H.I.S.海外支社のその他の想い出 [海外音楽鑑賞旅行]
犯人は、おそらく熱烈なクラシックファンだったのであろう。(笑)
お金を惜しんではいけない。
不幸は突然やってくる。
上限があったと思います。しかも肝心の現金は保証外だったと思います。(笑)
これはよ~く心しておきましょう。
H.I.S.ロンドンとH.I.S.パリ [海外音楽鑑賞旅行]
ロンドン支社は、2016年のグラインドボーン音楽祭に行った時のこと。なにせ突如行きます、という話だったので、この大人気の音楽祭のチケットは、当然全公演ソールドアウト。リターン・チケット待ちだった。
そんなに大人数を収容できるスペースではなかったような・・・
パリ支社はもっと波乱に満ちた出会いでした。(笑)
カートを通して、中身をチェックする。
でも正直言って、パリの日本大使館は超狭い。
パリ支社は、かなり広いスペースでとても綺麗なオフィスだった。
ここで出てきた調書は、日本語バージョンであった。
やっぱりパリはスリの日本人被害者が多いからなんだろうな、と思った。
2~3時間くらい待ったと思う。
「ハイ、これでおしまい。」
「へっ???」
「私のかばんは???」
カバンがちゃんと出てきたこと自体ラッキーと思わないといけないか。
そんな、自分が忘れようにも忘れることのできないH.I.S.ロンドンとH.I.S.パリ。
彼らのTwitterでの投稿を見ると和みます。
最悪なことだけは避けてほしいと願っています。
コヴェント・ガーデン駅前ロンドンの中心地にあるショッピングエリアです。ロンドンの地下鉄駅は、このように外観が可愛いところが多いです。駅が作られた時からずっとこの外観なのか、いろいろ考えながら駅を見るのも楽しいですね。
パリのメトロの駅にこんな掲示を見つけました。"マスクは義務、鼻も口も覆いましょう"。マスクの習慣がなかったフランス人ですが、すっかり外出時の習慣になりました。でもたまに鼻出しマスクの人も…。マスクなしは135€の罰金です。ゴミ箱にMerci(ありがとう)の表示も以前はなかった気がします。
現地に住んでいるからこそのニュアンスたっぷりのレポート羨ましいですね。
また無性に海外旅行に行きたくなりました。
旅行の手配は、もう個人の好きなように自由です。本当に旅行マニア、旅行好きの人なら、全部自分で個人手配することが、またそれも楽しみのひとつですから、そうなさるのもよいか、と思います。
自分が、海外音楽鑑賞旅行と称して、海外のコンサートホール、オペラハウスを巡って、その現地の公演を楽しむ、現地に行かないと会えないスターたちの公演を楽しむ、という企画をやりだしたときからずっとお世話になっているところです。
やっぱりプロだなぁと思いました。
これも大事なことです。
そういう理由からノンノンのブログをスタートさせたのです。
このときが最高に嬉しいです。
コロナ禍でみなさんたち、どのようにお過ごしになられているのでしょうか・・・?
国際音楽祭「プラハの春」 [海外音楽鑑賞旅行]
この音楽祭に行ったら、やはりプラハの街散策が最高に楽しみですね。
ぜひこの美しい街プラハをいろいろぶらぶらしてみたいです。
独特の美的感覚があって、自分にはかなりユニークに感じます。
プラハ歴史地区
プラハ市街中心部には、1992年に世界遺産登録された「プラハ歴史地区」があり、美しい中世の街並みを堪能することができる。
カレル橋
そんな美しい街で毎年5月に開催される国際音楽祭「プラハの春」。
フェスティバル・ロゴ
このプラハの春音楽祭は管弦楽や室内楽のための国際音楽祭。ホスト役はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団。その他にも著名な音楽家やオーケストラが招かれる。
でも国際音楽祭「プラハの春」がスタートしたのが、1946年。
会場は(たとえば2000年)、スメタナホール(市民会館)をメインにルドフィヌス(芸術家の家)、聖ヴィート大聖堂、シュパニェルスキー庭園、聖ミクラーシュ教会、聖ヤクブ教会、聖ベトル=聖パヴェル教会、聖イジー教会、聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂、マーネス、ベルトラムカ別荘、国民劇場、ヤナーチェク・ホール等、25を超える会場が使用される。
スメタナホール(市民会館)
ホール内装は、一見シンプルに見えるが、要所要所ディテールにこだわった装飾は、見事。チェコ芸術の粋を集めた劇場と言えるだろう。
ホール音響は、この写真を見てまず思うことは、天井がすごく高く、ホール容積も広い。でもホールの横幅がそんなに広くない細長いホール。座席は完全なシューボックスなのだけれど、ホールの中高空間はその形状に限定されないように広がっている。内装彫刻のデザインも含め、独特の空間形状ですね。
地上波で再放送が決まった「のだめカンタービレ」。いま話題沸騰であるが、そのヨーロッパ編でプラハが舞台になっているんですよね。このスメタナホールは、ヨーロッパ編の「のだめカンタービレ」で千秋がヨーロッパ・デビューコンサートを行ったホールであり、さらに映画版では、ここの壁にシュトレーゼマン(縦ロールヅラかぶりの竹中直人)の「プラハ公演」特大ポスターが貼られている。
ルドルフィヌム(芸術家の家)。モデル付き(笑)
ドヴォルジャークホールでプラハの春音楽祭
ルドルフィヌム(芸術家の家)は、チェコのプラハにある音楽公会堂である。何十年にもわたってチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であり、毎年5月と6月に開催されるプラハの春音楽祭では主要な開催地の一つとなっている。
ルドルフィヌム内にあるドヴォルジャーク・ホールは、ヨーロッパのコンサートホールの中では最古のものの一つであり、音響効果の面でよく名前を知られている。
スメタナホールに比べると、若干容積控えめという感じですが、そこが逆に音響の面でいい要因になっているように思います。ヨーロッパ最古のコンサートホールのひとつ。
これは黒沼ユリ子さんの著書”アジタート・マ・ノン・トロッポ”でも、この国民劇場については熱く語られていたところで、その箇所を紹介しますね。
自分の国を失った弱小民族が、ようやく1918年に悲願かなって独立国となるまで一体どうやって自分たちの文化を守り続けてきたのか、という問への答えの中の重要なポイントのひとつが「音楽」であったといっても言い過ぎではないと私は思う。
ちなみにプラハ国立歌劇場と、国民劇場は違うので要注意。
プラハ国立歌劇場は、ドイツ語での上演の劇場です。
最後に、1990年のプラハの春音楽祭のコンサートの模様をDVDで鑑賞して、締めとしましょう。
共産主義体制に反対し、チェコ・フィル首席指揮者の地位を投げうって西側に亡命した指揮者クーベリックが42年ぶりに祖国を訪れ、「プラハの春」でチェコ・フィルと「わが祖国」を演奏するという感動的なステージ。
そしてスメタナホールの中の雰囲気もよくわかりました。
画質・音質悪いですが。(笑)
全員スタンディングで拍手で迎えられ、そこに皇室が入られる。
チェコフィルうまかったです。
木管の音色がホール空間をよく通っていました。
やはり難しそうです。(笑)
Mahler Festival 2021 [海外音楽鑑賞旅行]
こういう日程、キャストでおこなうそうである。
出演者陣とスケジュール調整、negociationができたということなのだろう。
香港フィルが初参加。
時間がない。
なかなか困った状況である。でも在宅ワークでメールは確認できるのかもしれない。
おそらく実用化には1年半~2年はかかると思われる。
1回行くと、次の計画を実行するまでには、また貯蓄していかないといけない。
沈着冷静にこういう考えにたどり着くには、すごい葛藤があって本当に大変でした。
いずれにせよ、旅行会社の自分を担当してくれるコンシェルジェの方とよく相談して決めます。
まだやるんですか!(笑) [海外音楽鑑賞旅行]
ということで、本日現時点においては、Mahler Festival 2020については、開催中止ではなく、現在も延期できるかどうかの検討中ということのようだ。
ワクチン開発で臨床試験とか、実使用まで、おそらく1~2年はかかるだろう。
かなり敷居高いと思いますよ。
Mahler Festival 2020 Online の真相 [海外音楽鑑賞旅行]
その詳細な情報が、公式HPと自分のところにメールで送られてきた。
https://www.concertgebouworkest.nl/en/mahler-festival-2020-online?fbclid=IwAR1iB42lq4C8kGhdZHu-5uflT5bi9Y0rpmMu8YJ0uXU0B7AX1PVg7GuFWFk
コンセルトヘボウとConcertgebouworkest(コンセルトヘボウ・オーケストラ)は、マーラーフェスト2020の代替え的な実現手段としてMahler Festival Onlineを、従来の音楽祭の日程通りの5/8~5/17にお贈りする。
●YouTubeやFacebookでのマーラーユニヴァース・ドキュメンタリー配信予定。
●コンセルトヘボウでの無観客セッション(Empty Concertgebouw Sessions)
15 May 12:30 p.m. Alma Quartet & Nino Gvetadze
ということだそうです。(笑)
だから本物のフェストを将来計画する可能性も捨てきれないのです。
ライプツィヒ・マーラーフェスティバル 2021 [海外音楽鑑賞旅行]
マーラー没後100周年記念の行事の一環として、マーラー音楽祭が設立された。
そして来年の2021年に2回目のマーラーフェスティバルが開催される。
ライプツィヒはグスタフ・マーラー所縁の街のひとつ。1886年の夏、28歳のマーラーはライプツィヒ市立劇場(歌劇場)の副楽長に就任。首席楽長が病気で休養したことで、1888年夏までの2シーズンの間に200以上の公演を指揮、その名を欧州楽壇に知らしめた。この成功がブダペスト王立歌劇場の音楽監督のポストを呼び、指揮者としての活躍が本格化。
ドイツ東部、ザクセン州のライプツィヒに拠点を置く「ゲヴァントハウス管弦楽団」は、1743年に民間の手によって創設された世界最古の民間管弦楽団である。カペルマイスターには、フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディをはじめ、アルトゥール・ニキッチやクルト・マズア、そしてリッカルド・シャイーなど、錚々たる人物が名を連ねている。
ゲヴァントハウス管弦楽団は、マーラーの没後100周年にあたる2011年に最初の「マーラーフェスティバル・ライプツィヒ」を開催したが、その第2回目が2021年の5月13日から24日まで開催される。
なんか、アムステルダムのマーラーフェストに負けず劣らずというか、ひょっとしてこっちのほうがスゴイ?(笑)
あきらかにアムステルダムの本家本元よりすごいキャストだ。
交響曲第8番は、指揮者でもあったマーラーが自身で初演した最後の作品。その演奏規模の巨大さから、初演時の興行主によって「千人の交響曲」と名付けられた。マーラー第8番は、このライプツィヒにとって、もっと所縁のある曲。だから3回も演奏するのだな。
しかもメッゾにエレザーベト・クールマン、バリトンにアンドレアス・シャガー。
恐れ入った。
ニューヨークフィルのマーラー演奏のアーカイブをオンライン・ストリーミングで配信するという試みだ。
いずれにせよ、ライプツィヒのマーラーフェストには直接行く予定はないので、高見の見物とさせてもらうことにしよう。ストリーミング配信してくれたら、最高だ。
Mahler Festival Online [海外音楽鑑賞旅行]
コンセルトヘボウ・オーケストラが1.5mのSocial Distancingを保って演奏会をするという方法を模索している。よく見てほしい。ステージではなく客席にオケを配置している。この様式はポリヒムニアのスタジオ録音で採られていたそうで音響的にはアリなのだろう。
マーラー・フェスティバル・オンライン (Mahler Festival Online)を開催する。
本家本元のマーラーフェスト2020の開催日と同じ日程で、2020/5/8~2020/5/17である。
ってことは、無観客ライブストリーミングの生セッションだ。
観客席にオーケストラを配置する。
1.5mのSocial Distancing。
あぁぁ~愛しのコンセルトヘボウよ!
Mahler Festival 2020 開催延期の可能性 [海外音楽鑑賞旅行]
自分との濃厚接触者にも迷惑をかけてしまう。
3年かけて毎日ひたすら貯金してきて、その日を夢見てきたのに、まさかの想定外。行ける可能性があったなら、やはり強行したいという気持ちはあったかも。
マーラーやメンゲルベルクが活躍していたころのコンセルトヘボウはこんな感じだったんですね。
マーラー・パビリオン [海外音楽鑑賞旅行]
ところがなんと今日、偶然にもマーラー・パビリオンのほうのライブストリーミングのほうの第2番「復活」のチケットにリターンがでた!もちろんすかさずゲット!
やっぱり自分には音楽の神様がついているんだ、と思いました。
オーディオマニア目線でしっかりとチェックしてきたい。
画質はブロックノイズなんか出ていないか?画質のクオリティーはどうか?音質はどうなのか?
②マーラー・パビリオン(大型テント)でのイヴェント
③アムステルダム市街での施設(映画館・美術館・ライブハウス)での映画、展示、コンサート。
④各家庭へのオンラインのライブストリーミング
マーラー・ドキュメンタリー
マーラーと若い子供たち
アムステルダム市街でのマーラー
・マーラー・パビリオンで第2番「復活」のライブストリーミングを鑑賞する。
・マーラー・パビリオンでランチタイム・コンサートを楽しむ。
・アムステルダム国立美術館で、”マーラーとオランダの友人たち”の絵画展を鑑賞する。
・アムステルダム国立美術館で、いま修復中(修復されているが鑑賞可能になっている。)のレンブラントの”夜警”を鑑賞する。(マーラーはこの絵画を見てインスピレーションを得た。)
自分が参加する予定のこのフリーランチタイム・コンサートの日程を紹介しよう。
全部で5公演行くつもりだ。
2020/5/11(月)13:00~13:30 Free Lunchtime Concert in Mahler Pavilion
ピアノラを伴奏にしてのマーラー歌曲の独唱。
(マーラーの歌曲がプログラミングされている。)
クレズマー音楽
(東欧系ユダヤ(イディッシュ)、アシュケナジムの民謡をルーツに持つ音楽ジャンルのひとつ。)
ヴァイオリン:カール・デン・ヘルトッグ
クラリネット:カスパー・テラ
アコーディオン:クー・レッテイング
2020/5/13(水)13:00~13:30 Free Lunchtime Concert in Mahler Pavilion
マーラー歌曲室内楽版など。
Leo Smit Ensemble(レオ・スミット・アンサンブル)
ソプラノ:イレーネ・マイセン
フルート:エレーノア・パーメイヤー
ピアノ:トービアス・ボースブーム
2020/5/14(木) 13:00~13:30 Free Lunchtime Concert in Mahler Pavilion
ピアノ連弾
マーラー交響曲第6番 第3楽章 スケルツォ
ピアノ:シェーン・モーガン・ルーニー
マーラー交響曲第5番 第4楽章 アダージェット
指揮:カール・デン・ハートッグ
あとThings To Doの中に入れるべきかどうか残されているのは、シンポジウムとMahler talksを入れるかどうかなんですよね。
Life and Death(生と死)~マーラーの交響曲と歌曲でつかったテクストについて。2日間のシンポジウムなのだが、これはやっぱり受けたいかな?ウィーンの国際グスタフ・マーラー協会と、オランダのグスタフ・マーラー財団によるシンポジウムですからね。
あとは、マーラーの写真展や遺品などの展示会はどこでやるのであろうか?
マーラー・パビリオンの中でやるのだろうか?
そしてファウンディングとGrant Provider。
新型コロナウィルス騒動で、クラシック業界のみならず経済への大打撃などお先真っ暗な毎日のニュース。自分もマーラーフェスト2020に果たして行けるのか、全然不透明だけれど、ただ毎日鬱状態でボーっとしていても精神の健康に悪いだけ。
ネバーギブアップ!!!
マーラー交響曲第2番「復活」だけを振る男 [海外音楽鑑賞旅行]
そして世界で最も有名なマーラー・フリーク。
生涯に客演し「復活」を振った主なオーケストラは
セントルイス交響楽団
ピッツバーグ交響楽団
ワシントン・ナショナル交響楽団
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
北ドイツ放送交響楽団
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
ロンドン交響楽団
フィルハーモニア管弦楽団
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
スカラ・フィルハーモニー管弦楽団
オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団
フィンランド放送交響楽団
プラハ交響楽団
ブダペスト交響楽団
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
キーロフ歌劇場管弦楽団
サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団
ロシア・ナショナル管弦楽団
新日本フィルハーモニー交響楽団
メルボルン交響楽団
キャプラン氏は、アメリカの実業家で、26歳で経済誌を創刊し、一流へと成長させた凄腕経営者。音楽演奏には縁のない人生だったのだ。それが20歳のときに故レオポルド・ストコウスキー指揮アメリカ交響楽団によるマーラーの交響曲2番「復活」のリハーサルを見学し衝撃を受け、いつか、この曲を指揮したい!と夢を抱いたわけだ。
金持ちの道楽恐るべし!まさに「復活」に生涯をかける形で、しかも「道楽」のレベルをはるかに超えた、学問的成果をも残した、というところがスゴイではないか!
こんな男が世の中にいるとは!
そのときのポスターがこれ。
指揮:ギルバート・キャプラン
管弦楽:新日本フィルハーモニー管弦楽団
ソプラノ:ヨン・ミ・キム
メゾ・ソプラノ:シルビア・リンデンストランド
合唱:晋友会合唱団
DG SACDでSACD5.0サラウンド。Emil Berliner Studiosのライナー・マイヤール氏がトーンマイスターの超絶優秀録音である。
キャプラン氏が入手した2番復活のマーラーの自筆譜とはどのようなものなのか?
香港のサザビーズに展示された作曲家・指揮者グスタフ・マーラーの交響曲第2番「復活」の直筆楽譜(2016年8月17日撮影)。(c)AFP/Anthony WALLACE
キャプラン氏が2016年元旦に死去したため、彼が所有していた2番復活のマーラーの自筆譜が競売にかけられたようだ。
【2016年11月30日 AFP】オーストリアの作曲家グスタフ・マーラー(Gustav Mahler、1860~1911年)の交響曲第2番「復活(Resurrection)」の希少な直筆譜が29日、英ロンドン(London)で競売にかけられ、450万ポンド(約6億3100万円)で落札された。
さきほど紹介した新校訂版「キャプラン版」によるウィーンフィルとの録音。
ロンドン響との録音。
このCDは、世界で17万5000枚という、マーラー・レコーディング史上、実は最も数多く売れたアルバムだったそうだ。英国のクラシック・チャートには発売後2年も名を連ねており、また、ニューヨーク・タイムズやドイツのZDFからはその年のベストCDのひとつに選ばれるなど、評価の高さにもかなりのものがあったという。
自分はさっそく中古市場で手配した。
3月下旬に届くので、ちょっと時間がかかり過ぎだが楽しみすぎて待ちきれない気分だ。
このロンドン響とのCDのブックレットの中に、このような解説と写真が掲載されているそうだ。
あまり録音はよくないような・・・(笑)
まっ、というか平凡ですね。
そして、最後の3度目の録音が、2番復活の室内楽ヴァージョンだ。
56人の室内オーケストラによるヴァージョンをウィーン室内管弦楽団とウィーン・コンツェルトハウスでライブ録音している。その楽譜はキャプランとロブ・マティスによって編曲されたものだったそうだ。
もちろんこれも中古市場で手配した。
ものすごく高値なんですよね。
自分に影響を及ぼしてきたマーラー音源 [海外音楽鑑賞旅行]
自分のマーラー鑑賞歴とともに歩んできたマーラー音源たちである。
ラトルのマーラー指揮者としてのキャリアのスタートはここにあった。
いまは廃盤で、バーミンガム市交響楽団時代の全集Boxはないんじゃないかな?
でも不思議とライブではそんな心配をすることはなかった。
2番、5番、9番、10番の4枚。
・ベルリンフィルに客演デビューしたときのマーラー6番の音源
自分もぜひ駆けつけたがったが、マーラーフェスト2020の予算確保のため断念した。
・ラトルのマーラー全集(バーミンガム市交響楽団時代+ベルリンフィルEMI時代)
●マーラーフェスト1995自主制作Box
自分のお宝盤である。
この録音を本番までに繰り返し聴くレギュラーに決めました。
これでBlu-rayって唄うなんて相当詐欺だな、と思っていた。
●ヤンソンス&RCO Live
●小澤征爾&ボストン交響楽団
想像していた以上にとてもスタンダードな解釈というか、自分の感覚とちょっと違うと思うところはほとんどないくらい、とても教科書通りのような演奏のように思えました。自分の期待を裏切らない演奏ですね。ボストンシンフォニーホールはぜひ訪れてみたいです。自分のクラシック人生の中でどうしても避けることのできないコンサートホールですね。
1番「巨人」
ご存じゴローさんの2009年の作品。ゴローさんと知り合って、すぐにこの作品を観たな。もうこれは何回繰り返して観たことだろうか?サイトウキネンのメンバーのみなさんも若い!この頃の小澤さんの指揮ぶりを見ると、とても鬼気迫るというか、すごい迫力でちょっとびっくりしました。この映像作品は賞をたくさんもらっていたと記憶しています。
●ギルバード・キャプランSACD 2番「復活」単盤
ギルバード・キャプランは、もともとは実業家なのであるが、大好きなマーラーの交響曲第2番「復活」を指揮することを夢見て、30代を過ぎてからゲオルク・ショルティに師事して指揮法を学ぶ。40代なかばで、自費によるコンサートをエイヴリー・フィッシャー・ホールで行い、指揮者としてデビューする。最初で最後のはずが絶賛を浴び、あちこちのオーケストラから客演の依頼がくることとなり、「復活」のみを専門に振る指揮者として知られるようになった。
生涯に客演し「復活」を振った主なオーケストラは、22楽団にも及ぶ。
超絶優秀録音!自分のマーラー2番音源の中でも最高傑作だ。
●ハイティンク&シカゴ響 3番単盤
●ハーディング&ウィーンフィル 10番単盤
いまでは近代のマーラー指揮者として名を連ねるようになったダニエル・ハーディングであるが、ウィーンフィルとのデビューは、この録音だった。第10番はアダージョだけ作曲した後、マーラーは亡くなってしまうが、そのあと補筆され、全楽章完成されたものが残されている。有名なのはクック版であるが、このハーディング&VPOの録音は、そのクック版全楽章入りである。
●ザンダー&フィルハーモニア管弦楽団 6番SACD 単盤
DG SACDを集めていたときにコレクションした録音。いまでは大好きになった3番の優秀録音として外せないディスク。トーンマイスターは、Emil Berliner Studiosのライナー・マイヤールさんだ。3番の声楽独唱ソリストは、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターだ!
●ピーエル・ブレーズ&VPO 大地の歌 単盤
これもDG SACDをコレクションしていたときに中古屋さんで見つけたもの。
トーンマイスターは、Emil Berliner Studiosのライナー・マイヤールさん。
●インパル&都響 9番単盤 EXTON
2013年、2014年の2年にかけてエリアフ・インバル&東京都交響楽団(都響)によるマーラー全曲演奏会がおこなわれた。「新」マーラー・ツィクルスというタイトルだった。このインバル&都響のマーラーツィクルス全曲通いましたよ。2013年は東京芸術劇場、2014年は横浜みなとみらい。
どっちがいいか、結構議論されていたような記憶がある。
以上の自分に関わってきたマーラー音源を紹介してきたが、これ以外にもハイティンクBox,ショルティBox, LSO ゲルギエフSACD全集など持っていたのだけれど、もうこれだけ持っているんだから普段聴かないし、ダウンサイジングのときに売却してしまいました。
しかし自分はマーラー音源、結構持っていたんだな。そしてマーラーと縁の深い音楽人生だったんだな、と思いました。いまふたたびこれだけの音源を聴くのにすごい時間がかかりました。
朝食にエダムチーズ [海外音楽鑑賞旅行]
はて、エダムチーズとは何なのか?
これは私の買ったエダムチーズの本当の実物の写真です。
もう手で簡単にパカッという感じであっさり取り外せます。
最初包丁で剥かないといけないのかな、と思っていましたから。
それじゃオランダでエダムチーズならんで代表的なチーズのひとつであるゴーダチーズとはどのようなものか?
ゴーダチーズというのは、ある意味我々がヨーロッパで見かけるチーズの代表的なものなのかもしれませんね。円盤型で、黄色のワックスでコーティングされているもの。
Henri Willig Cheese & More
De Kaaskamer
100種類以上の厳選された世界のチーズが食べ比べ可能です。
ワインや自家製サラダ、テイクアウトサンドイッチも販売しています。
Kaashuis Tromp
オランダのナショナルチェーンのチーズ店。
あらゆる種類のオランダチーズが手に入ります。
焼きたてのパンとチーズのサンドイッチが人気で、ランチタイムには行列も。
Reypenaer Tasting Room
こちらはチーズの試食専門店。創業110年のライプナー社製チーズは歴史ある熟成プロセスが独特で、世界最大級のチーズ品評会で受賞したチーズが多いことでも有名です。アムステルダムにあるチーズテイスティングルームでは、チーズソムリエ指導のもとにライプナー社製のチーズを試食することができます。(要予約)
やっぱりチーズの国、オランダ、アムステルダムですね。
さて、ネット通販で単にエダムチーズを食べただけでは、やはりやや欲求不満。
それもハードタイプのチーズで食用にしては独特の臭みのある味。
とても活気があって元気をもらった感じでした。
すごく気分がよかったです。
このラクレットが1番楽しみだった。
もうガックリ。(笑)
こうやってチーズの塊のすり鉢状のものをドカンと目の前に置きます。これ全部チーズでできています。そしてナイフみたいなもので表面をそぎ落としてチーズをはぎ取ります。
そして茹で上がったパスタとスープをそのチーズでできたすり鉢状の中にそのまま入れて、そこでチーズを満遍なく絡めトロットロにするのです。まさにチーズのすり鉢でチーズにまぶされながらチーズでトロっトロ。
そしてチーズパスタ完成。
これは最高に美味しい!
表面を削ってチーズをそぎ落とす。
そして出来上がり。チーズリゾット。
普段あまりいいものを食べていないので。(笑)
アバドのマーラー [海外音楽鑑賞旅行]
バーンスタインのは、長時間観ているとあまりに濃厚でぐったり疲れてしまうんですよね。
それは、ともにカラヤンという偉大な亡霊に悩まされ、ベルリンフィルを率いていかないければならない運命にある立場だった彼らだったからこそ目指したブレークスルーだったのだと思う。
2002年、ベルリンフィルを退いてからは、ルツェルン祝祭管弦楽団を再編成し、世界最高のオーケストラと称されるまでに発展させた。また、若者達の育成にも愛情を注いだ。望む作品、共演したいソリストを集めての晩年の演奏会では、マーラーの作品を取りあげることが多かった。
アバド&ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、シカゴ響(12CD)
ベルリンフィルのときには全集とまではいかなかったが、数枚の録音をおこなった。第6番「悲劇的」だけはSACDです。
2000年代に毎年1曲ずつ音楽祭で演奏され、その演奏の模様が収録され、EuroArtsからBlu-rayで発売された。これを全部コンプリートしようとコレクター魂に火が付いた。
そうしたらこの2番「復活」を再生したときにメニュー画面がおかしい。3番もなにかおかしい。物理メディアというのは長期間棚に保管してくと、その保管環境に応じてダメになって再生不能になるということを聞いたことがあるので、それだと思った。物理メディアは一生もんじゃない。
昔の単盤での販売は、数枚を除いて全部廃盤になっていた。
アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団(4BD)
笑ってしまった。なぜこんな中途半端なの?
鎌倉出身です。
アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団は、2006年10月に来日しており、サントリーホールでマーラー交響曲第6番「悲劇的」を演奏している。マイミクさんたちもこの公演に行かれ、素晴らしい名演だった、という話はよく聞いている。
またこの公演は、ベルリンフィルのデジタルコンサートホールでも見れます。
やっぱりこのように自分にとってアバドはマーラーなんですよね。
たくさんの巨匠たちがマーラー録音を残してきたが、自分にとっては、やはりアバドとラトルなのだ。
バーンスタインのマーラー [海外音楽鑑賞旅行]
もちろんこの頃はアナログLPの全集という意味ですよ。
アメリカ初出LPボックスのアルバム
まさしく録音史上初の「マーラー:交響曲全集」である。
2万円!!!でも欲っすい~。ここで散財したら、なんのための旅行貯蓄をしてきたのかわかんない。あまりに危険すぎる。
ソニーは、やはりこの初のマーラー全集の版権を大切なビジネス源だと思っているんですね。
1967年10月、「マーラー:交響曲全集」のLPアルバムを手にして喜ぶバーンスタイン。アルバムのボックスケースを持っている左の人物はプロデューサーのジョン・マックルーア、バーンスタインの右はフェリシア夫人、コロンビア・レコード社長クライヴ・デイヴィス
結局、バーンスタインはマーラーの全集を3回作っているのだ。(ソニーに1回、DGに2回)
最後の1980年代の第8番だけ未収録の未完のDGへのライブ録音は、結局DECCAに録音した「大地の歌」、ザルツブルク音楽祭のライヴである第8番「千人の交響曲」、さらに映像用に収録された第10番を加えて全集の形にこぎつけた。
いまマーラーフェストに行くための準備として、自分が所持しているマーラー音源を全部復習して完璧にして臨みたいと思っている。そのトップバッターにやはりバーンスタインから入っていきたいと思いました。
まずバーンスタインのマーラーの映像作品。
マーラー交響曲全集
バーンスタイン&ウィーン・フィル、他(9DVD)
(何年ぶり?いつ以来だろうか?)
もちろんマーラーだけでなく、ベートーヴェンやブラームスのドイツ音楽もみんなそのようなパターンなのかもしれないけれど、やはりバーンスタインのマーラーは別格というか、基本、彼はやはりマーラー指揮者なのだろう、と思う。
とにかくオケがよく鳴っている。ウィーンフィルがまるでベルリンフィルのようにこんなに機能的なオケの鳴り方をするというのは信じられない感じがした。
ただ鳴っているだけでなく、演奏に躍動感がある。
バーンスタインのマーラー第6番「悲劇的」のハンマーは3発なんだよね。(笑)
6番はずいぶん聴いてきたけれど、大抵は2発です。マーラーの最終稿も2発です。
3発目ってどこで鳴らすのか、昔から興味があったけれど、ここで鳴らすものなのか?(笑)
そして1980年代の最後のDG全集。自分が初めてマーラーを勉強した録音。
なんと調べてみたら輸入盤と国内盤の2つ持っていました。いま聴いても、録音もそんなに古いとは思わないし、バーンスタインの没入感たっぷりの熱くて濃いマーラーが聴ける。聴いていて本当に懐かしかったです。
そして、いろいろ異論はあるとは思うが、マーラーの最高傑作とも言われている第9番で、ベルリンフィルにたった1回だけ客演したという名盤。もうこれは超有名盤ですね。自分は最初はCDで持っていましたが、エソテリックがSACDにマスタリングしたレア盤をすかさず購入していまこちらを愛聴しています。
まさに”一期一会”とはこのこと。
この逸話をネットで調べていたら、こんなエピソードありました。紹介します。
もうこの録音に関しては、こんな話がたくさんあります。
ただ、このレコーディングとは別に、比較するもののない空前絶後の大演奏として語り草となっているのが、1985年9月の来日公演でバーンスタインが指揮したマーラーの第9番。終身桂冠指揮者としてイスラエル・フィルを率いた全9公演のうち、マーラーの第9番を演奏したのは4公演、なかでも初日3日の大阪・フェスティバルホールと、8日の東京・NHKホールがことのほか凄絶な内容であったとは衆目の一致するところのようで、8日の東京公演を目の当たりにした音楽評論家の許光俊氏も、当時を振り返り次のように述べている。
「実際、あれ以後、この曲でそれ以上の演奏は聴いていません。期待もしていないほどです。あまりに強烈すぎて、あれ以上のは、バーンスタイン自身が蘇らない限りあり得ないと思われます。」
くっ~。羨ましい、そして悔しい~。
自分は、この1985年のときは、まだ大学生で北海道にいました。(笑)
いい録音。全然古臭くない。熱いこってりとしたバーンスタインのマーラーが聴けます。予想以上にいい録音なので、驚きました。そして、いまの現代解釈のマーラーと比較して、全然遜色なくて、やっぱりマーラー演奏ってバーンスタインの演奏が教科書になっているんだな、と思いました。
マーラーの作曲小屋 [海外音楽鑑賞旅行]
小屋内部
(内部写真)
(内部写真)
7)マーラーの作曲小屋(トブラッハ/ドビアッコ)Ⅲ 2012年4月30日(月)
マーラーの作曲小屋に共通するポイントは自然が美しい風光明媚な場所であること、作曲期が夏であること、ですね。クラシックの作曲家の曲を聴いていて、その作風を肌で感じるとき、その作曲家が作曲したその場所、その風景が自然とその曲の作風の中に含まれている、というのは絶対あることだと思いますね。
マーラー・ユニヴァース 1860~2020 Vol.4 [海外音楽鑑賞旅行]
これは今回のマーラーフェスト2020でもPasse-partoursはあっという間の瞬殺で完売でした。
アルマ夫人が宿泊していたホテル。いまのゴッホ博物館があるロケーションだとあるので、コンセルトヘボウの近くだったんですね。
フェストに関するすべてが記載されている総合プログラムだと思います。
ものすごい大所帯でやってきたんですね。
前列の真ん中が、ロシア生まれでオランダで活躍したヴァイオリニスト、アレクサンダー・シュミラー(1880-1933)、前列右側が、ドイツと日本で活躍したロシア生まれのピアニスト、指揮者のレオニード・クロイツァー(1884-1953)。
リチャード・スペヒト(1870-1932)(オーストリアの作詞家、作家)とその夫人。
フェスティバルでのリハーサルの最中のフォト。真ん中にメンゲルベルク。
メンゲルベルクとアムステルダム・コンセルトヘボウ・オーケストラのメンバーとのフォト。
1924年 メンゲルベルクによる交響曲第10番の補筆。
ウィレム・メンゲルベルクと彼のアシスタントのコーネリス・ドッパーは、交響曲第10番から2つの楽章の補筆をおこなった。メンゲルベルクはこの補筆作品を11月27日にコンセルトヘボウ・オーケストラと演奏し披露した。
1995年 マーラーフェスティバル1995
マーラーフェスト1995 (Mahler Feest 1995)のポスター
この1995年大会のときは、RCO,VPO,BPOと三大オケが揃い踏みであった。
だから、その各々のオケ・ヴァージョンのポスターが作られたのだ。
コンセルトヘボウ版ポスター
マーラーフェスト1995の開催を報じるオランダの新聞。
”我々の音楽ヒーローに基づいた国際的で巨大なフェスティバルが開催される。
”マーラー・イン・アムステルダム、メンゲルベルクからシャイーに至るまで”の博覧会がオープン。広大な公園でAmsterdam Municipal Archiveが造営された。
マーラーフェスト1995では、世界で最大のティンパニーが展示された。
両端110.5cmに至る世界最大規模。マーラーの交響曲では低音が強調されるように、と。
1920年にメンゲルベルクによって委託された。
”マーラー・イン・アムステルダム、メンゲルベルクからシャイーに至るまで”博覧会で記念に発売された本とCD。
マーラーフェスト1995オリジナル手帳。見よ!交響曲第7番専用だ!
これもマーラーフェスト1995のときに発売された本。”Gustav Mahler the World Listens”
マーラーフェスト1995で特別に造営された大型テント。チケット争奪戦に敗れてホールに入れなかったお客さんをサポートする。朝10時からドキュメンタリーやレナード・バーンスタインの歴史的な録音を聴いたり、いろいろなものが大型スクリーンにパブリックビューイングされた。12時半からはランチコンサート。午後からは引き続きドキュメンタリー・フィルムが映写された。毎日夕方5時半から、音楽学者によって40分の講演があった。
マーラーフェスト1995の記念プラーク(額)
マーラーの娘、マリア・アンナ・マーラーが作ったマーラーのブロンズ胸像。
これは彼女が子供のころに自分の父を見てインスパイアされて作ったものである。
造営された大型テントでのカフェ。
そしてこのマーラーフェスト1995のマーラー全曲演奏会は録音され、CD-Boxとなった。もうこのCD-Boxは何回も説明してきましたね。
録音はオランダ放送協会によるもの。
こうやって自分もヤフオクで10万の大金をはたいて購入しました。
自分の宝物です。
去年、その友人とひさしぶりに飲んだとき、わざわざ持ってきて見せてくれた、そのときのマーラーフェスト1995のコンサートカタログ。4曲通ったから4部ある。マーラーフェスト1995は赤色がテーマ色でしたね。
そしてついに自分が体験するマーラーフェスティバル2020。
まさに人生に1回のチャンス!
1920年大会、1995年大会も、マーラーフェスト、Mahler Feest なのに、今回から改称で、マーラーフェスティバル、Mahler Festivalになってしまった。フェスティバルは、なんか普通っぽすぎて面白くないというか、マーラーフェストのほうが、っぽくていいのに、歴史もあるし、と思うのです。
マーラーフェスティバル2020はどのようなイヴェントがありそうか、はいままでの日記で紹介した通り。いままでのフェストと同様に、きっとたくさんの記念グッズが売られると思うから、全部買ってくる予定です。(笑)それを入れるためのトートバッグ買わないといけませんね。
マーラー・ユニヴァース 1860~2020 Vol.3 [海外音楽鑑賞旅行]
1906年 交響曲第6番の初演。
しかし、プレスのほうは、その作品については、聴衆ほどの熱狂ではなかった。
1907年 ウィーンからニューヨークへ。
そのときの目撃者はこう書いている。
マーラーはメトロポリタン歌劇場と契約をした。
1908年 大地の歌
マーラーは、大地の歌について、ブルーノ・ワルターにこのように手紙で書いている。
1908年 ソーセージポトフよりも錆ついたティンパニーやトランペット
1909年 自分のささやかな家族に対する愛情的な想い。
1909年 マーラーはオーケストラといっしょに演奏する。
1910年 交響曲第10番のはじまり。
1910年 フロイトとの面談。
1910年 勝利!
1911年 死期が近づく。
1912年 交響曲第9番の初演
マーラー・ユニヴァース 1860~2020 Vol.2 [海外音楽鑑賞旅行]
彼らが出会って4か月経ってのことである。その年の11月3日に、最初の娘が産まれた。
1901 テーマがシンプル過ぎる。
1902年 ウィーンでのその後。。。
交響曲第3番の全楽章の初演。
1903年 交響曲第6番
あなたは、このマーラーとアムステルダム、彼の第2の音楽の故郷との関係について、ジャン・ブロッケン著の”マーラー・イン・アムステルダム”の記事で深く読むことができる。
1904年 呪われた作品
1904年 コンセルトヘボウに戻る。
1905年 交響曲第7番
1906年 いままでの中で最も偉大な作品。
マーラー・ユニヴァース 1860~2020 Vol.1 [海外音楽鑑賞旅行]
彼の生涯、作品、そして伝説。
マーラーフェスティバル2020の公式HPでは、
マーラー・ユニヴァース 1860~2020
彼の生涯、作品、そして伝説
1860 - 2020
HIS LIFE,WORKS,AND LEGACY
1860年 グスタフ・マーラー誕生。
グスタフ・マーラーは、父、バーンハード・マーラーと母、マリア・ハーマンの間に生まれた14人の子供のうちの次男坊であった。彼の兄弟の7人は、最初の年に死んでしまう。1860年12月、マーラー一家は、カリステ村から地方都市のイフラヴァ(チェコ・ヴィソチナ州の都市)に引っ越した。
1878年、マーラー、コンセルヴァトワール(音楽院)を卒業。
1880年、カペルマイスター、マーラー
1885年 マーラー交響曲第1番の作曲を開始する。
1888年 マーラー、Todtenfeier(葬礼)の作曲。
1889年 惨めな作曲家
1892年 ライヘンハルのマーラー
いわゆるマーラーの作曲小屋としては全部で3つ存在するが、これらの作曲小屋は現在も修復され、現存し、マーラー詣でとしての観光名所になっている。
マーラーは、そのときの最愛の人であったメイデンベルクの歌手のアンナに、この第3交響曲について手紙を書いた。”最愛なるアンナよ。ほとんど完成したよ。この曲は本当に驚異的だよ!私の交響曲にはいままで聴いたことのないようななにかがある。なにもかもが声を与えられ、夢の中に出てくる神秘的ななにかを語るんだ。すべてのものに表題がつけられるんだ。喜ばしい自然科学、そして夏の日の夢。(喜ばしい自然科学は、フリードリヒ・ニーチェの作品がリファレンスになっている。)
1894年 交響曲第2番の最初の3楽章の初演
1898年 マーラー・イン・ウイーン
1901年 わかりやすい4楽章のシンフォニー
マーラー・イン・アムステルダム (後編) [海外音楽鑑賞旅行]
アムステルダムでの第4交響曲の初演のあと、マーラーはオーケストラの団員、声楽家の方々に歓喜の気持ちでいっぱいであった。歌手のオランダ人 Alida Oldenboom-Lutkemannは、ソロをシンプルに、そして聴衆を鼓舞するような感情を持って歌い上げ、そしてオーケストラは彼女の太陽光のような輝かしい声とともに、その演奏をおこなった。それはまさに周りいっぺんが黄金の光景に輝いていたと言ってもよかった。
●ホテル・メンゲルベルク、そうでなければアメリカ?
マーラーとメンゲルベルク、すなわちアムステルダムとの結びつきは、マーラーがデン・ハーグ(オランダ第3の都市)のレジデンス・オーケストラから第6交響曲を指揮して欲しいという依頼を断ったときから、さらに強固なものになっていった。「なぜなら彼らは、あなたの競争相手だから。」とマーラーは手紙に書いている。
「マーラーのイノベーションは、他の都市よりもずっと早くにアムステルダムで起こったのだ。」
グスタフ・マーラー。1909年コンセルトヘボウにて。前列で座っている。彼の後列で左から順にコールネリス・ドッパー、ヘンドリック・フライジャー(コンセルトヘボウの管理者)、ウィレム・メンゲルベルクとアルフォンス・ディーペンブロック 。(c) W.A. van Leer / Nederlands Muziek Instituut
●アルマからのギフト
●最後のリスペクト
参考文献:感謝します。
マーラー・イン・アムステルダム(前編) [海外音楽鑑賞旅行]
1909年10月、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によって、「マーラー交響曲第7番」がマーラー自身の指揮によってオランダで、その初演がおこなわれた。そのときマーラーはひどい風邪をひいていた。
マーラーにとってアムステルダム訪問の中で最も印象的だったのは、アムステルダム国立美術館への訪問、とりわけレンブラント(オランダの17世紀の画家レンブラント・ファン・レイン)の肖像画に触れたときだった。そのレンブラントの代表作である「夜警」の前でしばらく長い間、立ち止まり、そしてそのときにその絵画から受けた印象が、後の第7交響曲の2つのナハトムジークの動機に深く影響を与えることになるのだ。
●逸材メンゲルベルク
1906年の散歩のときに撮影された写真。後ろのメンバーの左から順に、アルフォンス・ディーペンブロック、グスタフ・マーラー、そしてウィレム・メンゲルベルク。(c) Hendrik de Booy / Stadsarchief Amsterdam
●朝食にエダムチーズ
アムステルダムでの滞在場所として、マーラーはアムステル・ホテル(Amstel Hotel)を考えていたのだが、メンゲルベルクは自分の家に泊まることを薦めた。その理由は夫人のアルマを同伴しないからだった。もちろんその後の訪問でそうでないときは、そうはしなかった。マーラーは、プライバシーを重んじるのであればホテルのほうを好んだが、逆にその居心地のよい空間を軽蔑していたところもあった。
マーラーは、メンゲルベルク夫人に自分の靴を磨くようにお願いすることも有り得たのだろうか?
そしてマーラーの就寝はいつも遅い。10時半の朝食に間に合うように起きれるであろうか?
●熱狂的なアムステルダムの聴衆
メンゲルベルクはすべてのリハーサルに参加した。あるときはホールの平土間で、またよくホールの後ろのほうに半分隠れて見ているという感じである。メンゲルベルクは、これらの日々に経験したことを、自分の残りの指揮者人生のために指針として学ぶいわゆるマスタークラスの拡張版として捉えているところもあった。彼は後にこう言っている。「演奏家にとって、マーラーの音楽に対する彼の解釈の仕方は、非常に勉強になる。」
マーラーは、ウィーンから、メンゲルベルクに対してこのようなことを手紙を書いた。
「私はアムステルダムに自分の第2の音楽の故郷のような想いを抱かざるを得ない。」
マーラーフェスティバル期間中のレストランLIER [海外音楽鑑賞旅行]
ビシッとタシキードや礼服で正装する必要があるのだろうか?
ジャケット着用でいいと思うのですが。
ランチ
ディナー
インターバル・パッケージ
晩餐
晩餐は、2つの小さなお皿でサーブされ、37.50ユーロ。(約4800円)
予約
2.My Accountを使って予約する。
3.電話予約する。
ランチやディナーを予約するとき、レストランでの座席を取る際その時間帯を選ぶことができます。これらの時間帯は、あなたのコンサートがスタートする時間に合わせるといいと思います。コンサートホールに到着したら、まずコートを脱いで、中央のクロークルームにそれを預けます。
これは予算もないし、無理だなぁ。
音楽体験重視。
おそらく、毎日の食生活は、コンセルトヘボウの向かいにあるスーパーマーケットで食材買い込んで、ホテルの部屋の中で済ませる感じになるかなぁ?
記念すべきフェスティバルの素敵なメモリアルになることは間違いなし!です。
音楽祭に社交界の晩餐、ディナーは必ずつきものだと思います。
マーラー・ユニヴァース [海外音楽鑑賞旅行]
●インタビューと座談会
●ガイドツアー
●展示会
●マーラー研究者による講演
しかしながら、とくに作曲家の世界はどういうものを持っていないといけないのか?
ところが世の中そんなにうまくいかないのだ。(笑)
でもだ、でもだ。
一目惚れで恋に落ちる [海外音楽鑑賞旅行]
私がいつも開示する情報もすべてここからの情報に過ぎない。
第1回目は、今回のフェストのマネージング・ダイレクター サイモン・レイニンク氏が、この公式HPに寄稿をしてくれている。
「まさにここの聴衆の聴き方が自分の理想そのものである。」
●世代を通して伝えていく。
●マーラー・ユニヴァース
Marina Fistoulari Mahler (1943)
マーラーの音楽は、現在、過去、そして未来をひとつに結ぶ。マーラーの遺産は、今尚、現代の人類と関連性を持ち続けているのだ。
マネージング・ダイレクター
サイモン・レイニンク
Managing Director
マーラーフェスティバルのスポンサーになる。 [海外音楽鑑賞旅行]
詳細なニュースはいましばらく待て!(笑)
ぜひ掘り起こしてお宝映像として世に出してほしい、と思う次第である。
自分はPrimeSeatは、昔はRCOコンテンツのヘビーユーザーだったけれど、いまはベルリンフィルのDSD11.2MHz配信サービスを必ず聴いています。聴き逃し配信の方ですが。年5,6回かな。
このホールでのRCOの録音は、自主制作レーベルRCO Liveに提供している。
アムステルダム・コンセルトヘボウの屋根には数十か所の大きな穴が開いており、そこからマイクを吊るしてオケの音声を収録するような仕組みになっている。こういう仕組みができるようにこのホール自体の大改修工事があって、それから20年以上が経過して、マイクの位置や高さなどのデータが蓄積していき、録音の精度、ノウハウが高まっている。
天井にたくさんの拡散パネルが!(笑)
そして最終の仕上げは、アムステルダム郊外のBAANにある彼らの専用スタジオで最終調整。
映像素材だからモニター付きで、Auro-3D対応のスタジオでやるに違いない。
マーラーフェスト2020の収録は、絶対Auro-3Dでやるに違いない。
じゃあコンセルトヘボウホールでの映像収録チームは?というと、ポリキャスト(Polycast International BV)というチームがいて、ここがコンセルトヘボウホール内の各ポイントに設置されたカメラの映像をスィッチングしたり動画コントロール業務をしているのだ。彼らのチームが映像関連をすべて管理している。
彼らの自慢の8Kシステムでバシッと8Kで撮って欲しい。
もちろんパッケージソフトとしても販売してほしい。
何十年に1回のレアなフェストだよ。この絶好の機会を逃してどうする!
だから、パイプ、下地がある。
可能性十分ありだ。
「アムステルダムは、マーラー演奏のメッカである。」
最後にマーラー・フェスティバル2020ではスポンサーを募集しています。
1.ミュージック・スクエアでのマーラー・パビリオン(大型テント)
マーラー・パビリオンをサポートしてくれる企業は、つぎのようなメリットがある。
2.マーラー・ユニヴァース(マーラーの世界)でのディナー
3.ミュージック・スクエアでのフライデーナイト
4.スポンサーになることの他の形態
Contact
Margot Palmen, Head of Sponsorship
T: +31 (0)20 - 573 05 72
E: m.palmen@concertgebouw.nl
チケット争奪戦 [海外音楽鑑賞旅行]
いまだから語れる、この奮闘記はどうしてもこの日記に外せない。
第2番だけ、いまなおリターンチケット待ちなのである。
絶対穫れる!
もっと普通は3か月前くらいが妥当か。。。
チケット発売はこのくらいかな、という皮算用。旅行会社も以下同文。
すでにオンラインで発売が始まっていて、8番の初日の日はすでに完売。
個別単位の公演のチケットの発売日は、その後の2019年6月1日である、とのこと。
こちらの依頼に対して、いつも後手後手になっていて、対応が遅すぎます。
待っているほうは、どうしても感情的にイライラします。
(現在の状況も含めて。いつも簡単な結果だけになっています。)
相当試練の困難な争奪戦と理解しています。私が掴んでいるまわりの雰囲気もそうです。
よろしく気を入れていただくようお願いします。
不安になってきます。
覚悟しています。だから、そうなると1年後の公演開始までずっとキャンセルが出るまで
待ち続ける、という長い戦いになると覚悟しています。
かけているのです。
経験上から、いつもの手配と違い、かなり対応が遅いので苛立った次第です。
筆を執った次第です。
Y氏:
今回のご旅行でノンノン様がどれだけの思いで
マーラーフェスティバルを心待ちにされているかを
しっかり汲み取ることが出来ず申し訳ございませんでした。
情報不足においても、ご不安思いをさせて申し訳ございません。
直前まで情報収集に努めさせていただきます。
ベストな手配が出来るように、ノンノン様とも密なやり取りをさせてください。
引き続きよろしくお願いいたします。
このような返事をもらっとき、正直イラっとして感情的になった自分は後味が悪いというか言い過ぎた、感情的になり過ぎた、と反省モードしきりだった。
やることはきちんとやってくれた!
そして1か月後に連絡したら、そのまま退職された、とのこと。
病気になり、1か月休職して、それまでに治癒できなかったのでそのまま退職手続き。
まさに今回のノンノン2020プロジェクト、なによりもY氏のためにも絶対に成功させないといけない。
あとは第2番「復活」のみ!
マーラーフェスティバル2020に行きます! [海外音楽鑑賞旅行]
マーラーにとって、メンゲルベルクはまさに自分の音楽家人生にとって最愛で最強のパートナーとなった。
つねに熱狂と大歓声に囲まれた。
そしてメンゲルベルクの熱いサポート。
このマーラーフェストの第2回は、その75年後の1995年に開催された。このときはRCOだけではなく、ベルリンフィル、ウィーンフィル、そしてその他の楽団によって、アムステルダム・コンセルトヘボウでマーラーの全作品が演奏された。
その話を聞いて、ぜひそのマーラーフェスト1995の次回大会を熱望していた。
そこからは、このフェストに行くべく、猛努力を重ねてきた。これは先の日記で書いた通りである。
この報を聞いたとき、すぐにピンと来ました。(笑)
・・・以下自粛。(爆笑)
自分はマーラーをバーンスタインで勉強してきたことはもちろんだけれど、自分のマーラー演奏の教科書は、近代のマーラー解釈の先駆者であるアバドやラトルによるところが大きい。
旧来は、第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテと演奏するのが常であった。
マーラーの歌曲には、じつはマーラーは、オーケストラ版と室内楽版の2つのヴァージョンを作曲している。リュッケルト歌曲集、子供の不思議な角笛、亡き子をしのぶ歌、大地の歌。
マーラーフェストならでは、である。
もうひとつ楽しみなのは、オランダの室内楽ユニットのアムステルダム・シンフォニエッタの実演を体験できることだ。マーラー、シュトニケの室内楽版を演奏してくれる。
今回のマーラーフェスティバル2020、もうロゴ、カタログ、ポスターのデザインも決まっている。
まさに人生に1回のチャンス!と書かれていて、まさにその通りである。
アムステルダム・コンセルトヘボウのホールのホワイエの壁には、このようにフェストのポスターが他のポスターと並んで貼られている。
前回の1995年大会は、赤色がトレードマークだった。
とてもレアな録音なので、ヤフオクで10万のプレミアで入手しました。
このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、
コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された
自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようですが、
一般には全く流通していない大変貴重な非売品。
(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤である。)
ただし、現在の最新技術を使ったいまの時代にあった仕様のイヴェントになります。
このフェス期間中は、アムステルダムがマーラー一色に染まる期間なのである。
そんな3年間なのでした・・・じつは。
。。。そして帰国。 [海外音楽鑑賞旅行]
今回は、”よくできました”ご褒美で、さらにこちらも!
テロやスリなどのトラブルもなく、万事計画通りに終了。
渡航前の3週間前に発案したとは思えないほど、すべてがうまくいって濃厚だった。
正直、ロンドン滞在3日目かな。明日が最終のグラインドボーン音楽祭の前夜、
「はやく無事に終わってくれないかな?」
「早く日本へ帰る機上の人になりたい」
という弱気が持ち上がった。
この1週間の間、あまりに内容が濃すぎて、消化不良気味。
相当疲れていた。
なにせ、グラインドボーンはアクセスが厄介なので、前夜から憂鬱。(笑)
帰国後、ずっと会社で出勤していたが、いまだから話すが、朝9:00~昼の14:00まで、信じられない睡魔で廃人と化していた。
2,3日前にようやく気づく。あっ時差ボケかってな感じ。
今回の旅行日記を急いで書き上げた。
これから始まるイヴェントが、この後ぎっちり詰まっていて、いつまでもヨーロッパのことをひきづっていては、その方々に迷惑がかかると判断。
綺麗にかたづけて、サッパリして、新しいイヴェントに集中&応援していきたいと決意。
初頭でも述べましたが、旅行会社スタッフには、本当に突発な企画を受けていただいて感謝する次第です。
来年はどこに行くか、もう決まっています。
秋に決行します。
洪水のような情報ふくめ、本当にお騒がせしました。
よしっ!これですべてケリがついた。申し訳ないが、これから、ちょっと冬眠に入る・・・・・zzzzZZZZZ
青春の想い出のロンドンを堪能してきました。 [海外音楽鑑賞旅行]
EU大陸圏外に出るためか、空港並みに、パスポートコントロール、セキュリティチェックがあって、出発の1時間以上前に駅に着かないといけなかった。
無事手続きを経て、朝早くから来たので、自分もかなりお疲れモードでの待合室。
憧れのユーロスター。
ICEと違って、カートの格納エリアがあるのですね。(本来そうあるべき!)
(ICEは、きちんとしたカート格納エリアというのがなくて、単に座席の後方に広いスペースがあって、そこに置いておくという感じ。)
車窓からの風景をのぞみながら、素敵なロンドンまでの旅路を体験できました。
到着の駅。(名前忘れてしまいました。)これでようやくロンドンに到着という新たな想い。
ロンドン滞在は、今回のツアーで最長4日間。最後の試練であります。
タクシーでホテルまで。
ホテルは、ROYAL NATIONAL HOTEL。
レセプション
部屋
まぁ、いままでの滞在ホテルがあまりにゴージャスだったということもあるが、今回のホテルはリーズナブルな普通のホテルのように思われた。
とにかくホテルの規模がすごい巨大ホテル。海外からの観光客向けのマンモス・ホテルというイメージでしょうか?部屋に空調がまったくついていなかったり、バスルームにシャンプーがついていなかったりで、シャンプーについては、別室のハウスクリーニング担当部屋にいただきにいけないといけなかった。
WiFiの線も細かったですね。自分のケアレスミスで、UKの電源ジャックって、大陸のC-Typeと違ったんですね。ホテルの同じハウスクリーニング担当部屋に変換アダプタが置いてありました。
朝食、毎日ここのホテルのレストランで食べましたが、まぁイギリスといえば、ローストビーフだろう、ということで、頼んでみましたが、まぁこのようなてんこ盛りで、かなりラフでした。(笑)
美味しいけれど、上品ではないよね。
ロンドン・・・じつに懐かしい。20年以上ぶり。
昔、ロンドン近郊のベージングストークという街に赴任して生活していたことがありました。ロンドンから車で高速使って1時間くらい。ベージングストークという街は、アメリカ・カルフォニア州のサンノゼ版のようなところで、いわゆるイギリスでのIT/電機メーカーなどの企業オフィスが集まっている街で、前職の会社のイギリスブランチもそこにありました。放送局に納入する業務用機器などの開発がメインのオフィスでしたが。。
ロンドンと言えば、このかぶとむしタイプのロンドン・タクシー。”ブラックキャブ”というやつですね。やっぱり、どこでも走っているのは、このタイプのタクシー。他のタイプは見たことがなかった。
なんでも不況下にて、中国企業に買収されて傘下にある、という話をニュースで見ましたが。さっそく乗ってみると懐かしい。昔と違うのは、テロ含めセキュリティ強化されていて、運転席と後部座席は完璧な防弾ガラス。時代だなぁ、と思いました。
あと、ロンドンの街の景観を決定づけるのは、この赤い2階立てバス、いわゆる”ダブルデッカー”というやつですね。新型と旧型と2種類あるらしいですが、そのときはわかる由もなし。
そして、なんといっても今回大活躍したのは、地下鉄”Underground”。
ロンドンの街を移動するには、もう絶対これですね。これは大変便利!じつは赴任時代は、マイカーでロンドン市内をグルグル回っていたので、地下鉄はほとんど使わなかった。実際、本格的に地下鉄を使うのは今回が初めて、というか久し振りだったりした。
とにかくわかりやすくて使いやすい。ロンドンの観光名所って、大体地下鉄の最寄り駅が近くにあるので、地下鉄乗り継いでスイスイと。
どのラインを使って、どっち方向に行くの?どっちのホーム?
どのラインを使うの?は簡単だけれど、どっち方面のホーム?じつは、必ず駅にはこういう看板があって、下車駅の路線図の標示板が壁についているので、どっちのホームなのか簡単にわかる。
あるいは、こうやってホーム側の壁にもついている。
これってすごい重宝するなぁ。日本の地下鉄や、パリのメトロよりもずっと使いやすいんじゃないの?(笑)もう滞在4日間は、1日中地下鉄を使っていて移動しまくりで、もうガイド本の路線図マップはボロボロになってちぎれそうでした。
いま日記を書く前に、いろいろガイド本を読んでみたら、ロンドンの地下鉄って、世界で1番歴史が古いんですね。なのに、この使い勝手の良さ。
駅の地下通路では、こんな掲示板があって、ロンドン地下鉄100周年のロゴ変遷などが表示されていました。
自動販売機でチケットを買うが、使用頻度が高いので、もちろん1日券を買う。
まず、グラインドボーン音楽祭のチケットは、現地ロンドン支社での直接受取だったので、そこまでたどり着く。その途中の街の景観を観て、いやぁ~これこそ、ロンドンの街の景観だなぁと本当に郷愁の念。
そして無事、グラインドボーン音楽祭のチケットを引き取り。
去年は、パリでスリに会い、現地パリ支社でお世話になりましたが、今年は、いい用事(笑)でロンドン支社を訪問することが出来ました。
さっそく想い出のロンドン散策開始。
まず、目指すはタワーブリッジ。自分にとってロンドンの街の景観の代表的な建物なんですよね。
最寄駅から歩いていると、いきなり写真のような建物が突然目の前に現れて、ぐぉぉぉ~と思ってしまう。(笑)
現在橋を通過中。
やはり、タワーブリッジは、このアングルでしょうか?
昔、ポール・マッカートニー&ウィングスが、ロンドンタウンというLPを出したときに、そのジャケットが、背景に、このタワーブリッジで、それを後ろに、3人が写っているというモノクロジャケットを思い出しました。
このアングルで写真を撮影したところは、こんな公園になっていました。
そして橋を渡って、また最寄り駅に帰還中。
また、この付近にはロンドン塔があって、これも世界遺産です。
つぎに、国会議事堂、ビッグベンを目指す。ここも世界遺産。
ウエストミンスター駅が最寄り駅。
天気も快晴に恵まれ、本当に素晴らしい景観ですねぇ。
国会議事堂のほうも。
プロの写真は、ビッグベンと国会議事堂を横から撮るアングル(テムズ対岸からの姿)が一般的のようで、そのときはまったく思いつきませんでした。
じつは、ここもいろいろマイカーでグルグル回っていた想い出があって、それはビッグベンの裏側にある、パーラメント・スクエアという場所に車を止めていた記憶があって、ぜひそこに行きたかった。希望が叶いました。
パーラメント・スクエア
近くのウエストミンスター寺院を見学。素晴らしい!
つぎに向かったのは、Waterloo。
この地名は、あまりみなさん、馴染みがないと思うが、ベージングストークからロンドンまで高速ハイウエイで来ると、ロンドンに最初に出るところが、このWaterlooなのだ。自分は、ここを起点にロンドン市内をマイカーでグルグル回っていたのでした。
ちょっと残念なのは、記憶では、橋からテムズ河をのぞんでいた風景が頭から離れられず、どこだったかなぁ、とずっと悩んでいて、結局夢かなわずだったのだが、いま帰国後にガイド本を見直すと、Waterlooの橋でした。間違いない。
そして、ロンドンに入るポイントが、Waterlooだった場合、帰りの道は、かならずピカデリーサーカスから帰っていった記憶があるのでした。
懐かしのピカデリーサーカス。
ここは、よくたむろっていました。日本からの出張者を、よくここで接待していた記憶も残っています。この風景、全然変わっていない。
もしや!と思い、20年以上前に、このピカデリーサーカスにあったドーナッツ屋さん、まだあるのか!?
これが、あったりするんだなぁ。(笑)
やっぱりヨーロッパ。東京は流れが速いから、あっという間に、建物がどんどん変わっていくけれど、ヨーロッパ、それがたとえ、ロンドンのような大都会でも、意外と変わっていないんだなぁ、という感じ。
なんで、単なるドーナッツ屋さんなの?もっといいもの食えよ!という感じかもしれないが(笑)、そこが青春なんだな。
さっそくドーナッツをいただきます。
つぎにバッキンガム宮殿。ここも有名な観光名所ですね。大変な観光客でした。
近衛兵のお仕事って大変ですね。全く微動だにしない姿勢で長時間ずっと立っているんですから。
この近衛兵の交替式が名物ですので、ぜひ見学しようと思ったら、今日は中止ですと。(>_<)
バッキンガム宮殿からの帰り道の横のほうに一面に広がる公園がなんとも美しいこと!
そして大英博物館。ここは1日かけても全部観きれませんね。最初からあきらめモードでした。ほどほどに見て退散。
大英博物館の前のカフェの前、視覚的にビビッとくるショットが目に入ってきて、思わずパチリ。ロンドンらしい、いい雰囲気。
そしてロンドン散策の1番最後が、これまた、なぜかこんなところなの?と言われるかもしれないが。最後にここだけは見ようと。。。歴史と世界のマネーを動かしてきた、シティ周辺。王立取引所前の風景。
ここはビジネス街で、観光客も少ないのだが、住んでいた時、マイカーで市内をグルグルしていたときに、どうしてもここにでく会わすというか、マイカーの運転席から眺めた風景では、1番見てきた風景なのでした。これを最後に見れて、本懐といったところです。
これがロンドン滞在で、回ってきた全名所。もう地下鉄の路線マップ、ボロボロでちぎれそう。
コンサート、オペラ鑑賞も含めると、この滞在4日間で、ずいぶん歩いたなぁという感じでした。
食事控えめでこれだけ歩けば、それは痩せるわな。(笑)