雅之さん(首席フルート)始め、N響木管陣の美しいソロがふんだんに聴けて、最高であった。自分が第2幕が好きなのは、合唱もそうだけれど、このふっと浮かび上がる木管ソロの旋律の美しさに参ってしまうのだ。

本当に涙しました。

冒頭に「キズがあった」との発言は、第3幕の前奏曲。もうローエングリンでは最高の見せ場なのだが、ここが自分にとってはイマイチ感動が少なかった。まさに格好よさの極致である部分なのだが、サウンドがこじんまりしていて、伸びや瞬発力、そしてこの部分に一番大切な躍動感がなく、自分が乗って行けなかった。誰しもが1番乗るところで、そこに対する期待も大きいので、それを満たしてくれる感じではなかった。モタモタ感というのかな?う~ん・・・。

響きがまったく感じなかったので、自分はそのとき、東京文化会館って基本デッドだからなー。そして前方席でなくこの2階席の座席のせいもあるかなーとも考えた。

指揮のウルフ・シルマー氏。ライプツィヒ歌劇場の総監督。まさにオペラを知り尽くしているベテラン指揮者。

自分ははじめて拝聴する。全体の構築の仕方、その洗練された指揮振りには感心させられた。

ただ唯一不満だったのは、指揮者としてのオーラというのかな、存在感が希薄に感じて、自分に訴えかけてくるものが少なかった。そのとき分析したのは、やはりこれだけの強力な歌手陣、そしてオーケストラ、そして圧倒的存在感の合唱団という、まさにスター軍団の集まりの中で、どうしても目や集中がそちらのほうに行ってしまい、その中に埋没してしまう、という感じ。

4時間半の中で、自分が指揮者に目をやることは少なかった。

でもそれは自分がシルマー氏をよく知らない、というところから来ているだけのことなのかもしれない。


では、それぞれの歌手の印象。 


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クラウス・フローリアン・フォークト

まさに「フォークトさま」。「ミスターローエングリン」。
その柔らくて軽い声質は、従来のヘルデン・テノールのイメージを変えた。
はじめて聴いたのは、2012年の新国立劇場でのローエングリン。まさに驚愕の一言だった。
大変な歌手が出てきた、という想いだった。

自分がフォークトの生声を聴くのは、マイスタージンガー以来、じつに5年振り。

なんてピュアで定位感のある声なんだろう!

圧倒的な声量。驚きとしか言いようがなかった。

自分が彼の声を聴くとき、いつも感じるのは、その発声の仕方にすごく余裕があること。
他の歌手は精いっぱい歌うのに対して、彼はとてもスムースで余裕がある。それでいて、その声はホールの隅々までよく通るのだ。

まさに驚異的としかいいようがない。

もともと歌手としてのキャリアスタートではなく、ホルン奏者だったというから、そこからの歌手転向でこれだけの才能を開花するのだから、人生なんてなにがあるかわからない。

まさに、この日は彼の独壇場だった。フォークトのためにある公演だったかもしれない。
歌手陣の中で、唯一人、譜面&譜面台なしの完全暗譜。まさに18番のオハコ中のオハコという活躍であった。 


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レジーネ・ハングラー

ローエングリンの相手役、エルザ。ウィーン国立歌劇場でめきめきと頭角を現しているレジーナ・ハングラーが演じる。善戦奮闘したが、自分にとっては、やや残念賞だったかな?
カーテンコールの聴衆も正直であった。

声質や声量は、悪くないどころか素晴らしいものを持っていると思う。
ただ、安定感というかいいバランスを持続できないというか、聴いていてどうしても不安定な部分を感じてしまった。第2幕はよかったと思うが、第1幕や第3幕はう~ん?だったかな。

歌手にとって大切なのは、声がホールの空間にきちんと定位すること。

でも自分は彼女はキャリアを積んでいけば、絶対大成すると確信する。 


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ペトラ・ラング

今回の公演の中では、フォークトに続き、自分的にはかなりクルものがあった歌手。
その個性的で演技も添えた深い表現力に舌を巻いた。
まさに迫真というか”気”が感じられた。
歌手の中で、かなり目立っていた存在で強烈なキャラを感じた。


聴衆も同じ印象だったようだ。カーテンコールでのブラボォーは凄いものがあった。

自分は、じつはペトラ・ラングはバイロイト音楽祭に行ったときにトリスタンとイゾルテで、イゾルテ役で聴いている。そのときは、悪くはないが特別な感情も抱かなかった。可もなく不可もなく、という感じ。

それは自分の中で、イゾルテと言えば、ニーナ・ステンメという圧倒的存在の歌手がいて、彼女をリファレンスにしているので、それと比較するとどうしても物足りないなにかを感じてしまうのだ。

でもこの日のラングは違った。強烈な個性で、主役のエルザを完全に喰っていた。
じつはこの公演の注目の強烈なダークホースかもしれない。 


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アイン・アンガー


まさに東京春祭ワーグナーシリーズでの常連。今回の公演は、男性陣歌手の素晴らしさがとても際立っていた、と思う。この人の出来栄えは、じつに素晴らしいと感じた。安定した発声能力、豊かな低音、そしてその声量の豊かさといい、申し分なかった。自分はフォークトに次いで素晴らしいと感じた。

現在まぎれもなく第一線で活躍しているエストニア出身のこのアイン・ アンガーは、ドイツ語、イタリア語、ロシア語の主要な役を含め、世界中から出演を請われている。

実際これだけのパフォーマンスを聴かされれば、それも納得でこれからも躍進すること間違いなしだろう。 


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エギリス・シリンス

フォークト、アンガーについで、素晴らしかった歌手。今年は本当に男性陣歌手が素晴らしかった!安定した声量、豊かな低音域に、その発声能力にとても感動した。テルラムントという、この演目では、要所を締める大切な役柄を見事に演じ切っていた。 


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甲斐栄次郎

日本人歌手も負けていない。甲斐さんがとても素晴らしかった!甲斐さんも、このN響ワーグナーシリーズでは常連で、いままで幾多の公演で実演に接してきた。この日の甲斐さんはじつに見事で安定した発声で、その低音の魅力を十分に発揮していた。

日本人の歌手の、世界に通用する、そのレヴェルの高さを実感するのだ。
自分は、日本人がこのように活躍しているのを観ると、本当に同じ日本人として誉れに感じる。
この日のノンノン賞をあげたい気分だ。(笑)


じつは、この公演で、もう1人どうしても楽しみにしていた日本人歌手がいた。

大槻孝志さん。

ブラバントの貴族役として出演された。
自分はSNSでつながっているので、どうしても1度は実演に接したいと思っていたのでした。感慨無量でした! 大袈裟でもなく、このことを達成できたことだけでも、この日に来た甲斐があったというもの。しっかりと目や耳に焼き付けました。

素晴らしかった!


終演。

前日に急に花粉症を患い、体調不良で臨んで、果たして長丁場に耐えられるか不安であったが、そんなことどこ吹く風。じつに素晴らしい公演で、いっぺんに目が覚めた!(笑)

1年の中で1番、N響さんがカッコいいと思う瞬間です、毎年のことながら。
4時間半、本当にご苦労様でした!

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(C)東京・春・音楽祭 FB




東京・春・音楽祭 N響ワーグナー「ローエングリン」演奏会形式上演
2018/4/5 17:00~ 東京文化会館大ホール

指揮:ウルフ・シルマー
ローエングリン:クラウス・フロリアン・フォークト
エルザ:レジーネ・ハングラー
テルラムント:エギルス・シリンス
オルトルート:ペトラ・ラング
ハインリヒ王:アイン・アンガー
王の伝令:甲斐栄次郎
ブラバントの貴族:大槻孝志、髙梨英次郎、青山 貴、狩野賢一
小姓:今野沙知恵、中須美喜、杉山由紀、中山茉莉

管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマス・ラング、宮松重紀
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
映像:田村吾郎(RamAir.LLC)
字幕:広瀬大介








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