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ウイングス・オーヴァー・アメリカ [海外ロック]

ポール・マッカートニーが、自分の過去のライブアルバム4枚をリイシューするというニュースが飛び込んできた。


リリースされるのは1976年発表の「ウイングス・オーヴァー・アメリカ」、1988年発表の「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」、1993年発表の「ポール・イズ・ライヴ~ニュー・ワールド・ツアー・ライヴ!!」、そして2007年にロサンゼルスのアメーバ・レコードでわずか900人の観客を前に行ったライヴを収録した「アメーバ・ギグ」。


この中で結構ショッキングなニュースだったのが、その最初のアルバムである「ウィングス・オーヴァー・アメリカ」について語っているインタビューだ。


ポール・マッカートニー、「ウィングス・オーヴァー・アメリカ」について語ったインタビュー

https://www.universal-music.co.jp/paul-mccartney/you-gave-me-the-answer/

(以下、抜粋)

ポール:あのツアーで、初めて再びビートルズ時代の曲を演奏するようになったんだ。だから、あのツアーの前のツアーはウイングスの曲ばかりで構成されていたということになる。ウイングスが本物のウイングスになって、あのツアーで全てが弾けた感じだね。それまではとにかく、ビートルズのトリビュート・バンドではなく、ウイングスをバンドとして確立させることに全力を注いでいた。でもウイングスとして何曲かヒット曲も出て、「バンド・オン・ザ・ラン」が大ヒットして、それらのヒット曲をレパートリーに入れて演奏していたら、“そろそろ、ビートルズの曲をやってもいいな!”という気持ちになったんだ。そしてそれが可能になってある意味、ホッとした。というのは、僕はいつもお客さんが何を聴きたいのかということを意識していたから。僕のお客さんは狭い範囲の人たちではなくて、幅広い年齢層の人たちから成っている。だから昔ヒットした曲を聴きたいと思っている人がいる可能性もある。だから「ヘイ・ジュード」をやらないとがっかりする人もいると思う。当時は、そういう曲をあの時点まで全然やらなかったから、少し気楽に構えて、お客さんが聴きに来たような曲をやるのもいいなと思ったんだ。


ポール:そう、そこから今やっているようなレパートリーになっていった。つまり、かなり多くのビートルズの曲を取り入れて、ウイングスとか、ソロの曲とかを取り入れたレパートリー。あの頃から、ビートルズの曲をやることを自分に許した。ウイングスとして確立させることは不可能だとすら思っていた時期もあったんだ。ビートルズに頼ってしまったら、ウイングスとしてのアイデンティティを確立することができないと信じていた。でも75~76年頃にはウイングスとして確立できたから、その二つを足せば成功への公式が出来上がると思ったわけ!

それと、あの時点でバンドがいい感じだったということもある。ウイングスとしても数年間は試練の日々だと思っていた。ビートルズもそうだったし。僕たちは、有名になる前にハンブルクで演奏したり、リヴァプール周辺のクラブで演奏するような下積みを経験してきたから。ビートルズがレコードを出す前、僕たちは地元でのみ知られている存在だった。たくさん演奏して技術を磨いて来たから、ウイングスに関してもそうしないといけないと思っていた。でも「ウイングス・オーヴァー・アメリカ」の頃、ワールド・ツアーをやる頃には、そのような時代は終わりに近づいていて、僕たちもウイングスが何か、わかるようになっていた。



自分のロック人生を決めた1枚を選べ、と言われたら、間違いなくこの1枚を選ぶ。
だからこのリイシューはとてもうれしい。 


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ウィングス・オーヴァー・アメリカ
(Wings Over America)

http://u0u0.net/XBuX



自分のロック人生を決定付けたのは間違いなくポール。それもウィングスだった。
それもこのアルバムが、ウィングスとのはじめての出会いだったのだ。

当時は、ウィングス USAライブと言っていた。
LPについている帯もこんな感じであった。 

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ウィングスを知ってファンになってから、ビートルズの存在を知って、ビートルズにも嵌るようになっていった。


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そう!まさにこのシルエット。

ウィングス時代のポールと言ったら、このステージ衣装にこのリッケンバッカーのベース。
まさにUSAライブのときのショットだ。

ウィングス時代のポールはとても音楽のバリエーションが豊かなミュージシャンで、単なるロックだけではなく、アコースティックギターを抱えての演奏、ピアノの前での演奏などいまのポールのライブの原型となるスタイルがこのウィングス時代にその基礎ができあがったものと言える。

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自分が当時のポールに求めていたもの、そして当時の音楽雑誌などのメディアがウィングスに求めていたものは、あきらかにポスト・ビートルズ的なものだった。そのように書かれていたことをはっきり覚えている。

自分は、ウィングスからビートルズを知ったけれど、そうやってビートルズの偉業を知れば知るほど、尚更いまのポールに憧れる想いが強くなるというか、ポール・マッカートニー&ウィングスを聴くことで、その背後にビートルズの幻影を見ているような想いがあったように思う。

それは、まさにこのUSAライブでウィングスがビートルズの曲を演奏してくれるから、尚更そう感じたのだ。

ところがこのインタビューを読んで、じつはウィングスがビートルズの曲を演奏するようになったのは、このUSAライブからだったという事実。

そしてそれまで頑なにウィングスがビートルズの曲を演奏することを拒んでいたという事実。

そしてその背景にあるポールの想い。

1976年の中学生のときにこのアルバムでウィングスを知って、以来43年ぶりに知った真実ということになる。

そりゃショックというか衝撃だよ。(笑)

自分は当時からウィングスがビートルズの曲を演奏するのは、当たり前と当時からずっと思っていたからね。それが逆に他のロックバンドでは絶対成し得ないウィングスの背後にある特別のオーラでもあると確信していたから。

でもやっぱりポールは男だね。そういうビートルズ時代のオーラにおんぶに抱っこのビートルズ・トリビュート・バンドにはなりたくなかった、まずウィングスとして自立したかった、というコメントにポールのバンドマンとしての男の意地みたいなものを感じて、今更だけど惚れ直しました。

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このアルバムが、自分のロック人生において決定的な1枚になった大きな理由に、ロックアルバムのライブ録音に対する考え方があった。クラシックの場合、スタジオで録音する場合もあるが、いまでは、コンサートホールを貸しきって、観客を入れずにセッション録音でアルバムを作ることが大半だ。でも中には、お客を入れて演奏したものをそのまま録音するライブ録音もある。

でも大抵の場合はセッション録音ではないだろうか?

ロックの場合は、アルバムを作るときは、スタジオ録音が原則だ。
ロックは少人数だからね。ロックのアルバムは、それこそオーバーダビングなど、何重にもテイクをとって、それを重ねに重ね、サウンドクリエーションの加工操作をして完璧なサウンドを作り上げる。

だからロックのアルバムって完璧なサウンドなのだ。ある意味ライブ感よりも完成度重視のところがある。

そういう風潮をロック史上で作り始めたのがビートルズの中後期の作品なのだと思う。
彼らは初期にライブ活動をやめて以来、その活動をスタジオでの録音作業に全力を注いだ。
まさに当時の録音技術のすべてを注ぎ込んで実験的な作品を世に残していった。

コンセプトアルバムという発想も彼らが作り上げたものだ。

なぜ、ウィングスのUSAライブが、自分にとって画期的だったか、というとそれはロックのライブ録音の素晴らしさを認識させてくれたからだ。

それまでは自分はウィングスを知らなかったし、彼らの曲も聴いたことがなかった。
このUSAライブで初めて彼らの曲を聴いて、その曲に馴染んで大ファンになった。

当然、じゃあオリジナルのアルバムも揃えてみたい、聴いてみたいと思うのは、人間の性であろう。

もちろんウィングスのオリジナル・アルバムも揃えました。
ヴィーナス・アンド・マースやスピード・オヴ・サウンドとか、バンド・オン・ザ・ランとかね。ウィングスのアナログレコードのアルバムは全部買いましたよ。

子供時代の少ないお小遣いを貯めて。

でも聴いたら全然感動しないんだよね。なんか人工的なサウンドで、生気がない、ライブ感がない、自分に訴えてくるものが全然ない。

なんだよ!これじゃUSAライブのほうが全然いい!

と思ってしまいました。

ウィングスを聴くなら、もう断然USAライブがいい!

という結論に達してしまった。

USAライブは、それまでのウィングスの有名なヒット曲を全部集めているような選曲だったから、USAライブを聴いていれば、ウィングスを完璧に堪能できるという腹があった。

たぶん聴いた順番がライブ録音のほうを先に聴いて、あとでオリジナル・アルバムを聴いたからこういう感想になったのだと思う。

このときに自分はロックはライブ・アルバムがとても魅力的!という考え方を持つようになった。


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クラシックの場合、セッション録音のアルバムとコンサートホールでの実際の生演奏って、そんなにサウンド的に大きな違いを感じることはないだろう。その自宅でのオーディオでの鳴らし方にも大きく寄りますが。。。(笑)

でもロックの場合、オーバーダビングで作られているアルバムのサウンドを、そのまま実際の生演奏のライブで実現するということは確実に不可能なのだ。結論として、ロックの場合、演奏技術やサウンドパフォーマンスとしては、ライブのほうが確実に落ちる。

アルバムで聴いていたときはすごくいいのに、実際のライブを聴くと、ずいぶん下手くそだよなぁ、とか、なんかがっかりだよなぁ、というのはロックの世界では当たり前のことなのだ。

自分はロック少年の時代、ずっとそのことをライブはハンディキャップがある、このアルバムを聴くとすごいイイ演奏だけれど、はたしてこれを実際のライブで実現できるのかな?とかいつもそんなことを考えながら、アルバムとライブのギャップについて考える癖がついていた。

社会人になって、クラシック専門に聴くように軸足を移してからは、そういったギャップをほとんど意識しない、考えないようになった。

やっぱり根本的にクラシックとロックではその領域では造りが違うのだと思う。

でもロックではライブになると、その演奏パフォーマンスはガクンと落ちてしまうけれど、その生気のあるサウンド、臨場感、ライブ感はもう断然普通のスタジオ録音のアルバムよりライブアルバムのほうがいいのだ。

やっぱり大観衆の大歓声の中で歌っている、その盛り上がる瞬間、大歓声が上がる瞬間とか、もう断然ライブアルバムのほうがいい。

そのコンサート会場にいるような感覚を疑似体験できる。

ひと言で言えば聴いていて興奮するのだ。

以来、ロックはライブ・アルバム!という考え方を自分は持つようになった。

セッション録音でもライブ録音でも、つねに観客は静寂、たまに咳き込み、拍手があるくらいの違いしかないクラシックとは、そこに大きな違いが有るように思えた。

そういうきっかけを作ってくれたのが、このウィングスのUSAライブなのだ。
このアルバムが全てのきっかけだった。

ポリスがシンクロニシティーの後に、ライブ・アルバムを出すという噂があったとき、自分が心ときめいたのも、ライブはやっぱり聴いていて燃える!という発想があったから。またポリスほどのテクニシャンのバンドであれば、ライブでもそんなにがっかりすることはないだろう、という考えもあった。逆に演奏がうまいと言われているけれど、実際どれほどのライブパフォーマンスなのか、を知りたいという想いもあった。


ウィングスのUSAライブは、当時の映像素材が残っていて、「ロックショウ(Rock Show)」というタイトルで映画になっていて、そのパッケージソフトもBlu-rayとして販売されています。 


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ロックショウ(Rock Show)

http://u0u0.net/0TUg


自分はその事実をずっと知らず、つい2~3年前に知ってもうびっくり!
慌ててBDを買って観ました。

もう涙なくしては観れなかったです。

自分の中学生時代。

当時動く動画コンテンツというものもなかった時代。

LPを聴きながら、音楽雑誌の写真を眺めながらそのライブパフォーマンスを頭の中で想像するしか方法がなかった時代。

そんな40年ぶりにその空想していたライブ映像をいま目の前で観れているわけです。

ライブの音は、まさにレコードそのもの。子供の頃に聴いた音は、何年たって大人になっても頭の中に刻み込まれているものだから、絶対忘れないし、一度耳にしたらピンときます。




ウィングスUSAライブのセットリスト。


CD1
1. ヴィーナス・アンド・マース~ロック・ショー~ジェット
2. レット・ミー・ロール・イット
3. 遥か昔のエジプト精神
4. メディシン・ジャー
5. メイビー・アイム・アメイズド
6. コール・ミー・バック・アゲイン
7. レディ・マドンナ
8. ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
9. 007死ぬのは奴らだ
10. ピカソの遺言
11. リチャード・コーリー
12. ブルーバード
13. 夢の人
14. ブラックバード
15. イエスタデイ

CD2
1. 幸せのアンサー
2. 磁石屋とチタン男
3. ゴー・ナウ
4. マイ・ラヴ
5. あの娘におせっかい
6. 幸せのノック
7. やすらぎの時
8. 心のラヴ・ソング
9. 愛の証し
10. ワイン・カラーの少女
11. バンド・オン・ザ・ラン
12. ハイ・ハイ・ハイ
13. ソイリー



このセットリストを見た一瞬で、もうすべての曲のメロディーラインが自然と頭に浮かぶくらい完璧だ。

このUSAライブから、ビートルズの曲をやるようになったというけれど、こうやってみると、ザ・ロング・アンド・ワイディング・ロード、ブラックバード、イエスタディーの3曲しか入っていない。まだポールの心の中に抵抗感があったんだね。(笑)

でもこうやって眺めてみると、本当にウィングス時代の名曲のオンパレードという感じでじつに壮観です。ポール・マッカートニーのその類稀なメロディメーカーとしての才能に本当に驚愕、畏怖の念しかないです。これにさらにビートルズ時代の膨大な作品群が加わるんですから。

もうポールは、クラシック界のバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの作曲家たちと比較しても決して1歩も引けを取ることのない堂々と肩を並べるべき20世紀の大作曲家である、と言ってもいいのではないだろうか・・・。








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首の骨が1番大事。 [雑感]

洗濯物を洗濯機に出し入れするときに腰を痛めてしまった。1週間前なのだが、日々過ごすうちに症状も軽く良くなってきたのだが、昨日固い椅子に座りながら1日中読書をしていたら、悪化してしまった。

翌日朝起きたら、腰が重くて危険水域にある感じで、ベッドから動けない。

これは会社休んで整形外科でマッサージして治してもらおうと思い出掛けた。

久し振りの整形外科だが、普通に治癒場所の腰に電気パッドをあてて、電気を流し、そしてマッサージしてそれを何回か通院すれば治るのかな、と思っていたのだ。

以前肩痛でこの病院の通ったときもそんな感じだった。
今回それが腰に代わるだけだと思っていた。

そうしたら、先生から説明があった。

以前と比べて、治療方針が変わったとのこと。

治癒箇所だけ電気治療、マッサージをするだけだと、じつは返って体に悪いということが、医学界で判明したのだそうだ。

人間の体というのは、骨格の仕組みをはじめ、すべて繋がっていて、それを一か所だけ施術したらバランスが悪くなり、逆効果。

人間の体の骨って全体につながっているからね。

人間を支えている骨格の仕組みの中で1番大事なのは、首の骨。

ここがすべてを司る司令塔。


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腰とか、足とか、いろいろなところに不具合ができたら、その影響って首の骨にちゃんと影響が出てくるものらしい。

まず首の骨を正確に施術して、それから全体のバランス、矯正を取りながら、全体の骨格の仕組みを補正していくのが昨今の整形外科の方針なのだそうだ。

だから腰の電気治療やマッサージももちろんしたけれど、同時に首や足、手など全体の屈伸、マッサージを体全体におこなった。

そうすることで、体の全体の骨格が正しく矯正される。

医学的なもっと本格的な説明だったので、専門的な説明は記憶が曖昧でできないけれど、腰をやられるとかの症状は、骨の各々のつなぎ目がおかしくなったりとかが原因だから、首の骨を中心に全体のバランスを取って治していくらしい。

施術前と後で体の柔らかさの違いを計るのだが、まだ初回の1回目なのにすごく柔らかくなっていて驚いた。

前はすごく体が硬かった。

こういう骨格の補正をすると睡眠が抜群によくなるらしい。

自分は歳をとっていてジジイだから朝早起きだと思っていたら、それが原因というより、骨のつなぎめの正常化、全体の骨の矯正バランスが悪いことのほうが睡眠障害の原因らしい。

その証拠に今日1回施術するだけで、帰宅後ベッドに横になっていたらそのままストンと寝落ちして、そのまま深い眠りに。(笑)

こりゃ効果抜群だわ。

でも15回は通えとのこと。トホホ。

でも整体施術はお勧めです。

体が楽になると同時に、睡眠改善に繋がります。

人間って歳を取ると、体全体の骨のつなぎにガタが来るもんだからね。

あっあと、腰とか、体の一部に破損があった場合は、自然治癒ではなく、整体施術で、全体のバランスを正しくしてもらったほうがいいです。自然治癒だと全体バランスが正しくないまま、ずっと生きていくことになるからね。

今回賢くなりました。(笑)







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世界の朝食を食べさせてくれるお店 ベトナムの朝ごはん [グルメ]

ベトナムは東南アジアの東端に位置する南北に細長い国。

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こんなに南北にびろ~んと長ひょろい国なのだ。

中国に古くから占領され、19世紀後半から約60年に渡りフランスの植民地になった。
そうした影響は、食文化にも色濃く現れ、美食の国として知られている。

北部は政治・文化の中心で古都の風情を残す首都ハノイ、南部にはベトナム最大の商業都市で「東洋のパリ」と呼ばれるホーチミンがある。ベトナム人の平均年齢はなんと28歳!若さに溢れた活気のある国なのだ。


自分のような50歳代の年代だとベトナムといえば、絶対忘れられないのがベトナム戦争。
いまの世代でベトナム戦争といって、どれくらいの人が分かるだろうな~。

ベトナム戦争は、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト社会主義共和国連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との間に、第二次世界大戦後に生じた対立(いわゆる冷戦)を背景とした代理戦争であった。

つまり東(社会主義)と西(資本主義)とのメンツをかけた戦いをベトナムを舞台におこなった。

この長ひょろいベトナムは、昔は北部の北ベトナム、南部の南ベトナムとに分断されていて、北ベトナムを社会主義のソ連が、南ベトナムを資本主義のアメリカが支援していた。北ベトナムの首都はハノイだが、南ベトナムの首都は当時は、ホーチミンではなくサイゴンと言っていた。

ある意味、現在の北朝鮮と韓国の関係に近い。

まさに泥沼化で、30年にも及び、そのベトナム戦争の写真を、この日記に載せようと思い、ネットで検索したが、まさに地獄絵。残忍極まりないその残虐さと熱帯地域での不潔さが、あまりに地獄図でとても食べ物の日記に載せる写真ではないよな、と思い断念。

ベトナム戦争を巡っては、世界各国で大規模な反戦運動が発生し、社会にも大きな影響を与えた。アメリカ国内にもベトナム戦争に反対する反戦運動は大きく盛り上がっていた。

戦法に化学兵器を使うこともあって、容赦ないその残忍さに熱帯雨林地区のベトナムは、地獄、廃墟と化していく。

結局、1975年4月30日に南ベトナムのサイゴン陥落、無条件降伏で、アメリカは敗北した。

つねに世界のリーダーたる立場を自負していたアメリカの敗北は、アメリカ自身に決して忘れ得ない屈辱感を与えた。

ベトナム人の犠牲者は軍民合わせて120万~170万人という推計がある。


このまさに地獄絵であったベトナム戦争時の模様を撮影した写真展もさかんに開かれている。



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沢田教一さんの 「安全への逃避」
展示物撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


この有名なこの写真、「安全への逃避」とタイトルをつけられた。沢田教一さん(UPI通信)が撮影したベトナム戦争の戦火を逃れるため河を泳ぎ渡る母親と子供の写真。この写真は、ピューリッツァ賞を受けている。

この写真展で、当時の母親はすでに他界していたが、子供たちは、生存しており、その子供たちと写真家の沢田教一さんとこの写真の前で当時のことを語り合うという番組を偶然自分は拝見した。

沢田さんは、この家族を助けようと思い、近づいたところの偶然のワンショットだったらしい。子供たちは、母親はすごい腕力で、この子供たち数人を抱き寄せて泳いでいくのは、本当にいざという時の母親の力は神業のようなもので、沖にいるカメラマンの沢田さんを見たとき初め、兵隊だと思い、たぶん殺されると思ったらしい。

陸に上がって、沢田さんに助けられ、暖をとって飲み物、食べ物を与えられ、自分たちが助かったということを思ったとか。

写真の静止画が訴える力、静止画の美学というのは、まさにこのことをいうのであろう。


1975年4月30日に南ベトナムのサイゴン陥落したとき、自分は小学生で、そのときの模様をオヤジと一緒にテレビに釘付けになるように見ていたのをはっきり覚えている。

いまでも鮮明に頭の中に刻み込まれているその絵柄は、サイゴン市内につぎつぎと北ベトナムの戦車が入り込んできて、南ベトナムの市民でごった返している、そんな図だ。はっきり覚えている。

ネットで探してみたけれど、ドンピシャの写真はなかったけれど、敢えて近いといえばこんな感じ。

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だから自分からするとベトナムといえば、もう地獄絵のベトナム戦争の印象が強烈なのだ。
北ベトナムが勝利したことで、いまのベトナムは社会主義国家になった。

サイゴンはホーチミンになって、いまはベトナム最大の商業都市に変貌した。

このベトナム戦争の悲劇は、よく映画化もされた。

子供の頃、大学の時だったかな、シルベスター・スタローン主演のランボー。大好きだったな。ランボーはまさにベトナム戦争帰りの軍人だ。ところが祖国の英雄だったはずのベトナム戦士も、戦争が終わってみて母国に帰国してみれば、誰も称賛してくれるどころか、自分たちを社会に受け入れてくれる受け皿もなく、俺たちは結局母国に見捨てられた使い捨てに過ぎないんだ、と泣きわめくシーンがあって、子供心に胸をぐっとえぐられる悲しみと涙したのを覚えている。(初作のランボーです。)

それ以降、ランボーはそのような軍人崩れの経歴が活かされるミッションで自分での生きていく道を見つけていく。

ランボーは、自分の青春時代で忘れられない映画のひとつです。


楽しい明るい朝ごはんの日記のはずだが、ベトナムがテーマでは、自分との接点はどうしてもそこになってしまう。仕方がない。


ベトナム社会主義共和国

首都:ハノイ
最大都市:ホーチミン(約824万人)
人口:約9,370万人
面積:約33万平方キロメートル(日本は約38万平方キロメートル)
民族:キン族(約86%)、他に53の少数民族
公用語:ベトナム語
通貨:ドン
政体:社会主義共和国
宗教:仏教(約80%)、キリスト教(9%)、カオダイ教ほか。 


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国旗があらわすもの。
赤は革命で流された尊い血を、黄色の星の五本の光はそれぞれの労働者、農民、兵士、青年、知識人の5階層の団結を表している。


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首都はハノイ。ホーチミンという都市名の方が知られている、ベトナム革命を指導した建国の父、ホー・チ・ミンさんの思想を胸に北ベトナムが南ベトナムを攻略したため、ベトナムの首都はハノイになった。また、この時からサイゴンという都市名はホーチミンに変わりました。

「ベトナム5大都市」

北部:ハノイ、ハイフォン
中部:ダナン
南部:ホーチミン、カントー


南北で別々の国であったため、構成される民族と性格に大きな違いがある。ハノイは中国系の顔が多く、ホーチミンはクメール系の顔が目立つと言われている。また、ハノイには冬があり、ホーチミンは年中常夏であるため、冬に向けて蓄えるしっかりもののハノイと、楽観主義者が集まるホーチミンと言われているらしい。


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公用語はベトナム語。声調が6つもあるため、話すことがとても難しい言語とされている。観光客向けのホテルやレストランでは英語が通じるが、タクシーは英語が通じない。(笑)ハノイの年輩者にはフランス語やロシア語が通じる事もある。

時差は日本より2時間遅れ。

電圧は220V、周波数は50Hz。日本の電化製品は基本的にそのまま使えるが、精密機器は変圧器使用が安心。プラグは日本と同じAタイプ。

ビザは入国時点で15日以内の滞在に限り査証は不要。ただし、ベトナムを出国した日から30日以内に再入国する場合は査証が必要となる。

Wi-Fi環境であるがベトナムはWi-Fi天国。路上カフェにも屋台にもWi-Fiがあり驚かされる。パスワードは必須ですので、お店の人に聞くことが必要。



まだ朝ごはんの話はしません。(笑)
まずベトナム料理と言ったら、どんなものか語ってみましょう!

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ベトナムと聞いて思い浮かべる料理は、フォーや生春巻きなどヘルシーなメニューでしょう!やっぱり。熱い国に行くと夏バテのように食欲が減ってしまうという方もいらっしゃいますが、ベトナムの料理はさっぱりしているので、心配ない。

フォーや生春巻きって超有名ですが、自分はちゃんと食べたことないんですよね。
いつかガッツリと食べたいです。

・フォーの種類

お馴染みのフォー以外にも驚くほど多種多様な麺料理がベトナムには存在する。省の数だけ種類があると言われるほど。ご当地麺を試めす価値あり。

・バイン・ミー

ベトナム式サンドイッチ。フランスパンにパテやハム、たまご等を挟む。パテやパクチーが苦手な人は、自分好みの具をオーダーするほうがいい。

・バイン・セオ

ベトナム風お好み焼き。パリッと焼かれた卵色の薄い皮の中に、モヤシや豚肉、海老などの炒め物が入っている。野菜やライスペーパーに巻いてタレを付けて召し上がれ。場所によっては、バイン・コトと呼ばれるベトナム風たこ焼もある。


品質&衛生管理がしっかりしている日本と、ベトナムのレストランや屋台だと、雲泥の差がある。衛生面だけでなく、普段食べ慣れていない食事をすることでお腹がびっくりしてしまう事も。特に身近なミネラルウォーターも日本とは異なりカルシウムやマグネシウムを多く含む硬水である。

油は使いまわされているし、野菜も馴染みのないハーブ系が多く、旅の疲れや食べ過ぎからお腹を壊してしまう方もいるので、お腹が弱い方は特に要注意である。ホーチミンやハノイ、ダナン等都市部の氷でお腹を壊す方は少ないですが、田舎へ旅行する場合は氷も注意が必要。

(原典:知っておきたいベトナム基本情報!もっとベトナムを楽しもう!LINEトラベルjp旅行ガイド)






・朝ごはんは外で。

台湾と同じで、朝ごはんは外で食べることが多いベトナムの人々。仕事や学校が朝早くから始まるので、路上に面した食堂や屋台は、朝の6時頃から通勤、通学前の人々で賑わう。フォーやバインミーも朝ごはんの定番。


・チェー

甘く煮た豆や芋、寒天やフルーツなどを合わせて食べる、ベトナムの国民的スィーツ。元は仏教行事などで遠方から来た客をもてなすための甘味だったそう。中身のバリエーションも豊富で、温かいものと冷たいものがある。


・シンチャオ

ベトナムでの挨拶は、朝昼晩問わず「シンチャオ」。ベトナム語もまた中国語の影響を受けており、チンは漢字で書くと「慎」。慎んでという意味を含んだ丁寧な表現である。


・香味野菜

ベトナムでは香り強い香味野菜を生のまま、麺や春巻きといっしょによく食べる。加熱してしまうとその香りが少なくなってしまうためである。暑いベトナムでは香味野菜の刺激が食欲を増進する。

・コーヒー

ベトナムはブラジルに次いで世界第2位のコーヒー生産量を誇る。フレンチローストの豆をアルミのフィルターでドリップするのがベトナムスタイル。フランスのカフェオレを作る際に冷蔵庫がなかったため、常温保存のコンデンスミルクを使ったのがベトナムコーヒーのルーツである。


・ベトナム料理

全体的に辛みの少ないマイルドな味付けが特徴のベトナム料理。地域によって味付けが異なり、北部(ハノイなど)は塩っぱい味を、南部(ホーチミンなど)は甘辛く濃い味を好む傾向にある。


・フランスの影響

バゲットやコーヒー、プリンなど、フランスの食文化の影響で日常に定着したものも。バゲットに中華風の具を挟んだバインミーは、中国とフランスの文化がミックスしたベトナムならではの食べ物である。


・ヌクマム

ヌクマムは小魚と塩を漬けこみ発酵させた魚醤で、ベトナム料理には欠かせない調味料。炒め物や煮込み料理に使ったり、唐辛子やニンニク、ライムの絞り汁などを加えてつけだれにしたりする。


・米食文化

米を年に2~3回収穫できるベトナムの主食はもちろんお米。平麺のフォーや丸麺のブン、もち米を炊いたソイや生春巻きにも使われているライスペーパーなど、いろいろな形でお米を食べている。


・蓮

蓮はベトナムの国花。泥の中から生え、綺麗な花を咲かせる凛とした姿は、困難を乗り越えながら強く生きるベトナムの人々の象徴である。蓮茶は古くから美容や健康に良いお茶として親しまれてきた。

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街中で見かけるソイ・ガーの屋台。人気店の前では行列ができる。ソイ・ガーというのは鶏のだしで炊いたおこわのこと。そのおこわの上にボリュームのある鶏肉とその他にも腸詰やハムなど好きな具材を注文して乗せてもらうことも可能。



今回のワンプレートのベトナムの朝ごはんはこの「ソイ・ガー」だった。「ソイ」は味をつけて炊いたもち米、「ガー」は鶏肉の意味。おこわの上に鶏肉をのせ、ベトナムで定番の2種類の春巻き(揚げ・生)と魚醤「ヌクマム」ベースのたれ、パクチーなどの香味野菜とともにワンプレートにしています。

これがベトナムの朝ごはん

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このソイ・ガーはまさに最高!

日本人の味覚にぴったり合う感じ。もち米についている味は、ちょっと日本の薄くて甘い醤油のような感じで(だからソイなのか?)、とても香ばしくて美味しい。それに鶏肉がかなりのボリューム感で、とにかく食べ応えがあって美味しい。

ソイ・ガー・・・こんな美味しいものが本場のベトナムではそこら中に屋台で出ているなら、これはぜひ食べないといけない1品ですね。

春巻きも美味しいですね。生春巻きはパクチーなどの香味野菜が結構鼻につ~んとくる強烈な味ですが、美味しいです。揚げのほうの春巻きも美味しい。

ワンプレートの上にある小皿が魚醤「ヌクマム」ベースのたれ、です。
春巻きは、これにつけて食べます。

自分が経験した世界の朝ごはんの中でも台湾の朝ごはんに次いで2番手といえるほどの美味しさ。日本人の味覚に合います。

ただ、ワンプレートにこんもりと盛られている香味野菜は結構キツイものがありますなぁ。(笑)
とにかく野菜は生であることが大切なことですから、パクチーなど結構キツかったです。


でもソイ・ガー美味しい!ほんとに。

このベトナムの朝ごはん、7月までやっています。









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人生やっていく上で楽になる4つの大事なこと。 [雑感]

いま人生が辛い人はこの4つのことを覚えておくとよいらしい。
ツィッターで偶然知って、とてもよい良い内容なので紹介しておこう。


(1)誠意のない人間を相手にしない。時間の無駄。

(2)嫌われてもOK。全人類に好かれるとか無理。

(3)他人は変えられない。変えらるのは己のみ。

(4)明日を良くするも悪くするも全ては己次第。


明るい未来は君の手の中。必要なのは掴み取る意志とちょっと勇気だけ。



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(2)は、自分が近年の差し迫った環境の中で人生やっていく上で一番心掛けていることです。

まさにその通りです。

みんなに好かれようとして自分がクヨクヨ悩んで八方美人で苦労するのは、人生時間の無駄です。自分を嫌いな人をいかに好きにさせようという努力ほど効率の悪いことはありません。そんなことやるくらいなら自分を好きでいてくれる人をもっと楽しませようと努力したほうがよっぽど人生効率的です。

自分もちょっと前までは八方美人的な心配ばかりしてこのことで随分神経すり減らしていましたが、このことを悟り、楽になりました。

周りをあまり気にし過ぎて相手に合せすぎても、それだけの効果って意外とないものです。
「これが、自分です!」という自分の素の姿をさらけ出したほうがいいです。

それで去っていく人は、去る者は追わず。。。です。


(3)は、他人にあまりに期待しちゃいけないってことですな。これは自分も反省点あります。

(4)は、ここまでの境地に達したら、ほとんど仙人ではないでしょうか?(笑)
俗世界に住む人間にとってなかなか難しい境地です。


(1)は、たとえば通勤中の満員電車でイラっとするときに会っても、絶対ムキになって怒らないことです。そんなところで、いつ人生の落とし穴に巻き込まれて、いままでの自分の人生の大事なものをすべて失ってしまうことにもなりかねません。失いたくないから、最近自分は、他人との争いごとになりそうだったら、スゴスゴと引き下がってしまうようにしています。(笑)


でも頭にくることってあるんだよね。(笑)

そういう怒りをどうやって自分で処理できるかなんですね。

もちろんこんな狭い見地だけではなく、もっと広い意味でも、世の中はいろんな人がいるので、適宜見極めが必要で、(1)の判断はとても大切でしょう。

いま人生辛い人は、絶対上の4つのどこかで無理しているかも?


自分の経験から、(2)の考え方は絶対お薦めです。









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