松本グルメ そのさん [国内音楽鑑賞旅行]
いままで松本グルメでどうしても体験していなかった名店があった。それが「うなぎのまつ嘉」である。ここは本当に超人気店で、11時半開店と同時に速攻で売り切れ閉店になってしまう超難しいお店なのだ。だからその名声はよく知っていたのだけれど、なかなか敷居が高いと思っていた。
今回初挑戦してみようと思ったのである。
●うなぎのまつ嘉
開店と同時に売り切れ!長野県松本市が世界に誇る鰻の名店「うなぎのまつ嘉(まつか)」。開店から10分も経たないうちに売り切れの札が店先に並んでしまうという、知られざる鰻の名店が長野県松本市にあるのだ。
江戸時代から6代つづく鰻の名店、それが「うなぎのまつ嘉(まつか)」
こちらのお店、実は江戸時代から続くうなぎの名店として、松本市内はおろか、全国に名前を轟かせるお店。そのため、全国から美味しい鰻を求めて、鰻好きが毎日のように押し寄せているのだそうだ。
そしてこちらのお店、予約ができないことでも有名なお店。
そのため、多くの人々が11時30分の開店前から美味しい鰻を求めて行列をつくり、平日であっても11時30分の開店と同時に売り切れとなってしまう。
今回、どうしてもこの「うなぎのまつ嘉」を体験したいと思い、ここはちょっとそっとの正攻法ではダメできちんと作戦を立てていかないとダメだぞ!と自分は思ったのである。
なぜ、ここのお店は、開店と同時に、すぐに売り切れになってしまうのか、そのなぞ解きを今回紹介したいと思う。
うなぎのまつ嘉
自分は、11時半開店をそのまま鵜呑みにしては絶対ダメだと思った。
ネットで、10時半には並ぶことをお勧めする、という書き込みがあったのだが、よし!それだったら、自分は9時半に並ぼう!
2時間待とうじゃないか!と決意した。
9時半に到着。
やはり1番乗りだった!
やはり1番乗りだった!
こうやって入り口の前に座れる腰掛ベンチがあった。
目の前が入り口である。
目の前が入り口である。
座って待っていたら、お店の人が寒いでしょう、と言って毛布を貸してくれた。
優しい~!
優しい~!
侮るなかれ!9時半に来た自分は一番乗りだったけれど、9時45分には、続々と人がやってきてあっという間に行列ができてしまった。
自分が、今回学んだ攻略法は、ここのお店は10時半になったら、その行列の人たちをお店の中に入れてくれるということなのだ。つまり座席に座らせてくれる。
つまり10時半になったら、つまり店内のお店の座席は満席になってしまうということだ。そしてこのお店は、あまり商売っ気がなくて、1回座席が満席になった分の人数分しか鰻を用意していないことだ。
結論は、
・10時半に行列の人たちを店内に入れる。→満席になる。
・鰻はその1回分しかない。
・11時半の開店と同時に、すぐに売り切れ閉店。
・鰻はその1回分しかない。
・11時半の開店と同時に、すぐに売り切れ閉店。
こういうからくりである。
だから開店11時半をそのまま鵜呑みにしては、絶対無理である。
10時半でも危ない。(10時半はあくまで行列を店内に入れる時間)
やはり9時半に行くことをお勧めする。
10時半でも危ない。(10時半はあくまで行列を店内に入れる時間)
やはり9時半に行くことをお勧めする。
10時半に店内に入れてくれる。
そしてすぐにオーダーを取る。
そしてすぐにオーダーを取る。
これが「うなぎのまつ嘉」の店内。
10時半に店内に通されるけれど、オーダーを取った後、そこから開店の11時半までそこで待たされるのである。
11時半になると同時に、オーダーしたものがやってくる。
メニュー。
うな丼、うな弁当とあるが、なにが違うかと言うと、うなぎの枚数が違う。
うな丼(2枚)、うな弁当(3枚)である。
うな丼(2枚)、うな弁当(3枚)である。
昔はうな重というのがあって、これはうなぎ4枚だった。
いまはうな重はやっていないのだそうだ。
いまはうな重はやっていないのだそうだ。
自分は、うな丼をオーダー。
そしてやってきた!
これが、うなぎのまつ嘉のうな丼である。
これが、うなぎのまつ嘉のうな丼である。
すごい美味しい!!!
外側はパリっと、そして内側は非常に柔らかく仕上げられた鰻は、タレとの相性も抜群。もちろんその味わいはご飯と一緒に味わうことで本当の意味での真価を発揮している。
たっぷりの山椒でも負けないほどの強く濃い鰻の味わいは、長野県のみならず、世界に誇るうなぎの名店と言っても過言ではない。
本当に美味しいです。
うなぎは本当に美味しいですねぇ~。
自分のうな丼が配膳されたのは、11時20分である。
そして食して店を出たのが、11時30分である。
そうしたら・・・(笑)
これがこのお店の真実である。
この真実をよく理解したうえで、ぜひ長野県松本市のうなぎのまつ嘉さんにチャレンジしてほしいと思います。
●珈琲美学アベ
ここもゴローさんから教えてもらった珈琲専門店なのだが、元のオリジナル情報源は、サイトウキネンのオーケストラ・メンバーであることは間違いない。
ここは珈琲に徹底的に拘った本当に雰囲気のあるお店で、いいお店だと思います。
松本の喫茶店というとここしか自分は思いつかないです。
松本の喫茶店というとここしか自分は思いつかないです。
マスターも徹底的に珈琲に拘りのある人で、プロっぽい雰囲気があります。
店内もとてもオシャレ。
珈琲を淹れています。
ここのモーニングがとても安くて美味しくていいということで、ゴローさんは松本滞在中はホテルの朝食を取らずにここのモーニングで朝食を済ませていました。
自分も昔はそうでしたが、モーニングは11時までということで、今回は時間的に難しく残念ながら。
今回2泊3日の滞在でしたが、3日間、かなりの時間この珈琲美学アベに入り浸っていました。
だから、もうここの珈琲のメニューをすべて徹底的に味わい尽くしました。
コロンビア、マンデリン、ブラジル、キリマンジャロ、モカ。
でも自分は、珈琲は普段あまり飲まないし、あまり詳しくないので、その味の違いがよくわからないんですね。(笑)
メニューには、
コロンビア(南米:甘い香りと独特のコク)
マンデリン(インドネシア:重厚な苦みが特徴)
ブラジル(南米:上品な酸味)
キリマンジャロ(タンザニア:強い酸味と上品な風味)
モカ(エチオピア:独特な香気と酸味)
マンデリン(インドネシア:重厚な苦みが特徴)
ブラジル(南米:上品な酸味)
キリマンジャロ(タンザニア:強い酸味と上品な風味)
モカ(エチオピア:独特な香気と酸味)
と書いてあります。
マンデリンは、ちょっと違うな、ということは自分でもわかったような気がします。
今回ラッキーだったのは、本日のおすすめで、あの幻の「ゲイシャコーヒー」が飲めたことです。自分が3日間入り浸って、いろいろな珈琲を飲んでいたので、マスターが今日は本日のおすすめで「ゲイシャコーヒー」が飲めるよ、と教えてくれたのです。
ゲイシャコーヒーというのは、世界で最も高価な珈琲といわれていて、幻の珈琲ともいわれている。ふつうの珈琲店ではまず飲むことはできないし、珈琲豆店でもまず置いていない。ネットで販売されることもあるけれど、販売とともにすぐに完売になるプレミアで本当に幻の珈琲だそうである。
そのゲイシャコーヒーをその日たまたま本日のおすすめで提供してくれるというのだ。
さすが珈琲美学アベ。ちょっとそこらの普通の珈琲店ではないですね。
本格専門店です。
さすが珈琲美学アベ。ちょっとそこらの普通の珈琲店ではないですね。
本格専門店です。
これがゲイシャコーヒー。
カップ・ソーサからしてすごいゴージャス。
やはり品格が違うよ、ということなのでしょう。
珈琲があまり詳しくない自分にはちょっと猫に小判でしたが、さすが他の珈琲とは違うな、と感じたことは確かです。具体的にどう違うとかは語れませんが。(笑)
いい経験でした。
この珈琲美学アベ。徹底的に拘った珈琲専門店。
悪魔のように黒く、
天使のように優しく
恋のように甘い
珈琲のひととき・・・
天使のように優しく
恋のように甘い
珈琲のひととき・・・
2泊3日の松本グルメ、いろいろ大変でしたが、統括したいと思っていたその目的は結構叶えられたのではないか、と思います。
松本グルメ そのに [国内音楽鑑賞旅行]
衝撃の初日を終え(笑)、気を取り直して2日目を迎える。
今回松本に来た一番の目標は、もちろん生音復活コンサートを体験すること。
そのために松本市音楽文化ホールにやってきた。
しかしこのホールにくる目標はもうひとつあったのだ。
そのために松本市音楽文化ホールにやってきた。
しかしこのホールにくる目標はもうひとつあったのだ。
それはこのホールに併設されているカフェ「ちゃんとてーぶる」を体験すること。
このカフェのことだけで、日記をひとつ書こうと思っていた。
このカフェのことだけで、日記をひとつ書こうと思っていた。
ところが残念なことに、コロナ禍に耐えられず、11/1付けで閉業してしまった。
在りし日のカフェ「ちゃんとてーぶる」。
大ホールのエントランスの横のほうに位置する。
大ホールのエントランスの横のほうに位置する。
そしてFBの公式HPで、このカフェに来たらぜひお勧めのメニューは、
「あずみ野三澤豚と根菜のハーモニー メンチカツプレートと季節のスープ」と宣伝していた。
じゃあ、せっかくそのメニューを頼もうと思っていたのに~。(泣)
実際行ってみたら、こんな感じに廃墟の姿。(笑)
悲しきお姿。
でも、じつは、このカフェ「ちゃんとてーぶる」というのは、「時代遅れの洋食屋 おきな堂」の姉妹店にあたって、それがたまたまコンサートホールのカフェとしてホールに併設されている、ということを知ったのだった。
だったら、その本家本元の「おきな堂」に行こう!ということになった。
●時代遅れの洋食屋 おきな堂
松本上土通りの菓子店「翁堂」から、昭和8年に「翁堂喫茶部」として独立。翁堂創業者・木内象次郎の長女・とし路と、その夫・安之助が初代オーナーを務める。樹齢200年の木を通し柱とする木造3階建の店舗を建築現在の建物は当時のまま。
昭和32年に安之助が逝去。長男・章皓が2代目を継ぐ社名「翁堂喫茶部」を、現在の「おきな堂」に改名。喫茶中心のメニューから、独立当初からあったカレー・ハヤシ・ポークソテーなどの洋食メニューを充実させて、路線を「喫茶店+洋食」から「洋食店+喫茶」へ、徐々にシフトしていった。平成10年にはイタリアで知り合ったシェフ・ロベルト氏の指導の下、手打ちパスタをはじめとするイタリアンメニューも導入。
平成17年より、章皓の長男・伸光が3代目を継ぎ、現在に至る。(公式HP)
まさに、松本市に昭和初期のころから活躍する老舗中の老舗の洋食屋さんといえば、このおきな堂なのだ。松本グルメといえば、どうしてもこの洋食屋さんを訪ねないといけない。
その名も「時代遅れの洋食屋 おきな堂」という呼び名がいけていますね。
時代遅れの洋食屋 おきな堂
女鳥羽川沿いの通りにある。
1階と2階あるのだが、自分は1階を体験。
とても昭和ノスタルジーな店内でとても素敵です。
店内には、一日中、ジャズやクラシックが流れる。「古さ」は「過去のもの」。でも、使い手の思いと使いかたによって、「今なお愛されるもの」にもなる。
いいな~この感じ。
自分は、やはりこのおきな堂の看板メニューのポークソテー定食をいただく。
ポーク肉、コリコリと歯ごたえがあって、とてもジューシーで美味しい。これは美味しいですね。松本に来たらこの洋食屋さんというだけあって、本当に満足の味でした。
雰囲気最高のお店です。
●和食そば処 たかぎ
松本といったらそばでしょう!ということで、まさかの「こばやし」が移転してしまったことで、それじゃということで、これまた松本の名店中の名店と言われている野麦に行ってみたのだが、敢えなく時間外閉店。
ここは営業時間、本当に短いんですよね。そしていつも大行列の劇混み。なかなかありつけない超人気店でもあります。
正直困りました。松本で一番有名なグルメである”そば”を食べたいのだけれど、星の数ほどあるお店でどこがいいのかわかりません。
もう時間もないので、仕方がないので、松本城近くにあったそば屋さんにそのまま入ることに。ビルの2階にテナントして入っているおそば屋さんでした。
信州そばを注文。
そばは、松本の名物だけれど、自分の経験でいうと、松本のそばの麺って、なにかこう透き通っているというか、ふにゃふにゃ感があって、腰がない、それが特徴のような感じがします。
いままで食べてきた松本の蕎麦ってそんな食感が多かったですね。
でもそれはそれでひとつの味な訳で美味しいとも思うところです。
ここのお蕎麦もそういう感じでしたが、美味しかった。
とにかく土壇場で、信州そばを食べれてよかったです。
とにかく土壇場で、信州そばを食べれてよかったです。
まさか信州そばを食べないで、そのまま松本グルメを語る訳にはいきませんですから。
●洋食カフェレスト GARAGE
この洋食屋レストラン・カフェは、当時の県文(長野県松本文化会館)、いまのキッセイ文化ホールのすぐ傍にある洋食カフェレスト。本当にすぐ傍にあります。
ここは、県文でサイトウキネンフェスティバル松本のオーケストラ・コンサートをやるためにサイトウキネンのメンバーがよく食事に訪れる穴場中の穴場のレストラン。
県文のそばに他に食事処もあまりないように思うので(?)、音楽祭期間中は、オケのメンバーは本当によく利用しているところだと思います。
自分も2011年に、ゴローさんの車で連れてってもらって、紹介されました。本当に狭いけれどなかなか雰囲気のある洋食屋さんで、自分はそのとき、オムライスを頼んだ記憶があります。
こんな普通の代表的な松本グルメとは違う、とっておきの松本グルメであるGARAGEを再度体験するために訪れてみました。
なかなか交通の便は難しいので、タクシーで行きました。
洋食カフェレスト GARAGE
そうしたら、なんとこの週に限って、改装工事に伴う休業中。(笑)
仕方がないので、お店の写真だけ撮影してそのまま帰ってきました。
仕方がないので、お店の写真だけ撮影してそのまま帰ってきました。
なんか2日目にしても、なんかこうギャグ的な展開で参りました。(笑)
松本グルメ そのいち [国内音楽鑑賞旅行]
松本2泊3日の旅。いままでサイトウキネンの音楽祭で毎夏通っていたころに開拓してきたいわゆる松本グルメの総ざらいをしようと思っていた。
自分の場合、松本グルメは、ゴローさんから教わったものが大半なのであるが、じつはそのオリジナルの情報源は、サイトウキネンのオーケストラのメンバーからの情報だったということは、当然わかりきっていた事実であった。(笑)
ゴローさんは、サイトウキネンのメンバーのブログや直接の口コミで知って、自分で体験して、それを我々に教えてくれていたに過ぎないのだ。
だから、いわゆるネットで広く紹介されている松本の有名店とちょっと趣が違うかもしれない。
3年ぶりの松本だったけれど、結構閉店や移転になっているお店もあって、驚いた。
訪れた時系列の順番で紹介していきたい。
訪れた時系列の順番で紹介していきたい。
●メイヤウ信州大前店の4色カレー
松本に来たら、必ず寄るお店である。ここに来て、4色カレーを食べないと、松本に来た意味がないというか、それだけ自分には馴染みの深いお店である。
以前来た時に比べて、お店の面構えが、テイクアウトやってますの看板表示とか随分印象が様変わりしていた。
でも店内は、いっさい変わっていなかった。
懐かしい~。
懐かしい~。
信州大のすぐそばにあるので、もうお客さんは、信大生の学生のためのお店だと思う。お客さんは、いかにも学生という若い子たちばかりだった。大学のそばにある学生御用達の安いお店で腹いっぱい食えるお店というやつですね。どこの大学にもあるそういうお店ですね。
サイン色紙もいっぱい飾られている。
その中で小澤征爾さんの色紙も発見。
2005年に来店されている。
松本に着いたら、一番最初に来たのがこのお店だったから、小澤さんの色紙を見て、あぁぁぁ~、やっぱり松本は小澤さんの街だな~と感慨深く感じてしまった。
そして念願の4色カレーを注文。
イエロー (デリー風チキン・カレー)
レッド (タイ風ビーフ・カレー)
グリーン (タイ風チキン・カレー)
ブラック (カシミール風ビーフ・カレー)
レッド (タイ風ビーフ・カレー)
グリーン (タイ風チキン・カレー)
ブラック (カシミール風ビーフ・カレー)
それぞれ単品の色のカレーを注文できるのが普通なのだが、それ以外の特別サービスとして、これらのそれぞれの色のカレーを一皿にまとめて盛り付けて食べられるという特別メニューがあるのだ。
・お好きなカリー2種類セット(2色カレー)880円
・お好きなカリー4種類セット(大皿盛り)1150円
・お好きなカリー4種類セット(大皿盛り)1150円
自分が頼んでいる4色カレーというのは、このお好きなカリー4種類セット(大皿盛り)のことである。こういうサービスをやっているのは、この信州大前店だけである。松本には、もうひとつメイヤウには桐店というのがあって、そこにはこういう4色カレーというのはやっていない。単色のカレーのみである。
以前自分は、信州大前店に行くつもりが、間違って桐店のほうに行ってしまい、4色カレーが置いてなくて、ショックを受けたことがある。そのとき桐店のお店のスタッフの方に、それはたぶん信州大前店のほうです、と教えられたのだ。
ようやく念願の4色カレーを食す。
それぞれに色のカレーが各々違う風味の香辛料で、相変わらず面白い。
自分はブラックが好きかな。
自分はブラックが好きかな。
ここのメイヤウはライスがちょっと特徴ですね。
日本のお米ではないですね。
日本のお米ではないですね。
とにかく松本に来たら、まずこれを食べないと。
ミッション・コンプリートできてよかったです。
ミッション・コンプリートできてよかったです。
●居酒屋ゴロー
松本に来たら、信州そば処「こばやし」で信州そばをいただき、その向かいに居酒屋ゴローがあることをメンション。
「こばやし」に「ゴロー」で遊ぶというのが、毎度おなじみのツィート儀式。
今回はそのおなじみのツィートをやったら、ちなみに、「今宵は居酒屋ゴローで一杯やってます。(笑)」という新作ネタをやろうと思っていたのだ。
だから今回は居酒屋ゴローの中に潜入することが新たな開拓であった。
それをやろうと行ったら、
なんと!信州そば処「こばやし」がない!
駐車場になってしまっている。
えっえっえっ!
えっえっえっ!
でも向かいに居酒屋ゴローはきちんとある。
えっ・・・ていうことは閉店か、移転?
えっ・・・ていうことは閉店か、移転?
慌ててネットで調べたら、信州そば処「こばやし」は、火事を起こし、移転したらしい。移転先の新しい店舗は、以前のような伝統のあるお店の趣もなく、品数のメニューも減ってガッカリとか、かなり口コミがよくない。
大ショック。
信州そば処「こばやし」は、松本きっての名店中の名店で、一番歴史の古い老舗だったので、これはショックだった。松本には星の数ほどそば屋さんはあるけれど、自分はいつもこの「こばやし」で信州そばを食していた。
新しい「こばやし」の店舗に行ってみようか、とも思ったけれど、結構遠い感じで、地理感もないのでやめておいた。
結局、居酒屋ゴローで一杯やるしかない、という選択肢となった。
居酒屋ゴローは、17時開店である。それまで、松本の縄手通りとか、中町通りとか散策して、喫茶店で時間をつぶして、17時頃に居酒屋ゴローに到着。
札が準備中になっていたが、扉を開けたら、「入っていい?やってる?」と聞いたら、オヤジさんが「う~ん、まだ準備下ごしらえが・・・たぶん18時頃かな?」と言ったので、じゃあ、そのときにまた出直します、ということになった。
どうしようかな、と思い、その通りの蕎麦屋さんの前のベンチでかけて待っていることにした。1時間くらいだったら、スマホを見ながらなんとか過ごせるだろう?寒いけど。
なんかこの通りはこのとき真っ暗で人気もなくて本当に寂しかった。
すごい心細かった。
なんか松本錆びているなぁとも思ってしまった。(笑)
コロナ禍で飲み屋さん通りもやっていないお店が多いのかな、とも思った。
夜17時から18時までの間である。
そのとき、やることもないので自分はつぶやきの嵐を吹かせた。
御承知の通りである。
そのとき、やることもないので自分はつぶやきの嵐を吹かせた。
御承知の通りである。
そうしたら、18時半くらいかな?座っているベンチの前の中華屋さんのお店が電気がついて、ようやく人気が出てきた。そしてどこともなく飲兵衛たちがやってきて、ちょっと賑やかになってきた。中にはタクシーで駆けつける常連さんたちもいた。
このお店人気あるんだな、と思った。
とにかくようやく飲み屋通りの活気が出てきた感じで、明るくなり、ホッとした。
居酒屋ゴローは、18時を過ぎているのに、まだ電気がつかない。
居酒屋ゴローなんて、こんな松本の目立たない片隅の通りにある居酒屋だから、ここを体験できるのは本当にレアな体験だろう、と思った。どんな有名な飲兵衛さんも、まさかこんな松本の小さな居酒屋さんには入ったことがないだろう、と思い自分はちょっと誉に感じた。これはレポし甲斐のあるお店だとちょっと自慢だった。
この松本の居酒屋ゴローは、料理メニューは多岐にわたる。お魚がメインというわけでもなく肉もあるし、炒め物、揚げ物などなんでもある居酒屋さんなのである。こういう居酒屋さんにしては、料理のクオリティがどれも高い。
アットホームな雰囲気と、美味しい料理という口コミであった。
店内を覗いたところ、オヤジさんと奥さんの2人で賄っている個人経営の居酒屋さんのようだ。
松本の名物料理に「山賊焼き」と言うのがある。
ご存じですか?
ご存じですか?
山賊焼きは長野の郷土料理なんです。
骨付きの唐揚げみたいな感じ。
甘辛煮タレがしっかりついてて、カラッと揚がっている感じ。
骨付きの唐揚げみたいな感じ。
甘辛煮タレがしっかりついてて、カラッと揚がっている感じ。
この居酒屋ゴローでは、山賊焼きが看板メニューらしく、ゴロー山賊焼きは、ここに来たらぜひ食さないといけない!とある。どこのお店でこの山賊焼きを経験するか、悩んでいたのだが、こりゃここの居酒屋ゴローで決まり!という感じで嬉しくなった。
ついでに刺し盛りもたくさん食べたい。
口コミによると、
刺身盛り合わせ。すごい豪華。普通の居酒屋さんの刺身盛り合わせをイメージしてはいけない。そしてなんだこのしめ鯖は。しめ具合なのか鯖自体なのかわかりませんが相当美味しい。他に赤身、大トロ、生ダコ、クジラ、イカがありましたがどれも抜群に美味しい。海なし県おそるべし。さらにブリのカマ焼き。。。でかい。そして脂がのっていてめちゃくちゃ美味い!!カマ焼き自体を食べたことはあるが、ここまで大きくて美味しいブリカマは初めて。東京で食べるとしたらいくらするんだろう?
う~む・・・ますます期待が膨らむばかり。
とにかくなんでもありの料理が美味しいアットホームな居酒屋さんみたいだ。
自分は、店内で一杯やるとき、オヤジさんに、このお店に入りたくて、東京からわざわざやってきたんですよ!と言って、称賛の言葉をかけたかった。
そのつもりだった。
19時頃になって、ようやく店に電気がついた。
夜の居酒屋ゴロー。
電気はついているけれど、まだ札は準備中のまま。
もう2時間も真っ暗の寒い外で待っていたので、我慢できず、またガラっと扉を開けて、もうやっています?と催促した。
するとオヤジさんは、「あ~う~ん、まっいいですよ。」
そうして、「ありがとうございます。」と言って入ろうとしたら、「ところで松本の人?」と聞いてきたので、「いや東京から来ました。」と言ったら、オヤジさん「ありゃ~ごめんね~。悪く思わないでね。本当にごめん。」と言って外の扉を指さす。
自分は最初その意味をよくわからなかったけれど、扉には、「新型コロナ対策推進宣言の店」というシールが・・・。
あっひょっとしたら県外の人入店お断り???
田舎にとったら、東京って言ったら、感染多いと思われているだろうからね。
田舎にとったら、東京って言ったら、感染多いと思われているだろうからね。
こんなオチが待っているとは思ってもみませんでした。(笑)
もうドキドキ、心臓がバクバクしながらスゴスゴとホテルに帰りました。
もうドキドキ、心臓がバクバクしながらスゴスゴとホテルに帰りました。
お店やオヤジさんは全然悪くないし、当然といえば当然だと思います。
コロナがなくなったら、改めて訪れさせてもらいますよ!
コロナがなくなったら、改めて訪れさせてもらいますよ!
この日の夜は、ホテルに帰って、部屋でペットボトルの水とパンで晩餐会となりました。
初日から松本グルメは波乱の幕開けとなりました。(笑)
国宝・松本城 [国内音楽鑑賞旅行]
松本城は、サイトウキネンで松本に行くたびに、訪問していてお馴染みの観光スポットであるのだが、きちんと日記にしたことはなかった。"なんちゃって城マニア"としては、やはりここも自分の城コレクションとして日記にして熱く語る必要があると思い、今回3回目の訪問にて、ようやく取材敢行である。
絶好の城日和の快晴だった。
松本城天守。
松本城の天守閣を撮影するには、このアングルが1番最高の構図であろう。
手前の赤の埋橋が映える感じでいいですね。
手前の赤の埋橋が映える感じでいいですね。
松本城は、江戸の徳川家康を監視するという目的で戦国末期に築城された。江戸の家康を監視する城として、甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網のひとつの城といわれているのだ。
豊臣秀吉の家臣、石川数正・康長父子によって創建された。
天下人の天守は、五重の天守と言われるが、この松本城は天下人のお城ではないけれど、五重六階の天守閣なのだ。現存する天守12城のうち五重六階の天守としては、日本最古の天守といわれている。
現在天守の建物を残す城は12しかない。そのうち五重の天守は松本城と姫路城と名古屋城だけである。五重天守の実物をみることができるのは、この3城だけである。
松本城は平地に築かれた平城である。
黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観である。
黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観である。
これらの天守群は、昭和4年(1929)に制定された「国宝保存法」により、昭和11年(1936)4月20日国宝に指定され、さらに戦後昭和25年(1950)に制定された「文化財保護法」により昭和27年3月29日再び天守五棟が国宝に指定された。
本当に美しいお城である。
城の天守閣は、どうしても戦争で被災したりして、再建されたものが多いが、この松本城は戦国末期に創建されて以来、そのまま残っているまさに最も古いお城ともいえる。
いつもはこの天守閣を見てお終いなのだけれど、今回はきちんと日記にしたいと思っていたので、本丸御殿、二の丸御殿のほうにも行ってみたかった。
ここは入場料を払うことが必要である。
黒門
本丸へ入る重要な入り口。
この門を入るとかつては本丸御殿があった。本丸御殿に通じる格調高い正式な門という意味で、当時の最高の色調である黒の名を冠して「黒門」と呼んだと考えられている。
こちらが今回初体験である本丸御殿跡、二の丸御殿跡からみた天守閣である。
この時間帯、逆光で見づらくてスミマセン。
手前に広がっているのが、本丸御殿や二の丸御殿があったところである。
この時間帯、逆光で見づらくてスミマセン。
手前に広がっているのが、本丸御殿や二の丸御殿があったところである。
ここには松本城売店があります。
どこのお城にも必ずありますね。
ここでしか販売していないオリジナルグッズも数多く用意されている。
隣は、松本城管理事務所。
今回は松本城天守閣の中にも入ってみようと思った。
入場券を購入した時点で、この天守閣の中にも入れる権利が含まれているのだ。
天守閣の中は、天守一階から三階までは柱の数が多く、四階から上は柱の数も減ってやや広い空間が設けられている。下層は骨組みがしっかり造られている。
天守一階は、とにかくこんな感じで、柱が乱立していて、まさに土台をしっかりこの支柱でがっちり支えようという意味合いが多いと思われる。
松本城のオリジナルの鯱(シャチホコ)
松本城天守閣の中は、多くの支柱があるが、所縁のある当時のものがウィンドウケースの中に展示されている感じになっている。なかでも鉄砲に関する展示は多かった。大半が鉄砲だったような気がする。
長篠の合戦。
まさにこれからの戦は鉄砲が主力になる、ということを世に知らしめた革命的な戦であった。織田・徳川連合軍が、当時の史上最強の騎馬軍団といわれた武田勝頼軍を、鉄砲でこっぱみじんに退けた戦い。ものの数十分でかたがついたといわれている。
当時の鉄砲は、発火して発射するまで時間がかかったので、その欠点を克服するために、鉄砲兵士を3列に構えさせ、その時間のロスをなくし、連射できるようにした。織田信長という男は本当に戦国時代の革命児だ!
天守閣の各階に上っていくには、このような超急峻な階段を昇っていく必要がある。
この写真に偶然写っている階段は、まだ全然緩やかなほう。
実際はもっと狭くて、思いっきり急峻である。
実際はもっと狭くて、思いっきり急峻である。
さすがにこれには自分は閉口した。
とにかく超怖い。
昇っていくのも怖いが、下っていくときはさらに怖い。
とにかく超怖い。
昇っていくのも怖いが、下っていくときはさらに怖い。
ここで足を滑らせて、階段を転げ落ちて骨折でもしたら、大変なことになると思い、もう手すりをしっかり両手でつかみながら、体横身にしながら、1歩づつ両足でかみしめながら降りて行った。
生きた心地はしなかった。
本当に超怖いです。
本当に超怖いです。
早く地上の出口にでないかな、とそればかり考えていた。
地上の出口に出るまで、ずいぶん長く感じられたことは確かである。
地上の出口に出るまで、ずいぶん長く感じられたことは確かである。
階段はこのように超危険なので、階段のところで写真撮影することは絶対禁止されている。
これを体験して思ったこと。この松本城天守で普段住んで過ごしている昔の武将たちは、急にトイレをもよおしたくなったとき、この超急峻な階段を下りていくのは、さぞかし大変だったのでは、と思ったことだ。(笑)
天守閣の最上階は、こんな感じである。
最上階から降りていくと、ちょっと見晴らしのいい階に遭遇。
ここから外が眺められる仕組みになっていた。
ふぅぅぅ~。やっと地上の出口に無事降りることができた。
生きた心地がしなかった。
生きた心地がしなかった。
地上に降りたら、この松本城の創健武者である石川数正に扮した武将姿の方がいらした。いっしょに写真撮影してくれるサービスである。無料サービスでやっていた。こうやって、写真を撮りたい人に向かって、ポーズを決めてサービスしてくれる。
石井数正というのはどういう武将であったのか?
徳川家康の家臣であったのだが、途中で豊臣秀吉方に寝返った武将なのである。
徳川家康から去った唯一の男で、豊臣秀吉の家臣に転職した男なのである。
徳川家康から去った唯一の男で、豊臣秀吉の家臣に転職した男なのである。
ここでネット記事を一部抜粋して、その寝返ったミステリーをご紹介して、終わりとしよう。
戦国武将・石川数正とは?徳川家康から去った唯一の男、豊臣秀吉の家臣に転職する
By Dyson 尚子
By Dyson 尚子
戦国時代、徳川家康には多くの家臣がいた。
家康が織田信長や豊臣秀吉と決定的に異なるのは、自ら滅ぼした一族の遺臣をも召し抱えていたコト。家臣に対しても公平な扱いを心がけ、徳川家臣団の中でもとりわけ三河家臣団は結束が高いといわれている。
しかし、ただ一人。
そんな徳川家臣団から出奔(しゅっぽん)した者がいる。
そんな徳川家臣団から出奔(しゅっぽん)した者がいる。
それが、石川数正(いしかわかずまさ)。
西三河の家老まで昇りつめ、家康の信任が厚かったにもかかわらず、なんと豊臣秀吉の元へと去っていくのである。石井数正は、交渉術に長け、多くの場面で使者として折衝を行い、活躍した。だが、それが、皮肉にも豊臣秀吉との出会いに繋がるのであった。
豊臣秀吉には困った癖がある。
女性関係ではない。男性に対してである。ぶっちゃければ、他家の重臣に対して、「お誘い」してしまうのだ。いわゆる、引き抜き、ヘッドハンティングである。
秀吉は、これまで多くの戦いに参戦してきた。そこでは、必然的に様々な戦国武将と対峙することになる。敵側としての場合もあれば、味方となる場合も。どちらにせよ、戦場での勇猛果敢な戦いぶりを目にして、我慢できなくなるのだろう。「是非とも、うちに(豊臣方)」と、つい触手が伸びるといった感じか。
そのスカウト歴は、まあまあなものである。やはり徳川家の家臣は別格なのか。今回の石川数正だけでなく、本多忠勝(ほんだただかつ)にも声をかけている始末。
他家に対しても節操がない。伊達政宗の重臣、片倉景綱から、上杉家を支えた直江兼続(なおえかねつぐ)。他にも、小早川隆景や立花宗茂など、錚々たるメンバーだ。数え出したらキリがない。
また、すぐに様々なプレゼント攻勢をかけるところも、秀吉らしい。ある種、成金的な匂いがしなくもないが。派手好きで人間的な魅力に溢れた秀吉だから、できることなのかもしれない。
問題は、石川数正へのスカウトはいつから行われたのかというコト。最初の出会いは、豊臣秀吉が亡き信長のポストをかけて、柴田勝家と争った「賤ケ岳(しずがたけ)の戦い」の戦勝祝いの場。天正11(1583)年のことである。徳川家康が使者として遣わしたのが、石川数正であった。
一説には、この頃から秀吉の引き抜き工作が始まっていたとも。ただ、真偽は不明である。その翌年、天正12(1584)年に、徳川家康と豊臣秀吉は「小牧・長久手の戦い」で対峙。勝敗がつく前に、家康との連合軍であった織田信雄(おだのぶかつ、信長の次男)が秀吉と講和を結ぶ。こうして、小牧・長久手の戦いは、不完全燃焼で幕を閉じる。家康と秀吉が、互いの力を認め合った戦いでもあった。
この戦後の交渉役についたのも、当然のことながら外交担当の石川数正である。
そして、講和の翌年。
天正13(1585)年11月、突然、石川数正は徳川家康の元から出奔。
天正13(1585)年11月、突然、石川数正は徳川家康の元から出奔。
向かった先は、あの「豊臣秀吉」だったのである。
突然の出奔…理由不明の謎
確かに、複数の憶測が飛び交うだけで、確定的な事実はない。だからこそ、作家は料理し放題。格好のネタになるのだろう。
ここでは、大きく2つの説がある。
1つは、徳川家康と豊臣秀吉の板挟みに疲弊した末での出奔という説。つまり、額面通りに受け取って、数正が家康を裏切って豊臣方に走ったという説。
もう1つの説は、徳川家康の命を受けて、もしくは同意の下、あえて豊臣秀吉側の家臣となったという説。つまり、数正は家康を裏切っていないという筋書きである。出奔という名目で、数正を「スパイ」として潜り込ませる中途半端な戦略は、秀吉には通用しない。となれば、取る手段は1つ。思いきって徳川家康と縁を切り、豊臣秀吉の直臣となる。そして、秀吉側から家康をサポートするという方法だ。
石川数正の寝返りは、いまもって謎なんですね。
そんな家康を寝返った武将が、家康監視のための松本城を築城するところまでやるか、という話になると、自分はう~んと唸るばかりである。
いずれにせよ、松本城築城の武将、石川数正は、そういう武将だったんですね。
国宝・松本城、こんなお城でした。
3回目の訪問にて、きちんと日記にすることができました。
自分のお城コレクションに加えたいと思います。
3回目の訪問にて、きちんと日記にすることができました。
自分のお城コレクションに加えたいと思います。
もしコロナ第3波がなければ、先週の4連休に姫路城に行く予定でした。
日本で初めて世界遺産に登録された日本一美しい城。別名白鷺城。
本当に真っ白の外観の美しいお城です。日本のお城の中で一番美しいですね。
ここは長年の想いがあってぜひ行きたかったですねぇ。
ここは長年の想いがあってぜひ行きたかったですねぇ。
また暖かい季節になったら、出直して再チャレンジしたいです。