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PENTATONEの新譜:ジョナサン・ノット&スイス・ロマンド [ディスク・レビュー]

どういうわけなのか電撃録音スケジュールで、6月に録音して、8月にはリリースするという(正式発売は9月20日です)、こういうのはいままで経験がない。

録音セッションの様子のレポートもなく、いきなりリリースの知らせだったので、なんか唐突な印象を受けた。

おしりは決まっているので、忙しいノットのスケジュールが抑えられなかったのか、はたまたもっと意味深の理由があるのか?

でもその割には、手抜きということもなく、しっかりとした優秀録音でさすがでした。

ジョナサン・ノットは、もう日本のクラシック音楽ファンにはお馴染みすぎで、あまりにも有名な指揮者。2014年1月から東京交響楽団(東響)の音楽監督、首席指揮者を務めて、なんと2026年までの長期政権。

自分も2015年~2017年の3年間、東響の名曲全集の定期会員になり、ミューザ川崎に通った。

月1回の年12回、3年間で36回体験した訳だ。

なぜ定期会員になろうとしたか、というと家に近いミューザ川崎の音響をぜひ自分のモノに習得したい(2CA,2CBの座席ブロックだった)、そして必ず月1回は、クラシックの音楽演奏会に通いたい、という理由だった。

もちろん毎回ノットが指揮をする訳ではないが、でもノット&東響の演奏会は、もう数えきれないくらい体験したと言っていい。



ジョナサン・ノットの指揮者としての技量はどうなのか? 

ジョナサン ノット.jpg


とても知性溢れる指揮者で、毎回その曲をどのように解釈して我々に提示してくれるのか、を深く考え抜いてくれる指揮者だと思った。1回1回の演奏会がとても深く考えられていた。とてもアイデアマン的なところもあって、いろいろな試みもやってくれた。何の曲だったか、いまは思い出せないけれど、たくさんのメトロノームをステージに載せて、などという実験的な試みも体験したことがある。

自分が思う範囲であるが、毎回自分の考えた解釈で我々に提示してくれたけれど、奇をてらったような感じの演奏解釈はなく、比較的王道スタイルな堂々とした解釈で、工夫を加えたとしても前向きと思えるような膨らまし方をする演奏だと思った。

外れは少なかったように思う。


ノットは、よく現代音楽に代表されるような20世紀の音楽が得意と言われているけれど、この3年間では確かにそういう選曲も多くて、さすがノットのカラー満載と思ったこともあったけれど、古典派やロマン派の音楽もたくさん演奏してくれました。

そんなに偏っていなくて、バランスよい音楽センスだと思います。

この3年間、聴いてきて、東響メンバーからの信頼関係も築き上げてきていると思えた。

なによりもまだまだ若いよね?どんどんこれからも伸びしろのある期待できる指揮者だと思います。


そんな日本では超有名なジョナサン・ノットなのだが、2017年1月からは、なんとスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督・首席指揮者にも就任している。

自分としては、3年間通い、知り尽くした馴染みのある、そして日本でも知名度のある指揮者が、就任してくれてとてもうれしかった。

ノット&東響の録音SACDは、オクタビア・レコード EXTONからよく出ているのだが、ノットがスイス・ロマンドを率いてPENTATONEレーベルに初登場というのはとても興味深い。PENTATONEはスイス・ロマンドの録音をもうかなり長い間担当してきているので、そんなに従来の録音テイストと急激に変わるという事はないと思うし、もう十分その音響を知り尽くしているスイス・ジュネーブのヴィクトリアホールでの録音。

彼らの手中の範囲での作品になるだろうと思っていた。


とにかくノットがスイス・ロマンドの音楽監督になっての第1弾の記念的なSACDリリースである。 


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R.シュトラウス:泡立ちクリーム、ドビュッシー:遊戯、リゲティ:メロディーエン 
ジョナサン・ノット&スイス・ロマンド管弦楽団

https://goo.gl/U9Kjb2


自分の結論から言うと、まったく予想通り!いままでのスイス・ロマンド&PENTATONEのタッグによる録音とまったく変わらない期待を裏切らない、ある意味スイス・ロマンドのファンからすると安心できるような作品に仕上がっていた。

ここ数年のスイス・ロマンドの録音作品は、自分は山田和樹氏による指揮の作品をたくさん聴いてきた。

山田氏のときは、プロデューサーの意向があるのか、山田氏の本人の意向なのか、わからないが、どちらかというと、ひとつの大きな大曲を選ぶというより、もっと耳障りのいいメロディがポップな小作品を詰め込んだ企画パッケージ作品という感じが多かった。

聴いていて、とても気持ちが良くて、なによりも難しくなく楽しい曲が多かったので、そこが十分に楽しめた。

今回のノットの作品を聴くと、やっぱり選曲が違うのか、録音のテイストは変わらないけれど、アルバムを聴いての雰囲気はずいぶん違うように思えた。

R.シュトラウスの泡立ちクリーム。これは何回聴いても本当に楽しくていい曲。メロディが美して楽しい。自分はお気に入りの大好きな曲。ある意味、この曲って、山田氏時代の踏襲という感じで、スイス・ロマンドというのは、こういう曲を演奏するほうが、生き生きしていて、とてもうまいというか似合っているような気がする。

ヤノフスキ時代のブルックナーとかの大曲よりも、ずっとこういう作品のほうが彼らに似合っているし、実際演奏もうまい。スイス・ロマンドというオーケストラは、それこそ第1線級のビッグネームなオーケストラでもないし、どことなく田舎のコンパクトなオーケストラ的なイメージが魅力だったりするので、自分はそういう小規模作品が似合っているように思えたり、実際うまいのは納得いく感じなのだ。

もちろんアンセルメ黄金時代の膨大なDECCA録音による、その引き出し、レパートリーの広さは潜在能力として尊敬はするが、ロシア、フランス、ヨーロッパの作曲家の大曲群よりも、あの名盤スペインのファリャの三角帽子のような演奏(あの鮮烈なDECCA録音は凄かった!)のほうがスイス・ロマンドっぽいなぁ~と思うのは、まだ彼らに対する理解の深みが足りないだろうか?(笑)


ドビュッシーの遊戯やリゲティのメロディーエンは、これがいかにもノットらしい選曲。このアルバムにノット色が濃厚に感じるのは、この2曲があるためだろう。とくにリゲティ。ノットのもっとも得意とする作曲家ですね。

東響の名曲全集でも何回か聴きました。

リゲティのメロディーエンは、じつに魅力的な現代音楽で、とくに録音の良さが滲み出る感じ。
現代音楽は、やはりその空間の出方、空間の広さをいかに感じるかが勝負。すき間のある感じ、音数の少ないその音が、広大な空間にいかに広がっていくかを表現するかが、キーポイントですね。見事でした。


バランスエンジニア&編集はエルド・グロード氏。いつもの安定した録音でしたね。

つい最近まで、Channel Classicsの録音をたくさん聴いてきたので、やっぱり全然テイスト違いますね。録音のテイストは、やはり現場収録や、その後のエンジニアの作り出す音でずいぶんイメージが違うものです。

この新譜、日本では、9月20日から発売開始です。ぜひおススメです!



このジョナサン・ノットとスイス・ロマンドのタッグ、来年の春、日本に初来日する!

これは楽しみ。もちろんぜひ馳せ参じたいと思う。

このタッグが目的なのはもちろんだが、もうひとつ楽しみなのがソリストとして登場する辻 彩奈さん。

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躍進著しい若手で、最近の若手ホープの中でも、ものすごく個性的で気になっている存在なのだ。

2016年モントリオール国際音楽コンクール第1位、併せて5つの特別賞(バッハ賞、パガニーニ賞、カナダ人作品賞、ソナタ賞、セミファイナルベストリサイタル賞)を受賞。3歳よりスズキメソードにてヴァイオリンを始め、10歳時にスズキテンチルドレンに選ばれ、東京、名古屋、松本にて独奏を実施。

2009年には全日本学生音楽コンクール小学校の部にて全国第1位、東儀賞、兎束賞を受賞。その他国内外のコンクールで優勝や入賞の実績を持つ。国内外のオーケストラとの共演数多し。。。

など若いのにびっくりするようなスゴイ経歴なのだ。(笑)

でもそのようなエリートな女性ヴァイオリニストにありがちな繊細で華麗な感じというよりは、もっとパワフルで、土の臭いがしそうな強烈な個性を自分は感じてしまう。

最近の岐阜のサマランカホールでのリサイタルで、その存在を知った。最近の東京での公演行きそびれてしまった。実際直接自分の目で観てみたい。 今回のスイス・ロマンドとのソリストとしての共演で、また華々しい世界戦の経験を積むことになるのだろう。

辻 彩奈さんのコンサートは、それまでの間、東京でリサイタルやコンチェルトなどあるかもしれないが、自分は敢えて行くつもりはない。(笑)

来年のスイス・ロマンドのときまでとっておく。そこで初めて体験させていただくことにした。


まだ、若干20歳なんだよね。すでに50歳をとうに過ぎた初老のオヤジが、このような若い女性ソリストに熱をあげるのは、なんか犯罪のような感じで、正直気が引けるというか、ちょっと恥ずかしいことも事実。(笑)


岐阜県出身。まさに、「全部、青い!」のだ。 






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30歳を過ぎると、新しい音楽を聴かなくなる。 [オーディオ]

村上春樹さんが初のラジオDJに挑戦した「村上RADIO」。興味深く拝聴した。どのように文章を書いているのか、その部分は自分もふだん日記を書いていることもあって、とても参考になった。

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もともと小説家になろうと思っていたわけでなく、誰かの小説技法を学んだという訳でなかった。
ずっと音楽関係の仕事をしていたから、その音楽から文章を書く書法だった。もともと音楽の人だということが、滲み出ているようで、文章にリズム感がある秘訣はそこにあるのだと納得した感じ。


村上さんの話で、ちょっと自分にも心当たりがあったのは、ヨーロッパなどの旅行先で小説書くときは、iPodのような携帯音楽プレーヤーで音楽を聴きながら生活したり、原稿を書いていたりするのだけれど(たしか、ノルウエーの森だったかな?)、それを何年も経った後に、その音楽をたまたま聴き返すと、そのときのその場、その風景が走馬燈に蘇ってくるという話。


これは自分にもドンピシャ。まさにその経験の嵐のようなところがあった。


昔、ベルギーで暮らしていた時、車のCDプレーヤーでホイットニー・ヒューストンの曲をもうエンドレスで聴いていて、24年以上も経過したいま彼女の曲を聴くと、本当に車の中から眺めていたあのときのブリュッセルの街並みが輪郭ハッキリ思い出すのだ。

それもかなり刻銘に。


つい最近では、夏、秋、春と3回に及んだ京都ツアーで京都市交響楽団の演奏を聴きに行ったとき、このときはiPodでサリナ・ジョーンズの曲をこれまたエンドレスでずっと聴いていた。そうするといまでも通勤時間に彼女の曲をよく聴くのだが、まさに信じられないくらい鮮明に、京都の街並みを歩いて寺院巡りや紅葉時期の混雑など、あの頃のあの様子が蘇ってきて、正直切なくなってきて、また無性に旅に出かけたくなったりするのだ。


いま聴いている音楽と視覚から入ってくる映像というのは、脳のどこかで、リンクして紐づいているんだろう。

逆に自分は、海外で旅行するときは、そういうiPodなんかで、音楽を聴いたりすることはしないようにしている。せっかくの海外の街並みは、通り過ぎていく市民の会話から街の喧騒の音まで、街並みの景観とリンクさせて体験しておきたいから。


あと、耳を音楽で塞いでいると、注意力が散漫になって、海外の場合、スリとかふくめ危険ですね。


ここでもうお分かりになったと思うが、自分が普段iPodで聴く音楽は、ポップスやロックやジャズなどの曲ばかり。クラシックも結構何曲か入れているが、ほとんど聴かない。というか聴いたためしがない。

やっぱりiPodで音楽を聴くのは、通勤時間と国内の旅先が圧倒的なので、そこでクラシックを聴くという選択肢はほとんどない。

だって長いんだもん。(笑)退屈してしまう。


こういうときは、3分位で終わるポップスが絶対いい。

逆に家でどっしり落ち着いてオーディオ・システムで音楽を聴くときは、ほとんどクラシック。
そしてコンサートに行くのもいまやクラシック専門。

なんかそんな使い分けをしている。もちろん意識している訳でなく、自然とそんな風。
そういうところで人間的なバランスを取っているような感じがする。

携帯音楽プレーヤーで聴くのは、やっぱりポップスが一番合ってると思う。
クラシックはそういうのに合わないと思う。(あくまで私の個人の意見です。)


自分はクラシック専門と思われている方も多いと思われるが、自分にとって、やっぱりポップスやロック、ジャズを聴く時間も必要。やっぱり幼少時代や若い時は、そういう音楽が専門で好きだったからね。

通勤時間なんて、なんというか、感情が抑揚するような、自分の精神がぐっと興奮してくるような、そんなポップスを聴くのが唯一の楽しみ。

これでアドレナリンが湧いてきて、仮想興奮状態に陥って、文章を書くときの気持ちの持っていき方とか、エネルギー源になっていたりする。


村上春樹さんが音楽から文章を書くトリガーを得ている、という発言を聞いて、まさにそこに我が意を得たり、という感じでうれしくなったりしたのだ。


一番最初の頃は、ソニーのウォークマンだったけれど、iPodに切り替えてからは、ずっとそちら専門。長いことiPodやっていると、ずっとCDリッピング&ダウンロードしてきた財産があるので、簡単に他のシステムに移れないのだ。それらの財産がパーになって、いちからリッピング&ダウンロードしなおさないといけないから。

ソニーの30万するウォークマン聴いてみたい気もするけどね。(笑)

いま使っているのはもう旧型のiPod。ハイレゾなんか全然無関係。mp3などの圧縮音源ですね。
でも音楽聴いている分ではぜんぜん気になりません。これで十分です。

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どんな曲が入っているか、というと恥ずかしいので、ちょいとだけ・・・bird,akiko,ホイットニー・ヒューストン,Keiko Lee,Mondo Grosso,Lisa,Sting,POLICE,スティービー・ワンダー,ビートルズ,カーペンターズ,宇多田ヒカル,平井堅,山下達郎などなど。圧倒的ボーカルものが多い。

通勤時間聴くのはやっぱりボーカルが一番いい。

ここで、今回の日記の核心をつくテーマなんだが、ふだん通勤時間に自分が聴いている音楽って、自分が若い時に聴いていた古い曲で、しかも連日同じ曲を何回も繰り返して聴いているような気がするのだ。

そこには、自分がいま流行っている新しい曲を開拓して聴いていたりするとか、今日はちょっと変わったこの曲などという選択肢は、ほとんどなくて、毎日同じこの快感、興奮を得たいから、毎度おなじみのこの曲を今日も再生。。。てなことを無意識に毎日やっているような気がする。


最近では日本でも音楽ストリーミングサービスがすっかり浸透し、スマートフォン一つあれば好きな曲をいつでもすぐに聴くことができるようになった。最新のヒットチャートから懐かしの定番曲まで、数千万曲もの音楽を低コストで手軽に楽しむことができるようになったのだが、その結果、かねてより言われていたことがデータとしてはっきり数値に表れるようになった。

それは「30を過ぎた頃から新しい曲を聴かなくなる」こと、さらには「同じ曲を繰り返し楽しむだけ」になりがちだということ。(笑)

ストリーミングだとそういう数値データがしっかり把握されてしまうんだな。ある意味プライバシーの侵害のような気もするが。

でも自分はストリーミングはやらないけれど、この数値解析はまさにふだん自分がiPodで経験している、まさにそのままで、まったくその通り、ドンピシャだと思った。

ある音楽配信会社の調査では60%のユーザーが同じ曲を繰り返し聴いているだけで、25%は好みのジャンル以外で新しい曲を探すことはないと答えているという。


音楽ストリーミングサービスのデータは、33歳になると人は新譜を聴かなくなるという客観的な事実も示しているという。

海外のデータではあるが、10代は人気の音楽ばかりを聴いているが、20代では年を取るにつれてトレンドを追いかける人は着実に減るそうだ。

そして33歳にもなると新譜を明らかに聴かなくなるという。


新譜を探すのを止め、同じ曲ばかりを聴くようなる。


なぜ年を取ると昔なじみの音楽ばかり聴いてしまうのか? 理由の一つは音楽が過去の記憶や感情を強く呼び起こす作用をもっているからかもしれない、のだそうだ。古い研究であるが、高齢者に青春時代の曲を聴かせると当時の思い出が強く蘇ることを実証している。


どうやら人は十代前半、特に13~14歳の頃に良く聴いていた曲を、その後もずっと聴き続けるらしい。

なぜそんなことが起きるのか? 一つは10代前半という成長過程にあり感受性の高い時期に強い感情と結びついた音楽からは、その後何年経っても同じような感情を味わえるからかもしれない、と考えられているからなのだそうだ。


音楽というのは我々が漠然と考えている以上に、人々の心に強い影響を残すものらしい。

なんか、この記事を読むと、自分がいままで無意識でやっていたことが、それは特に通勤時間帯に音楽を聴く、という過程においてだけれど、全部この最近の解析結果に当てはまるので、正直ドッキリと言うか、冷や汗たらりである。



そういうもんなんだね。

確かにいまの自分のiPodに入っている曲は、本当にお恥ずかしい限りだが、古いというか若い時代に聴いていた曲ばかりだ。


でもそう悲観ばかりもしていられない。


家でがっちりオーディオ・システムでクラシック音楽を聴くとき。

これは自分は、必ずレーベルが出す新譜を必ずチェックするようにしている。
新しい録音技術の成果を聴いてみたい、確認してみたい、という技術的な見地もある。
もちろんお気に入りのアーティストとか、自分のアンテナにビビッと引っ掛かったものになるけれど、そういう意味では、常に進歩もしている。

またクラシックのコンサートに行くときも、確かにアーティストありきのところはあるけれど、そのときにやる演目については、観客である以上は選り好み出来ないので、そういう意味でつねに新しいチャレンジはしているとは思う。

そうすると、自分の場合、クラシック、それにオーディオが絡んでくる分野では、つねに新しいものにチャレンジしているけれど、通勤時間のiPodで聴いている分野では、まさに解析結果どおり、若い時代に聴いた曲を毎日繰り返して聴いているだけで、新譜を聴こうとしない、という現象は確かに当て嵌まっていると言えると思う。



でも、だからといって、通勤時間まで、新譜を聴いて新しい分野を開拓するのって、ちょっと疲れないですか?(笑)

そういうのって家でじっくりやっている訳だから、通勤時間くらい息抜きというか、自分のマイポジションでいるのが、心地よいと思うんですよね。


ロックのライブなんて、いくら新作CD発売記念のワールドツアーと言っても、新曲ばかりのオンパレードじゃ盛り上がらなくて、やっぱりエンディングやアンコール、そして要所要所で、そのアーティストの18番のオハコの曲やってくれるから、それがファンにとって最高に盛り上がったりするわけで。。。

そんなセットリストは作成側は当然考えてるに決まってる。(近年で、ポール・マッカートニーやスティングのライブでの経験を言っています。(笑))

そういう自分が1番旬で多感な青春時代に聴いた、そのアーティストの18番の曲は永遠なのです。

気持ちいいと思うポジションは常にキープというか、そういう大事なところは常にどこかで確保しておかないと健康に悪いだけだと思います。


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画像は「Thinkstock」より引用







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世界の朝食を食べさせてくれるお店 ギリシャの朝ごはん [グルメ]

原宿2号店もオープンしてから、だいぶ雑誌でも取り上げられたり、口コミで広がってきたせいなのか、だいぶ混んできた。でもやっぱり店自体のスペースが、もともとすごいゆとりがある。

もう精神的な健康という点で全然違う。もう断然、原宿店のほうがいい。


混んでいてもこれくらい。

客層で外苑前1号店と違うと思うのは、外国人がいないと思うこと。まだ在住外国人の方には、この新店オープンの情報が伝わっていないんですね。それがあまり混んでいないひとつの理由かもしれません。



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台所キッチンなんて、こんなに広いゆとりのあるスペース。

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今回はギリシャの朝ごはん。

ギリシャは、行ったことがある。赴任していた時に、アテネにある販社に行った記憶がある。
そのときは、仕事で、ホテルからタクシーでそのまま販社に直行ってな感じで、街の中をゆっくり散策して楽しむなんてゆとりなんかなかった。でもタクシーの中から街の景観を眺めたときに、うわぁ、これはいかにも古代文明、ギリシャ、ドンピシャというようなイメージだなぁと思ったことを覚えている。

ぜひじっくりプライベートで、楽しみたい国だ。
ぜひ海辺にいって、エメラルドブルーの海を眺めながら・・・てな感じで妄想膨らみますよね。

ギリシャは、ヨーロッパの最南端にある地中海に囲まれた「青い空と青い海」の国。
このイメージって誰もがふつうに抱くはず。あまりにメジャーな代表的なイメージ。



ヨーロッパの中での地理的位置はここ!

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日本と同じように四季があり、日本よりも気温は比較的高いのだが、夏は乾燥していて爽やか。

ギリシャを語るには、やはり古代ギリシャ文明のことを触れないわけにはいかない。今から5000年前に花開いた古代ギリシャ文明は、ヨーロッパ最古の文明で、哲学、数学、音楽、医学、美術など様々なジャンルで、今日につながる文化の基礎を築いた。

いまの文化のすべてのルーツは、このギリシャ古代文明にあった。

地中海ダイエット抗酸化作用が高いオリーブオイルをたっぷり使ったギリシャのヘルシーな食事は、「地中海ダイエット」と呼ばれ、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。

夕方に昼寝をする習慣があるらしく(笑)、夜ごはんは家かタベルナというレストランで夜遅く食べるのが、彼らの食習慣なのだ。そのため、朝ごはんは比較的軽め。


これがギリシャの朝ごはん。

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ギリシャを代表するチーズのフェタチーズとフィロで作るパイ「ティロピタ」、グリークサラダ、ギリシャ産の蜂蜜をかけたギリシャヨーグルト、フルーツののったギリシャの朝ごはんプレート。


ギリシャの朝ごはんは軽めというが、その主食はパイ。写真の手前にある。

これが最高にウマい!

申し訳ないのだが、ヨーロッパ系の朝ごはんって、日本人の味覚感覚からすると、いつも微妙なテイストなんだが(笑)、このパイはメチャメチャうまい!

ギリシャの食文化で欠かせないのが、このパイ(ピタという)なのだそうだ。フィロという何層にもなっている薄い生地で作られている。

じつに上手にカラッと焼き上がっていて食感はすごく美味しい。
でも何層にもなっているので、正直思いっきり食べづらい。(笑)
食べているとボロボロとこぼれていって、周りが汚くなるのだ。(笑)

このパイに挟まっているのが、フェタというギリシャを代表するチーズ。
羊または山羊の乳を塩水と一緒に樽か缶に入れて熟成させた、強い塩味が特徴のチーズ。

これは強烈です!かなりチーズらしい強烈な香ばしさで、確かに塩味がする。
そしてなによりもネットリ状の感じで、これははっきり美味しいです。

なによりも、この「ティロピタ」が美味しいのは、このフェタチーズを中に挟んで、上と下に何層にもなっているピタ(パイ生地のこと)があって、これがカリっと焼き上がっていて、この両方をいっぺんに口の中で味わうとじつに最高なんです。

これは本当に美味しい。


そしてサイドとして、グリークサラダ。写真のちょっと左上。
オリーブオイルやオレガノをかけるギリシャらしい、サッパリした味のサラダです。

そして、これまた美味しいと思ったのは、はちみつとシナモンをかけた濃厚なギリシャヨーグルト。

これまた美味しいの一言です。ヨーグルトは、やっぱりヨーグルト。そこに甘いはちみつとシナモンだから日本人の味覚にとっては、絶対外れることがない最高の一品なのです。



今回は絶対当たりだと思うな。最高でした。

このギリシャの朝ごはん、9月30日までやっています。


今日も朝ごはん食べたら、特にそのあと用事もなく、快晴の若者の街、原宿をただひたすらぶらつく。(笑)

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安土城 [城]

城マニアであるほど全然詳しい訳ではないが、日本のお城は大好きなのだ。日本史大好き人間だからね。カミングアウトしてしまいましたが。

じつは1年前からどうしても自分の日記で熱く語ってみたいお城があった。ずっと狙っていた。
ただ基本、自分の日記はクラシック、オーディオで来たからね。結構勇気が必要だった。

それが鎌倉愛について熱く語れたことでふんぎりがついた。

大阪城、松本城、名古屋城、姫路城、熊本城・・・全国各地にはいわゆる名将たちによって造られた名城が多い。わが日本の伝統と誇りが形となった姿ですね。

サイトウキネンで松本に行ったときの松本城は、それはそれは美しい天守閣を持った名城だと思った。間近で観れたときは本当に感動だった。

自分にとって悔しいのは、大阪城に行ったことがないこと。
いや、曖昧な記憶では確かに1回行った記憶があるんだが、はっきりと覚えていないのだ。
どうしてももう1回行って確かなものにして自分のモノにしたい。

大阪に行くには、もうひとつ目標があって、それは、クラシック音楽専用ホールのいずみホールを体験したいこと。シンフォニーホールは、結構行っているんだが、いずみホールは、縁がないのだ。シンフォニーホールに行くとき、必ずペアでいずみホールに行こうとトライするんだが、どうしてもいいコンテンツがなくて、日程が合わない。

いずみホールは、岐阜のサマランカホールとも姉妹ホールの関係にあって、客席の椅子なんかまったく同じに見えてしまう。ホールの空間の雰囲気もとても似ている。

慎ましやかな容積で、シューボックスで音響がじつに素晴らしいのだそうだ。
写真を観た感じですぐにわかる。ここで小規模な室内楽を聴いてみたい。

関西のコンサートホールは、シンフォニーホールといずみホールを抑えれれば、自分はもう満足というか悔いはない。

今度、大阪に行くときは、ぜひ大阪城といずみホールをセットで体験しないといけない。





自分が熱く語ってみたいのは、安土城。

そう、あの織田信長が天下布武のために琵琶湖のほとりに建立した幻の名城だ。

完成からわずか3年しか存在出来ず、あまりにあっけなく迎えた終焉は、まさに信長そのもの。

安土城との出会いは、やはり子供時代に観たNHK大河ドラマで観た映像。もちろんお城として現在復元されていないので、いまは存在しないお城なので、CGなどで造られた画像なのだが、それを観たときのインパクトは、子供心にすごいショックだった。

自分は、もうその子供のころから日本史が好きで、お城にも心惹かれていたのだが、さきほど挙げてきたいわゆる日本の名城と言われるお城の外観と比較して、安土城は、あまりに個性的で、非常に奇異な印象を受けたのを覚えている。おそらく多くの人がそう思っていると想像するが、その奇異に思ってしまうところ・・・いや、これはあとのお楽しみに取っておこう。

その前に織田信長について語らないといけない。

もういまさら説明の必要はないだろう。

歴史上人物の中での自分のヒーローは、源頼朝と、この織田信長なのだ。
やっぱり自分は男らしい人が好きなんだな。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のいわゆる戦国時代ものは、NHK大河ドラマでは定番中の定番。絶対視聴率がとれる。自分も大河ドラマで知って勉強してきた。子供の頃にはじめて体験したのが、「国盗り物語」。織田信長は高橋英樹さんだった。(豊臣秀吉は火野正平さん)憧れた。


それからは、つぎつぎと体験する太閤記もので、この織田信長を誰が演じるのかが、結構スター的な要素があって注目されるところだった。「徳川家康」での役所広司さんもよかった。

ウチのオヤジ、オフクロに言わせると、やっぱり太閤記と言えば、豊臣秀吉に緒形拳さん、織田信長に高橋幸治さんが最高だったとのこと。その最初の太閤記は、1964年に放映された。自分が産まれた年だ。スゴイ人気だったらしい。特に信長役の高橋幸治さんの人気がすごくて、本能寺の変の近くなると、殺さないでくれ!歎願が凄かったとか。

このコンビは、その後、「黄金の日々」で復活登場する。このときは自分もしっかり拝見しました。
リアルタイム世代でないのが悔しいので、この1964年の太閤記の市販ビデオ(総集編です)を購入して、しっかりチェックしました。

織田信長は、やはりあまりに劇的で戦国時代そのものの人生だった。
気性が激しく、発想が従来の考え方に捉われない斬新さで、戦国時代の革命児、そして最後の終焉もあまりにあっけない悲劇だった。



本能寺の変で信長の最期は、本当はどうだったのか?

これにかなり興奮したというか、相当興味をそそられた。
歴史の最大の謎、ミステリーと言われている。

いろいろな書籍やドキュメンタリー、映画を観まくってきた。かなり詳しいです。

遺体や遺骨すら見つからず、炎の中に消えていった。ある意味、悲劇の中でも美学で終わってよかったと思う。もし、ここで、相手に首級をあげられたりしていたら、まさに戦国武将として最大の汚点になってしまう。

戦国武将にとって、自分がたくさんの武将たちを戦で殺してきた、特に信長は残虐な殺傷を多くやってきた武将、そういう人たちは、こういうことをやっていて、いつかは自分が殺られるときがくるかもしれない。そういう戦国武将としての死生観みたいなものは、つねに持っていたに違いない。

光秀の謀反だと知らされたとき、思わずつぶやいた有名なセリフ。

「是非に及ばず。」

現代語で翻訳すると、「しゃあない。」ということらしい。

そこに常にいつかは自分が・・・という気持ちの想いを持つのが宿命だった、そういう時代に生きた男たちなんだな。

しかし、本能寺の変は、何回観てもすごい興奮する。

数年前に、いままで自分が知らなかった織田信長の肖像画を偶然ネットで発見した。
それはいわゆる歴史の教科書に出ている有名なあの肖像画ではないのだ。 


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上半身まで映ったものがこちら。 

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これは信長ファンの自分にとっては、かなり衝撃だった。(笑)
いままで自分が知ってきた信長の行為をやっていたのが、この男だったのか!

歴史の教科書の肖像画と違って、こちらの絵は、より人間らしい、リアル感満載の信長だ。

イエズス会士の画家ジョバンニ・ニコラオが描いた絵だそうだ。
この絵は「織田信長」で間違いないらしい。

歴史の教科書と違って、頭のてっぺんに髪の毛がある。
教科書と全然似てねぇじゃないか!


信長のことはあまりに有名すぎるので、これぐらいにして、その信長が建てた安土城について熱く語ろう。

これは今回の日記のテーマで、自分が1年前からずっと狙ってきた熱いテーマなのだ。
ずっとネットで勉強してきて、それを自分なりにまとめた形で、いつか日記にしたいと思っていた。

安土城は、築城して3年経ってすぐに消えた幻の名城だ。
本能寺の変の後に、謎の火事で焼失してしまった。

この火事の原因はいろいろな説があり、どれとは断定できないが、光秀が討たれた山崎の戦後の混乱の中で略奪に入った野盗の類が放火した、とみるのが自然、という説が有力でここではそういうことにしておこう。

それ以来、この世には存在しないお城なのだ。

名城はいわゆる復元作業というのをおこなって、現在でも存在するようにしているのだが、この安土城だけは、今なお、復元されていなく、その城跡しか残っていないというのが、現状なのだ。

なぜ安土城が復元されないのか?

自分は、そこにずっと疑問を持っていた。安土城を熱く語りたいと思っていたのは、ここを疑問に思っていたからだ。安土城をいまの時代に見たいと思っている人は、日本に自分を含めたくさんいることは間違いない。

なぜ、それが実現できないのか?


なにせ安土桃山時代に、築城してわずか3年で姿を消して以来、ずっと存在しないお城。
復元するには、その当時の姿に基づく設計図なり、歴史的資料が必要だ。

当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることはできる。

信長が権力を誇示するために狩野永徳に安土城を描かせた金箔の屏風が、あるイエスズ会員の司祭に贈られ、彼が日本を離れるときに同行した天正遣欧使節によりヨーロッパに送られてローマ教皇庁に保管されているという記録がある。

それが安土城の姿を知る決め手の一つと考えられ、現在に至るまで捜索が行われているが、未だに発見されていないのだ。

当時のその真の姿はいまや誰も知らない。

それをいろいろな歴史的資料に基づいて復元しようという動きは、当然昔からあった。

1885年から2005年に至る120年間の間、7人の学者によって、その復元案というのが示された。

天主(ふつうのお城は天守と書くが、信長の安土城だけ天主と書く)の復元案として、1994年、内藤昌による復元案が有名だろう。

NHK大河ドラマで採用されたのも、この内藤昌案だ。

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この城の外観を大河ドラマではじめて観たときは、子供心にショックだった。
その外観のあまりに奇異というか、異様なデザイン。

ふだん自分が知っている数多の名城の外観とはあまりにかけ離れているというか、違い過ぎた。
それまでの城にはない独創的な意匠デザインで絢爛豪華な城であった。

この独創的な意匠デザインに、自分は一発でやられた。

なんか日本のお城っぽくない。南蛮の国や唐の国の風情がある。
それが和様と混ざったようなまさに独創的。
やっぱり信長らしいお城だと思ってしまう。

さらにいまは存在しない、復元されていないお城というのが、いわゆる幻の名城的な妄想を煽り、自分はこの姿を見ると、無性に興奮した。

いまは存在しないから、実物を観れないか、というとそうでもないのだ。


安土城があった滋賀県安土駅下車で、この信長の安土城について、いろいろ体験できる施設があるのだ。

滋賀県立安土城考古博物館
安土城天主 信長の館
安土城郭資料館

こういう施設に、その復元案に基づいて、デザインされた安土城のミニチュアがあるのだ。


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安土城天主復元模型1/20スケール(内藤昌監修/安土城郭資料館)



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内藤昌監修でのNHK大河ドラマで採用されたCG図。



地下1階地上6階建てで、天主の高さが約46メートルの世界で初めての木造高層建築。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。その壮大で絢爛豪華な様はキリスト教宣教師が絶賛したと言われている。


まさに奇想天外なお城で、その断面図は、このように地上から上の方に向かって吹き抜け構造になっている。

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信長はこの天主で生活していたと推測されており、そのための構造と思われる。こういった高層建築物を住居とした日本人は、信長が初とも言われているのだそうだ。



さらには”伊勢安土桃山文化村”というテーマパークがあって、時代考証に基づいて原寸大の安土城や洛中洛外、楽市楽座など戦国時代の町並みを再現した空間が存在するのだ。

まさに今年の2018年に開業25周年を迎えるにあたり、総額100億円をかけた大規模リニューアルを行なうそうだ。

ここに”原寸大”の安土城の天主が存在するのだから、堪ったもんじゃない。

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まさにこの原寸大の安土城を1泊約500万円で宿泊できる施設に改装するちゅうんだから、笑ってしまう。


○○城と言えば、その本丸にそびえる天守閣がよく知られているし、観光地化しているものが多いが、日本で最初に作られた天守閣は安土城なんだそうだ。

しかし実際には、城主が天守閣に住んだのは、この安土城とか秀吉の大阪城ぐらいで、江戸時代になると別の館で住みつつ政治をしたため、天守閣は応接室程度にしか使われていなかった。このためほとんど無用の長物と化し、物置のようなものになっていたらしい。

城のシンボルとなる建物を”天主”と呼んだのは信長だけである。
信長以降、城を造った大名達は”天守”と呼んだ。彼等は宗教上のある種のおそれから、天主と呼ぶのをためらったのかもしれない。




安土城が、日本の他の名城の外観と比較して、あまりにその外観が奇異と感じるのは、ずばり5階の朱色(赤)の八角形の円堂の外観のところなのだと確信する!

城全体の外観のバランスを観たとき、この赤い八角円堂の部分が、思いっきりインパクトが強くて、我々への印象度を強くしているのだ。

自分が子供心に、思いっきり衝撃を受けたのも、この5階の赤い八角円堂の部分だった。

いままでの城にはなかった。まさに南蛮、唐の風情である。

さらに最上階の6階の金色の天主も最高だ。


安土城天主 信長の館という施設では、この安土城の天主の5,6階の部分を実寸大ということで、復元して展示しているのだ。1992年に開催されたスペイン・セビリア万博で日本館のメイン展示として出展されたもので、豪華絢爛な安土城、信長の世界観が見事に再現されていて、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など圧巻。

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6階の天主。天主の内部には、当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」も再現されている。

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5階の八角円堂。まさにこの部分が安土城を思いっきり、ユニークなデザインにしている要因だ。中はこんな風になっていた。

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安土城を単に天主だけで語ってはいけない。城全体、いまでいうところの城下町的なところも含めてチャレンジしてみたい。

これが安土城の構成図。

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一番下の右側に大手道への入り口があり、そこから入る。
石道の階段がひたすら続くという感じだ。ここを大手道という。

その両サイドに、伝羽柴秀吉邸や伝前田利家邸があるのだ。なぜ、名前の前に”伝”と付けるのかわからないが。(笑)羽柴秀吉と前田利家がペアで贔屓にされていたんだな。大河ドラマの「利家とまつ」で、秀吉と利家がつねにドラマの主役で連動していたのは、単にドラマ進行の脚本と思っていたが、そうではなくて、きちんと、このように2人とも信長の信を受けていた、という事実をしっかり突き付けられた感じだ。

今度は反対に一番下の左側の入り口(百々橋口)に、お寺、つまり寺院がある。
持仏堂や戦死者を弔う小堂などを持った城は各地に見られるが、堂塔伽藍を備えた寺院が建てられているのは、後にも先にも安土城だけなのだ。

この大手道から天主のほうを臨んだイラストCGがあった。こんな感じ。

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この大手道の実際の写真。(現在の安土城跡)

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城内の道というものは敵の侵入を阻むためになるべく細く曲がりくねって作られるが、この構成図を見てもわかるように、安土城は大手門からの道の幅が広く、ひたすら直線が続く。籠城用の井戸や武者走り・石落としといった設備も著しく少ない。

こうした事から、安土城は軍事拠点としての機能より、政治的な機能を優先させて作られたものと思われている。




そして登り詰めていくと、いよいよ天主。天主と本丸、二の丸、三の丸という構成になっている。



安土城の本丸御殿は、天皇を迎えるための施設だったという可能性が指摘されている。

その根拠は、その本丸の造りが、清涼殿に酷使しているから。

清涼殿というのは、耳慣れない言葉だが、いわゆる天皇の住居。京都で言えば、京都御所である。(自分も京都旅行に行ったとき、しっかり京都御所を観てきました。)

安土城跡の本丸の部分を厳密に復元図を作成したところ、建物は3つ存在したことが明らかになって、その配置は「コ」の字型という特殊なもので、清涼殿と共通する。(確かに京都御所もコの字型であった!)

江戸幕府が建てた清涼殿の図面を、東西逆にすると、この安土城の復元図とほぼ重なるのだ。

規模や部屋割りもほぼ一緒であるのだそうだ。

豊臣秀吉が建てた清涼殿も、この江戸・徳川幕府の清涼殿と同じ。

豊臣・徳川の清涼殿は、一部に武家住宅の様式を取り入れているという点で、中世の伝統的な清涼殿から違うらしいが、安土・信長の清涼殿は、豊臣・清涼殿より前で、後の時代の模範になったんだな。

歴史的書物にも、天皇が安土へ行く予定だとか、その安土の屋敷の中に、「皇居の間」を拝見したと書かれている。

つまり、信長、秀吉、家康も天下のお城を建てた訳だが、そこには必ず天皇を迎えるための施設(清涼殿)を造っていて、信長はその先駆けだったということだと言える。

これが安土城の全容。ミッション・コンプリート!


織田信長が、安土城を築城した目的は、岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があって、加えて北陸街道から京への要衝に位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されている。

でも、従来の”戦う城”というイメージよりは、どちらかというと”魅せる城”的な意味合いが強く、信長の威厳・世界観を世に示すためのプロパガンダという感じだったのかもしれない。



さて、自分がずっと疑問に思っていた”なぜ安土城は復元されないのか?”

ここを解明するために熱く語りたかった訳だ。

自分が直感的に素人的な考えで思いついたのは、豊臣秀吉は大阪城、そして徳川家康は江戸城、2人とも天下のお城を建てている。2人に共通していることは、2人とも成功した武将という点だ。江戸城は現在の天皇の住居になっているし、大阪城は、百姓から天下人になった太閤秀吉のシンボルとして、それだけの巨大投資をしてまで大阪城を復元した。

でも織田信長は、劇的な人生だったけれど、いわば挫折人。
挫折人のために、そんな大規模な投資はできない、という理由じゃないのかな~とか思ったけれど、そんなアホな理由じゃなかった。


現在、安土城があった場所には、石垣や天主台(天主が建てられた場所)が残っているだけ。安土城跡は国指定特別史跡に指定されているため、復元には条件が必要。その条件を満たさない限りは天主を復元することはできないのだ。

「だったら条件を満たして大坂城のように復元すればいいのでは?」と思う人もいるだろう。復元であっても、当時の様子を見てみたいと考える方もいる。しかし、安土城跡は国指定の特別史跡に指定されているため、復元には大きなハードルがあるのだ。


現在、国指定の特別史跡に復元をするには、”当時の工法”で”確実な史料”に基づいていなければならない。「当時の工法」とは、いわゆる木造建築の事。

現在の建築基準法では、木造の高層建築物は建てられないことになっている。

安土城と同様、国指定の特別史跡に指定されている大坂城跡には、コンクリート造りの天守閣が建っているが、1931年の築造で文化財保護法ができる前の建築物。コンクリート造りの天守閣も、国の登録有形文化財なのだ。

さらに、先ほども説明したように安土城には確実な設計図などがない。


こうした事情から、安土城跡に天主を復元するのは難しい・・・なのだそうだ。

どうもこれが真実らしい。。。そうだったのか・・・

これを知って、ふっと思いついたのだが、いまの名古屋城を木造にしようという動き。(あの方が推進しています。(笑))そのときは、建築強度的になんと愚かな!と思ったが、あながち無茶というより、どうしても歴史的に意味があることなんだな、と思いました。


以上、自分的には燃焼できた。

完全燃焼。

自分がずっと謎に思ってきたこと、ずっと憧れてきた城のことを完璧に知ることができた。

本来であれば、この滋賀県安土の現場まで、自分でじかに行って、実際の安土城跡、そしてこれらの資料館などを訪問して、自分のカメラで写真を収めたい、そういう気持ちは当然あった。2,3年前までは予算と体力があったので、思いついたら即実行だったが、でもいまは人生最大の大スランプ。

ちょっとここは我慢してネットの記事で自分が行った気になろうと思った訳である。



今年の春、岐阜のサマランカホールを訪れたとき、ほんの一瞬だったけれど、岐阜駅前を散策した。

そうしたら、織田信長バス。


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弓を射る信長、ワインを飲む信長・・・いろんな信長バージョンをプリントされているバスが、駅前をたむろしているのだ。

さすが、岐阜は信長の街。


いま話題のNHKの朝の連続ドラマ小説「半分、青い。」も岐阜所縁のドラマ。

いま岐阜が熱いのか・・・?







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鎌倉愛のルーツ [雑感]

あと残された鎌倉ミッションに、流鏑馬と静の舞がある。

いつも身近に自分の楽しみの目標を見つけて、それを精いっぱい楽しむというのが、健康な人生を送る秘訣。

静の舞は、4月の春に行われる鎌倉まつりでおこなわれるので、今年はもう終わってしまったのだが、流鏑馬は春と秋に、鶴岡八幡宮で行われ、秋は、なんと9月16日にある。

鶴岡八幡宮例大祭の1つの行事として行われるらしく、もうこれが身近の楽しみ。(笑)

流鏑馬は、疾走する馬上から矢を放ち的を射る日本の伝統的な武芸の技術・稽古・儀式で、流鏑馬の流派として、武田流と小笠原流の2つに分かれるらしい。詳しくは、体験した時の日記で語ってみたい。自分が体験するのは、小笠原流のほうです。

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もうひとつ体験してみたいのが、静の舞。来年春の4月の鎌倉まつりまで待たないといけないが、これも楽しみだ。



静は、義経が兄源頼朝と不仲になり、京を落ちるときにも一緒に行動していた。

義経一行は吉野へと逃げるが、吉野で義経と静は別れる。

義経と別れた静は、京へ帰る途中に捕らえられてしまう。

北条時政に身柄が引き渡され、1186年(文治2年) 3月1日、母磯禅師とともに鎌倉に送られてきた。

源頼朝は、鎌倉に来た静に舞わせようとするが、静はそれを断り続ける。

しかし、4月8日、八幡大菩薩に献舞するということで説得され、鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露することとなる。

静は、義経を慕う今様(いまよう・歌)にあわせて舞う。



吉野山 峰の白雪 ふみわけて
入りにし人の 跡ぞ恋しき

しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな



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参列した者のほとんどが「静の舞」に心を動かされた。

頼朝は、静が義経を慕う歌をうたったことから激怒するが、妻の北条政子は「私が御前だったとしてもあのように舞ったでしょう」と言ってとりなしたのだと伝えられている。

鎌倉に来た静は、義経の子を身籠っていた。生まれてくる子が男子であったなら、その子の命を絶つことは決まっていた。

7月29日、静の産んだ子は男子。子は殺害され、その遺体は由比ヶ浜に捨てられた。


9月16日、静は傷心のまま鎌倉を離れ京に向かったとされているが、その行方は不明のまま。

由比ヶ浜に身を投げたともいわれている。

いまだに歴史の謎なのだ。

(静の舞~鎌倉と静御前、鎌倉手帳(寺社散策)より抜粋。)


こんな感じ。もう判官びいきで義経伝説が大好きな日本人にとっては、超有名でたまらん場面ですね。

2005年に放映されたNHK大河ドラマ「義経」。タッキーこと滝沢秀明くんが義経を演じて、静御前を石原さとみちゃんが演じていて、そのときのこの静の舞が、自分にはいまでも印象的に心に残っている。

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石原さとみさんは、いまでこそ飛ぶ鳥を落とす勢いの超人気者になってしまったが、この頃は、演技もいまひとつプロになりきれず、女優、タレントとしてもいまひとつ、視聴率を稼げない女優とか言われていた時代。こんなに変わるもんなんですね。(笑)

源頼朝を中井貴一氏が演じ、北条政子を財前直見さんが演じていた。

このときの静の舞のシーンが、すばらしく格好良くて、このシーンだけ何回もVHSを巻き戻して、本当に何回も何回も繰り返して観ていたのを覚えている。

このとき静御前は、義経の子を身ごもっていて、歴史の解釈では、身ごもった状態で、舞を奉納し、その後に男の子を産んで亡きものとされた、というのが通常解釈なのだけれど、この大河ドラマ「義経」では、男の子を産んで殺されてから、その後に頼朝に舞を奉納した、という演出に変えられた。そのほうが悲劇性というか、静の舞に対する怨念が滲み出るという配慮から。。。

このときの石原さとみちゃんの静の舞はその”怨念の気”を見事に演じていてじつに素晴らしかった!



とにかく鎌倉時代が大好き。鎌倉時代の歴史を語らせると永久に止まらない(笑)。

やっぱり鎌倉時代って、その時代考証から自分は好きだったのだと思う。男性も女性もあの衣装。同じ武家時代でも江戸時代では、男性は頭を剃り上げてちょんまげ姿、でも鎌倉時代は、いわゆる剃ったりはしないし、なによりも烏帽子を頭の上に乗せている。

江戸時代の女性は、髪型はいわゆる大奥のドラマのように頭のところでまとめ上げるのだが、鎌倉時代の女性は、ずっと髪をたらす感じ。

衣装も、江戸時代よりも鎌倉時代のほうが、貴族っぽい優雅な衣装で好きだ。


いまはすっかり見なくなったけれど、子供のころからNHK大河ドラマが大好きで、必ず毎年観ていた。やはり太閤記に代表されるような織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国時代ものが好きだったが、それにも負けず大好きだったのが、鎌倉時代。

去年、鎌倉を偶然訪れてから、大の鎌倉マイブーム。

それは、やはり歴史で、鎌倉時代が大好きだった、というところに、その原点、ルーツがあると思うのだ。

子供の頃にあれだけ熱中した鎌倉時代。就職で上京してから、日帰りできるつい目と鼻の先にあるのに、30年間も鎌倉を訪れることがなかった。それがふっとしたことで、去年鎌倉を訪れて、その積年の想いを遂げた感じ。

実際、訪れた鎌倉の街の印象は、歴史が好きという以上に、街としての独特の雰囲気があって、東京とはちょっと時間の流れが違うゆったりとした感じのあるじつに素敵な空間であった。

やはり、自分の日記で鎌倉愛、自分が子供時代に熱中した鎌倉時代について語らないといけない。

いや語らせてほしい!

日本史が嫌いな人はスルーしてください。

自分は世界史よりも断然日本史のほうが好きだった。

共通一次世代で、理系男子は、社会科は負担の少ない地理・倫理を選ぶのが常識とされたが、自分は日本史・倫理と、日本史を選んだ。世界史は、あのカタカナ表記が覚えられなかった。(笑)いまは、音楽が縁でヨーロッパなど海外旅行が好きだが、あの頃とは雲泥の差だ。(笑)

どうしても、自分の”鎌倉愛のルーツ”であるNHK大河ドラマの「草燃える」のことを、自分の日記で語らないといけない使命感に燃えた。

急に思いついた。

長い前振りだったが、これが今回の日記の目的だった。

ちょっとネットから拾い絵を片っ端からやっていきます。
”ネットからの拾い絵”ということは、誰かの記事で採用されていた画像ということ。それを片っ端から使っていきますので、著作権的にクレームが来たら、そそくさと撤収します。(笑)




「草燃える」は、1979年に放映された大河ドラマ。自分が高校3年生のときにみたドラマだった。
とにかくハマった。長年観てきた大河ドラマとしては最高にハマったドラマだった。
日曜日夜8時から放映される大河ドラマだが、当時家庭用ビデオを持っていなかった時代。土曜の昼に再放送があり、それもちゃんと観るのが唯一の楽しみだった。

オヤジから随分バカにされたものだった。「お前、1回見たものを、なんでもう1回見るんだ?(笑)」



ドラマ冒頭は、そう!あの流鏑馬のシーンからスタートするのだ。衝撃的。
まさに鎌倉時代を象徴する流鏑馬。子供心に超カッコイイと思った。

そしてこのタイトル画面。懐かしすぎる!(笑)

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ドラマのテーマソングもいまでも口ずさめるほど、完璧に覚えている。

この草燃えるのちょっと面白いところは、セリフ面で現代語や現代語調が多用されたことだった。視聴者から大きな反響を呼んだ。当時の子供頃の自分は、まったく意識しなかったが、後年そのことを知って、その斬新なアイデアに驚いた。



草燃えるを専門的に解説すると・・・

永井路子さんの原作「北条政子」などを中心に、大河ドラマ用に脚本が新たに作られたもので、源氏3代による鎌倉幕府樹立を中心とした東国武士団の興亡を描いた一大叙事詩。

それまでの源平を題材にした作品か、どちらかといえば平家や源義経を中心とした物語なのに比べて、この作品では平家方の描写は少なく、源頼朝と、頼朝を担いで挙兵した東国武士団の動きに焦点が当てられ、歴史観も「源氏の旗揚げは、東国武士団の旗揚げでもあった」という立場で描かれている。


ここがなによりも目新しかった。この時代を、このような観点から描いた大河ドラマは、この草燃えるが唯一なのだ。従来からの平家が絡むどちらかというと貴族的な軟弱なフンイキよりも、なによりもこの東国武士団という男らしい格好よさに自分は惹かれた。

源氏3代と北条家。

この方々が主役。

ある意味、年間を通しての主役は北条政子と言ってよかった。
源頼朝は、年間の真ん中あたりで、落馬して死亡し、主役は北条政子に交代する。

その中でもズバリど真ん中の主役は、

石坂浩二さん演じる源頼朝、岩下志麻さん演じる北条政子、そして松平健さん演じる北条義時だった。

北条家の初期の執権政治で、歴史的に有名なのは、初代の北条時政、そして3代の北条泰時だと思うのだが、2代の義時にスポットをあてるのは斬新だと思った。義時は政子の弟。そして北条家による執権政治を確たるものにしたのは義時。まさにそのためには身内含め、仲間の豪族を次々と失脚、殺害してく冷酷さだった。まさに政子との連係プレー。その義時は、ドラマ初頭では、とても好青年に描かれていて、後半のその人が変わったような冷徹ぶりは正直子供心にかなりショックだった。

松平健さんがじつにそこを好演していた。当時の松平健さんは、まさに暴れん坊将軍全盛の頃。

でも自分には、この北条義時役の松平健さんのほうが最高だった。

このドラマが貴重なのは、承久の乱まで描いていること。源氏3代が滅び、北条執権政治が始まった時、やや鎌倉武家政治に陰りが見え始め、予てより鎌倉幕府の全国支配を快く思っていなかった後鳥羽上皇中心の朝廷方が、打倒鎌倉幕府の命を下し、戦になった。

まさに朝廷と戦うのであるから、自分たちは朝敵になるのか?そんな鎌倉の御家人たちの大きな不安となるのは当然。

そのとき、鎌倉幕府側は、御家人たちを集めて、岩下志麻さん演じる北条政子が一世一代の演説をする。





皆、心を一つにして聞きなさい。これが私の最後の言葉です。

亡き頼朝公が朝敵を滅ぼし、関東に政権を築いてから、
お前たちの官位は上がり禄高もずいぶん増えました。


お前たちはかつて平家のもとでどう扱われていましたか?
犬のように召し使われていたではないですか!

しかし今は京都へ行って無理に働かされることもなく、
よい暮らしができるようになりました。

すべてこれ、亡き頼朝公の御恩。その御恩は、
海よりも深く山よりも高いのです。

今、逆臣の讒言によって、理に反した綸旨が下されました。

今こそ頼朝公へのご恩を返す時。

名を惜しむ者は、逆臣を討ち取り、三代にわたる将軍家の恩に報いよ。

もしこの中に朝廷側につこうと言う者がいるのなら,まずこの私を殺し、

鎌倉中を焼きつくしてから京都へ行きなさい。




おおお…と胸打たれる御家人たち。

これに一発奮起した鎌倉側。

幕府はおよそ20万の大軍を京都に向け、あっという間に京都を制圧。

鎌倉側の大勝利に終わった。

北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すこととなった。


このときの演説こそ、このドラマの年間を通しての主人公、北条政子の最高の見せ場なのだと自分は確信している。

まさに岩下志麻さんの強烈なキャラは、そんな尼将軍・北条政子の役にぴったりだと思った。



そして、いままで何度も言及してきて、もうご存知だと思うが、石坂浩二さん演じる源頼朝。これが自分の歴史人物の中でのヒーローだった。源頼朝をそのように思い始めたのが、この石坂さんが演じる頼朝像を見てからだった。このドラマ、とりわけ、昔の大河ドラマって、登場人物が端役に至るまで、みんなとても個性的で存在感があった。そういう猛者たちを取りまとめる、その長である頼朝が妙に格好よいと感じてしまい、憧れた。特に頼朝の死後、ドラマは、なにか明るく差していた陽が一気になくなってしまったような寂しさがあった。それだけ存在感があった。

頼朝を好きだと思うようになったのはある意味、その死後の寂しさを経験してからだった。あの頃はとてもよかった・・・的な感じ。

そこから源頼朝を徹底的に研究し、鎌倉の歴史を思いっきり勉強した。
鎌倉フェチのはじまりである。(笑)

ここで写真を眺めながら、それぞれの想い出にふけることにしよう。


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ご存知、石坂浩二さん演じる源頼朝。存在感があって、格好良かった。子供心に憧れた。石坂さんは、大河ドラマの主役を演じるのは通算3回で、これは最多回数だそうだ。さすが昭和を代表する名優ですね。プライベートでは大変な有識者で、プラモ模型が大好きという楽しい一面もあります。



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岩下志麻さん演じる北条政子。映画・極道の妻たちでもわかるように、まさに岩下さんのキャラは怖くて強烈。尼将軍・政子にぴったり。いままでの北条政子役で、自分の中では、岩下志麻さんを超える人はいないです。


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若かりし頃、お互い好意を寄せあう頼朝と政子。政子は結局、家族の勘当にあっても頼朝の元に走った。

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当時のTVガイドの雑誌。草燃える紹介されている。「源氏3代の野望と愛」とある。石坂・頼朝と岩下・政子、美男美女のカップル。


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松平健さん演じる北条義時。自分にとって松平さんの当たり役は、暴れん坊将軍ではなく、この北条義時だった。ドラマ前半では好青年で描かれていた。ドラマ後半では、まさに権力基盤を確固とするべく冷徹な義時を演じた。そのあまりの変貌ぶりに子供心にショックだった。岩下・政子と松平・義時の強い絆、連係プレーはある意味、このドラマのキーポイントになっていた。


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源氏2代将軍、源頼家を演じた郷ひろみさん。まさにバカ殿なんだが、それを郷さんは見事に演じていた。当たり役だと思った。頼家はその暴走、狂乱のバカ殿ぶりで、最後は政子、北条家によって幽閉されて殺害されてしまいます。


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源氏3代将軍、源実朝を演じた篠田三郎さん。頼家が愚かなバカ殿だったので、篠田さん演じる実朝はずいぶんスマートでまともな将軍のように思えました。実際教養と知性のある将軍だった。朝廷と幕府が均衡を保っていられたのは、この実朝が後鳥羽上皇を崇拝して、両者の間をとりなしていたから、とされている。でも公暁によって鎌倉八幡宮にて暗殺される。それが引き金になって一気に朝廷、幕府が衝突ということになるんだな。


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源義経を演じた国広富之さん。義経は、どちらかというと、日本では判官びいきの悲劇のヒーローとして描かれることが多いのだが、このドラマでは、軍事的才能はあるのだけれど、若気の至りで思慮の浅い愚か者として描かれているのが特徴的だった。


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静御前を演じた友里千賀子さん。このドラマでは、友里・静は、身ごもった状態で、頼朝の前で、舞を奉納し、その後に産んで亡き者とされた。ドラマでは、その子供は、鎌倉の由比ガ浜の砂浜の中に御家人たちの手によって埋められるというシーンでした。強烈に印象にある。(笑)


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三浦義村を演じた藤岡弘さん。三浦家は鎌倉幕府の有力な御家人で、北条家と密接な関係を築きながらも、じつは陰で次代の覇権を握りたいという策略家として描かれていた。3代将軍実朝を暗殺した公暁(2代将軍頼家の次男)を陰でそそのかして、実朝暗殺をさせたのは、この三浦義村だった、という描写だった。でも暗殺実施後、三浦義村は、公暁をあっさり裏切り見捨てた。


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大江広元を演じた岸田森さん。この写真が見つかったのは最高に嬉しかった。大江広元は、まさに頼朝のブレーンだった。石坂・頼朝と岸田・広元はつねに傍にいて、なにあるごとに、頼朝は広元に相談している図がいまでも頭の強烈に残っている。岸田森さんは、本当に渋いいい名脇役の俳優さんだった。大ファンでした。


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後鳥羽上皇を演じた尾上辰之助さん。当時大河ドラマに歌舞伎俳優さんが出演するのは常で、さすがに時代劇ものに関しては、1枚も2枚も格が上だな、と思いました。北条義時執権のときの承久の乱での朝廷方のトップ。その見事な演技はさすがでした。


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伊東祐之(十郎)を演じた滝田栄さん。架空の人物。原作にも登場しない、このドラマのためだけに作られたオリジナル・キャラクター。青年時代の松平・義時となにかと深い関係で描かれ、ドラマ最終回では、承久の乱の後、政権安定した執権松平・義時の前に、そのときはもはや視力を失った琵琶法師となって現れて、源平の戦のことを、朗々と語るというなんとも因縁めいたシーンが最終回の最後のシーンだった。





以上、しかし、このドラマが放映されて、今年で39年経つんだよね。よくこんなにスラスラと頭から泉のように溢れ出てくるな、と思います。やはり頭の柔らかい子供の脳って、しっかり刻み込んでいるんだね。

草燃えるは、全51話なのだが、これのマスターテープが、NHKには残っていない、全話失ってしまった、というショッキングなニュースがあった。放送用ビデオテープのままNHKに残されていたのは総集編のみであり、通常放送回は1本も残されていなかったのだ。

これは当時の放送用VTRは機器・テープとも高価だったうえ著作権法等で番組の資料保存が制約されていたことも重なり、本作を収録した全話のマスターテープは他者の番組制作に使い回されたためだったからだそうだ。

その後、日本国民の一般視聴者からが家庭用VTRに録画した映像が提供されて、全51話ともNHKアーカイブズで観れるようになったらしい。でもやっぱりそこは家庭ユースのクオリティ。画像の乱れやノイズも多く、いまだに”Wanted、募集してます!”をやっている話(18話分)もあるらしい。

2004年頃に、自分も総集編DVDを購入しました。

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久し振りに観たら、すぐに子供時代にワープして、まったく古めかしさなし、違和感なくのめり込みました。(笑)


語らせてくれてありがとう!

すっきりした!

自分の鎌倉愛のルーツは、すべてここにあった。


これを詳らかにしたことで、これからみなに遠慮なく、残された鎌倉ミッションを成し遂げたいと思います。







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Channel Classicsの新譜:レイチェル・ポッジャーのヴィヴァルディ四季 [ディスク・レビュー]

レイチェル・ポッジャーは今年で満50歳だそうだ。その生誕50周年記念盤らしい。先日のディスコグラフィーの日記では不良品を掴まされ、間に合わなかった。まさにほっかほっかの最新録音。

彼女の作品の中では、バッハと並んで大切な作曲家のヴィヴァルディ。まさにここ最近はヴィヴァルディ・プロジェクトと言っていいほど、充実した作品をリリースしている。

「ラ・ストラヴァガンツァ」、「ラ・チェトラ」、「調和の霊感」とヴァイオリン協奏曲集の名盤を連ねてきたディスコグラフィーに今回加わるのは、「四季」。

ヴィヴァルディの四季といったら、もうクラシックファンでなくとも誰もが知っている名曲中の名曲。

イ・ムジチによる演奏があまりにスタンダード。


なぜ、こんなスタンダードな曲を選んだのだろう、と思うが、まだ学生だった頃のポッジャーが、ナイジェル・ケネディの名録音を聴いて以来、演奏と録音を夢見てきたという想い入れがあるのだそうだ。

自身のアンサンブルのブレコン・バロックを伴って、2017年についに録音が実現、2017年の10月28日には、ブレコン・バロック・フェスティヴァル2017でもこの曲を演奏している。

自分は、このナイジェル・ケネディの名前に思いっきり反応してしまった。(笑)
まさかポッジャーのディスコグラフィーを聴いていて、彼の名前を聞くなんて夢にも思わなかった。


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いまからおよそ20年くらい前の2000年はじめの頃に、友人が、ぜひナイジェル・ケネディを聴いてごらんということで彼のディスクを紹介してくれた。ベルリンフィルとの共演のディスクだった。


自分がすごくショックだったのは、ナイジェル・ケネディのヘアスタイルからファッションに至るルックスだった。


まるでパンクそのものだった!

頭の両側を刈り上げ、てっぺんの毛を立たせ、服装もまさにボロボロ。(笑)

品行方正なクラシック界とは、まるで水と油のような印象。
思想的にも過激そうで、なんでこんな感じのアーティストが、しかもベルリンフィルと共演できるのだろう?と不思議で仕方がなかった。

ナイジェル・ケネディはイギリス人。当時ベルリンフィルの芸術監督に就任したばかりの同じイギリス人のラトルが、従来の殻を破る新しい風を・・・という意図があったかどうかは知らないが、結構仲が良かった。

ナイジェル・ケネディは結構、ベルリンフィルと共演した録音をかなりの枚数おこなっているのだ。

自分にはこれがどうも違和感というか信じられなかった。


ある日の公演当日の朝、燕尾服をニューヨークに忘れて来た事に気付き、古着姿で演奏したのがきっかけ。この出来事をきっかけとして、1980年代頃から燕尾服を着なくなり、パンク・ファッションや平服をステージ衣装として用い続けてきた。


これが彼のスタイルなのだ。


生まれは音楽一家に生まれ、高等な音楽教育も受けてきたが、後に自伝の中でこの種のアカデミックな教育と肌が合わなかった事を告白している。

音楽家としての演奏活動は、クラシックに拘らず、ポップ・ミュージシャン(ポール・マッカートニーやケイト・ブッシュなど)との共演、ジャズやジミ・ヘンドリックス作品をフィーチャーしたアルバムの発売、自分のコンサートを「ギグ」と称するなど、音楽ジャンル間のクロスオーバー的な立ち位置で、「音楽思想家」的な色彩を濃厚に帯びた感じのアーティストだった。

もともとEMIに所属していて、一時引退するが、また復活してつい最近ソニー・クラシカルに移籍した。合計30数枚にも及ぶアルバムを出していて、演奏家としても積極的な活動である。


自分は当時、ベルリンフィルとの共演のアルバムを3枚くらい買った。

いまラックからは探し出せないけれど、もう20年前なので、記憶もあいまいだけれど、聴いた感じは、極端に過激で暴力的な演奏とは思えないが、フレージングやアーティキュレーションなど、結構個性ある解釈でふつうっぽくないな~という感じだったと記憶している。

とにかく超個性的な人で、奇才という表現がぴったりで、世界への発信力、影響力も半端なかった。そんなクロスオーバー的な立ち位置の功労を評価され、2000年から2005年にかけて、ドイツのECOクラシック賞など多数の輝かしい受賞歴がある。

友人が自分に彼を紹介してくれたのは、この頃だったので、たぶんその頃、彼が旬だったからなんだろう。


そんな想い出のあるナイジェル・ケネディと、レイチェル・ポッジャーとは自分の中でまったく結びつきようがなく、自分はなんか運命を感じた。

ポッジャーが学生時代に聴いた、そしてそれがきっかけで演奏と録音を夢見てきた「ナイジェル・ケネディのヴィヴァルディの四季」。

これは自分は知らなかった。

今回初めて知って、いろいろ調べたら、とても興味深く、まさにこのヴィヴァルディ四季こそが、ナイジェル・ケネディという演奏家の勝負曲である、ということがわかった。


1989年に発売されたナイジェル・ケネディのヴィヴァルディの「四季」のCDは、クラシックのヒット・チャートでは1位、ポップスまで含めたヒット・チャートで6位となり、クラシック楽壇以外の場でもその名が広く知られる事に。

この「四季」で、クラシック作品として史上最高の売上(200万枚以上)を達成したとギネスブックに認定された。

ナイジェル・ケネディにとって、まさにこの曲こそが自分を世に知らしめるキッカケになった曲だったのだ。

まさに彼の勝負曲だった。

現在に至るまで、時代を変えて、この曲を3回も録音を重ねて来ている。 


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https://goo.gl/fKhsVL

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」 Limited Edition
ナイジェル・ケネディ イギリス室内管弦楽団

まさにギネス認定された未贈与の大ヒットとなったのが、このCD。
イギリス室内管弦楽とやっていた。若い!このときはちゃんとしていた服装していた。(笑)

ポッジャーが学生だった頃というのは、たぶんこの1989年の頃だったと思うので、この大ヒットCDのことを指しているに違いない。記録的な世界的大ヒットになって、当時多感だった学生のポッジャーは、このCDを聴いて胸ときめいていたに違いない。

これはちょっと聴いてみたい気がする。

でも上のCDは再発の限定盤なのだ。1989年当時に発売された当時のCDはもう廃盤になっていて入手できない。その頃のジャケットは、いまとちょっと違って、こんな感じ。 


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そして2回目の録音は、それから14年経った2003年の録音。 

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ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」(CCCD)
ナイジェル・ケネディ ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

https://goo.gl/EGQfWW


この頃、就任したばかりのラトルに見いだされ、よくベルリンフィルと共演したり、録音をしてCDを出していたりした。そのベルリンフィルとの共演で、この2回目の四季を録音した。 




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「四季~ニュー・フォー・シーズンズ」 
ナイジェル・ケネディ、オーケストラ・オブ・ライフ


https://goo.gl/cmg73Z


まさに最初の録音から数えて25年目の3回目の録音。最新録音である。ジャケットを見るとますます尖っていそうだ。(笑)

このバックを務めているアンサンブルは、主にポーランドと英国の若手ミュージシャンで構成されていて、作曲家としてケネディが望んだ通りの、ジャズ、ロック、クラシックのレパートリーと即興を行うことが可能なマルチジャンルのアンサンブルだった。まさに彼のスタイルを貫くには最高のパートナー。


この四季について、彼はこのようにインタビューに答えている。

「はじめてヴィヴァルディの四季を聴いたとき、なんて退屈な曲かと思った。誰もがあくびが出るようなやり方で弾いてたからね。スペインのコンサートでこの曲を弾いていた時、突然、ここに流れる途方もないエネルギー、美しいメロディ、そして激しいコントラストがあることに気付いたんだ。この曲にはミュージシャンとしての僕自身を刻印するに足るあらゆるものがあるってことにね。

25年前に僕が出したCDで、みんなもそのことに気づいてくれたと思う。それから25年経った。25年前と同じように弾くなんてもちろん考えられない。今回のアルバムは、以前の自分とはまったく異なる演奏をしたいと思って手掛けたものだ。

僕にとってヴィヴァルディとは、真にグレイトなメロディ、グレイトなオーケストレーション、途方もないエネルギーのぶつかり合いなんだ。ヴィヴァルディはこの作品の中に、何度も聴きたくなるような、そして何度も演奏したくなるような、恐ろしいほどの生命力を吹き込んでる。今回の僕の四季は、『リライト(書き換え)』とでもいうべきもので、ヴィヴァルディの音楽のエッセンスを発展させたものだ。」



自分が友人の紹介でナイジェル・ケネディの存在を知ったのが2000年の頃。だから彼のこと、このような彼の演奏家としての音楽的背景、バックグランドをよく理解できていなかった。


ナイジェル・ケネディのヴィヴァルディの四季を語るのに、ここまで紙面を割いてしまった。(笑)

ポッジャーが今回、この曲をどうしても録音したかった背景がここにあった。

ポッジャーが、満を持して、この曲を録音するパートナーは、もちろん手兵のブレコン・バロック。

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先日の一連のポッジャー日記で詳しく説明したので割愛するが、彼女が音楽面で最も信頼するメンバーだ。

ヨハネス・プラムゾーラー(ヴァイオリン)
ザビーネ・ストッファー(ヴァイオリン)
ジェーン・ロジャーズ(ヴィオラ)
アリソン・マギリヴリー(チェロ)
ヤン・スペンサー(ヴィオローネ)
ダニエレ・カミニティ(テオルボ)
マルツィン・シヴィオントキエヴィチ(チェンバロ、チェンバー・オルガン)


ポッジャーの永年の夢がついに叶ったヴィヴァルディ「四季」の録音。
もちろんChannel Classicsのジャレット・サックスによる録音。

今年、2018年古楽シーン最大級のリリースとなることは間違いない。 




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「四季」「恋人」「安らぎ」「ムガール大帝」 
レイチェル・ポッジャー、ブレコン・バロック


https://goo.gl/FwEZd9


自分は、四季という、あまりにスタンダードで無数に録音が存在するこの曲は、あまり枚数を聴いていないので、他と比べて、という比較はできない。

自分が感じたままに従うと、一言でいえば、ポッジャーの四季は、とても激しくて途方もないエネルギーを感じざるを得なく、なんか衝撃的な演奏のように感じた。ある意味インテンポな演奏なのかもしれないが、じつに切迫感があって、剃刀でスパッと切れるような鋭い切れ味があるので、予想以上に速いテンポで軽快に感じる。

これもあくまで自分の予想なのだけれど、ポッジャーの頭の中にあるこの曲のイメージというのは、学生の時に聴いたナイジェル・ケネディの演奏がそのままあるのではないか、と思うのだ。

だから自分はナイジェル・ケネディの四季は聴いたことがないけれど、きっと同じように情熱的で軽快な演奏だったに違いないと予想する。

ポッジャーは、それを自分の演奏で、一寸たりとも違わないように再現したのではないか・・・?。
あるいは、そこを敢えてポッジャーなりの解釈を施したのか・・・?

このディスクはふつうに聴いてはいけない。
かなり録音レヴェルが小さい。

普段の自分が聴く適切音量(大音量です)で聴くには、普段より6目盛りも上げないといけなかった。この再生音量ヴォリュームの調整を間違えると、なんて迫力のない優しい四季なんだろう?と思ってしまうに違いない。

思い切ってグイっとVOLを上げると、ダイナミックレンジがとても深くて、じつに解像度が高くて、その迫力あるサウンドに驚く。

この手の録音手法って最近の流行なのかな?

こういうアプローチって、最近の新譜でじつに多く体験する。

特に、夏と冬のポッジャーとブレコン・バロックとの弦合奏の部分は、聴いている自分にグイグイ迫ってくる恐怖感を感じるくらいで、この掛け合いの部分は、じつにオーディオオフ会向きのエンタメ性のあるサウンドだなぁ、と感じた。


録音がじつに素晴らしい。

いわゆるChannel Classicsのお家芸のやりすぎ感はいっさいなく、とても基本に忠実な音がした。

ポッジャーのディスコグラフィーでは、大体今風なモダンな処理が施されていて、オーディオ的な快楽のような気持ちよさがある。

実音にほんのり響き、エコー感を上乗せする加工をして、それがもとに芋ずる式に全体的なスケール感の大きいサウンドになるという・・・

でもそれってある意味、あまりに安易だよなぁ、と思うこともある。
オーディオマニアであれば、それで大満足かもしれないが、実演など生音に接する機会の多い音楽ファンが聴くと、そこになんらかの違和感を感じるはず。

生音は生音、オーディオ快楽はそれはそれと、ふんぎりのつく人であればいいが。

この今回のポッジャーの四季は、そのような小賢しい施しを感じないのだ。
サウンド的に人工的な仕掛けをあまり感じず、生音の実演に迫るような迫真さがある。

今回の録音は、自分にはとても好意的に思えた。
とても自然なテイストの音がする。

まさに古楽器の響きがする。

ふだん感じる”安易”なサウンドがしないのだ。
本物の音がする。

演奏、そして録音ふくめ、自分が聴いてきた(数少ないが。)ヴィヴァルディ四季の録音では、最高傑作だといっていいと思う。

まさに今年、2018年古楽シーン最大級のリリースと言って過言ではない確かなクオリティだと感じた。







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