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マーラー・ユニヴァース 1860~2020 Vol.4 [海外音楽鑑賞旅行]

1920年 マーラーフェスティバル・イン・アムステルダム


ウイレム・メンゲルベルクはコンセルトヘボウ・オーケストラの指揮者に就任して25周年を祝して彼の友人で聖像人に捧ぐフェスティバルを開催した。1920年5月の15日間の間、マーラーフェストとして、メンゲルベルクとコンセルトヘボウ・オーケストラとで、マーラーの9曲の全交響曲、嘆きの歌、さすらう若者の歌、亡き子をしのぶ歌、大地の歌、そして5曲からなるリュッケルト歌曲集が演奏された。


出席者として、アルマ・マーラー(貴族夫人とともに、ミュージアム広場のホテルに滞在している。)、そしてアーノルド・シェーンベルク、メンゲルベルクの弟子たちが参列した。


アルマはこう書いている。”アムステルダムに到着・・・港・・・船・・・帆・・・索具(船の帆とマストを支えるロープ・ワイヤ・滑車などの総称)・・・乱暴な押し合い、慌しい動き・・・肌寒い・・・どんより曇った・・・一言で言えばそんなオランダ。マーラーの音楽の第2の故郷の夕暮れはとても素晴らしい絶景だわ。”


それはとてもユニークなフェスティバル、たったひとつの野望のみ。



”バイロイトがワーグナー作品のすべてのパフォーマンスのスタンダードと成り得るように、アムステルダムはマーラー芸術の精神的な中心地であってきた。”


これらの言葉は、組織発起人 リュドルフ博士、そしてメンゲルベルク、マーラーの遠い親類によって語り続けられた言葉なのだ。


アムステルダムは、マーラー所縁の街として最も先をいく街となっていくだろう。



ここから掲載するマーラーフェスト関連の写真の情報元は、マーラー財団(Mahler Foundation)所有のものである。Copyrighted By Mahler Foundation


マーラー財団 (Mahler Foundation)



第1回目のマーラーフェスト(Mahler Feest)は、1920年に開催された。(1920/5/6~5/21)メンゲルベルクが、RCOを率いて、マーラーの交響曲、歌曲を全曲演奏した。


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マーラーフェスト1920 (Mahler Feest 1920)のポスター


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これがマーラーフェスト1920のPasse-partours(つまり全公演のセット券)
これは今回のマーラーフェスト2020でもPasse-partoursはあっという間の瞬殺で完売でした。


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アルマ夫人が宿泊していたホテル。いまのゴッホ博物館があるロケーションだとあるので、コンセルトヘボウの近くだったんですね。


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これはおそらくメンゲルベルク邸なのだと思われる。でも記載の住所にはウィーン(Vienna)という文字が書かれていて、ひょっとしたらマーラーのウィーンでの住居なのかもしれない。オランダ語が読めなくてスミマセン。


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マーラーフェスト1920・ブック。
フェストに関するすべてが記載されている総合プログラムだと思います。


今回のマーラーフェスト2020・ブックも発行されます。2020年3月に発売される予定で、もちろん購入予約してあります。一生の記念、宝物ですね。


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当時マーラーはアメリカに住んでいたので、アルマ夫人は、このマーラーフェスト1920に参加するために船で航海でオランダにやってきました。


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アルマはこう書いています。”アムステルダムに到着・・・港・・・船・・・帆・・・索具(船の帆とマストを支えるロープ・ワイヤ・滑車などの総称)・・・乱暴な押し合い、慌しい動き・・・肌寒い・・・どんより曇った・・・一言で言えばそんなオランダ。マーラーの音楽の第2の故郷の夕暮れはとても素晴らしい絶景だわ。



長い船旅を終えて、オランダ・アムステルダムに到着した一行。
ものすごい大所帯でやってきたんですね。


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アルマ夫人と新ウィーン楽派のアーノルド・シェーンベルク


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ダークスカーフとダークハットの女性がアルマ夫人、ダークハットで傘を持っているのがアーノルド・シェーンベルク。前列真ん中がロシア生まれでオランダで活躍したヴァイオリニスト、アレクサンダー・シュミラー(1880-1933)。


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真ん中にアルマ夫人、左の杖を持っているのがアレクサンダー・シュミラー(1880-1933)全員で記念撮影。


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前列の真ん中が、ロシア生まれでオランダで活躍したヴァイオリニスト、アレクサンダー・シュミラー(1880-1933)、前列右側が、ドイツと日本で活躍したロシア生まれのピアニスト、指揮者のレオニード・クロイツァー(1884-1953)。


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リチャード・スペヒト(1870-1932)(オーストリアの作詞家、作家)とその夫人。


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まさに船旅。アーノルド・シェーンベルクと右側の帽子をかぶっているのが、オランダ・アムステルダムの芸術・財務の市会議員のF.ヴィバート氏。


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フェスティバルでのリハーサルの最中のフォト。真ん中にメンゲルベルク。


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メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ・オーケストラのメンバーとのフォト。


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1924年 メンゲルベルクによる交響曲第10番の補筆。


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ウィレム・メンゲルベルクと彼のアシスタントのコーネリス・ドッパーは、交響曲第10番から2つの楽章の補筆をおこなった。メンゲルベルクはこの補筆作品を11月27日にコンセルトヘボウ・オーケストラと演奏し披露した。




1995年 マーラーフェスティバル1995


1920年のマーラーフェスト1920から25年、ふたたび特別にマーラーの作品すべてをとても大きなスケールで演奏するフェスティバルが開催された。今回はコンセルトヘボウ・オーケストラだけでなく、その他にウィーンフィル、ベルリン・フィル、そしてグスタフマーラー・ユーゲント管弦楽団によってマーラーの全作品が演奏された。

アムステルダム・コンセルトヘボウのメインホールの様子をそのまま野外で鑑賞できるようにパブリック・ビューイングのセッティングがミュージアムプレイン(ミュージアム広場:アムステルダム旧市街を抜けた先にある広場(公園))に設置された。


その他の場所でも、アムステルダム市アーカイブ所蔵のマーラーに関する展示会をおこなった。


このようにアムステルダムは、マーラー一色となったのである。



マーラーフェスト1995 (Mahler Feest 1995)のポスター


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この1995年大会のときは、RCO,VPO,BPOと三大オケが揃い踏みであった。
だから、その各々のオケ・ヴァージョンのポスターが作られたのだ。


コンセルトヘボウ版ポスター

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ウィーンフィル版ポスター

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ベルリンフィル版ポスター

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マーラーフェスト1995の開催を報じるオランダの新聞。


”メンゲルベルクからシャイーに至るまで。”
”我々の音楽ヒーローに基づいた国際的で巨大なフェスティバルが開催される。


準備のリハビリもなければいままでのリファレンスもない、いままでかつてない重要なフェスティバル。(そりゃRCO,VPO,BPO揃い踏みという過去に前例がないんだから。)”


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”マーラー・イン・アムステルダム、メンゲルベルクからシャイーに至るまで”の博覧会の折り込みチラシ。

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”マーラー・イン・アムステルダム、メンゲルベルクからシャイーに至るまで”の博覧会がオープン。広大な公園でAmsterdam Municipal Archiveが造営された。


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マーラーフェスト1995では、世界で最大のティンパニーが展示された。
両端110.5cmに至る世界最大規模。マーラーの交響曲では低音が強調されるように、と。
1920年にメンゲルベルクによって委託された。


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記念に発売されたマーラーフェスト1995のスタンプ付き封筒。

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”マーラー・イン・アムステルダム、メンゲルベルクからシャイーに至るまで”博覧会で記念に発売された本とCD。


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マーラーフェスト1995オリジナル手帳。見よ!交響曲第7番専用だ!

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これもマーラーフェスト1995のときに発売された本。”Gustav Mahler the World Listens”

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マーラーフェスト1995で特別に造営された大型テント。チケット争奪戦に敗れてホールに入れなかったお客さんをサポートする。朝10時からドキュメンタリーやレナード・バーンスタインの歴史的な録音を聴いたり、いろいろなものが大型スクリーンにパブリックビューイングされた。12時半からはランチコンサート。午後からは引き続きドキュメンタリー・フィルムが映写された。毎日夕方5時半から、音楽学者によって40分の講演があった。


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マーラーフェスト1995、ついにフェスティバル開始を伝えるオランダの新聞。シャイーの姿が!まさに歴史的瞬間!

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マーラーフェスト1995の記念プラーク(額)

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マーラーの娘、マリア・アンナ・マーラーが作ったマーラーのブロンズ胸像。
これは彼女が子供のころに自分の父を見てインスパイアされて作ったものである。


それをマーラー孫娘であるマリナ・フィツォーラリ・マーラーによって、マーラーフェスト1995のときにコンセルトヘボウに寄贈されたものである。


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1995/5/8 マーラーフェスト1995。リッカルド・ムーティ、ウィーンフィルを率いて、かつてのレナード・バーンスタインやクラウディオ・アバドの頃の70年代のときのマーラー音楽の熱狂を見事に演じて見せた。ウィーンフィルはマーラーの音楽を演奏する経験が少なかったので、これはひとつのエポックメイキングな事象であった。


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造営された大型テントでのカフェ。

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そしてこのマーラーフェスト1995のマーラー全曲演奏会は録音され、CD-Boxとなった。もうこのCD-Boxは何回も説明してきましたね。


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録音はオランダ放送協会によるもの。


このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようなのだが、一般には全く流通していない大変貴重な非売品である。(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤です。)


滅多に入手できない希少品で、中古市場で大変なプレミアがついて売られています。
こうやって自分もヤフオクで10万の大金をはたいて購入しました。
自分の宝物です。


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自分がヨーロッパに住んでいたとき、アムステルダムに同期の友人が住んでいて、このマーラーフェスト1995を体験しました。いままでマーラーは食わず嫌いだったのが、このフェストに通ったことで、マーラーに開眼したとか。自分もその友人から聞いて、このマーラーフェストという音楽祭の存在を知ったのでした。


去年、その友人とひさしぶりに飲んだとき、わざわざ持ってきて見せてくれた、そのときのマーラーフェスト1995のコンサートカタログ。4曲通ったから4部ある。マーラーフェスト1995は赤色がテーマ色でしたね。


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2020年 マーラーフェスティバル2020


ウイレム・メンゲルベルクによるマーラーフェスト1920から正確に100年後、コンセルトヘボウは再度、マーラーフェスティバルの大フェスティバルの舞台に立つ。もちろん1995年のときのように、コンセルトヘボウ・オーケストラの他に、ウィーンフィルやベルリンフィルもやってくる。今度の2020年度のときは、マーラーが1909年から1911年まで音楽監督を勤めていたニューヨークフィルもやってくるのだ。


そしてついに自分が体験するマーラーフェスティバル2020。


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マーラーフェスティバル2020のポスター

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まさに人生に1回のチャンス!


1920年大会、1995年大会も、マーラーフェスト、Mahler Feest なのに、今回から改称で、マーラーフェスティバル、Mahler Festivalになってしまった。フェスティバルは、なんか普通っぽすぎて面白くないというか、マーラーフェストのほうが、っぽくていいのに、歴史もあるし、と思うのです。


マーラーフェスティバル2020はどのようなイヴェントがありそうか、はいままでの日記で紹介した通り。いままでのフェストと同様に、きっとたくさんの記念グッズが売られると思うから、全部買ってくる予定です。(笑)それを入れるためのトートバッグ買わないといけませんね。


ミューザ川崎の売店で売っているトートバッグを買ってきましょう!










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