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内田光子さん [クラシック演奏家]

内田光子さん&マーラー・チェンバー・オーケストラで去年の秋に来日予定だったので、そのコンサートレビューのときに内田光子さんのことを日記で触れようと思ったのだが、残念ながら来日中止。


そこで、内田光子さんのことだけで日記で取り上げてみようと考えた。
コロナ禍になって以来、このケースが多いですね。

でもそのほうが、しっかり深く掘り下げれるから、かえっていいですね。


内田光子さんは、本当に日本が誇るクラシック界の至宝で、その深い知見と高い知性を兼ね備えた芸術家。その人格の崇高さ風格から格が違うという感じなので、果たして自分のような者が日記で語っていいものなのか、恐縮してしまう限りなのだが、でも自分も内田光子さんの実演やCDなどで、数えきれない経験をしてきたので、自分のクラシック人生ではとても縁が深いピアニスト。


このまま日記で取り上げないのもいかがなものなのか、ということで思いっきりチャレンジしてみようと思った次第である。


いつもと違ってかなり気を使います。(笑)



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自分がクラシックの世界に入るようになったときから、内田光子さんは当然ながらすでに大ピアニストであった。自分はクラシックピアノは、ポリーニ、アルゲリッチのショパン系から入った人なので、5年に一度ポーランド・ワルシャワで開催されるショパン国際ピアノコンクールはピアニストにとって世界最高峰のピアノコンクールだと思っていた。


その中で日本人の最高位は、ということを調べたときに、それが1970年度大会の内田光子さんの2位ということを学んだ。


やっぱり内田光子さんはすごいんだな、とそのときに感心し、それが最初の出会い、意識したきっかけだったかもしれない。


レパートリーは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの前期ロマン派ですね。

もう内田光子さんのピアノといえば、もうこの3人の作曲家しか自分は思い浮かばないです。


内田光子さんにラフマニノフは似合わないですね。(笑)


ご本人もこれが自分のスタイルということで、意識されてこのレパートリーに固定されているのではないでしょうか。


モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトというオーストリアの古典に関しては、アルフレッド・ブレンデルが引退した今、世界的にも内田光子さんが最高権威ということになるのでしょう。


世界的な名声、世に出たきっかけはモーツァルト。ピアノソナタとピアノ協奏曲の全曲演奏会、そしてその録音全集で世界に名を馳せることになる。そういう意味でもご自身にとって、モーツァルトは本当に大切な作曲家で、いまでもコンサートではここぞ、というときの十八番のレパートリーになっていることは間違いない。



でも自分の場合、内田光子というピアニストの世界に深く踏み入れることになったのは、じつはシューベルトのピアノ・ソナタだったのである。


その頃の自分は若輩ということもあったせいか、シューベルトのピアノ・ソナタの世界がどうしても理解できなかった。


いわゆる音楽の造形、型というものを、その曲々の中に捉えることができなく、どうしても散文的に聴こえてしまってのめり込めなかった。人々に愛される名曲には、必ずこの型というのがしっかりあって、人の心を捉えるのはその造形ありきだと思っていたのである。


クラシックに限らず幅広いジャンルで希代のメロディメーカーと呼ばれる作曲家たちは、人の心を捉えるこの型の作り方に秀でている人たちなのでは、という考え方を持っていたからである。


でも自分はシューベルトのピアノソナタを全曲通して聴くのだけれど、捉えどころのない、というか、その型のようなものを見つけることができず、どう愛していいのかわからなかった。


いろいろなピアニストの作品を聴くのだけれど、それは変わらなかった。


(シューベルトといえば歌曲王といわれるくらい歌曲が有名ですが、逆にシューベルト歌曲は一発で大好きになりました。)


その中で内田光子さんのシューベルトのピアノソナタ選集(PHILIPSレーベル)は名盤という評判の噂を聞いて、ダメ元と思いながら聴いてみたら、それがまさに衝撃の出会いであった。いままでなにを悩んでいたのか、という感じで自分の中にすっと入ってくるので、驚いた。


他の演奏家の録音となにが違うのか?ということは当時、厳密に解析できなかったけれど、内田光子さんのシューベルトのピアノソナタは、いままでわからなかったものを自分の世界に取り込めるようになった、そんな感触の出会いだった。


いままでわからなかったその曲の構造、型などの聴かせどころ、旋律の進行の巧妙さなどが何回も聴き込んでいくうちにその良さがわかってくるような気がした。


それ以来、自分はこの内田光子さんのシューベルトのピアノソナタ選集をiPodに取り込んで、毎朝夕の通勤時間に電車内で聴き込んで、勉強していったのである。


だから極端なことを言えば、内田光子といえば、自分にシューベルトのピアノソナタの良さを教えてくれたピアニスト、恩人と断言していいのである。


それが最初にのめり込むきっかけだったかもしれない。


それほど内田光子のシューベルト・ピアノ・ソナタ選集は名盤中の名盤と言っていい!


その魔力はどこから来るのだろう、と思い調べてみたら、こんなご本人のインタビュー記事を見つけた。


「ピアニスト内田光子の尽きることなきシューベルトへの愛」



内田光子にとって、シューベルトを学ぶということは実に長い道のりだった。生まれ育った日本の家には、外交官である彼女の父親が所有していたシューベルトのレコードコレクションがあった。彼女はドイツ語がわからなかったため、そのレコードのカバーやライナーノートの意味は理解できなかったが、それらのコレクションの中の一枚に、彼女のお気に入りの民謡があった。


彼女が12、3歳の頃、一家はウィーンに移り住み、そこで偉大なバリトン歌手であるディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが歌う、シューベルトの「冬の旅」を耳にした。


「その中盤に、いきなり、私たちの慣れ親しんだ民謡が登場したのです」


それは、歌曲のレパートリーの中でも最も有名な作品の一つである「Der Lindenbaum(菩提樹)」であった。ピアノを学んだ学生時代、彼女はモーツァルトとベートーヴェンも愛した。そして次第に、バルトークやベルク、シューマン、さらにはクルターグ・ジェルジュのようなコンテンポラリー音楽の作曲家も弾きこなすようになっていった。


しかし、内田はこう語っている。「誰よりもシューベルトに心が繋がっていると感じていたのです。彼の音楽はほんのわずかにミニマルなところがあります。必要でないものは全くない、私はそこがずっと好きなのです」


初期からの内田光子のファンが、これを必ずしも知っているわけではない。彼女は1980年代初期に、モーツァルトの素晴らしいアルバム(1作目がソナタ、2作目が協奏曲)のシリーズによって名声を上げた。


それは「アマデウス」のおかげだとも言えるだろう。最初の大きなレコード契約を締結した時、内田光子はシューベルトのアルバムを制作したかったそうだ。しかし、当時ツアーで、彼女はモーツァルトのソナタを弾いており、また「アマデウス」がピーター・シェーファーの演劇作品とそれに続く映画化により大ヒットしたことあって、彼女はモーツァルトのソナタとロンドを収録した作品を発表するに至ったのである。


彼女はシューベルトを追い続けるはずだったが、彼女の所属するレーベルやリスナーはさらにモーツァルトを求めた。結局、内田は1990年代の後半になるまで、シューベルトのアルバムを発表しなかった。しかしついにそれが実現すると、待つ甲斐あって、その収録曲は2004年発表のボックスセットにも収められることとなったのだ。



自分にシューベルトのピアノソナタの魅力を教えてくれた選集には、このような内田光子さんの想い、経過があって生まれたものだということがわかって、やっぱりこれも運命なんだな~と思い自分は感動しました。



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内田光子さんの演奏スタイルとして、


「拍節感を強調しない、拍子がそろった均等拍の特徴を使いこなす。」


という評があるのだが、非常に音楽の専門知識を要するのだけれどなるほどと思ったことがある。


この均等拍というのは、曲想によっても違うが、多くの場合は楽曲の躍動感やメロディーの生命感を殺し、音楽を平板なものにする。


均等拍は、リズムの「正確性」だけが優先されて、本当の音楽に必要な「身体性・自発性・即興性」が軽視されてしまう。


でも、内田光子さんのように西洋文明の歴史や哲学などを知的に分析して作曲家の思想性に独自の解釈を作り上げ、それを細かな表現技法に乗せて表現しているプロ中のプロであり、この均等拍を基本とし、その上に意図的かつ知的な表現を散りばめ、全体としてシリアスかつ知的な印象を与えている、というのが内田光子の演奏スタイルである。


内田光子さんだからできることであって、ふつうの音楽家はやってはいけない。


自分はもちろんここまで専門的に意識して聴いたことはなかったけれど、そう言われれば感覚的にそのイメージはよく理解できる。内田光子さんのピアノを聴いているとその感覚はよくわかる。


でもそれはモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの古典派の特にソナタ系の曲を弾いていると、大概そのような弾き方になるのでは、と素人の自分は思うのだが、どうなのであろう?


内田光子さんのベートーヴェンやシューマンのピアノ協奏曲などおもにコンチェルト系を実際聴いてみると、そんなに均等拍という感じでもなく、非常にエモーショナルで情熱的に弾かれている。


強拍と弱拍が混在するようなきちんと拍節感のある感じで演奏されている。


だから一概にそのような演奏スタイルと定義づけるのもどうなのかな、というのが自分が思うところである。もちろんそのようなことはご本人も意識されていることではないと思うのだが、どうであろうか。



内田光子さんは、作品に対する深い研究と解釈、もちろん作品だけに限らず、西洋文明の歴史や哲学などにも精通していて、本当に知的である。2005年日本芸術院賞を受賞、文化功労者に選出、2009年には大英帝国勲章「デイム」の称号も授与されている。


CDのライナーノーツなどにもその作品についてのご自身の解釈を寄稿されていることもよく拝見する。


昔、HMVのサイトにベルリンフィル・ラウンジという記事があって、そこに内田光子さんのインタビューが掲載されていたりする。(インタビュアーはもちろんサラ・ウイルス)


そうするとそのインタビューの記事内容がとても哲学的で知性溢れる内容で、日本語で書いてあるのを読んでいる自分がもう読解困難(笑)なのに、それを内田さんは実際はその内容を英語や独語で話されているんだと思うと気が遠くなったことがある。


ある意味完璧主義者という感じがしたものです。



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内田光子さんは12歳で渡欧して、ウィーン音楽院で学ぶ。現在は英国在住である。


ピアニスト・内田光子“名もなき国”イギリスへ
https://www.sankei.com/life/news/151006/lif1510060007-n2.html


●1972年、内田さんはウィーンを去り、英ロンドンへ移住する。愛してやまない音楽の都を離れたのはなぜなのか。


誰もが「何でも知っている」と思っていることはすてきなことですが、半面、問題も生じます。「モーツァルトの弾き方はこうだ」とある人が言えば、別の人は違ったことを言い、「私は知っている」と言うのです。名もない日本から来た私には、少し息苦しくなってきたのです。


同じように、ドイツ人はベートーベンの弾き方を「よく知っている」と言い、フランス人も自国の作曲家の弾き方を「知っている」と言います。そういう国には行きたくありませんでした。それでロンドンを選んだのです。


●もともと内田さんはロンドンが好きだったが、クラシック音楽の世界において、イギリスが“名もなき国”だったことが大きかったという。


もちろん、すばらしい作曲家はいますよ。でも、ベートーヴェン、シューベルト、モーツァルトといった巨人はいません。ヘンデルはイギリスに帰化しましたが、ドイツ人は今でも「ヘンデルは自分たちのものだ」と言い張り、ヘンデルを諦めろと言っています。


まあ、そんな具合ですが、イギリス人は自国の作曲家が作った音楽をこよなく愛していますし、何よりここでは「○○を知っている」「○○は自分たちのもの」ということがないのです。これがイギリスに来た真の理由です。

もうひとつ。イギリスには「知的寛容さ」があります。ここでは自分の好きなように行動できます。外国人が多いので、じろじろと見られることもありませんしね。




自分にとって、内田光子さんといえば、やはりベルリンフィルとの共演がとても鮮烈な想い出として残っている。自分の内田光子というピアニストのリアルタイムでの想い出である。


”ソリストと指揮者との運命の絆”という日記でも書いたように、ソリストの出演の運命というのは、指揮者との絆というか縁が非常に大きな影響を及ぼすものだ。


ベルリンフィルでいえば、カラヤン時代なら、アンネ・ゾフィー・ムター、アレクシス・ワイセンベルクなどカラヤンに重宝され、ベルリンフィルの定期公演によく呼ばれていた。アバド時代ならば、ポリーニやアルゲリッチ、そしてアンネ・ゾフィー・フォン・オッターである。ベルリンフィルのその首席指揮者の時代に応じたソリストの顔というのがあった。


いまの時代はソリストはもっと多様化され、そんなに固定化はされないと思うが、当時の時代はそんな固定観念があったような気がする。


内田光子さんは、サー・サイモン・ラトルの首席指揮者時代のソリストである。ベルリンフィルのその年の選任ソリストという意味のレジデンス・アーティストでもあったと思う。本拠地ベルリンフィルハーモニーで、合計10回はこのコンビで共演をしている。


その演目の大半は、モーツァルトとベートーヴェンである。中にはメシアンが1曲あった。ベートーヴェンのピアノ協奏曲は、第1番~第5番までの全曲演奏会をラトル&ベルリンフィルでおこなっている。この公演の模様は、ベルリンフィルのDCH(Digital Concert Hall)でも収録されており、自分は2010年当時、全部コンプリートして拝見した。素晴らしかった。


そのラトル&ベルリンフィルとの共演で忘れられないのが、2009年2月13日にベルリンフィルハーモニーでおこなわれたシューマンのピアノ協奏曲である。


この2009年という年は、ゴローさん収録のアムステルダム・コンセルトヘボウでの、ハイティンク&ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、ピアノ独奏:マレイ・ペライアでのシューマンのピアノ協奏曲が、もう自分的に最高のボルテージでマイブームだったからである。


このシューマンのピアノ協奏曲。

本当にいい曲ですよね~。


この年、この曲のすっかり虜になってしまった自分は映像作品だけでなく、いろいろな演奏家のCDを買いあさっていた。そして自分なりにいろいろ研究していたのである。


そんなときに、ラトル&ベルリンフィルで、ピアノ独奏が内田光子で、このシューマンのピアノ協奏曲をやる、という。このニュースが飛び込んできたときは、飛び上がるほど喜びましたから。


マレイ・ペライア&コンセルトヘボウと内田光子&ベルリンフィルの対決!


と自分で勝手にネーミングして盛り上がっていました。


こんなマイブームで盛り上がっているときに、こんな夢のような組み合わせのタッグでこの曲が体験できるなんて!アーカイブはもちろん、リアルタイムのライブ放送も朝4時に起きて観たんじゃないかな?アーカイブはそれこそ擦れきれるほど繰り返して観ました。


絶対忘れられない映像素材です。

今日10年以上ぶりに観たら、やっぱり感動した~。(笑)


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このときゴローさんがポロっと言ったこと。


音楽評論家の故・黒田恭一さんが内田光子さんのことを評して言ったことを、そのまま受け売りで言ったわけだが、これがあまりに内田光子さんに失礼で(笑)、腰を抜かすほど驚愕しました。いかにもブラックで言いたい放題の黒田恭一さんらしいコメントだな、とは思いましたが。


申し訳ないですが、その発言内容は、ここではとてもじゃないですが、ボクの口から絶対口が裂けても言えないです。(笑)



内田光子さんの実演体験であるが、自分の記憶によると累計4~5回くらいは行っていると思う。そのうちmixiを始めた2009年以降では、2010年のフランツ・ウエルザー=メストとクリーヴランド管弦楽団との共演でサントリーホールでの公演に行った。


そのときの座席からの写真。


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このとき内田光子さんはベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番を演奏してくれた。自分はベートーヴェンのコンチェルトでは、第5番「皇帝」より、第4番派である。


この日は、当時の天皇陛下、いまの上皇・上皇后さまもいらして、天覧コンサートであった。内田光子さんは、美智子上皇后さまとも親通でいらっしゃると聞く。


終演後、内田さんは、皇族VIP席のRBブロックのほうに向かって、何度も何度もお辞儀をされていたのをよく覚えている。


あとは、2015年のサントリーホールでおこなわれたピアノ・リサイタルですね。


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2015年 内田光子ピアノリサイタル@サントリーホール


演目は覚えていませんが、おそらくモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトだとは思います。


マーラー・チェンバー・オーケストラとも蜜月の関係で、2016年にはモーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りをしている。内田さんが日本のコンサートホールで御贔屓なホールは、サントリーホールと札幌コンサートホールKitaraなのである。内田さんは日本国内のホールの中で、とりわけサントリーホールと札幌コンサートホールKitaraの音響を高く評価し、定期的にコンサートを開いている。MCOとの公演もこの両ホールでの開催となった。


内田さんはマーラー・チェンバー・オーケストラ(MCO)について、


「マーラー・チェンバーは私が作らんとしている音楽に対する反応がとても速い、ということがひとつの要素です。弾き振りしている際にハッと新しいアイデアを思いついた場合、誰かが以前のように弾いたら困るわけで、彼らにはそれはありません。指揮者がいないので、目で見るのではなくお互い耳で聴き合って即座に反応できる人たちなのです。そして音楽を作るということに対して根源的な部分での〝心〟を明確に持った集団でもあります。彼らがその〝心〟の中で一丸となって求めているものと私が作らんとしている音楽に、どこか共通性があるのだと思います。」


と絶大な信頼を寄せている。


この年、自分はバイロイトと京都夏秋ツアーで予算オーバー気味の年で、行けなかった。
そんな雪辱もあって、2020年度はすごく楽しみにしていたのに残念でした。


数年前のセイジ・オザワ松本フェスティバルで、内田光子さんを招聘というときは驚いた。


ぜひ行きたかったけれど、もういまや貧乏体質なので、あまりのチケット高杉で夢かなわず。このときは、この組み合わせはすごい意外と思ったのだけれど、内田さんは1984年、小澤征爾さんが指揮するベルリン・フィル定期演奏会にバッハのピアノ協奏曲とメシアンの異国の鳥たちを弾いてデビューしているんですよね。


そういう縁がある。


小澤さんは自分がしっかりしている間に、ぜひ内田光子さんを自分の音楽祭のサイトウキネンに招聘したいと思ったのではないか、と思うのです。




内田光子さんといえば、それこそデビューのPHILIPSレーベルから現在のDECCAレーベルに至るまで、彼女の音をずっと録り続けているのは、ポリヒムニアのエベレット・ポーター氏なのである。


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BBCスタジオで内田光子さんの音を収録作業しているエベレット・ポーター氏。


自分が所有しているCD全部のクレジットは、全てエベレット・ポーター氏であった。


まさに演奏家にとって、自分の音を作ってくれる人、自分の音を形にして具現化してくれる人は、つねに定点で決まっている。ものさしや基準は絶対変えちゃいけないのである。ブレちゃいけないところでもある。


それを貫いていることはじつに素晴らしいの一言だと思うのである。


ポリヒムニアはもともとPHILIPSのクラシック部門から独立した組織であるから、その頃からのお付き合いなのだろう。だから内田光子さんのCDの音はもちろん素晴らしいのです。




デビュー当時の1970年代は、なかなか売れず不遇の時代だったようだが、1982年、東京文化会館小ホール、そしてロンドンのウィグモア・ホールでのモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」は「ウチダの火曜日」とロンドンの批評家から絶賛を浴び、一躍、楽壇の寵児となる。続いて1984年に、イギリス室内管弦楽団を自ら指揮しつつ演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演奏会を契機に、PHILIPSにモーツァルトのピアノ・ソナタとピアノ協奏曲を全曲録音。


これら一連のチクルスは空前の大成功を収め、これを契機に長い不遇の時代を経て名実ともに国際的な名声を不動のものとする。


それ以降、国際メジャー・オーケストラの定期演奏会、そしてザルツブルク音楽祭、BBCプロムス、タングルウッド音楽祭、ルツェルン音楽祭などの世界的音楽祭の常連となった。


まさに世界のUchidaで現在に至る。


「歳を取ることの美しさは、まるで自分が世界を手に入れたかのように、言ったり行動したりできることね。」


内田光子さんの言葉である。


自分もこのように達観した境地に至りたいものである。











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黒沼ユリ子さんの世界 メキシコ編 [クラシック演奏家]

メキシコ人と結婚して、チェコ・プラハからメキシコへ。


これは1960年代のことであるから、それは当時の日本人に理解されることは到底難しく、親、親戚の反対も大変なものだったようです。


当時の社会主義体制の国チェコに行くときでさえ、「赤い国に行くんですか。」「鉄のカーテンの中に行くんですか。」と散々言われたそうですが、それが結婚して今度はメキシコ。


ヴァイオリニスト、音楽家としてチェコの留学はまだ筋が通っている気もしますが、まさかメキシコ人と結婚してメキシコへそのまま移住という話になると、これはクラシック音楽と関係ない道を外すような感じにも見えて、反対もわかるような気がします。


「メキシコ人なんかと結婚して」とあからさまに非難する声も聞こえてきて、帰国すればあれこれ言われることがわかっていたので、日本に帰りたいとは、これっぽっちも思っていなかったそうです。


1960年代で、このような人生の決断をした黒沼ユリ子さんは当時としては本当にぶっ飛んでいた人だったのでしょう。


齋藤秀雄先生ですら、「ラテンの国ではクラシック音楽なんてわからないだろう。」と仰っていたそう。


でもそんなふうに言われれば言われるほど、「ヴァイオリニストへの道は夢に終わった、という周囲の人たちの声をいつか完全に否定してみせる。」と決意は固くなったそうである。



●メキシコで見えてきたこと


1962年夏、初めてメキシコの地を踏む。


夫の家族や友人たちからは大歓迎され、会う人ごとに抱擁の嵐といった感じで面食らうほど。夫も日本人を嫁さんにもらったことが自慢になるくらい、やはりメキシコ人は日本人が好き。メキシコの最初の印象は、大都会であること、夜景が美しいということ。


1964年5月、昭和天皇のご名代で皇太子ご夫妻(現上皇・上皇后)がメキシコを来訪。二年前にロペス・マテオス大統領夫妻が国賓として訪日してもてなしを受けたお礼に昭和天皇ご夫妻をメキシコに招待しようとしたところ、当時は海外に出るのを禁じられていたので、代わりに皇太子さまと美智子妃がいらしたというわけ。


なにかできないか大使から相談された黒沼さんはメキシコ人ピアニストと日本人ヴァイオリニストの共演で、両国の曲を奏でる友好コンサートを催してはどうかという提案。実現の運びとなった。


当日、皇太子ご夫妻は、大統領夫人に伴われて二階席へ。ステージの真正面で聴いてくださり、終わると降りていらしてロビーで乾杯。


美智子さまは黒沼という苗字を珍しく思われたようで、「黒沼勝造先生とはご関係がありますか」と訊ねられ、「叔父です」と答えたのが最初の会話。


黒沼勝造は魚類学者。東京水産大学(現東京海洋大学)教授で、ハゼ科を研究されていた皇太子さまへのご信講のために、東京御所をよく訪れていたのだそうだ。


美智子妃は「先生には殿下が大変お世話になっております」と言われ、「こんどはいつ日本でコンサートをされますか。」とのお訊ね。「来年春に東京で」と答えると、「都合がついたらうかがわせてください」とおっしゃって、当日はご夫妻で聴きにいらした。


ちゃんと約束を守ってくださったのです。


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メキシコでの生活は、子宝(息子)に恵まれ、メキシコでの子育てをいろいろ経験。海外で生まれた子供はやはりマルチリンガルなど期待されますが、黒沼さんの息子さんも最終的に日本語、英語、スペイン語のトライリンガルに育ってくれたようです。


帰国子女はひとつ間違えると、どの言語も中途半端に終わってしまう危険性があるだけに本当に怖いところですね。


メキシコ流の子育てもふくめ、この子育て時代は、黒沼さんのメキシコでのひとつの時代でした。


そしてメキシコ時代の中でおそらく黒沼ユリ子のヴァイオリン人生の中で、もっとも重要なイヴェントが起こります。



●アカデミア・ユリコ・クロヌマ


黒沼ユリ子さんのメキシコでの人生でもっとも大きな仕事、やりがいだったのが、この「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」。


メキシコの子供たちにヴァイオリンを教えていこうという学校です。


後には、ヴィオラやチェロなど弦楽器一般も扱うようになりましたが。黒沼さんは、演奏旅行がないあいだは、少しずつプライベートレッスンをやっていらっしゃったが、弟子の中から「親が楽器のできない子供は、レッスンと縁がなくなる」「音楽学校を開いてほしい」と言われていた。


そこにその学校を開くための資金調達、スポンサーが現れて、その学校を開設することも実現を帯びてきた。


楽器学校開設の理由はそういう外的要因も大きいけれど、じつはもっと内的要因、黒沼さんの心の動きの中で大きな心境の変化があった。


それはもう三十代も終わりに達するとき、その頃からコンサートだけではむなしくなっていったこと。演奏家というのは、聴いた方がどんなに「今日の演奏がよかった」と楽しんでくださっても、弾いた音は消えて終わり。どんなに努力しても、消えてなくなっちゃうのが演奏芸術だとすれば、こんなことを死ぬまでやっていていいのかな、とむなしさが募ってきたのである。


そんなとき、それまでプライベートで教えていたものもっと充実させてアカデミアにしてほしい、と頼まれた。

ああそれなら何かを残せるかなと。


チェコで教えを受けたダニエル先生はピアノは素晴らしかったけれど、ヴァイオリンはまったく弾いてくださらなかった。


二十世紀の名ヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツは「六十五歳になるまで自分の秘密は一切教えません」と言って、現役のあいだは、弟子をとらなかった。


黒沼さんはそうではなく、「自分が弾けるうちに教えてあげなければ」。


それはチェコ時代にオイストラフ氏にレッスンを受けたときに、先生自ら弾くことで手本を見せることで弟子としてどんなにわかりやすい、ことなのかに開眼したこと。その当時としては、そのような先生はいなく画期的だと思った。


だからこそ、自分が弾けるうちに、そういうレッスン学校を、という気持ちがあった。こういうときにはこのように弾くとか、ステージでの体験で身に付けたものを生徒と一緒に弾けるうちに教えておけば、少しは何かが残せるかな、と。


ちょうどむなしさを感じ始めていた、いい年回りだった。
何かを残したい欲があった。

それで踏ん切りがついた。


アカデミアには3つの大きな夢があった。


そのいち


この「アカデミア」で学んだ生徒たちのうち、プロのヴァイオリニストへの道へ進まず、他の職業の専門家になった人でも、いつまでも音楽を愛し、ヴァイオリンを弾けることによって、その人の人生をより豊かなものにすること。


そのに


もしもプロになった場合には、自分の”揺りかご”(日本でいう古巣のことをメキシコではこういう)にぜひ帰ってきてもらい、今度は後輩の指導に愛を持って力を注いでもらえるようにならないか、ということ。


そのさん


この「アカデミア」が、日本とメキシコの友好の架け橋になること。



これを基本指針として「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」は船出した。


「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」は、それこそ順風真帆とはいかず、つぎつぎにと試練が訪れる。


特に意外と盲点だったのが、子供用の小型ヴァイオリン。ふつうの大人用のヴァイオリンって、子供にとって大きすぎてダメなのだそうだ。


日本で有名なススキメソードも特注の子供用の小型ヴァイオリンも彼らが工場を持って行って特注製造している。


遠く離れたメキシコの地ではたしてどうする?


最初の時は、日本のこのスズキメソードのヴァイオリンを輸入していたらしいですが、その後、1981年、メキシコの通貨ペソが大暴落し、贅沢品の輸入が禁止されてしまった。


絶体絶命!


「日本で使わなくなったヴァイオリンをメキシコの子供たちに寄贈していただけませんか」と週刊誌の掲示板に載せてもらったのを皮切りに、新聞のインタビュー、さらにテレビで話すと、またたく間に百挺ほどが集まった。


運搬にあたっては、日本航空や旅行会社の方が財務省に掛け合ってくださり、「運送費は無料にしてください」「税金をかけないでください」と経緯を話して協力を得た。


メキシコにヴァイオリンが集まると大使館で記者会見を開き、講堂のステージにケースを積み上げて子供たちも演奏を披露、メキシコじゅうに「日本のこどもたちがメキシコのこどもたちにヴァイオリンをプレゼントしました」というニュースが流れた。


こうやってアカデミアは最大の危機を乗り越えたのである。



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アカデミア・ユリコ・クロヌマ



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1985年、アカデミアの生徒とともに日本を訪れ、八々岳で日本の子どもたちと友好音楽合宿を楽しむ。


この1985年の八々岳合宿を機会に、1987年には中国地方や九州、沖縄にも足を延ばし、その後も、1990年、2000年、2005年にもアカデミアの訪日演奏が実現した。


アカデミアの三大目標のうち、日本とメキシコの友好のかけ橋になること。


これがこういう形で実現できたことが、黒沼さんのメキシコ時代の最大の運命共同体、「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」の最大の実績だったのだろう。


そんな感じで三十年以上続けてきたアカデミアを2012年に閉じることになった。


原因は、やはりアカデミアが創立時の学びたい、向学心という緊迫感から、だんだん保育園化していったことだったという。親はこどもをアカデミアにこども預けると、そのまま安心して外出。こどもは自分が弾く順番でないときはゲームをやっているとか、だんだんこどもを預ける保育園のような感じになってしまったこと。


これは緊張感がなくなり、厳しいですね。

長く続けるとどうしてもこういう感じなってしまいますね。


三十年、まさに黒沼ユリ子さんのメキシコ人生での最大の情熱のぶつけるもの、生きがいもこうやって終焉を迎えたのでした。


黒沼さんはメキシコでメキシコのわが家を建てている。
それを本にされている。
さっそく買いました。


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メキシコは日本と違ってすごい広大な土地、やはり家もとてもデラックス、
日本ではこんなすごい家考えられないですね。


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メキシコ風ダイニング。メキシコ料理ふくめ、メキシコでの生活が写真いっぱいに表現されています。


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当時九十歳だったお母さんもメキシコのこの家に呼び、最期もこの家で迎えられたとか。東京の狭い家で一人ぼっちの生活に比べて、メキシコの家で娘ユリ子さん家族といっしょに生活ができてお母さんも幸せだったよう。若いときは散々親に心配をかけたが、最期の最期で親孝行ができてよかったですね。


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メキシコでの生活で、メキシコ人から教わった言葉に


「悪いことは、良いことのためにしかやってこない。」


メキシコの国民的作曲家フランシスコ・ガビロンド・ソレールがインタビューで語っていた言葉。


「人生というものは、初めの四分の三ぐらいによく働いて、いい思い出をたくさん作っておくもの。そして最後の四分の一はその思い出を一つずつゆっくり思い出して楽しむためにある。」


これと


アイ・デ・トード(Hay de todo)


「すべてがあるさ。」(それはメキシコにいるから仕方がない・・・的なニュアンス)


と何かにつけて、メキシコ人はまるで口ぐせのようにいうらしい。


悪いことは、良いことのためしかやってこない。


いい言葉ですね。自分もどちらかというと人生すべてにおいて楽観主義でどうにかなるさ、的な性格で計画的人生というのが苦手。どんなに悪くてもポジティブ・シンキングなので、「アイ・デ・トード」的なスローライフが似合うかもしれません。


黒沼ユリ子さんは、その後、メキシコから日本に帰国し、現在千葉・御宿に住まれています。


2016年、メキシコと17世紀から縁のある千葉県御宿に開設した3階建ての「ヴァイオリンの家・日本メキシコ友好の家」を設立され、両国の友好を謳い、コンサートにスペイン語講座にと、地域の文化交流の場となっている。いまも日本とメキシコのかけ橋となって活躍しているのである。


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こうしてみると、ご本人は好きではない呼ばれ方と思うが、自分はやはり”異色のヴァイオリニスト”は本当に的を得た波乱万丈の人生を表す言葉だと思う。


間違いなく普通の演奏家、音楽家の人生ではないと思う。


黒沼著の「ヴァイオリン、愛はひるまない」の中に、こういう一節がある。


もしも人生という登山道で出会う、いくつもの曲がり角に必ず”道標”が立っていたら、最短距離で目的地に着くことを可能にするかもしれない。だが、それがない現実の中、私たちはひどく遠回りをしたり、時には思わぬ道草を楽しむチャンスに恵まれたりもする。そしてこの「遠回り」や「道草」が長い人生の目標を定めるのに、意外にも重要なことを、近頃の日本では忘れられかけているのではないだろうか。



人生に寄り道、道草って必要ですね。そういうのってそのとき無駄に思えるかもだけれど、絶対その後の人間性熟成に大きく役立ちますね。


そういう下ごしらえがあって、はじめて人生晩年に熟しますね。



自分は黒沼ユリ子というヴァイオリニストを、チェコ・プラハという切り口から捉えていたけれど、こうして人生全体を理解してみると、メキシコでの人生がかなり大きいウエートを占めることもわかった。


でもメキシコ在住の時も、チェコ・プラハは演奏旅行で頻繁に訪問され、やはり音楽家の素を築いた場所。チェコ・プラハに対するその想い入れは誰にも増して大きいだろう。


まさに「プラハの春」時代を生きた生き証人として。


著書「ドヴォルジャーク」は圧巻だった。
素晴らしい黒沼ユリ子の著書の中での金字塔だと思う。


ぜひ、自分はこの著書、そしてこのチェコ人作曲家のドヴォルジャークについて日記で語ってみたいと思う。ドヴォルジャークはひさしく聴いていなかったので、ご無沙汰していたので、まず徹底的に聴き込んで自分のモノにすることが前提です。


この著書「ドヴォルジャーク」を読んでいると、ものすごくドヴォルジャークを聴きたくなってきます。(笑)



黒沼ユリ子さんの著書でどうしてももう一冊紹介しておきたいものがある。



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アジタート・マ・ノン・トロッポ―激しく,しかし,過ぎずに (1978年)




差別の話、民族性について、日本人とは何かなど、各国での演奏活動の経験をもとに当時の社会に斬り込んだ本。音楽月刊誌「音楽の友」に2年間、それを連載中、「音楽家がなぜこんなことを書くのですか?」との投書が編集部に届いたりしたらしいのだが、担当編集者が、「どうぞ、好きなことを書いてください。」と言ってくださり続けることができた特集である。


自分は黒沼著の中でも特に大好きである。


最近の本は、やはりいまどきの現代人にわかりやすいように丁寧で優しい文体で書かれているのだけれど、それはそれでいいのであるが、自分はこの当時の黒沼さんの尖った文体が大好きである。


もうズキズキと心に刺さってくる感じで、かなり尖っている。


自分は最初黒沼さんの著書を読んだとき、これって本当に演奏家、音楽家が書いているの?という感じで驚いた。本当に作家、評論家顔負けなのである。


文章、文体ってやはり表現の美しさだけでは、読者に刺さりませんね。


やはりその内容に説得力がないとダメなんです。そこに心に刺さる真実味、読んでいる者が思わずドキッと、後ろめたいように感じるほどの真実性があるから、刺さってくるんだと思うのです。


それはやはり人生経験ですね。人生長く生きているとそういう深い考えがどうしても身についてくる。


村上春樹さんの小説が素晴らしいというところに、みんなその文体の表現の美しさを上げる人が圧倒的だけれど、自分はそうじゃない、そこじゃないと思うんですよね。


村上小説の真髄は、やはりそのストーリー構築の面白さ、村上流ユーモア(ちょっとブラックのセンスが入っている)に溢れているそのストーリー構成力、そしてテンポ、リズム感にあるんじゃないかな、と思うんです。


だから、それが前提上にあるから表現の美しさがさらに映えてくる。


中身の面白くないものは、いくら美しい文体でも感動しないです。


そういう意味で、黒沼著書には、グサグサと刺さってくるのは、そういう中身に深いもの、説得力があるから感動するんだと思うのです。


ぜひ読んでみてほしいと思います。







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黒沼ユリ子さんの世界 プラハ編 [クラシック演奏家]

チェコやプラハのことを黒沼ユリ子さんのヴァイオリン人生を勉強しながら、学んでいこうと決意。


そのためにはご本人のご著書、そして音源を片っ端から集めて、それを少なくとも2回は読み込んでこの日記を書いている。


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読んでみて思うことは、とても音楽家、演奏家とは思えないほど文章力のある方で、作家、音楽評論家顔負けの筆致なのである。説得力のある文章で読者に強烈なインパクトを与える。


もちろん自身の専門である音楽のことについては当然なのだが、政治や社会情勢、歴史、そのほか文化一般において非常に幅広い知識を持っていらっしゃるので、それがその著書の中に混然一体となって、全体に散りばめられているような感じなので、驚くばかりなのである。


それはご本人が単に音楽の自分史だけに留まりたくはなく、チェコやメキシコなどの歴史、文化に至るまで広い視野で俯瞰した内容にしたかったという意思があると思うのだが、読んでいて本当に自分の素養が抜群に広がったような気がしました。


チェコにしろ、メキシコにしろ、少なくとも自分の人生の中には持っていないものですからね。


そういう意味で新鮮味があって、随分と面白かったです。


黒沼ユリ子さんは、音楽家というよりは、社会文化人というところまで裾野を広げて呼んでもいいのでは、と思います。ご本人は、あまりそういう呼び方をされるのをお好きではないようだが、メディアは”異色のヴァイオリニスト”というキャッチコピーの呼び方をしていて、これは確かに納得がいくような気がします。


いわゆる普通の音楽家、演奏家の人生ではないと思います。人生の2/3以上をチェコ、メキシコという海外にいらして、そこから日本を見つめ、考える。そういう人生だった、と振り返っています。


いまは日本に帰国され、千葉県の御宿に住んでおられます。


本人曰く、


マイナスをいかにプラスに変えるか、私の人生はその連続でした。十代でチェコに留学するときから「赤い国に行くんですか」「鉄のカーテンの中に行くんですか」と言われ、結婚してメキシコに行けば、「あんな闘牛とソンブレロとピストルの国に?」と揶揄されました。でも船出しなければ、嵐にも遭いませんが、それを克服したときの喜びもありません。さまざまな困難を乗り越えられたのも、言葉も年齢も関係なく、共有できる音楽の喜び、多くの人たちの有形無形の援助や励ましによるものです。


すべてへの感謝は伝えきれません。


音楽を上手に奏でられればいい・・・それだけが音楽家の生き方じゃない、と思っています。人間として言うべきことを、音楽家であれ、芸術家の誰もが言っていれば、私が”異色のヴァイオリニスト”じゃなくなるわけです。


これからも自分にできることを、できるところで、できるだけ真剣に、情熱をこめてやっていきたいと思っています。たくさんの人に何かを与えることができる芸術家でありたいですから。



この黒沼さんの自分史の著書ふくめ、ぜひ読んでほしいと思うが、この日記では、この膨大な自分史の中で、私がとても印象的だったところをピックアップして紹介していくような形に。あとで、著書の紹介とリンクを貼っておくので、もっと詳しく知りたい場合は、ぜひ著書を読んでみてください。


尚、日記中で使わせてもらっている写真の一部は黒沼さんのFBから、残りの大半はネットから借用しているものです。


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昭和15年に、東京の日本橋で麦や大豆、雑穀を扱う黒沼商店の四人兄弟の末っ子として生まれる。もちろん戦時中を経験される訳だが、やっぱりお父さんをはじめ、ご家族がクラシック家族だったようで、八歳のときにお父さんがヴァイオリンを買ってきてくれたそうだ。


もちろんとても家の収入に見合うものではなく、ずいぶんお父さんは怒られたようだが、八歳だったユリ子さんは嬉しくて嬉しくて堪らないという感じ。それがヴァイオリンとの出会い。


そんな感じだから、もしユリ子さんがヴァイオリニストへの道を歩まなかったなら、それこそ多くのお金をかけて、親戚中から「ユリ子ちゃんにヴァイオリンなんかやらせて」という陰口もいわれて、プロにならなかったら、親不孝といわれるような大変なプレッシャーな状況だったという。


中学三年のときに桐朋のAオケに入り、演奏旅行にも参加。当時、齋藤秀雄先生に指揮を習っていた小澤征爾さんが、大勢の前で叱られていた時代だそうです。(笑)


その当時コンクールに一位になったら、海外に出るのが当たり前の時代。でも家計の状況からそんな余裕もなく。


そこで新聞に「チェコスロヴァキア政府招待給費留学生募集、音楽家三人、言語学者一人」という募集を見つける。もうひとつの明記に「医療費も補償」とある。


社会主義国で初めて日本からの留学生を募集したのがチェコであった。政府の給費留学生で医療費まで出るなら、ほぼどこでもよかったそうですが、チェコの国というイメージは全くなし。ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲や交響曲「新世界より」が好きだったくらい。


ヨーロッパではチェコは「弦楽器奏者のふるさと」と呼ばれていることも知らなかった。


留学実技試験に無事合格し、すぐ外務省に行ってくださいと言われ、いろいろ手続き。でも渡航費はご自分で用意してください、とのこと。なんと二十五万。いまの五百万くらいだそうです。それも渡航まで一か月間。ずいぶん困ったそうですが、親戚からの工面などいろいろ苦労して、なんとか事なきを得たそうです。



一体プラハで私はどのような先生に巡り合えるのだろうか?とそんな多少の不安と大きな期待を持っていたところ、戦前にプラハにいらしたことのある往年の名ヴァイオリニスト鰐渕賢舟氏を訪ねることがあった。


そこでチェコのことを「弦楽器奏者の故郷」と呼ぶことの意味を知った。


「ヤン・クーベリックという世界的に有名な大ヴァイオリニストがいたでしょう。あの人はチェコ人でしたし、大作曲家のドヴォルジャークもそもそもはヴィオラ奏者としてスタートした人ですよ。ヨーロッパではチェコのことを”弦楽器奏者の故郷”と呼ぶくらいなんです。ベンダ兄弟やシュターミッツなどのマンハイム楽派の頃からチェコの弦楽器奏者は優れていて、つまり弦楽器教育がとても盛んで長い伝統がある。そして弦楽器奏者はみんなから大切にされ、愛され、尊敬されている国ですよ。」



●チェコで人生が一変する。


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プラハ音楽芸術アカデミーに留学。F.ダニエル教授の最後の弟子となる。18歳。


留学してプラハの音楽芸術アカデミーに入り、寮生活が始まる。将来音楽ジャーナリストや音楽に関する職業につく人々にも開かれたコンセルヴァトワールと違い、音楽芸術アカデミーは全員がプロの演奏家を目指す教育機関である。


そこで大変幸運だったのは、そこの音楽学部長フランティシェック・ダニエル先生が、ヴァイオリンの教授だったこと。ダニエル先生はその昔、世界的指揮者ヴァーツラフ・ターリッヒ時代のチェコ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターであったり、さらに作曲家アルバン・ベルクのヴァイオリン・コンチェルトのチェコ初演で独奏されたり。


ダニエル先生は190cmくらいあって、お腹こそ出ていませんが、体重150kg前後・・・当時の黒沼さんは150cmでヨーロッパでは13歳か14歳にしか見られなかったようです。


ダニエル先生は週一回のレッスン室とは別に、学部長としてのエレガントなサロンも持っていらして、そこでも時間を探してはレッスンしてくださったそうです。



**********

このときのエピソードで自分が非常に気に入った箇所がある。
それがその後の黒沼さんの人生を決めるうえで大きなトリガーになるようなところだと思う。

**********


ダニエル先生は、当時のダヴィッド・オイストラフとも知り合いで、オイストラフのコンサートに一緒にでかけたときのこと。


ベートーヴェンの協奏曲を聴いた後、ダニエル先生は私を楽屋でひと休み中のオイストラフ氏に紹介してくださった。


「私の日本人の弟子です。」


そしてそれ以後、オイストラフ氏が毎回プラハでのコンサートに来られるたびに、私にレッスンをしてくださるように頼んでくださったのだ。オイストラフ先生のレッスンがなによりも素晴らしかったのは私の目の前で、すぐ隣で、まるでステージ上でのような真剣な生の演奏でいろいろな勉強方法を教えていただけたことだ。


幸か不幸か、それ以前の私の先生方は、実際にヴァイオリンを弾きながら教えてくださる方はほとんどいなかった。理論的に様々な奏法を研究して口で教えていただくのと、実際にその場で弾いてみせて頂くのとは次元が異なる。それまで暗中模索していたような弾き方とか、表現方法が、まるで、”目からウロコが落ちる”ように、体得できたりするのだ。


この体験の重みを知っているからこそ、私はまだ自分が弾けるうちに、歳をとりすぎないうちに、メキシコでの「アカデミア」を開く決意をしたのだった。


それは私はちょうど私が四十歳になった年で、まだまだ演奏活動も内外で忙しくしていた時期。教師と演奏家の両立には、いろいろな犠牲を強いられたり、無理も重なったりしたが、恐れ多くも<オイストラフ先生は立派に両立させていらしたではないか>が常に私の頭の中にあり、生徒たちには教師がまず弾いて、聴かせて、見せて、本人に自分の演奏のどこが、どのようにヘンなのかを気づかせてから説明をすることを、現在も私どもの「アカデミア」のモットーにしている。



***********

ここは自分がすごく大好きな箇所なのである。いまでこそ、音楽家の方々の生徒たちのレッスンって対面式が普通なのでしょうけれど、この時代はとても珍しいことだったんですね。


それ以来オイストラフ氏とのレッスンを受けることができた黒沼さんであったが、オイストラフと言えば、自分はどうしても、黒沼著書”ドヴォルジャーク”の中で忘れられない印象深い記載がある。


自分は誰に対しでもそうだけれど、その人があることに拘りを持つ面がとても好きである。ある意味、一種の尊敬の念を抱く。その人がそれに打ち込む、それって他人からはわからないことかもしれないけれど、そういう面を持っているということがすごく微笑ましいし、嬉しいのである。


それは自分の性格が、”思い込んだら命懸け”というタイプの性格で徹底的に知り尽くさないと、徹底的にやらないと気が済まないという性格に依存するところからなのだろう。


そういう面を持っている人を自分はすごい尊敬するし、自分に近いという親近感を抱くのかもしれない。そういう自分をくすぐる記載の箇所を紹介したいと思う。


黒沼ユリ子さんのドヴォルジャーク伝記の著書に記載されている箇所だ。

長いので申し訳ないが、私の方で意訳させてお伝えする。



************

それが1950何年のことだったのか、あまりはっきりしてはいないのですが、とにかく私が中学か高校の時だったことは確かです。朝八時になるのを待つようにして家をでると、東京の繁華街、原宿へ出かけました。小脇には一冊の楽譜が大切にかかえられていていました。


商店のシャッターはまだぴたりと閉まっており、街全体には、何ともいえない、”眠む気”が満ちているような雰囲気が漂っています。


~まだあいていないかしら?


「いらっしゃいませ。どうぞ、今開けるところですから・・・」


琥珀・純音楽喫茶


人気のない、狭い喫茶店の中には、小さなテーブルと椅子がびっしりと、縦に二列並んでおり、その小さな空間とは、どう比べてみても不釣り合いな、畳一畳分くらいの大きさのスピーカー・ボックスが正面に「でん」とすえられていました。


ここは当時、流行していた音楽喫茶店の中でも「リクエストに応じる」ことで有名だった店のひとつだったのでした。


~あるといいんだけどなあ、この曲。

真っ白い小さなエプロンをしめた女性がやってきた。

「ご注文は、コーヒーとトーストですか?」

と聞く彼女に、わたしは小さな紙きれをわたしたのです。


「あのこのレコードあるでしょうか?」

”ドボルザーク、ヴァイオリン協奏曲、独奏ダヴィッド・オイストラフ”


「ドボルザークのヴァイオリン協奏曲ですか?さあ、ちょっと調べてみます。”新世界”や”チェロ協奏曲”なら
何種類もありますが。」


怪訝そうな表情でそう言って、奥に入ったウエイトレスが、ニコニコしながら再び出てきて、


「ありましたよ。つい最近、入荷したばかりで、まだ、うちのコレクション・リストには載せてありませんでしたけれど。」


と言うのを聞いて、一瞬、わたしは飛び上がりたいほどうれしく思い、次の瞬間、


~さあ、これでこの曲のオーケストラ伴奏のが聴ける。


と思うと、緊張で自分の体が固くなるのを感ぜずにはおれませんでした。


わたしは、ピアノ伴奏の楽譜を大きく開くと、今かと、今かと、スピーカーボックスから音が鳴りだすのを待っていました。そしてついに針がレコードの上にのった「ピシッ」という音が聞こえたかな、と思った二、三秒後に、わたしの背筋が「ぞくっ」としたのです。


オーケストラの全奏によるイ短調の、何かを問いただすようなフォルテの前奏が響き渡りました。(中略:曲の演奏の説明)


~すごい。圧倒的なこの導入部。


伝統的な協奏曲の形式というのは、オーケストラによる長い前奏が第一主題も第二主題も提示してから、やっと独奏者が登場する形なのですが、この自分にとっての未知な曲の冒頭から、このように斬新なスタイルに出会い、わたしは誰かに胸倉をつかまれて、前後に強くゆさぶらたように驚き、感動しました。


~やっぱりオーケストラ伴奏でなくてはだめだわ、と合点しながら。


こうしてわたしは、生まれて初めてドボルザークという作曲家のヴァイオリン協奏曲と対面し、その美しいメロディーと、リズムの楽しさに胸をおどらさせられ、しばらくの間、この曲以外のことは何も考えられないほど、とりつかれてしまったのです。


当時の「十大ヴァイオリン協奏曲」という楽譜のアルバムには入っていなかったドヴォルジャークの協奏曲のことを、どこからどう知ったのか、わたしの手には、高価なピアノ伴奏版の輸入楽譜がありました。


夢中になって聴き終わったわたしの周囲には、いく人かの客が席をしめて、別の曲をリクエストしていたため、初めて聴いたこの曲に興奮していたわたしも、もう一度この曲を続けて聴くことは許されません。ただ夢のように。


~いつか本格的にこの曲に挑戦し練習を積み、ちゃんと弾けるようになりたいなあ。


とこの日に思い始めたのは確かです。


それから、どのくらいの時が流れたでしょうか。


ある日わたしは、新聞の片隅に、特に片隅に、特に何も目立つ様子でもなかった小さな記事を見つけたのです。「チェコスロヴアキア政府より、日本の音楽留学生を招待する旨の連絡が外務省に入り・・・(中略)文部省がその選考を行う。」と。


そして、この小さな記事がわたしの目にとまったことが、その後の自分の人生の歩みを、こうも大きく同級生の仲間たちのものと違うものにするであろうとは、夢想だにせず、ただ単に、


~あの、すてきなヴァイオリン協奏曲の作曲家の国に行けるのなら。


と考え、初めての体験として、その「留学生試験」を試しに受けてみたのでした。



それから三年半の、さまざまな新しい経験を積み上げた時間がたって、今度はプラハ空港から飛び発ったとき、私の手荷物の中には、赤と黒の表紙を付けた二冊の大切なものが入っていました。


黒い方は、堅い表紙付きで製本された、二十枚ほどのタイプで打たれた紙の束で、第一ページにはチェコ語で「ドヴォルジャーク作曲 ヴァイオリン協奏曲・イ短調、作品五十三番の演奏における解釈と諸問題」と書かれてあり、それはわたしの卒業論文でした。


そして、もう一つの、赤い皮表紙の手帳のようなののは、「卒業証書(デイプロム)」です。


この年、わたしはプラハ音楽芸術アカデミーを無事ヴァイオリニストとして首席で卒業していたのです。こうして、わたしの「夢」は「現実」のものとなり、ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲を、わたしが「卒業演奏会」のために選んだことは、申すまでもありません。


************


うぉぉぉ~ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲?


はて、どんな曲だったっけ?(笑)


超ヴァイオリン好き、そしていままでありとあらゆるヴァイオリン協奏曲を実演、オーディオで、聴いてきた自分にとって、ドヴォルジャークのコンチェルトと言われても、お恥ずかしながらピンと来なく、すぐに思い出せませんでした。


これはすぐにCDを買わないと。

しかも独奏はダヴィッド・オイストラフでないといけない。(笑)


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ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲、グラズノフ:ヴァイオリン協奏曲、
カバレフスキー:ヴァイオリン協奏曲、オイストラフ(vn)コンドラシン、カバレフスキー



1949年録音だ。時期的にこれだろう?

もちろんモノラル音源である。


モノ音源は再生した場合、自分のシステムがピシッとセンターに定位していることを試される非常に怖い音源である。(笑)


普段モノ音源なんてかけないからね。


いい曲でした。聴いたことありました。第3楽章がとてもいいですね。この楽章でピンと来ますね。あっ聴いたことあるって。導入部は確かに普通のコンチェルトと違って、特徴ありますね。


それにしても、自分はこの著書ドヴォルジャークの中でもこの記載が好きで好きで、こういうなにげない体験が人によって、その後の自分の運命を決める瞬間だった、でもそのときは、そんなことなんて本人は知る由もなし。後年に振り返ってそうわかる、という運命の糸の話にすごく感銘します。


人生長く、深く生きていないと体験できませんね。


しかもオーディオマニア的にとってもこのさわりはどうしても引っかかりますよね。たぶんはスピーカーはJBLだったと思います?(笑)



そうやってチェコで研磨を積んでいき、1962年5月、国際音楽祭「プラハの春」に出演。トゥルノフスキー指揮、プラハ市交響楽団でスークの「ファンタジー」を独奏。芸術家の家(現在のルドルフィヌム)のドヴォルジャーク・ホールにて。21歳。


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そして、


「どうぞ、ここにお掛けください」


ほんのなにげない一瞬の出会い、そんな偶然が人生を変えることもありますね。
そのときに出会ったメキシコ人の考古学者と一瞬に恋に落ちて、そのまま結婚。

1960年 プラハで挙式。


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メキシコで新たな人生を送る運命に。


人の人生を他人が語るのは難しいですね。
正確に語ることは無理です。


やはり自分史は、ご本人の著書を読んでいただくに限ります。
ぜひ読んでもらいたいです。



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黒沼ユリ子 ヴァイオリンで世界から学ぶ
 (のこす言葉 KOKORO BOOKLET)




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ヴァイオリン・愛はひるまない―プラハからメキシコへ




1番最初の本が、1番新しい本で最新の近況まで入っているものですね。2番目の本が最初に書いた自分史の本です。


新しい本は、やはりいまの人にわかりやすいように、優しい丁寧な言葉遣いで書かれていて、わかりやすい感じです。普通の人はこちらのほうがいいですかね。


自分はもちろん新しい本も好きですが、2番目の本の方が尖った感じで、心にグサッと刺さる感じでいいです。この日記では紹介できませんでしたが、チェコ時代は、自分の音楽人生だけでなく、当時の社会主義体制のチェコについて語っている部分も印象的です。


チェコ(チェコスロヴァキア)は、亡国民族で長い間オーストリア・ハンガリー帝国に征服されていて、公に自国語チェコ語を話せず、公用語はドイツ語、そういう自分の言語を自由に話せない環境。


我々日本人にはとても想像しがたいことでしょう。


いつぞやチェコ人は、音楽の中に自分達の生きがいを見出し、自分たちの言語や音楽で芝居やオペラが上演される場所をもつことを夢見るようになる。


スメタナの言い残した言葉の中に「チェコ人の生命は音楽の中にあり。」。


そこら辺のチェコ独特の事情についても熱く語っています。

随分勉強になりました。


黒沼ユリ子著「ドヴォルジャーク」はぜひ読んでほしいですね。初心者向けのわかりやすいドヴォルジャーク伝記ですが、これを書くに至って、どれだけ大変なことだったか、自分は読みながらその記載事項、掲載写真の出処は大変だったろうな、と考えながら読んでました。


読んでいるうちに、無性にドヴォルジャークを聴きたくなりました。(笑)


ドヴォルジャークは久しく聴いていないので、もうちょっと音源を聴き込んで完全に自分のものにして、改めて、この著書とドヴォルジャークについて、日記で書いてみたいです。


(チェコ語の発音を日本語で表記することは大変難しいことらしく、より正確なチェコ語の発音に近いとするならば、ドヴォルジャークのルは小文字らしいのですが、それはPCのタイピングで不可能なことのようなので、そこら辺をご承諾ください。黒沼著の本は、きちんとルが小文字になっています。)











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神尾真由子さん [クラシック演奏家]

あの衝撃の2007年のチャイコフスキー・コンクールの優勝。


いまでこそ、国際コンクールで日本人演奏者が優勝したり、入賞したりすることはそれほど珍しくなくなってきたけれど、まだ10年前の2007年当時は大センセーショナルだった。


しかもコンクールの名門中の名門。チャイコフスキー・国際コンクール。


諏訪内晶子さん以来の大快挙、ということで、日本中が沸きに沸いたことを覚えています。
まさに自分はそのときのリアルタイム世代ど真ん中。


あれは興奮したなぁ。


いまの日本人優勝、入賞の衝撃度とはくらべものにならないほど大センセーショナルだった。


あのセンセーショナルな大事件の中に自分がリアルタイムでちゃんとその中にいた、というのは本当に人生の宝物でしょう。


神尾真由子さんとの出会いは、もちろんそこが起点だった。


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その後、BSだったと思うけれど、そのときのチャイコフスキー・コンクールの模様をTV特集したときに見ていて、そのとき自分は神尾さんが本選で弾いたシベリウスのコンチェルトに無性に嵌ってしまい、相当入れ込んで聴き込みました。(ピンクのドレスだったと思いました。)


シベリウスのコンチェルトはどちらかというと解釈が非常に難しくて、少なくとも一般受けするようなポピュラーな曲ではないが、自分はこのコンクールで神尾さんのシベリウスを聴いたことがこの曲に嵌るきっかけになって、それ以来自分はこの曲に対する印象が随分違ってきて、自分にとってこの曲がヴァイオリン協奏曲の勝負曲にまで昇りつめた、という出会いの経緯があるのだ。


神尾真由子さんのそのデビュー当時の魅力は、諏訪内晶子さんが日本古来の正統派の美人としたら、神尾さんは、どちらかというと、ちょっと小悪魔的なセクシーさがあって、男性にとってはドキドキと誘惑させられるような、そんなある意味ちょい悪的なセクシー美人のようなヴィジュアルだった。(男性って、じつはそういうタイプの方に弱かったりするんですよね。(笑))


それ以来、ずっと神尾さんのことはファンとしてずっとウォッチしてきたし、自分の記憶にある限り、実演にも4回くらいは馳せ参じているのではないか、と記憶しています。


ところが、ここ最近ずっと気にかかっていたことがあって、神尾真由子さんのことについて、きちんと自分の日記で語っていない、ということ。


これはかなり気まずい感じで、こりゃいかんな、とどうしようか日々悩んでいた。いわゆるヒラリー・ハーンのときと同じで、ファンでいて、CDディスコグラフィーも聴き込んでいて、演奏会にも何回も通っているにも関わらず、日記でちゃんと語っていない、ということ。


これはなんとかしないといけないな、とずっと自分の心の中で引っ掛かっていた課題だった。チャンス、きっかけを探っていた。


そんな風に思い悩んでいた時に、つい先日、藤岡幸夫さん&東京シティ・フィルの首席客演指揮者就任披露公演で、ソリストとして神尾真由子さんが登場した。


これを見て、久し振りに神尾さんが檜舞台で大活躍されているのを嬉しく拝見した。


藤岡さんも神尾さんと初共演ということで、ずいぶんとSNSの投稿で盛り上げてくれたので、それで自分も、よし!いまだ!時到来、ぜひ自分の日記で語ろう!と思ったのである。


自分には神尾真由子さんについて語れる資格は十分にある。

それだけの経験がある。


もちろん神尾さんの熱狂的大ファンである、うさぎ仮面さんには敵いませんが、ほどほどにご容赦を。(笑)


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神尾さんの実演を4回ほどじかに接してみて、自分が抱く印象は、非常にダイナミックな奏法で男性的なパワフルな奏者である、ということ。そういうスタイルがご自身の意識しない本能的なところで成立しているので、切れ味の鋭いボーイングに、奏でる音に力強さがあって、なんといっても歯切れがよい。


本当に男勝りの奏法。


聴いていて本当に気持ちがよくスカッとするのだ。


そのダイナミックな奏法は、もちろん演奏パフォーマンスにも現れていて、非常に動的スタイルな格好よさがある。


それがまず自分が神尾さんに抱く第1印象。


逆に優しい女性的なメローな曲もいささか男性的な感情表現になってしまう傾向にもあること。


でもそれは若い頃の若気の至りというか、自分がより女性的で柔らかな面持ちになってからの神尾さんの演奏を聴くと、そういうところも軽減され、より女性的なオーラも十分醸し出されるようになった、と思う。


そんな感じだろうか。


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いまでも忘れられないのは、2012年4月30日の軽井沢大賀ホールでおこなわれた大賀典雄メモリアル軽井沢大賀ホール 春の音楽祭に行ったときのこと。この日の自分が選んだプログラムは、前半が諏訪内晶子さん、後半が神尾真由子さん、という今では信じれられない贅沢なプログラム。


この日はテンションが上がって、軽井沢現地でSNS投稿でハシャイでいたら、「諏訪内に神尾。なんて贅沢な・・・羨ましすぎ!」と読者から冷やかされたのを覚えています。(笑)


神尾さんはチャイコフスキーのコンチェルトという、まさにヴァイオリン協奏曲の王道の曲を演奏された。井上道義さん&オーケストラ・アンサンブル金沢に、ヴァイオリン独奏:神尾真由子という組み合わせ。


これは格好良かったねぇ。


シビレルとは、まさにこのことを言うのだと思います。


やっぱりチャイコフスキーのコンチェルトは耳タコ名曲だけあって、絶対盛り上がるんですよ。


「神尾さんは胸元が大きく空いた、肩、背中を露出する 大胆なベージュのドレス。
 
神尾さんは諏訪内さんと正反対で、とても男性的な弾き方。両膝をしっかり曲げて体を左右に激しく揺らしながらかなり動きながら弾く傾向がある。


”静の優雅な諏訪内に対して動のダイナミックな神尾という感じ。”


このコンチェルト、ソリストにとって聴かせどころ満載で、また彼女の18番の曲でもあって、見事な演奏だった。


後半のグルーブ感、疾走感からのエンディングは背筋がぞくっとする素晴らしさ。 諏訪内さんの華麗なソナタを聴いた後にダイナミックな神尾さんのコンチェルトを聴くという順番は盛り上がり、という点でも正当な順番だと 思いました。」


と、このように当時の日記で書いていた。


自分が3年間、定期会員だったミューザ川崎の東京交響楽団での名曲全集でも、神尾さんはソリストとして登場した。2014年12月27日で、指揮者が秋山和慶さん。


このときの演目が残念ながら覚えていないのだけれど、昔よりもずっと角がとれたというか柔らかい表現で、神尾さんもより大人の女性らしくなったのかなぁとその当時思ったことを覚えています。


そのときのカーテンコールは撮影しました。(笑)


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神尾さんが経年ともにより女性的な柔らかさ、繊細な感情表現が滲み出てきたのも、自分の想像だが、やはり結婚が大きなきっかけであったのではないだろうか?


2013年に、ロシア人ピアニストのミロスラフ・クルティシェフさんと結婚し、2015年に第一子を出産。


いまはおそらく育児とともにソリスト生活も兼任する、という大変な時期だと思うが、自分が神尾さんのコンサートに行っていた時期と、この結婚、子供が生まれる時期とで、その動的ダイナミックな奏法からより女性らしさが醸し出される雰囲気が出てきたタイミングが合致するのだ。


風貌も、より柔和で優しさが滲み出てきて、温和な表情になった。
小悪魔的なセクシー美女から、優しい柔和な美人の表情に変わっていったと思う。


ピアニストの旦那さまと結婚した当時、日本のTV番組が長期密着取材をして、ロシアの自宅の中で、旦那さまピアノと神尾さんヴァイオリンで稽古をしたりする風景。結構キツメなアドヴァイス・コメントを旦那さまに投げかけるシーン、そしてピアノ旦那さまと神尾さんヴァイオリンで、ロシアのホールで夫婦でのヴァイオリン・ソナタのコンサートをやっていくシーンなど。。。(2011年に拠点をニューヨークに移して、結婚は2013年なので、アメリカでの話かもしれません。
自分の記憶では確かロシアだったような・・・)


確か録画していまでも残っていると思うけれど、神尾ファンとしてはちゃんと興味深く拝見していました。


ディスコグラフィーのほうは、意外やあまり録音の数は多くない。
2008年 Sony BMG Masterworksと専属契約をして、いままで5枚のアルバムをリリースしている。


自分は、その中で、PRIMO、パガニーニ:24のカプリース、チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲の3枚を持っています。


その中で、やはりお勧めなのはこれ。



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24のカプリース
神尾真由子



デビュー当時の小悪魔的でちょい悪的なセクシー美人とは、まさにこのジャケットのような感じでした。


最高でした!


パガニーニの24カプリースは、ヴァイオリニストにとっては、非常に難度の高い超絶技巧の集まりのような曲で、このアルバムでは、その神尾さんの最高のテクニックが堪能できる最高の作品だと思います。



2011年に拠点をニューヨークに移している。


使用楽器は、2001年8月、サントリーから1727年製ストラディヴァリウス(以前ヨーゼフ・ヨアヒムが所有、使用していたもの)を貸与されて弾き始めた。


2012年に、その約10年使用していた上記のストラディバリウスを返却、米国・ストラディバリ・ソサエティーから1735年製グァルネリ・デル・ジェスの貸与を受け、使用している。


2017年5月より宗次コレクションから1731年製ストラディヴァリウス“ルビノフ”を貸与。

 

そのときの写真です。


日本ヴァイオリンにて貸与式が行われ、宗次コレクションよりヴァイオリニスト 神尾真由子さんにストラディヴァリウス1731年製作"Rubinoff"が貸与されました。


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(c)日本ヴァイオリンFB


将来有望な奏者には、このように名器を貸与することは、至極当然で素晴らしいこと。でも貸与する、ということは、いつかは返却しないといけなく、それは協会側からするとなかなか言い出しにくいことでもありますね。


難しい問題です。


こういうヴァイオリンなどの名器は、やはり芸術的文化の根付いた価値観を理解できる国で、しっかり管理してほしいです。経営難とかで中国マネーのようなところに買い占められて、貸与られるアーティスト、選考基準も、その方の好みみたいになったら、もうこの世の終わりですね。


そういう意味で、日本ヴァイオリン、ぜひ芸術文化精神に乗っ取った正しい選考基準で今後も頑張ってほしいし、神尾真由子さんに貸与されるのは、まさに絶対的な適任者と言えると思います。


最近のニュースで、ブラインドテストで、「聴衆は、ストラディヴァリウスよりも現代のヴァイオリンを選んだ!」というのが賑わっていることもありましたが、これも単に聴衆の耳、音だけでなく、その弾きやすさ、演奏表現の豊かさといった面もずいぶん違うはずで、奏者の立場も参考にしてほしかったという意見もあります。聴衆だけでなく、奏者にとっても、やはりストラディヴァリウスは別格なのだと思います。


この日記を書いて、久しぶりに、また神尾真由子さんのコンサートに行こうと思いました。


来年2020年1月11日にサントリーホールで、沼尻竜典さん&東京都交響楽団で、ヴァイオリン独奏に神尾真由子さんというコンサートがあり、そのチケットをさっそく取りました。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。


まさに女性的な曲ですね。


いまの神尾さんがどのようにこの曲をパフォーマンスするのか、とても楽しみであります。



2022.12.17 追記


いまの神尾真由子さんは、さらに進化を遂げて、ヴァイオリニストとしてでだけでなく、女性アーティストとしてもどんどん綺麗になっていって驚くばかりです。女性演奏家は、本当に経年とともに突然化けるというか、抜群に美しくなる。大人の魅力というか、円熟の境地というか、人間としてより深み、年輪を感じさせる美しさで、これは若いときには絶対醸し出せない雰囲気ですね。若いときの格好良い美しさとは、また違うんだな。女性はやっぱり経年のほうが断然いいです。これからもますます大活躍されていくことをお祈りしています。



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アンネリーン・ヴァン・ワウエ、日本の雑誌でインタビュー [クラシック演奏家]

ベルギー出身の新星クラリネット奏者、アンネリーン・ヴァン・ワウエが日本の雑誌にインタビューで登場だ。アーティストとしてのひと通りの経歴は把握したが、やはり謎めいている部分が多くよくわからない、というのが実直な感想だ。だからインタビューだとその人柄や考え方がリアルに伝わってくるからとてもありがたい。


でもみんな反応早いな~。(笑)


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日本の雑誌でインタビューが実現する、ということは、来日した?いやそういうことはあるまい。
としたら、現地ベルギーまで出張して取材した?


すごい行動力だな、と思い、どのようなシチュエーションでインタビューが実現したのか、雑誌を入手したらまずそれを確認したいと思っていた。


彼女にインタビューをした雑誌は、管楽器専門月刊誌「パイパーズ」。


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へぇ~、管楽器専門の雑誌ってあるんですね。これは興味深い。
自分はいままで知らなかったです。

写真も豊富で、管楽器奏者へのインタビュー記事や取材、コラムなど、管楽器のことなら何でも来い的なアプローチで管楽器ファンにとって堪らない内容だと思う。


オーナーは(株)杉原書店さんだ。


さっそく彼女のインタビュー記事へ。


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まず、取材したシチュエーションの書いてある箇所を探した。


(聴き手)編集部:Skypeによるインタビュー


とクレジットされているではないか!


もう自分は思いっきり反応。(笑)

ついさきごろ自分の会社でのやりとりにSkypeのことが出てきたからだ。

会社での自分の仕事柄、TV会議や電話会議を頻繁に使う必要性があり、そのとき、Microsoftが提供するSkypeというインターネットTV電話会議モジュールの存在を知った。相変わらず旧式の方法でやっていた自分に「ノンノンさん、いまはもうSkypeを使いましょ!」と言われた。(笑)


うちの会社メールは、最近IBMからMicrosoftに鞍替えしたので、メール機能に予定表はもちろん会議室予約機能もセットでリンクされていて、会議室予約するときに、Skype機能も入っていて、会議室でSkypeでインターネットTV電話会議できるようになっているのだ。


ヘッドセット(ヘッドフォンとマイクのセット)を使っておこない、単にTV電話会議だけではなく、参加者が各自のPC端末の資料データなどをシェアして閲覧できる。


実使用経験者によると、概ねは大丈夫とも言えるが、時折、音が歪み、酷くなると画像や音声が中断するなど不安定要素も多いようだ。P2P通信をつかった技術で、2000年半ばごろにはすでに世に出ていた技術で今更新しいとは言えなさそうだ。

Microsoftのメールを使っているから出会った機能と言っていいだろう。


Skypeを使うには当然、自分と相手と同じ環境になくてはならず、PC端末にSkypeモジュールをダウンロードしないといけない。


アンネリーン・ヴァン・ワウエはSkype機能を普段も使っていたのかな?

それともこのインタビューのために彼女に同環境を整えさせたのかな?


いずれにせよ、このインタビュー手法はちょっと自分をドキっとさせた。


インタビュー記事を見ると、見開き5ページに渡り、かなり文字数のボリュームもある。
文字数多いので、これはどうやって文字起こしをやったのかな?と自然と余計な事を考えてしまう。

ふつうのインタビューだとICレコーダで録音して、後でテープ起こしをする、という作業だと思うが、Skypeを使ってのインタビューだと、あくまで自分の予想だが、Skypeの機能の中に録音機能ってあるんじゃないかな?そのままPCのHDDに録音すればいい。これでICレコーダの必要もない。


それを後で文字起こししてもいいし、音声→文字言語自動変換機能もひょっとしたらあるんじゃない。(笑)それくらいのニーズはインターネットTV電話会議システムなら予想できる必要アイテムだ。

だって会議の後には、必ず議事録というものを書かないといけないのは会社人の常識だからです。

インタビューだから、できれば相手の姿もふくめお互いを見たい訳で、PCにカメラを設置する必要がある。(昔のソニーVAIOには、液晶画面のセンター上部にカメラが内蔵されていました。)


記事に掲載されている写真は、アンネリーン・ヴァン・ワウエから提供された数枚の写真を使う、というやり方だ。

あとは文字、写真の構成をきちんとやれば、これでもう立派なインタビュー記事が完成してしまう。


来日の時のスケジュールを抑えるとか、逆に出張費もかからない遠距離の外国人演奏家のインタビュー記事が手軽にできてしまうひとつの方法なのではないだろうか?


でも、でも、でも・・・やっぱり本物のリアルなインタビューのほうがいいよね~。(笑)
専任のプロのカメラマンによる被写体の撮影で、写真が芸術のような美しい出来栄えだし、やっぱりF2F(face to face)でインタビューしたほうが情感もわくし、いい意味での思わぬアクシデントな展開もあるかもしれない。


出来上がった記事も、質感良さそう。

まっこういうインタビュー方式もあるんだな、ということを知ったということです。


インタビュー記事の内容を書いてしまうと、営業妨害でアウトなので、ネタバレはしません。

でも宣伝のため、ほんのちょっと教えちゃおう!


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自分が彼女の存在を知った時は、彼女の名前の邦訳はアンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェだった。
でもこれじゃあまりに読みづらくてダメだろうと思って、きっと業界がもっとわかりやすいニックネームをつけてくれる、と思っていた。


この記事の編集部は、もっと読みやすい、アンネリーン・ヴァン・ワウエと邦訳していた。
これはグーですね。まだ読みづらいけれど、ずっと改善しました。


・クラリネットを選んだ理由

子供の頃は家でずっと歌を歌っていた。音楽でなにかをやりたいと思い、いろいろな楽器を探すうえで、人間の声に一番近いクラリネットを選んだ。


・ザビーネ・マイヤーに学んだ3つの大事なこと。

彼女はいろいろな先人に師事したのだが、その中でも1番長く、そして深くクラリネットのことを教えてくれた師匠はザビーネ・マイヤーだと言っている。音に対する考え方、様々な音楽の様式感に対する深い知識、ソロイストとしてのあるべき姿など。


・古典クラリネットの世界はまさに”パラレル・ワールド”


彼女はモダンだけではなく古典クラリネットも演奏する。そして勉強している。

モーツァルトのコンチェルトを献呈されたアントン・シュドラー、そしてブラームスにクラリネットの室内楽曲のすべてを書かせたリヒャルト・ミュールフェルト。


この2人が彼女にとって絶対的存在。

古典クラリネットを吹くときは、もうひとつの「パラレル・ワールド」が実現したみたいに感じる。



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・ヨガとパフォーマンスは全く同じもの!

彼女はヨガをやる。ヨガから学んだことは、「パフォーマンスとはパフォーマーの身体的な状態そのもの。」


・(インタビュー中、チョコレートを食べている彼女にツッコミを入れる。)やっぱりベルギー人なんですね。

体型を維持するために普段は食べないけれど、・・・ね!(笑)やっぱり血なのかな?チョコレートの国の人だから。(笑)


→この部分の記載で、Skypeインタビューにはお互いの姿が見えるカメラが設置されていることを悟る。


・PENTATONEから発売された今回のアルバム「ベル・エポック」について教えてください。

フランスものをただ集めただけでなく、1890~1910年のベル・エポック時代の作品に絞って録音しました。アールヌーボーに触発されて作ろうと思ったアルバムです。初期のアールヌーボーの運動でベルギーは象徴的な場所でしたから。あの時代の建築物や芸術のすべてが私は大好きで、同じ時代の作品を集めてアルバムを作ろうと思ったのです。



これくらいにしておく。


これでも100%の内容で、20%書いているかどうか、だ。

実際のインタビュー記事はもっともっと内容が濃く、彼女のクラリネット奏者としての方向性、考え方、そして人間性などとても興味深く引き出すことに成功した見事な記事だといえる。


もうこうなったら、生演奏で実際クラリネットを吹いているところを見てみたい。


誰か、日本に呼んでください!(笑)


このインタビュー記事を全文読みたければ、パイパーズを買いにリアル書店やネット書店にいますぐゴー!だ。



管楽器専門月刊誌 パイパーズのサイト











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ヒラリー・ハーン [クラシック演奏家]

ヒラリー・ハーンは自分らの世代のスター。その成長を見届けて一緒に時代を過ごしてきた演奏家というイメージでふっと気がつけば自分のそばにいつも居る感じ。それが当たり前すぎて特別視するような感じではなかった。

そのことがこれだけのキャリアを積んできたにも関わらず、自分の日記で1回も彼女のことを語っていない、という事実となっているのだろう。

もちろん意図的でもない。デビューの頃から知っていて、いままでのディスコグラフィーはほとんど持っている。そしてコンサートも数えきれないくらい通った。

ハーンは、当たり前の存在だった。

でもこれではいけない、と思い、あらためていままでの経験を整理して、自分の想いをぶつけてみよう、と思った。 

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17歳でソニーからバッハの無伴奏でデビューしたときから、いままで聴いてきたハーンの印象を一言で言ってみると、演奏家固有のクセがなく、とてもスタンードな弾き方、フレーズの捉え方をする奏者で、バッハ、メンデルスゾーン、モーツァルト、チャイコフスキー、ブラームスなどヴァイオリン弾きにとって必須の曲はほとんど録音済みなのだが、ハーンのCDを買っておけば間違いはない、という感じだった。

よくこの作曲家を聴きたいと思ってある演奏家のCDを買うと、聴いていてその解釈が自分の先入観と合わず、がっかりすることが多いのだが、ハーンはそういうことがなかった。外れのない演奏家だった。

自分と相性がすごくよかった。

なによりも音程の安定感が素晴らしかった。そして音色が素晴らしく、音色に繊細な抑揚があって、フレーズの表現が表情豊か、官能的だとさえ思える。指の動きも見事。弓の使い方も。

技術的には申し分なかった。

でも自分にとってデビューのときから抱いていた彼女に一途に熱狂できないなにかがあって、それはいま思うと、デビューのときから若い時代にあったアルバムジャケットやイメージフォトの写真から想像する、どこかクールで温かみを感じないアンドロイドの人形みたいな印象がそうさせていたのではないか、と分析する。

当時はSNSとかない時代、普段のフォトもなく、そういう情報から判断してしまい、後は音で判断。演奏を聴くと凄いんだけれど、そういう自分のイメージの思い込みから来る誤解で随分損をしていたのでは、と思う。

だから演奏的に外れなのない、スタンダードな演奏なので間違いがないのだが、そこで長い間止まっていたアーティストだった。

そんなハーンのイメージをガラっと変えて、彼女のことを一目置くようになったきっかけが、2007年に出たハーンのポートレートの映像DVD、そしてシベリウスのコンチェルトのCDだった。

シベリウスのコンチェルトは衝撃だった。

当時シベリウスのコンチェルトに嵌っていた時期で、また薄っすらの記憶では、神尾真由子さんが、チャイコフスキーコンクールで優勝したときの本選のシベリウスが素晴らしかったので、このときこの曲がかなり自分のマイブームであった。そこにハーンの演奏がジャストフィットした。

いままで優等生的な演奏というイメージしかなかったのが、シベリウスではその陰影感などこの曲が持つ独特のキャラクターを見事に演じ分け、決して技術だけではないその表現力の深さに舌を巻いた。

ハーンを見直した1枚だった。

そして長い間誤解していたどこかクールで人形みたいな印象。
これはポートレートのDVDを見て、その誤解が解け一気に和解した。

ポートレートで彼女が直にインタビューに答えているのを見ていると、その素顔は、かなりの理論派で情熱的な饒舌屋さんで、おしゃべり好きだということだ。そして常に笑顔を絶やさずとてもチャーミングであること。

どこか人形みたいと思っていたイメージが一気に誤解だということがわかった。

理論派という点でも、決して難解な抽象的な表現を使うのではなく、きちんと自分の言葉で話していること。

これは中身が深く理解できているから、できることなのだ。自分の目標でもある。
当時20歳代だった彼女は、深い経験と言ってもアーティストとしてはまだ進化形のとき。それでもこれだけ理論的な裏付けで話すのを見て、当時はそれがその幼顔とすごいギャップがあって驚いたものだった。

ヒラリー・ハーンという演奏家を真に理解できて、彼女の真のファンになったのは、このポートレートを見てからだった。

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ヒラリー・ハーンはドイツ系のアメリカ人である。お父さんがドイツが祖国でアメリカに移住してきた。ポートレートを観たときにまず驚いたのが、流暢なネイティブ英語を話すことだった。(笑)
そのとき、あっハーンってアメリカ人だったんだ、と思ったのだ。

自分の勝手な思い込みなのだが、クラシックの演奏家はどちらかというとドイツ語を始めとするヨーロッパ語圏の人が多いという認識があったので、この英語はかなり意外感があった。英語は周りがパッと明るくなりますね。

じつに久しぶり、おそらく10年以上ぶりではないだろうか、この日記を書くために改めてこのポートレートを観てみた。

3歳のときにヴァイオリンを始める。日本が誇るスズキ・メソードも1年間経験している。
そして1990年の10歳のときに、フィラデルフィアのカーティス音楽院に入学する。

ハーンの音楽家としての素養は、このカーティス音楽院の時代に形成され、必要単位取得後も勉強を続けるために在籍していたらしい。

結局1990~1999年在籍していたことになる。ハーンの第2の故郷と言える。

最初の7年間は、なんと!ウジェーヌ・イザイの最後の門下生であるヤッシャ・ブロツキーに師事していた。ここは思いっきり反応してしまいました。(笑)数年前から起こる自分の周りでかならずなにかしらの因果でつながるように思えてしまうこと。驚きました。

ポートレートでは、この母校のカーティス音楽院を訪れて母校を紹介している。

ホール。~学校のオケで演奏することもあった。一時期第2ヴァイオリンの後列で弾いていたこと
     もあった。

ホールで演奏する前に待機するための部屋。

談話室。~入試で実技試験を受けたときに最終選考の前に発表を待った場所。
     木彫りの装飾は初めて来たときのまま。あまりに魅力的だったから”この学校に通いたい
     わ”と思ったの。(笑)・・・自分が観ても確かにとても素敵な空間でした。

卓球を習った場所。~卓球にかけては中国人の学生には歯が立たないの。

学生ラウンジより、いろんな人が通るロビーが好きだった。

入試を受けた部屋。

卒業写真が壁に貼ってある廊下。~これが私。ブロツキー先生もここの卒業生よ。

毎年彫刻するためのハロウィーンのカボチャがある場所。~私はランタンを作るのが好きで、学
校に飾ってムードを盛り上げていたわ。でもいつもカボチャが腐らないか、心配だったわ。(笑)

手紙はここに。学生が自分宛ての手紙をここから探すの。想い出深い場所で、卒業した今でも
チェックしてしまう。もう届くことはないのにね。

学生ラウンジ~昔は汚かった。壁じゅうにスプレーで落書きがされていたし、自販機などもなかっ
       た。ソファは破かれて詰め物が出ていた。


ジンベリスト先生の部屋。~ブロツキー先生(イザイの最後の門下生)の師事した人なの。
             ここで7年間、ブロツキー先生に教えを受けたわ。今でも練習場所よ。
             ブロツキー先生はいつもタバコを吸っていた。1レッスンに3~4本。
             ブロツキー先生はレッスン中、タバコの火のことを忘れて、ハラハラ
             したわ。服や楽器に灰が落ちないかって・・・厳しいけど温かい先生
             だった。この部屋は本当にハーンにとって大切な部屋だったようです。


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舞台で臆病になっては納得できる演奏は無理だわ。
できても無難な演奏ね。
それでは観客を楽しませることはできない。
ステージで観客を演奏に引き込み、オケと張り合うだけでも十分とは言えない。
事前にしっかり練習しないとね。
準備に完璧ってあり得ないのよ。

ハーンは演奏後のファンサービスも忘れない。
特に日本の場合は、笑顔で、そして必ず両手で添えることが礼儀だと思って心掛けているそうだ。



ハーンは、純粋なクラシック分野だけではなく、映画のサントラにも参加してきた。
M.N.シャマラン監督の映画「ヴィレッジ」のサントラでハーンの音色が最高のムードを盛り上げた。

このポートレートでは、贅沢なことにベルリンフィルハーモニーでケント・ナガノ氏指揮のベルリン・ドイツ交響楽団とコルンゴルドのコンチェルトを演奏しているのを拝見できるのだ。全3楽章。ノーカットのフルバージョン。

ひさしぶりにこの曲聴いたけれど、なんとも言えない官能的な旋律で、じつに美しい!



コルンゴルドはヨーロッパ出身の音楽家だったの。
でも亡命し、アメリカを基盤に活動を続け、映画音楽を手掛けた。

映画音楽をさげすむ人もいるわ。

商業的な要素が強いし、純粋な芸術ではなく、エンターティンメントだという理由でね。
でも実際、映画音楽の作曲は難しいの。

だから一部の優れた作曲家にオファーが集中する。

短時間で作品をとらえ、曲をつけるのは簡単ではないのよ。


コルンゴルドの作風には、独特の旋律というか魅かれるものがあるのは、そういう背景があるか
らかもしれませんね。



ヴァイオリニストなら当然パガニーニの難解な曲を弾きこなすのは大きな目標だろう。


十分練習を積んだけれど、パガニーニの曲を十分に弾きこなすのは難しいわ。
だから練習しがいがある。

協奏曲を作曲したパガニーニは身体的な特徴があったと言われる。
手が大きく指や腕もとても長かったらしいの。

だから私もそれを想定して弾いているわ。
私の手は柔軟性があるけど、大きくないから、パガニーニと同じ弾き方では演奏できない。
でも指と指の間を広めに開けると弾きやすいの。

パガニーニの協奏曲のカデンツァは、特別な手の使い方で弾くの。
つまりカデンツァとそれ以外の部分では技巧的にまったく違うアプローチが必要なのよ。

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ハーンは、本番前によくバッハを弾く。

バッハの音楽は素晴らしいし、かけがえのない作曲家だと思う。
作曲様式の発展という視点で考えてもバッハの存在はとても重要ね。
でももっと前の時代の人がバッハに影響を与えたことも事実。

それは否定できないわ。

大音楽家のバッハだって突如誕生したはずないもの。
でもバッハはものすごく多くの人たちを触発してきたの。

その数は本当にはかり知れないわ。
誰もが認める事実よね。
バッハを否定する人なんている?
それとバッハの音楽にはユニークな特徴があるのよ。

どんな場所で演奏しても自然と溶け込むの。

バッハの音楽には、人間が求めるなにかがある。
宗教の違いを超えた精神的なものが。

人を瞑想や深い思想に導くのよ。
バッハの音楽にそんな力がある。

5~6歳の子供たちを1つの部屋に大勢集めて遅いテンポのバッハを聴かせると
静かになってしまうの。

すごいことでしょ?

子供はスローな曲など聴かないなんてウソだわ。

速いテンポの曲だとはしゃぎだすけど、ゆっくりなテンポの曲には、
全員が聴き入る。


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2004年ドレスデン。DG(ドイツグラモフォン)が開催するイエローラウンジ。

パーティ好きが集まるクラシック音楽の夕べ。
非常に厳しい条件のもとでバッハのパルティータ第2番(シャコンヌ)を演奏した。

観客は演奏中食事や小声で会話することが許されていた。
”禁煙”である以外に禁止事項はなにもなかった。

だが結局、会場内の会話は息を潜め、見事バッハとヒラリー・ハーンが静けさの中に
君臨した。

バッハの音楽には、そのようなその場への説得力がある。



最後に録音について。

ロンドンのアビーロード・スタジオでスタジオ録音。
コリン・ディビス&ロンドン交響楽団とで、エルガーのヴァイオリン協奏曲とヴォーン・ウィリアムスのあげひばり。

ハーンはジーンズ姿で録音をする。
ハーンはジーンズがとてもよく似合う。

自分はジーンズはまったくダメな人で(まず似合わない)、ジーンズが似合うカジュアルな人を
日頃からとても羨ましく思っている。

あげひばりはいい曲。本当にイギリスののどかな田園地帯で、本当に鳥のさえずりを聴いている
感覚になる。

スタジオ録音はいろいろなことに気を使うけれど、私は収録するならスタジオを選ぶ。
ライブなどではマイクなどを気にせずにいい音楽を客席に届けることに集中したいからよ。



以上一部を紹介したが、このヒラリー・ハーンのポートレート、ぜひ観ていただきたいと思う。 


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「ヒラリー・ハーン・ポートレート」

http://ur0.biz/ND0E


このDVDが発売されたときから、かなりの時間が経過して、いまやハーンもだいぶ進化したとはいえ、古い映像素材かもしれないが、でもヒラリー・ハーンの音楽人として形成された基礎の部分がここに表現されている。これを知らずしてハーンは理解できない。

自分も最初の頃はハーンに対して誤解のイメージを持っていたが、このDVDを観た瞬間、大ファンに豹変した。誤解が解けた。

ハーンってとても真面目なんだよね。
学生時代は、とても練習熱心で音楽以外の科目にも積極的だったそうだ。

研究熱心で理論派、それも深い体験に基づくわかりやすい理論、そういう姿が音楽人ヒラリー・ハーンだということが、このインタビューで熱く語っているのを観ると納得いくのだ。

でも普段はお茶目で明るい性格のところも、ふんだんに盛り込まれています。

最近のハーンのことでクラシック界で話題になったのは、彼女のインスタ(Instagram)が興味深いという話。(ID:violincase)

彼女のインスタではひたすら黙々とヴァイオリンの奏法をやっている姿が映っているのだ。
あるときは自分の部屋かもしれないし、ツアー先のホテルの部屋かもしれない。
アップされるのは、ひたすら黙々と瞑想してヴァイオリンを弾いている姿。

これを観て、普段インスタに食べ物の写真ばっかりアップしている人よ、音楽家なら少しはハーンを見習いなさい!(笑)というような話があって結構話題になっていました。

現在の彼女は、結婚もして子供もいる。信じられないよね。

若い時にアンドロイドのような人形みたいに見えていたのに、いまはすっかり垢抜けて信じられないくらいの美人になった。やっぱり女性アーティストは経年とともに見違えるように年相応の美しさが滲み出ますね。

最近は子供、赤ちゃんをお客さんにしたコンサートを開いて話題になっていました。(これ好きなんですね。(笑))

日本にも頻繁にツアーに来てくれる。なんか2,3年ごとに来てくれている感覚がする。招聘する側からすると確実に計算できるアーティストなんでしょうね。

そんな最近のヒラリー・ハーンに待望の新譜が登場した。 



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無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番、パルティータ第1番 
ヒラリー・ハーン


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1997年にソニーからバッハの無伴奏のパルティータ2番、3番、そしてソナタ3番が出され、あれから20年後経過したいま、残りのパルティータ1番とソナタ1番、2番を出して、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ、パルティータ全曲完遂となった。デビュー当時、なんで全曲じゃないんだろうとずっと思っていたが、その想いを遂げてくれた。

じつに素晴らしい録音で、彼女のステレオ2ch録音では一番洗練されていると思いました。
最近の録音技術の本当に進歩はすごいです。

ハーンのディスコグラフィーは本当にメジャーと考えられる作品は全部網羅されている感じで、すごいゴージャスなライブラリーだが、その中に堂々と君臨する1枚になること間違いなし。


ハーンは、最初はソニーからデビューしたが、その後DGに移籍。
基本スタイルはモダン・ヴァイオリン一筋ですね。古楽器はやらないと思います。両刀使いではないです。

ディスコグラフィーはほとんど持っているが、その中でもこれは絶対持っておくべきという盤を挙げてみたいです。 



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バッハ ヴァイオリン協奏曲集 
ヒラリー・ハーン

http://ur0.biz/ND2Q


もうあまりに有名なヒラリー・ハーンの名盤中の名盤。このディスクを知らない人はいないだろう。オーディオマニアの世界でもあまりに有名な優秀録音だ。自分はいままでオーディオファイルの端くれとして、首都圏、四国、大阪、九州、広島とオーディオオフ会をやってきたが、お邪魔したお宅には必ずこの盤が存在した、というキラーコンテンツ。

残念なことに、いまはこの盤のSACDは存在しないんだね。
国内盤より輸入盤のほうが音がいいと思うので、SHM-CDよりもCD(輸入盤)のほうを推薦しておきます。(笑)

自分の時代はDG SACDが存在して、この盤を5.0サラウンドで聴けた。みなさんが持っていたのもDG SACDでした。いまと比べると、サラウンド草創期の垢抜けない(笑)録音にも思えるが、でもやっぱりDGらしい硬派なサウンドであることは間違いない。これを持たずしてヒラリー・ハーン ファンとは言えない。 



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ブラームス、ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 
ハーン、マリナー&アカデミー室内管弦楽団


http://ur0.biz/ND3p


ヴァイオリンのコンチェルトの中でも自分はブラームスが1番好きかもしれない。ブラームス・コンチェルトを聴くなら自分の愛聴盤ということで、この盤を頻繁に聴いていました。ハーンの解釈はとてもスタンダードでクセがなくて自分と相性が良かった。このブラームス録音は、2003年に米グラミー賞を受賞したハーンの名を世に知らしめた代表作となった。

レーベルはソニーだが、これも当時はSACDだったが、いまはもうSACDはないんだよね。自分が持っているのはSACDで5.0サラウンドで聴けてとても素晴らしい録音でした。

これもCDの輸入盤のほうを推薦しておきます。 



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シベリウス、シェーンベルク:ヴァイオリン協奏曲 
ハーン、サロネン&スウェーデン放送響


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ヴェーベルンに献呈された、高度な演奏技巧を要する色彩的なシェーンベルク。北欧的な情緒に溢れる、ヴァイオリンの性能を駆使した華やかな演奏効果を持つシベリウス。20世紀のヴァイオリン協奏曲の傑作2曲を収録したアルバム・・・だそうです。

そんな殺し文句を使うまでもなく、自分はこの盤にやられました。
ハーンのことを見直した1枚になりました。

あの頃は、シベリウスのコンチェルトに嵌っていたからなぁ。。。




バッハの無伴奏の新譜発売で、来る12月にツアーに来てくれる。
バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータとソナタ全曲演奏会を、2日にかけてやってくれるのだ。

盛り上がること間違いなし!

当初予定には入れていなかったが、やはりここはどうしても抑えないといけないところだろう。

ひさしぶりのヒラリー・ハーン、一段と美しくなっているに違いない。

楽しみたいものだ。








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大谷康子さん [クラシック演奏家]

大谷康子さんといえば、自分にとっては、やはり東京交響楽団のコンサートマスターという印象が大きい。

それは当然だろう。1995年に東響のコンサートマスターに就任して、2015年までの20年間の間、勤め上げて2016年には、東京交響楽団名誉コンサートマスターの称号を授かる。

当時としては女性のコンサートマスター(コンサートミストレス)は珍しい存在だったと思う。
人知れずの苦労もあったのかもしれない。 

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人柄が素晴らしく、マルチなタレントもあるので、ソロ含めて幅広い活動をされているが、やはり大谷さんといえば東響。

自分は、2015~2017年間の3年間、東響の名曲全集の定期会員になり、ミューザ川崎に通い詰めた。大谷さんは、2015年に東響を卒業され、その後を若き俊英の水谷晃くんが引き継ぐ感じで、その端境期を体験できた。ミューザ川崎の名曲全集は、実際のところ、2013年から、会員ではなかったけれど単券で結構通っていたので、実質、東響のコンサートマスター時代の大谷康子さんを、足掛け4年くらい、ずっと観てきたことになる。

ミューザ川崎の2CAや2CBの座席から、つねにコンサートマスターの席を見ると、大谷さんの横からの姿を眺めていた。そこにいるのが至極当たり前のように思えるほど存在感があった。

2015年5月10日に、その名曲全集の一環として、「大谷康子デビュー40周年コンサート」と題して、なんと1日に4大協奏曲を弾く!というとてつもないチャレンジをしたこともあった。

もちろん自分はその場に居合わせた。

いまでも鮮明に覚えている。

ヴィヴァルディ、メンデルスゾーン、プロコフィエフ、ブルッフ。

コンチェルトだから1曲につき、3楽章あるわけだ。
それを4曲もやるなんて!

いつもは、しっかりとオーケストラを支えていく役割から、この日だけは自分が前へでるスター。
素晴らしく感動した記憶がある。

まさにこの日の公演は、華のあるステージで、大谷さんのヴァイオリンが「歌うヴァイオリン」と評されるのがよくわかるような気がした。


この日は自分はたしかスマホで実況中継していた記憶があります。(笑)

なんかその日の楽しい想い出としてしっかり頭に刻み込まれているのは、アンコールのときだったのかな?ステージでヴァイオリンを弾いていた大谷さんが、そのままステージから降りてきて(もちろんヴァイオリンを弾きながら、です。)、ミューザの1Fの客席、そしてさらには、2階席と上ってきて、ヴァイオリンを弾きながら客席の通路を歩いて回ったのだ。楽しそうにお客さんに挨拶して回る姿が忘れられない。

場内湧きに湧いて爆笑。(笑)

なんと!楽しい人なんだろう!(笑)

とそのとき思った。見た目の通りの感じの方でした。

自分のすぐ目の前を弾きながらの大谷さんが通過したのを覚えている。

なんか、つい最近のことのようだ。


そして2FのホワイエのCD売り場で、この大谷さんのCDを買ったのだ。 


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Violin Sonata: 大谷康子(Vn)Golan(P)+beethoven: Violin Sonata, 5

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まさにデビュー40周年を記念する録音で、ベルリン・イエス・キリスト教での録音なのだ。
つい嬉しくなって、すぐに購入を決断。

いまこうやって当時を振り返りながら聴いている。

やっぱり素晴らしく録音がいい。ふつうの教会のような響き過ぎの感が少なく、とても適度な残響感。ヴァイオリンの艶というか鮮度感が抜群で、空間感も程よくある。録音技師いい仕事をしている。

R.シュトラウスのフランク・ソナタとベートーヴェンのスプリング・ソナタ。

まさに名曲中の名曲を取り上げた大谷さんを代表する素晴らしい作品だと思う。
大谷さんの演奏解釈は、クセがなく、とてもスタンダードな装いで自分の中にすんなりと入ってくる。違和感、抵抗感まったくないです。




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自分の番組で、ソプラノ幸田浩子さんと。



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番組のメインパーソナリティとして。N響首席オーボエ 茂木大輔さんと。




仙台市生まれで、名古屋育ち。
3歳でスズキメソードで学び、東京藝術大学で音楽家への道を確かなものとする。
ソロ活動を在学中よりはじめる。ウィーン、ローマ、ケルン、ベルリンなどでのリサイタルを行う。

2013年のザルツブルグ市ミラベル宮殿マーブルホールでリサイタルとか、2014年秋のシュトゥットガルト室内管弦楽団との日本ツアーなどの海外との関係も深いが、とりわけやっぱり最近の注目は、キエフ国立フィルとの共演。

彼らが来日した時の日本ツアーのソリストを務めたり、逆にキエフ国立コンサートホール 創立155周年に招かれ演奏したりその友好関係の絆は強く、最近の大谷さんの海外での活躍は、このキエフ国立フィルとのコラボがとても印象に残ります。

そのツアーにひっかけてという感じで、しっかりヨーロッパの他の国も観光がてらにヴァカンスを楽しまれていて、なんかSNSの投稿、とても楽しそうです。(笑)うらやましい~(^^)

そして、2016年から、まさに10年プロジェクト「大谷康子のヴァイオリン賛歌」の公演をスタートさせた。

東響を卒業してもソロ活動とても順調そう。

愛器はピエトロ・グァルネリ(1708年製)。

大谷さんは、やはりその笑顔をみればわかるように、本当に天性の素晴らしい人柄が滲み出ているのがよくわかる。

いい人の典型的な感じの全体のシルエットしてる。(笑)

本当に素晴らしい人なんだろうな~。

テレビ・ラジオなどの活躍も多い。

テレビ番組「題名のない音楽会」に340回以上出演で最多出演記録なのだそうだ。
BSジャパンの「おんがく交差点」で春風亭小朝師匠と司会をつとめ、演奏も披露しています。

また病院の慰問や学校での演奏教室などのアウトリーチ活動にも余念がない。

最近の海外での楽しそうな投稿が印象的だったのと、ひさしぶりにデビュー40周年CDを聴いて、やっぱり素晴らしい録音!と感動して久しぶりに大谷さんのことを日記にしたかった気分でした。

今後ますますのご活躍お祈りしています。

最後に宣伝。

本出ます。

長くヴァイオリニストとして第一線で活躍する大谷康子が語る、音楽を通して出会った名演奏家、名指揮者、名オーケストラとの秘話や、指導者としての心がけ。そして、東日本大震災で救助に来てくれた約30カ国の代表を招いたチャリティコンサートや、病院の慰問や学校での演奏教室など、「音楽を届けることで世界をひとつにしたい」という夢をずっと追いかけている生き方。

あきらめずに、「そのときしていることを楽しむ」ことから生きる喜びは生まれるという、人間&音楽賛歌。。。だそうです。

いわば大谷康子さんの音楽家人生として得てきた糧のすべてをこの1冊にまとめ上げたものなのだと思います。

私もぜひ買って読んでみたいです! 


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ヴァイオリニスト、今日も走る!
大谷康子










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樫本大進 [クラシック演奏家]

いまやベルリンフィルの大黒柱として大活躍の樫本大進氏であるが、自分の自慢のひとつに樫本氏を1999年のデビュー当時から知っていて、その頃からずっと想いを寄せていて、近く大成してスターになってほしい、と思っていたことで、現在まさにその通りの道を歩んでいる、ということであろうか。 

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でも、まさかベルリンフィルの安永徹さんの後任ということで、第1コンサートマスターに就任するとはまったくの想定外で、この話をニュースで聴いたときは、もう信じられない、自分が応援していたヴァイオリニストが、まさか安永さんの後任になろうとは!という感じで、驚愕の一言だった。

安永さんの引退宣言は、とても残念だった。
定年までベルリンフィルに居たら、忙しくて、あまりに時間が取れなくて、自分のやりたいこと(室内楽)を十分やれないまま歳を取ってしまう。という理由からだった。

「ベルリンフィルのコンサートマスターに日本人」ということがどれだけすごいことなのか!

それを身をもって実証してくれて、カラヤン~アバド~ラトルの3代の長期に渡って、我々日本人の心の支えでいてくれた安永さんの功績はじつに大きい。

その安永さんの退団とともに、すぐに樫本大進氏が入団したのは、なんか救世主とでもいおうか、あきらかに新しい時代の幕開けを感じざるを得なかった。

安永さんは、どちらかというと、髪型や風貌そのものが、昔の典型的な日本人男性というのに対して、樫本氏はイメージ的に、いかにも今風らしくて、あ~これは時代にマッチしていて新しい時代の日本人コンサートマスターのイメージにぴったりという感じだった。

真相は、当時のコンマスであったガイ・ブラインシュタイン氏に、安永さんが退団するので、その後釜としてどうだ?と誘われたということだったらしい。

試用期間が自分にとって、いかに長く感じたことか!
早く合格してほしい!と吉報を待っていたあの頃が懐かしい。

ベルリンフィルに入団するまで、樫本氏はオーケストラでの演奏の経験がなかった。
このことを心配する声もあったことも事実。

彼の当時の発言で、「確かにオーケストラでの経験はないけれど、オケは室内楽の延長線上にあるもの、と思っているから大丈夫。」。

この発言に、当時の自分は正直カチンときたことも確か。大オーケストラでしかもコンマス。そんな簡単なことじゃない、と思った。

でも最近、小澤さんがカラヤンから学んだことに、「オーケストラというのは、弦楽四重奏が基本。そこから膨らませていく。」ということを教わった、という発言を聞いて、なまじ間違いではなかったんだな、と思い直した。

自分が最初に樫本氏を見初めたのは1999年。彼のデビューアルバムである「Diashin Debut」であった。 



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樫本大進 Prokofiev: Violin Sonata, 2,
Beethoven: Sonata, 5, 武満徹: 悲歌

http://bit.ly/2rBtpFA


まさにこのデビューアルバムを聴いて、「樫本大進、ここにあり!」という感じでこの新鋭を知った。このソニーからのデビューアルバムはまさに衝撃だった。

現在は、CDフォーマットしかないようだが、当時は、SACDフォーマットが発表になったばかりで、出た当時のソニーのシングルレイヤーSACDで、背表紙が黒で厚めの高級ジャケットだった。

東京オペラシティでのライブ録音なのだが、空間、響きの豊かな適度なライブ感を含んだ優秀録音であった。

特にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」、通称スプリングソナタ。
これは長い間、そしていまでも、この曲の自分のリファレンスというか、基準の演奏であった。

スプリングソナタはあまりに有名な曲で、数多のヴァイオリニストが録音を残しているのだが、この曲、じつはかなりその「演奏の解釈のクセ」がはっきりと出やすい曲で、聴くアーティストのアルバムに応じて、じつにいろんな解釈をきけてしまう、鑑賞側の立場からするとじつに難しい選曲なのだ。

超有名なヴァイオリニストのこの曲を聴いたりするんだけれど、その解釈の仕方にかなりクセのある演奏だったりして、自分の好みじゃないな、ということで、バッサリ切ってきたことが、いままで何回あったことか!

フレーズのまとめ方などの「フレージング」や、一音一音の表情である「アーティキュレーション」など、この曲ってじつに多彩な解釈が存在する。

樫本氏の解釈は、じつにスタンダードで変なアクセント、クセなどいっさいない、とてもスムーズな演奏解釈で、彼の曲を聴いた後は、しばらくは他のアーティストのスプリングソナタはクセがありすぎて聴けなかったぐらいだった。

デビュー当時の樫本大進といえば、自分にとっては、このスプリングソナタだった。

もちろんこのスプリングソナタの実演も聴いた。
横浜みなとみらいで、当時の相棒のイタマール・ゴランとリサイタルをやったのを聴きに行った。

アンコールで、7~8曲くらいやってくれた(笑)のを覚えている。

樫本氏の実演は、その後、山田和樹氏&スイス・ロマンドでサントリーホールで、チャイコフスキーのコンチェルトを聴いた。

このときの樫本氏は凄かった!

山田氏の指揮、スイス・ロマンドとのかけあいも秀逸であったが、自分には、まさに彼の独壇場にも思えたほど素晴しかった。弦の音色自体の安定感とビブラート感、そして強力な音量、そして目にも止まらぬほどの超高速パッセージの連続。終盤に向かってどんどん信じられないくらいのテンポの速さでクレッシェンドしていき、盛り上がっていく。そのエンディングに向けての疾走感は、自分にとって、まさに”超シビレル”という感じであった。

こんな感動したチャイコも近年になかった。

樫本氏のスゴサを感じた近年で1番の演奏でしたね。

あとは、ラトル&ベルリンフィルのサントリーホールでの来日公演を聴いた。マーラーの最高傑作の第9番でした。

このときのコンマスは、樫本大進。

まさにベルリンフィルのコンサートマスターに就任して、最初の日本への凱旋コンサートともいうべき記念すべき公演だった。

じつに涙が止まらない大変に感動した公演でした。
最後の一般参賀のときのラトルとの掛け合いは微笑ましかった。


樫本氏がまだベルリンフィルに入団する前のソロだった頃、ゴローさんの連載のステレオサウンドの「音のたまもの」に登場したこともあった。何号だったか覚えていなくて、本棚から探すのが大変なので、あきらめたが、ゴローさんとのやりとりで、覚えているのは、「なんでソロアルバムのリリース間隔がこんなに空くの?」という質問に、それは「レコード会社(ソニー)に聞いてください。(笑)」というやりとりだったろうか?(笑)

その後、ちょうどベルリンフィルの試用期間中だったころ、ゴローさんと「樫本大進の素晴らしさ」で熱論を交わしたことを覚えている。(電車の中でですが。。。)そのとき、自分はデビュー当時から注目していて、こういうところがすごいなんて口から唾飛ばして熱論していたなぁ。

ゴローさんは、その後もちょくちょく樫本氏が音楽監督の赤穂姫路の音楽祭に足を延ばしていましたよ。

最近NHKの特集番組のドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀:バイオリン 樫本大進」をじつに興味深く拝見した。まさに彼の生い立ちから、ベルリンフィルでの立ち回りなど、”いま”の彼の活躍が拝見できて、貴重なドキュメンタリーだったと思いました。

番外ですが、奥さんがじつに美人でびっくりしました。(笑)
美男、美女の最高のカップルですね。


自分にとって、樫本氏への想いは、このソロで活躍していた頃から、まさかのベルリンフィルへ入団するまでのところがピーク。

その後は、すっかり安心しきってしまって、自分の子供が大学を卒業して社会へ出たのと同じで、がんばってやっているだろうという安堵な気持ちでいっぱいで、その後は正直フォローしているとはいえなかったかもしれない。

ひさしぶりにネットのCDショップを覗いてみたら、あれから結構CDもリリースしているんですね。
(自分がしっかりフォローしていたのは、デビューから3作目くらいまで。)

でも彼なら、そんないちいち細かいフォローしなくても、安心していられる卓越した技術と、そしてベルリンフィルの第1コンサートマスターという重責ながらも安定したポジションもある。

ますますの今後のご活躍をお祈りしたいです。








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マリア・ジョアン・ピリスに”さようなら” [クラシック演奏家]

現役で最も高く評価されているピアニストの1人のマリア・ジョアン・ピリスが引退する。日本のファンの方々へのお別れコンサートとして2018年4月に日本を訪れてくれているのだ。

ピリスは、自分にとって縁があるピアニストだと思う。ここ5年の間にサントリーホールと横浜みなとみらいで、ラストの今日を入れて3回もリサイタルの実演に接することができた。 

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ピリスの魅力って、スター演奏家とは思えない、飾らないとても素朴な人柄。彼女のステージ衣装なんてそれを最も端的に表していると思う。

ある意味とても地味。ドレスのような原色キラキラ系とは程遠いモノトーンなダーク系のシンプルな衣装。彼女自身が紡ぎ出すイメージは、とてもシンプルで、ある意味俗世からかけ離れたような素朴なもの。

でもその全体のシルエットは、やはりピリスだけが醸し出すオーラで誰も真似できない彼女独特の強烈な個性を表しいると思う。

音楽への考え方、ピアノへの取り組みの姿勢はある種、求道的とさえ思えるところがある。
それは彼女の残してきた数多の作品において、色濃く投影されている。

自分は彼女の作品の中では、モーツァルトとシューベルトのソナタをとても愛聴していた。
彼女の作品の中でもベストだと思っているし、そんな彼女のイメージがそのまま感じ取れるような気がするからである。

だから、お別れコンサートのときは、そのモーツァルトとシューベルトの演奏の日を選んだ。

ピリスは、DECCA,Eratoなどいろいろ渡り歩いたが、1989年にDGに移籍し、専属アーティストとして契約してからは、膨大な録音をDGに残してきた。自分的にはDGのアーティストというイメージが圧倒的に大きい。そのDG時代のコンチェルト、そしてソナタなど作品は、BOXセットになっている。

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今回のお別れコンサートは、4/8の岐阜でのサマランカホールを皮切りにスタートしたのであるが、その数日前に、そのサマランカホールでとても興味深いイヴェントが開催された。

マリア・ジョアン・ピリスと日本の若きピアニスト6人による4日間にわたる滞在型ワークショップ「パルティトゥーラ in 岐阜」。

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(C)Toshihiko Urahisa


単なるピアノ・レッスンではなく、ピアノを弾くとはどういうことか?心と身体をどう音にするか?からはじまり、音楽とは何か?ピアニストとして生きるとは?を、世界を代表するピアニストとともに暮らし、食べ、話しながら考え、学ぶというプロジェクト。

まさにピリスと寝食を共にし、これらのテーマをピリスからダイレクトに学び取っていくというプロジェクト。

サマランカホール音楽監督の浦久俊彦さんが、就任1年目にしてどうしても実現させたかったプロジェクトでもある。

今回の日本ツアーを最後に引退を表明したピリスのライフワークであるこのプロジェクトを日本ではじめて実現するために、岐阜県では一年間にわたる準備を重ねてきたのだそうだ。

そこにピリスの引退の理由があるように思えた。
こういう活動を、彼女はその後の人生でやっていきたいのだ。それをライフワークにしていきたい。


教育家としての彼女は、いままでも世界各地でマスタークラスを主宰していて、フランス語と英語によって指導を行ってきた。

ポルトガルの地方における芸術センターの振興についても取り組んでいる。

そして大の親日家でもある。

だから、演奏家としての活動は引退するけれど、教育活動は今まで通り今後も継続というスタンス。



去年の秋頃に、突然流れてきたピリスの引退の噂。
まだ70歳代なのに早すぎる。どうして?なぜに?という気持ちは当然あった。

真偽のほどはどうなのかな?と思うところもあるのだが、こんな噂もあった。

もともと田舎で隠遁者のような生活をしていて、ビジネスに飽き飽きした、というようなことがあるらしい。ビジネスの世界との相性については、よろしくないとか。

加えて彼女は大勢の取り巻きに囲まれて暮らしていて、海外にもいっぱい人が付いてくる、とか、子どもたちを連れて集団で移動する、とか、若手ピアニストと一緒の舞台で演奏したりとかもしている。

それはもうビジネスする側とすればとても大変なこと。若手にとってはいいチャンス、かもしれないが、多くの聴衆はピリスを聴きたいのであって、ビジネスとして成立しづらい。

ピリスが若手と出てきても、現実問題、チケットは売れない。多分、誰が手がけても売れない。それもまたピリスがビジネス界とそりが合わなくなった一つの要因なのかもしれない。

アルゲリッチも取り巻きに囲まれて暮らしているので、その点似ているのだが、アルゲリッチの場合はそもそもパリとかブリュッセルとか、こちらから会いに行きやすい大都会に拠点を構えているし、取り巻きや子供たちを「引き連れて」あちこちに行くことはない。


そこが大きく違う。


眉唾物か本当かは、断定できないが、ピリスの中に”真”としてあるのは、”若手を育てたい”、”残りの人生で若手に自分の持っているものを伝えていきたい”というところにあるのだと思えて仕方がない。

また、ピリスは、”音楽はコンサートホールですべてを表現できるものではない”という晩年のグレン・グールドのような(笑)ことも言っている。

こういう重ね重ねの背景を紐づけていくと、自ずと自分だけを売っていくビジネスとそりが合わなくなって、自分の将来の進む道は”若手への教育”というところに落ち着く、という落し処なのかな、と思ったりするのだ。


サマランカホールでのようなワークショップは、それこそ彼女にとって、ひとつの理想形なのかもしれない。


これは噂に基づいての推測でしかないし、引退の真の理由は、今後も彼女の口から正直に語られることはないかもしれない。


でもそんなことどうでもいいじゃないか!

現に自分は、いままでたくさんのピリスのアルバムを聴いて感化されてきたことは確かだし、実演もラストの今日も入れて3回も経験出来て、自分に縁のあるピアニストとして堂々と自分の中のメモリアルに刻み込まれている。

そんな偉大なピアニストだ。

その最後のお別れに、ここサントリーホールにやってきた。

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久し振りのサントリーホール。話は飛んでしまうが、このホールについて書いておきたいことがあった。2年前の2016年の開館30周年記念事業のときに改めて、そのクラシック音楽界への貢献としてクラシックファンに認識されたこと。

サントリホールのなにが革新的だったのか?

日本のコンサートホールの歴史は、サントリーホール誕生以前と以後で大きく分かれると言っていい。

「すべてはサントリーホールから始まった。」

まさに後に続くホールは、そのほとんどがサントリーホールの影響を受けたと言っても過言ではない。

その当時、サントリーホールの何が新しかったのか?


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まずは「レセプショニスト」と呼ばれる接客係の存在。

これまでのホールでは、クラシックファンの間で「もぎりのおばちゃん」などと愛着を込めて呼ばれたご婦人方が、ホール入口でチケットの半券をもぎるだけだった。

ところが、サントリーホールに登場したのは、キャビンアテンダントばりのそろいの制服を身に着けた女性たち。

柔らかい物腰と丁寧な受け答えで聴衆を迎え入れ、席に案内する姿は、高級ホテルでのおもてなしのようだった。

これは、サントリーの工場や各種イベント等で接客業務を行っている「サントリーパブリシティサービス株式会社」の存在があっての賜物だった。

ホールの入り口で「いらっしゃいませ」と迎えられることが大きな話題となったことが思い出される。そしてこのサービススタイルは以後多くのホールで採用されることになる。


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さらには、コンサートの前や休憩時間にお酒を楽しむ習慣も、サントリーホール以前にはなかったことだ。これによってホールは単にコンサートを楽しむためだけの場所ではなく、社交の場所にもなった。必然的におしゃれをして来場する人が増えたことも、これまでにない新鮮な出来事だった。


いまでは日本のどこのコンサートホールでもごく当たり前のこの光景も、そういう経緯があっての歴史なのだ。

「ホールが人を呼ぶ」という事実こそがまったく新しい時代の到来を感じさせた。

サントリーホールが高級感含め一種独特の雰囲気があるのは、そういったサントリー企業のブランドイメージ戦略の賜物と、そういう歴史の重みがあるからなのだと思うな。

そんなホールで、ピリスのお別れコンサートを観れるのは極上の喜びと言える。



この日も満員御礼。

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東京公演としては、先に4/12に、オール・ヴェートーヴェン・プログラムがあって、それも悩んだのだが、結局自分としては、ピリスといえば、やはりモーツァルトという先入観があって、今日のモーツァルト・シューベルトのプログラムを選んだ。

結果は大正解だった。

過去に経験した2回の公演と比較しても、感動の度合いが大きく、とても素晴らしい公演となった。

最初の2曲は、モーツァルト・ソナタ12番、13番であったが、モーツァルトらしい長調の明るい旋律に沿うような、弾むようなタッチで明快そのもの、見事に弾きあげた。

やはりモーツァルトの調性のせいか、”さようなら、ピリス”的な感傷モードに浸る暇はまったくなく、目の前で繰り広げられるパフォーマンスにただ唖然とさせられた。これは涙とは無関係な、さようならコンサートになりそう、と思った。

そのときはそのように感動したのだが、後半のシューベルト 4つの即興曲は、さらにその上を行った。特に後半の第3曲、第4曲の流れるような旋律の描き方、そして感情の起伏を豊かに表現する、そのじつに柔らかな指捌き。なんと表情豊かな弾き方、表現なんだろう!

まさに巨匠故なる熟練のわざで、我々観衆を一気に高みに連れて行ってくれた。

最後のアンコールのシューベルト 3つのピアノ曲 第2曲では、その美しさに、ついに涙がふっとこぼれそうになった。

前半の感傷モード無縁の世界から、後半に一気にそのモードに突入。

これは、ある意味、ピリスの選曲時のひとつの戦略なのかもしれない。

前半あれだけ感動したのに、後半を聴くとその前半が平坦だったかのように思えるほど、後半にはドラマが待っていた。

ピリスのリサイタルを3回経験できて、もちろん最高に感動できた。まさに有終の美。

カーテンコールで何回もステージに戻されるピリス。
丁寧に後方P席にもお辞儀を忘れず、手を前に組んで感謝の意を表す。

観客は徐々に立ち始め、ついに最後には、ホール全体の観客がスタンディングオーベーション、そして大歓声のブラヴォー。

思わず、自分は胸がグッと熱くなる瞬間であった。

最後のピリスを観れて、本当に記念に残る素晴らしい公演となった。

彼女には、これから第2のキャリアが待っている。
でも、いままで経験し蓄積してきた財産を若者に思う存分分け与えていくこと。

けっして難しいことではあるまい。

がんばれ!ピリス!




マリア・ジョアン・ピリス リサイタル ”お別れ”コンサート
2018/4/17(火)19:00~ サントリーホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第12番ヘ長調 K.322
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第13番変ロ長調 K.333

(休憩)

シューベルト:4つの即興曲 Op.142.D935

(アンコール)
シューベルト:3つのピアノ曲 D946 第2曲変ホ長調







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アラベラさん結婚! [クラシック演奏家]

うぉぉぉー!突然のニュース、動揺を隠せん。(^^;;

2,3日前からFBのほうで、concertiというドイツのコンサート雑誌のサイトが、アラベラさんを集中的に取り上げて連日アップするもんだから、何事かな?くらいにしか思っていなかったが、まさか、このおめでたいニュースを発表するための振りだったんだね。

このようなサイトから彼女の結婚を知るとは思いもしませんでした。(笑)

ファン心理としてはショックだった。でも日本人の血が半分入っているハーフとはいえ、基本は外人さん。結局自分からの一方的な片想いに過ぎず、お互いの恋が成就するなんてことも100%あるわけもなし。すぐに気持ちを切り替えて、心からおめでとう!と祝福ムード。

Why flowers? Easy:Just married!

と書かれていたのを読んだときは、心臓がドキッとした。(笑)

これが、結婚発表の知らせと同時に掲載されたポートレート

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後ろに見える美しい風景が、ザルツブルクのシュロス・レオポルドスクロンというホテル。

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お相手は、不明。言及なし。一般人なのかな?
なかなかのナイスガイでスポーツ選手のような体格のよいハンサム紳士だ。
お似合いだと思うよ。


ハネムーンは、ギリシャのクレタ島。見事なエメラルドブルーの世界。

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ずっと彼女を追っかけてきたわけだが、女性の御歳に言及するのは、大変失礼に当たるかもだが、もう今年で36歳になるので、そろそろいいパートナーに出会わないと、と心配はしていた。

そんな心配も無用だったわけだ。秘密裡に進んでいたんですね。

演奏家としては、まさに、いまが円熟の境地。
レパートリーも幅広く、中堅から、もうベテランの域に差し掛かる。

そんな絶頂時に結婚で女性としての幸せを手に入れた。

まさに順調な人生を歩んでいる。

結婚、そして子供、というラインも読めて、それも女性の幸せの選択肢のひとつ。

彼女は、その選択肢を選ばないかもしれないが、もし選んだならば、産休、育児で長期休暇を取ることも予想されるが、それはそれで彼女の人生なのだから、ファンとしては、気長に待っていてあげよう。


とにかく、心からおめでとう!





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ゴローさんの置き土産・・・仲道郁代さんがデビュー30周年記念Blu-ray発売! [クラシック演奏家]

ゴローさんがディレクションして、世に出すチャンスのないままに、眠っていた映像。これを仲道郁代さんが今年でデビュー30周年として、なんらかの形で世に出せないかと、所属レーベルのソニーのプロデューサー古澤氏と検討しつつ、ついにめでたくお披露目となった。 

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「ショパン・ライヴ・アット・サントリーホール」
Chopin LIVE at Suntory Hall /Ikuyo Nakamichi
~サントリーホールに満ち溢れる最愛の作曲家ショパンへの美しいオマージュ~

http://www.sonymusic.co.jp/artist/IkuyoNakamichi/info/478594


https://goo.gl/8UjeN5 (Amazon)


仲道さんのライブの映像としては、じつに10年ぶりとなる。2010年のサントリーホールでのコンサート。ショパンの世界を、スタインウェイとプレイエルと、両方で描いている。

仲道さんは、今年デビュー30周年なのだが、サントリーホールも開館30周年で、そのサントリーでのライブをパッケージ化というのも、なにかしらの縁のように思える。

ゴローさんの遺作。もちろん5.0サラウンドだ。

仲道さん曰く、

「カメラワークの細やかさが素晴らしくて、悟朗さんに対する尊敬と感謝で胸がいっぱいになりました。この映像を世の中に出すことが出来るようになって嬉しいです。」

「悟朗さんのセンスと愛にあふれる映像です。こんな風に記録を残してくださったことに感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。ちなみに、悟朗さんは、NHKのショパンの足跡を辿る旅の番組をつくってくださった方でもあります。もっと長生きしてほしかったです。」



これは絶対買いだ。



ゴローさんが逝って、早4年経つ。


目まぐるしい音楽業界では、その存在を忘れかけられそうな感じなことも否めないが、嬉しいではないか!このように、ちゃんとゴローさんのことを忘れずに、メモリアルとして世に語り掛けてくれること自体が。

ゴローさんって確かにオーディオが趣味であるけれど、やっぱり「映像の人」というイメージがある。クラシックコンサートを撮影するカメラワークには一種の拘りがあった。

EuroArtsなどの欧州のBDソフトのカメラワークなど、演奏の旋律に合せて一瞬で、”ある特定のショット”にパンするのが、すごいあざとくて嫌なんだよね、と言っていた。

自分の美学というのを持っていた。

逆に自分のクラシック友人は、EuroArtsのBDソフトは、刺激的な演出。。。それに対して、NHKのBDソフトは優等生的な演出で退屈と言っていた。

やはり人が受ける印象はそれぞれなんだなぁ、と感じた。

ぜひ仲道さんの10年振りのコンサートライブを、ゴローさんのカメラワークで堪能したいところだ。

今回のソニーミュージックのBDソフトの紹介説明文で、とてもうれしい記述があったので、ここで紹介しておきます。これを読んで、自分はすごく嬉しく感じました。


映像監督は元NHKの名プロデューサーであった小林悟朗氏(2012年逝去)。NHK時代にさまざまな音楽番組の制作を手掛け、中でも小澤征爾から全幅の信頼を寄せられていました。ブルーレイディスクによるクラシック音楽ソフトとしてベストセラーとなった、2008年カラヤン生誕100年記念演奏会での小澤/ベルリン・フィルの「悲愴」も小林氏によるもので、演奏家の魂の躍動を映像化することが出来た稀有のプロデューサーでした。小林氏渾身の映像は、サントリーホールに満ち溢れる仲道の演奏の魅力を余すところなく描き出しています。

仲道郁代さんは、とてもピュアなお方で、聡明で、しかも自宅にGOTOシステムを持つオーディオファン!女性、しかも演奏家、一番オーディオをやらなさそうな人が、じつはコアなオーディオファイルなので、我々もビックリしたところだ。ゴローさんが、惚れこむのもわかるような気がする。

昔、ゴローさんがエム5さんに、「GOTOシステムで鳴らしてるピアニストが居る、しかもそれが女性なんだ。。。」と。そして黙って、ある一枚のBDをエム5邸サラウンドシステムに載せ150インチスクリーンで再生。そこにはスタジオで一心不乱に曲を奏でる仲道郁代さんの姿が。。。

視聴後、「どうだい?日本人でもここまで弾けるピアニストが居るんだよ!」って胸張って、仰ったそうだ。

言葉も無い位にグッときて、いまもエム5さんにとって、忘れられぬ、素晴らしい思い出の一つになっているそうだ。


リサさま降臨 [クラシック演奏家]

ユリア・フィッシャー、アラベラ・美歩・シュタインバッハー、そしてリサ・バティアシュヴィリ。

自分が深く入れ込んでいて、現在のヴァイオリン界を彩る新星たちのプロフィールには、指導者として決まって、その人の名があるアナ・チュマチェンコ女史。 


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「音楽であろうが何であろうが、指導者には人間を形成する使命がある。」

それが彼女の教育理念。

「生徒は、演奏家としてではなく、まず人間として育てたい」。

感性豊かな時期に演奏漬けにならず、文学、絵画、演劇に心を揺り動かすことの大切さを実感している。 だからこそ、コンクールに対しては慎重にならずにいられない。

「勝つこと、優勝することは、芸術家の人生においては実に小さなこと」

この考え方は、アラベラさんのインタビューで確かに読んだことがある。
「若い頃は、演奏漬けの毎日でなく、人間らしい生活をすることを心掛けました。」と彼女は言っていた。恩師のアナ・チュマチェンコ女史の考えを純粋に、しっかりと受け継いできているんだな、と今思えば合点のいくところだ。

ご存知のように、いままで、ユリア・フィッシャー、アラベラ・美歩・シュタインバッハーと自分の日記でも、何回も何回も、とても深く取り上げてきたのだが、もう1人、とても大切な女性ヴァイオリニストを、きちんと日記にすべきと思った。


リサ・バティアシュヴィリ 


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(以下掲載させていただく写真は、FBの公式ページからお借りしています。)

ゴローさんとも所縁の深いヴァイオリニストで、自分にも想い出がたくさんある。

ある意味、ユリアやアラベラさんと比較しても、クラシック界で待遇されているステータス、格からして、3人の中でもダントツに格上だと思う。

そんな彼女を取り上げずにいるのは問題だし、ちょうどつい最近、新譜のCDとBlu-layが発売されたばかり。とてもいい機会なので、彼女のことを調べて、この日記で紹介したいのと、自分の想い出や、自分の彼女に対する印象などを素直に書いてみたいと思った。



リサさんを知ったのは、2011年のゴローさんの日記からであった。

いつも女性ソリストばかり追っかけている(笑)自分と違って、硬派だったゴローさんにしては、珍しく鼻の下を伸ばした感じでリサさんにゾッコンという感じだった。

ちょうど弾丸来日中で、N響との定期公演で、自分もぜひ観てみたいと思い、当日券で馳せ参じた。

この日の公演は、バルトークの「青ひげ公の城」の演奏会形式がメインで、確かこの年は、小澤さんのサイトウキネン松本でも同演目が演じられて、それで注目されていたコンサートでもあった。その前半ということで、リサさんはブラームスのコンチェルトを演奏することになっていた。

「当日券で、NHKホールに見参!」と相変わらずのノリでつぶやいていたら(笑)、それを見たと思われるゴローさんから携帯にかかってきて、「ブレークのときにロビーで落ちあいましょう。」ということになった。

前半が終わって、落ちあって、「いやぁ素晴らしい!感動しました!」と、「ねっ?いいでしょ?」ってな感じで、2,3言交わしたら、ゴローさんの携帯に電話がかかってきて、その後に、「ゴメン、リサからお呼びがかかってしまった。今回彼女のお世話役しているんだよね。後半も楽しんで!」と言って嬉しそうに、楽屋に向かっていったのでした。(笑)

そしてコンサート終演後に、軽食&お茶しようということになって、NHKホールからの渋谷駅の帰路のカフェでお茶したのであった。

いろんな話をした中で、当然、リサさんの話題も多く、

「いやぁ彼女はいいよ!才色兼備で実力も確かで、これからの時代を担うヴァイオリニストになることは間違いないよ。」

「ベルリンフィルとも共演しているんだよ。2007年のヨーロッパコンサートでラトルといっしょにやっている。ぜひ観てみてごらん。」

「なぜ、ブラームスのコンチェルトを急遽の弾丸来日で、今回やったかというと、たぶん彼女、録音でブラームスをやるからだと思うんだよね。 よくやることなんだよ。自分が録音をする予定の曲があるときは、その曲を事前にツアーで何回も演奏することで、イメージを掴むということを。」


確かにその後、2013年に彼女のブラームスのコンチェルトの録音が出たことは確かであった。(笑)


残念だったのは、このときの公演は、メインの「青ひげ公の城」は絶賛されるも、前半のリサさんのブラームスはボロクソの凡演だった、という酷評が多かったことだ。N響の演奏がボロボロで、彼女が可哀想、所詮、「青ひげ公の城」の前座に過ぎない、という公演評が多かった。

TV収録したのは初日。自分が観たのは2日目だったが、そんなに悪いとは全く思わなかったし、逆に素晴らしいと思ったほどだ。あとで、TV放映を観て初日公演も観たが、確かに破たんのあるところもあったが、そんなに酷評するほどのことかな?と感じた。

ゴローさんは、この酷評に、「くやしくて、くやしてくて、仕方がないよ!」とボヤいていた。

リサさんがN響の定期公演に出演しているのは、2004/2006/2009/2011年の4回。自分が観たのは、この2011年の公演だった。

まだこの当時は、これからの世代を担うホープという印象で、これがリサさんとの出会いだった。 


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リサさんのキャリアを紹介しておこう。



グルジア出身(グルジアは現在ジョージアと改名)、アナ・チュマチェンコに師事。11歳の時に一家でドイツ・ミュンヘンに移住。1995年シベリウス国際コンクールに史上最年少の16歳で出場し、第2位。

2001年BBC が立ち上げた"New Generation Artists"の初代メンバーに選出、BBCプロムスでのデビューはBBC Music Magazineで"本年最も傑出した存在"と称賛。2003年にはシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭でレナード・バーンスタイン賞を獲得、その後ボン国際ベートーヴェン音楽祭ではベートーヴェン・リング賞を獲得。(所属先のUniversal Music JapanさんのHPより。)

2001年にEMIよりCDデビュー。その後ソニー・クラシカルから2枚のCDをリリースし、2010年にはDG(ドイツ・グラモフォン)へ移籍。現在に至る。


現在、欧米のオーケストラから引く手あまたのリサさんは、2012~13年シーズンにはシュターツカペレ・ドレスデンとケルンWDR響の、2014~15年シーズンにはニューヨーク・フィルハーモニックのレジデンス・アーティストを務めている。(レジデンス・アーティスト:そのオーケストラのその年のソリストとしての”顔”的な称号。)

そして、今シーズン 2016~2017年には、ついにロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のレジデンス・アーティストを務めることになったのだ!

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今年の動きだけでもスゴイのだ。いまが旬というか絶頂期とも思えるくらい。

ベルリンフィルとは、彼らの定期公演で演奏している。(あるいは演奏予定。2016-2017年のベルリンフィル定期公演のソリスト・カレンダーに掲載されていたので覚えていました。)

そして、今年2016年のベルリンフィルのヴァルトビューネ野外コンサート(ヤニク・ネゼ=セガン指揮)で、見事ソリストを務める。

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ウィーンフィル(エッシェンバッハ指揮)とは、ウィーン楽友協会で演奏をおこなっている。
意外や意外、ウィーンフィル&ウィーン楽友協会は初体験だったそうだ。

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そしてロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(ダニエル・ガッティ指揮)とは、まさに今日からの12/14~15の2日間、アムステルダム・コンセルトヘボウで公演を行っている最中なのだ!まさに、この写真もホッカホッカだ!

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まさに世界三大オーケストラと、彼らの本拠地で彼らをバックにソリストを務める!
これこそいま演奏家人生で最高潮のバイオリズムにいるときなのかもしれない。


まさにそんな絶頂期にいる彼女の新譜がDGから出た。 


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チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 
リサ・バティアシュヴィリ、ダニエル・バレンボイム&シュターツカペレ・ベルリン


https://goo.gl/pHUQ7P


DGから通算4作目は、巨匠バレンボイムとその手兵シュターツカペレ・ベルリンとのコンチェルトで、チャイコフスキーとシベリウスという、もうこれは贅沢に贅沢を尽くした作品となった。

乗りに乗っているいまの彼女にふさわしい作品。

DGなので、Emile Berliner Studiosの録音かな?と思い、クレジットを確認してみたのだが、どうもそうでないようだ。(不明?)録音場所は、ベルリンでは、No.1と言ってもいいくらいの超有名録音スタジオであるTeldex Studio Berlin。

数々の名録音がこのスタジオから生まれた。

Teldex Stduio Berlin

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そのときの録音セッションの様子。おびただしい立脚マイクが生々しい。

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最初、封を開けて聴いた第一印象は、どうも自分のオーディオの2chシステムと相性が合わないというか、ピンとこなかった。

コンサートホールでのセッション録音と違って、キャパの狭いスタジオでの録音だとどうしても響きの少ないデッドな感じがして空間感も少ない感じがし、自分の好みの録音ではないような気がしたのだ。

でも休暇を取って、大音量で聴いてみると、ずいぶん印象が違った。幾分デッドな印象は、やはり拭えないが、でも骨太でがっちりした音の造りはさすがDGだと思ったし、響きもかなり改善して感じられた。やはり夜分での小音量では、真の録音の評価はできませんね。

後半のシベリウスのほうが、響きが豊富に感じました。編集&エンジニアの違いによるものでしょうか?

リサさんの演奏力は、やはり大したもの。王道たる演奏で、特にシベリウスは鳥肌がたつくらい狂気迫ったものがある。チャイコフスキーは、あまりに耳タコ名曲で、数多の演奏家が取り上げてきている曲なので、リサさんとしては、当初はあまり積極的でなかったのを改心して取り組んだようなことが読んだが、とても個性の強い前へ出るチャイコフスキーだったように思う。


さて、もうひとつの新譜が、今年のベルリンフィル・ヴァルトビューネ野外コンサート2016のBlu-ray。 


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『ヴァルトビューネ2016~チェコ・ナイト~スメタナ、ドヴォルザーク』 
ヤニク・ネゼ=セガン&ベルリン・フィル、リサ・バティアシュヴィリ


https://goo.gl/FPfh8Q


今年のテーマは、「チェコの夕べ」ということで、スメタナやドヴォルザークなどのチェコに所縁のある作曲家を取り上げる、ある意味とても濃厚なスラヴの香り漂うコンサートとなった模様。

この野外コンサートも一度でいいから体験したいと思っていたりする。PAらしくない本場のベルリンフィルハーモニーで聴いているようなリアルなサウンドだったとゴローさんが言っていた。

ここで、リサさんは、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を披露。

久し振りに観る演奏姿。やはり立居姿が美しい。絵になるヴァイオリニストですね。

やはり体格が大きいということと、全体から発するオーラというのがあって、こういうベルリンフィルとかウィーンフィルのような世界三大オーケストラをバックにしても堂々と渡り合える、決してオーラ負けしない、そういう自然な”風格”というのが備わっていると思うんですよね。

彼女の演奏スタイルの特徴は、とても自然流というか、変なクセがないとても美しいフォームだと思います。

ユリアは、小柄ながらとても男性的でパワフルな演奏スタイルで、それがきちんとサウンドになって現れていた。

アラベラさんは、ヴィジュアル・クラシックの典型で、本人も聴衆から観られていることを意識しているフォトジニックな演奏スタイルで、サウンドはとても女性的。(ソリストのお部屋には、等身大の鏡が必ずあって、そこに自分が弾いている姿を観て、常日頃全体のフォームをチェックしていると聞いたことがあります。アラベラさんのDVDを観ると、彼女の部屋にそういう鏡がありました。(笑))

リサさんの演奏スタイルは、あざとさがなくて、とても自然流のレガートな美しさがある。
技巧も高いレヴェルにあって、感性の鋭さも相まって、いまが旬というのが納得のいく映像だと思いました。


今日は、リサさん特集。持っている映像素材をすべてチェック。

前述の自分が観に行ったN響定期公演の録画BDも鑑賞してみた。

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自分が行ったのは2日目だったので、白いドレスだった記憶があるのだが、録画は初日だったので、紫色のドレスであった。

2011年12月9日:NHKホールとある。いまから5年前かぁ?月日が経つのは早い。
当時は酷評された公演だったが、今観ても、破綻している部分はあるけれど、そんなに酷評するほど?と、思えたのは変わらなかった。風貌や全体が今と比べて、やっぱり若いなぁという感じなフレッシュさがあって、微笑ましい感じがした。

この日の公演は、リサさんのブラームスを生で聴けるだけでも嬉しかったのだが、さらにさらに 第1楽章でクライスラーのカデンツァを演奏したことが希少価値に値する出来事であった。ブラームスのヴァイオリン協奏曲の場合は、作曲にあたってアドバイスし、初演もした名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムのカデンツァが演奏されるのがほとんどで クライスラーの美しいカデンツァは、中々生で耳にすることがない。もうこれだけでも大満足!

ところでディスクではどうだっただろうか?と思いをめぐらすと、クライスラー本人の古い演奏の他には、クレーメル カラヤン指揮ベルリン・フィルの70年代アナログ録音ぐらいしか思いつかない。

このことはゴローさんから教えてもらったことなのだが、この貴重なクライスラーのカデンツァを生演奏で聴けただけでなく、きちんと録音として残せたのも本当に幸運であった。



ついでに、そのときにゴローさんから推薦されたリサさんが出演しているベルリンフィルのヨーロッパコンサート2007のDVD。

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ふつうの中古市場では滅多にお目にかからないレアなDVDで、アマゾンの中古市場マーケットプレイスでもあることにはあるけれど、売価3万円とかすごいプレミアがついている貴重なDVDだ。

自分もそれくらいの値段で、思い切って入手した記憶がある。

こちらはもっと若い。(笑)
ブラームスのヴァイオリン&チェロの協奏曲だったのだが、今こうしてみると、演奏スタイルは今と変わらない一貫したものがあるんだなと感じた。(というかこれは無意識の産物で、意識して変えるというのは、なかなかできないこと。)





まさに今日は、”共演オファー殺到”の真っただ中にいるリサ・バティアシュヴィリを追ってみた。


そんな彼女だが、ロシアの軍事介入に揺れるウクライナ問題について、音楽家として静かな態度表明を行ったこともあった。

リサさんは、フィンランドのヘルシンキで行われた平和コンサートに出演し、ジョージアの作曲家イゴール・ロボダの「ウクライナのためのレクイエム2014」を演奏した。

そして、「民主主義と自由と子供たちのためのより良き未来を得るために闘っている民族と国家を蹂躙し辱める行いは正しくありません」と穏やかながら強い表現で聴衆に語りかけた。

「音楽は侵略的なものとは一切相容れない、最も平和な言語です。しかし同時にそれは私たち音楽家に、私たちなりの意見を、知性でなく感情に発する意見を表明する自由を与えてくれるものでもあります。」

祖国ジョージア(グルジア)の辿ってきた運命と相重なるところによる連鎖反応があるのも原因だったようだが、芯の強い、筋が通らないことにきちんと反対の意を唱えられるだけの心の強さ、実行力もあるのだ。


新譜も発表したことであるし、それに関連する世界ツアーもあるのでは、と思う。

ぜひ日本に呼んでほしい!!!

この最高に旬なときにいるリサさんを、もう一度生で観てみたい!

もう責任をもって盛り上げます。(笑)

そうすることが、ユリア・フィッシャー、そしてアラベラ・美歩・シュタインバッハーと、アナ・チュマチェンコ門下生を盛り上げてきた自分の最大の責務で運命だと思うからです。

また天国のゴローさんへの恩返しにもなるかな?



 


ヨハネス・モーザー [クラシック演奏家]

PENTATONEと専属契約を結んで第2弾の新譜がでた。それに絡んでということだと思うが、先週、来日を果たし、トッパンホールでチェロ・リサイタルを、そしてミューザ川崎では、東京交響楽団とチェロ協奏曲でコンチェルトも披露してくれた。

ヨハネス・モーザーは、PENTATONEと契約を結んだ2015年11月頃に知ったアーティストだったので、ぜひ、実演に接してみたいとずっと想いを馳せていて、念願かない、両公演とも参加してきた、という訳。

第1弾のドヴォルザーク・アルバムのときにディスクレビュー日記を書いたが、もう一度簡単に紹介しておくことにしよう。

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ヨハネス・モーザーは、ドイツ系カナダ人のチェリストで、1979年生まれの現在37歳。2002年チャイコフスキー・コンクールで最高位を受賞。

使用楽器は、1694年製のアンドレーア・グァルネリ。

モーザーは、いままでベルリン・フィル、シカゴ響、ニューヨーク・フィル、クリーヴランド管、ロサンゼルス・フィル、ロンドン響、ロイヤル・コンセルトヘボウ管などなど、もう書ききれないほどの世界のオーケストラ&高名な指揮者と競演してきており、英グラモフォン誌からもその絶賛を浴びている。

室内楽奏者としても熱心に活動しており、五嶋みどり、ベル、アックス、カバコス、プレスラーなどとしばしば共演、ヴェルビエ音楽祭、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭など多くの国際音楽祭にも登場している。

モーザーはあまり知られていないレパートリーを取り上げ優れた演奏をするアーティストとしても非常に評価が高いようだ。

とにかく、写真を見ていただければ、お分かりのように、”ナイスガイ”という言葉がぴったりくるような底抜けに明るい青年。

そしてなによりも若い。まだ37歳にして、これだけのキャリアを積んできているのだから、本当に将来楽しみな大器であることは間違いない。

第1弾のドヴォルザーク・アルバムで彼のサウンドを聴いたとき、その外見からくる爽快なイメージよりも、もっと実は硬派で本格派&実力派の骨のあるチェリストの印象を自分は感じ取り、今後の”新しい録音”の時代の担い手という期待を寄せていた。

そんな彼をオーディオだけでなく、生で演奏する姿を一目観てみたいという夢を実現できた。

その前に、第2弾の新譜の紹介からしよう。 


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ラフマニノフ:チェロ・ソナタ、ヴォカリーズ、プロコフィエフ:チェロ・ソナタ、スクリャービン:ロマンス、他 
ヨハネス・モーザー、アンドレイ・コロベイニコフ

https://goo.gl/gNpZWd


第2弾はロシアン・アルバム。プロコフィエフ、ラフマニノフ、そしてスクリャービンのチェロ・ソナタをはじめとする作品が取り上げられている。

前作の第1弾がコンチェルトだったのに対し、今回は室内楽作品としてのアプローチで、実際の演奏活動でも、見事な両刀使いでもあることから、彼の演奏力、レパートリーの広さが伺えると思う。

何回も聴き込んでいるのだが、情感豊か、鮮やかではあるけれど、ちょっと渋めの色彩感というか、色に例えるならグレーで深い音色、という感じがして、表面はロマンティズムで溢れているものの、その背後にはロシアの厳冬のイメージが湧いてくるような、そんな雰囲気のアルバムに仕上がっていると思う。

あのロストロポーヴィチも協力したと言われるプロコフィエフのチェロ・ソナタと、哀愁漂うラフマニノフのヴォーカリーズは、トッパンホールのリサイタルでも披露してくれた。

録音は、もうお馴染みポリヒムニアの御用達でもあるオランダ放送音楽センターMCO5スタジオで収録。

下の写真はポリヒムニアのFB公式ページから、そのときのセッションの様子。

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ポリヒムニア側の録音プロデューサー&バランス・エンジニア&そして編集と、すべてエルド・グロード氏が担った。PENTATONE側のプロデューサーは、もちろんジョブ・マルセ氏。

もう王道のコンビであるし、録音の完成度の高さは言うまでもない。
明記はされていないけれど、Auro-3Dで録っているのではないだろうか?

空間は広く録れているし、チェロの低弦の解像度も高く録れていて、朗々と鳴る感じのボリューム&音量感も気持ちいい。ピアノの音色の質感は、これは伝統的なPENTATONEのピアノの音色。
(その点、児玉姉妹のピアノ音色は、ちょっと異次元でした。)

そしてチェロとピアノのバランス配分や、リスポジ・聴き手から感じる遠近感も違和感がなくて、さすがエルド・グロード氏の仕事だと思った。

かなりヘビロテで聴いています。

じつは、PENTATONEからの第3弾もすでに決まっているのだ。スイス・ロマンドとのコンチェルトを収録済みで、来年の3月にはマーケットにリリースされる予定である。あのスイス・ジュネーヴのヴィクトリアホールでのセッション録音で、すでに収録完了していて、ただいま編集中といったところだろうか。これは本当に楽しみである。


そんなヨハネス・モーザーを生で聴ける!

まずは、トッパンホールで、チェロ・ソナタとしての室内楽。

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ピアノのパートナーは、2012年の来日リサイタルのときと同じ高橋礼恵さん。

はじめて彼の実演に接した訳だが、その印象を、ずばり結論から言うと、”はちきれんばかりの体育会系ソリスト”という感じだろうか。(笑)

とにかく自分がイメージしていたそのまんま。(笑)

とにかくボウイング、弓使い、その演奏動作すべてにおいて、スピード感、切れ味が鋭くて、俊敏の極みのような演奏家で、スポーティーなスタイルにぴったり合致していた。

最初のヒンデミットやバッハの無伴奏のときは、楽曲のせいもあるのか、思ったほど冴えない感じだったのだが、3曲目のデュティユーから空気がガラっと一変した。剃刀のような鋭い跳ね弓や、弾けるようなピッチカートで、あまりに切れ味鋭いので、聴いていて(観ていて)かなり小気味いい感じだった。

後半のプロコフィエフのチェロ・ソナタや、ラフマニノフのヴォーカリーズなどになると、一転して、いわゆる聴かせるメローな感じで情感たっぷりに弾くのも、かなりサマになっていて、かなり演奏表現の幅が広い、と感じた。

高い技巧のチェリストだと思う。

揚げ足をとるようで、申し訳ないが、敢えて言えば、舞台袖に下がるときに、なにせ、エネルギー持て余している若者のせいか、セカセカ退場していくのが笑えるところだろうか。(笑)もっと余裕を持てばいいのに、と思うのだが、でもこのほうが若者らしくていいっか?(笑)

ヨハネス・モーザーというチェリストは、屈託のない明るい青年のイメージと、ぴったり合うようなスポーツスタイルの超絶技巧の演奏家である、というのが自分のイメージだった。


そしてミューザ川崎で、東響とコンチェルト。

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1曲目は、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲を団員達と一緒に弾き、そのまま止まらずに続けて、デュティユーのチェロ協奏曲を演奏する、という指揮者ノットの粋な計らい。

じつは、この日体調コンディションが悪く、前半は意識朦朧として聴いていたので、ヨハネス・モーザーの演奏をしっかり聴けていなかった。本当に申し訳ない。でもところどころの記憶では、リサイタルのときのイメージと全く変わらない。素晴らしい演奏だったと思う。

ヨハネス・モーザーのFBページからお借りしました。
(ルーツは東響さんの投稿だと思います。失礼します。ゴメンナサイ)

この公演の時のリハーサルの様子。

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そして終演後、東響のチェロセクションと記念自撮りの撮影中(笑)

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とにかく若くて明るいイメージそのもののナイスガイで、スポーティーな超絶技巧のテクニシャン。

新しい録音、新しい演奏、といったこれからの世代を担う若い演奏家として、とても有望株で、自分が肩入れしても許せる”男性の(笑)”演奏家に出会えた、という印象だ。






ヨハネス・モーザー&高橋礼恵 チェロ・リサイタル
2016/11/29 19:00~ トッパンホール

前半

ヒンデミット:無伴奏チェロ・ソナタ Op.25-3
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV1010
デユティユー:ザッハーの名による3つのストロフ

後半

プロコフィエフ:バレエ音楽<<シンデレラ>> Op.87より<アダージョ>Op.97bis
ラフマニノフ:ヴォカリーズOp.34-14
プロコフィエフ:チェロ・ソナタ ハ長調 Op.119

~アンコール

スクリャービン ロマンス
サン=サーンス <<動物の謝肉祭>>より<白鳥>
チャイコフスキー ノクターン 嬰ハ短調Op. 19-4




東京交響楽団 川崎定期演奏会 第58回
2016/12/4 14:00~

指揮:ジョナサン・ノット
独奏:ヨハネス・モーザー(チェロ)

コンサートマスター:水谷晃

前半

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」第1幕への前奏曲
デュティーユ:チェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」

~アンコール
J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲 第4番からサラバンド


後半

シューマン:交響曲第2番 ハ長調 作品61





アンニュイな魅力のエレーヌ・グリモー [クラシック演奏家]

エレーヌ・グリモーというピアニストは、昔からCDをずっと聴いていて馴染みのあるピアニストではあった。

今年2月に久しぶりの新作を発表し、「ウォーター」というタイトルでDGから発売される。それに伴い、じつに5年振りの日本でのリサイタルも開いてくれるようで、楽しみ。

彼女の容貌や、その全体像から香りでるような、なんともいえないアンニュイなフンイキ......
(以下掲載する写真は、FBでの彼女の公式ページからお借りしております。)

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彼女の生い立ち、そして彼女の人となり、人生観・価値観みたいなものが、いわゆる普通の可愛い女性とは少し違うというか、一線を画した、少し表現が悪いけれど、「ちょっと変わった女性」的な摩訶不思議なところに妙に惹かれるものがある。

そういう意味も含めて、彼女の生い立ち、人となりを本で読んでみたいと、ずっと捜していた。

去年、フィルハーモニー・ド・パリでのCDショップで購入したグリモーの本。

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もちろんフランス語で書かれているので読めないので、記念として買った意味合いが多かった。

でも彼女のことをもっと知りたい.....そんなことから日本での書籍がないか調べた。

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野生のしらべ
エレーヌ・グリモー
北代美代子 訳

http://goo.gl/hEtfDa


内容はグリモーが自分の人生を振り返るもので2003年に書き上げた自叙伝、それを北代美代子さんが和訳されてランダムハウス社から和書として発売されている。彼女の生い立ち、人生観が書かれていて、とても自分にはタイムリーな本に思えた。

これを読了して、彼女の人生を知ったとき、なぜあのような独特のフンイキがあるのかが、理解できたように思えた。偶然ではないのだ。やはり、それ相応の試練の人生を歩んできているからこそ醸し出されるオーラなのだ、ということがわかった。

だが、和訳本にありがちなのだが、1冊丸々読んでみたところ、正直大変読みづらく、わかりにくい。日本語の文章がスムーズでなくて頭に入ってこないのだ。何回も読み返さないと全体が掴めなかった。

彼女のことをもっと、もっと知ってほしい、という一念から、この本の所々の抜粋をして、自分のコメントを少々入れて、パブリックドメインにするにはギリギリいいかな、というレベルの自己判断の元、日記にしてみることにした。

目的は、全体の流れがわかりやすいように、彼女の人生がキャプチャーできるようにまとめること。
そして、この本に興味を持ってもらって一人でも多くの方に読んでもらいたいように誘うこと。

(読んでみて問題あるようでしたらコメント示唆ください。)

彼女のCDも昔から、いろいろ持っていたが、今回のこの日記を書く上でさらに買い増して、このような布陣で臨む。

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グリモーは、フランスのエクス=アン=プロヴァンスの生まれ。

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小さいころから、言うことを聞かない、「ひとりの友達もつくらず」「人と違って」いた。左右対称性に異常にこだわる、という病気でもあって、自傷行為まで見せるようになって、心配した母親がその有り余るエネルギーをピアノに向かわせたところから、彼女とピアノとの出会いが始まる。

左右対称性の異常は、体の一部に傷がついた場合は、必ずその反対側にも傷をつけたいという欲望を感じるようになるし、自分の領土も同じように左右対称に整理されている必要があった。

勉強机の上では本の両側に同じ数の鉛筆がなければならず、本はノートの周りに同じ距離をとって並べなければならなかった。片方の靴ひもが反対側ときっちり同じになるまで結んでは、ほどきを繰り返したり.....

この対称性への強迫観念は自傷行為にまで到り、両親を悲しませ、音楽学校、ピアノに向かわせようとする。

もうこの頃からふつうではない、彼女独自の「人と違った」世界が広がっていた。

「人と違う」ことを生きることは、たとえばグリモーにとって小学校に通うこと自体、耐えがたい苦痛であって、それを救ったのが彼女が音楽的才能に恵まれていたということ。

ピアノを通じて、自己実現の手段、自分のありうる場所を見つけるようになれた、ということだった。

1982年13歳でパリ国立高等音楽院に入学して、その才能を開花させるものの、必ずしも順調ではなかったようだ。

入学試験はショパンのピアノソナタ第2番&第3番の第1楽章。この頃からグリモーは、ショパンに対して自然と通じ合うものを感じていたようだ。大いなるエレガンスと究極の洗練を持つ、そしてなによりも自分の感性に溶け込んでくる、と言っている。

そうして、もう一人尊敬している音楽家、ピアニストとして彼女が挙げているのがコルトー。その創意と音楽性、そしてある意味での完璧さの欠如。~ダンディの襟元でほどけたネクタイのように~とつねに称賛していた。コルトー版での指使いとペダルがきわめて錯誤的とも......

15歳になったときに録音、つまりCDを出すチャンスに恵まれる。彼女自身が望み選んだ作曲家がラフマニノフ。

グリモーは、もともとラフマニノフの音楽が、そしてそのピアノ協奏曲のなかではとりわけ一番身近に感じた「第二番」が好きだったようだ。たとえば、初めのフレーズですべてが語られてしまう「第三番」とは正反対に、「第二番」には冗長さという欠点がまったくない、と言い切っている。

自分は「第二番」より圧倒的に「第三番」派なので(笑)、そういう嗜好、考え方もあるんだな、と考えさせられた。自分は、第三番のあの初めのフレーズが全体を貫く共通主題になっていて、全体の統一感・様式美を決めている......そういう部分が特に好きなので、グリモーの考え方とは全く逆なのである。


ラフマニノフの音楽は当時の音楽語法に逆行していて、さまざまな分野で「革命」そのものが時代の流れであったとき、同時代のラヴェルやバルトークが組み込まれることになる動きが誕生していた、まさに、そういうご時世に、ラフマニノフは変わることなくロシア・ロマン主義に執着し、チャイコフスキーがその名を高らしめた音楽形式に忠実だった。

彼女は、このピアノ協奏曲「第二番」について、もう巷では有名なラフマニノフが交響曲第1番で大失敗してノイローゼになって、この曲で復活するまでの経緯を事細かく説明して、その感動をこの本で我々に伝えようとしていた。彼女のこの曲に対する情熱と言うのがひしひしと伝わってくる。

彼女の最初のCDはアムステルダムで録音された。

16歳以降になってから、ブラームスに傾倒。周囲からはイメージに似合わないと随分反対されたみたいだが、彼女のブラームス愛は相当のもので、どうしてもレパートリーとして加えたいと願うようになる。


ブラームスのどのような作品を聴いても、彼女にとって「知っている」という感覚を持つらしく、なにか自分のために書かれているように感じる....自分の感動の揺らぎに正確に対応しているという感覚.....そういう信じられないような親近感を持つらしい。

この本に書いてあるグリモーの「ブラームス讃」は、もう本当にとりとめもないくらい、何ページも費やして、そして限りなく熱く語れているのだ。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番、第2番もすばらしい作品としてCDとして完成させている。こうしてみると彼女は、15歳にしてはじめてCD録音をしてからおよそ20作品ほどの録音を世に送ってきているのだが、自分の想いのたけの作品を着実に録音という形で世に送ってきているのだということが実感できる。(このあたりの作品の解析は、次回の日記で試みます。)

このように自分の存在感、自己表現として音楽、ピアノの道を歩むものの、「自分の音を見つけ出す」ために悩み、フランスの伝統的な音楽界が自分に課してくるステレオタイプのイメージに随分苦しめられたようで、このままここにいても、という閉塞感から、パリ音楽院を離脱して、アメリカ移住を決心する。

でもその前に、1980年代の終わりごろに、マネージャーとの出会いも含め、国外でリサイタルを開けるようになったころの話を書かないといけない。ドイツ、スイス、日本、ロンドンなどなど。グリモーは空港が持つあの独特の雰囲気が大好きのようだった。

これは私もそう。毎年、海外音楽鑑賞旅行に出かけるときの、出発するときの羽田や成田のあの雰囲気、とてつもなくワクワクして、これから始まるちょっとした冒険に心踊るような子供のような感覚....とりとめもなく大好きである。

グリモーは、この時期に人生を決定する大事な出会いをする。

マルタ・アルゲリッチ。

マルタは、その通り道ですべてを押しつぶして進む力であり、絶対的に君臨する生の躍動である。
内面のできごとを全的に感じ取る。風のような女性だ。

彼女とのパートナーでもあったギドン・クレーメルとも大きなパートナーになってもらい、彼女がパリを離れるときにマンションを貸してくれたりしている。

マルタは、まわりに集まる若い音楽家の群れを、考えられないような寛大さで養っていたという。(笑)

そういう中間の過渡期を経て、グリモーはアメリカでのコンサート・ツアーの話を持ちかけられる。
このときは彼女は英語はまだ話せなかったようだ。

このアメリカツアーのときに、もう自分は帰らない、という決心をする。

パリで扉に鍵をかけ、ジーンズを二本ばかりと洗面用具入れ、旅費の代わりに数冊の本をスーツケースに投げ込み、そうしたあと、すぐにフロリダ州の州都タラハシーの住民になっていた。

森林におおわれた平らな田園地帯にある恐ろしく退屈な町。

そこでグリモーが引っ越してきたことに町の人は気づき、自然の外でホームパーティを開いてくれた。

そのとき、「気をつけたほうがいい。あそこには男が住んでいる。ベトナムの帰還兵だ。頭がちょっとおかしい。危険なやつだと思われている。」と言われる。

そして数日後に深夜に眠れなくて譜読みとかするとますます目が冴える、そして深夜の闇の中に散歩に出かける。

その瞬間、グリモーは、初めてそれを見た。

犬の姿をしている。でも瞬間的に犬ではないとわかる。
闇の中でその動物は鋭い眼光で、グリモーを見た。彼女の全身に震えが走った。

その後方に男が立っていた。町の人に教えてもらっていた危険な男、ベトナムの帰還兵だった。

2人は立ち話をして、その男はおもむろに自己紹介をする。グリモーがクラシックの音楽家であることを告白すると、自分もクラシック音楽が大好きで、レコードをたくさん持っている。好きな時に聴きにこればいい。

グリモーは、この誘いをちょっと荒っぽいと思ったらしいが(笑)、その動物は?と聞き返す。

これは狼だ。これがグリモーの狼とのはじめての対面。

狼は、柔らかな足取りで、彼女に近づいてきて、左手の臭いを嗅ぐ。
すると狼は、自分のほうからグリモーの手のひらに頭を、そのあと、肩をこすりつけた。
その瞬間は彼女は全身に電流が走る、電光のような火花を感じる。

そうすると狼は、仰向けになって横たわると、グリモーにお腹を見せた。

男は、「こんなのははじめて見た。自分に対してもこんな姿を見せることは滅多にない。」

最初の初対面で、グリモーは狼との運命の結びつきを感じ取る。

狼の社会~群れ~は人間社会と奇妙に似ている。それは体育会系の民主主義で、他の個体からリーダーと認められたものは、力、速さ、狩りの腕前だけで支配するのでなく、大きな部分を心理的影響力に依存している、と言われている。

この男との出会いから、グリモーはこの狼と恋に落ちてしまった。
この狼と会いたいがために、何回も訪れて、何時間もいっしょに過ごした。
狼からの愛情の交換は強烈で豊かだった。

不意に襲い掛かってくることもある。

狼のほうから愛情表現をされ通じるものを、狼は彼女の中に見出したのだ、と思う。双方にとって運命の出会いですね。

狼といっしょに過ごすことで、お互いどんどん相通じるものを感じ合う。
それからというもののグリモーは、狼に会いたいがためにしょっちゅうその男の家を訪ねる。

愛情という点について、狼はグリモーの人生の中でもっとも重要な存在になる。

これをきっかけにグリモーは動物行動学の勉強を始める。
さまざまな講演に出席する。アメリカ国内を歩き回り、専門家が狼の生態と行動を研究している保護区を訪ねたりした。

音楽、ピアノの割く時間は当然減らすことになる。レパートリーの幅を広げず、同じ曲の追及。注意を室内楽に集中した。

グリモーは、狼の行動学、研究そして自然復帰とだけを目的とする財団と公園を創設したかった。
狼の群れを住まわせる土地を買うために、コンサート出演料のすべてを貯金した。

そこでまず目的を達するために、いったんこの男と狼と分かれ、ひとりニューヨークに出る。ひとりゼロからの出発。五番街にバッグを下ろす。

目的の資本金に手をつけないがために、厳しい食生活、貧困の生活の一途。
電話帳を片手に政府機関を訪ね、コンサート用のステージ衣装のほかは、たった一枚しかなかった着替えを洗濯をするためのコインランドリーを探したりした。

3年。ようやく落ち着いてきたのが1997年。

自ら望んだ不安定な生活を両親に知らせることもなく、極秘に暮らした。
まさにバヴァロッティとヨーヨーマくらいしかクラシックの音楽家は知られていないクラシック不毛の土地。

ピアノの練習の条件がこれほど厳しいことはなかった。
まず、自分のピアノがなかった。

練習したいときは、五十七番街のスタンウェイ社にいくか、お金を払って2,3時間ピアノを借りた。

ようやく2001年にはじめてコンサート・ピアノ、スタインウェイDの所有者となった。

でもグリモーには狼たちがいて、音楽があった。

来る日も来る日も狼の囲い用の土地を探すために懸命になった。そんなある日、不動産屋から連絡があって、ついにグリモーにとっての天国の土地を見つけてくれた。

地元当局との果てしない交渉の結果、「ニューヨーク・ウルフ・センター」を設立。

30名ほどの従業員を雇用。(現在はわかりませんが。)最初の狼数匹を収容した。
センター設立後は、1999年に750名の子供が、2002年には8500人が訪れるようになった。

グリモーの最大の楽しみにしていることのひとつは、夜、囲いの狼たちのそばで音楽の研究をすること。

そして、コンサートの出演料はすべて、この施設の運営費、狼の養育費に充てられ、それが尽きてくると、またコンサート遠征に出かける、という毎日。

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なんと野性的なんだろう!彼女の野性的で摩訶不思議なオーラがいっぱいなのは、このような人生を歩んできているからなのだ。

表面的な生き方をするだけでは絶対得られない、修羅場の人生を歩んできたからこそ得られる”本物”の凄み。

この彼女の人生を書き綴った(彼女自身の独白本)、この「野生のしらべ」という本は、もっともっと詳しく内省的に彼女の心情描写を綿密に描いています。


自分は、それを何回も読んで全体のシナリオが見えるレベルで掻い摘んでいるに過ぎなくて(パブリックにできるギリギリのレベルという自己判断ですが.....)、5月の彼女のリサイタルの前に、ぜひ読んでもらいたい本と思ってこの日記にしました。この本を読み終わったとき、ほんとうに感動してしまい、ぜひこの感動を伝えたいとただそれだけを思っただけ。

またこういう人生の変遷の歴史を知りつつ、一連の彼女のCDを聴き込むと、よりエレーヌ・グリモーというピアニストの真髄がわかるような気がしました。

自分もグリモーのことは、プロフィール欄に書かれている表向きのことくらいしか見識がなかったので、この本を読んで、彼女の数奇な人生に本当に感動した次第なのです。

海外への音楽鑑賞旅行も、なにもヨーロッパだけに限ったことではなくて、アメリカもぜひ訪問したい夢があります。(ヨーロッパには、数えきれないくらい、何回も行っているのだが、アメリカには、なぜか縁がなく、生涯にかけて1回も訪れたことがないのです。)

そのときコンサートホールやオペラハウスだけでなく、番外編として、このグリモーの「ニューヨーク・ウルフ・センター」をぜひ訪問してみたい!

次回の日記では、彼女のディスコグラフィーを聴きこんでの試聴記を予定しています。ここで説明してきた彼女の作曲家の嗜好をそのまま録音として作品化してきた、その変遷の歴史、彼女の音楽観を理解しつつ聴き込む訳です。

つくづく思うのは、クラシック録音の王道のDGレーベルのピアノの録音がじつに美しいと感じることです!!!

【参考文献】グリモー、『野生のしらべ』、北代美和子訳、平成16年、ランダムハウス、2004年


私が選ぶ魅力的な現代女流ヴァイオリニスト [クラシック演奏家]

以前にも日記に書いたと思うが、ソリストはやはり女性のほうが華がある。男性ソリストは男性特有の魅力があってまた別次元で話すべきなのだと思う。自分は特に女性ヴァイオリニストが好きかもしれない。


もちろん女性ピアニストも大好きで、(結局女性ソリストが好きなんですかぁ??(笑))ピアノ自体が大きいので、ピアノ+奏者というフレームで捉えられる絵柄と、ヴァイオリンを持つ女性奏者という絵柄では、それぞれ違った魅力があるのだが、両方ともすごく魅力的。(間違った認識を持たれると困りますが、魅力がある楽器は、もちろんVnとPfだけじゃぁありませんよ。)

特にヴァイオリンは唄う楽器なので、オケをバックにコンチェルトを演奏する女性ヴァイオリニストは、オケをバックに歌うソプラノ歌手のように華があって共通点があるといつも思っている。

そんな中で現在の女流ヴァイオリニストで、自分が気になるソリストたちをピックアップしてみたら面白いと考えた。たとえばランキングというのは、自分がやるには、そういう風にランク付けしてしまうのは、ソリストに対して失礼だと自分は思うので、それは絶対やらない。だから自分がいま気になっているソリストたちをピックアップしてみたい、というだけである。(というか、アラベラ・美歩・シュタインバッハーとムターとを同じ土俵にのせることじたい、間違っていると思う。)

あと、このようにまとめることで、ある程度調査が必要なので、そこで知りたい情報が、彼女たちが使っている楽器と所属レーベル。これはまとめることで、俯瞰することができるので面白いと思った。オーディオファンにとって、ここが結構気になるポイントなのである。

大体これを調べてこのようにまとめるのに1か月くらいかかった。(海外旅行前でしたが。)

さらにそのソリストに対する自分の印象とコメントを少々だけど加えるとユニークになると考えた。

たくさん漏れているソリストたちもいっぱいいると思うが、あくまで今思いつく、ということが前提なのでご容赦願いたい。あと、邦人の女性ヴァイオリン奏者は対象に入れていない。これも別枠で話をするべきだと思う。

●アラベラ・美歩・シュタインバッハー

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PENTATONEレーベル。もう彼女については、今更説明することもない、と思う。自分にとっていま1番入れ込んでいるヴァイオリニスト。いま世界中をコンサートで駆け回っている人気者で、FBの彼女のページを登録しているのだが、その各国を駆け回っている多忙の日々がデイリーで報告されていて生々しい。

本当に去年の年末あたりから、急に垢抜けた感じで、どんどん知名度が上がっているような感じがする。来年の2月のN響とのチャイコフスキーのコンチェルトの公演もすでに完売ソールドアウト。人気が出るにつれてチケットも取りにくくなるのかなぁ、と思うと複雑な気持ち。でもS席が3800円なのである!(驚)なんと良心的なのだろう!彼女は今後ビッグになっていっても、近寄りがたい大スターというより、こういう我々に近い存在でいてほしいなぁと思ったりする。

使用楽器は、日本音楽財団より貸与されている1716年製ストラディヴァリウス「Booth」。


●アリーナ・イブラギモヴァ

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Hyperion レコード(ロンドン)。ロシア人の奏者(1996年にイギリスに転居)。
アラベラ様についで、非常に気になる存在。若手のヴァイオリニストの中ではピカイチの存在だと思う。今年、東京交響楽団とのコンチェルトでモーツァルトのVn協奏曲、そして王子ホールでモーツァルト・ソナタを体験したが素晴らしかった。期待にたがわぬ魅力的な奏者ですね。ただ、彼女自身、バルトークやイザイのようなストイックな曲風だととても似合っているのだけれど、メンデルソゾーンなどのロマンティック路線だとどうもぎこちないとうか、イメージに合わない感じがする。でもそれは経年とともに彼女が克服していくと思うし、キャリアが解決しますね。来年の3月のモーツァルト・ソナタはもう一回行ってみようと思っています。

使用楽器はゲオルグ・フォン・オペルから貸与されたピエトロ・グァルネリ(1738年)。


●ロザーヌ・フィリッペンス

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Channel Classicsレーベル。つい最近見つけたデビューしたての新鋭。オランダ人奏者。とにかく彼女に関する情報が少ないですね。オランダのハーグ王立音楽院、ドイツのハンス・アイスラー音楽大学でヴァイオリンを学び、2009年のオランダ国際ヴァイオリン・コンクールで第1位、また2014年のフライブルク国際ヴァイオリン・コンクールでも見事第1位に輝いた、というオランダの華麗なる経歴の才女である。まさにオランダのレーベルChannelc Classicsでは、自国のスターという期待の新鋭で、すでにこのレーベルを背負ってきたレイチェル・ポジャーの後釜のスターとして育てていこうという感じなのではないかな、と予想している。自分的にちょっと追っかけてみたい奏者。期待している。Channel Classicsから2枚アルバムをリリースしていて、2枚目のシマノフスキのコンチェルトは絶品で優秀録音でした。

使用楽器は、名ヴァイオリニストH・クレバースの愛器 Michael Angelo Bergonzi。


●二コラ・ベネディッティ

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DECCAレーベル。スコットランドの奏者。2004年にBBCのコンクールで優勝デビューして名を馳せた。2005年にDGと契約。アルバム6枚を出す。その後もいろいろ多数のオケとの共演、キャリアを積んでいる。まだ実演に接したことのないソリストで、魅力的な奏者に見える。FBの公式ページでは登録しているが、活動は盛んのようだ。問題なのは、そうなのに自分はCDすら1枚も持っていないので彼女の音を聴いたことがない、という事実だ。ちょっとこれは問題。至急に解決します。でもスゴク気になる奏者なのです。

いつか実演に接してみたい奏者である。

使用楽器は1717年製ストラディヴァリウス「ガリエル」。


●リサ・バティアシュヴェリ

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SONY/DG/EMIと多様。アナチェマンコ氏門下生。(アラベラ・美歩・シュタインバッハーやユリア・フィッシャーもそうです。)ベルリンフィルのヨーロッパコンサートにも出演。ゴローさんが一押しだった奏者だった。N響とも何回も共演している。(私は、ブラームスのコンチェルトで実演に接しました。)ゴローさんは自分の日記でも彼女のことをかなりプッシュしていたし、N響との共演の時は、毎回世話役をおうせつかっていたようだった。ブラームスのコンチェルトのときは、私とNHKホールのロビーでゴローさんと前半の感想会をやっていたにも関わらず、電話が鳴ってきて、「ゴメン、リサから呼び出しがあったんでまたね。」とか言って嬉しそうに戻っていった、なんてこともあった。(笑)

アナチェマンコ氏門下生の3人の中では1番格が上かもしれませんね

日本音楽財団貸与の1709年製ストラディヴァリウス「エングルマン」。
 
 
●レイチェル・ポジャー

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Channel Classicsレーベル。このオランダのレーベルを長年にわたって支えてきた看板スターである。どちらかというと、ピリオド楽器などのバロック系音楽を得意とする。来日経験はないと思う。まさにマイナーレーベルの雄という感じ。私は彼女の録音はスゴク好き。鮮度感とかエネルギー感がスゴク高くて優秀録音が軒並み多い。同レーベルの彼女のバッハの室内楽の録音は、私のオーディオオフ会ソフトの定番である。

ぜひ実演に接してみたい奏者なのだけれど、来日は難しいかなぁとも薄々感じたりする幻の奏者的な存在。

彼女に関する情報は、ほとんどネットでも拾えなくて不明なところが多い。なので使用楽器も不明。

●イザベル・ファウスト

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ハルモニア・ムンディ レーベル。 現代でも有数の実力派ヴァイオリニスト。彼女はいわゆる実力派タイプで、人気が後になってついてきたという感じで、今はもう最高潮なのかもしれない。いわゆる玄人筋受けする奏者で、評判が高い。


じつは去年芸劇で実演に接したが、じつはイマイチだった。(^^;;

立居姿、演奏する姿勢が非常に悪く、音色もパッとしなくて、これが噂のイザベル・ファウストかぁ、という感じであった。まずその立居姿であるが、ヴァイオリン弾く姿勢が、体をよじったり、前かがみになったり、少し屈んだりして、格好が良くないのだ。やはりヴァイオリン奏者というのは、その立居姿もきちんと絵になるというのもひとつの条件のように自分は思っている。そして彼女の音色。ファウストのヴァイオリンの音量が小すぎる。オーディオ仲間の話でもオーケストラと共演のファウストの音を寒色系の薄くて小さい音という印象を日記で書いていた。どの曲もテンポはやや遅めで、音楽の流れが今ひとつ。

どうも自分の周りのファウストに対する印象で、よかった、という印象はほとんどないのだ。(上記のような印象ばかり。)
 
ファウストは優れた録音演奏家であるが、優れた実演演奏家ではないのではではないか。期待が大きかったので、その分失望もあった。


いわゆる求道的タイプな演奏家で、評価も高いので、ぜひリベンジをしたいと思っていて、来年1月の都響とのコンチェルトに馳せ参じようと思っている。あと王子ホールでのリサイタルにもぜひ行きたかったのだが、チケットを取り損ねた。これでダメなら、やはり自分も含めたいままでの印象は正しいということになる。

使用楽器はストラディヴァリウス「スリーピング・ビューティ(1704年製)」。


●ヒラリー・ハーン

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DG(ユニバーサル)レーベル。アメリカ人奏者。もう彼女もいまさらなにを言わんや、という感じである。もう数えきれないくらい実演に接してきた。そしてオーディオでも彼女のCDはたくさん持っていて、擦り切れるくらい聴いてきた。最初はちょっと外見的に冷たいクールな感じに見えて、そこにちょっと食わず嫌いのマイナスイメージを持っていたのだが、彼女のシベリウスのVn協奏曲の録音が自分を変えた、というか、あの録音でいっぺんに彼女の虜になった。あのシベリウスのコンチェルトの録音は、いまでも自分の中ではシベリウスの近代演奏録音の中でベストワンでもある。そして引き続きブラームスの協奏曲も虜になった。

そこから狂ったように実演に接してきた。来年にもまた来日してくれるようなので、ぜひ行ってみたい。

使用楽器は、パガニーニの所有していた'Cannone'のコピーであるヴィヨーム (Vuillaume) の1864年製。


●ユリア・フィッシャー

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DECCA/PENTATONE レーベル。ドイツ人奏者。もう我々オーディオマニアの中では、超有名人であるので、これも説明不要だろう。PENTATONEレーベルの初代マドンナである。彼女の録音はオーディオオフ会の定番ソフトであった。コンクール歴がスゴクて、8つの国際音楽コンクールのすべてで優勝(うち3つはピアノでの受賞)。ヴァイオリンとピアノの両刀使いである。でも彼女の本質は、ヴァイオリンのほうにある、と思う。

DECCAに移籍してから、自分的にPENTATONE時代にあった張りつめた緊張感というのがなくなったという感じで、サウンド的にもピンとこない。日本への来日経験はないと思う。生涯で1度でいいから実演に接してみたい奏者である。

使用楽器は、現代ヴァイオリン製作者フィリップ・アウグスティン(Philipp Augustin)の2011製。


●ジャニーヌ・ヤンセン

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DECCAレーベル。オランダ人奏者。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、など数々の輝かしい演奏経歴があって、着実な道を歩んできている。

自分も、彼女の録音をかなりの枚数持っていてオーディオではかなり聴きこんでいる。非常にスタンダードなクセのない正統派の弾き方をする奏者だなとも思っていたが、ただ自分にとって刺激になるようなピンと来るものがなくて、いままでのめり込めていなかった、という引け目を感じていた。

美人であるし、腕も確かなので、あとは自分にとってのインパクトがどこまであるのか、というそこが問題であった。

2012年11月には日本での初めてのリサイタルを開催している。

じつは来年2月には来日を果たしてくれるようで、これはぜひ行きたいと思っている。彼女の魅力をたっぷり堪能して解析してみたいと思う。ぜひのめり込んでみたい。

使用楽器は、エリーゼ・マティルデド基金から貸与されている1727年製ストラディヴァリウス「Barrere(バレール)」。


●ヴィクトリア ムローヴァ

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Onxyレーベル。ロシア人の奏者。ソナタものよりもヴァイオリン協奏曲などのジャンルの録音を多く残している。じつはクラシックだけではなくてジャズやポピュラー音楽などにもチャレンジしており、結構クロスオーバー的なスタンスのアーティストでもある。

彼女はバッハのヴァイオリン協奏曲のCDを購入して聴いた。素晴らしい演奏と録音であった。でもそれ1枚だけであり、実演にも接したことがないので、ぜひ来日公演を果たして実演に接してみたい奏者である。


愛器は、1723年製のストラディヴァリウス「ジュールズ・フォーク」。準バロック様式の弓を用いている。バロック音楽の演奏会では、別の古楽器グァダニーニも使用している。


●チョン・キョンファ

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EMIレーベル。韓国人奏者。まさに1960年代からの奏者で女王と言っていい経歴と貫禄がある。
イギリス人と結婚してイギリスでの演奏活動になった。

1970年に開かれる慈善ガラ・コンサートへの出演の誘いを受け、この演奏会で、チャイコフスキーの協奏曲を弾き、イギリスの新聞から「ジネット・ヌヴー以来、こんな素晴らしいヴァイオリニストを聴いたことがない」「満員のお客のしつこい拍手喝采以上の価値が本当にあったのだ。果たしてハイフェッツがこれよりも巧く奏いたかどうか、疑問に思う」といった賛辞を受け、英デッカ・レコードと録音契約を結び、年に100回以上の演奏会を行うトップ・ヴァイオリニストとなった。

今年、チョン・キョンファのVnリサイタルをサントリーホールで聴いてきた。足を大の字に広げて、膝を曲げながら体を揺らしダイナミックに弾く彼女。やっぱりいまどきの美女系などを寄せ付けない風格というか貫禄があった。

使用楽器は不明。


●アンネ・ゾフィー・ムター

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DGレーベル。ドイツ人奏者。トリはやはり彼女がふさわしいと思った。まさにヴァイオリンの女王である。カラヤンに見いだされ、スターダムに上がっていき、カラヤン亡き後も、まさにトップ奏者として現在に至る。彼女の実演ももう何回接しただろうか、そしてCDも何枚持っているだろうか? もう今さらこの狭い紙面では語りつくせないものがある。もう自分のクラシック・ヴァイオリンの基本のような人である。


最近では数年前にサントリーホールでバッハのヴィヴァルディ四季の演奏会と、さらに演目は忘れたがこれもサントリーのリサイタルで足を運んだ。

彼女が来日するときは、必ず足を運ぼうといつも思っている。

以前、女性は経年のほうが絶対色艶が出てきて美しくなる、という持論を展開したが、その最先鋒とも言える人がこのムターのことを言っていたのだ。

13歳でカラヤンに見いだされたときは、正直芋ねーちゃんだった。これが最近になるにつれて、見違えるようになってどんどん美しくなっていて、ヴァイオリンの女王としてふさわしい威厳ある美女になっていった。

これからもずっと女王として君臨していってほしいものである。

使用楽器は、彼女は2丁のストラディヴァリウスを所有している。1つは1703年製「エミリアーニ(Emiliani)」、もう1つは1710年製「ロード・ダン=レイヴン(Lord Dunn-Raven)」。

いかがだろうか?ランク付けはしないけど(というかできない)、自分がいま頭の中に浮かんでくる現代の女性ヴァイオリニストである。1か月かけてまとめあげた大作です。(笑)

また新しい新星など発見できるとまたうれしいですね。

自分も1か月もかけて、このようにまとめあげると、今まで漠然と頭に会った業界図式がきちんと整理できたような気がして気分がいい。でもあくまで自分の嗜好に合った奏者だけを集めたものですので、ご了承ください。(笑)


ボウイング [クラシック演奏家]

最近、ノンノンさんはやっぱりソリストは女性奏者のほうが好きなんですか?とよく聞かれる。

その通り!(笑)

日記で取り上げるのは確かに圧倒的に女性奏者ばかり。特にアラベラ様をはじめ、女性ヴァイオリン奏者には目がないかもしれない。思うのは、男性の立場から言わせてもらうと、やっぱり女性ソリスト奏者というのは、絵になるというか華がある。

ピアノの女性奏者もスゴイ魅力的。ピアノ自体が大きいので、ピアノ+奏者というフレームで捉えられる絵柄と、ヴァイオリンを持つ女性奏者という絵柄では、それぞれ違った魅力があるのだが、いやぁ、でもやっぱり両方魅力的だ。

女性奏者の場合、特にフォトジニックである要素と、求道的な演奏力の要素と両方が求めらるケースが多いと思うが、魅力的な女性奏者は不思議とこの両方を満たしているタイプが多いと思う。

プロスポーツなどでもバレーボールやテニスは男性、女性とあるが、やっぱり女性のほうが見ていて視覚的に華がある。でも男性は、反面とにかくその圧倒的なパワー、スピード、これには本当に驚いてしまう。

これってクラシック音楽の世界でもそのまま当てはまるような気がする。

ピアニストであれば、先日取り上げたマツーエフ、彼の実演に接したときは、乱暴なんだけれど、これだけのダイナミックレンジを叩き出すのを目の前にすると、女性奏者では絶対叶わないダイナミズム、躍動感をひしひしと見せつけられるというか......

男性ヴァイオリニストで、そんな異次元の魅力を感じるのが、レオニダス・カヴァコス。

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日本ではたびたび来日してくれるのだが、自分が思うには、そのむさ苦しい風貌(失礼)からなのか、どうも人気がいまひとつのような気がする。

レオニダス・カヴァコスはギリシャ人のヴァイオリン奏者で、かなり前になるが BISレーベルで シベリウスのヴァイオリン協奏曲の初稿版をリリースして話題になった。そのシベリウスや 数年前ではカメラータ・ザルツブルクと共演したモーツァルトのヴァイオリン協奏曲集がソニーから国内盤も出ている。(最近はちょっと追っていないが.....)
 
シャイー&ケヴァントハウスとも良きパートナーで日本(サントリー)にも来日してくれて、聴きに行ったし、2012年の訪欧ではアムステルダム・コンセルトヘボウで彼らをシベリウスのコンチェルトで聴いたことがある。

そう言えばN響定期公演でもカヴァコス観たさにNHKホールで、これまたシベリウスのコンチェルトを聴きに行ったことがある。

結構自分にとって縁の深い奏者なのである。

彼の実演を観て圧巻と思うのは、そのボウイングとその音程の良さ。

右手の弓が弦に吸い付くようなボウイング。
一例をあげれば ヴァイオリンの重音奏法。
二つの弦を同時に弾けば、理論的には 音量が2倍にすることが可能のはず。
でも現実は そうではなく3度やオクターブの重音で動くパッセージでは、しばしばヴァイオリン独奏がオーケストラにもぐってしまうことが多い、とよく聞く。

ところが カヴァコスの重音奏法は 音程が素晴らしく良いので本当に独奏ヴァイオリンの音量が2倍になったかのようにオーケストラを圧して くっきりと大ホールに響きわたるのだ。 

レコーディング、録音で聴くと 技術的な完璧さは あたりまえの成果のように思え、それほどビックリしないが、変幻自在のボウイングによる彼のダイナミックな表現力は、やっぱり生演奏を聴かないとそのスゴサはわかりえないと思う。

何回も彼の実演に接しているからこそ、わかるスゴサなのだ。

トーマス・ツェートマイヤー
フランク・ペーター・ツィンマーマン
クリスチャン・テツラフ
それに レオニダス・カヴァコス

先日のヤノフスキ&ベルリン放送響のサントリー公演で、ツィンマーマンを聴いたが、もうヴァイオリンの音色がスゴイ音量で、ヴァイオリンでこれだけ絢爛でゴージャスな音色を聴いたことがない、とまで思わせ驚いた。

こうしたヨーロッパの素晴らしい男性ヴァイオリニストたちになかなか日本の音楽ファンの耳が向かないのは 残念ともいえる。

ピアノもそうだけれど、ヴァイオリンも男性に弾かせると、そのダイナミズム&パワーな魅力で、女性奏者にはなし得ない瞬発力、爆発力の魅力があるのだが、でもやっぱり自分もそうなんだけれど、どうしても視覚的美しさのほうに弱いのかなぁ。(笑)


仲道郁代さん [クラシック演奏家]

今日は立ち直れないくらいショックなことがあった。

緊縮財政のためにコンサート通いを控えめにすると宣言しておきながら、11月にフィリアホールである仲道郁代さんのリサイタルのチケットを取っていたのはいいけれど、セブンイレブン引き取りにしていたのを期限が過ぎているのを知らず、パーにしてしまった。(^^;;

慌ててもう一度取ろうと思ったら、さすがに人気者、ソールドアウトであった。(泣)

じつはもう一枚来年の2月のサントリーでの公演を取ってあるのであるが、でも来年の2月は遠いなぁ。

仲道さんは、ずっと昔からファンなので、定期的にコンサート通いさせてもらっているのだが、ここしばらくご無沙汰していたので、久し振りにと思っていた。

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調べてみれば、去年の軽井沢大賀ホールでの春の音楽祭でのリサイタル以来。

そのときのコンサートの進め方は、普通と違って、1曲1曲弾き終わる度に、マイクでMCをやる、というスタイルでおこなわれた。いかにもメディア向きの彼女ならでは、と思った。

仲道さんは、本当に可愛らしい美人なお方で、それでいてトークなども非常に流暢なおしゃべりなので、非常に頭のよい方なのだと思う。NHKなどのクラシック番組でも頻繁にお見かけするし、TV,メディア向きのお方なのだろう。

また自分の友人にピアノの調律師の方がいらっしゃるのだが、「どこの馬の骨ともわからないスタッフの自分にも頭を下げて挨拶をしてくれました。」と感動していたと同時に大変恐縮していたようだ。そのお人柄がよく偲ばれる。

生前ゴローさんとも大変親交が深くて、いろいろ仕事をいっしょにされていた。記憶に新しいところでは、NHKでショパンの記念イヤーの年に、愛娘さんとショパンの祖国ポーランドに渡って、ショパンに纏わる名所巡りや当時のピアノ(確かプレイエルピアノ)を弾くという番組をいっしょにやっておられた。

またステレオサウンド誌では、仲道さんの家のリビングに置くスピーカーを選ぶという企画で、ゴローさんがスピーカーを何種類か選んできて、仲道さんに聴かせて、その音の印象を語ってもらい、どのスピーカーにするか選らぶ、という特集があったのを覚えている。

音色の印象などしっかりと述べられていた印象があり、それもオーディオマニア的なガチガチな理系コメントではなく,いかにも演奏家ならではの感性の鋭さというか、芸術的センスの良さを感じるものだった。

仲道さんのピアノ練習室にはGOTOユニットで構築されたスピーカーがあるのだ!(驚)結構オーディオセンス溢れるお方なのである。

GOTOで組まれたスピーカーは、極上のピアノの音色を奏でることで有名で、ピアノの音色にうるさいオーディオマニア間でも評価が高い。同じピアニストでは清水和音さんの練習室にもGOTOがあったと記憶している。自分もゴロー邸のGOTOユニットで組まれた自作スピーカーを生涯で1度は聴いておきたかったが、叶わぬ夢となってしまった....(弟さんが引き継いでいるそうです。)

コンサートでは、マニアックな曲というより、どちらかというと万人受けする非常にわかりやすい演目が多い。ショパン、モーツァルト、ベートーヴェンあたりが定番でしょうか.....

自分が持っているCDはどんなものがあったか調べてみると、とりあえずこの3枚が見つかった。(もっとあったはずだが、膨大なラックから探し出すのが不能。(^^;;

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日本コロムビアDENONから有田正弘さん&クラシカルプレイヤーズ東京とのショパンのコンチェルト。(プレイエルピアノで演奏)そして、なんと!パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツカンマーフィルとベートーヴェンのコンチェルト全集を作っていたんですね。

今日は家の中でこれらを聴いて癒されておりました。

写真は、大賀ホールでの仲道公演の後に、大賀家にずっと所蔵されていたスタンウエィをこの日を契機に、この大賀ホールに寄贈したい、との申し出が大賀夫人のほうからあり、その授与式がおこなわれた模様。

ステージでは、大賀ホールの館長から奥さんが感謝状を授与されるセレモニーがあった。奥さんは、マイクで、旦那さんがつま弾くときぐらいしか使っていなく、亡くなられてからはまったく使用されていなくて死蔵状態だったとのこと。これを機会にぜひこのホールの公演で使ってほしいと仰られていた。

大賀さんは若手の演奏家の育成を非常に重要視していて、このホールではそういう意味もあって安価なチケット代金で良質なコンサートを楽しめるように、という配慮のある運営がされている。この寄贈されたスタインウェイ、将来を夢見る若手の演奏家にどんどん使ってほしいと思う。またそうすることが大賀さんの意図するところでは、思うのだ。

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エルムの鐘交響楽団 [クラシック演奏家]

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ソニー時代の同期の友人から、こんな情報をもらった。

1994年、わが母校である北海道大学交響楽団OB有志が発起人となって活動を開始したアマチュアオーケストラで、「エルムの鐘交響楽団」と称して、東京都内で活動しているらしい。

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なんでも今の職場の目の前に座っているおじさんがチェロで出演するんで券をもらったので半分義理で期待せずに行ったけど結構楽しめた、とのこと。

私が北大OBということで、気を利かしてその存在を知らせてくれたのだ。

いまも北大に学生オケがあったかどうか定かではないが、こういうOBが集まって、しかも都内で活動しているなどとは夢にも思わなかったので、なんかうれしい気分。

でも実際は、約90名の団員のうち、北海道大学交響楽団OBは約3割にすぎず、 大部分はこのオケの「音色にこだわり、アンサンブルを楽しむ」という ポリシーに共感して集まった仲間たち、というのが実情のようだ。

また、読響の元ソロ・コンサートマスターである藤原浜雄氏を招いた「アンサンブル合宿」、金管アンサンブルなど、演奏会以外の活動も活発に行っている。さらには2013年には、イタリア・ビトント市で特別演奏会を開催した、というから、そういう国際的な活動もやっているとは驚くばかり。


北海道大学には、時を告げるためにエルム(ハルニレのこと)の木に ぶら下げて使っていた「エルムの鐘」というのがある。(確かに私の在学時代にもその存在は知っていた。)

設立の際、発起人たちの「北のロマンチシズム」を表現したい というこだわりを象徴する名前として、「エルムの鐘交響楽団」としたようだ。

演奏曲目も、北の大地のオーケストラらしく、北欧・ロシアものなどのほか、普段アマチュアが取り上げる事の少ない曲目にも積極的にチャレンジしている。

いままで30回程度の公演をやっているようで、東京中野区の「なかのZERO大ホール」で開催される。

楽団員募集もやっている。自分はオケ経験はないし、楽器も弾けないけれど(中学生までクラシックピアノを弾いていました。だから、おたまじゃくしは一応読めます。ブランクはあるけど(^^;;)、ここに参加している人たちは、普段は自分の仕事を持っている人たちの集まりで、それとは別にこのような活動をやっていらっしゃる方々だと思うので、それはとても素敵な人生を送っているのでは、とも思える。

次回の公演は、10/11のなかのZERO大ホールで、スメタナ、マデトヤ、シベリウスなどをやるようだ。残念ながら、この日は、自分はヨーロッパにいるので、参加できない。

またその次回に期待しよう。

なんかほっこりするような心温まる情報をもらったような気がする。

エルムの鐘交響楽団の公式なHPのリンクを貼っておきます。(上記の私のこの楽団の紹介の説明文は、この公式HPの記載を参考にさせていただいております。)

http://boeso.web.fc2.com/next_concert.htm


NDR(北ドイツ放送響) [クラシック演奏家]

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来週6/3よりいよいよNDR&アラベラ・美歩・シュタインバッハーの全国ツアーが始まる。

彼らは、いま中国、韓国ツアーの真っ最中。(PENTATONEのページに写真付きで生々しく(笑))アジアツアーと称して、中国、韓国と回って、そして最終に日本に入ってくる、という感じ。

もういまからドキドキである。

昨日のカウフマンのリサイタルで溜池山王駅からサントリーに行く地下通路の中に、こんな掲示板が!私もFBから知ったのであるが、確かにあった!

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掲示板にあるスポンサーに名を連ねている一連の名前を見ると、いろいろ思い当たることがあって、至極真っ当というか、この方々のおかげで我々がこうして楽しめるのだなぁと感謝したりもする。


そこでアラベラ様の新譜を始め、毎年恒例のアラベラ様のほうの紹介をしてきたが、肝心のNDR (北ドイツ放送響)についても、自分なりに書かないと思っていた。

よかった!本番が始まる前に間に合って.....!

FBで今回のツアーの招聘元であるKAJIMOTOさんのページでもシリーズでNDRが紹介されていたので、興味深く拝読していた。

NDRは今回含めてもうすでに10回も来日しているんですね!

さらには2012年には、先日水戸室定期で素晴らしい演奏を披露してくれた竹澤恭子さんをソリストに迎えて来日公演をやっているらしい。

驚きでした。じつは自分は1度も彼らの実演に接したことがない。

やっぱりSNSの威力って大きい。FBは個人間のコミュニケーションツールという役割以上に企業の広告ツールとしての効果が抜群だと常日頃感じる。自分はFBはクラシック業界とつながるためのツールという位置づけで使っていて(ふだんの仲間とはmixi)、このFBから入手する情報ってすごい早いし、豊富だし、ホントに便利な時代になったとつくづく感じる。

FBを始めたのがつい最近なので、それより昔の頃で自分に入ってくる情報は、自分から探しにいかない限り、限られていた。だからNDRが過去に10回も来日しているなんて、全く知らなかった。(笑)


自分にとってNDRと言えば、真っ先に思い浮かぶのが、ギュンター・ヴァントであった。
ラックの中を探してみたら、この3セットが見つかった。

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この中でもRCAのベートーヴェン交響曲全集はすばらしいセットで、いまは廃盤で中古市場でも幻のお宝セットとしてプレミアがついている。録音も素晴らしくて名演奏としても堂々と唄える部類だと思う。

ギュンター・ヴァントという人は、最晩年のベルリンフィルとのブルックナー交響曲選集も素晴らしくて評価が高いが、この人の本筋というか、1番この人の色が出ているのが、このNDR(北ドイツ響)やケルン放送響と残してきた一連の作品群、全集ではないかと思っている。

だから自分は、ヴァントを通してきてしか、NDRのことを知らない。(しかもオーディオを通してしか。)

KAJIMOTOさんの特集によると、過去の来日した時のNDRの指揮者は、下記の通り。

1987年    シャルル・デュトワ / 朝比奈 隆
1990     ギャンター・ヴァント / クシシュトフ・ペンデレツキ
1997     ヘルベルト・ブロムシュテット
2000年5月     クリストフ・エッシェンバッハ
    11月    ギュンター・ヴァント
2003     クリストフ・エッシェンバッハ
2005     アラン・ギルバート
2007     クリストフ・フォン・ドホナーニ
2012     トーマス・ヘンゲルブロック

蒼蒼たるメンバーである。
現在の首席指揮者は、トーマス・ヘンゲルブロック。 
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ドイツ人の指揮者で、元々はヴァイオリン奏者だったようだ。アーノンクールのあのウィーン・コンツェントゥス・ムジクスに参加したりで華麗な演奏経歴を持っていて、1985年あたりから指揮を担当するのようになってドイツのハルモニア ムンディに多くの録音を残している。

NDRの指揮者に就任したのは、2011年というから、ヘンゲルブロック体制も今が脂がのってきたいい時期なのかもしれない。

NDR(北ドイツ放送響)は北ドイツ・ハンブルクに本拠を置くオーケストラである。1945年結成というから名門といっていい。その名の通り、北ドイツ放送協会の放送オーケストラである。

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本拠地は、ハンブルクのライスハレ。

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こんな素晴らしい名門オケが、もう10回も来日していて(初来日は自分が社会人1年生のとき!)、1回も実演に接したことがないなんてなんて勿体ないことをしていたのだろう!と思う。

SNSのなかった時代だから仕方ないよな、と自分に言い聞かせたり......

今回、このヘンゲルブロックが指揮するNDRの公演を3回も聴けるのだから、いままでの分を取り返そうといったところだろうか。

そんな背景もあるので、どういう演奏をするオケなのか、どのようなサウンドなのかはオーディオで彼らの最新録音を聴いてまず判断するしかない。

そこで最新録音の下記の3枚を購入。(現在の彼らはソニー・ミュージック)

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今回のツアーで演奏されるマーラー1番と、シューベルト8番、ドボルザーク4番。

全般を通して感じるのは、素晴らしい演奏力を持ったオケであることは1発でわかった。そのサウンドがそのことを雄弁に語っている。

弦の厚み、木管の色彩感溢れる嫋やかな音色、安定した金管など繰広げられる旋律と、それらの旋律がこのように時系列でうまく配置されて聴こえてくるのを聴けば優秀なオケであることが想像できる、というもの。

まぁ勝手な想像であるが、戦車なみの重量級サウンドのオケという感じではなくて、もう少し軽めのミドルクラスのオケかな?というイメージが、その音色を聴いていると湧いてくる。切れ味は結構鋭い。

本番で演奏されるマーラー1番であるが、マーラーにうるさいマーラーフリークの自分にとって、実は、ちょっとというか、かなり違和感があった。最初かなり録音が悪いな、と思ってしまった。(笑)聴いていて、普段聴いていた1番のように気持ちよく聴こえてこないという感じで不思議であった。

後で確認したところ、彼らが採用するのは、1893年ハンブルク稿・5楽章版というものであることがわかった。まだ誰も聴いたことがないハンブルク稿ということである。

このことを知らないで、本番の演奏を聴いて、いつもと違うと言って、酷評の日記を書いたら大恥を掻くところであった。(笑)

本当に力のある有能なオケ、本番が楽しみである。

本番に向けて壮行という感じで〆たいところであるが、へそ曲がりな自分には、ちょっとまたお小言言っていいですか?

ソニーの録音がどうも自分にはイマイチに聴こえてしまう。ソニーの技術であるBlu-Spec CD(BDの光学系でCDを読む。)なのだが、どうもナローレンジに聴こえてしまう。

Blu-Spec CDとか関係なくて、録音収録、編集の段階での問題のように感じる。オケの音が薄いというか密度感がない(情報量が少ない)、ように聴こえる。

試しに古い時代の録音であるヴァントのベートーヴェンを聴くとワイドレンジというかオケの音が厚い(情報量が多い)のである。確かにSACDとCDの違いがあるかもしれないけれど、そういう問題を遥かに超えたところでの問題のように感じてしまう。

3枚ともそう。聴いていて、なんかそういうイメージを自分はずっと持っていて、釈然としないところがあった。(まぁ自分の2ch再生能力が乏しいのかもしれません......テキトーにスルーしてください。)

はたして、アラベラ様とヘンゲルブロック&NDRのコンビネーションは?

もういまからワクワク・ドキドキして期待いっぱいで胸を膨らませています!

いつまでも記憶に残る素晴らしい公演でありますように!


ピアニスト高橋望さんの「バッハ ゴールドベルク変奏曲をライフワークに」のご紹介。 [クラシック演奏家]

埼玉県秩父市を中心に活動されているピアニスト高橋望さんのイベントに関してのご紹介です。
私のようなブログでは、あまり宣伝効果にならないかもしれませんが(笑)、1人のお客様でも多くの方に参加していただけると幸いです。

去年、音楽ジャーナリストの池田卓夫さんの紹介で、伊藤憲孝さん、高橋望さんのデュオを紹介され、秩父で連弾のコンサートに参加してきました。その時以来、高橋さんとはよいお付き合いをさせていただいております。(伊藤さんとは、mixiのほうで数年前からのお付き合いです。)

今回、高橋さんは、バッハのゴールドベルク変奏曲を、自分のライフワークにしていこう、と決意なされ、その第1歩として今回のイベントを発起したとのことでした。

イベントは、2日に分かれ、1日目は、いわゆるトーク付き勉強会。高橋さんのトークを交えてゴールドベルク変奏曲の魅力を存分に紹介するという趣旨で、常日頃、楽譜が読めないのだけれど、というような方にもわかりやすくその魅力について説明いただけるとのこと。

そして2日目が、リサイタルになります。私もゴールドベルク変奏曲は、とても好きでグールドはもちろんいろいろな演奏家のCDを聴いてきました。高橋さんがどのような解釈で、いろいろご披露していただけるのか、とても楽しみにしています。

1日目の勉強会は予約が必要とのことです。2日目のリサイタルは、もちろんチケット購入が必要です。私は、両日ともぜひ参加しようと思っております。みなさんもぜひ、参加していただけることを切に願っております。素晴らしいピアニストの方です。

このイベントに関して、高橋さん自身がインタビューに応じたユーチューブ動画をアップしておきます。今回のイベントの趣旨がよくわかると思います。

「クラシックニュース 高橋望 ゴルトベルク変奏曲をライフワークに」

https://www.youtube.com/watch?v=fjh4Ae4mzfs 

イベントの詳細は下記の通りになります。

■1月17(土)ゴルトベルク変奏曲勉強会 (東京 虎の門 B-tech Japan)

[開演時間] 第1回 14時~15時30分(余裕あります)  第2回 16時~17時30分(残席些少です)

[出演]高橋望(お話)  *お早目にお申込みください。

[内容]ゴルトベルク変奏曲のココがスゴイ!~楽譜の読めない方にも分かり易くお話します。

[協力]㈱B-tech Japan
[参加費]]無料 

[対象]1月31日のリサイタルのチケットをお持ちの方
[ご予約が必要です]→事務局049-283-2439まで

■1月31日(土)ピアノリサイタル(東京、四谷区民ホール 15時)

[出演]高橋望(ピアノ)
[曲目]バッハ ゴルトベルク変奏曲
[チケット]一般3000円、学生500円 発売中!

[主催]クラシックに親しむ会
[後援]パルマタイの会、㈱B-tech Japan、
社団法人日本クラシック音楽協会
[チケット販売]イープラス→
http://eplus.jp/sys/T1U89P0101P006001P0050001P002137508P0030001P0006


東京文化会館チケットサービス03-5685-0650


アラベラ・美歩・シュタインバッハーのインタビュー特集 [クラシック演奏家]

12月の来日が迫ってきているアラベラ・美歩・シュタインバッハー。今一押しで自分的には1番旬なヴァイオリニスト。

ミュンヘンでドイツ人の父親と日本人の母親との間に生まれた日系ハーフのソリストで、PENTATONEが絶賛売出し中の看板娘である。
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(この写真は、クラシック情報専門誌 月刊「ぶらあぼ」でのインタビューでの、写真家:中村風詩人さんの撮影されたお写真から拝借して参りました。)

来日を迎えるにあたって、各メディアが彼女のインタビューをおこなっていて、それが一斉にパブリックになった。

1981年生まれの彼女は、現在33歳。決して若くない。デビューも2000年頃だ。結構中堅どころなのだが、いままで日本での知名度というか露出が少ないので、新鮮な存在に感じる。

メディアによる演奏家の扱いというのは、私見であるが、その演奏家人生にとって、必ずはじける瞬間というのがあって、彼女がいまそういう時期なのではないか、と思う。

PENTATONEでのデビューは随分昔みたいで、HMVを眺め見ていると、結構彼女のアルバムはいっぱい出ている。(知らなかった。(^^;;)) その当時は、ユリア・フィッシャーが鎮座していたので、彼女はサブ扱いだったのかもしれないが、ユリアが去った今、まさにPENTATONEレーベル挙げて彼女をプッシュしている。

FBで彼女のページを登録しているのだが、頻繁にタイムラインに彼女のデイリー・レポートが流れてくるのだが、連日によるヨーロッパコンサート、そして次の新しいアルバムのためのセッション録音など、大活躍だ。

なんとPENTATONEの彼女の次のアルバムは、デュトワ&スイス・ロマンド管とのコンチェルトで、スイス・ジュネーブのヴィクトリア・ホールで録音作業をおこなっている。

これがFBで掲載されているそのときのセッションの模様。(FBでの彼女のページから拝借してきたものです。)
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なんか彼女の写真をみると、ちっちゃな女の子という感じ(笑)で、大人の色気という感じではなさそうなのだが。(笑)
でもこのオケで、このホール、いかにもPENTATONEのお得意という感じで、しかも自分的にも気になっている組み合わせなので(近年にぜひ訪問予定)、このネクスト・アルバム、とても楽しみだ。

インタビューは、彼女の幼いころに育った環境などの想い出から、音楽観、人生観、そして自分のレパートリーに対する考え方など、演奏家としての彼女の全貌がわかる感じで大変興味深い。

現在はミュンヘンに暮らしている彼女であるが、、母の国である日本は当然ゆかりが深く、子供のとき夏休みに東京・金町(なっなんと!!!)の祖父母の家を毎年訪れていたそうだし、鎌倉や親戚のいる大分の臼杵も好きだ、とのこと。

親近感が湧く。

オーディオで聴く彼女の音色は、ユリアのド派手な音色に比べると、幾分、乾いた感じの乾燥質な音色に聴こえるのが気になる。録音のトータルな出来栄えとしてはいい、と思うのだが。

彼女の愛器は、日本音楽財団貸与のストラディヴァリウス「ブース」(1716年製)。

この楽器の音色が実際の生演奏で聴くと、どのように聴こえるのか楽しみだ。そして彼女の立ち振る舞いなどの演奏姿、きっと映えるんだろうなぁ、楽しみ。

そんな彼女の来日スケジュール。 (すみません、これも「ぶらあぼ」さんからの拝借です。(^^;;))

リサイタル
12/3(水)18:45 愛知県芸術劇場コンサートホール
中京テレビ事業052-957-3333

12/4(木)19:00 トッパンホール
トッパンホールチケットセンター03-5840-2222

12/5(金)19:00 フィリアホール
フィリアホールチケットセンター045-982-9999

12/6(土)14:00 川口総合文化センターリリア
リリア・チケットセンター 048-254-9900

飯森範親(指揮) 日本センチュリー交響楽団
12/9(火)19:00 ザ・シンフォニーホール
曲/メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
センチュリー・チケットサービス06-6868-0591

シャルル・デュトワ(指揮) NHK交響楽団
12/12(金)19:00、12/13(土)15:00 NHKホール
曲/ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」
N響ガイド03-3465-1780

当初は、トッパンホールだけの公演に行こうか、とも思ったが、結局フィリアホールでのリサイタル(これは、ぴあでは売っていなくて、フィリアホールでのHPから購入します。)、そしてぜひ彼女のオケとのコンチェルトも聴いてみたい、と思い、N響とのコンサートも行くことにした。

全部で3公演!
今年の芸術の秋は、これかなぁ。

いま1番はじけている彼女としては、もうひとつの母国である日本での晴れ舞台となりそうだ。

こちらが、そのインタビュー記事。 ぜひ、ぜひとも読んでみてください!

クラシック音楽情報誌 月刊「ぶらあぼ」
http://ebravo.jp/archives/13646

フィリアホールでのHP
http://www.philiahall.com/html/interview/Interview141205.html

アラベラ・美歩・シュタインバッハーのプロフィール
http://www.pacific-concert.co.jp/foreigner/view/49/

安永徹さんの近況 [クラシック演奏家]

去年、mixiのコミュニティの「安永徹」の管理人が不在だったので、立候補しようと思ったら入会日数不足でだめであった。本日久しぶりに覗いてみたら、まったく盛り上がっていない。(笑)トピックスがひとつだけ立っているだけでほとんど白紙状態。原因を考えてみたら、コミュの開設日が2010年5月5日で、安永さんがベルリン・フィルを退団したのが2009年。いわゆる日本に帰国してからの活動の情報がまったく取れないのが原因だと思う。

聞く筋からだと、北海道の旭川にログハウスを所有していて、そこで奥さんのピアニストの市野あゆみさんとともに室内楽活動を北海道を拠点におこなっている、とのことだった。

安永徹さん
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奥さんのピアニストの市野あゆみさん
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確かにあれだけ輝かしい経歴の持ち主ながら、帰国後、ほとんどメディアへの露出はない。ネットで検索しても、ほとんどそれらしい記事が出てこない。軌道に乗るまで時間がかかるのかもしれないが、すごく不思議だ。

本日久しぶりにネットで検索してみたら、なんと!それらしき記事を発見!東京都新宿にあるアーツ・プラン株式会社というところが、安永徹・市野あゆみコンビのマネジメントをしているようで、その活動の予定が網羅されていた。

嬉しい!やはりマネジメント会社は東京にないと駄目なんだろうなぁ。活動の場は北海道だけではなく、全国に渡って、いろいろな場所を回っているようだ。

しかもプロフィール情報を見ると、安永さん、現在は洗足学園音楽大学・大学院客員教授に就任している。奥さんの市野あゆみさんも同じく洗足学園音楽大学・大学院客員教授だ。

.....ということは、現在のお住まいは北海道旭川ではなくてやはり東京?それとも旭川に住みながら、東京に出向いている?でも奥さんも同じということは、やはり前者なのかしら?

でも嬉しかった。

着実にその活動の足場を固めているようで順調のようでホッとした。もともとベルリン・フィルを退団した理由というのも、

「定年の65歳までいたら、その後にエネルギーが残らない。20年ぐらい前から市野と2人でデュオの演奏をしていて、2人を中心に若い人と室内楽をすることもある。そういうとき自分が充実しているのを感じる」

「コンサートマスターをしていると、次(の公演プログラム)の準備に時間がかかり、公演が重なると自分の時間がなくなってしまう。デュオや室内楽のことを考えると、技術的にも基本的なことからやり直さないと間に合わない。これから年をとる一方だし、どちらかにしぼらないと、と退団を決めました」

とのことだったので、当初の目標通りと言えるんだろう。

これは私が常々個人的に思っていることで、人によってものさしの基準が違うかもしれないが、欧州クラシック界で最も成功した日本人は小澤征爾さんとこの安永徹さんの2人だと思っている。

いまでこそベルリン・フィルは日本人奏者がいることは当たり前の風潮で驚かないが、1970年代のベルリン・フィルは日本人奏者はおろか女性奏者も禁制だった時代で、いまと比べて格というかカリスマ度が違うというか一種独特の雰囲気を持っていた。帝王カラヤンのもとでミッシェル・シュバルベ、ブランディス、シュピーラーといった伝説の名手達がズラリと勢ぞろいで凄い迫力だった。

日本人奏者は唯一、ヴィオラの土屋邦雄さんがいた。シュバルベに師事していた安永さんがコンマスに選ばれたのは、まさにびっくり仰天というか、凄い驚愕な出来事だったと言える。

あのカラヤン/ベルリン・フィルの第1コンサートマスターに日本人!これが当時どれだけ凄いことだったか!

これに相当するのは、例えはよくないかもしれないが、あの野茂が大リーグに移籍してノーヒットノーランを達成したときぐらいだろうか。安永さんを日本人の英雄、誉れだと思う。見た目の外見も、いかにも昔の東洋人、生真面目な日本人という風情で、その奥ゆかしい性格にも惚れた。

コンマス就任時の記者会見で、「自分がコンサートマスターになったことより、(外国人である日本人の)自分をコンサートマスターに選んだ方(ベルリン・フィル)がすごいことだ」コメントしたのだそう。安永さんの人柄が偲ばれるひとこまだと思った。

安永さんの日本への凱旋コンサートは、当時テレビ朝日で放映された1983年の大阪シンフォニーホールでの来日公演になる。このときのライブ映像作品がその後なかなかパッケージメディアにならなかったのだが、4年前くらいに カラヤンの遺産シリーズの「ライブイン大阪」として発売。嬉しかった。

安永さんのまさしくコンマス就任時の日本への凱旋コンサート、晴れ舞台で、いまでもかけがえのない宝物である。その作品の中で安永さんのショットや、ソロパートも多くとても興奮した。

それ以来、カラヤン、アバド、ラトルと3世代に渡ってベルリン・フィルの黄金時代の第1コンサートマスターを担ってきて、ずっとこのオケを見続けてきた人だけに、退団後から今に渡るまで全くメディアに露出しないのは、なんか不思議と言うか、悲しいというか、寂しい感じがしていた。

奥ゆかしい安永さんのことだから、まだ時期尚早ということで、メディアを避けているのか、とも思ったり...... でも着実に活動の足元を固めていることが、今日分かってすごい安心した。

数年前、NHKで「夢の音楽堂」という番組があった。8時間に渡るクラシック特別番組で、「ベルリン・フィルのすべて」とか当時、ウィーン国立歌劇場の音楽監督だった小澤さんのオペラの番組であるとか、本当にクラシックファンにとっては堪らない番組だった。 ご存じ小林悟朗さんが制作した番組だ。

その中の「ベルリン・フィルのすべて」は、焼き直しをしたりして2回くらい繰り返し放映されていて、そろそろ第3段を期待していたのだが、悟朗さんご逝去で、その後どうなるのか、まったく白紙だ。このような大作を引き継ぐ後任者など現れるだろうか?

あの歴史的名盤のBDである小澤征爾/ベルリン・フィルの「悲愴」もこの番組から生まれた。もし3回目の制作が実現するのであれば、前回のスタジオのゲストは土屋邦雄さんだったので、次回はぜひ安永徹さんをと思うのである。  

安永さんには活動が定着したら、どんどんメディアに露出して欲しいと思うのである。たとえば本の執筆でもいい。カラヤン、アバド、ラトルと3世代に渡って知り尽くしたベルリン・フィルについてぜひ世間にいろいろ開示して欲しい。本の出版は絶対あると思う。過去に安永さんの書籍は1冊しかなくて、対談集をまとめたものでしかないが、その中で当時のベルリン・フィルのコンマスの年収が当時のレートで800万程度だったとか驚きの告白があったりした。

そういう下世話な話でもいいから、いろいろ知りたいのである。

こちらに新しいマネジメント会社であるアーツ・プラン株式会社による安永徹・市野あゆみコンビの活動内容のURLを貼っておきます。(↓) 

安永徹・市野あゆみの活動計画

 
このコンビの演奏会のスケジュールが網羅されている他、CDの情報も掲載されている。(退団後の新録音はないみたいだが)

都内開催で注目なのは、2013年3月2日での自分の職場でもある洗足学園音楽大学ホールでの大学・大学院オーケストラとの共演と、2013年11月下旬での東京文化会館小ホールでのデュオ・リサイタルだろうか?
洗足学園音楽大学ホールでのコンサートは学校主催なので、洗足学園音楽大学のHPからチケットを購入することができます。チケットは当日会場に取り置き、という形です。東京文化会館小ホールのほうはこの会社でいいそうです。ただし来年の4月くらいに発売とのこと。

私はぜひこの2つの公演行ってみたいと思っています。 さっそく洗足学園音楽大学のほうのコンサートはチケットを購入しました。もうすぐ公演日ですので、すごく楽しみにしています。

演目は、

2013年3月2日(土) 洗足学園音楽大学ホール
大学・大学院オーケストラとの共演
 <曲目>
 モーツァルト ピアノ協奏曲 第24番 K.491 ハ短調
 マルテイノフ ヴァイオリンと弦楽のための “Come In! “
 シューベルト 交響曲第3番 ニ長調 D200

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今後も安永・市野コンビの活動を暖かく見守っていきたい、と思っています。

また、演奏家の方々はたいていそうなのですが、安永さんもこれまでオーディオ再生、いわゆる聴く方には全く興味がなかったそうです。それが数年前突然に音楽の再生の世界にも興味を抱くようになり、現在はTANNOYのターンベリーを、天井の高さが8メートルある旭川のご自宅の練習室兼リスニングルームでお聴きになっているようです。

下の写真は港区青山にあるあの至極のハイエンドオーディオショップARISTCRATに奥さんの市野あゆみさんと来店したときの様子。オーディオにも興味を持たれているようで、同じオーディオマニアとして嬉しい限りなのです。(↓)

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