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名古屋いろいろ [国内旅行]

今回の旅行でつくづくわかったことは、名古屋は、やはり大都会であるということ。それも半端ないくらい大都会だと思う。


でも不思議なことに、大阪、京都方面に新幹線で行くことはあっても、名古屋はその途中駅というイメージがあって、なかなかそこに降り立つということがなかった。


人生で初めて名古屋の街を歩いたのは、5年前の2015年のアラベラ・美歩・シュタインバッハー、ヘンゲルブロック&NDRの東京、大阪、愛知弾丸ツアーの追っかけをしたときが初めてだったのである。


あとは、2回ほど岐阜サラマンカホールに遠征するとき、新幹線で名古屋乗り換えで、そのときに住よしさんの立ち食いきしめんを体験するくらいであった。


人生50代後半にもなって、それじゃいかんだろう、ということで、今回思い立って、徹底的に名古屋を楽しもうと思ったのである。


本来であればコンサート付きで実行したかったが、あいにくのコロナ禍。
もうそれは仕方がないだろう。


たった1泊2日だったけれど、それでも十分名古屋のことを楽しめたし、来てよかったと思う。もちろん、在住の方や出身の方からすると、たった1泊2日で、しかも観光地だけでなにがわかるんだよ、というツッコミはあると思うが、そこはご容赦ください。


JRや地下鉄で、今回頻繁に使ったのが、東山線、名城線、あと名鉄線かな、これはフル稼働で、これを使っていろいろな街、観光スポットに行きました。時間の関係上タクシーを使ったところもありましたが。(笑)


そうするとやっぱり大都会だよなぁとつくづくと感心するのである。


愛知県、名古屋は、自分の故郷の北海道ととても似ているところがありますね。それは子供の頃からずっと抱いていたことだけれど、それは街が碁盤の目状に区画整備されていること、そして交通事故が多いことです。


全国の交通事故件数は、いつも北海道と愛知県がトップを争っているんですね。これは有名なことです。自分の子供の頃からずっとそうでした。(いまは知りませんが。)


そんな観光地ではない、名古屋のふつうのところを写真で納めてきたものをお披露目しようという雑談がこの日記の目標である。



名古屋駅。
後ろに高層ビルがそびえ立っている。
都会だよなぁ。


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名古屋駅(太閤通口)から見た正面の図。
あの正面の名鉄ニューグランドホテルが、自分の宿泊したホテルでした。
いいホテルでした。


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名古屋駅は広くて近代的です。


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名古屋駅には、”なごやめし”を食べさせてくれる飲食店専門アーケード街があります。
あの台湾ラーメン「味仙」の名古屋駅前店もここにあります。


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太閤通口と桜通口に出口があって、新幹線乗り場は、太閤通口のほうにあります。
自分のホテルも太閤通口側にあります。


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だからいつも地下鉄であっちこっちに行った後、名古屋駅に戻ってきたら、いつも、掲示板で新幹線乗り場方面はどっち?それがわかれば太閤通口も近く。。てな感じで自分の方向感覚を養っていました。それでも名古屋駅はすごい広いので、出口から出て、ふっと放り出されると自分がどこにいるのかわからなくなります。


なぜ太閤通口と言うのか、代々徳川家の領地であったところなのに・・・と疑問に思っていたところに駅にこんなポスターが!(笑)


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いまNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、佐々木蔵之介さん演じる藤吉郎(豊臣秀吉)のポスターが貼ってありました。ネットで調べてみたところ、太閤にはじまって「千成通」=「千成瓢箪」「清正幼稚園」などなど豊臣秀吉と加藤清正の生誕地ですので地名や学校名に、その名を残しています。


ですから身一つで、立身出世して、天下人まで上り詰めた歴史上の人物から肖ったものでしょう。それと、もう一つ言えるのは名古屋市は家康の命により、西からの備えの最重要拠点として尾張藩を開き、代々尾張徳川家の治めていた国でしたから、当然徳川の遺産・威光は数多く残されていますが、中村区だけは(中川区は前田利家)豊臣家の威光の足跡を残したいと言う、地元の民の強い願いが後世に反映された賜物だと思い地元中村区の出身の者としては、誇りである又、粋な文化だと自負致します。


名古屋駅の太閤通口だけでなく、名古屋市の中村区に太閤という地名があるのです。
それにちなんだ解説でした。

納得いきました。


まず東山線で栄という街に。
名古屋の街で一番の繁華街はどこ?そこに行きたいと思ったのですが、よくわからなく、なんとなくネットでも栄が一番出没率が高いので、栄にしました。
ここにはテレビ塔もあるし。


栄の駅を降りて、ちょっと通りを撮影。
遊園地の観覧車が街中にあるんですね。(笑)


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まずテレビ塔のすぐそばにある愛知芸術文化センター。


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コンサートホールである愛知県芸術劇場はこの施設の中の一施設です。
愛知県芸術劇場は、ワインヤードの最新設計の近代ホールで素晴らしいホールですね。
音響もじつに素晴らしいです。

懐かしいです。


5年前に、このホールを体験できました。

アラベラさん、ヘンゲルブロック&NDRのツアーでした。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。


そのときのカーテンコール撮影。(この頃は怖いもの知らずであった。(笑))


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もうこのときの想い出は自分の中で永遠に生き続けることでしょう。


一生の宝物です。
この想い出を大事にして生きていきたいです。



そして名古屋テレビ塔。
シルバーなんですね。


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東京タワー、スカイツリー、そして札幌テレビ塔と、数々の放送電波塔を見てきた経験からするとシルバーというのはなかなか渋いです。


テレビ塔の中に入って展望台に上がって、街内を見下ろしたいと思っていたのだが、朝早かったので、まだ開いておらず、しかたなくその前にテラスで休憩。この日は雲一つない快晴であった。


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ついでにホットドックの朝ごはん。
美味しかったです。


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テレビ塔のふもとには、いかにもイギリスらしいこんなお洒落な英国パブが!
思わず思いっきり反応してしまいました。


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時間になって、テレビ塔の中に入る。
エレベーターで展望台へ。

途中階で下車して、そこから別エレベーターで昇る二段階ですね。
その最初で降りたフロアでちょっとフロア内を歩いてみました。

おみやげショップあります。


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そしてこんなタワーラウンジというお洒落な空間があります。


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展望台に上りました。
こんなフロア。


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そして名古屋の街を一気に俯瞰。

いやぁ本当に大都会ですねぇ~。
街が碁盤の目状に区画整備されているのがよくわかります。


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いつか名古屋にきたときに、楽しんでみたいと思っていたことに、ジャズ歌手のケイコ・リーさんのライブを、名古屋ブルーノートで生体験したい、と昔から思っていたのでした。


そのコンサート日程に合わせて、名古屋をエンジョイしようと思っていたわけ。ケイコ・リーさんは東京、大阪はじめ全国で活躍しているジャズ・スターだが、本拠地は名古屋においていらっしゃる。


やっぱりそこの本拠地でライブ体験をしたいという夢があったんですよね。2000年代前半だったかな、ケイコ・リー・ライブを東京のありとあらゆるライブハウス、ライブレストランで徹底的にハシゴしていた時期が懐かしいです。


お金を湯水のように使っていましたから。

予算体力があって、若いときは、もう徹底的にやらないとダメですね。
徹底的にやるからこそ、それが血肉になって、晩年になって熱く語れるんです。
その素地を養うには、湯水のようにお金を使わないとダメです。
身にならないのです。


徹底的にやった経験がないと、自分の血肉にならないんです。


その最終形を名古屋ブルーノートで、という夢があったのだけれど、残念ながら名古屋ブルーノートはコロナ禍でクローズド(閉業)してしまった。


もうショックでした。


でもいつかその日を名古屋の違うライブハウスで・・・、という新しい目標を立てて、着々と企んでいる最中。(^^)


名古屋芸術大学のキャンパスも拝見してみたかった。なぜか録音エンジニアの世界では、名芸大の出身が多いのか、ひとつのミステリーです。やはりそのジャンルでは、とても先進的な開発・研究が進んでいる大学なのでしょう。


永田音響設計は、なぜ日本大学なのか、というミステリーと並んで、自分の二大ミステリーだったりします。(笑)


地下鉄を乗っていると、行先掲示板にナゴヤドームというのがあって、時間があれば、ナゴヤドームも行ってみたかった。


最近はまったく野球を見なくなったけれど、子供の頃から野球少年だった自分にとって、名古屋といえば、中日ドラゴンズなのである。


王・長嶋の巨人のV10を阻止したのも中日ドラゴンズ。
自分が小学生のとき。


でもそのころは子供だったから、それなりの熱中度合いでしかなく、本当に自分の身の丈にあった、等身大の気持ちでプロ野球に熱中した時期というのは、いわゆる1981年~1987年の7年間ではないだろうか?(自分が高校~大学のとき)


あの頃ほど熱く野球に熱中したことはなかった。


いまでもスポーツニュースやどこが優勝したくらいの関心はあるけれど、日本国民がいっせいに野球に対して熱中した時代はこの頃のフィーバーぶりには勝てないんではないか、と自分は思ってしまう。


北海道はもともと昔はほとんど巨人ファン。
最近になって、地域密着型スタイルになって、日本ハムになった。


巨人は、V9以降長らく低迷していたが、1981年に、藤田元司監督がドラフトで原辰徳氏を1位で引き当て、一気に明るいムードになった。(原辰徳氏は、高校野球の頃からよく知っているよ。)


その勢いで、1981年は独走で日本一になった。
巨人の新しい時代の始まりという感じ。
江川、西本、定岡、松本、篠塚、原、中畑、山倉・・・とか。


王貞治さんは、もう次期の期待中の期待ということで、助監督というポストで、もうこれからの巨人を背負っていくという期待を一気に背負っていた。


でも翌年の1982年、中日とデッドヒートを繰り広げ、最終戦で中日が優勝。


その翌年の1983年、挽回して巨人が優勝。その年の日本シリーズは、
広岡西武対藤田巨人。球界の覇主の争いと言われた。


自分は、いままでの日本シリーズでこの1983年のこのカードの戦いほど素晴らしかった戦いはなかったという自分の短い野球鑑賞生活の中の印象。


逆転に次ぐ逆転。本当に野球はドラマだと思った。そして西武の日本一。
素晴らしい日本シリーズだった。いまでもあの興奮は忘れられないです。



そして、そして、そしてである。
ここからが本番である。


忘れもしない1984年。


日本中の期待を一身に背負って、王貞治さんが巨人監督に就任。
ところが、開幕ダッシュに失敗。


なんと、中日に同一カード14連敗を食らってしまうのである。


自分は、中日ドラゴンズといえば、もう絶対、この1984年の対巨人14連勝を思い出してしまうのである。


ウチの実家は朝日新聞だったから、もうトップの一面でセンセーショナルな見出しで、「巨人、屈辱の対中日14連敗」とデカデカ報じていた。


これは衝撃だったよねぇ。


全国のアンチジャイアンツは、溜飲を下げた年ではなかったのではないだろうか?


当時の中日の監督は、山内一弘さん(故人)。
「なんか、向こうが勝手に転んでくれる。」とインタビューで言うほど珍現象であった。


当時の中日は、田尾、平野、モッカ、谷沢、大島、宇野、上川、中尾とか、投手でいえば小松、郭、牛島とか。


あの頃から、36年経つのに、いまでもスラスラ言えます。(笑)

本当にいいチームでした。


恐竜打線といわれるほど、すごい強力打線であった。


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自分は中日ドラゴンズのユニホームはこのときのデザインが最高に好きである。
いまのはユニフォームはダメですね。(笑)


中日といえば絶対このデザインのユニフォームである。
巨人V10を阻止した時から変わっていなかったですね。


巨人の管理野球に対して中日は野武士軍団と言われ、対抗意識丸出しであった。両方とも親会社が新聞社(読売新聞と中日新聞)だったから、尚更ライバル意識は相当なものであった。


中日は、優勝できなくても巨人にだけは勝ち越せ、というのがチームのスローガンであった。


牛島のフォークは、まったく巨人打線が打てる気配を感じなかった。
牛島が出てこれば、もう終わりという感じである。


中尾のヘルメットは斬新で格好良かった。キャッチャーが専用のヘルメットを最初に採用したのは、中尾が最初である。


後半は巨人が7連勝で盛り返して、結局この年の対戦カード成績は中日の15勝8敗。
巨人はこれが原因で、この年3位で終わった。

この年は結局広島が優勝したと思います。


この年のミラクル、不思議として、巨人は中日が苦手、中日は広島が苦手、広島は巨人が苦手、という面白い相性だった。


しかし、自分、36年経っているのによく覚えているなぁ。(笑)
それだけ鮮烈だったんです。


その翌年、1985年。もうこれは全国の虎ファンが歓喜した阪神タイガースの日本一の年である。


真弓、バース、掛布、岡田という猛虎打線。全国中に虎フィーバーが渦巻きましたね。


巨人槇原が、甲子園で、バース、掛布、岡田からバックスクリーン3連発くらうのをリアルタイムで見てましたから。(笑)


生きる伝説ですね。


結局、全国の期待を一身に背負っていた王さんは、就任して3年間優勝から遠ざかり、ようやくリーグ制覇できたのは、1987年だった。自分が就職して上京した年である。


でも日本シリーズでは、結局西武に2勝4敗で日本一を譲った。


王さんは、自分も期待していたけれど、結局巨人監督時代はうまく波に乗れなくて、そのまま不発で終わってしまったという印象だった。(後年の福岡ダイエーで挽回しましたね。)


その王監督の1年目の対中日14連敗。


これがすべてのつまずきの始まり。すべてではないか、と当時思っていました。


中日といえば、どうしても自分はこの1984年のことを思い出してしまうのです。
条件反射、パブロフの犬ではないでしょうか?


広島も山本浩二、衣笠祥雄、高橋慶彦、北別府学とかすごいメンバーで黄金時代でしたね。


思うに、自分が熱中していた1981~1987年は、まさに日本プロ野球は、これだけ役者が揃っていた名選手の黄金の時代だったのではないか、と思うのである。


巨人にだけは勝ち越せ・・・、そういう侍魂が溢れていました。


将棋でも言いましたが、プロ野球もいまの選手は、みんなレベルが昔より高いのかもしれませんが、みんなおとなしいですよね。


男としての殺気が足りないです。

そこを見ていて、物足りなく感じるのです。


社会人になった1987年から野球も縁遠くなり、いまやニュースで結果を知るくらい。
昔のようにゲームを長時間見ることは不可能な体になってしまいました。


名古屋の日記が、なぜか野球の話になってしまいスミマセン。


自分のSNSでは野球の話はしないように、いままで気を付けてしまいましたが、名古屋→中日の話の展開につい脱線しました。(笑)


それだけ、当時の中日ドラゴンズはすごいチームだった、ということを言いたかっただけです。










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熱田神宮と白鳥庭園 [国内旅行]

熱田神宮に行きたいと思っていたのは、ガイドブックに掲載されている神楽殿の写真が、すごい魅力的で、わぁここはぜひ行きたいなぁとひとめ惚れしたからだった。


日本神話にも登場する熱田神宮は、伊勢神宮に次ぐ別格に尊いお宮として崇拝されている。創祀1900年以上の名古屋屈指の歴史スポットといわれているのだ。


三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。


名古屋における、もっとも神聖な聖域の神社、市民の心の拠り所なのだろうと思う。名古屋で1900年以上親しまれている「あつたさん」と言われているのだそうだ。


自分も、家の近くの川崎大師には、かならず新年初詣に行って今年はいい年になりますように、と願いをかけに行く。そんな関係なのだろう。


熱田神宮は、初詣には毎年200万人以上が訪れるとされる。いま年末年始は分散休暇ということで、初詣など年末年始に人が集中しないように政府が提案しているけれど、自分は今年は北海道に帰省しない。初詣はやはり川崎大師に行きたいけれど、どうしようかなぁと思っていたところであった。


でも、自分にとって、そんな思い以上に、熱田神宮のそばに、ひつまぶしの「あつた蓬莱軒」がある、ということが一番の動機だったのかもしれない。(笑)


よっしゃ!これは行くっきゃない!

一石二鳥である、みたいな。。。


境内は深い森に覆われ、静かで清らかな雰囲気だった。
かなり広いです。


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いよいよ本宮が近いづいてきました。
やはり参拝客が多くて、自分はちょっとコロナ危険を感じました。


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ここが本宮。


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そして神楽殿。


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素敵でしょう!
自分はここを一度じかに観たかったのでした。

荘厳な造りの神楽殿は、まさにこの熱田神宮の見どころのひとつ。
どっしりとした屋根の造りに威厳が漂いますね。

この重厚感ある屋根は2009年に新築されたものだそうだ。
つい最近のことなんですね。木の色合いもすがすがしい。

お宮参りや七五三などの祈祷が執り行われる場所である。
毎年1月1日午前零時には「初神楽」が奉奏される。



目的を達成して、よし!あとは、「あつた蓬莱軒」のひつまぶしが待っている。(笑)もう気持ちはすっかりそちらのほうに行ってしまっているのである。


「あつた蓬莱軒」に向かって歩き出す。
正参道という道で、正門に向かって歩いている。
本当に深い森の中を歩いている感じで、道が広く整備されている感じである。
もうこのときは、足がじんじんと痛かったです。


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「あつた蓬莱軒」でひつまぶしを堪能した後、そのまま散策で、白鳥庭園まで歩いていこうと考えた。地図ではすぐ近くにあるように感じるのだが、実際歩いてみると、かなりの距離歩いた。


熱田神宮周辺というのは、江戸期に東海道の宿場町として賑わったエリアであり、その歴史が感じられる。


白鳥庭園は、東海地方最大級の規模を誇る日本庭園である。


徳川園と同じように、池泉回遊式庭園で中部地方の地形をモチーフに、築山を「御嶽山」、そこからの流れを「木曽川」、流れの水が注ぎ込む池を「伊勢湾」に見立て、源流から大海までの「水の物語」をテーマにした市内随一の規模を誇る日本庭園なのである。


この白鳥庭園に行ってみようと思ったのは、ガイドブックに掲載されているプロの写真がとても素敵だったから。自分のアンテナにビビッときました。


ぜひ自分のカメラで撮りたいと思いました。


でも実際行ってみると、そんなうまくいかないんですよね。ガイドブックの写真と同じ構図で撮りたかったのだけれど、実際現場に行ってみると、それはあきらかに無理だ、ということがわかった。


それは、プロの写真は、あきらかに現在は立ち入り禁止エリアになっているところから撮っているとしか思えないからである。(笑)


そりゃないよなぁ、と思いながら、しかたがなく妥協案のアングルで。


これで我慢をしてください。

実際はもっと素敵です。


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これで名古屋旅行の全日程終了。
ご苦労様でした。

もう足が棒になるほど疲労困憊しました。
名古屋はとても歴史ある文化遺産がたくさんあることがわかりました。
とても素晴らしかったです。


あとは名古屋の市街をぶらぶらで総括をします。









 

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徳川文化遺産 [国内旅行]

愛知・名古屋は、尾張藩主徳川家が代々治めてきた領地であったから、そこに残る文化遺産はどうしても徳川家伝来の什宝​になるのであろう。


そのことに気づいたのは、名古屋城が尾張藩主徳川家の居城であったこと。


そして、ほかに自分が名古屋でどうしても観光したいと思った場所が、徳川園・徳川美術館であったことからだ。


名古屋に行くなら、この徳川園・徳川美術館はぜったい行かないといけないと思った。

徳川園と徳川美術館は、同じエリアに併設されていて、一気に攻略できる。
大曽根駅にあるのだが、行きは山本屋本店からタクシーで直行した。


正門である徳川園黒門。


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徳川美術館。


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入ったすぐに大広間のロビーがある。
一番奥の入り口が、美術館への入り口である。


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この写真からだと、少しわかりずらいと思うが、中を見ると、展示室の中は照明がかなり薄暗く、温度・湿度管理もされている。


什宝はウィンドウケースの中に収納され、展示されている。

やはり歴史があって、時代もかなり経っている什宝たちばかり。


照明が強いと、それだけで絵巻とか書物は色褪せてしまうのだろうし、温度・湿度管理も保存を考えると当然だ。


館内は、当然撮影禁止だ。


そのまえに、徳川美術館について。


公益財団法人 徳川黎明会が運営する私立美術館。1935年に開設された。収蔵品は駿府御分物(徳川家康の遺品)など尾張徳川家伝来の大名道具や他の大名家の売立てでの購入品、名古屋の豪商らからの寄贈品など。


2019年現在で、国宝9件、重要文化財59件を収蔵する。



美術館の開設までの道のりを、ネット情報を使って少し説明しておくと、
(これは知っておいたほうがよい。)


1910(明治43)年は「名古屋開府300年」にあたり、祝賀行事の一環として、尾張徳川家は名古屋で、初代・義直ゆかりの品を中心とした什器の展覧会を開催し、また新古美術展覧会にも書画や器物を出品した。それ以降、尾張徳川家の什宝は「国華」誌でたびたび取り上げられるようになった。


1912(明治45)年には、東京帝国大学・京都帝国大学の文科大学の教授・講師が名古屋・大曽根邸を訪問して什宝を観覧。同行した国華社が什宝の写真を撮影し、この写真の展示会が行なわれ、反響を呼んだ。こうして什宝の展覧会がたびたび話題を呼んだことで、尾張徳川家第19代当主・義親は、什宝の保存や公開の必要性を感じるようになり、美術館の設立を構想したとみられている。


1910年代後半に尾張徳川家は拠点を名古屋から東京に移して、名古屋の土地家屋を処分、拠点・事業の整理・縮小を進め、名古屋における同家の拠点は大曽根の別邸に集約されることになった。


1920年に義親は新聞を通じて大曽根邸の敷地に尾張徳川家の宝物を公開する博物館を設立する構想を発表。予算は50-100万円で、収蔵点数は約1万点、刀剣が多いと見積もられていた。


1921年には、片桐の整理の結果を基に、重複品・不要品とされた什宝(全体の10-15%)が競売に出され、売上総額約57万円は博物館の設立準備金として運用された。


1929年に鈴木信吉が尾張徳川家の家令となると、博物館構想は急速に具体化し、1931年、財団法人尾張徳川黎明会が設立され、尾張徳川家伝来の什宝・書籍類のほとんどが同財団に寄付された。


1932年9月には大曽根で美術館建設が着工した。


義親は、他の華族が経済的に逼迫して競売に出した家宝をかたっぱしから落札。(やっぱり世の中そうなんだね。。笑笑)1935年には近衛文麿から「侍中群要」を交換で入手するなどして、開館準備を進めた。1935年に美術館の建物が竣工し、同年11月10日に一般公開を開始。



まっざっとこんな感じなのである。


自分は、事前に調べていく過程で、この徳川美術館所蔵の徳川家の什宝で、なにに優先順位をつけて観るべきなのか?を検討した。おそらくこうやって的を絞らないと、数多の所蔵品に目を奪われ、印象度合いが分散してしまう気がしたのである。


自分がターゲットを絞ったのはふたつ。


●国宝・初音の調度


千代姫は三代将軍家光の長女で、寛永16年(1639)、わずか数え年三歳で尾張徳川家二代光友にお嫁入りした。千代姫の婚礼調度は、調度の意匠が「源氏物語」の「初音」の帖に因んだ「初音の調度」が47件、同じく「胡蝶」の帖に因んだ「胡蝶の調度」が10件、さらに染織品・金工品を加えた総計70件が現存し、一括で国宝に指定されている。


要は、徳川家に伝わる日本一の嫁入り道具ですね。
三代将軍家光の愛娘千代姫が尾張家に嫁ぐ際に持参した嫁入り道具です。


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これはすごい!!!

これは絶対観ないといけないでしょう。


期待を膨らませて、展示室を隈なく回ったが、該当のものが見つからず。係員スタッフに確認したところ、この写真は、全品展示の写真で、これは保管の観点から10年に1度しかお披露目しないのだそうだ。


だから毎年はやらない。

今年はこの中で、4品だけの展示だそうだ。


実際その展示まで案内してもらったが、単品で見ると、これが意外にもあまり感動しないんだな。(笑)10年に1度の全品展示の際は、ぜひ再訪することにしよう。


そしてもうひとつが、


●源氏物語絵巻


これが自分にとって最大の目玉であった。

平安時代の紫式部が著した源氏物語を描いた絵巻である。
作品保存の観点から、毎年11月に2~3面のみが特別公開されるそうだ。

ということは、このいまの10月には見れないということになる。


あ~もう残念!


「源氏物語絵巻」というのが、どのようなものであるかはネットでの拾い絵で申し訳ありませんが、こんな感じのものです。


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ここで源氏物語絵巻について、同様に解説を試みてみよう。


源氏物語絵巻は、源氏物語を題材にした絵巻物である。源氏物語を題材とする絵巻物は複数存在するが、ここでは通称「隆能源氏」(たかよしげんじ)と呼ばれている平安時代末期の作品で、国宝に指定されている作品のことに言及している。


日本四大絵巻として、


・源氏物語絵巻
・伴大納言絵詞
・信貴山縁起絵巻
・鳥獣人物戯画


(いずれも国宝)


が存在する。


かつて「隆能源氏」と呼ばれてきた「源氏物語絵巻」は、源氏物語を題材にして制作された絵巻としては現存最古のもので、平安時代末期の制作であるとされている。


本来は源氏物語の54帖全体について作成されたと考えられている。


各帖より1ないし3場面を選んで絵画化し、その絵に対応する物語本文を書写した「詞書」を各図の前に添え、「詞書」と「絵」を交互に繰り返す形式である。全部で10巻程度の絵巻であったと推定される。


本絵巻で現存するのは絵巻全体の一部分のみである。


名古屋市の徳川美術館に絵15面・詞28面、東京都世田谷区の五島美術館に絵4面・詞9面が所蔵され、それぞれ国宝に指定されている。


徳川美術館に所蔵されている3巻強はもと尾張徳川家にあったものである。


あとで写真を御覧に入れるが、源氏物語絵巻の昭和復元模写とは、櫻井清香により徳川美術館に保存されている原本を複製した物。最新の科学技術を使って原本を精確に複写した平成復元模写と違い、絵に櫻井清香自身の個性が反映されているため、原本とはまた違った絵画作品となっているとされる。


要は、本物は品質管理上の問題から、とても展示するに堪えないけれど、それの復元模写は、堂々と展示されているのである。


自分が観てきたのは、この復元模写である。しかも櫻井清香による、そして絵に櫻井清香自身の個性が反映されているため、オリジナル原本とはちょっと違う趣の作品だったということになる。


むむっちょっと待て?


自分が観た絵巻には、印刷模写と書いてあったから、ひょっとしたら平成復元模写なのかもしれない?そうすると原本に忠実ということになる。


よくわかんなくなってきたので、そのままにしておこう。(笑)


館内は撮影禁止である。


でもこそっと。(笑)
ここがメインだったので。


こうやって、源氏物語絵巻の展示コーナーには、こういう電子パネルでその絵巻が表示されるようになっていた。


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そして、これが源氏物語絵巻の復元模写、櫻井清香による絵である。(昭和復元模写)もしくは、最新の科学技術を使って原本を精確に複写した平成復元模写のどちらか。


「絵」と「詞書(ことばがき)」が交互に繰り返す形式であることが、よくわかるだろう。「詞書(ことばがき)」というのは、その「絵」に対応する物語本文のことである。


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自分は復元模写とはいえ、これを観たときは感動のあまり震えた。


素晴らしい!!!


源氏物語ってどういうストーリーなのか知りたくなってきました。(笑)

この徳川美術館での最大のイベント、最高潮ボルテージでした。


「源氏物語絵巻」は、東京都世田谷区の五島美術館にもあるようだから、ぜひ観に行きましょう!


これで徳川美術館のミッション、お終い。


ここが、ロビーのところにあるグッズショップです。
きっと徳川家の什宝の記念グッズがいっぱい売っているのでしょう。


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徳川美術館を出て、徳川園に行くのだが、その途中に、徳川園ショップ「葵」というお店があった。徳川家は葵の御紋であるから、そういうネーミングなのでしょう。


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ここも記念グッズをたくさん売っていました。



そしてつぎに徳川園。

徳川園というのは、尾張徳川家の邸宅跡を利用した日本庭園のことである。
池を海に見立てた池泉回遊式庭園である。


徳川園は、徳川御三家筆頭である、尾張藩二代藩主光友が、元禄8年(1695年)に自らの造営による隠居所である大曽根屋敷に移り住んだことを起源としている。


光友の没後、この地は尾張藩家老職の成瀬、石河、渡邊三家に譲られたが、明治22年(1889年)からは尾張徳川家の邸宅となった。


昭和6年(1931年)、十九代当主義親から邸宅と庭園の寄付を受けた名古屋市は整備改修を行い、翌年「徳川園」が公開された。


徳川園は、池泉回遊式の日本庭園で、江戸時代の主だった大名庭園もこの様式である。清流が滝から渓谷を下り海に見立てた池へと流れるありさまは、日本の自然景観を象徴的に凝縮している、と言われている。



ざっとこんな感じである。


庭園を歩いていると、とにかくその風光明媚な景色に圧倒されます。敷地内は結構高低差があって、渓流、滝などがあって、それが低い下のほうに流れていって、そして池に流れ込む、それを海に流れ込む、というように解釈する、ということなのだろう、と思う。


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これが大曽根の滝です。


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このショットが、徳川園の庭園をもっとも美しく撮る構図だと思います。
徳川園の代表的なアングルですね。


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池の鯉は、信じられないくらい人懐っこいです。


鯉にエサをやれるようにエサが売られているので、観光客がかならずエサをくれるものだと、もう鯉のほうでもわかっていて、人が近づいていくとこのように寄ってきて、口をパクパクしてエサくれ!とやるわけです。


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徳川美術館と徳川園は、上からの航空写真をみると、こんな感じである。


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美術館の横に、庭園が一面に広がっているのがよくわかるであろう。
結構広い庭園でした。


これにて、徳川美術館、徳川園の鑑賞終了。

すばらしい徳川文化遺産でした。


ここから最寄り駅の大曽根駅まで歩いて帰る訳だが、結構距離があり、かなり歩いた感じがします。途中で喉が渇いて、渇いて。。。その前に、山本屋の味噌煮込みうどんを2杯も食べて、だしも完飲。


そりゃ喉カラッカラッになります。

ここで自販機を探すのが一苦労でした。


ようやく駅近辺で見つけたとき、ペットボトルのお茶にありつけたときは、まさにこの世の天国と言っていいほど、美味しかったです。生き返りました。


ペットボトルのお茶、90円でした。(ふつう東京では160円くらいはするだろう。)












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