私の音楽遍歴 [海外ロック]
大体100枚くらいのコレクションである。
この当時は燃えていたね~。
スタイル・カウンシルのアルバムも当時こんなに買っていました。
宝物ですね。
この当時のロックシーンでは、三大ギタリストという命名をされていたギターの名人がいた。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、そしてジミー・ペイジである。
ブリティッシュ・ロックではないけれど、ブルース・スプリングスティーンも自分の青春時代の輝けるロックスター。この「ボーン・イン・ザ・USA」が空前絶後の大ヒット。彼の代表作になった。まさにアメリカの国旗をジャケット写真に使い、当時のアメリカ・ナショナリズムを大いに刺激した。アメリカ星条旗にジーンズ。いかにもアメリカです。この当時はシルベスター・スタローンのロッキー4とかで、アメリカ国粋主義を煽る、すごい波動だった。アメリカ国民はみんなこういうのに弱いんだよね。ボクも大いに興奮し酔いました。(笑)
レッド・ツェッペリンは、もちろんロッキンオンの渋谷陽一氏がいたので、彼が、ツェッペリンの最高傑作は、天国の階段が入っているLed Zeppelin 4とか、他じゃなくて、もうこの「プレゼンス」が最高傑作という強い押しがあって、買いました。素晴らしかったです。
当時のレゲエ・ブームの中で、このサードワールドはかなり大ヒットしてました。
レゲエを聴くと、どうしても南国の海を思い出します。
ジョニ・ミッチェルは当時、自分が最も尊敬するシンガー・ソング・ライターでした。彼女の歌にはつねに知性を感じたものです。
歌っているなんて!と当時相当興奮しました。自分が持っているのはUKのほうです。
やっぱり当時の自分は3人編成というのに相当拘っていました。
YMOはカリスマありました。その後のソロはあまり聴いていないです。
ちょっと最近の坂本教授のアルバムも聴いてみたいです。
エリック・クラプトンが在籍していた伝説のロックバンド「クリーム」のレーザーディスクも持っています。やっぱり3人編成がカッコいい。
なぜか今井美樹さんのレーザーディスクも持っていました。(笑)
ぜんぜん記憶になくて覚えていません。(^^;;
森高千里さんのレーザーディスクも持っています。(笑)1993年のコンサート。これは覚えています。当時の森高さんはミニスカートの美脚がアピールポイントで、自分もそこに魅入られてしまい買ってしまったのでした。森高千里さんは、この頃より、いま最近の近影の方が全然いいですね。やっぱり女性アーティストは経年がいいです。
ここで紹介したのは100枚あるうちの一部だけど、よく鮮明に覚えていました。
自分の青春時代を彩った音楽たちです。
またそれを嬉しく思います。財産だと思います。
エルヴィス・プレスリー [海外ロック]
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僕がいちばん熱心にポップソングを聴いていた時期って、だいたい1960年から65年くらい、つまりビートルズが登場する前の時代です。ビートルズが出てきて間もなく、音楽シーンががらっとスリリングに変わっちゃうんだけど、それより前のポップ・ミュージックには「お気楽」っていうか、蛇が出てくる前の「エデンの園」みたいなのどかな雰囲気が漂っていました。でもその中ではエルヴィス・プレスリーは別格でした。彼は楽園の中に潜む、鋭い牙を隠し持った甘い毒蛇のような、まったく他とは違う存在でした。
そういうことを無性に知りたくなるものです。
ハウンド・ドッグ、好きにならずにいられない、ラブ・ミー・テンダー、冷たくしないで、そして監獄ロック。自分がエルヴィスの曲として、よく子供の頃から知っていたのは、ここら辺ですね。
ハウンド・ドッグ、監獄ロックなんか特に最高にカッコいい。
受け売りである。
ロックの歴史を語るなら、本当は百年もさかのぼってアメリカ南部の黒人奴隷が日々の労働の苦しさを忘れる為「ブルース」とか「賛美歌(ゴスペル)」を発明した事から始める必要がある。ロックン・ロールは黒人が創った。
これが、自分がエルヴィスが登場した衝撃、当時の世相を、よくうまく表現しているんじゃないかな、と思うのだが、どうであろう。
ジョン・レノンは言った。「エルビスが登場する前は何も無かった」と。
初期のプレスリーのスタイルは、黒人の音楽であるブルースやリズムアンドブルースと白人の音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンを融合した音楽であるといわれている。それは深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカでは画期的なことであった。
その後全国的な人気を得たが、保守層には「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と中傷され、PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。KWKラジオではプレスリーのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。
~1950年代の当時の世相と、セクシーなエルヴィスの登場に相当混乱しているのがよくわかりますね。(笑)エルヴィスといったら、このセクシーな腰振りが当時のそうとうの物議を醸したのです。
しかし、プレスリーの音楽によって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、いままで音楽を聞かなかった若年層(特に若い女性)が、音楽を積極的に聞くようになり、ほぼ同時期に普及した安価なテレビジョンやレコードプレーヤーとともに音楽消費を増加させる原動力になった。
映画との関わり
でも映画挿入歌を収めたアルバムが好評だったため、当時のショウビジネスの世界に新たなビジネスの形態を作り出したとも言われている。
これは晩年のエルヴィスのコンサートでしょうか・・・。
ビートルズとの会見
~これは最高に笑ったな。(笑)ボクはジョンのこういうセンスが大好きです。(笑)いかにもジョンらしい。でも後になって反戦・平和を主張していくジョンにとって、エルビスの当時の姿勢にこういう対応になってしまったのは必然の結果だったかもですね。
キング・オブ・ロックンロール。まさに白人ロックの元祖、すべてはプレスリーから始まった・・・まさにロックンロールを語るうえで、エルヴィスはすべてのオリジネーターだったんだね。
だったんではないかと自分なりに結論づけたいです。
DOUBLE FANTASY - John & Yoko [海外ロック]
それは間違いない。
ジョンが凶弾に倒れたとき、世界は大きな悲しみに襲われたし、そして自分も大きな喪失感を味わった。
字幕のニュース速報でその事実を知ったのだけれど、あのときの衝撃はいまでも覚えている。目の前が真っ暗になって具合が悪くなった。
それに対しポールにすごいバッシングな反論が集中した。
有名なこのジャケットはニューヨークのセントラルパークで撮影された1枚で、この美しい1枚を撮るために、他にも800枚以上も写真が撮られていた。
欲しいな、と思い探したけれど、ネット中古市場で簡単には見つかりませんでした。
あっても11万4800円とか34万8000円もするとか!!!驚きである。(笑)
大変なプレミアになっている。
そのコーナー、コーナーでジョンのいろいろな曲が再生されていた。
ちょっと感傷めいた気持ちになる。
もう2,3回行かないとダメ。ぜひ行こうと思っている。
まずジョンとヨーコの生い立ちから。
ジョンのコーナーでは、少年時代に描いた「The Daily Howl」ほか「In My Life」の手書きの歌詞が展示されている。
1966に2人が初めて出会ったインディカ・ギャラリーを再現。作品の「Celling Painting(天井の絵)」と「Painting to Hammer a Nail(釘を打つための絵)」は当時の作品が再展示されている。
1969年に行われた有名な平和活動「Bed In」で使用したギブソンのギターや窓に貼られていたプラカードを展示。プラカードは日本初公開。
写真家ボブ・グルーエンのポートレートで着用した有名な”NEW YORK CITY "Tシャツの実物。
この曲はじつは反戦歌として制作されたもの。
パワー・トゥ・ザ・ピープル!
この曲がこのエリアで鳴っていて格好良かった。
ジョンは、やっぱりメロディメーカーとしても最高の才能を開花させていたんだな。ハピー・クリスマスといい、このパワー・トゥ・ザ・ピープルといい、よく聴いたことのある馴染みの曲だ。
WAR IS OVER!
ジョンの代名詞だった。
反戦、世界平和、そんな社会的なメッセージがジョンにはよく似合った。
イマジンはそれこそジョンの代表曲であろう。
映画にもなっている。
アメリカ在留のために、最強の弁護士を携えて、その権利を勝ち取った。
荷物をまとめることもなかった。所持品は全てイギリスの家に置いてきた。
短期滞在のつもりで来たんだ・・・・・けど、戻ることはなかった。
この写真を前から撮影した写真もSNSで見たことあります。
ジョンのぺニスはかなり大きかったです。(笑)
ジョンとヨーコのファッション。
再出発。
ショーンの養育の5年間の主夫生活の沈黙から再出発のレコーディング。
イマジン・モザイク。
ニューヨーク・セントラルの一画にある記念碑「ストロベリー・フィールズ」の「イマジン」のモザイク・アートを再現したもの。このグレコ・ローマン様式の作品制作に携わった卓越したイタリアの職人チーム、および贈呈いただいたナポリ市にヨーコより感謝申し上げます。
ジョン&ヨーコ グッズがいっぱい!
アビイ・ロード [海外ロック]
ABBEY ROAD: 50周年記念スーパーデラックスエディション
(SHM-CD 3枚組+ブルーレイオーディオ)【完全生産限定】
世界中のビートルズファンから愛されているアルバムですね。
アルバム作るアーティスト側もこのA面とB面でコンセプトを変えたりという工夫ができた。
この落差がたまりませんね。
このメドレーについてジョンは「A面は良いけどB面はちょっとね。あれはジャンク(ガラクタ)を集めただけだと思うよ」と述べているが、ポールとリンゴは「B面のメドレーは僕らの最高傑作のひとつ」と発言している。
「ゲット・バック・セッション」が事実上の頓挫という厳しい現実におかれたビートルズ。バンド崩壊が現実のものとなりつつある状況の中、最後はきっちりと締めくくりたい。「GET BACK」が未完成のまま放置されてはいたものの、覚悟を決めたポールは、最後のスタジオ・アルバムのプロデュースをジョージ・マーティンに託す。
こうした状況の中にあったビートルズのアルバムをプロデュースしたジョージ・マーティンは当時の経緯をこのように話している。「「レット・イット・ビー」の悲惨な経験のあと、彼らがまた集結するとは思いもよらなかった。ポールが電話をくれた時はひどく驚いたよ。「もう1枚レコードを作りたいんだ。僕たちをプロデュースしてくれない? 本当の意味でプロデュースしてほしい」と言われて「いいとも、もし本当の意味でプロデュースさせてもらえるならね。また私にあれこれ指図して困らせようというんなら断る」と答えたんだ。結果的にはとてもよかった。もっとも連中は自分のことにかまけがちで、それぞれ違うスタジオにいたりしたから、私はあっちこっち飛びまわらなきゃならなかったがね」と語っている。
ジョージへの哀悼の意ですね。
ボクは、最新のB&Wモデルのデザインが好きではないので、この旧型の800Diamondがあったころのスタジオ風景のほうに愛着を感じる。いまや最新の800D3でフロント3本が賄われているのを見ると悲しくなる。(笑)
でも「ヒマラヤにまでジャケット写真を撮りにいくのはごめんだ。ちょっと外に出てそこで写真を撮り、アルバム・タイトルを(通りの名前である)アビイ・ロードにすれば良いのでは?」とポールが提案し、他のメンバーも同意して、それで決まってしまった。
1969年8月8日金曜日午前11時35分にイアン・マクミランによって、横断歩道を左右に渡る4人を10分間ほどかけて6枚(3往復分)撮影し「ジャケットに使った写真(5枚目に撮影された写真)+別テイク2枚」の計3枚(後に残りの3枚も公開された)を公開した。
この撮影時のときの非公式のオフショットを披露しよう。横断歩道を渡る前の4人、スタジオ前で待っている4人、横断歩道を渡るいろんなアングルからのショットなど。
現在のポールがアビイ・ロード・スタジオを訪れて、そして横断歩道を渡っているところ。
それが「ポール死亡説」。
「アビイ・ロード」のジャケット写真においてメンバー4人のうちポールが1人だけ目をつぶっているように見えて、更に裸足であり、左利きなのにタバコを右手に持っている。路上に駐められたフォルクスワーゲン・タイプ1のナンバープレートが「28IF」であるのが
えぇぇ~いまのポールは、ポールのそっくりさんなんだって。(笑)
アビイ・ロードも発売以来50周年になり、50周年記念アニバーサリー・エディションが発売された。
この本では、やはりリミックスのところを結構大きく取り上げている。自分はビートルズを本当に十数年以上聴いていなかったから、最初このリミックス仕様を聴いたとき、音が良過ぎて、奥行き感が出過ぎだし、分離しすぎでちょっと違和感というか、ビートルズ音源ってこうじゃないだろう?的なコンサバな意見だったのだけれど、このムック本では当然のことだけれど、今回のリミックスをとても前向きに捉えている。
その他、アビイ・ロードを鑑賞するなら、こんなところが聴きどころという本当にビートルズマニア、アビイ・ロードマニアにとって垂涎の本と言ってもよいのではないだろうか?
以上、ふっと自分の思いつきで「ゲット・バック・セッション」から突然始まったビートルズ連載。
じつはホワイト・アルバムが素晴らしい! [海外ロック]
●ホワイトアルバム
1968年11月22日に発売されたビートルズの10作目のオリジナル・アルバム。正式な名称は「ザ・ビートルズ」だが、ジャケットが真っ白一色だから俗称「ホワイト・アルバム」と言われている。
ポールはビデオ版「アンソロジー」の中で「このアルバムは脈絡がないだとか、ソロの曲ばっかりだとか言われるけど、後から色々言うのは簡単さ。ビートルズのホワイト・アルバムだぞ。黙れってんだ」と語っているそうだ。(笑)
「ロッキー・ラックーン」
「ハニー・パイ」
「バースディ」
「サボイ・トラッフル」
”音楽性の広さ”である。
●リボルバー
お小遣いがなくて買えなかった。
子供心に強烈なインパクトだった。
当時の技術的制限下では、コンサートでは再現できない楽曲が多く、「リボルバー」発表後「リボルバー」の曲がビートルズのコンサートで演奏されることはなかった。ライヴ・バンドからレコーディング・バンドへと変化する、過渡期の作品だと言われている。
●ラバーソウル
ビートルズの初期のアルバムの最後にあたる作品で、作品のクオリティがすごい高いという認識だった。
「君はいずこへ」
「ウェイト」
「浮気娘」
ビートルズ音源のリミックス・リマスターは音がいいと言えるのか? [海外ロック]
いろいろ自分が悩んで考えてみたところ、それはリミックスしたことに起因するのではないか、と思ったのだ。リミックス(Re-Mix)とリマスター、リマスタリング(Re-Mastering)とは全然違う工程のことである。
演奏家、ミュージシャンが演奏して、それをレコーディングしてCDになるまでの工程はこのようになっている。
この2ミックスのところをやり直したら、そりゃ出来上がったものは、1960年代にミックスしたものと全然違うものができるのは当たり前だと思う。
ビートルズファンにとって、どっちが幸せなのか、だ。
でも自分には、ちょっと音がよすぎて、その聴こえ方に違和感がある。
自分の子供の頃から知っているビートルズじゃない。
ビートルズ最新リマスター盤!という感じですね。
ビートルズ・ビジネスの商魂たくましいという感じである。
ゲット・バック・セッション [海外ロック]
でも中学生のときのハンディキャップは、お小遣いが少ないということである。
それは映画「Let It Be」を観ていないことだった。
アマゾンで調べたらあった。
さっそく購入。
じつは、この映画「Let It Be」は公開された本編からどんどん海賊盤が出まくっている作品で、自分が買ったのはやはりどうも海賊盤らしかった。観たんだけれど、ポールとジョージの口論と思われるシーンがないんだよね。
ビートルズはなぜゲット・バック・セッションをやることになったのか、「GET BACK...NAKED 1969年、ビートルズが揺れた21日間」。
アルバムの曲順も全然オリジナルと違います。ポールの主張があります。
映画「Let It Be」もその後、編集されて、公開された。
熱狂ファンはもっと細かいところを言及して痺れている。
「Let It Be」じゃなくて、「Get Back」だ!
ポールの初志貫徹の想いが伝わったのだろう。
リンゴ・スター
なんか、急ににわかにビートルズがマイ・ブームになってきた。
ニューヨーク・シェア・スタジアムでのシンクロニシティー・コンサート [海外ロック]
しばらく勉強が手につきませんでした。
すごい興奮しました。
今度はなくさないように、しまっておこう。
今の本は、右から開いていきます。
昔は逆だったんだね。
興奮を抑えきれずに、そのまま本文に。。。
そのときの模様をじつに生々しくレポートしてくれている。
「7万枚のチケットが5時間でソールド・アウト!!」
シェア・スタジアムは、野球ファンなら知っているところと思うが、毎年最下位のあたりをうろうろしている”もうひとつのNYの野球チーム”で、成績の方はいつもヤンキースに押されがちだが、負けてばかりいるのが、返ってご愛敬で、地元に熱心なファンの多い、愛すべき球団NYメッツのホームグランドだ。
8時10分には、今ニューヨークをはじめ、各地で注目を浴びている新人バンドで、骨っぽいタイトな演奏が評判のREMがスケジュール通り登場。前座での演奏をおこなった。
観衆がそれを見て笑い出したので、よく聞き取れなかったが、テーブルクロスのかかった大きなテーブルは”不思議な国のアリス”の中に出てくるあのティーパーティの一場面のような、銀のティーポットなどが置かれ、3人が気取ったポーズでお茶を飲み始めた。
「We'd Like To Thank The Beatles!」
本題はこれくらいにして、rockin'on 2019.12月号もしっかりと読ませていただきました。
44ページ!
いままでギター、ベース、ドラムスという最小限のスリーピースのサウンドでやってきたのが、この作品からシンセサイザーやホーンセクション、サックスなどをバックに音を重ねるような人工的な音造りをするようになった。それは自分でも聴いていて、よくわかるんだが、そのときの現場の様子が書かれていて、かなり興奮しました。
これはわかるわ~。
失くさずに。(笑)
スティングの総決算のコンサートでひと段落したつもりでしたが、どうしてもニューヨーク・シェア・スタジアムのライブのことは書かないといけないと思いました。
PS:松村雄策氏が元気でいまも尚、rockin'onに投稿されていたのを発見し、嬉しく思いました。自分が学生だった頃、NHK FMの渋谷陽一氏のラジオでのロック番組を聴いていたのと、このrockin'onで 渋谷陽一×松村雄策の対談を読むのが毎月の楽しみでしたから。
スティングの総決算! [海外ロック]
スティングに関しては、もう思い残すことないです。
完全燃焼しました。
前回の来日のときに、インスタグラムで山頭火でラーメン食べました的なショットを上げて話題になった。そしてユニバーサル・ミュージックでは、スティングの大好きなラーメン屋さんベスト3も発表した。
この日スティングが福岡で訪れたラーメン屋は、元祖唐辛子入り豚骨ラーメン屋の「鳳凛」。福岡で4店舗をかまえる鳳凛の春吉店だ。
いいな~。(笑)
さて、自分は東京公演の初日の10/9の公演に出向いた。
幕張メッセのHall 7,8を貸切っておこなう。
嫌な予感がした。
とにかく東京都心からやたらと遠い。
東京駅で京葉線に乗り換えるときのあの信じられない延々と長く続く連絡通路。
東京ドームや武道館ではないのだろう?
しばらくすると物販が始まった。
するとリハーサルが始まって、中からモノスゴい爆音が、漏れ聞こえてくる。
爆音の難を逃れて、ちょっとオアシスへ。年寄りにはこういう雰囲気のほうが落ち着きます。
さぁ、スタッフたちもこれから、闘いが始まります!興奮のあまり、観客にケガ人が出ないように・・・スタッフたちにも緊張が走ります。
開場イン。
冒頭の会場の照明をいっせいに落とすのは、もうこれはロック・ショーの常套手段です!
もうこれで会場のみんなは大興奮。これから始まる感が一気に高まる。
やっぱり幕張メッセの展示会場では狭すぎなんだよ。
Photo by 土居正則!
オープニングは、ポリス時代の孤独のメッセージ、そしてアンコールのトリは生ギター1本でFragile。
そしてこれでもか、これでもか、と畳みかけてくる名曲たち。
本当に来てよかった。
この日のセットリスト。
Encore:1
やっぱりポリス時代の曲が始まると大歓声だよね。ポール・マッカートニーがビートルズの曲をやるときの大歓声と同じように。
これはもちろん盛り上がったねぇ。
まっそれでいいんじゃない?
ウイングス・オーヴァー・アメリカ [海外ロック]
リリースされるのは1976年発表の「ウイングス・オーヴァー・アメリカ」、1988年発表の「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」、1993年発表の「ポール・イズ・ライヴ~ニュー・ワールド・ツアー・ライヴ!!」、そして2007年にロサンゼルスのアメーバ・レコードでわずか900人の観客を前に行ったライヴを収録した「アメーバ・ギグ」。
この中で結構ショッキングなニュースだったのが、その最初のアルバムである「ウィングス・オーヴァー・アメリカ」について語っているインタビューだ。
ポール・マッカートニー、「ウィングス・オーヴァー・アメリカ」について語ったインタビュー
https:/
(以下、抜粋)
ポール:あのツアーで、初めて再びビートルズ時代の曲を演奏するようになったんだ。だから、あのツアーの前のツアーはウイングスの曲ばかりで構成されていたということになる。ウイングスが本物のウイングスになって、あのツアーで全てが弾けた感じだね。それまではとにかく、ビートルズのトリビュート・バンドではなく、ウイングスをバンドとして確立させることに全力を注いでいた。でもウイングスとして何曲かヒット曲も出て、「バンド・オン・ザ・ラン」が大ヒットして、それらのヒット曲をレパートリーに入れて演奏していたら、“そろそろ、ビートルズの曲をやってもいいな!”という気持ちになったんだ。そしてそれが可能になってある意味、ホッとした。というのは、僕はいつもお客さんが何を聴きたいのかということを意識していたから。僕のお客さんは狭い範囲の人たちではなくて、幅広い年齢層の人たちから成っている。だから昔ヒットした曲を聴きたいと思っている人がいる可能性もある。だから「ヘイ・ジュード」をやらないとがっかりする人もいると思う。当時は、そういう曲をあの時点まで全然やらなかったから、少し気楽に構えて、お客さんが聴きに来たような曲をやるのもいいなと思ったんだ。
ポール:そう、そこから今やっているようなレパートリーになっていった。つまり、かなり多くのビートルズの曲を取り入れて、ウイングスとか、ソロの曲とかを取り入れたレパートリー。あの頃から、ビートルズの曲をやることを自分に許した。ウイングスとして確立させることは不可能だとすら思っていた時期もあったんだ。ビートルズに頼ってしまったら、ウイングスとしてのアイデンティティを確立することができないと信じていた。でも75~76年頃にはウイングスとして確立できたから、その二つを足せば成功への公式が出来上がると思ったわけ!
それと、あの時点でバンドがいい感じだったということもある。ウイングスとしても数年間は試練の日々だと思っていた。ビートルズもそうだったし。僕たちは、有名になる前にハンブルクで演奏したり、リヴァプール周辺のクラブで演奏するような下積みを経験してきたから。ビートルズがレコードを出す前、僕たちは地元でのみ知られている存在だった。たくさん演奏して技術を磨いて来たから、ウイングスに関してもそうしないといけないと思っていた。でも「ウイングス・オーヴァー・アメリカ」の頃、ワールド・ツアーをやる頃には、そのような時代は終わりに近づいていて、僕たちもウイングスが何か、わかるようになっていた。
自分のロック人生を決めた1枚を選べ、と言われたら、間違いなくこの1枚を選ぶ。
だからこのリイシューはとてもうれしい。
ウィングス・オーヴァー・アメリカ
(Wings Over America)
http://
自分のロック人生を決定付けたのは間違いなくポール。それもウィングスだった。
それもこのアルバムが、ウィングスとのはじめての出会いだったのだ。
当時は、ウィングス USAライブと言っていた。
LPについている帯もこんな感じであった。
ウィングスを知ってファンになってから、ビートルズの存在を知って、ビートルズにも嵌るようになっていった。
そう!まさにこのシルエット。
ウィングス時代のポールと言ったら、このステージ衣装にこのリッケンバッカーのベース。
まさにUSAライブのときのショットだ。
ウィングス時代のポールはとても音楽のバリエーションが豊かなミュージシャンで、単なるロックだけではなく、アコースティックギターを抱えての演奏、ピアノの前での演奏などいまのポールのライブの原型となるスタイルがこのウィングス時代にその基礎ができあがったものと言える。
自分が当時のポールに求めていたもの、そして当時の音楽雑誌などのメディアがウィングスに求めていたものは、あきらかにポスト・ビートルズ的なものだった。そのように書かれていたことをはっきり覚えている。
自分は、ウィングスからビートルズを知ったけれど、そうやってビートルズの偉業を知れば知るほど、尚更いまのポールに憧れる想いが強くなるというか、ポール・マッカートニー&ウィングスを聴くことで、その背後にビートルズの幻影を見ているような想いがあったように思う。
それは、まさにこのUSAライブでウィングスがビートルズの曲を演奏してくれるから、尚更そう感じたのだ。
ところがこのインタビューを読んで、じつはウィングスがビートルズの曲を演奏するようになったのは、このUSAライブからだったという事実。
そしてそれまで頑なにウィングスがビートルズの曲を演奏することを拒んでいたという事実。
そしてその背景にあるポールの想い。
1976年の中学生のときにこのアルバムでウィングスを知って、以来43年ぶりに知った真実ということになる。
そりゃショックというか衝撃だよ。(笑)
自分は当時からウィングスがビートルズの曲を演奏するのは、当たり前と当時からずっと思っていたからね。それが逆に他のロックバンドでは絶対成し得ないウィングスの背後にある特別のオーラでもあると確信していたから。
でもやっぱりポールは男だね。そういうビートルズ時代のオーラにおんぶに抱っこのビートルズ・トリビュート・バンドにはなりたくなかった、まずウィングスとして自立したかった、というコメントにポールのバンドマンとしての男の意地みたいなものを感じて、今更だけど惚れ直しました。
このアルバムが、自分のロック人生において決定的な1枚になった大きな理由に、ロックアルバムのライブ録音に対する考え方があった。クラシックの場合、スタジオで録音する場合もあるが、いまでは、コンサートホールを貸しきって、観客を入れずにセッション録音でアルバムを作ることが大半だ。でも中には、お客を入れて演奏したものをそのまま録音するライブ録音もある。
でも大抵の場合はセッション録音ではないだろうか?
ロックの場合は、アルバムを作るときは、スタジオ録音が原則だ。
ロックは少人数だからね。ロックのアルバムは、それこそオーバーダビングなど、何重にもテイクをとって、それを重ねに重ね、サウンドクリエーションの加工操作をして完璧なサウンドを作り上げる。
だからロックのアルバムって完璧なサウンドなのだ。ある意味ライブ感よりも完成度重視のところがある。
そういう風潮をロック史上で作り始めたのがビートルズの中後期の作品なのだと思う。
彼らは初期にライブ活動をやめて以来、その活動をスタジオでの録音作業に全力を注いだ。
まさに当時の録音技術のすべてを注ぎ込んで実験的な作品を世に残していった。
コンセプトアルバムという発想も彼らが作り上げたものだ。
なぜ、ウィングスのUSAライブが、自分にとって画期的だったか、というとそれはロックのライブ録音の素晴らしさを認識させてくれたからだ。
それまでは自分はウィングスを知らなかったし、彼らの曲も聴いたことがなかった。
このUSAライブで初めて彼らの曲を聴いて、その曲に馴染んで大ファンになった。
当然、じゃあオリジナルのアルバムも揃えてみたい、聴いてみたいと思うのは、人間の性であろう。
もちろんウィングスのオリジナル・アルバムも揃えました。
ヴィーナス・アンド・マースやスピード・オヴ・サウンドとか、バンド・オン・ザ・ランとかね。ウィングスのアナログレコードのアルバムは全部買いましたよ。
子供時代の少ないお小遣いを貯めて。
でも聴いたら全然感動しないんだよね。なんか人工的なサウンドで、生気がない、ライブ感がない、自分に訴えてくるものが全然ない。
なんだよ!これじゃUSAライブのほうが全然いい!
と思ってしまいました。
ウィングスを聴くなら、もう断然USAライブがいい!
という結論に達してしまった。
USAライブは、それまでのウィングスの有名なヒット曲を全部集めているような選曲だったから、USAライブを聴いていれば、ウィングスを完璧に堪能できるという腹があった。
たぶん聴いた順番がライブ録音のほうを先に聴いて、あとでオリジナル・アルバムを聴いたからこういう感想になったのだと思う。
このときに自分はロックはライブ・アルバムがとても魅力的!という考え方を持つようになった。
クラシックの場合、セッション録音のアルバムとコンサートホールでの実際の生演奏って、そんなにサウンド的に大きな違いを感じることはないだろう。その自宅でのオーディオでの鳴らし方にも大きく寄りますが。。。(笑)
でもロックの場合、オーバーダビングで作られているアルバムのサウンドを、そのまま実際の生演奏のライブで実現するということは確実に不可能なのだ。結論として、ロックの場合、演奏技術やサウンドパフォーマンスとしては、ライブのほうが確実に落ちる。
アルバムで聴いていたときはすごくいいのに、実際のライブを聴くと、ずいぶん下手くそだよなぁ、とか、なんかがっかりだよなぁ、というのはロックの世界では当たり前のことなのだ。
自分はロック少年の時代、ずっとそのことをライブはハンディキャップがある、このアルバムを聴くとすごいイイ演奏だけれど、はたしてこれを実際のライブで実現できるのかな?とかいつもそんなことを考えながら、アルバムとライブのギャップについて考える癖がついていた。
社会人になって、クラシック専門に聴くように軸足を移してからは、そういったギャップをほとんど意識しない、考えないようになった。
やっぱり根本的にクラシックとロックではその領域では造りが違うのだと思う。
でもロックではライブになると、その演奏パフォーマンスはガクンと落ちてしまうけれど、その生気のあるサウンド、臨場感、ライブ感はもう断然普通のスタジオ録音のアルバムよりライブアルバムのほうがいいのだ。
やっぱり大観衆の大歓声の中で歌っている、その盛り上がる瞬間、大歓声が上がる瞬間とか、もう断然ライブアルバムのほうがいい。
そのコンサート会場にいるような感覚を疑似体験できる。
ひと言で言えば聴いていて興奮するのだ。
以来、ロックはライブ・アルバム!という考え方を自分は持つようになった。
セッション録音でもライブ録音でも、つねに観客は静寂、たまに咳き込み、拍手があるくらいの違いしかないクラシックとは、そこに大きな違いが有るように思えた。
そういうきっかけを作ってくれたのが、このウィングスのUSAライブなのだ。
このアルバムが全てのきっかけだった。
ポリスがシンクロニシティーの後に、ライブ・アルバムを出すという噂があったとき、自分が心ときめいたのも、ライブはやっぱり聴いていて燃える!という発想があったから。またポリスほどのテクニシャンのバンドであれば、ライブでもそんなにがっかりすることはないだろう、という考えもあった。逆に演奏がうまいと言われているけれど、実際どれほどのライブパフォーマンスなのか、を知りたいという想いもあった。
ウィングスのUSAライブは、当時の映像素材が残っていて、「ロックショウ(Rock Show)」というタイトルで映画になっていて、そのパッケージソフトもBlu-rayとして販売されています。
ロックショウ(Rock Show)
http://
自分はその事実をずっと知らず、つい2~3年前に知ってもうびっくり!
慌ててBDを買って観ました。
もう涙なくしては観れなかったです。
自分の中学生時代。
当時動く動画コンテンツというものもなかった時代。
LPを聴きながら、音楽雑誌の写真を眺めながらそのライブパフォーマンスを頭の中で想像するしか方法がなかった時代。
そんな40年ぶりにその空想していたライブ映像をいま目の前で観れているわけです。
ライブの音は、まさにレコードそのもの。子供の頃に聴いた音は、何年たって大人になっても頭の中に刻み込まれているものだから、絶対忘れないし、一度耳にしたらピンときます。
ウィングスUSAライブのセットリスト。
CD1
1. ヴィーナス・アンド・マース~ロック・ショー~ジェット
2. レット・ミー・ロール・イット
3. 遥か昔のエジプト精神
4. メディシン・ジャー
5. メイビー・アイム・アメイズド
6. コール・ミー・バック・アゲイン
7. レディ・マドンナ
8. ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
9. 007死ぬのは奴らだ
10. ピカソの遺言
11. リチャード・コーリー
12. ブルーバード
13. 夢の人
14. ブラックバード
15. イエスタデイ
CD2
1. 幸せのアンサー
2. 磁石屋とチタン男
3. ゴー・ナウ
4. マイ・ラヴ
5. あの娘におせっかい
6. 幸せのノック
7. やすらぎの時
8. 心のラヴ・ソング
9. 愛の証し
10. ワイン・カラーの少女
11. バンド・オン・ザ・ラン
12. ハイ・ハイ・ハイ
13. ソイリー
このセットリストを見た一瞬で、もうすべての曲のメロディーラインが自然と頭に浮かぶくらい完璧だ。
このUSAライブから、ビートルズの曲をやるようになったというけれど、こうやってみると、ザ・ロング・アンド・ワイディング・ロード、ブラックバード、イエスタディーの3曲しか入っていない。まだポールの心の中に抵抗感があったんだね。(笑)
でもこうやって眺めてみると、本当にウィングス時代の名曲のオンパレードという感じでじつに壮観です。ポール・マッカートニーのその類稀なメロディメーカーとしての才能に本当に驚愕、畏怖の念しかないです。これにさらにビートルズ時代の膨大な作品群が加わるんですから。
もうポールは、クラシック界のバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの作曲家たちと比較しても決して1歩も引けを取ることのない堂々と肩を並べるべき20世紀の大作曲家である、と言ってもいいのではないだろうか・・・。
スティングはいまも格好良い!(ソロ時代) [海外ロック]
ロックのアーティストは、自分のシングルカットの曲に対して、それぞれプロモビデオを作って、それを宣伝材料に使うのだ。MTVはそのビデオクリップのランキングを特集する番組だった。
懐かしすぎる。大学時代でしたね。よく友人の下宿先に泊めてもらって一緒に観ていました。
シンクロニシティーは、そんなポリスのビデオクリップの中でも頂点となる出来栄えだった。MTV時代全盛の賜物だった。
ポリスのビデオクリップ集は確か市販ビデオ化もされていたはず。
見つめてみたい、Synchronicity Ⅱ、Wrapped Around Your Fingerの3曲はよく見ることができたのだが、King Of Painのビデオクリップは、なかなか拝見できなく、市販ビデオの中にも入っておらず、ずっと恋焦がれていたが、つい最近ようやくSNSで拝見することができた。
SNSって本当にスゴイ!
それ以前の若い頃の作品のビデオクリップもあることはあるのだが、かなりクオリティが芸術的ではなく、とりあえず作りました的なお粗末なものだった。高校教師では、学校の教室で歌っていたり、あとスキー場で3人が滑りながら撮っているビデオもありました。
シンクロニシティーの大成功の後、バンドは休止状態。もともと終盤は仲が最悪だったこともあり、また、もうやることはやってしまった感もあって、特にスティングは再開する気はなさそうだった。
自分は、大学3年、4年生だったけれど、ポリスのニューアルバムをすごい懇願していた。
同じポリスファンの同期生と、いつも教室や食堂で熱く語り合っていた。
その当時、次に出るのはライブ・アルバムという噂があって、友人とともに待ち望んでいた。
そのときに新しい曲を発表するということで、リリースされたのが高校教師'86だった。
オリジナルの高校教師のセルフカバーだ。
これは稀に見る駄作であった。(笑)
とくにビデオクリップがポリスの終焉を暗示するかのような過去のメモリアルを表現するような感じで、これを観た瞬間、ポリスは終わったな、と確信しました。
スチュアート・コープランドはビデオ作成に関与していなかった(落馬で足を骨折。このため、「高校教師'86」のドラムはすべて打ち込みとなっている)が、商品がリリースされた後に抗議していました。(ポリスはまだ終わってない!って)
以上長くなりましたが、これが自分の子供時代、学生時代のポリスに関するメモリアル。
その後、社会人になってから不思議と、体質的にロックは聴かなくなった。
ずいぶんブランク期間が入った。
そこから再びポリスが自分の目の前に現れたのは、前職を退職して、いまの会社に転職した2007年。まさにあの頃から20年後。
「ポリスが再結成する。」
というのだ。
これは猛烈に興奮したな。
アルバムは出さないけれど、全世界ツアーはやるという。
その中に日本も含まれていたのだ。
もちろんそのための一時的な再結成であって、ずっと続けるわけではない。
もう死ぬ気になってチケット取りました。
はじめて、ポリスのステージを生で観れる!@東京ドーム。
あの感動は忘れられなかったです。
涙しました。いままでの愛が報われた感じがしました。
近くにギタリストのチャーがいました。
たくさんの業界人がかけつけていたみたい。
スチュアート・コープランドは、白い手袋を履いて、ドラムスをやっていました。
手の皮が剥けるからね。でも手袋履きながらは、ビジュアル的に超格好悪かったです。(笑)
全盛期のときは、手に黒いテープを貼って、手を保護していました。
全盛期のポリス (1983年)
再結成時のポリス(笑)(2007年)
シンクロニシティーの後、当然のなりゆきでスティングはソロに転向。
ここから、スティングのソロ時代に突入する。
自分は、スティングのソロになってからは、結局、最初のアルバムの「ブルータートルの夢」、そしてつぎの「Nothing Like The Sun」の2枚までしかフォローしなかった。
それ以降は、社会人の荒波、仕事のことで音楽どころではなかったし、大きなブランク期間に入ってしまった。
スティングはソロになってからは、やはりジャズ色が強く、独特のスティング・ワールドともいえる格好いい音楽を提供してくれた。
ブルータートルの夢では、Set Them Free (If You Love Somebody,Set Them Free)が素晴らしかった。ポリス時代の見つめていたいが、相手を束縛する歌であるのに対して、Set Them Freeは、逆に相手を解放してあげなさい、という逆のアプローチの歌。(スティング本人のコメント)
ブランフォード・マルサリスなど蒼々たるジャズ・ミュージシャンを引き連れ、ポリス時代とはかなり趣が違う大人の音楽になった。
この曲のMTVのビデオクリップも格好良かったな。
これもゴドレー&クレームによる作品です。この2人はセンスあります。
つぎの作品の「Nothing Like The Sun」は、その後にリリースされた作品を聴いていないけれど、ソロ時代の作品の中で最高傑作だと思います。
名曲中の名曲、Englishman In New York、そしてFragile、ビールのCMタイアップ曲にもなったWe'll Be Togetherなどまさに名曲目白押し。
いまもiPodで朝夕通勤でヘビーローテーションで再生しています。
ジャケットも最高に格好いいです。
若い頃のやんちゃな感じではなく、歳相応のダンディな大人の雰囲気で、自分のシルエットに相応の大人の音楽をやるようになった。
自分もいまでもポリスの曲をiPodで再生しますが、やはり自分も歳なんだよね。
ロックは結構キツイと感じるようになって、スティング時代のソロの曲のほうが、体に染み入ってきやすい、というか体を思いっきり委ねられる心地よさがある。
スティングのコンサートは、2回行きました。
社会人になって上京したばかりの東京ドームと、ずっとその後のブランクがあった後の日本武道館。
若い頃の東京ドームは、まだ学生時代のポリスの余韻が熱かった頃だから、もう超興奮。
いまでも鮮明に覚えているのは、見つめていたいをアンコールに持ってくるのが、スティングのコンサートの常なのですが、これがいかにもアンコールっぽくモダンにアレンジされていて、最後のリピート部分は、正直脳天から雷を受けるような大衝撃でした。
あのときの一瞬で、自分は失禁しました。
あの瞬間が忘れられなく、十数年後の2回目のコンサート体験でも、やはり同じ場面で失禁。(笑)
スティングはライブの盛り上げ上手、千両役者です。
ポール・マッカートニーが、ライブでビートルズの曲をやると、場内が大歓声になるのと同じように、スティングがライブでポリスの曲をやると、当然大歓声になります。
スティングは大人になってずっとダンディな感じにイメチェンしましたが、ちょっと気になるのは、頭髪がどんどん寂しくなっていくこと。ポリスの頃から、左右のこめかみのところがライトバック、レフトバックってな感じで、これは歳とると禿げ上がるな~と若い頃思っていましたが、ポリス再結成時の頃には、もうほとんど髪がなくなっている状態で、これは仕方がないのかな、と諦めていました。
でも最近それがおかしいのだ。
ちょっと不自然に髪の毛が豊かになっている。
自分は、スティングは植毛していると思うんですよね。(笑)
使用前
使用後
あくまで私の推測です。でもずっとSNSでスティングの近影を見てきた自分としては、あきらかにその最近の不自然さが引っかかります。でもいまがいいならそれでいいです。
2016年にプロモーションのため6年ぶりとなる来日を果たしたスティングだが、好きな日本のラーメンランキングのトップ3を発表している。
スティングは自身のInstagramにラーメンを食べる写真を公開していた。(らーめん山頭火です。)そのキャプションには「今週は東京へのファンタスティックな旅をしてたんだ。テレビ出演と僕のお気にいりのラーメン店を訪れたのを楽しんだよ。ありがとう、ジャパン!」と記されている。
これを見て、今度の新曲は、スープを「煮詰めていたい」という曲をポリス名義でリリースしてほしい、と思いました。(スミマセン、他人の盗作です(笑))
所属レーベルであるユニバーサル・ミュージックはスティングの好きな日本のラーメンランキングのトップ3を発表している。
ランキングは以下の通り。
1. らーめん山頭火
2. 麺匠 竹虎
3. 博多一風堂
ちょっと自分の好みと違うけれど、ラーメンが好きでいてくれるのは嬉しいです。
日本食好きだそうで、焼き鳥や鉄板焼きといったオーソドックスな和食からキットカット日本酒味まで、好き嫌いはないらしい。若々しさを保っているスティングは、インタヴューで「健康の秘訣」をよく聞かれる。運動、歌うこと、など答えていたが、食事をしっかり摂っていることも大きい。
そんなスティングだが、ポリス時代からソロにかけてのセルフカバーのニューアルバムをリリースしたばかりだ。
My Songs
Sting
http://
これがめちゃめちゃ素晴らしい!今風のアレンジで、ちょっと即興っぽいところも入れたりして、スゴく格好良くなっている。経験上、オリジナルよりカバーのほうがいいもんなんだよね。さっそくiPod行きで、通勤で聴いています。
Set Them Free、Englishman In New Yorkがすごく格好良くなっている。
あとBrand New Day。
この曲は、自分は2回目の武道館公演のときに、ライブではじめて聴いていい曲だな、と思い、でもいままで知らない曲だったので、たぶん自分がフォローしなくなってからヒットした曲なんだろうな、と思いました。
Brand New Dayは、調べてみたら、1999年にリリースしたアルバムでした。
なにせ、ソロ時代は最初の2枚しかフォローしていませんので。
2枚目のNothing Like The Sunは、自分が社会人になった1987年のリリースで、それから現在までスティングは、さらに10枚ものアルバムをリリースしているんですよね。
10枚もフォローしていなくて、本当にスティングのことを語れるのだろうか?というお叱りも受けそうだが、大丈夫!
このセルフカバーの1枚に、スティングのすべてが入っていて、彼がやってきたことの総決算という位置づけのアルバムなのだ。この1枚を聴く限り、ソロ時代を10枚も聴いていないハンディをまったく感じない。
やっぱり自分はポリス時代からよく知っている熱狂ファンだったから、その貯金で暮らしているようなものだ。
このアルバムの全作品を一通り全部聴くと、メロディメーカーとしての才能、衰えていないことがわかる。
上の3曲の他にも、Shape Of My HeartとかFragileとか。。。不思議とソロ時代の曲がいいな、と思ってしまうのは、自分が歳だからなんだよね。
そういう体質になってしまった。
ポリス時代の曲も全部モダン・アレンジで素敵です。
ぜひ買うべし!
最後に、ポリス時代、ソロ時代のディスコグラフィーの簡単な紹介をしてお終いにしよう。
Outlandos D'amour
POLICE
http://
ポリスのデビューアルバム。シングルカットされたロクサーヌが有名だが、じつはポリスのライブ・コンサートを構築する曲で、コンサート本編の最後はCan't Stand Loosing You、そしてアンコールの一番最後は、So Lonelyといったように、ライブの肝心要の締めどころは、このアルバムから持ってくるとても重要なポジションのアルバムでした。
Regatta De Blanc 白いレガッタ
POLICE
http://
自分的にはポリスの最高傑作はこのアルバムだと思う。ホワイト・レゲエの色濃く、高い音楽性、完成度の高い演奏など、彼らの特徴が一番よく出ている。全体的にアコースティックっぽいというか、純粋にベース、ギター、ドラムスだけのとてもシンプルなサウンド。シングルカットされた孤独のメッセージはポリスの代表曲です。
Zenyatta Mondatta
POLICE
http://
ホワイト・レゲエより、もっとよりポップで軽い感じの曲調、サウンドになった。いかにも人気が出やすい感じ。日本ではこのアルバムは有名ですね。ドゥドゥドゥ・デ・ダダダがとても有名。この曲の日本語歌詞バージョンも出た。作詞は湯川れいこさん。シングルカットは高校教師が有名。このアルバムを引き連れて、日本に来日しましたね。
Ghost In The Maschine
POLICE
http://
これまでの路線、趣がガラッと変わってちょっとバンドの音楽性の方向性を変えた意欲作。シンセサイザーやフォーンセクションなども導入して、スリーピースのバンドの音というより、かなり人工的な分厚いサウンドになってしまった。自分はこれを初めて聴いたとき、これをライブで実現するのはどうやってやるのかな?と思ってしまいました。でも曲自体は、かなり名曲が多いです。シングルカットはマジックが有名ですが、自分は1曲目のマテリアル・ワールドが好きでした。
Synchronicity
POLICE
http://
ロック史上で、これだけジャケットが格好良いアルバムは、いままで見たことがない。スティングが哲学者のカール・ユングの本からインスピレーションを得て、シンクロニシティー(同時性)という造語をした。この単語は辞書に載っていないです。前作でサウンドをイメチェンしたけれど、このアルバムで、またもとのスリーピースのバンドの音に先祖がえりという感じです。ちょっとサイケディリックな感じの曲調、サウンドでいかにも哲学的です。A面とB面で、曲の趣が違い、A面は激しい曲、B面は静かで美しい曲を集めた。A面、B面があるアナログレコードならではですね。アンディ・サマーズのアイデアらしいです。
Police Live
POLICE
http://
シンクロニシティーの後、あと残されたミッションは、ライブ盤を出すだけ、という噂が常にあって、大学の同期の友人と1984年にずっとその話で盛り上がり、待ち焦がれていたのに、実際出てきたのは1995年だった。2枚組みで、1枚目は若い頃のライブを集めたもので、2枚目はシンクロニシティーコンサート。iPodに入れていてよく聴いています。やっぱりロックはライブがいいです。あの大歓声の声が聴こえると血が燃えたぎるし、本来ロックって割れんばかりの大歓声の中での演
奏・・・そういうものではないのかなぁと思います。
Dream Of The Blue Turtles ブルータートルの夢
Sting
http://
スティングのソロ第1弾。これはポリスの事実上の活動停止発表のあとに待ちに待ったという感じだったので、本当に感動しました。スティングの音楽素養のバックグラウンドにあるジャズのセンスが滲み出ていて、ジャズ・ロックというような独特の音楽観を持ったアルバム。結構ポリスとかなり違って大人の雰囲気なので驚きましたし格好良かったです。
Nothing Like The Sun
Sting
http://
間違いなくスティングのソロ時代の最高傑作ですね。エリック・クラプトン、マーク・ノップラー、ギル・エヴァンス等の豪華ゲストを迎えて製作されたソロ第2弾。Englishman In New YorkやFragile、そしてWe'll Be Togetherなど本当にアルバムのすべての曲が珠玉の名曲です。
Bring On The Night
Sting
http://
スティングがソロになって、いわゆるジャズ・ミュージシャンを引き連れて、ジャズ・ロックを演奏するライブの模様を収めたもの。ロックのライブはやっぱりスタジオ録音と違って、いいもんですね。これは映画にもなって、そのサントラのような位置づけだった。この映画、きちんと映画館で観ました。スティングのライブとしては、最高傑作かもしれない。ジャケットもいいし。
これで、もうスティングに関してはすべて書き尽くしましたし、思い残すことはありません。
自分のいままでのロック人生のすべてを語ったつもり。
ロックの分野で、この歳からまた新しいアーティスト、新しい曲を開拓するということは、自分の場合ないような気がします。
スティングはあの頃は本当に格好良かった!(ポリス時代) [海外ロック]
いますっかり専門になっているクラシックも、子供時代に当時親がぜひ聴いて教養を磨きなさい、といって、買ってくれたLPレコードがたくさんあって聴いていた。その中にはカラヤン&ベルリンフィルのLPもある。
でもそれは義務で聴いていたもので、自分の意思ではなかったし本命ではなかった。
自分の学生時代というのは、日本の音楽界は歌謡曲、フォークソング、(そして演歌も)の全盛時代だったが、自分はどうしても好きになれなかった。そのアンチテーゼという位置づけで洋楽ロックに夢中になった。
自分の進むべき道は、これだ!と確信した。
当時は洋楽ロックは、ひとつのブランドというか、自分は日本のアイドルの歌謡曲、フォークソングを始めとする芸能界を聴いている友達とは、ちょっと一線を画すんだぞ、という感じで、洋楽ロックを聴くこと自体が格好いいことというか、ひとつのアイデンティティーみたいな感じで自分は他人とは違う、ということを示したかった反骨精神真っ盛りだったマセたガキだったのかもしれない。
洋楽ロックといっても、当時はいまのようにメディアも発達していなかったし、日本にプロモートされるバンドなんて世界でメジャーどころしかなかった。
自分は、いま55歳だが、自分と同世代の人なら、当時流行っていたバンドって言ったらみんな、懐かしい~といった共通認識のバンドたちではないだろうか?
いまリバイバルで大流行しているクイーンだって、自分は直球ど真ん中のリアルタイム世代(中学生、高校生のとき)。クイーン人気は、世界中のどこよりも日本で先行したバンドだったので、ずいぶん夢中になって聴いた。(映画ボヘミアン・ラプソディのフレディー・マーキュリーは似ていないです。(笑))
ロックと言っても自分は、ブリティッシュ・ロック専門だった。アメリカのロックはあの分厚すぎるサウンド、バンドのルックスと平和過ぎるところが体質的に受けつけなかった。アメリカのロックは、「産業ロック」といって馬鹿にしていたようなところがあった。
ブリティッシュ・ロックのほうが、ファッション、尖っているイメージで、自分の反骨精神を満たしてくれた。アフリカ飢餓救済のチャリティ・コンサートもアメリカのUSA for AfricaよりもイギリスのLive AIDのほうが好きだった。
ロックじゃないけど、カーペンターズも自分の青春時代を大きく支配したアーティスト。
イーグルスの「ホテルカルフォニア」も一世を風靡しましたなぁ。
いまもiPodで聴いています。自分が朝夕通勤で聴いているのは、こんな子供時代に聴いた音楽ばかり。
いまのようなネットで情報氾濫の時代と違って、当時は自分の身の回りにこういう洋楽ロックの情報はほとんど皆無で、湯川れいこさんのミュージックライフで、その写真、記事を観て、すごい興奮するという感じだった。時々TVで深夜に特集されたときなんぞは、もう大変!
どちらかというと当時の洋楽は映像メディアは追い付いていなくて、ひたすらレコード鑑賞で堪能して、その音楽を聴きながら、自分の頭の中でステージ姿を妄想するというかそんな感じだったような記憶がある。いまの情報氾濫の時代と比較して、当時のほうが自分の中のスターのカリスマ性を磨くというか、自分の精神性を高めるには、返って情報がなかった時代のほうが幸せだったように想うこともある。
自分のロック人生にとって、当時話題になったバンドは、大体聴いていて、とくに子供時代の数少ないお小遣いをためて、LPレコードを買うのが本当に楽しみだった。お小遣いで足りない分はそのレコードを持っている友達のところでカセットテープにダビングしてもらうのだ。
LPがCDになって普及し始めたのは、自分の社会人1年生のときだったから、自分のロック人生は、ぜんぶアナログレコード世代。だから子供の頃に買ったLPレコード約100枚は、いまも大切に保管してある宝物。
これらのレコードがもう日の目を見ることもないだろうと思っていたが、まさかのアナログブームだ。世の中なんて、本当にわからない。
いろいろなロックバンドを、たくさん聴いたけれど、一番自分のロック人生に影響を与えたのは、ポール・マッカートニーとスティングの2人、と断言していい。
ロック人生の前半がポールで、後半がスティング。
ポールについては、ウィングスに最初に夢中になって、その後にビートルズを知って、思いっきり嵌った。自分はジョン派よりもポール派です。
ポールは、いままで日記で熱く語ってきたので、今度はスティングの番なのだ。
どうしても熱く語らないといけない。
スティングといえば、自分はやはりポリスなのだ。
ポリスほど夢中になったロックバンドはなかったかもしれない。
ポリスが最高潮だった1983年のシンクロニシティーのとき。
彼らは、こんなに格好良かった!!!
男が男に惚れる、とはこのことだ。
もう自分は学生だったが、こんなに憧れたロックスターはいなかった。
3人編成というのがめちゃめちゃ格好良かった。
ポリスがきっかけで、トリオ、3人編成というのを強く意識するようになった。
そしてギター、ベース、ドラムスという最小単位の3人編成なのに、その抜群の演奏のうまさ。
ロッキングオンの渋谷陽一氏曰く、「めちゃめちゃ演奏がうまい優等生バンド」。
そしてその卓越した音楽性。
当時のメディアで言われていたキャッチフレーズ。
「史上最強のロックバンド」
「ロック史上最強のトリオ」
まさにそうだった。
自分がポリスを聴きだしたのは、2枚目の「白いレガッタ(Regatta De Blanc)」から。(中学3年か高校1年)あの孤独のメッセージからだ。ポリスは5枚しかアルバムを残さなかったが、その中で、よくポリスの最高傑作はどれなのか、という問いに最高のベストセラーだったシンクロニシティーをあげる人が多いが別にそのことに異論はない。でも自分はポリスの基本というか、ホワイト・レゲエと呼ばれたロックにレゲエを融合させる、その独特のテイストがよく現れていて、ポリスの本質の作風、サウンドって、じつは、この2枚目の白いレガッタが最高傑作なのではないか、という意見なのだ。
ポリスの曲は、1曲も漏らさず、どれも完璧に知っているが、ディスコグラフィーについては、スティングのソロ時代も含めて、あとで語ろう。
ポリスがデビューしたのは、パンク、ニューウェイブの嵐が吹き荒れている時代だった。
パンクロックは自分にとって衝撃だった。セックス・ピストルズやクラッシュがシーンを賑わせていたが、それ以外にもストラングラーズ、ダムド、ジャムetc。
ロックの発信源、点火はいつもロンドン、ブリティッシュロックだと自分は当時思っていた。
ポール・ウェラーのジャムも格好良かった。3人編成として自分のロック人生で外せないバンドだ。ジャム解散後のスタイル・カウンシルもすごく嵌った。ジャムとは正反対のお洒落な雰囲気で、かなりイケていた。
パンクロックへの風当たりは冷たかったものだ。汚くて粗末な服装をして、世の中への悪態をついている。音楽のレベル、とりわけ楽器演奏の技量はお粗末で、ギターは3コードくらいしか弾けない。思いつきだけでバンドをやっている。どれも一発屋で低能…等々。
セックス・ピストルズがアメリカツアー中に内部崩壊するようなかたちで解散し、パンクロックはまたたくまに下火になっていく。
ニューウェイブの幕開けである。
方法論として演奏テクニックをあえて無視したバンドは別として、例えば、粗末な演奏技能しか備えていないバンドは自然淘汰される結果となり、その後もポピュラー音楽史に名を刻んでいくのは、実はニューウェイブとは言えないほどの長い実戦経験を積んできているXTCやトーキング・ヘッズ、クラッシュのようなバンドだった。
ポリスもこの時代にシーンに躍り出たのだった。
彼らはメジャーのA&Mレコーズと契約する。
そんなパンク・ニューウェーブの中のひとつのバンドとしてデビューしたのだが、じつはそのときポリスの3人は、みんなすでに30歳代の経験豊かな歳をとったニューウェイブの衣をまとったベテランバンドだったのだ。
ベース、ボーカルのスティング、ギターのアンディ・サマーズ、ドラムスのスチュアート・コープランド。この3人を売り出していく上で、3人の髪の毛をみんなブロンドに染めた。3人のルックスのよいブロンド・ロッカーたち、という線で売り出していく。
絵的にも実力的にも本当に個性的な3人だが、過去にも3人編成のロックバンドってたくさん存在するが、やはりポリスはルックス的にフォトジニックな3人だった、というのが結構大切な要素だったかも。
デビューアルバムは、それほどのインパクトはなかったが、パンクやパッと出のニューウェイブのバンドにありがちな、勢いだけで単純な反骨メッセージをわめいているのとは異なり、しっかりとした技量を備えた上で、いままでのバンドにはない新しいサウンド指向を持っていた。
やっぱり高い演奏技術、そして高い音楽性の才能がもともと備わっていた3人だからこそ、デビューこそパンクブームの隠れ蓑に隠れていたけれど、徐々に頭角を現してきた、といえるバンドだった。
ポリスサウンドで結構特徴的なのがスチュアート・コープランドのドラムス。レコードを聴いていてもわかるが、ポリスの映像素材を見ると、正確なリズムに乾いた抜けるようなスネア、シンバルやハットの使い方など、じつにハイテクニシャンだよなぁ、ということがはっきりわかる。じつにうまいドラマーで、ポリスサウンドの正確なリズムを刻んでいた。
アンディ・サマーズは3人の中で、一番年上でミュージシャンとしての経歴が長い。
彼のギターは、とても多彩な技術を持ったギタリストで、ポリスサウンドのメロディラインの旋律の部分は、彼のギターテクニックによるところが多かった。ポリス最大のヒット曲「見つめていたい」は、アンディに言わせると、最初のスティングからもらったときのこの曲はクソだったそうだ。(笑)そこにアンディのギターのメロディラインが加わり、見違えるような名曲になったとか。
そしてスティング。卓越なるメロディメーカーとしての才能もさることながら、やはり声が最大の魅力だと思う。ハスキーでセクシーな声、一度聴いたら絶対忘れられない声。そしてその声の発声の仕方がすごくロックっぽい格好良さ。
一種独特のカリスマがあって、いままでに聴いたことのないロッカーの声だった。またステージパフォーマンスも格好良かった。ルックスもいいし、なんか同じ同姓の男として男の憧れるすべてを持っているような感じなんだよね。
スティングの音楽嗜好の根底には常にジャズがある。ポリス結成前は、ジャズのベーシストをやっていたからね。
ポリス解散して、ソロに転向していくと、そのジャズ色が濃くなって、ポップスとジャズの融合のような一種独特のスティングの音楽観を築いていた。
ポリスを結成したのはスチュアート・コープランドだ。彼がスティングを誘ってバンド結成となった。スチュアートはポリスのスポークスマン的なところもあった。
でもソングライターで、シンガーのスティングがどうしても中心のスターになる。
そこにどうしても個性・感情のぶつかりあいがあって、晩年バンド内の雰囲気はもう最悪の状態だったようだ。要はスティングとスチュアート・コープランドの仲が悪かったのだ。その間を埋めるような緩衝材、クッションになっていたのが、アンディ・サマーズだった。
最大のヒットとなったシンクロニシティーでのレコーディングでは、メンバー間の関係が最悪のときで、お互いメンバーの顔を合わせることなく、別々にテイクをとって、それをミックスしたとか。
そのシンクロニシティーが、空前絶後の大ヒットとなって、全米のビルボードチャートのアルバム部門で、17週連続(4か月間)、1位を独占。シングルカットの「見つめていたい」も8週間(2か月)1位を独占した、まさにロック界の頂点に立った。
その年のグラミー賞で最優秀ロック・グループ賞と見つめていたいの年間最優秀シングル曲賞だったような記憶がある。その年は、マイケル・ジャクソンの「スリラー」が世界的な大ブレークした年だったから、ポリスは大善戦だった。
1983年、忘れもしない自分が大学1年生のときだったな。
当然、このアルバム発売に乗じて、全米をはじめとする全世界ツアーをおこなった。俗に言う「シンクロニシティー・コンサート」。
これはじつは日本にも来る予定で、当時北海道にいた自分は、東京まで遠征するつもりだった。
でもチケット発売前に中止になってしまった。はい、泣きました。
シンクロニシティー・コンサートの全米ツアーはまさに熱狂の渦だった。
なんせアルバムは、全米チャートを独占・独走していたからね。
このツアーの中で最大のメモリアル・コンサートとなったのが、ニューヨーク・シェアスタジアムでのコンサートだった。野球場なのだが、ここは、昔ビートルズがコンサートをおこなったところで有名で、まさにビートルズの再来と騒がれて、この聖地に凱旋してコンサートをやることが、この全米ツアーの最大の頂点、盛り上がりとなった。
自分は、このときの熱狂の様子を、ミュージックライフの特集記事で読んだ。もう何回も何回も擦り切れるように読み返した。コンサートが終わった後、楽屋に戻った3人がシャンペンで乾杯するところを、球場のスコアのところの電子掲示板で映して、それにまた観客が大歓声になるとか。
シンクロニシティー・コンサートは、ビデオ化された。
ゴドレー&クレームによる作品で、自分の中では、ロックのライブ・コンサートのビデオでは最高傑作だと思っている。そのカメラワークがじつにセンスがよくて、すごい興奮する。
このライブは、カナダのモントリオール、ケベック州で撮られたもので、それも複数のコンサートをミックスして作っているものだった。
VHSとレーザーディスクの両方を買いました。
自分としては、どうしても最大の頂点だったニューヨーク・シェアスタジアムでのライブ動画を観てみたいとずっと懇願している。
Youtubeにあがっていないか、調べてみたい。
もしそのときの動画素材があるなら、市販化してほしいです。
自分がロックに夢中だったときの不幸なできごとは、家庭用ビデオ機器がまだ一般家庭に普及していない頃の話だったことだろう。だから、こういうライブコンサートのありようを動く動画として楽しめなかった。確かに市販化されたシンクロニシティー・コンサートのビデオが販売されたときは、東芝のVHSデッキを親に買ってもらって、それで毎晩観ていた。
自分が就職で、東京に来て、まずやったことは、都内の中古ビデオ屋さんで、ポリスのライブ・コンサートのVHSが出ていないか探しまくったことだ。もちろん市販されているシンクロニシティー・コンサート以外のもの。
北海道にはそういう中古ビデオ屋さんが少ないし、皆無だったからね。
まずロック雑誌の中古ビデオ店のソフト在庫情報で、そのポリスのライブ・ソフトを売っている店を探し出して店を突き止める訳だ。新宿の中古屋さんを本当にしらみつぶしに歩いて探していたなぁ。
いまで言えば、海賊版だと思うのだが、数本見つかって大事にコレクションした。
それはシンクロニシティーより以前の若い頃のツアー・コンサートの様子のもので、大体なものを全部揃えていると思う。市販化されたシンクロニシティー・コンサート以外の別バージョン(別会場)のVHSも見つかった。
3人のステージ衣装が市販ビデオとは違っていた。でもその中の観客の様子の画面が、なぜか市販ビデオの方に挿入されていたりするのだ。そこで、自分は市販ビデオは、複数会場のミックスということがわかったのだ。
一番ステージ・パフォーマンスが格好いいと思ったのは、やはりシンクロニシティのとき。
市販ビデオ以外に、どのような感じだったのかを無性に知りたかった。
特に格好いいと思っていたのは、3人が着ていた当時のステージ衣装。
これには複数のバージョンがあって、それを全部確認したいと思っていた。
当時はSNSなんぞなかったので、それを確認できるのは、ミュージックライフやFMレコパルに掲載されている写真しかなかったのだ。
ところが最近、FBやInstagramでポリスをフォローしていると、その当時のシンクロニシティー・コンサートのときのいろいろなコンサート会場での写真が流れてくるのだ。
もちろんいろいろなステージ衣装のバリエーションがある。
うぉぉぉおおお~。もう興奮状態。(笑)
SNSの時代って本当に、便利だよね~。
学生の当時、雑誌でしか入手できなかったことが、こんなに簡単に手に入るとは!
もう夢中でコレクションしました。(笑)
いまや自分の写真コレクションの中で超お宝です。
これをこの日記で紹介します。
貴重な写真です。
シンクロニシティー・コンサートのときのステージ衣装は大きく3タイプあったという自分の理解。
これ以外はおそらくない。この3タイプをローテーションで回して着ていたに違いない。
これが最も基本になった衣装で、一番有名な衣装。
自分もこの衣装が一番好きである。シンクロニシティー・コンサートといえば、まず思い出すのはこの衣装である。ニューヨーク・シェアスタジアムでの衣装もこれだった。
市販ビデオを撮るために特別に作られた衣装。この写真ではスティングは黒のアンダーシャツを着ているが、市販ビデオでは着ていない。上の白のジャケットでは、やはり映像化するには、ちょっと地味だと判断してこのようなギンギラの衣装をデザインしたのだろうけれど、じつは自分はあまり好きではない。
上の白のジャケット、赤パンツが一番好きだ。
それをシンクロニシティー・コンサートのときも使いまわしたもの。
前作ライブのときと違うのは、アンダーシャツがシンクロニシティーしていることだ。(笑)
自分はこれは好きである。
スティング格好いいな~♪
こういうショットを集めたいのは、ちょっとコア層というか病的でしょうか・・・?(笑)
学生の頃の青春時代にトリップしたポール・マッカートニー来日コンサート [海外ロック]
まさに学生の頃の青春時代にトリップしたような空間だった。おそらく今回が最後の来日公演。
行けてよかった!一生の想い出になった。なにせチケット争奪戦に敗れ、オークション市場ではプレミア高額チケット。半ば諦めかけていたのだが、ぴあで当日引換券(注釈つき)というチケットが販売になっていて、思わず購入。この”注釈つき”というのが難クセなのだが、要は当日券なので、機材に隠れてステージが見えない、とかそういうハンデがある席でも文句を言わないように、ということらしい。
会社を早い時間に早退して、さっそく水道橋駅に。東京ドームへの行き方などまったく予習してこなかったけれど、なにせ改札降りたら、すごいごった返しの混雑の人。その人たちの後をついていけばいいのだ。(笑)
そして到着!2007年のポリスの再結成コンサートのとき以来のじつに6年ぶりの東京ドーム。
やっぱり圧巻だったのは、その凄い人、人、人。クラシックとは全くもってスケールが違う。この凄い人だかりを観て、思わずこれから起こるイベントへの期待度というか、すごいワクワク感が湧きあがってきて思わず武者震いというかすごい興奮だった。
グッズコーナーなんて、こんなすごい行列。ポール人気のすざましさを改めて感じさせられる。
自分の座席のあるゲートまでたどり着くのが大変であった。(汗)なにせこの人だかり。すごい人、人、人。この中を潜り抜けて自分のゲートまでたどり着くのはもう大変。東京ドーム、というか野球場って本当に広いんだなぁ、と思わざるを得なかった。
野球場の中のロケーションはよくわからないので、もう係員の人に聞きまくりだった。そしてようやく自分の座席に辿りついた。野球場でいう外野席レフトスタンドだった。外野席の座席ってすごい小さいんですよね。もう隣の人とびったり寄り添うという感じでもうギュウギュウ。ここで思ったのは、外野席でよかったかな、と思ったことだ。アリーナ席だと、ロックコンサートの場合、みんなスタンディングで立ちっぱなしなのだ。それが事前にわかっていたので、もういい歳である自分にとって腰に来てツライなぁ、と思っていたので、外野席だと座って観れるので、すごいホッとした。
さて、そうやってふっとアリーナ内を俯瞰する。
ステージはどこだ?
あった!バックスクリーンに設定されていた。
自分の座席から観たステージ。
がぁぁぁぁぁぁ~ん!ステージのほぼ真横。見えな~い!(泣)やっぱり注釈つきだけある座席だった。(苦笑)まぁ、公演が始まってからわかったことなのだが、こういうドームのような広い公演では、必ず電子スクリーン掲示板を多方面に設置してポールのステージ姿がどんな遠席の人でもよくわかるようになっているのだ。
ドーム内を俯瞰してみる。いやぁ~凄いね。やっぱりクラシックとは基本的にスケールが全然違う。この大観衆を観て、やっぱりロック・コンサートなんだなぁ、と実感。
そしていよいよ開演!場内がいっせいに消灯された瞬間、地響きのように「きゃ~」という大声援。ポールが登場した瞬間、それはそれは大変だった。
上の写真を観ていただければ、わかると思うが、私の方向に縦長の電子スクリーン掲示板があるのがおわかりになるであろう。私はステージを観ながら、頻繁にこの電子スクリーンを観ていた。ウマイと思ったのは、ポールはところどころ片言の日本語で喋っていたが基本は英語。そうするとこのスクリーンに日本語字幕をつけて何を喋っているのかわかるようにしていたところ。
すごい興奮していて、最初の曲がなんであったか覚えていない。たぶんビートルズの曲で観客の心をしっかり掴むという感じだったと思う。ポールは、あのビートルズ時代に使っていたカブトムシのようなベースを持っていた。(でも1曲終わる度にギターを変えていましたが。)
もう、これでもか、これでもか、というくらいのビートルズ、ウィングス時代の名曲オンパレードで、私の両隣の女性などは興奮して声を出して泣き出していた。やっぱりポールの公演は、一種のセレモニーな訳で、ニューアルバムの新曲も披露したけど、こういう過去の名曲はもうお約束事なのだ。もう断然、歓声の大きさが違った。
自分もビートルズやウィングスの曲など、もう25年以上も聴いていないのに、その曲が流れるだけで、すぐに何の曲なのかすぐわかるし、凄い興奮状態に陥ってしまった。
電子スクリーンに大きく映し出されたポールの姿は、すごい格好よかった。とても70歳を超えているとは思えないスラッとした体形で、白いワイシャツに黒のスラックスで吊りバンドをしている。足長胴短でスタイルがよく、カッコいいなぁ~と思わず思ってしまった。髪の毛もフサフサで、ハンサム。男として、こんな風に歳を取れるとホントに理想だよなぁ、と思わず思ったものだ。
そして1番心配だった声。もう歳だから無理だろう、と思っていたが、まったくそんな心配なし。シャウト含めてもう素晴らしかった。これだけ声が出ていれば、十分。やっぱり日頃の鍛錬のきわものなんだなぁ、と思った。
辟易したのは、ドーム内でのPAを使った音響。これはひどいものだった。(苦笑)
やっぱり25年以上もクラシックの生音主義というか原音主義の世界に浸っていると、こういうPAのかかった音というのは非常に不自然で違和感がある。とくにこんな広いドームでのPAでの音は、残響が多すぎて、原音が奥に引っ込むというか聴こえてこない、風呂場で歌っているような感じで悲惨なものだった。でも広い会場でのロックコンサートではPAは欠かせないし、仕方がないのだけれど、やっぱりひどい音だよなぁ。
特に、ビートルズ時代の名曲、ザ・ロング・アンド・ワイデンィング・ロードとレット・イット・ビー。PAを通したピアノの音色を聴いたのだが、もう幻滅。(笑)なんか電気的な音で、ピアノの音色じゃない。もうこの時点で、そういう要素はもう気にしないで、お祭りを楽しもうという気分に乗り換えた。
ウィングス時代に作曲した映画のサントラの「007死ぬのは奴らだ」。これはすごい盛り上がった。サビの部分ではステージ前面から炎が突きあがるような演出で、もう観客はびっくり。すごい演出だった。
そしてエンディングはヘイ・ジュード。これはもう盛り上がったねぇ~。最後のほうの合唱の部分では、外野席の我々も堪らずスタンディングでみんなで合唱。ドーム全体の観客が一体となった瞬間だった。
当然、これで終わる訳はなく、アンコール。お約束のイエスタディはじめ名曲を次々と披露。もうノリノリ~最高潮。
そしてとどめのラストは、アビイロードのB面メドレー。うまいよねぇ~。演出が!あの素晴らしい芸術品のメドレーを最後に持ってくるなど、本当に盛り上げ上手です。(笑)
本当に行けてよかった!最後の挨拶でポールは「また会いましょう~」と言っていたが(笑)順当に考えるとおそらく最後の来日公演だと思うので、ポールの生姿を観るのはホントの意味で最初で最後。自分の若かりし頃の青春の想い出がフラッシュバックされてくる最高のコンサートでした。
じつは今日、会社を休んでしまいました。(汗)朝、すごい疲労感で起きれなかったのです。こんなことははじめて。ロック・コンサートってこんなに疲れるものとは!あれだけ興奮したら、やはりそれ相当の疲れって出るのですね。
さて、公演中の写真の数々をアップロードします。残念ながら、周りが真っ暗なところで、明るいステージを撮ると、ピントが合わずボケてしまうようで、綺麗な写真が撮れませんでしたが(私のデジカメテクニックが未熟なのかもしれませんが。)、でも雰囲気だけでも味わえると思います。
ほどほどで済まない、気になる人。 [海外ロック]
(なんと言っても、ちけっとぴあのチケットを購入するのに、クレジットカードを新規に作らせるあのやり方に本当に閉口!)一般発売に期待していたのだが、凄い争奪戦であえなく惨敗。
セカンド・ステージとしてオークションなどで狙ってみたが、小澤・サイトウキネンも真っ青のプレミア高額チケット。いまじゃ東京ドーム公演はほとんど出ていなくて、大阪公演ばかり。夏の大旅行の散財で、つつましやかな生活をしたい自分にとって、泣く泣くあきらめた。
本当は彼のコンサートに行って、その感想日記を書くときに、彼に対する想いを書きたかったのだが、仕方がないので、コンサートに行きたい〜と思いながら、前哨戦みたいな感じでしたためることにした。
ポールと出会ったのは、中学2年のとき。当時はビートルズは解散していて、ポール・マッカートニー&ウィングス全盛の時だった。このときはビートルズはまだ聴いたことがなくて、最初にウィングスと出会ってポールの音楽の素晴らしさに幼心にもイタク感動してしまった。
最初の出会いが、3枚組のUSAライブ。これは本当に擦り切れるほど聴いたものだ。なんと素敵なメロディーなんだろう!といままでに聴いたことのないフックの効いた旋律。夢中になった。子供時代のわずかなお小遣いを貯めてウィングスの他のLPも買っていった。
当時は洋楽は、ひとつのブランドというか、自分は日本のアイドルを始めとする芸能界を聴いている友達とは、ちょっと一線を画すんだぞ、という感じで、洋楽を聴くこと自体が格好いいステータスというか、ひとつのアイデンティティーみたいな感じで自分は他人とは違う、ということを示したかった、そんな反抗心真っ盛りの世代だったのかもしれない。ポールはそんな自分を誇張するためのアイドルであった。
ウィングスを聴くようになってから、ビートルズの存在を知って、逆に遡って、今度はビートルズに夢中。(笑)当時は、第2次だったか第3次のビートルズ復刻ブームで、素晴らしいジャケットを含めた、その完成度の高い音楽性には本当に惹かれるものがあった。
若々しい前期の頃よりも、より内向的で退廃的なムードが漂う後期の作品のほうが断然好きだ。結局ビートルズのアルバムLPは、ほとんど集めたのではないか、と思う。
いまのようなネットで情報氾濫の時代と違って、自分の身の回りにこういう洋楽の情報はほとんど皆無で、湯川れいこさんのミュージックライフで、その写真、記事を観て、すごい興奮するという感じだった。時々TVで特集されたときなんぞは、もう大変!(笑)
どちらかというと当時の洋楽は映像メディアは追い付いていなくて、ひたすらレコード鑑賞で堪能して、その音楽を聴きながら、自分の頭の中でステージ姿を妄想するというかそんな感じだったような記憶がある。いまの情報氾濫の時代と比較して、当時のほうが自分の中のスターのカリスマ性を磨くというか、自分が崇拝する偶像の尊厳を高めるには、返って情報がなかった時代のほうが幸せだったように想うこともある。
ビートルズの素晴らしさを知って、ますますその当時現役で活躍してたポールに、そのビートルズの影を観ているかのように、その想いを馳せていたのかもしれない。
よくビートルズの中にはジョン派とポール派のどっち?という議論があるが、自分はポール派だった。 ジョンの社会性メッセージ色の強い音楽、スタイルにも魅力を感じることは確かだが、ポールのほうがわかりやすいし、親しみやすい。なんと言っても、ラブソングを代表する彼の暖かいメロディーのほうが自分には心地よかった。
中学から高校、大学と進んでいくうちに、自分もどんどん内向的になっていく。
当時のロックはいわゆるブリティッシュ・ロックと米国ロックの2つに大別できて、自分は断然英国派だった。英国のほうがカリスマ性があって、ファッショナブルで尖っている感じがとても好きだった。
そのうちロッキン・オンの渋谷陽一に傾倒していき、彼の考え方、捉え方、お喋りに夢中になって影響を受けた。彼の進めるアーティストを積極的に聴くようになっていった。(でもレッド・ツッェペリンはあまり聴かなかった。(笑))
米国ロックを産業ロックとして馬鹿にしていたこともあった。
さすがにパンクは聴かなかったけど、その後のUKのニューウェーブは本当に虜になった。特に3人編成のロックバンドが異常にコンパクトで格好いいと思った時期で、スティングのポリスだとか、ポール・ウェラーのジャムだとか、徹底的にのめり込んだ。
そんなクラシックの世界とは正反対の世界を泳いできたのだが、社会人になってから、信じられないくらいピタッと全く洋楽を聴かなくなってしまった。
社会人時代の洋楽は、もうすでに自分がかつて憧れていた面影はなくて、昔自分が嫌っていた日本の芸能界とあまり変わらないような感じで惹かれるものがなかった。また社会人で仕事が中心の忙しい生活になると、そういう過激な音楽よりも、クラシックのほうが精神的に癒されるというか、精神性が高い音楽のような感じがして、ロックからは自然に離れていくような感じになっていった。
自分の音楽遍歴にそういう経過があるので、今回のポールの来日は、特別の感がある。
1980年代初頭だったか、ポールが来日するときに大麻を所持して逮捕されたときのこともよく覚えている。
そんな自分にとって、学生時代のロックの道を開けてくれたポールが、おそらくはこれが最後の来日公演になるはず。
一生で一度でいいからその生姿を観ておきたい、という想いが強い。
ポールはかなり歳なのに、見かけはかなり若い。でもおそらくは声なんかもうほとんど出ないというか、あの広い東京ドームでPA付きとはいっても苦しいものがあるんじゃないかなぁ、と思うのだ。華やかな頃しかイメージにない自分にとって、現在を知ることは極めて酷なこと。 そんな恐怖感もあるのだけど、やっぱり一目見たい。
本当にほどほどでは済まないくらい、今現在、気になる人なのである。