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アバドのマーラー [海外音楽鑑賞旅行]

バーンスタインのマーラーが感情移入全開、没入感たっぷりの熱い濃厚なマーラーなら、アバドのマーラーはクールで知的、明晰さを併せ持ったマーラーではないだろうか?


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バーンスタインのは、長時間観ているとあまりに濃厚でぐったり疲れてしまうんですよね。


大昔にまずマーラー入門ということで、バーンスタイン録音でその門をくぐった訳だが、やはり時代が経過するといまの時代にあった近代的なマーラー解釈が必要になってきた。


いろいろな巨匠がその足跡を残していったが、自分は近代マーラー解釈としてアバドとラトルを聴いてきた。住み分けは、映像作品のアバドに、実演のラトルという感じである。


そういう道を選んだのは、やはりともにベルリンフィルでマーラー解釈を進めていった指揮者だったという理由になる。ベルリンフィルは、カラヤンが長年そのポストについていたが、アバドが後任として進めていったアプローチにカラヤンが得意として膨大な録音を残していった古典派、ロマン派のガッチリ系の音楽に対して、アバドは、マーラーや新ウィーン楽派などの現代音楽を得意としていて、そういうカラヤンがやってこなかった苦手な部分を積極的に取り上げていこうとしたこと。ラトルもその道に追従したように思う。


アバドはマーラーだけではなく、ベルクやシェーンベルクなどの新ウィーン楽派にも非常に造詣が深かった。それは学生時代にウィーンで盟友メータとともに学んだからだ。


マーラーはシェーンベルクやその弟子ベルクと親密に交流したし、マーラーは彼らの音楽に格別の理解を示したし、彼らもマーラーの後継者としての意識が強かった。その証拠にメンゲルベルクのマーラーフェスト1920ではシェーンベルクは、アルマ夫人とともに参列している。


だからアバドのマーラーを語るときは、必ず新ウィーン楽派の音楽をペアで聴くような環境が多かったような気がする。


ラトルもまったく同じである。現地ベルリンフィルハーモニーでラトル&ベルリンフィルのマーラー第6番「悲劇的」を聴いたとき、その前半の曲はベルクの3つの小品だった。


そのとき、新ウィーン楽派を掘り下げて勉強してみようと思っていろいろ聴いてみたが、かなり理解不能であった。(笑)無調音楽&十二音技法の世界は簡単には理解できなかった。
 

ラトル&ベルリンフィルは2010年のアバドのルツェルン音楽祭で、この新ウィーン楽派の3人の作品を全曲演奏している。


演奏前に、ラトルが、


「今回はシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルクの新ウィーン楽派の巨匠の3作品を一挙に演奏できることを大変興奮しております。これらの作品のコンビネーションの効果を感じるためにも、3作品全部が終わるまで拍手はしないでくださいね。 でも全部終わったあかつきには、3曲分の盛大な拍手をどうぞよろしく。」


とドイツ語でコメントした後、合計14曲が次々演奏されるという演出だった。


当時のハイパー・アバンギャルドな音楽だが、現代の人間が聴いてもその前衛ぶりは衰え知らずだったようだ。やはり単純に音楽を聴くのみで、その音楽の構造を解釈することが一般人には到底不可能なスコアになっていると思われた。


ルツェルン音楽祭で、このような企画の演奏会を喜んで受け入れ推進したのがアバドでもあったわけで、このように自分の中では、アバドとラトルは常に一緒の方向性にあったという理解だった。


そしてマーラーと新ウィーン楽派はいつもペアだった。


アバドとラトルは、カラヤンとの色の違いを主張するためなのか、このマーラーや新ウィーン楽派3人の作品など現代ものを好んで積極的に取り上げる傾向にあると常々思っていた。


それは、ともにカラヤンという偉大な亡霊に悩まされ、ベルリンフィルを率いていかないければならない運命にある立場だった彼らだったからこそ目指したブレークスルーだったのだと思う。


アバドは、高潔の人物ですので、自分を主張することなく、回りから押し上げられて高みに昇りつめた人。カラヤンの亡霊に悩まされて..... それがルツェルンで誰はばかることなく、音楽に没頭しているアバドは永遠の青年のように活き活きしている感じがしたものだ。



2002年、ベルリンフィルを退いてからは、ルツェルン祝祭管弦楽団を再編成し、世界最高のオーケストラと称されるまでに発展させた。また、若者達の育成にも愛情を注いだ。望む作品、共演したいソリストを集めての晩年の演奏会では、マーラーの作品を取りあげることが多かった。


「私は、自分の苦痛を通して、偉大な作曲家の苦しみを共感できるようになった。例えばマーラーのように。いかなる苦難を乗り越えて、彼が偉大な作品を生み出したことか!私は自分の苦しみを通して、音楽がその最良の治療法であることを真に理解することができた。」


胃癌を克服して奇跡のように指揮台に戻ってきたアバドであったが、彼を癒したのは、まさにその音楽の力だった。


このようにインタビューに答えている。(眞鍋圭子さん(音楽ジャーナリスト)筆)


自分にとって、クラウディオ・アバドはシカゴ響、スカラ座やベルリンフィルのときではなく、このルツェルン音楽祭をリードしていたときが一番輝いていた。


アバドのマーラー録音は、1970年代にシカゴ響やウィーンフィル、ベルリンフィルと録音したマーラー全集がある。なぜか、すごい値段が高いCDなのだ。いわゆるアバドの全キャリアを通してのマーラー録音をおこなってきた作品をひとまとめにした総集編的なものだと思います。だから値段も張るCDなのだと思う。アバドのマーラー録音で最も代表的な作品だと思います。



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マーラー交響曲全集 
アバド&ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、シカゴ響(12CD)



ベルリンフィルのときには全集とまではいかなかったが、数枚の録音をおこなった。第6番「悲劇的」だけはSACDです。


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そして、なんと言っても、自分にとってのアバドのマーラーといえば、ルツェルン音楽祭でのルツェルン祝祭管弦楽団を率いてのマーラー交響曲全曲演奏会である。


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2000年代に毎年1曲ずつ音楽祭で演奏され、その演奏の模様が収録され、EuroArtsからBlu-rayで発売された。これを全部コンプリートしようとコレクター魂に火が付いた。


なにが斬新であったかというと、マーラーの交響曲全集の映像ソフトが、高画質のBlu-rayで発売される、というところが堪らなかった。


もう何回も説明しているけど、敢えてもう一回言わせてもらうと、クラシックの素材のBlu-rayソフトって当時は圧倒的にオペラが多くて、オーケストラコンサートは2008年にゴローさんのNHKの小澤征爾さん&ベルリンフィルの悲愴が最初だった。


だからBlu-rayでオーケストラコンサートを楽しむにはまだ時期尚早であった。そこに来て、アバドのルツェルンのマーラーツィクルスが全曲ともBlu-rayで出るというのはマニアには堪らないニュースだったのだ。


EuroArtsは欧州を代表するもう超有名な映像ソフト会社ですね。


マーラーファンにとってこれはまさしく金字塔で絶対コンプリートしようと誓ったのだ。しかもサラウンド音声だ。


このツィクルスを全部Blu-rayでコンプリートすることこそ、近代のマーラー解釈を入手できることだ、と思っていた。近代マーラー解釈として、映像ソフトのアバドに、実演のラトルというのはそういう意味である。


そしてご覧のように、見事コンプリートしました。(第8番が見つからないんですよね。ひょっとしたら自分の勘違いで8番はBlu-rayになって発売されていないのかも?あるいは8番収録だけ未完でアバドが亡くなったのかも?))


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これを収集して徹底的に擦り切れるくらい見まくったのは、2010年~2012年の3年間。


自分にとってこの映像を見て、アバドのマーラーってなんぞや、というのがわかったような気がした。バーンスタインのときもそうだけれど、やはり映像素材のインパクトって大きい。CDの録音を聴いているだけで、どうこう議論することもできるけれど、映像を見ちゃうと、なんぞや!が一発でわかる。


これを全部コンプリートするには少々障壁があった。


自分が集めだした当時、交響曲第2番「復活」だけが、著作権の問題で日本で販売されていなかった。なぜに?と思って、悔しい思いをしていたが、ゴローさんが、海外のアマゾンを使えば、入手できるかも?とアドバイスをくれた。DVDやBlu-rayは再生するときリージョンコードがあるが、BDはDVDほど細かくなかった。


海外のアマゾンを使うという手段があるとはまったく知らなかった。アマゾンUSAとかアマゾンUKとか、アマゾンDEとか・・・結局、アマゾンUSAで入手することができた。そして家に配送され、恐る恐る再生したところ、無事に再生できた。


やったー!ついにコンプリート!となったのである。

でもそうは簡単に問屋は降ろさなかった。


今回のマーラーフェスト2020の事前準備としては、映像ソフトはもう文句なしにこのアバドのルツェルン音楽祭のBlu-rayで予習をしようと思っていた。こんなときのために揃えていたのだ、と。


そうしたらこの2番「復活」を再生したときにメニュー画面がおかしい。3番もなにかおかしい。物理メディアというのは長期間棚に保管してくと、その保管環境に応じてダメになって再生不能になるということを聞いたことがあるので、それだと思った。物理メディアは一生もんじゃない。


なんと!我の汗と涙の結晶が全部泡となって消えたのか・・・


あまりしつこく再生しようとするとBDプレーヤーが故障してしまいそうだったので、あえなく断念。(いまBDレコーダ壊れたら、買う予算もないし、番組録画できなくなり本当に日常生活困ってしまう。)


ネットで買いなおそうと思ったら、これしかなかった。
昔の単盤での販売は、数枚を除いて全部廃盤になっていた。


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マーラー交響曲第1~7番、他 
アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団(4BD)



なぜか、第1番~第7番の全集で、第8番、第9番なし。
笑ってしまった。なぜこんな中途半端なの?


結局第1番~第7番までしっかり予習しました。第9番は、自分の昔の単盤が再生できるかもしれないけれど、BDプレーヤ壊したら怖いので再生していません。なんともギャグのような顛末だが、いかにも自分らしくて笑える。自分の人生なんてこんなもんだ。(笑)


アバドのマーラーは、バーンスタインのような過剰な感情移入をしない。とてもクールで、ある一定の距離感をいつも保っているように感じる。とても明晰で繊細だけれど、どちらかと言うとしなやかさがあって明るいイメージの爽やかな演奏だと思う。


新しいマーラー像を打ち立てたと言ってもいいと思う。

のちの明晰派マーラーの先駆け的存在になったのではないだろうか。


またアバドは、第6番「悲劇的」については、シカゴ響の頃は、スケルツォを第2楽章に、アンダンテを第3楽章にという従来のスタイルをとっていたが、初めてベルリンフィルに客演したときから、近年の国際マーラー協会の見解にしたがってアンダンテを第2楽章に、スケルツォを第3楽章に置くなど、マーラーの最新研究に準じた方針をつねに先んじて取り入れていた。


この第6番の中間楽章の順番については、アバドが最初に取り入れて、ラトルもそれに準じた形である。このように近代のマーラー研究、解釈につねにアンテナを敏感にしていたので、”アバドのマーラーは新しい”というイメージが自分にはあった。バーンスタイン以来、マーラー指揮者の中では最先端のマーラーの近代解釈を引き下げてクラシック業界を引っ張っていったのがアバドであった。


いまの自分には、アバドのマーラーのほうが体質的に受け入れやすいし、自分に合っているように思う。


アバドのマーラーの特徴にやはり終演後の沈黙がある。特に有名な第9番のラスト。アバドならではの流儀。昨今のフライングブラボーなんてなんのその、本当にルツェルンの観客のマナーはすごいものだと感心してしまう。


ルツェルン祝祭管弦楽団は、まさにアバドだから可能になったスーパーエリート奏者を集めたスーパー軍団。マーラー室内管弦楽団の団員を中核として、ベルリン・フィルのメンバーや、ザビーネ・マイヤー、ハーゲン・カルテットやアルバン・ベルク・カルテットのメンバーなどが参加する本当にスーパー軍団なのだ。


第2番「復活」のときは、ハープの吉野直子さんの姿も見えました。演奏するメンバーをカメラが抜くのだがもう圧巻ですね。


そして今回新たに発見だったのが、たぶんそうではないのかな?とずっと思っていたのだけれど、今回久しぶりに見たらやはりそうだった。


オーボエ奏者の吉井瑞穂さんの姿があった。


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吉井瑞穂さん


昔見ていたときは、このベルリンフィルのアルブレヒト・マイヤーの隣に座っているアジア人の女性オーボエ奏者は誰なのだろう?とずっと当時不思議に思っていたのだ。(マイヤーとは師弟関係)(1番、4番を除いて、全公演に出演しています。)


まさか吉井さんだったとは!


いまだからようやく一致しました。(笑)


吉井さんはずっと長い間ヨーロッパで活躍されてきて、アバドに評価・抜擢され(共演200回以上とか!)、ベルリンフィルとかルツェルン祝祭管弦楽団、マーラー室内管(現在も所属)に在籍でずっと活躍してきたすごいキャリアは存じあげていたが、自分の頭の中でいまいち距離感がつかめなかった。


でもこの映像ソフトを見てそうだったのか!と一気に・・・。
鎌倉出身です。


今年の秋にマーラー室内管と内田光子さんとで来日公演があるそうなので、ぜひ今度はじめて実演に接してみたいと思います。


ものすごい楽しみです。



アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団は、2006年10月に来日しており、サントリーホールでマーラー交響曲第6番「悲劇的」を演奏している。マイミクさんたちもこの公演に行かれ、素晴らしい名演だった、という話はよく聞いている。


1995年には、ベルリンフィルを率いて来日しているが、そのときはマーラー交響曲第2番「復活」を披露した。そのときも超絶名演だったが、そのときの話題として合唱のスウェーデン放送合唱団の知名度を日本国内で上げたことだ。


スウェーデン放送合唱団は、いまでこそ飛ぶ鳥を落とす勢いの名門合唱団だが、日本で有名になったのは、このときの公演の素晴らしさからだった。アバドのプロデュースは凄い。


ソリストと指揮者の関係で、やはりその時代に応じて、その指揮者に呼ばれるソリストの顔ぶれが違ってくるが、アバドがプロデュースして連れてくるソリストは、自分の世代だよなぁと思うことしきりだ。


アルゲリッチ、ポリーニ、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター・・・みんなアバド時代に表舞台に出てきたスターたちばかりだ。


そういう意味で、アバドはやはり自分にぐっと近い世代の存在だと思う。


マーラー没後100周年記念コンサートでは、ベルリンフィルで「大地の歌」第10番アダージョを披露している。アンネ・ゾフィー・フォン・オッターとヨナス・カウフマンのコンビで。


当時、NHKのBSプレミアムシアターで放映され、録画してあります。
またこの公演は、ベルリンフィルのデジタルコンサートホールでも見れます。




2013年度のときに、人生でようやく初めてのルツェルン音楽祭を経験して(しかもオープニング初日!)、KKLでアバド&ルツェルン祝祭管弦楽団のベートーヴェン英雄を聴いた。前半は藤村実穂子さんも出演。


そしてその年の秋に、このコンビで日本に来日予定で、きちんとマイミクさんの分のチケットも取っておいたのに、まさかの突然のキャンセル。その頃から容態の悪化を噂されていた。


そしてまもなくご逝去。


結局あのときが今生のお別れだったんだね。


やっぱりこのように自分にとってアバドはマーラーなんですよね。


たくさんの巨匠たちがマーラー録音を残してきたが、自分にとっては、やはりアバドとラトルなのだ。






 
 




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