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ライナー・マイヤールさんの逆襲 [ディスク・レビュー]

アナログレコードを発明したのは、エミール・ベルリナーというドイツ・ハノーファー出身のアメリカの研究者。


のちのレコードプレーヤーの原型である、円盤式蓄音機「グラモフォン」を作った。この「グラモフォン」の製造・販売のために「ベルリーナ・グラモフォン」という会社を設立する。


ベルリーナ・グラモフォンは、ビクタートーキングマシンを経てRCAレコードとなり、また、英国支店はグラモフォン・カンパニーを経てEMIへ、さらに、ドイツにおいてはDG(ドイツ・グラモフォン)と、音楽業界に大きな影響を与える企業の源になった。


DG(ドイツ・グラモフォン)はハノーファーに技術センターのエミール・ベルリナー・スタジオ(Emil Berliner Studios)を設立する。その名称は、もちろんレコード発明者のエミール・ベルリナーに由来している。


いわゆるDGの黄金期のレコード、すなわち録音は、すべてこのEmil Berliner Studiosでおこなわれた。そののち、Emil Berliner Studiosは、DGから独立して、ベルリンに拠点を構えて、録音専門会社として現在に至る。

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エミール・ベルリナー・スタジオには 2人のエース、トーンマイスターがいて、それが、 ライナー・マイヤール氏とウルリッヒ・ヴィッテ氏。 まさにDGの黄金期の作品は、この2人によって作られてきたといっていい。


ヴィッテ氏は、サウンド的にはギュンター・ヘルマンスの後継者といった存在で、 いかにもDGという王道を行く、密度感があって中間色のグラディエーションが濃厚、 それでいて肌触りの自然なオーケストラ録音をものにしていた。


一方でマイヤール氏は、DGに新しい風をもたらした。 彼の代表作は ブーレーズ指揮ウィーンフィルのマーラー3番やガーディナー指揮のホルスト「惑星」 などで、とても瑞々しく色彩的に鮮やかで かつダイナミックな録音を身上としていた。


あれから数十年、いまはライナー・マイヤールさんの部隊となった。もういまや若手を育成して いかないといけないことから、マイヤールさんはプロデュース業にシフトしている。



ダイレクトカッティングは、いまやEmil Berliner Studiosの代名詞。


ダイレクト・カッティングは、演奏された音が、直接オーディオトラックに入り、アナログレコード(ラッカー盤)の溝に刻まれる最短経路。もちろんあとで編集で修正することは不可能だし、演奏の方もミスは許されない一発勝負。


この方式ってある意味、相当昔の原始的な方式であって、それを時代を遡ってなぜいまの時代にこの方式に挑戦するのか。


自分は、それはいままで説明してきたEmil Berliner Studiosの伝統から、レコードの発明者、オリジネーターとしての立場、そのレコード録音の原点に立ち戻ることに挑戦しているのではないだろうか、と思っていたりする。(自分の予想です。)


そしてそこには、ギリギリの緊張感の中で挑戦する男のロマンみたいなものがあるに違いない。


「コンサートでもない、伝統的なレコーディングでもない、両方の長所を取り込んだセッション。」


数年前に、ノイマンのカッティング・レースは、その多くが破棄された。
残存する少数のマシーンは、いまや何10万ユーロものの価値がある。


Emil Berliner Studiosには、このダイレクトカッティングするカッティングマシンがある。何十キロもするこの大装置を、コンサートホールのコントロールルームに運び込んで、まさに一発勝負のカッティングをする。


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カッティング・マシンは「ノイマンVMS80」を使用


このマシンを持っていること自体、大変なことだし、それをダイレクトにラッカー盤に刻み込む作業こそ、まさに伝統的職人のなせる業なのだろう。(日本のキング関口台でも、ダイレクトカッティング用のマシンを導入したのを最近知りました。)


だから、このダイレクトカッティングで制作されたレコードは恐ろしく貴重で値段も高い。しかも販売限定枚数が決まっています。


Emil Berliner StudiosがいままでリリースしてきたダイレクトカットLPは2枚あって、ラトル&ベルリンフィルは8万円!ハイティンク&ベルリンフィルのブルックナー第7番は3万円!である。


ここまでがいままでの背景を説明する序章・プロローグである。


あ~疲れた。(笑)


自分はいままで、ダイレクトカットLPはあまりに値段が高いし、しかも自分はアナログ再生は腰掛程度であまり熱心なマニアではないので、ダイレクトカットLP自体はスルーをしていた。


でも舞夢邸で聴かせてもらった感動、そして第2弾ハイティンク盤が3万円台と手に届く範囲であったので、購入してみることにした。さらに第1弾のラトル盤も中古市場で一気に揃えた。


ハイティンク盤はあまり自分の録音の嗜好に合わなかったが、ラトル盤は素晴らしいと思った。


それ以降、自分はアナログLPのコレクションは全然ないけれど、Emil Berliner StudiosがリリースするダイレクトカットLPだけは、全部コンプリートしていこう、と決意したのである。


ダイレクトカットLPはある意味、普通ではない特殊なレコードですからね。


ラトル盤が素晴らしくて、ハイティンク盤がいまいちだったのは、ラトル盤はワンポイント録音でハイティンク盤はマルチマイク録音だからだと、自分は推測した。


そうしたら、なんとハイティンク盤をリリースしたばかりなのに、即座に第3弾がリリースされるという。


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第3弾は、ヤクブ・フルシャ指揮バンベルク交響楽団の演奏によるスメタナ「わが祖国」である、という。ヤクブ・フルシャはチェコ人指揮者で、まさにチェコ音楽、ボヘミア派音楽を自分のトレードマークにしてきた若手指揮者である。


これはまさしく自分を挑発しているよなぁ~。(笑)


偶然な出来事とはいえ、マルチマイク録音のハイティンク盤をよし、としなかった自分へのライナー・マイヤールさんのリベンジ、逆襲と思ってしまったのである。(笑)


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世界限定1111枚で自分のは、314枚目。


今回のLPは33回転ではなく、45回転ですね。

45回転の方が音がいいとされていますね。


今回リリースされた記事では、ワンポイント録音なのか、マルチマイク録音なのか、きちんと明記されていなかった。


収録:2019年7月25,26日、ヨーゼフ・カイルベルト・ザール、コンツェルトハレ、バンベルク


録音:
レコーディング・プロデューサー&エンジニア:ライナー・マイヤール
カッティング・エンジニア:シドニー・クレア・メイヤー
マイク:ゼンハイザーMKH800 Twin and MKH30
カッティング・マシン:ノイマンVMS80
カッティング・ヘッド:ノイマンSX74
製造:オプティマル


でもマイクが2種類明記されていることから、メイン用とアンビエンス用の2種類という意味なのだろう、と思った。どちらもゼンハイザーである。


演奏は、2019年に、バンベルクのヨーゼフ・カイルベルト・ザールというホールで録音された。


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この写真をみると、メインのステレオペアのマイクの他に、左右にモノラルの補助マイクがあるように見える。普通のマルチマイクのセッション録音は、もっと楽団員の隙間にスポットマイクが林立している感じなのだけれど、ダイレクトカッティングは編集できないから、スポットマイクを多用できない訳で、最小限、前方中央と前方左右にとどめたのかもしれない。


自分が実際レコードを聴いてみると、これは完璧なマルチマイク録音だな、と判断したのだが、それは打楽器群など、オーケストラの遠方席にいる楽器群の音が、かなり近くで録っている、拾っているような迫力感、明晰さがあって、また各セクションの音の録音レベルも大きくて、全体的にみんな近いところで録っているように聴こえたからである。


全体として遠近感をあまり感じなかったです。


ワンポイントで録っていると、いわゆる指揮者のすぐ背面の高いところから録っている聴こえ方で遠いポジションの楽器ほど遠く聴こえて、全体的に遠近感のある聴こえ方がします。


いわゆるワンポイントの聴こえ方をする、という感じですね。


各セクションともかなり解像感があって明晰性があって、そういう迫ってくるような迫力を感じたので、これは完全にマルチマイクだな、と思ったのですが、その後にこの日記を書くために、この写真を見つけて、スポットマイクがほとんど見当たらないのに愕然としました。(笑)


ちょっと謎です。


録音は総評として、かなり素晴らしかったです。


まず、これがマルチマイク録音なら、位相合わせの難しさなどで、音場感が潰れてしまっているのではないかと心配をしましたが、まったくそういうことがなく、かなり完璧な録音といっていい。


まずなにより録音レベルが高いですね。
自分に迫ってくるような聴こえ方がしますね。


サウンドに迫力があって、部屋中にふわっと広がっていくような自然な音場感、自分は当初マルチマイクだと思っていたので、それにしてはあまりに自然でシームレスな広大な音場感なので、さすがマイヤールさん、と驚きました。


そして各セクションが均等に明晰でマイクに近い聴こえ方がするので、自分が理想としている広大な音場、明晰な音像を両立させているのでは、としこたま驚きましたです。


この両方を両立させることは、大変難しいことなのです。


録音がいいかどうかって、最初に針を落としたときに奏でられる出音でわかってしまうものなんですね。その後、いくらずっと聴いていても印象が途中で変わることはほぼないです。


緊張しながら、最初の出音を聴いたとき、ハープのボロロンという音が、なんとも潤いのある響きで空間を漂う雰囲気がなんとも堪らなかった。


凄い空間感を感じた瞬間。


ハープって低域から高域まで、すごい音域の幅が広い楽器なので、これを万遍なく拾ってあの雰囲気を出すのって録音ではすごい難しいことなので、それが完璧だったので驚きました。


そして、あとオーケストラがトゥッティに入ったときのあの迫力感、音場感が完璧。


これはオーケストラとしては完璧な録音。


オーケストラ録音で大切なことは、あのホールに鳴り響く音場をいかにすっぽり丸っと取り込むか、ということですから。


ダイナミックレンジがしっかり取れた、そういう器が大きくないと、こういう風には録れないですね。


自分としては、かなり満足できた録音といっていいと思いました。

素晴らしかった。


もし、ハイティンク盤に続き、第3弾でも自分の意に添わなかったから、黙っていよう、沈黙していようと思っていましたから。ダイレクトカッティングっていかに難しいものなのか、ライナー・マイヤール、Emil Berliner Studiosの俊英部隊を以てしても難しいものなのだ、と自分を納得させようと思っていましたから。


いまこうやってお世辞をいっさい使わず、堂々と称賛の日記をかける幸せ。


同時に、ライナー・マイヤールさん部隊の職人技、高いスキル。
プロとしての意地をしっかり受け止めました。

もうさすが!としかいいようがない。


どうしてこういういい録音がダイレクトカッティングで実現できたのかは、もちろん厳密に導き出せるわけもありません。それは、職人、プロの世界ですね。


Emil Berliner Studiosは、オランダのポリヒムニアと並んで、自分の最も尊敬する録音仕事人である、という認識をさらに強くしたと言っていいと思います。


(あ~かなりホッとした。(笑)第3弾リリースの報を聴いたときから、ずっと心配、悩みの種でしたので。)









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千駄ヶ谷は将棋の街 [雑感]

東京渋谷・千駄ヶ谷に来るなんて何年振りであろう。おそらく就職で上京当時に、友人と千駄ヶ谷の東京体育館のプールに泳ぎに通っていたとき以来ではないだろうか?毎週通っていました。


この千駄ヶ谷に東京・将棋会館、日本将棋連盟がある。将棋会館は、大阪や名古屋にも支部があるみたいだが、ここ東京・千駄ヶ谷が本部である。プロ棋士の所属する本部を一度拝見したいと思ったのである。


この将棋会館では、順位戦をはじめ、多くの公式戦の対局が行われ、そしてその対局中の昼・夜の食事休憩時のときに棋士たちが出前を頼む、いわゆる”勝負メシ”のお店がこの千駄ヶ谷の将棋会館の周りにたくさん存在する。


まさに将棋の文化とともに栄えてきた街なのである。


千駄ヶ谷は将棋の街なのだ。


東京に来てからこのご本尊の街に一度も来ていないのは、心残りで、昨今の将棋ブームにあやかって一度来てみようと思ったのである。


いわゆる聖地巡礼である。


JR総武線の千駄ヶ谷駅で下車すると、いきなりこのようなものが。


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この駒は、この千駄ヶ谷に本部が置かれている日本将棋連盟協力のもと、1980年に制作したものである。表面の「王将」の文字は、故・大山康晴十五世名人の書で、裏面には千駄ヶ谷駅の由来が彫られている。


日本将棋連盟の本部がある将棋会館内には、プロ棋士の公式戦が行われる「対局場」の他、お客様同士で将棋が指せる「道場」がある。


日本将棋連盟、東京・将棋会館のHPで確認すると、3階以上は、対局場になっていて、一般人は立ち入り禁止になっているのだが、1階は将棋グッズ関係の販売店、2階が道場になっていて、ここは一般人が入れるみたいなのだ。


よっしゃ!これは行こう!

思いついたら即実行である。


東京・将棋会館は街の奥に入った目立たないところにあった。


東京・将棋会館

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入ると、いきなり大山康晴十五世名人の彫刻肖像画がありました。


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エントランスはこんな感じ。


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入ったら、すぐに将棋グッズの販売店がある。


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いろいろ細かく物色していこう。


プロ棋士の販促グッズで一番有名なのは、この扇子ですね。


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棋士が対局中に、この扇子を持ってパチンとやったりするのだ。


自分は子供の頃、中原誠名人の扇子が欲しくて、欲しくて、将棋会館に注文したことがあった。当時ネットECとかある訳ないので、どうやって送金したのか、全然覚えていないのだが、送られてきたときは、嬉しくて、子供心にプチ宝物であった。


書いてあった文字は、40年以上前の自分の記憶では、確か”誠”だったような気がする。


中原さんグッズは、掛け軸と色紙があった。


中原さんの掛け軸 ”無心”、称号は永世十段。

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中原さんの色紙。”盤上天地”、称号は十六世名人。

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藤井くんの扇子もある。
”大志”

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藤井くんは、いまや将棋界の稼ぎ頭であるから、藤井グッズはたくさんありました。


数々の貴重な写真も展示されていました。

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中原誠、大山康晴、米長邦雄、加藤一二三。


この写真の数々を見て、やっぱり将棋といえば、この世代だよな、とちょっとオジサン目線ですみません。


将棋の駒。
143,000円。じゅ、じゅうよんまん!!(滝汗)

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将棋盤
50万から100万。ひゃ、ひゃくまん!!(滝汗)

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ひぇ~、やはり道具からしていいものを使うと、それだけ気が入って強くなるんでしょうね。



本も買いました。
加藤一二三九段と渡辺明三冠(名人、棋王、王将)による
「天才の考え方」これが天才たちの頭の中だ!藤井聡太とは何者か?


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2階の道場にも寄ってみました。


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なんか普通の雑居ビルみたいですね。(笑)
自動販売機がすごく多かったのが印象的でした。
このショットの裏側にもたくさんの自販機があります。
やっぱり対局中はどうしても飲料が必要なのでしょうね。



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この道場では、一般人でも誰でも好きにふらっと寄って、見ず知らずの人と対局できる仕組みです。本当に将棋の好きな人は、そうそう相手も見つけるのは大変ですが、ここにこれば、本当に将棋好きな人なら誰でも相手を見つけられる仕組みですね。


ボクもちらっと寄って見学だけのつもりで入りましたが、いきなり入り口の係の人に、「5分くらい待ってください。」と言われました。きっと相手ができるまで5分という意味なのでしょう。慌てて出てきました。(笑)



この将棋会館の対局場で、プロ棋士たちは順位戦など、日々戦い、精進して生活していく、まさに厳しい勝負の世界を繰り広げていくわけだ。



この将棋会館では、自分の子供の頃にどうしても忘れられない対局がおこなわれた。
自分の心の根の深いところに鮮明に刻まれている。絶対に忘れることができない。


中原誠名人×加藤一二三十段の第40期名人戦


中原名人9連覇で、ついに名人位10連覇か!という1982年。自分が忘れもしない高校生3年生。


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名人戦というのは、普通七番勝負、先に四勝したほうが勝ちだ。でもこの戦いは持将棋に千日手2回と決着がつかない戦いが3回もあって、全部で十戦も戦った。名人戦のようなタイトル戦は、普通は旅館などを貸し切ってやるものなのだが、ここまでもつれるとは誰も思わず、旅館の予約が出来ず、最終戦は、ふつうの将棋会館でやる羽目になったのだ。


いまのようにネット中継とかなかった時代だから、もうドキドキしながらずっとその結果を待っていた感じである。


最終日も深夜におよぶ大熱戦の末、加藤さんが中原さんを撃破して、ついに中原名人十連覇を阻止。


加藤一二三新名人の誕生となった。


これは本当に悔しかったねぇ。いまでも忘れられないです。


加藤さんがこれほど輝いて見えたときはなかったです。
当時の将棋界でかなり衝撃的なできごとでした。


9年間も名人はずっと中原さんの中原時代だっだから、自分には加藤名人というのがどうしても受け入れ難かったです。


自分はこの頃の凄い加藤さんのことをよく知っているから、とても”ひふみん”とは呼べないです。(笑)


加藤一二三さんは本当に凄い棋士だったのである。


藤井くんが六十数年ぶりに次々と破る年少記録は、全部加藤さんが打ち立てていたもの。「神武以来の大天才」と呼ばれ、いかに加藤さんがすごい記録を持っていたか、ということが藤井くんがその記録を破ったときに、はじめていまわかる、みんなに認知されるという感じなのだ。


加藤さんの偉大さがよくわかる。


やはり中原誠、大山康晴、米長邦雄、加藤一二三の面々が、自分の時代の絶対的な将棋界の象徴だった。


加藤さんは、その当時からいい意味でちょっと変わっている人というか、ちょっと天然入っている感じで愛されるキャラクターでした。


その40期名人戦でも、1日目の対局が終わって封じ手が済んだら、中原さんも加藤さんも囲碁が好きだから、夜のオフに2人で囲碁対局をやったりしたそうですが、「本番勝負でもない、ただの遊びの囲碁なのに、加藤さん、すごい長考するんだよね。(笑)」って中原さんがなんかのインタビューで答えていたのをよく覚えています。


当時からそういう天然入ったキャラクターだったので、いまの”ひふみん”路線はあながち無理筋ではない想定できた路線だったのかもしれないと、いま自分は思います。



今回、将棋会館を訪れるにあたって、もうひとつの楽しみがあった。


それは将棋会館で棋士たちが対局中の昼・夜の食事休憩をするとき、いわゆる出前を取る訳だが、これは将棋界の業界用語で、”勝負メシ”と呼ぶ。


加藤さんは、棋士生活60年に及んで、一貫してずっと昼も夜もうな重だったのである。1局も例外がなかった。これはとても有名な話である。


自分は、この加藤さんが愛したうな重をどうしても今回味わいたいと思ったのである。


いまでは、インターネット中継で、棋士が昼ごはん・夜ご飯に何を頼むかは視聴者のクイズになるほどの人気コンテンツになっているらしい。(笑)


将棋界では2016年から対局中の外出を禁止しており(スマートフォンなどによるカンニング防止の一環)、昼食や夜食に出前を取る棋士が増えた。


将棋の話題によく出てくるお店と、棋士の注文などで名物になったメニューが以下である。全部、千駄ヶ谷の将棋会館のそばのお店たちばかりである。



●みろく庵


将棋の勝負メシの定番店である。昼はそば屋、夜は居酒屋として営業している。藤井四段が新記録の29連勝目で食べた「豚キムチうどん」が話題になったことで有名。


●そば ほそ島や


蕎麦とカレーのセットが人気という蕎麦屋「ほそ島や」。このお店では、羽生世代のトッププレイヤーの一人・丸山九段がタイトル戦の挑戦者決定戦の夕食で、冷やし中華のチャーシュー3枚増し(計5枚)を2杯頼んだことが伝説になっている。(笑)


●千寿司


実は、将棋界にはこの店の特上にぎりをサビ抜きで食べる棋士が多いと言われている。勝負の世界なので、強い棋士の真似をしたのかもしれないし、何かのげんかつぎなのかもしれないが、その真偽は不明である。


●紫金飯店 原宿店


ボリュームたっぷりで創業50年を誇るこちらのお店。藤井四段の29連勝目の食事として話題になったお店である。夕食に藤井四段はこちらで五目チャーハンを注文し、品切れだということでワンタン麺を頼んだ。


将棋ブームで繁盛する老舗店


千駄ヶ谷には、長い間経営しているお店が多く、そもそものファンもいるのだが、昨今の将棋ブームで「棋士と同じメニューを頼みたい」と訪れるファンも増えてきているのだそうだ。


また、棋士の頼むメニューはトッピングや量が個性的でもあり、思わず真似したくなってしまうのが特徴だそうだ。まさに将棋ブームで繁盛する千駄ヶ谷の老舗店、というところであろうか。


情報引用元:【棋士とメシ】名人ほど食事がユニーク?将棋関係者が愛する聖地・千駄ヶ谷の名店たち




そしてボクの今回の最大の目的である加藤一二三九段が愛した、うなぎのふじもとをここに紹介しよう。”うなぎのふじもと”は、将棋会館の近く、歩いて5分くらいのところにある。


うなぎのふじもと。


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店内。


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加藤一二三九段のうなぎ好きは有名。この”ふじもと”で、昼はうな重の竹を、夜は松を食べるのが「定跡」だったそう。


彼が約40年もの間、愛用しているお店が、ここ”ふじもと”なのである。
また、米長邦雄さんも愛したと言われている。


これが今回の最大ミッションだったかもしれません。(笑)


女将さんに、「じつは将棋会館の聖地巡礼にきたついでに加藤さんが贔屓のこのお店に来たんです。」と話しかけたら、「あらぁ~そうなんですか?うれしいわぁ~」ってたいそう喜んでくれました。


すごい話が弾んで、


「スポーツで野球やサッカーが流行れば、自分の子供にそれを目指せさせるとか、最近は将棋ブームだから、じゃあ子供にはプロ棋士にさせよう、とか世の中の親ってかなり単純なのよね~。(笑)ほら、将棋をやらせれば子供の頭がよくなると思っている人多いんですよ。(笑)」


「つい最近、羽生さんも寄ってくれたんですよ。羽生さんはテレビで見ると大きく見えるけれど、実際お会いするととても小柄な方で驚きました。」


棋士って対局中は、カメラで映されると、とても大きな偉大な人に見えるけれど、実際お会いすると、本当に思ったほど大きくなく小柄で驚くんでしょうね。


女将さんは、加藤さんが来店してくれたときに、将棋盤にサインをしてくれたのを見せてくれた。


「喜んで生きる。加藤一二三」

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羽生さんもこの将棋盤にサインしてくれて、でもそのとき小さなペンしかなかったから、こんな感じで失敗したわ。(笑)

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そして、これが、加藤一二三さんが愛した”ふじもと”のうな重の”松”
4800円!!!


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いやぁ本当に美味しかったです。


自分もうな重を食べ始めたのは、つい最近の10年ぶりで、うな重ってこんなに美味しいものなのか!という感じでちょっとマイブーム。


でもUberEatsのお取り寄せで頼むおらが街の1980円のうな重とは、もう天と地の違い。もううなぎの味、香りからして全然違うという感じです。


やっぱり高級品は全然基本が違う。

本当に美味しかったです。


藤井くんが四段になり、プロデビュー戦が最年長の加藤一二三九段との対戦。

加藤さんはこの対局に負けて、引退を決めた。

ここから藤井くんの連勝が始まって、藤井フィーバーが始まり、
その一方で加藤さんは引退し、”ひふみん”としてメディア界で大活躍することになった。


新しいスターが生まれて、入れ替わりに巨星が去っていく。


ひとつの時代が大きく移り変わった瞬間ですね。


もう藤井くんのことでコメント、解説するのは、いまや加藤さんの役割。

加藤さん言うには、藤井くんの仕事しか来ない、と言っていますが。(笑)


ひふみん、藤井二冠と対戦したら「互角に戦えます、控えめに言って」。「まだ(藤井二冠は)2つぐらい研究してない形があるんです、身につけてない形がある。」


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これは最高に嬉しかったねぇ。やはりこうでなくっちゃ。新しい強いスターが出てきて躍進中のとき、そこに冷や水を浴びせるような存在がいなくっちゃ面白くありませんね。


それは加藤さんくらいの実績、立場だから説得力がありますね。


加藤さんがSNSや、報道で話すコメントが、すごく沁みますね。


厳しい勝負の世界に生きていたからこそ、わかるような、本当に悟りの境地というか、本当に自分に響いてくる言葉の数々、心に染みます。


加藤さんはクラシック音楽にも大変造詣が深くて、最近、音楽の友でインタビューを受けていましたね。


ひふみん、加藤さん、ぜひ今後も末永く頑張って、将棋界の使徒として頑張ってほしいです。



最後に、スポーツ雑誌Numberが将棋特集を組んで話題になった。


「棋士もアスリートである。」


初日即完売で大変な話題になり、自分も増版でやっと入手しました。

とても興味深く楽しく拝読しました。


自分が食い入るように読んだのは、もちろんこちら。


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中原さん、お元気そうでなによりでした。
近影を見れてうれしかったです。

いまは趣味の囲碁と競馬で悠々自適の毎日のようです。

「18歳の羽生と藤井」という命題で語っています。


その他、佐藤康光が語る、「大名人、この一局。」が面白かったですね。


「中原先生は、AIの影響を受けた現代の将棋に一番融合しそうな気がします。何より大局観がすごい。全体のバランス感覚というか、手の作り方、主導権の握り方が卓越していますね。」


「自分の将棋に「絶対」の自信を持たれているのが、加藤先生です。他の棋士の参考にされたイメージがまったく感じられません。」


さすが同業者のプロから見るところは、鋭いところを突いているなと思います。読んでいて感心したところです。


確かに、中原さんのバランス感覚は自分も憧れましたね。


受けの〇〇、とか攻めの〇〇とか、極端に個性の強い棋風という感じでなく、いわゆる本当に自然流で、本当にバランスがいいんですよね。それで相手のアクの強い形をどんどん破っていくところがすごい格好良かったです。



自分の時代になくていまあるのが、棋士がAIを駆使するようになったということ。


でも自分が思うのは、将棋って、いろいろな強烈な個性を持つ人間棋士同士の戦いだからこそ、そこに、その個性のぶつかり合いというドラマが生まれるわけで、観ていてそこに面白さを感じるわけです。


将棋を知らない人でも、この棋士とこの棋士との戦いに、勝ち負けがついて、そこにドラマを感じて面白く感じるのではないでしょうか?


そこに表情のないプログラミングされた正しい棋譜だけの世界では、そのような面白味を作り出すことはできませんね。


AIはあくまで棋士のトレーニングのためのツールという位置づけなのではないのでしょうか?








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サビーヌ・ドゥヴィエル [オペラ歌手]

サビーヌ・ドゥヴィエルはフランスの歌手である。リリックソプラノでコロラトゥーラ。同じフランス人歌手で大歌手のナタリー・デセイの後継者とも言われている。


デセイの大ファンである自分にとって、どうにも気になる存在であった。


デビューは2011年、CDデビューは2013年のようだが、自分は2015年のモーツァルト・アルバムで初めて体験した。そのときの第一印象は、歌がじつにうまい歌手、とても新人とは思えない、その抜群の歌唱力に驚いた。


でも、そこで感嘆の日記を書いてしまうのは、ちょっと判断が早すぎるのではないか、ととどまった。この先、どのように伸びていくか、その過程をもう少し眺めてからでも遅くはないと思った。


今回、フランス歌曲集の新譜が出て、いままで合計3枚のアルバムを聴いてきたが、もうこれは本物だと確信した。


各アルバムが出るたびに日記ではなく、つぶやき程度で感想を書いてきたが、3枚目の今回の新譜を聴いて、改めて、サビーヌ・ドゥヴィエルについて日記を書いてもいいと思ったのだ。


今回の新譜は、本当に素晴らしかったです!(あとで。)


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チェロと音楽学を学んだ後、声楽に転向し、2011年にパリ高等音楽院を首席で卒業したばかりにもかかわらず、在学中から数々のオペラの舞台に出演して話題に。レザール・フロリサン、マルク・ミンコフスキなどと共演している。古楽から現代音楽までをレパートリーとしているが、キャリア初期は、バッハからラモーまで、バロック音楽に傾倒。


その後、フランス国立管弦楽団とパリ管弦楽団とのラヴェルの「子供と魔法」に出演し、より幅広い聴衆の目にとまることとなった。2011-12年シーズンには、ベルリーニの「夢遊病の女清」のアミーナ役を歌い、ベル・カント作品デビューを果たす。


パリ・オペラ座でのモーツァルトの「魔笛」の夜の女王役や、ベルギーのモネ劇場でのグルック「オルフェオとエウリディーチェ」でも主役をつとめた。2013-14年シーズンには、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」やヴェルディ「ファルスタッフ」のナンネッタを歌い、英国グラインドボーン音楽祭ではラヴェルの「子供と魔法」に出演。


「言葉の重さを重要視し、洗練された敏感な歌には偉大な哀愁の風が吹いている」と高い評価を得る。2013年、専属契約を交わしたエラート・レーベルから発売され、フランス・デビュー・アルバムとなった「ラモー:壮大なる愛の劇場」で、フランスのグラミー賞といわれるヴィクトワール・ドゥ・ラ・ムジーク、およびディアパゾン・ドール賞を受賞。着実にキャリアを積んでいる、期待の大型新人ソプラノ歌手。(WARNER MUSIC JAPAN HPからの引用)



とにかく歌がうまい!

とても新人と思えない完成度で驚くのである。


これは歌手に限らないと思うが、ふつう長い演奏家人生の中で、大きく変わる変化のとき、いわゆる”化ける”ときってあると思うのだが、ドゥヴィエルの場合、はじめからこのように完成度が高かったら、この先どう変わっていくんだろう?化けるときってあるのだろうか、というように思ってしまうのである。


伸びしろがある、という目で期待点を込めて、称賛するというのが新人に対する評価感のように思うのだが、この完成度なら、なかなかそんな感じでもなさそう。


ソプラノなのだが、声質はキツイ感じでなく、柔らかい声質。間違いなくソプラノの声音域なのだが、どこかメゾの音域を聴いているような定位感の良さ、安定感がある。声の線が太いんですね。


オペラ歌手にしては、体格が華奢で痩せているので、声量大丈夫なのかな?とも当初思ったのだが、オーディオで聴く分には全然十分である。


これは一般評価軸ではなく、あくまでノンノン流独自評価軸なのだが、歌手、歌もので、自分の心に響いてくる歌手は、


①ホール空間において、ある一点で定位する定位感の良さ。
②音楽的なフレーズ感。


いい歌手ってこの2つを必ず持っているような気がする。


特に②は、声質、声量ともほんとうに素晴らしいいい声しているのに、その歌を聴いていると、自分に響いてこないときが結構ある。そこにはその歌に対するフレーズの収め方というか、フレーズ感がないからだと思うのだ。


それはその歌に対する勉強度合いなど、より理解度がないと難しいものなのかもしれない。やっぱりその歌に対する経験なのでしょう。


本当に、その歌に対して、自分のものになるときって、もう何回もその修羅場をくぐってこないと、修羅場をくぐってきてこそ、本当の自分の歌になるのではないでしょうか?


シャンソン歌手のバルバラが、あのように一見早口でたたみ掛けるように話しているだけなのに、その歌になぜか心打つ、カッコいいと思ってしまうのは、そこに音楽的なフレーズ感があるからなのだと思っています。


ドゥヴィエルについては、この2つの要素がかなり備わっているように思えます。①は実際ホールで実演に接していないので、断言はできませんが、きっと間違いないと思います。②は確実に備わっていると思いますね。


とにかく聴いていて、歌がうまいなぁと思うこと、感心すること毎回でしたが、3枚のアルバムを聴いてきて、ここに本物だと断言してもいいと思いました。音楽院在学中からオペラ公演に引っ張りだこで出演していた、という事実もよく理解できます。


レパートリーはやはりフランス・オペラやフランス歌曲が多いようですが、フランスの歌の世界はとても新鮮ですね。


世界のオペラ界は、やはりドイツ・イタリア中心に回っていると思うので、フランス・オペラやフランス歌曲は、なかなか耳にしたことがない曲が多く、とても新鮮です。


彼女のアルバム、3枚聴いてとても新しい世界に感じます。

ぜひ日本に呼んでほしいと思います。

オペラというよりは、リサイタルでやってほしいですね。


リサイタルなら、もう誰にも遠慮なく、フランス・オペラ・アリアとかフランス歌曲とか、ガンガンやれると思うので。


彼女の世界が満喫できると思います。




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シャンソン・ダムール~フランス歌曲集 
サビーヌ・ドゥヴィエル、アレクサンドル・タロー



今回リリースされた新譜。もうジャケットが素晴らしすぎるでしょう。(笑)


ドゥヴィエルとタローは、フォーレ、プーランク、ラヴェル、ドビュッシーと、この時代を代表する作曲家の歌曲の中から「愛」「戦い」「死」にまつわる曲を選び、周到にプログラムを創り上げています。アルバム・タイトルにもなったフォーレの「シャンソン・ダムール=愛の歌」やプーランクの「愛の小径」などの良く耳にする愛らしい歌をはじめ、ラヴェルの「5つのギリシャ民謡」、ドビュッシーの「忘れられた小唄」などの連作歌曲
といった、今回2人がどうしても採り上げたかったという曲集など、多彩な作品が並ぶこの1枚には、ドゥヴィエルとタローの「今こそ表現したい思い」が詰まっており、聴き手は聴いているだけで様々な体験をすることができるでしょう。


ドゥヴィエルの柔らかくニュアンスに富んだ声は、フランス歌曲の持つ繊細な雰囲気を余すことなく表現するだけではなく、ここにタローのピアノがぴったりと寄り添い、ときには優しく、時には自由に旋律を歌い上げます。


「幅広いレパートリーというだけでなく、多様性と驚きの両方を目指して、個々の曲を選びました。ドビュッシーとラヴェルは私にとって必需品であり、フォーレはスピリチュアルな父として自然な選択であり、プーランクはよりスパイシーでスパイキーなものを提供しています。タローのピアノが生み出す音色の意味は、会話、憂鬱、反抗など様々。このアルバムで私たちは詩を味わい、フランスの歌には無数の色があり、それらの色を引き出すことが私たちの使命でした。」と、ドゥヴィエルは語っています。(HMVからの引用)




ドゥヴィエルはEratoレーベル。Eratoは、ディアナ・ダムラウはじめ、オペラ歌手が多く在籍しているレーベルですね。


いいレーベルです。いまはWARNER MUSIC傘下でしょうか。


今回の新譜あまりにジャケットが素晴らしいので、アナログLPも買っておきました。(笑)


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自分のアナログコレクションは微々たるものですが、こうやって新譜で気に入ったものがあったら、アナログも買っておくというスタンスでしょうか。


本当に美しい珠玉の曲ばかりが集まったアルバムで、心洗われるような美しさで泣けますよ。フォーレ、プーランク、ラヴェル、ドビュッシー・・・フランスを代表する大作曲家たちの残した歌曲。


本当に新鮮な驚きです。

録音も素晴らしいです!




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ウェーバー姉妹のための歌曲集、夜の女王のアリア、他 
ドゥヴィエル、ピション&アンサンブル・ピグマリオン



ドゥヴィエルを初めて聴いたアルバムがこれでした。


このアルバムは、モーツァルトと恋愛関係にあったウェーバー姉妹にちなんだ歌曲を中心としたプログラム。


これも素晴らしいです。初めて聴いたときに、その歌のうまさに、とても新人とは思えないなと舌を巻きました。


このアルバムではモーツァルトの魔笛の夜の女王のアリアも披露していますよ。コロラトゥーラもできるところを見せています。もうちょっとコロコロ感があれば、いいな、とも思いましたが、これだけできれば全然素晴らしいです。


ぜひお勧めの一枚です。



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ミラージュ~フランス・オペラ・アリアと歌曲集 
サビーヌ・ドゥヴィエル、フランソワ=グザヴィエ・ロト&レ・シエクル



現在の日本において、フランスのオペラの普及度は、イタリア、ドイツものに比べ、一歩遅きに失した感があります。今回のドゥヴィエルの新譜に収録されているアリアの数々も、全曲を耳にすることができるのはこの中の何曲にあたるのでしょうか? そんな思いに駆られるのは、あまりにもドゥヴィエルの歌が素晴らしいからに他なりません。(HMVからの引用)


まさにそう思います。


これも本当に素晴らしい1枚で、普段耳にすることの少ないフランスの歌の世界を堪能できる貴重な1枚だと思います。このアルバムがリリースされたとき、本当に何回リピートして聴いたことか、わからないくらいよく聴き込みました。


これもぜひお勧めの1枚です。



なんか、いまにも彼女が日本にやってくる世界もそう遠くはないような感じもしてしまいますが、その前にコロナなんとかしないとね。こういう投稿すると、いつも一気に夢の世界を突っ走るのですが、すぐその後に現実の世界に引き戻されて、あ~と溜息の毎日なのでした。











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国際音楽祭「プラハの春」 [海外音楽鑑賞旅行]

みなさんのおかげで今があるわたくし。いままでを深く感謝しつつ、また今後ともよろしくお願い申し上げます。


この先行きの見通せないコロナ事情で、はたして海外へ渡航できる日が来るのだろうか。日本に帰国しても自宅待機14日間の壁はいつ払拭?(これがあるかぎり、会社人は無理。)


おそらくとうぶん無理でしょうね。


でもそのままなにもせずに悶々と過ごすのも、あまりに人生の過ごし方無駄すぎる。こういうときは、自分流のやり方として、仮想トリップするしかない。(よくやります。)せっかくここまでチェコ熱がフィーバーしてきたので、この火を鎮めたくない。


熱いうちに仮想トリップしたいです。


そういうことで、目標である国際音楽祭「プラハの春」について、どのような音楽祭なのか、書いてみることにした。


プラハの春音楽祭という呼称が一般的かもしれないが、国際音楽祭「プラハの春」が正式名称なのだろう。


東京・春・音楽祭は、ここから由来しているんですね。


チェコ・プラハの街は、ヨーロッパ随一の美しい街だと言われている。
この音楽祭に行ったら、やはりプラハの街散策が最高に楽しみですね。
ぜひこの美しい街プラハをいろいろぶらぶらしてみたいです。


悲劇的な歴史を背負ってきたにも関わらず、これだけ美しい街の景観がいまも残っているというのは、本当に奇跡としか言えないのではないだろうか。


チェコって、ちょっとコンパクトでユニークな印象なのがいいですね。
独特の美的感覚があって、自分にはかなりユニークに感じます。


ドイツ、フランス、オランダ、イギリスというような大国専門であった自分にとって、チェコは東欧独特のモノトーンのブラウン系というか、国のカラーとして、独創的な色彩がありますね。


街全体が芸術作品のような、チェコの首都「プラハ」。


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プラハ歴史地区


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プラハ市街中心部には、1992年に世界遺産登録された「プラハ歴史地区」があり、美しい中世の街並みを堪能することができる。


カレル橋


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「カレル橋」は1402年に建設された、プラハ最古のゴシック様式の石橋。


写真:建築&クラシック好きにはたまらない♪チェコの芸術都市「プラハ」で体験したい6つのこと。




そんな美しい街で毎年5月に開催される国際音楽祭「プラハの春」。


スメタナの命日の5月12日に開幕。チェコフィル@スメタナホール(市民会館)でスメタナ「わが祖国」が演奏される。



2014年の国際音楽祭「プラハの春」。(スメタナホール(市民会館))

チェコの国旗掲揚に、フェスティバルのロゴ旗も掲揚。


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フェスティバル・ロゴ


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オープニングに、スメタナ・オペラ「リブシェ」からのアリア、そしてチェコ国家が演奏される。


このプラハの春音楽祭は管弦楽や室内楽のための国際音楽祭。ホスト役はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団。その他にも著名な音楽家やオーケストラが招かれる。


黒沼ユリ子さんの時代では、東と西とで社会体制が違う国のアーティストも、この「プラハの春」音楽祭では同じステージに立つという当時からインターナショナルで画期的な音楽祭でもあったようだ。


チェコ・フィルハーモニー管弦楽団創設50周年にあたる1946年に、エドヴァルド・ベネシュ大統領の後援で、首席指揮者のラファエル・クーベリックの指導のもと第1回の音楽祭が開催された。


ビロード革命による民主化直後の1990年には、1948年のチェコスロバキア共産党の政権の成立による共産化を嫌って西側へ亡命していたクーベリックが、チェコ・フィルと歴史的な再共演を果たしている。


この1990年、クーベリック、プラハの春音楽祭に復帰!という映像作品DVD、購入しました。ドキュメンタリー付きです。あとでレポートします。


いわゆるあの「人間の顔をした社会主義」の「プラハの春」が起きたのが、1968年。
でも国際音楽祭「プラハの春」がスタートしたのが、1946年。


自分の最初の誤解は、変革運動「プラハの春」が起きて、その後にその名称が、その音楽祭に使われるようになった感覚があったのだけれど、そうじゃないんですね。まず「プラハの春」音楽祭が最初にあって、その後に起きた変革運動にその音楽祭の「プラハの春」を持ってきたということなのでしょうか。



会場は(たとえば2000年)、スメタナホール(市民会館)をメインにルドフィヌス(芸術家の家)、聖ヴィート大聖堂、シュパニェルスキー庭園、聖ミクラーシュ教会、聖ヤクブ教会、聖ベトル=聖パヴェル教会、聖イジー教会、聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂、マーネス、ベルトラムカ別荘、国民劇場、ヤナーチェク・ホール等、25を超える会場が使用される。


まさにプラハの街にあるコンサートホール、教会全部を使って盛大におこなわれる音楽祭なんですね。


毎回、スメタナの命日である5月12日に彼の代表作「わが祖国」の演奏で幕を開けることで知られる。3週間にわたって開かれる。


演奏会では記念年に当たる作曲家の作品が取り上げられたり、現代のチェコの作曲家の作品の初演が行われる。また創設の翌年から若手演奏家のためのプラハの春国際音楽コンクールも開かれているそうだ。


コンサートホール・マニアの自分は、やはりコンサートホールについて、語りたい。


スメタナホール(市民会館)


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共和国広場に立つ、ひと際華やかなセッション様式の市民会館。中央奥にあるホールが、クラシックファン垂涎の「プラハの春」音楽祭が開幕される聖地だ。このホールはプラハ最大のホールで、舞台中央にスメタナのレリーフが象徴として収められている。天井には、音楽、ダンス、詩、演劇の寓意のフレスコ画。彫刻やパネル、天井のガラスなど。20世紀初めに活躍したチェコの芸術家たちが腕を振るった装飾は、細部にわたり素晴らしい。


ホール内装は、一見シンプルに見えるが、要所要所ディテールにこだわった装飾は、見事。チェコ芸術の粋を集めた劇場と言えるだろう。


ホール音響は、この写真を見てまず思うことは、天井がすごく高く、ホール容積も広い。でもホールの横幅がそんなに広くない細長いホール。座席は完全なシューボックスなのだけれど、ホールの中高空間はその形状に限定されないように広がっている。内装彫刻のデザインも含め、独特の空間形状ですね。


そこから想像するのは、やはり残響感豊かなホール。響きが非常に濃いホールであることに違いない。この中高空間の彫刻は、より反射音の拡散を際立たせ、まだ天井も高いので、滞空時間や残響時間(響きの長さ)も長くて、かなりいいのではないのでしょうか・・・


写真見ていて、いかにもいい響きがしそうだ。



地上波で再放送が決まった「のだめカンタービレ」。いま話題沸騰であるが、そのヨーロッパ編でプラハが舞台になっているんですよね。このスメタナホールは、ヨーロッパ編の「のだめカンタービレ」で千秋がヨーロッパ・デビューコンサートを行ったホールであり、さらに映画版では、ここの壁にシュトレーゼマン(縦ロールヅラかぶりの竹中直人)の「プラハ公演」特大ポスターが貼られている。


さらにクライマックスといえるシュトレーゼマンとのだめのコンチェルトのシーンが撮られている。



ルドルフィヌム(芸術家の家)。モデル付き(笑)


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ドヴォルジャーク・ホール


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ドヴォルジャークホールでプラハの春音楽祭


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ルドルフィヌム(芸術家の家)は、チェコのプラハにある音楽公会堂である。何十年にもわたってチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であり、毎年5月と6月に開催されるプラハの春音楽祭では主要な開催地の一つとなっている。


1885年2月8日にこけら落としを迎え、これを主催したオーストリア皇太子、ルドルフに敬意を表して「ルドルフィヌム」と命名された。


ルドルフィヌム内にあるドヴォルジャーク・ホールは、ヨーロッパのコンサートホールの中では最古のものの一つであり、音響効果の面でよく名前を知られている。


1896年1月4日、ここでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の最初期の演奏会が開かれた。アントニン・ドヴォルジャークの指揮によるものだった。


スメタナホールに比べると、若干容積控えめという感じですが、そこが逆に音響の面でいい要因になっているように思います。ヨーロッパ最古のコンサートホールのひとつ。


こちらもシューボックスタイプで四隅をラウンドさせている室内形状で、反射音を得るのが容易で、響きがとても豊かな感じですね。いかにも音響良さそうです。


このドヴォルジャークホールも、のだめカンタービレ ヨーロッパ編ではヨーロッパ上陸した千秋とのだめが最初にヴィエラ先生のコンサートに行った場所、という設定で使われている。


スメタナホールもドヴォルジャークホールも日本のドラマ&映画に大協力してくれた太っ腹なホールですよね、ホントに。(笑)いまのコロナ禍の惨状を考えると、本当に遠い世界のできごとみたいになってしまいましたね。


プラハを舞台にした”のだめカンタービレ ヨーロッパ編”、DVD持っているので、また後日観て感想を書きます。自分は、このヨーロッパ編、当時、ドラマも映画(ちゃんと映画館で前編・後編みた)もしっかり見ているのですが、プラハが舞台になっていたというのは全然覚えていないんですよね。のだめがパリを拠点にして、そこのコンセルヴァトワールに通っていたのは覚えているのですが・・・。



スメタナホール、ルドルフィヌムの中のドヴォルジャーク・ホール、この2つのホールが有名ですが、自分的には、どうしても体験してみたいオペラハウスに、国民劇場がある。


チェコ、プラハを訪れるならば、この国民劇場は絶対必須でしょう!


国民劇場


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国民劇場は、音楽の盛んなチェコにおける最重要機関であり、チェコを代表する芸術家らによって創設、維持されてきた。この伝統により、チェコの言語、音楽、思想などが保存・発展してきたものと言われている。


チェコの中のもっともチェコ的な文化劇場、それが国民劇場です。


国民劇場は、いわばチェコ国民・民族のアイデンティティと独立を体現するために建設されたもの。当時のチェコはオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあって、公用語はドイツ語。自分たちの言語チェコ語を面前で話せなかった。


だから劇場もドイツ語による上演が多く、チェコ語で上演できる劇場はなかった。


当時、ドイツ語の劇場しかなかったプラハにおいて、1844年にはチェコの愛国者たちの間にはチェコ語による劇場を求める声が高まり、「チェコ語によるチェコ人のための舞台」を求めて1845年には申請を行い、建設許可を得ている。


そういうプラハを中心としたチェコ国民の寄付によってできたのが国民劇場なのである。


そういう歴史があるからチェコ国民にとって、もっとも重要な劇場である、ということがわかるであろう。


初演は、1881年6月11日、ベドルジハ・スメタナのオペラ「リブシェ」。


残念ながら、その初演からわずか2か月後に、火事で焼失してしまうんですよね。でも不屈の闘志、そこから47日間でふたたび民衆から資金を集め、2年後の1883年に再開するのです。



これは黒沼ユリ子さんの著書”アジタート・マ・ノン・トロッポ”でも、この国民劇場については熱く語られていたところで、その箇所を紹介しますね。


その1881年当時の国民劇場の写真です。


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自分の国を失った弱小民族が、ようやく1918年に悲願かなって独立国となるまで一体どうやって自分たちの文化を守り続けてきたのか、という問への答えの中の重要なポイントのひとつが「音楽」であったといっても言い過ぎではないと私は思う。


長い間、異民族の支配下で抑圧されている民族が、音楽に祖国の独立の希望と夢を託して現状の苦しみを慰めるということは、歴史上どこでも繰り返されていることだからだ。チェコ人には次のようなエピソードが、これを裏付けるもののひとつとして残っている。


それはチェコ人が自民族復活への熱望のシンボルを「国民劇場を持つ」ということに集約していたという事実だ。


つまり自分の言語と音楽で芝居やオペラが上演される場所を持つということ。


1868年5月、プラハで待望の国民劇場の定礎式がおこなわれたが、この礎石になったいくつかの石は、ボヘミア、モラヴィア両地方の名所や、チェコ人にとっての精神的絆のヤン・フスが捕らえられていたコンスタンツァなどから運ばれ、またアメリカに移住したチェコ人からも連帯のシンボルとして石が送られてきたそうだ。


この国民劇場は1881年6月の落成し、スメタナのオペラ「リブシェ」(チェコ建国の伝説的プリンセス)の初演によって幕を開けた。


ところがなんという悲劇か、二か月後にはこの新築の劇場は火事で全焼してしまったのだ。しかしその1か月後のうちにチェコ人すべての団結した献身的努力により、百万グルデン以上の大金が集まり再建が始まった。


それには裕福な婦人たちは自分たちの宝石を、田舎の人々はレース編や民芸品をと、すべての国民が何かしらの寄付をしその売上金によって資金の調達ができるように協力したからだった。


2年後の1883年には早くも修復が完成し、タイトルロールのリブシェの歌う「私の愛するチェコ民族は、決して死に絶えることはないだろう。どんな苦しみをも栄光を持って切り抜けるのだ」というアリアがふたたび響き渡り、チェコ人の胸に滲み入っていったのだった。ステージの真正面には「ナーロド・ソビエ」(民族はそれ自身へ)という言葉が彫られ、その9文字は今も変わることなく金色に輝いている。


この翌年チェコ・フィルハーモニーが発足した。当時は国民劇場のオーケストラのメンバーが兼任している者も多かったが、 1896年1月には、ドヴォルジャーク自身の指揮によって彼の交響曲第9番「新世界より」が演奏されて正式のデビューをした。


しかしその5年後に国民劇場のストがあってそれが長引いたため、チェコ・フィルハーモニーはオペラのオーケストラと完全に分かれて独立し、コンサート専門オーケストラになった。まだまだオペラに人気が集中し、コンサート収入だけでオーケストラを維持するのはとても困難だった当時、チェコ・フィルハーモニーをささえる保証をしたのは、むろん当時のオーストリア・ハンガリー帝国の政府ではなく、チェコ人1人ひとりからの精神的、経済的援助だったのだ。音楽を求める心を国民の誰もが持つようになるということは、私たちにとって大変うらやましいことでもあるが、それはこの国の歴史が創り上げた民族的感情と切っても切れないものとして、今もチェコ人の中に脈々と流れ続けているものだと思う。


今日のチェコ人音楽家の演奏に欠けることのない特徴のひとつに、音楽へのアプローチの精神的な深さをあげることができるが、それは、過去の大作曲家たちの偉業のみに帰するものではなく、音楽を心から愛し、音楽なしには生きることすらできないほど熱心な聴衆によってたえず求め続けられてきたからこそ、絶対不可欠な要素として、今も彼らの間に息づき続けているのではないだろうか?




いやぁ~熱い語り口ですねぇ。(笑)思わず前のめりになりそうです。


そういうこともあって、プラハに行くなら、スメタナホールやドヴォルジャーク・ホールもいいけど私なら、国民劇場。ここでチェコのオペラ、演劇をチェコ語で観てみたいです。


いまは、国民劇場はオペラ、バレエ、演劇を提供しているみたいです。いずれも、著名なクラシックなどに限定せず、地域のものや現代のものも上演しているとか。


ちなみにプラハ国立歌劇場と、国民劇場は違うので要注意。
プラハ国立歌劇場は、ドイツ語での上演の劇場です。


プラハのドイツ系住民がドイツ語の上演を求めて結成したドイツ劇場組合によって建てられた劇場になります。だから国民劇場とは、もう根本的に違いますね。


近年では、エディタ・グルベローヴァの来日公演で、このプラハ国立歌劇場とのジョイントで渋谷オーチャードホールでオペラ(ベッリーニのノルマ)を観たことがあります。(2016/11/6)


グルベローヴァさまもチェコスロヴァキア(チェコ+スロヴァキア)生まれなんですね。


最後に、1990年のプラハの春音楽祭のコンサートの模様をDVDで鑑賞して、締めとしましょう。



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クーベリック/わが祖国(1990年プラハ・ライヴ)+祖国との再会(ドキュメント)
ラファエル・クーベリック




共産主義体制に反対し、チェコ・フィル首席指揮者の地位を投げうって西側に亡命した指揮者クーベリックが42年ぶりに祖国を訪れ、「プラハの春」でチェコ・フィルと「わが祖国」を演奏するという感動的なステージ。


1990年「プラハの春」音楽祭オープニング・コンサート・ライブ


ドキュメンタリーでは、祖国に到着した巨匠、父の墓参に訪れるシーン、そしてリハーサルの模様などが網羅されている。


「プラハの春」音楽祭のオープニング・コンサートの雰囲気よくわかりました。
そしてスメタナホールの中の雰囲気もよくわかりました。


自分がその観客席の中にいるような感覚になれました。
画質・音質悪いですが。(笑)


ホールの側壁に皇室VIP専用のロイヤルボックスがあるんですね。
全員スタンディングで拍手で迎えられ、そこに皇室が入られる。

そしてチェコの国家斉唱という感じでしょうか。


クーベリック&チェコフィルやノイマン&チェコフィルって、昔自分がクラシックの勉強をしていたとき、一生懸命音源を購入して聴いていましたが、それっきり。最近はまったくご無沙汰。


でも映像で指揮姿を見たことはなかった。


今回初めてクーベリックの指揮姿を見ました。
チェコフィルうまかったです。


「わが祖国」のモルダウ。川のせせらぎをイメージした旋律。
木管の音色がホール空間をよく通っていました。


このDVDの素晴らしさは、コンサート以上に父の墓参りやリハーサルに注目してほしいです。


リハーサルというのは、その指揮者がオーケストラとともに、どうやって音楽(その曲)をいっしょに作っていくかがよくわかるし、その指揮者のその曲への拘り、考え方がよくわかりますね。


自分はリハーサルを見て、クーベリックはやはりすごい指揮者だと感嘆しました。スメタナの「わが祖国」に対する並々ならぬ拘り、楽譜への理解力すごいと思いました。インタビューではチェコ音楽の調性について熱く語っていたのも印象的でした。


実演を見ただけじゃわかりませんね。


「42年ぶりに私を迎えてくれてありがとう。君たちは私のことを知らないし、私も君らのことを知らない。」


もうひとつ嬉しかったのは、クーベリックのリハーサルやインタビューを見ることで(聴くことで)、チェコ語というのを耳にすることができたこと。これがチェコ語として意識して聴いたのはたぶん人生初めて。


それには伏線があって、黒沼著書でチェコ語の難しさがかなり詳しく言及されていて、文法はもちろんその発音、日本語表記することの難しさなど、説明されていて、自分は、チェコ語ってどんな言葉?と自然と興味を持ってしまったのでした。


それをリアル・チェコ語として聴けたのはよかった。
やはり難しそうです。(笑)


インタビューでは、民主主義の大切さ、共産主義に対するアンチテーゼを強く主張していた。自分の選択肢は間違いではなかった。そこには男としてどうしても引けない一線があったのだろうと思いました。


民主主義のためならば、命を捧げることもできる!と強く断言していた。


最後は、おそらくビロード革命のときと思われる場面、広場をチェコ国民が国旗を抱えながら行進していくデモ行進が映され、思わずこの国特有の複雑な歴史事情のインパクト、ちょっとジ~ンとくるシーンでした。


このDVDで、プラハの春音楽祭が大体どのようなものなのか、体験できる素晴らしい作品ですね。(時代遅れのカメラアングル、単調な固定画面、切り替えなど、やはり古い時代だな~とは思いましたが、それを言っちゃダメでしょう。)


ゴローさんの上司であったAプロデューサーから、「ノンノンさん、ぜひプラハの春音楽祭は必ず行ってください!」と太鼓判のお勧めを、知り合った当時、もらっていたので、ようやくこの今になって、これで少しは恩返しできたのではないでしょうか?まだ実際に行っていないけど。(笑)


これで、国際音楽祭「プラハの春」を仮想トリップできたのではないかと思います。










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