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小澤さんの勇姿を顧みる 後編 [クラシック指揮者]

小澤さんの勇姿を観たい。急にふっと思いついたこと。それもまさに全盛のときで、自分にとって思い入れのある公演。

つぎにどうしても観たかったのが、

1999年 ザルツブルク音楽祭・カラヤン没後10年記念コンサート。

ホールはザルツブルク祝祭大劇場。

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この名誉ある公演をカラヤンの愛弟子だった小澤征爾さんが大役を引き受けてウィーン・フィルを相手に振る。 バッハのG線上のアリア、ワーグナーのトリスタンとイゾルテ、ブルックナーの交響曲第9番。

この大舞台で日本人の小澤さんが、まさにカラヤン追悼コンサートを振るというステータスに同じ日本人として、とても誇りを持ったし、なにか熱いものを感じた。

この公演は衛星生中継をNHKが録画して時差再生してTV放映した記念番組。

途中に小澤さんのカラヤンに対する思い出などのインタビューが挿入されている。
これが、またものすごく貴重。小澤さんとカラヤンの師弟関係の想い出がぎっしり詰まっている。
このインタビューが聴きたくて、この公演の録画を重宝しているくらいなのだ。

まず最初はバッハのG線上のアリア。この曲は、もう小澤さんにとっては鎮魂歌。亡くなられた方を偲んで、冒頭に必ずこの曲を演奏する。

松本のサイトウキネンでも東日本大震災を追悼、水戸室の潮田益子さんが亡くなられたときも水戸芸術館で聴いた。

もう自分は何回実演で聴いたかわかんない。


G線上のアリアが終わったら、思わず拍手してしまった観客を、ここで拍手しちゃいかん!と小澤さんジェスチャー。

すぐに楽団員、観客全員起立してカラヤン追悼で黙祷。
この間TV画面ではカラヤンの写真がいろいろ映し出されていた。

つぎにソプラノのジェシー・ノーマンを迎えてのワーグナーのトリスタンとイゾルテから前奏曲とイゾルテの愛の死「優しくかすかな彼のほほえみ」。

ジェシー・ノーマンもカラヤンとは非常に関係の深かったソプラノ歌手。

しかしトリスタン和音の効果というか、この曲本当になんともいえない官能美で切ない美しい旋律なんだろう。人の心をグッとえぐっていくような、うねりみたいなものを感じる。ワーグナー音楽の美しさの極致ですね。

ノーマンも声量豊かで、素晴らしい艶のある歌声で堪能した。

ブルックナー9番。悪くはないが、ウィーンフィルの音色だと思った。艶感はあるが、重厚感という点で、やや腰高サウンド。ブル9には、自分的にはやや物足りないかな?まっこれがウィーンフィルのサウンドと言ってしまえばそれまで。



次に小澤さんのインタビュー(カラヤンについての思い出)。
カラヤンの頭像のある祝祭大劇場内のロビーで。

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(2013年に自分が行ったときに撮影した写真です。写真の中央奥のほうに頭像があります。その手前に小澤さん立ってインタビューを受けていたのかな?) 

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小澤さんが初めてカラヤンを観たのは、確かN響を振っているときで、ドボルザークの「新世界」。
当時川崎に住んでいて、自宅にテレビがなかったので、近所のお蕎麦屋さんで、事前に相談して、そのお店のテレビ放映に合せて来店して、そこで、そのテレビを見て初めてカラヤン先生の姿を観た。

(自分の予想では、N響を振っているときではなく、クルーゾー監督によるスタジオでベルリンフィルを相手に新世界を振っているプロモビデオがあるのだが~白黒でカラヤン&ベルリンフィルの初の映像作品です~それではないか?と思っている。)

カラヤンが自分の弟子の指揮者を決めるコンクールで小澤さんが優勝して、カラヤンの弟子になることができた。

カラヤン先生はとにかく最初のイメージは怖くて怖くてとっつきにくい人だという印象があった。
10年くらいそんなイメージを持ち続けた。

あるときポッと怖くないと思い始めた時期が訪れた。それまでマエストロ・フォン・カラヤンと呼んでいたんだが、ヘルベルトと呼べ、と言われた。こればかりは言ってみたが恥ずかしくてしっくりこなくて、どうも調子が悪かった。

齋藤秀雄先生のことを、秀雄、秀雄と呼んでいるようなもので。(笑)

カラヤン先生は自分のことを死ぬまで自分の愛弟子だと思ってくれた。これは一生の宝。

カラヤン先生から指揮のことを学ぶのだが、カラヤン先生の指揮は普通の指揮とは違うので、すごい心配だったが、じつは基本に忠実だった。オーケストラにとって何が悪かったのか?何が必要なのか?そういった基本的で、しかも実践的なことを、実際のオケを使いながら教えてくれた。


それまで齋藤秀雄先生に基本的なことを学んでいたので、カラヤン先生から学んだのは、長いラインをどう掴むか、ということだった。シベリウスの3番やマーラーの大地の歌を使って、何フレーズも先の、いかに長いラインを先に掴みながら指揮をするか、ということを実践的に教えてくれた。

小澤さんは齋藤秀雄先生の弟子だから、シンフォニーだけで、オペラは教わらなかった。ところがカラヤン先生から、それでは駄目だ。シンフォニーとオペラは音楽家(指揮者)にとって両輪なんだ。

シンフォニーだけでオペラをやらなかったら、お前はモーツァルトの半分も知らない、ワーグナー、プッチーニ―、ヴェルディを分からないで死ぬんだぞ。それでいいのか?

それでカラヤン先生に言われて生まれてはじめてのオペラの指揮は祝祭大劇場でウィーン・フィルで、モーツァルトのコジ・ファン・トゥッテを振った。

これが小澤さんのオペラの初指揮だった。


カラヤン先生は、自己規律がしっかりした人だった。普通の人はお腹がすいたらたくさん食べたりとかするが、カラヤン先生は毎日決められた量だけを食べる人だった。指揮の勉強も、自分だったら公演間近になったら詰め込みで猛勉強するが、 カラヤン先生は毎日決まった時間を毎日続ける。そして公演当日は睡眠を十分に取る、という人だった。

カラヤン先生は、なんかとっつきにくい人、怖い人、傲慢な人とかかなり誤解されていると思う。
本当はものすごいシャイな人だった。

公演終了後、観客にカーテンコールをしないで、燕尾服着替えないで、そのまま奥さんと車に乗って家に帰ってしまう、というような人だった。カラヤン先生と話をしたいときは、その車の中にいっしょに乗って話すしかなかった。

でもその日の自分の公演の話は絶対にしたがらなかった。それはある意味知られざるタブーなことでもあった。公演以外のこれから何を食べるとか、そういう差しさわりのない話が良かった。

自分が指揮した公演をカラヤン先生が観に来てくれたことが何回もあるが、そのときに後日、征爾、あのときのこの場面はお前の指揮が悪かった、この場面はオケが悪かった、ここはこうするべきとか、本当にもの凄い細かなところまで覚えていて、凄い 記憶力だと思った。そのときの実際指揮している自分が驚くぐらいだから。

カラヤン先生はそのときはすでに高齢だったはずで、それなのにあの記憶力は本当に驚いた。



この1999年のカラヤン没後10周年記念コンサートとしては、そのときの音楽監督であったクラウディオ・アバドもベルリンフィルを振って、カラヤンの追悼ミサがおこなわれたザルツブルク大聖堂でコンサートをやっているのだ。

その映像素材ももちろんある。モーツァルトのレクイエムなどが演奏された。あのスウェーデン放送合唱団も参加という贅沢な布陣。


つぎに観た記念すべき公演は、

・1986年ベルリン・フィル サントリーホール柿落とし公演(小澤征爾指揮)

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東京初のクラシック音楽専用ホールとして1986年にオープン。これまた初の試みであった民間企業(サントリー)によるホール造りは当時大きな話題になった。

ベルリンフィルフィルハーモニーを参考にして作られ、その設計の際はカラヤンのアドバイスがかなりあったと言われている。(ワインヤード方式を採用したのもそのひとつ。)


サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団、オルガン林佑子で芥川也寸志のサントリーホール落成記念委嘱作品である「オルガンとオーケストラのための響」が初演。それに引き続き、バッハのパッサカリアハ短調BWV582とベートーヴェンのレオノーレ第3番が演奏された。

また、その後の13時30分からは落成記念演奏会としてベートーヴェンの交響曲第9番が演奏された。

サントリーホール最初の交響曲は第九だった!

ベルリンフィルハーモニー落成式のときのカラヤン&ベルリンフィルによる柿落とし公演も第九だった。

ここら辺は、やはり倣ったという感じなのかな?

サントリーホールの開幕オープニングシーズンの年間総合プログラムは、通称”黒本”と呼ばれ、マニアの中では貴重な存在。

先日中古市場で見事ゲットした。

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これについては、また別途日記にします。

そして、カラヤン&ベルリンフィルによる最初のこのホールでの来日公演。

当然話題になるのは当たり前。ホール建設のアドバイザーでもあったカラヤンを招聘するのはひとつの目標、けじめでもあった。

しかし来日直前にカラヤンは急な風邪でキャンセル。自ら小澤さんを指名。

急遽、愛弟子の小澤さんが振ることになった。

そのときの公演の模様である。

小澤さんはコンサート後の「ベルリンフィルお別れパーティ」で、演奏会の途中(英雄の生涯)で第1ハープの弦が切れたことを聞かされビックリした様子だったが、ハープは即座に弦を張り替えて無事ソロ演奏を終えていたので「よかった」と相好を崩したそうです。

このベルリンフィルによる柿落とし公演の演目は、シューベルトの未完成と、R.シュトラウスの英雄の生涯。

開演前に、いまの皇太子さま(若い!)が来場。天覧コンサートとなったようだ。

TV画面に映っている聴衆は、ほとんどが正装のように感じた。

幕間に、眞鍋圭子さんによる団員やステージマネージャーへのインタビューがあった。眞鍋さんについては今更説明の必要はないだろう。サントリーホール設立に至るまでじつに大きな役割を果たし、カラヤンの日本とのパイプ役・マネージャー的存在でもあり、その後長年ホールのエクゼクティブ・プロデューサーとして活躍していらっしゃった。

さすが!ドイツ語じつに堪能でいらっしゃいました!

もうひとつNHKのアナウンサーは清水圭子さん(記憶にある。いまはどうなされているのかな?)だったのだが、日本人として初のコンサートマスターになった安永徹さんにインタビュー。ベルリンフィルのコンマスの重責と、後半の英雄の生涯のヴァイオリン・ソロ(当然安永さんが弾く)はじつは女性の役割ということを説明していた。(シュトラウスは多くのヴァイオリン・ソロを書いているが、大半は女性だとか。)

公演は素晴らしかった。特に英雄の生涯は、自分のマイカテゴリーといえるほどの大好きな曲で、この雄大でスケール感の大きい大曲を久しぶりに聴いて感動した。

小澤さんも汗びっしょり。やはりこれだけの大曲を指揮すると、終演直後では興奮が冷めやらず、笑顔になるまでかなりの時間があった。

いままで観てきた小澤さんは、いずれも汗びっしょりかく。やはり健康体の時代だったんだな。

大病を患って、体が思うように動かない現在では、なかなか汗をかくまでの熱血指揮ふりは見れないような気がする。

汗びっしょりの小澤さんを観て、なんとも言えない久し振り感があった。

以上が小澤さんの若き頃の勇姿を楽しんだ映像素材。思いっきり溜飲を下げた。



他にとてもよかったのが、1996/10/17のアバド&ベルリンフィルのサントリーホール来日公演。

マーラー交響曲第2番「復活」

まさにキラーコンテンツ!
この曲は、いままでもう数えきれないくらい聴いてきているが、その中でもこの公演は3本の指に入る名演だと思う。

いま観ても感動する。

特に合唱の世界では世界最高の合唱団との呼び声高いスウェーデン放送合唱団が帯同し、話題になり、この公演で日本での知名度を一気に上げた。

この日の公演では、他にエリック・エリクソン室内合唱団との合同スタイルであった。

アバドは、自分の在任期間中、このスウェーデン放送合唱団を厚迎していた。



友人のお薦めは、

ジルベスター:1995,1996,1997(この年は最高らしい),1998
ヴァルトビューネ:1996(アバドのイタリア・オペラ)
ベルリンフィル定期公演:1996(マーラー2番)、1996(レバイン)

今度またの機会にゆっくり観ましょう。


またドキュメンタリー関連、お宝映像などが面白い。


・佐渡さんとベルリン・フィルとの「情熱のタクト」
・アバドのハーモニーを求めて
・安永徹と中村梅雀対談
・ソニー大賀典雄「ドイツ音楽の夢」
・黒田恭一「20世紀の名演奏」
・カラヤンの音楽三都物語~ザルツブルグ・ウィーン・ベルリン

個人的には、大賀さんのドキュメンタリーが一番感慨深かったと同時に凄いスーパーマンだな、と改めて驚嘆してしまった。

あと佐渡さんとベルリン・フィルとのファースト・コンタクトの場面。指揮者があるオーケストラに客演するとき、上手くいくかどうかは初対面の日の最初の30分で決まる!まさにこのファースト・コンタクトで決まってしまうのだ。

ベルリンフィルのメンバーから、樫本大進を通じて、どういう音が欲しいのか明確に示唆してほしい。我々はその望み通りの音を届ける、とダメだしされてしまう。改めてベルリンフィルの怖さを感じてしまった。(笑)

なんか観ているほうで緊張してしまって、昔自分が塾の講師のアルバイトをしていた頃を思い出してしまった。

黒田恭一さんの番組はさすがにあの明朗でわかりやすい解説がとても懐かしかった。日本いや世界中でアンチカラヤンブームが巻き起こったときにも中立の立場でカラヤンを評価してくれていた唯一の評論家であった。

大賀さんのドキュメンタリーと、カラヤンの生涯ドキュメンタリーでは、モーツァルテウム音楽院大ホールの魅力に執りつかれてしまった。ぜひ行ってみたいホールだと確信した。 その内装空間の美しさもさることながら、観客がまったくいない状態での音響ではあるのだが、あまりにも素晴らしいピアノの音に、アナログの古いメディアの音で、昔の番組という次元を通り越して、その素晴らしさを感じ取れた。

これを観たことがきっかけで、2013年のザルツブルク音楽祭に行くことを決めた。
そして、このモーツァルテウムを体験できた。

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そんなからくりがあった。



まだまだ観ていない素材は、たくさんある。
これだけのライブラリー、全部制覇するのは大変、いったいいつになることやら・・・

大変長文の日記で、とりとめもなく書いてきたが、改めてこのライブラリーを作った友人に感謝しつつ、筆を置くことにしよう。







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