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ジャレット・サックスの強烈なインタビュー 技術編 [オーディオ]

Channel ClassicsのSACDやDSDファイルについているジャケットを見てもらえばわかると思うが、本当にこのレーベル独特のセンスのあるカラフルさで、自分はこのレーベルは、本当にジャケットにセンスがあると思っている。サウンドと同様にとても個性ある。

これも全部サックスがカメラマンなのだ。

しかもアーティストをどう構図の中にポーズをとらせて、収めるか、周りの装飾、デザイン含め、すごいセンスある。

ちなみにブックレットの中に挿入されている録音セッションのときの写真とかも、全部サックス。
クレジットにphoto by Jared Sacksと書いてある。

彼は、カメラのほうもかなり好きみたいだ。

そしてやはり1番驚くのは、Channel Classicsのアルバムの楽曲の良さ、音楽性の多様さ。所属しているアーティストも本当に魅力的だけれど、自分のレーベルに契約をしてもらうスカウト行為、そして、そのアーティスト達とどのような曲をテーマにして、レコーディングをやっていくか、を決めていく作業。

これ全部サックスが1人でやっているんだと思うんだよね。

とにかくディレクター兼プロデューサーなのだ。

全部自分が決めている。そして自分が動いている。

録音だけじゃないのだ。

こうしてみると、朝令暮改みたいだけど、やっぱりChannel Classicsは、ジャレット・サックスによるワンマンな会社と言っていいのではないか?

それは別に他人に任せられない、とかいう悪意的な意味ではなくて、本当に作品をプロデュースして作っていくこと自体が大好きで大好きで堪らないだけで、全部自分がやりたい、そういう純粋な気持ちからなんだと思う。

そしてスタジオも自宅。

HMVでもAmazonでもタワレコでのオンラインショップでもどれでもいい。Channel Classicsのラインナップを見てほしい。あれだけ、いろんなジャンルで、たくさんのクオリティの高いアルバムの数々・・・それが全部サックス中心に少数精鋭メンバーで作られたもの、という事実に驚愕するしかないだろう。

Channel Classicsというレーベルは、その華々しい作品群からは予想すらできない、じつはその実態はとても手作り感満載のレーベルだった、と言えるのかもしれない。




いよいよインタビューの後編、ぐっと技術的に掘り下げた内容になります。


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記者:

あなたは、Andress Koch氏のDSD over PCMでの再生の技術は成功すると思いますか?


サックス氏:

彼は、かなりテクニカル・サイドのほうに行ってるよね。私にとっては、DSDの優位性というのは、感情の起伏、深さ、そしていかにSPから音離れさせられるか?というところにあると思っています。それはもはやブロック形状の感覚ではないんですよね。

あなたが、PCMの音を聴くとき、SPからは文字通り、ブロック形状の音が聴こえるような感覚を持つと思います。そういう感覚は、DSDでは絶対起こらないのです。

DSDの音は空気のような存在のサウンド。その空気のような存在の音について語り合いましょう。


私にとって、もし、あなたがワイン・テイスティングをやるならわかってもらえるでしょうけど、録音はワイン・テイスティングのようなものでないといけないと思っているのです。なぜなら、他の人があなたが言っているところの意味を理解できないといけないからです。

あなたがサウンドを造る、そしてミュージシャンがやってきて、それを聴く。そして彼らが、それをどのように聴こえたのかを説明できないといけない。

私達はお互いを理解しないといけないですし、形容詞を使って、そのサウンドを表現しないといけない。なぜなら、彼らがヴァイオリンのEの弦をどのように聴こえたのかを彼らが説明していることを、理解するために、いちいち本を広げてられないからです。

私はすぐにその箇所に戻って、物理的に彼らが感じたレベルの正しさになるように、いろいろ調整しないといけないのです。そこには本類はいっさい必要ない。経験上からくるカット&トライの世界なのです。

特に我々のオーディオの世界では、他人が理解できるように、SPやAMPから放たれるサウンドが、どのように表現できるか、というその表現の言葉を探し出すことが大切な仕事なのです。

PCMとDSDのサウンドの違いを表現することは、さほど難しいことではありません。




記者:


あなたが、DSDは感情の起伏を運んでくる、そういうところに優位性があると語るとき、それは人々がDSDの音を聴くとき、それはより音楽を聴いているような感覚に近くなる、ということを意味している、と理解していいですか?



サックス:


まさにその通り!もちろん、人はそれぞれどのように聴こえるかは違って当然。コンサートで、まずあなたは、オーケストラの概観をヴィジュアルで感じることになるでしょう。

でも、もし実際そのサウンドを聴く段階になると、ここのコンサートホールの音響はいいかどうか、まず確認するはずです。

なぜ、あなたはそのとき鳥肌が立つくらい感動するのか?それはホールの直接音だけでなく、側方や後方からの反射音を聴いているからなのです。そして、我々は、それらの直接音、反射音の関係を、マルチチャンネルのフォーマットで、そのままキャプチャーしようとするわけです。

しかし、2chステレオのリスナーとして聴く場合、もう少し工夫してやる必要があるのです。
DSDは、とくにそのダイナミックレンジという観点から、それが可能になるのです。

高域では、音は空気のような感じの繊細さになると言うことができます。音楽は、まさにこの空気のような感覚が必要なのです。DSDを使うと、特に録音機材がどこにあるかという意識を分散させてくれるメリットがあると思うのです。DSDは優れています。

もし、私が録音したブタペスト祝祭管のマーラー1番「巨人」を聴くとき、そのサウンドの明瞭さ、そしてその深さの表現において、特に成功した録音だな、と感じます。

これが、まさに音を表現するための形容詞なのです。

しかし、結局のところ、やはり感情の起伏の表現、そこに行き着いちゃうのです。私にとって、そういう表現を実現してくれるフォーマットは、DSD以外にありません。



記者:

native DSDで録音しているのは、実際どのようなところがやってますか?



サックス:

スターターとして最初に取り組んでいるのは、PENTATONE、ハルモニア・ムンディ、BSO、そしてAlia Voxかな?

BISやLINNはやっていない。コンセルトヘボウでさえやっていない。なぜなら彼らは、いまのラジオ放送局の設備を使わないといけないから。

Challenge Classics(彼らは、私がずっと昔に教えていた生徒です。)の数枚のディスクは、native  DSDだね。おそらくドイツの中の15の小さなレーベルがnative DSDを採用している。日本のExton(Octaviaレコード)もそうです。

録音機材のフロント部分はいくつかの新しい機材となる。マイクプリアンプやA/D-D/Aコンバーター(Horusと呼ばれているMerging Technologiesのもの)は、扱いやすくなったね。すべてが1Box-typeに収納できるようになっているので。

まぁ、値段が高価ではあるけれど、昔に比べたら、それでもずいぶん安くなったもんです。そこが大きな違いかな?

私はサンプリング周波数 64Fs(2.82MHz)で録音している。特に最近は、さらに128Fs(5.6MHz)や256Fs(11.2MHz)でも録音できるようになった。オーディオファイル(オーディオマニア)は、サンプリング周波数が2倍になれば、それだけよくなると感じるかもしれない。

たとえば64Fsで録音することを考えましょう。そこから128Fsになると、周波数スペクトラム的にもノイズレベルがオクターブが急になって、さらに高域に追いやられて(ノイズシェーピング)扱いやすくなる。

でもそんな技術的なことは自分にとっては、あまり重要ではない。まずリスニング試聴テストをやらないといけない。


我々のビジネスでは、ポストプロダクションをやらないといけません。

しかし常時やるわけではありません。私はいつもステレオ2chにミックスダウンしないといけない。サラウンド音声のチャンネルは、ダイレクトにA/Dコンバーターを通るが、そのままミキサーを通過するわけではない。

その部分のデータを取り出して、ポストプロダクションを通さないマスターを造ることにしている。(言い換えれば、シグマデルタ変調のコンバーターを通す前)

ミキサーを通す前に、いくつかのEQをかけて、ある程度の音に装飾をつけないといけない。もちろんハイレベルのDSDになってくると、DXDのフォーマットにして、ポストプロダクションをやる、という方法もある。

現在、これが真のやり方というのが統一されている訳ではない。それは将来的に解決されるでしょう。

でもこれだけは確実なことは、この処理をするために、他の外部録音製作会社に委託するというソリューションはない、ということです。(笑)

もし、あなたがいわゆるRAWデータを聴いたとき、それをポストプロダクションした音と比較したとき、機材の周りの空気感や深さの表現に違いを感じることでしょう。それはグラデーションする前のプロセスのサウンドで、軽い程度だけど確かにその違いは存在します。残念ながら、それについて対応する策はありません。


192PCMとDSDの音の違いを、あなたは尋ねたいかもしれない。

その違いを聴こえるようになるには、まずあなたは、本当によいオーディオ機器を持っていないといけない。もちろん曲のレパートリーに依存することもある。私は特にダイナミックレンジという観点から、その比較をする。

もし192PCMのダウンサンプリングするなら、絶対に、その音はPCMの音として聴こえます。

私のGrimmのコンバーターは、とてもよい。私の特別の自家製のミキシング・ボードでつなげるんですが。そして私が最近の2年間で使っているバッテリー駆動のマイクのプリアンプ、そしてvan  del Hul T-3 cable、これらを使うとサウンドは信じられないくらい素晴らしいよ。

私のマーラー1番の録音をしっかりと聴いてみてほしい。サウンドはとてもオープン、大音量の音の部分でさえもその空気感が抜群です。感情の起伏、そして深さの表現は、あなたを包んで堪らない気持ちになるでしょう。

私は、ライブイヴェントにはなるべく接するようにしたほうがいいと思っている。そして録音のレビューもきちんと気にしたほうがいい。

私は、このライブと録音のレビューの2つのコンビネーションを参考にしながら、録音をやり続けています。



記者:


DSDの欠点は、編集できないこと。そこで、DSDの次なる改良プロセスとしては、DXDで編集できるようになることでしょうか?


サックス:

その通り。私がマーラー1番のRAWデータを君に送ることができたとしたら、その違いがわからなくなるでしょう。人々は私にオリジナル・マスターを要求してくることになる。

2012年でエキサイティングだったこと。私がネットコンテンツのDSDファイルを提供し始めたとき、DSD DACを提供できたメーカーは2社しかなかった。それがいまや60社を超える勢いなのです。

いま私はマルチチャンネルのDACを提供できるように働きかけている。Mytek, Oppo, and  ExaSoundなんかがリーディング・カンパニー。我々の方向性は、マルチチャンネルの方向に向いていることは間違いないことです。

将来、私は、普通のCDを造ることに戻りたいと思っている。

私が、いま直面している問題点は、ハイブリッドのSACDを造るとき、それをノーマルのCDの値段で売ろうとしたときに、そのマージン利益が限りなく小さいものとなってしまうことなのです。それに比べて、ダウンロードコンテンツでは、2chステレオとマルチチャンネルのファイルをまったくその同じ値段で造れてしまいます。

アメリカの問題は、実際のところ、ディーラーであるところのレーベル。ここ数年、彼らはSACDを扱いたいと思っていないし、またそのための普及の教育をしたいと思っていないところに問題があると思っています。これはこれからもずっと抱える問題でしょう。

だから、私はリスナーを教育するための雑誌とWEBサイトを必要としています。



記者:


あなたの録音の中で、ポストプロダクションを通さないRAWデータが含まれることはありますか?


サックス:

あります。かなりの部分ある。最初の頃の録音、Ragazze String Quartet (Haydn, Schubert,Widmann)新しい録音では、レイチェル・ポッジャーの守護天使。とか。。。


記者:


聴くときの再生システムは、どのようなものをお使いですか?


サックス:


15年前、私はとてもアベレージだけど、とてもリニア特性に優れたオランダのオーディオメーカーの2Way SPを録音のために購入した。

私はスタッフを持たないといけなかったし、いつもリスニングルームでは、教会のような信じられないような響きをもったアコースティックな音響のサウンドを聴かないといけないので、とてもベーシックなモニターに適したシステムのほうがいいと思うようになりました。

私は、10台のSPを購入。うち5台はうちのスタジオに、そして残り5台を出張先のロケーション用とした。

私の他のスタジオでは、マルチチャンネル用のB&W 803Dを5本にクラッセの5つのアンプが内蔵されたパワーアンプ、そしてカスタムメイドのプリアンプ、そして van den Hul のケーブルを使っている。

大体、出張先のロケーションのところで、ほとんどすべての編集は終わってしまいます。
ステレオで編集するとき。そしてマスターを造る瞬間のマルチチャンネルで聴くときのみ。

大体、普通の一般ユーザーは、95%の人がステレオ2chで聴いていると思うので、自分にはそれがベスト。加えて、マルチチャンネルのプロセスはとてもシンプルだからね。

ときどき、ステレオ2chのために、私はサラウンド音声のアンビエンスをちょっとだけ加えることがある。そのようにしないと、2chではコンサートホールの空間が表現できないから。

ミックスダウンを終わった後、私は台所や私のオフィスや息子のラジカセのところに持っていきます。

特にボーカルの部分、Barbara Hannigan が歌うBritten's Les Illuminations。

私は、いわゆるハイフェッツ・エフェクトのようなヴァイオリンの響き効果、また別の場所でのピアノやオーケストラの響きの部分を造って足しこむようなことをする人間ではありません。

というのは、声というのは楽器の一部。特にディクション(発音)は明快に理解できるように聴き取れないといけない。だから、ここに特別の注意を払う。だから違う部屋に行って、その声を邪魔しないように、十分周りが低いレベルかどうか聴いてみるです。


私は、2chステレオミックスは、出張先ロケーションでも十分納得できるまで造りこむ。
しかし、もし必要ならばソロトラックや他のトラックをあとで追加することもある。
だから私のステレオミックスでは、私は常に加えている作業のみ。取り除くことは絶対しない。

でもときどき、出張先で、話し声さえ聴こえずらい悪いロケーションに遭遇するときもある。
そのようなときは、ソロトラックは別のトラックに格納して、後で処理する。

しかし、native DSDマスターのときは、編集できないので、DXDにて、ポストプロダクションによって処理する場合もある。



記者:

一般大衆が、DSD DACを購入して、あなたの192PCMファイルを持っていたとしたら、DSDファイルとは違う対価になるべきだと考えますか?


サックス:

はい。異なった解像度には、異なった対価を払うべきです。

120年の長いオーディオの歴史の中で、最初の時代、シンプルなダウンロードでどれも全く同じ解像度クオリティのファイルしか存在しない、という信じられない時代がありました。オランダの問題は、21%のtax。我々はダウンロードのために25ユーロ払わないといけない。我々は、クーポン・コードシステムを作って、購入ごとにポイントが溜まり、その25%のtaxを減算していくような工夫をしています。


我々は、音楽配信サービスのNative DSD Music.comをスタートさせました。
DSDでの音源の2chとマルチチャンネルのファイルを供給する音楽配信サイトです。

すべてのレーベルが、そのサイトには、自分のページ領域が割り当てられていて、録音をプロモートできます。

ファイル形式は、DSFファイル。メタデータは、JRiverとコンパティブルなソフトウエア上では、ファイルにタグづけされます。

我々は、64Fs DSDだけでなく、さらに128Fs DSD、256Fs DSDも対応させていくつもりです。
DXDファイル形式も、録音時にいっしょに付加されます。

1ヶ月単位でたくさんのレーベルの録音がどんどん追加されますので、ぜひご期待ください!






DSDは空気のような存在で、音楽の再生はまさにそうあるべきだ、というのがサックスの主張。

世間一般的には、PCMはロックやポップスのようなメリハリの効いたアタック感のある曲に向いていて、DSDは、繊細で柔らかい質感で空間を感じやすいような特徴があって、クラシックに向いている、というような通説がある。

サックスはその繊細な信号レベルを表現できるところが気に入っているようだ。

あと、最近、アーティストの新譜をSACDでは造らなくなって、物理メディアはCDで出して、あとはネットコンテンツ(DSDファイル)でavailableというビジネスのやり方も、結局コストの問題だったんですね。

サックス自身がノーマルなCDの原点に帰還したい、という考えを持っていたのは驚きました。
すべて伏線があったということです。

このインタビューで、Channel Classicsのすべてが理解できたと思う。
公式HPなんかより、その核心をついた内容だと思う。

これで、最後の砦であった、このレーベルの日記をかけてホッと安堵です。

もう思い残すことない。(あれ?CHANDOSは・・・?(笑))







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ジャレット・サックスの強烈なインタビュー レーベル創立編 [オーディオ]

Channel Classicsに関する情報は、公式HPに通り一辺倒のことは書いてあるのだが、正直表面的で、自分にはイマイチ欲求不満であった。

スタジオの写真もネットで探してみたが、そのような類のものは一切見つからず、またディスクの中のクレジットも、録音スタッフは、JARED SACKSとあるだけで、創始者によるワンマンな会社で、結構クローズドで秘密主義のレーベルなんだな?とか思っていた。(笑)

これだけ魅力的なコンテンツを回転率よく新譜を回して、大変魅力的なレーベルで自分は大好きだったのであるが、どうもその素性がようわからん、という感じでミステリアスな感じだった。

その欲求不満を、このインタビューがすべて解決してくれた。
いままで謎に思っていたことをすべてジャレッド・サックス自身が、自分の口から喋ってくれた。


2014年にステレオファイルという雑誌媒体でインタビューを受けている。

https://www.stereophile.com/content/jared-sacks-dsd-present-and-future

ここにすべてが書かれていると思う。

この2014年というのは、いわゆるハイレゾが話題に成り始めた頃で、”ハイレゾ=DSD信仰”みたいな乗りが業界全体にあって、SACDはフォーマット普及としてはイマイチだったけれど、DSDはネット配信で開眼する、みたいな勢いがあった。(いまはハイレゾ疲れというか、マーケット的に売れてなくて、すっかり披露困憊らしいですが・・・(笑))

その広告スターとしてジャレッド・サックスがノミネートされ、「DSDの現在と将来」というテーマでインタビューを受けた、という感じだ。

2014年当時も読んで、そのときもずいぶんと衝撃を受けたが、4年後に、まさか自分が、このレーベルのことで日記を書くとは露にも思っておらず(笑)、再度読み返してみたら、本当にショックというか、生々しい、というか、自分にはかなり衝撃だった。


いまのオーディオ事情からすると、インタビューの中身自体は、2014年当時の古さは感じるけど、貴重な証言だと思う。

サックスの喋っている理論を、本当に自分が理解して和訳している訳ではないので、訳の文に自然さがないところも多く、字ヅラだけ追っている感じのところもあるが、容赦ください。

力作です!


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私はアメリカ人で、37年間オランダに住んできた。レーベル創立以来、妻と、2人半のスタッフだけで運営してきた少数精鋭の会社だった。

常に小さい規模をキープしてきた。すべてのことは私がやっている。妻はブックレットの作業を分担している。

録音が本当に好きで、他のレーベルのように録音はエンジニアに任せて、自分は録音に関わらない、という立ち位置も可能だったが、それは自分には合わないと思った。いまのレーベルはコピーされたものを受け取り、それを売るだけという会社が多い。

でも自分にはそれは耐えられなかった。自分は素晴らしいアーティスト達とレコーディングをすることがなによりも楽しかった。そのコピーを受け取り、単に売ることは、そのアーティスト達への罪だと考えた。

最初、私はホルン奏者だった。オブリン大学の2年生の夏のとき、スイスでオーケストラで演奏してくれないか、と頼まれた。

彼らからずっとこのオケに居続けてほしいと頼まれたとき、私はそうしたが、それが自分の人生の究極のゴールではないような気がした。

オブリンではラジオ局でディレクターをやっていた。そして同時にボストンのWCRVでインターンシップとして働いていた。自分もそのスタッフが好きだった。

スイスでコンセルトヘボウの第1ホルン奏者とギグをやったときに、アムスに一緒に勉強しに来ないかと誘われた。これはいいアイデアだと思った。スーツケースやホルンをそのまま残し、オランダ・アムスに行った。

彼のおかげで、自分の音楽大学での勉強は強制終了となった。私はいわゆるフリーランスの奏者となって、オーケストラでのホルン奏者となった。

私はKanaal Straatに家を買った。その家こそが、いまのChannel Classicsのオフィスになっている。1階は、アーティストの演奏するスタジオになっている。1900年初頭のRijks Museum のような塗装がされている。北側から陽が差し、ちょっとした高級な航海セーリングをしているような雰囲気だ。

私は室内楽が大好きだ。私のアンサンブルはすべてここでやっていた。

1982年か1983年ころ、月末の日曜日にコンサートを企画するようになった。
マイクロフォンを入手し、アナログで録音した。

コンセルトヘボウ設備会社は、古い椅子を売ってくれた。私はそれを50個くらい購入した。
私はバルコニーを造って、そこに人を招待することになった。

その当時は、私はまだ演奏していた。でもこれらの録音機材を所有していた。その頃になって、私は自分で演奏するより、こうやってプロデュースをやってコンサートをレコーディングすることのほうがずっと好きだと思うようになった。

1987年までに、私にデモテープを造ってくれ、という仕事の依頼が多く舞い込むようになった。特に歌手。

私の子供の頃、母親が毎週の土曜の朝にMilton CrossとMETでライブをやるので、子供のころからソプラノを聴き過ぎるくらいの経験があるので、今回も少々歌手に対して辟易な気分を抱くこともあった。




・・・ここから雑誌記者とのインタビュー形式。


記者:

ではSACDやDSDの話に行きましょう。あなたは、いわゆるSony/Philips系とは違う系列で、SACDレコーディングを始めた方の1人ですか?


サックス:

そうです。彼ら(Sony/Philips)は、設備投資に際し、ベータテストやプロモーションなど手助けが必要か聞いてきました。彼らは、私がソフトウエアの編集をやる隣の部屋にいたのです。

私はそこから40分離れたところに住んでいて、そこが同時に、唯一独立したSACDで録音するレーベルとなりました。

PENTATONEは、その後から参入してきました。ポリヒムニアのメンバーは、同様にそこによく手助けに来てくれました。でも唯一独立したレーベルだったのです。

私は、2001年に最初のハイブリッドのSACDを発売しました。Peter WispelweyによるRococo  Variations。(イアン・フィッシャーの)ブタペスト祝祭管弦楽団とも何度かレコーディングのトライアルをしました。BOXのものでは、彼らが最初の商品でした。

商業的な意味で、公式のSACDとしては、Channel Classicsのものが最初なのです。ドイツでレコーディング・セッションをやっているとき、Philipsのスタッフは、ある一つの部屋で作業をやって、私は隣の部屋で作業をやるなどのパラレル録音もありました。

その頃は、まだすべてがソフトウエアの処理ではなかった。そしてまだオープンなPCボードでの処理でした。当時はコンピュータ処理するのに、4か月かかったりして、数分間間隔でクラッシュしていたりしていました。(笑)

いまはソフトウエアで処理することが当たり前で、すべてシンプルにできてしまいます。私はMerging Technologiesのソフトウエア、そしてDSDの処理はPhilipsのソフトウエアで作業をやっています。

15編集単位で、コンパイルするようになっていて、私は200編集ぐらいの規模が必要でした。
コンピュータでの処理はまだ完全にハンドルできる領域ではありませんでした。

彼ら(Philips)は、SACDフォーマットをプロモートするために、いろいろ送ってくれて、私の録音もそれに沿って行われたのです。



記者:

あなたはかつて、南米に行かれたこともありましたよね?私が正しければ・・・


サックス:

私はボリビアに行ってました。Bolivian Baroque のレコーディングとして。ボリビアの至る所に行って、SACDのプロモーションをやってきました。SACDはどういうところにメリットがあるのか?マルチチャンネルがあればベストだけど、そうじゃなくて2chステレオでもメリットあるんだよ、みたいな・・・。



記者:

いまはまさにアナログとダウンロード型のハイレゾ(特にDSDフォーマット)の時代が来ますかね?私にはわかりませんけど・・・


サックス:

イエス! レコーディング機材の観点から、本当に信じられない時代です。悪い機材や悪い録音をすること自体が難しいことになるくらい進化している。

でも私の問題は、常にミュージシャン・ファーストだということです。
良質の録音、再生を楽しむという観点で、それらを利用してエンジョイしているだけです。

しかも私はオーディオファイル(オーディオマニア)ではありません。

私にとって、オーディオファイル用のレコーディングというのは、ピアノ録音のときにも、音をキャプチャーできるように、マイクをピアノのハンマーの上方や横のほうに設置するようなことのことをやるレーベルのことを言います。

私はそのようなことにあまり興味がありません。ユーザの方には、倍音が聴こえて、それがどのようにミックスされたのかが聴こえないといけなく、そして聴取距離が必要。もちろんそこが”(ワインの)テイスティング”とみたいなもんなんですが。。。

私は、Channel Classicsがオーディオファイル御用達のレーベルだ、なんていうつもりはサラサラありません。私はただ、DSDテクノロジーを使えることがハッピーなだけ。なぜならそれらは、もはや音楽を聴く方法でしかないからです。

それを使うことで感情(情緒)の起伏を表現できて、それを聴くことが可能になります。



記者:

あなたがDSDに行った理由は、感情の起伏のため?


サックス:

そう!絶対に。


記者:

あなたは以前はPCMで録音していましたよね?


サックス:

そうですね。最初の時代、1990年から2001年あたりかな。でもDSDはスーパー。
いまはハイブリッドのSACDであり、そしてダウンロード経由でも。
DSDは以前聴いたことのある音よりも、ずっと大きな改善がある。

私はいまでも改良を重ねてきた。2010年に、オランダの会社、Grimm(Philips系です。)の新しいコンバーターを入手した。ファンタスティックだった。

私が以前使っていたdCSやMeitnerのものよりずっとステップアップしている、と思う。ユーザはなにが起きたんだ?と思っていると思うよ。



インタビューは長いので、2部に分けます。






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Channel Classics レコード [オーディオ]

ポリヒムニア/PENTATONEや、Channel ClassicsのようにオランダにSACDを採用するレーベルが多いのは、Philipsの本社HQがオランダにあるからだ。Philipsの本社HQや研究所は、オランダのEindhovenにある。同じオランダ内のNijmegenにもブランチがある。自分がいたとき、Philipsでお付き合い含め、はっきりその存在の意識があったのは、他に、イギリスのSouthampton、そしてドイツのHamburg。遠い大昔の記憶では、Hamburgのオフィスは訪問した記憶がうっすらある。

当時、欧州最大の電機メーカーであったPhilipsは、それこそヨーロッパのどこにでもブランチはあったに違いない。

進化衰退激しい電機業界、自分の知っている当時のPhilipsは、どこまでその規模が現在まで維持されているのか、興味があるところではある。(笑)


そんなオランダのChannel Classicsを創始者ジャレット・サックスがどのように立ち上げてきて、現在に至るかを日記にしてみたいと思った。これでPENTATONE,BIS,myrios classicsと来て、最後の砦であるChannel Classicsを制覇できれば言うことない。あとは、CHANDOSくらいかなぁ。心残りなのは・・・。


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Channel Classicsは、ディレクターで、プロデューサー、そして録音エンジニアでもあるジャレット・サックスによって創立された。

まさに彼のワンマンの会社といってもよい。

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ジャレット・サックス氏はアメリカ人。ボストン・マサチューセッツで育った。アメリカ合衆国のリベラル・アーツ・カレッジ大学であるオーバリン音楽大学で学び、さらに渡欧してアムステルダムの音楽大学で15年間フレンチ・ホルンの奏者として学んだ。

ジャレットは、1987年に録音を自分の趣味にしようと決意した。

そして、ついにレーベルを創立。名前を当時、自分が住んでいたアムステルダムの街の通り名(Kanaalstraat)から由来して、Channel Classicsとした。


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ジャレットはオランダ人と結婚し、その妻、Lydi Groenewegen と、その他2人のスタッフ、そして所属するアーティストのCD/SACDとダウンロードファイルを世界にプロモートする30か国のdistributorとでレーベルを運営している。



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オランダとアメリカに二重市民権を得ているジャレットだが、2015年に、そのChannel Classicsの世界中への功績を讃えて、オランダの国王、Willem-Alexander王と、Maxima 王妃から、”Dutch-king”の称号を授与された。その背景には、英グラモフォンのレーベル・オブ・ザ・イヤーの受賞があることはもちろんである。


Channel Classicsの録音の歴史は、YouTubeとしてフィルムを作成している。

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ジャレット・サックスは、2014年にステレオファイルという雑誌媒体でインタビューを受けている。自分が昔読んだインタビューはこれだったかもしれない。

Channel Classicsの創立時代の想い出から、SACDビジネスの立ち上げの時期、そして彼の絶対的なDSD信仰、かなり読み応えある。

2014年ころだから、いまのオーディオ事情からすると、ちょっと昔感あって古い感じもするが、貴重なインタビューであることに違いはない。これはみんなにジャレット・サックスという人をわかってもらいたいためにも、和訳しないといけない。

これがかなりの長文インタビューで和訳大変。(笑)

ちょっと別途日記にする予定。いましばらく時間をください。



そのインタビューで詳らかにしているのだが、このChannel Classicsについて、自分には長い間、大きなナゾがあった。

それはスタジオの写真がないこと。

一生懸命、ネット、SNS含めて探してみるのだが、まったく見当たらない。
これはやっぱりスタジオの写真は公開しない、という彼の大きなポリシーがあるのではないか、と考えていた。

そうしたら、そのインタビューを読んだら、そのナゾが一気に解けた。

Channel Classicsのオフィスというのは、ずばりオランダのKanaal Straatにあるジャレット・サックスの自宅のことだったのだ。(笑)

それは公開できんわな。(笑)

ジャレット・サックスはもともとはアメリカ人だが、オランダに移住した時に家を購入して、そこをレーベルのスタジオ兼にした、ということらしい。

モニターSPは、B&W 803D×5本で、パワーアンプは、CLASSE 5200で、これが5つのアンプを1筐体に内蔵しているタイプのもの、やはり5つのパワーをバラバラで使うより、ずっと性能面でいいんだね。そしてプリアンプが自家製のカスタムメイド。プリを自作する人、多いですね。

現場での録音機材としては、マイクプリアンプやA/D-D/AはMerging Technologiesを使っている。もちろん教会やコンサートホールに出張録音するのが基本であるから、それらをハンドルしやすいように1Boxタイプのまとめてあるようだ。(パッと見たところマイクの情報はなし。後でよく確認しておきます。)

サックスは、じつは大の室内楽好き。ちょっとしたアンサンブルが演奏できるようなスペースも自宅にはあるようだ。



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サックスのことを、自分はワンマンと一言で片づけてしまったが、そのインタビューを読む限り、ちゃんとしたポリシーがあるようだ。

アメリカ人で、37年間オランダに住んできて(その間結婚もした)、レーベル創立以来、妻と、2人半のスタッフだけで運営してきた少数精鋭の会社だったようだ。

常に小さい規模をキープすることをキモとし、すべてのことはサックスがやっている。妻はブックレットの作業を分担しているそうだ。

録音が本当に好きで、他のレーベルのように録音はエンジニアに任せて、自分は録音に関わらない、という立ち位置も可能だったが、それは自分には合わないと思ったらしい。いまのレーベルはコピーされたものを受け取り、それを売るだけという会社が多い。

でもサックスにはそれは耐えられなかった。自分は素晴らしいアーティスト達とレコーディングをすることがなによりも楽しかった。

そのコピーを受け取り、単に売ることは、そのアーティスト達への罪だと考えた。

そこに彼の原点がある。

だからワンマンというよりは、本当に彼がやっている、というのが正しい。


このインタビューを読んで、もっと驚いたことに、SACDのフォーマットが世に出て、世界で最初のハイブリッドのSACDを出したオリジネーターは、Channel Classicsなのだそうだ。フィリップスのPENTATONEは、その後に参入というタイミングらしい。

サックスはアメリカ人で単身オランダに移住してきた、いわゆるコネクションなし。いわゆる非Sony/Philips系の人で、そこからSACDビジネスを立ち上げるのは、いろいろ苦労したようだ。当然、その録音機材含めて、設備導入にあたって、Philipsとかなり綿密にコンタクトしていたことが、そのインタビューで告白されている。

いまのポリヒムニアのメンバーも、自宅に手伝いに来ているとか、やっぱり同じオランダ、狭い世界なんだね。(笑)

みんな繋がっているんだよ。(笑)

サックスのDSD信仰はすざましいものがある。これはインタビューを読んでみると、刻刻と感じるのだが、そこまで好きじゃないとやってられないよね、という気はする。

とにかくそのインタビュー記事の和訳を楽しみにしてほしい。


ちょっとHPや公式FBのほうから写真を拝借してみます。

まず録音セッション。

ブタペスト祝祭管弦楽団との録音。イアン・フィッシャーと関係者でディスカッション。

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ベルリン・イエス・キリスト教会にも現れます。(笑)

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レイチェル・ポッジャーの録音セッション。

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その他にも・・・

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Channel Classicsのサウンドを聴くと、楽器の音がすごい前へ前へ出てくるような感じで、エネルギー感や鮮度感が抜群なので、かなり楽器の前にビタッとスポットマイクが乱立していてオンマイクで録っていて、それをいじっているのかな、と思ったのだが、これらの写真を見ると、そんなに極端でもないようだ。

インタビューでも言っていたのだが、ジャレット・サックスは、自分はオーディオファイル(オーディオマニア)ではない、だからマイキングなどレーベル常識にこだわらない、というようなことも言っている。

常にミュージシャン・ファーストの立場だと言っていた。

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ジャレット・サックスのプレゼンテーション。

SPにGrimmオーディオのを使っている。GrimmはオランダのPhilips系のオーディオメーカーで、アムステルダム・コンセルトヘボウの屋根裏部屋のポリヒムニアの編集室のSPも、以前はB&W N805を使っていたが、いまはこのGrimmオーディオのSPを使っている。

オランダにPhilips強し!ですね。


たくさんの魅力的なアーティストを抱えるChannel Classicsであるが、自分が注目している女性ヴァイオリニストがいる。


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ロザンヌ・フィリッペンスというオランダ人の新鋭ヴァイオリニストで、ご覧のように、ふくよかな感じのいかにも女性らしい美人である。


オランダのハーグ王立音楽院、ドイツのハンス・アイスラー音楽大学でヴァイオリンを学び、2009年のオランダ国際ヴァイオリン・コンクールで第1位、また2014年のフライブルク国際ヴァイオリン・コンクールでも見事第1位に輝いた、というオランダの華麗なる才女だそうである。

こういう地元の優秀なオランダ人アーティストを、しっかりキープするのは、オランダのレーベルとしては、至極当然のことなのだろう。

自分が思うには、Channel Classicsの次世代を背負うホープで、レイチェル・ポッジャーの後任は彼女しかいない、と思っている。新作が出るたびに聴いているが、実力も確かだ。

あとは、ポッジャーの古楽&バロック・ヴァイオリンのように、自分の音楽の方向性をどのように持っていくか、が大きな課題だろう。


ロザンヌ・フィリッペンスの最新作はこちらになります。 


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ヴァイオリン協奏曲第2番、無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、他(プロコフィエフ)
ロザンヌ・フィリッペンス、タウスク&ザンクト・ガレン交響楽団、他

https://goo.gl/soFdMm

残念ながら、Channel Classicsは、このサックスの判断なのか、ネットビジネスに移行しつつあって、SACDはレイチェル・ポッジャーやイアン・フィッシャー&ブタペスト祝祭管のような看板スターしか出せないようになってきた。

このロザンヌ・フィリッペンスも最初の頃は、SACDを出してくれていたのだけれど、最近は物理メディアはCDのみ販売で、あとはダウンロード型のファイル(DSDファイル)のみavailableというビジネスのやり方だ。

このChannel Classicsが立ち上げたダウンロード型音楽配信サイトが、Native DSD Musicというサイト。


Native DSD Music

https://www.nativedsd.com/


まさにDSDファイルに拘った音楽配信で、PENTATONE,Channel Classics,LSO LiveなどいわゆるDSD音源を持っているレーベルだけを寄せ集めた特殊なサイトで、いま覗いてみると、なんと、61レーベルの参加、1410のアルバムを格納しているようだ。

そんなにDSDレーベルってあったっけかな?(笑)と思ったが、マスターがPCMでもDSDのファイルに変換してるんだろう。

DSD256(11.2MHz)まで対応している。

強烈なDSD信仰のあるジャレット・サックスらしいビジネス。

2015年ころにちらっと覗いて、実際ダウンロード購入したことも数回あるが、自分の家はマンションのナローバンドなので、ダウンロードは時間喰ってちょっとキツイ。

懲りて、以来縁遠かった。

最近はダウンロードよりもストリーミングのほうに世の中流れているので、日本のPrimeSeatと協力して、DSDストリーミングの実験をやっているような告知も観た。

PriemSeatはライブ演奏をストリーミングする”ライブストリーミング”が、ふつうでは得られないコンテンツということで売りなのだが、この実験で普通のDSD音源もストリーミングするつもりなのでしょうか?(笑)


ネットに移行するのは仕方がないにしても(クオリティはまだ不満です)、ネットサービスは2chが基本。サラウンド・コンテンツのファイルも用意されていることはいるが、それに対応するUSB-DACなりのサラウンド用DACというのが、あまりお目にかからない。

I/Fとかどうやるのかな、とも思うが。

サウンド・クオリティ含め、SACDのメリットは、やはりサラウンド再生。
これが実現しないと、自分はやはりまだネットコンテンツにはあまり興味が湧かない。


Channel Classicsがやっている、このNative DSD Musicも推奨サラウンドDACというのを掲載しているが、自分にはイマイチ。(笑)まだ次世代ステップなのだろう。



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彼らが推奨している内のひとつのマルチチャンネルDAC。
New “Mark II” edition of exaSound’s popular e28 Multichannel DAC

実際日本で使用されているユーザの感想も読んだことがある。

まぁ、まだ自分には先のことで眼中にありません。
オーディオに散財するのは、虚しくなるだけなので、もうやめようと思っているので・・・(笑)


強烈な印象だったジャレット・サックスのインタビュー記事。当時2014年だから4年も経過している訳で、移り変わりが激しいオーディオ業界、いまのサックスの考え方はどのように変わっているのか?

Channel Classicsは今後どのように変わっていくのか?

おおいに興味がわくところではある。









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オレがこの25年間で録ったベスト25テイク [オーディオ]

Channel Classicsを、単なるオーディオマニア御用達の高音質指向型のマイナーレーベルだと侮ってはいけない。

彼らは、あのクラシック界で権威高いイギリスのグラモフォン誌で、2015年に”レーベル・オブ・ザ・イヤー”を見事受賞しているのだ。

Label of the Year 2015 "Channel Classics" GRAMOPHONE

https://www.gramophone.co.uk/awards/2015/label-of-the-year

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受賞する創始者ジャレット・サックス


この年は、ちょうどレーベル創立25周年にあたる祝年でもあった。
この受賞はインディーズ、いわゆるマイナーレーベルとしては、画期的な事件だった。

英グラモフォンといえば、選考員および一般大衆による投票によって決められる賞で、アーティスト、曲、アルバム、レーベルなどカテゴリーごとにその年の最も印象的だったものを選ぶもの。

ここに選ばれることは、とても名誉なことだ。

メジャーとインディーズの垣根の定義は正直難しい。アーティスト、そしてレパートリーなどのマーケットが大きいメジャー、そしてそれらがニッチ市場であるインディーズ。

今回、そのまさにインディーズの代表でもあるChannel Classicsに受賞という大きな名誉が与えられたのは、メジャーでは至極当たり前に行われている、アーティストがレパートリーを増やしていく過程に伴うリスクを許し、さらに彼らを積極的にサポートしていくその姿勢が、評価されたというのが理由であった。

まさにインディーズでこれがやれている、というところを評価された訳で、まさにインディーズ代表としての受賞と言ってもよかった。

Channel Classicsを支えている大黒柱は、英国人のレイチェル・ポッジャーとハンガリー人のイアン・フィッシャー(ブタペスト祝祭管弦楽団)。

彼らが、この25年間にこのレーベルでリリースしてきた膨大なレパートリーは、まさにこのような大きなサポートがなければ実現しなかった。

この2人の他にもたくさんのとても華やかなアーティスト達が在籍している。

同時に、このレーベルのサウンド・クオリティーも大きな評価の対象であった。
創始者、ジャレット・サックス氏による新しいレコーディング・フォーマットに挑戦し続けるあくなき探求心にも称賛の対象であった。

”アーティストと録音技術”。

レーベルにとって、最も大切なこの2要素が、素晴らしい、メジャーなみと評価され、まさにインディーズ代表としての受賞と相成ったわけだ。


そんなその年のグラモフォン受賞の記念、そして創立25周年を祝してリリースされたのが、この記念盤。SACDではなくCDである。 

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「オレがこの25年間で録ったベスト25テイク」というのは、自分が勝手につけた邦題である。(笑)正式名称は、「JARED SACKS 25 Takes From 25 Years of Recordings」。

自分は、これをどのように入手したのか覚えていないのだけれど、Channel Classicsのアルバムをまとめて何枚か注文したら特別にもらった記念盤だったような覚えがある。

先日のレイチェル・ポッジャーの日記を書くときに、彼女のディスクをまとめてラックから探しているときに、偶然に見つけた。

普通の販路では売っていないディスクであるが、Channel ClassicsのHPでネット経由で購入できるようだ。

https://www.channelclassics.com/catalogue/SEL6615-25-Takes-from-25-Years-of-Recording/


物理メディアのCDだけでなく、デジタル・ファイルも存在する。こちらはDSDファイルだ。
DSD64(2.8MHz)で、2chとMultiChannelが存在する。

自分は、CDで持っていて、先日発見するまで新品未開封だったのだが(笑)、今回聴いてみた。
レイチェル・ポッジャーからスタートして、本当にじつにバラエティに富んだアーティスト、そして選曲。

中心レパートリーである古楽を中心に、大編成のオーケストラ、ピアノ、アカペラ、合唱に至るまで、ひとつのレーベルでよくこれだけ、いろいろなジャンルに溢れているのが信じられない。

このレーベルは、普段はSACDサラウンドで聴いていて、そのサウンドの印象はポッジャー日記で書いた通りだが、CDで聴いても全然いい。その録音のよさがわかるし、やはり独特のサウンドだ。

やっぱりサウンドって、マスターからユーザー宅に届けるまでのフォーマットがどうこう、というより、やっぱり収録現場での収録、そしてその編集の部分で、優秀録音になるかどうか決まってしまう、パーセンテージが大きいと思う。(まさに収録するときの諸元の高さは最重要。伝送フォーマットのレベルアップは、その助けにはもちろんなるとは思いますが。)

昨今のハイレゾブームに応じて、CDを馬鹿にする風潮にある中、あえて、そのブームにチクりと嫌味を。(笑)

いい録音というのは、CDで聴いても、じつに素晴らしい音なのだ。
CDをちゃんと再生できない人が、ハイレゾに先走ってもその効果はたかが知れている。(笑)

この記念盤、本当に素晴らしい!

Channel Classicsの25年間がすべて詰まってると言っていい。

ぜひ聴いてみてほしい。






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レイチェル・ポッジャーのディスコグラフィー [ディスク・レビュー]

バッハとヴィヴァルディ。レイチェル・ポッジャーの録音は、やはりこの2人の作曲家の作品がいい。バッハは、ポッジャーをいまの名声の立場にまで引き上げてくれた人で彼女のルーツはここにある。ヴィヴァルディは、最新録音技術を駆使して、いままさに取り組んでいるプロジェクト。

もちろん他の作曲家の作品も魅力的だが、自分の11枚を聴き込んでのとりあえず出した結論。

でもバロック音楽も久しぶりに聴くとなんと心地よい音楽なんだろう。
あの明るい軽やかな旋律は、確かにクラシックの音楽の原点だね。
とても癒される。 


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無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全曲(バッハ) 
ポッジャー

http://bit.ly/2Nv2kMy


1999年に発表した「バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」は、「古楽器による無伴奏」史上最大のベストセラーを記録した。

この1998年から99年にかけて録音された「無伴奏」の成功で、ポッジャーは一躍世界にその名を轟かせることとなった。

まさに彼女の原点はここにあった。彼女はここからスタートした。
まさにポッジャーを語る上では、絶対外せない名盤なのだ。



古楽器によるバッハ無伴奏。

自分は最初よくわかっていなくて、これはSACDではなくCDなので、スルーしていた。
しかもバッハの無伴奏は、後で紹介する「守護天使」のSACDを持っていたので、尚更スルーだった。ところがポッジャーのことを調べてわかってくると、このCDが彼女のすべての原点でありスタートであることがわかり、急いで今回注文した。

バッハ無伴奏にありがちなロマン派志向の演奏に聴かれるような重苦しさとは全くその対極にある演奏。かなり印象的な速いテンポで進められる。なんか疾走感があって、なにかに掻き立てられるような演奏。かなり情熱的なバッハだと思う。熱いパッションがどんどんこちらに伝わってくる。

かなり訴求力ある。強烈にアピールしてくるバッハ無伴奏だと思う。

録音的には、2chステレオ再生とは思えない空間感で、しかもヴァイオリンの音の芯が太くて、かなり肉厚なサウンド。広い空間を朗々と鳴るその鳴りっぷりに圧倒される。定位感もある。

これは自分のオーディオ・システムに起因するところなのかもしれないが、2chステレオのほうが、かなり厚いサウンドで、これがSACDサラウンドになると、確かに情報量やステージ感は圧倒的に有利になるのだが、音の芯というか、どこか薄いというか線の細いサウンドに感じてしまうのだ。


2ch再生のほうが肉厚。

あとで、紹介する「守護天使」は、同じバッハ無伴奏でSACDサラウンドなのだが、なにかどこか音が薄いというか、ワンポイント的に聴こえてあっさり感を感じてしまうのだ。

とにかくこのCDは、ポッジャーを語る上で避けて通れないディスクなのだ。 



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ヴァイオリン協奏曲集(バッハ) 
ポッジャー&ブレコン・バロック

http://bit.ly/2NwdK2K

1999年の「バッハ無伴奏」で一躍スターダムにのし上がったポジャーであるが、その後、ピノック率いる古楽器オーケストラ「イングリッシュ・コンサート」や、マクリーシュ率いる「ガブリエリ・コンソート&プレイヤーズ」のリーダーとして活躍。

その後は「エイジ・オブ・エンラントゥンメント管弦楽団」や「アルテ・デイ・スオナトーリ」など複数の古楽器オケに関わり、さらにギルドホール音楽演劇学校と王立ウェールズ音楽大学、デンマーク王立アカデミー、ブレーメン音楽大学でバロック・ヴァイオリンの教授を歴任。

2006年には南ウェールズの田園地帯でモーツァルト音楽財団を設立して若い音楽家を援助し、同地で開催されるブレコン・バロック音楽フェスティヴァルの中心人物として活躍。2008年からはロンドン王立音楽アカデミーでバロック・ヴァイオリンを教えていたりしていた。

まさに、ポッジャーが日本ではあまりその活躍、知名度の高さが知られていないのが不思議なくらいの古楽界ではスターであった。

その名声を徹底的にしたのが、このバッハのコンチェルト。

自分のユニット、ブレコン・バロックを結成したのは、2007年だが、録音したデビューCDは2010年、まさにこのバッハのコンチェルトなのであった。このバッハのヴァイオリン協奏曲は、ユニバーサル批評家の称賛を集めた。

このSACDは、結構自分のオーディオ仲間内でもオーディオオフ会などに使われていた定番のソフトだったのだが、これだけの名声のある録音にしては、自分のオーディオと相性は、じつはあまり良くないのだ。

サラウンドで聴いているのだが、普段のChannel Classicsサウンドよりも、若干控えめで、ふわっと部屋中に広がる音場感が物足りない。ちょっとこじんまりしていて、音量もそんなに大きくない。
あのいつもの前へ前へ出ていくような感じがなく控えめなのだ。

じつはあまり自分は胸ときめかないディスクなのだ。(^^;;

バッハのコンチェルトなら、これもオーディオオフ会で定番ソフトであったDGのヒラリーハーン盤のほうが、ずっと自分のオーディオとは相性が良かった。

でももっと逆の見方をしたら、エンジニアのいじりがない、最も古楽らしい自然な響きがするアルバムだということもいえるのかもしれない。 


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モーツァルト:協奏交響曲、ハイドン:ヴァイオリン協奏曲集 
ポッジャー、P.ベズノシウク、エイジ・オブ・インライトゥメント管


http://bit.ly/2O8u6iX


ポッジャーのヴァイオリンと鬼才ベズノシウクのヴィオラ。2人の名手と2台のストラディヴァリウスの対話が創り出す、「協奏交響曲」。モーツァルトとハイドン。

聴いていて、明るいとても楽しい曲。特にモーツァルトが良い。
弦合奏、ヴァイオリンとヴィオラの掛け合いが素晴らしく、特に解像感がいい。
弦が擦れるような感覚が伝わってくるような緊迫感のあるサウンドなのだ。優秀録音。
チェンバロが重なってくると、いわゆるあの古楽独特の雰囲気のあるサウンドで心地よい。
それに増して、驚くのは、演奏している人たちのアンサンブルの精緻さ、正確さ。
かなりう~んと唸るくらい素晴らしい。

ポッジャーはバッハとヴィヴァルディと断言しちゃったけれど、このモーツァルト&ハイドンもじつに素晴らしいです。 


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モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲集、
M.ハイドン:二重奏曲集 
ポッジャー、J.ロジャース

http://bit.ly/2NyktZR


ブレコン・バロックのメンバーであり英国最高峰のヴィオラ奏者、ジェーン・ロジャースとのデュオによる「モーツァルト&ミヒャエル・ハイドン」。ポッジャーはモーツァルトとハイドンの組み合わせがとても好きだ。


これも先に紹介したアルバムとテイストは似ている。モーツァルトとハイドンはとても明るくて楽しい曲なのがいい。モーツァルトらしいあの軽妙で親しみやすい旋律。それをヴァイオリンとヴィオラの2本で奏でていく掛け合いがシンプルでじつに美しい。先のアルバムは、古楽室内オケとの協奏曲だったが、こちらはヴァイオリンとヴィオラの2本で奏でる。

録音のテイストは、やはりジャレット・サックス。ぶれないというか、変わらない。弦楽器サウンドに必須の解像感がバッチリだ。弦が擦れる音が聴こえてきそうだ。 


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守護天使~無伴奏ヴァイオリン作品集~バッハ、ビーバー、タルティーニ、ピゼンデル、他
ポッジャー


http://bit.ly/2J2E7uz


ガーディアン・エンジェル、守護天使と題されたこのアルバムは、レイチェル・ポッジャーのお気に入り作品を集めたもの。ポッジャー自身の編曲によるバッハの無伴奏フルートのためのパルティータのヴァイオリン・ヴァージョンに始まり、アルバム・タイトル由来の名曲であるビーバーのパッサカリアで締めくくられる。

先の調布国際音楽祭2018でもこのアルバムから選曲された。

いままでの自分のこのアルバムの位置づけは、ポッジャーの無伴奏を聴くなら、この守護天使、というくらい圧倒的な信頼を持っていた。それは、やはりSACDの5.0サラウンドで収録されているということに他ならない。

でもポッジャーの伝説のデビューCDの無伴奏を聴いてから、少し考え方が変わってきた。

聴き込んでみると確かに最新録音としての完成度は高いのだけれど、一度デビューCDを聴いてしまうと、その音の薄さがどうしても気になってしまう。空間バランス(背景の空間に対して、楽器の響きの広がり)が、どこかワンポイントっぽく聴こえ、オフマイク録音のように感じる。

確かに美音系なので、いい録音だと思うのだが、オーディオマニアというのは、修羅場をくぐってくると、ヒネクレてくるというか、単なる美音では感動しない、というか、サウンドのどこかにエンタメ性を求めたりする生き物。

いまの自分はデビューCDのほうがクル。

でも最新録音としての完成度は高いアルバムだということは間違いありません。 


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二重&三重協奏曲集(バッハ) 
ポッジャー&ブレコン・バロック


http://bit.ly/2NuUoLp

これが、まさに自分の中でのポッジャーの最高傑作。ポッジャーの録音といえば、自分にはこのディスクのことを指す。いままで数多のオーディオオフ会での拙宅、または持ち込ソフトなど、自分のオフ会用のキラーコンテンツだった。

もちろん優秀録音なのだが、なによりもその楽曲の良さが自分には堪らなかった。

クラシックのアルバムというよりは、まるでポップスのアルバムを聴いているような収録曲の1曲1曲すべてにおいて、いわゆるポップスでいうところのフックの効いた(人の心を一瞬にして惹きつけるような旋律のサビの部分)曲ばかりなのだ。

トランスポートのリピート機能をONにして、ずっとエンドレスで聴いていても、1日中かけっぱなしにしても全く飽きがこないくらい自分は相当大好きだった。

このアルバムに収められているのはバッハの4つの多重協奏曲レパートリー。

録音面では、このディスクは2ch再生だとなかなか再生困難で難しい箇所も多い。弦楽器の多重なので、ある意味団子状態で混濁してしまうのだ。サラウンドで聴くと、これが結構各パートの弦楽器が分離して聴こえてスッキリ聴こえてくるのだが、2ch再生だとなかなかハードルが高いディスクだと思う。

システムの解像度分離の良さをテストするディスクとして機能していたところも多かった。

録音がいい!という点では、最近出てきた新しい録音のほうが、さすがに洗練されているとは思うが、このディスクでも十分すぎるくらいお釣りが出るほど素晴らしいサウンドのアルバムだと思う。

ポッジャーの1枚と言ったら、このディスクしかない! 


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「ラ・チェトラ」全曲(ヴィヴァルディ) 
ポッジャー、オランダ・バロック協会(2SACD)

http://bit.ly/2NzIxMa


ポッジャーの録音の中で、最も録音が素晴らしいと思う最新録音。いきなりの冒頭の通奏低音の分厚さにたまげる。いままでのChannel Classicsの録音ポリシーに沿っているのはもちろんのことだが、それ以上に音が分厚くて、ちょっと全体的にやりすぎ感が漂う感じもなくはない。(笑)


生音はあきらかに古楽器の響きなのに、録音の味付け(やりすぎ感?。。。笑笑)で、とてもモダンっぽく聴こえる。

まさにChannel Classicsの真骨頂といってもいい。音が分厚いのと情報量多いよね。原音に響きがほんのり乗っている豊かさで、それが音の厚みにつながっていて、そこからさらには全体のスケール感の大きさにつながっている感じ。

芋ずる式です。(笑)

確かにエンジニアの操作感を感じてしまうけれど、いわゆるオーディオ快楽というオーディオマニアが好きそうなサウンドだ。

このアルバムは、ポッジャーの最新のヴィヴァルディ・プロジェクトの1枚である。
ヴィヴァルディは円熟期の大作「ラ・チェトラ」。なんて素晴らしい曲なんだろう!

ヴィヴァルディって本当にバロックらしい、とてもシンプルで明るい調性の曲で素晴らしい。
まさに自分のお気に入りのディスクなのだ。 



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「調和の霊感」全曲 (ヴィヴァルディ)
ポッジャー&ブレコン・バロック(2SACD)

http://bit.ly/2Nwa8O8


この1枚も最新のヴィヴァルディ・プロジェクトの中の1枚。
調和の霊感~ピエタ音楽院の教職に就いて8年目、ヴァイオリンと合奏と作曲を教えていたヴィヴァルディが、33歳にして初めて出版した協奏曲集である。

これもブレコン・バロックとタッグを組んでいる。
これはちょっといままでの録音のテイストとちょっと違った趣。原音に響きの潤いが乗っていない。
弦の擦れる音が聴こえてきそうな解像感は高いと思うが、全体的にソリッドな感じ。いままで録音の妙で、古楽の響きもモダン風に化粧をしていたのが、そういうのをいっさいやめて原点に戻った感じ。まさに”古楽の響き”。

でももちろんテイストは違っていても優秀録音であることは間違いありません。

同じヴィヴァルディでもこんなに違うんだね。バロックの明るい解放的な雰囲気というより、もっと求道的で突っ走る感じで疾走感がとてもカッコイイ魅力になっていますね。 



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「ロザリオのソナタ」(ビーバー)
ポッジャー、シヴィオントキエヴィチ、他(2SACD)

http://bit.ly/2NygPiB


ポッジャーのディスクの中でも3本の指に入る大好きな録音。もちろん録音の優秀さ、そして楽曲の良さという両方において。

ポッジャーがついにビーバーのロザリオ・ソナタを録音した。

スコルダトゥーラ(変則調弦)などの特殊技法も要求され、通奏低音との絡みも重要なビーバーの人気作「ロザリオ・ソナタ」。ビーバーは、オーストリア・バロックの作曲家。その当時のヴァイオリン演奏技法を集大成したと言われる「ロザリオ・ソナタ」が、そんなビーバーの代表作なのだ。

自分は、大昔にちょっと嵌って聴き込んだことがあるが、ずいぶんご無沙汰していた。
そう!ハマるくらいかなり個性的な曲なのだ。ちょっと陰影っぽくて哀愁漂う感じでカッコイイ。
そんなロザリオ・ソナタをポッジャーが録音していたなんて!

これも、かなり録音が素晴らしい!
いわゆる”やりすぎ感”(笑)。

実音にほんのりと響きがのっていて(というか乗せている)、音に厚みがあって、そこから芋ずる式に全体のスケール感が増すという方程式ですね。生音では絶対こうは聴こえないよな、という自信はあります。(笑)

大好きな1枚です。 



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「四季」「恋人」「安らぎ」「ムガール大帝」 
レイチェル・ポッジャー、ブレコン・バロック


http://bit.ly/2NvcpJo

これもヴィヴァルディ・プロジェクトの1環。ポッジャーのまさに最も新しい最近リリースされたホヤホヤの最新録音。

もちろん慌てて買ったのだが、残念ながら届いたディスクは、不良ディスクで、SACD層を読み取らず、CD再生しかできなかった。もちろん返品交換してもらうが、ここでは録音評は差し控える。
間に合わなくて誠に残念!

学生だった頃のポッジャーが、ナイジェル・ケネディの名録音を聞いて以来、演奏と録音を夢見てきたというヴィヴァルディの傑作。

四季なんて、まさに誰もが知っている名曲。なぜこのような名曲を、というのもあるが、そういう理由があったんですね。もちろん今進行しているヴィヴァルディ・プロジェクトと相重なる幸運もあったのでしょう。

新品が届いたら、じっくり聴き込みたいね。 


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「フーガの技法」 
レイチェル・ポッジャー、ブレコン・バロック

http://bit.ly/2OatqtI


2015年に英国王立音楽院(RAM)のバッハ賞を受賞(歴代10番目、女性としては初受賞)したポッジャー。無伴奏、ソナタ、協奏曲と築いてきたバッハ伝説の最新章は、J.S.バッハの対位法の粋を集めた傑作「フーガの技法」に到達。

パートナーは、もちろんブレコン・バロック。

妙なエコー感、やりすぎ感がなく、とても自然なテイストの録音。ある意味、Channel Classicsっぽくない。(笑)

暗めで地味な旋律で、音量、音色などの強弱の振幅変化が乏しく、それが永遠に続くような不思議な感覚の曲である。バッハの対位法は、いろいろ勉強させられることが多く、今尚勉強中のテーマでもある。


以上、ミッションコンプリート!

ご苦労さんでした。

ずばりまとめると、レイチェル・ポッジャーのマイ・フェバリット ベスト3と言えば、

・二重&三重協奏曲集(バッハ)
・「ラ・チェトラ」全曲(ヴィヴァルディ)
・「ロザリオのソナタ」(ビーバー)

ということになります。
ぜひポッジャーを聴いてみたいなら、この3枚をお勧めします。


あっ、もちろんこの3枚の他にデビューCDのバッハ無伴奏も、絶対買ってください。

これも外せません!


日本に来日するなんて幻の幻。

オーディオ再生のみの自分の世界の中で生きてきたレイチェル・ポッジャー。

それが実演に接することができて、さらにこうやっていままで買いためてきて、きちんと整理することのなかったディスコグラフィーも自分の頭の中で踏ん切りがついた。

これも予想だにしなかった突然の来日がもたらしたうれしい誤算だろう。

ポッジャーは、現在、自分とまったく同世代の50歳。

実演、間近で観た彼女は全く商業っぽくなく、等身大の自分のスターとして、これからもファンでいて追いかけていくことは間違いないことだと思います。







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レイチェル・ポッジャーのディスコグラフィー 序章 [ディスク・レビュー]

自分が所有しているレイチェル・ポッジャーのディスク11枚を完遂した。自分はよくやるのだが、こうやって1人のアーティストのいままでの録音を全部確認することで、そのアーティストが目指しているところの音楽の方向性がわかるのだ。

だから自分にとって、はじめて接するアーティストを聴く場合、すぐにそのアーティストのディスコグラフィーを調べてみる。するとどういう音楽を目指してきているのか、まず理解できる。

まずは、そこを知ることが重要だし、ある意味そのアーティストへの礼儀というものではないか、と思う。

自分がいままで、こういうディスコグラフィーを聴き倒したのは、エディタ・グルベローヴァ、エレーヌ・グリモー、アリーナ・イブラギモヴァそしてこのレイチェル・ポッジャーの4人である。

結構、骨の要る作業なのだ。(笑)
簡単なことじゃない。

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レイチェル・ポッジャーは、それこそ自分が所有している11枚以外にももっと出しているが、彼女を知るには、この11枚を持っていれば、彼女の音楽の方向性、そして録音を楽しむには十分ではないか、と思う。

2枚を新規に買い足したとはいえ、結構ポッジャー・フリークだったんだな、自分。(笑)

ポッジャーの11枚を一通り制覇して、まず思ったことは、Channel Classicsは、本当に録音がいいレーベルだな、と思ったこと。

そして本当に独特なサウンド。ちょっと他の高音質指向型レーベルでは例をみないというか、あまり体験できないサウンド。

「エネルギー感や鮮度感が抜群で、前へ前へ出てくるサウンド、そして空間もしっかり録れていて両立性があること。」

Channel Classicsの録音ポリシーって、こんな風にまとめれるんではないかなぁ、と感じてしまう。

結構各楽器にスポットマイクを多用してオンマイクでがっちり録って、メインで録ったものとうまくミキシングしているような感じがする。そのバランスが見事というか絶妙です。

ポッジャーの11枚を聴くと、新しい録音になっていくにつれて、どんどん録音がよくなっていくのがわかる。新しい録音は、正直、やりすぎ感というか、それはいじり過ぎだろう?(笑)という感もして、生演奏の音からはあまりに乖離している、でも「オーディオ快楽」といおうか、いかにもオーディオマニアが喜びそうな音に出来上がっている印象を抱いた。

一番違和感を感じるのは、あの楽器の音のエネルギー感や鮮度感。ある意味ここが、このレーベルのサウンドの1番の持ち味なのだが、生演奏では、あんなに派手に聴こえません。そこはオーディオライクにデフォルメして調理していることは間違いなし。

でもオーディオってそれでいいのかもしれない。



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Channel Classicsは、ジャレッド・サックス氏が創立した会社で、彼のワンマン会社。(笑)
上の写真のように、Channel Classics創立25周年を記念して、「オレがこの25年間で録ったベスト25テイク」というCDを出している。(笑)

Channel Classicsの録音のクレジットを見てもサックス以外のメンバーはいっさい出てこない。

Recording enginner,editing
C.Jared Sacks

とあるだけ。


ライナーノーツに挿入されているレコーディング風景の写真を見てみると、ポッジャーを取り囲んで、エンジニアが数人と議論している写真をよく見るし、ひょっとしたら本当にサックス1人でやっているのかもしれないけれど、実際は、複数タッグでやっているはず。他のエンジニアも可哀想だから、ちゃんとクレジットしてやれよ~と思うのだが、このレーベルでは、こと録音という神聖エリアではこのレーベルでは、サックスは圧倒的な絶対専制君主なのだろう。

ここが、PENTATONEやBIS内での録音エンジニアの立ち位置関係の明らかな違い、と感じるところだ。

大昔に、サックスのインタビューで、彼の録音ポリシーと録音技術についてのインタビューの記事を読んだことがあったのだが、内容は忘れてしまったが、かなり骨のあるしっかりした考えを持っている人なんだな、と思ったことがある。


Channel Classicsのマスタリングルームは、B&W 803D×5本(Nautilusの後に出たやつで、Diamondの前にでたSPです。)、そしてCLASSE 5200のアンプを使っている。




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レイチェル・ポッジャーの録音、彼女の音楽の方向性は、やはりバロック時代の音楽。ことバッハが彼女の音楽の根底にあるのが、はっきりわかる。やはりこの世界にデビューしたのはバッハだし、いまのバロック古楽の世界で名声を得たのもバッハ作品がきっかけだった。

彼女にとって、バッハは特別な存在。

そして最近の最新アルバムでは、ヴィヴァルディを自分のテーマにあげていて、4枚のヴィヴァルディ・アルバムをリリースしている。

彼女のヴィヴァルディへの傾倒ぶりが分かる。

11枚の録音を作曲家別に分けてみると、バッハ(×4枚)。ヴィヴァルディ(×4枚)、モーツァルト、ハイドン、ビーバーとなる。

演奏スタイルの変遷としては、ポッジャー自身がバロック・ヴァイオリンを売りにしている奏者、その部分は不動として、無伴奏で演奏しているアルバム、そして彼女の最も大切なパートナーである古楽演奏の室内楽ユニット、ブレコン・バロック。そしてオランダ古楽界の若き精鋭集団オランダ・バロック協会や、ポーランドの古楽グループ「アルテ・デイ・スオナトーリ」など自分のグループ以外との共演にもとても積極的だ。

特に最近の彼女のライフワークであるヴィヴァルディ・プロジェクト。

ポーランドの古楽グループ「アルテ・デイ・スオナトーリ」と共演した「ラ・ストラヴァガンツァ」、オランダのグループ「オランダ・バロック協会」と共演した「ラ・チェトラ」、 そして自ら結成した古楽グループ「ブレコン・バロック」と共演した「調和の霊感」

この3枚のヴィヴァルディ・アルバムは絶対買いの素晴らしいアルバム、録音だった。

ヴィヴァルディのバロック時代に「協奏曲」というジャンルは確立されていなかったと理解しているが、まさに古楽時代のヴァイオリン協奏曲と言ってもいい名高い名曲を収めた3枚となった。

特にポーランドの古楽グループ「アルテ・デイ・スオナトーリ」と共演した「ラ・ストラヴァガンツァ」の録音は、2002年にリリースされたアルバムだが、これがChannel Classicsとしては初の協奏曲録音となったそうで、ポッジャーのこのレーベルへの貢献ぶりがわかる。



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彼女の室内楽ユニット、ブレコン・バロック。


2007年にブレコン・バロック・インストゥルメンタル・アンサンブルを設立し、2010年に録音したデビューCD、バッハのヴァイオリン協奏曲は、ユニバーサル批評家の称賛を集めた。

ブレコン・バロックはチェンバロを含めて6名、各パート1人で編成し、バッハ時代のカフェ・ツィンマーマン・アンサンブルを模し、自由で新しいスタイルの演奏を目指している。


このブレコン バロックが主役として活躍するブレコン・バロック音楽フェスティバルも定期的に開催されていて、ポッジャーはその芸術監督に2006年に就任している。

まさにポッジャーの手兵といっていい存在で、今回の11枚の中でも5枚が、このブレコン・バロックとの競演なのだ。彼女にとって、なくてはならない存在だ。

もうひとつ今回気づいたことは、11枚のうち録音ロケーションの大半がイギリス、ロンドンで行われていることだ。何枚かは、お膝元のオランダでおこなわれている。

こうしてみると、ポッジャーって英国の父とドイツ人の母の間に生まれたイギリス国籍。
今住んでいるところ、活動の本拠地も、イギリス、ロンドンなのかなー?と思ってしまう。

これから本章のディスク紹介に入っていきたい。本当にとてもウィットに富んだ魅力的な11枚のアルバムだった。自分がこれだけバロック音楽の世界を集中的に聴くことも普段はあまりなく、ある意味貴重な体験だった。

長くなりそうなので、いったん日記を2部に分けようと思います。






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ラトル&ベルリンフィル [クラシック指揮者]

16年間ベルリンフィルの音楽監督を務めあげてきたサー・サイモン ラトル。
16年間ご苦労様としかいいようがない。 

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この16年を短いと見るか、長いと見るかは、人ぞれぞれだろうけれど、自分は潮時というか、とても適切なジャッジをしたのではないか、と思う。

それも数年前から宣言をして、計画的に終焉を終える。他人に迷惑をかけず、とても紳士的な振る舞いだと思う。

ラトルのベルリンフィルにおける功績はそれこそ、いろいろなメディアで記事として特集されてきたので、そのようなことは、ここで触れるつもりは毛頭ない。

自分のラトル&ベルリンフィルへの想いを書きたいだけである。


自分にとって、ベルリンフィルのシェフといえば、カラヤンでも、アバドでも、ましてやフルトヴェングラーでもなく、このラトルであった。

ベルリンフィルへの入門として、それこそ、自分はカラヤンのことを膨大に勉強してきた。あの膨大な音源、映像素材を片っ端から収集してきて、徹底的に研究してきた。そしてカラヤンに纏わる本も、相当買い込み、カラヤンの生い立ち、そしてゴシップなどのゴタゴタまで隅々読み漁ってきた。

アンチも多かったカラヤンだったが、自分のクラシックの原点は、カラヤン&ベルリンフィルだった。誘ってくれた友人にも感謝しないといけない。


なにせ、カラヤンの現役時代は、自分は北海道にいた。(笑)
就職で上京して、2年後にカラヤンはご逝去された。

アバドの時代は正直自分には印象が薄かった。

いわば、カラヤンやアバド、そしてフルトヴェングラーの時代というのは、自分にとっては、レコード再生、CD再生など音源を通して、頭の中で想像する類の指揮者であった。


自分が、本当にベルリンフィルとリアルと向かい合って、肌で体験していると感じたのは、このラトル時代からと言ってもいい。

ラトルがベルリンフィルに就任したのは、2002年。

このとき、自分は会社を3年間休職して、北海道の親元で療養していた真っ最中だった。(笑)

2004年に復職してから、ラトル&ベルリンフィルを聴き始めた。

今振り返ってみると、自分のラトルへの評価は、彼の方針に対して、いつも疑問や反発からスタートして、そのうち納得させられる、ということの繰り返しだった。

そこには、カラヤンをベースにしてきた超保守的な自分にとって、ラトルのやることは、なにもかも常に新しかった、ということがあった。

そこに超コンサバな自分が反発する、そんな図式だった。

いつも最初は反発していた。

その初めだったのは、ベルリンフィルが所属するレーベル。
ベルリンフィルといえば、自分にとっては絶対ドイツ・グラモフォン(DG)だった。

ラトルが、イギリス人ということもあったのか、EMIというのは、とても許せなかった。
オーディオマニアにとって、このレーベルって、とても大切。

レコード会社(レーベル)というのは、それこそプロデュース、販売などいろんな役割があるが、自分に関係してくるのはサウンド。

正直自分は、EMIの造るサウンドがあまり好きではなかった。
天下のベルリンフィルは、絶対DGであるべき。

天下のベルリンフィルがEMIというのが、自分には許せなかった。



そのベルリンフィルのEMI盤の中で、「くるみ割り人形」のCDが発売されたとき、輸入盤・国内盤の問題がmixiのオーディオ仲間内で発覚した。

そのときから自分は、やはり音質的には、絶対輸入盤がいい、という確信を抱いた。(それ以前のずっと古い時代から、やはり音質的には、絶対輸入盤がいい、という定説はありました。)

この事件がトラウマになって、それ以来、自分はCDを買うときは、絶対輸入盤になってしまった。ライナーノーツやとても貴重な解説ノートがつくときは、輸入盤とは別途に国内盤を重複して買うことにしている。それだけ、この事件で自分は国内盤に対する信用を失った。

これもある意味、音造りにあまり執着しないEMIだから起きた事故だと自分は思っていた。



そしてラトル時代の大きな産物して、インターネットでベルリンフィルハーモニーでの公演を配信するDCH(Digital Concert Hall)がスタートした。これは自分にとって唯一acceptableな要素だった。画期的だと思った。

でも反面、NHKで年に2回やってくれる現地での定期公演の収録がなくなると思った。

DCHのカメラワークはつまらなかった。カメラが固定だからだ。ベルリンフィル側からすると、カメラが演奏している団員の前を常に動いたりすると演奏に集中できないとの理由から固定カメラにしているらしいが、家庭でその映像を観るユーザの立場からすると、なんて、ワンパターンでつまらない映像なんだ!と思ってしまった。

DCHはそれこそ、スタートした2008年は、DCHが動くパフォーマンス(CPU/メモリー)のPCを買い替えてまでして、最初夢中になって観ていたが、2~3年したら飽きて観なくなった。DCHは、たぶん2011年以降は、1回も観ていないと思う。

やはりパッケージソフトしてのBlu-rayのほうが、カメラーワーク含め、映像パッケージ作品としては数段レヴェルが上のように自分には思えてならなかった。


そして、ついに自主制作レーベル設立。
これも胸ときめいた。最初のシューマンの交響曲全集。

買って、その凡録音に唖然とした。いや、もとい、少なくとも自分のオーディオでは全く鳴らなかった。ある意味、EMIより遥かに悪かった、というか問題外であった。オマケに付属しているBlu-rayが、画質がDVDなみで、その怒りは頂点に達した。

DGやEMIといったらレコード会社だから、内部にしろ、外部委託にしろ、きちんとした録音エンジニアがいる。自主制作レーベルというのがそこら辺の素性が全く分からず、自分はますます不信感をいだいた。プロの仕事とは思えなかった。

ちゃんとした録音エンジニアがやっているのか?

レーベルから離れて、自主制作。素性がわからないことで、ますますその腕前に不信感を抱いたのだ。

あのときの自分の怒り・憤慨をぶつけた怒りの日記を書いた。
あれだけ激しい怒りの日記を書いたのは、最初で最後かもしれない。

その怒りの背景には、自分の天下のベルリンフィルが、こんなんでいいのか!という愛のムチと言ってもよかった。

自分のベルリンフィルへの録音作品への熱は、この自主制作レーベルで一気に冷めてしまったといってもよかった。正直、この事件以来、このベルリンフィルの自主制作レーベルのCDに、無意識に、苦手意識が生まれてしまった。

また自主制作レーベルのCDは、普通のCDより高いので、ますます買わなくなった。

カラヤン時代から集めてきたCDだったが、これで途絶えると思って悲しい想いをしたのがつい昨日のことのようだ。

縁あって、最近ベートーヴェンの交響曲全集を購入したのだが、これがじつに素晴らしい録音だった。大編成のオーケストラの録音としては、近来稀にみる見事な録音と言ってもよかった。

うちの2ch再生システムでもこれだけ鳴るんだから、絶対優秀録音だ。

ラトルとの出会いは、いつもこうなのだ。最初、最悪の出会いで、その後、見事に持ち直す、という・・・(笑)



これは自分が当時抱いていた想いなんだが、ベルリンフィルのシェフとしてのラトルは、あまり録音という作業に熱心ではない指揮者のように感じていた。

そのことをゴローさんにも吐露したことがある。

確かにカラヤンの録音好き、あの信じられないような膨大な録音を遺してきた、その後任の指揮者は、苦労するのは当たり前だ。

1番可哀想だったのはアバドだった。

どうしてもカラヤンと比較される。あれだけの作品を実演として上演して、録音も残してきたカラヤンと同じことはやれない。

自分の独自のカラーを出さないといけない。そういうことに常に悩まされていて、常に亡霊のようにつきまとわされてきたアバドは、自分から見ると、ベルリンフィル時代はそんなに、彼にとって輝いていたようには見えなかった。

アバドが、本来の彼らしい生き生きとした姿が観れるようになったのは、ベルリンフィル退任後の時代になってからで、ルツェルン祝祭管弦楽団とかやっているときだと思っている。

同じような想いがラトルにもあったことは、絶対間違いない。

ラトルは、アバドと同じように、カラヤンがやらなかった不得意でもあったマーラー&ショスターコヴィチや現代音楽の分野を積極的に取り上げた。

同じ曲を数年サイクルで何回も繰り返して録音するカラヤン。(そこには、自分の勝負曲を、その年代の最新の録音技術で残しておきたいという気持ちがあったとされている。)そしてすぐに全集モノを出すカラヤン。

そういうのと比較すると、アバドやラトルはつねにそんなに録音に熱心ではないと自分には映ってしまうのかもしれない。


自分が確信しているラトルの素晴らしいところは、マーラー&現代音楽含め新しい時代の作品に精通していて、積極的な人であると同時に、ベルリンフィルの最も得意とする18番でもあるロマン派の音楽もとても詳しく得手だという側面をちゃんと持ち合わせているというところだ。

いくら新しいことができたとしても、ベルリンフィルのお家芸であるロマン派の音楽がダメなら、団員たちは自分のシェフに絶対選ばない。

団員たちは音楽監督を決める選挙のときに、ちゃんとそこのところを観ているのだ。

団員たちが、ラトルを選んだのも、自分たちの伝統のロマン派の音楽に精通していると同時に、新しいことにも積極的に取り組んでくれそうな指揮者だったからだ。

ベルリンフィルの伝統お家芸のロマン派の音楽。
これがちゃんとできるかどうかは、団員たちは自分のシェフを選ぶときは、絶対シビアに観ている。

ベートーヴェンとブラームス。

この2人の作曲家は、ベルリンフィルにとって、もう絶対避けては通れない作曲家なのだ。
ベルリンフィルのシェフになったら、この2人の全集は、必ず造らないといけない。

もうこれは音楽監督の契約書の項目にあるのだと自分は確信している。(笑)

特にベートーヴェン。

結局、アバドもラトルも離任シーズン近くになったときの”ベルリンフィルのシェフとしての大まとめ”的な位置づけで作成した。

ベルリンフィルにとって、ベートーヴェンは1番特別な作曲家であることは誰もが知っている常識だ。


自分がゴローさんにも吐露したときも、ゴローさんの答えは、

「指揮者というのは、誰もがやるような定番の曲ってあまり魅力がない生き物なんだよ。これは自分しかやっていないようなそんな作曲家に魅力を感じるものなんだよ。」

これはある意味正解だと思う。


小澤征爾さんのサイトウキネンフェスティバル松本(現:セイジ・オザワ松本フェスティバル)のオペラ公演がそうだった。

この音楽祭でやるオペラは、小澤さんのポリシーがあって、ふつうのオペラハウスの興行でやるようなオペラはやらない。

ちょっとめずらしい、この松本でないと観れない、そんなオペラをやりたい、という意思で演目が選ばれていた。

だから当時、毎年松本の音楽祭に通っていた頃は、このオペラの予習するときが、すごく困ったものだった。巷には、予習素材がないものばかりだから。(笑)



ラトルがシェフになったことで、自分にとっては、ベルリンフィルが、より現実的で身近になったことは確かだった。

それはベルリンフィルの実演に接するようになったこと。

確かにこの影響は相当大きいだろう。

やっぱりオーディオ再生より、実演に接したほうが、自分への距離感はぐんと近くなる。

2009年にmixiをやりはじめて、自分のSNS生活をスタートさせた。

そのときに、ただオーディオのことを言及するだけではなく、クラシックのコンサートのことを言及したい、それが自分に似合っているというか自分のカラーになるように思えた。

コンサートも国内だけなく、海外まで行っちゃえ!

そんな中で、現地のベルリンフィルハーモニーでベルリンフィルを聴く、ということを実現できた。このときはマラ6を聴いた。もう何回も言及してきたことなので、今更言わないが、この本拠地でベルリンフィルを聴けた、というこの事実が、自分とベルリンフィルとの距離感を一気に近い存在にした。

自分にとって、ベルリンフィルのシェフと言ったら、圧倒的にラトルなのは、それが1番大きい理由だろう。やっぱりオーディオ再生よりも実演に接するほうがメモリアルだ。

ラトル&ベルリンフィルが日本に来日したときもかけつけた。

最初は、ブラームス交響曲全集を出したころで、それに乗って日本にやってきた。
サントリーホールで、ブラ1とブラ2を体験した。

このときは、コンマスとして安永徹さんがまだ在籍していた。

安永さんの勇姿を観れて、最高に幸せ者だと思った。

2回目は、これもサントリーホールでマーラー9番を聴いた。
これは安永さんの後任として樫本大進氏が正式に第1コンサートマスターとして就任したばかりで、まさに樫本氏の凱旋コンサート的に位置づけでもあった。

このときのマラ9は恐ろしく大感動したのを覚えている。
あの最後の音が消えつつも静寂をずっと保ち続ける、まさ聴衆にあれだけに緊張を強いる瞬間はないだろう。

いい想い出だ。


そして幻の3回目。

これはまさにベルリンフィルのシェフとしては一番大きな仕事であるベートーヴェン交響曲全集を完成した、その乗りでの世界ツアー。

日本でもサントリーホールでベートーヴェン・ツィクルス。(全曲演奏会)

ラトルは、ミューザ川崎の音響を大変気に入っていて、ミューザでの演奏も必ず実現させていた。
でもベートーヴェン・ツィクルスは、やはりベルリンフィルにとって特別。

ここはどうしてもサントリーホールでやる必要がある。

自分は、ベルリンフィルの来日コンサートを聴くときは、必ずサントリーホールで聴くようにしている。その理由は、もう今更であろう。(笑)

ところが、この3回目の来日コンサート。自分はベト4&7を聴く予定であった。

夜の公演だと思って、夜にサントリーホールに行ったら、なんと!マチネの公演でもう終わっていた。(号泣)

ベルリンフィルの来日公演のチケットと言えば、5万はする。
それだけの大枚をはたいて、しかもラトルの最後の大仕事。

このときの自分の落胆は、お察しする通りです。(笑)

この事件以来、自分とベルリンフィルの関係は、どうもギクシャクするような関係になってしまった。(意味不明。。。笑笑)


とにかくこれだけのリアルな想い出が詰まっている。

やはりそのショック度というか、心深く植え付けられる印象度合いが全然違うのだ。リアル体験というのは大きい。

過去に既に発売された音源や映像素材を鑑賞しているだけでは、このリアルさは絶対超えられない。

そういう意味で、自分にとって、ベルリンフィルのシェフと言えば、やはりサー・サイモン ラトルなのだ。

今晩(2018/7/15)のNHK BSプレミアムシアターで、ラトル&ベルリンフィル特集(ドキュメンタリー、マラ6最終定期、ヴァルトビューネ)を鑑賞する。

これで、本当にラトル&ベルリンフィルとお別れしよう。

尚、ラトルもアバドと同じように、これからも定期的にベルリンフィルに客演していくことになるそうです。


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Bells up for Sir Simon !

サイモンの最後(マラ6)のために、ホルンセクションのみんな、ホルンのベルを上げて感謝の意を・・・泣かせるなぁ (^^)






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レイチェル・ポッジャー ヴァイオリン・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

「レイチェル・ポッジャーは日本ではあまり人気が出ない。」

「日本ではレイチェル・ポッジャーの評価が低すぎる。」

レイチェル・ポッジャーは、現代最高のバロック・ヴァイオリニストの呼び声高く、バロック・ヴァイオリンの旗手として世界各地で活躍。バッハの無伴奏のソナタ、協奏曲、モーツァルトのソナタと、次から次へと出すアルバムは、すべて名盤という評価を受けている。

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そんな古楽の世界では非常に高い評価を受けている奏者なのだけれど、不思議と日本ではあまり話題にならないというか、どうも日本のメディアとの目線というか価値観と合わないようで、それがとても残念に思ってしまう。


自分はてっきり今回の来日が初来日だと思っていたのだが、じつは6年前の2012年にすみだトリフォニーホールで、「トリフォニーホール・バッハ・ フェスティバル2012」の開催のために来日している。


うわぁ、これはまったく知らなかった。知っていれば、絶対行っていた。当時は、SNSをやり始めた頃だったから、こういう来日情報は、今みたいに、簡単に入手できなくスルーしていたに違いない。


今回来日が実現したのは、調布国際音楽祭2018の1公演として。

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調布国際音楽祭は、公益財団法人 調布市文化・コミュニティ振興財団が主催する毎年初夏に開催されているクラシック音楽のお祭り。

「 調布から音楽を発信する」音楽祭として2013年にスタートした。

毎年、鈴木雅明氏&バッハ・ コレギウム・ジャパン(BCJ)が看板アーティストとなって引っ張っていっている音楽祭で、今年は、長男の鈴木優人氏をエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、音楽祭も一気に若返った。


調布市グリーンホール、調布市文化会館たづくり くすのきホール、そして深大寺などで開かれる。自分は、今回が初参加だったのだが、かねてより、深大寺の本堂の中で開かれるコンサートは、とても興味深く拝見していて、ぜひ参加してみたいと思っていた。

昔、調布散策した時に、もちろん深大寺まで行って、深大寺名物の深大寺蕎麦もいただきました。(笑)

深大寺コンサートは近いうちぜひ!


なぜ、レイチェル・ポッジャーの招聘ということになったか?は秘密裡だけれど、ポッジャーは昔、鈴木雅明氏と共演したことがあって、そこからの縁なのだと思う。また優人氏が担当しているNHK-FMの「古楽の楽しみ」でも彼女の録音をよくかけているのだそうで、そういうところから招聘のトリガーがあったのだろう。


BCJのメンバーはオランダで学んだ人が多いそうだ。


そうなのだ!オランダは古楽の国なのだ。

昔、欧州ベルギーに滞在していた時に、友人がアムステルダムに住んでいて、よく週末にアムスに遊びに行って、遊び尽くした街でもあった。いまでもその友人と話すときに、話題に出てくるのは、オランダ、アムスはまさに古楽の国、トン・コープマンとかブリュッヘン&18世紀オーケストラなど、もっともっと古楽をそのとき勉強しておくべきだった。オランダにはそういう古楽に所縁のある教会や名所がいっぱいある宝庫なのだ。その所縁の地にもっともっと足を運ぶべきだった。


やっぱり人間そううまくいかないもんなんだよね。そういうチャンスを神様から与えられているときに、その大切な価値観を知らなかったりして、後で思いっきり後悔する。世の中、得てしてそういうもんなんだよ。(笑)


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レイチェル・ポッジャーといえば、自分にとってはオーディオ再生。

日本に来日してくれて、その実演に接することは、ほとんど幻と思っていて、自分から直接現地ヨーロッパに会いに行かないと縁がないアーティストだと思っていた。

ある意味オーディオ再生を通じて、自分の頭の中で演奏姿を想像する類のアーティストだった。

オランダのレーベル Channel Classicsを長年に渡って支えてきた看板アーティストでもある。
Channel Classicsを支えているのは、このレイチェル・ポッジャーとイアン・フィッシャー&ブタペスト祝祭管弦楽団。

Channel Classicsは、当時、PENTATONEやBISと並んでSACDを採用してくれていた高音質指向型のマイナーレーベルだった。

ジャレット・サックスのワンマン会社。(笑)

これがじつに優秀録音で、その録音の素晴らしさ、テイストは、PENTATONEやBISとは、これまたちょっと違っていて、独特のサウンドだった。エネルギー感や鮮度感があって、前へ前へ出てくる独特のサウンドで、ちゃんと空間もしっかり録れている、という両立性が成り立っているバランスのいい録音で、自分は随分入れ込んで愛聴していた。

彼らの新譜は不思議と外れが少なかった。

やっぱり5.0サラウンドで聴くのが最高だった。2ch再生だと団子気味に聴こえる箇所もサラウンドで再生すると、分離されて見通しよくステージ感が広がってすっきり聴こえたりする。特にポッジャーの録音はその傾向にあって再生難なのだ。

Channel Classicsは、その抱えている契約アーティストは、やはりオランダ系の古楽のアーティストが大半を占める。

やはり古楽のレーベルなのだ。

彼らのビジネスで感心したのは、新譜の回転率がとても早いこと。新譜リリースがものすごい短いスパンでどんどんおこなわれる。ビジネスがうまく行っているんだろうとその当時は思っていた。

古楽といっても古楽器然とした響きを予想するかもしれないが、Channel Classicsのサウンド造り、エンジニアの音のいじり方は、その真逆を行っている感じで、”最先端の現代風アレンジで聴く古楽”という様相だった。

残念ながら、すっかりネットビジネスに移行してしまって、SACDはレイチェル・ポッジャーやイアン・フィッシャー&ブタペスト祝祭管弦楽団などの看板アーティストぐらいがリリースするくらいで、それ以外のアーティストはネットコンテンツのみavailableというやり方。

もうChannel Classicsの録音を、5.0サラウンドで聴けないと思うと残念の一言だ。


自分は、いままでレイチェル・ポッジャーのSACDをどれくらい買ってきているのだろう?と思い、ラックから探してきてみた。

そうしたら9枚もあった!

”ポッジャー=オーディオ再生”というイメージが自分の中で、確立されているのも、やはりうなづける感じ。納得した。ポッジャーのSACDは、それこそオーディオオフ会で、拙宅で再生するときや、持ち込みソフトとして利用する場合も多く、まさにオフ会のキラーコンテンツで、オーディオ・カラー満載のアーティストだった。(笑)

古い録音で自分が持っていなかったものをさらに2枚買い足して、合計11枚揃えた。
これをふたたび聴き込んで、「レイチェル・ポッジャーのディスコグラフィー」という日記を別に立てて、特集したいと思う。1枚1枚の聴きどころ、ポッジャーにとってのスタンス、自分のそのディスクへの想い入れ、サウンド感想など書いてみたいと思う。


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レイチェル・ポッジャーの経歴のことなど、もう少し書いてみよう。


英国の父とドイツ人の母の間に生まれたイギリス国籍。

ドイツのルドルフ・シュタイナー・スクールで教育を受け、帰国後バロック・ヴァイオリンをミカエラ・コンベルティに学び、1997年、トレヴァー・ピノックに招かれてイングリッシュ・コンサートのコンサートミストレス兼協奏曲ソリストに就任した。

2007年にはブレコン・バロック・インストゥルメンタル・アンサンブルを設立し、2010年に録音したデビューCD、バッハのヴァイオリン協奏曲は、ユニバーサル批評家の称賛を集めた。ブレコン・バロックはチェンバロを含めて6名、各パート1人で編成し、バッハ時代のカフェ・ツィンマーマン・アンサンブルを模し、自由で新しいスタイルの演奏を目指している。


このブレコン・バロックというのが彼女専用の室内楽ユニットで、彼女の一連の録音で、その合奏を披露しているのもこのユニットなのだ。

彼女のライフワークのユニット。

彼女の録音で、自分がお気に入りのディスクも、このブレコン・バロックとの作品が結構多いので、印象に残っていた。

今回の来日公演は、無伴奏という、舞台上で、ヴァイオリン1本で聴衆を説得させる素晴らしいものだったが、じつはポッジャーの魅力のもうひとつの側面として、このブレコン・バロックとの合奏をぜひ生演奏で観てみたい気がする。合奏のほうのいわゆる丁々発止の掛け合いをやっている彼女の演奏もとても魅力的。

現在は、彼女はこのブレコン・バロック・フェスティヴァル芸術監督に就任している。

演奏活動の傍ら、英国王立音楽アカデミー (RAM) やジュリアード音楽院などで教鞭もとっている。2015年に、英国王立音楽アカデミーのバッハ賞を受賞した。




ポッジャーの代名詞が、”バロック・ヴァイオリン”

彼女のプロフィールを説明するときには、必ず登場する言葉だ。

それってなに?(笑)

彼女がChannel Classicsに残してきた膨大な録音には、バッハをはじめ、モーツァルト、ハイドン、ヴィヴァルディなどまさに多岐の作品に渡るが、やはり彼女の本質はバッハなのだと思う。(自分の見解です。)

そんなバロック時代に使用していた古楽器のヴァイオリンで、当時の状態で演奏する。


レイチェル・ポッジャーの使用しているバロック・ヴァイオリンという楽器はどういう構造なのかを、きちんと説明するのはなかなか難しい。

本来のバロック時代以前のヴァイオリンは構造自体が、現代のものと違っていて、高張力の現代の弦を張るためには改造が必要のはず。

そこまでバロックヴァイオリンで再現しているのかどうかも分からない。



ヴァイオリンの張る弦には、スチール弦が使用される。しかし、スチール弦が使用されるようになったのは20世紀も半ば近くになってからで、それまでは、羊の腸の筋をよって作ったガット弦が広く用いられていた。

1920年代前後には、演奏家の間でスチール弦か、ガット弦かという優劣論争が繰り広げられた。ガット弦特有の柔らかい響きを重視する演奏家がいる一方で、より力強い音が可能でしかも耐久性の面で特性を発揮するスチール弦の優位を主張して止まない演奏家もいた。でも、音量と耐久性の面で特性を発揮するスチール弦に軍配が挙がったのはその後の歴史に見る通り。

でも、作品の作られたものと同様な楽器で演奏する、いわゆるオリジナル楽器の演奏家が増えてきた、いわゆる”古楽”普及の現在では、ガット弦の復権にも目覚ましいものがあるそうだ。(ネットからの豆知識より。)


バロック・ヴァイオリンという楽器はガット弦でも、生ガット弦を使用している、というネット情報もあった。


一般にいうガット弦(古楽器)は、表面に金属モールを巻きつけたりして補強していたりすることもあるらしい。演奏する上で特にスチール弦(モダン楽器)との大きな差はないが、どんな弦でも種類によって鳴らし方の違いはある。

生ガット弦は、なんか普通に弾くとボソボソして上手く鳴らないらしい。(笑)。

バロック・ヴァイオリンというのは、バロック時代の古楽器ヴァイオリンのことで、その弦も特殊で、普通のヴァイオリン奏者がそのまま弾こうとしても簡単にはうまく鳴らない、やっぱり修行、鍛錬が必要な特殊楽器なのだと思う。

ポッジャーは、そのバロック・ヴァイオリンを弾くことが出来る世界でも数少ない奏者で、現代最高という冠もあるのだ。

彼女のいままでの膨大な録音もそのバロック・ヴァイオリンで演奏されてきた。

じゃあ、その特殊な弦と構造で、普通に弾くことが大層難しいバロック・ヴァイオリンって、どんな音色なの?ということになるのだが、それを邪魔するのがChannel Classicsのハイテクニックな録音技術。(笑)

彼女の録音作品を聴くと、たとえば無伴奏なんかでも、エコーがガッツリかかっていて、空間もしっかり録れていて、ハイテクな録音に仕上がっているので、なんか古楽器というよりは、モダン楽器を聴いているみたいで、自分にはようわからん、というのが実情。


彼女の作品を買いあさっていたときは、そんなことを意識せず聴いていたので、いい録音だな~ぐらいにしか感じなかったのだけれど、こうやって、日記で彼女のことをきちんと書こうと思って、バロック・ヴァイオリンのことを言及していくと、そういう矛盾に行きつくのだ。


じゃあ、エンジニアが加工する録音ではなく、生演奏でのバロック・ヴァイオリンの音を今回聴けるのだから、その感想を後で、じっくり書くことにしてみる・・・

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今回の実演は、調布市文化会館たづくり くすのきホールであった。

ポッジャーの演奏は、無伴奏。舞台上で、ヴァイオリン1本で聴衆を感動させる。
今回の演奏曲は、このアルバムから選曲された。 



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『守護天使~無伴奏ヴァイオリン作品集~バッハ、ビーバー、タルティーニ、ピゼンデル、他』 ポッジャー

http://bit.ly/2J2E7uz




このガーディアン・エンジェル、守護天使と題されたこのアルバムは、レイチェル・ポッジャーのお気に入り作品を集めたもの。

ポッジャー自身の編曲によるバッハの無伴奏フルートのためのパルティータのヴァイオリン・ヴァージョンに始まり、アルバム・タイトル由来の名曲であるビーバーのパッサカリアで締めくくられる。


このアルバム、侮るなかれ、ポッジャーの無伴奏ヴァイオリン作品といえば、デビューのときにベストセラーを記録したバッハの無伴奏があまりに有名だが、このアルバムは、それと連なるすごい濃い中身をもつ。なによりもデビュー作品は、CDだったが、こちらはSACDでサラウンド。


なので、彼女の無伴奏作品では、このディスクが自分は1番お気に入り。

なにがスゴイかというと、そこに使われているテクニック。
ここに収められている作品に必要なテクとして、スコルダトゥーラ(特殊調弦)や、対位法的な要素、ダブル、トリプル、クォドルプル・ストップなどの重音奏法に、多彩なボーイング。

なんか聴いているだけでもゾクゾクだが、実際聴いてみるとそんなにスゴイと思わせないところが、ポッジャーの才能なのかもしれない。


これらの作品を、生演奏で聴けて、そのテクも実際に観れるんだから、この公演は絶対行きだった。




ステージに現れたポッジャーは、自分の長い間恋焦がれた彼女に会う期待感とは裏腹に、かなり地味というか(笑)、素朴そのものの人だった。

いわゆる商業スターが醸し出すようなオーラが全くなく、素朴そのものという感じで、自分はそのほうが返って微笑ましくてホッとした。


すべてにおいて商業っぽくなかった。


演奏スタイルも弓の返しなどのパフォーマンスの類みたいなものも一切なしの正統派そのもの。

美しい、そしてクセのない正しい演奏スタイルだった。


やはり一番自分的にキタのは、最後のバッハのシャコンヌ。無伴奏の名曲中の名曲だが、これはさすがに逝ってしまいした。(笑)

肝心のバロック・ヴァイオリンの生音なのだが、自分にはChannel Classicsの録音のようなエネルギー感のある派手な音に聴こえてしまいました。(笑)

古楽器のような独特の響きではなく、なんか、ふつうに普段彼女の録音作品を聴いている感じだよなぁ、とずっと思って聴いておりました。


専門の人が聴けば、発音の最初がモダンに比べて微妙に小さいというか、遅いというかそういうのはあるのかもしれないが、私にはわかりませんでした。


とにかくあっという間に終演。

夢は一瞬にして終わってしまった。



長年に渡って、いい録音作品をずっと残しつつ実績を重ね、もちろん意識的ではないと思うが、商業路線とは距離を置いてきているように見えてしまう、そういう本物の良さが自分には最高だった。




ご本人は、お茶目な性格で、周りがぱっと明るくなるお方でした。

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終演後、鈴木雅明&優人親子とツーショット。(笑)

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(c)調布国際音楽祭 Twitter






レイチェル・ポッジャー ヴァイオリン・リサイタル「守護天使」
2018.7.1 調布市文化会館たづくり くすのきホール

J.S.バッハ:無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調
(ポッジャー編、ト短調版)


タルティーニ:ソナタ 第13番ロ短調


マッテイス:ヴァイオリンのためのエアー集より壊れたパッサジョ、匿名の楽章、
ファンタジア、コッレンテ


(休憩)

パッサカリア ト短調「守護天使」

J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調

~アンコール~

J.S.バッハ:ソナタ第3番第3楽章

モンタナーリ:ジーダ

J.S.バッハ:ソナタ第1番第1楽章アダージョ







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世界の朝食を食べさせてくれるお店 リトアニアの朝ごはん [グルメ]

「朝ごはんを通して世界を知る」

世界の朝食を食べさせてくれるお店 WORLD BREAKFAST ALLDAYも、ビジネスが軌道に乗っているのか、ついに原宿に2号店オープン。

いままで外苑前の1号店は、正直とても狭く、いくら取材のためとはいえ、周りにたくさんの若い女性や、外国人に囲まれて、オジサンが食事をするには、かなり勇気がいる、というか苦痛そのものでもあった。(笑)

原宿の2号店は、そんなストレスから一気に解放される天国のようなところだった!

原宿に来るなんて、何年振りだろう。
若者の街ですね。

原宿駅。

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都内の木造駅舎としては最古。日本の遺産とも言えるのに、東京オリンピックに向けて、2020年に建て替えなんてニュースもあり、なんて勿体ない。(やめたほうがいい。)


原宿2号店は、かなり迷うというか、まさに街中の細道をグネグネしたところの秘境のようなところにある。


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とにかく店の中に入ってびっくり。すごいユッタリとして広いスペース。
こりゃあいい!

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オープンしたばかりで、まだ知れ渡っていないのか、朝早いせいかわからないが、もうガラガラに空いている。1号店のギュウギュウな想いを知っているだけに、天国のようなところに思えた。

座席もたくさんあるので、1号店みたいにいつも行列で並ぶ必要もなし。

もうこれで決まり!これからはずっとこっちの原宿2号店に通うことにした。
もう外苑前1号店に行くことはないでしょう。

しかもこちらの朝ごはんのメニューが豊富。
ここのお店はレギュラーで食べられる朝ごはんと、2か月に1回サーブされる朝ごはんと2種類あるのだが、レギュラーの朝ごはんのほうは、1号店より遥かに品ぞろえ豊富。

そしてなによりも、1号店で辟易としたことが、朝ごはんを注文すると、必ずワンドリンクオーダーが必要で、これが結構500円くらいするので、トータル結構いい値段になってしまう。

でもここ2号店では、そのワンドリンクの縛りがないのだ。朝ごはんだけでOK。

いいな、いいな。(^^)

すべてにおいて、原宿2号店のほうが居心地よさそうだ。(笑)

もちろんレギュラーの朝ごはんはもうすでに制覇しているので、2か月に1回更新される朝ごはんをいただきにきた。

今回はリトアニアの朝ごはん。

リトアニア???(笑)

地理的にピンとこない。

ここだ!

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ポーランドの上に位置する感じで、ノルウェー、スウェーデンなどの北欧とロシアにちょうど挟まれている感じの国。

この北欧と大陸の間にある海がバルト海。「バルト海沿岸の国」とはよく耳にしたことがあるが、このバルト三国の中では最も大きい北東ヨーロッパの小さな国がこのリトアニアなのだ。

北欧諸国やドイツ、ポーランドと歴史的に深く、旧ソ連に編入された時期を得て、1991年に独立した。いまはEUに加盟している。

普段はリトアニア語を話す。若い人は英語を話すそうだ。

夏は23時頃まで明るく、仕事が終わってから外に遊びに行く人もたくさんいる。冬の日照時間が少ない分、夏は日光浴を積極的にする。カフェも日当たりの良い席が人気。雨が多く虹がよく出るそうだ。

リトアニアには山がないが、身近には森と湖がたくさんある。
リトアニアの人は、とにかく自然の中で過ごすのが大好きで、森に行って元気をもらってくるのだ。

寒さが結構厳しく農作物が育たない分、夏の間は、キノコやベリーといった自然の恵みを森へ採りに行く。リトアニアでは、自分の土地ではなくても森の恵みを採ってもよいことになっているそうだ。(笑)

首都のヴィリニュスは、古い街並みがヨーロッパ一残っているといわれ、旧市街地全体が世界遺産に登録されているのだ。

そんなリトアニアの朝ごはん。

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ジャガイモをよく食べるリトアニアでは人気のジャガイモのパンケーキが主食。
ヨーロッパの朝ごはんってこのパンケーキってすごい多いですよね。
日本人からするとオヤツにしか思えないのだけれど、こちらではもう立派な主食なのだ。

いつものことで、美味しいかと言われると、微妙な価値観というか(笑)、舌の感覚のセンスの違いといったほうがいいのか、日本人としては難しいところだ。

アンズ茸などのキノコとベーコンのソテーソース、白いチーズのようなカードのヴォルシケ、ラディッシュとスプリングオニオンのサラダ。

これがリトアニアの朝ごはん。

やっぱりリトアニアって、キノコとベリーの国なんだね。自然の恵みを食べ物としている。
寒くて農作物が育たないんですよ。

朝ごはんはわかったとして、たくさんのカロリーを取る夕ご飯はどうなんだろう?と思ってしまう。
こんな草食系な食生活では、自分のような大きい生き物はカロリーを摂取できなく、生きていけないのでは?と心配してしまう感じだ。(笑)


この日は、なにも予定を立てていなく、この朝ごはんを食べるだけに原宿に来て、用が済んだら、また若者の街の景観の原宿をぶらぶらする。この日は快晴で、こんなになにも考えない日もこりゃまたいいもんだ!(笑)


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すっかり別モノとして変わり果てていた”すみれ” (笑) [グルメ]

それは昨日突然感じたわけではない。数年前からどうもずっと違和感があって、自分が知っている”すみれ”の味ではないということを薄々感じていて憤りを感じていた。そのことは俄かには信じたくなかったので、ずっと自分の中でしまいこんでいた。

ところが昨日、その3流以下の街中の味噌ラーメンに成り下がっていたその味に思わず爆発してしまったわけだ。

いったいラー博(新横浜のラーメン博物館)のすみれになにが起こっているのだろう?

道産子にとって、札幌の味噌ラーメンといえば、まさに純連、すみれは一大ブランド。我々の至宝でもある。

自分は、1995年からずっと通い続けてきた生粋のファン。

はじめて体験したのは、1995年のラー博での純連(すみれ)。純連は、それこそ北海道では知る人ぞ知るというマニアックなお店であったのだが、1994年についに、純連(すみれ)としてラー博に出店して全国デビュー。


瞬く間に大人気となってセンセーショナルを巻き起こした。

自分は、ヨーロッパから帰国して、いまの街に住み始めて、新横浜は近いので、何気なく通ったところ、純連(すみれ)を体験したのだ。


それはまさに衝撃であった!


いままでに食べたことのない味。こんなコクのある美味しい味噌ラーメンは、いままで食べたことがなかった。瞬く間に虜になった。


自分のラーメン人生の中で、達観したこととして、ウマいラーメンは、最初に体験したそのインパクトで、ほとんどもう全てが決まってしまう。もう最初でわかってしまう。そして大事なのは、病みつきになること、しばらく食べていないと、あ~久しぶりに食べたいぃ~という感じで、何度も繰り返し通ってしまうこと。リピーターになることが、ウマいラーメンの必須条件。店主の思うつぼはそこにある。

そのキーポイントはスープにある。
ラーメンはスープが命!

純連(すみれ)のスープは、まさに独特だった。ラードで表面が覆われていて、暖かさが逃げないでアツアツ。そしてなんともいえない、いままで経験したことのなかったような、一度経験したら二度と忘れられないその濃厚な味噌の味。地元の森住製麺を利用した、そのちじれ麺が、そのラードでちょっとテカテカして光る脂っぽさ、その濃厚な味噌味と絡んで、これがじつに香ばしい味噌ラーメンであった。

ちょっとしょうが風味が隠し味にあって、味噌としょうが、というのがこれまたよく合った。

とにかく、これは革命的!とじぶんは直感した。

瞬く間に、札幌の味噌ラーメンに純連(すみれ)あり!で全国に一大ブームを巻き起こした。

そこに前職時代の友人が、北海道に遊びに行ったときに、地元の人が大推薦するラーメン屋として、純連(じゅんれん)があって、そこに行って、すごい美味しい味噌ラーメンだった!という報告を受けた。

じゅんれん???

あ~、それはねぇ、純連と書いて、すみれ、と呼ぶんだよ。と教えてあげた。

そしたら、友人は、いや絶対じゅれんだ。地元の人は、みんなじゅんれん、じゅんれんと言っていた。

自分は、友人を誘って、ラー博の純連(すみれ)をご馳走した。
ほら?これのことだろう?

そうしたら、友人は、う~ん、確かに似ているけど、もうちょっと黄色いんだよな?ちょっと違うよ。

ここから、自分にはナゾが出来てしまった。

同じ純連と書いて、札幌には、じゅんれんというお店が、そしてラー博には、すみれ、というお店が存在する。どちらも似たような味、でもちょっと微妙に違う・・・

なんだろう~このナゾ。

いまでは、もう常識になっているが、この当時1995年ころというのは、このことは、まだおおぴらに知られてはいない事実だったのだ。

自分は北海道に帰省したときに、このじゅれんを探してみた。そしてお店に電話して聴いてみた。

そうしたら純連(じゅんれん)と純連(すみれ)は、純連(じゅんれん)は兄が、純連(すみれ)は弟がやっているお店なんです。両方存在するんです。

一気にナゾが解けた。別物だったんだな。

ここで正式に純連の味噌ラーメンの歴史について、簡単に説明しておこう。

一番最初は、村中明子さんが昭和39年に創業した。当時は、純連と書いて、すみれ、と呼ばせていた。

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(C)新横浜ラーメン博物館 FB Page

当時はあっさり風味のさっぱりラーメンが主流の中で、その濃厚な味噌味のラーメンは異彩を放っていた。

突然腰の不調により、昭和57年に閉店してしまうが、その翌年に再開。純連もみんなから読みやすい”じゅんれん”という呼び方に改名して再開した。

そして、そのときに、創業者、村中明子さんは、長男の村中教愛氏に店を譲ることを決意。母からその味の伝授をみっちりと仕込まれた。以降、純連(じゅんれん)は、長男の村中教愛氏によって運営されるお店になったのだ。



名前も”さっぽろ純連”。

一方同じ純連(じゅんれん)で修行していた同じ村中家の三男の村中伸宜氏が平成元年に純連(じゅんれん)とは別に創業したのが、”すみれ”なのだ。名前も、ひらがな表記で、”すみれ”。

ラーメン博物館に出店したのは、この三男の村中伸宜氏のほうの”すみれ”というわけだったのだ。

当時ラー博に出店することで、純連を全国デビューさせることは、創業者のお母さんの明子さんは大賛成だったけれど、それ以外は全員大反対だったそうだ。

そこを三男、伸宜氏によって強行された。

はっきりいうと、純連の味噌ラーメンを全国区にのし上げたのは、三男の伸宜氏のおかげ、英断と言ってもいいかもしれない。

つまりいまや札幌の味噌ラーメンの王道、全国区の大人気となった純連は、村中一家による経営のラーメン店だったのだ。

創業からの代々のお店、純連(じゅんれん)を引き継いでいるのが、長男の村中教愛氏。そしてちょっとビジネス的に冒険してその王道から外れてビジネス的に大成功しているのが、三男の村中伸宜氏による”すみれ”という訳なのだ。

1994年にラー博で全国区デビューした、すみれの味噌ラーメンを大ブレークをきっけかけに、じつは長男の純連(じゅんれん)の存在もつまびらかになり、さっぽろ純連、そしてすみれ、と大ブレーク。いまや札幌味噌ラーメンの一大ブランドにまで成長した。

久し振りに、さっぽろ純連、すみれのHPをネットで拝見してみると、自分が知っていた頃の1995年から2000年代と比較して、そのビジネス規模は、とてつもなく拡大されていた。本店以外にも、支店もいっぱい。

相当儲かっている感じ。こんなにデカくなっているとは想像もつかなかった。

特に、村中教愛さんは伝統を守る長男的役割なのだが、三男の村中伸宜さんは、相当ビジネスのやり手というか、ビジネス上手。

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三男の村中伸宜さん

単に店舗を増やすだけでなく、すみれプロデュースのお店をどんどんプロデュースしたり、かなりのビジネスマン。

純連、すみれブランドで、相当一儲けしたと見えて、もう北海道本店含め、みんな新しい建て替えで、モダンな建物に建て替えてしまっていて、自分が知っていた1995~2000年代の面影はもうそこにはなかった。


創業者の村中明子さん、そして手前が三男の村中伸宜氏、そしてその間にいるのが長男の村中教愛氏。

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自分が通っていた頃の地元札幌の澄川にある、さっぽろ純連は、まさにこのお店だった。

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でも、いまや、さっぽろ純連は、こんなモダンなお店に衣替え。

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そして札幌の中の島にある、すみれの本店も、自分が知っていたのは、この頃の建物。

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でもいまや、こんなモダンな建物に変わってしまっている。隔世の感。

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こちらが、さっぽろ純連の味噌ラーメン。ちょっと黄色っぽいの色が、すみれと違って特徴的だ。

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こちらが、すみれの味噌ラーメン。まさにこのスープだ。

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味は、どちらもそんなに変わんない。

自分のさっぽろ純連、すみれ食遍歴は相当のモノだった。

地元のラー博にすみれが入っているので、すぐにすみれは食べられる。

問題は、さっぽろ純連をどうやって食べるか?だった。北海道に帰省したぐらいしか食べれない。

2000~2003年の3年間、自分の人生にとって最大の暗黒期だった期間。大変な大病を患ってしまい、3年間会社を休職した。東京の家はそのまま留守にしておいて、体一つで、北海道の実家の両親の元で、3年間療養した。

外出もままならない超退屈な毎日。テレビを見ることしか、やることない。

そんな中で、自分の最高の楽しみは、月1回の札幌の北大病院への診察だった。
その診察の帰りに、札幌のさっぽろ純連の味噌ラーメンを食べようと思ったのだ。

そうすることで、普段東京では食べられない地元のさっぽろ純連を食べ尽くせる!と考えた。

1か月に1回。かならずさっぽろ純連の味噌ラーメンを食べる。それを3年間続けた。

さっぽろ純連の味噌ラーメンを自分のモノにできた気がした。


復職した頃、なんと、さっぽろ純連が、東京の高田馬場に支店を出すニュースが舞い込んだ。
心ときめいた。

もう高田馬場に通い詰めたのは言うまでもない。長男の村中教愛さんが高田馬場の厨房に立っていたのを何回も見かけた。応援に来ていたんだな。

ちょうど同じ時期に、いままでラー博の稼ぎ頭であった、すみれが閉店するということになった。
ラー博のすみれが果たしてきた功績はじつに大きかった。一世代が終わった。一抹の寂しさがあった。

つまり今度は、東京では、さっぽろ純連は食べれるけれど、すみれが食べれないという状況に陥ってしまったのだ。(笑)

この頃になって、前職を早期退職することが決まり、前職の人事と毎日面談するためだけに、会社に通うというじつに苦痛の日々を過ごしていた。つぎへの転職までのブランク期間ですな。

そのときに飛び込んできたニュース。期間限定ではあるけれど、池袋のデパートの食品街レストラン街ですみれが出店するという情報をキャッチした。

毎日人事との面談が終わったら、その帰路に池袋のすみれを食べに行くという毎日を過ごしていた。

そうそう、すみれはこんな味!うまいなぁ~(^^)

こうしてみると、さっぽろ純連もすみれも、自分の社会的ポジションが超不安定のときに、集中して食べられるという、なんとも皮肉な取り合わせ。(笑)


そうしたら、今度は、高田馬場のさっぽろ純連が閉店するという。

この頃から、自分はちょっとこの高田馬場の純連の味に違和感を感じ始めていた。
あの最高に美味しい~と思っていたあの味がしないのだ。あの胸ときめくような美味しさが感じない。

そうスープに劣化を感じてしまう。あきらかに別モノのように感じてしまった。

自分の不信感はこのあたりから始まったかもしれない。

結局、そのまますぐに閉店してしまったので、真相は究明できなかった。

これで、ついに純連もすみれも東京では食べれなくなってしまった、という状況に陥った。

そうすると、そこにまた救世主が現れた。

ラー博に、兄のさっぽろ純連、そして弟のすみれ、の元祖となった、創業者の村中明子さんによる、「らーめんの駅」がオープンする!というのだ。まさに純連、すみれの元祖となった母の味。 なぜ「らーめんの駅」かというと、あの高倉健さんが純連(すみれ)の大ファンで、高倉さんが主演する映画「駅」で、高倉さん紛する刑事の取調室でらーめんを容疑者に振舞うときに、そのどんぶりに純連(すみれ)の名前が印字されていたとか。間違いなく高倉さんのアイデアに違いない。感動した村中明子さんは、自分のお店を再開するときに、その高倉健さんの映画「駅」から名前を取ったらしい。札幌新琴似に店を構えていたが、立ち退きで閉店。その数年後に、兄と弟が手伝うという条件で、ラー博物館に出店することになったのだ。


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自分は何回も通ったが、まさに最高の味。あの濃厚な味噌の味がした。

自分の日記を紐解くと、2011年に、北海道の友人を東京でおもてなし、する上で、このラー博の「らーめんの駅」を訪れている。

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のれんには大きく「駅」とあり、その左右には、兄の純連、弟のすみれ、とある。この味噌ラーメンを育んできた親子の絆というもいうべき。

自分が写真を撮ると、美味しそうに見えないのだけれど(味は最高に美味しかった)、使っている丼にも、「駅、純連、すみれ」の印字がされている親子三代の絆どんぶりだ。

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この頃が2011年の頃。このときまで、ラー博の駅の味噌ラーメンは、まさのあの濃厚なアツアツな味で、ここまでは大丈夫だったのだ。

母の「らーめんの駅」は期間限定なので、当然期間が来たら閉店する。

その後に、同じ場所で、なんと、「すみれが8年振りにラー博に帰ってくる」というのだ!
自分は小躍りした。

神様は、つねに東京で、村中親子による味噌ラーメンを途切れることなく食べさせてくれるチャンスをくれることに感謝した。

ところが自分の悲劇はここから始まった・・・(笑)

このラー博のすみれの味がどうもおかしいのだ。

2013年あたりからかな?スープがあきらかに違う!

食べるたびに、ものすごく違和感があって、これはすみれの味じゃない、という確信が年々増していった。

なにせ、1995年から、じつに数えきれないくらい純連、すみれの味噌ラーメンを食べ尽くしてきた男。その記憶力、あの病みつきの味は一度食べたら絶対忘れられないことに自信がある。体が覚えている。

自分はラーメンの写真、とりわけ、スープの写真を見ただけで、あっこれは本物。絶対あの味がする!これは邪道!こんなの純連、すみれの味じゃないと即断できる。絶対的自信がある。

美味しくない、あの頃の味じゃないので、だんだん、ラー博のすみれに通うことが少なくなってきた。

気のせいかもしれないが、昔は平日でも長蛇の列ができていたけれど、いま行っても閑古鳥ではないけど、あまりそんな混んでもいない。

やっぱりお客って正直なんだろうな・・・必然と足が遠のくというか・・・

昨日食べて激怒した、ラー博のすみれの味噌ラーメンも写真を恐る恐るアップしよう。(笑)
お母さんの駅のときのどんぶりをそのまま使っているし・・・(^^;;

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一見無難に見えるけど、このスープの色、濃厚さからして全くの別モノ。運ばれてきた瞬間に、嫌な予感。

まず昔みたいにラードで覆われていない。あれが名物なのに、あのアツアツが全然ない。
ラードで脂っけがあるから、ちじれ麺もコテコテに脂っぽくて光って、それが濃厚味噌と相まって、じつに香ばしいのが特徴なのに、その真逆をいく、じつにサッパリラーメン(笑)。自分は味覚を疑った。

これはひどいな!あまりにマズすぎる。あの栄光の味噌味スープがここまで落ちぶれて、味が変わってしまうとは、あまりに衝撃的すぎる!

そしてそれに拍車をかけたのが、使っているチャーシューなどのじつにクオリティの低さ、もうラーメンの格として、そんじょそこらの3流ラーメンに成り下がっていた。

哀しさのどん底に陥ってしまった。

いままでの自分の栄光の歴史はなんだったんだろう?
いままでのこの味噌ラーメンにのめり込んできたのはなんだったんだろう?


これは、ここラー博では、村中さんの指導が行き届いていないのでは?と思った。

今日ネットで新横浜ラーメン博物館のHPですみれのページを確認すると、なんと三男の村中伸宜さんが自ら写真付きで、8年振りにすみれがラー博に帰ってきます、ぜひご期待を!とメッセージを寄せている。

なんら変わっていないのだ。ビジネス順調そのもの。

ますます自分は混迷を極めた。


2013年あたりからラー博のすみれに抱いてきたスープのまずさ。

これはどう説明つけばいいのだろう?

ひょっとすると、村中伸宜さんが現在進めているすみれの味噌スープの味ってみんなこんな感じに変わってしまっているのか?

HPでは、従来の味を伝承しつつ、新しい味にもチャレンジしていきます、などのコメントもある。(笑)

もしそうだとすると、あの味が、今後のすみれの味噌味となると、オレの札幌味噌ラーメン人生は、終わったも等しい。

ちなみに、さっぽろ純連のHPでも確認したところ、平成24年、長男の村中教愛さんから、三代目の山岸敬典さんがお店を受け継いだようだ。

山岸さんも、同じようにさっぽろ純連で、村中教愛さんからみっちり10年間味の伝承を引き継いできて、三代目を託されたそうだ。(いまは道内は山岸さんが面倒見ていて、教愛さんは道外を見ているらしい。)

自分は、味が変わったのは、これだ!と一瞬思ってしまった。

でも、これはさっぽろ純連のほうの話だ。

自分が直面しているのは、すみれのほう。



ここで自分に残された解決法は、北海道に帰省した時に、さっぽろ純連と、すみれの本店で味を確認するしかないと思っているのだ。

この本場での味が自分の記憶にあるあの味と、あまりに変わっていたら、ジ・エンドだ。(笑)






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