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神尾真由子さん [クラシック演奏家]

あの衝撃の2007年のチャイコフスキー・コンクールの優勝。


いまでこそ、国際コンクールで日本人演奏者が優勝したり、入賞したりすることはそれほど珍しくなくなってきたけれど、まだ10年前の2007年当時は大センセーショナルだった。


しかもコンクールの名門中の名門。チャイコフスキー・国際コンクール。


諏訪内晶子さん以来の大快挙、ということで、日本中が沸きに沸いたことを覚えています。
まさに自分はそのときのリアルタイム世代ど真ん中。


あれは興奮したなぁ。


いまの日本人優勝、入賞の衝撃度とはくらべものにならないほど大センセーショナルだった。


あのセンセーショナルな大事件の中に自分がリアルタイムでちゃんとその中にいた、というのは本当に人生の宝物でしょう。


神尾真由子さんとの出会いは、もちろんそこが起点だった。


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その後、BSだったと思うけれど、そのときのチャイコフスキー・コンクールの模様をTV特集したときに見ていて、そのとき自分は神尾さんが本選で弾いたシベリウスのコンチェルトに無性に嵌ってしまい、相当入れ込んで聴き込みました。(ピンクのドレスだったと思いました。)


シベリウスのコンチェルトはどちらかというと解釈が非常に難しくて、少なくとも一般受けするようなポピュラーな曲ではないが、自分はこのコンクールで神尾さんのシベリウスを聴いたことがこの曲に嵌るきっかけになって、それ以来自分はこの曲に対する印象が随分違ってきて、自分にとってこの曲がヴァイオリン協奏曲の勝負曲にまで昇りつめた、という出会いの経緯があるのだ。


神尾真由子さんのそのデビュー当時の魅力は、諏訪内晶子さんが日本古来の正統派の美人としたら、神尾さんは、どちらかというと、ちょっと小悪魔的なセクシーさがあって、男性にとってはドキドキと誘惑させられるような、そんなある意味ちょい悪的なセクシー美人のようなヴィジュアルだった。(男性って、じつはそういうタイプの方に弱かったりするんですよね。(笑))


それ以来、ずっと神尾さんのことはファンとしてずっとウォッチしてきたし、自分の記憶にある限り、実演にも4回くらいは馳せ参じているのではないか、と記憶しています。


ところが、ここ最近ずっと気にかかっていたことがあって、神尾真由子さんのことについて、きちんと自分の日記で語っていない、ということ。


これはかなり気まずい感じで、こりゃいかんな、とどうしようか日々悩んでいた。いわゆるヒラリー・ハーンのときと同じで、ファンでいて、CDディスコグラフィーも聴き込んでいて、演奏会にも何回も通っているにも関わらず、日記でちゃんと語っていない、ということ。


これはなんとかしないといけないな、とずっと自分の心の中で引っ掛かっていた課題だった。チャンス、きっかけを探っていた。


そんな風に思い悩んでいた時に、つい先日、藤岡幸夫さん&東京シティ・フィルの首席客演指揮者就任披露公演で、ソリストとして神尾真由子さんが登場した。


これを見て、久し振りに神尾さんが檜舞台で大活躍されているのを嬉しく拝見した。


藤岡さんも神尾さんと初共演ということで、ずいぶんとSNSの投稿で盛り上げてくれたので、それで自分も、よし!いまだ!時到来、ぜひ自分の日記で語ろう!と思ったのである。


自分には神尾真由子さんについて語れる資格は十分にある。

それだけの経験がある。


もちろん神尾さんの熱狂的大ファンである、うさぎ仮面さんには敵いませんが、ほどほどにご容赦を。(笑)


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神尾さんの実演を4回ほどじかに接してみて、自分が抱く印象は、非常にダイナミックな奏法で男性的なパワフルな奏者である、ということ。そういうスタイルがご自身の意識しない本能的なところで成立しているので、切れ味の鋭いボーイングに、奏でる音に力強さがあって、なんといっても歯切れがよい。


本当に男勝りの奏法。


聴いていて本当に気持ちがよくスカッとするのだ。


そのダイナミックな奏法は、もちろん演奏パフォーマンスにも現れていて、非常に動的スタイルな格好よさがある。


それがまず自分が神尾さんに抱く第1印象。


逆に優しい女性的なメローな曲もいささか男性的な感情表現になってしまう傾向にもあること。


でもそれは若い頃の若気の至りというか、自分がより女性的で柔らかな面持ちになってからの神尾さんの演奏を聴くと、そういうところも軽減され、より女性的なオーラも十分醸し出されるようになった、と思う。


そんな感じだろうか。


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いまでも忘れられないのは、2012年4月30日の軽井沢大賀ホールでおこなわれた大賀典雄メモリアル軽井沢大賀ホール 春の音楽祭に行ったときのこと。この日の自分が選んだプログラムは、前半が諏訪内晶子さん、後半が神尾真由子さん、という今では信じれられない贅沢なプログラム。


この日はテンションが上がって、軽井沢現地でSNS投稿でハシャイでいたら、「諏訪内に神尾。なんて贅沢な・・・羨ましすぎ!」と読者から冷やかされたのを覚えています。(笑)


神尾さんはチャイコフスキーのコンチェルトという、まさにヴァイオリン協奏曲の王道の曲を演奏された。井上道義さん&オーケストラ・アンサンブル金沢に、ヴァイオリン独奏:神尾真由子という組み合わせ。


これは格好良かったねぇ。


シビレルとは、まさにこのことを言うのだと思います。


やっぱりチャイコフスキーのコンチェルトは耳タコ名曲だけあって、絶対盛り上がるんですよ。


「神尾さんは胸元が大きく空いた、肩、背中を露出する 大胆なベージュのドレス。
 
神尾さんは諏訪内さんと正反対で、とても男性的な弾き方。両膝をしっかり曲げて体を左右に激しく揺らしながらかなり動きながら弾く傾向がある。


”静の優雅な諏訪内に対して動のダイナミックな神尾という感じ。”


このコンチェルト、ソリストにとって聴かせどころ満載で、また彼女の18番の曲でもあって、見事な演奏だった。


後半のグルーブ感、疾走感からのエンディングは背筋がぞくっとする素晴らしさ。 諏訪内さんの華麗なソナタを聴いた後にダイナミックな神尾さんのコンチェルトを聴くという順番は盛り上がり、という点でも正当な順番だと 思いました。」


と、このように当時の日記で書いていた。


自分が3年間、定期会員だったミューザ川崎の東京交響楽団での名曲全集でも、神尾さんはソリストとして登場した。2014年12月27日で、指揮者が秋山和慶さん。


このときの演目が残念ながら覚えていないのだけれど、昔よりもずっと角がとれたというか柔らかい表現で、神尾さんもより大人の女性らしくなったのかなぁとその当時思ったことを覚えています。


そのときのカーテンコールは撮影しました。(笑)


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神尾さんが経年ともにより女性的な柔らかさ、繊細な感情表現が滲み出てきたのも、自分の想像だが、やはり結婚が大きなきっかけであったのではないだろうか?


2013年に、ロシア人ピアニストのミロスラフ・クルティシェフさんと結婚し、2015年に第一子を出産。


いまはおそらく育児とともにソリスト生活も兼任する、という大変な時期だと思うが、自分が神尾さんのコンサートに行っていた時期と、この結婚、子供が生まれる時期とで、その動的ダイナミックな奏法からより女性らしさが醸し出される雰囲気が出てきたタイミングが合致するのだ。


風貌も、より柔和で優しさが滲み出てきて、温和な表情になった。
小悪魔的なセクシー美女から、優しい柔和な美人の表情に変わっていったと思う。


ピアニストの旦那さまと結婚した当時、日本のTV番組が長期密着取材をして、ロシアの自宅の中で、旦那さまピアノと神尾さんヴァイオリンで稽古をしたりする風景。結構キツメなアドヴァイス・コメントを旦那さまに投げかけるシーン、そしてピアノ旦那さまと神尾さんヴァイオリンで、ロシアのホールで夫婦でのヴァイオリン・ソナタのコンサートをやっていくシーンなど。。。(2011年に拠点をニューヨークに移して、結婚は2013年なので、アメリカでの話かもしれません。
自分の記憶では確かロシアだったような・・・)


確か録画していまでも残っていると思うけれど、神尾ファンとしてはちゃんと興味深く拝見していました。


ディスコグラフィーのほうは、意外やあまり録音の数は多くない。
2008年 Sony BMG Masterworksと専属契約をして、いままで5枚のアルバムをリリースしている。


自分は、その中で、PRIMO、パガニーニ:24のカプリース、チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲の3枚を持っています。


その中で、やはりお勧めなのはこれ。



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24のカプリース
神尾真由子



デビュー当時の小悪魔的でちょい悪的なセクシー美人とは、まさにこのジャケットのような感じでした。


最高でした!


パガニーニの24カプリースは、ヴァイオリニストにとっては、非常に難度の高い超絶技巧の集まりのような曲で、このアルバムでは、その神尾さんの最高のテクニックが堪能できる最高の作品だと思います。



2011年に拠点をニューヨークに移している。


使用楽器は、2001年8月、サントリーから1727年製ストラディヴァリウス(以前ヨーゼフ・ヨアヒムが所有、使用していたもの)を貸与されて弾き始めた。


2012年に、その約10年使用していた上記のストラディバリウスを返却、米国・ストラディバリ・ソサエティーから1735年製グァルネリ・デル・ジェスの貸与を受け、使用している。


2017年5月より宗次コレクションから1731年製ストラディヴァリウス“ルビノフ”を貸与。

 

そのときの写真です。


日本ヴァイオリンにて貸与式が行われ、宗次コレクションよりヴァイオリニスト 神尾真由子さんにストラディヴァリウス1731年製作"Rubinoff"が貸与されました。


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(c)日本ヴァイオリンFB


将来有望な奏者には、このように名器を貸与することは、至極当然で素晴らしいこと。でも貸与する、ということは、いつかは返却しないといけなく、それは協会側からするとなかなか言い出しにくいことでもありますね。


難しい問題です。


こういうヴァイオリンなどの名器は、やはり芸術的文化の根付いた価値観を理解できる国で、しっかり管理してほしいです。経営難とかで中国マネーのようなところに買い占められて、貸与られるアーティスト、選考基準も、その方の好みみたいになったら、もうこの世の終わりですね。


そういう意味で、日本ヴァイオリン、ぜひ芸術文化精神に乗っ取った正しい選考基準で今後も頑張ってほしいし、神尾真由子さんに貸与されるのは、まさに絶対的な適任者と言えると思います。


最近のニュースで、ブラインドテストで、「聴衆は、ストラディヴァリウスよりも現代のヴァイオリンを選んだ!」というのが賑わっていることもありましたが、これも単に聴衆の耳、音だけでなく、その弾きやすさ、演奏表現の豊かさといった面もずいぶん違うはずで、奏者の立場も参考にしてほしかったという意見もあります。聴衆だけでなく、奏者にとっても、やはりストラディヴァリウスは別格なのだと思います。


この日記を書いて、久しぶりに、また神尾真由子さんのコンサートに行こうと思いました。


来年2020年1月11日にサントリーホールで、沼尻竜典さん&東京都交響楽団で、ヴァイオリン独奏に神尾真由子さんというコンサートがあり、そのチケットをさっそく取りました。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。


まさに女性的な曲ですね。


いまの神尾さんがどのようにこの曲をパフォーマンスするのか、とても楽しみであります。



2022.12.17 追記


いまの神尾真由子さんは、さらに進化を遂げて、ヴァイオリニストとしてでだけでなく、女性アーティストとしてもどんどん綺麗になっていって驚くばかりです。女性演奏家は、本当に経年とともに突然化けるというか、抜群に美しくなる。大人の魅力というか、円熟の境地というか、人間としてより深み、年輪を感じさせる美しさで、これは若いときには絶対醸し出せない雰囲気ですね。若いときの格好良い美しさとは、また違うんだな。女性はやっぱり経年のほうが断然いいです。これからもますます大活躍されていくことをお祈りしています。



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英国グラモフォン誌が選ぶ”レーベル・オブ・ザ・イヤー2019”にPENTATONE [クラシック雑感]

「グラモフォン」(Gramophone)は、ロンドンにおいて発行されているクラシック音楽、特に商業音源に関する月刊誌である。


メディア媒体としては、雑誌とウエブサイトがある。


「グラモンフォン」誌は毎年グラモフォン・アワードを主催していて、分野ごとの最優秀録音を選出、表彰しているのだ。「グラモンフォン」誌のウェブサイトには、”1923年以降のクラシック音楽に関する世界的権威”であると書かれていて、最近では、その表記が”世界最高のクラシック音楽評論”に変わっている。


毎年年間を通しての表彰のグラモフォン・アワードの他にも、毎月12の録音がグラモフォン・エディターズ・チョイス(現在はグラモフォン・チョイス)に選出されるような賞もある。現在はどうかわからないが、自分の知っていた時代は、年間のグラモフォン・アワードの選出方法は、数人のグラモフォンのエディター(編集者)による1次審査と、一般市民によるインターネット投票による2次審査で決めていると聞いたことがある。


グラモフォン・アワードは、いろいろな部門別に表彰されるのだ。


アーティスト・オブ・ザ・イヤー
アルバム・オブ・ザ・イヤー
レーベル・オブ・ザ・イヤー

などなど。


日本のレコード大賞で各部門別があるように、それのイギリスのクラシック版と考えていい。
それでグラモフォンの彼らが言うには、クラシック界の世界最高権威と言っている訳だ。(笑)


でも、この雑誌の年間のアワードに表彰されると、アーティストとしてのキャリアに箔がつく、というのも確かにあるかもしれない。自分も多少そう思っているのだけれど、巷の評判ではこのグラモフォンの評論というのは結構マニアックな選択・評論をするメディアで、ちょっと一般受けするような対象ではなく、かなり渋いところを狙う傾向にあるようだ。


ここのエディター達のメガネにかなうのは、なかなか大変そうだ。


自分がそう思うのも、過去にレーベル・オブ・ザ・イヤーにインディーズ・レーベルのChannel Classicsが選ばれたり、去年のアーティスト・オブ・ザ・イヤー2018には、レイチェル・ポジャーが受賞したりしている。


そんな年間のグラモフォン・アワードの”レーベル・オブ・ザ・イヤー2019”になんと我らがPENTATONEが受賞と相成った。


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思いっきり驚いてしまった。(笑)


インディーズ・レーベルの受賞自体は、Channel Classics以来の快挙だ。


インディーズ・レーベルに受賞させること自体、やはり彼らの評価基準というのは、独特のものさしというのがあるのかもしれない。


でもうれしい。

そうすると気になるのは、なにが受賞理由につながったかだ。
グラモフォン誌のエディター達のどこに心の琴線に触れたのかを知りたい。


グラモフォンのウエブサイトのレーベル・オブ・ザ・イヤー2019のページの投稿記事と、PENTATONEで紹介されているグラモフォンのエディターやPENTATONEのManaging DirectorやVice Presidentのコメントを和訳してみた。


そうすると受賞理由の骨子となるポイントが見えてきた。


PENTATONEというとどうしてもオーディオマニア御用達の技術主導型の高音質指向型レーベルというイメージが湧くかもしれないが、そこよりも今回の1番の受賞理由は、アーティストをとても大切にしている、アーティストの養成がうまいというところだった。


グラモフォンのエディターのジェイムズ・ジョリー氏によると


「PENTATONEは、アーティストに対して、必ず一定期間でのアルバムのレギュラー・リリースの姿勢を保証確保していて、アーティストに対しての擁護姿勢が完全であること。これはある意味、このレーベルの強みのひとつであると言える。」


そしてPENTATONEのManaging Directorのサイモン・M・エダー氏のコメント。


「我々がいままで抱えてきたたくさんの種類の音楽フォーマットを否定するものではなく、同時にこれらのフォーマットは共存していくものと考えている。CD、アナログ、ストリーミング、ダウンロード、ラジオ・・・我々はこれらのフォーマットをこれからも擁してくことになるだろう。


各々の伝送チャンネルにおいて、我々は、我々のアーティスト達や彼らの音楽が、最高に輝けるように戦略を立ててきた。


しかし最も重要なコミュニケーション・チャンネルがある。


それは我々にとって最も最愛のチャンネル。


それは我々のアーティスト達との対話である。


すべてはここから始まる。」


さらにPENTATONEのVice Presidentのレナード・ローレンジャー氏のコメント。


「我々のアーティストは、我々のレーベルの心臓部だ。彼らが我々がすることのすべての中心になる。このことが彼らの作り上げた作品に対する我々の大きな認識だ。その想いを我々は、アーティスト達と、そして我々の素晴らしいチームとともにいつも心の中で共有しているのだ。」



アラベラ・美歩・シュタインバッハー
アンネリーン・ヴァン・ワウエ
ヨハネス・モーザー
デニス・コジュヒン、
アリサ・ワイラースタイン
マグダレーナ・コジェナー
ウラデミール・ユウロフスキ
児玉麻里/児玉桃
山田和樹


そして


マレク・ヤノフスキ


(DECCAに移籍したけどユリア・フィッシャーもそうだった。)


ここに上げたスターたちは、PENTATONEを現在支えているスターたちだけれど、これはごく一部にしか過ぎない。いずれも若くて将来性有望なスターばかり。これだけの若きスターの名が連なった名簿はなかなか豪華なものだ。


そして、これらのスターたちは、必ず一定期間できちんと新アルバムを定期的にリリースする、そういうサポートがきちんと回っている。


今回のレーベルとしての受賞はそこを評価されたようだった。


PENTATONE=DSD/SACDというイメージがどうしても先行してしまうが、PENTATONEのManageing Diretorのコメントでは、いまは音楽業界の再編期に直面しているから、いろいろ考えていかないといけないと言っている。SACDだけではなく、Channel ClasicsのDSDダウンロードのNative DSD Musicにも音源を提供しているし、SpotifyやApple Muiscのストリーミングもやっているみたい。


SpotifyやApple Musicと言うと、フォーマット的にかなり落ちるし、PENTATONEの高音質のイメージが壊れそうなイメージだが、フォーマットは、あくまで伝送路の問題で、音源を売って利益を上げていくには、伝送路に拘っていてはいけなく、あらゆる伝送路で売り上げをあげて総合して利益をあげていくというやり方でないと今の時代生き残っていけないのでしょう。


PENTATONEのスターで楽しみなのは、最近日記でも盛んに取り上げている、彗星のごとく現れたクラリネット奏者 アンネリーン・ヴァン・ワウエ。


彼女のデビュー作「ベル・エポック」もさっそく英国のBBC Music Magazineのレビューに取り上げられて話題になっているようだ。


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それでは、


グラモフォンのウエブサイトのレーベル・オブ・ザ・イヤー2019のページの投稿記事



PENTATONEで紹介されているグラモフォンのエディターやPENTATONEのManaging DirectorやVice Presidentのコメント



の和訳をこの後に紹介しよう。



●グラモフォン・アワード ”レーベル・オブ・ザ・イヤー2019”の記事。(ジェームズ・ジョリー氏著)


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PENTATONEは、多くのレーベルがそうであるように、ミッション・ステートメントを持っている。その中には、このような誓約がある。”アーティストは、彼らすべてにおいてその多様性が尊重され、共通してひとつのことを行う。彼らは熱意と誠意をもって、最後の一滴までも絞って、創作性、スキル、そして仕事を完結させる決断力を持って音楽を作ること。”


いまの時代、このようなステートメントは、ほとんどのレーベルが主張していることだろう。


だが、今年のPENTATONEは、この高潔な感情項目に対して、明らかに十分と言えるほどのサポートをした。つい最近の9月頃に関して言えば、デニス・コジュヒンのグリーグ、メンデルスゾーンの小作品集のアルバムが我々グラモフォン誌の最優秀月間アルバム賞(グラモフォン エディターズ・チョイス)に選ばれた。


その評論の中で、マイケル・アッセイ氏はこのように認めている。
”ピアノ録音は、時たま心の琴線に引き寄せてくるものがある。・・・”


そしてPENTATONEが、アーティストに対して、必ず一定期間でのアルバムのレギュラー・リリースの姿勢を保証確保していて、アーティストに対しての擁護姿勢が完全であること。これはある意味、このレーベルの強みのひとつであると言える。


昨年の12月に、ヒューゴ・シェリレイ氏が、コジュヒンのことをこのように評した。”シュトラウス作品の気まずさ、独特の難しさを、ものともしない見事でありながら気まぐれなソリストである。彼はソリストとしては、いささか虚栄心が足りないと思われるが、彼の演奏は、そのシュトラウス作品の中の多くのゴージャスで叙情的な瞬間において、優しく誘惑的な趣きを持っていた。”


PENTATONEは、元フィリップスの役員メンバーのグループによって2002年に創立され、今尚、オランダのBaarnの街(ここはたくさんの国籍の人が住んでいる。)を本拠地としている。”高音質なサウンドに基づいた、素晴らしいが、決して派手ではない音楽の演奏力”という大きな哲学を育て続け、レーベルは成長し、一流のアーティスト集団の名簿を作り上げるようになった。(その中にはDGやDECCAからの移籍者もいる。)


現在、第2世代の役員メンバーにより(ここ数年、会社自体が大きなスリムダウンをして小さなチーム編成となった。)、レーベルは優れた形になり、より幅広く印象的なスタイルとして、我々の目(や耳)を捉えるようになった。


エディターズ・チョイス(グラモフォン編集者が選んだアルバム)


・Anna Lucia Richter のシューベルト歌曲集
・Tamara Stefanovich ”Influences”(バッハ、バルトーク、メシアンなどのキーボード音楽)
・ローレンス・フォスターのシューベルト・アルバム
・Andrew Manzeのモーツァルト・アルバム
・スイス・ロマンド管弦楽団のサン・サーンス&プーランク
・ジョナサン・モーザーのDutilleux and Lutosławski
・Melody Mooreのアメリカ歌曲集
・ウラディミール・ユロフスキのチャイコフスキーの白鳥の湖



●グラモフォン誌 出版・エディター マーテイン・クリングフォード氏より。


まず最初に、我々は、レーベル・オブ・ザ・イヤーを獲得するレーベルにどのようなことを望むのか?レパートリーに幅があること、そしてそのプログラムの作り方やアーティストが、革新的、クリエイテイブ、そして野心的であること。それらの条件を満たしたときに、チャンピオンになる。


そして、そのような彼らのアルバムは、レコーディング・クオリティの良さと同時に魅惑的なパッケージの素晴らしさの両側面を、我々に見事にプレゼンテーションしてくれないといけない。


PENTATONEは真にそのすべての条件を満たしている。



●グラモフォン誌 チーフ・エディター ジェイムス・ジョリー氏より。


PENTATONEは、元フィリップスの役員メンバー達のグループによって、2002年に創立され、たくさんの国籍の民族が住んでいるオランダのBaarnに本拠地を構えている。”高音質なサウンドに基づいた、素晴らしいが、決して派手ではない音楽の演奏力”という大きな哲学を育て続け、レーベルは成長し、一流のアーティスト集団の名簿を作り上げるようになった。


現在、第2世代の役員メンバーにより(ここ数年、会社自体が大きなスリムダウンをして小さなチーム編成となった。)、レーベルは優れた形になり、より幅広く印象的なスタイルとして、我々の目(や耳)を捉えるようになった。




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●PENTATONE マネージング・ディレクター サイモン・M・エダー氏より。


グラモフォン誌の”レーベル・オブ・ザ・イヤー2019”を受賞したことは、真にやりがいがある認識で我々の新しい道への到達点でもある。音楽マーケットが大きな変革期に直面してきている上で、我々はいろいろなエリアで、大胆なチャレンジをおこなってきた。古いルールは適用しない。時代遅れのレーベル・アプローチはおこなわない。


過去の時代においては、我々のレーベルは音楽産業界において権威的な立場にあったかもしれないが、その役割は、いまの時代に合った大改造、大変革の渦中にある。


我々の役割は、来るべく将来の形態に関わる形を維持するために、再編し、徐々に展開・発展させていく必要がある。


でもそれは、我々がいままで抱えてきたたくさんの種類の音楽フォーマットを否定するものではなく、同時にこれらのフォーマットは共存していくものと考えている。CD、アナログ、ストリーミング、ダウンロード、ラジオ・・・我々はこれらのフォーマットをこれからも擁してくことになるだろう。


各々の伝送チャンネルにおいて、我々は、我々のアーティスト達や彼らの音楽が、最高に輝けるように戦略を立ててきた。


しかし最も重要なコミュニケーション・チャンネルがある。


それは我々にとって最も最愛のチャンネル。


それは我々のアーティスト達との対話である。


すべてはここから始まる。


今回の賞は、我々がいままで成し得てきたことの名誉に対して、そして、今後我々の道を続けていく上でのモチベーションの両方に対しての賞賛の証だと思っている。



●PENTATONE  Vice President  レナード・ローレンジャー氏より。


私が3年前にレーベルに参加したとき、私の同僚と私は、自分たちが文字通り白紙状態の前にさらされているような感じがした。ところがじつに爽快なまでのいろいろな挑戦をしていくことで、レーベルの名を発展させ、その活動を国際的にも広めていくことができた。


初期の頃の成功のときに作り上げられたもの、そして探求されてきたテレトリー領域は、我々のコアな価値であると同時に、それらは計り知れない巨大なものとしてこれからも残っていく。


PENTATONEは、我々の時代に、決して妥協したりしないアプローチ、最高度の野心を持って、”シリアスで重要な録音をするための明白な場所”であるべきようこれからも努力する。


皮肉などの意味はいっさいなく、これが我々の仕事についてのすべてだ。


我々のアーティストは、我々のレーベルの心臓部だ。彼らが我々がすることのすべての中心になる。
このことが彼らの作り上げた作品に対する我々の大きな認識だ。


その想いを我々は、アーティスト達と、そして我々の素晴らしいチームとともにいつも心の中で共有しているのだ。









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世界の朝食を食べさせてくれるお店 ポルトガルの朝ごはん [グルメ]

ポルトガルといえば、カステラ、宣教師フランシスコ・ザビエル、種子島(キリスト教や鉄砲ですね)など、歴史の教科書に必ず出てくる日本にもお馴染みの国。日本との関わりが深いのだけれど、でも芸術の国々の絢爛豪華なヨーロッパの国々と比較すると、どこかこう地味で素朴というイメージではないだろうか。


自分はポルトガルには行ったことあります。


ベルギーに長期滞在しているとき、ポルトガルに出張しました。


ポルトガルのどこかは覚えていないのだけれど、販社(販売会社)があるところだから、たぶん首都のリスボンだったのだと思います。ベルギーの職務は交代制なので、自分が滞在するときに、前任者から引き継ぎをする訳ですが、その中の一環として出張で各国の販社で仕事をする、というミッションがあったのです。


その前任者の先輩は、ちょうどポルトガルで技術トラブルの問題が発生したので(我々は技術者として派遣されています。)ちょうどいい機会だから、引き継ぎの中でポルトガルに行こうということになりました。


記憶が曖昧なのだけれど(なにせ25年前ですので・・・)、そのとき日本から来た出張者か、他の国のラボにいた人だったか覚えていないのだけれど、若い人が同伴していました。


結局、先輩とその若い人、そして私の3人でポルトガルに出張したのです。


いい加減な性格のせいか、ポルトガル滞在中の仕事をしている場面はまったく覚えていないのだけれど(笑)、その後仕事から解放された後の自由時間に、3人でポルトガル・リスボンの街を散策したこと、そして3人で地元のレストランに入って、地元の夕食ディナーを取ったことははっきり覚えています。散策した夕暮れ時の街の風景なんか、いまでも完璧に脳裏に焼き付いているし、そこのレストランはスペイン料理系のような記憶があって、夕食では、パエリアとか魚料理を堪能したと思いました。


あと、もうひとつの記憶は、そのときは先輩と2人だけだったのだが、なんか洞窟を掘ったような場所の中に立ち飲みの酒屋があって、まるでイギリスのパブみたいな感じで、地元の人もたくさん立って飲んでいる中で、小さなグラスで、「これがポルトガルで有名なお酒だよ。」と言われて先輩と乾杯したことを覚えています。


それがなんの酒だったのか覚えていない。たぶんポルトガルの中でもっとも有名なポートワインだったのかもしれません。そのときはお昼どきで、若い人はいなくて、自分と先輩だけだったので、ひょっとしたら仕事中だったかも?(笑)


ベルギー滞在は自分にとってはじめての海外生活だったから、とにかくなにもかもが新鮮で、仕事の引継ぎでは先輩に怒られたことも多々あり、いい想い出。


あれからすでに25年経過してしまった訳だが、その先輩はいまはどのような人生を歩まれているのだろうか?年齢的には、自分との差を考えるともう定年のはずだが。。。(笑)


だからポルトガルというと自分にとってそういう甘酸っぱい想い出がたくさんある。


ポルトガルという国は、クラシックではそんなに有名な国ではないので、自分の後年の旅行範囲の中には入ってこずどうしてもご無沙汰という感じになってしまう。


ポルトガルの地理的な感覚はここ。


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ヨーロッパで最も西に位置する、ユーラシア大陸のさいはての国。15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパからアフリカ、アジア、アメリカへ大規模な航海が行われたが、その中心がポルトガルであった。1543年にポルトガル船が種子島に漂着して以降、キリスト教や鉄砲をはじめ、ポルトガルのモノや文化が日本に伝来し、定着した。いま我々が普通に使っている単語なんかもじつはポルトガル語が由来であったりすることも多い。日本にとってポルトガルは、470年以上も交流が続く、遠くて身近な国なのだ。



ポルトガル共和国


首都:リスボン
最大の都市:リスボン(約50万人)
人口:約1027万人
面積:約9.2万平方キロメートル(日本の約4分の1)
民族:ポルトガル人(先住イベリア人、ケルト人、ゲルマン系などの混血)
公用語:ポルトガル語
通貨:ユーロ
政体:共和制、EU(欧州連合)加盟
宗教:ほとんどがカトリック教徒


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国旗があらわすもの


緑色は誠実と希望を、赤い色は新世界を発見するために冒険航海に出た勇気を表しており(諸説あり)、紋章には優れた航海技術を象徴する天球儀と他民族から奪い返した7つの城、王家を表す盾が描かれている。


協力)ポルトガル政府観光局、安森智子(写真)



こちらがポルトガルの首都リスボンの街並み。


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自分の記憶にある街の景観とはすこし違うけれど、まあこんな感じのところです。
リスボンは、坂の多い起伏に富んだ地形から、「7つの丘の街」と呼ばれている。

リスボン最大の魅力は、そのレトロな街並みが醸し出す、落ち着いた素朴な雰囲気。


石畳の敷かれた道をトラムやケーブルカーにゴトゴト揺られたり、カフェで読書にふけったり、昼間からバルでお酒を飲んだり・・・など、ゆっくりの旅にぴったり。


先輩と若い人と自分の3人で散策した時も、1番脳裏に焼き付いているのは、ものすごい坂が多いよな、ということであった。なんか坂道を昇ったり、下ったり、本当に起伏の大きい街、なんか息ゼイゼイで歩いていたような記憶がある。


街並み的にちょっと他国のヨーロッパの派手な建築美とは一線を画すような素朴な景観なのだ。


街の至るところでアズレージョと呼ばれる装飾タイルで飾られた美しい建物を見ることができる。


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プロサッカー選手のクリスチアーノ・ロナウドの故郷としても知られる、マデイラ島もポルトガル領だ。「大西洋の真珠」と呼ばれるこの島の先はもう、アフリカ大陸なのだ。


ポルトガルではどこのカフェでもショーケースにはお菓子やパンがぎっしり。
お菓子はパステル・デ・ナタ(エッグタルト)やケイジャーダ(チーズタルト)などが定番。
味も見た目も素朴なパンはポルトガルの食卓には欠かせない。


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ポルトガルの市場の様子。新鮮な食材を使った美味しい料理がならぶポルトガルの食卓が想像できます。


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こちらはお魚。

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いまネットで調べていたら、自分が先輩と立ち飲みで乾杯したのはこのお酒ではないかな?という情報が出てきました。


ポルトガルおすすめ観光名所:ジンジャーニャの立ち飲み屋。


情報元:TABI CHANNEL  街がかわいい!雑貨がかわいい!ポルトガル旅行で必見の観光名所20選



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なんか店内の雰囲気が記憶にそっくりだ。(どこが洞窟を掘ったところなんだ!(笑))


リスボン地方特産のさくらんぼ酒、ジンジャーニャ。
ロシオ広場周辺にあるジンジャーニャを専門に扱う老舗立ち飲み屋。

このお店、道路に面してカウンターだけしかない潔い仕様なのだ。


注文すると、このプラカップについでもらえる。


そう!まさにこんな感じのカップだった!


自分の記憶の中には小さなおちょこ版グラスという記憶があったのだけれど、まさにこんな感じだったのだ。


この店内の雰囲気といい、この小さなカップで、もうピンと来ました。
リスボン地方特産のさくらんぼ酒、ジンジャーニャだったんだね。


こんな小さなお店でたくさんの人が集まって、まさに”立ち飲み”しているのだ。

甘くてほろ苦いジンジャーニャだが、とても飲みやすく止まらなくなってしまう。

アルコール度数が20%前後と高いので、お酒に弱い人は気をつけたほうがいいらしい。


確かに自分の記憶では、小さなグラスなのに、かなりアルコール強いな~という感じの印象でした。


しかし、先輩も決して海外には強い人ではないし、初めて行くポルトガルで、よくこんな店の地理を突き止めて(当時はインターネットもなかった。)、ボクに紹介してくれたものです。これが有名なポルトガルのお酒と言ってボクに紹介してくれたから、ジンジャーニャのことを事前に調べていたんだね。


当時日本から遠く異国のポルトガルで、このプラカップでの乾杯は一生忘れらないです。



このTABI CHANNELのページでも紹介されているように、ポルトガルは街がかわいい!雑貨がかわいい!という感じで、まるでおとぎ話にでてくるような古風なかわいいな街、レトロなケーブルカーや市電、コルクでできた雑貨の数々、素材の味を活かしたポルトガル・・・てな感じであきらかに絢爛豪華なヨーロッパ風情とは一線を画す感じだ。なんかわかいい街というのが女性に人気でそうですね。



では、いつものように、ポルトガルの食事事情についてひととおり説明。


・トースター・ミスタ


ハムとチーズをはさんで焼いた、トーストサンドイッチ。ポルトガルの朝ごはんの定番です。
Mistaはミックスの意味。しぼりたてのオレンジジュースといっしょに食べるのがポルトガル風。


・パン


ポルトガルの食卓に欠かせないのがパン。ふわふわの生地ではなく、ずっしり重いものが好まれます。日本のパンの語源はポルトガルのパォン。種子島に漂着したポルトガル船によって、鉄砲とともに伝わりました。


・フェイジャオン


インゲンマメなどの豆類の総称ですが、豆を煮込んだ料理のこともフェイジャオンと呼びます。
豚肉や牛肉と一緒に煮込んだものは、フェジョアーダと呼び方が変わります。


・マルメラーダ


カリンに似た果物、マルメロを煮詰めてペースト状にし、砂糖を加えた後、型に入れて固めた、羊羹のようなお菓子です。英語のマーマレードの語源は、このマルメラーダに由来しています。


・サラダ


サラダは英語では、salad(サラド)ですが、日本ではサラダと発音するのは、ポルトガル語のsalada(サラダ)からきているようです。salは塩の意味。ポルトガルのサラダはドレッシングを使わず、塩とオリーブオイルでシンプルに味付けします。


・ヴィーニョ・ヴェルデ


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アルコール度数が低めの微発泡ワイン。ヴィーニョはワイン、ヴェルデは緑を意味します。
完熟前のブドウを使って醸造することで生まれる、爽やかな味わいが特徴です。


・ポートワイン


「ポルトガルの宝石」とも呼ばれる、世界三大酒精強化ワイン(ブランデーを添加したワイン)。
独特の甘みと深いコクがあり、食前酒や食後酒として世界中で親しまれています。

下戸の自分も、ポルトガルのお酒といえば、ポートワインというのは知っていました。(笑)


・パン・デ・ロー


ポルトガルの修道院で誕生した伝統菓子。教会へのお供え物や家族親戚の集まり、お祝い事には欠かせません。大航海時代に長崎に伝わったパン・デ・ローは、のちにカステラのルーツになりました。


・フロール・デ・サル


ポルトガル南部のアルガルベ地方にある国立公園内の塩田で、伝統的な製法を守りながら今も手作業で、収穫されている最高級の天然天日塩。フロール・デ・サルは塩の花の意味。



そして、これがポルトガルの朝ごはんのワンプレート。


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メインはハムとチーズをはさんでトーストしたサンドイッチの「トースタミスタ」。
ポルトガルの朝ごはんの定番である。


その後ろの豆料理は「Feijão(フェイジャオン)」。 インゲンマメなどの豆類の総称だが、豆を煮込んだ料理のこともフェイジャオンと呼ぶ。豚肉や牛肉と一緒に煮込んだものはフェジョアーダ (feijoada)と、呼び方が変わる。


その後ろにある赤いのは「Marmelada(マルメラーダ )」。カリンに似た果物、マルメロを煮詰めてペースト状にし、砂糖を加えた後、型に入れて固めた、羊羹のような食品である。


英語のマーマレード (marmalade) の語源はこのマルメラーダに由来している。

セミハードのチーズと一緒に食べるのがポルトガル流。


そして一番奥にあるのがサラダ。この”サラダ”という言葉もポルトガル語が語源だ。


さっそく食す。

サンドイッチ美味しい!!!
溶けたチーズとサクッとしたパンの食感。
確かにパンは日本みたいにふわふわではないね。ちょっと重みがあります。
でも焼き上がりが本当にサクっとしていてじつに爽快です。


本当に美味しいと思うのは、やっぱりハムととろ~りと溶けたチーズですね。
(チーズは糸が引くくらいとろ~りです。)

もう最高のコンビネーション。
このコンビは世界万国どこの国の人でも絶対舌の味覚の感覚、共通だと思う。

このサンドイッチ、かなり美味しいです。


豆料理もふつうに美味しい。(笑)
日本で食す豆の煮込み料理とそんなに変わらない。
煮込みの味付けとかもそんなに日本と変わらない。


その後ろの赤い正方形状のマルメラーダ。チーズと重ね合っていて、いっしょに食べるのがポルトガル風とか。赤いのは爽やかな果物の味がしますね。それがチーズとミックスした感じで美味しいです。


最後のサラダ。


これはかなりインパクト大きかったですよ。


なにが衝撃だったかというと、一口入れた途端、完璧に塩で味付けられているのがわかること。
塩で野菜類のサラダがこんなに美味しく感じるのは、結構ショックです。
塩で味付けられているサラダ、かなり美味しい。
しかも健康的。


そしてオイルみたいなものもかかっていて、たぶんオリーブオイルだろうな・・・と思っていましたがその通りでした。


ポルトガル流サラダは、塩とオリーブオイルだけ。
ドレッシングはいっさい使いません。


これは健康的で、こういう美味しいサラダの食べ方ってあるんだな、と思いました。
健康的な食事には縁がない(笑)自分は、かなり考えを改めさせられました。


今回はサイドメニューも頼んでみました。


パステル・デ・ナタ(エッグ・タルト)


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ポルトガルのおやつと言えばこれが定番らしい。
外側が固く焼き上がっていて、中が卵なのかな?
いわゆるタルト風のおやつであって、かなり美味しかったです。
特に中のとろりとした卵が最高に美味しかった。



そして、パン・デ・ロー。


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いわゆる日本のカステラのルーツであるポルトガル版ですね。
これはもうふつうにカステラでした。(笑)


でも日本のカステラより硬いかな?


日本の高級カステラは、もっと湿り気があって、ふわふわして高級な食感ですが、こちらはもっと硬くてそんなに高級感はありません。


ふつうの庶民のカステラです。


ポルトガルの朝ごはんは、いままで食べてきた世界の朝ごはんの中でも5本の指に入るほど美味しいし、日本人の舌の味覚に合いますね。いままでこれは日本人の舌では理解できないよな?というような朝ごはんもたくさんありました。敢えて言うならば、日本人に合うと思うのは、台湾の朝ごはんが最高に美味しい。そして中国かな。どうしても同じアジア系の朝ごはんが日本人には理解できるし合うと思ってきましたが、このポルトガルの朝ごはんは、日本人にも絶対合います!


ポルトガルには、ちょっと自分の仕事人生の中でセンチメンタルな想い出があるので、尚更そう感じたのかもしれません。








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スティングの総決算! [海外ロック]

まさに言うことなし!
スティングに関しては、もう思い残すことないです。
完全燃焼しました。


ポリス時代の名曲からソロ楽曲まで40年以上のキャリアの総決算であるニューアルバム「マイ・ソングス」を引き下げて、その日本凱旋ツアーとなった。


このアルバムすごくいいです。


昔の曲もセルフカバーのようになっていて、格好良く今風にアレンジされています。


スティングは来日すると、なぜかそのとめどもなく溢れるラーメン愛で話題になる。(笑)
前回の来日のときに、インスタグラムで山頭火でラーメン食べました的なショットを上げて話題になった。そしてユニバーサル・ミュージックでは、スティングの大好きなラーメン屋さんベスト3も発表した。


今回もその期待を裏切らなかった!

今回のツアーは福岡からスタートしたのだが、その福岡でまたラーメン・ショットをインスタグラムに上げたのだ。


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この日スティングが福岡で訪れたラーメン屋は、元祖唐辛子入り豚骨ラーメン屋の「鳳凛」。福岡で4店舗をかまえる鳳凛の春吉店だ。


スティングは今回の取材(ローリングストーンジャパン誌)のインタビューで、このようなことを答えている。


あなたにとって「日本」といえばラーメンですよね?


スティング:いつでも最高のラーメン店を求めて歩いている(笑)。それも、観光客が行くようなところじゃなくて地元のサラリーマンが通っているようなところがいいね。実は昨日も福岡で美味しいところを見つけたんだ。作業着を着た人たちが、美味そうに食べてる最高の店だった。これから東京、仙台、大阪と行く中で、そういうラーメン屋を見つけるのが本当に楽しみだよ!


いいな~。(笑)


自分も大のラーメン好き。自分の愛するスティングがラーメンに目がない大ファンと聞いて、すごいシンパシーを感じる。明日の15日の大阪公演がラストの公演。東京、仙台、大阪でお気に入りのラーメン屋さんを見つけることができたのだろうか?


さて、自分は東京公演の初日の10/9の公演に出向いた。
幕張メッセのHall 7,8を貸切っておこなう。


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嫌な予感がした。


正直に告白すると、自分は幕張メッセが昔から苦手だ。
とにかく東京都心からやたらと遠い。
東京駅で京葉線に乗り換えるときのあの信じられない延々と長く続く連絡通路。


そして海浜幕張についてから、幕張メッセまでこれまた延々と歩いて、そしてその幕張メッセ会場のバカでかいこと。


幕張メッセというのは、基本展示会場なのだ。


自分の仕事柄でいうならば、いまのCEATEC。自分の全盛期の世代の時は、エレクトロニクス・ショー、通称エレショーと呼ばれるコンシューマーのAV家電製品の日本最大の展示会がこの幕張メッセで行われるのだ。だから仕事でよく通った。


もうそのときから自分の幕張メッセ嫌い、苦手意識があった。とにかくバカでかい。それは当然だろう。ありとあらゆる家電メーカー全部がブースを設けて展示するのだから。


今回なぜ幕張メッセなのだろう?
東京ドームや武道館ではないのだろう?

という疑問があった。


自分の不安は、幕張メッセのような超遠いところで公演をやったら、終演後に自分の家に帰るまでの最終電車に間に合うのだろうか?という心配があった。


案の定、まず終演後にあまりにデカいので、どこが帰りの出口か迷った。みんなが歩いていく方向についていけばいいや、という気持ちで歩いていたら、散々長距離を歩いた挙句、なんと駐車場に出てしまった。(笑)


そっか!みんな車なんだ!

もう慌てて逆戻り。夜も遅く22時を回っていたのでかなり焦る。


ようやく警備員さんを見つけて、海浜幕張駅に歩いて帰りたいのだけれど・・・とホールからの出口を聞いて、駅まで小走り。そして長い電車の乗り継ぎを重ねて、ようやく最後の東横線に乗れたときは、最終の前でなんとかセーフ。


もう~!やっぱり幕張メッセは嫌いだ!


幕張メッセに関する疑念はまだまだ続く。


まず、この日はじつは朝からあまり体調が芳しくなく、眠くて体がなんとなく怠い感じだったのだ。今日はせっかく楽しみにしていたスティングのコンサートなんだけれど参ったな~、なんとか頑張ろうと思い会場に着いた。


しばらくすると物販が始まった。


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予想はしていたが、まったくもって並ぶ気がしません。(笑)
するとリハーサルが始まって、中からモノスゴい爆音が、漏れ聞こえてくる。


こりゃダメだ、死ぬ。


密閉された中でPAガンガン。PAのロックコンサートなんて超久しぶりなので、その迫力にかなり萎えた。ただでさえ今日は体調が悪かったので、年寄りには相当キツく感じそう。なんだよ!あれだけ熱く語ってたのに、なんで萎えてるんだ!ガンバレ!


爆音の難を逃れて、ちょっとオアシスへ。年寄りにはこういう雰囲気のほうが落ち着きます。


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さぁ、スタッフたちもこれから、闘いが始まります!興奮のあまり、観客にケガ人が出ないように・・・スタッフたちにも緊張が走ります。


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だんだん物々しくなってきましたよ!開場近し!


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開場イン。


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幕張メッセの展示会場をどうやってホール武装するのか、ステージ、そして照明、巨大電子スクリーン、そして膨大なPA機器を持ち込むのだが、自分の心配にもうひとつ重要なポイントがあった。


それは椅子だ!


展示会場をホール武装するから、当然こういう仮設イスになる。・・・ということは、コンサート始まったら、みんなオールスタンディングだ。2時間〜3時間ずっと立ちっぱ。腰が・・・


年寄りにとって一番恐れていた展開だ!(笑)


東京ドームだと外野席は、コンサートが始まっても、ずっと座ったまま鑑賞できるから、年寄りに優しいんだけどね。自分はコンサート中座ったまま鑑賞できるかどうか、そこをずっと心配していた。


もう覚悟はできた。



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これから起こること。


会場の照明がいっせいに落とされる・・・その瞬間大歓声。スティング登場。怒涛のロック・ショー。爆音に耳が壊れる。立ちっぱで腰が痛くなり、椅子にへたりこむ。でもだんだん自分のペースを掴み興奮度アップ。終わったときは、青春時代にトリップできて号泣、むせび泣く。このような予定です。(笑)


冒頭の会場の照明をいっせいに落とすのは、もうこれはロック・ショーの常套手段です!
もうこれで会場のみんなは大興奮。これから始まる感が一気に高まる。


ついに怒涛のロック・ショー開始!


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自分は心体の体調不良もこれで一気にどこかに吹っ飛んで行ってしまい、一気興奮ボルテージMAX!


ところが幕張メッセに抱いていた不安の最後の罠がやってきた。


それはステージからの音波、衝撃波がすごいこと。もうビンビンに体全体にぶつかってくる感じで痛くて痛くてしょうがない。特にドラムスやベースの超低音波が強烈。そのドンドンという振動が床から足に伝わってきて心臓を直撃する。もう感動したいのだけれど、その衝撃波が痛くて相当参りました。


この体全体にぶつかってくる音波、衝撃波、これを2時間から3時間はキツイな。


東京ドームや武道館ではこんなことはいっさいなかった。
やっぱり幕張メッセの展示会場では狭すぎなんだよ。

ここでロック・コンサートをやるには無理があります。



この日のスティングのステージ衣装とステージパフォーマンス。
Photo by 土居正則!


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オープニングは、ポリス時代の孤独のメッセージ、そしてアンコールのトリは生ギター1本でFragile。


全19曲、ポリスの曲が9曲、ソロ時代の曲が10曲。2時間のコンサート。


堂々たるパフォーマンス。とても68歳とは思えない素晴らしい声量にシャウト、ロック唱法。
そしてこれでもか、これでもか、と畳みかけてくる名曲たち。


もう十分に溜飲下がりましたよ。
本当に来てよかった。


自分はポリス時代の映像ビデオ作品はもう数えきれないくらい擦り切れるほど観てきて若い頃のスティングのステージパフォーマンスをよく知っているから、そしてこれはポール・マッカートニーにも言えることなのだけれど、もうこの歳のベテランになると、コンサートのドライブの仕方がわかっているというか、余裕があるんだよね。若い頃は本当にがむしゃらに自分のできるパフォーマンスの限界ギリギリで勝負していたところがあるのだけれど、いまは本当に余裕がある。100%の力の内の80%くらいの力で余裕を持ってコンサートをドライブしているというか、自分にはそういう余裕感みたいなものを感じました。


そしてここで観客がドッと湧くというようなツボの捉え方ももう熟知していて、もういまの68歳のスティングにとっては、完全に自分の手の内コントロール下で余裕でやっているという感じがする。


すべてはシナリオ通りというか・・・。


自分の中ではスティングはやっぱりポリス時代が圧倒的なシェアなのだけれど、ソロ時代は、正直2作目のNothing Like The Sunあたりくらいしかフォローしていなかった。


でもそれは、自分の仕事が忙しくなってプライベートな趣味に音楽どころではなくなった余裕のなさもあるのだけれど、もうひとつはスティングが、ロックや彼仕様のジャズ・ロックの音楽性に飽きてきて、クラシックやもっと違った音楽性にトライしていたようなところもあって、ずっとそういう期間が長期間あり、ロックからすごく距離を置いていた時代があったと思うのだ。


アーティストとして自分の音楽性を広げるという点では、それもあくまで正しい選択なのだけれど、やっぱり古くからのファンというものは、いつまでも自分がもっとも入れ込んでいた時期の姿、音楽性に愛着がある訳で、いろいろなジャンルに挑戦するスティングに不満とまではいかないまでも、どうしてもついていけない部分もあったのではないだろうか?


前作からロックに復帰してくれて、今回のアルバムでは自分のキャリアの総決算のロックアルバム。


やっぱりスティングにはロックが一番似合う!


この日のセットリスト。


01.Message In A Bottle (POLICE)

02.If I Ever Lose My Faith in You

03.Englishman In New York

04.If You Love Somebody Set Them Free

05.Every Little Thing She Does Is Magic (POLICE)

06.Brand New Day

07.Whenever I Say Your Name

08.Field of Gold

09.If You Can't Find Love (Sting&Shaggy)

10.Shape Of My Heart

11.Wrapped Around Your Finger (POLICE)

12.Walking on the Moon (POLICE)

13.So Lonely (POLICE)

14.Desert Rose

15.Every Breath You Take (POLICE)


Encore:1


16:King Of Pain (POLICE)

17.Roxanne (POLICE)

18.Driven To Tears (POLICE)


Encore:2


19.Fragile



やっぱりポリス時代の曲が始まると大歓声だよね。ポール・マッカートニーがビートルズの曲をやるときの大歓声と同じように。


コンサート本編の最後は、「見つめていたい」でした。
これはもちろん盛り上がったねぇ。


スティングのソロ・コンサートには過去2回(東京ドームと武道館)行ったけれど、この見つめていたいの最後のエンディングのリピートして盛り上げるやり方に、必ず脳天から衝撃が走って、失禁してしまったのだけれど、今回はもうよく手の内がわかっていたからそういうことはありませんでした。(笑)


今回がキャリアの総決算という位置づけだったけれど、スティングは新しい新境地へと今後も前へ進むだろう。


でも自分が彼のコンサートに足を運ぶことは今回が最後かな?


いや、ファンというのはやっぱりそのときそのときで、やっぱりどうしても通っちゃうもの。
まっそれでいいんじゃない?


あまり堅苦しく美しく形決めをしなくても。。。







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関西風お好み焼きと広島風お好み焼き [グルメ]

オーディオを趣味にしていると、いいメリットというのは、全国にオーディオ友人ができて、オーディオオフ地方遠征ができること。


そうすることで、その地の名産物を食べれることだ。
あらかじめ自分で調べていく必要もないし、精度も必要ない。


その地元に住んでいる友人にすべて任せれば、苦労することなく、その地の最高のものが食べられる。

これがオーディオをやっていてよかったな、と思うことです。


最近は予算体力もなく、地方遠征もできなくなってしまったし、そして毎日自分勝手なつぶやきや日記の投稿を繰り返しているが、お世話になった地方のオーディオ仲間のみなさんにはいつも心の中では感謝しています。


今回大阪に行ったとき、やっぱりお好み焼きを食べた。
2日目で新大阪駅構内の御堂筋線に行く方向にあったお好み焼きさんが目につき、そのまま吸い寄せられるように入った。


そのとき、ふと思ったこと。

関西風お好み焼きと広島風お好み焼きの違いを自分の日記で語ってみたいと思ったこと。


自分は両方とも経験したことがある。


関西風お好み焼きは、大阪オーディオオフのときにたくさんの大阪のオーディオ友人の仲間たちに連れて行ってもらった。日記を調べたら2014年。いまから5年前。つい最近のことのようだよ。


広島風お好み焼きは、広島オーディオオフのときに、ひでたろうさんに連れて行ってもらった。
こちらが2016年。3年前だ。本当にときが経つのは早い。


だから自分はその違いを知っているし、語れるのだ。


大阪オーディオオフのときに、連れて行ってもらったお好み焼き屋さん。At The 21。
まだ元気でやっているのだろうか?


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そしてそのときに食した関西風お好み焼き。


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東京からお客さんが来てくれたということで、大阪地元の人だけが知っているお好み焼きでも特に美味しいと思われる穴場的スポットのお店だったと思う。お店へは車で行ったし、車でないとアクセス不能のようなロケーションのところにお店があったように記憶している。


見た目通り、とにかくボリュームがあった。食べ応えがあって本当に美味しかった。
これが本場のお好み焼きかぁという感じで感動した覚えがある。


関西風お好み焼きは材料をすべて混ぜてから焼く焼き方。生地にキャベツなど、すべてを混ぜ込み、鉄板の上に置いて、上から豚肉を置き、ある程度火が通ったらひっくり返し、全体に均一に火が通るように焼いていく。関西風お好み焼きはふっくらとした焼き上がりが特徴。ふっくら感をさらに増すために、山芋を生地に練り込むこともある。粉もん文化が広がる関西では、他にもたくさんの種類のお好み焼きがある。


一方、広島風お好み焼きは、オーディオオフ広島遠征のときに体験できた。
ホストのひでたろうさんの自宅の近くに、ひでたろうさんが普段通い詰めている馴染みのお店がある。屋台風のお店だ。ここも広島県民だけが知っていて美味しいと絶賛する地域密着型のお好み焼きを体験することができたのだ。


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そしてそのときに食した広島風お好み焼き。


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これもウマかったねぇ。ひでたろう邸の豪快なALTECサウンドを全身に浴びた後に食す空腹時のお好み焼きはまさに絶品だった。ビールとものすごく合った。


関西風、広島風とどちらがいい?


とは簡単には比較できないね、自分には。


広島風お好み焼きは、まず生地を丸くクレープ状に焼き、その上に、キャベツ、もやし、豚バラなどの基本の具材を重ねて焼いていく。広島風お好み焼きの特徴は、具材の中に麺があるということ。その後、ひっくり返して、生地と鉄板の間に挟んだキャベツが蒸され、キャベツの甘さが引き出されていく。はじめは具材で高さがあったお好み焼きも、火が通っていくと段々とボリュームがおさえられていき、食べやすい形になっていくという感じだ。


確かに麺を挟むのが特徴ですね。写真のように。


ひでたろうさんにそのとき関西風と広島風の違いを尋ねたが、そのとき具を混ぜるのが関西風だとのこと。あと空気の入れ方も微妙に違う。広島の方からすると、お好み焼きは広島が元祖で、関西のが、あくま で「関西風」。「広島風」などと言ったら広島市民に怒られてしまうとのことでした。(笑)


広島でお好み焼きと言えば広島風お好み焼き、関西でお好み焼きと言えば関西風お好み焼きが当たり前な訳で、わざわざ広島風、関西風と付けてメニューに書いていない店が当たり前なのだ。



ここで関西風と広島風の違いをより専門的に解説してみよう。


(1)生地の違い。

広島風お好み焼きの場合、水に溶いてさらりとした感触でゆるめに作られている。一方、関西風お好み焼きの場合は、ドロリとした感触で、広島風お好み焼きと比べると硬めの生地。生地とキャベツが絡まるためにも固さが必要で、火を通すとふんわりとした食感を生み出してくれる。


これは既述の写真でもその違いがよくわかるだろう。


(2)キャベツの違い。


メインの具材ともいるキャベツは、切り方の違いが大きな特徴となっている。広島風お好み焼きに使われるのは、細く長く切った千切りのキャベツ。焼いている最中にはてんこ盛りのキャベツも火を通せばしんなりとなり、食べる頃にはかさが減ってちょうど良い量になる。関西風お好み焼きの場合は、キャベツの幅を3cmくらいに切るのが主流。


(3)麺の有無。


関西風お好み焼きでは、あえてトッピングとして注文しなければ麺は付いてこない。一方、広島風お好み焼きは、何も言わずとも麺がお好み焼きに入っているのが基本である。麺の有無も、関西風お好み焼きと広島風お好み焼きの大きな違いになる。


(4)焼き方の違い。


広島風お好み焼きは、生地・キャベツ・具材をひとつずつ重ねて焼いていく、重ね焼きのスタイル。一方、関西風お好み焼きの場合は、焼く前に生地とキャベツを混ぜて焼く、混ぜ込みスタイルが基本。関西風お好み焼きは鉄板に広げて焼き、焦げ目が付いたらひっくり返し、再度表に返し、ソースを塗って完成。広島風お好み焼きの場合は、生地から具材を一つひとつ重ねて焼く。具材をいくつも重ねていくので、関西風お好み焼きより広島風お好み焼きの方が、厚みがあるものが多い。


(5)ソースの違い。


関西風お好み焼きでは、辛口のソースが使われることが多く、ソースの種類は主にイカリソースやオリバーソース。一方、広島風お好み焼きでは甘口のソースが主流。ご当地ソースでお土産品にもなっている、オタフクソースやカープソースが多く使われる。



(6)マヨネーズを使うのは関西風だけ?


お好み焼きのおいしさを引き立ててくれるのは、最後にかけるソースとマヨネーズ。しかし、マヨネーズを使うのは関西地方だけで、広島風お好み焼きでは使わないというのが圧倒的な声だ。


情報引用元:食べ歩きグルメブログ グルコック「お好み焼きの種類?関西風と広島風のお好み焼きの違いとは?」




こうやって書かれていることを読めば、そう!まさにそう!という感じで合点がいくことばかりだ。
また上記の6つの項目の違いは、上の写真でもその違いがはっきり認識することができるだろう。


自分がじかに体験してみて、そしてひでたろうさんに直接その違いを聞いて、自分のモノになったのは、関西風は全部混ぜてから焼くこと、広島風は重ね焼きであること。そして広島風は必ず麺が入ること。


ここのポイントだったな、結局。
簡単に言っちゃうと。


何回も言いますが、関西風、広島風、どちらが好き?とは簡単には言い切れないです。ちなみに、先日の新大阪駅で食べたときは、お好み焼きにご飯、味噌汁セットというのが平日のランチタイムにはついていた。


そうかぁ、やっぱりお好み焼きをおかずにご飯を食べるというのはありなんだな、と思いました。






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豊臣大坂城と徳川大坂城 [雑感]

実際間近で観る大阪城は、やっぱり天下の日本一のお城だと思いました。
(天守閣のことを言っています。)


城としての美しさがあると同時に、荘厳、威厳あるお姿というか、格好よさがありますね。日本一の美城として有名な白鷺城こと姫路城もぜひ現地に行ってじかに見てみたいのだが、そういう美しさの次元に留まるのではなく、もっと勇敢な武士道精神を表現した男らしい格好よさ、そして天下人という頂点を達観した英雄感のオーラが大阪城にはありますね。


やっぱり天下人のお城、太閤はんのお城という名の通り、天下のお城なんだと思います。


大阪城は、上京したての頃の若い頃、1回大阪に行って観たことがあったのだが、記憶が薄っすらとしか残っていなくて、また当時写真を撮影する趣味もなかったため、ぜひもう1回チャレンジしてみたいと思っていた。


今回いずみホールを体験するのが一番の目的だったのだが、大阪城がある大阪城公園は、そのすぐ目の前にあるので驚いてしまいました。(笑)


大阪城の”阪”という字は、じつは昔は”坂”と書き、大坂城と書くのが常であった。この表記については、近代以降「大坂」を「大阪」と表記するように改まったため、現在は「大阪城」と表記することが多い。


大坂城と言えば、豊臣秀吉が建てたお城と誰もが思うかもしれないが、大坂城の歴史からすると豊臣時代(豊臣秀吉)に造られた大坂城、徳川時代(徳川秀忠)に造られた大坂城と2つ存在するのだ。


豊臣大坂城と徳川大坂城は、まったく別モノなのである。


秀吉の死後に、関ヶ原の戦い、そして大坂冬の陣、夏の陣で豊臣家が滅亡すると、大坂城は、初め家康の外孫松平忠明に与えられて、忠明に課せられた任務はまずは大坂城下の復興であった。


ところが2代将軍徳川秀忠によって、豊臣色を払拭する大坂城修築工事が開始されたのだ。幕府直轄の城である徳川大坂城の城主は徳川将軍家の歴代将軍自身であり、譜代大名から選ばれる大坂城代が預かった。


江戸時代は、度重なる火災、落雷などで天守閣の焼失を始め、大半の建物は焼失、修復を繰り返した。



天守閣に限って言及すれば、結局、大坂城天守閣が再建されたのは、いままで3回。


秀吉時代の初代天守は天正13年(1585)から慶長20年(1615)まで・・・31年


徳川時代の2代天守は寛永3年(1626)から寛永5年(1665)まで・・・40年


・・・そして時を経て


3代目のいまの天守閣は、昭和6年(1931)から・・・最長記録更新中。


今回自分が観てきたこの3代目天守閣は、大阪夏の陣図屏風(大阪天守閣蔵、重要文化財)に描かれた豊臣時代の天守の外観に基づいて復興されたものなのだ。


よかったぁ!自分はてっきりいまの天守閣は、徳川大坂城の天守だと誤解していたので、いまこうやって調べたところ、豊臣天守閣だったことが判明してほっと胸をなでおろしました。


そりゃそうだよね。昭和に天下の大坂城を復興再建するのに、豊臣天守の意匠を使うのは当然のことだと思います。


大坂城は豊臣秀吉のお城です!


この3代目天守(復興天守と呼ばれている)は、当時としては珍しい鉄骨鉄筋コンクリート造りで、第二次大戦の空襲にも耐えて現在に至り、平成9年(1997)には国の登録文化財に指定された。


せっかくだからここで、豊臣大坂城天守と徳川大坂城天守についての違いを書いてみよう。(引用元:Wikipedia)


豊臣大坂城天守



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大坂冬の陣図屏風に描かれた豊臣大坂城天守



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大坂夏の陣図屏風に描かれた豊臣大坂城天守
いまの3代目天守(復興天守)は、このときの意匠を参考にしている。


大阪夏の陣のときの落城で焼失。


天守は、複合式もしくは連結式望楼型5重6階地下2階であったと考えられており、外観は、黒漆塗りの下見板張りで、漆喰壁部分も灰色の暗色を用いて、金具や、瓦(金箔瓦)などに施された金を目立たせたと考えられている。一説には、壁板に金の彫刻を施していたというものもある。


なお、5階には、黄金の茶室があったといわれている。

最上階は、30人ほど入ると関白の服に触れるほどであったとルイス・フロイスの「日本史」にある。


大坂夏の陣図と冬の陣図では天守の姿が大きく異なっているため、夏の陣のものは再建または改築されたものであるといわれている。冬の陣より夏の陣のときのほう荘厳な天守だったので、いまの3代目復興天守は、夏の陣のときを参考にしたのだと思われる。



徳川大坂城天守




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徳川大坂城天守(願生寺指図を元にしている。)


徳川大坂城の天守は江戸城の本丸・初代天守の配置関係と同配置に建てられたと見られている。建物は独立式層塔型5重5階地下1階で、江戸城天守(初代)を細身にしたような外観があり、白漆喰塗籠の壁面だったとみられている。最上重屋根は銅瓦(銅板で造られた本瓦型の金属瓦)葺で、以下は本瓦葺だったという。


高さは天守台を含めて58.32メートルあったとみられている。このことから江戸城の初代天守の縮小移築との説もある。


これが今回大阪城公園の大阪城復興天守の中に入った時に、展示されていたパネル。
天守閣の中は、博物館のようになっていて、当然豊臣大坂城と徳川大坂城の違いについての説明展示がある。


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これを見ると徳川大坂城は、基本は江戸城をベースとしていたところがあるので、巨大な天守(約58m)だったのがわかる。それと比較して、豊臣大坂城の天守(約39m)のなんと小さいことか!


自分はこのパネルを見たときは正直ショックでした。(笑)


図を見てわかるように、徳川大坂城は、豊臣大坂城よりも地表が高い所にある。徳川大坂城は、全体に高さ約1メートルから10メートルの盛り土をした上に、より高く石垣を積んだので、豊臣大坂城の遺構は地中に埋もれることになった。また天守など建物も構造を踏襲せずに独自のものに造り替えることになった。


徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、完全に大坂城を作り替えたのである。


だから、現在の大阪城公園にある地表に見ることのできる大坂城の遺構は全部徳川大坂城のものなのだ。豊臣時代の遺構は地下に埋まっている・・・


ということは、現在の復興天守閣の天守台も徳川大坂城のものである。
天守台は徳川大坂城で、その上の天守閣は豊臣大坂城のものを建立した、ということになる。


いまの復興天守閣の中は、博物館のようになっていて、そこで自分が1番ズキ~ンと心射貫れたのは、豊臣時代の大坂城の全建物の縮小プラモデル。天守閣を始め、本丸、二の丸、三の丸や、とにかくすべて。ものすごい広くて大きな建物群でこれは圧巻で素晴らしかった。


この博物館は、3F,4Fはカメラ撮影禁止になっていて、たぶん4Fだったと思うのだけれど、無性にカメラに収めたい衝動に駆られた。一瞬だったら撮っても大丈夫なような感じだったし、たぶん出来たと思うけれど、どこかで良心の呵責が・・・(笑)


いまものすごく後悔しています。撮っておけばよかったと。。。
それだけこの縮小プラモデルは自分の心をガシっと捉えました。


それではいよいよ自分が体験してきた3代目復興天守閣の荘厳なお姿を披露します。
どこがベストアングルか、というのは、もうすぐにわかるようになっている。


大阪城公園を順路で進んでいけば、天守閣が見えてくると、おぉぉ~ここだ!というのがピンとわかるのです。写真にそれなりに心得、拘りがある人ならば。。。


そしてそこには大抵観光客カメラマンがたくさんたむろっている。

観光雑誌などで使われている有名アングル、スポットも大体この中にあると思います。


では、これが大阪城3代目復興天守閣だ!


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大阪城公園を順路で歩いていくと最初に出くわす撮影スポット。
あっここだ!と思いました。雑誌でよく見るアングルです。


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ここが天守閣を最高のアングルで撮れるスポットですね。
そのように公園が設計されています。
その前がこのように広場になっているのです。


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休日です。天守閣の中に入るには当然長蛇の観光客の列に並ばないといけません。
そこに並びながら撮ったショット。


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天守台の麓からのアングル。


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これは西の丸庭園から撮影したアングル。たぶん珍しいショットだと思います。西の丸庭園からは、天守閣には行けないのですが、この広い庭園を散策していたら、ふっと振り向いたらこのような方向から天守閣が臨めるとは思いもよらず相当心臓がドキッとしました。


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さて、せっかく来たのだから、当然天守閣の中に入るつもりでした。
中に入るとミュージアムショップのお土産屋さんもありました。


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天守閣の中は、上階へはこのように当然エレベーターを使います。
スミマセン、思いっきりイヤミのつもりで言っています。(笑)

先の大阪サミットで、某首相の失言について皮肉っているつもりです。
もちろん階段でも行けます。5Fまでエレベータで昇り、最上階の8Fまでは階段です。


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天守閣の中はこのように博物館になっています。豊臣(秀吉)時代の歴史説明パネル、貴重な屏風や資料、実際使用していた武具などの展示など大変興味深いものばかり。時間を忘れました。


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これが天守閣に装飾されている金のシャチホコなどの装飾具。圧巻でした。


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これはかなり自分を魅了、惹きつけました。
豊臣秀吉はじめその勇敢な武将たちがかぶっていた兜。

手前から黒田官兵衛、後藤又兵衛、加藤清正、ひとつおいて豊臣秀吉。
当時の人間の頭は小さかったんだね。(笑)


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そして展望台になっている天守閣最上階へ。
階段で昇っていくとこんな感じです。


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外に出てみると、防護の網が張っている。


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ここから大阪の街を四方から眺めて観ます。

ここが天守閣を撮影する最高のスポットの広場になっている方面。
こんな広い広場だったんですね。


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高層ビルが立ち並んでいる。大阪は都会なんだなぁ。
手前に見える緑色のドーム式の屋根が大阪城ホールです。


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そして他の2方面。
西の丸庭園など大阪城公園は緑も多く、本当に広いです。


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これで大阪城天守閣を巡るメイン・ミッションはコンプリートです。

ほか、ちょっと大阪城公園を散策してみようと思いました。


あなたも戦国武将になれる!インスタ映えスポットなのでしょうか?(笑)
特に外人さんに人気でした。


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どうしても行っておきたかったのが、大阪城公園内にある豊臣秀吉を祀っている豊國神社。

秀吉像がそびえ立つ!


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ここではみなさん、秀吉に倣って、出世、開運を祈願するそうです。
・・・もうそういうのは、疲れるので、自分の場合、もういいです。(笑)

平穏な未来、小さな幸せを祈願してきました。



そして広大な緑の地平線が広がる西の丸庭園へ。


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ここには、国際会議などで使われる大阪迎賓館があることで有名ですね。


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この建物が大阪迎賓館です。


写真を撮影しているときは、この建物が迎賓館だとは知らずに撮っていたので(笑)、もっと真正面のショットが欲しかったですね。


国際会議(1995年のAPEC'95)などや結婚式場はもちろん2016年から予約制高級レストランとなったことで納涼会や企業の周年パーティ、忘年会、新年会などを愉しむことができるようです。なんといっても周りは、約6万5千平方メートルの広大な緑豊かな敷地内にありますから、四季折々の自然と開放的な空間そのもの。



広大な緑の敷地を歩いていると、ふっと後ろを振り向くと、なんと天守閣が!(笑)
さきほど紹介した、まさかここから天守閣が見えるとは!という驚きでした。

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これで大坂城ミッション、すべて終了。
いやぁ、やっぱり自分は日本史大好きなんですね。
こうやってあの日を振り返ってこの日記を調べながら書いているだけでもうドキドキ、ワクワク。

そして城マニアと言えるほど、全然詳しくないのだけれど、日本の城が大好き、ということを実感。


つぎなるターゲットは、もう決まっています。
日本一美しい白鷺城の姫路城です!


このときに、まだ14時。
開演の19:00まで5時間もある。
いずみホールはすぐ近く。


どうしようか、かなり困りました。
そこで大阪城公園入口のスターバックスへ。
この日は暑かったから涼をとる目的もありました。


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ここはいいですね!


自分はスターバックスにはあまりいい印象を持っていなくて、自分から好んで入るところではない。というのは、スターバックスと言ったら、もう東京では渋谷のスクランブル交差点のあのお店をすぐに思い出し、狭くて、汚くていつも女子高校生や若い人でごちゃごちゃに混みあっているという印象。


そんなイメージだったから、ここの広くて店内が綺麗で、天国のような場所は雲泥の違いだと思いました。冷房もガンガン効いているし。若い人が本、パソコンやiPadを持ち込んで、みんな勉強場所として使っているんだよね。こんな綺麗な環境だったらさぞかし効率いいと思いました。


ボクの向かいに座っているお兄さんは、電気技師資格の参考書持ち込んで長時間勉強していました。


自分は最初、iPodで音楽を聴きながら、ジュース飲んで時間を潰していたんだけれど、やっぱり5時間は・・・(笑)


最近よく思うのは、イヤフォン型のインナータイプで音楽を大音量で聴いていると難聴になる可能性が大きいということですね。最近歳のせいか、イヤフォンを外すと、軽い耳鳴りみたいな後遺症があって、それが鎮まるまで2時間ぐらいかかる。これは耳悪くするな~とつとに思います。


特にiPodではポップスやロックを聴くことが多いですから。

商売道具の耳は大切にしないとですね。

音楽はやっぱりスピーカーで聴きましょう!


開演は19:00なので、耳を鎮めるために、2時間前にはiPodをやめました。

その後の2時間はヒマでヒマで苦痛でした。(笑)



ようやく開演時間近くになって店を出る。


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大阪城公園入り口には、大坂城ホールという16000人も収容できるドーム式の多目的アリーナがありました。自分がここで音楽を聴くことはまずないだろうな・・・たぶん。(笑)







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体験!いずみホール [コンサートホール&オペラハウス]

最近は、大阪にもどんどん新しいホールが建設されていっているが、自分にとって、大阪を代表するホールといえば、シンフォニーホールとこのいずみホール。


なかなか大阪に行けることもないので、最新ホールは大阪の友人のみなさんに任せた、という気持ちが幾分にあるのだが、このシンフォニーホールといずみホールだけは、どうしても自分が抑えておきたかった。


シンフォニーホールは過去に3回訪問している。
(飯森範親&日本センチュリー、アラベラ・美歩・シュタインバッハー&NDR、エレーヌ・グリモー)


そのとき必ずセットでいずみホールを体験しよう、と試みるのだが、コンサートカレンダー的にどうしてもいい公演がないのだ。無理をして行こうと思えばコンサートもない訳ではないのだが、自分の意にそぐわぬコンサートに行っても満足感があまり得られないと思うし、ホール体験記もテンションが低くなってしまう。


今回は、もういずみホールを体験することだけを主眼において大阪行きを決めた。


コンテンツも専属オーケストラのいずみシンフォニエッタ大阪を選ぶのが筋だとは思ったが、これも自分のスケジュールと合わず、結局、ハーゲン・クァルテットの弦楽四重奏を聴くことにした。


これであれば、万事自分の満足のいく体験記になりそうだと感じた。


ところが折しも台風18号が接近して、なんと公演日の10/4には、進路が大阪上陸のような気配をみせた。これは心中穏やかではなかった。その週は毎日台風の進路に憂鬱になっていたりした。


つくづくいずみホール体験するには壁が立ちはだかるな、とまで感じてしまった。
幸いにも台風は北側の日本海側に抜け、4日には温帯低気圧に変わっていった。


やれやれ、である。


いずみホールは、大阪環状線の大阪城公園駅が一番アクセスが近い。


今回の大阪行きの目的には、いずみホールを体験することと、大阪城を体験することの2つがあり、なんといずみホールのすぐ手前が大阪城公園なのだ。想定外で1日にしてすべての目標を達成することができてしまった。(コンサート開演までの時間もかなり持て余した。)


いずみホールは、もう大阪ではコンサートホールのパイオニア的な存在で、歴史あるホールなので、もうみなさんにとっては既知の事実かもしれないが、あくまで自分のために調べて、自分のためにこの日記に改めて書き留めておきたいと思う。


いずみホール


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いずみホールは住友生命保険相互会社の60周年記念事業の一環として、1990年4月にオープン。


理想の音場の原点をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地「ウィーン楽友協会大ホール」に求めた、シューボックス型で821席のコンサートホール。天井や壁のデザインをはじめ、床、椅子、さらに8基のシャンデリアなどの緻密に計算された音響効果により、「楽器の集合体」に包み込まれるような空間を実現した。


残響時間はクラシックの室内楽にふさわしい1.8秒~2秒。明るくやわらかな音色が特長の、フランス・ケーニッヒ社製のパイプオルガン、ベートーヴェンと同時代の1820年代のナネッテ・シュトライヒャー製フォルテピアノなど、他のホールでは味わうことのできない特色ある楽器を備えている。


また、ホール独自の企画を主催公演として年間30公演程度開催している。


1990年から2018年まで、故礒山雅が音楽ディレクターを務めた。


ホールを運営する一般財団法人住友生命福祉文化財団は、昭和35年10月に住友生命保険相互会社の寄付により財団法人住友生命社会福祉事業団として設立、平成25年4月1日より一般財団法人住友生命福祉文化財団に移行、社会の福祉および文化の振興に貢献すべく事業を展開している。(いずみホール公式HPより)




自分の大阪に住んでいるオーディオの友人たちも一様にいずみホールの音響の素晴らしさを絶賛しており、「大阪屈指を誇る音響」、「おそらく大阪で1番音響が素晴らしいホールではないか?」そういう武勇伝をずっと長い間聞かされてきたので、ホールマニアとしては、どうしてもこのホールを体験しないといけないだろう、という使命感みたいなものがあった。


要は日本のコンサートホールを語るのであれば、このホールはどうしても訪れないといけない。ここを体験しなくて、偉そうに語ってはいけない、そういう無言の圧力プレッシャーがあったことは確かである。


自分がまだ訪問する前に、いずみホールにずっと抱いていたイメージは、821席という非常にコンパクトな容積で、しかもシューボックス。これは音響が素晴らしいのは間違いないよな。しかも内装空間がヨーロッパの古いホールのような美しさがあり、その壁面は拡散体で覆われている。もう素晴らしい音響の条件がすべて揃っているようなイメージだった。


そしてなによりも、いずみホールは、ウィーン楽友協会大ホールを模して造られた日本で最初のシューボックス・ホールであるということ。(厳密に言えば、洗足学園音楽大学の前田ホールが、ウィーン楽友協会を模した日本で最初のシューボックスホールなのだが、内装空間の美しさなど、断然いずみホールの方が上だし、こちらのほうが実際商用ベースのホールですよね。)


こういう本格的なヨーロッパ・テイストの内装空間を持ったシューボックス・ホールの日本での最初のさきがけのホール、という認識だった。


いずみホールの音響設計はYAMAHAが担当している。


いずみホールは、日本のコンサートホールビジネスの始まりの時期に創設された歴史あるホールで、


1986年に東のサントリーホール、1990年に西のいずみホール、そして1994年に岐阜のサマランカホールの3ホールが姉妹ホールとして提携し、情報交換や共同企画、事業協力、人材育成などについて協力するレリーフなどを交換したこともあったようだ。



いずみホールはオープンするにあたり、音楽学者礒山雅氏を音楽アドバイザーとして、特定のテーマをかかげ、演奏家、聴衆とともに音楽を探求し、創り、また楽しむという主張を打ち出していた。


礒山雅氏のかかげる企画の柱は、


(1)音楽の原点への旅
(2)音楽の未来への旅
(3)マイ・ディア・アマデウス


の三つである。中でも特色あるのが“音楽の原点への旅”のシリーズ。ベートーヴェン時代のピアノ“ナネッテ・シュトライヒャー”、“ナーゲル”のチェンバロなどという吊器を揃え、古楽器によるバロック音楽の新しい探求の旅を目指している。

“音楽の未来への旅”はわが国の作曲家、音楽家を中心として新しい音楽を創り出すというアトリエとしての活動である。三番目の“マイ・ディア・アマデウス”はモーツァルトの全作品を気楽に楽しむことを狙った企画である。


これらの企画のコンセプトの特色がホールのオープニング記念コンサートにそのまま反映された。


いずみホールのオープニング・ガラ・コンサートは礒山雅氏自らの司会、鈴木雅明氏のオルガン、有田正広氏のフラウト・トラベルソ(バロックフルート)、小林道夫氏のフォルテピアノとチェンバロ、吉野直子さんのハープ、仲道郁代さんのピアノ、岡坊美子さんのソプラノ、それにヤナーチェク弦楽四重奏団、大阪フィルハーモニー交響楽団、最後は指揮者なしで「ハフナー《を演奏したプラハ室内管弦楽団などで4時間を越える多彩なプログラムであった。


このホールの音響については、担当されたYAMAHAの川上福司氏の詳細な記事がオープニングの総合プログラムに紹介されている。


この開館記念の総合プログラムは音楽ファンにとってもの凄い読みごたえの内容だそうで、定価2,500円、ぜひ一読をお薦めされている冊子で、サントリーホールの黒本と同じように、いま一生懸命中古市場で探しています。(笑)


客席数821席、室容積約10,000m3、室幅21m、室の高さ15.5mの直方形という基本条件だけで、このホールの響きは高いレベルにあるといってよい。


室内楽から小編成のアンサンブルまでを余裕を持って受け止めるだけの空間が約束されており、また、大型ホールで苦慮する初期反射音についても特別な仕掛けに悩む必要はない。現実的な問題として客席数の約1/3をしめる通路前方席の音響をどう考えられたのかが気になった。音響設計の課題としては、むしろ拡散の程度とその周波数範囲をどう設定するかが最大の課題であろう。


また、響きのバランスも考えれば難しい課題である。


ところで、このような直方形のホールで一番悩むのはむしろ建築家ではないだろうか? 壁、天井とも拡散体で埋めつくされた空間を見てそんなことを思ったのである。


コンサートホールの運営では貸し館事業と自主事業とのバランスが現実面の大きな課題である。しかし、ホールの品格は自主企画のコンセプトと内容に懸かってくることは明らかである。わが国もやっと欧米諸国に誇れるホールをもつにいたったものの、専用の楽団のフランチャイズが始まったのは最近であり、ホールと一体となって独自の音楽を創り出すまでには長い道程が必要であろう。(いずみホール、オープン時の永田音響設計ニュースより)



ホールの品格は、自主企画のコンセプトと内容に懸かってくる。。。


そういう意味でも礒山雅氏(2018年にご逝去)の存在は、このいずみホールにとっては大変大きな存在だったのだと推測する。



前置きはこのくらいにして、さっそくホールの体験記である。
もう開館前は、心臓がバクバクで大変でした。(笑)


エントランス


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チケットオフィス。赤色がかなり映えていてかなりお洒落な色使いです。


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そしてホワイエ。


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赤色の絨毯が敷き詰められていて、非常にシックな感じの空間。室内楽ホールもしくは小編成のオーケストラ専用のホールに見合ったとてもコンパクトである、というコンセプトがこのホワイエにも反映されていると思いました。


レセプショニストの女性のみなさんは、赤いジャケットがユニフォームのようでした。とても素敵です。


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クローク側を臨む。


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そしてクローク(やはりとてもコンパクトなのが可愛い感じがします。)


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売店。


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2階に上がる階段からホワイエを臨む。


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インターミッション用のドリンクコーナー。
ここはかなり素敵な空間でした。雰囲気あります!
そして思ったより空間スペースが割かれているな、と思いました。


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そしていよいよホールに突入。


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これは美しい!


思わず息を飲んでしまった。いつものことなのだけれど、自分にとって初めてのコンサートホールに入った瞬間、自分の目の前に一面に広がるその空間を見たときは、一瞬息が止まります。


自分が逝ってしまう瞬間と言っていい。


全体的にブラウンを基色とした国会議事堂の衆議院会議場に近いビクトリア調の調度な感じですね。
その内装空間の美しさはあまりに驚いてしまい圧巻であった。


まさにヨーロッパの古いコンサートホールが持つ古色蒼然とした佇まい、というのがここにある、という感じ。こういう内装空間を持つホールって日本にはあまりないですよね。



ステージ側から見たホール空間。


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最初に驚いたのは、正面センターに上階席が存在しないこと。
こういうホール構造はあまり体験したことがないかも。唖然としてしまいました。
いわゆる両側面側に申し訳なさ程度に座席がある程度で、基本は1階席中心のホールなんですね。
1階席は前方は平土間ですが、センターあたりからスロープがついています。

そして奥行きが思ったほどなく普通のシューボックスより浅めの感じ。


本当にコンパクトな空間という印象。


ということは、まず思ったのは、上階席がほとんど存在しないということは、観客席の人が音を吸うことがほとんどないので、ホール観客席上部で、ダイレクトに壁に反射して反射音が高次反射するような音の濃い空間なのだろうな、ということ。ちなみにホールの四隅はラウンドさせています。



ホール側面側。





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ご覧のように申し訳なさ程度に客席が存在する。


でも見てほしい。ドアの部分がとても装飾性のあるデザインの素晴らしさで、これがきちんとした拡散性の凹凸を造っていますね。ウィーン楽友協会はロココ調のデザインだけれど、ここはちょっと雰囲気が違う。


でも昨今の最新型ホールの設計の傾向に見られる無機質な凹凸の作り方ではなく、このようなヨーロッパ・テイストな自然な美しさの装飾が彫られていて、それがきちんと拡散性の役割を果たしている、というのはまさに内装空間のデザインを損なうことなく音響が素晴らしいという両立を果たしていますね。


ドアの両側の赤いカーテンがまた全体の色の配色バランスで鍵を握っていて、とてもお洒落な空間を造っている要因です。でもこれは、また同時に吸音の効果も狙っていて、シューボックスが持つ最大の問題の定在波の問題の解決のひとつの策なのでしょう。


赤いカーテンの両サイドに縦にスリットが入ったデフューザー(拡散体)の柱がある一定間隔に配 置され立っているのがわかりますか?これもこのホールの壁の音の拡散の大切な役割を果たし ているのです。



天井


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ここにもきちんと音の拡散の仕掛けがしっかりと施されていた。


格子状のデザイン。これはアムステルダム・コンセルトヘボウがまさにそのようなデザインである。
そしてポリヒムニアのスタジオの天井もそうなっている。それは彼らがホームグラウンドのコンセルトヘボウの天井を真似たからにすぎないのだが。。。


ここのホールの天井は、さらにその格子状の中に三角錐の凹凸拡散体が施されているのだ。いずみホールの荘厳な内装空間の美しさからすると、この天井のデザインはちょっと武骨な感じがしないでもない。(笑)でも普通の観客は天井を見たりしないからね。(笑)


完璧な音響対策。



椅子と床


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これは岐阜サマランカホールと全く同じ形状タイプの椅子。観客が座る部分、お尻と背中の当たる部分だけクッションで座ったら隠れるようになっていて対吸音対策。その縁は木がむき出しになっていて、反射重視となっている。


客席の床を見てほしい。大理石(?)と思われるツルンツルンの固い床であった。
自分がホールに入った瞬間まずオッと思ったのはこの床の造りだった。吸音ゼロの全反射オンリーの床。ホールが全方位面で反射に囲まれる構造の役割をこの床も担っているのだと思いました。


でもステージの上は中が空洞の木のような感じでした。
ステージ上の発音体の大きな鳴りに対して、その振動がきちんと返ってくるような感じですね。



電子掲示板


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これもちょっと自分は初体験。(他のホールではあるのかもしれませんが、自分は初体験。)
ステージ後方に休憩時間(インターミッション)の時間がきちんと表示される。



いずみホールのホール空間は、内装空間がとても美しいホールで、そこにはヨーロッパの古いホールにあるような自然の芸術的な彫刻がなされ、それが同時に拡散体となるような仕組みが施されていた。


そこには現代の最新型ホールの内装設計の無機質な凹凸拡散体の造り方とはあきらかに違う造形美、芸術性があって心を和ませてくれる。自分はあまりに空間が美しかったので、休憩時のインターミッションではトイレに行く時間も惜しみ、ずっとその空間を眺めていた。またいつ大阪に来れるかわからないからである。(岐阜サマランカホールでもそうだった。)


色使いがブラウン系の調度で、全体的に暗めの照明。これが返って聴衆の音を聴く精神状態を静謐で深いものにしていることは間違いないと思う。この美しい内装空間で音楽を聴いていると、特別な感情に陥ってしまう。


ウィーン楽友協会のコンセプトを模して造られたと言われている、この内装空間の美しさの果たしている役割はかなり大きいと思う。


日本にこういうホールはあまり見かけない。


そして音響だが、これは予てからの噂に違わぬじつに素晴らしい音響体験であった。


「豊かな響きに明晰で引き締まった音像。」


控えめな容積で、シューボックスでこれだけの拡散体に囲まれている構造であれば、もう響きが豊かなのはもう結果として分かり切っていたことであった。驚いたのは、響きが豊か過ぎると各楽器のパーツの音が混濁してしまい響きに埋没気味になって音像が膨らむ感じになってしまうのだが、弦楽四重奏で聴く音響は、じつに見事な明晰な音であった。


不思議だったのは、ホールの壁が見掛け木目調に見えるので、木のホール独特の暖色系な音質だと推測していたのだが、硬質な透明感のある音で、まるで石造りのホールで聴いているようなクリアな音であった。


各弦楽の解像感の高さというか弦の聴こえ方のばらけ具合が非常にシャープネスな音で、音が立っている感覚だった。自分はこのとき、このいずみホールの音響を体験するのに、まず弦楽四重奏を選んだことは偶然とはいえ、結果として大正解だったと思う。


ここでは室内楽だけではなく、小編成のオーケストラも演奏される。

実際、専属オーケストラのいずみシンフォニエッタ大阪や関西フィルなどこのホールをホームにしている。


12型,14型,16型・・・どれくらいの規模の編成で普段やっているのかわからないが、これだけ慎ましやかな容積で、これだけ響きが豊かであると飽和してしまうんじゃないか、という心配もしてしまう。


一度聴いてみたいものだと思う。


いずれにせよ、ウィーン楽友協会のコンセプトがベースにあるこのいずみホールの最大の魅力は、この美しい内装空間と素晴らしい音響の視覚と聴覚の両方を同時に刺激する豊かな感覚なのだと思う。


こういう芸術性の高い空間で音楽を聴いていると一種独特な雰囲気、アドレナリンが湧くことは間違いない。


最近の新しいホールの設計企画でこのような内装空間を設計することはもう難しいのではないだろうか?


新しい時代にはその時代に適した新しいホールの内装空間というのがある。

そういう意味でもいずみホールは、大阪のとても貴重な国家財産なのだと思います。



さて、ハーゲン・クァルテットの演奏。


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ここの座席から。


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弦楽四重奏の王者に相応しい堂々とした演奏であった。


ハイドン、バルトーク、そしてシューベルトの弦楽四重奏を演奏してくれたが、自分は特にハイドンがよかったと思う。音響ありきの鑑賞の仕方で、申し訳ないと思うが、ハイドンが一番このホールの音響の素晴らしさを体感させてくれたからだ。ホール音響は一番最初の出音ですべてわかってしまう。それ以降いかに長時間聴いていようが、その印象が変わることはほぼない。そういう意味でハイドンは素晴らしかった。


コンサートの目玉としては、バルトークや特にシューベルトのロザムンデが一番の聴きどころなのだろう、と思う。ロザムンデは、逆に弦の弱音表現が素晴らしく印象的で、それを4人の完璧なまでのアンサンブルで仕立て上げていたところに素晴らしさを感じた。ある意味完全無欠で、非の打ち所がないようなまでの冷血漢的なところもあったような演奏だったと思う。もっと温度感のある暖かみ、呼吸感のある演奏も選択肢としてはあったと思う。



ハーゲン・クァルテット演奏会
2019年10月4日(金)19:00~ いずみホール


ハイドン 弦楽四重奏曲 第77番 ハ長調 op.76-3「皇帝」
バルトーク 弦楽四重奏曲 第3番 BB93


休憩(インターミッション)


シューベルト 弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 op.29-1 D804 「ロザムンデ」


~アンコール

ハイドン 弦楽四重奏曲 第76番 ニ短調「五度」Hob Ⅲ:76,op.76-2
第4楽章 Vivace assai







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