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東大正門前の喫茶ルオーのカレー [グルメ]

「東大正門前の喫茶ルオーのカレーはウマい!」


この発言にアンテナがビビッと反応し、思いついたらすぐに実行、即座に行ってまいりました。それは、自分が事前に予想していた通りのある特別な意味を持った「美味しさ」だった。


確かに実際食べてみたら美味しいのだけれど、ここで言っている美味しいという意味は、ごく一般的な意味ではなく、もっとノスタルジックで郷愁の念というか、個人の心の琴線に触れるような特別の意味合いを持つ”美味しい”だと思った。


たぶんそうなんじゃないかな?と予想していたのだが、実際食べてみて、まさにその通りの”美味しい”だった。けっしてビジネスライクなウマさじゃなかった。


なぜ、それが事前に予想できたかというと、東大キャンパス前の学生街だからだ。

学生街の店のウマいは、普通のウマいとは意味が違う。


大学のキャンパスの近くのお店は、お客さんのターゲット層はもちろんその大学に通う学生さん。きっと地方から出てきて、東京1人暮らし。親の仕送りと自分でもバイトしてキツキツの生活。普段も満足な食生活などしていないはず。


学生はもともと貧乏なもんだ。


でもそのときにその学生街で食べたウマいもんは、本当のレベルとして美味しいかどうかの問題でなく、そのときは本当にウマいと思ったものなのだ。


それでそのときの記憶は決して何年経過した大人になっても忘れられないもの。学生街のウマいというお店は、その大学に通う学生さんたちのそんなハングリーな生活の郷愁の念で思い出の詰まった美味しい店なのだろうと思っていた。


自分は地元の大学で、しかも実家の親元から通っていたから、大学時代はそんなハングリーな環境ではないある意味恵まれた環境だったが、それでも自分の小遣いは、自分で塾講師とか家庭教師をしながら稼ぐのが親との暗黙のルール。


その稼いだお小遣いは、ほとんどロックのアナログレコードを買うことと友達とお酒や食べることに消えてしまったような気がする。大学食堂で、友達とロック談義をするのが大の楽しみだったし、ポリス、U2がどうだ、とか・・・


北大は、学生の50%以上が道外の学生で占められるインターナショナル(?)な大学で、自分の友人もほとんど道外出身で、みんな下宿して少ない親の仕送りとバイトで生活していた。


いつもその友達たちの下宿先に泊まって夜更かしして、語り合っていた。
これは最高に楽しい思い出だ。


それで、その下宿近くにあるラーメン屋さんとか居酒屋で友達と食べたときのあのウマさは、何年経っても忘れられないし、最高に美味しい。


大学時代は麻雀にも明け暮れていた時代で(ボクらの時代は麻雀全盛時代だったのです。いまの子たちはやらないと思うけれど。)、よくその学生街の雀荘に通っていた。


東風荘という名前の雀荘だが、いまも存在するのだろうか?たぶん潰れてないだろうな?


さらに遡って高校生時代のときは、下校のときは、かならず3~4人でいっしょに帰っていたのだが、そのときに必ず毎日じゃないけれど、下校途中にある味噌ラーメン屋さんに通うのが大の楽しみだった。


春日食堂という名前のお店だったが、これが当時通っていたとき本当にウマくて、金のない学生時代の大のご褒美のようなものだった。


この春日食堂の味噌ラーメンの味は大人になっても決して忘れられなくて、就職で東京に出てきた後になっても夏のお盆や年末年始に帰省した時に、必ず立ち寄っていた。


それをず~っと何年も続けていた。


自分の実家のある田舎町にある本当に名もないラーメン屋さんに過ぎないんですよ。


でもその子供時代に美味しいと思った春日食堂の味噌ラーメンの味はけっして錆びつくことなく永遠に美味しかったし自分だけの世界の味だった。


いまでこそ、味噌ラーメンといえば、純連とかすみれとか騒いでいるけれど(笑)、そういうビジネスライクに美味しいというレベルとは、ちょっと違うんだよね。そういう郷愁のノスタルジックな学生時代の味というのは。


残念ながら春日食堂は、5年くらいほど前に、ついに潰れてしまい、自分の記憶への旅に終止符が打たれてしまった。


慶応大学の三田キャンパスの近くにあるラーメン二郎もそうでしたね。いまやどこにでもあるチェーン店みたいになってしまい、ちょっと残念な感があるが、昔は、三田キャンパスに行く途中の交差点の端にあった。


このころが最高にウマかった。山田の親父さん元気にやっていて、これこそ二郎の味という感じでウマかった。いまでも二郎はよく行きますが、三田キャンパスのその本店は場所が移動してしまい、久しぶりにその三田本店の味を堪能したけれど、山田の親父さんは元気そうだったが、味はガタ落ちでもうガッカリ。


昔の面影まったくなし。


ラーメンは味を長年に渡って維持するのが難しい商売ということがつくづくわかりました。


こういうケースもありますね。(笑)
このラーメン二郎の三田本店も、まさに学生街の名店、慶大生の思い出の味です。



そんなもう一度食べてみたい、あの頃に通ったあの味、あの頃、本当にウマいと思った店。


「東大正門前の喫茶ルオーのカレー」には、そういう学生街だからありうるウマさの定義、東大生だからわかるその思い入れ、というのがあるんじゃないかな、と思ったのだ。


それはドンピシャ当たりだった。


実際本当にウマいんだけれど、それだけじゃない東大生だからわかるなにかが間違いなくある。


喫茶ルオーは東大の正門前にある。


自分は東大の本郷キャンパスに行ったことがないので、今回初体験だったのだが、あの有名な赤門と正門というのは違うんですね。


自分は赤門のことを正門だと思っていました。


でも赤門と正門は別です。


赤門~受験生が合格やったー!という感じで親と記念撮影している場面でよくテレビに映っていますね。

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正門


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喫茶ルオーは昔は赤門の前にあったそうで、ネットで検索すると、赤門前のルオーってあるから、さらに赤門=正門という勘違いから赤門前でウロウロしたが、見つからず迷って、道の人に聞いたら、昔は赤門前だったけれど、いまは正門前に移っちゃったんですよね、と言われ、解決。


そこで正門のほうに歩いていき、店が近づいてくるとカレーのプ~ンといういい匂いが!


そしてついに喫茶ルオー発見!


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まさに昭和のノスタルジックな雰囲気の名店という感じだ。
古くから東大生たちに愛されてきた名喫茶店。


カフェじゃないんだよね。あくまで喫茶店です。
わかる?この雰囲気。


店内に入ってみると、うわ~雰囲気ある!
漆喰塗りの壁、木彫りのテーブル。
2階にも席がある。


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2Fのほうにお邪魔すると(別の日に再度チャレンジしました。)、これまた1Fとは比べ物にならないほどの見晴らしのよさというかスペースが確保されている。


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喫茶ルオーのテーブルと椅子はすべて木製。赤門前にあったときのインテリアをそのままこちらでも引き継いでいるそう。テーブルの木目、座面もこじんまりと可愛い椅子の背もたれ。


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それにしても椅子の背もたれには、コーヒーカップのくりぬきや、ビールジョッキのくりぬきのデザイン。なんかお洒落心があるというか、ホッとさせてくれますね。ルオーのアイコン的存在と言ってもいいと思います。


ビールジョッキのくりぬきデザイン


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コーヒーカップのくりぬきデザイン


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ここで、喫茶ルオーについて、2012年2月3日号の週刊ポストに記載された記事をそのまま紹介しよう。



東京大学正門の向かいに佇む「喫茶ルオー」の歴史は60年に及ぶ。昭和27年に画家の森田賢さんが赤門前に画廊喫茶として開業。昭和30年に入店した現店主の山下淳一さんが昭和54年に引き継ぎ、現在地に店を移した。


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「昭和30年代の本郷通りは古書店、雀荘、喫茶店が数多く立ち並び、まさに学生街だったんですよ。赤門前のルオーは120席もあって、学生、芸術家や劇団員、文学関係者の溜まり場で賑やかでした」(山下さん)


1960年代後半には鶴見俊輔、小田実、開高健などべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)のメンバーも立ち寄ったという。


「東大紛争の頃はケガをした学生が店に避難しに来たことも。本郷通りの歩道は石板敷きだったので、学生たちがたたき割って投石したんです。それにしても当時の学生はよく議論をしていました」


そしてカレーもよく食べたという。久しぶりに店を訪れ、ゴロンと入っている牛肉の大きな塊をほぐしながら「ちっとも味が変わっていない」と懐かしむ卒業生も多い。舌は味を忘れず、味は過ぎ去った時を呼び戻す。


「ここで勉強して司法試験に合格した学生もいます。入学した娘さんを連れたお父さんが「私も、私の父も学生時代に来ていました。親子三代です」と声をかけてくださったりすると、続けてきてよかったと思います」(山下さん)


ここのメニューが面白い。


ふつうの喫茶店なのだが、喫茶のメニューとランチタイムのときはカレーライスがある、というオリジナルなメニュー。


もちろんランチメニューはカレーのみ。

ここのカレーを食べに多くの客がやってくる。
カレーの美味しい喫茶店といったところで、有名なのだ。


自分はもちろんこのカレーライスを食べにやってきた。


この店で今も昔も変わらず愛されているのが「セイロン風カレーライス」。
この喫茶ルオーのカレーというのは、このセイロン風カレーライスのことを言います。


さっそくオーダー。これだ!!!


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60余年前の創業当時からある「セイロン風カレーライス」は、具は大きなじゃがいもと豚肉が一つずつという潔さ。「初代の奥様がホテルのシェフからレシピを習ったと聞いています」ということらしい。


本当に見た目、じゃがいもと豚肉がひとつずつゴロリという感じである。


とてもシンプルなカレー。今風じゃなくていかにも伝統の昔カレーという感じですね。


タマネギやニンニクなどをじっくり炒めて、小麦粉とカレー粉で香ばしく仕上げたソースは、さっぱり風のカレー風味で美味しい。スパイス結構効いています。正直かなり辛いと思います。


最初食べたときは、ふつうの甘口の美味しさだと思いましたが、だんだん後から辛さがやってくるというか、効いてくるんですよね。終盤ではほとんど口の中、麻痺状態で、結構辛いな~と思って食べていました。


でも、これは病みつきになりますね。
本当に美味しいと思います。


自分のように初めて体験した人でも美味しいと思うレベルの高さで、これが東大生で昔ながら通っている常連さんには、本当に”忘れられないあの頃の味”なのだろうと思います。


ちなみにセイロン風カレーライスをオーダーすると、ドリンクがひとつサービスになります。


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自分はコーヒーと別に日は野菜ジュースをいただきました。


「東大正門前の喫茶ルオーのカレーはウマい。」

は本当であった。


さて、目的を達したところで、せっかく東大本郷キャンパスに来たのであるから、東大キャンパス、人生初体験。


東大安田講堂


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こんな感じだったっけ?実物を見るとちょっとそんな思いが。


自分は古い世代だから、直接体験した世代ではないけれど、この安田講堂を見ると、どうしても学生運動、抗争のイメージがありますね。


どのキャンパスが何学部とかは認知せずに、流し撮影。北大もそうだけれど、旧帝国大学ってやっぱり建物が古いというか、独特の年代感というか古さがありますね。


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東大総長を務められた山川健次郎氏の銅像も。


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有名な三四郎池。
水が汚いです。(笑)透明度がまったくありません。


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ここに住みついている鯉とかすごい生命力だと思います。


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東大キャンパスは正門から入るのと、赤門から入るのとで広がっているキャンパスエリアは、思っていた以上に広く、日本で最古の大学として伝統を感じる佇まいでした。


ぜひ中に入ってみたかったのは、東大の図書館。
図書館を見ると、その大学のことがよくわかるといいますね。









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マーラーの作曲小屋 [海外音楽鑑賞旅行]

グスタフ・マーラーは生涯に3か所の作曲小屋をつくった。


2013年にザルツブルク音楽祭に行ったとき、モーツァルテウムの通称「バスチオン(砦)庭園」内に、モーツァルトがウィーンでオペラ「魔笛」の一部を作曲したと言われる小屋があって、いわゆる「魔笛の小屋」といわれる作曲小屋を見学したことがあった。


そのとき思ったことは、クラシックの有名な作曲家は、なんでこんな狭いスペースに籠るのが好きなのだろうか、と思ったことだ。(笑)


普通の庶民の感覚で考えれば、豪邸で広いスペースのリビングで作曲したほうが、効率もいいと思うものだ。


マーラーが生涯で作った3か所の作曲小屋の写真を拝見して、う~ん、やっぱりクラシックの作曲家は狭い場所に籠ったほうが、アイデアが出やすいのだろうか、という思いを強くした。


小説家もそうかもしれないが、創作活動というのは、普段自分のいる空間ではなく、場所を変えると全然捗るということが常なのかもしれない。


”普段と違う場所”というのがキーポイントなのかもしれない。


自分がそう思うのは、旅先でホテルの部屋でパソコンで文章を書いているほうが、全然効率がいいと感じるからだ。綺麗に清掃された部屋で、旅行でハイな気分で、ベッドの隣に配置されている机の上でパソコンで書いているときは最高に気持ちがいい。頭の回転がすこぶる早い。


作曲小屋という発想は、そんなところから来るのかもしれない。


マーラーの建てた3つの作曲小屋は、どれも修復され、現在は観光スポットとして存在している。


小屋の中は、当時の時代の古楽器のピアノが置かれたり、マーラーの肖像写真が何枚も壁にかけられたり、とかで完全に綺麗にドレスアップされている。


こういうマニアックな観光スポットは自分の好奇心、行ってみたい病を激しくくすぐり、ぜひ行ってみたいと思うのだが、海外に渡航する費用をこのためだけに予算化するのは、ちょっといまの体力では無理かなぁと感じる。


ここではネットの写真を紹介して楽しむだけに留める。ネットに転がっている写真は、誰かが投稿した写真ということだから、情報の出どころと原文サイトも紹介する、という配慮をする。


みなさん、マーラーの作曲小屋について、実際の行き方の手順の写真や、標識の写真、現地で実際体験されて、楽しまれているようで、マニアックなコアなクラシックファンの方ばかり。


作曲小屋の由来や、そのときのマーラーが置かれている背景など、そして作曲小屋の雰囲気(小屋に入ったらセンサーが勝手に働いて、マーラーのBGMが流れるところもあるそうだ。)など、じつに見識深い内容で参考になります。


ぜひ原文サイトのほうをご覧になってください。


私からは、簡単な説明だけにとどめておきます。



ザルツブルクカンマーグートのアッター湖畔のシュタインバッハーの街の作曲小屋


ザルツブルクの風光明媚な湖水地帯ザルツカンマーグートに、マーラーが、1893年の夏、交響曲第2番の第2楽章から第4楽章までを書き上げたのが、ザルツカンマーグート最大の湖アッター湖畔の街シュタインバッハ。


1896年の夏は、シュタインバッハの小さなホテル「フェッティンガー」に滞在、湖畔に作曲するための小屋を建て、早朝から午前の間、作曲に専念する日々を送った。交響曲第2番の他、交響曲第3番全楽章を作曲し、さらに交響曲第1番を改訂した。


ザルツカンマーグートは最高のスポットですね。自分も2013年にハルシュタットを観光。まさに”世界で一番美しい街”でした。


自然豊かで美しい湖畔の街シュタインバッハを訪れると、この最高の自然環境の中で、”普段と違う場所”の小さな小屋で作曲に没頭すれば、それはそれは素晴らしい旋律が自然と溢れてくるのであろう。


作曲小屋


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小屋内部


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(作曲小屋)

旅する音楽師・山本直幸の百聴百観ノート:第35回 マーラーの交響曲が作曲された場所



(小屋内部)

クラシックカフェ クラシックを気ままに聞くティータイム 2013/9/3 マーラー作曲小屋





オーストリアのヴェルター湖畔のマイアーニッヒの街の作曲小屋


マーラーは、1897年、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任、1898年にはウィーン・フィルの首席指揮者も兼務し、拠点をウィーンに移す。1900年~1907年の8年間は、オーストリア南部のヴェルター湖畔の街マイアーニッヒに別荘を構え、その裏山に小屋を建て、交響曲第4番~第8番を作曲している。


作曲小屋


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小屋内部


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(作曲小屋)

旅する音楽師・山本直幸の百聴百観ノート:第35回 マーラーの交響曲が作曲された場所



(内部写真)

Landschaft

マーラー「マイヤーニッヒの作曲小屋」




イタリアのトブラッハの作曲小屋


1908年~1910年の3年間の夏は、当時はオーストリア領だったイタリア北東部の山地ドロミテのトプラッハで過ごし、やはり小さな小屋で交響曲「大地の歌」、交響曲第9番、交響曲第10番(未完)を書き上げた。


作曲小屋


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小屋内部


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(作曲小屋)
ときどき軽井沢 小屋好きには嬉しい、マーラーの小屋

(内部写真)
チロル&ザルツブルク 落ち穂拾いの旅
7)マーラーの作曲小屋(トブラッハ/ドビアッコ)Ⅲ  2012年4月30日(月)



マーラーの作曲小屋に共通するポイントは自然が美しい風光明媚な場所であること、作曲期が夏であること、ですね。クラシックの作曲家の曲を聴いていて、その作風を肌で感じるとき、その作曲家が作曲したその場所、その風景が自然とその曲の作風の中に含まれている、というのは絶対あることだと思いますね。


マーラーの曲をよく知っている人ならば、これら3つの作曲小屋の場所に実際行ってみて、自分の足で立ってみて、その周りの風景を眺めてみたときに、あ~あの曲は、まさにここだから生まれた!というのがよく理解できるのかもしれないと思います。


でも予算がないから無理。(笑)










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