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松本グルメ そのさん [国内音楽鑑賞旅行]

いままで松本グルメでどうしても体験していなかった名店があった。それが「うなぎのまつ嘉」である。ここは本当に超人気店で、11時半開店と同時に速攻で売り切れ閉店になってしまう超難しいお店なのだ。だからその名声はよく知っていたのだけれど、なかなか敷居が高いと思っていた。


今回初挑戦してみようと思ったのである。



●うなぎのまつ嘉


開店と同時に売り切れ!長野県松本市が世界に誇る鰻の名店「うなぎのまつ嘉(まつか)」。開店から10分も経たないうちに売り切れの札が店先に並んでしまうという、知られざる鰻の名店が長野県松本市にあるのだ。


江戸時代から6代つづく鰻の名店、それが「うなぎのまつ嘉(まつか)」


こちらのお店、実は江戸時代から続くうなぎの名店として、松本市内はおろか、全国に名前を轟かせるお店。そのため、全国から美味しい鰻を求めて、鰻好きが毎日のように押し寄せているのだそうだ。


そしてこちらのお店、予約ができないことでも有名なお店。


そのため、多くの人々が11時30分の開店前から美味しい鰻を求めて行列をつくり、平日であっても11時30分の開店と同時に売り切れとなってしまう。


今回、どうしてもこの「うなぎのまつ嘉」を体験したいと思い、ここはちょっとそっとの正攻法ではダメできちんと作戦を立てていかないとダメだぞ!と自分は思ったのである。


なぜ、ここのお店は、開店と同時に、すぐに売り切れになってしまうのか、そのなぞ解きを今回紹介したいと思う。


うなぎのまつ嘉


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自分は、11時半開店をそのまま鵜呑みにしては絶対ダメだと思った。


ネットで、10時半には並ぶことをお勧めする、という書き込みがあったのだが、よし!それだったら、自分は9時半に並ぼう!


2時間待とうじゃないか!と決意した。


9時半に到着。
やはり1番乗りだった!


こうやって入り口の前に座れる腰掛ベンチがあった。
目の前が入り口である。


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座って待っていたら、お店の人が寒いでしょう、と言って毛布を貸してくれた。
優しい~!


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侮るなかれ!9時半に来た自分は一番乗りだったけれど、9時45分には、続々と人がやってきてあっという間に行列ができてしまった。


自分が、今回学んだ攻略法は、ここのお店は10時半になったら、その行列の人たちをお店の中に入れてくれるということなのだ。つまり座席に座らせてくれる。


つまり10時半になったら、つまり店内のお店の座席は満席になってしまうということだ。そしてこのお店は、あまり商売っ気がなくて、1回座席が満席になった分の人数分しか鰻を用意していないことだ。


結論は、


・10時半に行列の人たちを店内に入れる。→満席になる。
・鰻はその1回分しかない。
・11時半の開店と同時に、すぐに売り切れ閉店。


こういうからくりである。

だから開店11時半をそのまま鵜呑みにしては、絶対無理である。
10時半でも危ない。(10時半はあくまで行列を店内に入れる時間)
やはり9時半に行くことをお勧めする。

10時半に店内に入れてくれる。
そしてすぐにオーダーを取る。


これが「うなぎのまつ嘉」の店内。


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10時半に店内に通されるけれど、オーダーを取った後、そこから開店の11時半までそこで待たされるのである。


11時半になると同時に、オーダーしたものがやってくる。


メニュー。


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うな丼、うな弁当とあるが、なにが違うかと言うと、うなぎの枚数が違う。
うな丼(2枚)、うな弁当(3枚)である。


昔はうな重というのがあって、これはうなぎ4枚だった。
いまはうな重はやっていないのだそうだ。


自分は、うな丼をオーダー。

そしてやってきた!
これが、うなぎのまつ嘉のうな丼である。


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すごい美味しい!!!


外側はパリっと、そして内側は非常に柔らかく仕上げられた鰻は、タレとの相性も抜群。もちろんその味わいはご飯と一緒に味わうことで本当の意味での真価を発揮している。


たっぷりの山椒でも負けないほどの強く濃い鰻の味わいは、長野県のみならず、世界に誇るうなぎの名店と言っても過言ではない。


本当に美味しいです。

うなぎは本当に美味しいですねぇ~。


自分のうな丼が配膳されたのは、11時20分である。

そして食して店を出たのが、11時30分である。

そうしたら・・・(笑)


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これがこのお店の真実である。


この真実をよく理解したうえで、ぜひ長野県松本市のうなぎのまつ嘉さんにチャレンジしてほしいと思います。



●珈琲美学アベ


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ここもゴローさんから教えてもらった珈琲専門店なのだが、元のオリジナル情報源は、サイトウキネンのオーケストラ・メンバーであることは間違いない。


ここは珈琲に徹底的に拘った本当に雰囲気のあるお店で、いいお店だと思います。
松本の喫茶店というとここしか自分は思いつかないです。


マスターも徹底的に珈琲に拘りのある人で、プロっぽい雰囲気があります。


店内もとてもオシャレ。


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珈琲を淹れています。


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ここのモーニングがとても安くて美味しくていいということで、ゴローさんは松本滞在中はホテルの朝食を取らずにここのモーニングで朝食を済ませていました。


自分も昔はそうでしたが、モーニングは11時までということで、今回は時間的に難しく残念ながら。


今回2泊3日の滞在でしたが、3日間、かなりの時間この珈琲美学アベに入り浸っていました。


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だから、もうここの珈琲のメニューをすべて徹底的に味わい尽くしました。
コロンビア、マンデリン、ブラジル、キリマンジャロ、モカ。


でも自分は、珈琲は普段あまり飲まないし、あまり詳しくないので、その味の違いがよくわからないんですね。(笑)


メニューには、


コロンビア(南米:甘い香りと独特のコク)
マンデリン(インドネシア:重厚な苦みが特徴)
ブラジル(南米:上品な酸味)
キリマンジャロ(タンザニア:強い酸味と上品な風味)
モカ(エチオピア:独特な香気と酸味)


と書いてあります。


マンデリンは、ちょっと違うな、ということは自分でもわかったような気がします。


今回ラッキーだったのは、本日のおすすめで、あの幻の「ゲイシャコーヒー」が飲めたことです。自分が3日間入り浸って、いろいろな珈琲を飲んでいたので、マスターが今日は本日のおすすめで「ゲイシャコーヒー」が飲めるよ、と教えてくれたのです。


ゲイシャコーヒーというのは、世界で最も高価な珈琲といわれていて、幻の珈琲ともいわれている。ふつうの珈琲店ではまず飲むことはできないし、珈琲豆店でもまず置いていない。ネットで販売されることもあるけれど、販売とともにすぐに完売になるプレミアで本当に幻の珈琲だそうである。


そのゲイシャコーヒーをその日たまたま本日のおすすめで提供してくれるというのだ。
さすが珈琲美学アベ。ちょっとそこらの普通の珈琲店ではないですね。
本格専門店です。


これがゲイシャコーヒー。


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カップ・ソーサからしてすごいゴージャス。
やはり品格が違うよ、ということなのでしょう。


珈琲があまり詳しくない自分にはちょっと猫に小判でしたが、さすが他の珈琲とは違うな、と感じたことは確かです。具体的にどう違うとかは語れませんが。(笑)


いい経験でした。


この珈琲美学アベ。徹底的に拘った珈琲専門店。


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悪魔のように黒く、
天使のように優しく
恋のように甘い
珈琲のひととき・・・



2泊3日の松本グルメ、いろいろ大変でしたが、統括したいと思っていたその目的は結構叶えられたのではないか、と思います。





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松本グルメ そのに [国内音楽鑑賞旅行]

衝撃の初日を終え(笑)、気を取り直して2日目を迎える。


今回松本に来た一番の目標は、もちろん生音復活コンサートを体験すること。
そのために松本市音楽文化ホールにやってきた。
しかしこのホールにくる目標はもうひとつあったのだ。

それはこのホールに併設されているカフェ「ちゃんとてーぶる」を体験すること。
このカフェのことだけで、日記をひとつ書こうと思っていた。

ところが残念なことに、コロナ禍に耐えられず、11/1付けで閉業してしまった。


在りし日のカフェ「ちゃんとてーぶる」。
大ホールのエントランスの横のほうに位置する。


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そしてFBの公式HPで、このカフェに来たらぜひお勧めのメニューは、


「あずみ野三澤豚と根菜のハーモニー メンチカツプレートと季節のスープ」と宣伝していた。


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じゃあ、せっかくそのメニューを頼もうと思っていたのに~。(泣)


実際行ってみたら、こんな感じに廃墟の姿。(笑)


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悲しきお姿。


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でも、じつは、このカフェ「ちゃんとてーぶる」というのは、「時代遅れの洋食屋 おきな堂」の姉妹店にあたって、それがたまたまコンサートホールのカフェとしてホールに併設されている、ということを知ったのだった。


だったら、その本家本元の「おきな堂」に行こう!ということになった。


●時代遅れの洋食屋 おきな堂


松本上土通りの菓子店「翁堂」から、昭和8年に「翁堂喫茶部」として独立。翁堂創業者・木内象次郎の長女・とし路と、その夫・安之助が初代オーナーを務める。樹齢200年の木を通し柱とする木造3階建の店舗を建築現在の建物は当時のまま。


昭和32年に安之助が逝去。長男・章皓が2代目を継ぐ社名「翁堂喫茶部」を、現在の「おきな堂」に改名。喫茶中心のメニューから、独立当初からあったカレー・ハヤシ・ポークソテーなどの洋食メニューを充実させて、路線を「喫茶店+洋食」から「洋食店+喫茶」へ、徐々にシフトしていった。平成10年にはイタリアで知り合ったシェフ・ロベルト氏の指導の下、手打ちパスタをはじめとするイタリアンメニューも導入。


平成17年より、章皓の長男・伸光が3代目を継ぎ、現在に至る。(公式HP)


まさに、松本市に昭和初期のころから活躍する老舗中の老舗の洋食屋さんといえば、このおきな堂なのだ。松本グルメといえば、どうしてもこの洋食屋さんを訪ねないといけない。


その名も「時代遅れの洋食屋 おきな堂」という呼び名がいけていますね。


時代遅れの洋食屋 おきな堂


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女鳥羽川沿いの通りにある。

1階と2階あるのだが、自分は1階を体験。


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とても昭和ノスタルジーな店内でとても素敵です。


店内には、一日中、ジャズやクラシックが流れる。「古さ」は「過去のもの」。でも、使い手の思いと使いかたによって、「今なお愛されるもの」にもなる。


いいな~この感じ。

自分は、やはりこのおきな堂の看板メニューのポークソテー定食をいただく。


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ポーク肉、コリコリと歯ごたえがあって、とてもジューシーで美味しい。これは美味しいですね。松本に来たらこの洋食屋さんというだけあって、本当に満足の味でした。


雰囲気最高のお店です。


●和食そば処 たかぎ


松本といったらそばでしょう!ということで、まさかの「こばやし」が移転してしまったことで、それじゃということで、これまた松本の名店中の名店と言われている野麦に行ってみたのだが、敢えなく時間外閉店。


ここは営業時間、本当に短いんですよね。そしていつも大行列の劇混み。なかなかありつけない超人気店でもあります。


正直困りました。松本で一番有名なグルメである”そば”を食べたいのだけれど、星の数ほどあるお店でどこがいいのかわかりません。


もう時間もないので、仕方がないので、松本城近くにあったそば屋さんにそのまま入ることに。ビルの2階にテナントして入っているおそば屋さんでした。


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信州そばを注文。


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そばは、松本の名物だけれど、自分の経験でいうと、松本のそばの麺って、なにかこう透き通っているというか、ふにゃふにゃ感があって、腰がない、それが特徴のような感じがします。


いままで食べてきた松本の蕎麦ってそんな食感が多かったですね。

でもそれはそれでひとつの味な訳で美味しいとも思うところです。

ここのお蕎麦もそういう感じでしたが、美味しかった。
とにかく土壇場で、信州そばを食べれてよかったです。


まさか信州そばを食べないで、そのまま松本グルメを語る訳にはいきませんですから。



●洋食カフェレスト GARAGE


この洋食屋レストラン・カフェは、当時の県文(長野県松本文化会館)、いまのキッセイ文化ホールのすぐ傍にある洋食カフェレスト。本当にすぐ傍にあります。


ここは、県文でサイトウキネンフェスティバル松本のオーケストラ・コンサートをやるためにサイトウキネンのメンバーがよく食事に訪れる穴場中の穴場のレストラン。


県文のそばに他に食事処もあまりないように思うので(?)、音楽祭期間中は、オケのメンバーは本当によく利用しているところだと思います。


自分も2011年に、ゴローさんの車で連れてってもらって、紹介されました。本当に狭いけれどなかなか雰囲気のある洋食屋さんで、自分はそのとき、オムライスを頼んだ記憶があります。


こんな普通の代表的な松本グルメとは違う、とっておきの松本グルメであるGARAGEを再度体験するために訪れてみました。


なかなか交通の便は難しいので、タクシーで行きました。


洋食カフェレスト GARAGE


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そうしたら、なんとこの週に限って、改装工事に伴う休業中。(笑)
仕方がないので、お店の写真だけ撮影してそのまま帰ってきました。


なんか2日目にしても、なんかこうギャグ的な展開で参りました。(笑)






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松本グルメ そのいち [国内音楽鑑賞旅行]

松本2泊3日の旅。いままでサイトウキネンの音楽祭で毎夏通っていたころに開拓してきたいわゆる松本グルメの総ざらいをしようと思っていた。


自分の場合、松本グルメは、ゴローさんから教わったものが大半なのであるが、じつはそのオリジナルの情報源は、サイトウキネンのオーケストラのメンバーからの情報だったということは、当然わかりきっていた事実であった。(笑)


ゴローさんは、サイトウキネンのメンバーのブログや直接の口コミで知って、自分で体験して、それを我々に教えてくれていたに過ぎないのだ。


だから、いわゆるネットで広く紹介されている松本の有名店とちょっと趣が違うかもしれない。


3年ぶりの松本だったけれど、結構閉店や移転になっているお店もあって、驚いた。
訪れた時系列の順番で紹介していきたい。


●メイヤウ信州大前店の4色カレー


松本に来たら、必ず寄るお店である。ここに来て、4色カレーを食べないと、松本に来た意味がないというか、それだけ自分には馴染みの深いお店である。


以前来た時に比べて、お店の面構えが、テイクアウトやってますの看板表示とか随分印象が様変わりしていた。


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でも店内は、いっさい変わっていなかった。
懐かしい~。


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信州大のすぐそばにあるので、もうお客さんは、信大生の学生のためのお店だと思う。お客さんは、いかにも学生という若い子たちばかりだった。大学のそばにある学生御用達の安いお店で腹いっぱい食えるお店というやつですね。どこの大学にもあるそういうお店ですね。


サイン色紙もいっぱい飾られている。


その中で小澤征爾さんの色紙も発見。
2005年に来店されている。


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松本に着いたら、一番最初に来たのがこのお店だったから、小澤さんの色紙を見て、あぁぁぁ~、やっぱり松本は小澤さんの街だな~と感慨深く感じてしまった。


そして念願の4色カレーを注文。


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イエロー (デリー風チキン・カレー)
レッド  (タイ風ビーフ・カレー)
グリーン (タイ風チキン・カレー)
ブラック (カシミール風ビーフ・カレー)


それぞれ単品の色のカレーを注文できるのが普通なのだが、それ以外の特別サービスとして、これらのそれぞれの色のカレーを一皿にまとめて盛り付けて食べられるという特別メニューがあるのだ。


・お好きなカリー2種類セット(2色カレー)880円
・お好きなカリー4種類セット(大皿盛り)1150円


自分が頼んでいる4色カレーというのは、このお好きなカリー4種類セット(大皿盛り)のことである。こういうサービスをやっているのは、この信州大前店だけである。松本には、もうひとつメイヤウには桐店というのがあって、そこにはこういう4色カレーというのはやっていない。単色のカレーのみである。


以前自分は、信州大前店に行くつもりが、間違って桐店のほうに行ってしまい、4色カレーが置いてなくて、ショックを受けたことがある。そのとき桐店のお店のスタッフの方に、それはたぶん信州大前店のほうです、と教えられたのだ。


ようやく念願の4色カレーを食す。


それぞれに色のカレーが各々違う風味の香辛料で、相変わらず面白い。
自分はブラックが好きかな。

ここのメイヤウはライスがちょっと特徴ですね。
日本のお米ではないですね。

とにかく松本に来たら、まずこれを食べないと。
ミッション・コンプリートできてよかったです。



●居酒屋ゴロー


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松本に来たら、信州そば処「こばやし」で信州そばをいただき、その向かいに居酒屋ゴローがあることをメンション。


「こばやし」に「ゴロー」で遊ぶというのが、毎度おなじみのツィート儀式。


今回はそのおなじみのツィートをやったら、ちなみに、「今宵は居酒屋ゴローで一杯やってます。(笑)」という新作ネタをやろうと思っていたのだ。


だから今回は居酒屋ゴローの中に潜入することが新たな開拓であった。

それをやろうと行ったら、

なんと!信州そば処「こばやし」がない!


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駐車場になってしまっている。
えっえっえっ!

でも向かいに居酒屋ゴローはきちんとある。
えっ・・・ていうことは閉店か、移転?


慌ててネットで調べたら、信州そば処「こばやし」は、火事を起こし、移転したらしい。移転先の新しい店舗は、以前のような伝統のあるお店の趣もなく、品数のメニューも減ってガッカリとか、かなり口コミがよくない。


大ショック。


信州そば処「こばやし」は、松本きっての名店中の名店で、一番歴史の古い老舗だったので、これはショックだった。松本には星の数ほどそば屋さんはあるけれど、自分はいつもこの「こばやし」で信州そばを食していた。


新しい「こばやし」の店舗に行ってみようか、とも思ったけれど、結構遠い感じで、地理感もないのでやめておいた。


結局、居酒屋ゴローで一杯やるしかない、という選択肢となった。


居酒屋ゴローは、17時開店である。それまで、松本の縄手通りとか、中町通りとか散策して、喫茶店で時間をつぶして、17時頃に居酒屋ゴローに到着。


札が準備中になっていたが、扉を開けたら、「入っていい?やってる?」と聞いたら、オヤジさんが「う~ん、まだ準備下ごしらえが・・・たぶん18時頃かな?」と言ったので、じゃあ、そのときにまた出直します、ということになった。


どうしようかな、と思い、その通りの蕎麦屋さんの前のベンチでかけて待っていることにした。1時間くらいだったら、スマホを見ながらなんとか過ごせるだろう?寒いけど。


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なんかこの通りはこのとき真っ暗で人気もなくて本当に寂しかった。
すごい心細かった。
なんか松本錆びているなぁとも思ってしまった。(笑)
コロナ禍で飲み屋さん通りもやっていないお店が多いのかな、とも思った。


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夜17時から18時までの間である。
そのとき、やることもないので自分はつぶやきの嵐を吹かせた。
御承知の通りである。


そうしたら、18時半くらいかな?座っているベンチの前の中華屋さんのお店が電気がついて、ようやく人気が出てきた。そしてどこともなく飲兵衛たちがやってきて、ちょっと賑やかになってきた。中にはタクシーで駆けつける常連さんたちもいた。


このお店人気あるんだな、と思った。


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とにかくようやく飲み屋通りの活気が出てきた感じで、明るくなり、ホッとした。


居酒屋ゴローは、18時を過ぎているのに、まだ電気がつかない。


居酒屋ゴローなんて、こんな松本の目立たない片隅の通りにある居酒屋だから、ここを体験できるのは本当にレアな体験だろう、と思った。どんな有名な飲兵衛さんも、まさかこんな松本の小さな居酒屋さんには入ったことがないだろう、と思い自分はちょっと誉に感じた。これはレポし甲斐のあるお店だとちょっと自慢だった。


この松本の居酒屋ゴローは、料理メニューは多岐にわたる。お魚がメインというわけでもなく肉もあるし、炒め物、揚げ物などなんでもある居酒屋さんなのである。こういう居酒屋さんにしては、料理のクオリティがどれも高い。


アットホームな雰囲気と、美味しい料理という口コミであった。


店内を覗いたところ、オヤジさんと奥さんの2人で賄っている個人経営の居酒屋さんのようだ。


松本の名物料理に「山賊焼き」と言うのがある。
ご存じですか?

山賊焼きは長野の郷土料理なんです。
骨付きの唐揚げみたいな感じ。
甘辛煮タレがしっかりついてて、カラッと揚がっている感じ。


この居酒屋ゴローでは、山賊焼きが看板メニューらしく、ゴロー山賊焼きは、ここに来たらぜひ食さないといけない!とある。どこのお店でこの山賊焼きを経験するか、悩んでいたのだが、こりゃここの居酒屋ゴローで決まり!という感じで嬉しくなった。


ついでに刺し盛りもたくさん食べたい。


口コミによると、


刺身盛り合わせ。すごい豪華。普通の居酒屋さんの刺身盛り合わせをイメージしてはいけない。そしてなんだこのしめ鯖は。しめ具合なのか鯖自体なのかわかりませんが相当美味しい。他に赤身、大トロ、生ダコ、クジラ、イカがありましたがどれも抜群に美味しい。海なし県おそるべし。さらにブリのカマ焼き。。。でかい。そして脂がのっていてめちゃくちゃ美味い!!カマ焼き自体を食べたことはあるが、ここまで大きくて美味しいブリカマは初めて。東京で食べるとしたらいくらするんだろう?


う~む・・・ますます期待が膨らむばかり。


とにかくなんでもありの料理が美味しいアットホームな居酒屋さんみたいだ。


自分は、店内で一杯やるとき、オヤジさんに、このお店に入りたくて、東京からわざわざやってきたんですよ!と言って、称賛の言葉をかけたかった。


そのつもりだった。


19時頃になって、ようやく店に電気がついた。


夜の居酒屋ゴロー。


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電気はついているけれど、まだ札は準備中のまま。


もう2時間も真っ暗の寒い外で待っていたので、我慢できず、またガラっと扉を開けて、もうやっています?と催促した。


するとオヤジさんは、「あ~う~ん、まっいいですよ。」


そうして、「ありがとうございます。」と言って入ろうとしたら、「ところで松本の人?」と聞いてきたので、「いや東京から来ました。」と言ったら、オヤジさん「ありゃ~ごめんね~。悪く思わないでね。本当にごめん。」と言って外の扉を指さす。


自分は最初その意味をよくわからなかったけれど、扉には、「新型コロナ対策推進宣言の店」というシールが・・・。


あっひょっとしたら県外の人入店お断り???
田舎にとったら、東京って言ったら、感染多いと思われているだろうからね。


こんなオチが待っているとは思ってもみませんでした。(笑)
もうドキドキ、心臓がバクバクしながらスゴスゴとホテルに帰りました。


お店やオヤジさんは全然悪くないし、当然といえば当然だと思います。
コロナがなくなったら、改めて訪れさせてもらいますよ!


この日の夜は、ホテルに帰って、部屋でペットボトルの水とパンで晩餐会となりました。


初日から松本グルメは波乱の幕開けとなりました。(笑)


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国宝・松本城 [国内音楽鑑賞旅行]

松本城は、サイトウキネンで松本に行くたびに、訪問していてお馴染みの観光スポットであるのだが、きちんと日記にしたことはなかった。"なんちゃって城マニア"としては、やはりここも自分の城コレクションとして日記にして熱く語る必要があると思い、今回3回目の訪問にて、ようやく取材敢行である。


絶好の城日和の快晴だった。


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松本城天守。


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松本城の天守閣を撮影するには、このアングルが1番最高の構図であろう。
手前の赤の埋橋が映える感じでいいですね。


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松本城は、江戸の徳川家康を監視するという目的で戦国末期に築城された。江戸の家康を監視する城として、甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網のひとつの城といわれているのだ。


豊臣秀吉の家臣、石川数正・康長父子によって創建された。


天下人の天守は、五重の天守と言われるが、この松本城は天下人のお城ではないけれど、五重六階の天守閣なのだ。現存する天守12城のうち五重六階の天守としては、日本最古の天守といわれている。


現在天守の建物を残す城は12しかない。そのうち五重の天守は松本城と姫路城と名古屋城だけである。五重天守の実物をみることができるのは、この3城だけである。


松本城は平地に築かれた平城である。
黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観である。


これらの天守群は、昭和4年(1929)に制定された「国宝保存法」により、昭和11年(1936)4月20日国宝に指定され、さらに戦後昭和25年(1950)に制定された「文化財保護法」により昭和27年3月29日再び天守五棟が国宝に指定された。


本当に美しいお城である。


城の天守閣は、どうしても戦争で被災したりして、再建されたものが多いが、この松本城は戦国末期に創建されて以来、そのまま残っているまさに最も古いお城ともいえる。


いつもはこの天守閣を見てお終いなのだけれど、今回はきちんと日記にしたいと思っていたので、本丸御殿、二の丸御殿のほうにも行ってみたかった。


ここは入場料を払うことが必要である。


黒門


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本丸へ入る重要な入り口。


この門を入るとかつては本丸御殿があった。本丸御殿に通じる格調高い正式な門という意味で、当時の最高の色調である黒の名を冠して「黒門」と呼んだと考えられている。


こちらが今回初体験である本丸御殿跡、二の丸御殿跡からみた天守閣である。
この時間帯、逆光で見づらくてスミマセン。
手前に広がっているのが、本丸御殿や二の丸御殿があったところである。


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ここには松本城売店があります。
どこのお城にも必ずありますね。
ここでしか販売していないオリジナルグッズも数多く用意されている。


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隣は、松本城管理事務所。


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今回は松本城天守閣の中にも入ってみようと思った。
入場券を購入した時点で、この天守閣の中にも入れる権利が含まれているのだ。


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天守閣の中は、天守一階から三階までは柱の数が多く、四階から上は柱の数も減ってやや広い空間が設けられている。下層は骨組みがしっかり造られている。


天守一階は、とにかくこんな感じで、柱が乱立していて、まさに土台をしっかりこの支柱でがっちり支えようという意味合いが多いと思われる。


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松本城のオリジナルの鯱(シャチホコ)


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松本城天守閣の中は、多くの支柱があるが、所縁のある当時のものがウィンドウケースの中に展示されている感じになっている。なかでも鉄砲に関する展示は多かった。大半が鉄砲だったような気がする。


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長篠の合戦。


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まさにこれからの戦は鉄砲が主力になる、ということを世に知らしめた革命的な戦であった。織田・徳川連合軍が、当時の史上最強の騎馬軍団といわれた武田勝頼軍を、鉄砲でこっぱみじんに退けた戦い。ものの数十分でかたがついたといわれている。


当時の鉄砲は、発火して発射するまで時間がかかったので、その欠点を克服するために、鉄砲兵士を3列に構えさせ、その時間のロスをなくし、連射できるようにした。織田信長という男は本当に戦国時代の革命児だ!



天守閣の各階に上っていくには、このような超急峻な階段を昇っていく必要がある。


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この写真に偶然写っている階段は、まだ全然緩やかなほう。
実際はもっと狭くて、思いっきり急峻である。


さすがにこれには自分は閉口した。
とにかく超怖い。
昇っていくのも怖いが、下っていくときはさらに怖い。


ここで足を滑らせて、階段を転げ落ちて骨折でもしたら、大変なことになると思い、もう手すりをしっかり両手でつかみながら、体横身にしながら、1歩づつ両足でかみしめながら降りて行った。


生きた心地はしなかった。
本当に超怖いです。

早く地上の出口にでないかな、とそればかり考えていた。
地上の出口に出るまで、ずいぶん長く感じられたことは確かである。


階段はこのように超危険なので、階段のところで写真撮影することは絶対禁止されている。


これを体験して思ったこと。この松本城天守で普段住んで過ごしている昔の武将たちは、急にトイレをもよおしたくなったとき、この超急峻な階段を下りていくのは、さぞかし大変だったのでは、と思ったことだ。(笑)


天守閣の最上階は、こんな感じである。


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最上階から降りていくと、ちょっと見晴らしのいい階に遭遇。
ここから外が眺められる仕組みになっていた。


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ふぅぅぅ~。やっと地上の出口に無事降りることができた。
生きた心地がしなかった。


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地上に降りたら、この松本城の創健武者である石川数正に扮した武将姿の方がいらした。いっしょに写真撮影してくれるサービスである。無料サービスでやっていた。こうやって、写真を撮りたい人に向かって、ポーズを決めてサービスしてくれる。


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石井数正というのはどういう武将であったのか?

徳川家康の家臣であったのだが、途中で豊臣秀吉方に寝返った武将なのである。
徳川家康から去った唯一の男で、豊臣秀吉の家臣に転職した男なのである。


ここでネット記事を一部抜粋して、その寝返ったミステリーをご紹介して、終わりとしよう。

戦国武将・石川数正とは?徳川家康から去った唯一の男、豊臣秀吉の家臣に転職する
By Dyson 尚子



戦国時代、徳川家康には多くの家臣がいた。


家康が織田信長や豊臣秀吉と決定的に異なるのは、自ら滅ぼした一族の遺臣をも召し抱えていたコト。家臣に対しても公平な扱いを心がけ、徳川家臣団の中でもとりわけ三河家臣団は結束が高いといわれている。


しかし、ただ一人。
そんな徳川家臣団から出奔(しゅっぽん)した者がいる。

それが、石川数正(いしかわかずまさ)。


西三河の家老まで昇りつめ、家康の信任が厚かったにもかかわらず、なんと豊臣秀吉の元へと去っていくのである。石井数正は、交渉術に長け、多くの場面で使者として折衝を行い、活躍した。だが、それが、皮肉にも豊臣秀吉との出会いに繋がるのであった。


豊臣秀吉には困った癖がある。


女性関係ではない。男性に対してである。ぶっちゃければ、他家の重臣に対して、「お誘い」してしまうのだ。いわゆる、引き抜き、ヘッドハンティングである。


秀吉は、これまで多くの戦いに参戦してきた。そこでは、必然的に様々な戦国武将と対峙することになる。敵側としての場合もあれば、味方となる場合も。どちらにせよ、戦場での勇猛果敢な戦いぶりを目にして、我慢できなくなるのだろう。「是非とも、うちに(豊臣方)」と、つい触手が伸びるといった感じか。


そのスカウト歴は、まあまあなものである。やはり徳川家の家臣は別格なのか。今回の石川数正だけでなく、本多忠勝(ほんだただかつ)にも声をかけている始末。


他家に対しても節操がない。伊達政宗の重臣、片倉景綱から、上杉家を支えた直江兼続(なおえかねつぐ)。他にも、小早川隆景や立花宗茂など、錚々たるメンバーだ。数え出したらキリがない。


また、すぐに様々なプレゼント攻勢をかけるところも、秀吉らしい。ある種、成金的な匂いがしなくもないが。派手好きで人間的な魅力に溢れた秀吉だから、できることなのかもしれない。


問題は、石川数正へのスカウトはいつから行われたのかというコト。最初の出会いは、豊臣秀吉が亡き信長のポストをかけて、柴田勝家と争った「賤ケ岳(しずがたけ)の戦い」の戦勝祝いの場。天正11(1583)年のことである。徳川家康が使者として遣わしたのが、石川数正であった。


一説には、この頃から秀吉の引き抜き工作が始まっていたとも。ただ、真偽は不明である。その翌年、天正12(1584)年に、徳川家康と豊臣秀吉は「小牧・長久手の戦い」で対峙。勝敗がつく前に、家康との連合軍であった織田信雄(おだのぶかつ、信長の次男)が秀吉と講和を結ぶ。こうして、小牧・長久手の戦いは、不完全燃焼で幕を閉じる。家康と秀吉が、互いの力を認め合った戦いでもあった。


この戦後の交渉役についたのも、当然のことながら外交担当の石川数正である。


そして、講和の翌年。
天正13(1585)年11月、突然、石川数正は徳川家康の元から出奔。

向かった先は、あの「豊臣秀吉」だったのである。


突然の出奔…理由不明の謎


確かに、複数の憶測が飛び交うだけで、確定的な事実はない。だからこそ、作家は料理し放題。格好のネタになるのだろう。


ここでは、大きく2つの説がある。


1つは、徳川家康と豊臣秀吉の板挟みに疲弊した末での出奔という説。つまり、額面通りに受け取って、数正が家康を裏切って豊臣方に走ったという説。


もう1つの説は、徳川家康の命を受けて、もしくは同意の下、あえて豊臣秀吉側の家臣となったという説。つまり、数正は家康を裏切っていないという筋書きである。出奔という名目で、数正を「スパイ」として潜り込ませる中途半端な戦略は、秀吉には通用しない。となれば、取る手段は1つ。思いきって徳川家康と縁を切り、豊臣秀吉の直臣となる。そして、秀吉側から家康をサポートするという方法だ。


石川数正の寝返りは、いまもって謎なんですね。


そんな家康を寝返った武将が、家康監視のための松本城を築城するところまでやるか、という話になると、自分はう~んと唸るばかりである。


いずれにせよ、松本城築城の武将、石川数正は、そういう武将だったんですね。


国宝・松本城、こんなお城でした。
3回目の訪問にて、きちんと日記にすることができました。
自分のお城コレクションに加えたいと思います。


もしコロナ第3波がなければ、先週の4連休に姫路城に行く予定でした。
日本で初めて世界遺産に登録された日本一美しい城。別名白鷺城。

本当に真っ白の外観の美しいお城です。日本のお城の中で一番美しいですね。
ここは長年の想いがあってぜひ行きたかったですねぇ。


また暖かい季節になったら、出直して再チャレンジしたいです。






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スティングが歌うダウランド歌曲 [国内音楽鑑賞旅行]

松本市音楽文化ホールでのコンサートで、イギリスのジョン・ダウランドの歌曲が演奏された。


続くブリテンもイギリスの作曲家で、「ラクリメ:ダウランドの歌曲の投影 Op.48」という曲が演奏され、「ジョン・ダウランドの歌曲」という繋がりで、しっかりとコンセプトが決まっていて、そういう狙いがあったんだな、と後日プログラムを見ながら、そう回顧した。


自分の場合、コンサートに行くときは、あまり予習はしないし、プログラムも開演前に、さっと眺めるくらいなので、そこにしっかりと埋め込まれている深い想いというのを、そのときに、なかなか汲み取れなかったりして申し訳ないと思う。


そのコンセプト、想いというのを、こうやって日記を書くにあたって、いろいろ調べてみて初めて、気づく・・・そういうものなのかもしれない。


ジョン・ダウランドの歌曲は、スティングも取り上げて歌っているということで、自分はびっくりしてしまい、あとで調べようと思った。


これですね。


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Songs From The Labyrinth
Sting



ジョン・ダウランドという作曲家の歌曲を聴いたこともなかったので、スティングがこの作曲家の歌曲を取り上げているということも知らなかったのであるが、HMVの紹介文を読んでみると、


「もともとユニバーサルでアルバムを制作していたスティングであったが、ここでは敢えて同じユニバーサルに属する世界最大のクラシック・ブランドである「ドイツ・グラモフォン」からアルバムをリリースすることで、クラシック・ファンにも自らの音楽を訴求していこうということなのであろう。」


この箇所を読んで、自分ははっきりとこのことを覚えていた。


そうである。


自分の記憶によれば、確かにスティングは、クラシックに挑戦!ということで、DGからアルバムをリリースした、ということがあった。2000年半ば。(正確には2006年)


そのとき、自分は、スティングもアーティストとしての自分のキャリアを広げるべく頑張っているな~という親心でそのニュースに接していた。


たぶん間違いなくそのときの話だったんだろうと思う。
それがまさかジョン・ダウランドの歌曲だったとは、そのときは夢にも思わなかった。
そしてそれから十数年後に、その事実を知ろうとは思ってもみなかった。

数奇な運命である。


自分はその当時、そのCDを買わなくて、そのまま素通りしてしまっていたのである。

いまこうやって改めて聴くなんて、なんか感慨深い。


その前に、ジョン・ダウランドという作曲家について、ちょっと解説を試みる。


ジョン・ダウランドは、17世紀イギリスで活躍した王室リュート奏者。作曲も手がけ、人間の愛や悲しみを歌ったリュート歌曲は80曲以上が残されている。


イギリスのエリザベス朝後期およびそれに続く時代に活動した作曲家・リュート奏者である。デンマーク王クリスチャン4世の宮廷リュート奏者や、イングランド王ジェームズ1世およびチャールズ1世の宮廷リュート奏者を務めた。エリザベス朝前後に流行したメランコリア(憂鬱)の芸術の巨匠とされ、特に代表作であるリュート歌曲「流れよ、わが涙」とその器楽曲版「涙のパヴァーヌ」は当時の欧州で群を抜いて最も高名な楽曲として、東欧を除く全ヨーロッパで広く演奏された。


リュートという楽器は、ギターの先祖のような楽器である。


自分は、リュートという楽器は、大昔に、初めてワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を観たときに、ベックメッサーがリュートを弾く場面を見て、リュートという楽器の存在を知ったのである。


いまのクラシックギターより、ひとまわりも小さく、音色も古楽器然としている。


ダウランドという作曲家は、サイン、自署するときは、「涙のジョン・ダウランド」(Jo: dolandi de Lachrimae)と書き、その実際の性格については、自称および作風通り陰気な人間であったとする説と、その逆に陽気な人間であったとする説があるみたいである。


「作風通り陰気」という記述があるが、これはあとで述べるが、確かにじつに渋い作風ではある。(笑)


スティングはダウランドについて、「私にとってそれらは17世紀のポピュラー・ソングであり、自分にも関係があることなのです。それらは美しいメロディーと幻想的な歌詞、そして素晴らしい音楽を持っています。私は常にダウランドの音楽を尊敬してきました」


と述べ、


「実は彼はシンガー・ソングライターの先駆けで、だから我々の多くが生活できるのは彼のおかげでもあるのです」とも語っている。


スティングはそんなダウランドへの単に音楽だけでない尊敬・共感の気持ちをあらわすためか、このアルバムで、楽曲解説の執筆に加え、ダウランドが国務大臣へ宛てた手紙の朗読までおこなっている。


曲の合間に、スティングによるダウランドの手紙の朗読があるのだ。
1節ごとに語り終わったら、手紙の送り主の「ジョン・ダウランド」で閉めるのが渋いのである。


そのライナーノーツを読んでみると、スティングがどうやってジョン・ダウランドという作曲家・リュート奏者を知って傾倒していったか、が刻銘に書かれている。


以下、スティングの記述。(ダウランドを知り始めたきっかけの部分を要約して抜粋。)


************


20年以上にわたって、私はジョン・ダウランドの歌曲に徐々にとりつかれていった。1982年に私は、アムネスティー・インターナショナルのためのバライティー・ショーの一環として、コヴェント・ガーデンのドルリー・レイン劇場に出演していた。自分の歌を1曲ソロで歌ったあと、俳優のジョン・バード氏がわざわざ来てほめてくださり、ジョン・ダウランドの歌曲を聴いたことがあるかと尋ねられた。


私はその名前は知っていたし、漠然とではあるけれど、ダウランドがエリザベス朝からジェイムス朝にかけて活動した作曲家だったということは知っていたものの、そのほかのことはほとんど知らないということは認めざるを得なかった。


バード氏の言葉に感謝し、その話にすっかり興味をそそられた私は、翌日、ジュリアン・ブリームのリュート伴奏でピーター・ビアーズが歌っているダウランドの歌曲集を捜し出した。


その音楽のもの悲しい美しさはよくわかったものの、ロック・シンガーを目指している私のレパートリーの中に一体どのようにそれを取り入れることができるのかは、まったくわからなかった。



●ダウランドと貴重な贈り物


私の友人で名高いコンサート・ピアニストのカティア・ラベックが、ダウランドの歌曲は、どうも正規の音楽教育を受けていない私のテノールの声に合っているかもしれないと示唆してくれたのは、それから10年以上経ってからであった。


再び興味をそそられた私は、ちょっとしたお世辞とは思わず、戯れにしかすぎなかったが、ダウランドの歌曲を3曲、彼女の指導のもとに学んだのである。挑戦したのは、「来たれ、重い眠り」、「ご婦人用の見事な細工物」、「あのひとは言い訳できるのか」の3曲で、2回にわたる非公式の音楽の夕べで、美しく異国情緒にあふれたカティアのフォルテピアノの伴奏で披露した。


そのとき、私はイングランドの作曲家たちの中でも最も不思議なこの作曲家について、少しだけわかった。つまりダウランドが、とくにヨーロッパの大陸では、当時の最も完璧なリュート奏者のひとりとみなされ、その名声は「イギリスのオルフェウス」として知られるほどのものであったということをである。その国際的な名声にもかかわらず、ダウランドは、一番望んでいた地位、すなわち女王エリザベス1世の宮廷音楽家という地位を確保することに失敗してしまったのだ。


数年前に、ダウランドへの興味を再び燃え上がらせてくれたのは、友人で長年の仲間であるギタリスト、ドミニク・ミラーであった。うれしいことにミラーは、私へのプレゼントとして9コースのリュートの制作を頼んでくれた。


・・・(以下中略)


リュートはアラブのウードの仲間で、モダンギターの奏者にとって比較的よく知っているように感じてしまうほどギターとよく似ているのだが、調弦や、シナプスを再構築するほどの難問をつきつけられているような指使いはギターとはまったく違うものである。


ゆっくりと、また確実に、私はこの古の楽器の迷宮のような複雑さと、慰めをもたらすその音楽に引き込まれ始めたのであった。


***********


こんな感じである。


スティングが最初にダウランドを知ったのは、1982年ということだから、ポリス4作目のGHOST IN THE MASCHINEのときですね。


バリバリのロックミュージシャンのときですね。(笑)


ダウランド歌曲とスティングの声質があう、と推薦されていても、ダウランド歌曲とロックでは、確かに、まったく異質で、自分のアルバムやコンサートのレパートリーにどのように組み込めばいいか、わからなかった、というのはよく理解できる。


両者はまったく異質な音楽で、溶け合うこともなく、それはスティングがロック・ミュージシャンであるうちは、公で歌うことは難しいというのは、必然のことなんだと思いました。


アルバムリリースが2006年だから、まさにダウランドを知って24年目の歳月。


スティングの中でどのようにダウランド歌曲に傾倒していき、ついには自分のアルバムとして、ダウランド歌曲のアルバムをリリースしていくかは、このライナーノーツに8ページにわたって、びっしりと熱筆が書かれている。


相当読み応えありますよ。


アルバムに収録された楽曲のうち、声楽作品は11曲で、ボスニア出身のエディン・カラマーゾフの爪弾くリュート伴奏に乗って、スティングが気持ちのこもった歌を聴かせている。


ダウランド歌曲は、まさに渋いです。
暗い憂鬱な感じで、最初聴いたときは、こりゃ渋いな~(笑)と思わず苦笑い。


確かにスティングのあのハスキーでセクシーな声質に合っているとは思うけれど、これを歌曲の作品として理解するには、やはりダウランドに対する理解と傾倒がないとなかなか難しいかなと感じたことは事実。


スティングの歌唱法はあのいつものふだん通りの歌い方で、その飾らない自然な歌い方がとてもいい。彼の物憂げな歌と郷愁感漂う曲調が見事にマッチし、上質のヴォーカル・アルバムといった雰囲気に仕上がっているが、やはりダウランド歌曲に対する理解と、習熟がないとなかなか難しい音楽のように感じるかもしれない。


自分は渋いな~というのが第一印象であった。


何回も聴き込んでいくと、そこには、なにかイングランド音楽固有の美しさがあるような感覚はしてきた。英国に根ざしている昔からある懐かしい旋律のような・・・そんな雰囲気はわかるような気がした。


自分勝手な理解ではあるけれど。。


でもダウランド歌曲はいろいろな人が歌ったり、リュートで演奏してたりするけれど、ロック・スターであるスティングが歌ったことで、その話題性で一躍有名になったのかもしれませんね。


スティング・ファンとして、こういう一面の彼を聴けたことも、とても貴重な体験でした。


自分のお宝盤として重宝しておきます。

   
 





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川本嘉子&吉野直子 デュオ・リサイタル [国内音楽鑑賞旅行]

世界中の誰もが予想だにしなかった新型コロナウィルスのパンデミックに見舞われて散々だった2020年。


クラシック音楽業界にも暗い影を落とした。
コンサートができなくなってしまった。


行きたいなーと思えば、すぐに公演カレンダーを見れば、必ずどこかでコンサートをやっている。そしてコンサートホールにコンサートをいつでも聴きに行くことができる。そんな当たり前だった日常が失われ、まさに暗黒の時期に突入した。


ましてや、演奏家の方にとっては、収入が失われることになり、我々以上に大変だったことはお察し申し上げる。


自分も今年の2月以来、生音のコンサートはご無沙汰であった。世界と比べ、軽症の日本は、比較的順調にソーシャルディスタンスなどのコロナ対策を施し、公演を再開することができていた。


そのとき、自分にとって生音への復活公演の最初の公演をどうするか、はひとつ自分なりの御祓としたいという考えがあった。別にそんなにもったいぶらずに、再開を始めているコンサートから順次参加していけば、もっと早く生音復帰できていたのだろう。


でも自分は、この最初の一発目の御祓のコンサートを重要視し、ひとつのセレモニーのように祝って、自分の気持ちに踏ん切りをつけたかった。


生音復活の御祓のコンサートさえ済んでしまえば、あとは好きなときに、好きな公演を、自由に行けるそういう日常のサイクルを復活させていく。そういう流れにしたかった。


その御祓のコンサートをどの公演にするかは、これはとても大切なことで、重要な決断が必要になる。なかなか決まらず、それでダラダラと日が経過し、周りではどんどんコンサート再開され、みんな生音復活されている。結構焦ってきた。


そんな中でこれだ!!!と出会えたのが、この公演だった。


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松本市音楽文化ホール(松本ハーモニーホール)は、かねてから自分の大のお気に入りのホールのひとつで、ぜひもう一度体験してみたいとずっと思っていた。


そしてこのホールには、カフェ「ちゃんとてーぶる」というホールに併設されているカフェがあり、そこを訪れて、このカフェのことだけで日記を書いてみたいとずっと思っていたのだ。


そう思ったのは、2017年あたりだろうか。


でもその当時、自分にはマーラーフェスト2020に行くという大目標があり、予算確保に懸命な毎日であった。松本に行くだけで、そして宿泊が入るだけで、結構な予算がかかる。だからマーラーフェスト2020以降に、プライオリティを回して実行する予定だったのだ。


カフェ「ちゃんとてーぶる」に向かって、「待っててくれよー!」と毎日呼びかけていた。ところが、このコロナ禍の影響をもろに食らって、2020/11/1付けで、そのカフェは閉業してしまった。


あちゃー、大ショック。


そりゃそうかもしれん、ホール併設のカフェは、コンサートあっての商売。コンサートのお客さんが対象のビジネス。それがないんだから維持できないのも当たり前であろう。


そんな想いもあって、松本市音楽文化ホールは、ぜひもう一回訪れてみたいと思っていたホールだったのだ。



川本嘉子&吉野直子 デュオ・リサイタル。


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もう申し分ないであろう!
完璧である。
もうなにをかいわんやである。


自分が追い求めていた御祓のコンサートとして、これ以上ない最適な公演だと思った。今年は、コロナ禍で、毎年夏に松本で開催されるセイジ・オザワ松本フェスティバルが中止になった。川本さんも吉野さんも、当然フェスティバルに参加予定だったので、今年は残念だったが、今回のこのデュオ・リサイタルが、今年開催される予定だったセイジ・オザワ松本フェスティバルのリベンジ公演になります、という再チャレンジの意向。


これはもう当然自分の心の琴線に触れたことは言うまでもない。


すぐに感動して涙腺が緩んでしまう自分には、こういう話にはめっぽう弱い。


やはり松本市は、小澤征爾さん、ゴローさん、そしてサイトウ・キネン・オーケストラの街なのである。いまの自分がある、まさに原点の街なのだ。


毎年夏、サイトウキネンフェスティバル松本に通い詰めていた自分。
そして水戸芸術館に水戸室定期を聴きに入っていた自分。


本当に最近は不義理でご無沙汰していたけれど、ひさしぶりに小澤さんの世界の原点に戻って、コロナ禍後の最初の生音復活コンサートとして、この松本で自分の原点を確かめ再出発しようと思ったのである。


もう即決であった。



松本市音楽文化ホール。


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松本から2駅の島内という街にある。自然豊かで閑静な住宅街の中に佇む本当に美しいホールである。自分のホール・コレクションの中でも、大のお気に入りのホールなのである。


自分が想っているところでは、けっして商業ベースのホールではないな、と思うところ。小澤さんの松本音楽祭をメインに、良質なコンサートを年間に数本、クオリティ重視のホールのように見えてしまう。


細々とやっている・・・なんかこんな感じの微笑ましさがあって、自分は大好きなのである。


ホールの管理・維持費は膨大なはず。採算取れているのかな~とかいつも心配している。(笑)ましてや、今年のコロナ禍は大変な損失額。本当に心配しています。


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このホールは、とにかく最初の出会いのときに、その音響の素晴らしさに、びっくりして、ひと聴き惚れ、というか、ひと目惚れしたホールであった。


石造りの吸音ゼロ、反射オンリーのヨーロッパの教会のような音響がします。もちろん厳密にホール音響設計されているだろうから、吸音ゼロ、反射オンリーということはないだろうけれど、それだけ残響感豊かなホールである、という意味である。


広大な音場、明晰な音像の両立。
硬質な音質で、音の芯がしっかりと太いこと。
どちらかというと、寒色系でソリッドな響きといえるかもしれない。
そして音の抜け感がいい、広大なる空間感の素晴らしさ。(天井が高い!)


石造りの壁なので、吸音ゼロ、反射オンリーの反射音でホール内が混濁する可能性があり、音像がその響きの中に埋もれてしまう危険性があると思うのだが、それが不思議にそうはならないところが見事な音響設計だと思う。


実音(直接音)と響き(反射音)は、分離して聴こえる。


このふたつが分離して聴こえると(実音が最初に聴こえて、響きがその後に続く聴こえ方)、そのホールの空間感がよりリアルで(より広い空間で聴いているような感覚がする。)、立体感が増すというか、より立体的に聴こえますね。


そうなる要因はホール容積が大きいことに起因します。
でも実際はそんなに広くもないです。(笑)
だからフシギ・・・


直接音の伝搬距離と、反射音の伝搬距離を微妙にそのような遅れ具合のタイミングで聴衆席に届けるような精密な音響設計がされているのでしょう。直接音に対して、どのくらいの遅れのタイミングで反射音が到達するかで、人間の耳が感じる気持ちよさが変わってきます。


また反射音が耳に入ってくる角度でも耳で感じる音の広がり方など結構大きな違いが出ます。そのようにホール形状の設計もされているのでしょう。壁の角錘状の音響拡散デザインにしてもしかり。


両壁、ステージ後背面の形状は、角錘状にデザインされ、反射音の客席への万遍ない拡散が施されているような工夫がされています。


とにかく堪らん音響なのである。


このホールが自分の大のお気に入りのホールなのは、そんな音響上の魅力があるからです。




さて、いよいよ今年の2月以来、じつに9か月振りの生音復活。


ホールの響き、ホール感、ダイナミックレンジ、そして器の大きさ・・・もうやはり生音は凄いとしかいいようがなかった。空間容積の大きい、音が反射することが前提で設計されているコンサートホールで音を聴くときのこの自分の体全身にいたる四方から響きに囲まれるこの感覚は、やはり家のオーディオでは無理な感覚であろう。


スケール感が全然違う。

やはり別次元の世界に驚愕した。


ふつうにコンサートに行けていたときは、そんなにコンサートホール、オーディオと違いを意識して差別化したことはなかったが、これだけ片方が長期間ご無沙汰になると、本当に懐かしい感覚だった。


そうだよ、これだよ、これ!という感じ。


でもこのダイナミックレンジの体感の違いは、ある程度、自分の中では想定内のことであった。たぶんそうなんじゃないかな、と想像がついたところでもあるので、やっぱりその通り・・・という感じで、格段驚きもしなかった。


すべて想定内なのである。



それよりも自分が驚いたのは、そうだったのか、と再認識させられたことは、生演奏には、ステージの奏者と聴衆との間に、呼吸することさえはばかれる、息をのむような、はりつめた空気、緊張感が存在することである。


つまり奏者~聴衆との間の一種の真剣勝負、密なコミュニケーションが存在することだ。


そしてそのホール空間の中で、奏者、聴衆全体で「共有の感覚」を持っていることである。


これは生演奏ならではの最大のポイントではないだろうか?


ステージの奏者と聴衆との間でこういう「共有の感覚」をお互い持っているからこそ、奏者は訴求する相手を特定することができるし、そこに向かって全力投球できるのであろう。そして聴衆は、その発信されるエネルギーを奏者からダイレクトに受けている感覚になり、感動がひときわ大きくなるのだろうと思った。


もちろんその共有の空間に、いっしょにいる他の聴衆も同タイミングで感動するから、さらにその共時性で感動は膨れ上がるのだろう、と思う。


ライブストリーミングで、TVやPCの画面上から、リスナーは、この奏者~聴衆との間のコミュニケーション、共有の感覚を感じ取ることができるであろうか?


ライブストリーミングにすると、その繋がりが遮断されてしまうのではないだろうか?


自分は、このデュオ・リサイタルを生音で聴いているときに、まず大きな衝撃を感じたのはそこである。9か月も生音、ご無沙汰であったからこそ、ひさしぶりに聴いてわかったこと、という感じであろうか・・・。


TVやPCの画面を通してコンサートを視聴しているときは、この奏者~聴衆との密なコミュニケーションが、完全に遮断されてしまっているのではないだろうか?


ライブストリーミングであると、奏者にとっても訴求する相手がいない訳だから、そこにエネルギーをぶつけるべき場所が見つからず、どうしても精神的に集中度合い、真剣さを作り出すことができず、散漫的な精神状態になってしまうのではないだろうか?


この事実を突き付けられたとき、自分はかなりショックだった。


ライブストリーミングは、もちろん高画質・高音質の方向性に進むのは既定路線だが、それだけでは解決できないいまのライブストリーミングに足りない部分はそこなんではないかな、と思うようになったのだ。


ショックだったが、自分はすぐに頭の切り替えをした。



技術は、必ず追いつきますね。
数年後、数十年かかろうが、過去の歴史がそれを証明しています。


つねに技術やエンジニアの立ち位置って、後から追っかける、そういう立ち位置。


恋と同じです。2人の間に立ちはだかる障壁が高ければ高いほど、冷たくあしらわれる程、熱く激しく燃えますね。そういう人種だと思う。



ない!と言われているものは、作ればいいですね。


TVやPCのモニター画面を見て、あのホール空間の「共有の感覚」を作り出せばいいですね。なんかそういうのって、今の時代にあった新しいテーマっぽいじゃないですか!(笑)


将来のライブストリーミング配信には、単に高画質、高音質を追い求めるだけじゃない、そういうホール空間の「共有の感覚」までがもれなく再現できる!


これこそ、究極のライブストリーミング配信ではないでしょうか?



自分は単細胞だから、これで自分のモヤモヤは一気に解消。(笑)

不可能なことはないです。

技術は必ず追いつくからです。



そして最後に川本嘉子さん&吉野直子さんのデュオ・リサイタル。


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(c)松本市音楽文化ホールFB


本当に素晴らしかった!
もう言うことないくらい大感激しました。
本当にありがとうございました。ご苦労さま。


自分の御祓のコンサートとして、十分すぎるほど格式が高かった演奏会でした。

お互い気心がしれている間柄であるから、本当にコンビネーションも素晴らしく、絶妙の神業の連発を聴いたような気がします。


演目は、


川本さんのヴィオラ独奏:バッハの無伴奏チェロ組曲。
吉野さんのハープ独奏:N.ロータ:サラバンドとトッカータ。


は各々のソロ独奏で、それ以外は、2人の合奏で。。。


川本さんのバッハ無伴奏チェロは、最初はコンサート冒頭だったので、「あ~緊張しているな?(笑)」という感じで硬さがあったように見えましたが、楽章進むにつれて、どんどんボルテージが上がってきて、見事な絶品の演奏に変貌した。ヴィオラとチェロは音域的にもそう遠くない楽器と思うので、ぜひこういうチャレンジはいろいろやってほしい気がします。


吉野さんのハープは、もうここのホールの音響で、このハープのボロロンという音色は禁じ手というか、罪作りなのではないでしょうか?(笑)素晴らしすぎて圧倒されました。吉野さんの独奏は、N.ロータのサラバンドとトッカータで、後半冒頭だったので、もう前半にだいぶ演奏もやって、MCまでやりましたから、緊張もせず、のびのびと演奏されていたのがよくわかりました。


本当に珠玉の作品演奏でした。


今回は、普段この2人ならMCはやらずに、そのまま演奏ですべてを通すパターンが多いと思いましたので、今回もそうなんではないか、と思いましたが、なんと!驚きのMCタイムもありました。


これで一気に場が和みましたね。


松本は、やはり自分たちの故郷であること。そして今回の公演が今年中止になってしまったセイジ・オザワ松本フェスティバルのリベンジ公演のつもりで開催したこと、松本への感謝の気持ちも含めて。。。


そして、ブリテンの曲では、川本さんのヴィオラの大尊敬する大先輩でもある今井信子さんとの話、もともとこの曲はヴィオラとピアノのために書かれた作品で、後にピアノの部分を弦楽合奏に編曲したバージョンも作曲者自身によって作られていること、そしてそのピアノの部分を今回ハープで演奏することになったことなどのいきさつが語られたように記憶している。


そして今回のコンサートで一番驚いたのは、まさに意表をつくとはこのことで、スティングの話が出たことだった。(笑)


ルネサンスとバロックの過渡期に活躍したジョン.ダウンランドは、デンマークやイギリスの宮廷リュート奏者を務めた作曲家。そのダウランドがギターの先祖にあたるリュートを伴奏にした哀愁にみちた歌曲が、とても有名で、あのスティングが歌っていたりしてジャンルを超えて愛されているとの話。


今回のヴィオラ&ハープの合奏では、その歌曲のうち、

「甘い愛が呼んでいる」「流れよ わが涙」「もし私の訴えが」

の3曲を演奏した。


MCで川本さんは、このダウランドの歌曲は、いろいろなアーティストが歌っているのだけれど、やっぱりスティングが歌っているのが一番最高なんですよ。ってな感じ。


自分は、もう猛烈に反応。(笑)


このスティングが歌うダウランドについてはぜひCDを買って別スレで日記を別途に書こうと思っています。


お楽しみに!


最後に、トリに持ってきたシューベルトのアルペッジョーネ・ソナタ。
これは、もうトリに相応しい強烈な疾走感と盛り上がりがあって、2人の超絶技巧と丁々発止のやりとり掛け合いなど、本当にスリリングな展開であった。


「うわっこりゃ最後の曲だけあって、最高の盛り上がり。こりゃ凄いや!」


と思わず唸ってしまった。


特に川本さんのヴィオラが主旋律を朗々と歌い上げる展開が、延々と続くのは、まさにこの曲の最高の見せ場といっても過言ではなかった。


そのヴィオラの音色にずっと恍惚としてしまったことは正直に告白せざるを得ないであろう。ヴィオラとハープの音色、音域のコンビネーションは、本当に人間の聴覚、脳神経にとって、もっとも癒され効果のある音域組み合わせだなぁということを、つくづく認識させられた。


本当に素晴らしい演奏会でした。
9か月ぶりの生音復帰公演として申し分なかったです。
この公演を選んでよかったです。


これで御祓は済んだので、あとは、自由に好きなときに、好きな公演を、すきな日時時間帯で、自由にやって自分のいつものペースに戻れます。


ホテルに帰っても興奮が続きなかなか眠れず、意識がなくなったのは、午前3時を過ぎたあたりであろうか・・・


2020年11月17日。自分のクラシック鑑賞人生の中で、一生忘れることのできない再出発の日となった。





川本嘉子&吉野直子 デュオ・リサイタル
2020/11/17(火) 19:00~
松本市音楽文化ホール


J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調BWV1008 (ヴィオラ独奏)

F.クライスラー:クープランの様式によるルイ13世の歌とパヴァーヌ

J.ダウランド
「甘い愛が呼んでいる」(歌曲集第1巻、1597)
「流れよわが涙」(歌曲集第2巻、1600)
「もし私の訴えが」{歌曲集第1巻、1597)

B.ブリテン:「ラクリメ-ダウランドの歌曲と投影」Op.48


休憩


N.ロータ:サラバンドとトッカータ(ハープ独奏)

F.シューベルト:アルペッジョ・ソナタ イ短調D.821


アンコール


F. メンデルスゾーン
チェロソナタ第2番ニ長調 Op. 58より 
第3楽章アダージョ












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杜の都 仙台 [国内音楽鑑賞旅行]

よく仙台のことを「杜の都」と呼ぶのだけれど、なんとなくイメージは湧くけれども、その意味、由来をよくわかっていなかった。

いま調べてみると、「杜」は江戸時代から仙台の人々が植え育ててきた屋敷林や街路樹などの人工林を指し、それらが仙台の風土や歴史に立脚しているという説明のようだ。

伊達政宗による仙台開府より前は、仙台にはほとんど木がなかったらしい。
城下町が造られると、その中の武家屋敷において植林が行われて屋敷林が形成された。

そこからまさに、ある意味計画的において植林の歴史をずっと歩んできて、森、緑の街として、その風土が形成されてきたんだな。

途中第二次世界大戦のときのアメリカ軍による仙台空襲によって焼け野原と化したこともあったのだが、でも、けっしてめげることなく植林を続けていまの自然の美しい都を培ってきた。

杜の都は、最初は森の都とも読んだらしい。

今回自分が仙台を散策して、その想いを強くしたのは、やはり定禅寺通りのケヤキかな。
今回のメインイベントだったけれど、本当に素晴らしい光景だった。

植林って簡単に言うけれど、樹木が育つって、もう大変な月日が必要で、それも計画的に街の景観を美しく見せるように綺麗に揃えて植樹していくってもう大変な努力が必要だ。

そんな「杜の都・仙台」を自分のものにしたくて、たった1泊2日だったけれど仙台を散策してきた。仙台の特徴づけるものを全部自分は体験したかった。

そこには、前職で就職する前に、工場見学としてソニー仙台テクノロジーセンターを訪問したときのこと。自分の心の中では、就職して東京に出たいのに、もし仙台勤務だったらいやだなぁ~というようなヨコシマな考えでブルーな気持ちだった記憶がある。だから当時は仙台観光なんて気分じゃなかった。

そのお詫びといったらなんだけれど、思いっきり仙台を満喫したい気持ちだった。

東北新幹線で仙台到着。

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仙台駅では新幹線ホームでは発車のベルの代わりに、仙台フィルが演奏するさとう宗幸さんの「青葉城恋唄」が流れるのだ。(笑)

懐かしいよなぁ~。さとう宗幸さんのこの曲1978年のレコード大賞新人賞。仙台を代表する曲。工場見学した時もバスの中で流れていた。

このことは事前に知っていたので、今回気をつけて聴いてみた。結局ホームで新幹線待ちの時間も含め、5回くらい聴きました。ほんの短いフレーズだけれど、あ~確かに懐かしいあの曲だ~とわかりました。


仙台の駅はとても新しくて、大きい。

西口方面

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東口から西口への連絡路

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結構駅ナカが発達していて、仙台を代表する名産物に因んで、牛タン通りとかずんだ小径とかある。(笑)牛タン屋さんだけが並んでいたり、ずんだカフェが並んでいたり、とてもユニークだ。

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仙台に着いたときから、街中を歩いていて、とても気になるのが美人率が高いこと。
すれ違う女性、結構おっおってな感じで、つい振り向いたり、男心的にドキッとしてしまう美人が多い。普段自分が住んでいる東京よりも美人率高いと思う。絶対に。人口的に東京よりも全然少ないのにこの確率!!!

昔の格言で、反対の意味の迷言があるらしいが、それは昔はそうだったかもしれないけれど、いまはあきらかに間違いです。(笑)こればかりはガイドブックには絶対載っていない実際来てみないとわからないことです。


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仙台は、真冬で大雪だろうと思っていたが、雪はまったく振っていなかった。(笑)
東京とまったく同じだった。長靴を履いて防寒していたのに・・・。


仙台は、第二次世界大戦で焼け野原になってからの都市化計画で、結構近代的に計画的に作られてきたような気がする。街が碁盤の目の格子状で、地下鉄も南北線と東西線という感じで、まさに札幌に似ているなと思った。

仙台駅の西口に開ける街と東口に開ける街とに大別出来て、従来からの繁華街(いわゆる旧市街)は、西口。新市街は東口という感じ。今回はやはり西口をメインにした。

地下鉄の車両は、とても新しい。東京の地下鉄と変わりませんね。

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初めての歩行者に対してもとても優しくできている。

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かと思ったら、地下鉄のホームから地上に上がるのに87段も階段を登らせるし・・・しかも消費カロリー付き。(笑)

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仙台の一番繁華街として華やかなところは、やっぱり国分町だと思うんですよね。
ここにはすでにレポした牛タンの太助もあるし、いわゆる牛タンをはじめ飲食街やデパートが多くていわゆる繁華街。

ここが牛タン太助のある通り。とても古い感じで、いかにも飲食街っぽい。

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でもそんな古い飲食街通りの中に、こんなお洒落なお店が!
店の名前も「杜の都1923」。思わず入っちゃおうかな、と思いましたが、バーでしたので、お酒飲めないのでやめときました。

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1本違うと完全な商店街アーケードになる。

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仙台の中でも都会的で洗練されている通りが、定禅寺通り。
あとで紹介しますがここのケヤキは本当にスゴイ。まさに植林の街、仙台を象徴するような通りです。こんな感じでその通りに面するお店もちょっと洗練されています。

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定禅寺通り沿いはお洒落。
こんな公衆電話ボックスも発見。思わず反応してしまいました。(笑)
なんかロンドンのコヴェントガーデン(ロイヤル・オペラのある街)の街の景観を思い出してしまいました。

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仙台に来たら牛タンとかいろいろ美味しいものがありますが、じつは仙台ラーメン、いわゆる「みちのくラーメン」も楽しみのひとつであった。たくさんあるけれど、駅の東口にある「らーめんくろく」をチョイス。ちょっと地理的に隠れ家的でわかりにくいかも。

らーめんくろく

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ここは若い人が経営していて、いわゆるラーメン屋さんらしくないお洒落な雰囲気のラーメン屋さんだった。客層もみんな若い人ばかり!

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ここは「くろくの塩」と呼ばれるぐらい塩ラーメンが売りみたいですが、自分は「くろくの醤油」を注文。

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これがなかなか美味しかった。麺はちょっといままで体験したことのない太麺のストレート麺。うどんか、と思うくらい。(笑)醤油の味が濃くて美味しかったですね。

このらーめんくろく、とてもおススメです。

さて、ここからいわゆる仙台の観光地の本命を廻る。

観光地巡りには、観光専用バス「るーぷる仙台」を使う。
いわゆる京都の観光専用市バスと同じです。

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これがなかなか洒落ているバスなのです。

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このタイプ以外にももう一種類あってこれまたお洒落なんですが、写真に撮れなかった。
バスの中もこんなにオシャレ。いいないいな。

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バス停もこんなにお洒落です。(笑)

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この観光バスを使って自分が行く目的は2つ。瑞鳳殿と仙台城跡。
やっぱり仙台といえば伊達政宗なんだよね。当たり前ですが。仙台の都を開府した武将。
NHK大河ドラマの渡辺謙さん演じる「独眼竜政宗」観ていませんでした。(スミマセン)
大変な高視聴率でしたね。

この2つはその伊達政宗に纏わる観光地なのです。

まず瑞鳳殿。

まさに伊達政宗が眠る霊屋。政宗自身が遺言でこの地を墓所に定めた。
墓所なのでバス停から遠いのは仕方がない。
こんな永遠の心臓破りの坂には本当に参りました。

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まさに絢爛豪華な墓屋ですね。

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そして仙台城跡。

いまは仙台城の天守閣はありません。その城跡のみ。
礎石がありますね。

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そして仙台に来たら、この伊達政宗の銅像にはぜったい寄らないといけませんね。

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さらにアップすると、伊達政宗の肖像画が描かれているのです。

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この仙台城跡から仙台市内が見下ろせるのです。
お天気が残念でしたが、仙台って大きな都市なんだな、ということがわかります。

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ここに政宗に仮装した方が説明していました。(笑)
みんなここで記念の写真を撮るんですが、ハイ、チーズというところを、みんなハイ、ずんだ餅!と言って撮ってました。(笑)

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今回、真冬の仙台に来て、最高のメインイベントだったのが、SENDAI光のページェントを経験できたこと。

これは真冬じゃないと経験できないことだから。
しかも期間は12/14~12/31と決まっている。
本当に自分はジャストタイムでした。

まさに仙台の植林の象徴的な場所である、自分が思うには仙台で1番お洒落な場所、通りである定禅寺通りでおこなわれます。この定禅寺通りのケヤキが160本。そこに60万個のLED電球を取り付けて、夜になったら一気に点灯。

そのじつに幻想的な世界!
定禅寺通りは、もう人混みで大変な混雑。
ちょうどクリスマスだったからね。


これはちょっと写真ではその幻想的な世界を表現するのは難しい。
特に奥行きの表現を出すのが難しいですね。

ずっと自分の前方向に広がる幻想的世界。

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女性の裸像を前に。

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サンタクロースに扮して。みんなクリスマスで逝かれている?(笑)

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このLED電球で光ったケヤキをバックにこのような記念撮影をする人も多かった。

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このケヤキとは別に、このような電球で飾られた大きなクリスマスツリーもあった。

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真冬の仙台観光のボルテージ最高潮は、このSENDAI光のページェントだったね。

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その余韻も冷めやらず、仙台駅に戻って、ずんだ茶寮でずんだスィーツを体験する。

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ずんだというのは伊達政宗が発明したという説があるほど仙台ではおなじみの伝統食。
ずんだは、ゆでた枝豆をすりつぶし、塩や砂糖でシンプルに味付けしたもの。

まず”ずんだ餅”。
餅をずんだ餡と一緒に食べる、仙台では定番のおやつ。

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ずんだってどんな味なの?というと、やっぱりあの枝豆の匂い、味がするんですよね。
あっこれは枝豆だ!という感じ。枝豆の風味がして、それに控えめな甘さ、爽やか後味。



そして自分のクリスマスケーキとして、ずんだロールケーキでメリークリスマス。

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ずんだロールケーキというのは、ずんだと合せたクリームを生地でクルリと。


以上が「仙台を自分のモノにする、体験する!」の今回の全容の巻。

念のため言っておきますが、これを1日でやったわけではありません。(笑)
2日かけました。

でも考えてみてください。

これにすでにレポートした、仙台フィルの第九、仙台の牛タン老舗巡り、松島の瑞巌寺、が加わっているのです。

やっぱり只者ではない。(笑)

なんでも全部経験したいという貧乏性なんですね。

さすがに、これだけ歩行して動き回ると、腰に来てしまい、ぎっくり腰になる寸前で帰京してしばらくベッドから起き上がれませんでしたです。

今年の日記はこれで書き納めです。
1年付き合っていただきありがとうございました。

また来年もよろしくお願いします。







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松島 瑞巌寺 [国内音楽鑑賞旅行]

古くから和歌に詠われる歌枕の地として、松尾芭蕉や伊達政宗をはじめ、多くの人が訪れ、その絶景を楽しんだ松島。

まさに名勝の地。

松島って日本三景として有名ですね。
約260の島がつくる日本三大美景のひとつ。
まさに穏やかな海に浮かぶ大小さまざまな島々を巡れば、その個性的な造形美を楽しめる。

じつは地理的には松島って仙台から電車で40分くらいで辿り着けてしまうのだ。
ただ、このような日本三景を楽しむなら、絶対夏だろう、という認識があって、今回真冬ならちょっと厳しいな、と感じていた。

ガイドブックには、いえいえ冬季限定のかき鍋クルーズというのもありますよ~♪なんてお誘いもしているが、ちょっと萎えるなと思っていた。

それで松島をあきらめようと思った矢先、自分の目に飛び込んできたのが、伊達家の聖地・瑞巌寺。その一流絵師による襖絵、障壁画などのあまりの美しさに、これは、いま観ないと、絶対後悔する。

しかもだ。この国宝の瑞巌寺。2008年からまさに今年の2018年3月まで平成の大改修がおこなわれたばかりで、拝観することが可能になったばかりなのだ。

今後また、松島に行くことってこれからあるかどうかも、怪しい。
まさに一期一会だ。

この瑞巌寺を訪れるために、松島まで行こうと思った。



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伊達政宗が約5年の歳月をかけて再興した。京都などから大工を招き、熊野山の木を使って造り上げたという。政宗が菩提寺として定め、自ら縄張りを行い造営。その随所に政宗の美意識とこだわりがあるのだ。

大改修によって拝観ルートが以前と違った。
上の写真の本堂に直接入れないのだ。

まずこの庫裡(くり)から入る。

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庫裡というのは台所のこと。

中の写真を撮り忘れたが、政宗はこの台所にも美しさを追求した。
台所はいわゆる実用本位の建物だけれど、政宗はここにも桃山風の豪壮な唐草模様が施したりなど、かなり美しさに拘ったのだ。

また大屋根にいわゆるいまでいう煙突があるのだが(台所だから)、そこにも政宗こだわりの唐草模様の彫刻などの装飾があって、美しい。

庫裡と廊下が国宝に指定されている。

まさに伊達なこだわりなのだ。(笑)
政宗って、本当に美意識のセンスがある武将だったんですね。

内部の写真を撮るのを忘れたのは、本当に悔しい。


庫裡からそのまま歩いていくと、すぐに自分が一番見たかった本堂につながる。
ここが一番の見所。

本堂は10室からなり、今はなき仙台城の大広間を彷彿させる構造で、その襖絵や障壁画はまさに絢爛豪華。国宝に指定されている。

この瑞巌寺の本堂を仙台城の本丸大広間と同じ構造にしたのは、瑞巌寺に対する政宗の特別な想いだったそうだ。

孔雀の間。

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自分が一番見たかった「室中孔雀の間」。仙台藩最初の御用絵師である狩野左京によるもの。
本堂の10室をこれから見て回るのだが、本当にこの本堂内の襖絵や障壁画はどれも桃山美術ならではの豪華絢爛さだ。

これをじかに自分の目で観れたのは、本当に人生の宝。
松島なんてそうそう行けないと思うからね。


この瑞巌寺を訪れた松尾芭蕉。
彼の「奥の細道」で、そのときのことをこのように詠んでいる。

十一日、瑞巌寺に詣。
雲居禅師の徳化に依て、七堂夢改まりて金壁荘厳光を輝、
仏土成就の大伽藍とはなれりける。



この孔雀の間を観たら、この歌の気持ちも分かるような気がします。


文王の間。
奥に伊達政宗の像がある。

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その像を横から撮る。ここを特に上段の間という。

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墨絵の間。
こういう白黒の濃淡だけの表現も美しい。

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松の間。

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礼の間。

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菊の間。

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素晴らしかった。自分は、この本堂の襖絵、障壁画を見たくて、松島まで来て、この瑞巌寺を訪れようと思ったのだ。まさに政宗の美意識ですね。伊達な男です。(笑)


これで本堂は見終わって、じつは瑞巌寺は、この庫裡と本堂とあともうひとつ宝物館ということころがある。いわゆる資料館みたいなところ。

宝物館

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伊達政宗

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この歴史価値観のある掛け軸。

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そして電光掲示板の仕掛けを使った瑞巌寺と伊達家などの人物との関係図なのでしょうか。

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これで瑞巌寺征服。

瑞巌寺は海:松島湾の側にある。
帰路に下っていくと。。。


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なんと、松島湾クルージングの発着場所に出てしまった。
なんたること!(笑)

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いろいろな松島島巡り観光船のコースがある。

正直迷いました。これも神のお告げ。クルージングしなさい!ということなのかな?ということで、出発時間を見るとあと30分もある。あと、この日はとても寒くて、観光船で外気にさらされながら1時間以上も海の上にいたら風邪ひくこと間違いなし。やっぱり松島湾クルージングは真夏でないとだめだよね、と正気に戻り、やはり自粛することに。

ちょっとその発着場所からあたりの写真を撮影してみました。

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発着場所にはこんなものが。
やはり瑞巌寺は、松尾芭蕉の奥の細道で有名な寺院だったんですね。
松尾芭蕉の奥の細道は、江戸から奥州・北陸を旅し、俳句として詠んでいった旅。
仙台に行ったことで、この松尾芭蕉の存在が自分の中で急激に大きくクローズアップされてきた。
                                                      
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松島って、じつは牡蠣の名産地。10月~3月がシーズンなのだ。
本当は、この松島湾沿いにある松島観光協会のカキ小屋に行きたかった。

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まさにスコップでザックザックの男ワイルドな世界。
これでとれたての牡蠣を蒸して食べるのは最高だろうな~と思っていた。
何回も言うけど今後、また松島に行くことなんてないかもしれない。
だったら一期一会でチャレンジしたかったけれど、やっぱり人気なんだな。予約制で結構満杯で時間的に折り合いがつかなかった。

その代案として焼き牡蠣丼をいただこうと、かねてよりサーベイしていたこのお店に。「南部屋」

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朝いちばんだったからね。

さっそく焼き牡蠣丼を注文。

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これはいただけないな~。正直がっかりしました。
ガイドブックに載っている写真とずいぶんイメージが違います。
ボリですね。
憤りを感じました。

仙台から仙石線で松島海岸駅まで40分。
じゅうぶん松島を楽しめたと思います。
牡蠣はちょっと残念だったけれど、瑞巌寺が最高に素晴らしかったので良しとしよう。


じつは自分の興味は松島だけではなかった。
今回は実現できなかったけれど、あの平泉もじつは仙台から40分くらいで行ける位置なのだ。

この平泉に高館というところがあって、北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれている。


平泉はあの奥州・藤原氏が開府して4代に渡って栄えたところ。兄・頼朝に追われた義経は奥州に辿り着き藤原秀衡氏の庇護のもと、この高館に居館を与えられた。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来するから。

秀衡死後にその子、泰衡は、頼朝の圧力に負けて義経を急襲。義経はここにて自害して波乱の人生を終える。

丘の頂上には、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経公の木造が安置されている。

いわゆる高館義経堂。

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鎌倉ファンなら、義経の波乱の人生の最後の地を訪れたいと思うのは当然のことだろう。

後年、松尾芭蕉がこの高舘義経堂を訪れ、「夏草や兵どもが 夢の跡」と詠んだのは有名である。

NHK大河ドラマで、1番最初に義経を演じた当時の尾上菊五郎さんの「源義経」。これはVHSで当時の総集編をまとめたものがNHKから売られていてそれを購入した。そして最近見た大河ドラマでは、タッキーこと滝沢秀明くんの「義経」。

この両方とも、泰衡に急襲されたとき、最後に自害する場所は、大河ドラマではこの義経堂の中なんだよね。

これは昔からずっと疑問でした。義経堂は後年に建てられたもの。

ドラマとしてこの最後の地に義経堂を使うことが、絵になりやすい演出だったのでしょうね。

平泉は、支配した奥州藤原氏のもと、東北中の富が平泉に集められ、まさに華やかな「黄金文化」を築き、世界遺産にも登録されている。藤原氏は結局、義経を殺した泰衡を、頼朝が滅ぼした。(頼朝にとって、藤原氏の大勢力は気に入らなかった。 義経をかくまったことを理由に奥州征伐!)

その奥州征伐のときに、頼朝は平泉の毛越寺、中尊寺を見て、大層感動して、のちにそれを模した永福寺を鎌倉に建てたのだ。 その寺院の建立の目的は、弟の源義経、藤原泰衡をはじめとする、奥州での合戦での戦没者を弔う目的があった。

その毛越寺、中尊寺、ガイドブックで写真を見たのだが、これが素晴らしい!
まさに平泉は、「みちのく黄金郷」。 日本史大好きマニア、そして鎌倉の大ファンの自分からすると堪らない憧れの地だ。

平泉のことはもちろん子供の頃から義経絡みでよく知っていたが、 まさか仙台から電車で40分のところにあるとは!地理感がなかった。(笑)

松島湾クルーズ、そして平泉。
これだけでももう一度仙台を訪問する価値はあるのではないか?
一期一会なんて言ってないで、旅費もそんなに高くない訳だから、季節のいい夏にむけて、もう一度訪れてみようか?

もちろん仙台フィルの公演を聴くことは予定に入れないとね。(笑)
  

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なぜ牛タンといえば仙台なのか? [国内音楽鑑賞旅行]

今回仙台の初代のお店「太助」で味わって自分なりにわかったことは、やっぱり牛タン発祥の元祖オリジナルのお店は、牛タンの肉の質のレベルが段違いに違うということだ。もうここで大きな差が出来てしまう。

べつに自分は仙台牛タンのことは最近知ったばかりで、ほとんど経験がないのだが(笑)、じつは仙台に行く前に、仙台牛タン定食ってどんな感じなのか、事前に東京で3回くらいフライングして経験していたのだ。もちろん夢を壊さないように内緒にしておいたのだが・・・。

そして、この東京での3回の外に、今回仙台で、太助の外に、もう1軒有名なお店で経験した結果、自分が出した結論!

わずか4回での経験しかしていないけれど、なんとなく間違いないような気がする。

それだけ発祥オリジナルの元祖のお店の味は衝撃的だった。

もう太助のを食べた瞬間、いかに東京のは、酷かったのか?ということがわかります。(店名は”仙台牛タン”で売り出していましたが。(笑))

逆を言えば、太助のを食べた瞬間、その段違いのうまさにビックらポンだったのだ。さすが、本場は全然違うな~、みたいな感じで。

自分が自ら経験したその段違いの差。


太助の本物の牛タンを食べると、他の店のは、徹底的に肉質がもう全然ダメで、あきらかに量販レベルの安いタン肉ということが、もうバレバレに分かる。元祖太助のすごさは肉の質の高さにある!と確信したのだ。


牛タンといえば、なぜ仙台なのか?

ここにその歴史がすべて書かれている。

仙台牛タウン「仙台牛タンの歴史」

http://www.gyutown.com/about/history.htm

仙台で牛タンが生まれたことだけで1冊の本になっているくらいだ。

ここで簡単に紹介してみよう。

仙台牛タンの生みの親「太助」の初代店主 佐野 啓四郎氏(故)が、洋食料理の中で使われていた素材「牛タン」の旨さのとりこになり、試行錯誤を重ねた末「牛タン焼き」が誕生した。その自慢の一品を、お店で出したのが仙台牛タン焼きの始まりなのだ。 




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「太助」初代店主 佐野 啓四郎氏


上のURL先の「仙台牛タウン」では、仙台牛タン誕生の真相を、当時の関係者の証言をもとに、明らかにしている。

以下その仙台牛タウンの記事から。


牛タン焼きの誕生は昭和20年代。
時はまさに終戦直後の混乱期、仙台市内は、失業者であふれ、慢性的な食糧難に加えて、酔っぱらいや喧嘩が多く、火事などが多発した物騒な時代であった。

中でも手軽に開業できる焼き鳥屋は大人気で、仙台市内では多く焼き鳥屋が営業していた。牛タン焼きの生みの親である(故)佐野 啓四郎氏も当時は和食の職人として、焼き鳥中心の飲食店を経営していた。

当時は食糧難ということもあり、焼き鳥屋といっても鶏肉だけではなく、豚肉や牛肉など、様々な素材を焼き料理として出していた。

そんな中、和食の職人として腕をふるっていた啓四郎氏の悩みは、焼き料理は調理方法が簡単なので、ヒット商品を出しても、周りのお店に次々と真似されてしまうことであった。

「誰にも真似のできない自分だけの料理を造りたい!」

そんな気持ちが自然と芽生えるようになった。

啓四郎氏は苦しい胸の内を、洋食屋を経営していた親友の小野氏へ相談した。それから、何日かして小野氏から「お店で牛タンを出してみたら?」と提案された。和食では通常扱うことのない素材であったが、職人としての好奇心からどんなに美味しいものかと思い、小野氏の勧めに従って、小野氏の知り合いの洋食屋に行き、タンシチューを食べてみた。

食べてビックリ「コクがあって本当に旨い!」啓四郎氏は、一口で「牛タン」の持つ素材の魅力にひかれた。しかしながらタンシチューは3日も4日もかけてじっくり煮込んで作る料理のため、焼き料理中心のお店では適さない食材。啓四郎氏の牛タン焼き造りの試行錯誤の日々が始まったのだ。


研究をはじめて、すぐに困った問題にあたった。牛タンの素材そのものが仙台市内ではほとんど売っていないのだ。牛タンを求め、宮城県内のと畜場や山形県内のと畜場へ電話をし、運良く牛タンが見つかると後日に取りに行くからとお願いして、牛タンを確保する日々が続いた。

当初は、おっかなびっくりでお客様の口に合うかどうか確かめながら販売する毎日であった。一週間かけて宮城県内や山形へ買い出しに行っても牛タンは10本も集まらなかった。牛タン1本から25枚前後しかとれないので一人前3枚限定としたりした。職人の良心にかけて、1頭に1本しかない牛タンとテールを、いかにお客様に美味しく食べていただくか、そして食べさせ続けるられるか、とにかく頑張ったのだそうだ。


連日、牛タン相手に悪戦苦闘の末、和食の職人ならではのアイデアを思いついた。それは、切り身にして塩味で寝かせて焼く現在の手法。

一人作業場へこもり、牛タンの切り身の厚さ、包丁の入れ方、熟成期間、塩の量、塩の振り方、炭火の火力、焼き加減など、あらゆる角度から研究を重ねれられた。


そして・・・・・ついに、仙台牛タン焼きが誕生したのだ。



太平洋戦争が終結し、日本が復興に向けて歩み始めた昭和23年、仙台牛タン焼きの歴史が始まったとのだから、自分の生まれた年よりずっと先に仙台牛タン焼きってこの世に存在していたんですね。

2018年の今年になるまで、まったくその存在を知らないで生きてきました。(笑)

この牛タン誕生の歴史の話に中にとても大切なことが書かれている。

それは、切り身にして塩味で寝かせて焼く現在の手法。
牛タンの切り身の厚さ、包丁の入れ方、熟成期間、塩の量、塩の振り方、炭火の火力、焼き加減など。


ここなのだ!!!


自分が太助の味と、他の店とを比較した時に圧倒的に感じるその差はなんなのか、はすべてここに隠されていると思うのだ。牛タン1枚なのに、じつはそこには人知れずの秘伝が隠されていて、この世に数多の仙台牛タン焼き屋さんが存在するにもかかわらず、元祖発祥のお店が、一味も二味も違うのは、誰にも真似できない味が実現できているのは、そこにすべてが集約されているのではないか、と思うのだ。

それこそが佐野啓四郎氏が日頃悩んでいた誰にでも真似できてしまう、誰にも真似できない自分だけの料理を造りたい!その結晶がいまの太助の味なんだろうと思う。

だって、自分がじかに食べてみて、あきらかに違うもん!(笑)
全然違う。。。


そんな仙台牛タンの発祥のお店「太助」に行ってきた。仙台観光のメインイベントである。
佐野啓四郎氏の初代の「太助」のお店は、現在は息子の「味太助」と娘婿の「旨味太助」の2店舗に分かれる。

なんか、純連とすみれみたいだ。(笑)

店舗は国分町にあって、仙台駅から地下鉄南北線で、「勾当台公園」で下車して、商店街の中にある。お互い100mもないくらい近くにある。

やはり発祥のお店なので、行列は仕方がない。でも東京の人気ラーメン店のような非常識な行列でなく分別ある程度なので、5分~10分位で入れる。

自分の感覚では、旨味太助のほうが美味しいと思う。
結局、旨味太助は2回訪問した。味太助は1回。

それをレポートしよう。

まず2回行った旨味太助。


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旨味太助の看板の上のほうに、味太助と書いてある。
これはやはり太助の正当な直系の跡取りは味太助のほうで、その傘下ですよ、という意味合いなのか・・・不明である。

でも旨味太助のほうが美味しい。(笑)

老舗だけあって、店内はすごい狭い。
最初に1回目は、カウンターは無理で、奥の座敷の方に通された。

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なんか雰囲気ある~。(^^)(笑)

当時つぶやいたときは、発祥のお店なので、天皇陛下・皇后さまが、来店なさってそのパネルがあります、とか言ったけれど、よく考えたら、こんな正装で来るはずもなし。(笑)

おそらく東日本大震災のときかあるいはなにかの時に仙台に来られた時に撮影されたものなのだろう。

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そしていよいよ発祥のお店の牛タン定食。麦めしとテールスープつき。
3枚、4枚、6枚という感じで枚数を選べるようになっている。それだけお値段は張りますが。。。
もちろん自分は6枚をオーダー。


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もうドッキドキ。(笑)

とにかく見た目がお肉が太っていて、とても美味しそう。
この太っている感覚がとても大切なのだ。(他のお店との比較で大切なポイントです。)

さっそく牛タンを口に頬張ると、その香ばしさ、とても柔らかい、そして歯ごたえととにかく食べ応えがあって、美味しい!の一言。やっぱり太っているお肉は美味しい!

自分がいままで東京で食べてきたものはなんだったんだ?という感じになってしまった。
やっぱり本場の牛タンは違うな~と思ってしまった。

不思議だったのは、これだけ太っていると、見た目太ったお肉は、人間の脳の中では必ず味覚として焼肉を連想することなのだ。

でも実際食べてみると、焼肉じゃないのだ。(笑)
一瞬あれ?と思ってしまうはず。(笑)

やっぱりタンの味なのだ。

あ~いま自分はタンを食べているんだな、とそのときに再確認してしまう。
やっぱり牛タンだよな~という感じ。

見た目丸々太っていて、ジューシーで香ばしくて、とても柔らかくて美味しいのだが、味はタン(笑)、そんな感じが太助の牛タンの味である。とにかく美味しい。

6枚ともあっという間に平らげてしまった。

麦めしなんていうものも、こんなときくらいしか食べる機会がなく、自ら好んで食べるものでもないだろう。なかなか牛タンと相性抜群であった。

テールスープというのは牛の尻尾のスープのこと。
これは珍味。薄味だけどとてもダシの効いた感じでいい味出していると思う。
骨付きの尻尾の肉や、肉だけの塊が入っている。ネギの千切りが入っていてさっぱりしていて、スープの魅力を引き出していた。

あまりに美味しく衝撃的だったので、翌日もう一回訪問した。
そうしたら運よくカウンターに座ることが出来た。

旨味太助はこんなに狭いお店なんですよね。

初代店主の啓四郎氏の額縁が飾られていますね。

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カウンターはなにがいいか、というと、大将が牛タンを網で焼いているところをじかに観れることなのだ。


焼いています。(笑)

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でも、この方は、旨味太助の店主、佐野八勇さんではありません。
ガイドブックに載っていた写真とは違います。

ちょっとここいらのノウハウ含め大切なことは、このつぎの味太助のときに説明をトライしてみよう。

もちろん今回も6枚をオーダー。
大変美味しゅうございました。(^^)

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次に息子が経営している味太助のほうを訪問した。
相変わらず昼の夜も大行列だ。

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ここも大体旨味太助と変わらない感じくらいの店内スペースだが、味太助の方が店自体古くて、狭い感じがする。

こちらも狭い。


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お店の壁には、ここにもやはり初代の佐野啓四郎氏の写真が飾られていました。
堂々と目立つところに飾っているのは、このお店、味太助こそが初代「太助」の直系である! という主張なのでしょうか?(笑)


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でも旨味太助のほうが美味しいです。(笑)


ここでもカウンターを陣取ることができて、大将が牛タンをじかに網で焼く姿を拝見することが出来た。尚、この方が佐野啓四郎氏の息子さん、店主なのかどうかは、不明です。(左利きです。)
雰囲気あるので、っぽいですが・・・。

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ここで網の横にある牛タンを乗せて山盛り状態にしてあるところに注目してほしい。
これは旨味太助のほうもこうなっていて、ここから牛タンを1枚1枚剥がして、網の上に乗せて焼いていくという感じなのだ。

これは初代「太助」からの伝統なのでしょうね。



焼いています。(笑)

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こちらも3枚、4枚、5枚とあって(なぜか6枚はなかった)5枚をオーダー。

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確かに美味しかったが、肉の太り具合、食べ応えなど旨味太助のほうが美味しいように思えた。
こちらの牛タンは、ちょっと痩せているように感じたのだ。
もちろん美味しいことは美味しいのだが。



これで終わりにしておけばよかったのだが、ガイドブックを見て、どうしても行きたい牛タン屋さんがあった。利久とか有名どころがたくさんあるのだが、喜助というお店に行ってみたかった。

発祥のお店を体験できたのだから、それで十分といえば十分なのだが、いわゆるチェーン店のような有名なお店の仙台牛タン焼きってどんな感じなのか?も体験したいと思ったのだ。

喜助は仙台市内でもたくさん存在するが、駅前中央店を選んだ。

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いかにもチェーン店らしく近代的で清潔感溢れるお店だ。

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メニューを見てオーダーするときに、女性の店員さんから、タレですか、塩、味噌、どの味になさいますか?と聞かれる。(笑)

いままでに経験のないことだ。たしかにどれもイケそうだ。

でも仙台牛タンは塩が基本なのだ!

タレとか、味噌とか邪道である。(笑)
でも味噌にしてみた。(^^;;

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もちろん美味しい。食べてとても美味しいと思うのだが、なんか違うんだな。
やっぱり一番違うと思うのは、タンの肉の質。
こちらは見た目、太っていなくて、食べてもあまり柔らかいという感じがしない。

太助で食べたような衝撃はなかった。
東京でフライングして食べた牛タンの延長線上にあるように思えた。

このときにこの日記の冒頭で述べた自分の見解を確立することができたのだ。
しみじみとそう思った。

誰にも真似できない自分だけの料理を造りたい!

そこが原点で、牛タンの肉の仕入れ先から、その仕込み、調理法含め、まさに秘伝なんだろう。
とくに肉の柔らかさというのが、太助と他のお店の徹底的に違うところだと思う。
塩でつける塩梅など、まさに秘伝ノウハウの固まりなのだろう。

仙台市内だけでも無数の牛タン屋さんがあるし、全国各地にも無数にあって、おそらくいろんなバリエーションの牛タン焼きを体験できるのだろうし、その味はそれこそ千人十色なんだろう。

そう思えば納得のいくところだ。

味太助のほうは、東京の水道橋に分店があります。
行ってみようと思っています。

仙台牛タン、知ったのは人生後半だけれど、この発祥のお店の味を知ってしまったことはある意味不幸なことだったのかもしれない。(笑)


最後に太助のお店の外に飾ってあったお店のモットーの看板を紹介しておきます。



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仙台フィルの第九 [国内音楽鑑賞旅行]

日本の年末行事、第九。まさか仙台で聴くことになるとは、予想もしなかったが、自分のクラシック鑑賞人生の中でも大きなメモリアルとなって一生記憶に残るだろう。

なぜ仙台フィルなのか?

それは前回の日記の時に深く述べたので、ここでは繰り返さない。
自分に関与すると思われる人が、いっせいにこの第九のコンサートに勢ぞろいすること、そしてクリスマスを仙台で過ごすことにとても魅力を感じたからである。

そして仙台フィルを地元で聴くことは、運命で避けられないことだと確信したこともある。

ホールは、仙台銀行ホール イズミシティ21。

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全体をフレームに収めるのは難しいので、これが精いっぱい。

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地下鉄の南北線で、一番最後の終着駅「泉中央」で下車して、すぐ。
最近は地下歩道が出来てたので、そのままその通路を歩いて行けば、地上に出て、すぐ目の前がホールだ。アクセスが抜群にいい。

ホールのジャンルとしては、多目的ホール。

コンサートやオペラ、バレエなど幅広いジャンルの大型の公演対応の大ホール、発表会やミニコンサートで密な空間を生み出す小ホール、展示会からダンスパーティ、会議まで使える展示室のほか、スタジオや練習室で構成される複合施設。

ホールを運営していくという点では、いろいろなジャンルで使える複合施設にしておくことは、スケジュールの空きを作らず、つねにコンテンツで満たされるようにビジネスをやっていくという点で必須ですね。

確かにクラシック音楽専用ホールは、究極の憧れかもしれないが、実際ホール運営を黒字で回すようにしていくには、クラシックのコンサートだけで、それだけで毎日、つねにホールを満杯にするのは、コンテンツ供給という点でやはり大変なこと。

「仙台に音楽ホールを!」という動きもあるようで、やはり音楽家の方にとっては、クラシック音楽専用ホールをフランチャイズにもつってすごく憧れることなんですよね。それも痛いほどよくわかる。

地方のホール運営は、そのコンテンツ供給問題ふくめ、運営していく上で、なかなか制約があって、難しいものがあるのだけれど、もし音楽ホール実現!となった暁には、ぜひ応援させてもらいますよ。

このホールは、市民の自主的な文化活動を促進し、もって市民の文化の振興を図ることを目的として設置されている。なので、まさに音楽専用というのではなく、広く市民の文化振興を目的としているところからも、このスタイルのホールは納得できる。

仙台市市民文化事業団・東北共立・石井ビル管理グループが管理運営を行っている。


仙台フィルは、いつもフランチャイズ・ホールとしては、日立システムズホール仙台を使うのだけれど、今回の第九でこのホールを選んだのは、大合唱団をステージに入れるには、ステージの奥行きがこちらのホールのほうがゆとりがあるように思えたからなのだが、どうだろうか?

真ん中にロビー空間があって、その両端に大ホール、小ホールがある。
なかなか新しく出来たばかりのようで、とても綺麗な施設だ。

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ホワイエ

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多目的ホールのスタンダードな形状のホール。
開口型のステージにやや扇形気味に見えるが、じっさいは平行壁関係のシューボックス。そしてホール視野のことを考えた傾斜のある客席。

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自分の座席からみたステージ(ど真ん中、前方)

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ホールの音響は、じぶんは中央ど真ん中の前方よりの座席だったので、そこでの印象なのだが、オーケストラのサウンドがとても明晰で濁りなどいっさいない、そして音伝播上の損失ロスがいっさいない、とてもクリアな音響のように感じました。

その反面、座席が前方ということで、ホール空間の音、響きが聴こえにくいこともあると思うが、オーケストラのサウンドに対して、それを取り巻くはずの反射音、響きがそんなに感じなかったような・・・

とにかくそのオケの大迫力のサウンドにびっくりした感じ。ふつう、オケのサウンド6(あるいは7)に対して、響きが4(あるいは3)ぐらいの割合で、全体のシルエットが聴こえてくる感じなのだけれど、かなり直接音主体でどちらかというとソリッドな音質で、自分に迫ってくるようなサウンドだった。

仙台ファイルのサウンドは、後述で詳しく。



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仙台フィルの第九。

仙台フィルは、毎年年末になると恒例の年末行事である第九演奏会をおこなう。定期公演とは違う「特別演奏会」という位置づけである。自分は、この日の実演に接するまで、全然知らなかったのであるが、とにかくびっくりしたのは第九合唱団のその大編成な所帯。

えぇぇぇ~?そんなに乗せる?という感じで(笑)、ステージの横幅はそんなにないけど、奥行きがあるので、そこにどんどん合唱団が何列にも重なっていくのは圧巻なものがあった。

最近の第九の合唱構成という言い切り方はできないけれど、比較的少人数編成で、前後2列~3列位がスタンダードかな?とも思うのだが、ひさしぶりの大編成な第九な合唱団を見た。

その厚みのある人の声の合唱は、じつに迫力あって、美しい調べを奏でていた。
録音より生演奏がぜったいいいと思うのは、絶対この合唱ですね。

あの合唱のホール全体に行き渡るスケール感の大きさ、そしてそれぞれ声のキーの高さが違う方々による幾重にも重ねられた声のハーモニー、和声感の美しさ。これは絶対生には敵わない。

これも今回はじめて知ったのだが、この仙台フィルの第九の合唱団として、

仙台フィルと第九をうたう合唱団
常盤木学園高等学校音楽家1・2年生
宮城学院女子大学音楽家有志

などで構成された混声合唱団だったのだ。

「仙台フィルと第九をうたう合唱団」というのは、「第九」特別演奏会での仙台フィルとの共演を目的に、オーディションを経て結成された市民参加型の合唱団。20代~70代までの幅広い年齢層で構成されていて、仙台市民に限らず、多賀城市や岩沼市、など県外などから約120名が参加している、いわゆるこの演奏会のためのボランティアなのだ。

一般参加型としては今年で12回を迎え、オーケストラをより身近に感じていただく機会として、着実にその輪を広げてきた。震災を経験して歌う喜びを分かち合いたいという思いで参加された方も多く、初めての方や何十回も歌われてきた方などさまざま。

8月から週一回練習を重ねて、本日の演奏会を迎えたのだ。

小澤さんのサイトウキネンの合唱もそう、地元松本の合唱団有志で構成されている。
都会のようにプロで生活している合唱団がいるわけではない、地方独特の事情なのだが、それにしてもその合唱のレベルの高さ。

本当に驚くばかりである。

今回のことを知るまで、まったく先入観なしに聴いていたので、仙台でプロの合唱として生活している人たちなのかな?ぐらいにしか思っていなかった自分はその素晴らしく分厚く美しいハーモニーは、当然のことと思っていたのだが、こういう背景を知ったいま、あらためて驚くしかないのである。

今回の第九のコンサートである意味もっとも自分にとって衝撃的だったのは、この合唱のパフォーマンスだったもしれない。

ソリストの澤畑恵美さん(ソプラノ)、金子美香さん(メゾ・ソプラノ)、片寄純也さん(テノール)、大沼徹さん(バリトン)もじつに素晴らしかった。ここはみなさん、さすがに二期会のプロ。自分が思い描いていた通り、まさにこの曲に対するイメージ通りの見事な歌いっぷりだった。

特にメッゾの金子美香さんは、今回の自分の主役的存在でもあり、その美声、豊かな声量を十分に堪能させていただいた。今年夏のバイロイト音楽祭の「ワルキューレ」で日本人歌手としての出場に日本中が沸いた。

今回、実演に接するのは初めてだと思う。
自分の記憶にないのだ。とても満足。今回このために仙台まで足を延ばした甲斐があったというものだ。

澤畑恵美さんは、いままでかなりの回数、実演に接していると思う。
ミューザ川崎の東響の名曲全集での第九やマーラー2番「復活」で何回も聴いたような記憶があります。独唱するパートが多く、見せ場も多く、堪能させていただきました。素晴らしかったです。



仙台フィルは、自分が予想していた以上に素晴らしいオーケストラであった。
とにかくその発音能力の高さに驚いた。大音量なのである。(笑)オーケストラとして歌う能力があるというか、鳴らす能力が十分すぎるほどある。

特に弦の厚みと、ユニゾンの美しさは卓越したレベル。オーケストラの楽器は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロなど、その大半が弦楽器が占めている。ここにしっかりとした土台があると、オケ全体のサウンドも締まるし、オーケストラの個性の大半もそこで決まってしまうと言ってもいい。



自分の前方中央の座席で聴いていると、その弦の厚み、アンサンブルの精緻さ、アインザッツが一致している感覚とか、かなり秀逸で感心させられることが多かった。そしてとにかく大音量なのである。

木管などの管楽器の安定ぶりも素晴らしいものがあった。なによりもすべての楽器の調和から、オーケストラ全体として、とてもバランス感覚がとれているオケだと感じた。

その精緻な演奏能力と発音能力に長けていることから、第九という終盤に向けてどんどんとクレッシェンドしていく爆発力、盛り上がりは見事なまでに花開いた演出だったように思える。



敢えて及第点をつけるなら、ホールのせいなのか、座席のせいなのか、わからないが、響きがあまり感じられず、じかにシャワーのように硬質な弦のサウンドを浴びせられるものであるから、やや耳にキツく感じたことも確か。

単にアンサンブルの素晴らしさだけではない・・・なんというのかな、弦の音の解像度の高さ、まさに弦が擦れる音が聴こえてきそうなぐらいキレッキレのサウンドなのだ。ちょっと耳が痛くなる感じなくらい。(笑)

もっとシルキーで絹糸のような肌ざわりの音色の質感や強弱の緩急があると、もっと表情豊かな演奏になったかもしれない。要はちょっと潤いのサウンドが欲しかったというところです。

まっこれはハコのせいかもしれませんね。

飯守泰次郎さんは、もう大河のようにこの大きな流れにある曲をまとめきっていてさすがだと思いました。もう指揮者としても大御所。逐次細かなキューを出すわけでもなく、ある程度団員たちに任せきったような大らかで全体を俯瞰した大捌きな指揮はさすがだと思えた。


ほんの少し前まで体調を崩されていることがあって、出演をキャンセルすることがあったので、とても心配していたのであるが、この日見た限りでは、とても元気そうで安心しました。

仙台フィルを聴くなら、まず飯守さんの指揮で、というのが自分の心の中の大きな目標としてあったので、心願成就。言うことないです。

そして最後に 西沢 澄博さんの首席オーボエ奏者としての勇姿、しっかり拝見してまいりました。
調音のA(ラの音)から、すべてにおいて。真正面に座っていたので、飯守さんに重なって姿は見えなかったけれど(笑)、その嫋やかなオーボエの音はしっかり聴こえていました。

ある意味、西沢さんの勇姿を見ることが、地元仙台まで行こうと思ったキッカケなのですから、想いが遂げてよかったです。


今年の聴き納め。

そして年末の第九を仙台にて、仙台フィルで聴けたことは、今年2018年の自分のクラシック・シーズンを締めくくる上で、本当に最高の自分へのご褒美だったと言っていいと思う。



仙台フィル第九特別演奏会、二日間が終演。

合唱団は終演後解団式を行いました。常盤木学園高等学校音楽科、宮城学院女子大学、エキストラの方々、仙台フィルと第九をうたう合唱団、飯守マエストロとの記念写真です。

仙台フィルと第九をうたう合唱団は、また来年の第九を目指してオーディオションから始まるんですね。(笑)

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(c)仙台フィルと第九をうたう合唱団twitter


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(c)仙台フィル公式FB



仙台フィルハーモニー管弦楽団 特別演奏会「第九」
2018/12/22(土)15:00~ 仙台銀行ホール イズミシティ21

モーツァルト
歌劇「ドン・ジョバンニ」K.527 序曲

ベートーヴェン
交響曲第9番 ニ短調 作品125 「合唱つき」


指揮:飯守泰次郎

ソプラノ:澤畑恵美
メゾソプラノ:金子美香
テノール:片寄純也
バリトン:大沼徹

合唱指揮:佐藤淳一

合唱:

仙台フィルと第九をうたう合唱団
常盤木学園高等学校音楽家1-2年生
宮城学院女子大学音楽家有志

コンサートマスター:西本幸弘
客席首席ヴィオラ:中村智香子

管弦楽:仙台フィルハーモニー管弦楽団









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今年のクリスマスは仙台にて迎えます。 [国内音楽鑑賞旅行]

日記にするなら出発1週間前にリリースするのが普通だろう。でもこの心の奥底から湧き上がる喜びを、あと4か月も我慢して抑えることができない。それはあきらかに健康に悪い。嬉しいならいますぐ発散しないと。

仙台フィルを地元仙台で聴こう!

というのは、去年からずっと心に過っていた想いで、あとはいつ実行するか、だけの問題であった。

そして今年秋の10月の定期公演のチケットを購入したものの、他の公演とスケジュールがダブっていて、誠に残念ながら諦めた。

東北の冬は厳しいので、やはり行くなら夏の新緑の季節が1番いいだろうな~と漠然と思い、そうなると来年に繰り越しということに。誠に申し訳ない、という気持ちでいっぱいだった。

なぜ仙台フィルなのか?

これは心の奥深くある想いで、事情が複雑すぎて、正直あまりはっきり言いたくない。

でも、仙台フィルの公演を生で体験することは、どうしても自分が抑えておかないといけない運命のような気がしていた。数多あるクラシックの公演の中で、ここはどうしても抑えないといけない、という運命の公演って必ずありますよね。

自分にとって、初めて体験するオーケストラは、相手のフランチャイズで聴くのが礼儀。

そういう信念のもと、ずっと機会をうかがっていたわけだ。



仙台フィルの公演も、定期公演をはじめ、いろいろ企画されている。

どの公演に行くべきか?

やっぱり指揮者やソリストで選ぶのは仕方がないだろう。
そしてもちろん演目。


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仙台フィルは、1973年に市民オーケストラ「宮城フィルハーモニー管弦楽団」として誕生。
1983年4月から89年1月に芥川也寸志が音楽総監督として現在の礎を築き、1989年度から2005年度に外山雄三が音楽監督、2006年度から2017年度にパスカル・ヴェロが常任指揮者としてアンサンブルに磨きをかけてきた。

そして今年2018年から飯守泰次郎さんが常任指揮者に就任した。 

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飯守さんといえば、輝かしい経歴の中でも、自分はやっぱりワーグナーを始めとするドイツ音楽のレパートリーが得意、というイメージ。

やっぱり飯守さんはワーグナーだよね。

長年、バイロイト音楽祭の音楽助手を務めていて、日本に戻ってきても、その志を貫いている。
2014年から新国立劇場の芸術監督に就任。そしてつい最近、あのカタリーナー・ワーグナーの強烈な演出のベートーヴェン「フィデリオ」で新国の監督の有終の美を飾った。まさに衝撃そのものだった。(笑)

新国の芸術監督離任に際してのインタビューで、自分がすごく印象的だったのは、

「芸術監督の仕事の大変さは、やはりお金のやりくり。オペラはお金がかかるし、どれくらいのレベルの歌手を呼んでくるかに応じて、その費用、そして何年も前からそのスケジュールを抑えないといけない。そのオペラ演目をやるのに、ある限られた予算の中で、すべてを、その中でやりくりするのは、じつに大変なこと。芸術は、そういう下世話なことは気にしたくないものだが、芸術監督の立場になると、そこが大変だった。次期監督の大野和士君も、必ずそこに苦労するだろう。」

この部分だった。

痛いほどわかるこの事情。

芸術でこういうことを表に出すのは、気分が冷めちゃうというか、ある意味タブーなのかもしれないが、現実問題、現場を回していくには、そういうリアルな面も直視しないとだよね。こういう事情、痛いほどよくわかる。

自分が最近、飯守さんの指揮を直接体験したのは、ミューザ川崎での東京交響楽団の名曲全集。

客演していた。
もちろんワーグナーづくし。

特に涙が出るほど感動したのは、やはりリングの「神々の黄昏」。

ジークフリートの葬送行進曲!

一旦聴いたら、ずっと頭の中をループし続ける、あまりに強烈な旋律。
あまりに有名なライトモティーフですね。

このときの飯守&東響の格好よさは、相当シビレました。
いまでも鮮明に蘇ります。


仙台フィルを聴くなら、常任指揮者に就任したばかりの飯守泰次郎さんで聴きたい、という想いがまずあった。

そこからは消去法。

気持ちは来年の初夏と思っていたのだが、そこにハプニングが起こった。

SNSで仙台フィルの公演の告知を偶然観たのだが、今年の年末の第九で、仙台フィルが仙台で公演をやる。

その独唱ソリストの1人に東京二期会の金子美香さんが出演する、という。 

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金子美香さんといえば、つい先だってまでおこなれていたバイロイト音楽祭で、「ワルキューレ」でグリムゲルデ役として、「日本人歌手がバイロイト音楽祭デビュー!」ということで、一躍時の人だった。

クラシック音楽界、大変な盛り上がりで、二期会のブログや、金子さん本人、SNSで公式ページを開設、その生々しい現場実況中継。やはり嬉しいんだろうな~という感じで、自分はとても微笑ましく見ていた。

「バイロイト音楽祭に出演した日本人歌手」

これからの歌手人生を歩んでいく上で、これは大きな自分の看板になる。
人生ってなにかのきっかけでコロッといい方向に変わることがあるが、この経験は、絶対金子さんの歌手人生の大きな転機になるに違いない。

まさに時の人、旬な人だったわけだが、この仙台フィルの地元仙台での年末の第九で、これまた飯守さん指揮で、独唱ソリストとして出演する、という。

ワーグナーつながり。

なんか、自分を強烈に呼んでいるように思えた。(笑)

時来るってな感じで、いま抑えないと、このチャンスを逃したら、絶対後悔する。

神様が与えてくれたチャンスだと思い、年末のクリスマスに仙台に行くことを急遽決意した。

クリスマスに、年末最後の締めの第九を、仙台フィルで聴く。
これを今シーズンの聴き納めとする。

なんか絶好のシチュエーションのように思えた。

東北の冬は厳しいと思ったが、自分は北海道の豪雪地帯の育ち。全然大したことないだろう。
逆にクリスマスのロマンティックな雰囲気のほうがずっと勝るに違いない。

クリスマスのシーズンになると、クリスマスイルミネーションなど街全体が綺麗に飾られる。
ネットの写真を観てみると、このクリスマスの季節に、道路のアスファルトは露出した感じで、あまり雪が積もっている、という感じでもなさそう。

そして本日チケット発売日、無事チケットを確保した。

やっほぃ~!


そこで、ふたたび原点に戻ってみる。

なぜ、仙台フィルなのか?

それはずばり首席オーボエ奏者 西沢 澄博さんの勇姿を観に行くことが本当の真の目的なのだ。 

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飯守さんも金子さんも公演を選ぶ要因にしか過ぎない。
自分にとって仙台フィルを聴く目的は、西沢さんの勇姿を拝見することにあった。

なぜ?というのを説明するのは、この5~6年でいろいろ自分がお世話になって、心の支えになってきてくれた方々など、その事情が複雑すぎて、説明するのが面倒、また正直あまりはっきり言いたくもない。

西沢さんは、青森県弘前市出身。大学は上京して、東京音楽大学で学んだ。あの宮本文昭さんに師事したそうだ。とてもハンサムで若々しくて未来を託されている、まさに仙台フィルのリードオフマンなのだ。

オーボエ奏者にとって、リード作りは、自分の音色を決める、とても大切な作業。演奏現場の湿度にも影響を受け、とてもディリケートで神経質な作業だ。ご自身のSNSなどで、盛んにリード作りの投稿をしているので(笑)、”西沢さん=リード作り”のイメージがとても強い。(笑)

すべてにおいてつながっている!

どうしても彼の勇姿を観ないといけない、そういう運命なのだ。

せっかく仙台まで観に行くのだから、この公演、降り番でした、というオチはないようにお願いします。(笑)


そんな、こんな感じで、仙台に仙台フィルを聴きに行きます。

仙台は、やはり東日本大震災で被災地として大きな被害を受けた街。その復興を目指して、クラシック音楽業界も仙台フィルを応援していこうという大きなムーヴメントがあることも実際、肌で感じるところ。

仙台フィルは、SNS公式ページを拝見していても、とても若々しくて、明るいイメージですね。
とても明るい、とにかくすごくいい雰囲気。


また、仙台に音楽専用ホールを、という大きな動きもある。

現在の仙台フィルのフランチャイズは、日立システムズホール仙台・コンサートホール。
でも今回の第九の演奏会場は、ここではなく、仙台銀行ホール イズミティ21 大ホールなのだ。

とても楽しみしている。


1泊2日の強行軍なので、冬という季節柄、どこまで仙台観光できるかは、わからんが、適度に楽しんできます。

なによりもクリスマスなのが、絶対いい。

仙台に行ったら、やっぱり牛タン。
なぜ、牛タンといったら、仙台なのか、それまで、よ~く勉強しておきます。(笑)


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京都大好き [国内音楽鑑賞旅行]

2日目。今回の京都ツアーの真の目的は、15:30からのコンサート。これには絶対遅れる訳にはいかない。よって初日含め、それまでの間に計画していたスポットは制覇しておかないといけない。

初日終わって、スケジュールはいっぱいいっぱいに押していた。
正直結構プレッシャーはあった。

2日目最初のスポットは、宇治の平等院を目指した。
京都からかなり離れている郊外で、京都より奈良線で、結構の時間がかかる。
宇治に着いてから、駅から平等院に行くまでが、これまた結構時間がかかる。
(徒歩で10分くらい。)

宇治はお茶の街。街の景観を楽しみながら、平等院を目指した。

平等院

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圧巻だった。これは美しい。
京都に残る数少ない平安建築の色彩。平等院の中でもこの写真の鳳凰堂は、とても有名。
あの10円玉に刻まれている建築物こそ、この鳳凰堂なのだ。鳳凰堂には、阿弥陀如来像が設置されていて、信仰の場だけが持ちうる厳粛な空気が漂っていた。圧巻の一言。


この後、当初の予定にはなかったのであるが、奈良線で宇治に行くまでの途中に、稲荷という駅があって、ここには伏見稲荷大社があることを知っていて、ここも有名スポットだったので、ぜひ、ということで途中下車した。

駅前が、すぐに伏見稲荷大社の門。

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伏見稲荷大社

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商売繁盛の神を祀る稲荷社の総本宮。境内は、朱色の社殿や鳥居が立ち並び、特に千本鳥居は有名。立ち寄ったきっかけも、この千本鳥居を体験したかったからだった。

自分の今年の祈願も商売繁盛。願ってもみない絶好のチャンス。
ちなみに、この伏見稲荷大社は、外国人観光客の人気観光スポット 3年連続第1位であるほど超人気なんだそうだ。

お目当ての千本鳥居。

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中にいると、目が回る~。(笑)

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奉納すると、このように柱1本1本に名前を刻んでもらえて、このように立ててもらえる。日々増えているそうだが。。。



スケジュールが押していたので、急いで、京都駅に着いてから、市バスで金閣寺方面へ。
目指すは、有名な石庭がある龍安寺へ。

地図を見ると、金閣寺の傍にあるように見えるのだが、実際行ってみると、なんと徒歩20分もかかるところにあった。時間が押していて、焦っているところに、この徒歩20分は相当堪えた。徒歩20分って相当歩きますよ。(笑)歩いても歩いても、辿り着かない。不安で途中で街に人に聞いたりして確認。足がかなり棒になった。

なんと龍安寺の前にはバス停があって、バスで行けばもっと適切なアクセスになったようだ。

ようやく龍安寺。

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そして有名な石庭。

室町中期に細川勝元が創建した龍安寺。砂紋の描かれた白砂に15個の石が置かれただけの石庭。いろいろなことを連想させる底の深い芸術品。あのエリザベス女王も絶賛していた!

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石庭が目標なので、達成したら、即座に退散。(笑)目指すは、逆に戻って金閣寺。このまた戻るときの徒歩20分がキツかったな。たぶん今回の京都ツアーの中で一番ツライと思った瞬間だった。

京都に来たら、やはり金閣寺、銀閣寺はどうしても寄っておきたい。ご挨拶みたいなもの。
この日は快晴で、休日ということもあって、大変な混雑。過去3回訪問の中で一番混んでいた。

もう相変わらず外国人観光客だらけ。あまりの混雑ぶりに外人さん、切れていました。(笑)このやり場のない、どうしようもない状況にストレスいっぱいだったんでしょう。


やはり京都観光の大本命、金閣寺。圧倒的な美しさですね。

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最後ラストは、銀閣寺。市バスで向かう。
バス停を降りたら、まず、これもおなじみ京都銀閣寺ますたにラーメンの総本山である、京都の中華そば「ますたに」北白川本店へ。

まさに京都ラーメンの聖地巡礼ですね。

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もう店内に入るだけで、すごいクセのある臭みの匂いが漂っている。
そう!この匂い。日本橋本店にはない、この臭み。この匂いこそ、ますたにラーメンの真髄。

さっそく本場のますたにラーメンをいただく。メン固め、ネギ多めで、ごはんもつけて、男らしい!

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そして銀閣寺へ。

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何度も申し上げているが、自分的好みからすると、落ち着いた感じの和の様式美というセンスからすると、金閣寺より銀閣寺のほうが風情があるような気がするのだが、いかがであろうか?


これにて、予定していたスポットはめでたく、全部廻ることが出来た。時間ぎりぎりセーフ。
銀閣寺は交通のアクセスがあまりよくないので、このようにタクシーがスタンバイしてくれている。

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京都来た時は、いつも銀閣寺を最後に持っていき、最後はタクシーで、京都コンサートホールへ向かう、という感じなのだ。


これはさか戻って、初日の夜のことだが、京都タワーにある大浴場も体験。(笑)
初日も本当に歩き回って足が棒になった。湯船で筋肉十分ほぐすことができた。なかなか中規模に豪勢でいいお風呂であった。

写真撮影は、ここまで。裸族が写ってしまい、盗撮行為と間違われるので。(男の裸体でも)
でも、京都タワーでお風呂入る人っていないよね。(^^;

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春の桜の京都劇場、これにてお終まい。お馴染みの京都駅構内にある「京都茶寮」というお店で抹茶セット。去年から3回京都を訪問して、大体のところは網羅できた、と思います。なんか、とりあえずの征服感あり。これで、しっかり自分の街になったような気分です。やはり日本のイメージを国内外に表現できる最高の街だと思いますね。

これですっかり京都大好き、京都フリークになりました。
またチャンスがあれば、訪問したいです。


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桜の春の京都のはずが・・・ [国内音楽鑑賞旅行]

夏と秋の紅葉、そして春の桜の京都を体験する、と目論んだのだけれど、そうはうまくいかないんだな。今年は寒いようで、開花宣言が1週間遅れになるそうで、今週末が4月上旬に満開になるそうだ。

去年2回も京都を訪れたけれど、もうひとつ行きそびれたスポットが、何か所かあり、今回行くことで、全部制覇したいという目論見。

もちろん、本来の目的は、広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏会にあった。

今年は、武家政権終焉の大政奉還150周年ということで、元離宮二条城がスポットのようだったので、まず最初にそこを狙った。


今年は大政奉還150周年。

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この季節の二条城は、二条城桜まつりということだったらしのだが、残念ながら桜は咲いていなかった。

元離宮二条城

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門をくぐると、かの有名な二の丸御殿

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さっそく御殿の中へ。やはり京都観光は、圧倒的に外国人観光客に占められますね。80~90%くらいがそうではないでしょうか?さらに中国、韓国のアジア勢が多いこと。話し声で一発でわかる。

二の丸御殿の中は、こんなに薄暗い。床がミシミシと鳴きます。
基本的に城内は、撮影禁止だったようなのだが、まったく気づかず、バシャバシャ撮っていました。(笑)

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そして、ここが大広間。あの15代将軍徳川慶喜が、大政奉還を告げた広間である。

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歴史の教科書で何回観てきたことであろう。
感動したが、思っていたより狭い印象だった。(教科書の絵だと本当に大広間という感じ。)



次に訪れたところが、京都御所。(京都御苑)

二条城と地理的に近いので、ぜひ寄ろうと思った。

首都が東京に遷都する前は、古来からずっと、天皇陛下は、この京都御所に住まわれていたのだ。

これがもう驚くぐらいスゴイ広い敷地なのだ。圧倒されるのと同時に、その中を徒歩で移動するのが相当つらかった。それくらい広い。外は普通の街の喧騒なのだが、敷地内に入るとその趣きというか空気が全然違う。さすがにセキュリティが厳しく、カバン中身チェックをやっていたし、宮内庁の職員スタッフが所々に立っていた。

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まず御殿に入る前がこんな感じで果てしない。(笑)

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これが紫宸殿。

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京都御所において最も格式の高い正殿。即位礼などの重要な儀式がここでおこなわれた。
明治、大正、昭和の三代の天皇の即位礼は、この建物内で行われたそうだ。

その周りは朱肉色のこのような塀で囲まれており、この紫宸殿がものすごく権威のある建物に見える。

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実際天皇が住まわれていた住居として使われていた御殿。

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驚いたのは、この天皇のお住まいの御殿の前に造られていた庭園(御内庭)。あまりの美しさに言葉も出なかった。こんな美しい和の雅を感じる様式美の庭園は観たことがない!

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とにかくとても厳粛な気持ちになった。

つぎに、場所は京都の端のほうにある嵐山まで行くことにした。
地下鉄を乗り継いで、こ~んなレトロな電車(笑)、嵐電線だ。

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私が乗った車両には、偶然にも天井に桜の飾りが!

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なんとも長閑な雰囲気で揺られながら、嵐山駅に到着。

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これはなんだろう???とても日本風で面白い。

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なんとホームの上には足湯があるのだ。和だねぇ。(^^)

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まず目指したところは、渡月橋。

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もうこれはとても有名なところですね。駅を出たら左折して歩いていたらすぐに到着する。

これで、つぎの嵐山の観光名所である竹林の道、竹林の小径を訪れることにした。
今度は駅を出て右折する反対方向にあり、10分位歩くだろうか?

最初、プロの写真で観ると、もうとても幻想的で、感動もんなのだ。
これにつられて、自分はぜひ行ってみたいと思ってしまった。

これがプロの図。

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で、いざ自分が直接行ってみると、確かに感動。写真と違って観光客が多いけれど。でも自分が写真を撮ると、これが全然ダメなんだな。(笑)プロのような幻想的な雰囲気が出せない。もちろん人っ子一人いない現場を作るのだけれど、プロはやっぱりスゴイと思った。

私の撮った図。

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もうこの頃になると足がかなり棒状態。相当疲れていた。京都御所がキツかった。



ついでに、この竹林の小径の隣にある天龍寺の有名な庭園を観ておこうと思った。
天龍寺というのは足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために建立されたお寺だそうである。

そこに有名な庭園があって、嵐山の雄大な眺めと曹源池が一体になったこのアングル。超有名だそうだ。美しい!

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ここまで来ると、足はもう棒状態で限界。空腹の極致だったので、休憩がてら、京都名物であるとうふと湯葉を使った精進料理をいただくことに。


「嵯峨とうふ福」というお店

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湯豆腐と湯葉のいろいろなメニューがあるのだが、私は嵯峨御膳という主に湯葉をメインにした精進料理を選んだ。

嵯峨御膳

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美しい京料理の代表的な感じですね。

一番左下にあるご飯に醤油の餡がたっぷりかかっていて、それに黄身絡み(?)の豆腐と湯葉が絡んだものが、信じられないくらい美味しかった。




初日はこんな感じ。トータル2日間の滞在であったが、本当によく歩いて移動した。
ひとつの場所でじっくりと時間をかけて、ではなく、なるべく有名なところを短時間でたくさん観て回るという貧乏性な性格なもんで、お恥ずかしい限りです。

もし伴侶がいっしょに居たなら、「あなたといると疲れるわ」と言われそうな旅程であった。(笑)


広上淳一さんが京都市交響楽団を振る。 [国内音楽鑑賞旅行]

京都市交響楽団(京響)の創立60周年を締めくくる第610回定期演奏会が京都コンサートホールで行われた。

25/26日の両日行われ、自分は25日に参加。

マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」という大曲で、合唱を含む総勢411人が壮大な音楽絵巻を繰り広げた。

自分はかねてより、「広上さんが京響を振る」という絵柄をどうしても見ておくことが、自分の音楽人生にとって避けられない運命のように感じて、機会を狙っていたのであるが、創立60周年を締めくくる定期公演のラスト、そして千人の交響曲という滅多に演奏される機会が少ない大曲、という願ってもなかった大舞台で、それを実現することができた。

広上淳一さんは、まさに2017年度で京響常任指揮者としては最長の在任期間である10年目を迎える。 


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広上さんが常任指揮者に就任してからの京都市交響楽団は驚異的な能力の向上を遂げたとして、京都市交響楽団とともに「第46回(2014年度)サントリー音楽賞」を受賞している。

まさに、いまの京響サウンド&演奏スタイルを築き上げてきたのは、広上さんであり、団員からも絶大の信頼を得ているのだ。



自分が拘る理由がもうひとつある。

SNSで交友のある演奏家の方々が、広上さん門下生というか、教えを請うた者が多く、なにかこれも不思議なひとつの縁なのか、と自分で思うところがあった。

広上さんは、1958年生まれ。意外や自分とそんなに歳も離れていない。東京音楽大学出身。
日本デビューは、1985年のN響公演。その後、日本フィルの正指揮者にも就任。

海外オケとの客演では、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、バイエルン放送交響楽団など他多数客演。

2007年には、サイトウ・キネン・フェスティバル松本にも客演している。
群馬交響楽団、札幌交響楽団の友情客演指揮者にも就任。

そんな輝かしい来歴の中でも、やはり京響の占める割合が多く、充実と蜜月の日々を過ごしてきていて、まさに広上さんの分身ともいえるオーケストラなのだろう、と思う。

去年の夏と秋に、京響の演奏は、この京都コンサートホールで堪能できたが、いずれも客演指揮で、やはり「広上さんが振る京響」という図をどうしても観ておかないといけないという想いが強かった。


念願は成就した。願ってもいなかった大舞台のコンサートという形で。


今回の座席は、なんと最前列のスーパーかぶりつき。(笑)

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どうしても、京響&京都コンサートホールの公演でチケットを購入すると、いずれも前方かぶりつきの座席になるのが不思議だ。マラ8の千人の交響曲なので、ステージ後方座席は、合唱団で占有される。


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京響にとって、千人の交響曲を演奏するのは、じつに22年ぶり。

ステージに独唱の声楽家たち(指揮者の前)と約120人編成のオーケストラ、その後方には京都市少年合唱団と、一般公募を含む混声合唱団(後方座席)が陣取った。


この大曲に相応しい壮大なスケール感、合唱のハーモニーの美しさなど圧倒的な公演だった。
特に合唱のハーモニーの美しさは絶品で、音の厚みと和声感のある気持ちよさと言おうか。

いつも思うことなのだが、合唱を聴くとき、どうして人の声ってこんなにドキッとするほど、神聖な感じの美しさで重なり合ってホール内を響き渡るのだろう。楽器の響きにはけっして負けていない、というか根本的に違った魅力の人の声だけが持つ美しさがある。

一般公募も含む、ということだが、かなり高水準の域のように感じた。

広上さんの指揮は、過去2~3回拝聴したことがあるが、こんな間近で観るのは初めて。
汗が飛んできそうな感じだ。(笑)

過去のイメージと変わらず、相変わらずの広上節ともいえる指揮振りだった。
指揮台をピョンピョンと跳ね飛んで、まさに体いっぱい使って表現するエネルギッシュなその指揮法。

指揮者という稼業は、年齢が若い時は、それなりに体全体を使うダイナミックな指揮振りであっても、それが経年とともに、体が言うことを聞かず、年相応の動きの小さな指揮振りに変化せざるを得なくなっていくもの。

あのカラヤンがそうだった。

でも広上さんは御年の割には、まったくそのような心配が要らない、逆を言うと観ている自分たちが心配してしまうほど、躍動的でエネルギッシュそのもの。マラ8という大曲ということもあるが、まさに全身を使って、オーケストラから見事な躍動的なサウンドを引き出していた。

音のうねりやグルーヴ感を捻りだすところなんて見事であった。




今回は独唱の声楽家陣に不運が重なった。


当初予定されていた内外声楽家など、公演間近に続々とキャンセルが相次いだ。
急遽ピンチヒッターが任命された。

以前、堀米ゆず子さんのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のことを日記で触れたが、ヴァイオリン協奏曲でおよそこれだけの難曲を、直前のキャンセルでピンチヒッターで弾かなければいけなかった堀米さんの当時のプレッシャーと、それを見事に演奏しきったことには本当に敬服するばかり。

ゴローさんの日記で、この件と併せて、ピンチヒッターについて、もう2例取り上げられていたことがあったので、紹介しておこう。


35年ぐらい前に、ヴァイオリニストで芸大教授の海野義雄さんが、いわゆるグァダニーニ事件で検挙され ブラームスのヴァイオリン協奏曲をほとんど本番前日にキャンセル。

当時コンサートマスターに就任したばかりの徳永二男さんが、ピンチヒッターに立ち、オーケストラともども火を吹く様に激烈な演奏を展開し、男を上げたことがあった。



さらに、もう15年以上前のことになるが、ゴローさんがN響の番組を担当していたときに同じような状況で ピアノのソリストがキャンセル、 清水和音さんが ブラームスのピアノ協奏曲第2番のピンチヒッターを努めたことがあった。

本番前日のオーケストラとの練習にあらわれた清水さんは、充血した目に牛乳瓶のふたのような眼鏡をかけて 憔悴した受験生のようにすら見えた。 徹夜で練習したのに違いない。そんな姿を 彼が見せたのは初めてで、ゴローさんはとても驚いたそうだ。

なぜなら清水和音さんといえば いつも自信たっぷりで、歯にモノを着せぬ物言いで、その頃、しばしば物議をかもしていたからだそうだ。(真偽は不明ですが?)

結果は 見事だった。これぞ超一流のプロ!という立派な演奏で、ゴローさんの清水和音さんに対する見方が 大きく変わるきっかけとなったそうだ。




この3つのケースを書いてきた曲目が 

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、
ブラームスのヴァイオリン協奏曲
ブラームスのピアノ協奏曲第2番

とそれぞれのジャンルでも指折りの名曲・大曲揃いで、そのことが やはり演奏家のチャレンジ根性を引き出すのだろう。

厳しい見方かもしれないが こういう時にこそ演奏家の真価が問われるのかもしれない。



この日の独唱の声楽家たちは、見事にその重責を果たしていたと思う。マラ8という声楽が占める割合の多い曲で、ものの見事に代役の役割を完遂し、これを聴いていた自分は、まさにこのピンチヒッターという日記を思い出して、彼らを讃えるとともに、このことをぜひ日記に書こうと思った次第なのである。





京都市交響楽団 第610回定期演奏会
2017/3/25(土)15:30~ 京都コンサートホール

マーラー交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」

指揮:広上淳一

髙橋絵理(ソプラノ)
田崎 尚美(ソプラノ)
石橋 栄実(ソプラノ)
清水 華澄(メゾソプラノ)
富岡 明子(メゾソプラノ)

福井 敬(テノール)
小森 輝彦(バリトン)
ジョン・ハオ(バス)

京響コーラス、京都市少年合唱団 ほか

管弦楽:京都市交響楽団


秋の京都の紅葉散策 そのさん [国内音楽鑑賞旅行]

コンサートがもちろん主の目的なのだが、もちろんこの秋の季節の京都の紅葉を楽しむのも大きな目的でもあったので、最終日の月曜日、1日休みを取って、紅葉鑑賞の日にあてがった。

まず、目指すは平授庵。
ここは最高に楽しみにしていた。

ここもJR東海の「そうだ 京都、行こう。」のキャンペーンで採用された紅葉スポットで、これが実に素晴らしい絵柄で、ガイドブックの写真を観たときは、絶対ここにいくっ!という感じで楽しみにしていたところであった。

建物の室内から外の紅葉を撮影するのが、ひとつのポイントになっていた。

本来であれば、こんな素晴らしいショットが撮影できるはずであった。

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ところが実際行ってみると、こんなん感じであった。(笑)

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紅葉は完全に盛りを過ぎているようだった。あと、入り口の門のところのおばさんに聞いたところ、室内には入れないそうで、そうすると、例の室内からの紅葉の撮影はできないことになる。詐欺だ。(笑)

でも盛りが過ぎたいまの時期だから、そうなのであって、紅葉真っ盛りのときは、室内からの撮影も許可されるのかもしれない。

この平授庵では、こんな庭園もあって、それなりに和の風情があって素敵だと思った。

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また、ここ平授庵では、こんな人力車が大変多く、京都にいたときに感じたのだけれど、結構観光客って、こういう人力車に乗ってみたい、というニーズがあるみたいですね。あちらこちらで、散見されました。

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つぎに目指したのが醍醐寺。豊臣秀吉ゆかりの大寺院で、ここの入り口から入った1番奥にある弁天堂というエリアの紅葉が、ガイドブックにも乗っている最高の紅葉スポットになる。


さっそく、そこに到着。

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う~ん、確かにガイドブックの写真と比べると、盛りは過ぎている感じなのだけれど、紅葉の自然と、全体のフレーム内での構図のセンスの良さは抜群で、これは絵になるショットだと思いました。素晴らしい絶景だと思う。




次に向かったところは、高台寺。

まずは、ここにも人力車がスタンバイされていました。京都では、この人力車に乗ってみたい、というビジネスが盛んなんですね。

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ここはどちらかというと、約1300個もの照明を使う大規模なライトアップが評判で、紅葉の木々が夜の水面に浮かび上がる幻想的な臥龍池が超有名で、このお寺での一番有名なスポットでもある。

どちらかというと夜のライトニングのほうがいい感じですね。

でも、この臥龍池の存在がわからなかった。(大泣)
スタッフの人に聞いても、池はここにありますけど・・・?う~ん?という感じで、心もとない。
結局場所を特定できず、とりあえず、美しいな、絵になるな、というショットを撮影してきました。

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ここは、この時間帯は逆光になってしまったけれど、石&砂の庭園と紅葉が妙にマッチした、とても絵になるフレーム構図だと思いました。

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こんな青竹の森林のような場所もあって幻想的。

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敢えて言えば、このショットが1番絵になるかな?という自分の印象。

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そして最終章の訪問先は、北野天満宮のもみじ苑。
ここは永観堂についで、最高に素晴らしい紅葉スポットだと思いました。

かなりの庭園の広さで、もみじでいっぱい!
樹齢400年以上の楓、豊臣秀吉ゆかりの史跡でもあり、昼間に訪れましたが、やはりここも夜の
ライトアップがいいですかね。

とにかく紅葉したもみじでいっぱい。

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ここの1番の紅葉スポットは、たぶんここ。

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なんとプロのモデルさんによる撮影が行われている最中で、結婚式の記念撮影は、このスポットで撮影しましょう!というプロモ的な写真を撮影しているのだと思う。

ご覧のように照明機材があります。ディレクター、照明係、衣装係、撮影スタッフなど、かなりのスタッフ陣で物々しい感じで撮影がおこなわれていました。

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ショット最終形は、こんな感じなのでしょうか・・・?

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帰りの路すがら、紅葉の落ち葉が川沿いに集まって幻想的。

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紅葉散策の最終地を、この北野天満宮のもみじ苑にしてホントに良かった。
最後を締めくくる最高の紅葉スポットだと思いました。


これにて京都ツアー全日程終了。
自分に、まずご苦労様と言いたい。(笑)

日本の和のテイストを味わう旅行として、京都を選択するのは、至極当然だし、海外旅行とは違った、本当に素敵な体験ができた。まっ自分は、食生活だけでなく、基本、和党の人間なので、大変満足のいく音楽旅行だと思いました。


秋の京都の紅葉散策 そのに [国内音楽鑑賞旅行]

京都に来たら、ベタだけれど、金閣寺、銀閣寺はどうしても寄りたいと思っている。

9月に訪問した時は、とても感動した。特に金閣寺は、入り口から長々歩いていると、突然あの風景が現れるときは、心臓にドキッとするくらい感動するのだ。

紅葉時期を迎えて、綺麗に色づいていると、さらに映えて見えるだろうな、と思い、訪問してみることにした。

まず金閣寺。
意外や、ほとんど色づいていなかった。
でも、この荘厳なお姿は、相変わらず圧倒される。

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どうしても紅葉の金閣寺を撮影したい自分は、スポットを探った。

そうすると、ここからのフレームが、秋の紅葉の金閣寺を連想できて、素敵だと思った。

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つぎに銀閣寺。
こちらのほうが色づきはよいように思えた。

この日は、あいにく1日中雨が降っていて、写真を撮影しても、フォーカスや輪郭が甘いというか、ぼやけているように見えるのだが、でも色づいた銀閣寺は美しい。

まっ、これは自分の嗜好の問題だが、金閣寺も素敵だけれど、銀閣寺のほうが、庭園などの和の様式美が整っている感じがして美しい気がする。

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そして京都市交響楽団の素晴らしいコンサートに大感動して、一気にボルテージが上がり、雨が降っているけれど、遠征して出向いているので、これは行かなきゃ損ということで、この晩も秋の紅葉狩りに出かける。


選んだのは永観堂。

これが大正解だった!

たぶん今回の紅葉散策の中で、1番最高の紅葉スポットだと思えた。

永観堂は、京都屈指の紅葉名所で、平安時代にその紅葉が和歌に詠まれるほど歴史は古く、いつしか「もみじの永観堂」と呼ばれるようになったそうだ。

境内には、もみじが3000本以上と京都で最多!
中心部より寒いので、色づきの良さでも評判が高い。
伽藍や池など、秋の境内は絶景ビューが目白押し。

とにかく、秋の京都の紅葉散策をするなら、敢えて1箇所を選ぶなら、迷わず、この永観堂をお勧めします!

とにかく入り口からこんな絶景な通りが現れる。いやが上でもかなり期待させられる。

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このフレームが現れた時点で、もう永観堂は間違いなし!と確信が持てた。

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以下、庭園内をいろいろ散策して、アンテナにビビッときたショットを撮影してきたので、ご覧ください。境内は、かなり広いです。そして色づいたもみじで一杯!

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たぶん、このフレームが、この永観堂の中で最高のスポットだと思われる。
ガイドブックに載っているのは、このショットだと思います。
美しすぎる!

なんと庭園内には、雅楽の旋律が流れていました。

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ほかにも、帰りの道すがら。。。

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とにかくこの永観堂は最高の紅葉スポットだと、つくづく実感したし、2日目にして、これだけ堪能できたのなら、今回の秋の京都の紅葉ツアーは大成功だと確信できたのでした。


秋の京都の紅葉散策 そのいち [国内音楽鑑賞旅行]

JR東海が、1993年からやっているキャンペーン「そうだ 京都、行こう。」。

そんな昔からやっていたんだ?(笑)

自分は今年になって京都を強く意識したので、このキャッチフレーズも今年になって、はじめて耳にするような感じがした。

なにせ普段TV観ない(少なくとも音声は聴かない)人なので。(笑)

まさに京都には世界文化遺産の寺院が集中していて、「日本&和」を意識する絶景の景色が集中している。

特に秋の京都の紅葉は、大変な人気で、この時期はまず宿泊が取れない。
何か月も前から予約しないといけない。

以前、この時期に宿を取ろうとしたら、東は名古屋付近、西は岡山あたりまで、びっしり予約満杯で取れなかった経験がある。「理由は秋の京都の紅葉は、毎年こんな感じなんですよ。」という旅行会社のお姉さん。

今回、京都のツアーで11月下旬にコンサートに行くので、この時期は紅葉真っ盛りだな、ということで早めに予約しておいた。

紅葉鑑賞はやはり、昼間もキレイだけれど、夜のライトニングのほうが、ずっと感動しますね。
あの衝撃の美しさは、間違いなく夜のほうが感動する。

秋の紅葉の鑑賞の時期のタイミングって難しい。

ガイドブックに載っているような絶景の写真は、もちろん撮影用で、年間の中で最高の瞬間を撮影した写真。自分のように、限られた日程で、いろいろな寺院を廻るとなると、どうしても当たりはずれが出てしまうのだ。

まだ色づいていない、紅葉真っ盛り、盛りが過ぎた、この3種類のどれか。
全部の寺院が揃うということはまずない。

今回行って大正解だと思ったのは、永観堂、清水寺、そして北野天満宮だと思った。
前者2つの寺院は、夜のライトニング。やっぱり夜のほうが感動する。

では、実際の旅行では、3日に分けて、紅葉狩りをしたので、それに合わせて3部構成の日記で紹介したいと思う。



1番最初に行こうと思ったのは、毘沙門堂。
JR東海の「そうだ 京都、行こう。」の初年度のキャッチコピーのときに使われた紅葉スポットで、


こんな目の覚めるような素晴らしい絶景の写真を期待していた。

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でも実際行ってみたらこんなんだった。(爆笑)

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もうがっくり、の極致。

そのときガイドブックの写真って、絶景の最高のタイミングで撮影しているから、実際はこんなもんかもよ、という友人のコメントもあり、はぁ~、今回の秋の京都の紅葉ツアーって意気込んで楽しみにしていたけれど、実際はこんなもんで、過度の期待はしないほうがいいのかなぁ、という気持ちになった。

申し訳ないが、嫌な運気が漂っている感じがした。

それを見事にぶっ飛ばしてくれたのが、京都市交響楽団のコンサートであった。

大変素晴らしかったので、よっしゃ、夜の紅葉を観に行こうと思い、9月の時は、絶景の撮影ポイントである「奥の院」が工事中で、いい写真が撮れなかった清水寺に行くことにした。


今回学んだことは、やっぱり「秋の京都の紅葉鑑賞」は、人混みとの闘いである、ということ。
ある意味当たり前だよね。みんな考えることは同じなんだから。

とにかく時間に余裕をもって、行列を待つ覚悟でないといけない。

もちろんお寺によって人混みのバラツキはあるのだけれど、特に大激混みだったのが清水寺。

清水寺は、平成20年に開始した平成の大改修工事の真っ只中で修理している箇所がたくさんある。

この大改修は、安全に工事を進める必要と、美しい景観をできるだけ保つため、少しずつ行われてきたのだが、いよいよ「清水の舞台」で知られている本堂が、早ければ来年2017年の春、改修のため素屋根で覆われることになるそうだ。

素屋根で覆われることになる期間は、清水の舞台を過ぎてすぐの高台(いわゆる奥の院)から普段であれば眺めることができる「右に清水の舞台、左に京都の街並み」というおなじみの景色が見れなくなってしまうことを意味している。

その直前ということは、いいタイミングで拝観できると思った。

でも行ったら、地獄が待っていた。(笑)

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この大行列を観て、このまま帰っちゃおうか?と思ってしまった。(笑)
気が遠くなる。


えっつらえっつら、ようやく清水寺の境内に入ったはいいものの、中も大変な人混みで身動きが取れない。もう中でスタッフの方が交通整理をやっているのだ。

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もうこんな状態で、絶景を撮影するポイントである「奥の院」までは、あと1時間かかりそうです、というアナウンス。なんか雨も降ってきた。。。


そして待つこと1時間超、ようやく絶景の撮影ポイントに到着。

おぉぉぉ~!これでオレは十分報われたか???
嬉しかった!

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さらにもう少し離れたところから。左に京都の街並みが見えるようなポイント、つまりを「右に清水の舞台、左に京都の街並み」を探って、こんな感じ。

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ありがとう!もう思い残すことはないよ。



雨は降っていたけれど、足取りは軽かった。
秋の京都の紅葉が、ちゃんと美しいところもある、ということがわかったので、今晩のショットだけでも充分救われた。

大切なものが撮れたので、あとは、帰路の最中、ビビッとアンテナに引っ掛かったポイントを撮影。

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素晴らしかった!

コンサートをきっかけに嫌な運気を一気にぶっ飛ばした!
疲れたけれど、最高の1日となった。




京都市交響楽団定期演奏会 11/26 & 11/27 [国内音楽鑑賞旅行]

前回9月の公演の時は、オーケストラ、コンサートホールすべてにおいて、はじめてづくしだったので、なにか試験を受けさせられているような気分で、心臓が痛くなるくらい緊張したし、まずはオケの技量やホールの音響などを確認するというところから入っていった。

でも今回は、すでに素性がわかっているので、本当にリラックスできて楽しめた。
そしてなによりも、楽曲の素晴らしさ、純粋にこれだけに専念でき感動できた。



メシアン トゥーランガリラ交響曲。



今回のコンサートの感動は、この楽曲に尽きると思う。

もちろん指揮者、ソリスト、オーケストラのみなさんのすべてが素晴らしいのはもちろんなのだけれど、この曲のとてもユニークでちょっと不思議な調性の旋律が、自分の心を鷲掴みにした。

メシアンは、20世紀を代表する作曲家で、ジャンルとしては現代音楽なのだが、現代音楽のような”前衛的”な要素よりも、もう少し万人に受け入れやすいような親しみやすさがある。

今回この曲が、自分の心を動かしたのも、そんなところに要因があるのだと思う。

調べてみると、このトゥーランガリラ交響曲の日本での初演は、1962年、小澤征爾さん指揮&NHK交響楽団によるものであった。

小澤さんは、メシアンの生前とも交流があったようで、このトゥーランガリラ交響曲の録音を捜してみたのだが、意外や数が少なく、その中でも小澤さんは積極的に録音をしている。


そして現代クラシック界で、メシアンの演奏家として第一人者なのが、児玉桃さん。
オクタヴィア時代から、メシアンの作品をずっと録り続け、メシアンの演奏に関しては、彼女の右に出る者はいないと思う。

このトゥーランガリラ交響曲の中で、大活躍なのが、オンド・マルトノという古楽器。この楽器の演奏の第一人者である原田節さん。この曲を演奏するだけでも300回は下らない、という。

そして指揮者が、京都市交響楽団の首席客演指揮者の高関健さん。自分の中では、若き頃にカラヤン指揮コンクール・ジャパンの優勝者というイメージがどうしても強いのだが、児玉桃さんのデビュー以来、ずっと彼女をサポートしてきた恩師のようでもあるそうだ。


こうしてみると、このようなバックグランド&布陣で、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の演奏で、この演目を聴くのは、やはり自分の運命のような気がしてならない。


今回の座席は、

初日は、こちら、1階席1列10番目。
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2日目は、1階席3列17番目。
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なんと!驚いたことに、9月のアラベラさんのときの座席と、両日とも全く同じなのである!
こんなことってあるのだろうか!(驚)

神様の誘いんですね。きっと。。。


このトゥーランガリラ交響曲の編成は、最前列に、ピアノをはじめ、鍵盤の古楽器がずらっと並び、その後ろに大編成のオーケストラが陣取るというまさに大編成そのもの。


最前列は真ん中にピアノがあるのだが、その左側に、チェレスタ、ジュ・ドゥ・タンブル、ビブラトンという古楽器が並ぶ。

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右側にオンド・マルトノ。

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ステージ全体を俯瞰してみると、こんな感じの大編成なのである。

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特に、自分の中では今回大活躍というか、曲全体に山椒にピリッという感じで、素晴らしいアクセントを加えていたのが、オンド・マルトノであった。

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オンド・マルトノという楽器自体は初体験ではなく、以前にサイトウキネン松本で、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」で使用されていたことで、記憶にあったのだが(このときの演奏も原田節さんだと思う)、こんな至近距離で聴くのははじめてであった。


オンド・マルトノというのは、いわゆるシンセサイザーの原型ともいえる古楽器で、上の写真のように、鍵盤そのものの以外にスピーカーが何個も立てられている。20世紀前半に誕生・発展した電子楽器で♪ピュオ~ンというグリッサンドのかかったいかにも電子音的なサウンドが印象的。

非現実的な宇宙サウンドと言ってもいいのではないか?(笑)

クラシック音楽の世界では、今回のメシアンのトゥランガリラ交響曲がオンド・マルトノを効果的に用いた楽曲として 最も有名かつ成功作だと言えると思う。

ゴローさんが、その昔、サイトウキネンの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」の撮影で、現地から、このオンド・マルトのことを日記にして発信していたことを覚えていた。

その日記の中で、「SACDの初期にDECCAからリリースされたシャイー指揮RCOのトゥランガリラ交響曲では、5.0サラウンドで まさに部屋を縦横無尽に駆け巡り非常に印象的な効果をかもしだしていた。」と書いてあって、うっ欲しい~と思い、捜してみたのだが、廃盤のようで見つからなかった。いつか中古市場で、必ず!(笑)



トゥランガリラ交響曲を聴いての全体の印象。

とにかく不思議な調性の旋律が魅力的で、自分が一番感じたのは、音数が多いな、ということだった。(笑)

古楽器含め、これだけの大編成で演奏される曲なのであるから、ある意味、”音数が多い”のは当たり前なのかもしれないが、座席もかぶりつきということもあって、かなりの迫力で自分に迫ってくる感じで、たいそう気に入ってしまった。

とにかく一番大変なのは、ピアノの桃さん。

まさに80分の大曲で、交響曲という名前だけれども、ピアノはずっと弾きっぱなし。ある意味、すべての楽器を従え、ピアノがぐんぐん引っ張っていっているような”ピアノ協奏曲”で、まさに全身全霊の熱演に、観ているほうが魂を何回も吸い取られそうな感じになった。

交響曲といっても全10楽章からなる変則の構成で、1楽章づついろいろなバリエーションの表現が要求される。静謐な美しい調べから狂喜乱舞の和音の連打に至るまで・・・いろいろな表情を見事演じ切っていた。


京響のオーケストラサウンドも申し分なかった。やはりこのオケは、ホントに弦が極めて優秀。音にしっかりした厚みがある。

そして先日の日記でも書いたけれど、ヴァイオリンが奏でる帯域、ヴィオラが奏でる帯域、チェロが奏でる帯域、コントラバスが奏でる帯域、弦楽器だけでも高域から低域にかけて様々に異なる周波数帯域を持つ楽器の合奏なのがオーケストラ。

この日の合奏は、オーディオ的なアプローチでいうところの見事な周波数領域上での”和声感”を感じるサウンドだった、ように思う。


指揮者の高関さんは、素人の自分がいうのは大変恐縮なのだが、指揮の振りが非常に美しくてレガートな印象だった。特に指揮棒を持たない左手の表情が豊かで美しく感じる。

今は亡き、クラシック写真家の木之下晃さんが、仰っていたことなのだが、カラヤンの指揮の美しさは、指揮棒を持つ右手ではなく、その左手の表情の美しさにある、という言葉を思い出した。

とにかくいままで聴いたのないとてもユニークな楽曲で、演奏の出来含め、今年1年を締めくくるイヴェントとして相応しい素晴らしい演奏だったと思う。

前回の9月、そして紅葉が美しかった今回の11月と、京都ツアーと題して、京都市交響楽団&京都コンサートホールを体験したが、海外音楽鑑賞旅行に決して負けない同等、いやそれ以上のレヴェルの質の高さと充実した音楽旅行だったと、いま回想してみていえるのではないだろうか。


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(左が児玉桃さん、右が原田節さん)





京都市交響楽団第607回定期演奏会
2016/11/26 & 2016/11/27 14:30~
京都コンサートホール

指揮:高関健
独奏:児玉桃(ピアノ)
   原田節(オンド・マルトノ)

管弦楽:京都市交響楽団

メシアン:トゥーランガリラ交響曲(80分)




京都のきめ細やかな和のセンスを楽しみました。 [国内音楽鑑賞旅行]

京都を3日間歩いて感じた印象は、とにかく繊細、きめ細やかな感じというか、”和”てきなもの、日本が古からずっと持ってきたいいものを全て凝縮したような街である、という感じだった。

自分は京都に住んでいたことがある訳ではないし、本来の京都のことを知らないのかもしれないが、でも表面的なことしか知らなくてもいいではないか、と思えるほど、素敵な印象であった。

(数か月前にTV番組かなにかで、表面向きは柔らかいけれど、結構内面は皮肉、陰湿で裏があるとか、京都を揶揄しているのを見て、あまりいい思いをしなかったのであるが。。。)

話しかけると、その応対がとても親切ということ。いつも過ごしている日常空間より強く感じる。みんなすごい笑顔で親切。”おおきに~”という言葉がとても新鮮なアクセントだった。普段、自分の周りでは、まったく聞いたことのない言葉、アクセントだったので、かなり衝撃だった。


今回宿泊したホテルの部屋(シングル)も、素晴らしく和のセンスで素敵だった。

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ホテルに帰ったら、鶴を折って、部屋の清掃担当者名。なんか細やかな心遣いだなぁ、という感じですごい和を感じる。

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こういう素敵な空間にいると、もちろんパソコンを持ち込んでWiFiでネットしていた訳だが、筆がすすむ、すすむ。(笑)普段の自分の汚い部屋で書いているのと違って、こういう京都のホテルで書くと、とても素晴らしい日記が書けるに違いない。(笑)


個室のお風呂とは別に共用の浴場もある。
こんなに和の雰囲気。京都してるー。心地よい疲労感をさっぱり流す。極楽とはこのこと。

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このような京都の寺院巡りを含め、3日間でできるだけ和のセンスを楽しんでこようと思った。しかし、太平洋戦争終結のときに、アメリカが原爆投下の候補都市として京都が入っていたという事実は信じられない驚きと怒り心頭。


京都は、日本古来よりの首都、まさに世界文化遺産の集まりのような街。それを一気に死の灰の景色と化す、破壊するなどとは、考えたくもない暴挙。

京都の寺院巡りをするときの方法は、ずばり”市バス”を使うこと。東京やロンドンは地下鉄が発達していて、地下鉄の最寄り駅に観光地もあってスイスイ乗り継いでいく。京都で、それに相当するのが市バスなのだ。

JR京都駅

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中はすごい近代的なオブジェみたい。

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この京都駅前に京都タワーがある。

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このJR京都駅と京都タワーの間に、市バスの停留所が集中しているのだ。

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ご覧のように、もう観光名所の寺院が行先になって、その寺院をぐるぐる回って巡回するように、市バスのコースって決まっているのだ。だから自分が、どの方面の寺院を巡りたいか、この市バスの掲示板を見て、そのバスに乗ればいいだけなのである。


まずは、金閣寺に行くことにした。

その昔小学生の頃に、実家の九州佐賀県へ家族旅行した時、京都に寄った。そのとき京都寺院巡りをしたとき、銀閣寺は行ったのだが、金閣寺は遠く離れているので、やめようということになって、それ以来変なコンプレックスがある。(笑)

そのコンプレックスを跳ね返すべく、20年前くらいに1人で京都旅行をして、金閣寺に行ったのだがそれ以来。金閣寺&銀閣寺と両方いっぺんに行くのは今回がはじめて。

「金閣寺道」が最寄の停留所。

入り口の正門。

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このお札が入場チケットに相当するもの。

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そして、この景色が一面に現れたとき!もうなんともいえない大感動!美し過ぎる。まさに日本が誇る世界遺産。まさに京都観光の大本命といえるところだろう。

見よ!湖面に金閣寺がそのまま映り込んでいるのがわかるだろう!(水面に映る逆さ金閣)これは、11月の紅葉のときは、もっと感動するだろうな。

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金閣寺は正式名は、臨済宗相国寺派鹿苑寺。室町3代将軍足利義満によって建てられた。まさに公家+武家+禅のコラボ、北山文化の金字塔ともいえる。

金閣寺の前の池である鏡湖池。

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グルリと回って、その荘厳なるお姿を四方から撮影する。

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大体入門して、一通りの拝観コースを歩いたら所要時間1時間くらい。


つぎに目指すは、銀閣寺。既述のように、もう京都市内は、観光地寺院巡りがしやすいように市バスが、その循環をしてくれるのでその行先を見て乗ればいいのである。

金閣寺の前の市バスの停留所では、もう銀閣寺行の市バスが走っているので、それで、そのまま銀閣寺へ直行したわけだ。

フットワーク軽い。(^^)

「銀閣寺道」が最寄りの停留所。

なんと、この向かいに京都銀閣寺ますたにがある。(笑)初日あれだけ苦労して歩いて捜したのに、市バスを使ったらあっという間。(笑)もうスルスルと誘われるように、店に入ってしまい、至極の1杯を。。。

さて、銀閣寺に向かう訳だが、ここはバス停留所から、かなり歩く。ひたすらまっすぐ直進なのだが、結構な距離歩くのだ。

そしていよいよ入り口の正門。

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このお札が銀閣寺の入場チケットに相当するもの。

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さっそく本堂に向かうべき歩いていると、前に和服の女性2人。京都やね~。(^^)

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そして銀閣寺現る。

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銀閣寺と、その周辺の庭園のありよう、だとかを見ていると、いわゆる和の洋式感というか、和のテイストというか、心に染み入ってくる深いものがあるのは、金閣寺よりも銀閣寺のほうかなぁという自分の意見。

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銀閣寺は、室町幕府8代将軍足利義政が建てたもので、正式名称は慈照寺。
義政の美的センスが光る名庭と名建築の競演といったところだろうか。

これも11月の紅葉のときは、ホントに楽しみ!



さて翌日、京都観光のために1日フリーで空けておいた。たくさん寺院を廻ろうとも思ったけれど、結構疲れていて、2つほど廻ったらもういいや、という感じになった。(笑)

まずは、平安神宮。FBへのアラベラさんの投稿を見ていると、この平安神宮を観に行った写真があったので、これは自分も観に行かねば、と急遽決めた。(ミーハー(^^;;)

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これは美しい。早朝に行ったので、人はまったくいなかったのであるが、その美しい姿に言葉が出なかった。明治時代に平安京を造営した垣武天皇を祀って創建された。


この平安神宮の近くに、ロームシアター京都があるんですね。そのとき気づきました。

京都府内唯一の2,000人規模のホールとして、コンサートを中心に講演会や映画の上映会などの開催を通じて(多目的なんでしょうかね?)、「文化の殿堂」として親しまれてきた「京都会館」が、2016年1月10日に「ロームシアター京都」として生まれ変わったとのことでした。

この話は、FBで知っていたので、ここがそうかぁということで感慨深くなりました。
いつか機会があれば、体験してみたいですね。



そしてつぎに向かったのは、清水寺。あの「清水の舞台から飛び降りる」で有名な寺院。

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これが、市バス停留所で降りてからが地獄のような思い。(笑)心臓破りの上り坂が延々と続くという感じで、登っていくのが本当にしんどかった。相当つらいです。

やっとの思いで辿り着く。清水寺では、どうしても撮りたいアングルの写真があった。
それは、とても、とても有名なアングルで、清水寺を向かって右側横の上方から撮るアングル。

ところが、なんと、その日から工事中になってその撮影の境内には行けなかったのでした。
残念極まりない!

打ちひしがれた自分は、仕方なく、下のほうから清水寺を撮るアングルにトライ。
これはなんなく成功。

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このお寺は、釘を1本も使わずに造った(いわゆる懸造という建築様式)冴えわたる職人技で、一度はめたら、決して外れない手法は地獄組みと呼ばれるそうだ。凄すぎる。




これで、もう体力的にも、また市バスでどこかの寺院を廻るという体力はなかったので、これで打ち止め。JR京都駅に戻って、待合室で少し休憩。

元気が少し出てきて、最後として、やはり京都と言えば、祇園だよなぁ、と。舞妓さんが歩く姿を撮影したい、そして京料理というのに舌鼓を打ちたい、という要望が出てきて、急遽、市バスで、祇園へ。


祇園の構造というか見所は、大きく2つに分けられると思う。

それは、いわゆる祇園商店街と呼ばれる四条通り沿いを歩くことと、あと、そこから枝道で、花見小路という通りがあって、これが昔からの京の面影を残す通り。舞妓さんが歩いているのは、この花見小路である。

まず四条通り。”おこしやす”というのが京らしい。

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こんな感じで祇園商店街が立ち並ぶ。風情あります。

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この四条通りを歩いていくと、歌舞伎の南座がありました。

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そしてここが四条通りからの枝道である「花見小路」の入り口。

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ここが花見小路。両サイドにぶらさがっている提灯が風情ある。
くぅぅぅ~残念、舞妓さんは、歩いていなかった。

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この花見小路にある京料理の料亭はたくさんあるのだが、ここで1軒見繕って入ってみる。

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こんな間に通された。畳の部屋なのにテーブルと椅子だ。(笑)

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さっそく、ランチメニューの京料理のフルコースを頼む。4000円です。
全品載せたら大変なので、抜粋で。

いやぁ京料理は、見た目、もう芸術というか、繊細な和のテイストいっぱいで、美しいし、もちろん美味しい。小品の集まりなのだけれど、結構フルコース食べたらおなか一杯になります。

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花見小路には、ほんとうに魅力的な京料理の料亭がいっぱい。
祇園に来たら、舞妓さんを見るという目的は達成できなかったけれど、十分満足でした。



そしてふたたびJR京都駅に戻って、あとはひたすら夜20時の帰京の新幹線まで時間潰し。

今回、京都に旅行するということで、いろいろガイドブックを買い込んで、予習したのであるが、ある疑問があった。

それは、やたらと抹茶関連の食が充実していること。抹茶そのものや抹茶パフェ、抹茶スィーツ、抹茶カフェラテ、などたくさん。紙面をかなりのページ割いて宣伝している。

なんで抹茶なの?抹茶って京都の名産なの?という疑問が湧いてきたのだ。

JR京都駅内にある抹茶専門のカフェ発見。
さっそく入ってみる。

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そこで、抹茶と白菊(という餡子入りの饅頭)のセットを注文。

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大変美味でございました。

そのとき、そのいままでの疑問を店員さんに尋ねてみた。そうしたら、京都の下のほうに宇治という街があって、そこがお茶の名産地なのだ、ということ。つまり、あの有名な宇治茶ですね。なので、抹茶もその宇治茶を使ってのもので、それで、有名なのです、というお答えでした。

私の謎は一気に解決してすっきり。(笑)


いい歳なので、体力的にこれらを廻るだけで精いっぱい。(でも限られた時間で、よく廻っているほうでは?)

11月下旬の紅葉シーズン真っ盛りでは、これらの美景にさらに紅葉が加わる。
相当絵になる、と思います。

さらに京都になると紅葉シーズンでは、単に寺院だけではなく、その紅葉独特の名シーンと言われるようなスポットがたくさんあって、寺院巡り以外にもそのような紅葉スポットを巡るという楽しみがあります。

国内旅行業界でも、毎年、この京都の紅葉シーズンは、大変な大稼ぎ・荒稼ぎの時期で、宿泊ホテルはどこも満席。旅行業界では1番盛り上がる時期ですかね。

東は名古屋、西は岡山に至るまで宿は、びっちり埋まっていて取れないと聞きます。
そんなことも予想していて、11月下旬の京都行きでは、もう宿泊ホテルをしっかり確保してあるのです。

11月下旬の京都は相当絵になる、というか写真映えするシーンがいっぱい撮れそう。
もう一大イヴェントというか、かなり盛り上がりそうです。本番のコンサートとともに昇天したいですね。

今回の京都ツアーでだいぶ京都の仕組みがわかってきたので、11月ではだいぶ楽になるのでは、と。

自分は食事も和党ですが、和のテイスト大好きです!




 


京都市交響楽団 定期演奏会 9/24 & 9/25 [国内音楽鑑賞旅行]

初日の公演を聴くときは、相当緊張したのだった。京都市交響楽団の生演奏を聴くのは、人生ではじめて。深くは言及しないが、自分の音楽人生で必ず通らないといけない公演で、素晴らしくあってほしい!もしそうでなかったらどうしよう?という邪気な考えもあり、かなり緊張していた。

この公演の独奏(ヴァイオリン)は、アラベラ・美歩・シュタインバッハー。

この公演のチケットは、座席指定ができず、カテゴリーだけの選択で、コンピューター側で自動計算されて選ばれるのだが、なんと2日とも前方超かぶりつき!


初日:最前列左側

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2日目:3列目中央

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やはり音楽の神様は、自分に救いの手を差し伸べてくれた。
アラベラさんを至近距離で見たいと思っていたところに、願ってもみなかった音響よりもヴィジュアル優先の座席。(笑)

まず驚いたのは、京響メンバーは女性団員が圧倒的に多いこと。
初日の自分の座席の目の前は、第1ヴァイオリンなのだが、ほとんどと言っていいほど女性団員だったような気がする。

1曲目は、ヴェルディの歌劇「ナブッコ」序曲。
最初の出音を聴いて、びっくり!

とにかく弦の音色が厚くて大音量。とても圧倒的な女性団員で占められている弦の音色とは思えず、男性並み、いやそれ以上のパワフルな音色なのだ。弦合奏の音色が、とても分厚くて、ハーモニーもじつに綺麗に揃っている。聴いていてバランスがいい。分厚く聴こえるということは、低弦などの低音がしっかり土台を築いていて、その上に中高音域がきちんと乗っているのだが、その豊かな低音に見合っただけの量の中高音域が出ていて、その全体のバランスがよいということ。

ヴァイオリン、ヴィオラからチェロ、コントラバスなどの低弦に至るまでフルに出し切っている、どれかひとつでも出し切っていないと、この全体のバランスが崩れて、聴いていて、すぐにわかってしまうものなのだ。

ホールの音響の良さも相まって、とにかく素晴らしいの一言に尽きるオーケストラ・サウンド。

自分は、この最初のつかみがよかったことに、どれだけ安堵したことか、おわかりになるだろうか。(笑)

ナブッコ序曲は、オケの合奏で聴くには、弦を中心にたくさんの楽器が参加する音数の多い曲。なによりも旋律が軽やかで聴いていて、とても気持ちがいい。あっという間の短い曲だけれど、このオケの実力の高さを感じ取るには十分であった。


そして2曲目。ベルクのヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」。
アラベラさん、いよいよ登場。

じつは2年前の2014年に、N響とアラベラさんがこの曲を演奏したのをNHKホールに聴きに行ったことがある。そのときと比べると、やはり女性演奏家って2年も経つとずいぶん変わるものだなぁと感じたことだった。

とにかくいまのほうが遥かに洗練されて垢抜けているし、妖艶さも加わって女性らしくなった。
雲泥の差である。去年に比べ、若干痩せているんじゃないか、とも感じた。

2年前も感じたことだが、やはりベルクの曲は難しい。新ウィーン楽派の礎の1人で、現代音楽の基礎になる無調音楽。普通のクラシック音楽ファンには理解し難い曲だろうな。

やっぱり調性のない曲を楽しむにはコツがいる。

この曲は、オケは伴奏に回って、ヴァイオリン独奏が前に出る曲。

隙間だらけの寒色系の音空間で、彼女の引き裂くような衝撃音というか弓と弦との摩擦音というか、そんな生々しい音がじかに聴こえてくるような感じでリアル感たっぷり。なにか尖った感覚というか、この恐怖の鋭利な世界といおうか。

彼女の演奏も2年前と比べると、随分、演奏の表現に余裕・幅が出てきて大人の装いがした。
いまのほうが断然いいし、やはり成長していると思う。

最後の音色は消え行くような感じで、弓の上げ下げで、息の長いフレーズが続く。そして音が消え去った後、アラベラさんはピクリともせず、沈黙が続く。その間、観客席は咳ひとつせず、息を呑んでその沈黙をずっと見守っている。

どれくらい時間が経ったであろうか。

かなり長く感じた。

フライングブラボーが問題視される昨今、この沈黙をずっと守り続けたこのホールの観客のマナーの良さには、ものすごく感動。なんと素晴らしいんだろう。このマナーは、彼女の演奏に華を添えたと思う。




そして後半。シューマンの交響曲第3番「ライン」。
ようやく京響の演奏に集中できる。(笑)

交響曲にしては、珍しい5楽章構成。
全体のイメージとしては、暖かい感じに聴こえるこの曲。楽章間で、緩急が結構あってドラマの筋書を見ているかのようなストーリー性も感じとれた。

この曲から耳を凝らして京響の演奏に集中してみる。

やはり弦の音色、演奏にとても秀逸なものを感じて、弦楽器間のバランス感覚もすごくいいし、揃っているし、いいオケだな、心底に思う。

ただ、自分的に思うところもないことはなかった。

それは、やや金管が弱いかな、と感じたこと。

たまたま、その曲のその部分的な演奏の出来の良し悪しではなく、2日間フルで聴いていて、やや思ったこと。音色に安定感がないかな、という思いはあった。

人によってオケの演奏を聴く基準が違うと思う。演奏のテンポ、抑揚などの演奏解釈にこだわる人、自分はオーディオマニアなので、バランスにこだわる。座席が悪いと、聴こえてくるバランスが崩れて楽しめない。バランスは、逆に言うと、演奏する側にも起因することで、どこかウィークポイントな楽器があると、全体のバランスを崩す。


でもそれ以外は、ほとんど不満なところはなく自分にとって肯定的な面が多く、素晴らしいと思うところばかりだった。

指揮者のガエタノ・デスピノーサは、若手の有望株で、N響をはじめ、日本でも活躍しているようだが、彼の指揮を見る限り、とてもメリハリの効いたはっきりとした指揮をする人で、とてもわかりやすい棒だと思う。指揮に躍動感があって、曲のリズム、抑揚に彼の動きがぴったり合っている感じで、見ていてとても小気味がいいし、気持ちがいい。オケ側も追従しやすい指揮者なのではないだろうか。



初日は相当緊張したが、想像以上に素晴らしく、2日目は本当にリラックスして聴けた。

「自分の音楽人生で必ず通らないといけない公演」、と大きな見栄を張ってまで宣言したが、でも偽りない気持ちだし、京都まで遠征してきた甲斐があった。

オケのみなさん、ソリスト&指揮者にご苦労様と言いたいし、なによりも自分にお疲れさまと言いたい。(笑)

紅葉真っ盛りの11月下旬に、このホール、このオケで再訪する予定。たぶん紅葉で観光もさらに盛り上がると同時に、公演の方も今年の集大成ということで、自分の今年の大きな事の仕切りごとになるのでは、と期待しているのだ。


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京都市交響楽団 第650回定期演奏会
2016/9/24,9/25 14:30~  京都コンサートホール

指揮:ガエタノ・デスピノーサ
独奏:アラベラ・美歩・シュタインバッハー(ヴァイオリン)
管弦楽:京都市交響楽団


前半

ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」序曲
ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」

~アンコール
J.S.バッハ無伴奏のヴァイオリンのためのソナタ 第2番からアンダンテ

後半

シューマン:交響曲第3番変ホ長調「ライン」op.97


体験!京都コンサートホール [国内音楽鑑賞旅行]

京都市交響楽団のホームグランドである京都コンサートホールを初体験してきた。
JR京都駅から地下鉄烏山線で、北山駅下車。所要時間30分もしないうちにホールにたどり着く。

自分は、2日とも午前中観光で遠方に出ていたので、そこから、また京都駅に戻るのが大変だったので結局両日とも観光先から直接タクシーだったりした。(笑)

京都コンサートホールは、京都市の世界文化自由都市宣言の理念を具現化するとともに、平安建都1200年を記念して建設された音楽施設で、1995年にオープンした。


京都コンサートホール

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ホール前は、かなり広い広場になっている。

そして写真の立方体の建物がいわゆるフロント空間で、実際のホールは写真左に少し写っている円形の建物のさらに先の上階にあるといったらいいだろうか?

入ったところのフロント空間。

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そこを突き抜けると、円形のこのような素敵な空間が現れる。

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なにかアート的な素敵な空間にデザインされていて、かなり芸術的な雰囲気。

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じつは、ここは通路がらせん状になっていて、ぐるぐると周囲を回りながら上に昇っていくのだ。
ホールの入り口は、この上のほうにある。

そして、このらせん状の通路を歩いていると、その壁の側壁には、なんと、このホールの過去の首席指揮者、客演指揮者、そして、このホールに出演した往年の演奏家や歌手たちのパネルが飾られているのだ。

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現在の首席指揮者の広上淳一さんを始め、小澤征爾さん、ムーティ、メータ、仲道郁代さん、そして、グルヴェローヴァも!じつに蒼々たるメンバーのパネルがかけられている。


大ホールと小ホールがある。
今回は大ホールなので、入り口から中のホワイエ空間を臨むと、こんな空間が現れる。

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そして、ホールに潜入。

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あれ?オルガンが右に寄ってる。。。(笑)


正面の面構えが、左右非対称で、とてもユニーク。
でもアシンメトリーなのは、この面構えの部分だけで、ステージから後方に至っては、きっちりと左右対称。

ホール形状は、拡張型シューボックス。

ステージ背面の座席、側壁の上階や、後方の上階などに座席が申し訳なさそうなレベルで存在して、きっちり厳密なシューボックスというより、いわゆる拡張型。(横浜みなとみらいホールのような感じです。)

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キャパは1839席。かなり容積的につつましやかな感じで、音響的にもかなり良さそうな印象を受けた。1階メインフロアは後方にいくにつれて緩やかなスロープ傾斜がある。このメインフロアはサイドバルコニーによる被りがなくて、拡張型とはいえ、結構シューボックスに近い理想の音響になるような配慮が見受けられた。


肝心の音響なのだが、これがじつに素晴らしい!

ものすごいライブ!


自分は最前列および3列目という超かぶりつきであったにもかかわらず、ものすごく響きが豊富で、響きに囲まれているかのような感覚になった。京響はものすごく弦が秀逸で、音が分厚くて、重心も低い。かなりの音の迫力が自分に襲い掛かってきた。


腹にズシンと響いてくる、という感じだろうか。

直接音主体で、響きが感じづらいかぶりつきの席でも、このように感じるのだから、すごいな、と思ったところだ。

やはり容積が小さくて、シューボックスだと原理的に音が濃い、というかロスするところも少ないので、このように聴こえるのも当然なのかな、と感じた。

いろいろ周りを見回してみると、特に高音域の拡散を狙った仕掛けが随所にあるのが即座にわかった。

まず驚いたのは、この天井に張り巡らされている拡散の仕掛け。

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斜めに切断された2000個(らしい)の立方体がこのように天井の中心全面を覆っているのだ!

これは、かなり強烈な拡散の仕掛け。

なにか天井からいっせいに高域の煌びやかな響きが降り注いでくるような感じがするのは、この仕掛けによるものだろう。ウィーン楽友協会の天井の張り巡らされている華麗な天井画の凹凸と同じ役割・効果ですね。

あと、メインフロアと第1バルコニーのコンクリート側壁にも、人工木材が接着されていて、このパネルの表面には、人工木材の木片がランダムな間隔で固定されているのだ。

波長の長い低域のコントロールは、ほぼホールの寸法比で決まってくるものに対し、波長の短い中域から高域にかけてのコントロールは、このように側壁や天井に凹凸を作って拡散させることで実現するというのが大体コンサートホール設計の常套手段ですね。

スペックによると、満席時の中音残響時間は2.0秒。

まさに響きのいいホールの前提条件である残響時間2.0秒。

ヨーロッパの優秀な音響といわれるホールを片っ端から測定していったら不思議と、どのホールも残響時間2.0秒だった、というミステリーな話を聞いたことがあるが、まさにその神の値である”2.0秒 ”。

どうりで音響がいいホールに聴こえるはずだ。

とにかく音が濃くて、響きが豊富なホールと感じて(大音量を出せる京響の力もありますが。)、素晴らしいホールという印象であった。


ご覧のように、この京都コンサートホールでは、「京都の秋 音楽祭」ということで、この芸術の秋に、たくさんの魅力的なコンサートが開かれる模様である。ダニエル・ハーディング率いるパリ管弦楽団の凱旋ツアー、そして、諏訪内晶子さんをソリスト独奏に迎え、ブロムシュテット指揮によるバンベルグ交響楽団演奏会などなど。

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自分も11月下旬の紅葉真っ盛りに、このホールを再訪する予定。
素晴らしいホールであることがわかったので、次回は緊張せずに安心して聴けそうだ。(笑)



小さな街の素敵な音楽祭  木曽音楽祭 [国内音楽鑑賞旅行]

先週末木曽福島→松本と遠征してきた。木曽福島では、かねてからの念願であった木曽音楽祭を初体験。今年で40周年という伝統ある音楽祭なのだが、不思議といままで縁がなく、今日に至っていた。

大自然の中で、とても上質な室内楽を経験できる、ということで、ちょっと他では類を見ない感じのクオリティーの高い音楽祭に常日頃思っていて、今年こそ、ぜひに、と気合が入っていたわけである。

新宿から特急あずさで塩尻まで行き、そこで乗り換え、木曽福島まで行くのであるが、塩尻からの予定の電車がなんと運休。仕方がなく、塩尻駅で切符を変更してもらうのだが、まぁ、いかにも田舎ののんびりした風情で、怒るとは程遠い世界。予定もかなり余裕を持って立てていたので、テイク・イット・イージーで行こうよ、という感じで、旅のゆったりした気分を楽しんだ。

そうすると木曽福島に到着。

駅前にこのような景観が現れる。

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木曽福島は駅に降り立った途端、大気中に檜の香りが漂っているのを鼻腔に感じる、というコメントをいただくほど絶好の街の景観。

毎年、音楽祭関連の宿泊客で宿が中々取れないらしく、木曽福島駅近辺の宿をあきらめて、電車で近接の街に宿を取るというのが常のようだ。この音楽祭期間に、木曽福島に宿泊しようと思うなら、日程が発表になってからでは遅いので、事前にお宿に当たりを付けて置いた方がいい、ということである。

私は、木曽福島に宿泊するつもりはなく、コンサートが終了したら、そのまま木曽福島から松本まで移動して、松本で宿泊するつもりであった。

ネットの地図を見た限りでは、駅の近くに会場があるのか、という錯覚をしていて、トコトコ歩いて行こうかな、とも思ったのだが、音楽祭の送迎バスがある、ということを事前に聴いていたので、そのバスを利用したところ、駅からスゴイ距離があることが判明。よかった、歩きださなくて....(^^;;)

そして会場の木曽文化公園文化ホールに到着。

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木曽文化公園文化ホールに到着したとき、建物の前に一面に広がるその大自然の美しさに、只々呆然。「小さな街の素敵な音楽祭」というキャッチフレーズが本当によく似合う、こんな大自然の中で聴く室内楽は本当に最高だよなぁという感じでアルファ波出まくり、じつに素敵な佇まいの空間であった。


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そして如何にも大自然の中の音楽祭らしい、木曽音楽祭名物の催しが......


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よくヨーロッパのアルプスの中で見るこの長~い楽器、なんと言うんだっけ?

いきなり会場前の草原で、3人で吹き始める。あぁぁ~いいなぁ。
なんか、これだけでも普段の都会の喧騒からは程遠い別次元の世界。本当に素敵。

この他にも、コンサートの開始のときにもステージの上で3人で吹くのである。

このコンサートの開始を告げるホルンはそのまま、”アルペン・ホルン”と言うらしく、木曽音楽祭名物。これを吹くのは結構難しく、吹く方々は事務局ボランティアの方々で大体、毎年固定メンバーらしいのだが、練習もかなりなさっている、とのこと。

そして開演前には、ホルンの4重奏も!

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開場とともに、まずホワイエ。

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そしてホールの中に潜入。


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ホールは地上の高さから地下に穴を掘って作ったような感じで、キャパは想像していた以上に広かった。座席の傾斜は、かなり急で視認性をよくしてあって、ステージから開口扇形状に広がる多目的ホールのような感じの趣。

地方のホールと言えども、そのホール形状などは、いかにも都心のホールと全く同じようような音響上の工夫が見られる。

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座席が吸音性抜群の布生地で全部覆われているのが音楽ホールとしては珍しいと思った。音響は中庸。響き過ぎでもなければドライでもない、帯域バランスも偏りがない、クセのない、いいホールだと思う。

音色を聴いていて、普通に感動できる、というか違和感はまったく感じなかった。

敢えて、リクエストを出すなら、ステージ前の前方席中央に座ったのであるが、もっとサウンドが前に来てほしい、というか、音量が控えめに感じた。でもこれは楽曲の演奏によるものなのかもしれない。

そして公演は、もうこれはホントに素敵の一言。
この大自然の中で聴いているんだ、という意識も大きいせいか、脳内リラクゼーション状態で聴くこの室内楽のじつに優雅なこと。じつに素晴らしい演奏であった。やっぱり室内楽は素敵。

この「木曽音楽祭」は、亡くなった数住岸子さんが中心になっていた木曽で開かれている音楽祭。
東京のオーケストラの首席奏者を中心に普段聞けない作品が演奏される。
15年前までNHKで中継していたようであるが、できれば再び放映を希望したいところ。

有難くもFBで友人になっていただいている演奏家の方々も数名出演されており、しっかりとその雄姿を拝見させていただきました。

本当に、感動をどうもありがとうございます。

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第40回木曽音楽祭
2014/8/23(土)17:00~ 木曽文化公園文化ホール

コープランド
アパラチアの春(室内楽版)

フルート 佐久間由美子
クラリネット 山本正治
ファゴット 岡本正之
ヴァイオリン 白井 圭・漆原啓子・水谷
晃・村上祥子
ヴィオラ 佐々木亮・桐原宗生
チェロ 伝田正則・花崎 薫
コントラバス 星 秀樹
ピアノ 寺嶋陸也

R.シュトラウス
弦楽四重奏曲 イ長調 Op.2

ヴァイオリン 漆原啓子・水谷 晃
ヴィオラ
大島 亮
チェロ 伝田正則

ラインベルガ―
九重奏曲 変ホ長調 Op.139

フルート 佐久間由美子
オーボエ 古部賢一
クラリネット 山本正治
ファゴット 河村幹子
ホルン 日高 剛
ヴァイオリン 加藤知子
ヴィオラ 安藤裕子
チェロ 山崎伸子
コントラバス 星 秀樹


体験!ザ・シンフォニーホール [国内音楽鑑賞旅行]

1982年の開館以来、去年までずっと朝日放送が運営してきたザ・シンフォニーホール。今年に入って、滋慶学園グループが立ち上げた子会社「株式会社ザ・シンフォニーホール」に完全移管、現在に至っている。

建設、開館当時は、「世界一美しい響き」を目標に、満席時残響2秒となる先進音響技術を導入して設計・建設された。

日本初のクラシックコンサート専用ホールであり、その後につぎつぎとコンサートホールが建設されていった、その先駆け的存在となった記念すべき音楽建造物なのだ。

このコンサートホールの存在を強く意識したのは、1984年にカラヤン・ベルリンフィルが来日して、このシンフォニーホールで公演をおこなったことだ。

当時、その公演の模様は、テレビ朝日で放映されている。
 
やっぱり当時ののカラヤン・ベルリンフィルというのは、映像メディアが発達していなかった時代、いわゆるレコードの世界の中の人たちで、レコードを聴きながら、その演奏姿を頭で空想しながら聴いていた、そういう偶像対象だったのだと思う。 
 
この公演の模様は、著作権の問題なのか、なかなかパッケージソフトにならなくて、不思議だったのだが、最近、カラヤンの遺産シリーズでライブイン大阪1984として発売された。

当時のカラヤンは、このホールをまさに世界最高の音響と絶賛した。

そんな日本のクラシックコンサートホールの草分け的存在であるこのホールに不思議と縁がなく、現在に至る。

そしてついに今回初体験となった。

ザ・シンフォニーホール
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外観は1982年の建造物とは思えないくらい非常にモダンな建物だった。

フロント玄関のところでチケットをチェックして入場する。
入場するととても鮮やかな色彩感覚を持ったホワイエの空間が現れる。

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朝日放送からの完全移管に備えてリニューアル工事をおこなっていて、階段をのぼった2階はティーラウンジになっていたり、オリジナルグッズを販売するショップなどがある。

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そして、いよいよホール内に侵入。

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キャパは音響のことを考えて1704席とあるからさほど大きくない。ホールの形状タイプは、ステージを観客席が取り囲むアリーナ型なのだが、かといって両脇、背面の座席数はほんのわずかで、ワインヤードとは言えない、いわゆる拡張型シューボックスというのが一番妥当な表現だと思う。横浜のみなとみらいホールに雰囲気が似ている。

気になったのは、そのホールの奥行きの狭さ。本当に奥行きが浅いホールという印象をいだいた。

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ステージ天井の反響板もかなりの枚数ぶらさがっている。椀方さんの話しでは、昔はそんなに枚数はなくて、つい最近になってどんどん増設されたのだという。

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そしてもうひとつの驚きは、やはり天井が異常に高いと感じることであった。オーディオルームと同じで、やっぱりいい音響を生み出すには、この天井の高さはキーポイントになっていると思う。

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そして、ここが今回の私たちの座席。
ステージ間近の最前列右の方であった。

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ここからステージを俯瞰すると、まず目に付いたのは、床に立脚型のマイクであろう。今回の公演は収録しているとあって、カメラもあるがマイクもこのようにセッティングされていた。

いまどきのホールは、みんな天井に穴が開いていて、その屋根裏部屋から紐でマイクをぶらさげて収録するタイプがほとんどだ。(あの超最悪の音響のNHKホールでもそうなっている!)

ここのホールは草分け時ということもあって、いまでもこういう床に立脚型なのだと思った。


当時の世界最強の音響は、いまの私たちの耳にはどのように感じたのか?

まず、ステージからの直接音は、輪郭がくっきりしていて、実に明瞭。真横にいる我々の観客席のほうにもしっかりと届く好印象であった。かなりの大音量で、それでいて各々の楽器がクリアに分離して聴こえる。

音像はじつに明瞭だ。その反面、間接音の響きのほうは、残響2秒を唄っている割には、その響きの残像というか漂う余韻というのがあまり感じられず、ドライな乾燥質の響きに聴こえた。

対抗配置のVnの音色を聴いていて、それを強く感じた。もうこれは何度も言っている事だが、最前列だと壁や天井から離れすぎているので、反射音のブレンド感覚を感じるには不向き。もっと後方座席でホール固有の響きであるホールトーン全体が堪能できる座席でないと。

ホール空間のS/Nはいいと感じる。そのための大事なパラメータである無音時のホールの静寂さというのが優れている、と思うからだ。澄んだ空気の感覚でいい印象であった。座席は右端だったので、オケの発音を指向性を感じて聴こえるかな、とも思ったが、そんな心配もなかった。

まぁ全体の印象としては、当時としては最強の音響だったかもしれないが、最新のホールが乱立するいまの日本のホールの中では、まあスタンダードレベルかなぁ、という印象。

コンサートは、飯森範親/日本センチュリー管弦楽団の演奏会で、飯森の首席指揮者・音楽監督就任記念コンサートであった。

プレトークで、テレビ東京の元WBSワールドビジネスサテライトのニュースキャスターであった小谷真生子さんと飯森とでトークを広げていた。

小谷さんの好感の持てるクラシックに関するインテリ感覚が素敵だった。

演目はブラ2とブラ4。前半のブラ2は正直こじんまりとしていて、不完全燃焼のイマイチの感があったが、ブラ4の力演は素晴しく圧倒される素晴しい出来だと思った。

こうして日本のクラシック専用ホールの草分け的存在のホールを体験できて、感無量であった。自分的にも想い入れの深いホールで、積年の想いがあったので、体験できて、すべてがすっきりした感じで、今回の大阪遠征の最大の目的を達成できてミッション遂行というところだった。

コンサート終了後、コンサートゴアで、コンサートホール通の椀方さんの話しだと、いま大阪ではフェスティヴァルホールというのが去年リニューアル改装オープンされ最も旬なホールのようだ。オペラハウス&コンサートホールを兼ねた大ホールで、コンテンツの招聘も素晴しいものがある。ぜひ次回行ってみたいホールだ。

今回行ってみたかった「いずみホール」だが、このシンフォニーホールよりも小さい容積で音響はかなり優れているようなのだが、なにぶんコンテンツの運営がいまいちで、いい公演がない。今回もこれが原因で断念。でも次回から日本センチュリー管弦楽団のホームとして使用されるようなので、期待は持てそうだ。

その他、京都コンサートホールや、そして、椀方さんのお気に入りの兵庫県立芸術文化センターなど、とても魅力的なホールが大阪には存在する。京都コンサートホールや兵庫県立芸術文化センターに関しては収容能力で、シンフォニーホールよりも上回っていること等から、関西圏に於ける来日公演の会場として海外演奏家に利用されることが多いようだ。

あと、もうひとつ気になるのが、滋賀県が3年をかけて建設した4面舞台をもつオペラ専用ホールであるびわ湖ホール。

関西でオペラを観る場合は、大体この滋賀県のびわ湖ホールまで出かけることになる。最近話題だった日本初演のコルンゴルドの「死の都」もこのびわ湖ホールが新国立劇場よりも先に初演された。(演出も違う!)

そこにフェスティヴァルホールという器が大きい最新のオペラハウスが大阪に出来たものだから、関西方面でのオペラ鑑賞もますます現実味を帯びてきて、軌道に乗ってきたのだそうだ。

いやぁ~関西のハコ(ホール)情勢も熱い!次回へのお楽しみに、として取っておこう~!

番外編:八ヶ岳高原ロッジ [国内音楽鑑賞旅行]

今回の旅程の目的は、八ヶ岳高原音楽堂でのサロンコンサート。ところがこの音楽堂というのは、八ヶ岳高原ロッジの付属施設のような関係なのだ。音楽堂でのコンサートを鑑賞した後に、高原ロッジのほうで宿泊、もしくは自分の別荘で宿泊、というブルジュワな図式。

八ヶ岳高原ロッジの場合、”コンサート付き宿泊セット”というプランがあり、コンサート終了後に宿泊する、というのが定番コース。あるいは自分で別荘を持っている人は、高原ロッジのレストランでディナーを取った後に、自分の別荘に帰るという感じなのだ。

ところが八ヶ岳高原ロッジの場合、なにせ八ヶ岳の超高級リゾートホテルだけあって、1名で宿泊しようとすると、コンサート+ブッフェディナー+ご宿泊・ご朝食で1番安いランクでも4万円以上はする。なので、現実問題、私のように音楽堂のコンサートだけを堪能して、日帰りする、という人も多いらしい。

まず最寄駅の野辺山駅で下車した後に、ホテルの送迎バスに乗り込む。ホテルは、山間部の山奥にあって、かなりの距離がある。そして八ヶ岳高原ロッジに到着。

最初に目にした感覚は、ずいぶん小さい外観だな、という感じ。

八ヶ岳高原ロッジ
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公式HPの写真を見ると、かなり映えて見えるのだが、実際目にした感想は、ずいぶんと古い建物、つまり使用感がある、というそんな印象だった。天井、柱の部分で木材が使われていているのだが一目瞭然でわかった。でもホテルの顔であるロビーを見ると、とても素敵な空間だと思った。

ロビー
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廊下
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客室
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サロンコンサートの時間まで、まだ余裕があるので、このホテル内のレストランで昼食を取ろうと最初から予定していた。「レストラン花暦」とピンポイントで決めていた。

これもまた公式HPの写真では店内がすごい映えて見えるので、とても1人では入れないな、と思っていたのだが、実際入ってみるとなんのその凄い古い感じで使用感があって、全然豪華でない。(笑)

普通のちょっとしたレストランみたいな感じでまったくの拍子抜け。ちょうどランチタイムも終了間近だったので、客もほとんどいなくて閑散とした状態だった。だから1人で入るのも全く問題ない。たぶんある程度混んでいてもまったく気にならない、と思う。取り越し苦労だった。あせあせ(飛び散る汗)

レストラン花暦
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さて、どのようなものをオーダーするか?

メニューを見ると、「幸せを呼ぶ青い鳥ランチ」というのが1番売りなのがわかった。このホテルの売店に売っている「幸せを呼ぶ青い鳥チョコレート」というのがあって、このホテルの名物おみあげなのだそうだ。このランチもそれにちなんでいる。その中に入っている青いシートを持っていると幸せになれるという噂があるそうだ。実際に結婚できた人や、病気が治ったなど、色々な報告があるのだそう。

さっそく後で、売店で購入。

これが「幸せを呼ぶ青い鳥チョコレート」。 

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とても小さなパッケージで、中は普通の板状のクリームチョコレートが12個入っている。もちろん青いシートも入っていた。これで私も幸せになれるだろうか......?(笑)

さて、話をランチに戻して、さっそくこの「幸せを呼ぶ青い鳥ランチ」をオーダー。運ばれてきたのは、盛り付けなどフランス料理のように芸術作品だ。でも普段、ガッツリ系の体に良くない独身食生活を送っている(笑)自分にとっては、なんか食べ応えがないお子ちゃまランチだよなぁ~と不謹慎なことを想う。(笑)

前菜:オードブル盛り合わせ
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スープ:本日のスープ

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魚料理:千曲川サーモンのポアレ グリーンピースソース 

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肉料理:信州アルプス牛ロースの角切りステーキ 香味野菜和え 

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本日のデザートと有機栽培コーヒーと青い鳥チョコレートのおすそわけ 

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これでしめて4000円なり。安いかもね。
腹ごしらえが出来たら、ホテル内を散策。

このホテルのフロントのロビーにバードウォッチングができるところがあった。ホテルの窓の外は一面の森林の中で、ホテルの中から双眼鏡で眺めるのだ。なんか自然豊かな環境の中で微笑ましいと思いました。 

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音楽堂のコンサートの時間まで、まだ余裕があるので、ホテル内の喫茶店でブレイク。まぁ、ここもレストランと同じで、公式HPの写真で見ると映えるのだが、実際見るとそうでもない。(笑) 

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でも総じてこのホテルは古い建物だが、ホテル内装は雰囲気があって、まさに山奥の自然の中にあるだけあって、とてものどかで心が静まる感じがするところが素敵だ。

家族持ちの方は、ぜひ奥さん同伴で、この宿泊込みで、サロンコンサートを楽しまれることをお勧めします♪

さて、コンサートが終わった後、送迎バスで音楽堂からホテルまで戻ってきた後、野辺山駅まで行かないといけない。ここはこの夜の時間は、もう送迎バスは運行していないので、タクシーしかない。 (3500円もかかりましたげっそり

その前にひとつアドバイスは、この八ヶ岳高原ロッジ、八ヶ岳高原音楽堂のサロンコンサートに行く場合、送迎バスの時間をホテルに確認して、行きも帰りも電車の時間をピンポイントで決めることをお勧めする。特に小淵沢から野辺山までの小海線は本数が少ないので、帰京するときノープランだと往生する。

タクシーを頼んでホテルから野辺山駅まで送ってもらう。そのときに先の日記で述べたが、この運ちゃん、じつに経験豊富でこの音楽堂が出来たいきさつから、武満さんのこの音楽堂での音楽監督時代のエピソードなど、それこそ盛り沢山の話を聞かせてもらった。

やっぱりタクシーの運ちゃんの話は地元に根付いたかなり泥臭い運営面などの話など参考になる。ネットで調べても、こういう話は、なかなか知ることができない。

もうひとつ面白かったのは、音楽堂、高原ロッジから野辺山駅まで、タクシーを使うと、山間部の中の道を通るわけだが、ここには凄い鹿が生息しているのだ。なので、40~50km以上のスピードで走っていると、鹿が飛び出してきて衝突することは頻繁なのだそうだ。だから常に40~50km以下のスピードで走ることが重要。今回もその話をしながら、運ちゃん急に減速して、「ほら!そこにいるでしょう?」と言われて、道路の横を見ると、確かに野生の鹿が2匹いた。鹿の繁殖というのはすごいらしくて、毎年何千頭という感じの凄い繁殖力なのだそうだ。毎年おこなう鹿狩りの処分が大変なのだそうだ。

無事野辺山駅まで送ってもらって、そのときに、運ちゃん、「この駅は夜は無人駅なので、注意してね。整理券を自販機で発券して、到着の駅で清算という仕組み。そしてホームは向かい側だよ。」と教えてもらった。

切符はあからかじめ、事前に購入していたので、問題なしだったが、ホームはなにか標識がある訳でなく、どちらのホームが上り、下りなのかまったくわからない。聞く人も周りに全くいない。ちょっと怖くなった。これは運ちゃんの一言があってホントに助かった。無人駅は恐ろしい。

そして古淵駅に到着。そこで後は特急あずさに乗り込むだけだ。あとは新宿まで一直線。安堵感が溢れる。

ところが待てども、まったく電車が来ない。構内アナウンスがあって、鹿と衝突した、という。(苦笑)いま鹿を搬出している最中ですので、お忙しいところ申し訳ありませんが、もう少しお待ちください、とのことだった。やっぱり鹿.......やはりこういう山麓ならではだなぁと思った。

ちなみにホームで待っているとき、私の世代の囲碁棋士の大竹英雄さんがいらっしゃいました。(たぶん間違いない。)すごい若い美人の方と同伴でした。(あまりに美しい方なので驚きました。)娘さんでしょうか?やっぱり同じく音楽堂コンサートにいらしていたのかしら?

そういう訳で待つこと1時間弱。ようやく特急あずさに乗り込むことができて、自宅に着いたのは夜中0時を廻っていました。やっぱり日帰りはきついですね。

体験!八ヶ岳高原音楽堂 [国内音楽鑑賞旅行]

世界的なピアニストであるリヒテルと日本を代表する世界的作曲家の武満徹のアドバイスにより設計された究極の木造ホール。じつは、この音楽堂、単独の施設というより、八ヶ岳高原ロッジという超高級リゾートホテルの付属施設のような位置づけだ。音楽堂で開催される室内楽は、「八ヶ岳高原サロンコンサート」という呼称で、クラシックに限らず、いろんなジャンルのコンサートが開催される。有名アーティストによる公演も年間10公演くらいあるようだ。

”コンサート付き宿泊セット”というプランがあり、コンサート終了後に八ヶ岳高原ロッジに宿泊する、というのが定番コースのよう。

ところが、なにせ八ヶ岳の超高級リゾートホテルだけあって、凄い高い。1名で宿泊しようとすると、コンサート+ブッフェディナー+ご宿泊・ご朝食で1番安いランクでも4万円以上はする。助かったのは、”コンサートのみ”という日帰りプランもあるのだ。なんとお値段8000円!これしかない。まさに自分の目的にぴったり。さっそく実行。 

1年前から行きたくて行きたくて、ずっと温めてきたプランだった。実現できて感無量だった。

最寄駅の野辺山駅から、八ヶ岳高原ロッジに行く送迎バスがあって、それに乗ってホテルまで行く。駅から山間部をどんどん入っていく感じで、距離的にかなり離れている。(タクシーの運ちゃんに後で聞いた話では、音楽堂まで含めると12kmくらい離れているんだそう。)

途中の景色は、植林されたカラマツの樹木が綺麗に立ち並んでいて森林の中を進んでいく感じで、すこぶる美しい。さすが、軽井沢と並んで、日本で屈指の別荘地帯である八ヶ岳。晴れていて八ヶ岳の山麓も綺麗にそびえ立っているのが見えるし、その景観は圧倒される。なんか別世界に来た感じだ。まさしく和の美的センス。

八ヶ岳高原ロッジは、そのような森林の山奥にある。ホテルにバスが到着し、まずはホテル内のレストランでランチ。そしてホテル内を散策。ここら辺は明日の日記で書こう。

八ヶ岳高原音楽堂は、この八ヶ岳高原ロッジから、さらに送迎バスで、これまたかなり離れた山奥にある。

到着して、バスを降りると、そこに八ヶ岳高原音楽堂が現れた。
避暑地の美しい自然の中に佇む素敵な施設という趣の外観ですごい洒落ている。

八ヶ岳高原音楽堂
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さっそくホワイエに入ってみる。
自慢の木造建築ということもあって、ホワイエも木目調のデザインが美しいしっとり感のある落ち着いた感じだ。ここの椅子は特徴があって、ホール内、ホワイエと、この椅子が共通に使われているのだ。

ホワイエ
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さっそく受付をする。ここで開催されるサロンコンサートのチケットは事前に電話で予約する。支払、発券は、当日のホール内で行うのだ。さらに座席番号は、そのホールで抽選でおこなう。私はクレジットカード決済をして、いよいよ座席抽選。なんと最前列の右側だった。はっきり言って青ざめた。 音響的にいわゆる”かぶりつき”の最前列は自分の好みではないし、せっかくはるばる遠方から来ているのだから、ホールの響きを堪能したい、という想いもあって中央から後方席を望んでいたのだ。後述するが、この座席が後で感じる物足りなさを感じる原因のひとつだったように思う。

さて、いよいよホールの中に入る。

 ホール 背面からステージを撮った場合(逆光で見えにくくて申し訳ない。)
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 ステージ側から背面を撮った場合。koTKG8GjyKZ_CiJ1370067777[1].jpg
 
そして圧巻の天井。
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ホールの入り口を撮った場合。
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ホワイエ、ホールで共通に使われている椅子。
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カラマツやツガなど4種類の木材を組み合わせて作られているそうで、ホールは六角形の独特の形状をしている。このホール独特の仕掛けとして、ホールの側面がすべてガラス張りになっていて、外の緑の大自然の風景が視覚に入るというようになっている。

音の反射などを考えると、そこだけガラスというのもマイナス材料にも思うのだが、それを差し引いてでも、いわゆるコンサートを鑑賞しながら、外の自然が見える、といういわゆるセレブ感を醸し出すパフォーマンスに重きを置いているのだろう。

実際、客席に座りながら、このガラス越しに晴れているときは富士山が見えるように設計されているのだという。

夕方になると陽が落ちてきてくるのだが、そうするとステージ上方の照明でステージの演奏者のところだけがライトアップされる。その薄暗い外の自然風景との対比で、そのライトアップされたステージがじつに視覚的に映えるというかヴィヴィッドな感覚なのだ。

木造空間の音色の素晴らしさは、その視覚効果もあるのだと思っている。木材を見ていると自然と心が和むし人間の五感に優しい感じがする。そういう中で自然の緑との調和も含めて、視覚効果から豊かな気分にさせる、そういった仕掛けがこのホールの1番の特徴なのだと感じた。

音響面では主に室内楽の演奏を想定していて、小ホールという佇まいで、理想的な残響1.6秒を達成ということ。キャパは250名。写真でもわかるように本当にこじんまりとした小空間で、室内楽を楽しむには、広すぎず、狭すぎずのフィットした音響を得られる最適空間だと思う。

また木のホールならではの耳に心地よい柔らかで自然な響き、そんな素晴らしい世界だった。吉村順三設計事務所が建築で、音響はヤマハ音響研究所が担当している。

ここで、前橋汀子さんのヴァイオリンリサイタルを聴くことができた。このホールのサロンコンサートでは、それこそいろんなジャンルのコンサートが開催されるのだが、ぜひクラシックを聴きたかったし、弦とピアノの音色を聴けるのは嬉しかったし、そのためにピンポイントでこの日程にしたのだ。

実際自分で聴いた印象。まずライブでもないしデッドでもない中庸、ニュートラルな響き具合だ。帯域バランスがどちらかに寄っているなどというアホなこともない。

ピアノの音色はいい。問題はヴァイオリンだ。予想していたほど綺麗な音色に思えない。このときは正直青ざめた。

演奏中いろいろ考えたのだが、自分にとってヴァイオリンの独奏をこんな至近距離で聴くなんて、いままで経験がなかった。ボーイングや弓使いなどの細やかなニュアンス、息遣いなどが感覚的なのだが全部聴こえてしまう感じで、美しくない。こういうのってある程度マスクされていたほうがいい。

先日ヒラリー・ハーンをみなとみらいで聴いたばかりなので、そのときはまったく感じなかったものが、今回聴こえてしまう感じだった。ヴァイオリンの音色を至近距離で聴くことの難しさだと思った。あとヴァイオリンを弾いているときの音色の余韻というか響きがあまり感じられなかった。

思うに、やはり最前列というのが問題かと。最前列はステージから発せられる直接音はしっかり聴こえるけど、壁や天井からの反射音は聴こえずらい。響きを堪能するなら、中後方がベストだ。やはり人間の耳に心地よい音色で聴こえる仕組みは、この直接音と反射音がブレンドされて聴こえてくるところにある。

そんな不満を開始時から抱いていたのだが、それも3曲目のブラームスのソナタから、あまり気にならなくなってきたというか、いま発せられている音色で演奏に集中できるようになった。今回の演目はどれも聴きやすい珠玉の名選曲で、コンサートが後半になればなるほど、どんどん盛り上がっていく、そんな心使いがあるようだった。特にブラームスのソナタは大好きな曲なので最高に酔いしれることができた。

前橋さんは、前半は黄色のドレス、後半は赤いドレスという衣装替えで、華やかなそのもの。

今回このホールを経験して思ったことは、この八ヶ岳高原音楽堂でのサロンコンサートというのは、木造ホールの柔らかい質感の音色と同時に自然を取り込んだ視覚効果抜群の内装空間の美しさの双方で、観客の気持ちを高揚させるそんなセレブ感溢れる演出がとても素敵なのだと思う。

いつも経験している都内のホールでは到底味わえない、ゴージャスで自然の和みのセンス、セレブご用達のホールなのだ。過去にはリヒテルはもちろん、アシュケナージ、ミーシャ・マイスキー、ブーニンなどがこのホールで演奏している。

帰りの最寄りの野辺山駅までタクシーを使ったのだが、この運ちゃんがじつに物知りでいろいろなことを知っていた。この音楽堂が完成したころ、武満徹さんが音楽監督をずっと勤めていて、よく昔は10日連続で、この音楽堂で音楽祭が開催されていて業界の有名人などがよく招待されていたということ。実際、武満さんは軽井沢に別荘を持っていて、その武満さんをよく送った、という経験があるそうだ。

客層は品位が高く、音楽堂のコンサートが終わったら、そのまま高原ロッジで宿泊と同時に、この八ヶ岳に別荘を持っている人が、音楽堂のコンサート終了後に、自分の別荘で宿泊する、というそんな感覚なのだそうだ。

いまの自分とは別世界のそんなブルジュワな世界を垣間見たそんな感じがする体験でした。xEeS2lGhG7dlwmB1370067983[1].jpg


八ヶ岳高原音楽堂サロンコンサート
2013年5月25日 17:00~19:00
八ヶ岳高原音楽堂

J.S.バッハ:G線上のアリア
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ハ長調 K.296
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 作品78 『雨の歌』

【休憩】

パガニーニ(クライスラー編):ラ・カンパネラ
フィビヒ(ジャムリー/バツェヴィッチ編):<夏の夕べ>作品41-6~『詩曲』
シマノフスキ:<神話-3つの詩> 作品30より『アレトゥーザの泉』
シャミナード(クライスラー編):スペインのセレナード
サラサーテ:アンダルシアのロマンス
ドヴォルザーク(クライスラー編):ユーモレスク
サン=サーンス:序奏とロンド・カプリツィオーソ 作品28
バルトーク(セーケイ編):ルーマニア民族舞曲
モンティ:チャールダーシュ

ヴァイオリン:前橋汀子
ピアノ:松本和将


体験! 札幌コンサートホール Kitara [国内音楽鑑賞旅行]

このホールは1997年に開館された、という。ずいぶん前のことだ。お恥ずかしい話ながら北海道民としてその存在すらまったく知らなかった。そもそも知ったきっかけというのは北海道の実家でTVを観ていると、そのローカルCMで、このKitaraのCMが随分頻繁に流れるのだ。

北海道の実家への帰省は、それこそ大学を卒業して上京以来、ほぼ毎年おこなっているので、25年以上も経過する。それなのに、KitaraのCMを観るようになったのは、ここ2~3年のことだ、と思う。

ものすごい頻度でCMが流れる。CMの内容は、コンサートの告知だ。
首都圏に住んでいる自分にとって、クラシックのコンサート告知がこんな頻繁にTVに流れる、というのは、首都圏では絶対あり得ない、ことだと思った。プロ野球の日本ハムのCMもすごい。

やっぱりアーティスト招致のためのスポンサーを地元ローカル企業などで支援していることもあり、そのための集客のための宣伝活動というのをメディアを媒体に北海道あげて応援するというのは当然のことなのだろう。

コンサートを運営する基盤がすでに長い経験でインフラとして整備されている首都圏とは根本的に違う、地域ローカル型の仕組みなのだと思う。

ホールフェチの自分にとって、実家の北海道にこんな立派なコンサートホールがあるならぜひ行ってみたい、と思うようになるのは必然だろう。ここ2~3年の間で、すごく気になるコンサートホールになっていった。

さっそく今回の帰省の機会に体験することにした。
場所は、札幌の地下鉄南北線の中島公園駅で下車、3番出口から徒歩7分だ。
3番出口を出ると、右に曲がっていくと、すぐに「札幌コンサートホール」という案内掲示板が出ていて、その方向にただ進んでいけばよく、迷うことはほとんどあり得ない。

そしてついに現れた。すごい巨大なドームだ。外観はコンサートホールというよりも企業の展示会を開くドーム会場のような感じだ。

札幌コンサートホール Kitara
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ガラス張りのエントランスホールは、ゆるやかな曲線をもって構成されている。開演前の待ち時間を快適に過ごせるように、広い空間を確保している、という感じだ。写真の先のほうにある階段を登りきったところに、小ホールのエントランスがある。写真を撮影している私の後ろのほうが大ホールのエントランス。
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大ホールのホワイエは、オペラ階段をあしらった吹抜け空間となっており、カフェコーナー、クロークなどがある。なかなか近代的なデザインだ。ちなみにドリンクコーナーは、ソフトドリンクは300円だ。都内のホールだと600円はする。さすが北海道は安い!
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そしていよいよホール内に入る。このときが1番興奮する。ホールフェチの自分にとって、はじめて経験するホールは、ホワイエで待っているときからドキドキしていて、そしていよいよ開場というところで、ホール内に入ったときに目の前に一面に現れる、そのホールの内装空間。

このときは、いつも自分は逝ってしまう。(笑)やはりこういう趣味を持っている人間にとって、この瞬間が最高のひとときなのだ。

夢中で写真を撮る。

3階席から俯瞰したホール
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私の座席~1階3列目の真正面
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ステージから後方席を撮影。
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側方の木造のモコモコのインテリア
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このホールはアリーナ型のワインヤード形式のホール。
このホールを俯瞰すると、その全体が持っている雰囲気、色調のデザインなどサントリーホールにそっくり。特に天井の造り、ぶらさがっているシャンデリア風の照明などサントリーの忠実なデッドコピーと言っても過言ではない。結構サントリーを意識してデザインされている感じを抱く。

ステージ前から客席全般を撮ると、後方になるにつれ、観客席の勾配が小さく、なぜか天井との間隔が狭く閉塞感を感じる造りだ。また、この内装デザインの一番の特徴は、階上席の客席の縁取りが曲線状になっているところだろう。このデザインがホール全体のイメージを作り出している。

キャパは2008席ということだから、サントリーやみなとみらいと同じくらいだ。
建物の外観からするともっと大きいと思っていた。

事前にマイミクさんに情報としてもらっていたのだが、このホールは木造ホールである。北海道の木材を使っているらしい。曲線状になっている客席の壁の表面だとか、ホールの左右側面上の不思議なモコモコのデザインなんかの塗装表面を観ると確かに木目調で、木造である。この側面上のモコモコのデザイン、音の反射などの音響を意識しての形状な
のだろうか?それともただのインテリア感覚?

もうひとつ気になったことは、ステージ上方に反響板がなかったこと。
ワインヤード形式の場合、ステージが観客席に囲まれているため、ステージから発せられる直接音が反射するための壁が遠くて、音が拡散気味で薄くなる、という欠点がある。それを少しでも緩和するためにステージ上方に反響板がある。

シューボックスのホールであれば、ステージからの直接音は側方、後方の壁ですぐに反射され(間接音:響き)、それがステージからの直接音といっしょに混じることで客席の方の耳に心地よい音響となる仕組みなのだ。側面の壁からの反射音が大きいほど音源の広がりや、音に包まれた感じがする訳である。つまり音が濃いのである。

でもシューボックスだと中、後方席の人がよくステージを見れない、視認性が悪いという問題もあって、視認性改善のためにステージを観客席が取り巻くというワインヤード型が考案された、という経緯がある。

でもそれが原因でこのワインヤード形式の永遠の音の欠点が課題として残ってしまった。

でもミューザ川崎も反響板は見当たらない。最近の新しいワインヤード形式のホールには反響板はないみたい。なくても問題ないようにどこかで音響上の工夫がされているのであろうか?

さて、肝心の音響はどうであったか?
今回の公演はオケではなかった。本当は札響(札幌交響楽団)の演奏をこのホールで聴きたかったのだが、カレンダーの都合により無理だった。そしてオルガンコンサートにした。後述するがオルガンはそれはそれで素晴らしいのであるが、ホール全般の音響の印象を感じ取るには、やはりオケが1番自分にはわかりやすい。いままでもずっとそうしてきたからだ。

そういうことで正直、今回の経験だけでは、このホールの音響の印象を捉えることは出来なかった。

スマン、申し訳ない。

ただ、コンサート開演前の観客席のざわめき、話し声の響き方を聴いているだけでも参考になる。それによるとそんなに響くという感じでもなく、どちらかというとデッドな印象を受けた。

木造ホールなので、響きがやわらかい暖色系の質感という印象を抱く。
それを確かめるために、ぜひここで弦の音色を聴いてみたかった。
ヨーロッパでは、よく木造コンサートホールに音響上の失敗は少ないと言われていて、その原因が木材は低音域をほとんど反射し、高音域を程よく 吸収するため、残響時間に高音、低音でばらつきが少なく平坦になりやすいことにある、という理論がある。全帯域において時間差なく耳に届くというのは、聴感バランスが良いのだ。

ヨーロッパの木造ホールで音響が素晴らしい代表的なホールが、アムステルダムのコンセルトヘボウ。
じつにやわらかい質感の音色で素晴らしかった。

ここKitaraでもきっとそのような素晴らしい音響が期待できると確信する。

でも思うにこのホールでオケを聴くのはスケジュールさえ合えば結構簡単なことかもしれないけど、ここの自慢のオルガンの音色だけを満喫するという経験ってなかなかできないのではないだろうか?そういった意味で、今回の経験はよかったと思っている。

オケは近いうち絶対経験する。


さて、今回経験したのは、オルガンコンサート。

これがKitara自慢のパイプオルガン
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大ホール正面に立つオルガンは、アルフレッド・ケルン社が、Kitaraのために2年の歳月を費やして製作したもの。パイプの数は4976本。およそ70ストップから生まれる豊潤な響きは聴衆の心をゆさぶる。日本の数多あるコンサートホールに存在するパイプオルガンの中でも、このKitaraのオルガンは大きいほうで有名なのだ。(サントリーやミューザ、芸劇など上には上があるが。)まさに壮大な音色だった。

重厚なオルガンの音色がホール一杯に広がっていく”音のさま”は、まさに圧巻。重厚な響きなんだけど音色はすごい多彩というか色彩感豊富な感じだ。また奥行きや深みも感じられる。特にオルガン特有のあの重低音、ホール全体に響き渡っていると聴いているとなんかクラクラめまいがするというか、酔う感じなのだ。

文字通りそのままだとオルガニストの背中しか見えないため、側方にカメラを用意して、横から見た様子をステージ上に設置されたスクリーンで映し出す、という工夫をしていた。
これだとオルガニストの演奏風景が良く見える。

そうするとスクリーンで見ると、この大オルガン、手鍵盤4段と足鍵盤の2種類を巧みに使って演奏しているのがよくわかる。特に足鍵盤で操作してもきちんと音色が奏でていて、ピアノのペダルとはちょっと役割の意味合いが違うのがよくわかった。

Kitaraの有名なパイプオルガンの音色を聴く、というのはとても貴重な経験だった。

近々にアンネ・ゾフィー・ムターがこのホールでリサイタルをするそうでCMが頻繁に流れていた。行きたかったなぁ。
弦の音色を確認する上では申し分ない。

これを機会に、今後北海道に帰省したときは、必ずこのKitaraでコンサートを聴くことに決めた!
CMを観ていると、札幌交響楽団の定期公演は当然にしても、外国有名演奏家を結構招致したりしていて、順調なご様子。楽しみなホールが、またひとつ見つかった、という感じだ。


オルガン名曲コンサート

2013/5/3 15:00~17:00
札幌コンサートホール Kitara

J.S.バッハ トッカータとフーガ ニ短調BWV565
フーガ ト短調BWV578「小フーガ」
ルフェビュール=ヴェリー ソルティー
アラン   リタニーJA 119

(休憩)

J.S.バッハ 前奏曲とフーガ ニ長調BWV532
リスト    バッハの名による前奏曲とフーガ
ワーグナー/リスト編曲 楽劇「タンホイザー」より巡礼の合唱Ⅱ
ヴィドール オルガン交響曲 第5番 ヘ短調 作品42-1より
       第5楽章 トッカータ

オルガニスト:椎名 雄一郎
         マリア・マグダレナ・カチョル (Kitara専属オルガニスト)


水戸芸術館で水戸室内楽定期公演 [国内音楽鑑賞旅行]

首都圏の大雪で散々だった水戸遠征。でも今年の年初の聴き初めのコンサートにふさわしい素晴らしいコンサートでした。去年秋に、はじめて水戸芸術館に出かけて、水戸室内楽を聴いてきて、室内楽に適した容積のホールで聴く豊潤な濃い音色がする室内楽を堪能して感動しました。

そして今回は、大野和士さんが、水戸室の指揮台に初登場ということで、この演奏会を今年の聴き初めとするべく楽しみにしていたのです。

まず、その前に水戸芸術館のホールの印象について述べてみたいと思います。
水戸と言うと首都圏から遠い感じがしますが、じつは上野から電車で1時間くらいで行けるのです。なので日帰りで行ける。(特急~常磐線・特急スーパーひたち(上野~水戸)でですが....でも自由席往復で7000円台もする。)これだけ素晴らしいアンサンブルを音響のいい室内楽専用ホールで聴けるんだから、ぜひみなさんも足を運こばれては、と思います。

もうご存知だと思うが、故・吉田秀和さん提唱のもと、小澤征爾さん中心に水戸室内管弦楽団が結成され、水戸芸術館という室内楽専用ホールを始めとする芸術の複合施設も建設されたのです。

水戸室内管弦楽団は1990年に創立された「水戸芸術館」の専属の室内管弦楽団。館長だった吉田秀和さんから相談を受けた小澤征爾さんが、その頃毎年ヨーロッパ演奏旅行をともに行っていたサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーを中心に自ら慎重に人選を行い、水戸室内管弦楽団が生まれたのです。

この管弦楽団は、指揮者のいる演奏はもちろん行うが、また入念なリハーサルを積み重ね、指揮者なしのアンサンブルを演奏することで有名。年間の半分は指揮者なしで公演をおこないます。室内楽団の細やかさとオーケストラのスケール感ある響きとを兼ね備えた音楽を聴かせてくれる希有な管弦楽団だと思います。

日本での定期演奏会は春と秋の2回。そのたびに独奏、合奏ともに多くの経験を積み、高い技術と音楽性を身につけた音楽家達が、演奏会のたびに世界各地から水戸に集結。1週間という入念なリハーサルを経て臨みます。

基本的に全奏者が一流のため、コンサートマスターや首席奏者制度はありませんが、コンマス(コンミス)は潮田益子、安芸晶子、豊嶋泰嗣等がほとんどを切り回しているようです。またヴァイオリンに1st,2ndの区別を付けず、配置は曲に応じて毎度変わるのも特徴。

小澤征爾さんを強く意識している私にとって、室内楽と言えば、この水戸室内楽を避けて通ることは絶対できず、ぜひ水戸芸術館で鑑賞したい、と思っていたのです。でも水戸というと首都圏から遠い感じがして、マイカーがないといけない、という地理感があり、なかなか実現できずにいたのが現状でした。ところが水戸まで特急で1時間で行ける、という情報を去年の秋、入手して、それではじめて重い腰を上げた、という次第なのです。

水戸芸術館は、水戸駅からバスに乗り継ぎ、下車停留所から数分徒歩のところにあります。

水戸芸術館(去年の秋に訪れたときの写真です。)
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水戸芸術館は、この変わった塔が印象的。この塔、水戸市政100周年を記念 して高さ100mの高さで建てられ、無限に発展する水戸市をイメージしているんだそうです。
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ロビー
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ホールの中に入ると、さすがに室内楽専用コンサートホールだけあって、ステージの広さや客席数、ホール容積も室内楽の規模に適した空間の佇まいです。ステージの側方、後方にも客席があるが、これは申し訳なさ程度のものであって、客席の大半は前方側にあります。このように側方や後方が狭いのは、ステージからの音が拡散しないように、側方や後方の壁ですぐに反射して響きとして前方に伝える初期の側方反射音を得るためだと思われます。

ホール
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ステージ側から見た客席
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素敵なデザインの天井
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いい音響を兼ね備えるコンサートホールの条件として、その容積というのはすごい重要なパラメータだと思います。程よい残響時間を得るにはそれに適した容積というのがあって、広すぎれば音は拡散気味で薄くなり、その空気を音で埋めるのが難しくなるし、狭すぎれば響き過多でわんわんうるさくなってしまう。ここのホールは室内楽という音数の少ない情報を響き渡らせるのには、適切な空間の広さだと思うし、これくらいの狭さだと、その時点ですでに気分的に音がいい感じがします。

実際聴いた音の印象は、硬質、軟質、どちらなのか、ちょっと判断に迷う感じのどちらとも言えない中間色の質感の印象で、響き具合は結構ライブ(響き多め)な感じ。ライブなんだけど響きに埋没することなく、音像は明確で輪郭がくっきりしている。もちろんまだ2回しか経験していないので、座席の位置によってクリチカルな音響なのかもしれないが、そこはよくわかりません。やっぱり室内楽でそれに相応した空間というだけで、その先入観だけで、なにか音が濃い感じがします。このホールの音響は、かなり私好み。 水戸室という最高の室内楽を聴くには、都内の大型ホールではなくて,やはりここ水戸芸術館で聴くのが本筋なのでしょう。なんか都内にある大ホールに付随している室内楽ホールとは一味違うんだぞ、という感じの一種独特のセンスがあってとても素敵です。

さて、コンサート。大野和士さんがはじめて水戸室を振る、ということで話題でした。大野さんは、小澤さんと同じで国内というより、どちらかというと海 外の荒波にもまれて育ってきた指揮者。特に世界中のオペラハウスにおける彼の活躍は目覚ましいものがあります。見た目イケメンで、それでいてどこかカリスマ性のある切れ味鋭い風格があって、女性ファンに人気があるのがよくわかる感じがします。なんか知将という表現がぴったりです。

大野和士さん
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大野さんの指揮は、なにか奏者との間にちょっとした遠近感を感じさせるスケールの大きな指揮振りのような感じを抱きます。作曲者の意図とか、音楽を音に具現化する表現力、そしてオケへの統制においては演奏者の自主性と技量を弾き出すのがうまい感じで、大げさな身振り手振りはあまりしないという印象。

演奏者が自分の自然でやりやすい方法で最も素晴らしい音をださせることが彼の理想のようです。指揮者なしでもどんどんやってしまう猛者達の水戸室のメンバーとガチンコで格闘する感じではなくて、大野さんが水戸室のメンバーをうまく誘導して音楽の幅や深さを引きだすというか、水戸室から明確な音の表現を引き出す、そんな柔軟な指揮振りだったように思います。 

曲の方は、ドヴォルザークの弦楽セレナーデは、去年の春、上野の奏楽堂コンサートで、演奏者として出演したゴローさんを応援しに行った思い出のある曲。確かにチャイコフスキーのものと比べると、それほど盛り上がったり、劇的な展開があったり......、 という訳ではないが、しなやかな弦楽器の特徴を活かしたじっくりと聴ける一曲だと思う。弦楽器が特に秀逸な水戸室にとっては、まさにツボにはまるはずだった。......でもいまいちでした。(笑)

私は最初、自分の座席による音響のせいだ、とずっと思っていました。それだけ水戸室の弦には信頼を置いていたし、疑う気持ちは毛頭なかった。でも帰宅して、次々アップされるマイミクさんの日記で、水戸室の弦楽器が原因だ、ということが言及されていて、そのときにあっ!そうなのか!とはじめて気が付いた。(大笑)それだけ信頼していたし、そういうこともあるんだなぁ、と思いました。原因は大野さんのスケジュールが非常にタイトで練習時間が足りなく、全3曲のうち、この曲だけが十分な練習時間を取れなかったそうです。

ブリテンのノクターンは、自然の美しさを賛える詩に牧歌的な美しいメロディーのついた素晴らしい曲で、近代の美しいオーケストラ付歌曲。特にブリテンという作曲家は、小編成のアンサンブルで鮮やかな色彩に彩られた空間表現を描き出す人なので、まずこの曲を水戸室のために選曲した大野さんの選曲センスの良さを感じざるを得ませんでした。テノール・管楽・弦楽の掛け合いが素晴らしかった。管楽器がつぎつぎとステージ前に現れて、テノールと弦と協奏する。

テノールの西村悟の声質は、十分甘美な艶があって、声量も十分で、繊細な歌唱を伴った美しい音楽に仕上がっていました。この曲を聴くチャンスは、なかなかない稀少な曲なので、素晴らしい経験でした。

最後のシューベルト交響曲第6番、あの未完成の前に書かれた作品で、この曲、正直あまり記憶に残っていない曲で、予習もしなかったし、初めて聞く ような感覚で楽しんでみました。冒頭がベートーヴェンとも思えるような雰囲気で、この作品を作曲していた時期シューベルトはベートーヴェンの音楽に相当傾倒していた、とのことなので、なるほど確かに、と思える厳格さがあります。全体的に柔らかな旋律が印象的なのですが、第4楽章はいままでのドイツ風からイタリア音楽のようになってしまう。4楽章構成の交響曲なのに30分程度の小曲。シューベルトの交響曲って、やはり演奏機会が圧倒的に多いのは「未完成」と「ザ・グレート」で、他の曲を生演奏で聴く機会ってあまりない。この曲もなかなか演奏機会に恵まれないようで、この曲を取り上げた大野さんの意図はどこにあるのだろうか?これをトリに持ってくるこのセンス、なかなかだと思いました。

なかなか重い腰を上げられなくて、水戸まで公演を聴きに行く、という気になれなかったのですが、これで定期公演を2回経験して、まさに上質な室内楽を堪能するには、この水戸芸術館まで足を運ぶべき、という印象を持てた感じがします。また水戸まで通って聴くだけの価値のあるクオリティの高さなのです。

サイトウキネンを振る小澤さんを観たくて長野県松本市に通うようになって2年経つが、いまだにその夢は実現できていません。でも一足先に、水戸で水戸室を振る小澤さんを観るのもぜひ実現してみたい、と思うようになりました。水戸室の定期公演は、そんなに頻繁に行われるものではないので負担も少なく、この水戸通い、自分のレパートリーに入れてみたい、と思った次第なのです。

大野和士さん(右)と西村悟さん(左)、コンマスは豊嶋さん
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水戸室内管弦楽団 第86回定期演奏会

・ドヴォルザーク:弦楽セレナード ホ長調 作品22
・ブリテン:ノクターン 作品60
  テノール独唱:西村 悟
・シューベルト:交響曲 第6番 ハ長調 D589

~アンコール~
フォーレ:組曲<ドリー>から第1曲 子守歌

水戸室内管弦楽団
指揮:大野和士
テノール:西村悟

2013/1/14 水戸芸術館コンサートホールATM


松本の魅力 [国内音楽鑑賞旅行]

サイトウ・キネン・フェスティバル松本が開催される長野県松本市。とても狭い街なのですが、歴史ある城下町で過去2回ほど訪れましたが、いろいろ散策をしてまいりました。と言っても私の場合、食中心の散策なのですが.......(笑)

長野県松本市は、都内から行く場合、新宿から特急あずさに乗って3時間、松本で下車です。決して近くはありませんね。

松本駅
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宿泊先のホテルは、この松本駅のすぐ横にあるホテルニューステーション松本というビジネスホテルです。このホテルに荷物だけ預けて(チェックインは15時からなので)さっそく街をぶらぶら。

小澤さんのオペラ収録のために早くから松本入りしているゴローさんにご挨拶代わりに昼食をご一緒にすることに。この日をはじめ、丸々2日間、この松本でゴローさんと過ごした日々は一生忘れられません。

紹介していただいたお店は、県文(長野県松本文化会館)のすぐ傍にある洋食屋さんGARAGEというお店です。ここのお店は県文の近くにあるということで、サイトウキネンのオケのメンバーがよく休憩に食事に来る馴染みのお店だそうです。
私達が居た時もオケのメンバーが入ってきたりしていました。(ゴローさんはメンバーの方に挨拶に行かれていました。)

GARAGE
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入口
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店内はとてもお洒落で雰囲気のあるお店ですね。
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私はデミグラスソースのオムライスを注文しました。
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いろいろ勉強になるお話を聞かせていただき、楽しいひととき。とても素敵なお店を紹介していただきました。この後、分かれて、私は主だったところの松本散策をしました。

さて、ここからどうするか?今回松本を訪れることでどこが名所なのか事前にガイドブックで調べて、
・国宝松本城
・中町通り
・ナワテ通り
この3か所を散策することに決めていました。松本を訪れるならこの3か所でしょう。400余年の風雪に耐えた天守閣を中心に広がる松本は、まさに信州の文化発信地。女鳥羽川という川の両側に中町通りとナワテ通りという2大通りがあるのです。城下町風情が満喫でき、レトロな散策が楽しめるのです。

まず松本城に向けてスタート。
松本市は結構小さい街ですね。地図どおりでわかりやすい街で歩くとすぐに目的地に到着する感じでした。

松本城到着!
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現存する5重6階の天守閣は日本最古を誇り、姫路城、彦根城、犬山城とともに国宝城郭のひとつだそうです。実際目の前にしたとき、壮大な感じで感動。でも良く観るとやはり古さが随所に感じられますね。
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つぎに女鳥羽川という川沿いにある中町通りを散策します。松本城からそんなに離れていません。

女鳥羽川
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ここが中町通りです。とても城下町の名残りがあるレトロの感じがありますね。
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2大通りのもうひとつの通りであるナワテ通りを散策です。
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城下町の風情がよく現れていてとても素敵な景観だと思いませんか?

さて、松本での生活では、毎朝の朝食はホテルで摂っていた訳ではなかったのです。毎朝の朝食は、「珈琲美学アベ」でのモーニングサービスを朝食としていたのです。このお店はゴローさんがサイトウキネンのメンバーのブログで知ったお店らしく、コーヒーが素晴らしく美味しいだけでなく、モーニングサービスの朝食も抜群にいける。あがたの森通り沿いにあって、奥手に引き下がったところにあり、いったん通っただけでは存在に気がつかないのですが、ようやく見つけました。

珈琲美学アベ
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店内
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モーニングサービス
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私はコーヒーにはあまりうるさくないほうなのだが、それにしてもここのコーヒーは正直美味しい。コーヒーの香りが芳醇で、味が濃いのです。普段の飲んでいるコーヒーがいかに薄くて水っぽいか身にしみてわかってしまった。モーニングもとても美味しい。

このお店の面白いのは、コーヒーカップを置く皿の部分に、このお店の珈琲の哲学が書いてあるのです。

悪魔のように黒く
天使のように優しく
恋のように甘い
珈琲のひととき・・・ 

また、メニューやコーヒーのソーサには、「疲れをいやすひととき、悪魔のように黒く、恋のように甘いコーヒーを!!」とか、「水ばかり飲んでコーヒーを飲まないなんて人生に生きがいがあるだろうか?疲れをいやす一時に悪魔のように黒く恋のように甘いコーヒーを!」 なんてメッセージが書き込まれている。とても素敵な珈琲専門店です。松本に滞在した時は、必ず朝食はここのモーニングサービスを摂ることにしたいと思います。

さて、この喫茶店の隣の方向には松本唯一のオーディオショップのロイヤル・オーディオがあります。
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なかなかの規模のお店で、すぐ店長さんとも仲良くなれました。視聴室にも通され、数枚のCDを聴かしてくれました。特にアルゲリッチのガラスCDを聴かせてくれたりしました。なかなかの美音でした。
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このお店には小澤征爾さんやソニー元会長の出井さんなどが寄っているらしく記念写真が置いてありました。出井さんの時期でしかも小澤さんの風貌から随分昔の写真だと思います。このオーディオショップにゴローさんと寄った時に、なんと偶然にもあのAV評論家の麻倉怜士さんとばったり出会ったのです。ゴローさんと麻倉さんはその場で世間話に華を咲かせていました。そしてゴローさんは私を麻倉さんに紹介してくれて、店長含めて、4人で私のカメラで記念撮影しました。いまでは私の宝物の写真になっています。

ゴローさんは、よくこのロイヤル・オーディオの2Fの視聴室で、BD-Rに焼いた収録画像を、ここで観てみるために使っていたみたいです。私と一緒に行ったときも、昨晩の「青ひげ公の城」の収録BD-Rをこの視聴室で、ゴローさん、麻倉さん、店長、そして私で観てチェックして、ここはどうだ、こうだ、という感じで話が盛り上がったのでした。このこともゴローさんから言うなよ、と言われたのですが(笑)、いまでは時効でしょう。(笑)

さて、松本と言えば蕎麦でしょう。松本市内にはそれこそ歩いていたら、至る所に蕎麦やさんがあります。 この信州蕎麦を体験するために取っておきのお店にゴローさんに連れていってもらいました。これも県文(長野県松本文化会館)の傍にあるんですが、小澤さんがとてもひいきにしているお店ということで、毎年夏に来るとき、小澤さんは必ずこの蕎麦屋さんに寄るんだそうです。

「かどや」というお店です。

確かに県文の近くなんですが、住宅の中を迷路のように行く感じでなんか隠れ家のお店のような感じがしました。

かどや
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店内は本当に純和風という感じです。
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小澤さんはこの蕎麦屋に寄った時には、必ずここにサイン色紙を書いていくのだそうです。私達が行った時も、「いつもありがとう 小澤征爾 2011.8.16」という色紙が貼ってありました。
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そしていよいよお蕎麦の登場!128.JPG

これが信州蕎麦です。1人前頼むんですが、ざるが2皿なんですね。なかなかの量です。あと野沢菜ごはんもいただきました。 いや~本場の蕎麦だけあってさすがに腰があってとても美味しいです。あとわさびがかなり本格的!蕎麦の独特の香りが芳醇で関東で食べているのとは全然違いました。やっぱり本場の味です。

なんか満足です。松本に来たらぜひ蕎麦を食べないと、と思っていたので、とても達成感がありました。

さて、あと信州といえば、もうひとつ体験したいものがあります。それは信州牛のステーキです。これは今回は経験できなかったのですが、次回行くときはぜひ経験したいと思っています。

さて、松本にはもうひとつマニアックなお店があります。これもゴローさんが日記で紹介してくれたお店なのですが、それが信州大学の正門前にあるエスニックカレー屋さんの「メーヤウ」。信州大学の正門前とは言っても正確には正門の真正面にある訳ではなくて、正門前から右に少し歩いたところにある。じつはこのメーヤウ、2店舗あって、桐店と信大前店とがある。ここの名物が「4色カレー」。この4色カレーが置いてあるのが信大前店のほう。私は最初、信大前店がわからず、間違って桐店のほうに行ってしまって、4色カレーが置いてなかった。2回目の正直でようやく信大前店に辿り着き、この4色カレーを食することができました。

エスニックカレー屋「メーヤウ」信大前店
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店内
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これが4色カレー。
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イエロー (デリー風イキン・カレー)
レッド  (タイ風ビーフ・カレー)
グリーン (タイ風チキン・カレー)
ブラック (カシミール風ビーフ・カレー)

といった具合に この店ではカレーの種類が「色」で示されます。4色カレーは、大皿なので 特大盛りという印象を与えるかもしれませんがご飯の量は トータルで 単品カレーの一人前と同じ。カレーは、4種類合わせて 単品の2倍くらいの量でしょうか。大食漢の私は、ペロリと苦もなく平らげてしまい、満足したのでした。

詳しいお店情報のリンクはこちら。(↓) 
エスニックカレー屋さんの「メーヤウ」 

松本に行ったときは、必ず朝食に珈琲美学アベのモーニングサービス、そして信州蕎麦、そしてこの4色カレー、そして夕食に信州牛のステーキは制覇したいですね。なんか食いしん坊の話ばかりですね。(笑)

さて松本の魅力、伝わりましたでしょうか?とても狭い街ですので、あっという間に散策できてしまいます。サイトウ・キネン・フェスティバル松本が開催されている時期は、かならずゴローさんがこの松本に収録のために滞在していますが、今年からはそういうこともなし、なんか主なき松本という感じがしていますが、もし今度、またこの松本の音楽祭に訪れることができるチャンスがあったら、ゴローさんに紹介してもらったこれらのお店を、想い出巡りという感じでもう一度ひとつひとつ訪問し直したい、と思っているところなのです。


サイトウ・キネン・フェスティバル松本 [国内音楽鑑賞旅行]

みなさまあけましておめでとうございます。本年もよろしくご愛読の程をお願い申し上げます。さて本年度一発目の記事は、毎年夏休みに長野県松本市で開催される音楽祭であるサイトウ・キネン・フェスティバル松本(略称SKF松本)について。

ご存じ小澤征爾さんを総監督として、世界のオケや、日本の在京楽団のスター達が年に1回この音楽祭のためにこの松本市に集まるのです。桐朋学園の創始者である故・齋藤秀雄先生の没後10年にあたる1984年に、世界各地に散る同門の志が一堂に集いメモリアルコンサートを行ったことから生まれたサイトウキネンオーケストラ(SKO)。そのSKOが母体になるオーケストラとオペラの2本の柱を中心とする音楽祭:サイトウキネンフェスティヴァル松本が、小澤征爾総監督の下、1992年に長野県松本市で始まりました。

小澤征爾さん
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クラシックの源地:西洋に比べて日本にはまだクラシックの伝統、歴史が全くなかった時代に、齋藤秀雄先生がまさになにもない状態から日本人の指揮者、演奏家達を育て上げた訳で、日本のクラシック界の礎を築いた人でもあります。

その1番弟子だった小澤さんが先頭に立ち、同士に呼びかけ故・齋藤秀雄先生を偲びその意志を受け継いでいくことを再確認しよう、ということで年に1回このように集まり現在に至っている訳です。

小澤さんが最も大事に思っているオケ、音楽祭と言えます。 若い頃から世界で活躍していた小澤さんにとって日本に確固たる活動の場というのがなかった、というのが実情で、そんな小澤さんにとってこのサイトウ・キネンは自分の日本における活動の基礎となる場であった訳です。

NHKの音楽ディレクターである小林悟朗さんと知り合えたことで、小澤征爾さんを強く意識するようになり、同時に悟朗さんのライフワークであったサイトウ・キネンを経験したい、と思うようになりました。毎年この夏のシーズンになると収録のために松本に長期滞在する悟朗さん。はじめて松本を訪問した時は、いろいろ松本を案内してくれて、丸一日一緒に過ごした思い出は一生忘れられないでしょう。やはり自分のクラシック人生の中で、サイトウ・キネンを振る小澤さんの生の姿を観ておくというのは、絶対に経験しないといけないハードル。2011年と2012年にこの松本の音楽祭に通っていますが、小澤さんの体調問題で、いまだにこの夢を叶えていません。普段、私は在京楽団の定期会員になっている訳でもなく、日本でのクラシックコンサート鑑賞もきちんとした軸のある活動をしている訳ではありません。でもその中で自分のカラーを出すのなら、このサイトウ・キネンと心に決めているのです。そんな訳で国内音楽鑑賞旅行としては、私にとってこの音楽祭が最大のイベントでもあるのです。

新宿から特急あずさで揺られて3時間、、松本で下車です。決して近い距離ではありません。
サイトウ・キネン・フェスティバル松本は、大きくオーケストラ・コンサートとオペラの2本立てで構成されています。(室内楽もありますが、その紹介はまた次の機会に。)まずオーケストラ・コンサートのほうの紹介から。コンサートホールはキッセイ文化ホール。去年までは長野県松本文化会館と呼ばれていたホールです。

キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)
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2011年にはじめて松本を訪問した時に、まだ長野県松本文化会館だった頃、小澤征爾/サイトウキネンオーケストラ(SKO)と言えば、この会場でのシンフォニー 演奏というイメージが圧倒的に強い。したがって私にとってSKF松本というのはまさしくこの会場のことなのです。

松本入りしてから、地元の人はしきりにこの会場のことを「ケンブン」と言う。(笑) 私は「ケ、ケンブン?」(笑)

そう「長野県松本文化会館」のことを地元松本では、「県文」というのです。タクシーで、「サイトウキネンフェスティバル松本の長野県松本文化会館まで。」と丁寧に言うとタクシーの運転手さんは、「あ~県文ね。」とあっさり(笑)。そしてカーナビを見ると、なんと「県文」というアイコンがきちんとあるんです。(笑) まさに1992年の創設以来20年間地元松本市民に慣れしたんだ、この愛称である「県文」。それが2012年からキッセイ文化ホールに改名。これはどうなんだろう?それこそ「県文」(長野県松本文化会館)という名称で、長年松本市民に定着していただけにこの改名、残念というか違和感があるのは私だけだろうか?地元のタクシーのカーナビにも県文というアイコンが元々地図データにあるくらいだし.....

タクシーの運転手さんに改名の理由を聞くと、こういうことだった。

キッセイ文化ホールのキッセイというのはキッセイ薬品という薬品会社の名前をそのままホールの名前に使っているのだそうだ。正確なことはわからないけど、このホールの維持費のためのスポンサーとして、このキッセイ薬品が金を出しているのではないか?その代替として、キッセイの名前をホールに入れろ、という要求があった、とのこと。しかも期限は5年契約とのこと。5年後にスポンサーが変わって、またホールの名前が変わるかもしれない、と言っていました。

確かに松本という田舎で、年に1回のSKF松本だけでは、年間の維持費は厳しいものがある。(首都圏と違ってコンテンツを集めるのが大変)いままで長野県松本市の金で運営していたのを、民間会社の金の力を借りよう、ということなのだろう。今年で20周年、苦しいホールの経営方針にひとつの区切りの裁断なのかもしれない。

でも松本に滞在していた時に、周りから聴こえてきたのは「県文」という言葉で、誰ひとり新しい名前を言っている人はいなかった。スポンサーが変わるたびにホール名を頻繁に変えるようであれば、これからも新しい名前が定着することはまずないだろうと思うし、松本市民にとってはこれからもずっと「県文」と呼ぶんだと思う。
20年間かけて慣れ親しんだ愛称はそんな簡単には変えられないはずです。

以前はこのように長野県松本文化会館でした。(↓)
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1992年に開催の始まったSKF松本のために作られたコンサートホールです。この県文も、コンテンツの確保、維持費が大変です。松本市はSKF松本のときが1年で最大の集客力を誇りますが、それ以外の期間は地道にいろいろなジャンルの公演招致で賄います。 ロケーションは駅からはかなり離れていますので、交通手段はタクシーで行くしかありません。

ロビー
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エントランスを入ったら広いロビー空間が現れます。ここにグッズ関係も売ってます。大ホールに行くには、ここからさらに階段を上がってホール入口があります。そこを入ると直接ホールに入るためのロビーがあります。あまり広くないですね。ホールに入るための入口はここしかありません。

ホール

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ここがNHKのTV放送やBlu-ray/DVDで御馴染みのホールだ!思わずじ~ん!と来てしまいました。座席数は2000席くらいで、1階と2階に分かれています。ちょうど松本に来ていたオーディオ仲間から、このホールは残響少なめでマッシブな音響だよ、と聞いていたので、どんな感じなのかな、と思っていました。後日データを調べると、県文の残響時間は空席時で2.2秒、サントリーホールで空席時で2.6秒くらいだから、確かに言っていることは正しい。

でもいざSKOのシンフォニーを聴いていた分にはあんまりそんなに響きが少ないとは感じませんでした。SKOが奏でる音が凄い分厚い音で密度感が豊富だったので、デッドな響きはほとんど気にならなかった感じです。あと感じたのは、ステージからの直接音がかなりしっかり客席に届くこと。

ここで聴くSKOの音楽は、まさに日本から発信する世界級レベルの音楽祭を代表する素晴らしいものでした。首都圏の在京ホールで聴くオケの音とは一味違う自分にとっては特別の音がするのです。

2012年のオーケストラ・コンサートでダニエル・ハーディング指揮でアルプス交響曲終演後のカーテンコール
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さて次にオペラの会場となるのが、「まつもと市民芸術館」。松本駅を出てすぐ正面に「あがたの森通り」という大きな通りがあり、そこをまっすぐ20分ほど歩くと右手側にホールは見えてきます。地理的に非常に恵まれた立地条件にあると思います。

まつもと市民芸術館

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さっそくホールのロビーに入った印象。建物自体が縦に長いので、幅はないけどひょろ長いという感じです。まつもと市民芸術館は地上7階地下2階の建物で、長いエスカレーターを昇ってかなり高いフロアまで上がります。

ロビーはこんな感じです。

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そして開場時間になり、ホールの中に入るとびっくり!凄いホールですね。事前にネットのHPの写真で最新鋭のホールであることを知っていましたが、実際入って中を見るともう唖然です。素晴らしいホールです。

ホール

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ステージ

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ピット

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2012年のオペラ(オラトリオ):「火刑台上のジャンヌ・ダルク」の舞台装置。

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まつもと市民芸術館は地上7階地下2階建てで、内部には約1,800席の主ホール、240席の小ホールのほか、主ホールの舞台を利用した約400席の実験劇場、リハーサル室やレストランなども完備しています。1800席ということですから、東京の新国立劇場とほぼ同じくらいです。ただ新国立劇場はオペラ劇場、中劇場、小劇場といろいろあり、劇場としての規模は、新国立劇場のほうが大きいかもしれませんが、でもこのまつもと市民芸術館も本当に凄い規模のホールだと思いました。

ちょっと意地の悪い見方をしてしまって、長野県松本市という決して大きくない街にこんな凄いホールを建築して維持費とかどうしているんだろうか?集客のための公演招致など大変じゃないか、と思いました。要はどんなに優れたホールであってもコンテンツをうまく確保することが運営の成否を決めると思うからです。

後日タクシーを利用したときに運転手さんと世間話をしたのですが、やはり同じことを言っていました。このホールを建設するとき、都市の規模からコンサートも頻繁に開かれるものではなくて、このため、新施設の設備は過剰であり、その建設は税金の浪費にすぎないと捉える向きも多かったそうです。

長野県松本市もSKF松本のときは、1年のうち最も盛況となる時期で全国から観客が押し寄せる凄い集客力ですが、普段はなかなか厳しいのが現状。最近では歌舞伎とか、公演招致に血眼で維持費を確保しているんだそうです。

2012年のオペラ(オラトリオ)の「火刑台上のジャンヌ・ダルク」終演後のイザベル・カラヤン(指揮者カラヤンの長女)のカーテンコール

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でも日本の夏の音楽祭としては最大規模と思われるこの小澤征爾さんのサイトウ・キネン・フェスティバル松本を演出するにふさわしい、このオーケストラ・コンサートの会場であるキッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)とオペラの会場である、まつもと市民芸術館、どちらも本当に素晴らしいホールで日本から世界へ発信する音楽祭にふさわしいホールと実感しました。

みなさんも、この松本の音楽祭、ぜひ経験してみませんか? 


体験!軽井沢大賀ホール [国内音楽鑑賞旅行]

国内のクラシックのコンサートホールはそれこそ首都圏にたくさん存在しますが、私にとってとても、こだわり、思い入れのあるコンサートホールが軽井沢にあるのです。それは軽井沢大賀ホール。

元ソニー会長/社長の大賀典雄さんが、自分の退職金16億をすべてをつぎ込んで、当時クラシックのコンサートホールがなかった軽井沢に寄贈したホールであります。それ以前の軽井沢は音楽会の演奏をするときは、軽井沢市内にたくさん存在する教会で演奏することが多かったようです。ところがこの軽井沢大賀ホールが建立されるようになってから、まさに軽井沢でのコンサート活動の本流となり現在に至っています。

ソニーの会長/社長であった大賀典雄さんは音楽の勉強をし、その道を志していたんですが、自分の意志とは全く予想もしなかった会社の経営者の道を歩むことになり、その間、常に音楽に携わりたいという自己内部での葛藤が常にあったそうで、ついに晩年指揮者デビューします。そして、その音楽活動の集大成として自分の退職金16億円をすべてつぎ込んでこの軽井沢大賀ホールを軽井沢市に寄贈したのです。

大賀典雄さん
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大賀典雄さんは私が1987年に入社したときにはソニーの社長でした。(会長は盛田昭夫さん)入社式のときに訓示のお言葉をいただいたのをいまでも記憶しています。

大賀さんは東京芸術大学を経て欧州のベルリン音楽芸術大学で声楽を学ばれているのです。(確かバリトン、話し声も凄い低音が素晴らしいです)そういう経歴で、井深さん、盛田さんとの親交で家電メーカーの経営者になるという異色の経歴の持ち主でした。

カラヤンとも蜜月の関係で、お互い飛行機の操縦の趣味、自動車の趣味、またカラヤンは機械ものに強く、ザルツブルグの自宅の地下の編集室にソニーの機材一式を購入して大賀さんに見せて自慢したなどのエピソード、CDフォーマットの記録時間決定の際のカラヤンのアドバイスなど非常にお互い公私ともに友好な関係でした。

あとカラヤンと大賀さんが、カラヤンのザルツブルグの自宅で会談しているとき、心臓発作でそのままカラヤンが倒れるように亡くなったのです。いわばカラヤンのご臨終を看取った人が大賀さんでもありました。私が大賀さんの偉大さを強く認識したのはずっと後年でしたが、家電機器を開発すると言う立場にいながら、クラシックに造詣が深い大賀さんはまさに私の尊敬する人で人生の鏡でもあったのです。なんか普通の会社経営者と違って「異色」なんですよね。

そんな大賀さんも2011年4月にご逝去なされました。まさにソニーの黄金時代を支えた経営者であり、一時代が去ったとも思える感があります。大賀さんの遺志が受け継がれているこのホールで演奏を聴くことが今の自分のできること。できれば大賀さんの指揮姿をこのホールで観ておきたかった。 少なくとも大賀さんの下で働いていた人間にとって、毎年1回は、このホールに通うことで、大賀さんの意志を受け継いでいきたいと思うのです。大きなイベントとしては、GWに開催される大賀典雄メモリアル・春の音楽祭と夏休みに開催される軽井沢国際音楽祭があります。今回はこの軽井沢大賀ホールの魅力について紹介していきたい、と思います。現在はこのホールの芸術監督にダニエル・ハーディングが就任しています。

東京上野から長野新幹線で1時間、軽井沢で下車。軽井沢駅から徒歩7分という非常に地の利がよいところにあります。

軽井沢大賀ホール
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大賀ホール、思っていたより小さめな建物でした。とても美しい建築美を伴った建物で外観が本当に美しいと思いました。玄関から横のほうに行くとカフェテラスがあってドリンク休憩ができるようになっています。大賀ホールの周りは緑の芝生、そして湖と、とても自然色豊かな環境で和みますね。

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開場時間になって、中に入ってみると、ロビーが物凄く狭い。確かに五角形の建物なんですが、入口は片側からしか入れないようになっているのです。だからロビーも五角形ホールの片側しか存在しないんです。

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第1印象。狭い。(笑)思っていた以上に狭いホールでした。都内のホールと比較すると小ホールの部類に入ると思います。データによると客席数は784席。大半を1階席が占めており、ホールの2階席は横木に腰掛ける立ち見席のみだった ようですが、利用者の要望により椅子を取り付けられたそうです。しかし立見席はホールを町に寄贈した大賀さんの「若者が良質の音楽に安い価格で触れることができるように」との意向で設けられたこともあり、一部はそのまま残されている、というのが現状です。

こういった背景もあるのか、コンサートのチケットも安いし、カフェのドリンク代 (なんと400円)ももの凄い安いです。いかに安価に音楽を楽しんでもらうか、の大賀さんのモットーなのでしょう。

ホール

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五角形の天井。(反響板がすごく大きい)

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ホールの中はステージがあって、確かに2階席はあるのですが、大半は1階席が主流。後方や真横に客席はなくてワインヤードでもない。かと言ってシューボックスでもない、独自のホール形式です。要はステージがあって、基本は前方席しかない訳で、それでいてホール全体が五角形なのです。

これがホール内のどの席へも音が均一に届くように建物の形状を五角形にした秘密なのでしょうね。ユニークなホールの形状だと思いました。

音響のほうはかなり残響リッチな音響です。かと言って音像がぼやける感はなく、明確な隈取りでしっかりした定位感があります。かなり濃い音ですね。オケの音は、響きが豊富なので非常にスケール感の大きい雄大な感じに聴こえ、ステージのちょうど上方にサウンドステージが浮かぶ感覚がするほどじつに素晴らしい感があります。またピアノリサイタルも聴いたのですが、1打鍵ごとの響きが長いので、強打鍵の連打の場面になると、混濁感一歩手前のレベルまでいくほど響き豊かです。基本的にこのホール、ライブ(響き多め)なんですね。響きの質感は、硬質、軟質というより、どちらかというと中間色な感じで非常に明晰で素晴らしい響きです。もうひとつこのホールの不思議なところは、通常この席は音響の素晴らしい席で、ランクが落ちていくにつれて音響が悪くなる、というのがコンサートホールの常なのですが、このホールはそういう常識は当てはまらず、ホール内のどこでも全く均一の音響を得られるというのが売りなのです。本当にそうなのかどうかは、そう何回も経験している訳ではないので立証できませんが、この独特のホール形状にその秘密が隠されているような気がします。

開演開始の合図は通常のコンサートホールですとベルなどを使用しますが、この大賀ホールでは、小型スピーカーから川のせせらぎが聴こえて、小鳥の鳴き声がして、最後に教会の鐘の音が鳴るのです。本当に緑の避暑地の軽井沢ならではの、なんとも小洒落たセンスではないですか!いずれにせよ、軽井沢というセレブな避暑地にぴったりのお洒落感覚に溢れた魅力あるホールであることは間違いないところです。

正面玄関を入ったところにある大賀典雄さんの銅像パネル
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