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絶対音感と相対音感 [オーケストラ学問]

オーケストラの開演前のラの音で調律する音高(ピッチ)の標準であるA=440Hz(俗にいうA440) について、かねてよりいろいろ思うところがあって、自分なりに深く知ってみたいと思っていた。


いわゆるオケの最初の儀式ともいえるコンマスが立って、合図とともに首席オーボエ奏者がラの音を吹く。そうすると管楽器奏者がいっせいにそれに合わせて調音する。その後に、同じようにコンマスがラの音を弾くと、それに合わせて、今度はいっせいに弦楽器奏者がそれに合わせて調音する。


クラシックのコンサートの前に、必ず目にする光景である。

コンサートにピアノが入る場合は、オーボエ奏者のところはコンマスがピアノでラの音を叩く、という場合もある。


なぜラの音なのか?


そのラの音であるピッチ(音高)の周波数の基準とされているのが440Hzで、いわゆるA=440Hzと言われる国際基準なのだが、果たしてその意味とは?


ネットでググると、結構わかりやすくいろいろ書いてあるので、自分の理解に促進につながった。

読んで理解するだけでなく、自分で書いてみるともっと理解が深まる。


ということで、自分の理解のため、日記を書いてみたいと思う。情報源はネットです。


周波数440Hzという音の高さは、一般的な調律の際の音高(ピッチ)の標準として使われているのだそうだ。この標準がISOの規格として取り上げられたのが1955年で、それ以来、この値がピアノやヴァイオリンなどの楽器の調律として使われてきている。


Aというのは五線譜のラの音のこと。

ラシドレミファソはABCDEFGで表す。(ドイツ語読み)


ピッチは調律における作業で最初に調律される音(基音)。


88鍵あるピアノの一番低い音は27.5Hz、一番高い音は約4186Hzだそうで、ちょうど真ん中にある49鍵目Aの音を何Hzにするか決めなければならない。


正確な表現をすると、中央ハのすぐ上のイである一点イを基準音として、そこを周波数440Hzとすることで調律をする。


中央ハというのは、ピアノを例でいうと、下図のように、全部で88鍵あるうちのど真ん中のドの音(水色)、そしてその上のイというのが、その同じ音階にあるラの音(黄色)になるらしい。このラの音が、ちょうど88鍵あるピアノの中でちょうど、ど真ん中の49番目の音に相当するのだ。



ピアノのラの音.jpg


このど真ん中のラの音を調律の基準音として使う。

このラ(黄色)の音の高さを440Hzに合せる。


これでオケの最初に儀式で、みんながラの音で調音する意味が分かった。(笑)


ところが、である。



音楽はその有史以来、様々な音律によって音階が作られてきたのだが、実はその基準となる音の高さ(基準周波数)も時代、地域、ジャンルによって様々なものが使われてきたのだ。


それを表したものが下の表。


ピッチの歴史.jpg




現在でこそ1939年ロンドン国際会議と1955年ISOによって制定された国際基準値A=440Hzがあるが、必ずしもそれが守られているわけではないらしい。


アメリカは早くから440Hzを制定したが、ヨーロッパでは今もそれより高い444Hz、448Hzなどが主流。また日本ではその間を取って442Hzがよく使われているらしい。


表を見てもらえばわかるように、たとえば古典楽器であるチェンバロは、今もバロック時代の基準値415Hzで調律されている。


イタリア政府によって制定されているヴェルディ・ピッチというのもある。


そしてカラヤンが手兵ベルリンフィルをチューニングするときは、カラヤンチューニングと呼ばれる446Hzが使われたそうだ。(笑)


調律するときは、この基準音の音高(ピッチ)に基準周波数というのがあってそれに基づいて調律している、ということが理解できた。ただ現実の音楽の世界では、国際規格である基準周波数A=440Hzは、あまり守られていなくて、日本ではピアノ調律には442Hz、444Hzがよく使われ、ヨーロッパでは今も444Hzや448Hzが主流だそうだ。


ピアノの調律では、調律カーブの影響もある。調律カーブは主に低音域、高音域について行われるが、曲線の付け方に決まりがあるわけではないので、自分の楽器が他人と違う音高(ピッチ)になっている可能性もある。


ちなみに余談ではあるが、ラジオなどの時報では、440Hzの予告音の後に880Hzの音で正時を知らせるのだそうだ。


なんとなく理解できたところで、絶対音感という言葉。


人にとって、絶対音感というのはあったほうがいいのか?

その音の絶対的な高さ(周波数)を認知する聴覚能力。


演奏家(音楽家)の方は、よく一般人からすると絶対音感に優れている人種と思われているようで、演奏家(音楽家)の方の投稿を偶然目にして面白かったのは、タクシーに乗って雑談をしていたりすると、「へぇ~じゃあ絶対音感が優れているんですね?」とかよく言われるらしい。(笑)


でも実際はそうじゃないんだよ、という話。


音楽家として価値があるのは、絶対音感を持っているいるからではなく、相対音感をもっているからなのだそうだ。


以下、その音楽家の方(塚田聡さん(ホルン奏者))の見解、大変参考になり、感動しましたので、ぜひその内容を、この拙ブログで紹介させてください。


ドとミの間隔(長三度)、ミとソの間隔(短三度)etc。そして、ドミソ(主和音)、シレソ(属和音)、ソシレファ(属七和音)、さらに複雑になってゆく様々な和声(音の彩り)を操りながら曲をつくったり、演奏したりできる。


ここで問われているのは、音と音の相対的な間隔。つまり「相対音感」になります。

「絶対音感」が、作曲するにあたって、演奏するにあたって、ましてや調律するにあたって、かえって邪魔にさえなるものであるということをご存知でしょうか?


そもそもAが440Hzと国際的に定めらたのは1939年のこと。このAの高さ(ピッチ)を絶対的な音感としてもっている人を絶対音感があるというわけですが、それ以降も、例えばウィーンフィルはもっと高いピッチを採用しているし、アメリカのオーケストラは低いなど、世界で必ずしも統一されているわけではありません。


世界に絶対的な高さがあるというわけではない。精巧な絶対音感を頼りにしている人は、約4Hzも違いがあるアメリカからヨーロッパに渡れないことになってしまいます。(笑)


ましてや、それ以前、ピッチは各時代、各地で様々でした。18世紀のバロック時代、パリに行けばA=392Hzだったり(現在より約一音低い)、ドイツのある地域ではA=415Hzであったり(現在より半音低い)、古典派時代になると、430Hzの地域もあれば、隣街に行けばまた異なるピッチが採用されていました。


そんなことが当然の世の中にあり各地で演奏や作曲を繰り広げていたバッハ(先祖・子息含む)やモーツァルトにとって絶対音感が是か非かなどという考えがあろうはずもありません。


佐村河内守さんが耳が聞こえないのになぜ作曲ができたのか!


もったいぶって〈絶対音感〉なんて言っている番組もありました。あれはかなりのインパクトを日本国民に与えました。

作曲するにあたって大切なのは相対音感であって絶対音感ではありません。


よく分かっていない放送局によって、日本中に「絶対音感神話」のようなものが満遍なく広がってしまったのではないでしょうか。


しかしながら、絶対音感があってA=440Hz(もしくは日本の標準ピッチと言われている442Hz)を拠り所とし、そのピッチでしか演奏ができない演奏者(歌手)がいるのも事実としてはあります。絶対音感があることを誇る演奏者がいるのも事実です。(往往にして、そういう人たちは合奏仲間をはねつけるようなピッチの取り方をしてくるものです。)

 

今は、クラシック音楽演奏界も多様化してきて、300年前のバロック音楽は当時の楽器を使って、当時のピッチでやろうという柔軟な考えをもつ演奏家たちがいます。そういう演奏家は、昨日はモーツァルトを430Hzで古典派タイプの楽器で演奏し、今日はヘンデルを415Hzでバロックタイプの楽器に持ち替えて演奏し、明日は、現代楽器で442Hzで演奏するという、柔軟な態度で演奏会に臨みます。


そこには絶対音感に固く縛られた窮屈さはなく、ピッチにおいても表現においても、柔軟に時代と場所を行き来しようという自由さを見ることができます。



プロの中には結果的にかなり精度の高い絶対音感を備えている演奏家はあたりまえのようにたくさんいますが、プロの演奏現場、作曲現場で、「絶対音感」のあるなし、もしくは精度の高さで、演奏家の格が落ちたり上がったりするというようなことは全くありません!


ここ大事!!


ところが「相対音感」を持っていなかったら、誰も演奏(歌)することはできません。

相対音感(和声感を含む)の精度の高さによって音楽家を階級分けすることはできるかもしれません。それほど音楽家にとって大切なもの、命と言ってもいいものが和声感を含む「相対音感」なのです。


重ねて言いますが、「絶対音感」は場合によっては邪魔になってしまうもの。音楽家にとって必ずしも大切・必要なものではないのです。




う~む、この塚田さんの投稿を読んで、唸らされてしまった。

音楽家にとって大切なのは、「相対音感」。


演奏のど真ん中の現場にいるからこそわかる真実と言おうか・・・。

確かに、ちまたに、「あなたは絶対音感はありますか?」というような簡単テストをするみたいなYou Tubeをよく見かけたりするのだけれど、それも一種の巷に存在する「絶対音感神話」のひとつなのだろうか。


基準値、調律カーブ、音律など、様々な要因によって変化する音階の音高は、本来「相対的」なものなので、その分野に「絶対」が馴染むものか、我々はよく理解して喋らないといけない。


結局、A=440Hzを知ることが、最初の目的だったのですが、結局その落としどころ、というか、深い結論として落ち着いたところは、絶対音感と相対音感というものがあって、音楽家にとって、必要なのは「相対音感」のほうである、ということだったのでした。


でも相対音感なるものも、やはり専門の教育を受けた上での開花する才能のような感じがします。

なにも教育がなくて、備わる天性の才能ではないような気がします。


こういう見解を拝読すると、演奏家(音楽家)の方をひたすら尊敬するのみですが、彼らの才能でもうひとつ驚くことが「採譜(聴音)」という才能。


これは音楽大学で正規の授業、教育として受けるものらしいですが、流れている音楽を聴いて、それを譜面に起こすこと。


これも、さすがにひとつの才能だなぁ、と思ったことでした。





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