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バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

バルバラ・フリットリは、自分が贔屓にしているソプラノ歌手の中でもとびぬけて大のお気に入りの歌手である。彼女の実演も幾度か体験しているが、やはり確固たる実力があって、そして華のある歌手だという揺るぎない事実を突き付けられた感じがしたものだった。


その中でも自分が大感動した2014年に東京オペラシティ・コンサートホールで開催されたソプラノ・リサイタルについてのコンサートレビューを紹介しておこう。


このレビューは、2014年6月4日の公演直後に、mixiのほうにアップした日記なのだけれど、ブログのほうにはまだ紹介していなかった。


バルバラ・フリットリは、自分のクラシック人生の中でも絶対避けては通れない歌手なので、やはりブログのほうにも掲載しておく必要がある。


しかし、この頃のコンサートレビューって、自分はしっかり書いていたんだなぁ。
いまはとてもじゃないけれど、こんなに書けないや。(笑)

いまのコロナ禍、彼女はいまどうしているのか・・・
また来日して彼女の生の声を聴いてみたいものである。(2020.12.11記)




バルバラ・フリットリといえば、イタリアの正統派ソプラノとして、ナンバーワンの実力と人気を誇っている。

イタリア生まれで、現代最高のソプラノのひとり。スカラ座のプリマとして活躍していた時期もあったし、特にヴェルディのソプラノを歌わせたら天下一品、他の追随を許さないだろう。


品格があり、色艶のある美しい声。テクニックも抜群。そして見事な声色コントロール。 なによりも存在感と華がある。


あの3.11の東日本大震災の後に、来日予定の歌手がどんどんキャンセルするなか、動じることなく来日を果たし、素晴らしいパフォーマンスと声を聴かせてくれた、そのプロ根性。


そして見事な声のパフォーマンス、そしてその外観の格好よさ、これに私はいっぺんに虜になってしまった。親日家でもあり、頻繁に日本にも来てくれる。やはりこういう真摯な態度が、必然とファンを魅了するというか、ファンを引き付ける要因にもなり、彼女の大きな魅力にもなっているような気がする。


今、ヴェルディのヒロインを誰で聴きたいかと言われたら、フリットリに指を折る、と思う。声の美しさに加えて、美しく端正なイタリア語の響き、格の高さ、整ったフォーム。本当に理想的である。


フリットリの素晴らしさは、歌手としての知性にもある、と思う。彼女の演奏に決して裏切られたことがないのは、自分の声を知り、合わないものは避けてきた賢明さが大きいと思うのだ。


そんな彼女のリサイタル。歌曲リートではなくて、管弦楽を携えての本格的なリサイタル。


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そして演目も、得意のモーツァルト、ヴェルディだけではなく、まさにこれでもか、というくらい豪華な多種多様な作曲家の曲を歌い上げ、その多才な面も魅せてくれた。


彼女の姿勢として、自分の声に合うものを基準に選んでいる、と述べたが、一見、自分の声質の可能性への挑戦とも言えるバラエティ豊かな今回の選曲だが、でもベースはやはり自分の相応というのをわきまえているのだ。


ドレスは前半は、下地にブラウンの生地を着て、その上に薄い黄色のドレスを羽織る感じ。そして後半は、黒のロングドレス......素敵。


すごい大柄で、体格も凄くて、圧倒されるくらい存在感がある。バックにオケと指揮者がいる訳だが、その前に彼女が立つと、決して負けないというか、彼女だけがすごく映えて見える、というか、とにかく周りを鎮圧するともいうべき圧倒的な存在感なのだ。


最初の曲の歌いだしのときは、意外に声の通りが悪く、よく聴こえなくて、意外と声量がないな、とも思ったが、それはエンジンがかかっていないだけであった。曲が進んでいって、みるみる内に、その圧倒される声のパフォーマンスがそのホール全体に響き渡り、聴衆を制圧する感じで、本当に圧巻だった。


彼女の声質は、色艶があって透明感のある声質と感じる、強唱のときにも耳にキツく感じることなく、まさに青天井の圧倒的な歌唱力で、弱・中のフレーズからのつながりもすごい滑らかで抜群のうまさを感じる。そして、なによりもその美しい容姿と、その表現力は他のソプラノ歌手では追随を許さないところ、と改めて思ったのである。


いま飛ぶ鳥の勢いのネトレプコでも、まったく足元に及ばない存在感というか、いわゆる”正統派の本物”の質の高さというのが感じ取れる。


やっぱりフリットリといえば、暗譜だろう。


前半のときは譜面台を前において歌う訳だが、まぁそれなりに素晴しいパフォーマンスであるが、後半になって、これが彼女の18番であるモーツァルトやヴェルディの曲になると、おもむろに、譜面台を横に外して、暗譜で歌い始めるのだ。


そうすると、どうだろう!


しなやかな手振りなど、じつに体全体を使って情感たっぷりに歌うその姿は、まさに迫真の表現力ともいうべきもので、それにその澄んだ美しい歌声が加わり、まさに最高に絵になるソプラノ歌手となるのだ。


彼女の手の振りを見るとわかるのだが、すごい流線形というか、ものすごい滑らかで、あのしなやかな所作は、彼女の生来の持味なのだと思う。


この暗譜で歌うときの彼女は、譜面台がある場合とでは雲泥の差があり、やはり彼女の本質は、演劇をともなうオペラ歌手なのだろうなぁ、ということを再確認した。


もう最後のアンコールの3曲なんて、もう絶賛、最高潮の状態で、会場も興奮のるつぼと化した。


特に今回のちょっとしたサプライズとしては、フランス歌曲やフランス・オペラを取り上げたところだった。ベルリオーズの「夏の夜」ではフリットリの声に合った、とてもチャーミングな歌曲だと思ったし、またデュパルクの珠玉のフランス歌曲でも、本当に魅力的な歌唱だった。フランス・オペラではマスネの「マノン」からアリアもフリットリの違った魅力を感じ取れた。


じつは彼女は、これまでに「ホフマン物語」のアントニアや「カルメン」のミカエラなどを歌って、フランス・オペラにも精通しており、そんなところにも今回の彼女のチャレンジがあったのだと思う。


またマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲や、マスネのタイスの瞑想曲など、彼女なしのオケの演奏だけの曲もあり、これまた名曲なので、じつに旋律が美しく、うっとりさせられる。


こういったわかりやすい初心者向けの名曲をちりばめたりして、1本調子にならないような工夫がされており、コンサートの完成度を高めていたと思う。


カーテンコールのときや、アンコールのときの彼女のしぐさは、すごくお茶目で、何回も何回も会場の笑いを一斉に誘っていた。


じつにチャーミングで可愛らしい女性だ。


以前から思っていたことなのだが、自分はオペラを観るより、こういうリサイタルのほうが手軽に好きな歌手の声を堪能できるから好きだ。


オペラは、予習が大変だし、観劇にものすごい体力がいる。1番の理由は、好きな歌手が衣装を着て化けていることなのだ。リサイタルのほうが現代風の衣装で、素のままの歌手の素顔、姿が楽しめるから、身近に感じていい。


今回の彼女のそんな素の姿を観れて、本当に感激であった。


やはり自分にとって永遠のディーヴァ、麗しきの君であることを再認識できたし、その美声と容貌、そして卓越したその表現力は、自分は永遠に追い続けるだろう、と確信した幸せな一夜であった。


こちらが私が撮影したカーテンコール。


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こちらが、FBから拝借してきた日本舞台芸術振興会のページの写真。
さすがプロです!


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バルバラ・フリットリ ソプラノ・リサイタル
2014.6.4(水) 19:00~ 東京オペラシティ コンサートホール

ソプラノ:バルバラ・フリットリ
指揮:アレッサンドロ・ヴィティエッロ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団


曲目


第1部
ドニゼッティ:歌劇『ラ・ファヴォリータ』より序曲
デュパルク:「旅へのいざない」
デュパルク:「悲しき歌」
ベルリオーズ:歌曲集「夏の夜」より第1曲「ヴィラネル」
ベルリオーズ:歌曲集「夏の夜」より第6曲「知られざる島」
マスカーニ:
歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲
トスティ:アマランタの四つの歌


第2部
モーツァルト:歌劇『皇帝ティートの慈悲』より
“おおヴィテリア、今こそ~今はもう美しい花のかすがいを”
モーツァルト:歌劇『ポントの王ミトリダーテ』より
“恩知らずの運命の厳しさが”
マスネ:タイスの瞑想曲
マスネ:歌劇『マノン』より”さよなら、小さなテーブルよ”
ヴェルディ:歌劇『アイーダ』より”勝ちて帰れ”
プッチーニ:歌劇『マノン・レスコー』より間奏曲
プッチーニ:歌劇『トスカ』より”歌に生き、恋に生き”


~アンコール
・チレア:歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」より「哀れな花よ」、「私は創造の卑しい僕」
・マスカーニ:歌劇「友人フリッツ」より「この僅かな花を」








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ラトル&ベルリンフィルのマーラー交響曲第9番 [国内クラシックコンサート・レビュー]

マーラー交響曲第9番を、マーラーの交響曲の中で最高傑作という位置づけするマーラーファンの方は多い。それは、マーラーの交響曲で、やはり実演において近代まれにみる名演とされる公演に不思議と第9番が多いこと、そしてバーンスタイン&ベルリンフィルの緊張あふれるスリル満点のあの一期一会の名盤。


やはり話題に事欠かないのが第9番なのである。


実演に関しては、1985年のバーンスタイン&イスラエルフィルの第9番(大阪フェスティバルホールとNHKホール)がこれ以上はもう望めないという奇跡の超絶名演だと言われている。


悔しいかな、自分はそのとき大学生で北海道にいた。(笑)


今日ここで取り上げる日記は、2011年11月23日にmixiで作成した日記である。
ラトル&ベルリンフィルが来日公演をして、そこでマーラー交響曲第9番を演奏してくれた。


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自分は、この2011年に現地のベルリンフィルハーモニーでラトル&ベルリンフィルで第6番「悲劇的」を2公演聴いた。そしてこの2010/2011年シーズンというのは、ラトル&ベルリンフィルがこの1年でマーラー交響曲全曲演奏会というマーラーツィクルスをベルリンフィルハーモニーでおこなった年でもあるのだ。


カラヤンの苦手だったマーラー。アバドがシェフになって、ベルリンフィルにマーラーを頻繁に取り入れた。結局10年足らずの任期の中で、ベルリンフィルでマーラーの交響曲を全曲演奏した。


これは、ベルリンフィル史上初のことであった。


アバドとベルリンフィルの記録として残っている演奏はすべてライヴで下記の通りである。


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アバドのベルリンフィルのシェフ就任コンサートは、マーラーの1番なのだ。アバドはベルリンフィルで自分の在任期間の間にマーラーの曲を全曲演奏したほか、シカゴ響、ウィーンフィル、そしてルツェルン祝祭管弦楽団とも第8番を除いて全曲演奏。いかに近代のマーラー指揮者であったかがわかるであろう。


ラトルもそうなのだ。1987年に初めてベルリンフィルと客演した時がマーラーの6番、そして2002年のベルリンフィルのシェフ就任コンサートがマーラーの5番、そして2019年の離任コンサートが、マーラーの6番。そして2010/2011年シーズンでのベルリンフィルでのマーラー交響曲全曲演奏会。


ラトルは、アバドと同様、ベルリンフィルに対して明らかにマーラーを強く意識していた。


アバドが在任期間を通してバラバラで全曲演奏を成し遂げたのに対し、ラトルは2010/2011年というたった1年の短期間で、列記としたマーラーツィクルスとして全曲演奏会を成し遂げた。


全曲演奏会、ツィクルスとしてベルリンフィルでマーラー演奏をコンプリートしたのは、ラトルが史上初である。


これは当時大変な話題になり、チケットは即完売のプラチナ。自分も6番チケットを取るのに相当苦労した。近代マーラー解釈の雄のラトルのマーラーは恐るべくプラチナであった。


この2010/2011シーズンのラトル&ベルリンフィルのマーラーツィクルスは、デジタルコンサートホール(DCH)にアーカイブとしてちゃんと入ってます。


そういった経緯から自分にはアバドとラトルは、どうしても同じ道を歩んできたように思えてならないのだ。まさに偉大なる先人カラヤンとは違った面をアピールしたい、という・・・。


2011年は現地ベルリンで6番を聴いて、日本への来日公演では9番を聴く、というまさにラトルのマーラーイヤーだった。今年2020年にラトルはロンドン響と来日して、2番「復活」を披露してくれるというので、久しぶりにラトルのマーラーを聴いてみたいと思ったりしています。


そこでこの2011年11月にラトル&ベルリンフィルが来日してマーラー第9番を披露してくれたとき、自分はこの機会をかなり自分の中で大切なトリガーとして位置付けた。9番の曲の構造から詳細に説明し、そしてバーンスタイン&ベルリンフィルの一期一会の録音についても、徹底的にプロモートして宣伝した。


実際、コンサートも本当に素晴らしくて、自分の鑑賞歴の中でも忘れられない9番の名演になった。だから、このコンサート日記をmixi日記の中だけにとどめておかず、ブログのほうでも当時の日記を公開したいのだ。(2011年は、まだブログやっていなかったからね。)


自分の大切な思い出だから。


いま当時の9年前の日記を読むと、まず文体が全然違うね。(笑)そしてコンサート日記はものすごく細かい描写をしている。昔はすごく真面目だったんだな。いまはもっとアウトラインの感想を述べるだけになってしまったけれど、当時は本当に詳細な描写、感想を書いている。自分ながら若いときは凄かったんだな、と思いました。(笑)


このラトル&ベルリンフィルの来日公演のマーラー交響曲第9番のコンサート日記をぜひ自分のブログの勲章として残しておきたいので、mixiから移植することにしたという次第である。


いま読み返すことで、来たるマーラーフェストにも大切な意味を持つだろう。




昨日サントリーホールに3年ぶりとなるラトル/ベルリン・フィルの来日公演に行って参りました。 現代のマーラー解釈で定評のあるラトルが、マーラーの交響曲の中でも最高傑作との呼び声高い9番をどのように解釈して演奏するのか、とても楽しみでした。今年最後の大イベントです。


サントリーホール

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結果はやはりベルリン・フィルというブランドに本当に酔ってしまった。普段パッケージメディア、TV、DCHで観ているスーパースター軍団をいま直接生で鑑賞しているというその事実に酔ってしまう感じで、演奏も絶品のテクニック。


なんか演奏中ずっとドキドキしていました。


ご存知6月にフィルハーモニーでマラ6を聴いて、今年の最終の締めとしてマラ9で締めるという1年になりました。 DCHでのマーラーチクルスはほぼ全曲鑑賞(それも複数回)、今年は本当にマーラーを聴いたなぁ。


今回の座席は2階P1席9番。

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私の席から観たステージ。

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そう魔のP席!(笑)しかも6月のときのフィルハーモニーで初演のときの座席と、右側、左側の違いがあるがほぼ同じような座席。 5分で完売なので、ここしか取れなかったのである。(笑)


ラトル/ベルリン・フィルの公演はよほどここの席に縁があるんだろうと思う。


フィルハーモニーのときは、金管、打楽器と弦楽器が逆に聴こえてP席には違和感を覚えたのだが、今回もたぶんそうなのかな、と覚悟していました。(笑)。


団員達が拍手とともに入場。日本人奏者は樫本大進、清水直子さん、町田琴和さん3人そろい踏み。他にも御馴染のスーパースタープレーヤー達が勢ぞろいである。 なんか登場してくるだけで凄いオーラを発している。


第1コンサートマスターは樫本大進。やはり故郷に晴れ錦を飾らせてくれたラトルの思いやりなのだと思う。 全員が着席した後に大進だけ、1人で最後に登場。サイドにスタブラバ。 カラヤン時代を知る唯一の少ない英雄ですね。


あの日本人奏者4人目のマーレ・伊藤さんを探しましたが、はっきり確認できなかった。対抗配置なので、2'nd Vnは私の席からは背中しか見えないのです。でも東洋人らしい女性がいたので、彼女が伊藤さんではないか、と。


私の隣の席の若い女性客は、ホルン首席のドールの大ファンらしくて、ドールを見つけるなり「キャ~!信じられない!」と涙ぐんでいました。(笑)「いやだ~マイヤーさんも!ホント、ホント(喜)?」


このとき、これからどんなドラマが待っているのか、かなりドキドキ興奮でした。


そしてラトル登場。

いよいよマラ9演奏スタートです。
 
第1楽章はチェロ、ホルン、ハープなどが断片的に掛け合う短い序奏によって開始。
ゆったり少し踏みしめるようなリズムにのって幕が開く感じです。


第1楽章では総じてオーソドックスな演奏のようなのですが,表現の高まりに応じてテンポを速めたり,アクセントを際立たせたりしていて,ただそれが妥当性のある表現として受け取れるので,奇をてらったように感じられることはないし、ラトルならではのリアルでスケール感のある表現を描き出していると思いました。


また,ベルリンフィルならではの驚異的な合奏力と彫りの深いアンサンブルには、ゆるぎない存在感があり,聴いていて圧倒される思いがします。


第2楽章は重いテンポ。これは非凡庸。強いて言えばヴァイオリンの発声が少しハスキーだったりする。中間部の強烈さと緩徐部が素晴らしいです。10分くらいあと、かなりテンポアップしたノリが最高に心地よい。最初のレントラー風の舞曲のところでは,低弦の分厚くてキレの良い響きとフレージングにまず驚かされましたが,何よりもスコアを明瞭に再現しているだけでなく,聴感上の情報量の多さと過剰ともいえる表現力による演奏の世界は,なんだか作品の枠からはみ出しているのではないかと思えるほど。(笑)


本来の作品の枠を超えてしまう演奏過剰の部分がベルリン・フィルにはあるんだな~といつも思ってます。(笑)


第3楽章は緩徐部がなかなかの力演。リアルで生々しいです。全般に明るめの演奏なのですが、ここでは深い物言いをしている。ブラスが勢い良い。ティンパニも目立っている。


勢いに任せたりせずに比較的落ち着いたテンポで開始し,沈着かつ念入りに表現を積み重ねているのですが,随所に聴かれるアクセントがハッとするほど新鮮で、アンサンブルの密度もキレも申し分なし。


でもその充実極まりない演奏を聴くほどに空虚な思いがするのは,実はこの演奏解釈のコンセプトなのでしょう。


さていよいよ第4楽章アダージョ。第3楽章からアタッカで続けて演奏されます。


長調なのでしょうが、弦楽器群のユニゾンによる安住の調を求める印象的な旋律が聴く者を惹きつけます。これが長大な「うねり」となって、音空間をさまようような感じ。本当に弦楽器群がユニゾンで悠然と歌うこのメロディ、本当に荘大な感覚で美しい!


基本的には冷厳としたアンサンブルで,作品を冷徹に再現していて,響きの充実度や演奏の明瞭度,さらには細部に至るまでの解釈の的確さといった面で,素晴らしい説得力とインパクトがあり,慄然とする思いで聴き入るばかりでした。


最後にはテンポは、ますますゆっくりとなり、闇の中は安らぎの死を象徴するかのようで、CD録音などでは、絶対に味わえない雰囲気でした。


ここはやっぱり照明をフェードアウトして欲しかったな~。ここは私のこだわりなんですよ~。


この曲の第4楽章、最後の小節にマーラーはドイツ語で「死に絶えるように」と書き込んでおり、このことが第9交響曲全体を貫く「死」のテーマにつながっているのです。この最後の部分は、まさに終末へ向けて何度も消えようとするはかない灯のような音楽、という効果を醸し出しているんです。


その後、まさに静寂、沈黙、1分間くらいだったでしょうか?いやもっと長く感じたかもしれない。ラトルは全く動かず、楽団員達、観客もまったく動けず。観客達もここの部分の大切さを分かっているのでしょう。フライングブラボーをすることもなく......


凄いエンディングです。


その後、ようやくラトルのジェスチャーでようやくパラパラと拍手が起こって、その後大歓声、大拍手、ブラボーです。


いや~大感動!


こうして聴いてみると,ラトル指揮のベルリンフィルの驚異的な合奏力と,仮借ないまでの表現力にはただただ驚くばかりで,ラトルのその奥にある真髄まで深読みした作品分析と,それを現実の演奏として実現するベルリンフィルの強者達が成し遂げた,明け透けな作品の再現を聴いているように思いました。


ラトルの演奏解釈は,スコアとラトル自身のコンセプトのみに立脚したものだと思いますが,ラトル自身の感性のフィルタを通じてではあるとはいえ,高度な演奏技量とともに客観的にスコアを再現すると、こういう表現の世界が見えてくるのだという感じがしました。


さて肝心のP席での音響は、やはり逆に聴こえたのでしょうか?


やっぱり最悪。(苦笑)私の目の前は、なんとチューバ、トロンボーンの金管、そしてグランカッサにシンバルの打楽器とまさに最悪。弦楽器よりもこれらの金管、打楽器のほうが遥かに近くて目立って聴こえる。やっぱり普段聴いている逆に聴こえました。


でも、あらかじめ覚悟していたので、もう慣れたというか、フィルハーモニーのときのようなショックはなかったです。


まあこんなもんだな、という感じです。


このP席はやはり指揮者ラトルの指揮ぶり、表情を鑑賞する席だな、と思います。


これでベルリン・フィル来日公演のマラ9も終わり、2シーズンにまたがったラトルによるマーラー・チクルスも終焉を迎えようとしています。今年のベルリンツアーでの本拠地フィルハーモニーでのベルリン・フィル生体験、そしてSKF松本、軽井沢国際音楽祭などの国内音楽祭、そしてウィーン・フィル来日公演、ベルリン・フィル来日公演と今年の大きなイベントは全て終了です。


本当に充実していて、人生の中で最高に思い出に残る1年でしたね。


今日の公演の帰り路、iPodでラトル/ベルリン・フィルのマラ9を聴いて、再びあの感動を噛み締めながら、来年もこの1年に負けないくらい素晴らしい1年にしようと誓ったのでした。


演奏終了後、楽団員をねぎらうラトル

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カーテンコール(目の前に映っている黒髪の東洋人女性が伊藤さんかと。)

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全員引き揚げた後、再度ラトル1人が出てきて挨拶

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樫本大進とともにねぎらうラトル。大進はシャイなのかこのステージの端で中央まで出てこなかった。ラトルはどうして恥ずかしがるんだ?というジェスチャー。(笑)

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しかしすごい熱筆だな。いまとてもじゃないけれどこんなに書けないや。(笑)




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神尾真由子さんのメンデルスゾーン・ヴァイオリン協奏曲 [国内クラシックコンサート・レビュー]

昨日の病院での検査結果は本当に参った。11月検査値まではふつうだったんだよね。年末年始はかなりやりたい放題だったので、じつは今月病院に定期検査に行くのがかなり憂鬱だったのだ。


絶対悪いだろうな、と思っていた。


ショックなことはさっさと午前中に終わらせて、午後のコンサートを楽しもう、すぐに頭の切り替えをしようと思っていた。


しかし、あそこまで悪化しているとは思ってもいなかった。
いままで経験したことのないような前代未聞の危険水域にまで達していた。


もうめまいがしてしまい、相当具合が悪くなってしまいました。
日常の創作活動に影響を及ぼすと思いました。


コンサートが始まる直前にホールの椅子で座って待っていた時も、もう頭の中はグルグル状態で憂鬱でショックを引きずっていた。


でもコンサートが始まると、一気に復活!
終演後には、ようやくつぶやきや日記などを投稿できるいつもの自分に戻っていた。


趣味の世界って本当に大切。
人生を救ってくれますね。


健康あっての人生。
体を壊しては、趣味も何もあったものではありませんね。


これから徹底した食生活の改善で、旅行の5月まで節制した生活をする。


毎度この繰り返しなんですけどね。(笑)

悪くなって、節制生活をして下がってきたら、また油断して食べ過ぎて悪化する・・・。
そのタイミングは、やはり年末年始になります。魔の季節ですね。




ひさしぶりの神尾真由子さんの実演は、予想以上に素晴らしかった。
ショックを引きずっていた自分を一気に現実の世界に引き戻してくれた。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、もうヴァイオリン愛に溢れた自分の人生の中でも実演、録音双方において、もっとも縁のある曲。


女性的で優しいこの曲を、男性的なアプローチの神尾さんがどのようにパフォーマンスするか、がひとつの見所だった。


昔と違って、いまは柔和で温和な雰囲気になったと思っていたが、まったく全然だった。(笑)


昔とまったく変わっていなかった。

相変わらずすごいパワフルで情熱的だった。


ビブラートをたっぷり効かせ、とにかく泣きの旋律に溢れ、すごい濃厚な演奏。

濃い!演奏だなぁとずっと思っていた。


スペインや南米の情熱の赤のカラーが似合うような感じです。


自分は、たくさんの女性ヴァイオリニストが、このメンデルスゾーンのコンチェルトを弾いているのを数知れず聴いてきたが、それらの演奏が、みんな美しいけれど淡泊な演奏に思えてしまうほど神尾さんの演奏は濃かった。


メンデルスゾーンのあの旋律って、なんか女性が泣いているような泣きの旋律じゃないですか?
その泣き方がかなり訴えかけてくるような感じで深い泣きなんですよね。


そう思わせる要因に、やはりパワフルなので、ヴァイオリンの発音能力がずば抜けていたこと。
自分はホールのやや後方だったけれど、ヴァイオリンが本当によく鳴っていた。


そして大仰ではなく、ごく自然な振る舞いの範囲内でタメを作ったり、全体のテンポ構成に抑揚を作っていた。


だからとても愛情たっぷりのとても濃厚な演奏に聴こえてしまった。

ある意味、神尾真由子というヴァイオリニストには、こういうパワフルで濃い演奏、というのはもうそのままイメージ通りなんだと思いますね。


ヴァイオリンの奏法としては、弓を少し縦気味にボーイングする特徴があって、動的なパフォーマンス。昔と全然変わっていなく、ある意味安心したところもあったかも。


いやぁじつに神尾さんらしい素晴らしいパフォーマンスでした。



この日の公演は、沼尻竜典さん指揮で東京都交響楽団のパートナー。
都響はやっぱりうまいなー。


1番冒頭のヨハン・シュトラウスの曲の演奏を聴いた途端、もうびっくり。


一糸乱れぬアンサンブルとはこのことで、厚みのある弦の音色がピタッと全粒揃って、破たんする箇所などまったくない、完璧なビットパーフェクトな演奏。


もう病院宣告であまりにショックだったので、今日どこの楽団が演奏するのか、事前にまったく確認してなかったのだけれど、この冒頭の曲であまりにウマいんで、思わずチケットでどこの楽団か確かめてしまいました。(笑)


都響は、たぶん在京楽団の中でいま一番ウマイんじゃないですかね。

冒頭の曲から終演時まで、このパーフェクトな演奏は終始、変わることはなかった。

そういえば都響はここしばらく聴いていなかった。
恐れ入りました。


神尾さんの公演は、旦那さまとのリサイタルを含め、何候補かあったのだけれど、この日の公演は、指揮が沼尻竜典さんだったので、この日に決めたのでした。


そうしたらメンデルスゾーンだったのです。(笑)
運命ってそんなものです。


沼尻さんは、自分にとって本当に久しぶりで、日記で紐解いてみたら、なんと!2011年の当時は、サイトウキネンフェスティバル松本と呼んでいたときのバルトーク・シリーズで、「中国の不思議の役人」以来。


まさに公演直前で小澤征爾さんが体調不良で降板。
まさに突然のピンチヒッターでした。


あの金森譲さん率いるNoismが大活躍した公演ですね。
衝撃でした。


そのときのカーテンコール、しっかり撮っていました。


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じつに9年振り!!!


沼尻さんは、最近では自分に飛び込んでくる近影は、びわ湖ホールで、ワーグナーのニーベルンクの指環の4部作を、京都市交響楽団(京響)とやっていらっしゃる。


確か今年の3月は最後の神々の黄昏ではなかったでしょうか?

このびわ湖リングと呼ばれるシリーズ、もうすごい人気なんですよね。

全年とも必ず満員御礼となるプラチナ公演。
ものすごい盛り上がるんですよ。(笑)

いつも羨ましい気分でした。


びわ湖ホールやこのびわ湖リング、1回は経験してみたかったけれど、予算が・・・(笑)
あと海外で活躍されているのではないでしょうか?


そんな思いもあって、今回はぜひ沼尻さんの指揮で!という決断だったのでした。


超テクニック集団の都響をものの見事にコントロールしていらっしゃって、パフォーマンスというような指揮者としての派手な演出を嫌う?とても堅実な指揮ですね。


カーテンコールの挨拶を見てもとても謙虚というか腰が低くて、指揮者って大体みんなすごいオーラで威圧感たっぷりなのですが、沼尻さんは視線がボクら聴衆と同じ位置に感じる方と思いました。


9年前の中国の不思議な役人のときは、ピットの中だったのでよく見えませんでしたので、
ある意味、沼尻さんの指揮を見るのは今回が初めてかも?


この日の自分の座席はここ。


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サントリーホールはいつも皇族VIP席のRBブロックを取るのですが、ここRCブロックもいい音響でしたね~。最近自分の好みの座席が変わってきたかも?


つい最近までは、かぶりつきで腹に響き渡る前方席が良かったですが、最近はステージを上から見渡す上階席がいいですね。ステージからオーケストラの音が上に上がってきて、位相差なくバランスよく聴こえてくるステージに近い上階席が好みになってきました。


そして今日のコンサートは、自分の今年度の初聴きの日。
この日の公演はニューイヤーコンサートという位置づけでした。
日本赤十字へのチャリティーコンサートなのでした。

ホールの飾りつけもニューイヤーコンサート!


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あ~せっかくいい気分で落ち込んだ気分が復活したのだから、早く健康体を取り戻さなければ!(笑)



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(c)神尾真由子FB


2020年1月11日:サントリーホール大ホール

第61回日本赤十字社 献血チャリティー・コンサート
ニューイヤーコンサート2020


指揮:沼尻竜典
ヴァイオリン独奏:神尾真由子
管弦楽:東京都交響楽団


ヨハン・シュトラウスⅡ:ワルツ「春の声」
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲


休憩(インターミッション)


モーツァルト交響曲第41番「ジュピター」


アンコール~

グリーグ作曲:「ホルベルク組曲」より第一曲












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サラマンカホール開館25周年記念ガラ・コンサート [国内クラシックコンサート・レビュー]

さて、コンサート全般について。


とにかくこれだけの豪華な顔ぶれが集まったコンサート。
まさに祝祭コンサートといっていいほど贅沢三昧で心豊かになった。


どの演奏が良かったか、それぞれにランク付けするのはあまりに野暮というもの。
そういうことはここではやりません。


自分が一番感銘を受けたのは、工藤重典さんと荘村清志さんによるF.ボルヌによるカルメン幻想曲。これは素晴らしかったねぇ。工藤師匠は、本当に久しぶりに実演に接しました。昔は、毎年年初に水戸芸術館で水戸室の演奏を聴いたときに、必ず工藤さんの演奏に触れていましたが、最近は予算体力がなく、ご無沙汰。


やっぱり工藤さんのフルートは本当に素晴らしいです。ホール音響の素晴らしさもあるのか、フルートの音色が天井方向に青天井に突き抜けていくような”ぬけ感”があって、凄いダイナミックレンジの広さ。フルートの音色でこのような突き抜け感ってオーディオマニアの方であれば大体想像できるでしょう。そして超絶技巧のフルート。これは聴いていてかなり痺れました。やっぱり工藤師匠はスゴイ!という感じです。荘村さんのギターバージョン用に編曲されたものだと思いましたが、カルメン幻想曲はやっぱりキラーコンテンツだと思いました。



新倉瞳さんは、デビューアルバムを始め、3枚のCDをこのサラマンカホールで録音していて、デビューリサイタルもここサラマンカホールでおこなったというとてもこのホールと所縁の深いアーティスト。こんな素敵なホールと縁が深いのは羨ましいです。


ウィーンフィルのヘーデンボルグ直樹さんと、サラマンカホール・フェステイバル・オーケストラとで、ヴィヴァルディの2つのチェロのための協奏曲。これも素晴らしかったですねぇ。自分の心を捉えました。特にヘーデンボルグ直樹さんと新倉瞳さんの丁々発止の演奏が、かなり格好良く痺れました。


つぎにライナー・キュッヒル氏、ヘーデンボルグ直樹・洋のトリオによるJ.シュトラウスの「青きドナウ」。これも素晴らしい。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートで定番の曲ですが、それをヴァイオリン、チェロ、ピアノで編曲演奏すると、こんなに素敵な聴こえるのか、という感じで白眉でした。ウィーンでご活躍している3人の本当にウィーンの香りがしてくる素晴らしいアンサンブルでした。


ライナー・キュッヒル氏は、曽根麻矢子さん(チェンバロ)、そしてサラマンカ・フェスティバル・オーケストラとで、ヴァヴァルディの四季の秋。このときの祝祭オケの弦楽合奏を聴いて、このホール音響の大編成は本物だと確信した瞬間です。当たり前のことを言うけれど、キュッヒル氏は本当に凄い!


仲道郁代さんは、おそらく出演回数が一番多いと思われ、どれも本当に素晴らしかったけれど、その中でどれかひとつを挙げるなら、自分はサラマンカホール・フェスティバル・オーケストラとのショパンのピアノ協奏曲第1番の第2楽章「ロマンス」。この曲は本当に大好きだけれど、大体自分は第1楽章と第3楽章ばかりを注目してしまう傾向にあるんですよね。そこにこの第2楽章のじつに美しいゆったりとした旋律を聴いて、心から美しいと感じました。


最後は、J.オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲を今回のソリスト全員が各パートを演奏できるように倉知竜也さんが編曲した特別ヴァージョン。これはいままで演奏してきたソリストが、逐次登場して連携で演奏してくゴージャスさで、エンディングに相応しいフィナーレとなりました。



でも感動はこれでは終わらなかった。


アンコールがエルガーの威風堂々。


この曲は、自分的には年末のカウントダウン用の曲というか、特別なセレモニー的な祝祭のときに演奏される曲という印象があって、普段のレギュラーのときに演奏する曲ではないという勝手な思い込みがあった。


ところがいざ全員で演奏されるこの曲を聴いていたら、こんなに格好良い曲だったのか!


本当によくできた素晴らしい曲。


この曲、いまここで演奏されているのを聴いていたら、今日いままでたくさん演奏されてきた名演も、この曲で本当にフィナーレという感傷が胸にぐっと押し寄せてきて、大河の流れのような分厚い弦合奏の音色が心地よく、メロディーラインが格好良い。


やはり思わず目に涙が溢れてきましたよ。
これは本当に素晴らしい演奏でした。

この曲を本当に見直した一瞬でした。


サラマンカホール開館25周年記念ガラ・コンサート。


じつに素晴らしいメモリアルなコンサートでした。


アンコール、エルガーの威風堂々を演奏した後のカーテンコール


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(C)サラマンカホールFB


ボクの写真と同じで、水平が傾いています。(笑)




サラマンカホール開館25周年記念ガラ・コンサート
2019年11月16日(土)15:00~18:15
岐阜サラマンカホール


第1部


R.ジャゾット:アルビノーニのアダージョ
フルート:工藤重典、オルガン:石丸由佳

C.シューマン:3つのロマンス 作品22より第2曲、第3曲
ヴァイオリン:ライナーキュッヒル、ピアノ:仲道郁代

L.v.ベートーヴェン:モーツァルト「魔笛」の主題による12の変奏曲 作品66
チェロ:ヘーデンボルク直樹、ピアノ:仲道郁代

L.ポッケリーニ/J.ブリーム:序奏とファンダンゴ
ギター:荘村清志、チェンバロ:曽根麻矢子

A.ヴィヴァルディ:チェロ・ソナタ 第5番 ホ短調 RV.40
チェロ:新倉瞳、チェンバロ:曽根麻矢子

F.ショパン:ポロネーズ 第6番 変イ長調 作品53「英雄」
ピアノ:仲道郁代

F.ボンヌ:カルメン幻想曲
フルート:工藤重典、ギター:荘村清志

J.シュトラウス2世:ワルツ「青きドナウ」
ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル、チェロ:ヘーデンボルク直樹、
ピアノ:ヘーデンボルク洋


休憩(インターミッション)


第2部

J.ウイリアムス:スターウォーズ・メドレー
オルガン:石丸由佳

A.ヴィヴァルディ:「四季」作品8-3 ヘ長調”秋”RV.293
ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル、チェンバロ:曽根麻矢子
弦楽合奏:サラマンカホール・フェスティバル・オーケストラ

A.ヴィヴァルディ:2つのチェロのための協奏曲 ト短調 RV.531
チェロ:ヘーンベルク直樹
チェロ:新倉瞳
チェンバロ:曽根麻矢子
弦楽合奏:サラマンカホール・フェスティバル・オーケストラ

F.ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11 第2楽章「ロマンス」(室内楽版)
ピアノ:仲道郁代
弦楽合奏:サラマンカホール・フェスティバル・オーケストラ

J.オッフェンバック/倉知竜也き:喜歌劇「天国と地獄」序曲
全員合奏


アンコール

E.エルガー 行進曲「威風堂々」作品39
全員合奏


サラマンカホール・フェスティバル・オーケストラ

第1ヴァイオリン:平光真爾、西村洋美、二川理嘉、松村宣子
第2ヴァイオリン:鳥居愛子、波馬朝加、荒巻理恵
ヴィオラ:新谷歌、太田奈々子
チェロ:福本真琴、城間拓也
コントラバス:酒井敬彰








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サラマンカホールのオルガンの音色を聴く [国内クラシックコンサート・レビュー]

岐阜サラマンカホールについては、どうしてもやり残したことがあった。


・それは辻宏さんが建造したパイプオルガンの音色をまだ聴いていないこと。
・ホール音響を大編成で聴いていないこと。


前回は、藤村実穂子さんのリサイタルだったので、ここのホール音響を語るには、どうしてももう少し大編成で聴いてみたいと思っていた。


コンサートカレンダーで上の2つの条件を満たすコンサートを探しましたよ。
正直両方同時に満たすのは無理かな、少なくとも2回は通わないといけないかな、と覚悟していました。


それが両方の条件を満たす素晴らしいコンサートを発見。


サラマンカホール開館25周年記念ガラ・コンサート


サラマンカホールは、1994年に開館ということで、今年で25周年。
それを祝おうという記念ガラ・コンサートなのです。


コンサートホールの開館〇〇周年記念ガラ・コンサートといえば、あのサントリーホールの開館30周年記念のときの凄さ。男性はブラックタイや礼服、女性はドレスに和服の正装のドレスコード、まさに祝祭という感じのホールの飾りつけ(ステージには花の飾りつけ)、これでもか、というほどの豪華な出演者陣に演奏曲目、本当に贅沢を極めつくすような凄いコンサートでした。


そんなイメージがあるから、このサラマンカホールの開館25周年記念ガラ・コンサートも相当期待しました。


というか、これは行かないとダメでしょ?


じつは今から5年前の20周年の祝祭コンサートが全国的にも話題を呼び、多くのファンの方から、「あの興奮を再び」とリクエストの声をいただいての今回の25周年記念ガラだったようです。


今回の記念ガラの出演者陣。


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ライナー・キュッヒル(ウィーンフィル・元コンサートマスター)
ヘーデンボルク直樹(ウィーンフィル・チェロ)
新倉 瞳(チェロ)
工藤重典(フルート)
荘村清志(ギター)
仲道郁代(ピアノ)
ヘーデンボルク・洋(ピアノ)
曽根麻矢子(チェンバロ)
石丸由佳(オルガン)
サラマンカホール・フェスティバル・オーケストラ
朝岡聡(司会)



凄いですよね。


パイプオルガンの演奏もあるようだし、オーケストラでの演奏もあるみたい。


これはもう即決でした。


これはどうしても行かないといけない、抑えておかないといけないコンサートだと思いました。

開館〇〇周年記念ガラはやっぱり凄い贅沢なコンサートです。


サラマンカホールに行くには、新幹線で名古屋まで行って、そこから在来線で岐阜まで行きます。そして岐阜駅からバスで20分くらい。(とても徒歩ではいけません。)バスの時間間隔が結構本数が少なくて、終演後は無料バスで西岐阜駅までのチャーター便のサービスをホール側で用意してくれます。その西岐阜から名古屋まで在来線で、そして名古屋から新横浜まで新幹線で帰ってくる、という感じです。


名古屋駅に着いたら、新幹線ホームや在来線ホームで、名古屋駅名物の立ち食いきしめんを食べるのがなによりの楽しみです。今回は立ち食いきしめんは新幹線ホームより、なぜ在来線ホームのほうがいいのか?を命題に取材してきました。


サラマンカホールはOKBふれあい会館の中の一角に存在します。


OKBふれあい会館というのは、岐阜県の公共施設のこと。会議室であるとか、岐阜県行政窓口、岐阜県の行政機関とかが密集している公共施設ですね。かなり大きな建物で、サラマンカホールはその中の1施設という位置づけ。フロントから入って、大きな広場が広がっているのですが、そこには岐阜県の地方銀行の出張所や、パスポートコントロールのような出張所もあります。


こんな感じです。
サラマンカホールは一番奥に位置します。


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サラマンカホール


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今日は開館25周年記念ガラ・コンサート


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さっそく開場。
今回の記念ガラを祝して、サプライズが用意されていました。


まずは特製ワイン。


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今回、25周年を記念して、同ホール名の由来となったスペイン・サラマンカ市のワイナリーにオリジナルラベルのボトルワイン「ラ・ゾーラ2016」の製造を依頼。今日のこの25周年記念ガラを祝して、サラマンカ市から直輸送され、こうやってホワイエで販売されていたのです。(1本3000円)


もう大盛況のようで、あっという間に完売だったようです。


今回のガラコンサートに来てくれたお客さんにはドリンク券のサービスがついていて、これと引き換えにこのワインを少々嗜むことが出来ます。お酒が弱い方は、ソフトドリンクも用意されています。


こんな感じ。


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自分は、もちろんこの特製ワインをチョイス。とてもフルーティーで甘口、舌で転がすと浸み透ってくる深い味がしますね。ワイン通でもない素人の自分でもその美味しさがわかります。



ホワイエは、さすがに正装という感じではありませんが、岐阜県地元の品格のあるお客さんが集まってくれたようです。自分もジャケット着用で臨みました。岐阜県地元のオーディエンスの方は、とても暖かい感じがしますね。東京と比較すると。


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そしてある意味、これが最大のサプライズ・イヴェントだったようです。


この記念ガラの2,3日前のギリギリに情報解禁で、みんなをびっくりさせよう・・・というより、情報解禁をこの記念ガラに合せて華を添えようという意味が強かったのかも?


本当にサプライズでした。


ぎふ弦楽器貸与プロジェク<<STROAN>>。


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ホールに寄贈されたヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ40挺を、意欲ある弦楽器奏者たちの支援・育成を目的として無償で貸与する取り組みです。この記念ガラで、ホワイエにその40挺が展示されました。


素晴らしいプロジェクト。


「弦楽器(STRINGS)」と、「貸し出し(LOAN)」の2つの意味を合わせて、「STROAN」なのだそうです。


今年、開館25周年を迎えたサラマンカホールが、音楽家を目指す若者たち、さらなる研磨を積む意欲ある弦楽器奏者たちの支援・育成を目的として「ぎふ弦楽器貸与プロジェクト<<STROAN>>を始動する。同ホールが愛知県在住の音楽愛好家から受けた、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ計40挺を弦楽器を学ぶ人たちに無償で貸与するという新たな試み。日本、イタリア、ポルトガル、フランスの製作者たちによる弦楽器は「サラマンカホール清流コレクション」と名づけられた。


貸与期間は原則として2年。


また、楽器の貸し出しにとどまらず、弦楽器のワークショップやマスタークラス、コンサートを企画し、コレクションの楽器が同ホールで演奏される機会を提供する。


ということだそうです。素晴らしいですね。

貸し出しは、来年2020年3月からスタートします。


貸し出しする人を審査する審査員長にチェリストの原田禎夫さんが就任していますね。


ホワイエに展示されているその傍にいた説明員の女性と少し話をしましたが、やはりターゲットは学生の若い人で、カルテット(四重奏)に貸与というのが予想しているところ、と仰っていました。もちろんそれに制限されることはありませんが。


40挺もの弦楽器をサラマンカホールに寄贈して下さった愛知県在住の音楽愛好家・間瀬穗積(ませほづみ)氏。穂積氏への感謝の意を表し、岐阜県庁にて感謝状の贈呈式が行われました。


いくら音楽愛好家とは言え、1人が40挺の弦楽器を所有している、というのは本当に信じられないこと。世の中には本当に凄い人がいるものだな、と思いました。


このプロジェクト、ホワイエの展示会場に、さっそくメディアが取材に入り、NHK岐阜放送局などで、オンエアされる予定だったり、と結構賑わっています。


素晴らしいプロジェクト、大成功してほしいですね。



さっそくサラマンカホール。
久し振り。1年振りだろうか。


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本当に美しいホール。息を呑みますね。


スミマセン、写真が横に傾いています。一生の不覚。ホール空間を撮るときって、この水平に撮るって結構難しいんですよね。かなりの枚数失敗します。いつもデジカメに水準計の機能が欲しいと思っています。


撮るとき、ちょっと焦ってしまいました。


ホールの内装空間については、前回来た時に大体の空間の撮影をしているので、今回は前回のときに撮影していないショットを狙おうと思っていました。


ここのホールはこのサイトラインから眺めた空間が美しいんですよね。


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ホール内装空間はブラウン系の色調なのだが、天井部が白くて、このブラウンとホワイトのバランスが、またなんともお洒落なバランス感覚で美しい。本当にセンスありますね。



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そして天井部分。ホールを紹介するときに、天井を紹介する人ってあまりいないと思いますが(笑)


ホール音響マニアからするとこの天井って結構大事なのです。
こうやって格子状の意匠でした。回折、反射などを考慮したデザインですね。


ホールへのエントランスの部分。


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これは前回も解説しましたが、もう一回。


これは世界最古の大学、サラマンカ大学(中央)と、サラマンカ大聖堂(左右)のレリーフを模した もの。石材に現地のビジャマジョール石を用い、スペインの職人によって三年かけられて作られ たそうだ。


真ん中の中央のサラマンカ大学レリーフのレプリカは、唐草模様の中に隠れている多くの動物たちや、翼をもった女性、どくろなどが彫られている。さながら我々の世界のよう。レリーフの中には一匹のカエルが彫られており、このカエルを見つけられたら幸運に巡り合える、といわれている。
 

そして左右のサラマンカ大聖堂レリーフのレプリカは、さまざまな楽器を持った人が点在し、音楽のある幸福な世界が表現されている。


各々のレリーフに、ホールへの扉があります。なんとも素敵な雰囲気。

このデザインは、このサラマンカホールの独特の特徴、意匠。
ここでしか観れない意匠ですね。



今回はこの座席で聴きました。


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さっそくホール音響について。


やはり前回の印象と変わることなく、素晴らしい音響と確信しました。

このホールの音響はやはりほんとうに素晴らしい。


前回のメゾ・ソプラノ・リサイタルで、その音空間の佇まいの美しさはしっかりと捉えることができたのだけれど、大編成で聴くと、その圧倒的な響きの量には驚かされる。


残響の長さはやや長めといったところで、かなり密度の濃い豊潤な音空間である。


自分は比較的前方の席だったので、実音である直接音は非常に明瞭で引き締まった音像で実音にその豊かな響きが被る感じには聴こえなかった。


ホール容積はかなり控えめなのだが、いわゆる大編成で飽和するという感じはいっさい感じなかった。音質自体は、暖色系からやや硬質に差し掛かるぐらいの感じの質感で、内装にオーク(楢)をふんだんに使っているそうで、全体に柔らかな空気感を感じて、やはり木のホール独特の品のある美しい響きだと感じました。


やはり素晴らしいホール、特に日本のコンサートホールは、海外のホールと比較しても、室内音響設計の素晴らしさは決して引けを取るどころか、歴史ある海外ホールの上のレヴェルに確実に超えていると思われ、その建築技術には本当に日本人として誇りを感じますね。


とくに海外のホールと比較して1番違いを感じるのは、ホールの静けさ、遮音性能ですね。


ホール空間に入った瞬間のS/Nの良さ、とくにNoiseレベルの低さは、日本のホールは圧倒的に海外ホールの上を行っていると思います。


遮音、防音のこの両方の技術が日本のホールは優れている。


海外の古いホールは、外の外気の暗騒音がそのまま中に入って来てしまっているような感じがしますから。


その静けさが素晴らしいので、実音や響きの消え去っていく余韻というのが、本当に美しい。
それは静けさのレヴェルが高いから実現できることだと思うんですよね。

全体の音の佇まいが美しく芸術的なのは、この静けさはかなり重要なポイントだと思います。


サラマンカホールの内装空間は、意図的な凹凸デザインはいっさいなく、建物の内装空間としてとても芸術的で自然な彫刻で、それが凹凸の役割を果たしているので、内装空間の美しさ、上品さを保ちつつ、乱反射で響きが豊かであるという両立性が成立しているのだと思います。



今回のプログラムで、巻頭のところに岐阜県知事 吉田肇さんのご挨拶、そしてサラマンカホール開館25周年に寄せて、ということで、サントリーホール館長 堤剛さん、いずみホール 支配人の殿納義雄さんがメッセージが寄せられ、祝辞を述べられていた。


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サントリーホール、いずみホール、そしてサラマンカホールは提携ホールで、特にいずみホールとサラマンカホールは姉妹ホールなので、この祝辞メッセージとても嬉しく思いました。


いずみホールは、先だってようやく訪問でき、感動したばかりだが、こうやってみると、いずみホールとサラマンカホールは内装空間の雰囲気は本当にそっくりで似ていると思います。


内装空間のデザインは、多少違うけれど、ホールに入った瞬間の視覚に飛び込んでくるあの雰囲気、イメージは本当にそっくり。全体がブラウン系の調度、色使いで、容積控えめのシューボックス(いずみホール 821席、サラマンカホール708席)、内装空間がオシャレでありながら凹凸を造っていること、そして椅子、そしてなによりも控えめな容積のショーボックス独特の音の濃い空間、響きの豊かさなど、本当にこの2つのホールはそっくりだと思います。



つぎにようやく本懐の辻宏さんが建造したサラマンカホールのパイプオルガンの音色を聴くことについて。


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今回のオルガニストは石丸由佳さん。


いままで自分は実演に接したことがなく、今回初めての体験。
とても美人で魅惑的なオルガニスト。


石丸さんはオルガン奏者への道を歩みはじめ、大学院在学中にデンマークとドイツに留学。権威のあるフランスのシャルトル国際オルガンコンクールで、みごと優勝を飾る。優勝後はヨーロッパ各地の教会から招待されてコンサートを行うようになった。しかしそれは“武者修行”とも呼ぶべきハードな日々だったそうだ。


帰国した現在の夢は、日本独自のオルガン文化を発信することだという。


そんな石丸さんが「オルガン・オディッセイ」というアルバムをリリース。


映画「スター・ウォーズ」のメインタイトルをはじめ、映画「惑星ソラリス」で使われたバッハの「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」、ホルストの「惑星」、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」の曲など、バラエティ豊かなアルバムになっている。なかでも、「スター・ウォーズ」は圧巻。


「スター・ウォーズ」は、このアルバムのために山口綾規さんが編曲。何十人ものオーケストラで演奏する曲を、オルガン奏者ひとりの2本(手)と2本(足)で演奏するというチャレンジ。まさに“ひとりオーケストラ”。


だそうです。


石丸由佳さんについては、YAMAHAの音遊人で特集されています。
上の記述もそこからお借りしました。




辻宏さんのパイプオルガンをスターウォーズ・メドレーで聴くのか!という感じで最初は驚いたが(笑)、これが結構パイプオルガンに合うんですよね。驚きでした。パイプオルガンの音色を確認するには、あまりに十分過ぎる素晴らしいオルガン版編曲だと思いました。


石丸さんの説明トークで、このパイプオルガンの説明があった。


サラマンカホールのパイプオルガンは、スペイン様式と北ドイツ様式が混ざったもの。


パイプの使用本数 2997本で3000本まで後3本足りないのだが、それはオルガン上部にある3人の天使が吹いているラッパである。


そのパイプオルガンだが、この写真のようにオルガンの鍵盤の両側にストップ(音程を決めるボタン)がついている。



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(C)サラマンカホールFB


石丸さんがオルガンを弾くとき、その両側に女性の人が付き添っているんですよね。
最初、譜めくりの人なのかな、と思いましたが、それでも両側に2人いるのはおかしい。


それは、いまのパイプオルガンはかなり電子化されていて、使用するストップの登録などができるようになっているが、サラマンカホールのパイプオルガンは従来の手動式なので、ストップ操作をされる人が両側にそれぞれついての(2人)演奏だった、ということだった。


さて、辻宏さんのパイプオルガンの音色を、スターウォーズ・メドレーで聴いたわけだが、とても重厚だけど、やや軽めの暗さというか重みがあって、ヨーロッパの教会で鳴っているような本場の音だったように思う。


日本の場合、オルガンを聴くのは、コンサートホールでぐらいしかなく、本場ヨーロッパの教会で聴くようなシチュエーションはあまり自分は、経験していないから比較や詳細な感想は述べられないけれど、ヨーロッパの教会で聴く本場のオルガンはこのような雰囲気なんだろうな、という気持ちがありました。


辻宏さんが修復したサラマンカ大聖堂の鳴らずのオルガン「天使の歌声」のなんと表現したらいいか、そういう遺伝子がきちんとレプリカされていたように思う。


サラマンカホールのパイプオルガン。45のストップを持ち、三段手鍵盤にペダルから成る、辻さんの制作に よる楽器のうち最大規模のもの。


なぜ古いオルガンを修復するのか?
修復作業とは、元に戻すことであって、決して改良することではない。


古いオルガンの音を聴いてみると、ほんとうに美しい音がする。新しいオルガンの多くは、古いオルガンほど美しい音はしない。そうやってイタリアやスペインの古いオルガンを、5台修復し、その経験をもとに、81台のオルガンを制作してきた辻さんの最高傑作のオルガンの音色をここでちゃんと聴くことができました。


本懐を遂げたというところです。








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BBC Proms JAPAN 2019 [国内クラシックコンサート・レビュー]

世界最大規模の夏のクラシック音楽祭である英国のBBC Promsを日本で開催しようというのは、誰の案だったのか、は知る由もないが、そのニュースを知ったときは、とにかく驚いた。


BBC Promsを海外で開催すること自体、2016年にオーストラリア、そして2017年、2019年にドバイですでに実現され、今回の日本が3か国目である。


英国のロイヤル・アルバート・ホールという巨大なコンサートホールで開催されるいわゆるプロムナード・コンサート(散歩やぷらぷらと歩きながら楽しめるコンサート)で、クラシックという敷居の高さを気にせずに、クラシックにあまり詳しくないファン層の人たちにもとにかく気取らないで、ざっくばらんに楽しんでもらおう!というのがPromsのコンセプトである。


自分も2016年に現地の本場で体験できたが、ロイヤル・アルバート・ホールのProms用の飾りつけは視覚的に結構インパクトがあって、カジュアルな場内の客層含め、あの雰囲気を、日本に持ってくる、というのは実際できるのだろうか?という疑問がまず頭に浮かんだ。


BBC Promsは英国のクラシック音楽祭。


彼ら独特のカラーがあるその音楽祭を、安直に日本にそのまま持ってくるだけで、それは成功するものなのか?そういう考えは当然自分の中にもあった。


特に、日本では、渋谷オーチャードホール、大阪シンフォニーホールがロケーションということを知って、それじゃ普通のクラシック・コンサートと何が違うの?ただ、登場するオーケストラがBBCスコティッシュ交響楽団というだけのことじゃないの?


やっぱり日本でPromsをやるなら、東京ドームあたりでやって、ビール、ポップコーン片手に、クラシック音楽を楽しむ、というのがPromsらしくていいんじゃないの?と思ったりもした。


でも東京ドームなら5万人の観客席。本場のロイヤル・アルバート・ホールでも6000人くらいだから、日本でクラシック・コンサートで初の試みをやるのに、5万人の集客はちと苦しいか。(笑)


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今回のBBC Proms JAPANは大和証券が特別協賛で、”大和証券プレゼンツ”となっている。
大和証券さんが起案者で主たるスポンサーなのだろう。


ぴあ、テレビ朝日、博報堂DYメディアパートナーズ、読売新聞社、BS朝日、Bunkamura(東京公演)、ザ・シンフォニーホール(大阪公演)の7つの企業団体から成るBBC Proms JAPAN 2019 実行委員会を設立して、その運営にあたる。


そのほか、
 
協賛 KDDI


協力 BBC、東急株式会社、HarrisonParrott、ブルーノート・ジャパン、ローランド株式会社、一般社団法人渋谷駅前エリアマネジメント 後援 ブリティッシュ・カウンシル、一般社団法人日英協会、スコットランド政府、NPO日本スコットランド協会、一般財団法人渋谷区観光協会


これだけの企業団体が、このBBC Proms JAPANのコンセプトに納得してくれて、それを実現するために立ち上がってくれたのだ。


ぶっちゃけた話がスポンサーとして投資してくれた、ということだ。


BBC Promsを運営しているBBCと直接交渉する必要があり、この音楽祭を日本に持ってくると簡単に言うけれど、それだけでもこれだけの企業体の結束、努力がなければけっして実現できなかったことだ。


指揮者のトーマス・ダウスゴー、BBCスコティッシュ交響楽団の遠征費、宿泊費、交通費そして出演料。6日間に渡るそれぞれに出演するソリスト達の出演料を始めとする同様の費用。そして広告費。これだけのアウト(支出)だけでも大変なやり繰りが必要と思われ、それに対しチケット収入のイン(収入)で全体として黒にするには、その見返りなのかはわからないが、随所にコストダウンしているな、と思われるところが散見された。


自分は渋谷オーチャードホールだったが、日本と英国の国旗が飾り付けられているのかな?とも想像したけれど、そのようなものはなし。ごく普通にシンプルな普通のコンサートのときと同じ変わらない風景だった。


そしてホワイエに展示されているパネルや物販関係もお金のかかってなさそうなシンプルなものばかり。


ふつうはコンサートプログラムといって、この音楽祭の演目や出演者のプロフィールなどを書いた総合プログラム冊子が配布されるものだが、これもなかった。


かなりのコストダウンを図っているものと思われた。(笑)
やっぱりアウトが大変なんですよ。


そんな苦労も垣間見えるが、やはりそこは大プロジェクト。


じつは「日英交流年 UK in Japan 2019-20 」の一環でもある「大和証券グループ presents BBC Proms JAPAN 2019」。英国文化・メディア・スポーツ・デジタル省大臣 ナイジェル・アダムズ氏が視察にいらっしゃったそうだ。


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(c)BBC Proms JAPAN Twitter



日本としてのBBC Proms JAPAN。


6日を要し、そのプログラムがとてもよく考えられていた。



Prom 1 ファースト・ナイト・オブ・ザ・プロムス
Prom 2 BBCプロムス・イン・大阪
Prom 3 ジャズ・フロム・アメリカ
Prom 4 ロシア・北欧の風
Prom 5 日本を代表する次世代のソリスト達
Prom 6 ラスト・ナイト・オブ・ザ・プロムス



クラシック一辺倒に限らず、アメリカのジャズ、そしてロシア・北欧の音楽など、いろいろな切り口で組み立てられたプログラムで、BBC Proms JAPANが総合音楽祭であることを主張していて、自分はよく考えられているプログラムだと感心した。


当初は、ご多分に漏れず、ラストナイトに行こうと思ったが、予想以上の争奪戦。なんと一般発売日のスタートともにサイトにアクセスしたら、すでに完売ソールドアウトであった。


これは、ラストナイトは、少し表現が悪いが、他の日の公演とセットになって売る「抱き合わせ商法」のような扱いで、みんなセット券で買ってしまっていたんだな。だからラストナイト単券売りの日はほとんど残っていなかった、というのが真実だったのではないか、と考えた。


自分はそこで、他のPromの内容を再度吟味し、


Prom 5 「日本を代表する次世代のソリスト達」


を選択した。


いま思うととても賢明な選択だったと思う。
宮田大くん、三浦文彰くんを鑑賞したい、と思ったことがなによりも第1理由である。



では、当日の感想を時間経過順に述べていこう。


今回のBBC Proms JAPANでは、東京公演のほうでは、サテライト会場として、特別に渋谷109の前の広場のところに特設会場を造って、"Proms Plus Outdoors Concert"という無料の野外コンサートが行われた。


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時間割でいろいろなアーティスト達がセッションを繰り広げるのだが、自分が到着した時は、マリンバの塚越慎子さんとピアノの志村和音さんが、コンサートをおこなっていた。


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ジャンルはいろいろ。思い付きのジャム・セッションぽいところもあって楽しかった。銀河鉄道999も演奏してくれました。(笑)


マリンバの塚越さんを初めて、近くで生で拝見させてもらったが、ゴムまりのように弾ける元気いっぱいの明るい女性で微笑ましかった。


でもマリンバって、強烈だなぁ。


あの弾けるような音の躍動感。聴いているとこちらがどんどん乗っていってしまうキケンな楽器ですね。



そしていよいよ、渋谷オーチャードホールでBBC Proms JAPAN 2019。


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自分はここの玄関フロントのところに、日本と英国の国旗が掲げられていると推測していたのだけれど、全然そのようなことはなく至って普通のオーチャードホールであった。


ホワイエ


BBC Proms JAPANのパネル。


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物販関係。


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大フェスティバルにしてはかなり地味目だと思うのですが、いかがでしょう?(笑)


自分は観客がラストナイトのときのように、国旗を振るようなことを想定して、両国の国旗が物販で売られているとも思ったのですが、そんなこともなし。(笑)


でも今日やるラストナイトではどうかな?



そしてホール内。
自分は3階席を選んだ。



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これは素晴らしかった。


いままでフロント、ホワイエと期待の大フェスティバルにしては、あまりに普通に地味なので、ちょっとがっかりというか気合抜けしてしまったところもあったのだけれど、このホールの飾りつけを見て、救われたというか嬉しくなりました。


本場のPromsのような感じが醸し出されていて、とてもいいと思います。


まず、本番のコンサートが始まる前に、指揮者のトーマス・ダウスゴー氏、宮田大氏、三浦文彰氏、そして女性アナウンサーでプレトークがあった。


ダウスゴー氏は、いかにも英国人らしいきちんとした紳士然としたところもありながら、かなり熱血漢っぽい感じ。そして宮田大くんは、やっぱり優等生だなぁ。とてもきちんとしていて、とても能弁な語り口。さすがです。逆に三浦文彰くんは、反対の路線というか、結構土の臭いがするとても素朴な感じで微笑ましかった。


宮田大くんは、今回演奏するエルガーのチェロ協奏曲を、このBBC Proms JAPANに合せて、トーマス・ダウスゴー指揮、BBCスコティッシュ交響楽団という同じメンバーでイギリス・スコットランドで現地録音をしてきたばかり。


日本コロンビアからリリースされます。(2019/10/31リリースですでにオンセール)


そのときに、イギリス人はきちんとしているところが日本人に似ている印象を持ったとか、あのとき嗜んだウィスキーの味が忘れられないとか・・・わかる~その気持ち。(笑)このコメントが自分には印象的でした。


そしてコンサート。


じつは、自分はProm 5なので、音楽祭終盤。だから前半を体験した人たちのレビューがどうしても目に入ってしまう。そうすると、BBCスコティッシュ交響楽団の下馬評が結構散々たるという感じで(笑)、これは参ったな~と頭を抱えてしまった。


かなりの人数の人が、BBCスコティッシュ響は、「弦が薄くて、管が不安定。」という評価なのだ。1人だったらわかるが、かなり複数人だったので、信憑性も高そうだ。


オーケストラというのは弦楽器が大半のパートを占めるのだから、その弦が薄くてスカスカだったら、これはオーケストラサウンドとしてかなり悲惨なものと思われた。


でも自分が体験したProm 5の日の演奏は、まったくそういうところは感じられなかった。管が不安定なところはいっさいなく安定した吹きっぷりだったし、弦楽器群はとても音色が厚くて安定していて、倍音成分ふくめた潤いの余韻が尾ひれについていた。


なによりもこの日の演奏は一貫して、高いアンサンブル能力、オーケストレーション能力が非常に高いオーケストラだと感じ、自分は「なんだ!全然いいじゃん!」といういい意味での拍子抜け、BBCスコティッシュ交響楽団は、一流のオーケストラと言っても遜色のない素晴らしいオーケストラだと確信した。


おそらくその日の出来具合の違いもあるのでしょう。
そして座席の差は大きいかも。


渋谷オーチャードホールは、クラシックの生音で勝負するホールとしては、ステージから観客席に音が飛んでこないことで有名なホールなのだが、自分はそこを慮って、3階席で勝負した。


これが大正解だった。


これだけ上階席でステージを俯瞰するような感じだと、ステージから上に上がってくるサウンドステージがバランスよく万遍なく聴こえてくるメリットがある。これが平土間の1階席で聴いていると、どうしてもステージの奥行きに行くにつれて、音の伝搬距離の差が出てきてしまい、位相差が出来てしまう。弦楽器、管楽器、打楽器と遠くなるにつれて、どうしてもその差が出来てしまう。


客席の一点として捉えたときのオーケストラとしての音のバランスが悪くなるのだ。


自分は確信犯的に、ここは絶対に上階席の方がいいと思っていた。これだけ上から俯瞰する感じだと、ステージの奥行きに行くほどの位相差は、あまり差がなくなる。


だから全体にバランスよく万遍なく聴こえるのだと予想した。


その分、ステージから遠くなるので、音像が緩く遠くなったり、腹に響いてくる音の実在感は犠牲になるが、それでも音の全体のバランスのほうを自分は選んだ。


結果、この日の演奏のサウンドにストレスのようなものがいっさいなく、この生音クラシックのコンサートが苦手なこのホールで、満足できたのはひとえに、座席選びだったと思っている。



前半の細川俊夫さんの「プレリューディオ」 オーケストラのための。


最初のこの曲で、自分はBBCスコティッシュ響の実力の高さをしっかりと把握することができた。
現代音楽に必要な繊細で透明感のある弦の美しさ、そしてその音色が安定していないといけない。
さらに空気を引き裂くような鋭さを持っていなくてはいけなく、それがきちんと具現化されていた。



2曲目の宮田大くんのエルガーのチェロ協奏曲。


この曲が自分の一番の楽しみであった。
それは先の述べたように、イギリス現地で同メンバーで録音してきたホカホカの話題であること。
そしてなによりも久しぶりに宮田大くんの生演奏に触れること。


大くんは変わんないね。・・・見かけが。(笑)
なんか自分が接していた時とほとんど変わんない。
いつまでも若くて、うらやましいです。


でも演奏表現力は観客に対する訴求力というか説得力が抜群にレヴェルが増したと思う。
自分の座席はステージから遠いけれど、大くんはとても大きく見えました。
チェロの音色も朗々と鳴っていた。
(チェロの音域って本当に人の声に近いというか、どうしても眠くなりますね。(笑))


エルガーのコンチェルトは、チェロ協奏曲としては超有名なドボルザークのコンチェルトと対照的で、非常にシンプルなオーケストレーションが特徴的ですね。エルガーが病床にいるときに書かれた作品ということで、やや短調的なほの暗い旋律が印象的です。ドボコンは有名なので、聴く機会も多いと思いますが、エルガーのほうは、なかなか普段、コンサートで聴く機会が少なくレアな曲なのではないでしょうか。


エルガーのチェロ協奏曲は、特にジャクリーヌ・デュ・プレが盛んに演奏しレコーディングも行っており、彼女が本作を世に知らしめた功績が大きい。


自分も彼女の音源を持っていますが、この日の大くんの演奏のほうがより現代的で洗練された今風のサウンドだと思うし、今回日本コロンビアからリリースされるアルバムも、デュ・プレの作品を超えるものであることは間違いないでしょう。



休憩(インターミッション)


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後半に入り、三浦文彰くんのブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。


三浦くんは、自分が定期会員だったミューザ川崎の東京交響楽団 名曲全集のコンサートにソリストとして出演したときに1回実演に接したことがあります。


本当に土の香りがするという感じがぴったりな男らしい将来のスター。


ブルッフのコンチェルトは、ヴァイオリニストにとっては、若い新人の頃に修行する曲として有名で、自分は若い頃は弾いていましたが、トータルとしてはあまり弾いたことがない曲だ、とプレトークで言っていた。


自分はこのブルッフのコンチェルトがとても好き。
哀愁があってロマン派的で、メロディーがとても美しい。
ヴァイオリンにすごく合っている曲だと思います。


三浦くんのブルッフは、どちらかというとこの曲が持つ派手でパフォーマンスたっぷりという路線とは違っていて、とても素朴で冷静に淡々と弾ききった、という印象が大きかった。


とても渋い男らしいブルッフであった。



そして最後にトーマス・ダウスゴー指揮、BBCスコティッシュ交響楽団によるラフマニノフの交響的舞曲。


これは素晴らしかったね。


巷に溢れていた同楽団への散々たる下馬評はなんだったんだ?という感じで、こんな素晴らしいパフォーマンスをするBBCスコティッシュ響を大いに見直した1曲であった。


コンチェルトだとどうしてもソリストに耳が行がちになりますが、メインディッシュはまさにオケそのものを堪能、評価できる。アンサンブル能力の高さ、オーケストラとして奏でているサウンドのボリュームと質感の高さ、緻密さ、極めて能力の高いオーケストラだということがこの曲ではっきりと認識できた。


このラフマニノフの交響的舞曲という曲は、自分はRCO Liveのディスクでオーディオでよく聴いていて、大好きな曲なのだが、ひさしぶりに生演奏で聴くと、やっぱりこの曲、オーディオでの聴きどころ、音的に美味しいところ、というポイントがあって、それを生で聴くと、やはり迫力が違うな、と感心しました。


ブラボーの一言です!


指揮者のトーマス・ダウスゴー氏であるが、非常に切れ味鋭くて、熱血漢の指揮ふりですね。正統派の指揮者だと思います。彼らからこれだけのサウンドを引き出していたのもじつはダウスゴー氏によるところが大きいのでしょう。


アンコールは、劇団員が立奏して踊りながら演奏するなどのパフォーマンスがあり、お祭りらしい華やかな雰囲気でフィナーレ。



つくづくこの日、Prom 5を選んでよかったと思います。


ちなみに、松本市音楽文化ホール(松本ハーモニーホール)のほうでもバスツアーを企画して東京に遠征して、この日のProm 5の公演を鑑賞するツアーを組まれていたようです。ツアー参加者のみなさんが楽しそうな笑顔で集合写真に写っていたのを拝見しました。


やっぱりProm 5だったんだね。(笑)



今日はラストナイトの日。


観客は日本、英国の国旗を振るというパフォーマンスはあるのでしょうか?


いろいろ音楽界で論評はあると思うが、自分はこのBBC Promsを日本で開催する、という今回のトライアルは見事に成功したのではないか?と思います。



BBC Proms JAPAN 2019


2019年11月3日(日・祝) 15:00 開演
Bunkamuraオーチャードホール


出演

管弦楽:BBCスコティッシュ交響楽団
指揮:トーマス・ダウスゴー
ヴァイオリン:三浦文彰
チェロ:宮田大


演奏曲目


細川俊夫:「プレリューディオ」 オーケストラのための

エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 Op.85(チェロ:宮田大)


休憩(インターミッション)


ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 Op.26(ヴァイオリン:三浦文彰)

ラフマニノフ:交響的舞曲 Op.45


アンコール

Sibelius:Andante Festivo
Unknown:Eightsome Reel








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アラベラさんの新しいパートナー [国内クラシックコンサート・レビュー]

もちろん今回の日本公演限定の話だと思う。(笑)アラベラさんには、ヴァイオリン・リサイタルの場合は、10年に渡りパートナーをいっしょに組んできたロベルト・クーレックという相方がいる。レコーディング録音はもちろん、5年前の2014年12月のヴァイオリン・リサイタルのときも、このロベルト・クーレックを引き連れて、この同じトッパンホールでのリサイタルであった。

このときの自分の印象は、感動しつつも、アラベラさんのヴァイオリンとロベルトのピアノとのバランスの悪さに、このような感想を日記に書いていた。

ロベルトのピアノは主張しすぎで、要はピアノがドラマティックに弾こうともったいつけたり、ヴァイオリンが隠れてしまうほど強く弾いたりして、雰囲気を壊すような感じでバランスが異常に悪い。

要は気負い過ぎという感じがあって、鍵盤から事あるごとに、ダイナミックに空中に手を跳ね上げる様な仕草をするのはいいのだが、その度にミスタッチがすごく多くて、打鍵が乱暴で音が暴力的。ペダルもバコバコ踏み過ぎという感がある。

この優雅な大曲のイメージからすると、彼は盛り上げたかったのだろうが、空回りという感じで気負い過ぎの感が否めなく、ヴァイオリンの優雅な旋律とまったくバランスが取れていなくて、自分にとって違和感だった。


かなりクソみそである。(笑)
いまの自分では絶対書けないレビューだ。

録音を聴くとそんなに悪い印象はないのだが、こと生リサイタルでは相性が悪かった。

そんなある意味トラウマでもあったアラベラさんのヴァイオリン・リサイタルでもあったのだが、今回の5年振りの公演は、パートナーのピアニストとして、若いデビューしたての日本人男性ピアニストをアサインしてきた。

入江一雄氏(以降入江くん) 

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なかなかのハンサムで、アラベラさんと並んでも美男美女のカップルで、とてもフレッシュなコンビのような印象であった。

とてもいい企画アイデアだと思った。入江くんはこのリサイタルがきっかけになって一気にブレイクして羽ばたいてくれるといいなと思ったぐらいである。それくらい第1印象の人触りは良かった。

そういう経緯があるので、今回のリサイタルは、ある意味入江くんの健闘ぶりが楽しみだったという自分なりの都合があったのだ。


入江くんのプロフィールは、

熊本県生まれ。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て同大学・同大学院を首席で卒業・修了。第77回日本音楽コンクールピアノ部門第1位、第1回コインブラ・ワールド・ピアノ・ミーティング(ポルトガル)第5位入賞、他受賞多数。

幅広いレパートリーの中でもライフワークとしているプロコフィエフのピアノ・ソナタ全曲演奏会を成功させる等のソロ活動に加え、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、芸大フィルハーモニア管弦楽団などの国内主要オーケストラと共演。

東京芸大シンフォニーオーケストラ・ドイツ公演(Young Euro Classic)ではソリストとして同行し、ベルリン・コンツェルトハウスにて細川俊夫作曲《沈黙の海》を協演した。

また、室内楽にも熱心に取り組んでおり、近年ではNHK交響楽団コンサートマスター篠崎史紀から絶大な支持を受け多数共演。国内はもとより、モスクワ、ロンドン、ベルリンなど海外でも演奏している。

2012・13年度公益財団法人ロームミュージックファンデーション、15年度文化庁(新進芸術家海外研修制度)より助成を受け、チャイコフスキー記念ロシア国立モスクワ音楽院研究科に在籍し、エリソ・ヴィルサラーゼに師事。16年夏に修了、ディプロマ取得。17年度より東京芸術大学にて教鞭をとる。


このようにデビューしたてというよりは、藝大、そしてモスクワ音楽院にてみっちりキャリアを積んできている実力派で、2011年ころからずっと活躍してきているようなので、単に自分が存じ上げていなかった、ということだけなのかもしれない。


もちろんいままで1回も実演に接したことはないのだけれど、その外見のスマートさから、きっとダンディズムのような穏やかで洒落た打鍵で、でも静かなる闘志を潜むというようなタイプではないかな、と想像していた。

今回の実際の実演での印象は、それは遠からず間違っていなかったという印象で、つねにアラベラさんを表に立てるということに貫徹していて、一歩引いた感じで弾いていて、自己主張するタイプではなかった。今回は入江くんに注目しようと最初から決めていたので、入江くんを良く見ていたのだが、その指捌き、卓越した技術、その安定感のある打鍵はしっかりした基本が根底にあり、安心して観ていられた。

なによりもアラベラさんのヴァイオリンとのバランスが、リサイタルとしては適切な配分率で、アラベラさんを立てるタイプでパートナーとしては申し分なかった。


曲が終わるごとのステージ上での挨拶にしても、アラベラさんから3歩下がってその影を踏まず、という奥ゆかしさで(笑)、大人しい人柄の良さが滲み出ていた。アラベラさんから手をつなぐように誘われて、カーテンコールするのも、どこかぎこちなさが残るところが初々しくて見ていて微笑ましかった。


このリサイタルをきっかけに大いに羽ばたいてほしい逸材だと思う。


今回のヴァイオリン・リサイタルは前回と同じトッパンホール。
チケットは完売のソールドアウト。

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入江くんの指捌きを観たかったので、この左寄りの座席を取った。
反面、アラベラさんは後頭部からのシルエットになってしまうのだが、仕方がない。

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入江くんに注目しようと思いつつも、いざ始まってしまうと、やっぱり主役は、アラベラさんのヴァイオリンであることは間違いない。

最初のバッハのソナタ。「フルート・ソナタ」として知られる曲で、ヴァイオリン・パートがすべて単音で書かれた端正な歌を聴かせてくれるものとして期待したが、予想より、そして思っていたほどの盛り上がりもなく淡々とその表面をなぞっていくだけのような淡泊さがあり、自分にとってはやや物足りなさを感じた。

そういう聴衆に対してもっと来てほしい!という欲望は、2曲目のベートーヴェンのソナタ「クロイツェル」で満足できるものとなった。もうヴァイオリン・ソナタの分野では名曲中の名曲、王道ソナタの最高峰ですね。

確固たる裏付けされた技術、ピアノとの連係プレーとそのバランス、フレージングやアーテキュレーションも教科書的な模範のような折り目正しい演奏という印象で、自分の想いはいくぶん成し遂げられたかな、という気分にはなった。



後半の3曲目のペルトのフラトレスで、会場の空気が一気にがら変した。

その切り裂いたような鋭利な空気感、そして陰影感、堀の深さなど、聴衆に訴えかけてくるもの、訴求力があまりにリアルすぎる。

今回のリサイタルの最高パフォーマンス、圧巻だったのは、間違いなく最後のプロコフィエフのソナタだと思うけれど、自分は敢えてこの3曲目のペルトを1番に挙げたい。

不勉強ながら初めて聴く曲だったが、まさに”瞑想”という言葉がぴったりのその旋律とその沈黙がなにかを語っている感のある隙間の美学。

いっぺんに自分を魅了した。これは素晴らしいなぁ~という感じ。アラベラさんの超絶技巧も冴えに冴えわたっていた。

この曲で会場は一気に雰囲気が変わりましたね。


そしてラストのプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ。もうこれは文句なしのこの日の最高のパフォーマンスで聴衆をグイグイ引き込んでいった。この曲もヴァイオリン・ソナタの名曲中の名曲だから、よく聴く機会が多いが、その中でもベストNo.1と言っていいほどの素晴らしいパフォーマンスだったのではないか。


まさに神がかっていた!という感じ。


じつは5年前にもアラベラさんのヴァイオリン・リサイタルでプロコフィエフのソナタを聴いているのだが、記憶が薄く、あまり印象に残っていないのだが、この日の演奏はじつに素晴らしく、名演として一生記憶に刻み込まれることだろう、という凄さであった。

アラベラさんは、一見もすれば”美人のお嬢さんヴァイオリニスト”というレッテルを貼られて見れられることも多いと思うが、そのじつは音楽家、演奏家としてじつに懐の奥の深さ、表現力が豊かで、幾重にも年輪を重ねてきた芸術家である。


そういうことが証明されたような今宵のパフォーマンスであったと思う。


ずっと彼女を聴いてきたファンとしては、あれから5年という歳月は、じつに彼女を大きく成長させてきた。

それが一見してわかるような5年前とは別人のような演奏であった。

すべてにおいて満足のいく今回のヴァイオリン・リサイタルであった。


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(c)アラベラさんFB


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(c)トッパンホールTwitter




アラベラ・美歩・シュタインバッハー ヴァイオリン・リサイタル
2019/7/17(水)19:00~ トッパンホール

J.S.バッハ:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ト短調 BWV1020

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op.47 <<クロイツェル>>

インターミッション

ペルト:フラトレス

プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 Op.94a


アンコール

マスネ:タイスの瞑想曲







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ユリア・フィッシャー, ドレスデン・フィル [国内クラシックコンサート・レビュー]

ユリア・フィッシャーをはじめてコンサートで拝見したのは、3年前の2016年の東京オペラシティとトッパンホールでのヴァイオリン・リサイタルのときであった。

PENTATONEの初代女王としてずっとオーディオで愛聴してきたので、それは感無量であった。そのとき、ユリアをぜひコンチェルトでも拝見したいと思っていて、必ず近い将来実現できるのではないか、という確信みたいなものがあって、今年見事祈願成就することができた。ミヒャイル・ザンデルリンク&ドレスデンフィルとともに日本を縦断するツアーである。

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オーディオで聴くユリア・フィッシャーの魅力は、やはり女性ヴァイオリニストとは思えないパワフルな演奏というところだと思う。非常に力強いボーイングで、男性ヴァイオリニストにけっして引けを取らないくらい音色に力強さがあって、そして瞬発力がある。聴いていて切れ味があって爽快なのだ。そしてかなりの技巧派テクニシャン。

そういうユリアの技巧、力強さみたいな魅力は、ヴァイオリン・リサイタルよりもコンチェルトのほうが、より発揮できるのではないか、という自分なりの予想があって、ぜひコンチェルトで拝見したいなぁとずっと恋焦がれていたので、本当に今回の公演は楽しみにしていた。

さらに演目は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン・コンチェルトの中でも、自分がもっとも好きな演目のひとつ。
ブラームスらしい秋のシーズンに相応しい哀愁漂う非常に美しい優雅な旋律が特徴的で、全体として美しい造形をもつヴァイオリン・コンチェルトの傑作中の傑作。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲といえば、注目は第1楽章のカデンツァ。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲の場合は、作曲にあたってアドバイスし、初演もした名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムのカデンツァが演奏されることがほとんどで、滅多に演奏されないがクライスラーの美しいカデンツァもある。

いまから8年前のNHKホールでN響と共演したリサさまことリサ・バティアシュヴェリのブラームス・コンチェルトの実演に接したとき、この珍しいクライスラーのカデンツァを聴いたことがある。

このブラームスのカデンツァのこと、すっかり忘れており、ホールに到着して座席に着席したときに急に思い出し、しっかりカデンツァの予習をしておけばよかったと後悔しました。(笑)たぶんおそらくヨーゼフ・ヨアヒムのカデンツァだったと思います。


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はじめて拝見するユリア・フィッシャーのブラームスのコンチェルト。
黒いドレスに身を包んだユリアは美しかった。

ユリアの演奏のフォームというかスタイルは、とても正統派スタイル。パフォーマンスなどの魅せる側面がまったくなく、非常に教科書的な、ある意味ちょっと地味でもあるフォーム。弓をもつ右肘はやや下げ気味で、全体のフォームが非常にコンパクトにまとまっている感じがして、そしてボーイングはやはり瞬発力があってとても力強かった。

ユリアのブラームスは、それは素晴らしかった。
本来の持ち味である力強さと瞬発力の切れ味もさることながら、優雅に歌わせる部分は歌わせ、颯爽と走る部分は走る、そういった緩急を見事にコントロールしていたように思えた。オーケストラとの語らいもとても密だったように思う。

ブラームスのコンチェルトとしては名演だったと思いました。

ただユリアの演奏は、とても正確無比な演奏というか、激情ドラマ型じゃないんだよね。
たぶん当日の自分の体調コンディションもあったかもしれないが、緩急もあり、魅せる部分も十分の素晴らしいパフォーマンスだったけれど、自分の感情の中で、抑揚する、天にも昇る興奮度合が自分が期待していた程でもなく、ある決められた範囲の中で納まっていたというか。。。

これは自分の体調不良もあったかな?
すこし妄想しすぎていたかも?

でも素晴らしい公演だったことは間違いないです。
ユリアのコンチェルトを堪能できて、そして期待を裏切ることのない見事なパフォーマンスでした。

アンコールのパガニーニの奇想曲は、これは素晴らしかった。
パガニーニらしい演奏するのが難解そうな曲で、アクロバティックな奏法が冴えわたり、かなり衝撃であった。

ブラボー!

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後半は、ブラームスの交響曲第1番。まさにブラームス王道の曲ですね。
じつに久し振りに聴きました。

ドレスデンフィルは、想像以上に発音能力に長けていて、低音がしっかりと出ていて、ブラ1に必須な重厚な音が出ていたように思う。最初の出だしから、こちらの期待をがしっと鷲掴みし、見事最後まで破たんするところもなく突っ走っていった。弦楽器群の音の厚み、和声感のあるハーモニーの美しさ、そして女性奏者中心で成り立っている木管群の音色の嫋やかさなど、自分が想像していた以上に素晴らしい演奏力を持ったオーケストラであると感じた。

機能性抜群の大オーケストラというほどのグレード規模ではないと思うが、ブラームス1番の大曲をここまで堂々と演奏しきったその力量は十分に評価したい。

指揮者のミヒャエル・ザンデルリング。任期最後ということで、このドレスデン・フィルのシェフとして来日するのは今回が最後だと思われる。

じつはミヒャエル・ザンデルリンクは、8年前の2011年にベルリン現地で、ベルリン・コンツェルトハウスの大ホールで、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団を指揮したコンサートを体験させてもらっているのだ。懐かしすぎて記憶も薄っすらであるが、今回の勇姿を再度拝見できて光栄だと思う。

相変わらず、スマートで自然な流れの持っていき方の指揮振りは見事であった。

アンコールのブラームスのハンガリー舞曲。もうアンコールの定番中の定番であるが、華麗に決めてくれた。

ユリアのコンチェルトを観てみたい、というところから足を運んだコンサートであったが、全般に自分の想いを遂げることができた十分に満足のいく公演だったと思う。


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(c)ジャパン・アーツTwitter





富士通コンサートシリーズ
ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

2019/7/3(水)19:00~ サントリーホール大ホール

指揮:ミヒャエル・ザンデルリンク
ヴァイオリン独奏:ユリア・フィッシャー
管弦楽:ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.77

ソリスト・アンコール:パガニーニ:24の奇想曲 第2番

ブラームス:交響曲第1番ハ短調Op.68

アンコール:ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番









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スイス・ロマンド創立100周年コンサート [国内クラシックコンサート・レビュー]

スイス・ロマンド管弦楽団というのは、数学者のエルネスト・アンセルメという指揮者によって創設されたスイスのオーケストラで、じつに半世紀に渡って、アンセルメが実権を握り、アンセルメの楽器とまでいわれたオーケストラでもあった。

まさにスイス・ロマンドを一躍有名にした指揮者であり、その要因は、英DECCAレーベルと録音をかさねた膨大な数々のLP。

まさに”ステレオ録音”の先駆けの時代で、DECCAに於ける”はじめてのステレオ録音”ということを具現化していき、このDECCA録音でアンセルメ&スイス・ロマンドは、まさに世界的な名声を得たのである。


その膨大なライブラリーを録音した会場が、スイス・ジュネーブにある彼らの本拠地のヴィクトリアホール。


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ヴィクトリアホールでのアンセルメ&スイス・ロマンドのDECCA録音


1960年代のステレオ録音は、目の覚めるような鮮やかな管楽器、濡れたように艶やかな弦楽器といったいかにもハイファイ・高解像度を感じさせる、録音マジックと言って過言でないものだった。

1960年代の半ばに、レコード人気を背景に来日公演を行っていて、東京文化会館でその演奏に接した音楽評論家の高城重躬さんは、レコードで耳にするのとは全く異なって 普通のオーケストラのサウンドだったと記され(笑)、 DECCAのレコーディング・マジックによって「創られたサウンド」だと解説した。 つまり「レコードは、生演奏とは音色・バランスが違う」、「これぞマルチ・マイク録音だ」という例えにされたわけだ。

アンセルメ&スイス・ロマンドを語る上では、オーディオファンにとっては絶対避けては通れない神話である。その秘密は、単にDECCA録音チームによる録音技術のほかに、ヴィクトリアホールの構造上の秘密があるに違ない、といまから4年前に現地ヴィクトリアホールを体験してきた。


それはステージ後段にある雛壇にある。

という結論に達した。

そんな膨大なアンセルメのDECCA録音は、当時のLPではなくCD-BOXとして所有していて、一気に聴き込んで日記にしてみたいとも思うのだが、なかなか時間が取れず。時折、アンセルメの名盤、ファリャの三角帽子を聴くくらいである。

いまではスイス・ロマンドといえば、山田和樹氏によるPENTATONEの新譜を聴くほうが主流である。

スイス・ロマンド管弦楽団も今年で創立100周年を迎える。
日本でも全国的なツアーを組んで大々的なプロモートをおこなった。

そんなスイス・ロマンドにも大きな変革の期を迎えた。

なんといっても日本で東京交響楽団(東響)でお馴染みのジョナサン・ノットが音楽監督に就任したこと。そしてBプロの方では、自分の注目株の辻彩奈さんがソリストとして迎えられること。

ここにあった。 


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ジョナサン・ノット 


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辻彩奈


辻彩奈さんは、まだデビューしたての新人で、海外オーケストラと同行してツアーするのは、今回が初めてということで、相手がスイス・ロマンド(OSR)というのは、演奏家人生の上でもとても貴重な経験だったに違いない。


ツアーは、日本ツアーの前にまず本拠地のヴィクトリアホールでおこなわれた。



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ヴィクトリアホールの前での辻彩奈さん
(c) スイス・ロマンド(OSR) FB


いいなーいいなー。

ヴィクトリアホールってレアなホールだから、演奏家としてこのホールのステージに立てるというのはなかなか貴重な体験だと思います。なかなかそんなチャンスは巡ってこないと思います。

素晴らしい経験でしたね。

日本ツアーでは、自分は東京芸術劇場の公演を選んだ。

辻さんに花束の歓迎。

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スイス・ロマンドといえば、フランス語圏のオーケストラで、得意とするレパートリーは本当にアンセルメ時代からの財産もあり、なんでもこい、という感じなのであるが、自分の公演ではメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とマーラーの交響曲第6番「悲劇的」であった。

いわゆるコンサート定番中の定番の選曲で、正直もう少しスイス・ロマンドらしい、彼らじゃないと聴けないような選曲がよかったかなぁ、という想いはあった。

まずは辻彩奈さんのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。

辻さんは期待の新人ということで、ずっと注目していて、敢えてほかの公演には行かず、この公演で初めて聴かせてもらう、ことにしていた。

自分の期待を裏切ることなく、じつに素晴らしいヴァイオリニストで、将来嘱望されたその溢れんばかりの才能は見事であった。けっして美人ヴァイオリニストの上品な域で留まるのではなく、もっと個性的で土の臭いがしてきそうなワイルドな奏者だという認識も、まさに自分の予想通りであった。

自分はメンコンは、比較的インテンポのスタイルで聴く機会のほうが多いのだが、辻さんのは、非常にスローテンポで随所にタメを効かせた感じのテンポの揺らぎを感じることが多かった。

特に第1楽章のカデンツアでは、こんなにスローな展開で静謐の中でじっくり聴かせるスタイルはいままで聴いたことがなかった。

全楽章通じてよく歌っていて、数えきれないくらいこの曲を聴いてきた自分の感性にとっても、まったく違和感なく受け入れることができたし、まだ21歳とは思えないその堂々とした演奏ぶりには、かなり貫禄があり、驚いた。

ただ、素晴らしいことは間違いないけれど、いまが完成形かというと、自分はまだまだ伸びしろがあると思う。

様式感やフレーズ感、音程感や定位感、などまだまだ途上段階だと感じるし、磨き上げる、完成度をあげる余地は十分にあると思う。

あと、大事なことは、これが自分の演奏スタイル、というのを確立することですね。

だってまだ21歳ですよ。超一流のヴァイオリニストと呼ばれるだけの定位感ある演奏には、やっぱりここ何十年、これから10年、20年、30年というキャリアを積んで経験を重ねることで、それらは年輪のように積み重ねられ、自分を作っていくものだと思います。

またこれからたくさんの曲をレパートリーとして自分のモノにしていくことで、その表現力の豊かさ、これが自分の演奏スタイル、というものが確立されていくのだと思います。

それだけの大物になることは、まちがいなく、”いま”その才能を持ち合わせているので、末は恐ろしい奏者になる、という絶対的な確信は自分にはある。

本当に素晴らしい奏者ですね。




後半のマーラー交響曲第6番「悲劇的」。通称マラ6。

この曲は、自分にとってはラトル&ベルリンフィルのときで、すでに完結している曲。(笑)
この曲をスイス・ロマンドで聴くとは夢にも思わなかったが、じつに素晴らしかった。

4年振りに聴くスイス・ロマンドの音は、弦楽器が厚く、柔らかくて色彩感ある、まさにフランス語圏のオケだよなぁという印象であった。現地で聴いたときよりもアンサンブルの精緻さは数段上のように感じてレベルが高かったように思う。

たぶんノットのおかげなのでしょうね。

スイス・ロマンドは、どちらかというとこういう大作の作品よりも、もっと小ぶりでメロディの優雅な作品を演奏させるととても魅力のあるオーケストラなのだけれど、このような大曲も堂々と演じ切り、彼らの底力を見せつけられた感じだ。

本当に4年前より数段レヴェルアップしている。

オーケストラとしての発音能力にも長けていて、自分は1階席の中ほどやや前方で聴いていたのだが、見事な大音量で、満足のいくものだった。あの狭いうなぎの寝床のヴィクトリアホールであれば間違いなくサチっている(飽和している)レベルだと思う。

マラ6は、第2,3楽章を従来形式のスケルツォ~アンダンテの順番で演奏され、第3楽章のアンダンテはまさに究極の美しさであった。

ジョナサン・ノットは東響時代を含め、本当に数えきれないくらいその指揮を体験してきたが、東響とは違うもうひとつの自分の手兵を手に入れている喜びというか、そのふたつを思いっきり楽しんでいるような感じだ。

ノットの指揮は素人の聴衆である自分にとっても、とてもわかりやすく、非常に細かくキューを出すタイプ。少なくとも一筆書きの指揮者ではない。指揮棒を持たない左手の使い方がとても細かく複雑で、指揮棒の右手とあわせて、本当に細かく激しく動き、そして、それが曲の旋律、拍感に合せて、じつにぴったりと合っているので、見ていて酔わないというか、気持ちいいのだ。

指揮振りの手の動きと、曲の旋律、拍感が合わないと、見ている聴衆側は酔ってしまいます。(笑)


少なくともいまのスイス・ロマンドは、完全にノットのオーケストラとして機能している、掌握していることがよくわかる演奏だった。スイス・ロマンド管弦楽団に拘りのある自分にとって、ジョナサン・ノットという素晴らしい才能、そして日本でもとても馴染み深い指揮者にシェフになってもらって、本当に安心というか、ここしばらくは安心して任せていられそうだ。


そんな安堵感、信頼感を確認できた演奏会であった。

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(C)KAJIMOTO FB






東京芸術劇場 海外オーケストラシリーズ
ジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団

2019年4月13日(土)14:00~ 東京芸術劇場コンサートホール

指揮:ジョナサン・ノット
ヴァイオリン独奏:辻彩奈
管弦楽:スイス・ロマンド管弦楽団


メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64

ヴァイオリン・アンコール~
J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ短調
BMW 1006より”カヴォット”


マーラー交響曲第6番 イ短調









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東京・春・音楽祭「さまよえるオランダ人」演奏会形式上演 [国内クラシックコンサート・レビュー]

さまよえるオランダ人は、7年前の2012年の3月に新国立劇場のオペラを見ている。


ちょうどそのとき、ヤノフスキ盤も発売になった頃で、それがあまりに優秀録音で、ヘビーローテーションだったこともあり、そのタイミングでオペラも公開になったことから、その当時一気に自分の中でオランダ人フィーバーだったのだ。

特にオペラを観るにあたって、いまと違い(笑)、まじめだった当時は、徹底的に勉強していったので、予習素材を何本も観て備えて行った。

その結果、自分がこのオペラに対して達観した内容は、

・通常のオペラだと全幕の長い期間の中で、音楽的に山谷があるのが普通なのだが、このオペラは、全幕通しで素晴らしい旋律が維持される。

・合唱陣が大活躍する。

・女声が少なく、男声が多い。

という理解だった。

2015年にも新国でオランダ人のオペラをやったようだが、自分は行かなかった。

今年の東京春祭でオランダ人をやるということで、7年振りにオランダ人を聴いてみた。
予習したときに、急激に忍び寄る老いのせいなのか、ここが大事な二重唱、三重唱で、ここが水夫の合唱など、すぐに勘が戻らず、なかなか自分のものにできなく焦った。

なんとか本番までには間に合ったようだ。



今年で、15年目の東京・春・音楽祭。
まさにこの音楽祭の季節になると、春の到来を感じる、すっかり上野の風物詩になりつつある。


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最初は東京のオペラの森としてスタートして、東京・春・音楽祭に冠が変わったのだが、東京のオペラの森時代に小澤征爾さんのエフゲニー・オーネギンのオペラを観た。そして、2012年あたりから、東京・春・音楽祭に毎年通うようになった。

15年目を祝して、いろいろな展示があった。

15年前の2004年から、今年の2019年までの鏡割りの鎮座。
音楽祭オープン初日の日に、これを鏡割りするんですね。

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これも15年前から音楽祭のパネルに、出演者のサインが書かれているもの。ずっと15年間保持してるんですね。

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今年は、思い切って4階席を取ってみた。

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東京文化会館は、5階席、4階席の上階席の方が音響がいいという話があって、自分の耳で確認してみた。

結論は、確かにバランスのとれたいい音響だと感じた。音の流れが上にあがってくる傾向にあり、またステージ全体を俯瞰できるので、音響バランスが整っていて、オケの前列、中列、後列による位相差をあまり気にせず、バランスが綺麗に整っている感じだった。これだけの上階席なのに、かなり明瞭な実音に聴こえるので、音が上に上がる傾向にあるのだろう。

でも、直接音の迫力、腹にずしっと響いてくるエネルギーなど前方の席のほうがやはり自分には気持ちがよく、また歌手の声も前方席にいるほうが感動の度合いが大きい印象を受けた。好みの問題ですね。

来年は最後の有終の美を飾るトリスタンとイゾルテ。従来の前方かぶりつきに戻りたいと思います。

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ブリン・ターフェル

                                                                                                       

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リカルダ・メルベートと指揮者ダーヴィト・アフカム

(c)東京・春・音楽祭FB


さて、本題の「さまよえるオランダ人」演奏会形式。

自分の予想通り、合唱がとても迫力があって、自分にとって、このオペラの最大の魅力に感じた。
第1幕、第3幕の水夫の合唱の男声の迫力があまりにすごくて、もう自分はこれだけで本懐を遂げたような気がした。第2幕の女声による糸紡ぎの合唱もこれまた清廉潔白さの純真さを感じる美しさ。

毎年大絶賛するのだけれど、東京オペラシンガーズは本当に素晴らしいと思います。
まさに日本最高レベルの合唱団ですね。

独唱ソリストのほうでは、オランダ人のブリン・ターフェルが見事なバス・バリトンぶりで魅力的な歌唱を披露していた。ブリン・ターフェルは、自分の場合はDG SACDでよくお世話になっていて愛聴していたが、実演を聴くのは初めてかもしれない。演技力が素晴らしく、発声に説得力があり、存在感が秀でていた。

なんでも、この公演の後の数公演でワーグナー歌いからは引退する、という話もあるようなので、彼の最後の勇姿を観れてよかったと思う。ブリン・ターフェルといえばオランダ人なのだから。


ヒロインのゼンタのリカルダ・メルベートも大熱唱だった。女声の少ないこのオペラでは、唯一の大活躍するヒロインなので彼女の出来がこのオペラのできを左右する重要な役どころだった。素晴らしい熱唱ぶりで、その役への成りきり方が半端ではないほど完璧なので、公演後に調べてみたら、ゼンタを歌わせたら右に出る者はいないというほどの18番中の18番の歌い手であった。

ヤノフスキ盤のゼンタも彼女メルベート。そして聖地バイロイトや新国オペラのときのゼンタもメルベート。

後で納得した。

声量、声質と問題なく素晴らしいのだが、この日はなぜか自分は、彼女の声がきちんとホール空間に定位していないことに、不満を持ってしまった。定位感がないのだ。素晴らしい歌手はかならず自分の声が空間に定位する。

う~ん、これだとヤノフスキ盤のゼンタのほうがいいかな?とも思ったが、実は同一人物だとわかって、この日の調子が絶好調ではなかったかも?とも思ったり。。。

いや、聴いていた聴衆のみんなの95%以上は、メルベートを大絶賛していたので、ちょっと他人と聴きどころ、感性が違う自分が変わっているだけなのでしょう。(笑)

見事なゼンタを演じていたのはまぎれもない事実、素晴らしかったです。


エリックを演じたペーター・ザイフェルトも素晴らしかった。ゼンタに恋する青年にしては歳を取り過ぎだが(笑)、とても甘い声質のテノールで、声量も十分。聴いていて、じつに素晴らしいなぁと感心していた。

特に第3幕のオランダ人、ゼンタ、エリックとの三重唱は、まさに圧巻だった。

聴衆もそのことをよくわかっていた。エリックのザイフェルトはカーテンコールのときは、人一倍大きなブラボーと歓声をもらっていた。自分も納得いくところだった。

ダーラント船長を歌う予定だったアイン・アンガーの急遽の来日中止は痛かった。アイン・アンガーって、この春祭のワーグナーシリーズでは、いつも本当にいい仕事をする人で自分は密かなるファンだったりした。いつも安定した歌いっぷりの歌手なのだ。

でもその急遽の代役のイェンス=エリック・オースボーがそのハンディキャップをはねつけるどころか、それ以上の有り余る素晴らしさだった。まずその声質、声量が見事なバスバリトンの豊かな才能で、歌唱力もみごと。これは素晴らしいなぁと思い、自分はうれしくなってしまった。急な依頼で準備する時間もほとんどなかっただろうに、なんか特別賞をあげたい気分です。


以上、独唱ソリストは、まったく問題ない素晴らしいできで、これまた素晴らしかった大活躍の合唱と合せて、最高の歌手陣営となった。

あとは、N響の演奏。

正直第1幕の出だしは、いまひとつ調子が出てない感じで、金管も不安定な感じだったが、第2幕、第3幕で徐々にエンジンがかかってきて、機能的にもよく鳴っていたと思います。去年のローエングリンより、オケとしての鳴りっぷりはよかったと思いますよ。

指揮者のダーヴィト・アフカムは、まだまだ若いし経験不足かなと思うこともあるが、将来有望な指揮者であることは間違いない。

また毎年大不評のオケ背面にある映像投射。今年は、座礁するオランダ船、荒れた海、そして第2幕の糸紡ぎのアリア背景など、オペラ形式の舞台装置の役割を果たしていたように思え、例年の意味のない映像より(笑)、ずっとまともであるように思えた。


今回の公演は、「さまよえるオランダ人」を自分が聴いてきた中で、独唱ソリストの素晴らしさ、合唱の大迫力からして、そして総合力からしても過去最高レベルのオランダ人だったと言っても過言じゃないと思う。


それだけ素晴らしい感動だった。


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(c)東京・春・音楽祭FB






東京春祭ワーグナーシリーズ Vol.10
「さまよえるオランダ人」演奏会形式/字幕・映像付
2019/4/5(金)19:00~ 東京文化会館大ホール

指揮:ダーヴィット・アフカム

オランダ人:ブリン・ターフェル
ダーラント:イェンス=エリック・オースボー
ゼンタ:リカルダ・メルベート
エリック:ペーター・ザイフェルト
マリー:アウラ・ツワロフスカ
舵手:コスミン・イフリム

管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマス・ラング、宮松重紀
アシスタント・コンダクター:パオロ・ブレッサン
映像:中野一幸
字幕:広瀬大介


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川本嘉子さんのブラームス室内楽 [国内クラシックコンサート・レビュー]

すっかり上野の春の風物詩となった東京・春・音楽祭では、絶対欠かせないコンサートが2つある。N響によるワーグナーの演奏会形式と川本嘉子さんのブラームス室内楽だ。どんなことがあっても、この2つのコンサートは必ず行くようにしている。 


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川本嘉子さん

川本嘉子さんのブラームス室内楽は、2014年からスタートした連載なのだが、自分は2015年から通っているので、もう今年で5年目の皆勤賞だ。

川本嘉子さんを中心に、竹澤恭子さん、向山佳絵子さん、そこに若手を1,2人加えた室内楽ユニット。

とても大人の雰囲気があり、全員が演奏技術に秀でたそのクオリティの高さ、そして他に例をみないプロフェショナルな格好良さというか、存在感があって、オーラが漂っている、そんな独特の雰囲気があるのだ。

日本で最高の室内楽ユニットであると断言できる。

そんな6年目にあたる今年、なんと!ピアノに小山実稚恵さんをピアノに迎えることとなった。
コンサートも、「ブラームスの室内楽Ⅵ ~小山実稚恵(ピアノ)を迎えて」という冠が付いた。

これは心底驚いた。ただせさえ、プロフェッショナルなメンバー揃いなのに、そこに小山実稚恵さんがピアノとして加わったら、それこそもうこれ以上望めない超最高、夢のユニットではないか。

自分は、2015年からずっと通い続け、そのコンサートの感想をつぶやきに書いてきたのだが、そこにどこか申し訳ない気持ちがずっとあり、いずれきちんと日記にしないといけないという想いがずっとあった。

それがまさに今年なのだ!と確信した。小山実稚恵さんを加えて、これ以上なにを望もうか、という最高の布陣。

日記にするなら、まさに今年しかない。

なので、今年は、つぶやきせず、最初から日記にするつもりで、臨んだ。

今年は若手として小川響子さんが参加した。

小川響子さんは、スズキ・メソード出身で、東京藝術大学在籍で、ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミーにオーディションに合格し、ベルリンに2年間派遣され、いままさに研磨中なのだ。なんでも樫本大進氏に憧れを持っていて、このオーディションの審査員長が樫本氏であったこともあり、小川さんにとってとても素敵なオーディションとなったようだ。

この日の小川さんは、大先輩に囲まれ、恐縮というかオロオロした感じの初々しさで、見ていてとても微笑ましかった。


川本嘉子さんのブラームス室内楽に自分はなにを観ていたのか?


もともとこのコンサートに行くようになったきっかけは、ミューザ川崎の設計者の小林さんの設計事務所での室内楽サロンに参加したとき、そのとき川本嘉子さん×三舩優子さんのリサイタルを聴いたことだった。

直接川本さんとお話もした。

そのときから、東京春祭のこのシリーズに通おうと誓ったのだ。


もうひとつは、小澤征爾さんの門下生であること。

自分は、数年前までは、サイトウキネン(現:セイジ・オザワ松本フェスティバル)の松本にそれこそ毎夏通っていた。そして水戸の水戸室定期にも、必ず年明けの新年の聴き初めは、水戸で、という自分なりの決めごとを作って、毎年年初通っていた。

サイトウキネン、水戸室の公演を聴いていると、ここが自分のホームのような感じになった。
誘いはゴローさんだったけれど、小澤さんの世界が、自分の礎になっていることを感じざるを得なかった。

いまでは、小澤さんはすっかり元気がなくなって指揮する機会も激減、なによりも、自分自身の予算体力がすっかりなくなって、昔のように松本や水戸に聴きに行くということができなくなった。

小澤さんの教えを受けた演奏家の方々は、普段はみんなそれぞれに散らばって、それぞれのご自身の活動をなさっている。でも、そうであってもそのお互いの絆は強く、見えない糸でしっかり結ばれている。

自分にはそんな糸、その独特のカラーがよく見える。


川本さんのブラームス室内楽を聴きに行くことで、自分のホームである感覚、いまはすっかり松本、水戸に行けなくなって失いつつあるその感覚をそこで身近に感じることができるからではないか、と思っている。

あの室内楽ユニットが独特の雰囲気があるのは、そのためだ。


なぜ、ブラームスの室内楽なのか?


これは川本さんご自身がメディアを通じて発信していたのを読んだ記憶があるのだが、その記事をいま見つけることができない。自分のあやふやな記憶だけれど、ブラームスがとても好きなこと、そしてブラームスのヴァイオリンで奏でられた音楽をヴィオラで演奏することで、また違ったニュアンス、魅力を出してみたいこと。。。そんな記憶がある。

ブラームスの室内楽はとても魅力的で、自分も好きで、よく聴いている。

そんな経緯の中で、4年間聴いてきたわけだが、5年目の今年、ついに小山実稚恵さんを迎えて、というのはあまりにも感動的過ぎる。(笑)感慨無量。

コンサートホールは、大体、東京文化会館小ホールか上野石橋メモリアルホール。
どちらも石造りのホールで残響感たっぷりだ。

今年は、東京文化会館小ホール。
こんなど真ん中で聴いた。

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演目は、ブラームスのピアノ三重奏曲、ヴァイオリンソナタ、そしてピアノ五重奏曲。
もちろんピアノの小山さんはフル出場だ。

大変な力演、壮絶な演奏だった。

これだけのプロフェッショナルな奏者が揃うと、まさに個の主張も激しくありながら、同時にすばらしくアンサンブルのバランスも取れているのが驚きだったぐらいだ。

最初のピアノ三重奏曲では、とくに向山さんのチェロの音色に心奪われた。

チェロの音域というのは、本当に人が恍惚となる、ある意味眠気を誘うくらい気持ちのいいものなのだが、優雅なメロディーをこの音域で奏でられるのは、いやぁこれは美しいなぁ~と思わず耳がそこに集中してしまった。

ヴァイオリンソナタでの川本さんの演奏は、これはこれはとても熱い演奏で、思わず聴いていて力が入ってしまうくらいすごい熱演だった。ヴァイオリン・ソナタをヴィオラの音色・音域で表現する。

まさにこのシリーズの一番の主張したいところなのだと思う。
ピアノの小山さんとヴィオラの川本さん、という最高の絵柄で言うことなし!

とにかく力が入った演奏だった。

そしてなにより最高の頂点に達したのが、ピアノ五重奏曲。
竹澤さんのいつも身を乗り出すとてもパワフルな演奏スタイルは健在。竹澤さんらしく素晴らしいです。第1旋律としてグイグイ全体を引っ張っていっていた。小山さんのピアノは、小山さんぐらいのオーラのある方であるにもかかわらず、目立ちすぎるということもなく、常に室内楽の一旦を担うという感じで、いい意味で埋没、調和していたのはとても印象的だった。

このピアノ五重奏曲は、室内楽の大曲らしい、メロディもブラームスらしい大河のごとくで、分厚い音の流れ、一糸乱れぬアンサンブルの精緻さ、でまさに圧倒されました。

この曲は本当に凄かった。

ブラームスの曲って、本当に大河のごとくなのだれど、その一瞬に美しいメロディがふっと垣間見えるところがあって、それが全体の魅力を醸し出していますね。

まさに過去最高ユニットによるアンサンブル堪能しました。

素晴らしかったです。

ありがとうございます。


室内楽の素敵なところは、音数の少ないことに起因する、そのほぐれ感、 ばらけ感、隙間のある音空間を感じることで、音が立体的でふくよかに感じ取れる感覚になれるところ。 やはり室内楽独特の各楽器のこまやかなフレージングやニュアンスが手にとるように感じられるのが魅力的なのだと思う。

大編成のオケの重厚な音では絶対味わえない豊潤なひとときだ。

これからも末永く、このシリーズ続くことをお祈りしています。



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終演後。左から向山佳絵子さん、川本嘉子さん、小山実稚恵さん、小川響子さん、竹澤恭子さん
(c) 小山実稚恵FB ( (c)MASATO)


東京・春・音楽祭 ブラームスの室内楽Ⅵ
~小山実稚恵(ピアノ)を迎えて

2019/4/3(水)19.00~ 東京文化会館小ホール

ヴァイオリン:竹澤恭子、小川響子
ヴィオラ:川本嘉子
チェロ:向山佳絵子
ピアノ:小山実稚恵

ブラームス

ピアノ三重奏 第1番 ロ長調 op.8

ヴァイオリン・ソナタ <<F.A.E>> よりスケルツォ

ピアノ五重奏曲 へ短調 op.34







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アラベラさんとルイージ [国内クラシックコンサート・レビュー]

デンマーク国立響、恐るべし!前評判通り凄かった。全国ツアーを組んでいて、東京公演は後ろのほうの日程だったので、先に体験したファンの方の投稿を拝読すると、みんな驚愕とともにスゴイ大絶賛。

嫌が上でも期待が高まる。同時にこんなに評価が高いと、肝心の東京公演のときに調子が出なかったりしたら嫌だなぁというつまらない心配をするほどであった。

自分はアラベラさんとファビオ・ルイージとの共演がお目当てでこの公演のチケットをとった。
デンマーク国立響は初来日。まったくその名を知らなかった。

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デンマーク国立交響楽団(通称DR放送交響楽団(デンマーク語: DR SymfoniOrkestret))は、デンマークの首都コペンハーゲンに本拠を置く、デンマーク放送協会(DR)専属のオーケストラ。
本拠はDRコンサートホール。(ワインヤードです。)

首席指揮者としては過去にプロムシュテットが在籍していたこともあったようだが、2017年からファビオ・ルイージが就いている。

主なレコーディングは、様々な指揮者でCHANDOSレーベル(なんと!SACD高音質レーベルでお馴染みです。しばらくご無沙汰でした。)にあるほか、ブロムシュテット指揮でニールセン作品集やグリーグ「ペール・ギュント」、セーゲルスタム指揮でマーラー交響曲全集などがある。

ネット上にも情報が極めて少なく、とても未知のオーケストラであった。

フジテレビさん、東芝さん、よくこのような情報の少ない未知のオーケストラを見つけてきて招聘しようと思ったよなぁという感じで感心。

やっぱりルイージの影響は大きいでしょうね。
そこにアラベラさんをソリストとして迎えるアイデアはとてもグーです。
(Aプログラムは横山幸雄さん、Bプログラムはアラベラさん)

アラベラさんとルイージ、とても新鮮でフレッシュな顔合わせだと思ったし、お互い長いつきあいで、共演回数も多いとのこと。実際素晴らしいコンビネーションであった。

自分と同じで、みんなもデンマーク国立響のことはほとんど、いや全くと言っていいほど知らなかったはず。ところがいざ蓋を開けてみれば、その快演ぶりにびっくり仰天で驚愕してしまった、というのが偽らざるみんなの心境であろう。

とにかくオーケストラとしての発音能力がずば抜けて高いのだ。その凄い鳴りっぷりに圧倒されて、みんなコロッと行ってしまう感じ。近来これだけすごい鳴り方をするオーケストラは、ベルリンフィル以外自分の記憶にない。

弦楽器は極めて分厚いサウンドで、見事なまでのアンサンブルの精緻さ、弦楽器奏者全員の発音が寸分の乱れもなくピタッと揃っている。木管も嫋やかな音色でいて、これまたよく通る音。大音量のオケの中で見事にその音色を浮かび上がらせていた。金管も見事な安定した咆哮だし、打楽器も文句なし。

およそ欠点らしきものがその1回限りの公演ではあまり見つからなかった。

とにかくすごい鳴りっぷりのスケール感の大きなサウンドで、青天井のごとくどこまでも伸びていくぬけ感のあるサウンドでしかも恐るべく大音量。もうオーディオファンとしてはたまらん!という感じの気持ちのいいサウンドであった。


まさにスーパーオーケストラという感じか、というと、実際そうでもないんだな。(笑)

弦楽器奏者や木管など女性奏者が非常に大きなウエートをしめる楽団だと思うのだが、女性奏者の礼服がみんな個人でバラバラで統一感がないのが微笑ましい。(笑)また終演後、男女団員でお互いとても熱く抱擁しあって喜びを噛みしめ合うなど、とても素朴で暖かい人情味溢れる人柄が偲ばれる感じで、確かに凄い音を鳴らすけれど、およそ機能的なスーパーオーケストラのような都会的な擦れた感じでもなく、地方の田舎のオーケストラっぽい野武士軍団のようなワイルドな感じがするオーケストラという印象だった。

彼らが紡ぎ出すそのスゴイ音とのそういうギャップが可愛くてとても微笑ましいのだ。(笑)

最初オーボエ奏者のAによる調音なども、オーボエ奏者がぐるっと一周しながらやるなど、ちょっと自分はいままで見たことがないローカルっぽい慣習のような感じがした。

初来日で、まさに未知の領域であったこのオーケストラを初めて聴いて、みんな呆気にとられ、まさに驚愕という感じでショックに打ちのめされたというのが実情なところではないだろうか。

世界は、まだまだ広いなぁと感じたところだった。

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今日は、いつものこの座席。皇族VIP席エリア。サントリーのこのエリアだから、オーケストラのサウンドも余計に素晴らしく感じたのかもしれない。

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今日も収録をしているようで、先日のN響の茂木さんのラストラン・コンサートのときと全く同じマイク・セッティングがされていた。まったく同じ配置であった。おびただしいスポット・マイクの乱立。その従来とは違う独特の天吊りのメインの配置については、これが新しいサラウンドを録るときのマイキングなのだということを理解しました。(笑)

レセプショニストの方に確認したのだが、この収録はスウェーデンの放送のためにやっていることは確かなのですけど、日本での収録という訳ではなく、まだ未定です、ということでした。

一応フジテレビさんに後日確認して、もし放映があるようでしたらお知らせしますね。
これは絶対みんなに観てほしい演奏会です。


最初の曲は、ソレンセンによる現代音楽。
これはじつに極限とも言える最弱音の世界。コンサートミストレスをはじめ、ヴァイオリンの奏法でここまでの最弱音を奏でられるのか、という極限まで挑むようなじつに前衛的な世界だった。いままでに聴いたことがない極限の世界で見事としかいいようがなかった。世界初演。

終演後、作曲者がステージ上に上がり、拍手喝采を浴びていた。


2曲目はいよいよアラベラさんとのブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。
ブルッフのコンチェルトとしては、その後の2番と3番もあるのだが、なぜか世間一般で広く愛され、演奏されるのはこの1番だけだそうで、ブルッフ本人も残念に思っているという逸話もある。

ブルッフのコンチェルトは、アラベラさんとしては、いままで録音もしているし、演奏も何回もやってきているのだが、日本で演奏するのは初めて。日本初演とのこと。

ブラームスやチャイコフスキーのような技巧の難しさはないけれど、じつに美しい曲。
つねにアラベラさんの傍にあった曲ということでとても想い入れが深いそうだ。

このアラベラさんのブルッフのコンチェルト、じつに素晴らしかった。すごくいい!
自分の本懐を遂げた感じがした。

ドイツロマン派時代の哀愁漂うじつに美しい曲で、なんと官能的な曲なんだろうと思った。
アラベラさんは、華麗に、そして得意の弱音表現もじつに巧みに取り入れながら、曲の緩急にあわせ、見事にブルッフの曲想の根底にある流麗で哀愁漂う美しさのイメージを再現していた。

この曲には大河のごとくのように壮大でスケール感の大きい美しさの1面と、それでいながらなんともいえない哀愁漂うもの悲しさとが交差するような曲想の2面性を感じますね。それをオーケストラとアラベラさんの独奏の交互のやり取りで見事に具現化していたと思います。

このブルッフのコンチェルト、とても大好きになりました。

じつは、このアラベラさんのブルッフのコンチェルト、このSACDで予習をしていました。 

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コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲、ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番、
ショーソン:詩曲 シュタインバッハー、L.フォスター&グルベンキアン管

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いまのPENTATONEとは違って、昔のPENTATONEのジャケットは、このように対角線の片隅がベージュでした。ボクらのPENTATONEといえば、あきらかにこちらの時代でした。

いまのようなとても洗練された音作りで、音の粒子が細かい、いわゆる解像感が高くて、部屋中にふわっと広がる広い音場感、情報量の多い録音と違って、この当時のPENTATONEの録音は、どちらかというとマルチチャンネルの各SPからのダイレクト感が強い尖った感じのサウンドであった。


この録音当時のアラベラさんは、いまほど洗練されていなくて、まだブレークする前の時代であったが、そんな中でもこの録音は当時としては、ずば抜けて録音が良くて、自分の愛聴盤である。

今回のブルッフのコンチェルトのために久しぶりにラックから取り出してきて、聴いてみた。

やっぱり素晴らしい!

まさに、昨日のコンサートのときとまったく同じ感動が得られると思います。
アラベラさんのブルッフを聴くなら、このアルバム録音しかありません。

このアルバムには、じつはブルッフ以外にもコルンゴルドのコンチェルトも収められている。

コルンゴルドはヨーロッパ出身の音楽家である。
でも亡命し、アメリカを基盤に活動を続け、映画音楽を手掛けた。

映画音楽をさげすむ人もいる。

商業的な要素が強いし、純粋な芸術ではなく、エンターティンメントだという理由でだからだ。
でも実際、映画音楽の作曲は難しい。

だから一部の優れた作曲家にオファーが集中する。

短時間で作品をとらえ、曲をつけるのは簡単ではないのだ。

ヒラリー・ハーンがインタビューで答えていたセリフだ。


コルンゴルドの作風には、そういう独特の旋律というか魅かれるものがあるのは、そういう映画音楽という背景があるからかもしれない。このアラベラさんのコルンゴルドもじつに素晴らしいので、ぜひ聴いてほしいです。



後半は、ベートーヴェンの交響曲第7番。通称ベト7。

ルイージはN響の定期公演でもこの曲を取り上げていて、得意演目なのだろう。

とてもルイージらしいベト7だったように思う。

少なくともベト7のスタンダード、教科書のような演奏ではなかった。
ルイージの指揮の特徴としてテンポを揺らすに揺らす傾向があると思う。

今回も第2楽章、第3楽章のようにじつにゆったりとタメを作って、次なる爆発の瞬間に備えるかのような流れを作ったかと思えば、第4楽章のように、煽る、煽るという感じで、まさに疾走感のあるすごい快速テンポで突き抜けるようかのようなオケのドライブ術。

確かにそのような緩急をつけると、曲自体がドラマ性、激情型スタイルを持ち、すごいドラマティックに仕上がる。もう聴いていてとてもハイな気分なベト7のように感じた。

もちろんスピードの問題だけではない。強弱のつけかたもじつに柔軟だ。

それがオペラ指揮者であるルイージのドラマ性を重視する彼のひとつの指揮スタイルの一環なのだろう、と思う。教科書のような演奏ではないので、人によって好みは分かれるに違いない。

もうひとつのAプログラムのほうもメインは、チャイコフスキーの交響曲5番であった。
これもみんなは驚愕の大絶賛だった。

この曲もまさに、そのようなルイージによる独特のテンポのゆらぎを施していたに違いなく、チャイ5であれば、まさにそのようなことをすれば増々大盛り上がりする典型的な曲だ。

なんか大絶賛もわかるような感じがする。

私は、そのようなルイージによる指揮スタイルが大好きだ。
激情型スタイルでドライブ感があって切れ味が抜群。

自分にとって、ルイージといえば、小澤征爾さんに学んでサイトウキネン松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)を振っていた頃にたくさん彼の指揮を聴いたことがある。オペラ、オーケストラコンサートを両方ルイージの指揮で聴いたことがある。


だから自分にとってルイージと言えばサイトウキネンなのだ。

そんなルイージが、4年振りに今年の松本の夏に復帰する。

久し振りにルイージを聴いて、ますます彼の指揮者としての素晴らしさを認識できた。

数年前までは、コンサートと言えば行きまくって時代があったが、昨今では予算不足のため、自分が行きたいと思うコンサートに絞っている。今年の残りに行く予定のコンサートを考えてみると、今回のデンマーク国立響の公演が、今年のNo.1だったということになりそうな気配だ。


まったく予想だにしていなかったダークホースの健闘で、本当に驚いた公演だった。

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(C)アラベラさんFB (Rikimaru Hotta)





東芝グランドコンサート2019
ファビオ・ルイージ指揮デンマーク国立交響楽団

2019年3月19日(火)サントリーホール 19:00~

指揮:ファビオ・ルイージ
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー
デンマーク国立交響楽団


ソレンセン:Evening Land〈日本初演〉
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調 Op.26

ヴァイオリン・アンコール~
クライスラー:レチタティーヴォトスケルツォ・カプリスOp.6

ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 Op.92

アンコール~
ゲーゼ:タンゴ・ジェラシー  






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アラベラさんのベートーヴェン・コンチェルト [国内クラシックコンサート・レビュー]

年に1回必ず来日してくれるアラベラさん。毎年春先の3月が多いだろうか。日本に所縁のあるアーティストだけにそのように企画してくれる招聘元にはファンとして、いつも本当に感謝しています。 

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炎のマエストロ、コバケンこと小林研一郎巨匠と日本フィルとの競演@サントリーホール。

ベートーヴェンのコンチェルト。

以前にも日記に書いたように、ヴァイオリン奏者にとって、このベートーヴェンの協奏曲ってとても難しい演目なのだ。

諏訪内晶子さんがご著書で、「この曲だけは、他の協奏曲と違って、何回弾いても自分で納得のいく演奏ができない。楽譜としては弾けても、音楽として弾けていない。」と告白されていて、奏者でないとわからないその独特の心情を吐露されていた。

他の協奏曲は、ヴァイオリンとオーケストラの比重が圧倒的にヴァイオリン主体で書かれているのに対し、ベートーヴェンはそれが対等の比重で書かれていて、全楽章を通じて独奏ヴァイオリンと協奏のオーケストラとの交互の「語らい」の中で進行する。そのあくまで対等の重きが、独奏者にとって音楽として表現できている、という感覚には、なかなか到達できないということなのだろう。

確かにチャイコフスキーやブラームスに代表されるように、ヴァイオリンの見せ場の旋律が随所に散りばめられていて、ヴァイオリンがぐいぐいとその曲を引っ張っていっているような曲に比べると、ベートーヴェンのそれは、最初自分が聴いたときの印象は、盛り上がりに欠けるなんと地味な曲なんだろう、という感じのものだった。


演奏する立場から言うと、技術的には、チャイコフスキーやパガニーニのほうが遥かに複雑で難しい。でもベートーヴェンの場合、いくら努力してみても自分で納得のいく表現ができない、とまで仰っている。


ヴァイオリンとオーケストラの対等の重き。


そういう”対等の重き”、というある意味制約のある曲の構成の枠組みの中で、聴衆に音楽的な感動を与えることが、この上なく難しいという意味なのではないか、と自分では理解している。

でもそんなベートーヴェンの曲のこの対等の語らいの中でも、自分にはとても痺れる部分がある。

それは、特に第3楽章の中あたりに、独奏ヴァイオリンとファゴットがお互い語らう箇所があり、ここはこの曲の中でももっとも恍惚というか美しい旋律と自分が思う部分。 長い前振りも、この部分がすべてを浄化してしまうような美しさがこのフレーズの中にはある。

そしてまさに終演部分の、ヴァイオリンとオーケストラとの丁々発止の掛け合い。
この部分は、まさに最後の盛り上げにふさわしいじつに感動的なフィナーレ。

ここも、長い語り部の部分をすべてここで終結し、いままでのすべてを浄化してくれる劇的な終結部と感じる。


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この日は、1階席18列のややステージより遠い席。

コバケン巨匠や日フィルを聴くのは、本当に久しぶり。
いつ以来か自分でも記憶にない。

アラベラさんはブルーのドレスで、相変わらず麗しく美しかった。
アラベラさんのベートーヴェンのコンチェルトは、2~3年前に所沢と東京でN響&プロムシュテットとのタッグで2回聴いたことがある。その音楽的センスの良さに当時は大変感動したのを覚えている。

今回は、座席がステージから遠かったせいもあるのか、全体に線が細い、とても繊細なベートーヴェンのような印象を受けた。ある意味これは彼女の持ち味なのだが、弱音表現が非常に秀逸で、強奏の部分でも決して強い主張をしない、それが彼女の細身のシルエットと相まって、全体的に繊細な印象なのだ。

2~3年前に聴いたときは、もっとパワフルでかなり凌駕する感じのベートーヴェンだったが、そのときを知っているだけに、やや物足りなさというか、今回は大人しいなぁという印象を受けたことも確か。

すぐに思ったことはステージから遠い音響のせいなのかなとも考えた。

テクニカル的には、完璧で、見事な演奏、美しく繊細なベートーヴェンを見事に演じていたと思う。
自分が先に述べたこの曲の見せ処も、ものの見事に弾きあげた。
アラベラさんはヴァイオリニストとしての技巧レベルは本当に高いですね。

エレガント!

まさにそんな感じの演奏で、アラベラさんのイメージにぴったりで、ベートーヴェンにこういう演奏もありで、ある意味彼女らしいといえば、彼女らしいのかもしれないと感じた演奏だった。


後半は、ストラヴィンスキーの春の祭典。いわゆるハルサイ。


つい先日N響で同じ曲を聴いたばかり。
これはなかなか素晴らしかった。音の立ち上がり、トランジェントの速さ、全体の迫力といった点では、N響のときを上回るのではないか、と思うほどの素晴らしい演奏で、日フィルをかなり見直した。

オーディオファンにとっては、まさに18番の曲で、ある意味この曲に関しては煩いぐらい要求するレベルは高いのだが、そういう瞬発性、アバンギャルドな装い、爆発的な感情を見事なまでに表現していた。

日フィルのオーケストレーションの高さに感心した。

やはりコバケン巨匠の指揮によるところも大きいと思う。

コバケン巨匠は炎のマエストロと呼ばれるのがわかるくらい劇場型の魅せる指揮スタイルだが、でもそのような上位概念だけでは計り知れないもっと計算された緻密なオーケストラとのあ・うんの呼吸はきっとあるに違いない。積年の関係であることの事実だけが成しうるような。。。

見事な一夜でした。


アラベラさんは、いよいよ来週初来日で話題沸騰のデンマーク国立響と、あのファビオ・ルィージ指揮で、同じサントリーホールに登場する。(もちろんいま全国ツアーをしている。)

とてもフレッシュな顔合わせで、とても楽しみだ。
ルイージとどういうコンビネーション、化学反応を魅せるのか?

ブルッフのコンチェルトを演奏する。

いまから楽しみで楽しみで待ちきれない感じである。


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(c)アラベラさんFB
 (大宮公演後でのショット。サントリー公演ではブルーのドレスでした。)




日本フィルハーモニー交響楽団 コバケン・ワールド Vol.21

2019年3月10日(日)14:00~
サントリーホール大ホール

指揮:小林研一郎
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー
管弦楽:日本フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

~アンコール
J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第3番より「ラルゴ」

ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」

~アンコール
ビゼー:「アルルの女」第2組曲より「ファランドール」 










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N響首席オーボエ 茂木大輔さん ラストラン・コンサート [国内クラシックコンサート・レビュー]

定年ではなく停年なのだそうだ。ネットで調べてみたのだけれど、この両方の漢字の使い方は両立していてどちらが正しいか、というのは言い切れないらしい。でも停年というと、60歳のままそのまま歳をとらないというようにも捉えることができて、素敵な表現かもしれませんね。

NHK交響楽団の首席オーボエ奏者の茂木大輔さんが、この3月についに定年を迎え現役奏者としての人生にいったん幕を閉じる。いまそのラストランコンサートをおこなっている最中なのだ。 

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自分は東京公演のラストのコンサートに参加してきた。

とても身近にいらっしゃる演奏家で、普段の活動や姿を毎日、拝見しているので、とても寂しいというか、なんか万感の想いがある。

自分はオーケストラの楽器の中でも木管楽器が好きでとくにオーボエが大好きなので、なおさら、その想い入れも深い。

このラストランコンサート、最後に立ち会えて本当によかったと思う。

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最後なのだから、ここは茂木さんのことを自分の日記で深く、そして熱く語ろう!と思ったのだが、自分は実際茂木さんと直接お会いしたり、お話ししたりしたこともないのだ、じつは。(笑)

人について熱く語るには、その方と長年の付き合いだったり、お互い良く知る間柄であれば、その言葉に説得力がでてくるというもの。実際ラストランコンサートの後の記念撮影写真をみなさん投稿されるとき、そんな茂木さんとの想い出を語っていたりすると、うわぁいいな、説得力ある!と羨ましく思ったりしていた。

実際サインや楽屋におしかけてお話しすることにチャレンジしてみればよいのかもしれないけれど、自分にはそんな勇気もない。

じつは驚くことに自分の演奏家ファンの中で、99.9%の方とは面識もないし、直接お話ししたこともないのだ。

自分の一方的な片想い。(笑)

自分はやっぱりシャイなので、勇気がないんだな。片想いしているぐらいが自分の相応にあっていいと思っている。

茂木さんのプロフィールを書き出すと、もうこれはスゴイことになるので、やめておくが、とにかく多才!その一言につきる。

オーボエ奏者でありながら、エッセイスト、指揮者、そしてコンサートプロデューサーとしての顔をもつ。そのマルチタレントな才能には本当に驚きます。

国立音楽大学を卒業され、ミュンヘン国立音楽大学に留学され、10年間ドイツを中心にヨーロッパで活躍されたんだな。(シュトゥットガルト・フィルやバイエルン放送交響楽団、バンベルク交響楽団)

1990年に日本に帰国して、1991年からN響の首席オーボエ奏者。そしてラストランまで28年間全うされた。

自分は1995年あたりからN響のコンサートを録画してきているので、DVD-RやBD-Rとしてたくさん保管してあって、それを時々観ていたりするのだが、そうするとオーボエだから必ずカメラに抜かれるのだけれど、そうすると、うわぁ~茂木さん若いな~と驚いてしまうのだ。(笑)

今のご時世、普段の姿をSNSでリアルタイムで毎日拝見できる時代なのだから、尚更その落差に驚いてしまう。

そうやってずっと首席オーボエの席で観てきたので、定年で引退されるというのは本当に万感の想い。

茂木さんの最大の魅力は、やはり子供がそのまま大人になったような暖かい人間味が滲み出るところだと思う。

クラシックの演奏家というと、やはりエリートで格好いいという流れはご多分にあると思うのだが、そういう路線とは違うもっととてもユニークで個性的で、そして子供のような一面が微笑ましい、そういう暖かみを感じる方なのだ。

だから周りに集まってくる人やファンの方もみんな暖かい感じ。
そういう人望の厚さがありますね。自分から見た感じですが。

こういう子供っぽい大人という点で、自分も普段格好良い男性でありたいと思いながら、そう成りきれない子供のような性格なので、妙に同じようなシンパシーを感じてしまうのだ。(笑)

なんか似ている・・・というような。

模型製作が大の趣味でいらして、SNSでその模型のことを熱くつぶやいて語っていらっしゃるときは、本当に魅力的だなぁ、と思います。ご自宅のウィンドウにたくさんの作って完成した作品が飾られているあの模型部屋に1度でいいから入ってみたいです。(笑)

もちろん本職のことをまじめに語られる時も当然あって、そのとき、正直、音楽学については浅識の自分にはその内容を理解できないことが多いんだな。そんなときは、やっぱり茂木さん凄いんだな、と改めて感心したりする。

文才もあって本を何冊も執筆されていて、「オーケストラ楽器別人間学」とか、とにかく着眼点がとてもユニーク。

とにかくコンサートのときはやるときはやる!という感じで決めるし、でも普段はいろいろな面で多才でユニーク。その緩急の差というのが、やっぱりすごい個性的だなと思うんですよね。ちょっと自分の観てきている演奏家の方々とは明らかに一線を画すというか毛色が違う。

それがとても暖かい感じがして人間的な魅力を造っているのだと思います。

2013年にFacebookをやり始めて、そのときにルツエルン・ザルツブルク音楽祭の旅行に行って、その模様を例によってリアルタイム投稿していたのだが、そのときにルツエルンにあるリヒャルト・ワーグナー博物館の中の写真を投稿したら茂木さんから、「シェアしてもよろしいですか?この博物館の中は、なかなかお目にかかる機会がなくて、うちのメンバー(N響)にも紹介したいので。」というコメントをいただき、それがとてもとてもうれしかったことを覚えている。

ブログのほうでも、のだめコンサートだったかな、コメントを寄せていただき、本当に心から嬉しく思いました。投稿冥利につきる、ということは、こういうことをいうのだと思います。

茂木さんとの想い出でとても大きなウエイトを占めるのが、この「のだめコンサート」。

自分もリアルタイムで、のだめ世代なので、この茂木さんがやっているのだめコンサートの存在を知った時、とても驚いて夢中になった。

たしかいままで合計で3回通っていると思う。

のだめカンタービレの作者の二ノ宮知子さんと信望が厚く、ドラマや漫画の監修にも参加されている。

こののだめコンサートは、茂木さんの解説MCつきのコンサートで、取り上げる作品について、いろいろ解説をしていって聴いている聴衆のみなさんにとてもわかりやすい、作品を理解しやすい、とてもやさしいコンサートなのだ。

最大な驚きは、ステージ背面に吊るされているスクリーンでの投影システム。

のだめの漫画のシーンと、作品の解説などが投影され、その曲の演奏とリアルタイムに進行していって、これが観ていて、そして聴いていてそのあまりに曲ときちんとシンクロしていて、じ~んとめちゃめちゃに感動するのだ。

かなり芸術品レベルです。

オーボエ奏者としての人生にひとまず幕を下ろした茂木さんだが、その後の第2の人生としては指揮者としての人生を歩まれるそうだ。

大人のための解説コンサート。

このスタイルで行くらしい。

誰にもマネできない茂木さんらしい個性的でユニークなスタイルの指揮&コンサートになりそうだ。

さらなるご発展の第2の人生になることをお祈りしています。


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2016/8/6 のだめコンサート調布(高橋多佳子さん、茂木大輔さん、池田昭子さん)


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2017/1/21 のだめコンサート川越 (茂木大輔さん、岡田奏さん、高橋多佳子さん)







オーディオファンの諸兄。コンサートに行こう!

音楽ではなく音を聴いている。
我々によく向けられる有名な言葉だ。

ならば、その先をもう一歩行ってみて、音楽を聴くと同時にさらに人(演奏家)を応援してみよう。

人を応援する、愛する、そういった内容の日記を書くと、人間というのは心から幸せな気分になれるし、それだけで1週間は暖かい気分でいられるものなのだ。

外国人の演奏家の方より、日本人の演奏家の方のほうが感情移入できると思う。

こちらの想いが伝わっているような感じがするし、繋がっているという感覚がするから。

そうするだけで、理論、物欲だけの世界から、もっと人間味のある生きた音を再生できるようになるのではないのだろうか?










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グルベローヴァさま、さようなら。 [国内クラシックコンサート・レビュー]

エディタ・グルベーロヴァは、2012年のウィーン国立歌劇場来日公演での「アンナ・ボレーナ」を最後に、日本での公演の引退を表明したとき、オペラの世界に参入するのが遅かった自分は、クラシック鑑賞人生の中でなんともやり残した感のある悔しさを味わった。

「コロラトゥーラの女王」「ベルカントの女王」の異名をとり、その圧倒的な歌唱力は、まさに世界最高のソプラノ。まさに40年以上もオペラ界のスーパースターとして頂点に立ち続けた。

そんな彼女の生の声を聴いたことがないというのは、オペラファンとして一生の傷が残ると考えた。

でも2年前に、奇跡ともいえるカムバックで日本にやってきてくれた。
その2年前のときにオペラ、オペラ・アリア、そしてリートというオペラ歌手で考えられるすべての公演を堪能できた。

神様からの贈り物だと感謝した。

じつに素晴らしかった。

そしていつかはこの日が来るとは思っていたが、今回の来日公演が正真正銘の日本最後のリサイタル。 

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日本最後とか言われてるけど、じつはオペラ界からも引退という話もある。

正真正銘の歌手人生からの引退。

でも最後、最後と言いながら、来年また最後の~という可能性も過去の事例からある。(笑)

これは自分の勘なのだけれど、今回のミューザ川崎、そしてサントリーホールでの公演で、グルベローヴァさまが公演が終わり、観客に最後の挨拶をしているとき、その手の振り方、そして表情ふくめ、これでもう本当にさようなら、という名残惜しさ、いわゆる哀愁が漂っていて、自分は、あぁ、やっぱり終わりなんだな、と直感で感じたことも確か。

奇跡のカンバックをしてくれて、3年連続で日本にやってきてくれた。

確かに潮時的なものも感じる。


ウィーン国立歌劇場、グランドボーン音楽祭、ザルツブルク音楽祭、ミラノ・スカラ座、コヴェント・ガーデン、メトロポリタン、ミュンヘン、ハンブルク、ジュネーブ、チューリッヒ、フィレンツェ、パリ、そしてベルリン。

まさに世界中の歌劇場で活躍してきた。

彼女の代表的な「魔笛」の夜の女王。「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナ、「リゴレット」のジルダ、「椿姫」のヴィオレッタ、そして「ランメルモールのルチア」のルチア、まさに彼女の代名詞「コロラトゥーラ」で世界中の大絶賛を浴びてきた。

そしてつぎに挑んだのが、ベルカント・オペラの世界。「清教徒」、「シャモニーのリンダ」、「夢遊病の女」、「連帯の娘」、「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」など当時としては珍しい演目を披露。

またドニゼッティの女王三部作はグルベローヴァが取り上げてから有名になった作品。

まさに、歌手人生の前半は「コロラトゥーラの女王」として、後半は「ベルカントの女王」としてオペラ界の頂点に立った。

ベルカント・オペラの中でも彼女が最も力を入れたのがベッリーニのオペラ。
彼女をずっと支えてきたナイチンゲール・クラシックス・レーベルに、このベッリーニの「夢遊病の女」、「ノルマ」、「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」、「清教徒」の4つの全曲録音を残している。

その全曲録音の中から名場面と狂乱の場を抜き出して、さらに2曲を追加したいわゆるベッリーニ・ベストというディスクがあって、グルベローヴァのオペラ・アリア集のライブ録音の中では、このディスクが1番素晴らしいと思っている。 


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ベッリーニの肖像~オペラ・アリア集 
グルベローヴァ

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グルベローヴァと言えば、コロラトゥーラ技法やベルカント唱法ばかり取り沙汰されるけれど、じつはリート歌曲の世界もとても魅力的なのだ。彼女をずっと支えてきたナイチンゲール・クラシックス。そこから出されたシューベルト歌曲集はじつに素晴らしい作品、そして素晴らしい録音であった。2012年に出されたもっとも新しい作品で、歌曲王シューベルトの美しい歌曲を歌うことで、グルベローヴァの新しい魅力を引き出していた。自分の愛聴盤であった。 


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シューベルト歌曲集
グルベローヴァ、シュマルツ

http://qq4q.biz/N6QQ



そしてグルベローヴァの歌曲を語る上で絶対避けて通れないのがR.シュトラウスの歌曲。
1990年のベルリンでのセッション録音。レーベルはTELDECクラシックスで出している。

グルベローヴァは歌曲リートの分野では若いころからR.シュトラウスの作品に力を注いできていて、このCDも示すように彼女は有名でない曲も採り上げており、シュトラウスの多彩な歌曲の世界を世に知らしめた功績は、まさに彼女ならではなのだ。

グルベローヴァにとって、このシュトラウスの歌曲は、最も得意としている分野で、日本でもよく歌曲リサイタルをやっていた。

シュトラウス歌曲については、自分にとって大変な愛聴盤であった。 


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献呈~R.シュトラウス:歌曲集 赤いバラ/献身/なにも/他
グルベローヴァ


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このシューベルトとR.シュトラウスの歌曲集の2枚は素晴らしいセッション録音で彼女の違ったもう一面の魅力が満載なので歌曲大好きな自分にとってグルベローヴァのこの2枚のアルバムは聴き込んでいた。


今回の日本最後のリサイタル、まずミューザ川崎でのリート・リサイタル。

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グルベローヴァさまは、正直スロースターター。エンジンがかかるまでとても時間がかかる。
でも普通の歌手のコンサートも90%以上の確率で、大体スロースターターだ。やっぱり歌ものというのは、喉が暖まるまでどうしても最初はダメで、エンジンかかるまで時間がかかって、最後になって大いに盛り上がる。

最初は高音を出すのが苦しそうで、まったくといっていいほど、声が出ていなかった。

シュトラウス歌曲を5曲もやってくれた。
この頃から、徐々にエンジンがかかってきて、ようやくグルベローヴァさまらしくなってきた。

このミューザのリートを聴いた全般的な印象は、2年前に聴いたときに比べて、さらに衰えを隠せず、聴いていてツライと思うことも正直あった。

自分は、グルベローヴァのCDは、ほとんど全部持っている。1度、それを全部聴き込み、ディスコグラフィーの日記を書いたこともあった。いまはその音源を全部PCオーディオのNASにぶち込み、彼女の全アルバムをPCオーディオで、”ながら聴き”というスタイルでの楽しみ方をしている。

だから、自分は常にグルベローヴァの全盛期の極限に素晴らしい声を聴いて毎日を過ごしている。

そこに生演奏での実際の年齢に応じた声を聴いてしまうために、そこにギャップができて、衰えた、ちょっと残念、というようなファンとしてツライ感じになってしまうのかもしれない。



もともとスロースターターで安定するまで時間がかかる。
そしてなによりも彼女の声質はとても線が細くて、音程が安定するのにとても難しいハンデがある。

なによりもどのソプラノ歌手よりもキー(音高)が高い声質なので、余計に安定感を出すのが大変な印象を受けた。とても歌い方が難しい歌手なのだ。

全盛期、まさにオペラ界で独り勝ちしていた時代は、それこそ、そんな歌う上での技術的な難しさ、ハンデな条件をもろともせず、すべて跳ね飛ばすかのような持って生まれた資質で圧倒的なパフォーマンスを魅せ続けてきた。

歌手にとって一番大切なのは、自分の歌声がしっかりとホールの空間に定位すること。

御年72歳。やっぱり衰えは仕方がないにしろ、それでもこれだけのパフォーマンスを見せているのだから、脅威としか言えないだろう。

コンサート後半になっていくにつれて、観客をどんどん引き込んでいくさまはさすがだった。

彼女がエンディングに向けて、力を入れて歌い切った時、思わず観客は大歓声のブラボー。
もう無意識に発作的にそう反応してしまうのだ。
つまり、観客の気をずっと溜めて、そして一気に湧かせるツボを心得ている。
千両役者だと思った。

これこそ、40年間のキャリアの賜物。その経験があるからこそ、終演に向けて気持ちのボルテージの持って行き方、客の湧かせ方、盛り上げ方をよくわかっているというか、つまり我々は、グルさまに思う存分にコントロールされていたのかもしれない。

特に圧倒的に感じたのは、あの気の発し方、歌いながらのまさに役になりきった演技、表情の豊かさ、ステージの立ち居振る舞いのオーラなど、 あれは日本人ではまず出せんだろう。

絶対いまの歌手じゃ無理だと感じた。

長年に渡るキャリアの積み重ね、深さが自然とそういった立ち振る舞いにでるというか、なにかこう古き良き時代のオペラを観ているような感覚になる。

品格の良さがある。

力は衰えても、そういうすべてのパフォーマンスにおいて、グルベローヴァ健在!というのを見せつけられたような気がした。



そして最終日のサントリーホール。
この日は東京フィルをバックに、オペラ・アリア集。

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とっておきの最後の公演は、皇族VIP席。
2階RB 2列9番。
初体験であった。いつもここに陛下や皇太子さまが座ってるんだね。

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グルベローヴァさまは、歌うときのクセなのか、さかんにこちらの方向を見つめる傾向がある。
けっして右上ではなく、左上なのだ。

自分の意識過剰なのかもしれないが、ステージに登場した時の挨拶や、コンサートで歌っている最中、大半をずっと自分のことをじっと見つめているみたいで、思わず耐え切れずこちらが目を逸らしてしまうほどで、かなりドギマギしました。(笑)


ミューザでのリートリサイタルに比べると、この日のオペラアリアのほうが断然素晴らしかった。
やっぱりオペラアリアは盛り上がる。オケの大音量とともにそれに負けじと張り上げての大熱唱。だから絶対盛り上がるに決まっているのだ。

スロースターターなのは仕方がない。最初は例によってまったく声が出ていないのだが、徐々に喉が暖まってきてヒートアップしていく。

大体な印象は、さきほどミューザのところで書いたことと同じだが、もうひとつ言いたいのは、いまのグルベローヴァさまは、弱音表現での歌いまわしが苦手のような気がする。どうしても息絶え絶え感があって、苦しそうだ。

逆に、そこから強唱で声を張り上げるところ(特に曲の最終章)でのまさにツボに入った時の素晴らしさは圧倒的だ。グルさまの一番いいところが出る感じがする。

ピアノでもそうなのだが、強打腱で連打のトリルとかは派手だが意外とピアニストにとってやりやすく、逆にピアニッシモ(pp)のところ、弱くそれを長く弾き続けることは逆に違った意味で力が必要で大変難しいような気がする。

歌もじつはそれと同じなのではないか?声を張り上げるところは、まさに歌手の一番の見せ場でやりやすいのだが、弱声でずっと長いこと歌い続けることは、逆に肺活量が必要で、大変な見えない力が必要な気がする。

加齢とともに、そういう歌い方をするところは難しいような気がするのだ。

オペラアリアはとにかく絶対盛り上がる。

グルベローヴァさまの曲の終盤にかけての盛り上げ方はじつに千両役者で、1曲終わるたびにもうブラボーの大歓声だ。自分もずいぶん身震いして感動した。

アンコールでは、最後のこうもりのアデーレ役は、夜の女王と並んで、まさにグルベローヴァさまの有名な当たり役。じつに演技豊かな立ち振る舞いで、お客さんは大いに盛り上がった。

最高の公演だった。

いつまでも鳴りやまないカーテンコール。
そして花束のプレゼント。

最後の最後だからお客さんもエスカレート気味だ。
上階席のお客さんも、みんな1階席に降りてきて、ステージにかけよって握手攻め。
そして写真撮り放題。(笑)

係員の方も最初は注意していたが、もう大勢で撮り始め収拾がつかなくなった。
ホールの至る所で、カメラのフラッシュが炊かれた。(笑)

自分も久しぶりのカーテンコール撮影。ブランク空いていたのでやはり失敗。(笑)

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日本最後のリサイタルにふさわしい素晴らしい公演でした。

最後に楽屋口出待ちの写真を紹介してお終いにしよう。
事の全容は、前回の日記の通り。

まずミューザ川崎。
握手してもらいました。
ステージ上で見る分には大スターのオーラで大きく見えるのに、実際はとても小柄な方でした。

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そしてサントリー。
もう大パニック。

まさに「狂乱の場」(笑)

大変でした!

でも最後のお別れとして相応しい素晴らしいものでした。

もう二度とグルベローヴァさまの生声が聴けない、という絶望の淵から、奇跡の復活で、結局最晩年ではあるが、通算5回のコンサートを聴くことができた。招聘に参与していただいた方々含め、ここに感謝の意を評したい。

もうこれ以上思い残すことはないです。

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奇跡のソプラノ エディタ・グルベローヴァ 日本最後のリサイタル
2018/10/24(水)19:00~ ミューザ川崎

ソプラノ:エディタ・グルベローヴァ
ピアノ:ペーター・ヴァレンドヴィチ


第1部

ヘンデル:歌劇<<ジューリオ・チェーザレ>>より
     クレオパトラのアリア「この胸に息のある限り」

R.シュトラウス:8つの歌より第1曲「森の喜び」Op.49-1
        「最後の花びら」より8つの歌 第8曲「万霊節」Op.10-8
        6つの歌より第2曲「セレナード」Op.17-2
        8つの歌より第2曲 「黄金色に」Op.49-2
        「最後の花びら」より8つの歌 第1曲 「献呈」Op.10-1

ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」Op.410


第2部

ロッシーニ:歌劇<<セヴィリアの理髪師>>より
      ロジーナのアリア「今の歌声は・・・」

ベッリーニ:歌劇<<異国の女>>より
      フィナーレ「彼は祭壇にいます・・・慈悲深い天よ」

ピアノソロ:ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をテーマとした即興演奏

トマ:歌劇<<ハムレット>>より「オフィーリアの狂乱の場」

アンコール

プッチーニ:「蝶々夫人」より登場シーン

レオ・ドリーブ:カディスの娘たち

J.シュトラウス2世:「こうもり」より「田舎娘を演じるときは」




奇跡のソプラノ エディタ・グルベローヴァ 日本最後のリサイタル
2018/10/28(日)14:00~ サントリーホール

ソプラノ:エディタ・グルベローヴァ
指揮:ペーター・ヴァレンドヴィチ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

第1部

ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇<<こうもり>>序曲

ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」Op.410

ロッシーニ:歌劇<<ウィリアム・テル>> 序曲

ロッシーニ:歌劇<<セヴィリアの理髪師>>より
      ロジーナのアリア「今の歌声は・・・」

ヴェルディ:歌劇<<運命の力>>序曲

ヴェルディ:歌劇<<椿姫>>よりヴィオレッタのアリア「不思議だわ…花から花へ」

第2部

サン=サーンス:付随音楽「パリュサティス」より「ナイチンゲールと薔薇」

オッフェンバック:喜歌劇<<天国と地獄>>序曲

ベッリーニ:歌劇<<テンダのベアトリーチェ>>より
      「もし私に墓を建てることが許されても・・・」

サン=サーンス:歌劇<<サムソンとデリラ>>より「バッカナール」

トマ:歌劇<<ハムレット>>より「オファーリアの狂乱の場」


アンコール

プッチーニ:歌劇<<蝶々夫人>>より登場のシーン

レオ・ドリーブ:カディスの娘たち

ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇<<こうもり>>より「伯爵様、あなたのような方は」




 




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生誕160周年記念 イザイ音楽祭ジャパン2018 東京公演 [国内クラシックコンサート・レビュー]

2018年はベルギーのヴァイオリン奏者で作曲家、またヴァイオリン奏法におけるベルギー楽派の第1人者として名高いウジェーヌ・イザイ(1858-1931)の生誕160年にあたる。

その生誕160周年を記念し、日本イザイ協会は、共催の在日ベルギー大使館とともに、「イザイ音楽祭ジャパン2018」を福岡と東京で開催した。 

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これはかなり画期的なことで、もともとのきっかけは、去年の2017年にベルギーで行われた「クノック・イザイ国際音楽祭」との綿密な連携と協力によって準備されたものなのだ。

去年の2017年の9月に4日間に渡って、イザイを特集した国際音楽祭がベルギーのクノッケ・ヘイストで開催され、いわゆるイザイ国際音楽祭(Ysaye's Knokke)という形で、イザイに纏わる音楽祭としては初めての試みでもあった。

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(c) 日本イザイ協会FB

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(c) 日本イザイ協会FB


そのクノック・イザイ国際音楽祭の芸術監督であるイザイの孫弟子にあたるフィリップ・グラファン氏との連携、交渉に成功して、そのイザイ音楽祭の日本版をやろうという試み、奇しくも生誕160周年ということで機運は高まった。

正直なところ、イザイの日本での知名度は高いとは言い難い。
福岡に拠点のある主催の日本イザイ協会もつい最近、ピアニストの永田郁代さんによって設立されたばかり。

イザイといえば、ベルギーを代表するヴァイオリニストであり、作曲家である。

没後の1937年からはイザイを記念した「イザイ国際コンクール」が開催され、これが現在のエリザベート王妃国際音楽コンクールの前身となった。


演奏家としてはその高い技術と説得力ある表現(多彩なヴィブラートの用法と巧みなテンポ・ルバートが特色)で多くの聴衆を惹き付け、ヴァイオリン音楽に大きな影響を与えた、と言われている。

作曲家としては、主にヴァイオリンを中心とした作品を遺していて、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを強く意識した「無伴奏ヴァイオリンソナタ」がよく演奏され、エリザベート国際王妃音楽コンクールの課題曲の常連である。

イザイについて、日本で知られていることって、せいぜいこのレベルではなかろうか?

自分もご多分に漏れず、その程度で、エリザベート国際王妃音楽コンクールのことと、無伴奏ソナタなら聴いたことがある、という程度だった。

そしてイザイと言ったら、超絶技巧、譜面も音符の数も多く、うわ、めんどうくさい、とつい思ってしまう(笑)くらい高度な演奏テクニックを要する曲が多く、無伴奏ソナタなどの一部の作品を除くと、未だに演奏機会は少なく、作品の演奏がおしなべて困難であることもあって作曲活動の全貌は明らかになっていないのが実情なのだ。

日本イザイ協会の設立によって、現地のベルギーに飛んで、直接イザイの足跡を探り、自筆譜などの複写や情報収集などで、そのいまだに詳らかにされていないイザイの活動を日本に啓蒙しようという動きが具現化されてきた。

日本イザイ協会のHPを拝見すると、やはりとても真面目というか、イザイが好きで、イザイのことを啓蒙したい、本当に音楽家のための純粋な内容という装い。とても硬派で真面目という印象が強く、いまどきのコマーシャルな色付けをほとんど感じない。

でも、日本のクラシック界のコンサートは、やはり集客が命。招聘元ふくめ、ある意味とても商業的だ。硬派な装いは、そのまま集客に結びついてくれれば最高に格好いいのだけれど、イザイの日本での知名度も含め、当初、地元福岡公演は完売とのことだったが、東京公演のほうが苦戦という話を聞いていて、そっかーまぁ仕方ないよね。始めたばかりだし、時代が経っていけば、そのうち努力も報われ、認知度も高くなってきますよ。。。という感じで心構えしていた。

そんな中、ひさしぶりの東京文化会館。

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小ホールでの公演なのだが、なんと!そんな心配もよそに、大行列ではないか!
およおよ?下馬評とは違う予想外のできごとにひたすら嬉しいの一言。
急にドキドキしてきた。

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インターミッション

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いろいろ観客層を眺めていると、主催者様のただならぬ苦労が見えてきて、なるほどと思った。

今回のこのイザイ音楽祭ジャパン2018は、じつは日本イザイ協会の主催の外に、共催にベルギー王国大使館、そして後援に在日フランス大使館/アンスティチュフランセ、外務省、日本・ベルギー協会 福岡県など、かなり組織的に日本とベルギーの国家間のイベントという位置づけで公的バックアップしているところが特徴だった。

(ベルギーからのスポンサーとしてGODIVAのチョコレートにも参画いただいております。(笑))

この日は、駐日ベルギー大使御夫妻も来福され、コンサートを楽しまれた。

ホールに入った途端、その招待席の多さに驚いてしまった。このような光景はいままで見たことがなかった。

そして、客層の若いこと!クラシック・コンサートの客層なんて、大概が高齢層で占められるのが、毎回通って分かりきっている自明の事実なのだ。

あまりに若すぎる!いつもと違う違和感さえ感じた。そしてヴァイオリンの楽器ケースを背中に抱えた若者がじつに多かった。自分の予想にしかすぎないけれど、音大生、演奏家の卵たちじゃないかな?と思った。

初の試みである日本でのイザイ音楽祭なのだから、そこは必死で埋めたという主催者様の努力・苦労がよく見えてきて、涙しました。(笑)

コンサートもじつに素晴らしく感動ものだったが、最後のカーテンコールでは主催者、永田さんもステージに上がり、思わずそっちにブラボーしました。(笑)

沢田研二にも見習わせたい。(笑)

イザイ音楽祭ジャパン2018は、ベルギーでのクノック・イザイ国際音楽祭の芸術監督であるイザイの孫弟子にあたるフィリップ・グラファン氏、彼がこの日本版も芸術監督を務め、そして、加藤知子、小林美恵、今井信子、岡本郁也、水本桂の幅広い世代の名手たちが、ヴァイオリンの詩人イザイとその深く関わる名匠たちの世界を再現した。



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なんと、日本初演の曲が5曲も!

ほとんど初演の曲ということは、CD音源もない訳で、聴いたことのない曲なんだから、それが、素晴らしい演奏なのか、わからん訳です。(笑)

今春、ブリュッセルで発見されたイザイの新しい無伴奏ソナタ。メディアでも一躍話題になったが、ヴァイオリン界に大きな影響を与えるこの話題の曲も演奏された。

この曲は、もちろんフィリップ・グラファン氏の独奏で演奏されたのだが、演奏前に、フィリップ氏からその説明があった。音楽誌ストラドのインタビューも交えて。

イザイのスケッチブックの中に残されているのを発見した。イザイが残した6曲の無伴奏ソナタの後に書かれたもので、いわゆる遺作である。そのイザイのスケッチブックのマニュスクリプトには6番のソナタと題されていたが、スケッチではなく、とてもしっかりした1楽章、歌曲のような2楽章、そして3楽章は2/3までで作曲されていたが未完成だった。

フィリップ・グラファン氏は実存する六つのソナタの構造基本を分析し、3楽章を完成させた。
「このソナタは98パーセントはイザイの作品です。素晴らしい、新しいバイオリンのレパートリーです。」

とても弾くのが難しい!と仰っていました。

こんないま話題の曲を聴けるなんて!

実際聴いたが、これは美しいというより、いかにもイザイ的な調性の曲で超難しい。2楽章は歌わせ的な要素もあって美しいと思ったが、全般的には結構前衛的。聴いた瞬間、いかにもイザイの曲らしいな、と感じた。

演奏するのも大変という感じがして、とくに弓のように唸るボウイングの連続技には圧倒された。
いかにも技術的に難しそうです。

22日の桐朋学園大学仙川キャンパスでおこなわれるイザイのレクチャー&パネルディスカッションの中でも、フィリップ音楽監督によってこの新発見ソナタのお話や演奏があるそうです。




今回の演奏曲の中で、自分的に注目していたのが、ショーソン詩曲、メディテーション、無伴奏ソナタ第5番(編曲)。

その中で無伴奏ソナタ第5番は、イザイの代表曲だが、じつは今回演奏されるのは、この原曲を編曲したヴァージョンなのだ。

ベルギー在住の作曲家エリカ・ベガさん(メキシコ生まれ)が、このコンサートの為に編曲。 

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(c) 日本イザイ協会FB


3ヴァイオリン+ヴィオラ+チェロ(フィリップ・グラフィン+加藤知子+小林美恵+今井信子+岡本侑也)で演奏された。イザイ音楽祭ジャパンの開幕記念に世界初演される素敵なプログラム。

エリカ・ベガさんは、ヴァイオリニストとして演奏活動を行いながら作曲を学び、メキシコ政府奨学生としてブリュッセル王立音楽院作曲科を卒業。数々のコンクールで入賞している。現在はゲント王立音楽院のICTUSアンサンブルによるマスタープログラムにて研究生として研鑽を積んでいるのだそうだ。

チェロを除いて立奏でおこなわれた。
聴いた感じが、現代音楽的な様相で、コンサートの冒頭の曲だったので、これはイザイの世界満載といきなり感じてしまった。

エリカ・ベガさんの編曲は、オリジナリティがあるけど、けっしてイザイの世界を変えてはいなかった。

この曲は、この後の桐朋学園大学仙川キャンパスのマスタークラスの生徒たちとグラファン先生と演奏する課題曲にもなっているようです。

今回のコンサートでは、さきほどの新発見のソナタ6番と、この無伴奏ソナタ5番の編曲版の2曲が大きな柱だったのかもしれませんね。




ここで、今回のコンサートの奏者たちについて一言。 




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フィリップ・グラフィン(ヴァイオリン、音楽監督)

イザイ・プロジェクトにおけるすべてのキーパーソン。
イザイの弟子、ヨーゼフ・ギンゴルド氏、フィリップ・ヒルショーン氏に師事。
イザイの孫弟子にあたる。現在、パリ国立高等音楽院、ブリュッセル王立音楽院教授。
1964年の54歳。私と同じ歳なんですね。

イザイが過ごしたベルギーの避暑地クノッケにて、「Ysaye's Knokke」国際音楽祭を創立、芸術監督を務めている。今回のイザイ音楽祭ジャパン設立も彼の力なくしてあり得なかった。

今回、はじめて彼の実演に接したが、足をガシっと曲げて、しっかり地を踏んで弾く独特のスタイルで、彼独自の世界があることを感じました。

素晴らしいヴァイオリニストであるとともに、現地におけるイザイの情報源、ソース源として今後ももっとも重要なキーパーソンで、よろしくお願いします。 




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今井信子(ヴィオラ)

ご存知、日本におけるヴィオラ奏者の草分け的存在。伝説的な日本を代表するヴィオラ奏者。
その華麗なる経歴はとても書き尽くせないけれど、敢えて、自分が挙げるとしたら、1995年から96年にかけて東京、ロンドン、ニューヨークの3都市にわたって開催された「インターナショナル・ヒンデミット・ヴィオラ・フェスティバル」では音楽監督をつとめ世界の注目を集めたこと。そして、2009年よりスタートした日本初のヴィオラ単独の国際コンクール、東京国際ヴィオラコンクールでアドヴァイザーおよび審査委員長を努めるなど、常にヴィオラ界をリードする存在として、めざましい活躍を続けていること。

この2つはどうしても自分の日記で書いておきたかったです。

フィリップ・グラフィン氏とも数十年に渡る間柄で、今回の音楽祭で共演する(ドビュッシーの弦楽四重奏)ことは大きな夢だったようだ。

じつは大変お恥ずかしいことに、自分は今井さんの実演に接したことがなかったと思う。
(自分の記憶にない。)だから、今回、今井さんの実演に接することが1番の楽しみで自分の貴重な財産になると思っていた。

日本初演の曲を2曲(イザイ序奏、ヴュータン奇想曲)、今井さんの独奏で堪能できた。
もちろん無伴奏第5番やドビュッシーの弦楽四重奏では、今井さんばかりを見ていたような気がする。(笑) 




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加藤知子(ヴァイオリン)


4歳よりヴァイオリンをはじめ、三瓶詠子、故久保田良作、江藤俊哉の各氏に師事。
第47回日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門第1位、レウカディア賞受賞。翌年の海外派遣コンクールで特別賞受賞。1980年桐朋学園大学卒業。1982年第7回チャイコフスキー国際コンクール第2位受賞。またしてもその華麗な経歴は書き尽くせません。現在、桐朋学園大学主任教授。

自分は、加藤さんは今回初めて実演に接しました。
イザイの冬の歌をピアニストの水本桂さんのピアノとともに聴きました。
加藤さんのヴァイオリンは、とてもよく鳴っていて、この冬の歌はある意味イザイらしくない(?)というか、のびのびした朗々と鳴っているような気持ちよさがあって印象的でした。 




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小林美恵(ヴァイオリン)


実演に何回も接したことのある自分にとってはとても馴染みの深い演奏家でいらっしゃいます。
東京藝術大学首席卒業、1990年のロン=ティボー優勝、その後国内外で大活躍されてきたのはもうご存知の通り。その華麗な経歴は書き尽くせません。でも自分にとっては、やっぱり小林さんと言えば、どうしても夏に軽井沢大賀ホールで開催される軽井沢国際音楽祭の主役という印象なんですよね。自分が行ったのが7年前の2011年。それ以来毎年出演されている。
久しぶりに拝見いたしましたが、なんか、全然変わってませんよね。(笑)美貌、スタイルもずっとそのまま維持され、全然変わってない。7年も経っているのに凄いことです。久しぶりに実演に接してすごい懐かし感がありました。 




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岡本 侑也(チェロ)

岡本くんも今回自分がどうしても実演に接しておきたいと思って楽しみにしていた奏者。
じつは今年の東京・春・音楽祭で川本嘉子さんのブラームス室内楽で、実演に接したことがあった。今回が2回目。岡本くんは、すごい時の人なのだ。

もう知っての通り、去年の2017年のエリザベート王妃国際コンクールのチェロ部門第2位およびイザイ賞を受賞。そして第16回(2017年)齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞、ベルギー政府賞も受賞しました!出光音楽賞も・・・受賞ラッシュ(笑)。。。と今回の音楽祭には絶対出ないといけない人だった。(笑)

ドイツ・ミュンヘン音楽大学を首席で卒業し、現在はミュンヘン音楽大学大学院でユリアン・シュテッケル氏に師事。

まさに、「大器を予感させる才能」ですね。

岡本くんは、水本桂さんのピアノとともに、これまた日本初演のイザイの「メディテーション(瞑想曲)」を披露した。これがじつに素晴らしかった。とてもいい曲。チェロの音色、音域というのは人を恍惚とさせる(ある意味眠くなる。(笑))独特の秘密があって、じつに朗々と鳴っていて、気持ちのいい曲だった。

まさに「瞑想」とはその言葉通り!

岡本くんはすでにイザイのメディテ―ションを暗譜していたそうです。 




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水本桂(ピアノ)

札幌市生まれ。宮澤功行氏、中川和子氏に師事。
数々の国際ピアノコンクール受賞の後、ヨーロッパ、日本を中心に演奏活動を続けている。

北大卒業なんですね!(^^)
ドイツの国立フランクフルト芸術大学留学、ヘルベルト・ザイデル、ライナー・ホフマン氏に師事。

ベルリンコンツェルトハウス、ブリュッセルパレデボザール、パリのフォーレホールなどで演奏、室内楽演奏家としても活躍。その華麗な経歴はとても書き尽くせません。


現在、ドイツ国立フランクフルト芸術大学非常勤講師を経て、ブリュッセル在住。
ブリュッセル王立音楽院、エリザベート王妃チャペル音楽学校の弦楽器科ピアニスト。

水本さんのピアノはとても粒立ちがよく、ピンと張り詰めた硬質でクリスタルな響きをしていました。かなり自分的には来るものがありました。

石造りで天井の高い東京文化会館の小ホールは、特に音響の素晴らしい室内楽ホールとして有名で、ポリーニがサントリーホールが出来ても、自分は東京文化会館小ホールの響きがピアノには絶対的な信頼を持っている、と言って、なかなかサントリーホールでリサイタルをやらなかった、という伝説があるくらいで、特にピアノの音色には格別な定評がある。

もう数えきれないくらいこのホールでピアノを聴いてきたけれど、その確信をこの日改めて確かなものにした感じ。

弦楽器を立てるというか、いや対等の立場で、じつに主張していて素晴らしかったと思います。



今回コンサート全般を通して感じたこと。

イザイの曲の独特の旋律や調性というか、やっぱりコマーシャルではないよね。
かなり神秘的で独創的なイザイ独特の世界があって、ふつうのクラシックコンサートとは、やっぱり基本的な立ち位置が違う感じがします。

だって、最後のドビュッシーだって、かなり色彩感ある独特な曲なのに、すごくまともに聴こえてしまうくらいですから。(笑)

骨格感のある硬派なコンサートだったと思います。

まだ終わってません。

明日から、講演・パネルディスカッション、そしてマスタークラスがあります。

10月22日18時~桐朋学園大学仙川キャンパス333号室

「ウジェーヌ・イザイのレガシーと価値」

・パネル・ディスカッション/Michel Stockhem,Philippe Graffin,Shizuko Ishii,Kenji Sakai
・講演/石井志都子 Shizuko Ishii 「イザイの弟子から受け継いだこと」
    ミッシェル・ストッケム Michel Stockhem 「イザイが作曲家達に与えたインスピレーショ               
    ン、大な演奏家達とのつながり」
・演奏/フィリップ・グラファン Philippe Graffin 「新発見の無伴奏ソナタ遺作」
    マスタークラス生との共演 「無伴奏ソナタ第5番(編曲版)」

「マスタークラス」

10月23日17時30分~東京藝術大学第1ホール 指導/Philippe Graffan

受講曲

北田千尋  イザイ:無伴奏ソナタ第3番
山内眞紀  サン サーンス:ハバネラ
小西真央  イザイ:無伴奏ソナタ第6番
清水百合子 ドビュッシー:ソナタ
及川悠介 ラヴェル:ソナタ遺作


インターミッションで、ベルギービールでした。(笑)

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生誕160周年記念 イザイ音楽祭ジャパン2018 東京公演
2018/10/20(土)19:15~ 東京文化会館小ホール

1.イザイ<無伴奏ソナタ5番mov.1 op27-5> (編曲版)日本初演
フィリップ・グラファン、加藤知子、小林美恵、今井信子、岡本侑也

2.イザイ <冬の歌 Chantd'hiver,op.15>
加藤知子、水本桂

3.イザイ <瞑想曲 Meditation:poeme No.5,op.16> 日本初演
岡本侑也、水本桂

4.ショーソン <詩曲 poeme op.25>
フィリップ・グラファン、小林美恵、加藤知子、今井信子、岡本侑也、水本桂

休憩(インターミッション)

5.イザイ <序奏 Solo viola Introduction> 日本初演
今井信子

6.ヴュータン <奇想曲 Solo viola Cappricio> 日本初演
今井信子
                                                                                                                                                         
7.無伴奏ソナタ遺作(新発見)日本初演
フィリップ・グラファン

8.ドビュッシー <弦楽四重奏曲 op.15>
フィリップ・グラファン、小林美恵、今井信子、岡本侑也





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ハンブルクトリオ [国内クラシックコンサート・レビュー]

結成は2013年。まさに名前の通り、ハンブルクを拠点とするピアノ三重奏団である。

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毎年作曲家ごとのピアノ三重奏曲全曲を録音し、世界各地でコンサートを行うことをコンセプトに活動している。(2015年ブラームス、2016-17年シューマン、2018年メンデルスゾーン)

当時、ハンブルク州立歌劇場管弦楽団の奏者として活躍していた塩貝みつるさんと、北ドイツ放送響(現在のNDRエルプルフィルハーモニー)のメンバーであったヴィタウタス・ゾンデキス、そして塩貝さんのもともとの知り合いだったエバーハルト・ハーゼンフラッツともに、インターネットで配信するライブ録音で、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番を演奏したのがきっかけだった。

すごくぴったり合って、自分たちでその録音を聴いて、これは続けよう!ということになったとか。

いまやハンブルクを拠点にベルリン、カッセル、マインツなどドイツ各地で活動。新聞などで高い評価を受け、ZDF(ドイツ国営第二放送)、NDR(北ドイツ放送)に出演し知名度をあげた。

今年の2018年1月にはベルリンとハンブルクでベートーヴェンのトリプルコンチェルトを演奏し話題となった。その他、サンクトペテルブルクのフィルハーモニアホール、リュブリャナ音楽祭、ウーゼドム音楽祭に招待されている。


結成間もないフレッシュなユニットだが、今回の来日を含め、過去3回も来日している!

そうだったのか!

申し訳ございません。自分はまったく気づいてなかったです。(^^;;

このトリオの存在を認識したのは、今年に入ってから。

ヴァイオリン奏者の塩貝みつるさんとSNSで縁があるので、ぜひ実演に接してみたいとずっと思っていたところ、このハンブルクトリオの来日コンサートの報があって、これはぜひ行かねば!と思っていたのだ。

初来日が、2015年のブラームス三重奏曲で、それから2017年にシューマン三重奏曲と、本当に勿体ないことをした。かなり悔しいです。自分の過去のSNSを覗いてみると、去年の2017年のコンサートに至っては招待されていた。。。なんとアホなんだろう。(><)

このハンブルクトリオの日記を書くために、いろいろ調べていたら、なんか、かなり中身の濃いことをずっと自分はスルーしていたんだな(笑)と思いました。

まさに三度目の正直で、かなり気合を入れて今回に臨んだのだった。

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塩貝みつる(ヴァイオリン)

桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ修了。原田幸一郎、篠崎史紀、堀正文の各氏に師事。2004年よりハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団、並びにハンブルク国立歌劇場の第1ヴァイオリン首席アソシエイト・コンサートミストレス。NDRエルプフィル、シュトゥッツガルト放送響、バイエルン歌劇場などで客演する。ソリストとしてもウィーン交響楽団、ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団などと協演している。

ドイツ・ハンブルク在住で活動していたが、現在は国内に拠点を移し、ゲストコンサートミストレスやソリスト、室内楽奏者として日本と欧州で活躍している。




ヴィタウタス・ゾンデキス(チェロ)

リトアニア出身。1997年より、ハンブルク北ドイツ放送エルプフィルハーモニー交響楽団ソロチェリスト。サンクトペテルブルク音楽院で、故アナトリー・ニキーチン教授のもとで研鑽を積み、その後リューベック音楽院にて、デイビット・ゲリンガス氏に師事。97年ニュージーランドでの国際チェロコンクールで優勝。ソロ、室内楽奏者として世界の主要なホールで客演。




エバーハルト・ハーゼンフラッツ(ピアノ)

ドイツ生まれ。国内外の数々のコンクールに入賞。アルフォンス・コンタルスキー、セルジュ・コロ、マーティン・ロヴェット、ヘンリー・マイヤー (ラサール四重奏団)、ノーマン・シェトラーの各氏による数々の国際マスターコースで助手を務める。現在はベルリン芸術大学にて教鞭を執りながら室内楽奏者としても活躍している。





チェロのゾンデキスさんはなんと急病で突然来日できなくなった。まさに直前のできごと。急遽のピンチヒッターとしてフランクフルト放送響の団員で、個人でもピアノトリオを組んで活躍中のベテランであるウルリッヒ・ホルンさん(ホルンだけどチェリスト)が見事に勤め上げた。

なんでも本当の直前での合流で、前日にリハーサルで、ちょっと合わせた程度。さらにウルリッヒさんにとって初見の曲だったとか。

演奏家として真の力が試されるのは、こういうピンチヒッターのとき。

この日の公演で、特にウルリッヒさんに注目して見ていたが、まったく違和感なし。見事なまでにユニットに同化されていて、その役割を全うされていた。あっぱれだと思いました。

ちなみにウルリッヒさんは、2013年からバイロイト祝祭管弦楽団のメンバーでもあり、バイロイト音楽祭であのピットに入って(笑)、演奏されているのだそうだ。


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久し振りの東京オペラシティ・リサイタルホール。

今日のコンサートは、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲全曲を聴く!というコンセプト。

コンサートは、音楽評論家の奥田佳道さんの解説プレトークが開演前とインターミッションにおこなわれる、というスタイルでおこなわれた。

奥田さんは、自分とほぼ同世代で、ヴァイオリンを学び、ドイツ文学、西洋音楽史を専攻され、1990年前半からテレビ、ラジオ、雑誌などのメディアで音楽評論活動をされている。自分にとって、奥田さんといえば、やっぱり毎年正月のウィーンフィルのニューイヤーコンサートなんですよね。解説、そして通訳として、堪能なドイツ語を駆使して、ずっと幕間のインタビューをやっている姿を、なんかず~っと昔から見ているような気がする。(笑)

柔らかい物腰で、豊かな知性に基づく解説は大変わかりやすく、この日は、メンデルスゾーンの三重奏曲については、まったく予習なしで行ったのだが、この日のコンサートのコンセプトをわかりやすく解説していただき、その場でいっぺんに背景が理解できたのはありがたかった。

硬派なクラシックファン層の方には、こういうプレトークを嫌う人もいるが、自分はまったく構わない。返って、これから聴く曲の背景がわかり、すんなり本番にのめり込める素地ができていいのではないか、と思うほどだ。

今日のコンサートのポイントは、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲といえば、1番が圧倒的に演奏される機会が多く、およそピアノ三重奏曲というジャンルの中でも最高傑作といわれるほどの秀逸作品であること。

でもじつは2番も負けず劣らず素晴らしいんです!

2番はほとんど演奏される機会がないけれど、これを聴けるということがとても貴重なことなんですよ。

そして、この日のもっと貴重な体験は、メンデルスゾーンの姉のファニー・メンデルスゾーンの曲を聴けること。幼少の頃から弟と同じ音楽教育を受け、傑出したピアニストでもあったファニー。実は才能に恵まれた作曲家であった。

でもファニーの時代は、女性の作曲家はほとんど認められず、作曲のセンスや能力があったとしても家庭や親しい人が集うサロンでの「音楽的ふるまい」のみが許されたのだった。

そんな中、後年になって夫の後押しもあって、自作品を公表するようになる。

才能がありながら、なかなかその作品に日の目が当たることがなかったファニーの作品を聴けるということは、ある意味、今日のコンサートの1番の山場だったのかもしれない。


塩貝さんは、「音楽の友」2018/9号のインタビューで今回のメンデルスゾーン姉弟のピアノ三重奏曲を演奏することに際し、こんなことを言っている。(このインタビューを読むために、ひさびさに買ったのだ。)

「メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲」は、「第1番」が有名ですが、第2番は聴いたこともありませんでした。今は、第2番のほうが好きです。弟のフェリックスは、構成力など、すべてがうまくいっている本当の天才。頭脳が明晰で、感情豊かなところもあり、バランスが取れています。姉のファニーは、才能があり、面白い感性もあるのですが、ちょっと足りない部分があります。それは演奏で補わなければいけません。ファニーの、全体の構成力よりも感情を重んじるところが女性的だと思います。」

深いなー。果たして自分が実演を聴いたとき、そこまでのニュアンスを感じ取れるかどうか、このインタビューを読んで不安になったことも事実。(笑)



前半に2番とファニーの作品、そして後半に1番という演目であった。

まず、とても聴くのが珍しい2番。

2番は、おそらく自分も初めて聴くが、正直とても不思議な感覚で、なにか言葉に表現するのが難しい曲だと感じた。この曲の感想をどのように日記で表現するべきなのか、聴きながらそんなことばかり頭の中をグルグル回っていた。とても技巧的な曲であることは確か。

ハ短調という調性からくる一種の独特の雰囲気はある(けっして明るくはない。)けれど、簡単な構成の曲ではない。そんなイージーに、感動しました!、いい曲でした!とはあっさりとは言えない複雑で高度な構造を持った曲のように感じた。

あくまで自分が感じたままなのだが、1番のような大衆性という点では敵わないけれど、でも作品としての構成力は決して負けず劣らずで、隠れた名曲とはこのことなのだろうと思った。


プレトークにあった、ここの第4楽章にメンデルスゾーンはバッハの旋律を引用していたのではないか、そしてそれをブラームスも、若き日のピアノソナタ第3番スケルツォにも使っていた、という箇所、とても興味深く拝聴していました。



そしてこれまた初お目見えである姉のファニーのピアノ三重奏曲。

これもいい曲だったが、なかなかどう表現したらいいのか、難しい曲であった。

率直に言うと、聴いていて冗長的に聴こえるというか、音楽的なフレーズ感がなかなか難しいと感じる曲だった。

フレーズ感やフレージングというのは室内楽では、1番大事な肝になるところで、楽譜で、ずらっと並んでいる音符のつながりを、どのように段落的にまとめるのか、解釈するかというのは結構、奏者の解釈に任されるところが多くて、それって大編成よりも室内楽のほうがより鮮明に出やすいポイント。

このフレーズ感のセンスがないと、聴いている側は、聴いていて気持ちいい音楽、音楽的に乗っていけない、楽しめない、など結構大事なキモなところなのだ。

よくオペラ歌手で、とっても素晴らしい声質、声量もあるいい才能を持っているのに、なんか歌を聴いてみると、上手くないというか、聴いていて感動しないのは、このフレーズのまとめ方が下手というか経験がないところから来ていると思うのだ。

音楽的なフレーズ感がない、とはそんなことだ。

ファニーの曲は、部分部分の旋律的にはとても感傷的でいいのだけれど、このフレーズのまとめ方が難しい曲なので、冗長的に聴こえるというか、音楽的に乗っていくのが難しかったのはそんなところにあるのでは?と後で、素人の自分なりだけれど考察してみた。

塩貝さんがインタビューで、ファニーの作品は感情的だけれど構成力で劣る、と言っていたのはそんなところにあてはまるのかもしれない。

そして、休憩を挟んで、最後の1番。

ピアノ三重奏曲というジャンルの中では、最高傑作と呼び声の高いメンデルスゾーンの1番。

やはり演奏機会の多い曲には、それなりの理由がきちんとあるものだということを再認識した。

流麗な旋律と、きちんとした曲としての構成力、聴いている側の感動を呼び起こす仕掛けなど、名曲は名曲たる所以がわかるような気がした。



ハンブルクトリオの演奏は、各メンバーがしっかりとした技術に裏付けされていて、見事なアンサンブルだと思いました。

なによりもエキサイティング!

全般的な印象からして、やっぱり塩貝さんのヴァイオリンの旋律が全体を引っ張っていっているという印象がサウンド的にも強かったです。

ちょっと残念だったのは、ここのホールの音響。やや響きがデッドなんですよね。やや不満でした。でも最初の曲からすると、段々音がホールに馴染んでくるというか、中盤から後半はだいぶ聴きやすい音になってきました。


しかし、こんなユニークなコンセプトのトリオが存在していたとは!



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ちょっとクラシックジャンルから離れて恐縮なんだが、3人編成、トリオというのは本当にカッコイイのだ。

自分が学生時代にブリティッシュ・ロックにのめり込んでいたとき、この”3人編成”のロックバンドというのがとても格好良くて、バンドは、やっぱりスリーピースが一番イケている、という信仰みたいなものがあった。

あの格好よさは、いくらルックスがよくても、いくら演奏技術がうまくても、4人編成や5人編成じゃ絶対出せない独特の雰囲気なのだ。

とくに演奏家のイメージフォトなんかは、この3人編成、スリーピース・ショットは最高に格好いいと思ってしまうのは、自分の嗜好からだろうか・・・。


3人というのは、フォト的にビシッと決まる独特のセンスがある。


それはクラシックのジャンルでも、もちろんあてはまる。

今回このハンブルクトリオにビビッとアンテナが反応してしまったのは、そんな自分の3人編成信仰から来るものだったのも、ひとつの理由かもしれない。


ハンブルクトリオの今後の活動として、

「メンデルスゾーンの次に取り組むのは、シューベルトでしょうか? ショスターコヴィチにするかもしれません。ベートーヴェン・イヤーの2020年には、ベートーヴェンのトリオ全曲を演奏しようと思っています。」

だそうです。

CDも出しています。

つい最近リリースしたばかり。

シューマン全曲のマニアックな「シューマニア」とメンデルスゾーン全曲の「ライブ イン サンクトペテルブルク」。

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シューマンは限定300枚。

メンデルスゾーンは、先日のサンクトペテルブルクのフィルハーモニーでのコンサートライブ録音で、フォンテックから10月発売予定。

メンデルスゾーンのほうのリンクを貼っておきます。


Piano Trio, 1, 2(メンデルスゾーン)
Hamburg Trio (St Petersburg 2018)

https://goo.gl/n1oG3V


ますます、このハンブルクトリオから目を離せない。




東京オペラシティのリサイタルホールは、じつに久しぶりで7年振りであった。7年前、ここでゴローさん、みつばちさんのシューマンのピアノ五重奏曲を聴いた。

このとき、ピアノはみつばちさん、2nd Vnはゴローさん、1st Vnが島田真千子さんだった。

NHKで、ゴローさんのADだったみつばちさんは、いまは、故郷岡山に帰って、結婚して子供もいる!学校の音楽教師をやりながら、ピアニストとしての演奏家活動もやっている。ときどきコンサートで東京に来ることもある。

島田さんは、水戸室のメンバーでありながら、セントラル愛知交響楽団のソロ・コンサートマスターにも抜擢され、まさに大活躍をしている。

やはり、7年という月日は重い。

あれからみんなそれぞれの道を歩んでいる。

自分もそりゃ年取るわけだ。
不条理と思うことも多々あるが、それでも自分の軸はぶれないで来ることができた、と思う。

7年!自分を取り巻く環境、人々もまさに一変した。

それは自分にとってつねに大きな負担で、逃げ出したいと思うこともある。
でもそれはまた逆に毎日の生活の大きな励みにもなっていた。

だからそういう意味でも、それは、いまの自分にとって幸せなことなんだろう・・・



ハンブルクトリオ メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲全曲演奏会

2018.9.20(木)19:00~ 東京オペラシティ・リサイタルホール

お話

フェリックス・メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 第2番 ハ短調 作品66

お話

ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル ピアノ三重奏曲 ニ短調 作品11

休憩

フェリックス・メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 第1番 ハ短調 作品66


アンコール

ブラームス ピアノ三重奏曲 第1番 第三楽章







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レイチェル・ポッジャー ヴァイオリン・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

「レイチェル・ポッジャーは日本ではあまり人気が出ない。」

「日本ではレイチェル・ポッジャーの評価が低すぎる。」

レイチェル・ポッジャーは、現代最高のバロック・ヴァイオリニストの呼び声高く、バロック・ヴァイオリンの旗手として世界各地で活躍。バッハの無伴奏のソナタ、協奏曲、モーツァルトのソナタと、次から次へと出すアルバムは、すべて名盤という評価を受けている。

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そんな古楽の世界では非常に高い評価を受けている奏者なのだけれど、不思議と日本ではあまり話題にならないというか、どうも日本のメディアとの目線というか価値観と合わないようで、それがとても残念に思ってしまう。


自分はてっきり今回の来日が初来日だと思っていたのだが、じつは6年前の2012年にすみだトリフォニーホールで、「トリフォニーホール・バッハ・ フェスティバル2012」の開催のために来日している。


うわぁ、これはまったく知らなかった。知っていれば、絶対行っていた。当時は、SNSをやり始めた頃だったから、こういう来日情報は、今みたいに、簡単に入手できなくスルーしていたに違いない。


今回来日が実現したのは、調布国際音楽祭2018の1公演として。

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調布国際音楽祭は、公益財団法人 調布市文化・コミュニティ振興財団が主催する毎年初夏に開催されているクラシック音楽のお祭り。

「 調布から音楽を発信する」音楽祭として2013年にスタートした。

毎年、鈴木雅明氏&バッハ・ コレギウム・ジャパン(BCJ)が看板アーティストとなって引っ張っていっている音楽祭で、今年は、長男の鈴木優人氏をエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、音楽祭も一気に若返った。


調布市グリーンホール、調布市文化会館たづくり くすのきホール、そして深大寺などで開かれる。自分は、今回が初参加だったのだが、かねてより、深大寺の本堂の中で開かれるコンサートは、とても興味深く拝見していて、ぜひ参加してみたいと思っていた。

昔、調布散策した時に、もちろん深大寺まで行って、深大寺名物の深大寺蕎麦もいただきました。(笑)

深大寺コンサートは近いうちぜひ!


なぜ、レイチェル・ポッジャーの招聘ということになったか?は秘密裡だけれど、ポッジャーは昔、鈴木雅明氏と共演したことがあって、そこからの縁なのだと思う。また優人氏が担当しているNHK-FMの「古楽の楽しみ」でも彼女の録音をよくかけているのだそうで、そういうところから招聘のトリガーがあったのだろう。


BCJのメンバーはオランダで学んだ人が多いそうだ。


そうなのだ!オランダは古楽の国なのだ。

昔、欧州ベルギーに滞在していた時に、友人がアムステルダムに住んでいて、よく週末にアムスに遊びに行って、遊び尽くした街でもあった。いまでもその友人と話すときに、話題に出てくるのは、オランダ、アムスはまさに古楽の国、トン・コープマンとかブリュッヘン&18世紀オーケストラなど、もっともっと古楽をそのとき勉強しておくべきだった。オランダにはそういう古楽に所縁のある教会や名所がいっぱいある宝庫なのだ。その所縁の地にもっともっと足を運ぶべきだった。


やっぱり人間そううまくいかないもんなんだよね。そういうチャンスを神様から与えられているときに、その大切な価値観を知らなかったりして、後で思いっきり後悔する。世の中、得てしてそういうもんなんだよ。(笑)


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レイチェル・ポッジャーといえば、自分にとってはオーディオ再生。

日本に来日してくれて、その実演に接することは、ほとんど幻と思っていて、自分から直接現地ヨーロッパに会いに行かないと縁がないアーティストだと思っていた。

ある意味オーディオ再生を通じて、自分の頭の中で演奏姿を想像する類のアーティストだった。

オランダのレーベル Channel Classicsを長年に渡って支えてきた看板アーティストでもある。
Channel Classicsを支えているのは、このレイチェル・ポッジャーとイアン・フィッシャー&ブタペスト祝祭管弦楽団。

Channel Classicsは、当時、PENTATONEやBISと並んでSACDを採用してくれていた高音質指向型のマイナーレーベルだった。

ジャレット・サックスのワンマン会社。(笑)

これがじつに優秀録音で、その録音の素晴らしさ、テイストは、PENTATONEやBISとは、これまたちょっと違っていて、独特のサウンドだった。エネルギー感や鮮度感があって、前へ前へ出てくる独特のサウンドで、ちゃんと空間もしっかり録れている、という両立性が成り立っているバランスのいい録音で、自分は随分入れ込んで愛聴していた。

彼らの新譜は不思議と外れが少なかった。

やっぱり5.0サラウンドで聴くのが最高だった。2ch再生だと団子気味に聴こえる箇所もサラウンドで再生すると、分離されて見通しよくステージ感が広がってすっきり聴こえたりする。特にポッジャーの録音はその傾向にあって再生難なのだ。

Channel Classicsは、その抱えている契約アーティストは、やはりオランダ系の古楽のアーティストが大半を占める。

やはり古楽のレーベルなのだ。

彼らのビジネスで感心したのは、新譜の回転率がとても早いこと。新譜リリースがものすごい短いスパンでどんどんおこなわれる。ビジネスがうまく行っているんだろうとその当時は思っていた。

古楽といっても古楽器然とした響きを予想するかもしれないが、Channel Classicsのサウンド造り、エンジニアの音のいじり方は、その真逆を行っている感じで、”最先端の現代風アレンジで聴く古楽”という様相だった。

残念ながら、すっかりネットビジネスに移行してしまって、SACDはレイチェル・ポッジャーやイアン・フィッシャー&ブタペスト祝祭管弦楽団などの看板アーティストぐらいがリリースするくらいで、それ以外のアーティストはネットコンテンツのみavailableというやり方。

もうChannel Classicsの録音を、5.0サラウンドで聴けないと思うと残念の一言だ。


自分は、いままでレイチェル・ポッジャーのSACDをどれくらい買ってきているのだろう?と思い、ラックから探してきてみた。

そうしたら9枚もあった!

”ポッジャー=オーディオ再生”というイメージが自分の中で、確立されているのも、やはりうなづける感じ。納得した。ポッジャーのSACDは、それこそオーディオオフ会で、拙宅で再生するときや、持ち込みソフトとして利用する場合も多く、まさにオフ会のキラーコンテンツで、オーディオ・カラー満載のアーティストだった。(笑)

古い録音で自分が持っていなかったものをさらに2枚買い足して、合計11枚揃えた。
これをふたたび聴き込んで、「レイチェル・ポッジャーのディスコグラフィー」という日記を別に立てて、特集したいと思う。1枚1枚の聴きどころ、ポッジャーにとってのスタンス、自分のそのディスクへの想い入れ、サウンド感想など書いてみたいと思う。


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レイチェル・ポッジャーの経歴のことなど、もう少し書いてみよう。


英国の父とドイツ人の母の間に生まれたイギリス国籍。

ドイツのルドルフ・シュタイナー・スクールで教育を受け、帰国後バロック・ヴァイオリンをミカエラ・コンベルティに学び、1997年、トレヴァー・ピノックに招かれてイングリッシュ・コンサートのコンサートミストレス兼協奏曲ソリストに就任した。

2007年にはブレコン・バロック・インストゥルメンタル・アンサンブルを設立し、2010年に録音したデビューCD、バッハのヴァイオリン協奏曲は、ユニバーサル批評家の称賛を集めた。ブレコン・バロックはチェンバロを含めて6名、各パート1人で編成し、バッハ時代のカフェ・ツィンマーマン・アンサンブルを模し、自由で新しいスタイルの演奏を目指している。


このブレコン・バロックというのが彼女専用の室内楽ユニットで、彼女の一連の録音で、その合奏を披露しているのもこのユニットなのだ。

彼女のライフワークのユニット。

彼女の録音で、自分がお気に入りのディスクも、このブレコン・バロックとの作品が結構多いので、印象に残っていた。

今回の来日公演は、無伴奏という、舞台上で、ヴァイオリン1本で聴衆を説得させる素晴らしいものだったが、じつはポッジャーの魅力のもうひとつの側面として、このブレコン・バロックとの合奏をぜひ生演奏で観てみたい気がする。合奏のほうのいわゆる丁々発止の掛け合いをやっている彼女の演奏もとても魅力的。

現在は、彼女はこのブレコン・バロック・フェスティヴァル芸術監督に就任している。

演奏活動の傍ら、英国王立音楽アカデミー (RAM) やジュリアード音楽院などで教鞭もとっている。2015年に、英国王立音楽アカデミーのバッハ賞を受賞した。




ポッジャーの代名詞が、”バロック・ヴァイオリン”

彼女のプロフィールを説明するときには、必ず登場する言葉だ。

それってなに?(笑)

彼女がChannel Classicsに残してきた膨大な録音には、バッハをはじめ、モーツァルト、ハイドン、ヴィヴァルディなどまさに多岐の作品に渡るが、やはり彼女の本質はバッハなのだと思う。(自分の見解です。)

そんなバロック時代に使用していた古楽器のヴァイオリンで、当時の状態で演奏する。


レイチェル・ポッジャーの使用しているバロック・ヴァイオリンという楽器はどういう構造なのかを、きちんと説明するのはなかなか難しい。

本来のバロック時代以前のヴァイオリンは構造自体が、現代のものと違っていて、高張力の現代の弦を張るためには改造が必要のはず。

そこまでバロックヴァイオリンで再現しているのかどうかも分からない。



ヴァイオリンの張る弦には、スチール弦が使用される。しかし、スチール弦が使用されるようになったのは20世紀も半ば近くになってからで、それまでは、羊の腸の筋をよって作ったガット弦が広く用いられていた。

1920年代前後には、演奏家の間でスチール弦か、ガット弦かという優劣論争が繰り広げられた。ガット弦特有の柔らかい響きを重視する演奏家がいる一方で、より力強い音が可能でしかも耐久性の面で特性を発揮するスチール弦の優位を主張して止まない演奏家もいた。でも、音量と耐久性の面で特性を発揮するスチール弦に軍配が挙がったのはその後の歴史に見る通り。

でも、作品の作られたものと同様な楽器で演奏する、いわゆるオリジナル楽器の演奏家が増えてきた、いわゆる”古楽”普及の現在では、ガット弦の復権にも目覚ましいものがあるそうだ。(ネットからの豆知識より。)


バロック・ヴァイオリンという楽器はガット弦でも、生ガット弦を使用している、というネット情報もあった。


一般にいうガット弦(古楽器)は、表面に金属モールを巻きつけたりして補強していたりすることもあるらしい。演奏する上で特にスチール弦(モダン楽器)との大きな差はないが、どんな弦でも種類によって鳴らし方の違いはある。

生ガット弦は、なんか普通に弾くとボソボソして上手く鳴らないらしい。(笑)。

バロック・ヴァイオリンというのは、バロック時代の古楽器ヴァイオリンのことで、その弦も特殊で、普通のヴァイオリン奏者がそのまま弾こうとしても簡単にはうまく鳴らない、やっぱり修行、鍛錬が必要な特殊楽器なのだと思う。

ポッジャーは、そのバロック・ヴァイオリンを弾くことが出来る世界でも数少ない奏者で、現代最高という冠もあるのだ。

彼女のいままでの膨大な録音もそのバロック・ヴァイオリンで演奏されてきた。

じゃあ、その特殊な弦と構造で、普通に弾くことが大層難しいバロック・ヴァイオリンって、どんな音色なの?ということになるのだが、それを邪魔するのがChannel Classicsのハイテクニックな録音技術。(笑)

彼女の録音作品を聴くと、たとえば無伴奏なんかでも、エコーがガッツリかかっていて、空間もしっかり録れていて、ハイテクな録音に仕上がっているので、なんか古楽器というよりは、モダン楽器を聴いているみたいで、自分にはようわからん、というのが実情。


彼女の作品を買いあさっていたときは、そんなことを意識せず聴いていたので、いい録音だな~ぐらいにしか感じなかったのだけれど、こうやって、日記で彼女のことをきちんと書こうと思って、バロック・ヴァイオリンのことを言及していくと、そういう矛盾に行きつくのだ。


じゃあ、エンジニアが加工する録音ではなく、生演奏でのバロック・ヴァイオリンの音を今回聴けるのだから、その感想を後で、じっくり書くことにしてみる・・・

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今回の実演は、調布市文化会館たづくり くすのきホールであった。

ポッジャーの演奏は、無伴奏。舞台上で、ヴァイオリン1本で聴衆を感動させる。
今回の演奏曲は、このアルバムから選曲された。 



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『守護天使~無伴奏ヴァイオリン作品集~バッハ、ビーバー、タルティーニ、ピゼンデル、他』 ポッジャー

http://bit.ly/2J2E7uz




このガーディアン・エンジェル、守護天使と題されたこのアルバムは、レイチェル・ポッジャーのお気に入り作品を集めたもの。

ポッジャー自身の編曲によるバッハの無伴奏フルートのためのパルティータのヴァイオリン・ヴァージョンに始まり、アルバム・タイトル由来の名曲であるビーバーのパッサカリアで締めくくられる。


このアルバム、侮るなかれ、ポッジャーの無伴奏ヴァイオリン作品といえば、デビューのときにベストセラーを記録したバッハの無伴奏があまりに有名だが、このアルバムは、それと連なるすごい濃い中身をもつ。なによりもデビュー作品は、CDだったが、こちらはSACDでサラウンド。


なので、彼女の無伴奏作品では、このディスクが自分は1番お気に入り。

なにがスゴイかというと、そこに使われているテクニック。
ここに収められている作品に必要なテクとして、スコルダトゥーラ(特殊調弦)や、対位法的な要素、ダブル、トリプル、クォドルプル・ストップなどの重音奏法に、多彩なボーイング。

なんか聴いているだけでもゾクゾクだが、実際聴いてみるとそんなにスゴイと思わせないところが、ポッジャーの才能なのかもしれない。


これらの作品を、生演奏で聴けて、そのテクも実際に観れるんだから、この公演は絶対行きだった。




ステージに現れたポッジャーは、自分の長い間恋焦がれた彼女に会う期待感とは裏腹に、かなり地味というか(笑)、素朴そのものの人だった。

いわゆる商業スターが醸し出すようなオーラが全くなく、素朴そのものという感じで、自分はそのほうが返って微笑ましくてホッとした。


すべてにおいて商業っぽくなかった。


演奏スタイルも弓の返しなどのパフォーマンスの類みたいなものも一切なしの正統派そのもの。

美しい、そしてクセのない正しい演奏スタイルだった。


やはり一番自分的にキタのは、最後のバッハのシャコンヌ。無伴奏の名曲中の名曲だが、これはさすがに逝ってしまいした。(笑)

肝心のバロック・ヴァイオリンの生音なのだが、自分にはChannel Classicsの録音のようなエネルギー感のある派手な音に聴こえてしまいました。(笑)

古楽器のような独特の響きではなく、なんか、ふつうに普段彼女の録音作品を聴いている感じだよなぁ、とずっと思って聴いておりました。


専門の人が聴けば、発音の最初がモダンに比べて微妙に小さいというか、遅いというかそういうのはあるのかもしれないが、私にはわかりませんでした。


とにかくあっという間に終演。

夢は一瞬にして終わってしまった。



長年に渡って、いい録音作品をずっと残しつつ実績を重ね、もちろん意識的ではないと思うが、商業路線とは距離を置いてきているように見えてしまう、そういう本物の良さが自分には最高だった。




ご本人は、お茶目な性格で、周りがぱっと明るくなるお方でした。

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終演後、鈴木雅明&優人親子とツーショット。(笑)

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(c)調布国際音楽祭 Twitter






レイチェル・ポッジャー ヴァイオリン・リサイタル「守護天使」
2018.7.1 調布市文化会館たづくり くすのきホール

J.S.バッハ:無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調
(ポッジャー編、ト短調版)


タルティーニ:ソナタ 第13番ロ短調


マッテイス:ヴァイオリンのためのエアー集より壊れたパッサジョ、匿名の楽章、
ファンタジア、コッレンテ


(休憩)

パッサカリア ト短調「守護天使」

J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調

~アンコール~

J.S.バッハ:ソナタ第3番第3楽章

モンタナーリ:ジーダ

J.S.バッハ:ソナタ第1番第1楽章アダージョ







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東京・春・音楽祭 「ローエングリン」演奏会形式上演 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ローエングリンという演目は、ワーグナーの長いオペラの中でも、どちらかというと快速テンポでサクサク進む感じ。

ワーグナー作品にある独特のうねりのようなものとは、やや距離感があって、毒気のないサッパリした音楽のような印象をいつも持つ。

東京・春・音楽祭の最大目玉公演であるN響によるワーグナーシリーズも今年で9年目。

2010年 パルジファル
2011年 ローエングリン 東日本大震災により中止
2012年 タンホイザー[ドレスデン版]
2013年 ニュルンベルクのマイスタージンガー
2014年 ニーベルングの指環 序夜 ラインの黄金
2015年 ニーベルングの指環 第1日 ワルキューレ
2016年   ニーベルングの指環 第2日 ジークフリート
2017年   ニーベルングの指環 第3日 神々の黄昏
2018年   ローエングリン

これに来年は、さまよえるオランダ人、その翌年の最終の美を飾るのが、トリスタンとイゾルデ。
自分は、第3回のタンホイザーからずっと聴いてきているので、結局、初回のパルジファルを除いて皆勤賞となりそうだ。

よく通ってきた。とても感慨深い。

毎回、とても感動させてもらい、このコンサートを聴いた後は、いつもとてつもなく雄大な音楽を聴かせてもらった、という満足感という余韻に浸らせてもらっている。

今回のローエングリンは、第2回でやる予定だったのが、東日本大震災でやむなく中止。今年は、じつに7年振りとなる悲願達成になるのだ。

2年後にこのシリーズが完結したら、その翌年からどうするのかな?
もうお終いなんだよね。東京春祭での最大の楽しみだったから、これが終わってしまったら、ワーグナーロスになってしまいそうだ。

バイロイト方式にならっての開演のファンファーレ。

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バイロイトでは、幕間ブレークになると、お客さんを劇場からいっさい締め出して鍵をかけちゃうので(笑)、外で食事、お酒など楽しんでいるお客さんに対して、そろそろ始まりますよ~ということを知らせる合図として、このファンファーレをやるのだ。だから各幕間ごとにやっている。

でも、こちらは、そんなホールに鍵をかけたりしないので(笑)、開演前のみだ。

ローエングリンは、タイトルロールにクラウス・フローリアン・フォークトを迎えてのまさに万全を期しての布陣。

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大いに期待した。

結論からすると、アクシデントがあった去年に比べると、キズはあったものの、段違いにレヴェルが高い公演だったと思う。

去年は、リング完結ということで、4年間の総決算という意味合いで、称賛したかったのに、突然の主役級歌手のキャンセルで公演の出来栄えも、なんともすっきりしない欲求不満が溜まった公演だった。いまだから告白すると。

それに対して、今年は対価を払って、十分すぎるほどの見返りをいただいた、という満足感が感じられて、自分は大満足だった。

第1幕は手探り状態で、ややエンジンのかかりが遅いかな、という感じはしなかったでもなかったが、徐々にペースを持ち直した。

今年もゲスト・コンサートマスターはライナー・キュッヒル氏。

いつも1階席の前方席を取るのだが、今年は、2階席。やはり自分の好みである分厚い響きとはいかなく、全体を俯瞰出来てバランスは取れているけど、サウンド的にこじんまりしていてやや不満を感じたことも事実。

でも聴こえ方に慣れてくると、第2幕、第3幕にかけて、まさにフル回転。とても満足いく出来栄えだった。

その1番の理由は、やはり歌手陣の充実ぶりが大きいと思う。

フォークトを筆頭に、レヴェルが高く、やはり演奏会形式のコンサートは歌手の出来が大きなウェイトを占めるんだな、と改めて認識した。

今回驚きだったのは、合唱の東京オペラシンガーズ。去年までのリングでは、自分の記憶違いかもしれないが、合唱ってあったけな?という感じで、今回じつに久し振りに合唱を聴いた気分だった。

東京オペラシンガーズは、1992年、小澤征爾指揮、蜷川幸雄演出で話題を呼んだ《さまよえるオランダ人》の公演に際して、世界的水準のコーラスをという小澤さんの要望により、東京を中心に活躍する中堅、若手の声楽家によって組織された合唱団。

サイトウキネンは1993~2009年まで連続出演、そしてこの東京・春・音楽祭での常連、国内外で活躍しているまさに水準の高いプロフェッショナルな合唱団なのだ。

1998年の長野冬季オリンピックの開会式のとき、ゴローさんがプロデュースした世界6ヵ国を結ぶ《第九》合唱でも、中心となる日本側の合唱コーラスを担当した。

東京春祭ではまさにレギュラー出演の常連さんなので、自分もずっと彼らを聴いてきているのだが、リングではあまり記憶に残っていないので、そうすると2013年のマイスタージンガー以来、じつに5年振りということになる。

久し振りに聴く彼らの合唱は美しく、その幾重にも重なる人の声による和音のハーモニーの美しさ、壮大さは、生で聴くと本当に感動する。この圧倒的なスケール感、こればかりはオーディオでは絶対かなわないなーと思いながら聴いていた。

なにせオーケストラの音より数段音量やボリューム、そして音の厚みが豊かなのだ。ずっとオケの演奏を聴いていて、そこに一斉に合唱が入ると、その人の声の部分が、オケよりもずっと分厚く発音量も大きいのに感動してしまう。

合唱、とくにこの人の声の厚みだけは絶対オーディオよりも生演奏に限ります、実感!

N響もじつに素晴らしい演奏であった。ドイツのオケを聴いているような硬質で男らしいサウンド。バランスも取れていた。

じつに8年間におよびこのワーグナー作品を演奏してきた彼ら。毎年十分すぎるくらいに期待に応えてきてくれ、彼らから感動をいただいてきた。今年もその期待を裏切らなかった。

今年のローングリンでは、3階席の中央と左右の3方向にバンダを配して、その重厚な金管の音色、ステージオケとのバランスも素晴らしかった。

ローエングリンと言ったら、みなさん第3幕が圧倒的に大人気なんだけれど、自分もちろんそうだけど、じつは第2幕が大好きなのだ。

恍惚の幸せであった。合唱のあまりの美しさ。そして茂木大輔さん(首席オーボエ)、甲斐雅之さん(首席フルート)始め、N響木管陣の美しいソロがふんだんに聴けて、最高であった。自分が第2幕が好きなのは、合唱もそうだけれど、このふっと浮かび上がる木管ソロの旋律の美しさに参ってしまうのだ。

本当に涙しました。

冒頭に「キズがあった」との発言は、第3幕の前奏曲。もうローエングリンでは最高の見せ場なのだが、ここが自分にとってはイマイチ感動が少なかった。まさに格好よさの極致である部分なのだが、サウンドがこじんまりしていて、伸びや瞬発力、そしてこの部分に一番大切な躍動感がなく、自分が乗って行けなかった。誰しもが1番乗るところで、そこに対する期待も大きいので、それを満たしてくれる感じではなかった。モタモタ感というのかな?う~ん・・・。

響きがまったく感じなかったので、自分はそのとき、東京文化会館って基本デッドだからなー。そして前方席でなくこの2階席の座席のせいもあるかなーとも考えた。

指揮のウルフ・シルマー氏。ライプツィヒ歌劇場の総監督。まさにオペラを知り尽くしているベテラン指揮者。

自分ははじめて拝聴する。全体の構築の仕方、その洗練された指揮振りには感心させられた。

ただ唯一不満だったのは、指揮者としてのオーラというのかな、存在感が希薄に感じて、自分に訴えかけてくるものが少なかった。そのとき分析したのは、やはりこれだけの強力な歌手陣、そしてオーケストラ、そして圧倒的存在感の合唱団という、まさにスター軍団の集まりの中で、どうしても目や集中がそちらのほうに行ってしまい、その中に埋没してしまう、という感じ。

4時間半の中で、自分が指揮者に目をやることは少なかった。

でもそれは自分がシルマー氏をよく知らない、というところから来ているだけのことなのかもしれない。


では、それぞれの歌手の印象。 


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クラウス・フローリアン・フォークト

まさに「フォークトさま」。「ミスターローエングリン」。
その柔らくて軽い声質は、従来のヘルデン・テノールのイメージを変えた。
はじめて聴いたのは、2012年の新国立劇場でのローエングリン。まさに驚愕の一言だった。
大変な歌手が出てきた、という想いだった。

自分がフォークトの生声を聴くのは、マイスタージンガー以来、じつに5年振り。

なんてピュアで定位感のある声なんだろう!

圧倒的な声量。驚きとしか言いようがなかった。

自分が彼の声を聴くとき、いつも感じるのは、その発声の仕方にすごく余裕があること。
他の歌手は精いっぱい歌うのに対して、彼はとてもスムースで余裕がある。それでいて、その声はホールの隅々までよく通るのだ。

まさに驚異的としかいいようがない。

もともと歌手としてのキャリアスタートではなく、ホルン奏者だったというから、そこからの歌手転向でこれだけの才能を開花するのだから、人生なんてなにがあるかわからない。

まさに、この日は彼の独壇場だった。フォークトのためにある公演だったかもしれない。
歌手陣の中で、唯一人、譜面&譜面台なしの完全暗譜。まさに18番のオハコ中のオハコという活躍であった。 


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レジーネ・ハングラー

ローエングリンの相手役、エルザ。ウィーン国立歌劇場でめきめきと頭角を現しているレジーナ・ハングラーが演じる。善戦奮闘したが、自分にとっては、やや残念賞だったかな?
カーテンコールの聴衆も正直であった。

声質や声量は、悪くないどころか素晴らしいものを持っていると思う。
ただ、安定感というかいいバランスを持続できないというか、聴いていてどうしても不安定な部分を感じてしまった。第2幕はよかったと思うが、第1幕や第3幕はう~ん?だったかな。

歌手にとって大切なのは、声がホールの空間にきちんと定位すること。

でも自分は彼女はキャリアを積んでいけば、絶対大成すると確信する。 


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ペトラ・ラング

今回の公演の中では、フォークトに続き、自分的にはかなりクルものがあった歌手。
その個性的で演技も添えた深い表現力に舌を巻いた。
まさに迫真というか”気”が感じられた。
歌手の中で、かなり目立っていた存在で強烈なキャラを感じた。


聴衆も同じ印象だったようだ。カーテンコールでのブラボォーは凄いものがあった。

自分は、じつはペトラ・ラングはバイロイト音楽祭に行ったときにトリスタンとイゾルテで、イゾルテ役で聴いている。そのときは、悪くはないが特別な感情も抱かなかった。可もなく不可もなく、という感じ。

それは自分の中で、イゾルテと言えば、ニーナ・ステンメという圧倒的存在の歌手がいて、彼女をリファレンスにしているので、それと比較するとどうしても物足りないなにかを感じてしまうのだ。

でもこの日のラングは違った。強烈な個性で、主役のエルザを完全に喰っていた。
じつはこの公演の注目の強烈なダークホースかもしれない。 


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アイン・アンガー


まさに東京春祭ワーグナーシリーズでの常連。今回の公演は、男性陣歌手の素晴らしさがとても際立っていた、と思う。この人の出来栄えは、じつに素晴らしいと感じた。安定した発声能力、豊かな低音、そしてその声量の豊かさといい、申し分なかった。自分はフォークトに次いで素晴らしいと感じた。

現在まぎれもなく第一線で活躍しているエストニア出身のこのアイン・ アンガーは、ドイツ語、イタリア語、ロシア語の主要な役を含め、世界中から出演を請われている。

実際これだけのパフォーマンスを聴かされれば、それも納得でこれからも躍進すること間違いなしだろう。 


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エギリス・シリンス

フォークト、アンガーについで、素晴らしかった歌手。今年は本当に男性陣歌手が素晴らしかった!安定した声量、豊かな低音域に、その発声能力にとても感動した。テルラムントという、この演目では、要所を締める大切な役柄を見事に演じ切っていた。 


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甲斐栄次郎

日本人歌手も負けていない。甲斐さんがとても素晴らしかった!甲斐さんも、このN響ワーグナーシリーズでは常連で、いままで幾多の公演で実演に接してきた。この日の甲斐さんはじつに見事で安定した発声で、その低音の魅力を十分に発揮していた。

日本人の歌手の、世界に通用する、そのレヴェルの高さを実感するのだ。
自分は、日本人がこのように活躍しているのを観ると、本当に同じ日本人として誉れに感じる。
この日のノンノン賞をあげたい気分だ。(笑)


じつは、この公演で、もう1人どうしても楽しみにしていた日本人歌手がいた。

大槻孝志さん。

ブラバントの貴族役として出演された。
自分はSNSでつながっているので、どうしても1度は実演に接したいと思っていたのでした。感慨無量でした! 大袈裟でもなく、このことを達成できたことだけでも、この日に来た甲斐があったというもの。しっかりと目や耳に焼き付けました。

素晴らしかった!


終演。

前日に急に花粉症を患い、体調不良で臨んで、果たして長丁場に耐えられるか不安であったが、そんなことどこ吹く風。じつに素晴らしい公演で、いっぺんに目が覚めた!(笑)

1年の中で1番、N響さんがカッコいいと思う瞬間です、毎年のことながら。
4時間半、本当にご苦労様でした!

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(C)東京・春・音楽祭 FB




東京・春・音楽祭 N響ワーグナー「ローエングリン」演奏会形式上演
2018/4/5 17:00~ 東京文化会館大ホール

指揮:ウルフ・シルマー
ローエングリン:クラウス・フロリアン・フォークト
エルザ:レジーネ・ハングラー
テルラムント:エギルス・シリンス
オルトルート:ペトラ・ラング
ハインリヒ王:アイン・アンガー
王の伝令:甲斐栄次郎
ブラバントの貴族:大槻孝志、髙梨英次郎、青山 貴、狩野賢一
小姓:今野沙知恵、中須美喜、杉山由紀、中山茉莉

管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマス・ラング、宮松重紀
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
映像:田村吾郎(RamAir.LLC)
字幕:広瀬大介








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アラベラ・美歩・シュタインバッハー&読響のマチネ・コンサート [国内クラシックコンサート・レビュー]

1年間の中で楽しみにしていたコンサート。
そのときはあっという間で、興奮は一瞬だが、終われば心地よい疲労感。
年間に書く日記の中で、1番ミーハーな記事になりますこと申し訳ありません。(笑)

アラベラさんのメンデルスゾーンのコンチェルトは、3年前の2015年にヘンゲルブロック&NDRの日本縦断ツアー(大阪、名古屋、東京)をずっと追っかけたことがあって、今回の2公演含めると、通算5回聴いたことになる。

また、そのときの東京サントリーホールでの公演は、NHKが収録していて、オンエアされたものを録画してあって、もう数えきれないほど、本当に擦り切れるくらい何回も観たので、もうこのメンデルスゾーンの曲の最初から最後まで、曲中のどの部分で、どういう弓使いや体の動かし方をするかなどの動作が完璧に頭の中に入っている。

このライブ映像は、彼女の1番輝いているときの演奏で、最高傑作だと思っている。

ある意味、病理的かもだが、熱心なファンというのはそういうものだ。

そういうバックグランドの中で、今回の演奏を観た場合、結論から言うと、やはりヴァイオリニストという演奏家は、ある曲を演奏すると、もう自分の型というのが決まっていて、既述のどこでどういうアクションなのか、その魅せ処って決まっているものなんだなぁと改めて感心しさせられた。

今回の演奏は、もちろん素晴らしかったのだが、自分の中では、3年前に観た演奏スタイルの範疇を超えるものではなく、決め処での決まったアクションなど、演奏の流れの作り方、作法など、それはいわゆるアラベラさん流儀というものがあって、それをしっかりと再認識させられた感じだった。

彼女は、レパートリーもじつに豊富で、すべてのそれぞれの曲において、そういう自分の奏法、型や作法というのをしっかり持っているんだと思う。

今回、自分がよく知っているメンデルスゾーンだったので、そのことに気づいたのだが、よく考えてみると、それってある意味当たり前のことなのかもね。

でも今回は、前回と比較して、幾分柔らかめというか、優しい表現に自分は感じました。

東京芸術劇場につくと、こんな素敵なポスターが出迎えてくれた。 

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愛、憧れ、そしてドイツ・ロマン派名曲選。
なんて素敵なんだろう!

すごい春らしい。
いっぺんに自分の心が華やいだ。

そしてこれから遭遇するであろうコンサートに、さらなるワクワクの期待が。。。

2日間のマチネ公演に、こんな素敵なポスターを作ってくれるなんて読響ってなんて気が利くというか、センスがいいなーと感じた。

今回の座席は、もちろんヴィジュアル優先なので、かぶりつき。
ヴァイオリニストがソリストの場合は、自分はステージに向かって右側の前方を取るようにしている。

顔が対峙するし、音の流れもそんな感じがする。

初日

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2日目

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アラベラさんは、ベージュのドレス。これまた、いかにも春らしくていっぺんに空気が華やいだ。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、とても華があって、春らしい、可愛らしい、明るい感じの演奏であった。

ある意味とても女性的で優しさに満ち満ちた演奏解釈。

でも、それは解釈というより、彼女が持っている本来のキャラクターですね。

小柄でキャシャな体格なので、線は細いが、そのイメージに沿うような女性的な演奏スタイル。
演奏の型は、とてもビジュアルを意識した美しいフォーム。

特に弱音表現の美しさが彼女の持ち味だと思います。

曲調、つなぎ目に合せての弓使いや体重移動など、この曲に合わせて、あらかじめ自分が考案したのであろうと思われる美しいフォーム。

それが演奏にさらに華を添えていて、とても優雅なメンデルスゾーンに感じてしまった。

そして旋律の筋書ドラマの起伏に対して、とても広いレンジで対応できていて、その強弱、緩急のつけ方など見事であった。

完璧!

コアなファンである自分をも完璧に満足させてくれる最高の出来だと思った。

1年間楽しみにしていただけのこと、見事に報われたと思いました。



読響を聴くのは、じつに久しぶりで、自分もいつ以来なのか記憶にないくらい。
昔、ベルリンコンツェルトハウス管弦楽団のコンサートミストレスの日下紗矢子さんが読響のコンマスも兼任するというニュースを聴いたとき、これは、ぜひ1度聴きにいかないといけないな、とずっと思っていた。

とくに最近は、乗りに乗っているオケで、とてもよい評判を漏れ聞いていたので、ぜひ久し振りに聴いてみたいとは思っていたのだ。

読響を聴いた第1感の印象は、とてもバランスがいいということ。オケを聴いていると、得手、不得手のセクション含め、バランスよく聴こえてくるというのは、とても難しいこと。弦5部、木管、金管、打楽器含め、とてもよくまとまっていて、演奏のメリハリが効いていて気持ちがよかった。

各楽器のアインザッツの一致感や、音の瞬発力みたいなものが、自分に向かってど~んとやってくる感じで、それでいて美しいハーモニーが織なっている様式美みたいな感覚も兼ね備えていてとてもいい。

聴いていて、耳触りが良くて、バランス感覚が秀逸だと感じた。

その中でも特に弦の音色は、素晴らしいかな。自分の前方座席でも、その倍音豊かな響きは恍惚なものがあった。

とてもいいオケですよね。

よい評判は本物だと思いました。

前半のウェーバーの歌劇「オイリアンテ」序曲や、後半のシューマンの交響曲第3番のライン。ある意味スマートすぎるところもあるのかもしれないが、自分には、とても小気味のよい明晰な演奏に感じた。


指揮者の謙=デヴィッド・マズア。まさに期待の新鋭だが、長身でなかなかのスタイリッシュ。
指揮もとても明快でわかりやすく、動きが大きく機敏性に富んだ指揮だと感じる。
とてもわかりやすいので、演奏しやすいタイプの指揮者なのではと感じたりする。


読響を聴いていて、ちょっと面白いな、と思ったのは、最初のA(ラ)の音でやる調音のとき。

ふつうは最初のオーボエ奏者のラの音に合わせて管楽器奏者が合わせて、その後に弦楽器奏者が合わせるというのが9割方だと思うのだが、読響は逆なんだよね。

弦楽器が最初で、管楽器が後。
これって、調音のやり方っていろいろあるのかな?
面白いと思いました。

とにかく、超久しぶりに聴く読響とアラベラさんのコンビネーションがものの見事にあって、じつに素晴らしいひとときでございました。

これで、自分の2017-2018年シーズンはお終いでございます。(笑)
またつぎの目標に向かって、地道に平常生活に戻るだけです。


アラベラさんのFB公式ページから。

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そして、サイン会でのひとこま。

ふつうは、何連射も撮影した中から、これは!という1枚を選ぶものだけれど、今回は、どれも捨てがたいショットばかり。

え~い、全部載せます。ミーハーでスミマセン。(笑)
                                                      
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第205回 読響土曜・日曜マチネシリーズ
2018/3/10&3/11 14:00~ 東京芸術劇場

指揮:謙=デヴィッド・マズア
ヴァイオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハー

コンサートマスター:小森谷巧

前半

ウェーバー歌劇「オイリアンテ」序曲
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64

~アンコール
バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番「ラルゴ」


後半

シューマン 交響曲第3番 変ホ長調作品97 <ライン>


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一期一会 [国内クラシックコンサート・レビュー]

今年は、事情があって、十分なコンサート通いができなかった。年間後半など、行きたい公演はたくさんあったのだけれど、最初からしっかり計画が立てれなくて諦めていたりした。本当に残念。

行けた演奏会は、ほとんどなかったと思うが、でもその中でも、自分の一生の想い出に残る公演に立ち会うことはできた。

やはり音楽の神様は、最後には自分を救ってくれた。

生演奏会って水もの。

生演奏かオーディオかの議論は、自分にとっては、もはや食傷気味のテーマであるけれど、そこで達観したひとつの結論。

生演奏会は、出来不出来の差が多く、感動したり、がっかりしたり、その繰り返しなのだ。

でも感動した時のあの興奮の極みは、オーディオでは味わえない。「あの日、あのとき、あの瞬間」に立ち会えているという想いが、その感動の強さを際立たせる。

長年、生演奏通いをしていると、「一期一会」の体験をすることがあるのだ。

長年通っていて、これだけの感動を体験できるコンサートは、もう二度と経験できないんではないか?水ものの生演奏だったら尚更。。。そんな感じ。


自分の一生の中で、この一期一会の体験をいかに多く体験するか、期待してはがっかりして、たまに出会って・・・それの繰り返し。

十分なコンサート通いができなかった今年の中で、まさにその一期一会の公演に出会うことができた。

そう胸を張って言えるのが、

9月18日(月)のサントリホールで開かれた

第46回サントリー音楽賞受賞記念コンサートの広上淳一さんと京響こと京都市交響楽団のラフマニノフの2番。

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まさに空前絶後の超弩級の名演だった!

ここ数年で、もっとも心揺さぶられた演奏だったと言っていい。

ロシア・ロマンティシズムの極致にあり、その次から次へと繰り出される甘い旋律に呼吸をしているのを忘れるかのような気持ちよさとその陶酔感。

これだけ完璧な演奏を聴いた経験はなかった。在京楽団はもとより、外来オケより数段上だし、この日の出来は、人に感動を与えるという側面では、ベルリンフィルやウィーンフィルよりも遥かに上だった、とも思えた。

その日、その瞬時が生み出した奇跡の瞬間、神業なのだと今思えばそう感じる。

まさに神、降臨!そんな感じだったのだ。

オーケストラの演奏でこれだけ人の心を感動させることが可能なものなのか、そんな永遠のテーマを自分の心に訴求してくるような、公演後、何時間、何日経過してもその興奮と震えが止まらなく、いつまでもあの旋律が頭の中をずっとループしているようなそんな現象。

たぶん今後も一生出会えないほどの名演、まさにこれこそ一期一会の体験だと言えるのではないか、と思った。

今年度の統括として、この日の公演、広上さん&京響のメンバーのみなさんに、今年のノンノン大賞を授与さしあげたいと思います。(笑)


そんな広上さんと京響であるが、今年の3月の春の京都でも、地元の京都コンサートホールで体験することが出来た。京響創立60周年記念を祝するコンサートで、滅多に演奏される機会のないマーラーの8番「千人の交響曲」。

土壇場になって、歌手がドタキャンしたり、傷もあったりしたが、見事ピンチヒッターがそのリカバリー。

素晴らしい公演だった!

その公演の模様が、12月31日 大晦日の日に放映されます。

12月31日(日)8:00AM~9:30AM  BSフジ 京都市交響楽団「千人の交響曲」


私は最前列のかぶりつきで聴いていました。(笑)
広上さんが京響を振る、という図式を観れた記念すべき公演でした。

ぜひ録画です!
ご覧になってください!





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サントリー音楽賞受賞記念コンサート 広上淳一&京都市交響楽団 [国内クラシックコンサート・レビュー]

今日の午後突然ひらめいた。このコンサートがあることは、1年以上前から知っていたが、訳あって今年は行けないものだと諦めていた。それでも前日、当日券があることも知っていたのだが、それでも踏ん切りがつかなかった。

本当にギリギリの午後になって、突然お告げがあったように行こうと思った。

行って本当によかった。

もうひとつの動機付けに、新装オープンになったサントリーホールの様子を確かめてみたい、という理由もあった。

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まずサントリーホールの新装オープンの様子の感想を書いてみる。

事前に知っていたところでは、ステージ床の全面張替え、座席の敷物シートの全面張替え、パイプオルガンのパイプを全部1本づつクリーニングしてのメンテナンス、そして女性トイレの増設、こんなところであった。

でも実際行ってみないとわからないことが多かった。実際見てみて、そうなっていたか!という感想が多かった。

大きな工事としては、ホールに向かって右側のほうに行くと通路があるが、その奥にさらに新しく通路が出来ていた。突貫工事で作った通路らしく、入って右側は外の通路に剥き出しになっている。(笑)

入って左側を進んで、その入り口のほうを映したアングル。
(係員の立っている向こう側が外に剥き出し。)

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この通路のところに、エレベーターが新設されていた。
障害者の方には優しい心遣いだろう。

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一番驚いて、ものすごい効果があると思ったのは、トイレの増設。
特に女性トイレ。

自分の淡い記憶だと、1階はホールに向かって左側にしかトイレがなくて、女性トイレはもちろん男性トイレもいつも長蛇の列だった。

自分はよく並んでいたのでしっかり覚えている。

それが、右側にもトイレが増設された。(奥の新しい通路のところ)男女ペアで、それが2箇所。

さらに2階のトイレも右側に男女ペアであったのを、そのエリアを女性専用に拡張して、男性トイレは、少し離れたところに。

従来よりも2倍以上、トイレが増設。特に女性トイレが大幅に増設になった。

休憩ブレイクのときに、試しにいろいろ覗いてみたが、なんと女性トイレはまったく列がなかった!ガラガラに空いていた。

男性トイレのほうが少し列ができているくらい。

そして休憩時間、男性トイレも使ってみたのだが、ここも従来より遥かに広くエリアが増設されていた。

恐るべき効果てきめん!

世界のどこのコンサートホールでも問題になるトイレの長蛇の列問題。
見事にクリアしている。画期的ですね。

その他の気づいたこと。

ホール横の通路に緩やかにスロープ(傾斜)ができたこと。


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今日の座席は最前列。


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ステージの床も見れた。もちろんピッカピッカだった。

そして座席の敷物シーツ。

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これを総入れ替えすることって、ホール音響にとって、かなりチャレンジングなことだと思っていた。シーツは吸音材で、座席の占める割合ってホールの容積のかなりの部分を占めると思うので。

でもそんなにデッドになったとか、という印象なし。お客さんが座るとその部分は隠れるからだろう。

今回の改修作業には、音響に関するメンテナンスはいっさいないようなので、もちろん音響がそんなに変わったという印象もいっさいなし。


ただサントリーの最前列は、かなりサウンド、音的にキツイ。(笑)

京都コンサートホールの最前列のほうが、ステージとの距離がかなりスペースが空いているので、ある程度バランスが取れて聴こえるのだが、サントリーは、もうステージにピッタシくっついているので、聴いていて、かなり厳しい感があった。

オケのサウンドに奥行きが出ない感がありますね。


でも、後半の大感動の演奏に、すっかりそんなことも慣れてまったく気にならなくなった。


大体そんなところです。トイレの増設は一番大きなメリットのように感じました。



今日は、サントリー音楽賞受賞記念コンサート。

毎年、その前年度においてわが国の洋楽文化の発展にもっとも功績のあった個人又は団体をサントリーから顕彰する賞で、広上淳一さんと京都市交響楽団は、2014年に受賞している。

サントリーホールで、そのお披露目演奏会なのである。


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京響をまさにここまで育て上げたのは、広上さんの渾身の10年間で、それが評価されての受賞なのだ。

自分も去年の夏、秋、そして今年の春と、地元京都で、この楽団の演奏会を堪能して、京都の美しい街並みと共に深く記憶に刻み込んだ。

そんな経緯があるので、サントリーホールでのお披露目コンサートには、ぜひ行きたいと思っていた。

最初の曲は、武満徹さんのフロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム。

TVや映像素材でしか拝見したことのなかったこの曲。
5人の打楽器奏者で、まさに武満ワールドと言える尖鋭な音と隙間のある空間の絶妙なバランスと旋律が織りなす摩訶不思議な世界。


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ステージ最前列に並べられたいろいろな打楽器の種類が、この曲独特の仕様で興味深い。

その音色も、あのカウベルを思い起こさせるものや、電子音のような音色であったり。
上の写真も、この曲仕様のステージ上の仕掛けで、あの5色の長いリボンを打楽器奏者が揺らすことで、美しい鈴の輪唱が鳴る。

なかなか実演に接することのない曲だと思うので、大変貴重な経験だった。




とにかく今日の公演は後半のラフマニノフ 交響曲第2番に尽きる。

もうこの曲は、ラフマニノフの作品の中でもダントツの人気曲で、もう始まる前から盛り上がること必須だと思っていた。

その甘美でロマンティックな旋律に彩られた、恋人とビロードのような甘い愛をささやき合うような・・・ そんな美しい曲である。一度聴けば、誰もすぐに虜になること間違いない。

自分も大好きな曲である。

この曲は広上&京響の18番の看板の曲なのだそうである。



これが超弩級の名演だった。


ここ数年の中で、もっとも心揺さぶられた演奏だったと言ってもいい。

分厚い安定した弦、音色の安定した描き方にコントロール、ともに広上さんの手中の中で、ものの見事に操られていた。

特に京響は弦セクションのレベルが非常に高いと去年から感じていることで、その安定した分厚い鳴りっぷりは感心することしきりであった。

そしてアインザッツ(音の出だし)が完璧に揃っていた。単純に音の出だしが合っている、といってもタイミングや音程や、リズムが合っているというレベルではなくて、最初の一瞬の音の震え、音の力、音の勢い、というなんとも言葉じゃ表現できない音の全てが完璧に合っている、そんな凄さがあった。

こんな安定感のあるサウンドで迫られると、後半どんどんクレッシェンドしていき、すごい高揚感に煽られ、こちらがドキドキして堪らなかった。

そして適切なフレージングの長さとブレス。このリズム、長さ加減が、微妙に聴衆の呼吸のリズムに影響するものだが、その次から次へと繰り出される甘い旋律に呼吸をしているのを忘れるかのような気持ちよさと陶酔感があった。

とにかく完璧な演奏だった。

今日のこれだけの名演の演奏レベル見せつけられると、どの都内の在京楽団も勝てんだろう。(^^;;

なぜなのか、自分のことでもないのに、ずいぶんと誇らしげな気分になって、余韻に浸りながら帰路についた。

今日は、突然のひらめきで来たのだが、本当に来てよかった。やはり音楽の神様は我を見捨ててはいなかった。

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第46回サントリー音楽賞受賞記念コンサート 広上淳一と京都市交響楽団
2017/9/18(月)18:00~ サントリーホール

武満徹:フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム
~5人の打楽器奏者とオーケストラのための~

ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調op.27


アンコール~

チャイコフスキー:組曲 第4番作品61「モーツァルティーナ」より第3曲「祈り」




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ハーゲン・クァルテット@神奈川県立音楽堂 [国内クラシックコンサート・レビュー]

なかなか実演に接することができなかったクァルテットだった。オーディオではもうお馴染みで、徹底的に聴き込んできたのに、自分で彼らの生演奏を聴く機会を捉えれなかったのが信じられないくらい。

1981年結成なので、36年の大ベテラン。

日本にももう数えきれないくらい来日していると思う。キャリア・実力ともに、まさに史上最強の弦楽四重奏団なのだと思う。



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ハーゲン・クァルテット

2013年から、日本音楽財団より貸与されたストラディヴァリウス「パガニーニ・クァルテット」を使用している。

4人はザルツブルクのモーツァルテウム音楽大学の教授である。

2013年にザルツブルク音楽祭に行ったときに、ぜひ彼らを、あの美しいホールであるモーツァルテウムで聴きたい、という夢をずっと抱いていたのだが、残念ながら日程のタイミングが合わなかった。

所属レーベルは、20年間に渡りDGに所属して、なんと約45枚のCDをリリース。その後結成30周年を祝して、ドイツの高音質指向型マイナーレーベルであるmyrios classicsに移籍した。

myrios classicsは、自分的にはとてもお気に入りのレーベルで、SACDサラウンドで収録することを前提としていて、とてもクオリティの高い録音を聴かせてくれる。

看板アーティストは、このハーゲン・クァルテットと、ヴィオリストのタベア・ツィンマーマン。

彼らのアルバムはDGもたくさん所有しているけれど、やはりmyrios classicsに移籍してからは、普段聴くのはもっぱらこちらオンリー。やはりSACDサラウンドというのが聴いていて心地よい。

さっそく予習で久しぶりに聴いてみた。

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ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス。



なんと優しい音なんだろう。(笑)

線が細くて、いわゆる美音系。絹糸のようなきめ細やかさと繊細さを兼ね備えたようなソフトタッチな音触り。耳だけで聴く彼らのイメージはとてもスマートで洗練されているような細身なサウンドの持ち主のような感じだった。

ガツンとくる体育会系とは真逆にあるような都会的に洗練されたイメージ。





そんな彼らの生演奏を神奈川県立音楽堂で聴いた。


神奈川県立音楽堂は、あの東京文化会館で有名な前川國男氏の設計で、日本で最初に高い評価を得たホールということで、「東洋一の響き」とまで言われたホールである。

イギリスのロイヤルフェスティバルホールを参考に造られたらしい。

自分は何回もこのホールに通っているものと思っていたが、どうも神奈川県民ホールと勘違いしていたようだった。(笑)


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全面木材で作られた木造ホールである。


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客席はこのようにかなりの急勾配になっている。

一見シューボックスに見えるのだが、厳密にはステージから客席がやや扇形に広がっていて、サウンドの傾向もシューボックスとは違う。反射音はステージの天井から客席の天井に設置された反射板で客席に届けられる。



このホールの音響を自分の耳でじかに聴いた印象。


包まれているように響きが豊かという感じでもなく、ホール内を音が十分に回っているというイメージでもなく、とは言っても極めて中庸というかそんなに文句もないニュートラルな感じに思えた。

最新鋭のホール音響と比較するのは酷とはいえ、時代相応の素晴らしい響きだと思った。

シューボックスのように響きが豊かで、音像が左右に広がる感じで定位が甘くなるのとは真逆で、どちらかというと弦の音色が歯切れがよく空間に明確な定位で浮かび上がる感じで、ソリッドな印象だった。(特にチェロの音のゾリゾリ感!)

たぶん、反射音が直接音に続いて奥行き方向に整列して聴こえるためだと思う。

あと、直接音に対して響きがかなり遅れて聴こえてくる感じで、空間感とそこに広がる響きを感じるイメージだった。



椅子は結構全体的にクッション性のもので覆われていて、結構吸音効果の強い椅子のように感じた。これも全体の音響に影響あるはず。

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そんなホールで彼らをはじめて聴く。


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かなり出遅れたので、この座席は仕方がない。やはり前で聴きたい。

ショスターコヴィチにベートーヴェン、そしてシューベルトという布陣。

特に後半のシューベルト「死の乙女」は、自分のお気に入りの曲で、曲調的にもかなり動的な音楽なので、普段の”おとなしいサウンド”というイメージを払拭してくれるものと期待していた。

前半の2曲は、やはりオーディオで聴いていた通りのイメージ変わらずという感じで、とにかく優しいソフトな感触の演奏。

直に聴いてみて、やはり違うな、と感じたところは、とてもアンサンブルの完成度が高くて、まるで精密機械のように正確無比で緻密な演奏だと思えたことだった。

4人がそれぞれ卓越した演奏技術を持っているのに加えて、その合奏の組み立て、お互いのあうんの連携が妙に完璧なのだ。

フレージングやアーティキュレーションといった奏者側の解釈もふんだんに盛り込まれているはずで、それが妙に生々しくてリアルに感じとれる。

4人のあうんの呼吸とか、息遣いなんかが聴こえてきそうな・・・至近距離の室内楽の醍醐味と言ったところだろう。

でも、自分の好み的にもうひとつと思えたのは、やはり全般的に優しすぎる。(笑)

丁寧で緻密な音造りに裏付けられた演奏のそこには聴衆をぐ~っと抑揚させるような劇的なドラマがいまひとつ足りないと感じた。

そういうドラマがあるからこそ必要な技術、アンサンブルの妙もあるはず。

でもそれは選曲に左右されることで、予想通り、後半のシューベルトの「死の乙女」でその不満は見事に解消された。




情熱的な激しさを持った悲劇的情調で表現されているこの曲。


自分を最高潮のヴォルテージに導いてくれたし、ある意味、荒々しい激しいもう一面の彼らの演奏姿を見ることもできて、最強の弦楽四重奏団だという確信を持てた。


さすが血を分けた兄弟だけはある。(笑)


この曲によって彼らの集中力、そのほとばしる演奏、激しくて緊張感がある、メンバーとのお互いの丁々発止とも思えるやりとりから発する大きなエネルギー感みたいなものが、聴衆である自分にどんどん迫ってきた。

これには、自分はたまらずシビレた。
やっぱり自分は、情熱的で抑揚のある表現の演奏が好きなんだなぁ。

部屋でしんみりと静かに聴くBGMのような音楽も魅力的だけれど、生演奏のライブでは、やはり自分の血を煮えたぎらせてくれるそんな高揚する要素ってとても大切。


そういう意味で、今回の公演での彼らの前半と後半にかけての選曲の巧妙さは、十分に計算され尽くしているものだったんだなと深く感銘した。



ハーゲン・クァルテット、自分の印象は、高い技術に裏付けられた緻密なアンサンブルのクァルテットだった。

ぜひザルツブルク・モーツァルテウムで彼らの勇姿を再び見てみたいものだ。









ハーゲン・クァルテット演奏会
2017年7月2日(日)14:00~ 神奈川県立音楽堂

ショスターコヴィチ:弦楽四重奏曲 第3番 ヘ長調 作品73

ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 作品135

(休憩)

シューベルト:弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調 D810 「死と乙女」

(アンコール)

ハイドン  弦楽四重奏曲 第78番「日の出」より第3楽章








ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団来日公演2017 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ベルギー、ブリュッセルを心から愛する自分からすると、このブリュッセル・フィル初来日という話題は、とてもユニークで興味をそそられた。


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まず、ブリュッセル・フィルってはたしてなにもの?(笑)


クラシック愛好国である日本でも、ほとんど知名度がないオーケストラで、自分もはて?どんなオケなのだろう?という思いがあった。でもいろいろ調べてみると、じつは今年で創立80周年を誇る伝統あるオーケストラで、近年のツアーではウィーン・ムジークフェライン、ベルリン・フィルハーモニー、ロンドンやパリの檜舞台で爆発的成功を収めて再演の依頼が絶え間なく、ヨーロッパで評価が急上昇しているのだそうだ。


なんと自分の自主制作レーベルも持っている。


そしてなによりもあのベルギー、ブリュッセルで開催されるエリザーベト王妃国際コンクールで伴奏をつとめているのが、このブリュッセル・フィルだということ。これはかなりしっかりと芯のあるオーケストラだなと見直すきっかけにもなった。


そしてなにより自分を感動させたのは、満を持して臨む初の日本ツアーで、オーケストラも自己のファンドから数千万円の国際航空運賃の負担を自ら申し出て臨む、という気合十分な対応だったということだ。


日本では、愛知・東京・札幌・金沢・姫路・東広島・観音寺・福岡の8都市を回るのだという。


知名度の低さということもあって、広告費などもあまり十分にないような感じで、今回のツアーもほとんど知られていない感じ。自分も東京公演の直前に知った。ツアーマネジメント体制もひ弱なのかもしれない。


ベルギーのオケということもあって応援がてらぜひ当日券で行ってみようと思った。


久しぶりの東京芸術劇場。

前方のかぶりつき席にした。


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知名度の割には、ほとんど満員御礼であった。うれしい限り。

楽団員は女性団員がかなり多い感じがした。
クラシックの厳粛な風情というより、より砕けた感じでリラックスした雰囲気が漂っている。


まず驚いたのは、その弦楽器をはじめとするオーケストラの発音のエネルギーがすばらしく大きいこと!まさに大音量と言っていいほどで、これには心底圧倒された。がっちりと根太い低音で土台を築かれた和声感のある厚みのある弦のサウンド。非常にうれしくなった。


自分好みのオーケストラサウンドだからだ。


全曲を通してテンポが速かったような気がするが、とにかく大音量で、とても切れ味のある力感、迫力に圧倒された。全体のバランスもいい。


素晴らしいオーケストラじゃないか!


自分の解釈では、確かにアンサンブルの所々に荒さは散見されるけれど、間違いなく一流のオーケストラの力量は秘めていると確信できる。


素晴らしいと感じた。


これだけの力感と大音量であれば、絶対オーディオマニア受けするオケではないか、と思ったほどだ。(笑)

敢えて言えば、金管の音色がややプアだったかな、と気になったくらい。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」と、交響曲第3番「英雄」という、まさにドイツ・ロマン派の重厚な音楽の横綱相撲と言っていい。このブリュッセル・フィルのとても力強い分厚いサウンドにぴったりとイメージが合致していた。


皇帝の独奏ソリストであったモナ=飛鳥・オットさん。
実際の素顔は、意外や普通っぽい親しみやすい美人。やや線が細い感じで繊細なタッチという印象ではあったが、奇をてらわない堂々たるスタンダードな演奏解釈で素晴らしかった。


素直に感動できた。


最後に指揮者のステファヌ・ドゥネーヴ。2015年より音楽監督に就任したばかり。元気いっぱいのパワフルな指揮振りで熱い情熱を感じる指揮者だ。とにかく好感をもてるのが、ステージ上での所作がお茶目でユーモアたっぷりで、全くクラシックぽくないところだ。(笑)こういうタイプの指揮者は初めて観る。


すべてにおいて、合格点であったブリュッセル・フィル。
自分の愛するベルギーにこんな素晴らしいオーケストラが存在していたなんて!


なんとうれしいことだろう!


今回の日本縦断ツアーでしっかりその印象を日本国民に刻み込んで欲しい!とくに金沢・姫路・東広島・観音寺は、ふだんクラシックのオーケストラがコンサートに来ることなんて、滅多にないことだと思うので、十分楽しんで、そしてその勇姿を聴衆にがっちりと刻み込んで欲しいと思う。




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サイン会でのモナ=飛鳥・オットさん




ブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団来日公演2017

2017年06月11日 (日)14:00 開演  東京芸術劇場

コネソン:フラメンシュリフト (炎の言葉)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」

(ソリスト・アンコール)
リスト ベネツィアとナポリより、カンツォーネ

(休憩)

ベートーヴェン:交響曲第3番 「英雄」

(オーケストラ・アンコール)
シューベルト ノザムンデより第3番




東京・春・音楽祭「神々の黄昏」 演奏会形式上演 [国内クラシックコンサート・レビュー]

4年間、本当にありがとう。マエストロ ヤノフスキ、そしてN響の勇士たち!

心から感謝してやまない。

毎年思うことだが、この舞台になるとN響が、全く別人に見える。普段のN響定期で感じる印象と違って、まさに世界一流のトップオーケストラの風格を感じ、実際彼らが出しているサウンドも、弦の揃った分厚い音、嫋やかな木管の音色、安定した金管の咆哮など王者の風格、そして長大なワーグナーの旋律のうねりを表現してくれ、きっとこの舞台だからこそ生まれる奇跡にいつも驚かされ続けてきた。

東京春祭が4年かけて上演してきた「ニーベルングの指環」最終章「神々の黄昏」、無事終わった。
終演後のマエストロ ヤノフスキのカーテンコールを観ていたら、ずっと4年間観てきた想いが走馬燈のように思い巡り、涙が溢れ出てきた。

このワーグナーシリーズ、もちろん来年も続くが、自分にとってこのヤノフスキ リングがひとつの大きな括りになった、と思う。

この日の上野恩腸公園の桜。

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”花冷え”という言葉が似合う風情で、満開はもうあと1週間後かな、という感じだったが、じゅうぶんに美しく、花見でたくさんの人で賑わっていた。

いよいよ東京・春・音楽祭のN響ワーグナーシリーズ、リング最終章「神々の黄昏」 。
じつに5時間の大舞台だ。

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この日のために、もちろんヤノフスキ&PENTATONE盤でしっかりと毎日予習していたのであるが、ジークフリートのライトモティーフが、ずっと頭の中をループしていた。(笑)頭の中をあのメロディがずっと1日中鳴りっぱなしなのだ。ワーグナーのライトモティーフは、じつに巧妙で、その旋律も心の中に深く浸透するというか、ワーグナーのオペラは本当に強烈だと感じたものだ。


今回の座席も前方かぶりつき。歌手ものは、声の指向性、歌手の歌っている表情を堪能するにもぜったい前方がいい。

なんと、開演前に、マエストロが譜面台の高さの調整に現れた。

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今回は大変なアクシデントがあった。

開演直前に主役の2人、ジークフリートのロバート・ディーン・スミスと、ブリュンヒルデのクリスティアーネ・リボールが突然の体調不良で降板。すでに来日していて、リハーサルも参加して順調そうに見えたのだが、突然の体調不良で音声障害になってしまい、降板となってしまった。

東京春祭スタッフ陣営の大変な狼狽ぶりは想像できる。急遽、ピンチヒッターを立てる。4/1本番の公演に対して、3/29に急きょ来日という慌ただしさ。練習も十分にできないまま、本番に突入したと思われる。

それにしても東京春祭スタッフ陣営の、このピンチヒッターを急遽探し出さないといけない、スケジュールが空いていて、しかもジークフリート、ブリュンヒルデを歌ったことのあるワーグナー歌手ということで、きっと徹夜で世界中をコンタクトし続けて探し回ったに違いない、その緊迫した数日間は十分に想像できる。

公演中止という最悪の事態はどうしても避けないといけない。

体調不良で降板した2人のプロとしての体調管理の甘さもあろうが、これに関しては、彼らを責めるのではなく、じつは自分の責任だと思っている。(意味不明な表現で申し訳ない。)

ピンチヒッターは、ジークフリートにアーノルド・ベズイエン、ブリュンヒルデにレベッカ・ティーム。ベスイエンは、本職ではないにしてもジークフリートを歌ったことはあるし、ティームにおいては、ブリュンヒルデをかなりの回数歌ってきており、得意な役柄のようであった。

そんなハンディの中、公演はスタートした。


公演の全体の印象。

やっぱり歌手陣が例年に比べ小ぶりというか、どうしても見劣りがした。主役の2人がピンチヒッターというのがどうしても厳しい。

でもブリュンヒルデのティームのほうは、かなり健闘していたのではないか、と思う。最初こそエンジンがかかりが遅いように感じたが、徐々にその本領を発揮し、見事にブリュンヒルデという大役を果たし、今回の公演が十分に成立した、感動できるレベルになったのは、ひとえに彼女の奮闘のおかげではないか、と自分は感じている。

声質的には、基本はディリケートな細い印象を受けたが、ワーグナー歌いには必須の軍艦のような圧倒的な声量はしっかり持っている、というアンバランスな声の持ち主だと感じた。

この神々の黄昏では、第3幕に「ブリュンヒルデの自己犠牲」という長いアリアがあって、そこをブリュンヒルデ1人で歌い続けないといけない、ある意味ここが最高潮の山場というところがあって、そこをティームは見事に歌い切った。

感動的でもあった。自分はこの最後の最後で彼女への信頼が確信なものになり、かなり感銘した。

去年の夏のバイロイト音楽祭でも、この「ブリュンヒルデの自己犠牲」のアリアはまさに圧倒的な絶唱で、その後のカーテンコールではブリュンヒルデが圧倒的なブラヴォーを独り占めしていた。終演に近い一番の最高の見せ場なので、ある意味ブリュンヒルデが一番スターになりやすい構成なのだ。

今回のカーテンコールでもティームは、圧倒的なブラヴォーを浴びていた。まさにピンチヒッターの大役を果たしていた。


可哀想だったのが、ジークフリートのベズイエンだったと思う。声質は甘く(ロバート・ディーン・スミスの声に比較的似ていると自分は感じる。)、とても丁寧な歌いまわしでいいと思うのだが、声量というか、発声のエネルギー感がどうも不足しているような感じで、聴衆に響いてこない。もっと感情的に聴衆に訴えかけてくるような大きい波が欲しかった。
終始棒読み的な歌い方で、エモーションを感じなかった。

でも、彼を責めるのは酷だと思う。ジークフリートを歌ったことはあるにしても、やはり経験不足、練習不足。こんな急なシチュエーションを引き受けてくれて、ある意味そつなくこなしたのであるから、ご苦労様とねぎらいたいくらいだ。

そういう意味で、カーテンコールではブラヴォーがなかったのは聴衆は正直とはいえ、自分には本当に可哀想に感じた。

他の歌手で素晴らしいと感じたのを数人挙げてみると、


ハーゲンを演じたアイン・アンガー。恐るべし超低音のバスの迫力を持った声質で、独特の雰囲気があった。この演目の中でも独特なキャラクターで自分にはかなり印象的であった。

そしてアルベリヒを演じたトマス・コニエチュニー。彼も非常に魅力的なバス歌手に感じた。声質がとてもスマートな低音の持ち主で、声帯が広いのか、発声に余裕がある感じで、さらに安定感が抜群なので、かなり素晴らしいバス歌手のように思えた。

エリザベート・クールマンは、ワルキューレのとき、とても圧倒的な歌唱で素晴らしかったのであるが、今回も出番は少なかったが、素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。特に彼女の場合は、歌っているときの表情がとても感情豊かで、まさに演技をしているかのよう。じつに素晴らしいと感じた。


今回残念ながら降板したロバート・ディーン・スミスは、最後はやはり聴いて、観ておきたかった。自分にとって、ヤノフスキ&ベルリン放送響で現地ベルリンフィルハーモニーにて、ワーグナーの演奏会形式を2回実演に接した幸運に恵まれて、そのとき2公演とも主役がロバート・ディーン・スミスだった。自分にとって忘れようにも忘れられないワーグナーのヘルデン・テノールなのだ。


マエストロ ヤノフスキは、もう本当に素晴らしい。最近の若い世代の指揮者にありがちなパフォーマンスありきの派手な指揮振りとはまったく極致にあるような指揮。無駄な贅肉をいっさい排したような筋肉質で、禁欲的でもある、ものごとの真髄を追及したような洗礼された指揮だと思う。

5時間にわたって、この大曲で、N響から素晴らしいサウンドを引き出し、そのお互いのコンビネーションは本当に見事としかいいようがなかった。

ゲストコンサートマスターのライナーキュッヒルも相変わらず素晴らしい。自分の座席からキュッヒルの演奏姿はよく見えるのだが、彼の奏でる音が周りからすごい独立して聴こえてくる感じで、オケをグイグイ引っ張っているのがよくわかるのだ。

まさにこれぞ、ザ・コンサートマスターという感じ。

もう彼のこんな牽引具合を観たのは、6回以上にはなるだろうか?今回のリングと、サントリーでのウィーンフィル来日公演で。

本当にコンサートマスターとはこうあるべき、という見本のような奏者のように感じる。
4/1よりN響のゲストコンサートマスターに就任。日本での活躍が楽しみでもある。

2014年からスタートした東京・春・音楽祭による「ニーンベルグの指環」の演奏会形式。日本の独自企画で、ここまで素晴らしい公演を堪能できるなんて、本当に日本人として誉に感じる、いま想うのはただそれだけ。


東京春祭のワーグナーシリーズは、来年以降ももちろん続くが、いまの自分にはなんか喪失感が大きい。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

 東京・春・音楽祭 N響ワーグナーシリーズ 「ニーンベルグの指環」 神々の黄昏
2017/4/1 15:00~20:00 東京文化会館大ホール

指揮:マレク・ヤノフスキ
ジークフリード:アーノルド・ベズイエン(ロバート・ディーン・スミスの代役)
グンター:マルクス・アイヒェ
ハーゲン:アイン・アンガー
アルベルヒ:トマス・コニエュニー
ブリュンヒルデ:レベッカ・ティーム(クリスティアーネ・リボールの代役)
グートルーネ:レジーネ・ハングラー
ヴァルトラウテ:エリーザベト・クールマン
第1のノルン:金子美香
第2のノルン:秋本悠希
第3のノルン:藤谷佳奈枝
ヴォークリンデ:小川里美
ヴェルグンデ:秋本悠希
フロースヒルデ:金子美香

管弦楽:NHK交響楽団
     (ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)
合唱:オペラシンガーズ
合唱指揮:トーマスラング、宮松重紀
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
映像:田尾下 哲
字幕:広瀬大介






 


埼玉初上陸!のだめコンサート@ウエスタ川越。 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ついに今週の土曜日に、のだめコンサートがやってくる。今回は埼玉県にある川越市に去年平成27年の春にできたばかりの複合施設「ウエスタ川越」の大ホールでおこなわれる。

ピッカピカの新ホールだ。

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本来は多目的ホールの意味合いが強かったのだろうけれど、写真を見てもらえばわかるように、完璧な音楽ホールで、シューボックスに近い形。(やや扇型で外に広がっている。)天井や両側面には、調音のための反射板パネルが装備されている。

後方になるにつれて外に広がる形なので、後方になるにつれて、反射音がきちんと客席に戻ってくるように反射板パネルがさらに強烈な仕掛けになっている。ちょっと座席に傾斜があるかな?という感じはある。キャパは1700席程度の少なめでウィーン楽友協会とほぼ同じで、シューボックスに適した容積。

こ~れは音響良さそうだ!(笑)

まず、この面だけでも、自分には楽しみ!


のだめコンサートの魅力は、やはり心が暖かくなるというか、とても楽しいコンサートというところにあるのかもしれない。

ふつうのクラシックコンサートにあるような高貴な趣味という佇まいの雰囲気もいいのかもしれないが、のだめコンサートは、もっと庶民的で、とても人のぬくもりを感じる暖かい雰囲気のコンサート。

この点が自分には、とても気に入っている。

その証拠に驚くのは、その若い客層だ。

ふつうのクラシックコンサートって、自分の経験上、かなり高齢層のファンで占められている。サントリーホールやミューザ川崎で、自分の席に座ると、キョロキョロ見回してみるのだが、やはり年齢層が高いよな~、クラシックを支えているファン層って、やはり高齢層なんだな~と毎回思うものだ。

もちろん例外もあって、人気テノールのヨナス・カウフマンのリサイタルなんか、女性ばっかり、というのも確かにある。(笑)

最近クラシックを仕事面から考えることも多く、車の中でコンサートホールを実現というけれど、自分が長年経験してきているクラシックコンサートの客層って、間違いなく高齢層によって支えられているもので、そうするとシニア層による運転を狙うのか?

どういう運転層を狙うのか?とかマーケット面を真剣に考えたりするのだ。(笑)

それに対し、のだめコンサートは、信じられないくらい客層が若い。50歳台の自分が、ちょっと居心地悪いというか、恥ずかしくなるような感じがするくらい。若い男女カップル、若い女性同士、とにかく、周りの空気がパッと明るくなるような若い客層で占められている。

これって、とても大切なこと。
若いファン層に、クラシックに接してもらうとてもいいチャンス。

そして、こののだめコンサート、毎回開催すれば、必ず満員御礼の集客力。
その果たしている役割って大きいと思うのだ。

とにかくアットホームで心暖まる雰囲気で、客層がとても若い、ここに、いつもとは違う新しい形態のクラシックコンサートがあって、自分はそこにとても魅力を感じる。

企画、そして司会進行MC、そして指揮者が、現在NHK交響楽団の首席オーボエ奏者の茂木大輔さん。(以下写真はFBからお借りしています。) 

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大変マルチタレントな方で、有識者でもあり、いろいろな面で才能豊かな方でもある。ずっと応援してきている。茂木さんと、「のだめカンタービレ」の原作者の二ノ宮知子さんとの交流から、このコンサートは始まった。まさに茂木さんが引っ張っていっている企画なのだ。


そして、今回出演される高橋多佳子さん。 
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もう20回以上、そして毎回レギュラー出演で、高橋さん抜きののだめコンサートは考えられない。茂木さんと高橋さんのコンビで支えてきた企画と言えると思います。

超美人で優しい感じの方で、でもどこか3枚目キャラのあるところが魅力だったりします。(笑)ショパンコンクールで第5位という輝かしい経歴を持っていて、そのショパンの故郷 ポーランドにも12年暮しており、ショパンとともに人生を歩まれてきた。

現在も第1線のピアニストとして活躍されていて、桐朋学園講師、そしてコンサート活動、教育関連と幅広く活躍されています。



そして、もう1人、出演される岡田奏さん。 
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これは自分の考えなのだが、ある意味今回ののだめコンサートの主役は、この岡田奏さんなのではないかな?とも思っていたりする。北海道函館の出身で、パリ音楽院~パリ・コンセトヴァトワールをご卒業されたばかりの期待のホープ。

同じく北海道札幌出身の高橋さんと幼馴染だそうで、小さい子供の頃から岡田さんをよく知っている間柄なのそうだ。

自分がはじめて、のだめコンサートに行った聖地の愛知県の春日井市民文化会館のときのコンサートも、この高橋さんと岡田さんのコンビ出演だった。そのとき岡田さんはラヴェルのピアノ協奏曲を演奏されていたのではなかったかな?


驚いたのは、その直後だった!

なんとベルギーのブリュッセルで開催される国際音楽コンクールであるエリザベート王妃国際音楽コンクールで、ファイナリストまで選抜されるという快挙。

自分も心底驚いてしまった。

なんでも、このエリザベート・コンクールというのは、予選からファイナリストに選抜された後は、携帯などいっさい外部と繋がるものは没収されて、外部といっさい遮断された空間で監禁状態で、ファイナリスト集団とともに暮らし、最後のコンクール試験をおこなう、という特殊なコンクールなのだそうだ。


自分の曖昧な記憶だけれど、仲道郁代さんもエリザベート・コンクールのファイナリストだったと思ったし、堀米ゆず子さんは、このエリザベート・コンクールの優勝者だったと思いました。

岡田奏さんも、見事にその仲間入り。輝かしい経歴を刻むことができたのは、自分のようにうれしい。のだめコンサートの出演者から、そういう快挙が生まれた、ということ自体がなんとも嬉しいことではないか!

そういう素晴らしいことがあった後の、のだめコンサート出演なので、ある意味、岡田奏さんにスポットライトがあたる位置なのは、ごく自然のことではないのかな?と自分は思うのです。

コンクール期間中の監禁状態にあったとき、どんな感じの様子なのかなど、MCで聴いてみたいような気がする。(笑) ボクら一般市民ははじめて聞くことと思いますので。。。

今回ののだめコンサートでは、高橋さんがベートーヴェンのソナタ《悲愴》より第2楽章、岡田奏さんとのモーツァルトの2台のピアノのためのソナタ第1楽章、そしてガーシュウィンの《ラプソディー・イン・ブルー》を弾く。

そして岡田奏さんが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番という堂々たる大曲。

本当に楽しみだ。

のだめコンサートでのオケは、通常開催される地元のオケを使われることが多いそうだが、今回の川越公演は、主催者側の強い要望もあってほとんどオールN響選抜メンバー。(^^)

こういうときにN響のメンバーが一斉に集まってくれるのも、やはり茂木さんのN響内での信望の厚さを示しているのではないだろうか?

また、自分にとってのだめコンサートは、岡田さんのような新しい若い演奏家との出会いの場でもあったりするかもするかもしれない。新しい若い演奏家は、どんどんチャンスを与えて、クラシック界を活性化すべき、ということを過去に言及したこともあったのだが、どうしても演奏会に頻繁に足を運ぶ、という有言実行は正直できていなかった。

そういう点で、のだめコンサートは、そういう期待のホープの若手演奏家の演奏を聴ける自分にとってのいい場所なのかもしれない。

うぅぅぅ~、なんか書いていて、だんだん自分も高揚してきて、楽しみで楽しみで堪らなくなってきた。

そうして、ここからが本番当日。



堂々3時間のコンサート。期待を裏切らぬ楽しい&そしてクオリティの高いコンサートだった。

ウエスタ川越という複合施設が、去年できたばかりの新しい複合施設ということで、さらにその中の新ホールということで、自分は、まずそこがとても興味があった。

首都圏から電車で、大体1時間くらい。

ウエスタ川越

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大ホールへの入り口。

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こんなフロアが現れる。

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やっぱりのだめコンサートは客層が若い!

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原作者 二ノ宮知子さんから花束が。

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そして期待の新ホールに参入。

正面の図

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前正面から後ろをみた図

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側面

後方から前方側面を撮影

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前方から後方側面を撮影

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天井

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ネットの写真で見ると、完璧なシューボックスに見えたのだけれど、実際入ってみるとシューボックスではなかった。やはり音楽ホールがメインなのであるけれど、多目的にも利用できるみたいな幅の広い用途のホールのように思えた。

後方に行くにつれて、外側に広がっていって、上階席もある扇形のホール。

側面には、客席に反射音を返す反射板がしっかりと施されていて、天井もかなりしっかりした反射板の造りになっている。ステージ上は、客席に向かって放射状に開口する感じで、初期反射音を客席に返す仕組みも伝統的な造り。

音楽ホールとしては、さすが最新だけあって、かなりしっかりとした造りだと思った。

音響の印象は、座席が前方9列中央だったので、直接音中心のサウンドであったが、響き具合としては、ややライブ気味だけど基本は中庸、響き過ぎず、ドライでもない、という佇まいの良さで、帯域バランスは、偏っていなくて、いいバランスだったと思った。

最初ホールに入ったときの暗騒音は、客席の話し声のざわめきを聴いた限りでは、空気が澄んでいて、S/Nは良さそうで、ライブ気味な印象だった。

オケの弦楽器の音が、厚みがあって、かなりずっしりと重心が低くて、いい音響だな、と確信。

ピアノの音も、もっとライブで響きに混濁するくらいかな?と予想していたのだけれど、まったくそんな感じでなく、打鍵の音もクリアで、1音1音分離して聴こえる。

新ホールとして合格点、素晴らしい音響だと思いました。




さっ、本番ののだめコンサート。

ロッシーニのウイリアム・テルから始まる。
今回のウエスタ川越のだめスペシャルオーケストラは、大半がN響メンバーから選抜された特別なオケとなった。急遽、特別参加で、いま話題の美人チェリストの新倉瞳さんが急遽オケメンバーに参加されていたようです。

この最初のウィリアム・テルを聴いた限り、いい感じ。弦&木管&金管と、ともに安定していて、聴いていて危なげのない安心できるサウンドだった。うまいオケ!

これで、これからの3時間安心して聴けそうだ、とホッとした。
オケって、オーディオと同じで最初で、力量、素性がある程度わかるもんなんですよね。

そして高橋多佳子さん。

最初のベートーヴェンのピアノ・ソナタの悲愴、第2楽章。

高橋さんの演奏で、この曲を、のだめコンサートで聴くのは2回目だと思ったが、じつは、この曲、オヤジが他界した時、ずっと気分が地獄に落ち込んでいた時に、魂のレクイエムとして繰り返し聴いていた曲で、この曲を聴くだけで条件反射的に「どっーー!」と涙が溢れ出てきてどうにも止まらなくなる曲なのだ。

もう今回もそうだった。のだめと千秋の出会いのときのメモリアルな曲なので、このコンサートでは大切な1曲。

高橋さんの印象は、いままで通り、とても女性的な繊細なピアニストであることを再確認。

特に印象的なのは、肘から指先に至るまでの腕の部分の動きがすごい柔らかでしなやかなこと。特に手首のスナップの使い方見ていても、とても柔らかいよなぁ、と感じる。シルエットとしても女性的に見えてしまうのも、そんなところが要因なのかも?

でも、ラプソディー・イン・ブルーのときは、基本柔らかいんだけれど、あのカッコよいリズミカルに弾ける姿は、かなり格好良くシビレました。これはじつに素晴らしかった。

あっ、岡田奏さんとのモーツァルトの2台連弾のときの、原作の弾き始めで間違えるコントも素晴らしかったです。(笑)



そして岡田奏さん。

ある意味、今回の主役とも言える。

いやぁ、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番は、これはじつに素晴らしかった。ブラボーです♪

奏さんの印象は、やっぱりパワフルで男性的な力強さが基本だと思います。ところがpp弱奏のときの弱音表現のときが、これまた打って変わって、腕、手首の動きがものすごく柔らかくて、こういう弱音表現もじつに素晴らしい。

強打腱なパワフルな表現と弱音表現の両方、力強さとしなやかさの両方、緩急の使い分けがこれだけきちんと表現分けれるのは、ちょっと驚きというか、素晴らしい才能だと思いました。ラフマニノフの2番をずっと観て、聴いていて、それが1番強く印象に残りました。

アンコールのラヴェルのピアノ協奏曲 第2楽章のあまりの美しさに涙。

いやぁ将来本当に楽しみな大器だと思います。


番外編として、今回は、おならたいそう、という笑える演出もあって、のだめコンサートらしくてよかった。

全編を通して、茂木さんのMC、手慣れた司会進行、笑いあり、博識なところもあり、安心して聴いていられた。もう自分も大分のだめコンサートに慣れてきたかな?(笑)

投影のほうも洗練された描画づくり、シナリオストーリーで素晴らしかった。ただ、思ったのは、なんかいつもよりスクリーンのある場所が、かなり高い位置にあったこと。

なにか理由があるのか、わかりませんが、いつもだと演奏を聴きながら(つまり演奏者を観ながら)、スクリーンの投影がそのまま目に入ってくるので、自然だったのですが、今回は、あまりに高い位置にあるので、意識して頭、目線を上げないと投影内容を見れず、本番は、ついつい演奏者を見てしまうので、投影のほうがついついスルーで見ていなかったり、ということがたびたびあったのが、難しいな、と感じたところでした。

ステージの背面のところには、音響反射板が設置されていて、そこに背面のスクリーンを被せては、確かに音響的には、オケの音を客席に返す初期反射音で不利に働くということも考えられるので、高い位置に上げた、というのも予想されます。

あるいは、自分の座席が1階席前方だったからかもしれませんね。広いホールなので、上階席や後方席の人には、あのくらいの高さじゃないとダメという判断だったのでしょうか?

でも自分は、やっぱりのだめコンサートの素晴らしさは、この投影の効果が大きい、と思っているので、やはりいつものスクリーン高さのほうが、演奏家を見ながら自然と投影が目に入ってくる、という点でよいのでは?と思います。

なには、ともあれ、堂々の3時間のコンサート。楽しくて、素晴らしいコンサートでした!

全国各地から招聘されて、どんどん活動の幅が広がるのだめコンサート。7月には、2回目の調布での東京公演も決まった。(自分は行けるかどうかビミョー(^^;;)

長野から初招聘の話も来ているそう。。。

この調子で、どんどん、全国制覇していってほしいと願うばかりです。


終演後のサイン会。(手前から茂木大輔さん、岡田奏さん、高橋多佳子さん)

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茂木大輔の生で聴く「のだめカンタービレの音楽会」
2017/1/21(土)14:00~16:45 ウエスタ川越 大ホール

前半

ロッシーニ 歌劇「ウイリアム・テル」序曲よりマーチ(スイス軍の行進)

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調「悲愴」op.13より第2楽章
ピアノ:高橋多佳子

モーツァルト 2台のピアノのためのソナタK448 ニ長調より第1楽章
ピアノ:高橋多佳子&岡田奏

野田恵(リアルのだめ)作詞:作曲
おならたいそう
うら:田村麻里子

ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調 op.92より第1楽章

ガーシュイン 「ラプソディー・イン・ブルー」(倉田典明編曲)
ピアノ:高橋多佳子

休憩

後半


ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18
ピアノ:岡田奏



毎年の聴き初めは、小澤征爾&水戸室内管弦楽団@水戸芸術館 [国内クラシックコンサート・レビュー]

毎年、聴き初めのコンサートを体験すると、あぁぁ、これで今年のクラシック・コンサート通いが、また始まるんだな、という身が引き締まるような想いがする。

人間の感覚って不思議で、クリスマスから年末にかけては、もうその年のいろいろな想い出が走馬燈のように頭の中を駆け巡るのだが、不思議と、年が明けて正月三が日を過ぎると、急にそれらは遠い世界のように色褪せて、新しい世界の幕開けのような白いキャンバスが広がるような感覚に陥る。

今年は、事情があって、生活環境の大きな変化が起こる可能性があり、コンサートの予定も4月まで入れているが、それ以降は白紙で、逆に入れられない。

ただ、コンサートに行く、オーディオなどの趣味は、自分の環境が許す限り、相応のレベルで楽しんでいきたいことには変わりない。

なんか不安定な日々の連続で、少々気が滅入っているのだ。(笑)

今年の聴き初めのコンサートは、水戸まで赴いて、水戸芸術館で、小澤征爾&水戸室内管弦楽団の定期演奏会。もうここ3年連続、ずっと聴き初めのコンサートは、これにしている。

やっぱり小澤さんで、その年の自分のクラシック人生をスタートさせるのは、とても自分のカラーに合っていると思うし、自分も気に入っている。


今週末は、大雪予報で天候が危ぶまれたが、極寒であったけれど、首都圏はいたって快晴。

水戸芸術館の、らせん状に天に伸ばした高さ100mのシンボルタワー(アートタワー)が眩しい。

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今日の演目は、

前半は、水戸室のスーパースター団員である竹澤恭子さん(ヴァイオリン)と、同じく川本嘉子さん(ヴィオラ)によるモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラの協奏曲。

そして後半が小澤さん指揮で、ベートーヴェン交響曲第1番。

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小澤&水戸室は、ただいまベートーヴェン・ツィクルスを進行中なので、その一環の公演という位置づけになる。

竹澤さんは、2年前に水戸室に入団と同時に、そのお披露目公演もあって、自分は馳せ参じて、その男性的なダイナミックで躍動感ある演奏にすっかり虜になって大ファンになってしまった。それ以来、ずっと応援し続けている。現在パリ在住で演奏家活動を続けられている。

川本さんは、もう何回も触れているが、サイトウキネン、水戸室とずっと小澤ファミリーの中心人物として長年活躍して、自分は昔からずっと応援してきている演奏家なのである。サロンコンサートで、直接お話させていただいたのもいい想い出。

そんな二人によるジョイントで、ヴァイオリンとヴィオラの協奏曲をやる、というのは、とてもタイムリーでいい企画と思った。

公演を前にして、水戸芸術館スタッフブログで、2人のインタビューが掲載されていた。
とても興味深い内容で、大変面白かった。これは、ぜひ、ぜひ読んでみてください。


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(左が竹澤恭子さん、右が川本嘉子さん)


水戸芸術館スタッフのブログ

http://blog.arttowermito.or.jp/staff/?p=18759


今回扱うモーツァルトの曲が、いかにヴァイオリンにとって、その倍音の出方からして、いかに弾きにくい、というか美しい響きを奏でるのが、難しい曲なのか、演奏家でないとわからないような考察をされていて、自分は随分興味深く拝読させてもらった。

竹澤さんと川本さんは、なんと!桐朋学園高校の同級生なのだそうで、当時の授業で、小澤さんが飛び込みで、「ちょっと俺が振ってみようか」、という思い出話に華が咲き、大変面白い。

前半は、そんな2人が主役のモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲。

指揮者なしで、竹澤さんと川本さんが指揮者のところで、仲良く横並びで、弾き振りをする感じで、オケを引っ張っていく、というスタイル。

指揮者なしは、なかなか全体のバランスをとるのは、難しいことは確かだが、水戸室のメンバーは、もう指揮者なしのスタイルは昔からのお家芸で、お手の物。

自分の評価では、今回の演奏の作品の表現力、演奏技術の完成度は高いと感じた。

ヴァイオリンとヴィオラが交互に、各自のパートを演奏し、それにオケが追随する感じで進めらるのだが、2つの楽器の旋律が前へ前へ出るように、主張して、同時にオケも交えた合奏が全体の様式美・形式感を整えていて、じつに美しい楽曲体系を構築していたように思えた。

両人のインタビューでは、ヴァイオリン&ヴィオラの倍音が美しく響きにくい難しい曲とのことだが、駄耳の自分には(笑)、十分すぎるハーモニー&和声感のある気持ちよさだったような気がする。

そのような印象に拍車をかけたのが、やはり水戸室の弦の優秀なサウンドなのだと思う。水戸室の弦は、世界トップクラスの弦の厚み、ハーモニーといってもいい。


同じく鑑賞していた仲間が、指揮者のいる統率感、推進力のようなものがもう少し欲しかった、という印象を語っていた。まっそう言われれば、理解できないこともない。

でもそう言われるまでは、自分はまったく意識しなかったし、弾き振りというスタイルでは、これで十分すぎるレベルなのではないだろうか。


後半は、いよいよ小澤さん登場。お見かけしたところ、元気そうで何よりだ。

サントリー30周年記念コンサートのときは、常時座って指揮する姿に、ちょっと寂しい想いをしたことは確かだった。でも、いまでは、この座りながら指揮して、大切な部分では立って指揮をする、というスタイルがすっかり馴染まれて、曲の全体の流れから、じつに自然で、流暢な動きのように思えて、小澤さんの現在の体力にあった自然な指揮のスタイルを確立できたのかな、という想いがあった。

無理をすることない。自分は小澤さんには、できるだけ細く長くやってほしい、と思っているので、その都度自分の体力に合った指揮のスタイルを模索して見つけ出していけばいい。

小澤さんが立つと、やはりオケが締まる。サウンドはもちろん、気が入る、というか、団員たちの魂の持っていきかたのツボを心得ている。

団員のみんながいかに小澤さんを信頼しているか、長年の信頼関係が築き上げてきた、その到達した高みがなせる業なのだと思う。

思わずそう感じるくらいのオケの”気”を感じ取れた。

ベートーヴェンの1番は普段あまり聴かないマイナー感があるが、メジャーな5番,7番,9番などに負けないくらいいい曲じゃないか?(笑)

やはりその年の聴き初めの公演は、小澤征爾&水戸室管弦楽団を水戸で聴く!これは、今後も続けていこうと、今日改めて決意を新たにした。

それがなによりも自分に合っている。

つぎの5月の定期公演では、共演ソリストに、なんとマルタ・アルゲリッチが登場!そして、その次の定期公演では、ついに頂点の第九と進んでいく。

小澤&水戸室@水戸定期から今年も目が離せそうにない。

問題なのは、はたして自分が観に来れるかどうかだ。(笑)

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水戸室内管弦楽団 第98回定期演奏会
2017/1/15(日) 14:00~ 水戸芸術館コンサートホールATM

・第1部 指揮なし
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364(320d)
独奏:竹澤恭子(ヴァイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)

・第2部 指揮:小澤征爾
ベートーヴェン:交響曲 第1番 ハ長調 作品21

管弦楽:水戸室内管弦楽団

 


ユリア・フィッシャー ヴァイオリン・リサイタル [国内クラシックコンサート・レビュー]

自分のクラシック音楽人生の中で、ユリア・フィッシャーを生で観れるとは思ってもいなかった。
自分からヨーロッパに出向いて会いに行かない限り縁のない類のアーティストだと、ずっと思っていた。
 

若くして10代の頃に8つの国際コンクールで優勝するという凄さで、そのうちピアノ部門が3つというから、本当に恐れ入る。まさにヴァイオリンとピアノの両刀使いの才能なのであるが、彼女自身としては、ヴァイオリンのほうが演奏家人生としての本筋である、ということも周囲の知るところでもある。

2006年7月には23歳の若さでフランクフルト音楽・舞台芸術大学の教授に就任している。(ドイツ史上最年少記録!)

本当に若くして、大変な才能の持ち主なのだけれど、不思議と日本とは縁がなかった。

トッパンホールが、2004年に彼女のリサイタルを招聘して(現在も続く「エスポワール・スペシャル」)大成功を収めた後、2006年、2009年の2度にわたってリサイタルで招聘したのであるが、いずれも中止。そして今回のリサイタル開催において、じつに12年振りの来日ということになった。

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今回の来日に際して、さらにジャパン・アーツが東京オペラシティで、同内容のリサイタルを招聘してくれた。

本当にうれしい限りである。
この時期に、彼女を呼んでくれるなんて夢にも思わなかった。

ユリア・フィッシャーのことは、過去に何回も日記に書いてきているので、繰り返しになるので詳細には書かないが、自分にとって、ユリア・フィッシャーといえば、PENTATONEレーベル。PENTATONEといえば、ユリア・フィッシャーだった。

それだけ自分の青春時代の圧倒的な存在。

PENTATONEの存在を知ったのは、mixiに入会した2009年であるから、彼女を知った時期としては晩年なのかもしれない。でもPENTATONEから次々とアルバムをリリースする彼女はじつに輝いていた。

いまは亡きヤコブ・クライツベルク指揮のオランダ放送フィルとの数々のコンチェルト、そして室内楽では、今回のパートナーでもあるマーティン・ヘルムヘンとの作品。ユリアとマーティンは、まさに美男美女のカップルで、PENTATONEの黄金時代を支えてきた看板スターの2人と言っても過言ではなかった。 

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ご覧の2人のシューベルトの室内楽作品は、まさに珠玉の作品でかつ優秀録音で、この作品で、ドイツの名誉ある「エコークラシック賞」を受賞している。

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mixiに入会したての頃は、自分はどちらかというと音楽というよりオーディオ寄りのスタンスだったので、その点からしても、PENTATONEのユリア・フィッシャー盤が、いわゆるオーディオオフ会の定番のソフトだったりしたのだ。

コンサートホールでのセッション録音全盛時代のいまと比較すると、彼らポリヒムニアがよく使うオランダ・ヒルヴェルスムのMCOスタジオや、ロシア・モスクワでのDZZスタジオ5といった専属契約のスタジオで、比較的小編成のスタイルで録る”スタジオ録音”というのが主流だった時代。

結構エンジニアの脚色がよくついた技巧的な作品で、オーディオ的快楽を強調したような、オーディオマニアが喜びそうな、聴いていて気持のいい録音作品が多かった。

いまでこそ聴く機会も少なくなったが、ユリア盤は自分の宝物であるし、今回リサイタルを聴いてきて、久し振りにユリア&マーティンのシューベルトの室内楽作品を聴いていたりする。

さて、そんなじつに12年振りのユリア・フィッシャー&マーティン・ヘルムヘンによる室内楽リサイタル。東京オペラシティ&トッパンホールともに、当初のプログラム3曲に出演者側の要望で、1曲プラスされるという構成だった。

東京オペラシティ
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トッパンホール
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はじめて、ユリアを生で観た印象。

誇張した表現・オーバーアクションがない極めて正統派の演奏スタイル。ユリア盤を聴いてきて、あれだけの音を出すのだから、さぞかしすごいダイナミックな演奏に違いないと思っていたのだが、ある意味拍子抜けしたくらい。じつに真っ当なスタイルで、背筋がピンとしていて、弓の上げ下げのボーイングも、幾分腕の動きが縦気味であるものの正統派そのものであった。

しかし奏でる音は極めて力強くパワフルで、安定感抜群。ボウイングの弓を引く力が段違いに強い。非常に男性的な演奏だと感じた。まずなによりも音程がいい。ホール空間の中の定位感、見事なまでにある。

体格は、かなり華奢で小柄なタイプなのだが、そのサイズからは想像できないくらいの上げ弓、下げ弓がパワフルで、キビキビしている。

それでいて的確で繊細なヴィブラートや情熱的なフレージングといった男性奏者顔負けの強烈で個性のある演奏なのだ。

PENTATONEの現マドンナのアラベラさんは、非常に繊細で女性的で弱音表現に長けていて、演奏表現自体も外から見て絵になることを意識しているヴィジュアル・クラシックだと感じる。ユリアはその対極にあるような男性的な奏者で全くタイプが違うのだと思えた。

前半3曲は、どちらかというと、「ソナチネ」という「ソナタ」よりも小さめの可愛いらしい作風ということもあって、完璧なまでに綺麗にまとめ上げているという印象で、つつがなく、という感じ。なので、そこには、美しい作品と思うことはあっても、こちらの心を大きく揺さぶるまでの感動を与えるとまでは言えなかった。

ところが、最終のブラームスのヴァイオリン・ソナタ3番。

これには恐れ入った、心が揺れた。

とくに最終楽章に向けて、怒涛の波が押し寄せるように、どんどんクレッシェンドしていくときの強烈なパッセージの連続、彼女の体全体も何回ものけぞるように、リズミカルで、観ているほうが、どんどん興奮のるつぼに陥ってしまう。

まさにブラボーだった!

終演後は大歓声。最後はさすがに魅せてくれた。

この最後のブラームスが、このリサイタルのすべてを語っていると言ってもよかったのではないか?

相棒のマーティンの安定した和音進行の妙は見事というしかなかく、しっかりユリアの演奏に華を添えていた。

ずっと長年自分が想いを寄せてきたユリア・フィッシャーというヴァオイリニストを、「どうだ!すごいだろう!」と周りに自慢げに思えた一瞬だった。

歓喜はこれだけは終わらなかった。

なんとアンコールでは、ユリアはヴァイオリンを持たず、マーティンと一緒にピアノを披露!
これには観客は湧いた!

しかし、本人のアイデアなのか、主催者側の要望なのか、わからないが、なんと気の利いたイケているアンコールなんだろう。(笑)ユリア・フィッシャーがピアノの達人ということをみんな知っているだけに、余計に盛り上がる。

素晴らしい饗宴の一夜だった。
自分の長年の想いは成就した。

今回、ユリアを呼ぼうという夢を実現してくれた招聘プロモーターのジャパン・アーツ&トッパンホールさんには、本当に感謝する限りです。

どうもありがとうございました。


東京オペラシティでのサイン会

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トッパンホールでのサイン会

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いずれも両日とも大変な長蛇の列でした。




ユリア・フィッシャー ヴァイオリン・リサイタル

2016/10/15(土)14:00~ 東京オペラシティコンサートホール
2016/10/16(日)15:00~ トッパンホール

ヴァイオリン:ユリア・フィッシャー
ピアノ:マーティン・ヘルムヘン

前半

ドヴォルザーク:ソナチネ ト長調 Op.100

シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ 第3番 ト短調 D.408

~休憩

後半

シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ 第1番 ニ長調 D384

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 Op.108

~アンコール

ブラームス <<F.A.E.ソナタ>>より第3楽章 スケルツオ

ハンガリー舞曲集より第5番 嬰ヘ短調(4手連弾)


小澤征爾&ズービン・メータがウィーンフィルを振る。サントリーホール30周年記念ガラ・コンサート [国内クラシックコンサート・レビュー]

この日のコンサートは、コンサートというよりは、セレモニーと言ったほうがいいかもしれない。内容の良し悪しを云々言うのは野暮だと思いました。

贅沢を尽くしたコンサート。

そして、年間で、ここは!絶対に抑えておかないといけないコンサートでもある。

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今年開館30周年になる東京・赤坂のサントリーホール。

首都圏のクラシック文化をずっと支えてきたこのホールも30周年の節目を迎え、今季が過ぎたら、音響改修工事などのメンテナンスで一時的に休館に入る。

その30周年を祝う、所謂ガラ・コンサートを開いて盛大にお祝いしようという試み。

サントリーホールは、ウィーンフィル&ウィーン楽友協会と親密な提携関係にあって(ウィーンフィルは毎年来日して、サントリーホールで来日公演をやるのが常になっている。)、この盛大な祝賀コンサートをウィーンフィルが担うことになった。

指揮者はズービン・メータ。自分も、数年前に、メータ&ウィーンフィルの来日公演をサントリーホールで経験したこともある。そこに急遽、小澤征爾さんが友情出演ということで、参加することになった。小澤さんとメータは、もう同じ釜のメシを食べてきた同士のような関係で深い友情で結ばれている。

後述するエンドロールを見てほしいが、ソリストや演目も信じられないくらい贅沢に贅沢を尽くしたコンサート。

ヴァイオリンにお馴染みアンネ=ゾフィー・ムター、そしてソプラノに、ウィーン国立歌劇場など多数のオペラハウスなどで活躍著しいヘン・ライス。

演目も、モーツァルト「フィガロの結婚」序曲から始まって、シューベルト「未完成」、そして、武満徹「ノスタルジア」、ドビュッシー「海」、そしてとどめは、ウィーンフィルのお家芸である多数のワルツ・ポルカ。

普通の公演なら19:00~21:00くらいの2時間のものを、今日は18:00~21:00の堂々3時間!

チケットのお値段も信じられないくらいプレミア高額チケット。



よく、ウィーンフィルを聴くなら、なにも高額支払って日本で聴かなくても、本場ウィーン楽友協会で、安い値段で聴けるんだから、そのほうがずっとリーズナブルでしょ?と言っている人も多いが、自分はそれはおかしいと思う。

やはり今回の主役は、サントリーホールなのであって、サントリーの祝30周年を”日本人”としてみんなで祝いましょう、という主旨なのである。日本人だったら、この主旨の元、絶対日本で聴くべきだし、いわゆる贅沢の限りを尽くして、生涯の記念となるべくお祝いしたい指向もよくわかるし、それに見合うだけのステータスとしては、高額チケットもやむを得ないと、自分は理解できる。

日本人であれば、日本の催しごとは、日本で聴くべきなのである。


初日のこの日は、首相をはじめ、サントリー首脳陣、政財界大物など集まって、かなり物々しい雰囲気であった。

この日のコンサートは”正装コンサート”でもある。

正装コンサートは、いわゆるヨーロッパの夏の音楽祭などでは、至極当然的なところもあるのだが、日本の夏の音楽祭では、フォーマルな衣装を要求するという音楽祭はほとんどなくて、夏の音楽祭に限らず、日本でこういう正装コンサートというのは、自分にとってはちょっと記憶にない。(自分が経験していないだけで、過去何回か行われているのかもしれませんが。)

男性なら燕尾服、タキシード、女性ならドレスと言ったところであるが、この日の女性は和服が多かった。これは、素晴らしいと自分は思いました。ヨーロッパの音楽祭では、まず見かけないシーンだし、いわゆる日本独特の和の雰囲気があって、日本のフォーマル衣装でのコンサートとしては、とてもいい絵柄なのでは?と感じ入るところがありました。

自分は、今年のヨーロッパの夏の音楽祭で新調した、上下黒の礼服で臨みました。

サントリーに到着したら、もうびっくり。
うわぁ、これは、まさに記念祝賀コンサートというセレモニーだなぁ、という雰囲気いっぱい。

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レッドカーペットが敷かれている。長さは30周年にちなんで、30mなのだそうである。

開始前に、ウィーンフィルハーモニーのファンファーレを、ウィーンフィル団員メンバーによって演奏される。

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ホワイエに入ると、綺麗に花で飾られている。

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しかし、サントリーホールの内装空間の高級感やカラーリングのセンス(配色のセンス)は抜群だと思う。これだけ高級感やブランド感を感じるホールは、国内のホール中では他に類をみないと思う。

後で写真を載せるが、ステージ上もまるで、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートのように周囲を花で取り囲んで飾っていた。装花は、花人 赤井 勝さんによるものである。

では、紳士淑女の集い、正装コンサートの雰囲気をご覧になっていただこう。
肖像権配慮して選び抜いたつもりだが、完璧は無理。ご容赦ください。


やっぱり日本の正装コンサートは和服だよねぇ、という印象を持ったショット。
正装コンサートはさすがに威圧感がある。よかった。今年の夏にヨーロッパで鍛えておいて。(笑)

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財団法人サントリー音楽財団理事長、サントリーホール館長、そしてチェリストでもある堤剛さん(ご夫妻で)を発見。ずっと私が撮影しているので、なんでオレを撮っているんだよ!という感じでガン見されてしまいました。(笑)すみません、ご挨拶もできなくて。(^^;;

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この日に限って、ブルーローズ(小ホール)は、ドリンクバーに早変わり。


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そしてホールの外でも歓談は行われた。

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では、いよいよコンサートの模様に移ろう。

今回の私の座席は、ここ。清水寺の舞台から飛び降りるつもりで、大枚はたいて買ったが、予想外にここだった。2階席正面の最後尾。横にTVカメラがありました。

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お祝いなのだから、ああだこうだ、は言わないつもりだったが、これだけは言わせてほしい。これでもオーディオマニアの端くれなので。(笑)

やっぱり音が遠い。不満だった。確かに響きが豊富で、オケの音の全体が俯瞰して聴けるけど、不満。直接音がガツンと腹に響いてこないと欲求不満になる。

自分は、その昔は、中央から後方での直接音が少し遠く不明瞭になるけど、響きが豊富に聴こえ、全体のフレームが聴こえるような座席が好みだった。

でも最近やや好みが変わってきている。やっぱりかぶりつきがいいのかな?(爆)
全身にガツンと来ないとダメなんですね。



やっぱりウィーンフィルのサウンドは、濡れたような艶があって色気がある。パワフルなベルリンフィルのサウンドと違って、どこか繊細で、その艶やかさというのは、特に弦と木管の音色に、そのイメージを強く意識した。金管群もやはりちょっと違う感じかな。

ウィーンフィルの合奏のサウンドは、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲、ドビュッシー「海」、そしてワルツ、ポルカのときに、よく感じ取れて、基本自分たちのイメージをよく理解していて、それにあった選曲をしているなぁ、と感じることが多かった。

オケの発音のスケールの大きさも底々つつましやかという感じで、決して広大なレンジ感で圧倒するというのとは対極にあるような感じ。この点に関しては、ある意味、日本の在京楽団のほうが迫力があるかな、と思わないこともなかった。

やっぱりウィーン楽友協会は狭いホールなので、音が飽和しないように彼らは、そこでの節制した演奏の仕方というのを身につけていて、遠征先でハコが変わっても、なかなかその演奏法を変えられないのだろう。(サントリーではずっと演奏してきている彼らではありますが。)


ソリストでは、ムターはやっぱりスゴイ!と思った。

先だって京都でアラベラさんをずっと観てきた自分にとって、どうしても比較になってしまうのだが、ヴァイオリン楽器が、対体格に対して、ひとまわり小さく見える感じを受けて、充分自分のコントロール下にあるような余裕を感じるのだ。

この余裕って、ある意味、聴衆にヴァイオリンが上手いと思わせるトリックになっているような感じもする。(あくまで自分の勝手な解釈ですが。(笑))

もちろん実際上手いのですが。(笑)

まさに、”ムター言語”とも言えるべく、彼女の独特で強烈なフレージングは、聴いている者を圧倒する。なんといっても観ていて、存在感あるよね。ちょっと通常のヴァイオリニストでは出せないオーラがある。恐れ入りました。

(アラベラさんは、ムターから弓をプレゼントされたことがあるのです。あと、ムターの奨学金で勉強していた時期があったんじゃないかな?)


そしてソプラノのヘン・ライス。遠くからでもわかる素晴らしい美貌の持ち主で、声量はいくぶん控えめではあるものの、少しヴィブラートがかかった、その美しい声質は、聴いていて癒されるし、素晴らしいと思いました。特に「こうもり」のチャールダーシュは絶品!

こういうコンサートで、楽器だけの演奏ではなく、きちんと声ものを入れる配慮がうれしい。ゴージャスの一言に尽きる。ヘン・ライスは、大変失礼ながら、歌手にあまり詳しくない自分は存じ上げなかったのであるが、プロフィールを見ると、いろいろなオペラハウスを歌い回り、経歴も素晴らしい。驚きました。


指揮者のメータ。小澤さんと同い年だったと思うが、なんか小澤さんより元気そうで(笑)、タフガイなイメージは相変わらず。外見も数年前とあまり変わらないし、健康面も良好なんですね。ドビュッシー「海」と最後のワルツとポルカを担当であるが、ウィーンフィルから、彼ら独自のサウンドを引き出すのがうまくて、さすが長年お互いのパートナー同士だな、と感じた。


そして、小澤さん。

元気そうでした。ちょっと最近気になっているのは、小澤さん、もう常時立って指揮をするのは体力的に厳しくて、いまは逆に常時座って指揮をする。大方立っていた1,2年前を知っているだけに、少し寂しい気もするが、でも指揮そのものは元気いっぱい。シューベルトの「未完成」とムターと武満徹「ノスタルジア」を担当した。


なによりもカーテンコールや、メータとのジョークのかけあいなど、本当に観客を湧かし、なんだ!小澤さん、元気そうじゃん!と思いました。(笑)

サントリーホールのこけら落としのコンサートでは、体調不良で来日できなかったカラヤンの代行で、ベルリンフィルを指揮し、「英雄の生涯」を振った小澤さん。このサントリーホールの30年の歴史では、やはり小澤さんは欠かせない指揮者だし、このガラコンサートで友情出演するのは、当然のなりゆきだと思いました。


最後のアンコールのポルカ「雷鳴と電光」では、なんと、小澤さんとメータが一緒に指揮台に立って、2人で同時に指揮をする、というサービス旺盛な粋な計らい。場内大いに沸きました。

もうここまで贅沢で、こんな感じなら、やはりコンサートとして批評するというのは野暮なことしきりで、セレモニーとして楽しむ、というのが、一番いいのだと思いました。

すばらしいガラコンサートでした。

いい想い出になりました。


小澤さんとムター
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メータとムター
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メータとヘン・ライス
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メータ
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小澤さんとメータ
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最後はみんな集まって。(小澤さんとメータ、そしてムターとヘン・ライスとでカーテンコール)
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最後のアンコールのポルカ「雷鳴と電光」のエンディングでは、ホールの両サイドからラッパのような鳴り物と花吹雪が。。。(ウィーンフィルのFB公式ページから拝借しております。)

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終演後のバックステージでの小澤征爾さん、アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)、ヘン・ライス(ソプラノ)、そしてズービン・メータ。(ウィーンフィルのFB公式ページから拝借しております。)

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サントリーホール30周年記念ガラ・コンサート
2016/10/1 18:00~21:00 サントリーホール

第1部

モーツァルト:オペラ「フィガロの結婚」K.492から序曲。

 指揮:ズービン・メータ

シューベルト:交響曲第7番 ロ短調 D759 「未完成」

 指揮:小澤征爾

第2部

武満徹:ノスタルジア -アンドレイ・タルコフスキーの追憶に-

ヴァイオリン:アンネ=ゾフィー・ムター
 指揮:小澤征爾

ドビュッシー:交響詩「海」-3つの交響的スケッチ-

   指揮:ズービン・メータ

第3部

ヨハン・シュトラウスⅡ世:オペレッタ「ジプシー男爵」から序曲
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ「南国のバラ」作品388
ヨハン・シュトラウスⅡ世:アンネン・ポルカ 作品117
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ「春の声」作品410
ヨーゼフ・ヘルメスベルガーⅡ世:ポルカ・シュネル「軽い足取り」
ヨハン・シュトラウスⅡ世:「こうもり」から「チャールダーシュ」
ヨハン・シュトラウスⅡ世:トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214

ソプラノ:ヘン・ライス
 指揮:ズービン・メータ

~アンコール

ヨハン・シュトラウスⅡ世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」

 指揮:小澤征爾、ズービン・メータ

 管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団







ストラディヴァリウス・コンサート2016 [国内クラシックコンサート・レビュー]

ストラディヴァリウス13挺の饗宴。一同に集まったスター演奏家たち。艶やかな音色。なんとも贅沢なコンサート。

自分の中では、出演者の中で、諏訪内晶子さん、アラベラ・美歩・シュタインバッハー、そしてハーゲン・クァルテットなどがお目当てのアーティストであった。 


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今日のコンサートで配布されたプログラム。
かなり分厚くて、詳細な情報が詰め込まれた丁寧に作られた資料で、正直お金を取ってもおかしくないものと感じた。

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公演が始まる前に、このプログラムに目を通す。
浅識な自分にとって、とても新鮮な情報が飛び込んでくる。



日本音楽財団は、現在所有しているアントニオ・ストラディヴァリとバルトメオ・ジュゼッペ・グァルネリが制作した世界最高クラスの弦楽器20挺(ヴァイオリン14挺、チェロ3挺、ヴィオラ1挺、グァルネリ・デル・ジェス製ヴァイオリン2挺)を国籍問わず、国際的に活躍する演奏家や若手演奏家に無償で貸与している。

そして、日本音楽財団は、その楽器貸与者を集めて、国内外で演奏会を行い、特に10挺以上のストラディヴァリウスと、その貸与者が一同が会する「ストラディヴァリウス・コンサート」は、世界的に稀なコンサートして話題になっていて、チケットの売上金は、演奏会開催地のNPO等が実施する音楽振興や福祉活動に寄付されるのだそうだ。

このプログラムに書いてある日本音楽財団会長の塩見和子さんのインタビューが大変興味深い。誰に貸与するかは、楽器貸与委員会が決定するだとか、楽器のメンテナンスは、管理者として財団が管理、楽器貸与終了の難しさ、など、本当にここでしか読めない貴重な内容が記載されている。

現在、この日本音楽財団の楽器貸与委員会の委員長は、あのベルリンフィル音楽監督&首席指揮者のサー・サイモン・ラトル氏なのだ。前任者で、20年間務めたロリン・マーゼル氏より引き継ぐ形となった。

ラトル氏は、さっそく今回のプログラムにも寄稿を寄せている。

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年表を見てみると、1998年にスタートして、貸与者の出演者を見ると、蒼々たるメンバー。日本音楽財団が貸与してきた方たち。

もうこの頃から諏訪内晶子さんは常連ですね。他に国内だけでも徳永二男氏、樫本大進氏、石坂団十郎氏、竹澤恭子さん、庄司紗耶香さん、などなど。

自分は、お恥ずかしながら、いままでこのコンサートに行ったことがなかった。今回が初体験。だから、このプログラムを読んで、はじめてこういう歴史・経緯を知ったのである。

なぜ、このコンサートに行こうとしたか、というと、我が愛すべきアラベラ・美歩・シュタインバッハーさんが出演するため。アラートで発覚したのである。(笑)

年表を見ると、彼女は2008年にも出演しているようである。

通称ストラドと呼ばれるこの楽器、なにもヴァイオリンとは限らないんですね。アントニオ・ストラディヴァリが制作したのは、他にもヴィオラとか、チェロもある。

ちなみに、今回出演された出演者と、そのストラドの使用楽器のリストを書き出してみる。

ハーゲンクァルテット    パガニーニ・クァルテット
            
ヴェロニカ・エーベルレ   ストラディヴァリウス 1700年製ヴァイオリン「ドラゴネッティ」
セルゲイ・ハチャトリアン  ストラディヴァリウス 1709年製ヴァイオリン「エルグルマン」
スヴェトリン・ルセフ    ストラディヴァリウス 1710年製ヴァイオリン「カンポセリーチェ」
諏訪内晶子         ストラディヴァリウス 1714年製ヴァイオリン「ドルフィン」
レイ・チェン        ストラディヴァリウス 1715年製ヴァイオリン「ヨアヒム」
アラベラ・美歩・シュタインバッハー ストラディヴァリウス 1716年製ヴァイオリン「ブース」
有希・マヌエラ・ヤンケ   ストラディヴァリウス 1736年製ヴァイオリン「ムンツ」
パブロ・フェランデス    ストラディヴァリウス 1696年製チェロ   「ロード・アイレス
フォード」
石坂団十郎         ストラディヴァリウス 1730年製チェロ   「フォイアマン」

そして、ピアノはスタインウェイ共通で江口玲さん。

この中で、やはりファンである諏訪内さんとアラベラさんのヴァイオリンだけ簡単に記載を抜粋して紹介。

ストラディヴァリウス 1714年製ヴァイオリン「ドルフィン」(諏訪内晶子)

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音色並びに楽器の保存状態が優れており、1715年製「アラード」、1716年製「メシア」に並ぶ世界3大ストラディヴァリウスのひとつと呼ばれているそうだ。なんでも、あの巨匠ヤッシャ・ハイフェッツが愛用していたことでも有名である。

確かに、この夜の諏訪内さんの音色は、他を抜きんでていた。音量、音圧が他と比べて圧倒的だったような気がする。



ストラディヴァリウス 1716年製ヴァイオリン「ブース」(アラベラ・美歩・シュタインバッハー)

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1855年頃にイギリスのブース夫人が所有したため、現在の名が付けられている。彼女はヴァイオリンの才能を発揮した2人の息子たちのためにクァルテットを形成しようと試み、この楽器を購入した。1931年にアメリカの名高いヴァイオリン奏者ミッシャ・ミシャコフの手に渡り、1961年にはニューヨークのホッティンガー・コレクションの一部となった。音色の美しさ、音の力強さにおいて知名度が高く、保存状態も優れている。

贔屓目と言われるかもしれないけれど、今宵の饗宴の中では、アラベラさんのヴァイオリンの音色が一番鳴っていたような印象だった。なによりもヴァイオリンの命である倍音の出方がハンパではなかった。

ところで、確かNHKの特集番組だったと思うが、ストラドのことを特集していて、最新のCG技術を使って、ストラドを完璧なまでにコピーして同じ音色が出るか、という実験をやっていたのを思い出した。

同じ音色は出なかった。やはりエージングというか、木製の筐体自体の経年による熟れ具合というか、それによる音色の豊潤さは、最新技術で形だけコピーしても再現できないものなのだ。

特に呼称は忘れてしまったが、ヴァイオリンの音色を決定しているところのエリアというのがあって、そこの経年度合が大きいようだ。


今宵の饗宴のコンサートホールは、サントリーホール。

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いつもと雰囲気が違っていて、ステージにお花が飾られていてこんなに華やかな雰囲気であった。この写真は自分の座席から撮ったもので、なんと3列目真正面のかぶりつきだった。(ストラドの音色を堪能の他に、ヴィジュアル的に前で見たいという理由がありました。(^^;;

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それにしても、サントリホールのホール内装空間は本当に美しい。自分の感性では、日本国内のホールの中で、1番内装空間のデザインに高級感があって品格があると感じる。


コンサートは、出演者が数名づつカップリングされて、合奏で演奏するため、個々の楽器の音色を聴き分けるということはできなかった。

演目は、ハーゲン・クァルテットによる構成。 

華麗な饗宴であったことは確かなのだが、正直言うと、前半は自分の座席で聴いている分には、思ったほどヴァイオリンやチェロ特有の倍音が出ていなかったような気がした。ストラディヴァリウスにしては、もうちょっと潤いがあってもいいんだけれどなぁ、という印象だった。

でも後半になって一変した。前半が信じられないような感じで倍音出まくりで、弦の発音時にふっと浮かび上がるような粒子の細やかな響きというか潤いがあって、こうでなくっちゃという感じで、気分が一新した。

ホールの湿度や空気の変化により響きがよく透るというか馴染んできたのか、前半とはまったく聴こえ方が違っていた。

特に圧巻だったのが、前半ラストの6人のヴァイオリンとピアノで演奏するリベルタンゴ。

これはもう最高!

これは自分の好みによるところが大きいのだが、アルゼンチン音楽で、ピアソラだとかタンゴを、クラシックの弦楽器で演奏すると、あの独特のリズム感、情熱、もう体の中が燃えたぎってくるというか、堪らなく快感になる。

今回、1st Vnにアラベラさん、2nd Vnに諏訪内さん、で他4人のVnと、江口さんのPfで、これを演奏するのだが、華麗というか、格好良すぎるというしか言葉が見つからなかった。

そして、後半の最後のメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲。
これも最後を締めるにふさわしい壮大な弦楽奏となった。

特に1st Vnの諏訪内さんが主旋律を唄い、グイグイ引っ張っていく感じで他の人よりもはっきりと音色が聴こえてくるのが印象的であった。

そしてVnは対向配置だったのだが、諏訪内さんの主旋律の音色に対して、対向の有希さんの異なる旋律で、輪唱のように重なっていくのが、なんとも美しいと感じた曲だった。

アラベラさんは、京都ツアーの前にご対面できて、相変わらず麗しく、そしてなによりも弦がよく鳴っていたと感じた。調子はよさそう。

そしてコンサート全般を見ると、やっぱり諏訪内さんの存在は大きいな、と感じるところが大きかった。

華麗な饗宴という言葉しか思い浮かばないくらい、贅沢な一夜であった。



 


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