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PENTATONEの新譜:クラリネット奏者 アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェ デビュー! [ディスク・レビュー]

これは思わずジャケット買いしてしまうだろう!(笑)その瞳にす~っと吸い込まれるように魅了されるそのシルエット。まさに、いつしかカラヤンの前に颯爽と現れたザビーネ・マイヤーの再来のような衝撃だ。

何者なのだろう?

このたび、PENTATONEレーベルと長期契約を締結し、このレーベルからデビューしたクラリネット奏者である。この情報を掴んだときは、まだ日本のサイトに十分な情報が掲載されていなかったので、騒然な騒ぎになってしまったが、それも落ち着いてきて、どうやら素性が判明したようだ。


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クラリネット奏者アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェ。
ベルギー出身である。


最難関のコンクールとして知られるミュンヘン国際音楽コンクールで優勝(2012年)後、英BBC選出の“新生代アーティスト” やボルレッティ=ブイトーニ財団アワード2018を受賞するなど、今最も期待される新進気鋭のクラリネット奏者なのだそうだ。


ザビーネ・マイヤー、ヴェンツェル・フックス、アレッサンドロ・カルボナーレ、パスカル・モラゲスといった錚々たるクラリネット奏者に師事してきたヴァウヴェは、2017年夏のBBCプロムスのデビュー後、2018年にはロイヤル・アルバート・ホールやカドガン・ホールにてトーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団との共演でモーツァルトのクラリネット協奏曲を披露するなど、イギリスを中心に全ヨーロッパで注目を集めている俊英である。

ベルギー出身で、イギリス中心に活躍している、というのが素晴らしい!
間違いなく自分の人生に関与してくる運命のスターだ。(笑)


現在は、ベルギー・ブリュッセルに在住で、アントワープ王立音楽院やムジカ・ムンディ音楽学校で教鞭を取っているようだ。


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現在は、クラリネットのソリストとして華々しくデビューしたが、今後は、ザビーネ・マイヤーのように、どこかのオーケストラの木管セクションのクラリネット奏者としてもキャリアを広げつつ、アルバムはソリストとして出していくという二束のわらじの選択肢になっていくのだろう。

自分は木管楽器ではオーボエが1番大好きなのであるが、名だたるオーボエ奏者も、みんなそうだ。オーケストラの首席奏者として活躍しながら、ソロのアルバムも出す、というような路線。
まさに木管奏者の王道の道ですね。

ソリストとしてのみの道だと、やはり音楽家としての音楽性の素養を磨いていくには不十分。
オーケストラの奏者としての経験を積むのは絶対必要ですね。

どこのオーケストラに所属することになるのか、いまから楽しみである。

でも現在、ベルギーの音楽学校に勤務していることから、職業としての専任音楽家としてどこまでやれるか、の判断はありますね。

2012年のミュンヘン国際コンクールで優勝して、音楽家として生きていく道筋を立てて、その後の5年間、いろいろな名クラリネット奏者に師事をして、満を持して2017年夏のBBCプロムスでデビューということだから、本当につい最近出てきた奏者なんだね。

そして今年2019年にPENTATONEと長期契約して、アルバムのほうでもデビューだ。

ご覧のような美人でフォトジニックな奏者で、音楽的才能も抜群。あとはこれから何十年もかけて、自分をどう成長させていくか。。。まさにこれからの奏者だ。

PENTATONEはじつにいい仕事、NICE JOBをしたと思うよ。

敢えて、難を言わせてもらうならば、名前が難しすぎて読みづらい、ということだろうか?(笑)ベルギー人はみんなこのような名前だからね。スターの要件のひとつとして、誰からも名前を簡潔に呼びやすい、というのがあります。それがちょっと心配です。

その後、たぶん略した愛称ニックネームみたいなものが、みんなが作ってくれると思うよ。


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今回PENTATONEからアルバム・デビューするにあたって、アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェ本人、そしてPENTATONEのVice President レナード・ローレンジャー氏がライナー・ノーツにこのような寄稿をおこなっている。


●ライナーノーツのアンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェのコメントからの引用。

いま、PENTATONEレーベルのアーティスト・ファミリーの仲間入りができたことは、とても熱狂的に感じています。

私の芸術的なパーソナリティのすべての側面を映しだした今回のレコーディング・アルバムは、私の心の奥深くに大切に思っている音楽を表現するための第2の声を見つけることができたようなものだと思っています。PENTATONEと私の目的は、極めて優れたクオリティ、そして音楽の激しい感情を素直に解釈することでした。

私は、まもなくこの作品をリスナーにシェアすることに少しスリリングな気持ちを抱いています。

レナード・ローレンジャー氏とそのハイクオリティーでカリスマな彼のチームといっしょに仕事ができたことは、最も感動した経験だったし、これからもきっとそうでしょう。私のファースト・ソロ・アルバム、”ベル・エポック”のリリース、そしてこれからまたコラボしていく作品のリリースをとても楽しみにしております。


●PENTATONE Vice President レナード・ローレンジャー氏のコメントからの引用

私は、ここ数年のアンネリエンのキャリアをずっと追ってきて、ますます彼女への関心が深まる感じであった。そしてとうとう我がレーベルのファミリーに加わってくれて、とても興奮している。彼女は、並外れた芸術性、音楽的才能、そして演奏技術を兼ね備えており、レパートリーやインストゥルメンタルが持ちうる可能性の領域に対して絶え間ない好奇心と欲望に満ち満ちている。

我々は、彼女が今後、素晴らしい活躍、発展をしていくことを心から望んでいる。


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木管はオーボエが1番大好きなのであるが、クラリネットも好き。
でもオーボエ奏者ほどの熱の入れ方ではなく、自分が過去の日記のディスクレビューで、どれだけクラリネット奏者を取り上げいたのかというと自分の記憶では、ザビーネ・マイヤーとBISのマルティン・フレストくらいなものだった。

とくにマルティン・フレストは、とてもユニークなクラリネット奏者で、彼自身オーケストラに所属せず、クラリネットを吹きながら、ダンスで踊ることもできる、という一風変わった奏者なのだ。

いわゆるクロスオーバー的エンターテナーという立ち位置で、クラシックに限らずいろいろなジャンルの名曲をクラリネットでフィーチャリングした小作品集が得意なのだが、単に演奏するだけでなく、本当に歌って踊れるユニークなエンターテナーでもあるのだ。

アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェもそういうクロスオーバー路線を狙っていくという可能性もありますね。でも、やっぱりせっかくコンクール優勝で、名奏者に師事でクラシック路線でデビューしたのだから、自分はまずクラシックの王道路線でがんばって欲しい。クロスオーバーはその後でもいいし、やろうと思えば、いつでもやれると思うから。


クラリネットの音色というのは、とにかく耳に優しい。同じ木管楽器でもフルートやオーボエと比較しても、クラリネットは丸みの帯びたソフトな質感で、ほんわかしていて、聴いていてとても癒される。


アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェが実際どのようなクラリネットの吹き方をするのか、その演奏姿をぜひ観てみたいと思い、YouTubeで探してみたらあった。

今回のデビューを祝して、PENTATONEが彼女のプロモ・ビデオを作っているのだが、これはあまりに幻想的にイメージを作りすぎで、顔もよく見えないし、演奏している姿も見えない。これはあまり役に立たないと思う。格好良く造りすぎですね。(笑)

気持ちはわかるけれど、もっと実質的のほうがいいです。

YouTubeには、それ以外にも彼女の演奏姿があるコンサートはたくさんアップされていた。
BBCプロムス2017やモーツァルトのクラリネット協奏曲も上がっていたので、しっかり観てみた。

美人で背筋がピンとしていて、クラリネットを吹く姿はじつに正統派スタイル。
素晴らしかった。


そして最後に、ようやくこの日記の本命であるディスク・レビューである。 



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ベル・エポック

クラリネット作品集 

アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェ
アレクサンドル・ブロック&リール国立管弦楽団

http://urx3.nu/XVx0


デビュー・アルバムのタイトルは、「ベル・エポック」。

ドビュッシーの第1狂詩曲、世界初録音であるパリを拠点に活躍するマンフレート・トロヤーン(1949-)のラプソディ、イェーレ・タジンズ(1979-)編曲によるピエルネの「カンツォネッタ」とヴィドールの「序奏とロンド」、そしてルチアーノ・ベリオ(1925-2003)編曲のブラームスの「クラリネット・ソナタ第1番」である。

共演するオーケストラは、アレクサンドル・ブロック指揮のリール国立管弦楽団。


アルバムタイトルのベル・エポック(Belle Epoque、仏:「良き時代」)とは、19世紀末から第一次世界大戦勃発までのパリが繁栄した華やかな時代、及びその文化を回顧して用いられる言葉なのである。単にフランス国内の現象としてではなく、同時代のヨーロッパ文化の総体と合わせて論じられることも多い。

このパリがもっとも繁栄した華やかな時代「ベル・エポック」をタイトルに持ってくるというのは、このアルバムで選ばれた作曲家にきちんと現れているのだ。


クロード・ドビュッシー(フランスの作曲家)
マンフレート・トロヤーン(パリを拠点とする作曲家)
ガブリエル・ピエルネ(フランスの作曲家、指揮者)
シャルル=マリー・ヴィドール(フランスのオルガン奏者、作曲家)

このようにブラームスを除く曲は、すべてフランスの作曲家による作品。
そこにこのアルバムがフランス・パリへのオマージュであることが意図されたものであることがわかる。


なぜ、彼女がこのようなパリ・オマージュの作品をデビュー作品に持ってきたのか、その意図は、もっと厳密にライナーノーツを読めば書かれているかもしれない。少なくともベルギーという国は、多国言語を母国語とする国で、下がフランス語圏、上がオランダ語圏、そして右端がドイツ語圏、そして共通語に英語というようなマルチリンガルな国。

首都のブリュッセルは、地域別に言えばオランダ語圏なのだが、使われている公用語は、フランス語だ。自分が住んでいたときも、レストランのメニューはほとんどフランス語だった。

彼女が現在住んでいるのはブリュッセルでフランス語圏であるし、勤務している音楽学校での研究テーマなのか未明だが、そこからのパリ・オマージュがあってもなんら別に不思議でもない。



さて、さっそく聴いてみた印象。

冒頭のドビュッシーは、じつに彼らしい色彩感のある印象派の曲らしいテイストで、クラリネットの旋律がとても美しい。

2曲目のマンフレート・トロヤーンは現在パリを拠点に活躍する作曲家とのことであるが現代音楽ですね。全体としては前衛的なアプローチなのだけれど、楽章によって美しいクラリネットの旋律が垣間見れるなどの隠し味があって、粋な感じがするお洒落な構成の曲。いつも思うのだが、現代音楽って、隙間の美学というか、空間をうまく利用していて、とても録音がよく聴こえるのはいつも不思議です。この2曲目は、とりわけ録音がよく聴こえます。


3曲目のピエルネは、なんと可愛らしい曲なんだろう、というくらい美しいメロディ。
自分は最初に聴いたときに、その可愛らしさに一瞬にして心奪われた。クラリネットを主旋律に持ってきた編曲ヴァージョンであるが、これはじつに可愛い女性的な曲です。

4曲目のブラームスのソナタ。これがこのアルバムのメイン・ディッシュですね。これもクラリネットを主旋律に持ってくる編曲ヴァージョン。この曲はメイン・ディッシュらしい堂々とした如何にもブラームスらしい大曲。このアルバムは、どちらかというとクラリネットが主体でオーケストラの音が控えめな感じのバランスなのだけれど、この曲だけは、オーケストラの音もしっかり聴こえてきます。ロマン派らしい我々に馴染みやすい名曲である。


最後の5曲目のヴィドール。これもクラリネットとオーケストラとの掛け合いがとても美しくて可愛い感じがする曲。とても女性的で美しい曲ですね。


全体的に柔らかくて優しい質感のする女性らしいテイストに仕上がっている。2曲目の現代音楽以外は、とてもメロディラインが美しい曲ばかりで、クラリネットの音の主旋律が、どの曲もじつに効果的に、その美しさの骨格を作り上げていると言っていい。

「ベル・エポック=パリが繁栄した華やかな時代」というタイトルにふさわしい収録曲も、そのようなセンスのする曲ばかりであった。


サウンドの録音評であるが、いつものPENTATONEサウンドと変わらず期待を裏切らない出来栄えだった。

柔らかい質感、広い音場感ですね。クラリネットのあの耳に優しい、丸みを帯びたソフトな質感は万遍なく捉えられ、じつに美しく再現されている。

ただ、クラリネットがいくぶんメインにフィーチャリングされている感があって、オーケストラがあまり目立たない感じするのだが、4曲目のブラームスではオーケストラも大活躍であった。

録音スタッフは、録音プロデューサー&バランス・エンジニアにエルド・グロード氏。(プロデューサーに昇格!。。笑笑)録音エンジニアに、フランソワ・ゲイバート氏、編集に、ローラン・ジュリウス氏。

ポリヒムニアも、若い世代をどんどん育成していくべく、新しい人材にどんどんチャレンジさせていますね。こういう新しいスターのアルバム制作では、絶好のチャンスです。


アンネリエン・ヴァン・ヴァウヴェの公式HPもあります。リンクを貼っておきます。

http://www.annelienvanwauwe.com/?fbclid=IwAR10IfraiHm3VbDWN3iCYoVJ78vyY8JMn61HcI1aBXL_c3c8zrV0VVxaFRM


新しい時代のスターの誕生は、いつになっても、とてもフレッシュな気持ちになれるし、彼女も、今後PENTATONEを引っ張っていく主力スターとなっていくことを心から願っています。








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アラベラさんの新しいパートナー [国内クラシックコンサート・レビュー]

もちろん今回の日本公演限定の話だと思う。(笑)アラベラさんには、ヴァイオリン・リサイタルの場合は、10年に渡りパートナーをいっしょに組んできたロベルト・クーレックという相方がいる。レコーディング録音はもちろん、5年前の2014年12月のヴァイオリン・リサイタルのときも、このロベルト・クーレックを引き連れて、この同じトッパンホールでのリサイタルであった。

このときの自分の印象は、感動しつつも、アラベラさんのヴァイオリンとロベルトのピアノとのバランスの悪さに、このような感想を日記に書いていた。

ロベルトのピアノは主張しすぎで、要はピアノがドラマティックに弾こうともったいつけたり、ヴァイオリンが隠れてしまうほど強く弾いたりして、雰囲気を壊すような感じでバランスが異常に悪い。

要は気負い過ぎという感じがあって、鍵盤から事あるごとに、ダイナミックに空中に手を跳ね上げる様な仕草をするのはいいのだが、その度にミスタッチがすごく多くて、打鍵が乱暴で音が暴力的。ペダルもバコバコ踏み過ぎという感がある。

この優雅な大曲のイメージからすると、彼は盛り上げたかったのだろうが、空回りという感じで気負い過ぎの感が否めなく、ヴァイオリンの優雅な旋律とまったくバランスが取れていなくて、自分にとって違和感だった。


かなりクソみそである。(笑)
いまの自分では絶対書けないレビューだ。

録音を聴くとそんなに悪い印象はないのだが、こと生リサイタルでは相性が悪かった。

そんなある意味トラウマでもあったアラベラさんのヴァイオリン・リサイタルでもあったのだが、今回の5年振りの公演は、パートナーのピアニストとして、若いデビューしたての日本人男性ピアニストをアサインしてきた。

入江一雄氏(以降入江くん) 

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なかなかのハンサムで、アラベラさんと並んでも美男美女のカップルで、とてもフレッシュなコンビのような印象であった。

とてもいい企画アイデアだと思った。入江くんはこのリサイタルがきっかけになって一気にブレイクして羽ばたいてくれるといいなと思ったぐらいである。それくらい第1印象の人触りは良かった。

そういう経緯があるので、今回のリサイタルは、ある意味入江くんの健闘ぶりが楽しみだったという自分なりの都合があったのだ。


入江くんのプロフィールは、

熊本県生まれ。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て同大学・同大学院を首席で卒業・修了。第77回日本音楽コンクールピアノ部門第1位、第1回コインブラ・ワールド・ピアノ・ミーティング(ポルトガル)第5位入賞、他受賞多数。

幅広いレパートリーの中でもライフワークとしているプロコフィエフのピアノ・ソナタ全曲演奏会を成功させる等のソロ活動に加え、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、芸大フィルハーモニア管弦楽団などの国内主要オーケストラと共演。

東京芸大シンフォニーオーケストラ・ドイツ公演(Young Euro Classic)ではソリストとして同行し、ベルリン・コンツェルトハウスにて細川俊夫作曲《沈黙の海》を協演した。

また、室内楽にも熱心に取り組んでおり、近年ではNHK交響楽団コンサートマスター篠崎史紀から絶大な支持を受け多数共演。国内はもとより、モスクワ、ロンドン、ベルリンなど海外でも演奏している。

2012・13年度公益財団法人ロームミュージックファンデーション、15年度文化庁(新進芸術家海外研修制度)より助成を受け、チャイコフスキー記念ロシア国立モスクワ音楽院研究科に在籍し、エリソ・ヴィルサラーゼに師事。16年夏に修了、ディプロマ取得。17年度より東京芸術大学にて教鞭をとる。


このようにデビューしたてというよりは、藝大、そしてモスクワ音楽院にてみっちりキャリアを積んできている実力派で、2011年ころからずっと活躍してきているようなので、単に自分が存じ上げていなかった、ということだけなのかもしれない。


もちろんいままで1回も実演に接したことはないのだけれど、その外見のスマートさから、きっとダンディズムのような穏やかで洒落た打鍵で、でも静かなる闘志を潜むというようなタイプではないかな、と想像していた。

今回の実際の実演での印象は、それは遠からず間違っていなかったという印象で、つねにアラベラさんを表に立てるということに貫徹していて、一歩引いた感じで弾いていて、自己主張するタイプではなかった。今回は入江くんに注目しようと最初から決めていたので、入江くんを良く見ていたのだが、その指捌き、卓越した技術、その安定感のある打鍵はしっかりした基本が根底にあり、安心して観ていられた。

なによりもアラベラさんのヴァイオリンとのバランスが、リサイタルとしては適切な配分率で、アラベラさんを立てるタイプでパートナーとしては申し分なかった。


曲が終わるごとのステージ上での挨拶にしても、アラベラさんから3歩下がってその影を踏まず、という奥ゆかしさで(笑)、大人しい人柄の良さが滲み出ていた。アラベラさんから手をつなぐように誘われて、カーテンコールするのも、どこかぎこちなさが残るところが初々しくて見ていて微笑ましかった。


このリサイタルをきっかけに大いに羽ばたいてほしい逸材だと思う。


今回のヴァイオリン・リサイタルは前回と同じトッパンホール。
チケットは完売のソールドアウト。

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入江くんの指捌きを観たかったので、この左寄りの座席を取った。
反面、アラベラさんは後頭部からのシルエットになってしまうのだが、仕方がない。

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入江くんに注目しようと思いつつも、いざ始まってしまうと、やっぱり主役は、アラベラさんのヴァイオリンであることは間違いない。

最初のバッハのソナタ。「フルート・ソナタ」として知られる曲で、ヴァイオリン・パートがすべて単音で書かれた端正な歌を聴かせてくれるものとして期待したが、予想より、そして思っていたほどの盛り上がりもなく淡々とその表面をなぞっていくだけのような淡泊さがあり、自分にとってはやや物足りなさを感じた。

そういう聴衆に対してもっと来てほしい!という欲望は、2曲目のベートーヴェンのソナタ「クロイツェル」で満足できるものとなった。もうヴァイオリン・ソナタの分野では名曲中の名曲、王道ソナタの最高峰ですね。

確固たる裏付けされた技術、ピアノとの連係プレーとそのバランス、フレージングやアーテキュレーションも教科書的な模範のような折り目正しい演奏という印象で、自分の想いはいくぶん成し遂げられたかな、という気分にはなった。



後半の3曲目のペルトのフラトレスで、会場の空気が一気にがら変した。

その切り裂いたような鋭利な空気感、そして陰影感、堀の深さなど、聴衆に訴えかけてくるもの、訴求力があまりにリアルすぎる。

今回のリサイタルの最高パフォーマンス、圧巻だったのは、間違いなく最後のプロコフィエフのソナタだと思うけれど、自分は敢えてこの3曲目のペルトを1番に挙げたい。

不勉強ながら初めて聴く曲だったが、まさに”瞑想”という言葉がぴったりのその旋律とその沈黙がなにかを語っている感のある隙間の美学。

いっぺんに自分を魅了した。これは素晴らしいなぁ~という感じ。アラベラさんの超絶技巧も冴えに冴えわたっていた。

この曲で会場は一気に雰囲気が変わりましたね。


そしてラストのプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ。もうこれは文句なしのこの日の最高のパフォーマンスで聴衆をグイグイ引き込んでいった。この曲もヴァイオリン・ソナタの名曲中の名曲だから、よく聴く機会が多いが、その中でもベストNo.1と言っていいほどの素晴らしいパフォーマンスだったのではないか。


まさに神がかっていた!という感じ。


じつは5年前にもアラベラさんのヴァイオリン・リサイタルでプロコフィエフのソナタを聴いているのだが、記憶が薄く、あまり印象に残っていないのだが、この日の演奏はじつに素晴らしく、名演として一生記憶に刻み込まれることだろう、という凄さであった。

アラベラさんは、一見もすれば”美人のお嬢さんヴァイオリニスト”というレッテルを貼られて見れられることも多いと思うが、そのじつは音楽家、演奏家としてじつに懐の奥の深さ、表現力が豊かで、幾重にも年輪を重ねてきた芸術家である。


そういうことが証明されたような今宵のパフォーマンスであったと思う。


ずっと彼女を聴いてきたファンとしては、あれから5年という歳月は、じつに彼女を大きく成長させてきた。

それが一見してわかるような5年前とは別人のような演奏であった。

すべてにおいて満足のいく今回のヴァイオリン・リサイタルであった。


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(c)アラベラさんFB


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(c)トッパンホールTwitter




アラベラ・美歩・シュタインバッハー ヴァイオリン・リサイタル
2019/7/17(水)19:00~ トッパンホール

J.S.バッハ:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ト短調 BWV1020

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 Op.47 <<クロイツェル>>

インターミッション

ペルト:フラトレス

プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 Op.94a


アンコール

マスネ:タイスの瞑想曲







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ユリア・フィッシャー, ドレスデン・フィル [国内クラシックコンサート・レビュー]

ユリア・フィッシャーをはじめてコンサートで拝見したのは、3年前の2016年の東京オペラシティとトッパンホールでのヴァイオリン・リサイタルのときであった。

PENTATONEの初代女王としてずっとオーディオで愛聴してきたので、それは感無量であった。そのとき、ユリアをぜひコンチェルトでも拝見したいと思っていて、必ず近い将来実現できるのではないか、という確信みたいなものがあって、今年見事祈願成就することができた。ミヒャイル・ザンデルリンク&ドレスデンフィルとともに日本を縦断するツアーである。

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オーディオで聴くユリア・フィッシャーの魅力は、やはり女性ヴァイオリニストとは思えないパワフルな演奏というところだと思う。非常に力強いボーイングで、男性ヴァイオリニストにけっして引けを取らないくらい音色に力強さがあって、そして瞬発力がある。聴いていて切れ味があって爽快なのだ。そしてかなりの技巧派テクニシャン。

そういうユリアの技巧、力強さみたいな魅力は、ヴァイオリン・リサイタルよりもコンチェルトのほうが、より発揮できるのではないか、という自分なりの予想があって、ぜひコンチェルトで拝見したいなぁとずっと恋焦がれていたので、本当に今回の公演は楽しみにしていた。

さらに演目は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン・コンチェルトの中でも、自分がもっとも好きな演目のひとつ。
ブラームスらしい秋のシーズンに相応しい哀愁漂う非常に美しい優雅な旋律が特徴的で、全体として美しい造形をもつヴァイオリン・コンチェルトの傑作中の傑作。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲といえば、注目は第1楽章のカデンツァ。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲の場合は、作曲にあたってアドバイスし、初演もした名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムのカデンツァが演奏されることがほとんどで、滅多に演奏されないがクライスラーの美しいカデンツァもある。

いまから8年前のNHKホールでN響と共演したリサさまことリサ・バティアシュヴェリのブラームス・コンチェルトの実演に接したとき、この珍しいクライスラーのカデンツァを聴いたことがある。

このブラームスのカデンツァのこと、すっかり忘れており、ホールに到着して座席に着席したときに急に思い出し、しっかりカデンツァの予習をしておけばよかったと後悔しました。(笑)たぶんおそらくヨーゼフ・ヨアヒムのカデンツァだったと思います。


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はじめて拝見するユリア・フィッシャーのブラームスのコンチェルト。
黒いドレスに身を包んだユリアは美しかった。

ユリアの演奏のフォームというかスタイルは、とても正統派スタイル。パフォーマンスなどの魅せる側面がまったくなく、非常に教科書的な、ある意味ちょっと地味でもあるフォーム。弓をもつ右肘はやや下げ気味で、全体のフォームが非常にコンパクトにまとまっている感じがして、そしてボーイングはやはり瞬発力があってとても力強かった。

ユリアのブラームスは、それは素晴らしかった。
本来の持ち味である力強さと瞬発力の切れ味もさることながら、優雅に歌わせる部分は歌わせ、颯爽と走る部分は走る、そういった緩急を見事にコントロールしていたように思えた。オーケストラとの語らいもとても密だったように思う。

ブラームスのコンチェルトとしては名演だったと思いました。

ただユリアの演奏は、とても正確無比な演奏というか、激情ドラマ型じゃないんだよね。
たぶん当日の自分の体調コンディションもあったかもしれないが、緩急もあり、魅せる部分も十分の素晴らしいパフォーマンスだったけれど、自分の感情の中で、抑揚する、天にも昇る興奮度合が自分が期待していた程でもなく、ある決められた範囲の中で納まっていたというか。。。

これは自分の体調不良もあったかな?
すこし妄想しすぎていたかも?

でも素晴らしい公演だったことは間違いないです。
ユリアのコンチェルトを堪能できて、そして期待を裏切ることのない見事なパフォーマンスでした。

アンコールのパガニーニの奇想曲は、これは素晴らしかった。
パガニーニらしい演奏するのが難解そうな曲で、アクロバティックな奏法が冴えわたり、かなり衝撃であった。

ブラボー!

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後半は、ブラームスの交響曲第1番。まさにブラームス王道の曲ですね。
じつに久し振りに聴きました。

ドレスデンフィルは、想像以上に発音能力に長けていて、低音がしっかりと出ていて、ブラ1に必須な重厚な音が出ていたように思う。最初の出だしから、こちらの期待をがしっと鷲掴みし、見事最後まで破たんするところもなく突っ走っていった。弦楽器群の音の厚み、和声感のあるハーモニーの美しさ、そして女性奏者中心で成り立っている木管群の音色の嫋やかさなど、自分が想像していた以上に素晴らしい演奏力を持ったオーケストラであると感じた。

機能性抜群の大オーケストラというほどのグレード規模ではないと思うが、ブラームス1番の大曲をここまで堂々と演奏しきったその力量は十分に評価したい。

指揮者のミヒャエル・ザンデルリング。任期最後ということで、このドレスデン・フィルのシェフとして来日するのは今回が最後だと思われる。

じつはミヒャエル・ザンデルリンクは、8年前の2011年にベルリン現地で、ベルリン・コンツェルトハウスの大ホールで、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団を指揮したコンサートを体験させてもらっているのだ。懐かしすぎて記憶も薄っすらであるが、今回の勇姿を再度拝見できて光栄だと思う。

相変わらず、スマートで自然な流れの持っていき方の指揮振りは見事であった。

アンコールのブラームスのハンガリー舞曲。もうアンコールの定番中の定番であるが、華麗に決めてくれた。

ユリアのコンチェルトを観てみたい、というところから足を運んだコンサートであったが、全般に自分の想いを遂げることができた十分に満足のいく公演だったと思う。


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(c)ジャパン・アーツTwitter





富士通コンサートシリーズ
ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

2019/7/3(水)19:00~ サントリーホール大ホール

指揮:ミヒャエル・ザンデルリンク
ヴァイオリン独奏:ユリア・フィッシャー
管弦楽:ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団


ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調Op.77

ソリスト・アンコール:パガニーニ:24の奇想曲 第2番

ブラームス:交響曲第1番ハ短調Op.68

アンコール:ブラームス:ハンガリー舞曲 第5番









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ホール音響、欧州で議論、ワインヤードかシューボックスか。 [音響設計]

きっかけになったのは、ドイツ・ハンブルクで2年前に完成した新ホール、エルプフィルハーモニーでの演奏会。今年1月に、人気テノール歌手のヨナス・カウフマンがマーラーの交響曲「大地の歌」を歌った際、観客席から「聴こえない。」のやじを受け、カウフマンが怒って演奏中に途中退場した事件。

公演後、カウフマンは地元メディアにこのホールの音響を批判。
「次に公演する際には、(靴箱型の)ライスハレでやる。」

この事件は、クラシック界ではかなりセンセーショナルな事件で、それまで腫れ物に触る扱いだったエルプフィルハーモニーが、この事件を機会にかなり窮地に追い込まれているのが現状なのだ。(腫れ物に触る扱いだったからこそ、その反動が来たという感じ。)

また、この事件に相乗りするような形で、女性のフリーランスライターが、この新ホールの音響、じつは現地であまり芳しくないというようなニュアンスの投稿をして、これがさらに話題になって輪をかけて日本のファンは騒然。

なんか新ホールの門出にいちゃもんをつけられ、一気に風向きが変わってしまった、という感じなのだ。

自分は、このホールに行ってみたいとはまったく思ってなくて、NDRのチケットはいつも完売で取れないし、転売サイトで高額チケットを買ってまで行くようなホールだとは思っていない。限られた年間予算をやり繰りする上では、もっと優先度のあるホールがいっぱいあって、正直自分にとってこのホールの優先度は低いのだ。

でもこのニュース、風評は正直心傷むというか、自分もすっかりこのカウフマン事件と女性フリーランスの記事を信じ込んでしまって、「エルプフィルハーモニーは音響が芳しくない。」という固定観念ができつつあった。

SNSの投稿でも感想をいくつか拝見したが、やはり自分の耳で確認しない限り、説得力がないというか心に響いてこない。

そのようなとき、2019年6月3日の朝日新聞に、「ホール音響、欧州で議論」というとても気を惹くタイトルで記事が特集されていて、その内容を読んだら、思わず、な~んだ!という感じになってしまった。

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ぜひ、この記事、とても興味深いので、最初から最後まで1字1句逃さないで読んでほしい。

この記事を読むと、カウフマンが歌っていた時に、「聴こえない」とヤジを受けたのは、ステージの後方席、つまりP席からだったようだ。

自分はこの事実を知ったとき、そんなの当たり前じゃね?と笑ってしまった。

クラシック・コンサートにゴアと呼ばれるがごとく通っている身において、どこの世界に歌手、つまり歌い手が歌う公演で、P席に観客を入れるだろうか?

自分は、少なくとも東京の場合、ワインヤードはサントリーホールとミューザ川崎であるが、ここでオーケストラと歌手、あるいは歌手とピアノのみのリサイタルのときに、P席に観客を入れているところなど見たことがない。(笑)

ご存知のように、人間の声、そしてピアノの音というのは、とても指向性が狭い特性(音の広がる角度というか範囲のこと)のものなので、ステージで歌手が歌う場合は、前方があたりまえ、よくて側方のみです。後ろには絶対客は入れません。P席は空席のままにします。

それが常識というものです。 (下の写真は、ミューザ川崎でのグルベローヴァさまの日本でのラストリサイタルのとき。このようにP席には観客はいっさい入れません。)


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でもこの事件を記事で読むと、P席に人を入れているみたいなのだ。そしてヤジはそのP席から飛んできている。

そりゃ聴こえないのはあたりまえでしょ。(笑)カウフマンの後ろから眺めていて、しかも大地の歌なのだから、オーケストラ付き。オーケストラの音でマスキングされるハンデもある。

これは、こういう歌が入るコンサートにP席に観客を入れるエルプフィルハーモニーの興行主がすべて悪いんじゃねぇ?と思う訳です。

そしてカウフマンも背後から聴こえないというヤジを受けたから怒って、今度からはシューボックスのライスハレでやる、と言っている訳だ。そこで、歌ものは声の指向性の狭さから、ワインヤードよりもシューボックスのほうが適正なのではないか?でもいまのコンサートホールの流れからして、たくさんのお客さんが入り1回の公演でたくさんの収入を一気に儲けることのできるワインヤードのほうの流れの主流。 そういう議論がいま欧州で巻き起こっているというのだ。

このカウフマン事件がきっかけで、いま建設中のロンドンの新ホールにも飛び火しているらしい。
はたしてワインヤードのままでいいのか?それともシューボックスなのか?いままだ未定という。

さらに笑えるのが、この記事にも書いてあるが、同じこのエルプフィルハーモニーで、同じ大地の歌をゲルギエフが手兵のミュンヘンフィルを使って、カウフマン事件の反省から、歌手をオケの後ろ、ステージ後方に左奥に配置することで、ステージ後方の聴衆の「死角」を減らし、金管楽器を後方右側に分けて音量のバランスを取った。

聴衆の不満はいっさいなかったそうだ。

ゲルギーは自慢げに「名ホールはヴァイオリンの名器ストラディヴァリウスと同じ。音響技術を使いこなす指揮者が必要だ」と語ったそうだ。

だから、そんなことしなくてもP席に観客を入れなきゃそれで済むことなのですから。(笑)

日本じゃ至極あたりまえのこんな常識もクラシックの本場ヨーロッパではあまり通じていないのだろうか?いやハンブルクだけの現象なのか・・・

こういう背景から、いま欧州でホール音響の議論、次世代は、はたしてワインヤードなのか、シューボックスなのか、という記事を朝日新聞は書いた、ということらしいのだ。

この記事を読んで自分はすべてがすっ~とすっきりした気分になった。
この内容、つまりカウフマン事件の真相をきちんと理解している人って、いったいどれくらいいるのだろう?

それにも増して、自分が遺憾に思ったのは、フリーランスライターがそのカウフマン事件に便乗して、エルプフィルハーモニーの音響が芳しくない、という記事を書いて投稿したことだ。彼女はどれだけ、事の真相を理解しているのだろうか?

正直その投稿を読んだとき、書かれている文章に素養として技術的なバックグランドがあまり感じられなく、読んでいて、自分には響いてこないというか真実味があまり感じられないよな~と思ったものだ。でも実際いろいろな人が言っている、そういう噂がある、というニュアンスな文章だったので実際自分が聴いて体験したわけでもないわけだから、やはりそういうものなのかな~と信じるしかなかったというところだ。




これは長い自分のホール音響鑑賞の経験から最近ひしひしと学んだことなのだけれど、ホール音響を誉めることは全然ウェルカムなことなのだが、その反対の音響を貶すということは、あまり文章にしてSNSや公式雑誌で広めたりしてはいけないことなのではないか?と思うのだ。

コンサートホールの音響というのは、いわゆるすでに建ててしまっている建物な訳で、もう変えることができないのだから、それに対して悪評などを世間に広めたりしたら、それこそ風評被害もいいところで、そのホールのレジデンス・オーケストラや興行主は、そういう風評被害で迷惑を被るどころか、いろいろツライ想いをしないといけない。しかも変えることができない訳だから、それを一生かけて背負っていかないといけない。

それってやっぱりやっちゃいけないことだと思うのだ。少なくともフリーランスや職業ライターのようなその書いた文章に社会的責任をもつべき人たちは、そのようなことを書いてはいけない、と思う。

でもあそこのホールはいいけど、こっちのホールは全然ダメというのは、人間だったら、そしてホール愛好家だったらどうしても言いたくなるよね。それが人情というものだ。自分も以前はもう悪いと思ったら、ガンガン言っていたので、その気持ちがよくわかる。

でも最近粛々とそのことを想うようになったので、自分の中でコントロールするようにしている。
百歩譲って、海外のホールは言っちゃっていいでしょ。でも国内のホールはやめたほうがいい。


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エルプフィルハーモニーは、その内装空間からして、確かに一見奇抜な感じを受けるが、自分はワインヤードの音響技術の基本がきちんと敷かれている非常に基本に忠実なホールではないかと思う。観客席を流線型ではあるけれど、きちんとブロック単位で分けていてその段差壁を反射音生成のために使うようになっているし。


そしてその反射壁やいたるところの壁も、ご覧のようなホワイトスキンと呼ばれる反射音の拡散の仕掛けが作られている。反射音をホール内に均一密度分布で拡散させるためだ。

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天井の造りも、ちょっといままでのワインヤードのホールとは違って特徴的であるけれど、そんなに基本から外れていない。その効果作用は十分に想像はできる。

自分がこのホールの内装空間を観たときに一瞬感じる、想像しうる音響空間は、かなり容積が大きいホールのように思えてしまうことだ。容積が大きいことは直接音と反射音の到来関係に大きな要因を施します。

ホール音響、つまり建物の中に音声が伝搬する現象は、直接音と初期反射音と残響音(2次、3次以降の高次反射音)の3つから成り立っていて、聴衆の耳、聴こえ方に一番大きな影響を与えるのは、初期反射音だと思っています。

ホール音響は初期反射音がキーになります。

残響音は、もっと粒子の細かい余韻とかそのような聴感覚を支配するもの。

人間の耳に一番影響を及ぼし聴こえてくるのは、この直接音(実音)に対して、響き成分である初期反射音が、どのような量で、どのようなタイミングで重畳されるか、人はこの響きの音色を聴いて、いい音響と思うのだと思います。

だから響きである初期反射音の実態が大事なのです。

実音である直接音に対して、初期反射音がどのようなタイミングで到来して重畳するのか、これはホールの容積で決まってきます。ホール容積が小さいと、直接音に対して響きがすぐに被る感じになるし、ホール容積が大きいと、それだけ伝搬距離が長くなるので、初期反射音は遅れて聴こえて、響きが分離して聴こえるようになって、そうすると立体感や空間感を感じるようになります。

この直接音と初期反射音との到来時間には、音響学上のきまりがあって、下のような関係と言われている。容積があまりに大きすぎると反射音が遅れすぎて、逆にエコー(ロングパスエコー)となって障害になってしまう。

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建築音響学、ホール音響っていろいろ奥が深い学問であるけれど、キーになるところは、ここなのではないのかな、と素人ながらに想っている訳です。

さらにもうふたつ加えるとすれば、ひとつは人間の耳に入射する反射音の角度によって、人間が感じる音の拡がりというのがずいぶん違った印象になるそうなので、その聴衆の席のポイントでいかに音の拡がりを感じるような反射音の入射角になるようにホール形状を考えるのか、ということ。人間の耳は上からの反射音を左右の耳で聴くと同時で時間差がなくあまり拡がりを感じないそうですが、側方からの反射音には左右で時間差があり、拡がりや立体的に聴こえたりして強烈に反応するそうです。

そして、空間、容積が広くなれば残響時間が長くなること。これが大原則なんじゃないかな。ホール音響をよくする、のためになにをやるか、ということに関して言えば。。。

ホールの形状、壁、天井の材質、床の振動、いろいろな要素があるけれど、突き詰めるとそこなのではないのかな、と素人は思います。(いままでホール実体験と独学による)

エルプフィルハーモニーの内装空間を見ると、あまりに広大な容積に見えるので、直接音と初期反射音の関係は分離気味で空間感や立体感のある聴こえ方。でも容積広大なので、聴衆席に届くまでの伝搬距離が長くて音のエネルギーが減衰してしまい、音のエネルギー感は薄いような気がするんですよね。あくまでステージから離れた場合の座席です。

写真で見る分にはそんな印象ですが、やはり実際聴いてみないとダメでしょう。百聞一見にしかずです。とにかく自分がこの内装空間を見て、マイナスな印象に感じるのは、あまりに広大なキャンパスに見えてしまうことです。

カウフマン事件ですっかりダークイメージがついてしまったエルプフィルハーモニーの音響ですが、原因は歌もののコンサートのときに、P席に人を入れていたことが問題な訳で、本質的な音響に問題があるとは自分は思っていません。

エルプフィルハーモニーの名誉のためにそこのところをこの日記で断言しておきたかった。。。

内装空間の写真を見る限り、上のような音響印象を抱きますし、決して悪いとは思えないからです。でもこの部分は聴こえないとかのデッドスポットはあったりするかな?(笑)それはどこのホールでも絶対あることです。避けられないこと。

カウフマン事件により問題提起された、次世代のコンサートホールはワインヤードなのか、シューボックスなのか。

昨晩、NHK BSプレミアムシアターで、「最高の音響を求めて」という番組が放映されていました。
さっそく録画して見ました。

かなりホール音響マニア向けに出来ていて最高に面白かった。
録画していなかった人はダビングして差し上げます。それだけ興味をそそる最高の番組でした。

番組タイトルのワインヤードなのか、シューボックスなのか、の議論の決着、その理由づけまで深く掘り下げてはいなかったけれど、ひとつの問題提起はしていた。

日本が誇る音響設計家 豊田泰久氏は大活躍で番組に出演していました。
まさに世界を駆け巡って大活躍しているんだね。

ロシアにまた新しいコンサートホールがオープンしたようだ。
モスクワ ザリャジエ コンサートホール(2018年9月オープン)

ワレリー・ゲルギエフがプロジェクト建設顧問で、音響設計は豊田泰久氏。
共にザリャジエ公園に新しいフィルハーモニーホールの建設現場を訪問した様子が映し出されていた。赤の広場の隣のモスクワ中心部に位置し、ホールには1,500人の観客が収容される。

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http://accentus.com/4294


チェロ奏者 アナスタシア コベキナが、3つのホールでバッハの無伴奏チェロソナタを録音して、響きを比較した。ベルリン・コンツェルトハウス、ベルリン・イエス・キリスト教会、ベルリン・フィルハーモニーホール。

「場所によって弾き方も変わります。ホールの響きに合わせて調整するのです」


あと、面白かったのは、ベルリン・コンツェルトハウスホールにて、指揮台の後ろ、そしてオケの各パートの場所にマイクと映像カメラをセッティングして、オーケストラが演奏しているときに各奏者の目線と、各奏者がそのときどのように聴こえているのか、を実験する内容。これはオケの団員さんでないと絶対わからない経験。指揮者の後ろがある意味、我々聴衆に一番近い聴こえ方だけれど、それでも限定されている感じ。そして各奏者のところではずいぶんと限定された聴こえ方
なんだな、と思いました。


長年かけてようやくリニューアルされたベルリン国立歌劇場。その骨子は屋根、天井を高くして、音を透過しかつ反射させる格子状の素材をドーム状に組んで、残響時間を1.1秒から1.6秒へ改善した。やっぱり残響時間を長くすること、つまり容積を大きくする=天井を高くすることなんだよね。

実際のホール設計、音響シュミレーションの現場も取材で見せてくれました。
いまコンピュータ・シュミレーションの3次元CADは凄いもんだね。

ホールのプロポーション・寸法・容積に応じて、パソコン画面上で建物がクルクルと回る感じで、サッと反射音パターンが描画される。もう文明の利器だと思いました。

でもどうしても模型を作らないといけない場合があり、それはコンピュータシュミレーションだけではどうしても細かいチェックができないところがあって、そういう場合は模型を作って検証するしかないようだ。

面白かったけれど、この番組のタイトルのワインヤードか、シューボックスか、という結論は出していなかった。

ここは私が結論を出しておきます。(笑)

べつにシューボックスを否定する訳ではないが、やはりそこには収容人数のキャパの問題があり、シューボックスは現代のニーズに合わないと思う。

最近のクライアント側の要望は、圧倒的にワインヤードが多いそうだ。

シューボックスの音響的な利点を出すためには横幅の制限があるので、大きくするには客席を縦に広げるかバルコニーを深くするかになる。でもバルコニーの下は音響的に難しいし、妥協しなければならないことがたくさん出てくる。そうするとどの客席からもステージが近いというワインヤード・スタイルの利点が出てくる。

でも単にそういう技術的な観点だけではなく、もっと違う意味合いで、ワインヤードの最大のメリットは、親密感とか親近感というのがある。 シューボックスだと ほとんどの席がステージを向いているので他のお客さんは基本的に背中や後頭部が見えるだけで顔は見えない。

それに対してワインヤードでは他のお客さんもエキサイトしている顔が見える。

そういう意味で、親密感。

確かにワインヤードって昔からステージとの一体感が売りな訳で、そういう意味で他のお客の顔が見える、というのは、その波及効果だと思います。

あと、大人数を収容できるのは、1回のコンサートで大きな利益を一気に上げられるメリットもあって、いまのコンサート収益ビジネスのニーズに合っていますね。時代はワインヤードの方向なんだと思います。

でもオーディオマニア的には、やっぱりシューボックスの音響がいいですね。オーディオルームはもちろんシューボックスが基本です。

また日本のホール事情は、ワインヤードと言ってもまだ少なくて、大半はシューボックスか多目的ホールが圧倒的です。

特に多目的が多いかな。

クラシック音楽専用ホールはある意味憧れの存在ですが、ホールを維持していくというのは本当に大変なこと。

いくらハコが立派でもコンテンツが充実していないと赤字経営。クラシックのコンテンツだけでフル回転するのは、やはり大変なことなのだと思います。会議コンファレンスやPAライブ会場など、多目的に利用できるホールでないと、経営を常時回していけないというか、ホールを維持していくのは大変なことなのだと思います。










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