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なぜヨーロッパの放送事情は魅力的なのか。 [放送技術]

ヨーロッパに魅了される人たちは、美術や芸術、クラシック音楽、そしてグルメや歴史的な街景観など、に魅力を感じること間違いない。自分はちょっと入り口が違った。そういうものは後年、歳を取ってから魅力を感じるようになった。

大学を卒業するまで、さほど欧州指向があった訳でもない。

社会人としての最初の仕事が、放送業界の仕事で、そこで衛星放送の受信部を設計するようになって、送信側の放送の業界に深く関わるようになった。

最初は、日本のBS/CSの受信部。そこからヨーロッパの衛星放送へ。これが嵌ってしまった。あまりに複雑で、そうやってヨーロッパの放送事情を勉強していくと、なにかこう異国情緒の雰囲気が味わえ、自分がいかにもその国に行っている、生活しているような感覚に陥った。

猛烈にヨーロッパに憧れた。ヨーロッパに強い憧憬を感じるようになったのは、彼らの放送事情が大変興味深かったから。自分はヨーロッパの世界に”放送”というジャンルから入っていった。

芸術、音楽、グルメの世界はあとからついてきた。

放送の世界って、世界にいろんな規格が乱立していて、会社の中でもチューナ屋さんはその規格フォーマット集みたいなものを手帳のようなものにして常に身に忍ばせておくのが常識だった。

旅行好きの人が、電車の時刻表ならさっと調べられる、といったような感じで、チューナ屋さんなら、その規格集をパラパラとめくってすぐに理解できるのだ。


自分はアナログ放送からデジタル放送への切り替え時期に従事していて、その後はスピンアウトしたので、あれから30年以上経過したいまってどうなっているのかな?とふっと思った。

奴の日記を書いたことで、一気に当時に戻って、日本のことは書いたけれど、肝心のヨーロッパのことは書いていないなぁと思い、いつか狙っていたのだ。

ついに書こうと思い、いろいろ調べてみると、ぎょぎょ~そうなっていたか~という想いと、当時とあまり変わっとらんね、という想いとふたつある。

でもアナログからデジタルに変わるんだから、やっぱり基本的に違う。

思うことは、いまや放送業界に関しては、日本は断トツで世界のトップを走っていると言ってもいいことだ。

4K/8Kなんて世界はまだそんなところまでやっていないよ。(笑)デジタル完全移行時期やHDTV化にしろ、ヨーロッパはようやくそういう感じになってきた、という感じだからね。

今回の日記は、かつて自分が嵌りに嵌っていたヨーロッパの放送事情が、現在どうなっているのか?を中心に過去からの経緯も含めて書いてみる。

まさに猛烈に”いま”を知りたい自分のためにやる。
勝手に語らせておいてください。

ヨーロッパの放送事情を勉強していくにつれて、ヨーロッパの国の人たちの特徴、国民性というのが、よくわかってくるのだ。技術系のR&Dを置くなら、やっぱりドイツかイギリス。この2国がやっぱり技術水準レベルが高いし、勤勉な国民性。やっぱりドイツが日本人と一番相性がいいのではないかなぁと思ったりする。

自分はイギリスにいたけれど、ネイティヴ英語って結構大変なんだよね。(笑)
ネイティブな人たちにとって、ノンネイティブの心の痛みがわからないというか。。。
ドイツ人だとお互い分かり合おうという気持ちがあるからね。

フランスもとても技術力が高いけれど、彼らはやっぱり人と合せようという気持ちがない。
芸術肌な国民性で、フランスであることに誇りがあって、オリジナリティ、独創性を重んじる。

だからヨーロッパ統一規格を決めようとなると、彼らは率先するタイプじゃないのだ。
ヨーロッパの放送受信部を設計していると、いつもフランスだけ、他の国と違うのだ。
なんで、おまえら~ってな感じなのだ。フランスにはいつも痛い想いをしていた。

イタリアやスペイン、ポルトガルは、欧州文化としては、とても個性があって、魅力満載な国なのだが、国民性からしてあまり”技術”という点では向いていないかな?と感じた。(当時の感覚です。)お昼時でもワインふくめ、何時間も時間をかけ、とても人間らしい生活を重視する国ですからね。

でもいま調べてみるとイタリアは放送に関しては、結構アグレッシブな国でした。

下が、現在のデジタル放送(地上波)の世界のフォーマット分布図です。

DigitalTV.jpg



・ヨーロッパ方式(DVB-T):ヨーロッパ・アフリカ・中近東・東南アジア・オーストラリア
・アメリカ方式(ATSC):北米・韓国
・日本方式(ISDB-T):日本・南米
・中国方式(DMB-T/H):中国


放送には、衛星放送、ケーブルテレビ、地上波放送の3種類があり、最近はインターネットでテレビ動画配信というのもある。上はあくまで地上波の場合です。

日本のISDB-Tをベースにした方式は、日本だけじゃなくて、ペルー・アルゼンチン・チリなどの南米で採用されているのだ。日本のISDB-T方式は、他の方式に比べて電波障害や干渉に強く、車内や山間部においても良好に受信ができることなどが評価されている。加えて、ハイビジョン放送とワンセグ放送が1つの送信機で伝送でき、全体のコストが安い。

中国も独自(赤)なんだよね。

自分はヨーロッパ規格のDVB(青)をやっていた。

いきなりこんなデジタル放送になる訳でもなく、世界中もアナログの時代があった。
自分はこのアナログ時代のヨーロッパの衛星放送にとてつもなく嵌ってしまった。
複雑で男心をくすぐるのだ。

当時のヨーロッパの衛星放送は、草創期の時代で、各国が自前の衛星を打ち上げていて、自国だけをビーム照射する感じでサービスをやっていた。ASTRA,TV-SAT,TDF,EutelSATなどかなりたくさん。

でもその中で一番普及していた、事実上のde-factoスタンダードだったのは、ルクセンブルグがあげていたASTRAという衛星だった。BSではなくCSなのだが、商用に開放されていた。(BSというのは一般家庭向けの放送で、CSというのは、企業間通信でつかう衛星。でも後に一般家庭用に開放されてる。)

ルクセンブルグって、本当にヨーロッパに存在するすごく小さな国で、なんでこんな国がこんなに頭がいいのだろう?と幼心に舌を巻いた。ASTRAを上げている会社はSESで(いまはSES ASTRAという)、そのSESのオフィスを直接見たさに、イギリスに住んでいた時に、わざわざ車でドーバー海峡をフェリーで渡って、ルクセンブルグまで行って、SESのでっかいパラボラを探して車でルクセンブルグを彷徨ったこともあるのだ。(笑)

いま考えると若気の至りというかバカだよねぇ。(爆笑)


そこまでして嵌っていた。
とにかくその斬新な発想で、彼らはかなり格好良かった。

ASTRAは、そのビーム照射範囲がヨーロッパ全域をカバーするのだ。


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アナログ放送なので、信号は周波数多重で伝送する。
これはASTRAのベースバンド領域での周波数アロケーション。
(いまこのような資料がある訳でもなく、自分の記憶に基づいて書いている。)

ASTRA周波数アロケーション.jpg



映像信号はPALのFM変調で、5MHzまで帯域がある。それも輝度信号と色信号(クロマ)が多重されていて、それをY/C分離する。

うわぁ~いまのデジタルな時代にY/C分離という言葉を知っている技術者はどこまでいるだろう?

彼らが画期的だったのは、音声キャリアの工夫。マルチリンガル対応なのだ。6.0MHzあたりからいろんな言語に対応して何本もキャリアを立てていく。変調はFM。

つまりコンテンツを試聴するときに、テレビに言語選択するメニューがあって、それをリモコンで言語を選んでやると、自分の好みの言語でそのコンテンツを試聴できるのだ。

ヨーロッパ全域にビーム照射してヨーロッパ全域でde-factoで受け入れられている要因はそこにあった。

”外国の番組が、自国語で視聴できる。”

これが結構非常にフレキシブルな考え方で、彼らが頭がいいというかスマートに感じたところだった。番組制作という観点からすると、著作権的なものもあって、外国で視聴できるようにするにはその対価徴収も結構仕組みとしてあるんだろうと思うけれど。でも頭いいな~と当時思っていた。

信号処理的にはいたって簡単。GHz帯の帯域を家庭用のパラボラのコンバーターで1stIFにダウンして、それをチューナでさらに2ndIFに落とす。そしてベースバンド帯域に復調したら、上のアロケーションが出てくるので、5.0MHz LPFで映像を抜き出す。

それでY/C分離。音声は、その数の分だけのBPFがあって、リモコンで選択されたら、そのキャリアを選択してFM復調するだけ。

いたって簡単!

ユーザ目線でいうと、自分の家庭で屋根にパラボラ・アンテナを立てて、単体チューナ(STB:セットトップボックスのタイプ)をTVにつなげれば、それでOK。

現に自分はロンドンに住んでいた時、このASTRAを受信して楽しんでいました。
ASTRAには昔から日本語番組として有名なJSTVという番組を配信していて、それを観ていた。
日本語に飢えていたその渇きを癒していました。
NHKとかで番組の種類は少ないし、しかもリアルタイムでなかったです。

イギリスは地上波が4局くらいしかなく、それもお国柄、政治、時事問題が多く、娯楽番組の大半はASTRAで観るのが一般国民の常識だった。イギリスのあの独特の家の形(4種類あったと思います。バンガローとかセミデタッチとか・・・)の屋根を観ると結構ASTRAのパラボラ立ってました。

当時はSKYと呼んでいたんだけれど、いまはBSBと合併してBskyBという名前の番組コンテンツ、ボクの頃の英雄ヒーローだったメディア王ルパード・マードックが創設した放送局。イギリスではASTRAの中でもっとも有名なコンテンツだった。

ASTRAも当然デジタル放送化したんだけれど、考え方はまったく変わらんと思うんだよね。要はベースバンド信号の処理や変調方式が、アナログからデジタルに変わるだけで、コンテンツの扱い方は考え方は全く同じ。変える必要もないと思う。肝心のマルチリンガル言語対応も絶対してるはずです。

だって、音声キャリアを何本も周波数多重するか、デジタルデータとして幾重にもファイル・パケット化するだけの違いですから。

SES ASTRAの現在の公式HPを覗いてみた。

https://www.ses.com/


まず一番驚いたことは、ASTRAというのはもうヨーロッパだけの衛星ではなかった。というかSES ASTRAが手掛ける衛星放送は、もうアメリカやアフリカ、ロシア含め全世界中に展開していた。もちろんヨーロッパを照射する衛星はASTRAという名前だけれど、アメリカやロシア、アフリカを照射する衛星は名前が違っている。つまり会社としての資本が同じで、それぞれのエリアごとに衛星を打ち上げて全世界展開していると自分は理解しました。


その世界中のマーケットで、いまや7700チャンネル以上、350億以上の家庭と契約して直接配信 (DTH:Direct To Home)しているらしい。 


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デジタル放送のあり方として、高画質化と多チャンネル化の2通りあるのですが、日本は完全に前者の高画質化。4K/8Kなんて騒いでいるのは日本だけです。ヨーロッパは多チャンネル化の方向なんだそうです。

でも多チャンネル化は日本の土壌に合いませんね。いまのBSを観てごらんなさい。テレビショッピングばかり。(笑)地上波が中心で、それを制作するだけで精いっぱいなんです。そんなたくさんコンテンツを制作するパワーもないし、予算もない。

当時なかったもので、いまあるサービスとしては、衛星インターネットというのがありますね。日本はGps光回線へまっしぐらですが、ヨーロッパではいまだに主流はADSLなんですよね。だからせいぜい20Mbps~30Mbps。うちのマンションと同じです。そういうナローバンド対策として、衛星のトランスポンダーを利用して衛星をインターネットの回線として使うとさくさくブローバンドですよ、という感じなのかもしれません。


自分がヨーロッパで従事していた時の草創期の業務は、DVB規格化の情報収集(WG)と、当時現地でやっていたのは、フランスのCanal+がASTRAを使って番組配信しているんだけど、そのCanal+がいち早くデジタル化をやった。デジタル衛星放送ですね。

いまは知らないが、当時のアナログのCanal+の番組は、エッチなエロい番組をやっていて、それにはスクランブルがかかっていて、それを観たさにデコーダが外付けするという・・・それもちょっと見えてそそるように、という感じです。

でもCanal+はいつも技術的に先をいくアグレッシブなテレビ局なんですよね。いつも時代の先取りをします。先日観たバルバラの映画でエンドロールで、Canal+の文字を見たとき、うわぁ懐かしい~と思いました。

一役かんでたんですね。

ドイツは、ケーブルテレビが主流な国なのですが、そこでケーブルで配信するデジタル放送を受信することと、当時ATMというプロトコルでVoDをやる、というそういうトライアルがありました。ドイツの通信会社 Alcatel社が企画してそのSTBをうちが受注する感じ。自分はこっちをやってました。コストが高く、あえなく企画中止になりましたが。(笑)


イギリスは、他の国と違って、地上波が主流な国。地上波のデジタル化をどこの国よりもいち早く進めたのがイギリス。それも大きなミッションだったね。

アナログ放送からいきなりデジタル放送に変わる訳ではなかった。
その間にインターミッションがあった。

それはヨーロッパでいえば、MAC方式という放送方式。信号を周波数多重ではなく、時間軸で多重しようという考え方。デジタルでないけど、いまのアナログよりもちょっといいな、という感じ。Y/C分離のような困難さがなくて性能がいい、という触れ込みだったけれど、PALが十分に綺麗だったので、あまりMACの有利というのがないと言われていた。

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ヨーロッパはふつうのSDTVでD2-MAC、HDTVでHD-MACというのを次世代テレビということで普及させたかった。この時間軸多重という考えは日本でもあって、NHKのMUSEがそうだった。

でも次世代はやっぱりデジタル放送が本筋ということで、MACもMUSEも短命に終わった。

自分は、このD2-MACに相当嵌ってしまいました。
PhilipsやITTがそのchipsetを開発していた。

ヨーロッパの放送デコードのICは、当たり前ですがヨーロッパのメーカーが作るものです。
日本じゃ作れません!

自分はビデオ事業部だったので、VHSやHi8のデッキの中に内蔵するASTRAの受信ボードと、D2-MACデコーダを内蔵させたかった。

D2-MACはあまり普及が進まなくて、熱心だったのは、フランスと北欧だった。
フランスはかなり熱心だった。Canal+はD2-MACで番組を流していたと記憶しています。
やっぱりフランスはちょっと他と違う道を歩みたがるという感じなんですよね。




その国の”放送”という文化を理解すれば、自然とその国の生活など、その国にいる感覚が味わえる。自分の実体験である。もちろんふだんテレビなんて見ないよ、という国の人も多いかもだけれど。

とにかく自分はこれでヨーロッパに嵌りました。
決して芸術や食事、建築じゃなかったです。ましてやクラシックでもなくコンサートホールでもない。


でもクラシックやコンサートホール通いをするようになって、とても豊かな人生を歩んでいるような気がしますね。いままでの自分の理系人生ではけっして得ることのできない豊かななにかがある。自分を高みに持って行っていただけるような・・・。

だから人生の後年にそういう趣味を持てるようになったのは幸いだったかも。もし逆だったら、違った人生だったかも。

理系的なことは若い時じゃないと厳しいから、自分の人生の順番でよかったと思います。






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カラヤン・ベルリンフィルの普門館ライブを聴く。 [ディスク・レビュー]

先日、12月に取り壊しということで、最後のお別れをしてきた普門館。そこでおこなわれた1977年の伝説のライブ、いわゆる「カラヤン&ベルリンフィルの普門館ライブ」を聴いてみた。

じつは4~5年前に友人から無料でいただいたサンプルCDが3枚あった。
(リンクにはSACDを貼っておきます。) 



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交響曲第1番、第3番『英雄』 
カラヤン&ベルリン・フィル(1977東京 ステレオ)

http://qq3q.biz/NO41 





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交響曲第2番、第8番 
カラヤン&ベルリン・フィル(1977東京 ステレオ)

http://qq3q.biz/NO47 




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交響曲第9番『合唱』 
カラヤン&ベルリン・フィル(1977東京 ステレオ)

http://qq3q.biz/NO4c




発売自体は、CDであれば2010年という事だから、時代から遅れること8年目にしてようやく聴いた。(笑)やっぱり自分の中には”普門館=巨大な空間で音響劣悪”、というイメージが蔓延っていたので、どうしても聴いてみようという気にならなかった。そのまま死蔵状態でラックの肥やしになっていた。

それが普門館にお別れできて、日記を書いたことで、これはぜひ聴いてみたいと思うようになっていたのだ。

TOKYO FMによる録音で、当時TOKYO FMの名プロデューサーだった東条碩夫氏(現・音楽評論家 &ジャーナリスト)があたり、さらにストコフスキーも絶賛した腕前の日本が誇る名エンジニア故若林駿介氏を動員、万全の体制で臨んだもの。

いまはDSD新リマスターもされていて、SACDにもなっている。


結論!

自分が想像していた以上に、かなりいい録音だった!

これは驚いた。

あれだけ空間が広いと音が散って、反射する壁も遠いから、響きがない直接音主体のサウンドだろうと思っていたが、予想以上によく鳴っていた。

あまりによく鳴るんで、あれ~?という感じで驚く。
広い空間というハンデキャップを感じさせないところがミソで、どちらかというとオンマイクっぽい録り方で、いまの録音のような空間はあまり感じない。

現代のオーケストラ録音のようなオーケストラの音場をすっぽり包み込んでさらに余裕がある器の大きさがある訳ではなく、オケ全体を録る最低限のキャパはあったという感じ。

それよりも驚くのは、SPからの出音の鳴りっぷり、そのゴージャスな音。
音のシャワーみたいな凄さ。これには驚いてしまう。

1977年の録音でこれだけの音が録れていればスゴイとしかいいようがない。

最初、もちろん録音スタッフの芸術作品の賜物、見事な優秀録音、と賛辞を述べたいと思ったが、もちろんそれもあるのだが、もっと大事なことを考えついた。

それはカラヤン&ベルリンフィルのサウンド自体がスゴイということだ。

まさに音の暴力(笑)。

そのゴージャスで戦車のように鳴らしまくる音って、まさにカラヤン時代のベルリンフィルってそうじゃなかったのかな?と思ったのだ。

自分もここ数年来カラヤンを聴いていない。
すっかり忘れていた。。。

異常なまでに分厚い弦、そして嫋やかな木管、そして金管の圧倒的大咆哮。まさに戦車なみなのだ。

とにかくよく鳴る。

いまのベルリンフィルをはじめ、現在のオーケストラでここまで有機的に鳴らすオケってまずないだろう。

ジジイじゃないけど、あの頃は凄かった・・・だ。

具体的にそのスゴサを表現するには、いつもと同じVOLで聴いているのに、今日はマンションの大家さんから、ついに苦情が入ってしまった。(笑)


当時普門館で実演を聴いた人たちは、何だか、遠くで勝手に演奏しているのを、こっちも勝手に聴いているような、そんな印象。つまり、音が自分のいるところまで飛んでこない。だから、いま思い返してみても、「とにかく広くて、カラヤンも遠くにいて、何だかよくわからなかった」・・・そんな感想を言っていた人は、この録音を聴いたらなんと思うだろう?(笑)

まったく別世界のサウンドが聴けてしまう。

それだけ、ステージ周りにがっちりマイクセッティングを施し、よくそのサウンドを余すことなく拾えた。つまり広い空間の影響を受けないように、ステージからの音をじかに拾っちゃおうという感じだったんだろう?

そしてミキシング、整音もよくできている。

でも拍手の音がマイクとの距離感からして不自然で大きすぎるのが、いかにも作ってる感がある。(笑)

まさに1977年当時の録音としては絶妙なクオリティの高さで、よくこんなマスターテープが残っていたものだ、と驚く。

1970年代のカラヤン時代最強のサウンドは、まさにすごいサウンドだった!
それがこの録音からよくわかるのだ。


ここまで凄ければ、どうしても聴いてみたいのが、第5番の「運命」。 




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交響曲第5番『運命』、第6番『田園』 
カラヤン&ベルリン・フィル(1977東京 ステレオ)


http://qq3q.biz/NO5J


東条碩夫氏が大絶賛した 「第5番「運命」の普門館での演奏は、彼等が残した如何なるレコーディングにおける演奏にも増して凄まじい力感に溢れているといえる。」。

このコメントにもうノックアウトだ。(笑)

この普門館ライブの中でも最高傑作が第5番「運命」だというのだから、これはぜひ聴いてみたい。

立て続くコンサートチケット購入で、緊縮財政を組んでいる昨今、この誘惑に勝てるだろうか・・・?(笑) 







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ヒラリー・ハーン [クラシック演奏家]

ヒラリー・ハーンは自分らの世代のスター。その成長を見届けて一緒に時代を過ごしてきた演奏家というイメージでふっと気がつけば自分のそばにいつも居る感じ。それが当たり前すぎて特別視するような感じではなかった。

そのことがこれだけのキャリアを積んできたにも関わらず、自分の日記で1回も彼女のことを語っていない、という事実となっているのだろう。

もちろん意図的でもない。デビューの頃から知っていて、いままでのディスコグラフィーはほとんど持っている。そしてコンサートも数えきれないくらい通った。

ハーンは、当たり前の存在だった。

でもこれではいけない、と思い、あらためていままでの経験を整理して、自分の想いをぶつけてみよう、と思った。 

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17歳でソニーからバッハの無伴奏でデビューしたときから、いままで聴いてきたハーンの印象を一言で言ってみると、演奏家固有のクセがなく、とてもスタンードな弾き方、フレーズの捉え方をする奏者で、バッハ、メンデルスゾーン、モーツァルト、チャイコフスキー、ブラームスなどヴァイオリン弾きにとって必須の曲はほとんど録音済みなのだが、ハーンのCDを買っておけば間違いはない、という感じだった。

よくこの作曲家を聴きたいと思ってある演奏家のCDを買うと、聴いていてその解釈が自分の先入観と合わず、がっかりすることが多いのだが、ハーンはそういうことがなかった。外れのない演奏家だった。

自分と相性がすごくよかった。

なによりも音程の安定感が素晴らしかった。そして音色が素晴らしく、音色に繊細な抑揚があって、フレーズの表現が表情豊か、官能的だとさえ思える。指の動きも見事。弓の使い方も。

技術的には申し分なかった。

でも自分にとってデビューのときから抱いていた彼女に一途に熱狂できないなにかがあって、それはいま思うと、デビューのときから若い時代にあったアルバムジャケットやイメージフォトの写真から想像する、どこかクールで温かみを感じないアンドロイドの人形みたいな印象がそうさせていたのではないか、と分析する。

当時はSNSとかない時代、普段のフォトもなく、そういう情報から判断してしまい、後は音で判断。演奏を聴くと凄いんだけれど、そういう自分のイメージの思い込みから来る誤解で随分損をしていたのでは、と思う。

だから演奏的に外れなのない、スタンダードな演奏なので間違いがないのだが、そこで長い間止まっていたアーティストだった。

そんなハーンのイメージをガラっと変えて、彼女のことを一目置くようになったきっかけが、2007年に出たハーンのポートレートの映像DVD、そしてシベリウスのコンチェルトのCDだった。

シベリウスのコンチェルトは衝撃だった。

当時シベリウスのコンチェルトに嵌っていた時期で、また薄っすらの記憶では、神尾真由子さんが、チャイコフスキーコンクールで優勝したときの本選のシベリウスが素晴らしかったので、このときこの曲がかなり自分のマイブームであった。そこにハーンの演奏がジャストフィットした。

いままで優等生的な演奏というイメージしかなかったのが、シベリウスではその陰影感などこの曲が持つ独特のキャラクターを見事に演じ分け、決して技術だけではないその表現力の深さに舌を巻いた。

ハーンを見直した1枚だった。

そして長い間誤解していたどこかクールで人形みたいな印象。
これはポートレートのDVDを見て、その誤解が解け一気に和解した。

ポートレートで彼女が直にインタビューに答えているのを見ていると、その素顔は、かなりの理論派で情熱的な饒舌屋さんで、おしゃべり好きだということだ。そして常に笑顔を絶やさずとてもチャーミングであること。

どこか人形みたいと思っていたイメージが一気に誤解だということがわかった。

理論派という点でも、決して難解な抽象的な表現を使うのではなく、きちんと自分の言葉で話していること。

これは中身が深く理解できているから、できることなのだ。自分の目標でもある。
当時20歳代だった彼女は、深い経験と言ってもアーティストとしてはまだ進化形のとき。それでもこれだけ理論的な裏付けで話すのを見て、当時はそれがその幼顔とすごいギャップがあって驚いたものだった。

ヒラリー・ハーンという演奏家を真に理解できて、彼女の真のファンになったのは、このポートレートを見てからだった。

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ヒラリー・ハーンはドイツ系のアメリカ人である。お父さんがドイツが祖国でアメリカに移住してきた。ポートレートを観たときにまず驚いたのが、流暢なネイティブ英語を話すことだった。(笑)
そのとき、あっハーンってアメリカ人だったんだ、と思ったのだ。

自分の勝手な思い込みなのだが、クラシックの演奏家はどちらかというとドイツ語を始めとするヨーロッパ語圏の人が多いという認識があったので、この英語はかなり意外感があった。英語は周りがパッと明るくなりますね。

じつに久しぶり、おそらく10年以上ぶりではないだろうか、この日記を書くために改めてこのポートレートを観てみた。

3歳のときにヴァイオリンを始める。日本が誇るスズキ・メソードも1年間経験している。
そして1990年の10歳のときに、フィラデルフィアのカーティス音楽院に入学する。

ハーンの音楽家としての素養は、このカーティス音楽院の時代に形成され、必要単位取得後も勉強を続けるために在籍していたらしい。

結局1990~1999年在籍していたことになる。ハーンの第2の故郷と言える。

最初の7年間は、なんと!ウジェーヌ・イザイの最後の門下生であるヤッシャ・ブロツキーに師事していた。ここは思いっきり反応してしまいました。(笑)数年前から起こる自分の周りでかならずなにかしらの因果でつながるように思えてしまうこと。驚きました。

ポートレートでは、この母校のカーティス音楽院を訪れて母校を紹介している。

ホール。~学校のオケで演奏することもあった。一時期第2ヴァイオリンの後列で弾いていたこと
     もあった。

ホールで演奏する前に待機するための部屋。

談話室。~入試で実技試験を受けたときに最終選考の前に発表を待った場所。
     木彫りの装飾は初めて来たときのまま。あまりに魅力的だったから”この学校に通いたい
     わ”と思ったの。(笑)・・・自分が観ても確かにとても素敵な空間でした。

卓球を習った場所。~卓球にかけては中国人の学生には歯が立たないの。

学生ラウンジより、いろんな人が通るロビーが好きだった。

入試を受けた部屋。

卒業写真が壁に貼ってある廊下。~これが私。ブロツキー先生もここの卒業生よ。

毎年彫刻するためのハロウィーンのカボチャがある場所。~私はランタンを作るのが好きで、学
校に飾ってムードを盛り上げていたわ。でもいつもカボチャが腐らないか、心配だったわ。(笑)

手紙はここに。学生が自分宛ての手紙をここから探すの。想い出深い場所で、卒業した今でも
チェックしてしまう。もう届くことはないのにね。

学生ラウンジ~昔は汚かった。壁じゅうにスプレーで落書きがされていたし、自販機などもなかっ
       た。ソファは破かれて詰め物が出ていた。


ジンベリスト先生の部屋。~ブロツキー先生(イザイの最後の門下生)の師事した人なの。
             ここで7年間、ブロツキー先生に教えを受けたわ。今でも練習場所よ。
             ブロツキー先生はいつもタバコを吸っていた。1レッスンに3~4本。
             ブロツキー先生はレッスン中、タバコの火のことを忘れて、ハラハラ
             したわ。服や楽器に灰が落ちないかって・・・厳しいけど温かい先生
             だった。この部屋は本当にハーンにとって大切な部屋だったようです。


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舞台で臆病になっては納得できる演奏は無理だわ。
できても無難な演奏ね。
それでは観客を楽しませることはできない。
ステージで観客を演奏に引き込み、オケと張り合うだけでも十分とは言えない。
事前にしっかり練習しないとね。
準備に完璧ってあり得ないのよ。

ハーンは演奏後のファンサービスも忘れない。
特に日本の場合は、笑顔で、そして必ず両手で添えることが礼儀だと思って心掛けているそうだ。



ハーンは、純粋なクラシック分野だけではなく、映画のサントラにも参加してきた。
M.N.シャマラン監督の映画「ヴィレッジ」のサントラでハーンの音色が最高のムードを盛り上げた。

このポートレートでは、贅沢なことにベルリンフィルハーモニーでケント・ナガノ氏指揮のベルリン・ドイツ交響楽団とコルンゴルドのコンチェルトを演奏しているのを拝見できるのだ。全3楽章。ノーカットのフルバージョン。

ひさしぶりにこの曲聴いたけれど、なんとも言えない官能的な旋律で、じつに美しい!



コルンゴルドはヨーロッパ出身の音楽家だったの。
でも亡命し、アメリカを基盤に活動を続け、映画音楽を手掛けた。

映画音楽をさげすむ人もいるわ。

商業的な要素が強いし、純粋な芸術ではなく、エンターティンメントだという理由でね。
でも実際、映画音楽の作曲は難しいの。

だから一部の優れた作曲家にオファーが集中する。

短時間で作品をとらえ、曲をつけるのは簡単ではないのよ。


コルンゴルドの作風には、独特の旋律というか魅かれるものがあるのは、そういう背景があるか
らかもしれませんね。



ヴァイオリニストなら当然パガニーニの難解な曲を弾きこなすのは大きな目標だろう。


十分練習を積んだけれど、パガニーニの曲を十分に弾きこなすのは難しいわ。
だから練習しがいがある。

協奏曲を作曲したパガニーニは身体的な特徴があったと言われる。
手が大きく指や腕もとても長かったらしいの。

だから私もそれを想定して弾いているわ。
私の手は柔軟性があるけど、大きくないから、パガニーニと同じ弾き方では演奏できない。
でも指と指の間を広めに開けると弾きやすいの。

パガニーニの協奏曲のカデンツァは、特別な手の使い方で弾くの。
つまりカデンツァとそれ以外の部分では技巧的にまったく違うアプローチが必要なのよ。

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ハーンは、本番前によくバッハを弾く。

バッハの音楽は素晴らしいし、かけがえのない作曲家だと思う。
作曲様式の発展という視点で考えてもバッハの存在はとても重要ね。
でももっと前の時代の人がバッハに影響を与えたことも事実。

それは否定できないわ。

大音楽家のバッハだって突如誕生したはずないもの。
でもバッハはものすごく多くの人たちを触発してきたの。

その数は本当にはかり知れないわ。
誰もが認める事実よね。
バッハを否定する人なんている?
それとバッハの音楽にはユニークな特徴があるのよ。

どんな場所で演奏しても自然と溶け込むの。

バッハの音楽には、人間が求めるなにかがある。
宗教の違いを超えた精神的なものが。

人を瞑想や深い思想に導くのよ。
バッハの音楽にそんな力がある。

5~6歳の子供たちを1つの部屋に大勢集めて遅いテンポのバッハを聴かせると
静かになってしまうの。

すごいことでしょ?

子供はスローな曲など聴かないなんてウソだわ。

速いテンポの曲だとはしゃぎだすけど、ゆっくりなテンポの曲には、
全員が聴き入る。


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2004年ドレスデン。DG(ドイツグラモフォン)が開催するイエローラウンジ。

パーティ好きが集まるクラシック音楽の夕べ。
非常に厳しい条件のもとでバッハのパルティータ第2番(シャコンヌ)を演奏した。

観客は演奏中食事や小声で会話することが許されていた。
”禁煙”である以外に禁止事項はなにもなかった。

だが結局、会場内の会話は息を潜め、見事バッハとヒラリー・ハーンが静けさの中に
君臨した。

バッハの音楽には、そのようなその場への説得力がある。



最後に録音について。

ロンドンのアビーロード・スタジオでスタジオ録音。
コリン・ディビス&ロンドン交響楽団とで、エルガーのヴァイオリン協奏曲とヴォーン・ウィリアムスのあげひばり。

ハーンはジーンズ姿で録音をする。
ハーンはジーンズがとてもよく似合う。

自分はジーンズはまったくダメな人で(まず似合わない)、ジーンズが似合うカジュアルな人を
日頃からとても羨ましく思っている。

あげひばりはいい曲。本当にイギリスののどかな田園地帯で、本当に鳥のさえずりを聴いている
感覚になる。

スタジオ録音はいろいろなことに気を使うけれど、私は収録するならスタジオを選ぶ。
ライブなどではマイクなどを気にせずにいい音楽を客席に届けることに集中したいからよ。



以上一部を紹介したが、このヒラリー・ハーンのポートレート、ぜひ観ていただきたいと思う。 


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「ヒラリー・ハーン・ポートレート」

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このDVDが発売されたときから、かなりの時間が経過して、いまやハーンもだいぶ進化したとはいえ、古い映像素材かもしれないが、でもヒラリー・ハーンの音楽人として形成された基礎の部分がここに表現されている。これを知らずしてハーンは理解できない。

自分も最初の頃はハーンに対して誤解のイメージを持っていたが、このDVDを観た瞬間、大ファンに豹変した。誤解が解けた。

ハーンってとても真面目なんだよね。
学生時代は、とても練習熱心で音楽以外の科目にも積極的だったそうだ。

研究熱心で理論派、それも深い体験に基づくわかりやすい理論、そういう姿が音楽人ヒラリー・ハーンだということが、このインタビューで熱く語っているのを観ると納得いくのだ。

でも普段はお茶目で明るい性格のところも、ふんだんに盛り込まれています。

最近のハーンのことでクラシック界で話題になったのは、彼女のインスタ(Instagram)が興味深いという話。(ID:violincase)

彼女のインスタではひたすら黙々とヴァイオリンの奏法をやっている姿が映っているのだ。
あるときは自分の部屋かもしれないし、ツアー先のホテルの部屋かもしれない。
アップされるのは、ひたすら黙々と瞑想してヴァイオリンを弾いている姿。

これを観て、普段インスタに食べ物の写真ばっかりアップしている人よ、音楽家なら少しはハーンを見習いなさい!(笑)というような話があって結構話題になっていました。

現在の彼女は、結婚もして子供もいる。信じられないよね。

若い時にアンドロイドのような人形みたいに見えていたのに、いまはすっかり垢抜けて信じられないくらいの美人になった。やっぱり女性アーティストは経年とともに見違えるように年相応の美しさが滲み出ますね。

最近は子供、赤ちゃんをお客さんにしたコンサートを開いて話題になっていました。(これ好きなんですね。(笑))

日本にも頻繁にツアーに来てくれる。なんか2,3年ごとに来てくれている感覚がする。招聘する側からすると確実に計算できるアーティストなんでしょうね。

そんな最近のヒラリー・ハーンに待望の新譜が登場した。 



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無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番、パルティータ第1番 
ヒラリー・ハーン


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1997年にソニーからバッハの無伴奏のパルティータ2番、3番、そしてソナタ3番が出され、あれから20年後経過したいま、残りのパルティータ1番とソナタ1番、2番を出して、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ、パルティータ全曲完遂となった。デビュー当時、なんで全曲じゃないんだろうとずっと思っていたが、その想いを遂げてくれた。

じつに素晴らしい録音で、彼女のステレオ2ch録音では一番洗練されていると思いました。
最近の録音技術の本当に進歩はすごいです。

ハーンのディスコグラフィーは本当にメジャーと考えられる作品は全部網羅されている感じで、すごいゴージャスなライブラリーだが、その中に堂々と君臨する1枚になること間違いなし。


ハーンは、最初はソニーからデビューしたが、その後DGに移籍。
基本スタイルはモダン・ヴァイオリン一筋ですね。古楽器はやらないと思います。両刀使いではないです。

ディスコグラフィーはほとんど持っているが、その中でもこれは絶対持っておくべきという盤を挙げてみたいです。 



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バッハ ヴァイオリン協奏曲集 
ヒラリー・ハーン

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もうあまりに有名なヒラリー・ハーンの名盤中の名盤。このディスクを知らない人はいないだろう。オーディオマニアの世界でもあまりに有名な優秀録音だ。自分はいままでオーディオファイルの端くれとして、首都圏、四国、大阪、九州、広島とオーディオオフ会をやってきたが、お邪魔したお宅には必ずこの盤が存在した、というキラーコンテンツ。

残念なことに、いまはこの盤のSACDは存在しないんだね。
国内盤より輸入盤のほうが音がいいと思うので、SHM-CDよりもCD(輸入盤)のほうを推薦しておきます。(笑)

自分の時代はDG SACDが存在して、この盤を5.0サラウンドで聴けた。みなさんが持っていたのもDG SACDでした。いまと比べると、サラウンド草創期の垢抜けない(笑)録音にも思えるが、でもやっぱりDGらしい硬派なサウンドであることは間違いない。これを持たずしてヒラリー・ハーン ファンとは言えない。 



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ブラームス、ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 
ハーン、マリナー&アカデミー室内管弦楽団


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ヴァイオリンのコンチェルトの中でも自分はブラームスが1番好きかもしれない。ブラームス・コンチェルトを聴くなら自分の愛聴盤ということで、この盤を頻繁に聴いていました。ハーンの解釈はとてもスタンダードでクセがなくて自分と相性が良かった。このブラームス録音は、2003年に米グラミー賞を受賞したハーンの名を世に知らしめた代表作となった。

レーベルはソニーだが、これも当時はSACDだったが、いまはもうSACDはないんだよね。自分が持っているのはSACDで5.0サラウンドで聴けてとても素晴らしい録音でした。

これもCDの輸入盤のほうを推薦しておきます。 



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シベリウス、シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 
ハーン、サロネン&スウェーデン放送響


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ヴェーベルンに献呈された、高度な演奏技巧を要する色彩的なシェーンベルク。北欧的な情緒に溢れる、ヴァイオリンの性能を駆使した華やかな演奏効果を持つシベリウス。20世紀のヴァイオリン協奏曲の傑作2曲を収録したアルバム・・・だそうです。

そんな殺し文句を使うまでもなく、自分はこの盤にやられました。
ハーンのことを見直した1枚になりました。

あの頃は、シベリウスのコンチェルトに嵌っていたからなぁ。。。




バッハの無伴奏の新譜発売で、来る12月にツアーに来てくれる。
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータとソナタ全曲演奏会を、2日にかけてやってくれるのだ。

盛り上がること間違いなし!

当初予定には入れていなかったが、やはりここはどうしても抑えないといけないところだろう。

ひさしぶりのヒラリー・ハーン、一段と美しくなっているに違いない。

楽しみたいものだ。








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バルバラという歌手 [シャンソン]

バルバラの伝記映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」を観てきた。去年の2017年、パリで放映されたものを日本語版としてリメイクしたものである。パリ版は、カンヌ国際音楽祭など、かなり多くの受賞をした話題作だった。

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いまだに謎めいた歌手というイメージが多いバルバラが、どのように演じられるのか、とても興味が湧いた。

正直に言うと、自分はバルバラについては、リアルタイム世代ではないし、よく知らないというのが本当のところ。でも去年の秋から、パリのフィルハーモニー・ド・パリのほうで、バルバラ展が開催され、とても盛況だったようで、特に若い人も多く来展していて、バルバラという歌手は、いまなお、パリでは生きる伝説なんだろうな、ということが感じ取れた。

そのときにバルバラのことを結構勉強し、そしてベストアルバムのCDを買った。
これが予想だにしないくらい、自分のツボに嵌って、iPodに入れて、今なお、毎日の通勤で、必ず聴いているといったぐらい気に入ってしまった。

ユダヤ系のバルバラの場合は ナチス占領下のパリを逃れ、ブリュッセルなどを転々とする。子供の頃、父親から性的虐待も受けた。その中で家族が崩壊してゆき、父親は出奔して行方がわからなくなる。 そうした少女時代のトラウマは、「私の幼いころ Mon Enfance」というバラードに歌われている。

そしてバルバラがメジャーにデビューする頃、突然行方不明だった父親から連絡がある。再会のためにナントに急行したバルバラを待っていたのは、息を引き取ったばかりの父親の亡骸だった。

そんな辛酸をバルバラは「ナントに雨が降る」という私小説的な歌として吐き出さずにはいられなかったのだろう。

そんなバルバラの歌には「生々しい痛み」がある。
血が噴き出している心の傷口を露悪的なまでに大衆にさらす・・・
それだからこそ得られるカリスマ的な共感を彼女は得ていた。

また凄惨な内容であっても、彼女が紡ぎ出す言葉には、単なる戯言・恨み節を超えた「詩情」というべき香りを感じさせた。

バルバラの歌は、それは衝撃的な体験で それまで聴いたことのない「歌」だった。

早口の語りが自然にメロディーとなり、自然と語り終わるようにメロディが終わる・・・そんな歌。

言いかえれば 思いっきり言葉に寄りかかった音楽なのだ。

それでいて音楽的なフレーズ感があり、時折ふっと飛翔するように登場する断片的なメロディがバルバラの声と相まってなんとも魅力的だ。

自分も含め、こんな壮絶な人生はとても経験できないし、また、とても無理、そうなりたいとも思わないのが当然だけれど、そんな人生を歩んできた彼女だからこそ、そこで語る歌には真実味、カリスマがあって、そこに自分たちは惹かれてしまうのだろう。

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独特のカリスマがあって、謎めいているということもあって、現役世代を知らない自分は、観る前からかなりドキドキした。

映画は、単に直接バルバラを演じるというのではなく、映画の中で、主役のブリジットがバルバラを演じて、バルバラの映画を撮るというシチュエーションが中に組み込まれている感じで、映画の中にさらに映画が入っているという凝った映画だった。

全体の醸し出すアンニュイで退廃的な雰囲気、これぞフランス映画のど真ん中という感じで、さらに時代考証などセットで組まれている道具、色調などかなり当時の時代を彷彿とさせるものであった。



映画のストーリーについては、やはりいま上映中ということもあり、ネタバレはよろしくないので控えることにする。

主役のブリジット(バルバラ)を演じたジャンヌ・バリバール。

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バルバラが持つカリスマを十二分に表現できていた。とても魅力的であった。見事。
自分がはじめてジャンヌの写真を見たとき、バルバラに似ている、あの雰囲気が出ている、よく探してきたなぁという印象だった。いままでにも舞台や映画でよくバルバラを演じてほしいという依頼はあったそうだ。

そしてバルバラに似ているともよく言われていたらしい。でも実際、容姿が似ていても何の意味もない。

バルバラとは似ていないどころか、共通点もないとのことだ。(笑:本人談)



でもジャンヌが映画で求められたのは、バルバラが持つ特異性だった。

バルバラは生涯、世界に向かって主張し続けた。「私は違っている。私にはその権利がある。あなたちもそう。」と。さすがに政治演説はしなかったけれど、刑務所で演奏し、自宅に専用電話回線を引いて、エイズ患者の声に応えた。そうすることで、すべての人が違っていていいのだと訴え続けた。バルバラの中では特異性は優越性ではなく平等と結びついている。最後には声が出なくなったけれど、問題ではなかった。パリ・シャトレ座での最後のコンサートでは、常に持ち続けた自由というメッセージが聴衆の心に響いた。マチュー(元夫で今回の監督)と私は、それを呼び戻したかったのだと思う。彼女のセンセーションをね。



その「センセーション」を呼び戻すためにバルバラが装ったさまざまな姿で演じていた。
付け鼻や黒い服装。そしてちょっとした仕草も。
これが現役時代を知らない自分にとって堪らなかった。



ピアノを弾く場面、ご自分で弾かれているものと思えた。
ピアノで和音を弾く練習をし、耳を鍛えた。これって、アーティストの人生のメタファー。

歌の部分は、本物のバルバラの歌を流している場面もあり、またブリジットが本当に歌っているかのように思えた部分もあり、正直わからなかった。まったく違和感がなかった。

映画に登場する主な楽曲は、「ナントに雨が降る」、「黒いワシ」、「我が麗しき恋物語」、「いつ帰ってくるの」、「小さなカンタータ」、「グッティンゲン」、「ピエール」、「愛しているとは言えない」、「不倫」、「脱帽」ほか、である。


監督、そして脚本は、ジャンヌ・バリバールの元夫であるマチュー・アマルリック。

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いや、だめだ。分からない。伝記映画なんて、しかもバルバラの映画なんて、無理だ!そして脅迫観念が襲ってきた。なぜ追い詰めるのか? なぜこの映画を作るのか?そんな葛藤があったようだが、数ある伝記映画を徹底的に鑑賞して、そして取り組んだようだった。

その結果が、ジャンヌ・バリバールはバルバラを演じるのではない。ジャンヌは、映画でバルバラを演じなければならない女優を演じるのだ、というところに行き着いたのであろう。


自分が観た印象では、結構、映画のストーリー構成自体、入り組んだ構造で、パッと見ただけでは、すぐに理解できないようなところもある。フランス人らしい芸術肌というか独特の世界観があって。でもそれはバルバラのカリスマの世界を十二分に表現できていたと思うし、素晴らしい映画であると感じた。まさにフランス人の創り出した世界だよな~という印象だった。


バルバラを演じたジャンヌ・バリバールさんのインタビュー。


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映画のプログラム(これは行かれたらぜひ買ってください!)、各シャンソン雑誌や朝日新聞にも掲載されています。ジャンヌという女優さん、とても自己主張がはっきりしていて、自分の世界観を持っていて、芯が強い方のように思いました。いかにもフランス人という感じです。

ちょっと、そのインタビューの一片を。


「話し合ったが最後、男は常に自分のほうが正しいと落着するから前に進まない。時間の無駄だわ。話すよりもアクションすることね。実行してしまったほうがいいのよ」。

天才肌の映画監督であり俳優と呼び声高いマチュー・アマルリックも、ジャンヌ・バリバールにとっては、才能のあるひとりの男にすぎないようだ。


―今回、劇中ではブリジットという女優の役を演じながら、ブリジットが演じるバルバラを表現する
 という難しい役どころだったと思います。女優としても、チャレンジだったことはありましたか?

「何も難しいことはなかったわね。だって、実際の人生のほうがよっぽど難題が多いのよ(笑)。それもあって、映画のなかでは難しさを感じることはなかったし、むしろ映画を作れることに幸せを感じていたわ。」


―偉大な歌手を演じることにプレッシャーはありませんでしたか?

「女優という仕事をするには、自分が演じる人物に圧倒されないこと。それが基本です。また、年齢や経験を重ねるごとにプレッシャーは感じなくなるものです。偉大な人物だと思うより、私の従姉妹なの、と思いながら演じます。それくらいの心持ちでないと、演技はできませんね」


―パリの歌の女王といわれた歌手バルバラを演じるに当たって、どのような役作りをしたのだろう
  か。今回の作品の監督で、私生活では彼女の元パートナーだったマチュー・アマルリックは、
  どんな助言をしたのだろう。

「マチューは、すでにシナリオを完成させていたけど、私には自由にさせてくれた。よくアドリブを入れたけど、バルバラは、きっとアドリブが好きな人だったのではないか、と私が思ったから」


そして今回このバルバラ映画が放映されるにあたって、FBのほうで、この映画の公式ページが設立されて、毎日のように称賛の心のこもったコメントが寄せられている。シャンソン界や映画評論家などさまざま。これをきちんとそのコメントが入った専用のフレームの写真を作って、アピールしているのは、すごい手が込んでいて感心してしまいました。

本当にお洒落です!

それもちょっとご紹介。
(FB 映画「バルバラ セーヌの黒いバラ」ページより。)


ジャンヌ・バリバール演じるバルバラが歌うとき、私は演技とは何だろう?と考える。
うたが、こころが、ことばが、誰かの気持ちにつながる瞬間。
空気と相まって生まれてくるメロディは、重く美しい誰かの人生だった。

真舘晴子(ミュージシャン/The Wisely Brothers)

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「撮られたもの」と「いままさに撮られているように撮られたもの」。
両者が溶け合って、バルバラというひとつの像を結ぶ。
気づけば、作中の監督イヴ=本作の監督マチュー・アマルリックの視点と
自分の視点を重ねて『バルバラ』の中のバルバラを見つめていた。

青野賢一(ビームス創造研究所クリエイティブディレクター/文筆家)


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私はバルバラの「撃たないで」という曲を唄っていた時がある。
シャンソニエとしての攻撃性、クレアシオンとしての美意識が私に
唄う勇気をくれたのだ。この映画はいつか観た伝記映画ではなかった
一台の黒いピアノからまた、勇気をもらった

夏木マリ

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私も「黒い鷲」を歌っているので、ずっとバルバラの映画を待っていました。
本当に感激しました。情景が浮かぶような映像美、そして同じ歌手として
バルバラの孤独な人生に共感しました。
もう一度観たい、素晴らしい映画です。

美川憲一(歌手)

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リアルとドラマの見事なコラージュ。
どこからがバルバラ本人なのかわからなくなるほど
素晴らしいジャンヌ・バリバールの演技に圧倒されました。

前田美波里(女優)

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日本人はシャンソンに、易しく分かりやすい大衆性よりも奥深く気品のある文学性を求めた。
だが、その願望を高い水準で満たす歌手は、実際には多くなかった。長い空白の時を経て、
渇きを癒やしてくれたのがバルバラの歌だったのだ。

蒲田耕二(音楽評論家)

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私は「わが麗しき恋物語」を日本語詞で唄っている。創作ともいえる歌詞なのに、バルバラの
メロディと合体すると、そこに別の「極上」の物語が生まれる。バルバラは奇跡の作曲家だ。
それは、極上の底なし沼のように私たちを魅了し続ける。

クミコ(シャンソン歌手)

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シャンソンを逸脱する異形さ、そのエクセントリックを封じ込めた傑作。思いがけない手法で
描かれる彼女の脱日常と愛へのヒリヒリとするような希求ぶり。それはロックのマナーも超え、
そしてフランスそのものだ。

サエキけんぞう(作詞家・アーティスト)

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今回、自分は公開2日目の朝1番にかけつけたのだが、とてもラッキーなことがあった。
それはシャンソン歌手のクミコさんのミニライブが、上映後にあったのだ。2曲歌ってくれた。

バルバラが歌う曲に日本語歌詞をつけて。

とても明るい朗らかな方で、その2曲が入った新譜CDもその場で販売して、さらにサイン会までやってしまう、という・・・まさにひとさまのふんどしで相撲をとるとはこのこと(笑)とみなさんの笑いをとっていました。

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歌はめちゃめちゃうまかったです!久しぶりに心にじ~んと染みる歌というのを聴いた感じ。
シャンソン、いいな。 ちょっと開拓してみようかな?
PAサウンドもなかなか上出来でした。



自分が行った映画館は、渋谷のBunkamura ル・シネマ。なにか改装工事中で、今回のバルバラ映画がリニューアル・オープンだったとか。


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この映画館は、芸術の世界の映画は、必ずここで放映されますね。芸術専門の映画館みたい。
いままでもロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、アルゲリッチ、パリ・オペラ座などたくさんここで観てきました。これから上映予定として、マリア・カラスやボリジョイ・バレエもあるみたいですね。

ここの映画館の興行主が、とても芸術の世界に深い敬意を表していて、積極的にスポンサーしているんでしょうね。


バルバラ映画を行った場合はぜひプログラムを購入することをお勧めします。(1番左の赤いプログラム)こんなにもらってきました。

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普門館 [コンサートホール&オペラハウス]

普門館といえば、大きく2つの顔をもつコンサートホール(というより多目的ホール)といえる。

カラヤン&ベルリンフィルの来日公演、そして中学・高校生による吹奏楽の聖地、吹奏楽の甲子園という顔。自分は、普門館といえば圧倒的に前者。大変失礼な話なのだが、後者はその当日まで知らなかった。

2011年の東日本大震災以来、天井の強度がスペックを満たさないということで、取り壊しが決定した。来月の12月より取り壊しが始まる。

そこで、11月5日~11月11日まで一般公開ということで、ホール内をお別れができる、という粋な試みがあった。自分は最終日の11日の前日の深夜にそのことを知って、ぎりぎり最終日の11日に間に合った。

自分が、東京にやってきたのは、1987年。そのときはすでにサントリーホールがオープンしたばかり(1986年10月)、そしてそれ以前は、東京文化会館が東京のメッカということもあり、いままで、とりわけ普門館にいく機会がなかった。ある意味行く必要も感じなかった、というのが正直なところで、普門館の中に入ったことは1回もなかった。

あとで述べるが、普門館は大空間なので音響が悪い、という先入観があり、自らがどうしても行きたいという気持ちにならなかったのだ。

来月から取り壊しということで、いま一般公開もしている、ということで、これまで縁がなかったけれど最後のお別れで、ホール空間を見てこようかな~とも思い、最終日にかけつけた、という次第である。


普門館といえば、とにかくカラヤン&ベルリンフィルの来日公演である。

1977年、1979年、1981年の3回にわたって、この普門館を利用した。約5000人を収容できる大ホールで、なぜカラヤンがここを選んだのかはいまもって謎なのだが、大収容なので、1回の興行で、いっぺんに利益が稼げるという算段があったのだろうか?その横長の大空間のホールは、当然音響劣悪で、聴衆の失望を招き、1979年の再来日時にはカラヤンが反響板を新たに作るよう要求したという伝説もある。

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後にこの普門館のベルリンフィル演奏会がライブ録音CDということで世に出ることになるのだが、会場が大きすぎて音響上問題があるので、反響板のようなものを据えて演奏したそうで、その解説には「もし上野の東京文化会館だったら」と言い合ったという当時の感想も載っているそうである。

1977年に、その音響の劣悪さをある程度わかっていたカラヤンは、ドイツで専用の反響板をつくり、この日のためだけに搬入した、という話もあった。

1977年のベートーヴェン・ツィクルスを全曲録音していたTOKYO FMの当時のプロデューサーで、現在は音楽評論家の東条碩夫氏によれば~当時、主催者側は大がかりな残響調整装置を準備していた。そして本番前日、早稲田大学交響楽団に舞台上で演奏させ、カラヤンは客席内を移動しながら響きを確認した。その結果、このままで十分と判断、装置も使用しなかったというのである。だそうで、それだけ音響には問題のあるホールであった。

とにかくあまりに巨大すぎるのだ。



その当時のカラヤン公演を体験した人の話によると、普門館はとにかく広いので驚く。席は1階後方で、舞台上のカラヤンは遥か彼方に見えていた。音も、東京文化会館あたりで聴いていたのとはまったくちがい、何だか、遠くで勝手に演奏しているのを、こっちも勝手に聴いているような、そんな印象があった。つまり、音が自分のいるところまで飛んでこないのだ。だから、いま思い返してみても、「とにかく広くて、カラヤンも遠くにいて、何だかよくわからなかった」というのが正直な感想だったようだ。


そんなカラヤン&ベルリンフィルの伝説の普門館でのライブなのだが、これがCDとなって世に出て、カラヤンファンをはじめ、かなりセンセーショナルな話題になった。

1977年はベートーヴェンの交響曲全曲演奏会をやり、その全曲録音。そして1979年はベートーヴェンの交響曲第九。これがリリースされた。いわゆる「カラヤンの普門館ライブ」ということで、話題になった。

TOKYO FMが録音したカラヤンの1977年ベートーヴェン・ツィクルス。東京・普門館ライヴは最初はCDの単バラとして出されたが、その後、SACDになり、さらにはまとめてボックス化となった。ボックス化のときは初出時と同マスターではなく、最新リマスターをもとにさらなる微調整を加えブラッシュアップした、通常CDでは初のお披露目となる「最終決定稿」たる音質だった。 


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TOKYO FM録音によるカラヤン&ベルリンフィル普門館ライブ1977 (SACD)
ベートーヴェン交響曲第5番「運命」第6番「田園」
(他の曲ももちろん単バラで売っています。)

http://urx.red/Ntlf 



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TOKYO FM録音によるカラヤン&ベルリンフィル普門館ライブ1977 (CD-BOX)
ベートーヴェン交響曲全曲演奏会BOX

http://urx.red/Ntmf


1977年東京公演におけるベートーヴェン連続演奏会は、カラヤン&ベルリン・フィルによる実演での最後のベートーヴェン・ツィクルスとなったもの。この連続演奏会は、「TDKオリジナルコンサート」という番組で収録され、TOKYO FMによって全曲がステレオで録音され、たいへん良好な状態でテープが保存されていた。

「TDKオリジナルコンサート」というのは、1971年、芝崎彪さんが提案したクラシック音楽番組。

国内外の名演奏家のコンサートを収録し、民放FM放送(FM東京等)で放送する、という内容の当時のラジオ番組である。

この「TDKオリジナルコンサート」、いろいろな演奏家のライブを収録してきたが、その目玉だったのが1977年、東京普門館(5000人収容)で開催されたカラヤン・ベルリンフィルハーモニーだった。このCDが2010年、FM東京創立40周年事業としてCD化されたのだ。

この歴史的な録音には、当時TOKYO FMの名プロデューサーだった東条碩夫氏(現・音楽評論家&ジャーナリスト)があたり、さらにストコフスキーも絶賛した腕前の日本が誇る名エンジニア故若林駿介氏を動員、万全の体制で臨んだ。

そのためすこぶる良好なステレオ録音が残されていた。

エキストラなしのベルリン・フィル正規メンバーのみで臨んだ「運命」「田園」は朝日放送がテレビでモノラル放送したためFMでは放送されず、またワイセンベルクとの協奏曲も未公開のまま眠っていた音源で、CD化でこれらの音源が陽の目を見た際には大変話題になった。

カラヤンが激賞した田中信昭氏率いる合唱団との第九で聴ける日本人離れしたとてつもないボルテージの合唱も必聴ものなのだ。


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普門館で行われたカラヤン指揮によるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の公演(1977年)


この1977年、普門館で行われたFM東京「TDKオリジナルコンサート」カラヤン・ベルリンフィルによるベートーヴェン交響曲全曲収録には数限りないエピソードがある。同全曲CDの解説書からそのいくつかを紹介する。

東条碩夫氏(音楽評論 元FM東京プロデューサー)

・第5番「運命」の普門館での演奏は、彼等が残した如何なるレコーディングにおける演奏にも増
 して凄まじい力感に溢れているといえる。
・録音エンジニアはエフエム東京の橋本正文が、他の7曲は若林駿介氏がつとめた。 
・「第9」の本番直前、それまで快調だった収録用のアンプがトラブル。心の中でアンプを呪った。

中山 実氏(大阪国際フェステバル協会元職員)

・1977年のベルリン・フィルの招聘は大阪フェステバル協会とNHKの競争となった。
・ベルリンフィルは正団員約110人に約40人のエキストラを加えた総勢150名を超えるメンバーが
 来日している。TV収録のある日は正団員が出なくてはならないという決まりがあった。「運命」
 「田園」はTV収録があったため正団員のみ出演している大変貴重な記録である。


カラヤンはセッション録音によるベートーヴェン交響曲全集を1950年代、1960年代、1970年代、1980年代の4回録音している。1950年代のモノラル録音のみ英EMIで、後の3回はいずれもドイツ・グラモフォン。

このTOKYO FMの録音が発見され、それがCD化されたことで、カラヤン&ベルリンフィルのベートーヴェン交響曲全集は、全部で5回ということになった。

それを聴かれたファンの方々は、

計算し尽くされ、ミスは何回も録り直しが利くセッション録音と違い、一発勝負の聴衆を前にしたライブ演奏ではこれほど「燃える」ものだとは、と再認識した。

特に「運命」、ベルリン・フィルによる緻密なアンサンブルと贅肉を削ぎ落したかのようなカラヤンの解釈による演奏は生演奏らしい、曲の迫真に迫るような素晴らしい名演。特に終楽章は超名演と言っても良い。

既述の東条氏の第5「運命」のコメントと相通ずるところがあり、自分はかなりそそられた。

また東条氏が悔やんでいた第九のときのアンプのトラブルも、その後SACDとしてリマスターされたときに、この新DSDマスター制作を担当したのが、Altus斎藤啓介氏で、通常の5倍の時間をかけて制作。録音当時にトラブルがあったとされる第9終楽章後半なども前情報なく虚心に聴くと録音の不備が全くと言っていいほどわからない出来になっているのだそうだ。


じつは、自分はこの1977年のTOKYO FM録音によるベートーヴェン・チクルスのCDを3枚ほど所有しているのだ。4~5年前に友人から無料で譲り受けたものなのだが、普門館ということで、音響悪いというイメージが先行して、食わず嫌いでそのまま新品未開封でラックに死蔵になっている。

ぜひ聴いてみたい気になった。

カラヤン&ベルリンフィルは大きく時代別に大別すると、60年代、70年代、80年代の3つの時代に分けれると思っているのだが、その中でも70年代が一番脂に乗っていた最強の時代だと自分は確信している。

そういう意味で普門館ライブのときは、1977年、1979年、1981年。
まさにその全盛期の時代の彼らだといえるわけで、その熱い演奏を想像することはできる。


そして一方で、もうひとつの金字塔の録音である1979年の「カラヤン普門館ライブの第九」。 


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NHK FM録音による「カラヤン普門館ライブの第九」

http://urx.red/Ntlt

ベルリンフィルを率いて8度日本を訪れているカラヤンだが、1979年に東京、普門館でおこなわれた来日公演は、その豪華な参加メンバーとプログラムとで特筆されるべき壮挙であった。

4回のオーケストラ演奏会に加え、初めて帯同したウィーン楽友協会合唱団とともに合唱付きの大曲を5夜にわたって披露、贅沢なソリスト陣も手伝って、「ザルツブルク音楽祭の引越し公演」という評さえあった、まさに当時の熱狂ぶりは凄かったのだ。

10月21日の第九は、カラヤンとベルリンフィル2度目のベートーヴェン:交響曲全集と同一のトモワ=シントウ、シュライアー、ヴァン・ダムに、エキゾティックなカルメン役で欧米を沸かせたユーゴ出身のアルト、バルダーニを加えたソリスト陣に、「カラヤンのコーラス」楽友協会合唱団という完璧な布陣。

カラヤンと楽友協会合唱団は、1947年の初顔合わせ以来通算200回目の共演という記念の一夜でもあった。全公演中の白眉とされた当演奏はNHKがFM生中継し、全国の音楽ファンを魅了したと伝えられている。

このいわゆる「カラヤン普門館ライブの第九」のCDは、NHK技術研究所に残されていた当時のオリジナル・テープに基づく世界初の復刻。NHK初のデジタル録音とのことだが、24年の歳月を感じさせない鮮明な音質に仕上がっているそうだ。

テープの保存状態が非常に良好だったためか、放送音源のCD化につきまとう経年劣化の問題が皆無であることは何よりの朗報。マスタリングもハノーヴァーの最新技術によって念入りにおこなわれたとのことだそうだ。

この1979年の普門館公演でライブ収録された交響曲第9番は、カラヤン没後にCD化されたのだが、カラヤンのライブ録音で第九が稀少であることから「普門館の第九」として話題を呼んだことでも有名なのだ。



つまり、「カラヤン普門館ライブ」と呼ばれる復刻CDには、1977年のTOKYO FMによって録音されたものと、1979年のNHK FMによって録音されたものがある、ということなのだ。



今回の日記のために、情報を補記したところもあるが、自分にとって普門館といえば、もうまさにこのカラヤン&ベルリンフィルの来日公演というイメージだった。


だから、その普門館にお別れ、ということで、ざっとその広大なホール空間を眺めて終わりかなぁと思う程度だったのだ。


あらためて、普門館について簡単な説明を。

仏教の在家団体「立正佼成会」が所有するホールで、東京都杉並区にある。
この日、行ってみたが、お世辞にも交通の便がよいとはいえない。
地下鉄メトロを何回も乗り換える必要があって、かなり遠いところにある。駅からも結構離れていて歩く。

こけら落としは、美空ひばりという話もあるし、日本フィルの特別公演との話もある。

耐震強度不足により、2018年冬(12月)より解体されることになった。

11月5日~11月11日まで最後のお別れということで、一般公開となった。
その最終日に自分は伺った。


普門館

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最終のお別れということもあって、たぶん人も少なく閑散という感じなんだろうなぁと思っていた。
ところが行ってみたら、まさかの朝からの大行列!(^^;;

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まったく驚いた。こんなに根強い人気があったとは!
ちょっと異様だったのが、とにかく客層がみんな若い人ばかりなのだ。年齢の行っている人はほとんどいない。みんな若い!そして木管楽器を入れるような楽器ケースを背負っている人がじつに多かった。

一瞬、音楽家の若者なのかな、とも思ったが、これが普門館とどうしても結びつかなかった。

そしてこれ。
「普門館からありがとう。吹奏楽の響きたちへ。」

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この「吹奏楽の響きたちへ」との呼びかけがある意味、その意味を暗示していたんだな。


警備員の方も、写真撮影のお手伝い大変。みんなこの掲示板ポスターの前で記念撮影するんだよね。それもみんな楽器ケースを背負った若者ばかり。

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とにかく大変な大行列なので、内部の観覧は30分間隔で区切ってこの大行列を順繰りにこなしていくということだった。


どきどき!ステージが見えてきた。
この入り口は、演奏家の方がステージに上がるための入り口なんだな。

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ここが普門館のホール空間。
1階席3150席、2階席1552席の4702席収容。まさに空前絶後の大空間である。

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これが反響板の一部なのだろうか?(側壁にあります。)
ステージ上空にはそのような仕掛けはあまり見当たらなかった。
これだけの大空間を覆うように音の流れを向けるのは確かに大変なことだ。

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舞台(反響板)の後ろはこんな感じになっている。

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でも自分が気になるのは、こちらだったりして・・・TASCAMとかソニーとか。(笑)

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ステージに上がることだけが許される。

ステージ後方に大きな反響板。そこに「普門館からありがとう」とある。

普門館、まさに本日にて48年の歴史に幕。

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とにかくみんな若者。そしてほとんど全員が木管、金管の管楽器を持っている。
全員バラバラだけど、それぞれ吹いている。

自分はこの風景が理解できず、思わず警備員の方に聞いて、そのすべての真実が理解できた。

勉強不足なのは、自分のほうだった。

ここ普門館は、いわゆる中学・高校生の”吹奏楽の聖地”、”吹奏楽の甲子園”とよばれるメッカのところで、ここで長年にわたり全日本吹奏楽コンクール(全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の中学・高校の部が開かれてきたのだ。

普門館が開館したのが、1970年。吹奏楽コンクールがこの普門館で開催されたのが、1972年から。途中他の開場でやったりしてブランクがあったが、1977年から2012年までの35年間、まさに毎年ここが吹奏楽の甲子園となった。

”目指せ!普門館”の合言葉を元に、みんな練習に励んだ憧れのホールだったのだ。

今回、普門館解体というニュースを受けて、みんな悲しみに暮れたが、普門館を所有する宗教法人「立正佼成会」が吹奏楽ファンへの感謝の思いを込めて、この一般公開を企画した。


「普門館からありがとう。吹奏楽の響きたちへ。」

この「吹奏楽の響きたちへ」との呼びかけの意味が、ここでようやくはっきりと理解できた。
みんな若者ばかり、そしほとんどが管楽器を持っている。この現象の意味も理解できた。

この最終日の11日は朝から列ができ、午前10時に開場した。混雑を避けるため30分ごとの入れ替え制とし、約3800人が舞台に足を踏み入れたのだそうだ。

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まさにステージの上は、管楽器をもった若者で溢れかえった。そして思うままに吹いている。
最後のお別れを名残惜しんでいるのだ。

最初みんな、バラバラに吹いているのだけれど、最後になると偶然なのか、それともみんな、つい意識して合わせたのか、同じ曲をシンクロして全員揃って大吹奏!これはちょっとじ~んとくるものがあって大感動でしたよ。


ステージ後方の反響板や舞台裏にはもうびっしりと書き込み。
みんなこの普門館への思いを書き綴っていったんだな・・・

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テレビも入っていて、インタビューを受けている若者もいた。

この一般公開してからの1週間、かつてこの舞台をめざした人たちが続々と訪れた。

以下、最終日の当日、取材していた朝日新聞の記事から抜粋。

「中学1年の時に全日本(吹奏楽コンクール)に出場し、舞台に立った。普門館がなくなるのは寂しいけれど、心にずっと残り続けています」


「夢の舞台にあと一歩及ばなかった。楽器にこの舞台を見せてあげたくて。解体は何とも寂しいけれど、来られてよかった」 37年ぶりにケースから出したフルートを手に思いに浸った。

普門館への思いは、現役の中高生にも息づいている。
「普門館は憧れの舞台。合奏を通して、様々な人と音楽をつくる喜びを感じた」と話した。


フィナーレが近づく11日夕。千人以上が集まったステージに、東京佼成ウインドオーケストラのトランペット奏者、本間千也さんら5人がサプライズで登場。金管五重奏で奏でた「聖者の行進」や「ディスコ・キッド」に、来場者らは静かに聴き入った。

アンコールでは会場全員で「星条旗よ永遠なれ」を演奏。一体感が味わえる定番のマーチを響かせて、普門館最後の合奏を締めくくった。

そして午後6時半。名残惜しそうに過ごす人々が残る大ホールに、閉館を告げるアナウンスが響いた。



自分はまったく知らなかったとはいえ、偶然にもこの場に居合わせることのできた幸運に、音楽の神様にひたすら感謝するのみ。たった30分ではあったが、そんなみんなの想い出をおすそ分けいただいたような気分。

本当に素敵な場面を体験することができた。





今日は、久しぶりに奮発してディナーは創作フランス料理のフルコースをいただくことにしていた。
ちょっと時間待ちしているところで、近くの小学校でなんと生徒による吹奏楽のお披露目会があったのだ。父母参観のもとみんながんばっていた。

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もともとは交通推進パレードという意味合いだったようなので、このように近くの警察署による警察官による大人の吹奏楽もお披露目ありました。

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こうしてみると、つくづく今日は偶然とはいえ、吹奏楽に縁のある日でした。(笑)


住宅街の中にひっそりと佇む隠れ家的名レストラン。
店内はじつに素敵で最高の雰囲気でした。

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秋刀魚、松茸、フォアグラのビストロ茶漬け。驚愕の美味!(^^;;
よくこのようなお店、みんなよく知っているなぁ?(笑)

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カウンターでいただきましたが、シェフがすごく忙しそう。

でも自分が初めてのお客さんということもあってか、1品作るたびに、シェフみずから運んできてくれて一品の説明をしてくれるのだ。他のお客さんは馴染みのお客さんなのか、そんなことはしないのに。。。

とてもありがたいというか、恐縮しました。

女性スタッフの方が、これまたとても素敵な方だったのです!(^^)







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チケット券売力 [雑感]

沢田研二さんの開場間近の公演ドタキャン問題。当初はそのありえない非常識な行動に非難ごうごうの態様だったが、その後沢田研二擁護論のようなものも散見されるようになってきた。

この人の開場間近の公演中止発表理由は契約書に「客をいっぱい入れること」と書いてあったのにチケットが売れていないからとか。


なんか、擁護論では、

・ハコがでかすぎる、と事前に沢田側から興行主に指摘していた。
・契約書では9000人入れること、という条件を沢田側から申し出ていた。
・でも実際の入りは、7000人弱。
・公演当日まで、興行主はそのことを沢田側にダマテンしていた。
・当日その事実を知った沢田は、契約違反としてキャンセルに踏み切った。


ということらしい。

もちろん真偽のほどは、闇なので、それを考慮したうえでお話しする。

擁護論では、契約で具体的な人数、というかハコをいっぱいにするという約束をしているのに、それが実現できなかった。そのときに興行主から、お客さんも入っていることだし、どうかそこをお願いします、と頼まれる。

一度そういうことを許したら、これからもずっとそのたびにこのような言い訳のもとに公演をやらないといけなくなる。示しをつけるためにも、ここはやってはいけない。

そういう気持ちもわかるんだよなぁ、ということらしい。

音楽ファン、コンサート通いが好きな自分からすると、それ、もう論外である。
そういうことを絶対許してはいけない。

自分からするとあり得ないことだ。

自分なんかそうなんだが、この日のコンサートのために、高いチケット代を争奪戦のうえ、勝ち取り、数か月前から本当に楽しみにしていて、いろいろ予習もしていたりして心ときめいていたりする。

そうやって臨んだコンサートの当日、いきなり会場でそんな仕打ちにあったら、合点がいかないだろう。

さらに後日、その理由がそんなんだったら、もう憤りを感じること、間違いなしだ。

やっぱりアーティスト側、演奏家側は、どんな理由があっても、それだけの高いチケット対価を支払って、来てくれたお客さんに対して、ちゃんと誠意をみせるべきである。

期待を裏切るようなことは絶対してはいけない。

これはアーティスト側にどんな事情があろうとも、音楽ファンの自分からすると譲れない一線である。

今回のような理由は、この日のために集まった7000人のファンに対して、裏切り、失礼極まりない行為だと自分は思う。

このような仕打ちをうけると、ファンはそのアーティストに対して、今後不信感をいだくことも間違いない。


契約書に「客をいっぱい入れること」と書いてあったのにチケットが売れていないから・・・。

日本国内専門のタレントでそんな契約はあり得ないそうだ。
(ポール・マッカートニーなんかはそれが明記されているそうです)

これはある招聘元の方の投稿だが、結構生々しい実際リアルなビジネスの経験談で感心した。


公演1週間前に売れてないものは当日まで売れないことなんて関係者なら誰でも分かっていること。

クラシックも来日ポップスも、チケットは発売当日と1週間後で「イケるかコケるか」予想できる。駄目そうなら赤字覚悟で宣伝費を投入。公演1ヶ月前になっても駄目なら、関係者が出演者のプライドを守るために理由を作って延期でなく中止発表の検討に入る。

主催者は大損で、出演料は全額払うし、会場費、宣伝費、印刷費など使ったものは無駄になり、スタッフや移動滞在費のキャンセル料も請求される。そしてプレイガイドからは払い戻し手数料も。

全てはアーティストの「チケット券売力」を主催者が読み違いしたことが原因である。
しかし、アーティストは自分のギャラの高さが原因の高額チケット設定と自分の人気のなさを認めずに、しっかり契約金を受け取る。

この手のアーティストだけが儲かる企画は誰もやらなくなりますよね。

他国で人気があっても、知名度がない国ではチケット売れません。
興行主にとって実力でなく人気が命です。


・・・だそうです。

シビアだな。(笑)


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主催者、興行主、招聘元の仕事って本当に大変だ。

音楽ファンだったら、純粋に自分の応援している演奏家、歌手などのコンサートをホールで体験したい!

その想いだけで十分。

そしてコンサート終了後には、鑑賞日記やつぶやきをして、その感動をみんなとシェアする。
それだけで人生十分すぎる。

でもそれを実現するには、本当に招聘元さんのお仕事に感謝するしかない。
もう彼らは、黒字、赤字のリアルな結果として自分に帰ってくるから、つねに真剣勝負なのだ。

そんな彼らがいるからこそ、そんな楽しい趣味の世界も成り立つ。

でも芸術の世界に、そういうお金の話を前に持ってくるのはある意味タブーというか、それはみんな当然わかっていることだし、感謝はするものの、あまりそのことを強調されると、なんか自分が卑屈に感じたり暗くなっちゃう、というようなこともあるだろう。

ある意味、因果な商売なのかもしれない。


コンサート鑑賞人生を送っていると、自分がよく思うことに、自分が秘かに心を寄せているアーティストが来日してくれないかな~、どこか誰か呼んでくれないかな~とか思ったりすることがある。

自分が応援するアーティストって、ある意味商業路線まっしぐらというよりは、かなりマニアックな類の方が多いので、そういう思いをすることが多い。

でもそれイコール、集客できるかどうか、の判断をかならず仰ぐことになるんだよね。

招聘元は、集客できるかどうか、ペイできるかどうか、かならず計算する。
でもその計算の中には、そのアーティストの将来性や、日本のマーケットで育てていきたい、というような戦略もあるのかもしれない。

そんな事情もわかるから、最近はむやみやたらと呼んでほしい~などという妄想はせずに、実際実演に接したいなら、現地まで自分が足を運ぶ、という冷静な考えをするようになった。


女性ヴァイオリニストが独奏の場合は、なぜメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲なのか?(笑)

ヴァイオリン協奏曲の場合、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームス、ベートーヴェンと大体が相場が決まっている。

ヴァイオリン愛好家の自分なんかは、そのような曲は、もう食傷気味なので、もっとブリテンやヒンデミットとか滅多にやらない前衛的なものをやってほしい、とも思うんだが、やはり招聘元は集客できるかどうかを第一に考えて演目を決める。

前者にあげたものは、やはりお客さんが対価を払って、それで実際満足できるキラーコンテンツなんだろう。

でもそればかりだとニッチでコアなファン層の不満が溜まってくるから、その都度、ガス抜きをして、目新しさを演出、というようなことの繰り返しなのかもしれない。

いずれにせよ、主催者、興行主、招聘元というお仕事は、”いま”を読む独特のアンテナ感度が必要な職業で、それが直に自分の利益、損に帰ってくるから、本当に大変な仕事だとは思います。






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BISの新譜:アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、原点回帰する。 [ディスク・レビュー]

アンネ・ゾフィー・フォン・オッターの声には気品がある。歌い方も最高に格好いい。
自分が愛する最高のディーヴァである。

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それぞれの歌手の声質(声紋)というのは、指紋と同じで、その人固有に決まっている特質。オッターの声は、その中でも数少ない「心をつかむ歌声にある1/fのゆらぎ特性」を持った声なのだ。

ヒトラーが、非人道的で残虐な言動を繰り返していたのにも拘らず、そのスピーチに大衆が酔ってしまう現象に、彼の声質に「1/fのゆらぎ」の特性が含まれているからだ、という。

同じくキング牧師などの「I have a dream......」に代表される名演説などもそうだ。

人の心を動かす、感動させるには、ひとつのリズムというか韻を踏むというか、人の心を高揚させる、決まった法則のリズム態があるのだ。

以前日記にもした自分の信条みたいなものなのだが、今回、オッターの新譜を聴いて、ますますその意を強くした。

この「1/fのゆらぎ」特性を持った声質の歌手というのが、日本歌手で言えば代表的なのが美空ひばりだという。他にもMISIA、宇多田ヒカル、松任谷由実、徳永英明、吉田美和などが挙げられている。

誰もが持てる才能でもなくて、持って生まれた声質、ある特定の歌手のみに見られるこの才能。


自分の大好きなオペラ歌手の世界にあてはめてみる。
1/fゆらぎは交感神経の興奮を抑え、心身共にリラックスした状態を作る、とあるから、感覚的に考えると、やはり低音部よりも高音部だろう。

女性なら、ソプラノ、そしてメゾ・ソプラノ。男性ならテノール。
女声は、アルトの下からソプラノの上までで、164.81Hzから1174.66Hz、男声ならバスの下からテノールの上までで65.4Hzから466.16Hzあたりなのだそうだ。

ソプラノで1KHz、テノールで500Hz・・・人間の声の高さって、周波数で表せばそんなものなのか? 自分は、ソプラノであれば、~10KHzはいくものだと思っていた。

男性歌手にしろ、女性歌手にしろ、80Hzから1280Hzの4オクターブあることは間違いないようだ。

ただ、音の高さ、低さだけの問題で、そのような人を恍惚とさせることはできないのだ。
もっと複雑な要素が入り混じる。

「1/fのゆらぎ」というのは、パワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎのこと。(ただしfは0よりおおきい、有限な範囲。) ピンクノイズとも呼ばれ、具体例として人の心拍の間隔や、ろうそくの炎の揺れ方、電車の揺れ、小川のせせらぐ音などが例として挙げられている。

もっと感覚的には、

「規則正しい音とランダムで規則性がない音との中間の音で、人に快適感やヒーリング効果を与える。」

「規則的なゆらぎに、不規則なゆらぎが少し加わったもの」

こんな感じだ。

まさに、人の心をつかむ歌声には、かならずこの「1/fゆらぎ」特性が存在する。

そのような天性の声質を持っている人は、自分ではまったく意識していないのだろうけれど、聴いている人に対してそのような心地よさを必然と与えるもので、そこを科学的に分析すると、そのような現象がみられるということなのだと思う。

自分にとって、オッターの声は、まさにその直球ど真ん中にあてはまる、と確信していて、史上最高のディーヴァなのだ。


オッターは、ご存知スウェーデンの歌姫で、ベテラン中のベテラン。オペラに限らず、宗教曲、歌曲リートを始め、そしてクラシックに限らずジャズ、シャンソンなど、いろいろなジャンルをこなすそのレパートリーの広さは他を卓越している。

本当に才能の豊かな歌手。

1983年デビューだからまさに自分らの世代の歌手。

自分的な想い出で、心に残っているのは、R.シュトラウスの「ばらの騎士」の名演、そして、ちょうどベルリンフィルではアバド時代にあたり、アバドから溺愛を受けて、よく招聘されていたのを覚えている。



この世代では最も優れた声楽家の一人として認められていて、世界の一流指揮者、オーケストラ、歌劇場から常に、求められ続けられている。

最近は、オペラは引退なのか?リサイタル系中心の活動のようにも思えるが、アルバムのほうもきちんと定期的にリリースしてくれるからファンとしても有難い。



オッターは、DG専属契約歌手なのだが、スウェーデン人として、たとえばスウェーデン歌曲集だとか自分の故郷に関連するテーマがあったりするときは、北欧の高音質レーベルBISからアルバムを出している。

BIS前作の「夏の日」。

まさにスウェーデン歌曲集を集めたもので、近来稀に見る優秀録音だと自分は思っていた。BISらしいちょっとオフマイク気味のワンポイント録音が、マイクからの程よい距離感を感じさせ、絶妙な空間感がある。

これを超える優秀録音はでるのだろうか?

最近のDGのアルバムも素晴らしかったが、正直スタジオ録音のせいなのか、ややデッドに感じてしまい、歌っているところの空間や広がりをあまり感じないのが、自分には不満で、歌や曲は好きなのだけれど、録音が好きじゃないというパラドックスな状態だった。

この「夏の日」効果もあって、自分はオッターのBIS録音は絶対いい!という確信めいたものがあった。だから、今回オッターのBIS新譜がでる、と聞いた瞬間、もう胸ときめいたことは言うまでもない。 



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「シンプル・ソング」 
アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、ベンクト・フォシュベリ(オルガン)、他

http://ur2.link/N8Ko


今回の新譜はオッターにとって、まさに原点回帰のアルバムとなった。
そういうコンセプトを企画としてぶちあげたのだろう。

なによりもジャケットがいい!いかにも音が良さそうだ。
ジャケットのセンスがいいアルバムは、絶対曲もいいし、音もいい。

スウェーデンの宮廷歌手アンネ・ゾフィー・フォン・オッターのキャリアは、彼女が生まれたストックホルムの聖ヤコブ教会から始まった。教会の青少年合唱団で歌い、教会で行われているバッハの「マタイ受難曲」コンサートのソロに起用され、1982年、最初のソロ・コンサートをこの教会で行なった。この時に共演したベンクト・フォシュベリとは、その後30年以上に渡る共演が続いている。

今回のオッターの新譜「シンプル・ソング」は、この聖ヤコブ教会でセッション録音されたアルバムなのだ。

まさに原点回帰。ここからオッターのキャリアは始まった。

聖ヤコブ教会という名の教会は、それこそヨーロッパの至る国にある教会で、今回話をしているのはストックホルムにある聖ヤコブ教会のこと。

ストックホルム 聖ヤコブ教会

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教会の内装空間の写真も探したが、どれもストックホルムではない聖ヤコブ教会のものばかり。

今回のアルバムは、まさにオッターが最も大切にしている珠玉の17曲を選んだもので、「宗教」と「心」でつながる17の曲。「典礼の手かせ足かせを逃れ、自然に湧き出る賛美の心を高らかに歌え」を基本のスタンスに歌っているのだそうだ。

アルバム全体を聴いて感じるのは、やはりパイプオルガンの音色がとても強烈で、アルバム全体のトーンを支配している感じがする。

でも実際は、ヴァイオリン、チェロ、フルート、ヴィオラ、ハープ、それにエレキギター!などかなり多彩な音色に囲まれているのだ。

とにかく聴いていて、とてもいい曲ばかり。
前作の「夏の日」とはまたちょっと趣が違う良さがある。
かなり毛色が違う。
気配としては、宗教曲の色が強い感じがするかな。


アルバムのタイトルになった「シンプル・ソング」は、バーンスタインのミサ曲。
どこかで聴いたことがあると思ったら、マーラーが交響曲第3番と第2番の楽章とした「子供の不思議な角笛」の詩による2曲も入っている。

そしてシュトラウス歌曲も2曲。「たそがれの夢」、「あした!」
リストのアヴェ・マリアもこれまた素晴らしくいい。アヴェ・マリアは本当にどの作曲家の曲でも究極に癒されるね。


自分が1番心ときめいたこのアルバムの中の最高の曲は、ラストに入っている曲。
ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の「すべての山を登れ」。

なんて、カッコイイ曲なんだ!
オッターが最高に素敵に見えてしまう最高の曲だ。サウンド・オブ・ミュージックは当然よく知っているけれど、こんなドライブ感の効いた格好よさは、かなり興奮した。オッターの歌い方もかっこいいよね。この曲に完全にやられました。

パイプオルガンが最高に主張する曲。このアルバムの中で一番オルガンが目立っている曲。もうトラポの1曲リピート機能を使って、ずっと1日中繰り返して聴いています。(笑)


でもこの日記を読んでくれている読者はそんなことを聞きたいのではないだろう?(笑)
わかってるって。(^^)

録音超絶素晴らしいです!


やっぱりオーディオファンにとって、このファクターは絶対譲れないところ。
この新譜を紹介するには、ここを一番言いたかった。


昨今の録音技術の進歩は凄い。最近リリースされる新譜は、みんな音が洗練されているよね。いかにも新しい録音という感じです。

ダイナミックレンジ32bitで録ってるのかな?(笑)
それだけ縦軸の深さ(レベルの高低)が素晴らしい。

いや周波数レンジのほうも384KHzはいっているかな?それだけ高低音域の横軸の両側に、す~っと伸びていて解像感高いです。

1発目の出音で、その洗練された空気感がすごくて鳥肌が立つ。
いい録音かどうかは、最初の出音を聴いただけで、もうわかっちゃうんだよね。あとは、ずっと聴いていてもその印象が変わることはほとんどあまりない。

教会らしい大空間にいることがよくわかり、オッターの声がよく通るのだ。
部屋がその教会の大空間にワープしたかのような空間感だ。

情報量も多いし・・・でもこんなことはごちゃごちゃオーディオ術語を並べ立てて話すのはまさに野暮というもの。

黙って聴いてくれれば、それでいい。

このオルガンの低域のボリューム感を出すのがオーディオ・スキルかもですね。

クレジットを見ると、驚いたことにマスターフォーマットは、PCM 96/24だそうだ。(驚)

いまどき、こんな昔の諸元でこれだけの素晴らしい録音ができちゃうのは、やっぱり教会独特の空間、残響の長さなどの残響感の賜物なんだろうし、それに単にスペックが高ければいい録音ができるほど甘い世界じゃない、ということかね。

やっぱりエンジニアの編集、ポスプロの世界もかなり大きなウェートを占めるのだろう。
いかに奥行き感、立体感を出すか、など彼らのセンス、腕の見せ所だ。


その他の機器は、BISなので、RMEのヘビーユーザー。DAWはもう定番のPyramix。

今回の録音プロジェクトは、Take5 Music Productionがおこなっている。

いままでBISの録音制作を手掛けてきたトーンマイスター5人が独立して、「Take 5 Music  Production」という別会社を設立しているのだ。 主なミッションは、BISの録音制作を担う、ということで、フィリップス・クラシックスの録音チームが、ポリヒムニアになったことや、ドイツ・グラモフォンの録音チームが、エミール・ベルリナー・スタジオとなったことと同様のケースのように思えるのだが、ただ唯一違う点は、現在もBISには、社内トーンマイスターが在籍して、音に関わる分野の責任を持っていることだ。

Take5のメリットは、これまで通りBIS作品の制作を担いながら、同時に他のレーベルの制作も担当できる、さらには、ダウンロードのプラットフォームも構築していくという視野が持てるというところにある。

BISは基本は、マスターはPCM 96/24だね。彼らは昔からそう。

Take5は最近、パリで賞を受賞したみたいで乗っています。

今回の録音は、プロデューサー&サウンド・エンジニアは、Marion Schwebel氏。編集やミキシングもそうだ。

Nice Job!でした。

では、ちょっと、その聖ヤコブ教会でのセッション録音の様子を。


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聖ヤコブ教会のパイプオルガン。
1976年に設置されたマークセン・オルガンです。


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オルガンを弾いているのが、オッターの長年のずっとパートナーだったそのピアニストとして知られるベンクト・フォシュベリ。BIS前作の夏の日でもパートナーとして録音に参加していました。今回オルガンのレジストレーション(オルガンのストップを決めること)を担当したのも彼の息子のミケール・フォシュベリでした。


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オッター様、絶好調!
教会の大空間によく声が通ってます。
とにかく教会の大空間、そしてこのパイプオルガン、そしてオッターの声、堪らんサウンドです!



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アルバム・トップの「シンプル・ソング」では、なんとエレキ・ギターも入ります。(ボロンという感じ)弾いているのは、なんと!オッターの息子さんです!! 今回の録音は、家族全員参加してのアットホームな録音だったんですね。


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今回のマイクは、ノイマン、DPAそしてSchoepsのマイクを使ったようですが、オッターの声を録っているのはノイマンですかね。ステレオ配置セッティングです。


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みんなで検討中・・・。
現場でのセッション録音は、大体現場のミキシングでそのほとんどの完成度が決まってしまいます。あとでレーベル・スタジオでどうにかしようと思ってもそんなに大きくは変わらないもの。現場が勝負。事件は現場で起こっているんだ!(笑)



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この方が、Take5のMarion Schwebel氏なのかな?(笑)



オッターは、今年の3月に旦那さまが、#MeTooのセクハラ告発で、責められて、自殺してしまうという悲劇があったばかり。人生のパートナーを失って、どれほどの落胆、心中いかなるものか、察するに余りあるが、どうか前向きに頑張ってほしい。

自分も最近心が折れるとは、まさにこのことか!と思ったことがあったが、人生はプラス指向で生きることの大切さを学んだばかり。


オッター様、がんばれ!!!









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鎌倉紅谷 [雑感]

鎌倉紅谷の存在を知ったのは、数か月前だったか、アマゾンなどのネット販売で、彼らの代表的な商品である「クルミっ子」というお菓子が、とんでもない値段に高騰になっていて、いわゆる転売なのではないか?という疑いもあって一躍ニュースになったことだった。

なんでも、1000円くらいのお菓子「クルミっ子」が5000円とか、2500円くらいのお菓子「クルミっ子」が8000円とか、そんな値段でネット販売されていた。

これはおかしい!ということで話題になったのだ。(笑)

それまでまったく存在を知らなかったので、このことで、鎌倉紅谷の存在を知った。
鎌倉マイブームの自分としては、これはぜひこのクルミっ子を食べてみないといけないなぁと思い、値段が正常に下がるのを待って、ネットで買ってみた。

本当に小粒なお菓子で、そのときは正直こんなものかな?
食べてみても、なんかとりわけ日記にするほどのインパクトもなく、少々がっかりした、という感じだった。

あれから数か月経って、ふたたび鎌倉紅谷が自分の前に現れた。
彼らは、鶴岡八幡宮前の本店のほかに6店舗のお店をもつ大きな組織なのだが、その八幡宮前 本店が10月20日にリニューアルオープンになるというのだ。

SNSで偶然見たのだが、その新しいお店の店構えがすごく洗練されていて、とてもお洒落。建物の色使いとか、自分の感性にビビッと来る感じで、これはぜひ行ってみたいと思ったのだ。

さらに八幡宮前 本店の2Fには、おそらく鎌倉紅谷のお店としては、初と思われる、クルミっ子専用のカフェ「Salon de Kurumicco(サロン・デ・クルミッ子)」がオープンになった。

そのカフェの内装がとてもお洒落。そしてそのカフェのメニューがじつにカラフルで、芸術品ともいえる美しい品々。これは、すべてにおいて、自分の感性に合う感じで、これはぜひ取材に訪れて日記にしたいなぁと思ったのだった。

これが事の顛末。

ここで、鎌倉紅谷について、その歴史とこだわり、商品などふくめ、ちょっと紹介してみよう。

鎌倉紅谷 公式HPより

https://www.beniya-ajisai.co.jp/


鎌倉紅谷の歴史は、神楽坂から始まった。

戦前、東京・神楽坂に山手一といわれた和菓子舗紅谷があった。戦後、腕利きの職人たちは、その看板を背負って全国各地で新たな紅谷を開いたのだった。のちに有井弘臣と共に鎌倉紅谷を創業することになる有井鉄男も、その中の一人であった。

昭和二十九年十月、鎌倉市雪ノ下十二番四号の北条泰時小町邸跡地に二人は力を併せて菓子処紅屋を創業し、同三十一年一月には合資会社紅谷となり現在に至る。



ずばり鎌倉紅谷は、いわゆる和菓子屋さん。鎌倉土産として有名なクルミっ子をはじめ、たくさんの代表作品がある。

「いい国つくろう(1192年)鎌倉幕府」を文字って、「いい菓子つくろう鎌倉紅谷」をスローガンに、和の品格の中に洋の華やかさをもち、なにより古都鎌倉らしさを感じさせるそんな鎌倉を代表するお菓子を作っているお店なのだ。

すべて職人の手仕事による、まさに創作和菓子の世界。
そこが素晴らしいところかな。

その鎌倉紅谷を代表するお菓子を紹介。

クルミっ子 


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まさに鎌倉紅谷の顔ともいえる代表作品。鎌倉土産のお菓子としても有名だ。
キャラメル、クルミ、生地、職人の手仕事。
すべてが揃った普遍の定番中の定番。

自家製キャラメルにクルミをぎっしり詰め込んで、バターの生地で挟み込む。
三つの素材が組み合わさって、贅沢なおいしさに仕上がり。

鎌倉紅谷の定番にして超のつく人気商品、それが“クルミッ子”だ。

たしかな甘さを感じながら、くどくない仕立て。絶妙なキャラメルとクルミの配合に加え、しっかりとした生地が全体のバランスを整える。

はじめて食べたときは、あまりインパクトがないと思ったが、いま改めて食べてみると、キャラメルの味が強烈な甘みでコクがあって、これがこのお菓子のすべてを支配していますね。
それにクルミの味、バターの生地が相まって絶妙な食感。

香ばしいというか美味しいです。
結構濃くて旨みが凝縮された感じのお菓子です。

改めて食べてみたら、ようやくその素晴らしさ、美味しさが理解できた。
やっぱりものごとというのは愛情をもって接しないとその真理は見えてこないね。 

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このクルミっ子には、ロゴマークがあるのだ。
レトロなリスの絵。この絵が好き!可愛い!という方も、けっこういらっしゃるそう。
なぜリスかと言えば、鎌倉にはリスが多いこと、クルミはリスの好物であること、などが由来だそうだ。

このリスのマークは、このあとで紹介する八幡宮前 本店の店内で驚きのしかけがあるのだ。(笑)

そのほか、あじさい、鎌倉だより、鎌倉の鐘、はちまんじゅう、アップルフィーユなど、まさに鎌倉紅谷の職人たちによる創作お菓子の世界がたくさん待ち構えている。


さて、さっそくお目当てのリニューアルオープンした八幡宮前 本店に行ってみる。
鶴岡八幡宮の正門のすぐ前にあるのだ。

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黒、ベージュ、そして赤というまさにお洒落カラーの王道の組み合わせですね。
鎌倉紅谷に興味を持ったのは、まずこのお店の雰囲気がとても素敵だということ。
自分の目に間違いはなかった。

お店は、おおきく2つにわかれる。

1Fがいわゆる鎌倉紅谷がお届けする自慢の創作和菓子の物品販売コーナー。
そして2Fが、鎌倉紅谷のお店としては初のカフェ「Salon de Kurumicco(サロン・デ・クルミッ子)」だ。このカフェで提供されるスィーツ、お菓子の品々は、いわゆる彼らの定番メニューのお菓子とは、また別のまったく新規のメニューなのだ。だから1Fで定番の和菓子を買って、このカフェでまた別のスィーツ、お菓子を頼むなど2重の楽しみ方ができる。

まず1階の物品販売コーナーから。

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すでに箱詰めされた和菓子セット。
中をよく見てみると、鎌倉紅谷の看板メニューであるクルミッ子とあじさい、そして鎌倉だよりのお菓子の3点セットの詰め合わせのような感じ。



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そしてこちらが看板メニューのクルミッ子。
5個入り、8個入り、16個入りの3タイプがある。
自分は、16個入りと8個入りを買いました。


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”秋のぬくもり”と題した特別の創作和菓子も展示されていました。
美しすぎる!



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店内には、秋の紅葉を感じさせる置物もあり、素敵でした。


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店員さんの背後にある紅色の紅谷のロゴが強烈です。



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このなんでもなさそうな煉瓦作りの壁。
じつは、これには彼ら独特の遊び心というか拘りがあるのです。

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この1個1個のブロックが、じつはクルミッ子のサイズとまったく同じにできているのです。
そしてクルミっ子のロゴマークであるリスのマークがこっそりと忍ばされているのを発見しましたか?(笑)


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このようにどこかのブロックに、リスのロゴマークが印字されている。遊び心満載。



さて、もうひとつのお目当てである2Fのカフェを訪問。
なかなか雰囲気がある店内で素敵です。
ここでパソコンを持ち込んで作業したり、文筆の作業をすることは禁止です。(笑)


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とにかく、定番の和菓子メニューとはまったく別のこのカフェ独自の新規メニューを楽しめる。
まさにここでしか味わえない新しいクルミッ子をコンセプトとしたデザートやドリンクなど。
正直どれもすごく魅力的で悩む。でもどれにするかは訪問する前から決めていた。

その中で、自分が選んだのは、そのメニューの中で最高傑作作品。

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そのお店の名前をそのままあしらった「Salon de Kurumicco(サロン ド クルミッ子)」。
まさにスペシャリテな豪華なプレート。¥2500

これまでの歴史を重んじるとともに、これからの鎌倉紅谷の可能性をこのひと皿に表現したのだとか。

スィーツ大好き、甘党男子!の面目躍如である。(笑)

これを頼むには、事前に予約が必要です。

それぞれの1品について、各々どのようなものなのかはじつはインターネットのHPにも掲載されていなく、その情報がほしいといったら、女性店員さん、わざわざ写真掲載されている紙に直筆で全部の品の解説を書いてくれた!

優しい~(感激)。
達筆でした。(^^;;
                                                      
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プレートの左下から、ピスタチオとストロベリーのムース。その横が冬和(ふわ)かさね(りんごとキャラメルのケーキ)、その横がデセールクルミッ子(キャラメル、ミルクチョコのムースをサブレでサンド)、そして自家製プリンです。

美しすぎる!!!

なんか食べてしまうのがもったいないような芸術品ですね。
この芸術品を拝見するだけでもこのカフェに来る価値ありと思います。

この世とは思えない口の中でとろけるような食感でした。
最高に美味しい。



このカフェを経験するなら、ぜったいこのスペシャリテのワンプレートだと思うのだが、じつは他のメニューも本当に美しくて、全部注文したい衝動にかられた。(笑)

いくら取材のためとはいえ、男1人で、つぎからつぎへとこういったメニューを頼んでいたら、やっぱり変わってる(笑)と思われるので、やめときました。(^^)


でもあまりに美しく紹介したいので、HPの写真を借りて試みます。

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Fromage UKISHIMA (フロマージュ 浮島)¥850

日本の伝統菓子「浮島」の作り方を用いた、しっとり食感のチーズケーキ。
クリームチーズとヨーグルトのさっぱりした味わいの中に白餡が優しさと奥深さを生み出している。上にふりかかっているあらく刻んだであるのが、まさにクルミっ子。



ここで、日本の和菓子「浮島」という専門用語が出てきました。
思わず勉強のために、調べてみました。




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浮島

浮島は、お茶会などでも出される棹菓子で、蒸し菓子の一つ。
和菓子屋さんであまり見かけません。

浮島は別名「蒸しカステラ」とも呼ばれている。
浮島はあんをベースとした和菓子でもある。
しかも材料のほぼ大半があん。だからあんこ好きにはおすすめしたい和菓子なのだそうです。

名前の由来は、その形から来ています。

蒸すと生地がぽっこりと浮き上がります。浮き上がった部分が「水面にぽっかり浮かび漂う浮島」に見えるところから、名付けられたそうです。

勉強になりましたね。(笑)
まさに和菓子の世界、勉強中です!



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Dessert Kurumicco (デセール クルミッ子)¥850

サブレ生地でサンドされているのは、クルミッ子のキャラメル、ミルクチョコレート、プラリネをベースとしたムース。シェフの遊び心から生まれた、見た目はクルミっ子でも全く違うスィーツになりました。



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Montblanc Unique (モンブラン ユニーク)¥870

フランス産マロンペーストとクルミっ子のキャラメルで作ったクリームを、パートフィローに入ったあらく刻んだクルミっ子とヨーグルトアイスクリームの上にたっぷりと。



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Kurumicco Parfait (クルミっ子 パフェ)¥1000

これはガマンできず、思わず頼んじゃおうかなーと思った1品。
コーヒージュレ、チョコレートムースの上にローストしたクルミとサブレのパウダーを散らし、塩キャラメルとミルクのアイスを沿えて、クルミっ子をパフェとして再構築。まさにこのカフェでしか味わえないとっておきのパフェ。


このように、もう彼らの定番メニューの和菓子とはまったく別物。このカフェオリジナルのスィーツなのだ。このカフェも7店舗あるうちのこの本店にしか存在しない。

鳴り物入りで宣伝しているのもよくわかるような気がしました。

家に帰って、さっそく買ってきたクルミっ子を開封。

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キャラメルの味が濃厚で、濃い凝縮されたお菓子ですね。


今回、ひさしぶりに鎌倉にやってきた理由は、もちろん、この鎌倉紅谷表敬訪問なのだが、もうひとつミッションがあって、それは江ノ電の鎌倉駅にある「無事カエルくん」の写真を撮影すること。

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江ノ電鎌倉駅の線路のエンドにいるカエル。イベント時期には仮装していることもあるとか(笑)。
なんでカエルなのか? 

江ノ電利用客が無事「カエル」ことを祈って職員が設置したのがきっかけだそう。
現在では鎌倉駅美化プロジェクトに組み入れられ、年6回ほど模様替えを行っているのだそうだ。

鎌倉、江ノ電ファンにとって、この線路のエンドにいる無事カエルくんを後方から見据えて、この構図のショットを撮るのが慣わしなのだ。


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無事カエル。(笑)

このショットの江ノ電はぜひ旧型車両355型で撮りたかったんだが、いつまで待っても来ない。
駅員さんに聞くと、今日は355は端につながることはないという。

江ノ電車両もどんどん新型車両に切り替わっていって、355型がどんどん減っていくのはさびしい限り。やっぱり江ノ電といえば355型車両なんだよね。


(2019.6.16後記)
そして数か月後、江ノ電の鎌倉駅で、旧車両で「無事カエルくん」の撮影に成功。このアングルを旧車両で撮影したく、ずっと待っていたのですが、上記のようにまったく縁がなかったのですが、この寒い日、なんと3回も出会えました。(笑)


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鎌倉駅構内はすっかり秋模様。

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この江ノ電ショットを撮りたかったのと、駅構内をぶらぶら、鎌倉コロッケを食べたり、鎌倉ハムを食べたり。ひさしぶりの鎌倉なので、例の”かかんの麻婆豆腐”を食べたくて(それも今回の大事なミッションでした)、夜の開店が17時半からなので、ここからまたどこか出掛けるのも億劫なので、7時間もずっと駅構内で過ごして(ベンチに座りながら来る江ノ電と喧騒の人々を眺める。)、駅員の人に大層驚かれました。(笑)











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グルベローヴァさま、さようなら。 [国内クラシックコンサート・レビュー]

エディタ・グルベーロヴァは、2012年のウィーン国立歌劇場来日公演での「アンナ・ボレーナ」を最後に、日本での公演の引退を表明したとき、オペラの世界に参入するのが遅かった自分は、クラシック鑑賞人生の中でなんともやり残した感のある悔しさを味わった。

「コロラトゥーラの女王」「ベルカントの女王」の異名をとり、その圧倒的な歌唱力は、まさに世界最高のソプラノ。まさに40年以上もオペラ界のスーパースターとして頂点に立ち続けた。

そんな彼女の生の声を聴いたことがないというのは、オペラファンとして一生の傷が残ると考えた。

でも2年前に、奇跡ともいえるカムバックで日本にやってきてくれた。
その2年前のときにオペラ、オペラ・アリア、そしてリートというオペラ歌手で考えられるすべての公演を堪能できた。

神様からの贈り物だと感謝した。

じつに素晴らしかった。

そしていつかはこの日が来るとは思っていたが、今回の来日公演が正真正銘の日本最後のリサイタル。 

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日本最後とか言われてるけど、じつはオペラ界からも引退という話もある。

正真正銘の歌手人生からの引退。

でも最後、最後と言いながら、来年また最後の~という可能性も過去の事例からある。(笑)

これは自分の勘なのだけれど、今回のミューザ川崎、そしてサントリーホールでの公演で、グルベローヴァさまが公演が終わり、観客に最後の挨拶をしているとき、その手の振り方、そして表情ふくめ、これでもう本当にさようなら、という名残惜しさ、いわゆる哀愁が漂っていて、自分は、あぁ、やっぱり終わりなんだな、と直感で感じたことも確か。

奇跡のカンバックをしてくれて、3年連続で日本にやってきてくれた。

確かに潮時的なものも感じる。


ウィーン国立歌劇場、グランドボーン音楽祭、ザルツブルク音楽祭、ミラノ・スカラ座、コヴェント・ガーデン、メトロポリタン、ミュンヘン、ハンブルク、ジュネーブ、チューリッヒ、フィレンツェ、パリ、そしてベルリン。

まさに世界中の歌劇場で活躍してきた。

彼女の代表的な「魔笛」の夜の女王。「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナ、「リゴレット」のジルダ、「椿姫」のヴィオレッタ、そして「ランメルモールのルチア」のルチア、まさに彼女の代名詞「コロラトゥーラ」で世界中の大絶賛を浴びてきた。

そしてつぎに挑んだのが、ベルカント・オペラの世界。「清教徒」、「シャモニーのリンダ」、「夢遊病の女」、「連帯の娘」、「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」など当時としては珍しい演目を披露。

またドニゼッティの女王三部作はグルベローヴァが取り上げてから有名になった作品。

まさに、歌手人生の前半は「コロラトゥーラの女王」として、後半は「ベルカントの女王」としてオペラ界の頂点に立った。

ベルカント・オペラの中でも彼女が最も力を入れたのがベッリーニのオペラ。
彼女をずっと支えてきたナイチンゲール・クラシックス・レーベルに、このベッリーニの「夢遊病の女」、「ノルマ」、「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」、「清教徒」の4つの全曲録音を残している。

その全曲録音の中から名場面と狂乱の場を抜き出して、さらに2曲を追加したいわゆるベッリーニ・ベストというディスクがあって、グルベローヴァのオペラ・アリア集のライブ録音の中では、このディスクが1番素晴らしいと思っている。 


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ベッリーニの肖像~オペラ・アリア集 
グルベローヴァ

http://qq4q.biz/N6Rl


グルベローヴァと言えば、コロラトゥーラ技法やベルカント唱法ばかり取り沙汰されるけれど、じつはリート歌曲の世界もとても魅力的なのだ。彼女をずっと支えてきたナイチンゲール・クラシックス。そこから出されたシューベルト歌曲集はじつに素晴らしい作品、そして素晴らしい録音であった。2012年に出されたもっとも新しい作品で、歌曲王シューベルトの美しい歌曲を歌うことで、グルベローヴァの新しい魅力を引き出していた。自分の愛聴盤であった。 


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シューベルト歌曲集
グルベローヴァ、シュマルツ

http://qq4q.biz/N6QQ



そしてグルベローヴァの歌曲を語る上で絶対避けて通れないのがR.シュトラウスの歌曲。
1990年のベルリンでのセッション録音。レーベルはTELDECクラシックスで出している。

グルベローヴァは歌曲リートの分野では若いころからR.シュトラウスの作品に力を注いできていて、このCDも示すように彼女は有名でない曲も採り上げており、シュトラウスの多彩な歌曲の世界を世に知らしめた功績は、まさに彼女ならではなのだ。

グルベローヴァにとって、このシュトラウスの歌曲は、最も得意としている分野で、日本でもよく歌曲リサイタルをやっていた。

シュトラウス歌曲については、自分にとって大変な愛聴盤であった。 


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献呈~R.シュトラウス:歌曲集 赤いバラ/献身/なにも/他
グルベローヴァ


http://qq4q.biz/N6R8


このシューベルトとR.シュトラウスの歌曲集の2枚は素晴らしいセッション録音で彼女の違ったもう一面の魅力が満載なので歌曲大好きな自分にとってグルベローヴァのこの2枚のアルバムは聴き込んでいた。


今回の日本最後のリサイタル、まずミューザ川崎でのリート・リサイタル。

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グルベローヴァさまは、正直スロースターター。エンジンがかかるまでとても時間がかかる。
でも普通の歌手のコンサートも90%以上の確率で、大体スロースターターだ。やっぱり歌ものというのは、喉が暖まるまでどうしても最初はダメで、エンジンかかるまで時間がかかって、最後になって大いに盛り上がる。

最初は高音を出すのが苦しそうで、まったくといっていいほど、声が出ていなかった。

シュトラウス歌曲を5曲もやってくれた。
この頃から、徐々にエンジンがかかってきて、ようやくグルベローヴァさまらしくなってきた。

このミューザのリートを聴いた全般的な印象は、2年前に聴いたときに比べて、さらに衰えを隠せず、聴いていてツライと思うことも正直あった。

自分は、グルベローヴァのCDは、ほとんど全部持っている。1度、それを全部聴き込み、ディスコグラフィーの日記を書いたこともあった。いまはその音源を全部PCオーディオのNASにぶち込み、彼女の全アルバムをPCオーディオで、”ながら聴き”というスタイルでの楽しみ方をしている。

だから、自分は常にグルベローヴァの全盛期の極限に素晴らしい声を聴いて毎日を過ごしている。

そこに生演奏での実際の年齢に応じた声を聴いてしまうために、そこにギャップができて、衰えた、ちょっと残念、というようなファンとしてツライ感じになってしまうのかもしれない。



もともとスロースターターで安定するまで時間がかかる。
そしてなによりも彼女の声質はとても線が細くて、音程が安定するのにとても難しいハンデがある。

なによりもどのソプラノ歌手よりもキー(音高)が高い声質なので、余計に安定感を出すのが大変な印象を受けた。とても歌い方が難しい歌手なのだ。

全盛期、まさにオペラ界で独り勝ちしていた時代は、それこそ、そんな歌う上での技術的な難しさ、ハンデな条件をもろともせず、すべて跳ね飛ばすかのような持って生まれた資質で圧倒的なパフォーマンスを魅せ続けてきた。

歌手にとって一番大切なのは、自分の歌声がしっかりとホールの空間に定位すること。

御年72歳。やっぱり衰えは仕方がないにしろ、それでもこれだけのパフォーマンスを見せているのだから、脅威としか言えないだろう。

コンサート後半になっていくにつれて、観客をどんどん引き込んでいくさまはさすがだった。

彼女がエンディングに向けて、力を入れて歌い切った時、思わず観客は大歓声のブラボー。
もう無意識に発作的にそう反応してしまうのだ。
つまり、観客の気をずっと溜めて、そして一気に湧かせるツボを心得ている。
千両役者だと思った。

これこそ、40年間のキャリアの賜物。その経験があるからこそ、終演に向けて気持ちのボルテージの持って行き方、客の湧かせ方、盛り上げ方をよくわかっているというか、つまり我々は、グルさまに思う存分にコントロールされていたのかもしれない。

特に圧倒的に感じたのは、あの気の発し方、歌いながらのまさに役になりきった演技、表情の豊かさ、ステージの立ち居振る舞いのオーラなど、 あれは日本人ではまず出せんだろう。

絶対いまの歌手じゃ無理だと感じた。

長年に渡るキャリアの積み重ね、深さが自然とそういった立ち振る舞いにでるというか、なにかこう古き良き時代のオペラを観ているような感覚になる。

品格の良さがある。

力は衰えても、そういうすべてのパフォーマンスにおいて、グルベローヴァ健在!というのを見せつけられたような気がした。



そして最終日のサントリーホール。
この日は東京フィルをバックに、オペラ・アリア集。

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とっておきの最後の公演は、皇族VIP席。
2階RB 2列9番。
初体験であった。いつもここに陛下や皇太子さまが座ってるんだね。

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グルベローヴァさまは、歌うときのクセなのか、さかんにこちらの方向を見つめる傾向がある。
けっして右上ではなく、左上なのだ。

自分の意識過剰なのかもしれないが、ステージに登場した時の挨拶や、コンサートで歌っている最中、大半をずっと自分のことをじっと見つめているみたいで、思わず耐え切れずこちらが目を逸らしてしまうほどで、かなりドギマギしました。(笑)


ミューザでのリートリサイタルに比べると、この日のオペラアリアのほうが断然素晴らしかった。
やっぱりオペラアリアは盛り上がる。オケの大音量とともにそれに負けじと張り上げての大熱唱。だから絶対盛り上がるに決まっているのだ。

スロースターターなのは仕方がない。最初は例によってまったく声が出ていないのだが、徐々に喉が暖まってきてヒートアップしていく。

大体な印象は、さきほどミューザのところで書いたことと同じだが、もうひとつ言いたいのは、いまのグルベローヴァさまは、弱音表現での歌いまわしが苦手のような気がする。どうしても息絶え絶え感があって、苦しそうだ。

逆に、そこから強唱で声を張り上げるところ(特に曲の最終章)でのまさにツボに入った時の素晴らしさは圧倒的だ。グルさまの一番いいところが出る感じがする。

ピアノでもそうなのだが、強打腱で連打のトリルとかは派手だが意外とピアニストにとってやりやすく、逆にピアニッシモ(pp)のところ、弱くそれを長く弾き続けることは逆に違った意味で力が必要で大変難しいような気がする。

歌もじつはそれと同じなのではないか?声を張り上げるところは、まさに歌手の一番の見せ場でやりやすいのだが、弱声でずっと長いこと歌い続けることは、逆に肺活量が必要で、大変な見えない力が必要な気がする。

加齢とともに、そういう歌い方をするところは難しいような気がするのだ。

オペラアリアはとにかく絶対盛り上がる。

グルベローヴァさまの曲の終盤にかけての盛り上げ方はじつに千両役者で、1曲終わるたびにもうブラボーの大歓声だ。自分もずいぶん身震いして感動した。

アンコールでは、最後のこうもりのアデーレ役は、夜の女王と並んで、まさにグルベローヴァさまの有名な当たり役。じつに演技豊かな立ち振る舞いで、お客さんは大いに盛り上がった。

最高の公演だった。

いつまでも鳴りやまないカーテンコール。
そして花束のプレゼント。

最後の最後だからお客さんもエスカレート気味だ。
上階席のお客さんも、みんな1階席に降りてきて、ステージにかけよって握手攻め。
そして写真撮り放題。(笑)

係員の方も最初は注意していたが、もう大勢で撮り始め収拾がつかなくなった。
ホールの至る所で、カメラのフラッシュが炊かれた。(笑)

自分も久しぶりのカーテンコール撮影。ブランク空いていたのでやはり失敗。(笑)

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日本最後のリサイタルにふさわしい素晴らしい公演でした。

最後に楽屋口出待ちの写真を紹介してお終いにしよう。
事の全容は、前回の日記の通り。

まずミューザ川崎。
握手してもらいました。
ステージ上で見る分には大スターのオーラで大きく見えるのに、実際はとても小柄な方でした。

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そしてサントリー。
もう大パニック。

まさに「狂乱の場」(笑)

大変でした!

でも最後のお別れとして相応しい素晴らしいものでした。

もう二度とグルベローヴァさまの生声が聴けない、という絶望の淵から、奇跡の復活で、結局最晩年ではあるが、通算5回のコンサートを聴くことができた。招聘に参与していただいた方々含め、ここに感謝の意を評したい。

もうこれ以上思い残すことはないです。

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奇跡のソプラノ エディタ・グルベローヴァ 日本最後のリサイタル
2018/10/24(水)19:00~ ミューザ川崎

ソプラノ:エディタ・グルベローヴァ
ピアノ:ペーター・ヴァレンドヴィチ


第1部

ヘンデル:歌劇<<ジューリオ・チェーザレ>>より
     クレオパトラのアリア「この胸に息のある限り」

R.シュトラウス:8つの歌より第1曲「森の喜び」Op.49-1
        「最後の花びら」より8つの歌 第8曲「万霊節」Op.10-8
        6つの歌より第2曲「セレナード」Op.17-2
        8つの歌より第2曲 「黄金色に」Op.49-2
        「最後の花びら」より8つの歌 第1曲 「献呈」Op.10-1

ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」Op.410


第2部

ロッシーニ:歌劇<<セヴィリアの理髪師>>より
      ロジーナのアリア「今の歌声は・・・」

ベッリーニ:歌劇<<異国の女>>より
      フィナーレ「彼は祭壇にいます・・・慈悲深い天よ」

ピアノソロ:ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をテーマとした即興演奏

トマ:歌劇<<ハムレット>>より「オフィーリアの狂乱の場」

アンコール

プッチーニ:「蝶々夫人」より登場シーン

レオ・ドリーブ:カディスの娘たち

J.シュトラウス2世:「こうもり」より「田舎娘を演じるときは」




奇跡のソプラノ エディタ・グルベローヴァ 日本最後のリサイタル
2018/10/28(日)14:00~ サントリーホール

ソプラノ:エディタ・グルベローヴァ
指揮:ペーター・ヴァレンドヴィチ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

第1部

ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇<<こうもり>>序曲

ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」Op.410

ロッシーニ:歌劇<<ウィリアム・テル>> 序曲

ロッシーニ:歌劇<<セヴィリアの理髪師>>より
      ロジーナのアリア「今の歌声は・・・」

ヴェルディ:歌劇<<運命の力>>序曲

ヴェルディ:歌劇<<椿姫>>よりヴィオレッタのアリア「不思議だわ…花から花へ」

第2部

サン=サーンス:付随音楽「パリュサティス」より「ナイチンゲールと薔薇」

オッフェンバック:喜歌劇<<天国と地獄>>序曲

ベッリーニ:歌劇<<テンダのベアトリーチェ>>より
      「もし私に墓を建てることが許されても・・・」

サン=サーンス:歌劇<<サムソンとデリラ>>より「バッカナール」

トマ:歌劇<<ハムレット>>より「オファーリアの狂乱の場」


アンコール

プッチーニ:歌劇<<蝶々夫人>>より登場のシーン

レオ・ドリーブ:カディスの娘たち

ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇<<こうもり>>より「伯爵様、あなたのような方は」




 




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人生初めての楽屋口出待ち [雑感]

クラシック鑑賞人生において、いやその前のロック人生においても、楽屋口で出待ちするという行為は、プライドが許さないというか、抵抗感があるというか、自分で進んでやることは、まずなかった。

今回のグルベローヴァさまのリサイタルも当初は、そんなことはまったく頭になかった。
でも今回は日本最後のリサイタル、永遠のお別れだ。

当然日記を書くことは必須。

そうなるとやっぱり自分の日記で、写真がないのはあまりに寂しい。
かといって掲示板やホール空間ではあまりに味気ない。

やっぱりグルベローヴァさまが映っている写真がほしい。

でもいまや国内でカーテンコール撮影をするほどの勇気や精神力もなし。(笑)
残されたチャンスは、サイン会だ。最後のお別れだから、きっとやるに違いない。

そんな淡い期待を抱いて、リート・リサイタルを聴きにミューザ川崎へ出向いた。

さっそくレセプショニストの女性に聞いてみた。

そうするとサイン会は残念ながら、やりませんが、楽屋口で出待ちすると会えると思います、という回答だった。

楽屋口出待ち!!!

まったく想像だにしていなかったアイデア。
そうか!楽屋口で待っていれば、私服のグルベローヴァさまに会えるし、そういう貴重な写真が撮れるに違いない。

自分にとって初めての経験。
あれほどミーハーな感覚が嫌だったのに、まったく素直に受け入れた。(笑)
逆を言えば、私服姿のグルベローヴァさまを拝見できるので、かえってナイス・アイデアだ。

しかも確実に写真が撮れること間違いなしだ。
カーテンコールのように失敗する確率が多いリスクはない。

ミューザ川崎の楽屋口ってどこにあるの?
これは意表を突く迷路だった。

チケットセンターの右横の交流室の中に入っていって、トイレのある方向にまっすぐ突き抜ける。
かなり歩く。遠いところにある。


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こんなところに楽屋出口があるって、どれくらいの人が知っているのだろう?
一緒に行列に並んでいた人も口々にみんな同じことを言っていた。
知る人ぞ知る、という感じで、案の定、並んでいた行列は極めて少人数だった。

ここを通って、そしてエレベーターで地下に行って、そこの駐車場の車で帰路につく。
その駐車場前でも囲まれるらしい。

実際行ってみると、写真のようにサイン会をするようなテーブルがあった。
並んでいた行列の人々も、手にCDやサイン色紙など、もうサインしてもらうことやる気満々だ。

自分はまったく用意していなかったので、仕方ないので今日のパンフレットにサインしてもらおうと考えた。

着替えをして帰路の準備などで、かなり時間がかかるので、その間、行列で並んでいる人たちの世間話が否が応でも聞こえてしまう。

先だっての大阪なのか、数年前のサントリーのことなのかわからないけれど、サインの行列で並んでいるところに、グルさま自らプロマイド配ったりするもんだから(笑)、大パニックになって大変だったらしい。

グルさまらしいです。


そうすると係員の女性の方が、今日は疲れているのでサイン会はゴメンナサイ、ということで、急遽ここを通ったときにみんなに挨拶だけ、ということになった。

でもそのほうが写真が撮りやすいので助かった。(笑) サイン会だと顔を上げる瞬間を狙わないといけなく難しい。

ピアニスト(指揮者でもある)のペーター・ヴァレントヴィッチ、そして数人のガードマンに囲まれて、グルさまやってきた。

少人数にも関わらず、かなり半狂乱状態になった。

グルさまは、最終日のサントリーでもそうだったが、私服は原色系のVividなカラーを好む。

かなりお洒落です。

歓声で半狂乱の渦の中で、必死にシャッターを押す。

グルさまは予想だにしないくらい小柄な人だった。

ステージであれだけ大スターのオーラー放ちまくりですごく大きく見えるのだが、実際は、すごい小さい。みんなと握手。自分も握手してもらったが、手も小さかった。

一生の想い出だ。

あっという間に通り過ぎた。

隣に居た外国人の女性に、「いい写真撮れた?」と聞かれたので、実際のデジカメの連続写真を見せたら、親指立てて、「OH~Good!」(笑)

嵐が過ぎ去って、そこに、なにか訳ありげな初老の女性の方が、本当の最終でのサントリーでは、きちんとプロマイドを配りますから、というようなことを言う。

この人誰なんだろう?
いかにもグルさまの予定を詳しく知っているようで、なんか訳ありげだ。

サントリーの最終日のときに、閃いたのだが、じつはグルベローヴァさまのオフィシャルブログというものはないのだが、非公式のグルベローヴァ日程表というのがあって、非公式なんだけれど、かなり精度がよくて、グルさまファンの中では常識になっている。

自分の予想だけれどこの初老の女性や数人の取り巻きの方たちは、グルベローヴァ後援会の日本支部の方たちなんだろう、と思う。

あるいは、ここ3年間のグルさま来日公演の招聘元となったコンサートドアーズのスタッフとか?招聘元がそんなことしないか?(笑)

サントリーでの最終日のお見送りについても、このスタッフによる劇的な用意がなされていた。


サントリーホールの楽屋出口は、もう誰もが知っているのだろう。多くの友人が出待ちしている投稿写真を何回も見たことがあるので、みんなが知っている世間の常識なんだろう。自分は知らないが。(笑)

ダメ元でレセプショニストの女性に聞いたら、最終日でもサイン会の予定はない、という。

今日も楽屋口出待ちでのショットを期待するしかない。
でも世間の常識だし、今日は本当の意味で最後のお別れだから、たくさんのファンがかけつけること間違いなしだ。

サントリーの楽屋出口は、エントランスの左側に地下に降りていく階段があるのだ。
ちょうどポスター掲示板のすぐ後ろ側に位置する。


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そこからは、あとは迷うことなく、楽屋口という行先掲示板もあり、そのまま行く通り。

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そうすると目の前に駐車場が広がる。

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その駐車場の行く着く先にあるのだ。サントリーの楽屋口。
こんなところにあったのかぁぁあああ!(笑)

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その出口のすぐそばにワゴン車が止まっている。
グルさまはこの車で帰路につく。
出口とワゴン車の間は、わずかな短距離。
このわずかな距離ですべての決着をつけないといけない。

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ふっと自分の後ろを見てみると、ぎょぎょ!予想通り大行列ができている。
これは大変なパニックになることは予想できた。

逆に言えば、グルさまは、このわずかな距離を移動するだけなのに、後ろに並んでいるこれだけの行列の人はどうするのかな?とも思った。


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あのスタッフたちは、このサントリーにも現れた。
まずはグルさま特製うちわをみんなに配っていた。
後ろには、Danke Edita!(ありがとう、エディタ!)とプリントされている。

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これは、グルさまが出口に現れたら、みんなでこのうちわを振ってさようならをしようということらしい。これは写真を撮影するうえで、すごく邪魔だった。(笑)

そして星印の形をした紙吹雪も用意された。
これも一斉に降らせようというのだろう。

みんな口々に言っていた。
これ、降らせたあとに、後片付けどうするんだよ?(笑)みんなで掃除?

予想通り、グルさまが現れた瞬間、大パニックとなった。
こんな短い通路にこれだけの大勢が一気にかけ寄った。
うちわと紙吹雪がいっせいに空を舞い、金切り声の大歓声。

写真撮影、不可能。(笑)
報道カメラマンみたいに、カメラを空に上げて覗き込むように映す感じ。

グルさまは、すぐにワゴン車には乗らずに、みんなにお礼を言ったり、サインをしたりで十分にファンを喜ばせた。

いったんワゴン車に乗った後に、また降りて、入り口に戻ったりで何回も往復していた。
もうもみくちゃです。

ちょっと異様な雰囲気だったな。

自分も結局この日だけで95枚の写真を撮った勘定だが、97%以上がブレたり、表情が強張っていて使えなかったりで、結局いいショットは撮れなかった。

何分くらいのショーだったろうか・・・。
グルさまの車がその場を離れて、嵐は過ぎ去った。

その後、はい、並んでください~。プロマイドを配ります~、というスタッフの声。
枚数に限度があるが、自分はありつけた。


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約束通りのプロマイド、ゲット!
このプロマイドの下の方に、グルさまの直筆のサインが書かれているのだ。

本物だ。

Edita Grubelova 2018

とYear付の証明入りだ。

要は、サイン会をやらない代わりに、このプロマイドに事前にサインをして、それを配る、ということなのだろう。

そのほうが、グルさまの体力的にもいいかもね。

グルさまの常套手段なのかもしれない。

こうやって、グルベローヴァさまへの最後のお見送りが感動のうちに終わった。

楽屋口出待ちという行為に、ちょっと軽蔑的な考えも持っていた自分だが、グルベローヴァさまの日本最後にかこつけて、やってみたら結構楽しかった。(笑)

これから頻繁にやるかも?(^^;;






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