クラシック・コンサートのカーテンコールは、なぜ何回も繰り返すのか? [クラシック雑感]
クラシック・コンサートに行き始めた人は、あの終演のときのカーテンコール、つまり指揮者やソリストが何度も舞台袖に下がっては、また登場して、を繰り返して拍手喝采を浴びるのか?といういわゆる儀式を不思議に思うかもしれない。
自分は通い始めた頃からそんなに違和感を感じなかったが、じゃあこれはなんのためにやっているの?という疑問にきちんと答えられるか?というと、それも自信がなかった。
せっかく昨日カーテンコール撮影のことについて日記にできたので、ついでに、このカーテンコールの儀式について、チャレンジしてみたい。
ネットでググると、いろんな人がこのカーテンコールについて、語っている。
なんで、ダラダラやるんだよ!スパッと終わってほしい!なんて声も結構多い。(笑)
その中で、有識者と思われる方が、カーテンコールの由来について説明している箇所を見つけたので、抜粋して紹介しよう。
もともと、クラシック音楽のコンサートは「劇場(オペラハウス)」で行なわれていた。
例えば、ベートーヴェンの「運命」の初演は、ウィーンに今でも現存するオペラハウス「アン・デア・ウィーン劇場」。
当時、劇場の緞帳(カーテン)を下ろしたのかどうかは伝わっていないが、「カーテンコール」というのは、演目が終わった後、緞帳(カーテン)をおろし、そのすき間から出てきて拍手に応える、というのが本来の姿である。(現在でも、オペラではその形式で行なわれている)
クラシックで「コンサートホールでの演奏」が主流となったのは19世紀以降のこと。
コンサートホールは、オペラなどの舞台上演を目的とせず、場面転換などの必要もないため、大道具移動装置や緞帳(カーテン)といった「劇のために必要な設備」が排され、「いかに音楽をよく響かせるか」に特化したつくりになっている。
このため、演奏するのは良いのだが、「終わった後に緞帳(カーテン)がなく、カーテンコールが出来ない」という問題に直面することとなった。
この解消策が「演奏家自ら袖に下がって、「一度聴衆の視界から消える」ことで、カーテンコールの代替行為とする」方法である。
誰が始めたのか定かではないが、今日では音楽界の常識として、演奏家にとっては「自分の演奏に満足してくれたことに感謝する大事な時間」として、聴衆にとっては「素晴らしい演奏を聞かせてくれたことに対する最大限のお礼」として、どのコンサートでも行なわれている。
そういうことでしたか!
昔は幕カーテンが下りて、そこから観客の歓声に呼び出され、その幕のすき間から出てきて、拍手に応える。確かに、これはいまのオペラでは当たり前にやられていることですね。
そしてコンサートホールでのクラシック・コンサートでは幕がないので、指揮者自ら舞台袖に下がって姿を消して、そして拍手に応えて、また現れる。。。そういうことだそうです。
でも何回も繰り返す理由については、言及されてませんね。
それについてドンピシャ!と的を突いた発言しているところは、ちょっとググったぐらいでは、見つけられませんでした。
カーテンコールとは?
音楽会・演劇・ショーなどで、終幕後に観客が拍手喝采し、いったん退場した出演者を舞台に呼び戻すこと。
「カーテンコール」という言葉の由来は、英語の「curtain call」で、英語圏でも同じような意味で用いられる。「curtain(カーテン)」は「幕」、「call(コール)」は「呼ぶ」といった意味を表し、「幕が下りた後に呼ぶ」という文字通りの意味合いになる。
自分の経験だと、大体クラシック・コンサートのカーテンコールって、4~5回くらいではないだろうか?
自分は通い始めた頃からそんなに違和感を感じなかったが、じゃあこれはなんのためにやっているの?という疑問にきちんと答えられるか?というと、それも自信がなかった。
せっかく昨日カーテンコール撮影のことについて日記にできたので、ついでに、このカーテンコールの儀式について、チャレンジしてみたい。
ネットでググると、いろんな人がこのカーテンコールについて、語っている。
なんで、ダラダラやるんだよ!スパッと終わってほしい!なんて声も結構多い。(笑)
その中で、有識者と思われる方が、カーテンコールの由来について説明している箇所を見つけたので、抜粋して紹介しよう。
もともと、クラシック音楽のコンサートは「劇場(オペラハウス)」で行なわれていた。
例えば、ベートーヴェンの「運命」の初演は、ウィーンに今でも現存するオペラハウス「アン・デア・ウィーン劇場」。
当時、劇場の緞帳(カーテン)を下ろしたのかどうかは伝わっていないが、「カーテンコール」というのは、演目が終わった後、緞帳(カーテン)をおろし、そのすき間から出てきて拍手に応える、というのが本来の姿である。(現在でも、オペラではその形式で行なわれている)
クラシックで「コンサートホールでの演奏」が主流となったのは19世紀以降のこと。
コンサートホールは、オペラなどの舞台上演を目的とせず、場面転換などの必要もないため、大道具移動装置や緞帳(カーテン)といった「劇のために必要な設備」が排され、「いかに音楽をよく響かせるか」に特化したつくりになっている。
このため、演奏するのは良いのだが、「終わった後に緞帳(カーテン)がなく、カーテンコールが出来ない」という問題に直面することとなった。
この解消策が「演奏家自ら袖に下がって、「一度聴衆の視界から消える」ことで、カーテンコールの代替行為とする」方法である。
誰が始めたのか定かではないが、今日では音楽界の常識として、演奏家にとっては「自分の演奏に満足してくれたことに感謝する大事な時間」として、聴衆にとっては「素晴らしい演奏を聞かせてくれたことに対する最大限のお礼」として、どのコンサートでも行なわれている。
そういうことでしたか!
昔は幕カーテンが下りて、そこから観客の歓声に呼び出され、その幕のすき間から出てきて、拍手に応える。確かに、これはいまのオペラでは当たり前にやられていることですね。
そしてコンサートホールでのクラシック・コンサートでは幕がないので、指揮者自ら舞台袖に下がって姿を消して、そして拍手に応えて、また現れる。。。そういうことだそうです。
でも何回も繰り返す理由については、言及されてませんね。
それについてドンピシャ!と的を突いた発言しているところは、ちょっとググったぐらいでは、見つけられませんでした。
カーテンコールとは?
音楽会・演劇・ショーなどで、終幕後に観客が拍手喝采し、いったん退場した出演者を舞台に呼び戻すこと。
「カーテンコール」という言葉の由来は、英語の「curtain call」で、英語圏でも同じような意味で用いられる。「curtain(カーテン)」は「幕」、「call(コール)」は「呼ぶ」といった意味を表し、「幕が下りた後に呼ぶ」という文字通りの意味合いになる。
自分の経験だと、大体クラシック・コンサートのカーテンコールって、4~5回くらいではないだろうか?
2~3回やって、その後アンコールに入って、そしてまたカーテンコール。
オペラはもっと多いかもしれない。
オペラのカーテンコールは、いわゆる独特の形式があって、登場人物1人1人出てきて、拍手を浴びて、そして後ろに並んで、全員終わったらみんなでお手手つないで、ステージの前へ出ていく。
幕を完全に開けて、端役や合唱など全員が集合する形式を特に「アンサンブル・カーテンコール」と呼ぶ。役の重要度の昇順(合唱、端役、脇役、主役の順)に登場する場合が多い。
ここら辺は、オペラファンであれば、もう目に焼き付いている当たり前のシーンであろう。
自分のオペラのカーテンコールのベストショットは、ステージの後ろに合唱、端役などがずらっと並んでいて、主役たちがお手手つないで前へ出てくる瞬間。オペラのカーテンコールを撮影するときは、必ずここを狙う。それまでは絶対写真撮りません。(笑)
なぜ何回も繰り返すのか?
ずばりノンノン流に解析を施してみると、
クラシック・コンサートにしろ、オペラにしろ、何時間も時間をかけたその演奏家、歌手たちの芸術品であるから、それに対して1回の挨拶で終わるのは、あまりにも失礼。やはりこれだけ長い時間をかけた芸術作品に対しては、観ている聴衆のほうもその余韻というのを十分に味わいたい、という想いがあるのではないだろうか?
その余韻を味わうために、何回も繰り返す。
休憩挟んで3時間のコンサートなのに、終演の挨拶、拍手が1回で終わってしまっては、あまりにあっけなさすぎるし、尻つぼみ的な感じもする。
やはり深くて感動を与えてくれた長い公演に対しては、十分にその出演者に対する感謝の気持ちを伝えるには、時間をかける必要がある。
カーテンコールの回数は別に決められたものではなく、臨機応変だ。
本来カーテンコールとはそういう決まった回数ではなく、舞台に感動した観客が劇場を去りがたく、拍手が鳴りやまない状態のことをいうのだ。
まさにクラシックの世界のカーテンコールの奥義はそこにあると思う。
例えばロンドン。例えば韓国。おそらくブロードウェイも。カーテンコールは決まった数しか出てこない。大体1~2回。カーテンコールはあっという間に終わり、オーケストラがチェイサーの音楽を奏で始めたら、観客はさっさと劇場から出ていくそうだ。
それじゃ、あまりに悲しいし、寂しすぎると思うのだが、カーテンコールのやり方や回数などの伝統も、その国によって違うということは当然のことなのかもしれない。
オペラはもっと多いかもしれない。
オペラのカーテンコールは、いわゆる独特の形式があって、登場人物1人1人出てきて、拍手を浴びて、そして後ろに並んで、全員終わったらみんなでお手手つないで、ステージの前へ出ていく。
幕を完全に開けて、端役や合唱など全員が集合する形式を特に「アンサンブル・カーテンコール」と呼ぶ。役の重要度の昇順(合唱、端役、脇役、主役の順)に登場する場合が多い。
ここら辺は、オペラファンであれば、もう目に焼き付いている当たり前のシーンであろう。
自分のオペラのカーテンコールのベストショットは、ステージの後ろに合唱、端役などがずらっと並んでいて、主役たちがお手手つないで前へ出てくる瞬間。オペラのカーテンコールを撮影するときは、必ずここを狙う。それまでは絶対写真撮りません。(笑)
なぜ何回も繰り返すのか?
ずばりノンノン流に解析を施してみると、
クラシック・コンサートにしろ、オペラにしろ、何時間も時間をかけたその演奏家、歌手たちの芸術品であるから、それに対して1回の挨拶で終わるのは、あまりにも失礼。やはりこれだけ長い時間をかけた芸術作品に対しては、観ている聴衆のほうもその余韻というのを十分に味わいたい、という想いがあるのではないだろうか?
その余韻を味わうために、何回も繰り返す。
休憩挟んで3時間のコンサートなのに、終演の挨拶、拍手が1回で終わってしまっては、あまりにあっけなさすぎるし、尻つぼみ的な感じもする。
やはり深くて感動を与えてくれた長い公演に対しては、十分にその出演者に対する感謝の気持ちを伝えるには、時間をかける必要がある。
カーテンコールの回数は別に決められたものではなく、臨機応変だ。
本来カーテンコールとはそういう決まった回数ではなく、舞台に感動した観客が劇場を去りがたく、拍手が鳴りやまない状態のことをいうのだ。
まさにクラシックの世界のカーテンコールの奥義はそこにあると思う。
例えばロンドン。例えば韓国。おそらくブロードウェイも。カーテンコールは決まった数しか出てこない。大体1~2回。カーテンコールはあっという間に終わり、オーケストラがチェイサーの音楽を奏で始めたら、観客はさっさと劇場から出ていくそうだ。
それじゃ、あまりに悲しいし、寂しすぎると思うのだが、カーテンコールのやり方や回数などの伝統も、その国によって違うということは当然のことなのかもしれない。
2018-10-04 23:32
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