SSブログ

クラシック・コンサートのカーテンコールは、なぜ何回も繰り返すのか? [クラシック雑感]

クラシック・コンサートに行き始めた人は、あの終演のときのカーテンコール、つまり指揮者やソリストが何度も舞台袖に下がっては、また登場して、を繰り返して拍手喝采を浴びるのか?といういわゆる儀式を不思議に思うかもしれない。

自分は通い始めた頃からそんなに違和感を感じなかったが、じゃあこれはなんのためにやっているの?という疑問にきちんと答えられるか?というと、それも自信がなかった。

せっかく昨日カーテンコール撮影のことについて日記にできたので、ついでに、このカーテンコールの儀式について、チャレンジしてみたい。

ネットでググると、いろんな人がこのカーテンコールについて、語っている。
なんで、ダラダラやるんだよ!スパッと終わってほしい!なんて声も結構多い。(笑)

その中で、有識者と思われる方が、カーテンコールの由来について説明している箇所を見つけたので、抜粋して紹介しよう。

m_DSC00238[1].jpg

もともと、クラシック音楽のコンサートは「劇場(オペラハウス)」で行なわれていた。
例えば、ベートーヴェンの「運命」の初演は、ウィーンに今でも現存するオペラハウス「アン・デア・ウィーン劇場」。

当時、劇場の緞帳(カーテン)を下ろしたのかどうかは伝わっていないが、「カーテンコール」というのは、演目が終わった後、緞帳(カーテン)をおろし、そのすき間から出てきて拍手に応える、というのが本来の姿である。(現在でも、オペラではその形式で行なわれている)

クラシックで「コンサートホールでの演奏」が主流となったのは19世紀以降のこと。

コンサートホールは、オペラなどの舞台上演を目的とせず、場面転換などの必要もないため、大道具移動装置や緞帳(カーテン)といった「劇のために必要な設備」が排され、「いかに音楽をよく響かせるか」に特化したつくりになっている。

このため、演奏するのは良いのだが、「終わった後に緞帳(カーテン)がなく、カーテンコールが出来ない」という問題に直面することとなった。

この解消策が「演奏家自ら袖に下がって、「一度聴衆の視界から消える」ことで、カーテンコールの代替行為とする」方法である。

誰が始めたのか定かではないが、今日では音楽界の常識として、演奏家にとっては「自分の演奏に満足してくれたことに感謝する大事な時間」として、聴衆にとっては「素晴らしい演奏を聞かせてくれたことに対する最大限のお礼」として、どのコンサートでも行なわれている。




そういうことでしたか!

昔は幕カーテンが下りて、そこから観客の歓声に呼び出され、その幕のすき間から出てきて、拍手に応える。確かに、これはいまのオペラでは当たり前にやられていることですね。

そしてコンサートホールでのクラシック・コンサートでは幕がないので、指揮者自ら舞台袖に下がって姿を消して、そして拍手に応えて、また現れる。。。そういうことだそうです。


でも何回も繰り返す理由については、言及されてませんね。

それについてドンピシャ!と的を突いた発言しているところは、ちょっとググったぐらいでは、見つけられませんでした。



カーテンコールとは?

音楽会・演劇・ショーなどで、終幕後に観客が拍手喝采し、いったん退場した出演者を舞台に呼び戻すこと。

「カーテンコール」という言葉の由来は、英語の「curtain call」で、英語圏でも同じような意味で用いられる。「curtain(カーテン)」は「幕」、「call(コール)」は「呼ぶ」といった意味を表し、「幕が下りた後に呼ぶ」という文字通りの意味合いになる。


自分の経験だと、大体クラシック・コンサートのカーテンコールって、4~5回くらいではないだろうか?

2~3回やって、その後アンコールに入って、そしてまたカーテンコール。

オペラはもっと多いかもしれない。
オペラのカーテンコールは、いわゆる独特の形式があって、登場人物1人1人出てきて、拍手を浴びて、そして後ろに並んで、全員終わったらみんなでお手手つないで、ステージの前へ出ていく。

幕を完全に開けて、端役や合唱など全員が集合する形式を特に「アンサンブル・カーテンコール」と呼ぶ。役の重要度の昇順(合唱、端役、脇役、主役の順)に登場する場合が多い。


2013年2月3日 新国タンホイザー.jpg



ここら辺は、オペラファンであれば、もう目に焼き付いている当たり前のシーンであろう。

自分のオペラのカーテンコールのベストショットは、ステージの後ろに合唱、端役などがずらっと並んでいて、主役たちがお手手つないで前へ出てくる瞬間。オペラのカーテンコールを撮影するときは、必ずここを狙う。それまでは絶対写真撮りません。(笑)




なぜ何回も繰り返すのか?


ずばりノンノン流に解析を施してみると、

クラシック・コンサートにしろ、オペラにしろ、何時間も時間をかけたその演奏家、歌手たちの芸術品であるから、それに対して1回の挨拶で終わるのは、あまりにも失礼。やはりこれだけ長い時間をかけた芸術作品に対しては、観ている聴衆のほうもその余韻というのを十分に味わいたい、という想いがあるのではないだろうか?

その余韻を味わうために、何回も繰り返す。

休憩挟んで3時間のコンサートなのに、終演の挨拶、拍手が1回で終わってしまっては、あまりにあっけなさすぎるし、尻つぼみ的な感じもする。

やはり深くて感動を与えてくれた長い公演に対しては、十分にその出演者に対する感謝の気持ちを伝えるには、時間をかける必要がある。

カーテンコールの回数は別に決められたものではなく、臨機応変だ。

本来カーテンコールとはそういう決まった回数ではなく、舞台に感動した観客が劇場を去りがたく、拍手が鳴りやまない状態のことをいうのだ。

まさにクラシックの世界のカーテンコールの奥義はそこにあると思う。

例えばロンドン。例えば韓国。おそらくブロードウェイも。カーテンコールは決まった数しか出てこない。大体1~2回。カーテンコールはあっという間に終わり、オーケストラがチェイサーの音楽を奏で始めたら、観客はさっさと劇場から出ていくそうだ。

それじゃ、あまりに悲しいし、寂しすぎると思うのだが、カーテンコールのやり方や回数などの伝統も、その国によって違うということは当然のことなのかもしれない。







nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。