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歳をとっていくとわかること。 [雑感]

mixiでSNS生活をはじめたときは、mixiには足跡機能というのがあって、誰が自分の日記を読みに来てくれたかを気にしていたりした。


いいねがいっぱいつくと嬉しくなるのは、もちろんだけれど、こういう感情と言うのは、自分くらい歳とってくると、いまやそんなことは本当にどうでもいいことに思ってしまう。


昔は40人くらい、いいね、がついたものですが、いまやどんどん去って行って、ほんの気心知れた7~8人くらいでしょうか?


いわゆる世間でいうところの”承認欲求”というものですね。

SNSで発信者を長年やっていると、誰しもが必ずもつこの”承認欲求”。
これが原因でケンカになったりもする。


でも自分が長年やってきて悟ってきたことは、そんなものに自分の感情が振り回されるのは、かなりエネルギーの消耗だと言えることだ。


自分が昨今悟っているのは、歳をとっていくにつれて去っていく友達はどんどん増えていくが、新しく友達をつくることはどんどん難しくなるということである。(笑)


これは自然界の理ですね。


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でも市場の反応をまったく無視し続けて、ひたすらマイペースで投稿するのも問題である。

受けなかったら、こういうのはダメなんだな、とか学習しないといけない。

昔の自分と違って、ちょっとは大人になったかなぁと思うところはそこだ。
ある程度考えるようになった。


だてに歳食っていないので、いわゆる人生の抽斗(ひきだし)というのが多いので、それでいままで日記生活をしてきたようなものだ。


でも気をつけないといけないことはマンネリにならないことだ。

自分の抽斗には限界があって、必然とマンネリ化してしまうのも仕方がない。


でもそこをなんかちょっと違った切り口で語るとか、このような能天気で楽天家に見えてもふだん考えているんですよ。(笑)


マンネリは、読み手側に疲弊感を与えますね。
活気がなくなります。


若いころは抽斗がないから、いま絶賛抽斗作成中というところだが、歳をとっていくと抽斗が多くなる分、それを使い切ったら、そこから新たに新しい抽斗を作る作業というのは、若いころと比較して、ガクンとペースが落ちる。


そこからマンネリという現象が始まってしまう。


歳をとってくると、そういうことを考えるので、そうならないように、歳を取ってもなるべく新しい世界を吸収して、自分の抽斗を増やすように努力する。


雑誌などで、売文業のプロの寄稿を読んだりすると、こういう世界は自分に向いているかなぁと考えることがある。


やはりテーマが決まっていて、それに合わせて、参考文献も参考にしながら、文章を煮詰めあげていくというのは、これはこれでかなり大変な作業である。そのテーマと訴えるポイントが合致していて、読者に感銘を与えるというのは、かなり重労働な仕事なのではないでしょうか?


そういう制約のない、自分の好きなことだけを、好きなタイミングで、思いついたときに書くという作業が自分には合っているのでは、とつくづく思う。


もちろん自分の好きなことだけを書いていくわがままな世界。(笑)


自分は不器用な人間なので、その枠に嵌るように自分を制御・変形させるのが苦手かもしれない。アーティスト評やコンサートレビューだって、自分が好きなアーティストだからこそ、いっぱい愛情をもって表現できるし、心底感動できるのだと思う。


プロはそんなことは言っていられない。
常に的確なジャッジを下さないといけない。平等に。


自分は不器用な人間だから、たぶん無理で疲れてしまい、すぐに根をあげてしまうだろう。文章を書くことが楽しくなくなり、仕事になってしまうといままでのような楽しんで書くということができなくなってしまうような気がする。


いまは自分が好きなこと、楽しいこと、自分フリーに書いているから、書くことが楽しいのだろうと思うわけです。


・・・なんてそんなことをつい最近考えている。


でも一皮むけて、そこを脱すれば、また別の新境地があるのかもしれませんが。。。


歳を取っても、つねに新しい抽斗をつくることに気を配って、歳を取っていきたいものです。(もちろん何十年経っても、まったく変わらないこの文体、そして視点にホッとするという価値観もあることはもちろんです。)


でも自分の場合、趣味の世界なんだから、あまりそんな面倒くさいこと考えずに好きなだけやっちゃえ~てな感じでいいのではないのでしょうか?(笑)










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