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江戸城天守を再建する会 [城]

「令和の築城、江戸城天守を再建する会」という動きがあるのを知った。


織田信長の安土城、豊臣秀吉の大阪城、そして徳川家康の江戸城が、戦国時代を代表する3大城であることは間違いない。城マニアからすると姫路城や松本城、名古屋城、そして現在修復中の熊本城と日本の名城はその他たくさんあるけれど、戦国時代の日本を統括したという権力を誇示した政治的な意味合いを持つ点では、この3大城の右に出るものはない。


信長の安土城、秀吉の大阪城は、いわゆる天守閣(信長の安土城だけ”天主”閣とよぶ)が存在して、子供の頃からその姿を眼にしていたので、馴染み深い。


江戸城は、いまの皇居がそうである。そのとき漠然とした感覚なのだけれど、江戸城って天守閣って存在したっけな?子供の頃から見たことないし、”江戸城の天守閣”というのは、自分の中ではなにか触れてはいけない、ずっと子供心に謎だった部分だったのだ。


ネットで調べればすぐに解決したことなのだけれど、それをせず、自分の中でずっとモヤモヤしたものを持ち続けたまま生きてきた。そこにマイミクさんの投稿で、その真実を知り、ネットで調べてみれば、あら不思議!すべての謎が解決してしまった。ずっと自分の中で謎の部分だった、そしていままで一回も眼にしたことのなかった「江戸城の天守閣」について、いろいろな文献を参考にしながら、わかりやすくその真実に迫ってみたい。



江戸城の天守閣は、初代家康・慶長12 年(1607)、2代秀忠・元和9年(1623 )、3代家光・寛永14 年(1637)と代替えごとに3度建築されている。特に3代将軍家光の代に江戸幕府の権威を象徴するわが国最大の寛永天守閣が完成した。


この5層からなる寛永天守閣を含め、本丸、二の丸、三の丸を含んだ江戸城の全体図が、江戸図屏風として存在しているのだ。


江戸城

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江戸城天守閣(寛永天守閣)

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屏風から見ても、その権威ある天守閣の姿は圧巻だ。

結局、江戸城の天守閣というのは、徳川幕府の最初の3代につき、その都度、建て替えられていたんだな。




江戸城の天守閣は、なにが一番特徴なのか?


すでに子供の頃から馴染みの深い安土城や大阪城の外観の特徴に対して、江戸城の天守閣はどういうところが特徴なのか?


それは、ずばり日本の歴史上、最も巨大な天守閣であること!その高さが最大であること!なのだ。
「日本最大の城」「当時の技術の粋を集めた、まさに「日本一の建築物」」。


徳川3代のうち、最も最大であった家光のときの寛永度天守の高さは約45m。天守台を加えると約58mになる。また、本丸の地面は標高20mのため、天守の頂点は標高約78m。高層ビルなどなかった江戸では、まさにそびえ立っていたことだろう。


江戸城天守閣(寛永度天守)がどれだけ巨大だったのか?がわかりやすい図。

”威容を誇示する天守の変遷”。こちらのほうが、その巨大さがよくわかるだろう。



天守閣高さ比較.jpg

 安土城天主      姫路城天守      名古屋城天守   江戸城天守(寛永度天守)



安土城天主、姫路城天守、名古屋城天守との比較である。

信長の安土城はこうやって歴代で比較すると小さかったんだね。

これは年代が進むにつれて、建築技術が発達して、どんどん大きくなっていったという変遷を意味している。


これだけでも十分なのだが、自分としては秀吉の大阪城が入っていないのが、どうしても不満。
大阪城と比較してどうなの?というのをどうしても知りたかった。


いろいろ探したらありました、大阪城との比較。
江戸城と大阪城の大きさの比較は、ほとんど変わらない感じ。江戸城のほうがほんの少し大きい(高い)感じだ。



江戸城の天守閣は、


慶長天守(1607年に完成、家康)→ その後解体
元和天守(1623年に完成、秀忠)→ その後解体
寛永天守(1638年に完成、家光)→ 1657年に焼失


が存在した。


家康が建てた初代の江戸城天守閣は白かった。
いままでの日本のお城というのは黒が基色。瓦屋根から壁に至るまで、まったく白いお城というのは当時としてはとても珍しかった。白鷺城の異名を誇る姫路城も白いが、初代の江戸城天守もそんな感じだったのだ。


そして、3代家光のときの寛永天守が日本最大規模の天守閣となった。



江戸城天守閣炎上(明暦の大火)

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三代将軍家光の嫡男家綱が四代将軍となって6年目のことである。明暦3年(1657)に江戸全体を焼き尽くす大火事があった。江戸城の天守閣が無くなったのはその1657年の「明暦の大火」による焼失のためだったという。江戸の城下町と江戸城のほとんどすべてを焼き尽くしたこの大火災でおよそ10万人が亡くなった江戸期最大の被害をもたらした。



すぐに江戸城天守閣の再建が計画された。
(以下、大江戸歴史散歩を楽しむ会:江戸城天守閣 文:渡辺功一さんより引用。)

でも幕府重臣・保科正之(秀忠の4男)は、天守閣の再建について、「織田信長が岐阜城に築いた天守閣が発端で、戦国の世の象徴である天守閣は時代遅れであり、眺望を楽しむだけの天守に莫大な財を費やすより、城下の復興を優先させるべきである」との提言で再建は後回しにされた。軍用に益なく、ただ観望に備えるだけの天守再建はこの際無用と、この保科の提言の根底に、これまで秀忠、家光と代替りのたびに、ともに父親との確執で天守を破却して、50年で3度建て替えるという愚挙を見かねて阻止したことになる。
                                                       
保科正之が天守無用論を唱えて40年後、6代家宣と7代家継に仕えた側用人の間部詮房と儒学者の新井白石は、正徳2年(1712)天守閣の再建計画を推し進めた。正徳2年10月、家宣の逝去で計画は中断、再度俎上に上がるが、正徳6年に7代将軍家継が没した。この間、新井白石らの失脚によって再構築に至らず、保科正之の提言を尊守すべく歴代将軍もこれに倣い継承されている。
                                   

わかりやすく、「なぜ江戸城に天守がないのか?」
(以下、江戸城に「天守」がないのは何故?再建に「待った」がかかった驚きの理由とは。文:堀口茉純さんから引用。)
                                                       
                                                      
そもそも、天守とは何か。端的に表現するならば、大きな櫓である。主な用途は、戦になったときの物見や武器庫、籠城の際の拠点として使うための建造物で、日常的な使い道はこれといってない。ただ、巨大な天守を持っているということは、巨大な軍事力・権力の証であり、徳川家に反感を持つ大名たちを牽制するためにも、家康、秀忠、家光の三代は天守を上げ続ける必要があったのだ。
                                                       
しかし四代・家綱の代になって内乱状態は沈静化し、大名統治のシステムも盤石になった。つまり、再び戦が起こる心配のない、真の天下泰平の世がやってきていた。そんな時代に、天守を上げて、軍事力や権力の誇示をすることが果たして必要だろうか? しかも、江戸城下が未曾有の災害で壊滅しかかっている非常事態に……。
                                                       
保科正之をはじめ、当時の幕閣たちがだした答えは「NO」であった。特に実用性のない天守に莫大な建設費や維持管理費を割くぐらいだったら、城下の復興・再建にあてようという英断を下したのだ。これは、徳川幕府による全国の統治の方針が、当初の軍事力にものをいわせた「武断政治」から、戦の心配がなくなったために、法や制度の充実によって社会秩序を安定させようという「文治政治」に移行したことを表わすものであった。
                                                       
家康が初めて江戸城に天守を上げてから明暦の大火まで、ちょうど50年。江戸は、真に平和な時代を迎えようとしていたことの証ともいえる。
                                                       
以降、江戸城に天守が再建されることはなかった。当時の人々にとっては、天守のない江戸城こそ、平和を実感する誇らしい風景だったのかもしれない。
                                                      
                                                      
結局、江戸城の天守閣って、徳川幕府の初代家康から15代将軍慶喜の時代までの中で、最初の3代の家康、秀忠、家光のときにのみ存在していて、明暦の大火で焼失してからは、江戸城には天守閣が存在しない時代がずっと続いていて、現在に至るんですね。
                                                      
明治維新のときに勝海舟や西郷隆盛による江戸城無血開城と言っていたのは、この天守閣が存在しない江戸城のことを言っていたのです。いや江戸城というよりは江戸の無条件降伏というニュアンスが大きかったのでしょう。
                                                                                                           
現在、皇室がお住まいになられている皇居は、自分の理解では、この天守閣のない江戸城なのだと思う。江戸城跡の大きなお堀はそのまま現存されていて、その江戸城が存在した一帯の地区がそうですね。
                                                                                                           
具体的には皇居東御苑です。一般公開されて誰でも散策することが出来ます。
自分は皇居には上京以来一回も行ったことがないので、一度訪れてみたいと思っています。
                                                    
                                                     
その天守閣がない江戸城に天守を再建しよう!という動きがあるのをご存知だろうか?
                                                      
自分も初めて知ったのであるが、
                                                      
NPO法人 江戸城天守を再建する会
                                                      
こういう組織が発足しているのだ。
                                                      
江戸城の天守を再建したい、という有志が集まって、クラウドファンディングで寄付金を募っている。彼らが再建を目指すのは、日本最大の天守閣であった寛永天守(家光)。
                                                      
「私たちは1657年の明暦の大火で失われた「江戸城寛永度天守」の再建を目指しています。」
                                                      
なぜ今、江戸城天守再建なのか?
                                                     
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上のHPで書かれている内容によると、
                                                     
①江戸城を観光立国のシンボルタワーに。
②歴史的建造物の再建は、世界の潮流。
                                                     
①江戸城を観光立国のシンボルタワーに。
                                                       
江戸城寛永度天守は、姫路城の面積で2倍、体積で3倍の規模で、日本で最も壮大で美しい木造建築の最高傑作であったといわれている。その国を代表する世界の大都市には、ロンドンのバッキンガム宮殿、パリの凱旋門、ベルサイユ宮殿、北京の紫禁城、ニューヨークの自由の女神などの歴史と伝統と文化の象徴というべきモニュメントがある。しかし、世界5大都市といわれる、東京には、この国の歴史と伝統、文化を代表する記念碑と言われるものが存在しない。
                                                                                                              
観光立国日本の首都東京に、江戸城天守を再建することは、歴史と伝統を代表するとともに、クールジャパンで世界を魅了する新たな日本の文化と技術を発信するためのシンボルタワーを建設することになるものと考えているのだそうだ。
                                                      
                                                       
②歴史的建造物の再建は、世界の潮流。
                                                       
2002年ドイツ連邦議会は、第2次大戦で破壊されたベルリン王宮を再建することを決議した。ポーランドの首都ワルシャワの市民は、第2次大戦で徹底的に破壊された旧ワルシャワ市街の街並みを粘り強い努力で昔のままに再現し、ユネスコはそれを世界遺産と認定した。
                                                      
このように歴史的な建造物を再建し、古い文化に新しい息吹を吹き込もうとする動きは、ヨーロッパのみならず、日本でも、いや世界各国でも、澎湃として湧き起こっている。江戸城天守の再建は、このような国際的にも普遍性のあるプロジェクトとして、世界が注目することになると考えているのだそうだ。
                                                       
そして彼らが作成したCGによる寛永度天守のときの江戸城天守閣。
                                                       
ネットからの拾い絵ですが、いろいろなショットを上げておきます。
                                                      
                                                                                                                 
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う~ん、微妙だなぁ。(笑)
                                                       
信長の安土城のような唐風・南蛮風の一種独特な奇異なデザインによるインパクト、秀吉の大阪城のように百姓から天下人になった証の天下のお城という威厳といった特徴と比較すると、江戸城天守閣はなんか地味。(笑)
                                                       
ただ日本最大の巨大な天守閣という特徴があるのみで、なんかデザイン的には、普通のお城とあまり変わらないような、あくまで自分の感性ではありますが。。。慣れてくると好きになってくるに違いありません。
                                                       
でもこれは、再建する会の方たちが勝手にデザインした意匠ではなく、寛永度天守の時代の設計図に乗っ取って作られたCGですから、昔がそうだった、というだけなのです。
                                                       
あと、そのHPの動画に江戸城天守閣の内部のCGもあったのですが、それを見ると天守閣内部は、ただの木造だけのデザインなしの素の状態です。安土城にしろ、大阪城にしろ、天守閣内部は権力を誇示するために、金の装飾、また当時の狩野一族の絵師による壮麗な襖絵で彩られている・・・そんなイメージがあります。天守閣を建てたはいいけれど、その内部の装飾をどうするのか?当時の記録がないし、それにさらに予算がかかると非常に難しい問題になるような気がします。
                                                                                                              
この「江戸城天守を再建する」という目的は、観光立国が第一目的だったので、当初は2020年の東京オリンピックの年に完成させることが目標だったようです。でもやっぱり予定通り行かず、2020年からスタートという足並みの遅れ。
                                                       
いま日本は東京オリンピックの準備で莫大な予算含め、オリンピック・ファーストですよね。江戸城天守を再建している場合ではないです。(笑)
                                                       
実現は、やはり寄付金で全部賄えることが前提というところになりますでしょうかね?
もし少しでも国のお金、税金を使うという事になると、幕府重心だった保科正之時代の意見「天守無用論」が、起こるような気がします。そのようなものにお金をかけるなんて!という輩の声は絶対出そう・・・。
                                                       
でも自分は江戸城天守が欲しい論者です。(笑)
やっぱりそのほうが夢があります。
                                                      
東京にそういう新しいシンボルが出来れば、毎週でも通っちゃう。
近いうち秋ごろに秀吉の大阪城を訪問する予定ですので、西にそういう大きなシンボルがあるなら東京にも欲しい。
                                                       
あと信長の安土城も再建してほしいです。
                                                       
この3武将のお城天守が現存したら、日本史好き、城マニアの自分にとってはもう言うことないです。
                                                       
江戸城天守の再建は、予算の問題だけでなく、建築の作業要員の確保の問題もありますね。
                                                      
「江戸城天守を再建する会」、とりあえずツィッター登録しておきました。(笑)
                                                      
                                                      
                                                     
                                                     
                                                       
上の日記に記載されている江戸城天守閣に関する記載内容は、以下の情報元からの引用になります。
こちらにより詳しく記載されていますので、ぜひご覧になってください。
                                                                                                                                                         
大江戸歴史散歩を楽しむ会:江戸城天守閣 文:渡辺功一さん  
                                                                                                                                                      
江戸城に「天守」がないのは何故?再建に「待った」がかかった驚きの理由とは。文:堀口茉純さん
                                                                                                                                                        
                                                                                                                                                      
                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                       
                                                                                                                                                      
                                                                                                                                                       
                                                                                                                                                         

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心に響いた村上春樹さんのエッセイ集 [雑感]

村上春樹さんのエッセイ集を読む機会があった。 



村上春樹のつぶやき.jpg


きっかけは、年初のスランプのとき。

深い井戸に潜み、しっかりと孤独の相を体験しないといけなかったその試練のときに、村上さんのエッセイは心に染みた。

というよりは、心にグサっと刺さる感じで、自分にとても響いた珠玉の言葉の数々であった。

その代表的なエッセイを紹介しよう。
そのときに、自分が感じた想い、印象などを同時に紹介しながら。。。

もちろんこれらのエッセイ、発言は、時系列的にいろんな時期に発言された寄せ集めに過ぎず、いまの自分に向けて発せられたものではないのだが、偶然読んでみると、いまの自分にズバッズバッと切り込んでくる鋭さがあって、読んでいて、もう心が痛いのだ。(笑)



「世の中で何がいちばん人を深く損なうかというと、それは見当違いな誉め方をされることだ。そういう誉め方をされて駄目になっていった人をたくさん見てきた。人間って他人に褒められると、それにこたえようとして無理をするものだから、そこで本来の自分を見失ってしまうケースが少なくない。」


これは響きましたなぁ。(笑)まさに痛いところを突かれたという感じで、ちょっと自分が恥ずかしい気持ちになってしまったことも確かです。1番自分に響いたセリフでした。


「ときに孤独になることも人間にはとても大事なんです。孤独というのは人の心を鍛えあげます。自分自身と正面から向かい合う機会を与えてくれます。でもあまり孤独が長く続きすぎると、それはときとして人を蝕みます。そのへんの兼ね合いがなかなかむずかしいんです。」


自分は、自分を高みに持っていくには、やはり孤独がいいと思っている派なので、これはよく理解できます。でも仰るとおり、いつも孤独だと、やっぱり精神的にしんどいです。適度のガス抜きが必要ですね。家族がいても、1人でいる時間を大切にする、ということに通じますね。


「ときとして人には「失われた時期」があります。そこでいろいろなものが失われていきます。たとえば時間とか、可能性とか・・・。でもそのときに失われたもののことを考えるのではなく、むしろそこで得たもののことを考えるのが大事なんじゃないかと僕は思います。」


年初のスランプのとき、いままで積み上げてきたものを一気に失いましたが、その井戸の中で、孤独でいることを欲し、そこで瞑想しているときに、自分の希望となった言葉です。


「僕は最近切実に感じるのですが、人間というのは進歩はできるけれど、どれだけがんばっても、結局のところ自分以外のものにはなれないですよね。僕はそんなに大した人間じゃないですが、小説家として一生懸命小説を書いているし、書くという行為の中で、何とか自分を超えたものになろうとはしています。」


これはややもすれば妄想気味で毎日緊張と恐怖に怯えていた自分に対して、「分相応」という言葉を突き付けられた強烈にグサっときたセリフです。


「結局のところ、自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。他人がやってくれるものでもない。そして欠落を埋めるには、その欠点の場所と大きさを、自分できっちりと認識するしかない。」

これは人生を生きていくうえで、社会を相手に歩んでいく上で、とても大切なことです。これはグサッと胸に刺さるというよりは、自分も確かに、いままでそうやってきた、と再認識したことですね。


「回り道のない人生は、往々にして深みのない人生です。僕も僕なりに、回り道をしました。でも回り道をしなかったら、今こうして小説なんか書いていなかったんじゃないかな?」

これだけは、唯一自分では人生の経験がまだまだ浅いと思うところ。結局、ずっと電機メーカー一筋の人生だからね。夢中になることは、いろいろ変わったけれど、人生そのものの大きなところは安全なレールの上を歩いてきた、といえるかもしれない。


「僕は本当に「個性的」な人を何人か知っていますが、「個性的」であるというのは病と同じで、本人にとってはけっこうきついだろうなと思います。」


いままで自分がユニークである、ということに全く自分では気づかなかったし、いまでも普通だと思っているのですが、「個性的」であることを意識して演技する人はツラいでしょうね。それは本当の自分じゃないですから。


「僕の経験からいえば、僕らの人生において知識がいちばん身につくのは、金がなくて暇がある時期です。」

ハイ。いまの私がそうです。(笑)知識バンバン身につきます。(^^)


「どこにも属することなく一人でやっていく人に、僕はいつも連帯感を感じています。」


村上さんがボクに直接そのように言っているような気がしてならないセリフです。(笑)


「スコットフィッツジェラルドが娘にあてた手紙に「人と違うことを語りたければ、人と違う言葉で語りなさい」と書いています。これは僕の座右の銘になっています。」

村上春樹さんが敬愛する外国の小説家としてスコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーパー、トルーマン・カポーティの3人がいるのだが、その中でもスコットフィッツジェラルドが最も影響を受けてお好きなようだ。ボクも将来読んでみたい。

そのスコットフィッツジェラルドの言葉。ドキッとする言葉です。ぜひボクの座右の銘にもしたいです。


「人生においていちばん深く心の傷として残るのは、多くの場合、自分が誰かに傷つけられたことではなく、自分が誰かを傷つけたことですね。そのような思いは、ある場合には亡霊のように、死ぬまで重くついてまわります。」

これはすでに経験済み。(笑)二度と同じ過ちを犯さないように心がけています。



「調子の悪いときは悪いなりに、自分のペースを冷静に的確につかんで、その範囲でなんとかベストを尽くしてやっていくというのも、大事な能力才能のひとつであろうと思う。そんなに無理をしないで、首をすくめてこつこつしのいでやっていれば、そのうちにまた少しずつ調子は戻ってくるのだから。」


この言葉にも自分は大きく救われました。人生ラッキーなことが続いた後は、必ずその揺り戻しというのがあるそうですから、まさにいまは自分にとって波が悪い我慢の時期。そのときに、このセリフに巡りあえて救われた気持ちになりました。


「人生というのは「ひとつの愚かしさのフェーズ」から「べつの愚かしさのフェーズ」への移行でしかないような気がします。ですから過去のご自分の愚かしさはあまり気になさらない方がいいと思います。」


ありがたいお言葉です。自分の人生、まさに愚かしい、後悔先に立たず、というような体験ばかりでしたから。


「「一に健康、ニに才能」というのが僕の座右の銘である。なぜ「一に健康」で「ニに才能」かというと、単純に考えて健康が才能を呼びこむことはあっても、才能が健康を呼びこむ可能性はまずないからである。」

これは、まさにそう思います。自分は持病があるので、尚更、病気と上手に付き合っていかないといけません。健康あっての才能ですね。


「それで僕は言いたいのだけれど、結局のところ、あなたはあなたの「良いところ」で勝負をするしかないですよね。まずそれをみつけて下さい。そしてその「良いところ」を相手に向けなさい。単純なアドバイスですが、それしかありません。」

このセリフはおそらく就活生の質問に対して答えた内容だと思うのですが、なんか妙にいまの自分の状況にがっちり嵌るんですよね。(笑)ものすごくドキッとしました。


「人生の変わり目はだいたいにおいて、向こうからあなたを選びます。あなたが選ぶことはほとんどありません。ほんとに。」

村上さんが小説家になるきっかけだったのは、知人から「村上君、小説でも書かないか?」という何気ないお誘いがあったからだそうです。自分の運命はなにがきっかけになるかわかりませんね。



こういうエッセイって、自分に響く言葉に出会ったりすると、本当に人生の宝物のような感じがするものである。

いま村上春樹さんの小説を、全冊制覇すべく、片っ端から読破しているのだ。
ご本人のお言葉によると、村上小説の主戦場は、長編小説に置いているそうなので、まずはその長編小説から読破している。

暇のある時間を見つけては読み繋いでいってのスローペースだが、3冊の長編小説を読破した。
いま4冊目だ。

村上小説を読み始めてから、じつに奇妙なことが起こるのだ。

それは、自分の人生に関わってきた、あるいは現在もつながっている人が、次々と小説の中の登場人物として出てくることなのだ。わずか3冊なのだが、かなりの人数出てくる。

思わず笑ってしまうのだ。

登場人物であったり、ホテル名だったり、いろんなシチュエーションで登場する。

ゴローさんも出てきました。(笑)

「海辺のカフカ」という小説に出てきます。長野県松本市とともに。(笑)

時系列的に言えば、村上小説のほうが先に書かれたものであるから、自分の人生が、村上小説の通りに歩んでいるということになる。読んでいて、あっこいつが出てきた。あっ今度はこの方が出てきた・・・みたいな感じで正直薄気味悪い感じもするのだ。

なぜ、いい気分ではないか、というと、そういう因果な繋がりがある関係だと、自分の未来もそこに書かれているような気がして、怖くて読み進められないのだ。

それだけ因果性の一致というか、なにかあると思います。ほんとうに。

いま4冊目の長編小説「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでいますが、まさかあの方が登場するとは思ってもいませんでした。しかもあんな形で。。。思わず笑っちゃいました。




理系人間だったので、読書といっても自分の仕事、趣味に関する専門書が大半で、小説を読むなんてことは、ほとんど縁のない人種だった。子供の頃に星新一さんのショートショートや、司馬遼太郎さんの歴史小説を読んだくらいの記憶しかない。


「文学の世界を理解する。」


これは日本語の表現の美しさや文学表現の面白さなど、その奥深さを感じ取っていて、面白いと思っているところだ。

しかし、人生55歳になってからは、あまりに遅すぎたか。

いや事始に遅すぎるということはない。

村上さん言うところでは、本は浴びるほど読まなければダメだ、ということ。スポーツ選手が走りこみをすることで、基礎を築きあげるのと同じで、文学については、できるだけ、たくさんの本を読んだほうがいい。

そして自分の人生を救ってくれる運命の1冊に出会えることがあれば尚更いうことはない。

「いつまでも自分の心を打ち続ける一冊の本を持っている人は幸福である。かくのごとき貴重な人生の伴侶がいるのといないのとでは、長い歳月をとってみれば、人の心持ちに大きな違いが出てくるはず」。。。なのだそうだ。



これから人生後半の晩年になるが、本を読んでいくという作法を自分の日常生活に取り込むことも悪くない。












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スイス・ロマンド創立100周年コンサート [国内クラシックコンサート・レビュー]

スイス・ロマンド管弦楽団というのは、数学者のエルネスト・アンセルメという指揮者によって創設されたスイスのオーケストラで、じつに半世紀に渡って、アンセルメが実権を握り、アンセルメの楽器とまでいわれたオーケストラでもあった。

まさにスイス・ロマンドを一躍有名にした指揮者であり、その要因は、英DECCAレーベルと録音をかさねた膨大な数々のLP。

まさに”ステレオ録音”の先駆けの時代で、DECCAに於ける”はじめてのステレオ録音”ということを具現化していき、このDECCA録音でアンセルメ&スイス・ロマンドは、まさに世界的な名声を得たのである。


その膨大なライブラリーを録音した会場が、スイス・ジュネーブにある彼らの本拠地のヴィクトリアホール。


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ヴィクトリアホールでのアンセルメ&スイス・ロマンドのDECCA録音


1960年代のステレオ録音は、目の覚めるような鮮やかな管楽器、濡れたように艶やかな弦楽器といったいかにもハイファイ・高解像度を感じさせる、録音マジックと言って過言でないものだった。

1960年代の半ばに、レコード人気を背景に来日公演を行っていて、東京文化会館でその演奏に接した音楽評論家の高城重躬さんは、レコードで耳にするのとは全く異なって 普通のオーケストラのサウンドだったと記され(笑)、 DECCAのレコーディング・マジックによって「創られたサウンド」だと解説した。 つまり「レコードは、生演奏とは音色・バランスが違う」、「これぞマルチ・マイク録音だ」という例えにされたわけだ。

アンセルメ&スイス・ロマンドを語る上では、オーディオファンにとっては絶対避けては通れない神話である。その秘密は、単にDECCA録音チームによる録音技術のほかに、ヴィクトリアホールの構造上の秘密があるに違ない、といまから4年前に現地ヴィクトリアホールを体験してきた。


それはステージ後段にある雛壇にある。

という結論に達した。

そんな膨大なアンセルメのDECCA録音は、当時のLPではなくCD-BOXとして所有していて、一気に聴き込んで日記にしてみたいとも思うのだが、なかなか時間が取れず。時折、アンセルメの名盤、ファリャの三角帽子を聴くくらいである。

いまではスイス・ロマンドといえば、山田和樹氏によるPENTATONEの新譜を聴くほうが主流である。

スイス・ロマンド管弦楽団も今年で創立100周年を迎える。
日本でも全国的なツアーを組んで大々的なプロモートをおこなった。

そんなスイス・ロマンドにも大きな変革の期を迎えた。

なんといっても日本で東京交響楽団(東響)でお馴染みのジョナサン・ノットが音楽監督に就任したこと。そしてBプロの方では、自分の注目株の辻彩奈さんがソリストとして迎えられること。

ここにあった。 


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ジョナサン・ノット 


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辻彩奈


辻彩奈さんは、まだデビューしたての新人で、海外オーケストラと同行してツアーするのは、今回が初めてということで、相手がスイス・ロマンド(OSR)というのは、演奏家人生の上でもとても貴重な経験だったに違いない。


ツアーは、日本ツアーの前にまず本拠地のヴィクトリアホールでおこなわれた。



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ヴィクトリアホールの前での辻彩奈さん
(c) スイス・ロマンド(OSR) FB


いいなーいいなー。

ヴィクトリアホールってレアなホールだから、演奏家としてこのホールのステージに立てるというのはなかなか貴重な体験だと思います。なかなかそんなチャンスは巡ってこないと思います。

素晴らしい経験でしたね。

日本ツアーでは、自分は東京芸術劇場の公演を選んだ。

辻さんに花束の歓迎。

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スイス・ロマンドといえば、フランス語圏のオーケストラで、得意とするレパートリーは本当にアンセルメ時代からの財産もあり、なんでもこい、という感じなのであるが、自分の公演ではメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」であった。

いわゆるコンサート定番中の定番の選曲で、正直もう少しスイス・ロマンドらしい、彼らじゃないと聴けないような選曲がよかったかなぁ、という想いはあった。

まずは辻彩奈さんのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。

辻さんは期待の新人ということで、ずっと注目していて、敢えてほかの公演には行かず、この公演で初めて聴かせてもらう、ことにしていた。

自分の期待を裏切ることなく、じつに素晴らしいヴァイオリニストで、将来嘱望されたその溢れんばかりの才能は見事であった。けっして美人ヴァイオリニストの上品な域で留まるのではなく、もっと個性的で土の臭いがしてきそうなワイルドな奏者だという認識も、まさに自分の予想通りであった。

自分はメンコンは、比較的インテンポのスタイルで聴く機会のほうが多いのだが、辻さんのは、非常にスローテンポで随所にタメを効かせた感じのテンポの揺らぎを感じることが多かった。

特に第1楽章のカデンツアでは、こんなにスローな展開で静謐の中でじっくり聴かせるスタイルはいままで聴いたことがなかった。

全楽章通じてよく歌っていて、数えきれないくらいこの曲を聴いてきた自分の感性にとっても、まったく違和感なく受け入れることができたし、まだ21歳とは思えないその堂々とした演奏ぶりには、かなり貫禄があり、驚いた。

ただ、素晴らしいことは間違いないけれど、いまが完成形かというと、自分はまだまだ伸びしろがあると思う。

様式感やフレーズ感、音程感や定位感、などまだまだ途上段階だと感じるし、磨き上げる、完成度をあげる余地は十分にあると思う。

あと、大事なことは、これが自分の演奏スタイル、というのを確立することですね。

だってまだ21歳ですよ。超一流のヴァイオリニストと呼ばれるだけの定位感ある演奏には、やっぱりここ何十年、これから10年、20年、30年というキャリアを積んで経験を重ねることで、それらは年輪のように積み重ねられ、自分を作っていくものだと思います。

またこれからたくさんの曲をレパートリーとして自分のモノにしていくことで、その表現力の豊かさ、これが自分の演奏スタイル、というものが確立されていくのだと思います。

それだけの大物になることは、まちがいなく、”いま”その才能を持ち合わせているので、末は恐ろしい奏者になる、という絶対的な確信は自分にはある。

本当に素晴らしい奏者ですね。




後半のマーラー交響曲第6番「悲劇的」。通称マラ6。

この曲は、自分にとってはラトル&ベルリンフィルのときで、すでに完結している曲。(笑)
この曲をスイス・ロマンドで聴くとは夢にも思わなかったが、じつに素晴らしかった。

4年振りに聴くスイス・ロマンドの音は、弦楽器が厚く、柔らかくて色彩感ある、まさにフランス語圏のオケだよなぁという印象であった。現地で聴いたときよりもアンサンブルの精緻さは数段上のように感じてレベルが高かったように思う。

たぶんノットのおかげなのでしょうね。

スイス・ロマンドは、どちらかというとこういう大作の作品よりも、もっと小ぶりでメロディの優雅な作品を演奏させるととても魅力のあるオーケストラなのだけれど、このような大曲も堂々と演じ切り、彼らの底力を見せつけられた感じだ。

本当に4年前より数段レヴェルアップしている。

オーケストラとしての発音能力にも長けていて、自分は1階席の中ほどやや前方で聴いていたのだが、見事な大音量で、満足のいくものだった。あの狭いうなぎの寝床のヴィクトリアホールであれば間違いなくサチっている(飽和している)レベルだと思う。

マラ6は、第2,3楽章を従来形式のスケルツォ~アンダンテの順番で演奏され、第3楽章のアンダンテはまさに究極の美しさであった。

ジョナサン・ノットは東響時代を含め、本当に数えきれないくらいその指揮を体験してきたが、東響とは違うもうひとつの自分の手兵を手に入れている喜びというか、そのふたつを思いっきり楽しんでいるような感じだ。

ノットの指揮は素人の聴衆である自分にとっても、とてもわかりやすく、非常に細かくキューを出すタイプ。少なくとも一筆書きの指揮者ではない。指揮棒を持たない左手の使い方がとても細かく複雑で、指揮棒の右手とあわせて、本当に細かく激しく動き、そして、それが曲の旋律、拍感に合せて、じつにぴったりと合っているので、見ていて酔わないというか、気持ちいいのだ。

指揮振りの手の動きと、曲の旋律、拍感が合わないと、見ている聴衆側は酔ってしまいます。(笑)


少なくともいまのスイス・ロマンドは、完全にノットのオーケストラとして機能している、掌握していることがよくわかる演奏だった。スイス・ロマンド管弦楽団に拘りのある自分にとって、ジョナサン・ノットという素晴らしい才能、そして日本でもとても馴染み深い指揮者にシェフになってもらって、本当に安心というか、ここしばらくは安心して任せていられそうだ。


そんな安堵感、信頼感を確認できた演奏会であった。

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(C)KAJIMOTO FB






東京芸術劇場 海外オーケストラシリーズ
ジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団

2019年4月13日(土)14:00~ 東京芸術劇場コンサートホール

指揮:ジョナサン・ノット
ヴァイオリン独奏:辻彩奈
管弦楽:スイス・ロマンド管弦楽団


メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64

ヴァイオリン・アンコール~
J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ短調
BMW 1006より”カヴォット”


マーラー交響曲第6番 イ短調









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東京・春・音楽祭「さまよえるオランダ人」演奏会形式上演 [国内クラシックコンサート・レビュー]

さまよえるオランダ人は、7年前の2012年の3月に新国立劇場のオペラを見ている。


ちょうどそのとき、ヤノフスキ盤も発売になった頃で、それがあまりに優秀録音で、ヘビーローテーションだったこともあり、そのタイミングでオペラも公開になったことから、その当時一気に自分の中でオランダ人フィーバーだったのだ。

特にオペラを観るにあたって、いまと違い(笑)、まじめだった当時は、徹底的に勉強していったので、予習素材を何本も観て備えて行った。

その結果、自分がこのオペラに対して達観した内容は、

・通常のオペラだと全幕の長い期間の中で、音楽的に山谷があるのが普通なのだが、このオペラは、全幕通しで素晴らしい旋律が維持される。

・合唱陣が大活躍する。

・女声が少なく、男声が多い。

という理解だった。

2015年にも新国でオランダ人のオペラをやったようだが、自分は行かなかった。

今年の東京春祭でオランダ人をやるということで、7年振りにオランダ人を聴いてみた。
予習したときに、急激に忍び寄る老いのせいなのか、ここが大事な二重唱、三重唱で、ここが水夫の合唱など、すぐに勘が戻らず、なかなか自分のものにできなく焦った。

なんとか本番までには間に合ったようだ。



今年で、15年目の東京・春・音楽祭。
まさにこの音楽祭の季節になると、春の到来を感じる、すっかり上野の風物詩になりつつある。


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最初は東京のオペラの森としてスタートして、東京・春・音楽祭に冠が変わったのだが、東京のオペラの森時代に小澤征爾さんのエフゲニー・オーネギンのオペラを観た。そして、2012年あたりから、東京・春・音楽祭に毎年通うようになった。

15年目を祝して、いろいろな展示があった。

15年前の2004年から、今年の2019年までの鏡割りの鎮座。
音楽祭オープン初日の日に、これを鏡割りするんですね。

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これも15年前から音楽祭のパネルに、出演者のサインが書かれているもの。ずっと15年間保持してるんですね。

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今年は、思い切って4階席を取ってみた。

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東京文化会館は、5階席、4階席の上階席の方が音響がいいという話があって、自分の耳で確認してみた。

結論は、確かにバランスのとれたいい音響だと感じた。音の流れが上にあがってくる傾向にあり、またステージ全体を俯瞰できるので、音響バランスが整っていて、オケの前列、中列、後列による位相差をあまり気にせず、バランスが綺麗に整っている感じだった。これだけの上階席なのに、かなり明瞭な実音に聴こえるので、音が上に上がる傾向にあるのだろう。

でも、直接音の迫力、腹にずしっと響いてくるエネルギーなど前方の席のほうがやはり自分には気持ちがよく、また歌手の声も前方席にいるほうが感動の度合いが大きい印象を受けた。好みの問題ですね。

来年は最後の有終の美を飾るトリスタンとイゾルテ。従来の前方かぶりつきに戻りたいと思います。

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ブリン・ターフェル

                                                                                                       

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リカルダ・メルベートと指揮者ダーヴィト・アフカム

(c)東京・春・音楽祭FB


さて、本題の「さまよえるオランダ人」演奏会形式。

自分の予想通り、合唱がとても迫力があって、自分にとって、このオペラの最大の魅力に感じた。
第1幕、第3幕の水夫の合唱の男声の迫力があまりにすごくて、もう自分はこれだけで本懐を遂げたような気がした。第2幕の女声による糸紡ぎの合唱もこれまた清廉潔白さの純真さを感じる美しさ。

毎年大絶賛するのだけれど、東京オペラシンガーズは本当に素晴らしいと思います。
まさに日本最高レベルの合唱団ですね。

独唱ソリストのほうでは、オランダ人のブリン・ターフェルが見事なバス・バリトンぶりで魅力的な歌唱を披露していた。ブリン・ターフェルは、自分の場合はDG SACDでよくお世話になっていて愛聴していたが、実演を聴くのは初めてかもしれない。演技力が素晴らしく、発声に説得力があり、存在感が秀でていた。

なんでも、この公演の後の数公演でワーグナー歌いからは引退する、という話もあるようなので、彼の最後の勇姿を観れてよかったと思う。ブリン・ターフェルといえばオランダ人なのだから。


ヒロインのゼンタのリカルダ・メルベートも大熱唱だった。女声の少ないこのオペラでは、唯一の大活躍するヒロインなので彼女の出来がこのオペラのできを左右する重要な役どころだった。素晴らしい熱唱ぶりで、その役への成りきり方が半端ではないほど完璧なので、公演後に調べてみたら、ゼンタを歌わせたら右に出る者はいないというほどの18番中の18番の歌い手であった。

ヤノフスキ盤のゼンタも彼女メルベート。そして聖地バイロイトや新国オペラのときのゼンタもメルベート。

後で納得した。

声量、声質と問題なく素晴らしいのだが、この日はなぜか自分は、彼女の声がきちんとホール空間に定位していないことに、不満を持ってしまった。定位感がないのだ。素晴らしい歌手はかならず自分の声が空間に定位する。

う~ん、これだとヤノフスキ盤のゼンタのほうがいいかな?とも思ったが、実は同一人物だとわかって、この日の調子が絶好調ではなかったかも?とも思ったり。。。

いや、聴いていた聴衆のみんなの95%以上は、メルベートを大絶賛していたので、ちょっと他人と聴きどころ、感性が違う自分が変わっているだけなのでしょう。(笑)

見事なゼンタを演じていたのはまぎれもない事実、素晴らしかったです。


エリックを演じたペーター・ザイフェルトも素晴らしかった。ゼンタに恋する青年にしては歳を取り過ぎだが(笑)、とても甘い声質のテノールで、声量も十分。聴いていて、じつに素晴らしいなぁと感心していた。

特に第3幕のオランダ人、ゼンタ、エリックとの三重唱は、まさに圧巻だった。

聴衆もそのことをよくわかっていた。エリックのザイフェルトはカーテンコールのときは、人一倍大きなブラボーと歓声をもらっていた。自分も納得いくところだった。

ダーラント船長を歌う予定だったアイン・アンガーの急遽の来日中止は痛かった。アイン・アンガーって、この春祭のワーグナーシリーズでは、いつも本当にいい仕事をする人で自分は密かなるファンだったりした。いつも安定した歌いっぷりの歌手なのだ。

でもその急遽の代役のイェンス=エリック・オースボーがそのハンディキャップをはねつけるどころか、それ以上の有り余る素晴らしさだった。まずその声質、声量が見事なバスバリトンの豊かな才能で、歌唱力もみごと。これは素晴らしいなぁと思い、自分はうれしくなってしまった。急な依頼で準備する時間もほとんどなかっただろうに、なんか特別賞をあげたい気分です。


以上、独唱ソリストは、まったく問題ない素晴らしいできで、これまた素晴らしかった大活躍の合唱と合せて、最高の歌手陣営となった。

あとは、N響の演奏。

正直第1幕の出だしは、いまひとつ調子が出てない感じで、金管も不安定な感じだったが、第2幕、第3幕で徐々にエンジンがかかってきて、機能的にもよく鳴っていたと思います。去年のローエングリンより、オケとしての鳴りっぷりはよかったと思いますよ。

指揮者のダーヴィト・アフカムは、まだまだ若いし経験不足かなと思うこともあるが、将来有望な指揮者であることは間違いない。

また毎年大不評のオケ背面にある映像投射。今年は、座礁するオランダ船、荒れた海、そして第2幕の糸紡ぎのアリア背景など、オペラ形式の舞台装置の役割を果たしていたように思え、例年の意味のない映像より(笑)、ずっとまともであるように思えた。


今回の公演は、「さまよえるオランダ人」を自分が聴いてきた中で、独唱ソリストの素晴らしさ、合唱の大迫力からして、そして総合力からしても過去最高レベルのオランダ人だったと言っても過言じゃないと思う。


それだけ素晴らしい感動だった。


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(c)東京・春・音楽祭FB






東京春祭ワーグナーシリーズ Vol.10
「さまよえるオランダ人」演奏会形式/字幕・映像付
2019/4/5(金)19:00~ 東京文化会館大ホール

指揮:ダーヴィット・アフカム

オランダ人:ブリン・ターフェル
ダーラント:イェンス=エリック・オースボー
ゼンタ:リカルダ・メルベート
エリック:ペーター・ザイフェルト
マリー:アウラ・ツワロフスカ
舵手:コスミン・イフリム

管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマス・ラング、宮松重紀
アシスタント・コンダクター:パオロ・ブレッサン
映像:中野一幸
字幕:広瀬大介


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世界の朝食を食べさせてくれるお店 韓国の朝ごはん [グルメ]

近くて遠い国。もうお馴染みのお隣の国。いわゆる韓流ブームって現在3次が起きているのだそうだ。昨今の外交の問題の揉めようから、本当かな?とも思いますがそうらしい。

1次韓流ブームが、いわゆる韓国ドラマ、2次がK-POPで、いま3次なのだそうだ。3次はコスメやファッション、グルメ。

自分らの世代では、いま韓国というとどうしても北朝鮮問題や、日本との過去の不幸な歴史問題に関わる問題などがメインで、正直、自分なんかは、もう勘弁、なんかもうこの国とは一生仲良くできそうにない、と思ってしまうのだが、経済や文化の交流はますます熱くなる一方なのだ。政冷経熱というやつですね。中国とも同じですね。

アジアに限らず、ヨーロッパやアメリカのほうでもそうだけれど隣国って大体仲が良くないらしいです。でもなにかとお付き合いしていかないといけない。

日本の場合は中韓とは、ますますお互いの経済の依存度合いが大きくなり、政治面でどんなに揉めて悪感情になっても、なんとかやっていかないといけない、そういう相手なのだと思います。

一時の感情論で、もうこの国とは国交断絶でいい、という人たちもいますが、そんなことすると日本にも大きなダメージで大変なことになってしまうのです。それだけお互い文化、経済の交流がお互いがっぷりよつなんだよね。

最近は日本の観光名所なんか行くと、ほとんど中国人だらけ。自分の周りが中国語だらけだと、はっきり言って萎えることもあるが、でもそのおかげで日本の旅行会社はウハウハだったりする。

そんな間柄なのだ、お互い。

自分は韓国には行ったことはないが、第1次韓流ブームは思いっきり嵌りました。(笑)

2次のK-POPはまったく興味なし。

ご存知、冬ソナこと「冬のソナタ」。
嵌りましたよ。あのときのフィーバーぶりは凄かった。

自分はそのとき日本と韓国、仲良くやっていければいいな~なんて、いま考えればずいぶん甘ちょろいことを考えたりもした。ちょうどその頃2002年、サッカーの日韓ワールドカップもあったからすべてに追い風だったね。

冬ソナは本当に嵌りました。自分にとってヨン様はどうでもよくて(笑)、チェジウの大ファンでした。 


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好きだった。チェジウの声優をやっていた女優の田中美里さんにまで惚れていたりして・・・。(笑)チェジウはロングヘアがトレードマークでしたが、自分はこの冬ソナのときのショートカットのほうが断然好きだった。それ以来、チェジウの出演するドラマは全部DVDを揃えて観たぐらいの入れ込みようだった。

韓国ドラマって、いま思うと大体ワンパターンで、基本的にテーマは暗い。「出生の秘密」や「異母兄弟」をテーマにすえたものが多くて結構彼らの国民性から刺激が強いものを好むんですよね。それまで韓国ドラマを見たことのなかった自分は、そのとき日本のドラマってなんてさっぱり爽やかなんだろう、と思ったぐらいですから。

それで韓国社会って基本的に男尊女卑の考え方が昔から根付いていて、主役の男性役者は大体企業の社長とかステータスが高くて、それに恋する女性役者が身分の低い。。。そこから救い上げてのシンデレラストーリーみたいな。。。そんな状況設定が大半なのだ。

そして勧善懲悪の世界を好んで、良い役、悪役というのがはっきり分かれている。
そんな社会状況で、暗いテーマで刺激が強いのが韓国ドラマなのだろうな、ということを悟りました、当時。

だから自分は大ファンだったチェジウのドラマは全部見て嵌りましたが、韓国ドラマのそのワンパターン性がわかってしまい、チェジウ以外のドラマまで見ようとは思わなかったです。

いまやもう韓国ドラマを見たいとはまったく思わないです。
韓国ドラマを見始めたときはその刺激の強さが新鮮で嵌りましたが、もうあのときで十分です。

韓国ドラマを見ていると、韓国人の普段の生活、文化がよくわかり勉強になったことも事実だった。

韓国ドラマでは、主役の男性、女性だけが出演するということはなく、必ずそのお父さん、お母さんなどの家族もいっしょに出演するんですよね。必ず家族が出演します。

日本だと、トレンディものなんかは、家族が出るとかえって逆効果という考えもあるもかもしれなくて、大体ピンで出ることが大半なのだが、韓国は絶対その家族全員登場します。そういう設定なのです。

また食卓なんかも良く出るので、韓国人の食卓事情なんかも勉強になる。銀の器に銀のお箸とか。韓国もご飯が主食ですが、お箸じゃなくてスプーンですくって食べたりとか。ご飯の器はテーブルに置いたまま食べるとか。日本みたいに決してお茶碗を手で持って食べるということはしない。へーって感じであった。

あと儒教の国なので、目上の人に対する礼儀が厳しく、お酒を飲む時も正面に目上の人がいる場合は、自分は横を向いて飲むとかね。

そしてなによりも韓国の食卓は大家族でするものです。日本の年末年始の実家にみんなが集まる、あんな感じが日常生活でもそうみたいな。

韓国ドラマを見ていると、韓国人が普通に生活するその様を見れるから、逆にそれが日本人の自分にとっては新鮮な感じでした。韓国ドラマからそれらを学んだことって多いかもしれない。


韓国の食材は大体みなさん想像する通り。
野外の韓国の市場なんて、そんな韓国の食材の宝庫だ。

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自分は韓国グルメは大好き!!!

韓国焼肉、キムチ、チゲ鍋など。もうほとんどの韓国料理はめちゃめちゃ大好きかもしれない。
特にチゲが大好きで、あのコチュジャンの赤いスープに、白菜や野菜など盛りだくさんごった煮して食べるチゲ鍋最高!

辛い料理大好きです。

自分は韓国には行ったことがないのだけれど、会社の同僚が出張で韓国に行ったときの感想は、「韓国の食べ物は、みんな赤く見える!」と言っていた。(笑)

わかるような気がする。

上の市場の写真のような食材が多い、あの独特の韓国食材の世界。

韓国グルメいいなー。

韓国といえばなんと言ってもキムチ。

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毎年11月になると大量のキムチを漬ける「キムジャン」が始まる。家族みんなで、さらには近所の人も一緒におこない親睦を図る。2013年に「キムジャン」はユネスコの無形文化遺産に登録された。乾物を利用したものやキムチに代表される発酵させた保存がきくおかずの種類が豊富で、朝ごはんの食卓にもたくさんの種類のおかずが並ぶ。




長い前振りもここくらいにして、いつもの段取りに戻り、韓国の説明を。


大韓民国

首都:ソウル
人口:約5,127万人
面積:約10万キロ平方メートル(日本の約4分の1)
民族:韓民族
言語:韓国語
通貨:大韓民国ウォン
政体:共和憲政体制
宗教:キリスト教55.1%,仏教42.9% (社会・文化に儒教の影響を色濃く受ける。)
金(キム)、李(イ)、朴(パク)、崔(チェ)、チョン(漢字変換できない)の五大性が人口の5割以上を占める。 


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国旗があらわすもの

巴の形は陽(赤)と陰(青)の二重性を表し、四隅の印は、四つの対立と調和の関係を表す。


韓国

日本から1番近いお隣の国。伝統文化がしっかり残りつつも、スマホやSNSが生活に浸透しているスマート社会で、古きを重んじつつ新しいものが大好きな韓国な人たち。食文化にもそうした面が窺える。


韓食(ハンショク)

韓国の食文化には食べ物と薬のルーツは同じであるという薬食同源の考え方が込められている。低脂肪・低カロリーなご飯とスープと食材本来の味を生かしたおかずをバランスよく食べるのが特徴である。


発酵とヤンニョム

キムチをはじめ韓国料理に発酵は欠かせない。ほぼすべての料理に大豆を発酵させて作るテンジャン・コチュジャン・カンジャンといった醤(ジャン)が使われている。こうした醤や唐辛子などの香辛料を総称して「ヤンニョム(薬念)」と言う。


韓服(ハンボク)

特別な行事や記念日には韓服を着る。女性が着るチマ・チョゴリはスカート、チョゴリは上着、男性が着るパジ・チョゴリのパジはズボンのこと。


五味五色

韓食は5つの味と色を揃えると良いとされている。
5つの味は、塩味、甘味、酸味、辛味、苦味、5つの色は、赤、白、黄、緑、黒である。


テーブルマナー

儒教の影響が強く目上の人を敬うことを忘れない。
目上の人が箸を取った後に、食べ始めるのがマナーである。
また、お皿を手で持つのはマナー違反で、ご飯やスープは金属製の大きなスッカラ(スプーン)、おかず等は金属製のチョッカラ(箸)で食べる。


ハングル

日本語と言語の順序や敬語がある点など共通点が多く、かつては漢字が使われていた。
15世紀頃から10の母音と14の子音を組み合わせて音を表すローマ字と同じ仕組みのハングル文字が使われている。


ご飯

韓食の基本であるご飯は米だけではなく、雑穀を混ぜたご飯もよく食べられている。


スープ

箸といっしょにスプーンが必ず用意されることからわかるように、韓食にはスプーンの存在は大きく、中でも豆もやしの入ったスープ(コンナムルクッ)が朝ごはんの定番。


イシモチ

日本の朝ごはんの定番である焼鮭のようにイシモチの干物がメインのおかずとしてよく食べられている。


甕(かめ)

昔から発酵食品を作ったり、保存するには、小さな穴があって水は通さず空気を通す甕が使われてきた。甕は「呼吸する器」と呼ばれている。


キムチ冷蔵庫

各家庭には、キムチを熟成させたり、保存ができる専用の冷蔵庫がある。キムチに特化した温度調節装備が備えられている。


お酒

韓国ではお酒がよく飲まれる。手間がかかる清酒に比べて手軽にたくさん飲めるマッコリが庶民の味として親しまれてきた。マッコリを蒸留して度数を上げた焼酎が現在は最もポピュラーである。



以上の情報元。

韓国観光公社



そして、これが韓国の朝ごはん。

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雑穀を混ぜたご飯と豆もやしとあさりの入ったスープ「コムナルクッ」をメインに、イシモチの干物、韓国の卵焼き「ケランマリ」、韓国の黒豆「コンジャバン」などのたくさんのおかずがのった朝ごはん。

日本ではなかなか食べられない韓国の朝ごはんメニュー。

右端に置いてある金属製のチョッカラ(箸)と金属製の大きなスッカラ(スプーン)に着目してほしい。これぞ韓国の食器だ。

雑穀を混ぜたご飯は普通に美味しいご飯だし、あさりのスープは薄味のダシの効いたスープで美味しい。イシモチもふつうの魚の干物だし、韓国の卵焼きもふつうに卵焼き。

正直日本の食材とさほど味覚的に違いがあるものではなく、日本人の味覚に合う感じで美味しかった。

焼肉、キムチ、チゲ鍋とか豪勢な韓国料理のことばかり想像するけれど、実際の韓国の朝ごはんは、とても地味でさっぱりしたものだったんですね。



提案!

今度、「日本の朝ごはん」というのをこのワンプレートで実現してほしい!!!

我々がふつうに体験している日本の朝ごはんをこのワンプレートに入れるとしたらどんなメニューになるのか、経験してみたいものです。







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川本嘉子さんのブラームス室内楽 [国内クラシックコンサート・レビュー]

すっかり上野の春の風物詩となった東京・春・音楽祭では、絶対欠かせないコンサートが2つある。N響によるワーグナーの演奏会形式と川本嘉子さんのブラームス室内楽だ。どんなことがあっても、この2つのコンサートは必ず行くようにしている。 


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川本嘉子さん

川本嘉子さんのブラームス室内楽は、2014年からスタートした連載なのだが、自分は2015年から通っているので、もう今年で5年目の皆勤賞だ。

川本嘉子さんを中心に、竹澤恭子さん、向山佳絵子さん、そこに若手を1,2人加えた室内楽ユニット。

とても大人の雰囲気があり、全員が演奏技術に秀でたそのクオリティの高さ、そして他に例をみないプロフェショナルな格好良さというか、存在感があって、オーラが漂っている、そんな独特の雰囲気があるのだ。

日本で最高の室内楽ユニットであると断言できる。

そんな6年目にあたる今年、なんと!ピアノに小山実稚恵さんをピアノに迎えることとなった。
コンサートも、「ブラームスの室内楽Ⅵ ~小山実稚恵(ピアノ)を迎えて」という冠が付いた。

これは心底驚いた。ただせさえ、プロフェッショナルなメンバー揃いなのに、そこに小山実稚恵さんがピアノとして加わったら、それこそもうこれ以上望めない超最高、夢のユニットではないか。

自分は、2015年からずっと通い続け、そのコンサートの感想をつぶやきに書いてきたのだが、そこにどこか申し訳ない気持ちがずっとあり、いずれきちんと日記にしないといけないという想いがずっとあった。

それがまさに今年なのだ!と確信した。小山実稚恵さんを加えて、これ以上なにを望もうか、という最高の布陣。

日記にするなら、まさに今年しかない。

なので、今年は、つぶやきせず、最初から日記にするつもりで、臨んだ。

今年は若手として小川響子さんが参加した。

小川響子さんは、スズキ・メソード出身で、東京藝術大学在籍で、ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミーにオーディションに合格し、ベルリンに2年間派遣され、いままさに研磨中なのだ。なんでも樫本大進氏に憧れを持っていて、このオーディションの審査員長が樫本氏であったこともあり、小川さんにとってとても素敵なオーディションとなったようだ。

この日の小川さんは、大先輩に囲まれ、恐縮というかオロオロした感じの初々しさで、見ていてとても微笑ましかった。


川本嘉子さんのブラームス室内楽に自分はなにを観ていたのか?


もともとこのコンサートに行くようになったきっかけは、ミューザ川崎の設計者の小林さんの設計事務所での室内楽サロンに参加したとき、そのとき川本嘉子さん×三舩優子さんのリサイタルを聴いたことだった。

直接川本さんとお話もした。

そのときから、東京春祭のこのシリーズに通おうと誓ったのだ。


もうひとつは、小澤征爾さんの門下生であること。

自分は、数年前までは、サイトウキネン(現:セイジ・オザワ松本フェスティバル)の松本にそれこそ毎夏通っていた。そして水戸の水戸室定期にも、必ず年明けの新年の聴き初めは、水戸で、という自分なりの決めごとを作って、毎年年初通っていた。

サイトウキネン、水戸室の公演を聴いていると、ここが自分のホームのような感じになった。
誘いはゴローさんだったけれど、小澤さんの世界が、自分の礎になっていることを感じざるを得なかった。

いまでは、小澤さんはすっかり元気がなくなって指揮する機会も激減、なによりも、自分自身の予算体力がすっかりなくなって、昔のように松本や水戸に聴きに行くということができなくなった。

小澤さんの教えを受けた演奏家の方々は、普段はみんなそれぞれに散らばって、それぞれのご自身の活動をなさっている。でも、そうであってもそのお互いの絆は強く、見えない糸でしっかり結ばれている。

自分にはそんな糸、その独特のカラーがよく見える。


川本さんのブラームス室内楽を聴きに行くことで、自分のホームである感覚、いまはすっかり松本、水戸に行けなくなって失いつつあるその感覚をそこで身近に感じることができるからではないか、と思っている。

あの室内楽ユニットが独特の雰囲気があるのは、そのためだ。


なぜ、ブラームスの室内楽なのか?


これは川本さんご自身がメディアを通じて発信していたのを読んだ記憶があるのだが、その記事をいま見つけることができない。自分のあやふやな記憶だけれど、ブラームスがとても好きなこと、そしてブラームスのヴァイオリンで奏でられた音楽をヴィオラで演奏することで、また違ったニュアンス、魅力を出してみたいこと。。。そんな記憶がある。

ブラームスの室内楽はとても魅力的で、自分も好きで、よく聴いている。

そんな経緯の中で、4年間聴いてきたわけだが、5年目の今年、ついに小山実稚恵さんを迎えて、というのはあまりにも感動的過ぎる。(笑)感慨無量。

コンサートホールは、大体、東京文化会館小ホールか上野石橋メモリアルホール。
どちらも石造りのホールで残響感たっぷりだ。

今年は、東京文化会館小ホール。
こんなど真ん中で聴いた。

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演目は、ブラームスのピアノ三重奏曲、ヴァイオリンソナタ、そしてピアノ五重奏曲。
もちろんピアノの小山さんはフル出場だ。

大変な力演、壮絶な演奏だった。

これだけのプロフェッショナルな奏者が揃うと、まさに個の主張も激しくありながら、同時にすばらしくアンサンブルのバランスも取れているのが驚きだったぐらいだ。

最初のピアノ三重奏曲では、とくに向山さんのチェロの音色に心奪われた。

チェロの音域というのは、本当に人が恍惚となる、ある意味眠気を誘うくらい気持ちのいいものなのだが、優雅なメロディーをこの音域で奏でられるのは、いやぁこれは美しいなぁ~と思わず耳がそこに集中してしまった。

ヴァイオリンソナタでの川本さんの演奏は、これはこれはとても熱い演奏で、思わず聴いていて力が入ってしまうくらいすごい熱演だった。ヴァイオリン・ソナタをヴィオラの音色・音域で表現する。

まさにこのシリーズの一番の主張したいところなのだと思う。
ピアノの小山さんとヴィオラの川本さん、という最高の絵柄で言うことなし!

とにかく力が入った演奏だった。

そしてなにより最高の頂点に達したのが、ピアノ五重奏曲。
竹澤さんのいつも身を乗り出すとてもパワフルな演奏スタイルは健在。竹澤さんらしく素晴らしいです。第1旋律としてグイグイ全体を引っ張っていっていた。小山さんのピアノは、小山さんぐらいのオーラのある方であるにもかかわらず、目立ちすぎるということもなく、常に室内楽の一旦を担うという感じで、いい意味で埋没、調和していたのはとても印象的だった。

このピアノ五重奏曲は、室内楽の大曲らしい、メロディもブラームスらしい大河のごとくで、分厚い音の流れ、一糸乱れぬアンサンブルの精緻さ、でまさに圧倒されました。

この曲は本当に凄かった。

ブラームスの曲って、本当に大河のごとくなのだれど、その一瞬に美しいメロディがふっと垣間見えるところがあって、それが全体の魅力を醸し出していますね。

まさに過去最高ユニットによるアンサンブル堪能しました。

素晴らしかったです。

ありがとうございます。


室内楽の素敵なところは、音数の少ないことに起因する、そのほぐれ感、 ばらけ感、隙間のある音空間を感じることで、音が立体的でふくよかに感じ取れる感覚になれるところ。 やはり室内楽独特の各楽器のこまやかなフレージングやニュアンスが手にとるように感じられるのが魅力的なのだと思う。

大編成のオケの重厚な音では絶対味わえない豊潤なひとときだ。

これからも末永く、このシリーズ続くことをお祈りしています。



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終演後。左から向山佳絵子さん、川本嘉子さん、小山実稚恵さん、小川響子さん、竹澤恭子さん
(c) 小山実稚恵FB ( (c)MASATO)


東京・春・音楽祭 ブラームスの室内楽Ⅵ
~小山実稚恵(ピアノ)を迎えて

2019/4/3(水)19.00~ 東京文化会館小ホール

ヴァイオリン:竹澤恭子、小川響子
ヴィオラ:川本嘉子
チェロ:向山佳絵子
ピアノ:小山実稚恵

ブラームス

ピアノ三重奏 第1番 ロ長調 op.8

ヴァイオリン・ソナタ <<F.A.E>> よりスケルツォ

ピアノ五重奏曲 へ短調 op.34







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