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すっかり別モノとして変わり果てていた”すみれ” (笑) [グルメ]

それは昨日突然感じたわけではない。数年前からどうもずっと違和感があって、自分が知っている”すみれ”の味ではないということを薄々感じていて憤りを感じていた。そのことは俄かには信じたくなかったので、ずっと自分の中でしまいこんでいた。

ところが昨日、その3流以下の街中の味噌ラーメンに成り下がっていたその味に思わず爆発してしまったわけだ。

いったいラー博(新横浜のラーメン博物館)のすみれになにが起こっているのだろう?

道産子にとって、札幌の味噌ラーメンといえば、まさに純連、すみれは一大ブランド。我々の至宝でもある。

自分は、1995年からずっと通い続けてきた生粋のファン。

はじめて体験したのは、1995年のラー博での純連(すみれ)。純連は、それこそ北海道では知る人ぞ知るというマニアックなお店であったのだが、1994年についに、純連(すみれ)としてラー博に出店して全国デビュー。


瞬く間に大人気となってセンセーショナルを巻き起こした。

自分は、ヨーロッパから帰国して、いまの街に住み始めて、新横浜は近いので、何気なく通ったところ、純連(すみれ)を体験したのだ。


それはまさに衝撃であった!


いままでに食べたことのない味。こんなコクのある美味しい味噌ラーメンは、いままで食べたことがなかった。瞬く間に虜になった。


自分のラーメン人生の中で、達観したこととして、ウマいラーメンは、最初に体験したそのインパクトで、ほとんどもう全てが決まってしまう。もう最初でわかってしまう。そして大事なのは、病みつきになること、しばらく食べていないと、あ~久しぶりに食べたいぃ~という感じで、何度も繰り返し通ってしまうこと。リピーターになることが、ウマいラーメンの必須条件。店主の思うつぼはそこにある。

そのキーポイントはスープにある。
ラーメンはスープが命!

純連(すみれ)のスープは、まさに独特だった。ラードで表面が覆われていて、暖かさが逃げないでアツアツ。そしてなんともいえない、いままで経験したことのなかったような、一度経験したら二度と忘れられないその濃厚な味噌の味。地元の森住製麺を利用した、そのちじれ麺が、そのラードでちょっとテカテカして光る脂っぽさ、その濃厚な味噌味と絡んで、これがじつに香ばしい味噌ラーメンであった。

ちょっとしょうが風味が隠し味にあって、味噌としょうが、というのがこれまたよく合った。

とにかく、これは革命的!とじぶんは直感した。

瞬く間に、札幌の味噌ラーメンに純連(すみれ)あり!で全国に一大ブームを巻き起こした。

そこに前職時代の友人が、北海道に遊びに行ったときに、地元の人が大推薦するラーメン屋として、純連(じゅんれん)があって、そこに行って、すごい美味しい味噌ラーメンだった!という報告を受けた。

じゅんれん???

あ~、それはねぇ、純連と書いて、すみれ、と呼ぶんだよ。と教えてあげた。

そしたら、友人は、いや絶対じゅれんだ。地元の人は、みんなじゅんれん、じゅんれんと言っていた。

自分は、友人を誘って、ラー博の純連(すみれ)をご馳走した。
ほら?これのことだろう?

そうしたら、友人は、う~ん、確かに似ているけど、もうちょっと黄色いんだよな?ちょっと違うよ。

ここから、自分にはナゾが出来てしまった。

同じ純連と書いて、札幌には、じゅんれんというお店が、そしてラー博には、すみれ、というお店が存在する。どちらも似たような味、でもちょっと微妙に違う・・・

なんだろう~このナゾ。

いまでは、もう常識になっているが、この当時1995年ころというのは、このことは、まだおおぴらに知られてはいない事実だったのだ。

自分は北海道に帰省したときに、このじゅれんを探してみた。そしてお店に電話して聴いてみた。

そうしたら純連(じゅんれん)と純連(すみれ)は、純連(じゅんれん)は兄が、純連(すみれ)は弟がやっているお店なんです。両方存在するんです。

一気にナゾが解けた。別物だったんだな。

ここで正式に純連の味噌ラーメンの歴史について、簡単に説明しておこう。

一番最初は、村中明子さんが昭和39年に創業した。当時は、純連と書いて、すみれ、と呼ばせていた。

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(C)新横浜ラーメン博物館 FB Page

当時はあっさり風味のさっぱりラーメンが主流の中で、その濃厚な味噌味のラーメンは異彩を放っていた。

突然腰の不調により、昭和57年に閉店してしまうが、その翌年に再開。純連もみんなから読みやすい”じゅんれん”という呼び方に改名して再開した。

そして、そのときに、創業者、村中明子さんは、長男の村中教愛氏に店を譲ることを決意。母からその味の伝授をみっちりと仕込まれた。以降、純連(じゅんれん)は、長男の村中教愛氏によって運営されるお店になったのだ。



名前も”さっぽろ純連”。

一方同じ純連(じゅんれん)で修行していた同じ村中家の三男の村中伸宜氏が平成元年に純連(じゅんれん)とは別に創業したのが、”すみれ”なのだ。名前も、ひらがな表記で、”すみれ”。

ラーメン博物館に出店したのは、この三男の村中伸宜氏のほうの”すみれ”というわけだったのだ。

当時ラー博に出店することで、純連を全国デビューさせることは、創業者のお母さんの明子さんは大賛成だったけれど、それ以外は全員大反対だったそうだ。

そこを三男、伸宜氏によって強行された。

はっきりいうと、純連の味噌ラーメンを全国区にのし上げたのは、三男の伸宜氏のおかげ、英断と言ってもいいかもしれない。

つまりいまや札幌の味噌ラーメンの王道、全国区の大人気となった純連は、村中一家による経営のラーメン店だったのだ。

創業からの代々のお店、純連(じゅんれん)を引き継いでいるのが、長男の村中教愛氏。そしてちょっとビジネス的に冒険してその王道から外れてビジネス的に大成功しているのが、三男の村中伸宜氏による”すみれ”という訳なのだ。

1994年にラー博で全国区デビューした、すみれの味噌ラーメンを大ブレークをきっけかけに、じつは長男の純連(じゅんれん)の存在もつまびらかになり、さっぽろ純連、そしてすみれ、と大ブレーク。いまや札幌味噌ラーメンの一大ブランドにまで成長した。

久し振りに、さっぽろ純連、すみれのHPをネットで拝見してみると、自分が知っていた頃の1995年から2000年代と比較して、そのビジネス規模は、とてつもなく拡大されていた。本店以外にも、支店もいっぱい。

相当儲かっている感じ。こんなにデカくなっているとは想像もつかなかった。

特に、村中教愛さんは伝統を守る長男的役割なのだが、三男の村中伸宜さんは、相当ビジネスのやり手というか、ビジネス上手。

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三男の村中伸宜さん

単に店舗を増やすだけでなく、すみれプロデュースのお店をどんどんプロデュースしたり、かなりのビジネスマン。

純連、すみれブランドで、相当一儲けしたと見えて、もう北海道本店含め、みんな新しい建て替えで、モダンな建物に建て替えてしまっていて、自分が知っていた1995~2000年代の面影はもうそこにはなかった。


創業者の村中明子さん、そして手前が三男の村中伸宜氏、そしてその間にいるのが長男の村中教愛氏。

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自分が通っていた頃の地元札幌の澄川にある、さっぽろ純連は、まさにこのお店だった。

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でも、いまや、さっぽろ純連は、こんなモダンなお店に衣替え。

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そして札幌の中の島にある、すみれの本店も、自分が知っていたのは、この頃の建物。

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でもいまや、こんなモダンな建物に変わってしまっている。隔世の感。

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こちらが、さっぽろ純連の味噌ラーメン。ちょっと黄色っぽいの色が、すみれと違って特徴的だ。

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こちらが、すみれの味噌ラーメン。まさにこのスープだ。

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味は、どちらもそんなに変わんない。

自分のさっぽろ純連、すみれ食遍歴は相当のモノだった。

地元のラー博にすみれが入っているので、すぐにすみれは食べられる。

問題は、さっぽろ純連をどうやって食べるか?だった。北海道に帰省したぐらいしか食べれない。

2000~2003年の3年間、自分の人生にとって最大の暗黒期だった期間。大変な大病を患ってしまい、3年間会社を休職した。東京の家はそのまま留守にしておいて、体一つで、北海道の実家の両親の元で、3年間療養した。

外出もままならない超退屈な毎日。テレビを見ることしか、やることない。

そんな中で、自分の最高の楽しみは、月1回の札幌の北大病院への診察だった。
その診察の帰りに、札幌のさっぽろ純連の味噌ラーメンを食べようと思ったのだ。

そうすることで、普段東京では食べられない地元のさっぽろ純連を食べ尽くせる!と考えた。

1か月に1回。かならずさっぽろ純連の味噌ラーメンを食べる。それを3年間続けた。

さっぽろ純連の味噌ラーメンを自分のモノにできた気がした。


復職した頃、なんと、さっぽろ純連が、東京の高田馬場に支店を出すニュースが舞い込んだ。
心ときめいた。

もう高田馬場に通い詰めたのは言うまでもない。長男の村中教愛さんが高田馬場の厨房に立っていたのを何回も見かけた。応援に来ていたんだな。

ちょうど同じ時期に、いままでラー博の稼ぎ頭であった、すみれが閉店するということになった。
ラー博のすみれが果たしてきた功績はじつに大きかった。一世代が終わった。一抹の寂しさがあった。

つまり今度は、東京では、さっぽろ純連は食べれるけれど、すみれが食べれないという状況に陥ってしまったのだ。(笑)

この頃になって、前職を早期退職することが決まり、前職の人事と毎日面談するためだけに、会社に通うというじつに苦痛の日々を過ごしていた。つぎへの転職までのブランク期間ですな。

そのときに飛び込んできたニュース。期間限定ではあるけれど、池袋のデパートの食品街レストラン街ですみれが出店するという情報をキャッチした。

毎日人事との面談が終わったら、その帰路に池袋のすみれを食べに行くという毎日を過ごしていた。

そうそう、すみれはこんな味!うまいなぁ~(^^)

こうしてみると、さっぽろ純連もすみれも、自分の社会的ポジションが超不安定のときに、集中して食べられるという、なんとも皮肉な取り合わせ。(笑)


そうしたら、今度は、高田馬場のさっぽろ純連が閉店するという。

この頃から、自分はちょっとこの高田馬場の純連の味に違和感を感じ始めていた。
あの最高に美味しい~と思っていたあの味がしないのだ。あの胸ときめくような美味しさが感じない。

そうスープに劣化を感じてしまう。あきらかに別モノのように感じてしまった。

自分の不信感はこのあたりから始まったかもしれない。

結局、そのまますぐに閉店してしまったので、真相は究明できなかった。

これで、ついに純連もすみれも東京では食べれなくなってしまった、という状況に陥った。

そうすると、そこにまた救世主が現れた。

ラー博に、兄のさっぽろ純連、そして弟のすみれ、の元祖となった、創業者の村中明子さんによる、「らーめんの駅」がオープンする!というのだ。まさに純連、すみれの元祖となった母の味。 なぜ「らーめんの駅」かというと、あの高倉健さんが純連(すみれ)の大ファンで、高倉さんが主演する映画「駅」で、高倉さん紛する刑事の取調室でらーめんを容疑者に振舞うときに、そのどんぶりに純連(すみれ)の名前が印字されていたとか。間違いなく高倉さんのアイデアに違いない。感動した村中明子さんは、自分のお店を再開するときに、その高倉健さんの映画「駅」から名前を取ったらしい。札幌新琴似に店を構えていたが、立ち退きで閉店。その数年後に、兄と弟が手伝うという条件で、ラー博物館に出店することになったのだ。


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自分は何回も通ったが、まさに最高の味。あの濃厚な味噌の味がした。

自分の日記を紐解くと、2011年に、北海道の友人を東京でおもてなし、する上で、このラー博の「らーめんの駅」を訪れている。

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のれんには大きく「駅」とあり、その左右には、兄の純連、弟のすみれ、とある。この味噌ラーメンを育んできた親子の絆というもいうべき。

自分が写真を撮ると、美味しそうに見えないのだけれど(味は最高に美味しかった)、使っている丼にも、「駅、純連、すみれ」の印字がされている親子三代の絆どんぶりだ。

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この頃が2011年の頃。このときまで、ラー博の駅の味噌ラーメンは、まさのあの濃厚なアツアツな味で、ここまでは大丈夫だったのだ。

母の「らーめんの駅」は期間限定なので、当然期間が来たら閉店する。

その後に、同じ場所で、なんと、「すみれが8年振りにラー博に帰ってくる」というのだ!
自分は小躍りした。

神様は、つねに東京で、村中親子による味噌ラーメンを途切れることなく食べさせてくれるチャンスをくれることに感謝した。

ところが自分の悲劇はここから始まった・・・(笑)

このラー博のすみれの味がどうもおかしいのだ。

2013年あたりからかな?スープがあきらかに違う!

食べるたびに、ものすごく違和感があって、これはすみれの味じゃない、という確信が年々増していった。

なにせ、1995年から、じつに数えきれないくらい純連、すみれの味噌ラーメンを食べ尽くしてきた男。その記憶力、あの病みつきの味は一度食べたら絶対忘れられないことに自信がある。体が覚えている。

自分はラーメンの写真、とりわけ、スープの写真を見ただけで、あっこれは本物。絶対あの味がする!これは邪道!こんなの純連、すみれの味じゃないと即断できる。絶対的自信がある。

美味しくない、あの頃の味じゃないので、だんだん、ラー博のすみれに通うことが少なくなってきた。

気のせいかもしれないが、昔は平日でも長蛇の列ができていたけれど、いま行っても閑古鳥ではないけど、あまりそんな混んでもいない。

やっぱりお客って正直なんだろうな・・・必然と足が遠のくというか・・・

昨日食べて激怒した、ラー博のすみれの味噌ラーメンも写真を恐る恐るアップしよう。(笑)
お母さんの駅のときのどんぶりをそのまま使っているし・・・(^^;;

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一見無難に見えるけど、このスープの色、濃厚さからして全くの別モノ。運ばれてきた瞬間に、嫌な予感。

まず昔みたいにラードで覆われていない。あれが名物なのに、あのアツアツが全然ない。
ラードで脂っけがあるから、ちじれ麺もコテコテに脂っぽくて光って、それが濃厚味噌と相まって、じつに香ばしいのが特徴なのに、その真逆をいく、じつにサッパリラーメン(笑)。自分は味覚を疑った。

これはひどいな!あまりにマズすぎる。あの栄光の味噌味スープがここまで落ちぶれて、味が変わってしまうとは、あまりに衝撃的すぎる!

そしてそれに拍車をかけたのが、使っているチャーシューなどのじつにクオリティの低さ、もうラーメンの格として、そんじょそこらの3流ラーメンに成り下がっていた。

哀しさのどん底に陥ってしまった。

いままでの自分の栄光の歴史はなんだったんだろう?
いままでのこの味噌ラーメンにのめり込んできたのはなんだったんだろう?


これは、ここラー博では、村中さんの指導が行き届いていないのでは?と思った。

今日ネットで新横浜ラーメン博物館のHPですみれのページを確認すると、なんと三男の村中伸宜さんが自ら写真付きで、8年振りにすみれがラー博に帰ってきます、ぜひご期待を!とメッセージを寄せている。

なんら変わっていないのだ。ビジネス順調そのもの。

ますます自分は混迷を極めた。


2013年あたりからラー博のすみれに抱いてきたスープのまずさ。

これはどう説明つけばいいのだろう?

ひょっとすると、村中伸宜さんが現在進めているすみれの味噌スープの味ってみんなこんな感じに変わってしまっているのか?

HPでは、従来の味を伝承しつつ、新しい味にもチャレンジしていきます、などのコメントもある。(笑)

もしそうだとすると、あの味が、今後のすみれの味噌味となると、オレの札幌味噌ラーメン人生は、終わったも等しい。

ちなみに、さっぽろ純連のHPでも確認したところ、平成24年、長男の村中教愛さんから、三代目の山岸敬典さんがお店を受け継いだようだ。

山岸さんも、同じようにさっぽろ純連で、村中教愛さんからみっちり10年間味の伝承を引き継いできて、三代目を託されたそうだ。(いまは道内は山岸さんが面倒見ていて、教愛さんは道外を見ているらしい。)

自分は、味が変わったのは、これだ!と一瞬思ってしまった。

でも、これはさっぽろ純連のほうの話だ。

自分が直面しているのは、すみれのほう。



ここで自分に残された解決法は、北海道に帰省した時に、さっぽろ純連と、すみれの本店で味を確認するしかないと思っているのだ。

この本場での味が自分の記憶にあるあの味と、あまりに変わっていたら、ジ・エンドだ。(笑)






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コメント 4

moiwa

今の「すみれ」の味には失望を覚える。アネックス店出店辺りから、全く別物に成ってきた。あの、圧倒的なスープの濃さ、甘味というものは薄れ、ラーメンの完成度も下がってしまった。地元ラーメンファンの評価も下がってしまった。何か進化しているような能書きだが、コストダウンだけが進化しているのかな。
by moiwa (2019-05-17 12:57) 

ノンノン

moiwaさん、やっぱり昔からずっとすみれを食べ続けてきた人にとっては、昨今のすれみはあきらかに別物という感じはしますね。あの濃厚なパンチの効いた味噌味ではなくなっています。復活を遂げて欲しいけど、もう難しいかな。
by ノンノン (2019-05-17 14:42) 

kbee

自分も、かなり前に横浜ラーメン博物館で食べた、油の浮いた熱々の味噌ラーメンが忘れられません。
先日、すすきのの「すみれ」に行き、味が変わったのを知りました。
また札幌に行く機会があります。ラーメン博物館で食べた、あの、熱々のラーメンをどこか、食べられるところがあったら教えていただけないでしょうか。
by kbee (2023-09-09 12:47) 

ノンノン

kbeeさん、コメントありがとうございます。すすきのの「すみれ」に行かれたんですね。私は本店の中の島の「すみれ」には、よく行くのですが、すすきの店は行ったことないです。仰る通り、ラー博の初期の頃のすみれはそれはそれは美味しい衝撃なモノでした。ラーメンのスープの味を長年に渡って変えないということは至難の業ですね。ラーメン屋の永遠のテーマだと思います。

札幌にまた行かれるんですね?
ラー博初期の頃のあの濃厚でアツアツなすみれのようなラーメンを体験したのであれば、お勧めのお店があります。

それは「純連(じゅんれん)」というお店です。札幌の澄川にあります。純連(じゅんれん)(兄)とすみれ(弟)は、兄弟がやっているお店なので、両方とも母から受け継いだあの濃厚な味噌味です。

すみれはラー博のおかげで全国区の知名度ですが、純連(じゅんれん)は北海道に根付いた人気です。純連とすみれの味噌ラーメンは両方ともすごく似ていますが、正確には若干違います。

自分は純連のほうが好きです。純連のほうが、スープの色が赤く、味噌のパンチが効いている味で、自分は好きです。もちろんすみれ同等にかなり濃厚な味噌味です。

もし、ラー博初期のあのすみれのような味噌ラーメンを札幌で堪能したいのであれば、ぜひ澄川の純連(じゅんれん)に行かれることをお薦めします。
by ノンノン (2023-09-10 14:10) 

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