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エリーゼのために [雑感]

今日のミューザ川崎でおこなわれた下野竜也さん&東京交響楽団によるジルベスター・コンサートは大変すばらしいものであった。今年は結果として苦悩に満ちたベートーヴェン・イヤーとなってしまったが、今日は満を持してそのオール・ベートーヴェン・プログラム。


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ソリストもピアノ独奏に小川典子さん、ヴァイオリン独奏に南紫音さん、ナレーション&バリトンに宮本益光さんと個性豊かな饗宴を十分堪能させてもらった。


心から感謝したいと思います。


小川典子さんのピアノの実演体験は、確かに何回かはあるとは思うのだけれど、よく思い出せず、初体験のつもりで臨ませていただいた。


小川典子さんは、ミューザ川崎のコンサートホール・アドヴァイザーでもあり、それを大晦日のジルベスター・コンサートで、さらにミューザ川崎で聴けるなんて最高のシチュエーションだと思いました。


素晴らしかったです。


その小川さんが最初に弾いたベートーヴェンの「エリーゼのために」。


本当に小品中の小品という小さい作品だが、この曲は自分にとって子供心に非常に想い入れの深い曲で忘れたくても忘れられない曲である。


普通のプロのクラシック・コンサートでも滅多に演奏されることもないし、また普段、自分の部屋でオーディオで聴くような曲でもない。


だから今日コンサートでこの曲を聴いたとき、あまりの懐かしさに思わず涙した。


自分は小学生のとき、親からピアノを習わされていた。
母親のほうが熱心だった。


自分はピアノを習っていることを同級生に知られるのが本当に恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかった。先生がよくクラスでノンノンさんはピアノを習っているんだよ、と言っちゃうのだが、それはやめてくれよ~という感じで嫌で嫌でたまらなかった。


女子生徒がピアノを習うのはごく自然だけれど、男子生徒でピアノを習うことはすごい恥ずかしいことと、当時の自分は思い込んでいたのだ。


男なら野球だろ!という時代だったので。(いまは違うでしょう。あくまで自分の世代のことです。)


オヤジは猛烈に怒ったけれど、母親はYAMAHAのアップライトのピアノを買ってくれた。オヤジもついに折れて、職場の高校の校長さんの奥さんがピアノの先生ということで(オヤジは高校教師だった)、その校長宅にレッスンに毎週1回通っていた。


自分はいやいややっていたので、あまり熱心な生徒ではなかった。


毎週新曲をさらっていかないといけないのだが、あまり熱心にさらっていかなかった。でもその奥さんの先生はやさしく、毎回やる気が出るようにアドバイスしてくれ勇気づけてくれた。


ピアノが2台並列に並んでいて、先生と自分。

バイエルン教本とかひと通りの教程はやったと思う。
発表会とかもあったな。

もう憂鬱で、憂鬱で。


月一回、封筒に月謝を。母親に渡され、自分がじかに持って行っていた。
ピン札を入れるのが礼儀というかマナーです。(笑)


そんなピアノを習っていた子供時代、自分が一番猛烈に練習して、上手くなりたいと思って練習していたのが、ベートーヴェンの「エリーゼのために」だったのだ。


当時母親は、クラシックのレコードで、百科事典的なセットになっているものを買ってくれて、それにはベートーヴェン、モーツァルト、シューベルト、ショパンなど作曲家ごとに当時の45回転シングルLPがセットになっているものだった。それには各作曲家の有名なピアノ曲の大半が収められていた。


その中で自分はこのベートーヴェンの「エリーゼのために」に猛烈に夢中になってしまい、ピアノをいやいやながらやっていたにも関わらず、この曲だけは大好きになってしまい、自分で弾きたいと思い自発的に練習したのだ。


いまや全然覚えていないのだけれど、楽譜とかどうやって調達したのかな?
母親が買ってくれたんだろう。


「なんと!美しい曲なんだろう!」


と子供心に感動していた。


あの有名な冒頭のフレーズ、主題が終わった後の第2の主題(?)に入るところのちょっとトリルな感じの箇所が自分のツボだった。ここは45回転のLPで聴くと、本当にコロコロ感満載でじつに綺麗にコロコロと速射砲で弾く。


あれに自分は堪らなく憧れて、プロはうまいな、あのように弾いてみたい、と本当に憧れた。その箇所だけ、もう何回も何回も練習しました。


でも45回転LPのように綺麗なコロコロ感なトリルな感じが出せないんだよね。
本当に子供心に相当悩みました。(笑)


だから、自分にとって「エリーゼのために」というと、あの有名な冒頭のフレーズではなく、第2主題に入ったところのコロコロ感のあるあの箇所なんですよね。


「エリーゼのために」であの箇所を聴くと、自分は猛烈に反応します。(笑)


ピアノの先生にも、先生から教わる教本以外に、いま「エリーゼのために」に夢中になっているんです、と言って先生に披露したことがあった。


普段はやる気がない生徒だった自分からの思いがけない告白に先生も大層驚いてくれて、すごい褒められた。そして先生もこの曲を弾いてくれた。


そうしたら、あの箇所のあのコロコロ感、さすがであった。(笑)

45回転LPと同じだ!と思いました。


小学生時代にピアノを習っていた時代、自分がもっとも夢中になって、45回転LPのように上手に弾きたいと思って猛烈に練習した曲。。。それが「エリーゼのために」だったのである。


今日の小川典子さんの「エリーゼのために」を聴いたとき、普段は耳にすることのない曲なので、あまりに懐かしく思わず猛烈に反応してしまい、子供時代のあの風景が脳裏に走馬灯のように駆け巡りました。


もちろんあのコロコロ感の箇所も(笑)


いやいやながらやっていたピアノだったけれど、今思えば親にひたすら感謝の一言。子供時代に楽譜を読むという作業もやっていたおかげで、あれから何十年経過したいまでもなんとなくその感覚は覚えている。


スズキメソードではないけれど、やっぱり小さな子供の柔らかい脳のときに、こういうことは習得したほうがいいですね。それは別に音楽家ではない人生を歩んでいても、音楽に趣味として接していたとしても、大人になったいま役に立っていると感じます。


母親も自分がこの曲を家で弾いているとき、近所に聴かせたくて、そのときはいつも家の窓を全部オープンにしていたことを思い出します。(笑)


母親にはひたすら感謝です。


昨今の家庭事情により、母に対して尚更深い想いが。。。おお母よ!という感じです。





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DOUBLE FANTASY - John & Yoko [海外ロック]

今年はジョン・レノンの没後40周年ということで、ジョンの誕生日10月9日から、さらには凶弾に倒れた12月8日に照準をあわせて、展示会やテレビ番組の特集が組まれているようだ。


展示会は、ソニーミュージック六本木ミュージアムで開かれている「ジョン&ヨーコ ダブル・ファンタジー東京展(DOUBLE FANTASY-John & Yoko)」。


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“DOUBLE FANTASY – John & Yoko”は、2018年5月から2019年11月までジョンの故郷であるイギリス・リバプール博物館で開催された大規模な展覧会。


”ジョンの故郷であるリバプールのために”とヨーコ自身も深く関って完成させたその圧倒的な内容で高い評価と反響を呼び、会期も当初の予定から7ヵ月も延長、異例の70万人を動員した。


その話題の展覧会が、ジョン・レノン生誕80年、そしてその生涯を閉じてから40年となる2020年10月9日、ジョンの故郷リバプールから、ヨーコの故郷東京にやってくる、という試みだ。


しかも東京オリジナルな装いもある。ジョンとヨーコ、そしてショーンは、1976年にジョンがグリーンカードを獲得したことでアメリカ国外への旅行が叶い、1977~1979年の間、毎年日本を訪れ家族旅行を楽しんでいたことが知られている。


東京展独自展示コーナーでは、日本との絆を感じさせる品々を展示しているそうだ。


そういえば、自分はジョンとヨーコが愛した軽井沢万平ホテルを体験しに行ったこともあったなぁ(笑)いまから6年前の2014年に行っている。


特集番組は、NHK BSプレミアムで、このダブルファンタジー東京展の特集番組をやったそうで、その大反響に加えて、さらに新たにポール・マッカートニーのインタビューなどを加えて再構成した新装版「“イマジン”は生きているジョンとヨーコからのメッセージ奇跡の名曲誕生秘話」が放送されたのだそうだ。


12月24日のクリスマス・イブにだ。

もっと早くに言えよ~。(笑)

すっかり見逃していた。

ぜひ再放送お願いします。


ちなみに、ダブルファンタジー東京展は知っていた。ぜひ行かないとな、と思っていたのだが、11月28日~12月中旬まで、突然の家庭の事情により、自分は地獄のどん底でそれどころではなかった。


それですっかり飛んでいて忘れていた。

ところがイブの深夜から、突然ジョンが自分に降りてきた。

ジョン降臨!


瞬く間にあれよあれよと。もしやと思い調べてみたら、展示会やテレビ特集番組のことなどいろいろ知って、これは神様が自分にジョンのことを日記で熱く語らないとというお達しなのだと思った。


自分なりのジョンの想い出を熱く語ってみたいと思った。

ジョンの特集を組もう!



自分はポールのウィングスから入ってビートルズを知った。リアルタイムのビートルズ世代ではないけれど、自分は第2世代ブームのときのファンだと思う。


自分がビートルズを知ったのは中学1年、1977年のとき。ビートルズが解散したのが1971年だから、6年後で、ちょうどその頃にビートルズ第2次ブームというのがあって、自分はその波に乗っていたのだと思う。その頃のビートルズは必ず再結成の話題が持ち上がるのが常だった。


自分は子供だったから、再結成してくれるといいな~ってずっと夢焦がれていたのだ。音楽雑誌をずっと眺めながらそんなことを妄想するのが楽しかった。ジョンやポールはそのたびにその噂は否定するのだけれど、自分は絶対再結成あると思っていた。


よくあなたはジョン派、ポール派っていう質問が有名だけれど、自分はもちろんポール派である。でもジョンもリスペクトしていた。 どちらかというと温かい人柄でポップス的なポールにはないロック魂、カリスマ性、世相をシニカルにみるなどジョンは個性的で格好良かった。


やっぱりビートルズの長男はジョンで、ポールは次男なんだよね。
それは間違いない。


ポールはラブソング、ジョンは、もっと皮肉屋でそういう辛辣な表現にセンスがあった。だから子供の頃、自分が信じていたことに、レノン・マッカートニーのクレジットは、作詞がジョンで、作曲がポールだとずっと思っていたことだ。


ジョンの詩はセンスがあって、ポールには絶対書けないセンスだと思っていた。


でもレノン・マッカートニーのクレジットはそういう意味ではなく、ジョンが全部書いた曲もあれば、ポールが全部書いた曲もあるし、あるいはどちらかが作詞でどちらかが作曲といういろんなパターンがあるらしい。


でもそれも全部ひっくるめて、とにかくビートルズとして出す曲は全部レノン・マッカートニーのクレジットとして出す。それが彼らの著作権ルールだった。


噂ではその曲によってその役割分担がどっちというのを聴いたことがあるけれど、それは公表しないほうが絶対いいと思う。ファンの夢を壊しますね。


それを言えるのは唯一ポールだけだと思うけれど、ポールは死んでもそのことは公表しないと思う。それがバンドの美学ですね。



ジョンが凶弾に倒れたとき、世界は大きな悲しみに襲われたし、そして自分も大きな喪失感を味わった。


1980年12月8日。


自分がビートルズの存在を知った頃からわずかに3年後なんですよね。高校1年のとき。わずか3年後にジョンがすでにこの世にいなくなってしまった。この現実は子供だった自分の心に大きく深い傷であった。もうビートルズの再結成はないんだな、と思うと泣きました。


字幕のニュース速報でその事実を知ったのだけれど、あのときの衝撃はいまでも覚えている。目の前が真っ暗になって具合が悪くなった。


そのときに想ったこと、そしていまでも想うことは、ジョンの死、それも射殺というショッキングな死に様だったけれど、ある意味ロック・ミュージシャンとしては最高の美学というかカッコいい死に方だったのではないのかな、と思うのだ。


ドラッグ漬けで若くして世を去る、そういう不健康で尋常ではない死に方が当時のロック・ミュージシャンには似合っていたというか、そういう世界だったような気がする。


ジョンはあういう最期だったからこそ尚更、伝説的、神的なカリスマとして永遠の星としてファンの心に残るスターになったのだと思う。


これは後年ポールがインタビューで同じような感想を言っていたような気がする。


ジョンのあのショッキングな死で、ジョンはファンから完全に神的な領域に持ち上げられてしまった。残された僕たちはつまらない存在に見えてしまって非常に困ってしまった。。。ジョンとの間にすごい距離ができてしまった。。


こんなようなことを言っていたように思う。
それに対しポールにすごいバッシングな反論が集中した。

でも自分はポールの気持ちがよくわかるような気がした。


ジョンはあまりに格好良すぎた人生だった、ロック・ミュージシャンとして。そういう終わり方だった。


ジョンの格好良さというのは、ポールの格好良さとはまた違うんだよね。ジョンは、やっぱりロックで、社会的メッセージ色の強い、またそれがよく似合っていた。


ジョンの声はカッコいいですね。


ポールはやっぱりラブソング、ポップスで温かい雰囲気ですね。


こういうまったく違ったタイプのカッコいい個性を持った2人が同時に同じバンドで凌ぎを削るのって本当に神様が与えてくれた奇跡だと思うんですよね。もちろんジョージやリンゴも個性あって、この4人は本当に奇跡の組み合わせだといまでも驚くばかり。


ジョンが凶弾に倒れたときに、その数か月前に発売されていたアルバム「ダブル・ファンタジー」がそのショッキングな事件に乗じて、驚異的なセールスを上げ、社会現象になった。


世界中で枯渇現象に陥った。


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息子ショーン・レノンの育児に専念していたジョンが、5年間の主夫生活を終え、音楽業界に復帰する記念すべき作品となるはずであった。しかし発売から間もない12月8日に射殺されたことでジョンにとってこの作品が生前最後のアルバムとなった。


世界中に衝撃を与えたこの訃報もあって全英・全米で1位を獲得し、1981年度グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞している。


アルバムジャケットは日本人写真家の篠山紀信さんが撮影したものである。原版ではカラー撮影されているが、リリースされたジャケットではモノクロになっているため、篠山は「不吉な感じがした」という。その直後にジョンが死去したため、不安が的中してしまった、という。


有名なこのジャケットはニューヨークのセントラルパークで撮影された1枚で、この美しい1枚を撮るために、他にも800枚以上も写真が撮られていた。


「ジョンとヨーコの、かけがえのない幸せな一瞬がとれた、本当にラッキーな時間だったと思います。」(篠山紀信)


それらの写真を収めた写真集「Double Fantasy JOHN LENNON & YOKO ONO」が、タッシェン社から発売されている。時が止められたままの2人の写真には、いったい何が写っているのであろうか?


調べてみると2010年にその篠山紀信さん写真集が発売されている。
欲しいな、と思い探したけれど、ネット中古市場で簡単には見つかりませんでした。
あっても11万4800円とか34万8000円もするとか!!!驚きである。(笑)
大変なプレミアになっている。


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いまこうやってPCオーディオで「ダブル・ファンタジー」を聴いてみると、じつにいいアルバムだ。


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ジョンが亡くなった1980年当時にも聴いたけれど、あの頃に受けた衝撃とまた違った感覚で自分に迫ってくる。ジョンとヨーコの共作で、交互に曲のボーカルを取っている。カッコいいセンスですね。


ジョンの声はカッコいい。


このアルバムのファースト・シングルカットの「スターティング・オーヴァー」は、アメリカでは1位、年間チャートで10位を獲得しジョンのソロ・シングルの中で最も大きな成功を収めた。本国イギリスでもビートルズ解散後のジョンのシングルとしては初の1位を獲得した。


2曲目はヨーコが日本語でセックスを誘惑させる台詞を発したり喘ぎ声が吹き込まれた異色な作品である。自分は最初にこの曲を聴いたとき、びっくり。こういう遊び心は、絶対ポールのアルバムではあり得ないよね~。(笑)


ジョンのアルバムらしいセンス。


そして、自分がこの「ダブル・ファンタジー」の中で、最高と思っているのが、セカンド・シングルカットの「ウーマン」。


ビートルズ解散後、ジョンのソロになってからの最高傑作、有名作品は「イマジン」だという方が多いが、自分は間違いなくこの「ウーマン」を推奨する。


「ウーマン」こそジョンのソロ時代の最高傑作である!!!


当時、この曲を初めて聴いたとき、なんと美しい曲なんだろう!と驚いた。自分はこの「ウーマン」が大好きで、大好きで、当時のカセットテープのウォークマンで何回も繰り返し聴いていた。懐かしい想い出深い曲である。


ジョンはどちらかというと作詞のセンスに鋭いものを持っているという認識だったのだけれど、この「ウーマン」を聴いて、改めてジョンのメロディメーカーとしてのセンスを再評価したものである。


「スターティング・オーヴァー」や「ウーマン」が収められているこの「ダブル・ファンタジー」こそジョンのソロ時代の最高傑作のアルバムだと思うのである。それが彼の最後のアルバムになってしまうとは。。


そして40年後の2020年のいま。ジョン&ヨーコの写真展としてのタイトルに、このアルバムの「ダブル・ファンタジー」を持ってくることにどのような深い意味があるのだろうか・・・。


このアルバムは、ジョンとヨーコの楽曲が交互に並ぶような構成で、「男女の会話」といった趣になっていて、より2人の絆の深さと表現した作品ともいえるわけで、それが今回のジョンとヨーコの想い出の作品展の主題のテーマとぴったりあったのだろう。



そのジョン&ヨーコ ダブル・ファンタジー東京展(DOUBLE FANTASY - John & Yoko)に行ってきた。ソニーミュージック六本木ミュージアムで開催されている。


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ジョンとヨーコの言葉、メッセージ、作品だけで満たされる世界初の展示会である。展示会場は、こんな感じである。壁にその年その年のジョン&ヨーコの出来事が、 写真パネルと、そのとき2人が世界に発した言葉、メッセージの語録とでディスプレイされているのだ。


写真だけではない。音楽&アート作品、貴重な私物を通して追体験する。
そのコーナー、コーナーでジョンのいろいろな曲が再生されていた。


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この写真と語録がセットになって結構グッとくるんだよね。
ちょっと感傷めいた気持ちになる。

ファンには堪らないだろうね。

あまりにたくさんの語録があって、全部読むのは大変だった。
もう2,3回行かないとダメ。ぜひ行こうと思っている。



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あの12月8日に照準を合わせて、展示会場ではこうやってファン1人1人が献花できるようになっていたんだそうだ。残念ながらその日は自分は気づいていなかったのでできなかったが、ボクもひと花捧げたかった。




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展示会名となっている「DOUBLE FANTASY」はジョンとヨーコのアルバム・タイトルから。このアルバムがジョンの生前最後のアルバムとなる。


ジョンが凶弾に倒れた日から、このアルバムが世界中で売れまくり社会現象になったよね。世界中で枯渇状態になった。いまでもよく覚えてるよ。



まずジョンとヨーコの生い立ちから。


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ジョンのコーナーでは、少年時代に描いた「The Daily Howl」ほか「In My Life」の手書きの歌詞が展示されている。


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ヨーコのコーナーでは、1967年にヨーコがジョンにプレゼントしたアートブック「Grapefruit」の現物を展示。日本初の公開。


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1966に2人が初めて出会ったインディカ・ギャラリーを再現。作品の「Celling Painting(天井の絵)」と「Painting to Hammer a Nail(釘を打つための絵)」は当時の作品が再展示されている。


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ジョンとヨーコの結婚式。婚姻届けも。


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1969年に行われた有名な平和活動「Bed In」で使用したギブソンのギターや窓に貼られていたプラカードを展示。プラカードは日本初公開。


「結婚~平和活動」のエリアでは、有名な平和活動「Bed In」が展示。1969/3/20にジブラルタルで結婚式を挙げたジョンとヨーコは、その5日後、アムステルダムのホテルで世界平和のための平和活動「Bed In」を行う。


これは当時ベトナム戦争をはじめとしたアメリカ・ヨーロッパなどの政界情勢の不安が背景にある。ジョンとヨーコは自分たちに注目が集まるこのタイミングで訪れる記者たちに愛とユーモアを持って平和を訴えかけた。


この平和活動は2回行われており、2回目は1965年5月にモントリオールで活動。その際には「Give Peace A Chance(平和を我等に)」/Plastic Ono Bandのレコーディングも行われている。


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写真家ボブ・グルーエンのポートレートで着用した有名な”NEW YORK CITY "Tシャツの実物。


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クリスマスの定番曲となっている「Happy Xmas (War Is Over)」。
この曲はじつは反戦歌として制作されたもの。


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パワー・トゥ・ザ・ピープル!
この曲がこのエリアで鳴っていて格好良かった。
ジョンは、やっぱりメロディメーカーとしても最高の才能を開花させていたんだな。ハピー・クリスマスといい、このパワー・トゥ・ザ・ピープルといい、よく聴いたことのある馴染みの曲だ。


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WAR IS OVER!
ジョンの代名詞だった。
反戦、世界平和、そんな社会的なメッセージがジョンにはよく似合った。


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イマジンはそれこそジョンの代表曲であろう。
映画にもなっている。


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ビートルズだけでは、表現のはけ口が足りない。プラスティック・オノ・バンドは僕にとっての逃し弁だ。それがビートルズと比べて自分にとってそれだけ重要な存在になるかは、成り行きを見守るしかない。


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在留のための戦い。
アメリカ在留のために、最強の弁護士を携えて、その権利を勝ち取った。


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ここに住もうと思ったわけじゃない。たまたまそうなったんだ。
荷物をまとめることもなかった。所持品は全てイギリスの家に置いてきた。
短期滞在のつもりで来たんだ・・・・・けど、戻ることはなかった。


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この写真を前から撮影した写真もSNSで見たことあります。
ジョンのぺニスはかなり大きかったです。(笑)


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ジョンとヨーコのファッション。


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再出発。
ショーンの養育の5年間の主夫生活の沈黙から再出発のレコーディング。


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イマジン・モザイク。
ニューヨーク・セントラルの一画にある記念碑「ストロベリー・フィールズ」の「イマジン」のモザイク・アートを再現したもの。このグレコ・ローマン様式の作品制作に携わった卓越したイタリアの職人チーム、および贈呈いただいたナポリ市にヨーコより感謝申し上げます。


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ミュージアムショップ。
ジョン&ヨーコ グッズがいっぱい!


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これでおしまいです。


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ジョンとヨーコが紡いだ言葉の数々、多くの写真とともにもう一回体験しに行きたい。


やはりその場にいて写真とともに、その言葉、メッセージの語録を見ないと、あのジ~ンとくる感動は味わえないと思うから。


DOUBLE FANTASY - John & Yoko (ジョン&ヨーコ ダブル・ファンタジー東京展)

2021年2月18日、オノ・ヨーコの誕生日までの開催である。


ぜひ行かれてみてください。





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世界の朝食を食べさせてくれるお店 チェコの朝ごはん [グルメ]

コロナ禍でいろいろ思うところがあって4か月お休みしていた。2017年より始まったこのシリーズ、2か月に1国の朝ごはんを体験してきたのだが、残念ながら24か国で連続記録が途切れてしまった。


仕方がない。


原因は、やはり店内が狭いのと、密集した座席配置をどうしたものか、自分なりに悩んでいた。原宿店はすごい広かったので、お気に入りだったのだけれど、残念ながら閉店になってしまい、いま外苑前本店と吉祥寺店の2店舗のみ。


予約制を取り入れて混雑する時間帯をずらしたり、いろいろお店側のほうもコロナ対策をやっていると思います。


4か月振りにひさしぶりに吉祥寺店のほうに行きましたが、驚いたのはすごい知名度があがっていて、混雑していましたね。


自分が吉祥寺店に行ったときは、オープンの時期だったから、その頃と比較すると、段違いに混雑していた。客層もすごい若い人ばかり。特に女性が多いです。ときたま外国人という比率でしょうか?知名度があがって人気がでるのはいいこと。


再開したのだから、また続けていきたいが、感染拡大の様子を見ながら、ということになるでしょうか。


今回はチェコの朝ごはんということで、思わず反応してしまい、これはぜひ行かないといけないなぁと思い、恐る恐る復活したという訳です。


今年のコロナ禍で、海外はおろか日本国内もほとんどどこにも行けず、自宅自粛生活となった本年。いわゆるどこそこに行ってきましたよ~的な日記はほとんど不可能であった。


そのような日記事情の中で自分が一番テンションが盛り上がったのは、チェコ・プラハのこと、国際音楽祭「プラハの春」、そして黒沼ユリ子さんの世界の日記のときだったと思う。


これは燃えたねぇ。(笑)

熱い語り口に思わず盛り上がりました。
自分もプラハに行ったような仮想トリップができました。

楽しかったです。


だから、チェコ、プラハのバックグランドは大分理解できたつもり。
でもチェコの食生活は、あまりわかりませんでしたね。

そういう意味でも今回のチェコの朝ごはんはとてもタイムリーなのではないでしょうか。


チェコ・プラハはぜひ一度行ってみたい国ですねぇ・・・。


でもいまチェコはヨーロッパの中でも感染状況がかなり悪い国のひとつではないでしょうか?(笑)


Following contents are based on the leaflet of World Breakfast Allday in terms of the copyright issue.



●チェコ共和国


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その位置から「ヨーロッパの中心」とも呼ばれる、中央ヨーロッパの内陸国。隣国にはドイツ(西)、ポーランド(北)、スロバキア(東)、オーストリア(南)がある。自動車工業をはじめとした産業が盛んな工業国で、美しい中世の街並が残る首都プラハ(人口約130万人)は、ロンドン、パリ、ローマに次ぐヨーロッパ第四の観光都市。1918~1992年まではチェコスロバキアという国家であったが、1993年にスロバキアと平和的に分離・独立した。


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街全体が世界遺産に登録されている首都プラハ。雄大なヴルタヴァ川が中世の美しい街並みを二分するように流れ、30体の聖人像が並ぶカレル橋(1402年完成)には、その華やかな光景を求めて多くの人々が訪れる。



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ビール大国チェコの街に欠かせない憩いの場が、ホスポダと呼ばれるビアホール。チェコのビールはとてもリーズナブルで、レストランで提供されている300mlのビールは100円ほどである。




●肉・穀物中心の食文化


内陸に位置していることから、チェコでは肉料理が中心。
こってりとしたボリュームのある料理が多いのが特徴である。


古くから小麦の生産が盛んで、タネドリーキと呼ばれる茹でた円筒状のパンが主食のひとつとして、肉料理の付け合わせや様々な調理法で親しまれている。


●朝食に甘いものを食べる。


お母さんが週末に焼いておいた菓子パン(焼き菓子)など、甘いものを朝に食べることが多い。今回のメニューにも入っているバーボフカをはじめ、コラーチ(ケシの実のペーストやクワルクチーズを乗せた丸いパン)やコブリハ(ジャムやチョコレートが入ったドーナッツ)など多彩な菓子パンが存在する。


●周辺国の影響


ドイツやオーストリア、ハンガリーなどの周辺国とも似た特徴を持つチェコの料理。ゼリーと呼ばれる酢キャベツは肉料理の付け合わせの定番。ハンガリーが起源の、煮込み料理・グラーシュもチェコ人にとっても欠かせない一品である。



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フレビーチェクはスライスしたパンにハムやサラダ、卵などを盛り付けたオープンサンド。スーパーマーケットやパン屋さんには多種多様なフレビーチェクが並んでいる。軽食としてよく食べられるほか、お祝い事や大晦日にも欠かせないチェコの名物料理である。


パンに塗るスプレッドのことをポマザーンカと呼ぶ。オイルサーディンをパテにしたものやクリームチーズにニンニクを加えたものなど、いろいろな種類のポマザーンカをパンに塗って食べるのがチェコ流である。


クネドリーキは世界的にも珍しい茹でパン。チェコの多彩な肉料理の付け合わせとして肉汁やソースをたっぷりつけて食べる。よく食べられているのは、パンを練り込んだホウスコヴェー・クネドリーキとジャガイモを練り込んだブランボロヴェー・クネドリーキがある。



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ポークカツレツやキノコのフライなど、素材に衣をつけてシンプルにあげた料理はチェコでとてもポピュラーである。なかでもチーズフライは老若男女に愛される一品。ビールの最高のお供であることはいうまでもない。


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クネドリーキは料理の付け合わせだけでなく、一品料理として食べることも。イチゴやアンズなどを丸く包んで茹でたものはオヴォツネー・クネドリーキ(オヴォツネーは果物の意味)。日本人にとってはデザートのように思えるが、チェコの人々はオヴォツネー・クネドリーキをメインの食事として食べている。



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スィーツの種類が豊富なチェコで、代表的な焼き菓子のひとつがバーボフカ。クグロフ型に入れて焼き上げる。見た目も美しいスポンジケーキ。ココアを混ぜ込んだタイプも人気で、カットするとココアがマーブル状に現れる。バーボフカはレストランなどではなく、家庭で焼いて食べるのが一般的である。


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チェコの代表的な家庭料理の一つがブランボラチュカ。じゃがいもや玉ねぎ、人参など野菜がたっぷり入ったスープ。味付けに欠かせないのがポルチーニ、ニンニク、そしてマジョラム。香り豊かで濃厚な味わいは、チェコの人々にとってまさにおふくろの味と言える。


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チェコの国民一人当たりのビール消費量は世界一位。(2018年のデータ/キリンビール調べ)その座をなんと26年間も守り続けている。世界のビールの大半を占めるピルスナータイプのビールは、チェコのブルゼニュのビールが発祥である。そのブルゼニュの街で生産される不動の人気銘柄がピルスナー・ウルケル。「元祖ピルスナー」の意味である。



ここまでが、リーフレットに書いてある説明文である。


ずっとタイピングしてきて思ったことはチェコ語は難しい。(笑)


チェコ語を日本語のカタカナ表記をすると、ちょっと我々の常識の発音範囲にない感覚である。リーフレットに記載されているカタカナのチェコ語の名称は、なになに~?なんて読む?という感じで、何回も凝視して読まないと頭に入ってこない感じである。カタカナなのに・・・。



ここからが自分が体験した実体験の味の感想である。


まずチェコでポピュラーなドリンク。チェコでは旬の果物を保存するためにコンポートにしたものを薄めたドリンクがよく飲まれている。りんごと洋梨のコンポートをアイスでいただく。


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これは微妙だなぁ。(笑)
りんごと洋梨のフルーツの味はするけれど、なかなか美味しい!と即決できるほどでもなく微妙でございました。



これが今回のチェコの朝ごはんのワンプレート。


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手前がチェコの名物料理のオープンサンド、「フレビーチェク」。
パンにボマザーンカと呼ばれているものを塗って食べる。
茹で卵なんかも乗っている。


これは美味しいと思いました。決して派手な味付けではなく、ふつうの素朴な味とというか、これがチェコの主食なんだな、と思いました。美味しいです。


その後ろにカップに入っているスープが、チェコのスープ、「ブランボラチュカ」。チェコの代表的な家庭料理で、じゃがいもや玉ねぎ、人参など野菜がたっぷり入っている。これは美味しいのか、と言われると微妙だが、言えることは日本では絶対味わえない味だと思いましたね。要はチェコの地料理という感じです。自分がいままであまり体験したことのない味だったので、これは珍しいというか、これこそ、地の料理の味なんだろうな、と思いました。なんて表現したらいいのか言葉が思いつかなかったです。



そしてその左横にあるチェコの焼き菓子「バーボフカ」。見た目通りスポンジケーキです。(笑)我々が日本で体験できる、見た目通りの味がします。



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サイドディッシュにチーズフライ。
これはそのまんまの美味しさで激うま。
世界万国共通の美味しさではないでしょうか。
トロリのチーズをそのままフライで揚げたものです。


もう香ばしい、堪らん、という美味しさで、こりゃカロリー高いよな(笑)、と心配しました。これは普通に日本で食べれるのでは?



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デザートに「オヴォツネー・クネドリーキ」。
イチゴやアンズなどの果物を、クネドリーキ“茹でパン”包んで茹でるもの。

これも凄い美味しいです。
世界万国共通の美味しさですね。
誰もが絶賛すると思います。

なんかイチゴを包んだ大福もちのようなテイストですね。
ちょっとしたイカしたデザートだと思います。


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締めのデザートのドリンクにホットチョコレート。
これも美味しい。これまた世界共通。



こうしてみるとチェコの朝ごはん、普通に美味しかったです。
日本人の味覚に共通なものを感じますね。


チェコは肉料理が中心の食生活ということですから、できれば朝ごはんだけでなく、ボリュームある夜のメインディッシュの肉料理をガッツリといきたいものです。



4か月ぶりに世界の朝ごはんの日記を書いていたら、普段の暗いムードを一気にぶっ飛ばす明るい気持ちになれましたね。現実逃避できました。


あまりにいまの世相が暗すぎますね。


逆を言えば、こんな楽しい体験をしたならば、それを実際体験するべく、よし実際現地に行ってみようという考える段階で、あぁ~現実は厳しんだな、とそこでガッカリしますね。


そういうオマケがついてきますね。


いまみんな暗いムードの中で生きているのに、こんな日記書いていていいのかという罪悪感も多少ありますね。(笑)


でもこれを機会に、世界の朝ごはん、また続けていきたいと思っています。











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サントリーホール、アークヒルズのカフェ・レストラン [クラシック雑感]

コンサートホールの周辺には、必ずカフェやレストランなどの食事処、休憩処がある。それがひとつのホール・ビジネスの必須条件のように思える。


開演前や終演後のお客さんたちの楽しみ、憩いの場所となるからだ。


自分は、開演前ギリギリに駆け込むのは好きではない。かならず3時間から1時間前には到着して、そのホール周辺で待っていて、開演前の気持ちの高ぶりを楽しむのが好きである。


そういう時間が堪らなく好きである。1番楽しいときである。ただ単にそこで時間をつぶしているだけなのだけれど、そういうスタートアップする時間がある程度確保されていないと、本番に入っていけない性分なのである。


そういう意味で、コンサートホール周辺のカフェやレストランは、とても重要なのである。東京都内のコンサートホールの周辺には、かならず自分の贔屓にしているカフェ・レストランがある。


サントリーホールは、行きは銀座線の溜池山王駅から向かう。駅の長い地下通路を歩いていくと、その壁にコンサートのポスター(大概は外来オケ)が貼ってあり、それを眺めるのが好きである。


そして地上に出てホールに着くまで、ご存じのように心臓破りの坂を延々と昇っていかないといけない。


帰りは、逆に南北線の六本木一丁目駅から帰宅する。


アークヒルズは、東京都港区赤坂一丁目と同六本木一丁目にまたがって位置する複合施設である。赤坂アークヒルズとも呼ばれている。


サントリーホールは、この中の1施設として存在する。


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サントリーホールの向かいにアーク森ビルというのがあり、その中に飲食店がひしめいているのである。


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このテラスのテーブル、椅子はよく使わせてもらっている。でも夏のときはいいのだけれど、秋や冬は寒くて、ここで時間をつぶすのはかなり風邪をひく可能性が高い。


陳四川麻婆豆腐のお店がある。1回だけ入ったことがあったけれど、まっ陳さんのあの四川麻婆豆腐の味ですね。お値段がかなりお高かった記憶があります。


その隣には、カフェがあり残念ながらいまは閉業してしまったようだ。さらにその昔には、そこにはなんか長い間そこで営業していたお店がありましたね。お店をたたむとき、随分ファンから悲しまれましたね。


なんというお店でしたっけ?


その左隣にいくと、すごいお洒落な雰囲気のお店がある。


THE CITY BAKERY BRASSERIE RUBIN(シティベーカリー・ベーカリー& カフェ).東京・赤坂


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終演後の帰路は、南北線の六本木一丁目を使うので、ホールから駅に向かうまでに必ず目の前を通るすごいお洒落なお店である。


ずっと昔から、このお店はなんなのだろう?とずっと思っていた。一度入ってみたいとずっと思っていたのだが、結構敷居が高そうで気後れしていた。(笑)


なんかフレンチのレストランなのかな、とずっと思っていたけれど、じつはベーカリー、パン屋さん&カフェだった。


「ベーカリー」という言葉は、パンに関連する言葉であるとわかっても意味は正確には知らないという方が多いのではないだろうか?自分もその1人である。この際だから調べてみた。


ベーカリーとは、「パンや洋菓子類を製造し、販売する場所」を意味する。では、パン屋であるから、ベーカリーとパン屋は同じなのか?という疑問を持つが、その通りである。パン屋とベーカリーという言葉の理解において違いは日本ではないのが事実である。ベーカリーとは英語の言葉で、「Bakery」と読む。・・・だそうである。


このお店はNEW YORKのTHE CITY BAKERYというベーカリーの日本の支店なんだそうだ。


THE CITY BAKERYは、ニューヨーク・ユニオンスクエアで1990年に開業して以来、ニューヨーカーはもちろん、海外から訪れる人々に愛され続けている老舗ベーカリー。毎朝焼き立てのパンやペイストリーを準備し、お客様をお迎えしている。


ニューヨークの本場のシティベーカリー。


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創業者モーリー・ルービンは、TV局のプロデューサーとしてエミー賞を2度受賞するなど異色の経歴の持ち主。食が大好きなモーリーは、1986年、フランスにてペイストリー教室に参加したことがきっかけで、すっかりパンの虜となってしまった。ニューヨークに戻ったモーリーのパンへの思いは冷める事なく、ベーカーへの道を歩んで行く。数々のNYのベーカリーで修行をしたが、どれも彼を満足させるベーカリーではなく、自分の信じるベーカリーの開業を心に決めた。シティ ベーカリーが誕生し23年、今日も「現場で働く社長(Hands-on CEO)」として確かな味を守り続けている。


2010年20周年を迎えたシティ ベーカリーが世界初出店の地を日本と決め、2013年4月大阪(グランフロント大阪)に出店、そして2013年11月東京品川、12月広尾にオープンした。(情報引用元:シティベーカリー公式HP)


ようやく長い間謎にベールに包まれていたお店の正体がわかったので、今度サントリーホールにコンサートに行くときに体験してみます。


さて、話を元に戻して、アーク森ビルの一番右側に行くと、その横に、このビルに入るエントランスがある。


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その中に入っていく。


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そうするとエスカレーターがある。
それを昇っていくと・・・


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アーク森ビルの3Fへ。


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自分は、秋や冬の寒いときは外のテラス席で寒い思いをして待っているより、こちらの建物の中のここのベンチで座って待っているときのほうが多い。このベンチの向かいはすぐトイレになっている。もともとはトイレを探すことが目的で、この場所を発見して、この場所に辿り着いたのである。


そしてさらに奥に行くと、そこにはレストランがひしめいているレストラン街があるのである。


ここがアーク森ビルのレストラン街。


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自分のサントリーホールでコンサートがあるときの恒例のお馴染みの食事処である。自分は昔、ここにあったお茶漬け専門店が大好きで、コンサートがあるたびにそこでお茶漬けを食べることが日課になっていた。(お茶漬け大好きなので。)


本当にお茶漬けだけを専門にしているお店なのだ。


それじゃ和風の店内内装なのか、というと全然そうじゃなくて、中は真っ黒の塗装で、洋風のフレンチ風のお洒落な内装空間だった。なんかフレンチの装いながらお茶漬け専門店ってイケているお店だなぁ~とずっと感心していたのだ。


残念ながら、ここも閉業してしまった。


最後にそのお店でお茶漬けを食べたのは、数年前の大野和士&東京都交響楽団、小山実稚恵さんのラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番を聴いたときが最後でした。


ちょっとここのレストラン街のそれぞれのお店を紹介していってみよう。



金沢かつぞう 赤坂アークヒルズ店 (能登豚とんかつ)
石川県金沢のとんかつの名店「かつぞう」さん。
「金沢まいもん寿司」系列のお店のとんかつ専門店。
「能登豚」を使っているのが「売り」である。


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つじ半 アークヒルズ店(海鮮丼)
「金子半之助」さんと「つじ田」さんがコラボした海鮮丼の専門店。


つけ麺「つじ田」と名店「日本橋 天丼 金子半之助」の創業者が力を合わせ作り上げた絶品海鮮丼である。メニューはシンプルに「ぜいたく丼」の梅・竹・松・特上の4種類のみ。


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成都正宗担々麺 つじ田 アークヒルズ店 (担々麺)
ラーメンの名店「つじ田」さんの担々麺専門店。

こちらの成都正宗とは・・・
名前通りで成都式担々麺と正宗式担々麺と2種類あり
・成都式は麻婆のストレートな辛味とキレ
・正宗式は胡麻の芳香の香りと旨味とコク
の2種類があり痺れも辛さも1~6まで選べるのだそうです。


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中華そば専門 田中そば店 赤坂アークヒルズ店
「田中そば店」は博多豚骨ラーメンの有名人気店「田中商店」系列になりますが東北をテーマに置いた感じの人気ブランドで、赤坂アークヒルズ店は2018年3月にオープンした。


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チャンロイ kaaw 赤坂アークヒルズ店


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なんと!タイ料理もありましたよ。(笑)
運営するのは大手町や丸の内にもあるタイ料理惣菜店「チャンロイ」。
夜はタイ料理とお惣菜、昼はランチビュッフェとお弁当を提供している。
売りは店内のグリルで焼く「ガイヤーン(タイ風焼き鶏)」。  


タイ料理大好き!


むかし超嵌って、渋谷にあるお気に入りのタイ料理店に入り浸ったことあります。1週間に3回は通っていたような・・・残念ながら閉店してしまいました。そこはトムヤンクンとかタイカレーとか絶品ですが、じつはデザートのタピオカ・ココナツミルクが隠れた絶品だったのでした。



このアーム森ビルのレストラン街で、自分がぜひ入ってみたいお店が登場した。いつもの恒例のこどくお茶漬け屋さんに行こうと思って行ってみたら、お茶漬け屋さんがなくなっていて、このお店ができていた。


最初はすごくショックだったが、逆にこのお店もすごく興味が湧いたからだ。


それが「金子半之助」


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本店は、「日本橋天丼 金子半之助」である。

江戸前天丼の名店中の名店である。


自分は3~4年前にテレビで特集されていたこのお店のことを知り、ぜひ行ってみたいとずっと思っていたのだ。


江戸前の天丼と天ぷらを気軽に。


金子半之助は浅草生まれの実在の人物で、「日本の文化は食にあり」と、誰よりも和食を愛し続けけた和食界の重鎮である。金子半之助は戦前に庶民が愛した江戸前の天丼を後世に残すため、多くの若い世代の職人へ、その技術を教え続けてきたという。その想いを孫にあたる金子真也が引き継ぎ、創業したのが「日本橋 天丼 金子半之助」である。



秘伝 江戸前の丼たれ。


金子半之助の孫にあたる金子真也が受け継いだ閻魔帳(レシピ帳)には、門外不出の「秘伝の江戸前の丼たれ」の作り方が書かれていた。控え目な甘さでさっぱりとした丼たれは、高温の胡麻油で揚げた天ぷらと、白飯に絶妙なバランスで絡み合い、最後の一口まで飽きの来ない天丼に仕上げている。


 

一杯の天丼に込められたもの。
こだわりの食材に加えて。


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創業にあたり、秘伝の丼たれに合う天丼のタネ(食材)は何なのか試行錯誤の末にたどり着いたのが、市場(現在は豊洲)で毎朝仕入れる新鮮な穴子、海老、烏賊、半熟玉子に野菜などを合わせた、見た目も豪快で粋な江戸前天丼。この天丼を最後まで美味しく食べていただけるよう、使用する丼鉢は保温効果を持つ底に空洞を施した有田焼の特注品を使用している。



こんな感じである。


見た目、かなりワイルドなボリュームだけれど、まさに由緒ある江戸前天丼を食すなら、この「金子半之助」だろう、とずっと思っていたのだ。


それがまさかサントリーホールの前のアーク森ビルの中に開店しているとは夢にも思わなかったのだ。(笑)これからサントリーホールのコンサートがあるときは、お茶漬け屋さんに代わって、この「金子半之助」がレギュラーな食事処になるかもしれない。


さっそく体験してきた。


店内。


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カウンターのみのお店だが、とても清潔感溢れていて、照明も明るくて綺麗なお店だと思った。


自分は、ここで衝撃の事実を知ることになる。(笑)


ここのお店は、天丼ではないのだ。
あくまで「天ぷらめし」なのである!


いわゆる丼に入っているものではなく、天ぷらという一品の数々を、ご飯とお味噌汁、お漬物でいただく純和風のお店なのである。


さすが赤坂、六本木!(笑)


最初、あのワイルドな江戸前天丼をイメージした自分だったので、ちょっと赤坂のイメージに合わないかな、とも思ったのだが、「天ぷらめし」だったら納得いくのである。


これが金子半之助 アークヒルズ店の天ぷらめし。
ランチです。


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ワイルドに丼を口の中にかきこみたい自分にとって、なんともお上品すぎて、食べ応えないのである。(笑)なんか食べた気がしませんでした。(笑)


でも美味しかったです。
天ぷらもからっと揚げられていて、本当に上品な天ぷらでした。


今後のサントリーホール公演のときのレギュラーな食事処となるかどうかは、何回か通って決めたいと思うところです。



最後に上野の東京文化会館のコンサートのときのレギュラーな食事処も紹介しよう。


上野駅の駅ナカにはたくさんの候補のお店があるけれど、なぜか自分は昔からこのお店に愛用している。


洋食や 三代目 たいめいけん


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日本橋に本店があって、そこはいつも大行列でとても並ぶ気がしないのだけれど、この上野駅の駅ナカは偶然見つけました。目立たないところにあるせいか、ここは比較的空いているのである。日本橋本店は劇混みで入れないので、たいめいけんは体験できそうにないと思っていたのだけれど、偶然この駅ナカに見つけた、というのが経緯である。「洋食や 三代目 たいめいけん」は都内各所に店舗があるようだ。茂出木 浩司氏がその三代目で、一時期テレビで人気者だった。


たいめいけんで有名なのは、故・伊丹十三監督が愛した「タンポポオムライス」ですね。


店内


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ここもとても清潔感あふれる綺麗なお店である。



ビーフシチューオムライス。
激ウマシ!


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毎年春におこなわれる上野の風物詩、東京・春・音楽祭のシーズンになると、必ずこのお店でオムライスを食べてから、東京文化会館に向かうという自分のひとつの定番の決まった行動なのである。











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大姫 [雑感]

源義経を主人公にしたドラマでは絶対登場しないのである。大姫は、源頼朝を中心に添えたドラマでないと登場しないヒロインなのである。


2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主要キャストが決まり、俄かに盛り上がってきた。来年でなく、まだ2年先のことなのに。(笑)


みんな魅力的な俳優さんばかりで、自分の期待通りのセンスの良さで大満足である。この中で、大姫役の南沙良さんは、自分の大姫に抱いているイメージ通りでいいと思った。


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楽しみである。


大姫というのは、歴史の教科書にもまず出てこないし、源頼朝の娘なので、頼朝を扱う物語でないと登場してこない人物である。


だからあまり知らない人が多いと思う。


でも自分にとって、頼朝鎌倉物語を語るうえでは、この大姫は欠かすことのできないとてもメモリアルな人物なのである。


大姫というのは、こんな人生を辿った人物である。



源頼朝と対立していた木曽義仲は、長男で当時11歳の木曽義高を人質として鎌倉に送り、当時6歳の大姫の婿とする事で頼朝と和議を結んだ。しかし頼朝と義仲の関係は破局し、翌年義仲は頼朝の送った軍によって都の郊外で敗死する。


頼朝は将来の禍根を断つべく義高の殺害を決める。それを漏れ聞いた侍女たちから知らせを受けた大姫は、明け方に義高を女房姿にさせ、侍女たちが取り囲んで邸内から出し、ひづめに綿を巻いた馬を用意して鎌倉を脱出させる。


義高と同年の側近であった海野幸氏を身代わりとして、義高の寝床から髻を出し、義高が好んで幸氏といつも双六勝負していた場所で双六を打ち、その間殿中の人々はいつも通り義高が座っているように思っていたが、夜になって事が露見する。


頼朝は激怒して幸氏を召し捕り、堀親家以下軍を各所に派遣して義高を討ち取るように命じる。周章した大姫は魂を打ち消すほど打ちしおれてしまう。親家の郎党である藤内光澄が鎌倉に戻り、入間河原で義高を討ち取った旨を報告する。


この事は内密にされていたが、大姫の耳に入り、悲嘆のあまり水も喉を通らなくなるほどだった。政子は大姫が病床に伏し、日を追って憔悴していくのは義高を討ったためだと憤り、ひとえに討ち取った男の配慮が足りなかったせいだと頼朝に強く迫り、藤内光澄は晒し首にされた。


7歳であった大姫の心は深く傷付き、その後十余年を経ても義高への思いに囚われては床に伏す日々が続く。義高のための追善供養や読経、各寺院への祈祷などあらゆる手が尽くされたが効果はなかった。


大姫入内運動は、頼朝が通親・丹後局に利用され、結果的に朝廷の反幕府派の台頭を招く重大な結果をもたらした。頼朝は大姫の死後、次女・三幡の入内工作を進めて女御となるも、自身と三幡の相次ぐ病死で頓挫する。


それまで常に冷徹な政治家であった頼朝のこれらの最大の失策は父親としての思いからとも、娘を天皇の后に立て自らが外戚になるという、中央貴族の末裔としての意識を捨てきれなかった限界とも評されている。




自分も1979年(昭和54年)のNHK大河ドラマ「草燃える」で、この大姫の存在を知った。


大姫は、頼朝と政子の長女。木曽義高と恋におちるが、最終的には義高を父頼朝に誅され破局する。これが原因で精神を病み、若くして亡くなる。


そんな悲劇のヒロインなのだ。


当時の草燃えるでは、大姫の少女時代に西尾麻里さん、斉藤こず恵さん、そして大人時代に池上季実子さんが演じていた。


このときの池上季実子さんの熱演に自分はすっかり感情移入してしまい、大姫ってなんて可哀そうなのだろう、と子供心に相当悲しい気持ちになった。


なんというのかな、可哀そうというか、切ないというか、そんな安易な言葉ではとても表現し尽せない、複雑に絡まった愛情、いま思えば、当時16歳だった子供の自分は、大姫に心底恋に近い同情をしていたのかもしれない。


大姫はまさに悲劇のヒロインなのである。ずっと父・頼朝、母・政子に心を開くことなくその悲劇の人生を閉じた。


石坂浩二さんの頼朝も、岩下志麻さんの政子も、この大姫に対してはどうすることもできなかった。


それ以来自分はこの大姫役の池上季実子さんの大ファンになってしまった。
大姫といえば池上季実子さんなのである。

それ以来、他局のドラマなどで、池上季実子さんが出演するドラマの追っかけをしていたりした。


それだけ大姫役の池上季実子さんは当たり役だった。
衝撃だった。


この草燃えるの大姫役が池上季美子さんの大河デビューだったが、この鮮烈のデビューで2年後、4年後の大役を演じることになる。1981年「おんな太閤記」の茶々と1983年「徳川家康」の築山殿だ。3作とも凄絶な美しさを発揮している。


草燃えるで特に印象的だったのが、第30話の「大姫錯乱」。


都から、大姫(池上季実子)を帝の后にという話が持ち上がる。朝廷と鎌倉をつなぐため、頼朝はこの話に乗る。しかし、亡き義高を忘れられない大姫は重い病にかかってしまい、容態が回復しないまま。


大姫の容態が悪化。自ら髪も切り「小さな女の子に戻って義高さまと...」義高はおかっぱ頭が好きだったのだ。そして容態が回復することはなく大姫はその短い生涯を閉じる。20歳。


子供心に泣いた。


それ以来、自分は意外や歴史人物として知られていないこの大姫にすごく関心を持つようになったのである。頼朝鎌倉時代を語るうえでは、大姫は自分にとってとてもメモリアルな人物だったのである。


「鎌倉殿の13人」での大姫役は誰なのだろう?とすごく興味を持っていた。


南沙良さんは、若すぎる役者さん、タレントさんで自分はよくわからないのだけれど(笑)、写真のイメージから、とても大姫にぴったりの感じがして熱演をしてくれるものと期待してしまうのである。


まだ2年もあるけれど、いまから楽しみで楽しみで待ちきれない感じである。






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東京芸術劇場のおむすび屋さん [グルメ]

コンサートホールに行くと、かならずその周辺には、ちょっとしたカフェや飲食店があるものだ。コンサートに行くお客さんが、その開演前の腹ごしらえや、開演までの時間つぶしの休憩の場所などで重宝するからだ。ちょっとしたコンサートホール特需事情というものではないだろうか?


お客さんによって、このホールに行ったなら、必ず寄る贔屓のお店、定番のお店ってあるはずだ。自分も、そのコンサートホール各々において、必ずそういうお店を持っている。


人気のあるコンサートホールというのは、必ずそういうお店を近くに備えている。
それがコンサートホール立地条件のひとつのmandatoryの条件なのではないのだろうか?


サントリーホールなら、アークヒルズ内のアーク森ビル内にあるレストラン街。


昔、ここにお茶漬け専門店があって、自分はものすごく重宝していた。(お茶漬け大好きなので。。。)サントリーホールに行ったなら、必ず寄っていた。開演前の儀式みたいなものだった。でも残念なことに、アーク森ビル・リニューアルに際して閉業してしまったんだよね。


いまは、ここに入っている有名な天丼屋さんを体験してみたいと思っています。天丼超デカ盛りで有名なお店です。でも開演前はちょっとヘビーでしょうか?(笑)


ミューザ川崎なら、ホールが入っているビルの地下にある飲食店街。


東京文化会館なら、上野駅の駅ナカの飲食店街。特に東京・春・音楽祭のときで通い詰めるときは、この駅ナカの洋食屋のたいめいけんに寄ってオムライスを食べるのがひとつの縁起担ぎである。


たいめいけんは、日本で超有名な洋食屋さんで、日本橋のたいめいけん本店はいつも大行列なのだが、意外や、この上野駅の駅ナカのたいめいけんは、盲点なのか、意外やすんなり入れる。


そんな中で、昨日大感動したコンサートでの会場だった東京芸術劇場は、そういう飲食店を見つけるのがなかなか難しいホールだと思う。


東京芸術劇場の中には、そういう飲食店施設がほとんどない。
もうそうなると施設外にいったん出るしかないのではないだろうか?
(近辺は、それこそ繁華街真っ只中です。)


そんな東京芸術劇場の非常に難しい環境の中で、自分が昔から重宝しているのが、「手造りおにぎり吾ん田 東京芸術劇場店」である。


東京芸術劇場に入ったら、その1Fのフロアの一番奥にある。


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お茶類もあります。


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東京芸術劇場内には、そういうあまり食べるお店がないので、意外やコンサート開演前のちょっとした腹ごしらえに使っている人は結構多いと思います。


会社の定時時間と同時に飛び出して、急いで開演に間に合うように電車でかけつけて、着いたと同時に、でもちょっとお腹が空きすぎて、終演後までにはとても我慢できないや、というようなときにもってこいのお店である。


自分は東京芸術劇場のコンサートの場合は、必ずここを利用する。
ここのおにぎりを食べないと、なんかここに来た感じがしないものである。
相当昔からのおつきあいである。


「手造りおびぎり吾ん田 東京芸術劇場店」の吾ん田のおにぎりは、スタッフがひとつひとつ丁寧ににぎっているまさに手作りのおにぎりなのだ。


だからいつもできたてのホカホカで温かい。
その日のお米がなくなったら、もうそれでその日は終業となる仕組みである。


使っているごはんは厳選した白米と十五穀米から選べるようになっている。
厳選した十五種類の雑穀をつかった「からだに美味しい」十五穀おにぎりである。
具材は約15種類の定番のほかに日替わりメニューも取り揃えている。

つけあわせのお惣菜もそろえてあります。


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そしてなんと!うれしいことに、お茶漬けもあるのだ!(お茶漬け大好き!)


メニューとしては、


おにぎり単品での注文もいいが、おにぎりとお惣菜とお味噌汁のセットでの注文もOKである。


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「手造りおにぎり吾ん田」は、店舗として2店舗あって、新宿野村ビル店と、ここの東京芸術劇場店である。


自分が、偶然にも発見したのは、この東京芸術劇場店のほうだった、ということになる。

新宿野村ビル店はこんな感じなんだそうである。(引用元:公式HP)


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「手造りおにぎり吾ん田」は、店舗でのおにぎり供給だけではない。
デリバリーやロケ弁・スタジオ撮影等の早朝配達などのビジネスも強化中である。


そのほか企業(福利厚生)提供用、社員/スタッフ向けの朝食、学校・保育園など、かなり幅広く広げているようだ。


やり手だなぁ。(笑)


そこはやはり手造りでできたてのほっかほっかだというところが一番訴えているところなのではないだろうか?


デリバリーは、新宿野村ビル店だけのようだが、そのお得意様の主要取引先を見るともうびっくりである。テレビ局なんて、(株)日本放送協会、日本テレビ放送網(株)、(株)TBSテレビ、(株)フジテレビジョン、(株)テレビ朝日、(株)テレビ東京、NHKエンタープライズとあるから、ほぼすべての国営、民放におにぎりを提供しているみたいである。


みんなロケ弁、お昼ご飯に、「おにぎり吾ん田」を重宝しているんだね。(笑)


そのほかにも、ものすごい数の企業が、吾ん田のおにぎりを贔屓にして食べているのだ。

東京都庁もあった。


一見したところ、細々とやっている零細企業なのか、と思っていたが、なかなかじつはやり手のビジネスだったようだ。


さっそくこの日、自分も頼んでみる。
朝からなにも食べていなかったので、おにぎり5個!!!豚汁つき。

本当ににぎりたてのほっかほっかで、美味しかった。


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そしてお茶漬けも!(笑)


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開演前に、ここのおにぎりを食べないと、なんか東京芸術劇場のコンサートに来た気がしないです。東京芸術劇場にお越しになった際は、ぜひご利用になってみてはいかがでしょうか?


手造りおにぎり吾ん田
http://gonta.p-kit.com/


Twitterもやっています。
https://twitter.com/onigirigontaikb


47フォロー中、63フォロアーと、とても細々とやってます。
こういう慎ましやかさ、自分は大好きです。(笑)


おにぎりアクションってご存じですか?

 

おにぎりアクションは、日本の代表的な食である「おにぎり」をシンボルに、「おにぎり」の写真をSNS(Instagram,Twitter,Facebook)、または特設サイトに投稿すると、1枚の写真投稿につき給食5食分に相当する寄付(100円)を協賛企業が提供し、NPO法人TABLE FOR TWO Internationalを通じてアフリカ・アジアの子どもたちに給食をプレゼントできる取り組み・・・なのだそうだ。


まさに、「おにぎりで世界を変える。」


自分のこのおにぎりの投稿写真も、おにぎりアクションしたいです。



東京芸術劇場に来ると、時間つぶしに使うカフェもついでに紹介しよう。なにせ自分の性格から、開演前の相当前にたどり着くのが常なので、時間つぶしのカフェも重要である。(開演前ギリギリに入るのは、絶対嫌です。)


池袋駅から東京芸術劇場に通路越しに入っていく途中にあるカフェだが、逆に東京芸術劇場側から辿ると、地下のこの通路口にずっと歩いていくとすぐ見つかります。


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なんかパリのメトロ、ストリートや住所標識の感覚があって素敵です。


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Patio de METRO


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ここは結構雰囲気があって、いつも時間つぶしに重宝しています。
珈琲専門店ですが、サンドウィッチなどの軽食もあります。


壁に多くの時代物の写真やスケッチがあるのが素敵です。
パリのエッフェル塔の建築中のフォトですね。いま絶賛建築中という写真です。


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バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

バルバラ・フリットリは、自分が贔屓にしているソプラノ歌手の中でもとびぬけて大のお気に入りの歌手である。彼女の実演も幾度か体験しているが、やはり確固たる実力があって、そして華のある歌手だという揺るぎない事実を突き付けられた感じがしたものだった。


その中でも自分が大感動した2014年に東京オペラシティ・コンサートホールで開催されたソプラノ・リサイタルについてのコンサートレビューを紹介しておこう。


このレビューは、2014年6月4日の公演直後に、mixiのほうにアップした日記なのだけれど、ブログのほうにはまだ紹介していなかった。


バルバラ・フリットリは、自分のクラシック人生の中でも絶対避けては通れない歌手なので、やはりブログのほうにも掲載しておく必要がある。


しかし、この頃のコンサートレビューって、自分はしっかり書いていたんだなぁ。
いまはとてもじゃないけれど、こんなに書けないや。(笑)

いまのコロナ禍、彼女はいまどうしているのか・・・
また来日して彼女の生の声を聴いてみたいものである。(2020.12.11記)




バルバラ・フリットリといえば、イタリアの正統派ソプラノとして、ナンバーワンの実力と人気を誇っている。

イタリア生まれで、現代最高のソプラノのひとり。スカラ座のプリマとして活躍していた時期もあったし、特にヴェルディのソプラノを歌わせたら天下一品、他の追随を許さないだろう。


品格があり、色艶のある美しい声。テクニックも抜群。そして見事な声色コントロール。 なによりも存在感と華がある。


あの3.11の東日本大震災の後に、来日予定の歌手がどんどんキャンセルするなか、動じることなく来日を果たし、素晴らしいパフォーマンスと声を聴かせてくれた、そのプロ根性。


そして見事な声のパフォーマンス、そしてその外観の格好よさ、これに私はいっぺんに虜になってしまった。親日家でもあり、頻繁に日本にも来てくれる。やはりこういう真摯な態度が、必然とファンを魅了するというか、ファンを引き付ける要因にもなり、彼女の大きな魅力にもなっているような気がする。


今、ヴェルディのヒロインを誰で聴きたいかと言われたら、フリットリに指を折る、と思う。声の美しさに加えて、美しく端正なイタリア語の響き、格の高さ、整ったフォーム。本当に理想的である。


フリットリの素晴らしさは、歌手としての知性にもある、と思う。彼女の演奏に決して裏切られたことがないのは、自分の声を知り、合わないものは避けてきた賢明さが大きいと思うのだ。


そんな彼女のリサイタル。歌曲リートではなくて、管弦楽を携えての本格的なリサイタル。


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そして演目も、得意のモーツァルト、ヴェルディだけではなく、まさにこれでもか、というくらい豪華な多種多様な作曲家の曲を歌い上げ、その多才な面も魅せてくれた。


彼女の姿勢として、自分の声に合うものを基準に選んでいる、と述べたが、一見、自分の声質の可能性への挑戦とも言えるバラエティ豊かな今回の選曲だが、でもベースはやはり自分の相応というのをわきまえているのだ。


ドレスは前半は、下地にブラウンの生地を着て、その上に薄い黄色のドレスを羽織る感じ。そして後半は、黒のロングドレス......素敵。


すごい大柄で、体格も凄くて、圧倒されるくらい存在感がある。バックにオケと指揮者がいる訳だが、その前に彼女が立つと、決して負けないというか、彼女だけがすごく映えて見える、というか、とにかく周りを鎮圧するともいうべき圧倒的な存在感なのだ。


最初の曲の歌いだしのときは、意外に声の通りが悪く、よく聴こえなくて、意外と声量がないな、とも思ったが、それはエンジンがかかっていないだけであった。曲が進んでいって、みるみる内に、その圧倒される声のパフォーマンスがそのホール全体に響き渡り、聴衆を制圧する感じで、本当に圧巻だった。


彼女の声質は、色艶があって透明感のある声質と感じる、強唱のときにも耳にキツく感じることなく、まさに青天井の圧倒的な歌唱力で、弱・中のフレーズからのつながりもすごい滑らかで抜群のうまさを感じる。そして、なによりもその美しい容姿と、その表現力は他のソプラノ歌手では追随を許さないところ、と改めて思ったのである。


いま飛ぶ鳥の勢いのネトレプコでも、まったく足元に及ばない存在感というか、いわゆる”正統派の本物”の質の高さというのが感じ取れる。


やっぱりフリットリといえば、暗譜だろう。


前半のときは譜面台を前において歌う訳だが、まぁそれなりに素晴しいパフォーマンスであるが、後半になって、これが彼女の18番であるモーツァルトやヴェルディの曲になると、おもむろに、譜面台を横に外して、暗譜で歌い始めるのだ。


そうすると、どうだろう!


しなやかな手振りなど、じつに体全体を使って情感たっぷりに歌うその姿は、まさに迫真の表現力ともいうべきもので、それにその澄んだ美しい歌声が加わり、まさに最高に絵になるソプラノ歌手となるのだ。


彼女の手の振りを見るとわかるのだが、すごい流線形というか、ものすごい滑らかで、あのしなやかな所作は、彼女の生来の持味なのだと思う。


この暗譜で歌うときの彼女は、譜面台がある場合とでは雲泥の差があり、やはり彼女の本質は、演劇をともなうオペラ歌手なのだろうなぁ、ということを再確認した。


もう最後のアンコールの3曲なんて、もう絶賛、最高潮の状態で、会場も興奮のるつぼと化した。


特に今回のちょっとしたサプライズとしては、フランス歌曲やフランス・オペラを取り上げたところだった。ベルリオーズの「夏の夜」ではフリットリの声に合った、とてもチャーミングな歌曲だと思ったし、またデュパルクの珠玉のフランス歌曲でも、本当に魅力的な歌唱だった。フランス・オペラではマスネの「マノン」からアリアもフリットリの違った魅力を感じ取れた。


じつは彼女は、これまでに「ホフマン物語」のアントニアや「カルメン」のミカエラなどを歌って、フランス・オペラにも精通しており、そんなところにも今回の彼女のチャレンジがあったのだと思う。


またマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲や、マスネのタイスの瞑想曲など、彼女なしのオケの演奏だけの曲もあり、これまた名曲なので、じつに旋律が美しく、うっとりさせられる。


こういったわかりやすい初心者向けの名曲をちりばめたりして、1本調子にならないような工夫がされており、コンサートの完成度を高めていたと思う。


カーテンコールのときや、アンコールのときの彼女のしぐさは、すごくお茶目で、何回も何回も会場の笑いを一斉に誘っていた。


じつにチャーミングで可愛らしい女性だ。


以前から思っていたことなのだが、自分はオペラを観るより、こういうリサイタルのほうが手軽に好きな歌手の声を堪能できるから好きだ。


オペラは、予習が大変だし、観劇にものすごい体力がいる。1番の理由は、好きな歌手が衣装を着て化けていることなのだ。リサイタルのほうが現代風の衣装で、素のままの歌手の素顔、姿が楽しめるから、身近に感じていい。


今回の彼女のそんな素の姿を観れて、本当に感激であった。


やはり自分にとって永遠のディーヴァ、麗しきの君であることを再認識できたし、その美声と容貌、そして卓越したその表現力は、自分は永遠に追い続けるだろう、と確信した幸せな一夜であった。


こちらが私が撮影したカーテンコール。


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こちらが、FBから拝借してきた日本舞台芸術振興会のページの写真。
さすがプロです!


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バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル
2014.6.4(水) 19:00~ 東京オペラシティ コンサートホール

ソプラノ:バルバラ・フリットリ
指揮:アレッサンドロ・ヴィティエッロ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団


曲目


第1部
ドニゼッティ:歌劇『ラ・ファヴォリータ』より序曲
デュパルク:「旅へのいざない」
デュパルク:「悲しき歌」
ベルリオーズ:歌曲集「夏の夜」より第1曲「ヴィラネル」
ベルリオーズ:歌曲集「夏の夜」より第6曲「知られざる島」
マスカーニ:
歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲
トスティ:アマランタの四つの歌


第2部
モーツァルト:歌劇『皇帝ティートの慈悲』より
“おおヴィテリア、今こそ~今はもう美しい花のかすがいを”
モーツァルト:歌劇『ポントの王ミトリダーテ』より
“恩知らずの運命の厳しさが”
マスネ:タイスの瞑想曲
マスネ:歌劇『マノン』より”さよなら、小さなテーブルよ”
ヴェルディ:歌劇『アイーダ』より”勝ちて帰れ”
プッチーニ:歌劇『マノン・レスコー』より間奏曲
プッチーニ:歌劇『トスカ』より”歌に生き、恋に生き”


~アンコール
・チレア:歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」より「哀れな花よ」、「私は創造の卑しい僕」
・マスカーニ:歌劇「友人フリッツ」より「この僅かな花を」








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