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ジャレット・サックスの強烈なインタビュー レーベル創立編 [オーディオ]

Channel Classicsに関する情報は、公式HPに通り一辺倒のことは書いてあるのだが、正直表面的で、自分にはイマイチ欲求不満であった。

スタジオの写真もネットで探してみたが、そのような類のものは一切見つからず、またディスクの中のクレジットも、録音スタッフは、JARED SACKSとあるだけで、創始者によるワンマンな会社で、結構クローズドで秘密主義のレーベルなんだな?とか思っていた。(笑)

これだけ魅力的なコンテンツを回転率よく新譜を回して、大変魅力的なレーベルで自分は大好きだったのであるが、どうもその素性がようわからん、という感じでミステリアスな感じだった。

その欲求不満を、このインタビューがすべて解決してくれた。
いままで謎に思っていたことをすべてジャレッド・サックス自身が、自分の口から喋ってくれた。


2014年にステレオファイルという雑誌媒体でインタビューを受けている。

https://www.stereophile.com/content/jared-sacks-dsd-present-and-future

ここにすべてが書かれていると思う。

この2014年というのは、いわゆるハイレゾが話題に成り始めた頃で、”ハイレゾ=DSD信仰”みたいな乗りが業界全体にあって、SACDはフォーマット普及としてはイマイチだったけれど、DSDはネット配信で開眼する、みたいな勢いがあった。(いまはハイレゾ疲れというか、マーケット的に売れてなくて、すっかり披露困憊らしいですが・・・(笑))

その広告スターとしてジャレッド・サックスがノミネートされ、「DSDの現在と将来」というテーマでインタビューを受けた、という感じだ。

2014年当時も読んで、そのときもずいぶんと衝撃を受けたが、4年後に、まさか自分が、このレーベルのことで日記を書くとは露にも思っておらず(笑)、再度読み返してみたら、本当にショックというか、生々しい、というか、自分にはかなり衝撃だった。


いまのオーディオ事情からすると、インタビューの中身自体は、2014年当時の古さは感じるけど、貴重な証言だと思う。

サックスの喋っている理論を、本当に自分が理解して和訳している訳ではないので、訳の文に自然さがないところも多く、字ヅラだけ追っている感じのところもあるが、容赦ください。

力作です!


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私はアメリカ人で、37年間オランダに住んできた。レーベル創立以来、妻と、2人半のスタッフだけで運営してきた少数精鋭の会社だった。

常に小さい規模をキープしてきた。すべてのことは私がやっている。妻はブックレットの作業を分担している。

録音が本当に好きで、他のレーベルのように録音はエンジニアに任せて、自分は録音に関わらない、という立ち位置も可能だったが、それは自分には合わないと思った。いまのレーベルはコピーされたものを受け取り、それを売るだけという会社が多い。

でも自分にはそれは耐えられなかった。自分は素晴らしいアーティスト達とレコーディングをすることがなによりも楽しかった。そのコピーを受け取り、単に売ることは、そのアーティスト達への罪だと考えた。

最初、私はホルン奏者だった。オブリン大学の2年生の夏のとき、スイスでオーケストラで演奏してくれないか、と頼まれた。

彼らからずっとこのオケに居続けてほしいと頼まれたとき、私はそうしたが、それが自分の人生の究極のゴールではないような気がした。

オブリンではラジオ局でディレクターをやっていた。そして同時にボストンのWCRVでインターンシップとして働いていた。自分もそのスタッフが好きだった。

スイスでコンセルトヘボウの第1ホルン奏者とギグをやったときに、アムスに一緒に勉強しに来ないかと誘われた。これはいいアイデアだと思った。スーツケースやホルンをそのまま残し、オランダ・アムスに行った。

彼のおかげで、自分の音楽大学での勉強は強制終了となった。私はいわゆるフリーランスの奏者となって、オーケストラでのホルン奏者となった。

私はKanaal Straatに家を買った。その家こそが、いまのChannel Classicsのオフィスになっている。1階は、アーティストの演奏するスタジオになっている。1900年初頭のRijks Museum のような塗装がされている。北側から陽が差し、ちょっとした高級な航海セーリングをしているような雰囲気だ。

私は室内楽が大好きだ。私のアンサンブルはすべてここでやっていた。

1982年か1983年ころ、月末の日曜日にコンサートを企画するようになった。
マイクロフォンを入手し、アナログで録音した。

コンセルトヘボウ設備会社は、古い椅子を売ってくれた。私はそれを50個くらい購入した。
私はバルコニーを造って、そこに人を招待することになった。

その当時は、私はまだ演奏していた。でもこれらの録音機材を所有していた。その頃になって、私は自分で演奏するより、こうやってプロデュースをやってコンサートをレコーディングすることのほうがずっと好きだと思うようになった。

1987年までに、私にデモテープを造ってくれ、という仕事の依頼が多く舞い込むようになった。特に歌手。

私の子供の頃、母親が毎週の土曜の朝にMilton CrossとMETでライブをやるので、子供のころからソプラノを聴き過ぎるくらいの経験があるので、今回も少々歌手に対して辟易な気分を抱くこともあった。




・・・ここから雑誌記者とのインタビュー形式。


記者:

ではSACDやDSDの話に行きましょう。あなたは、いわゆるSony/Philips系とは違う系列で、SACDレコーディングを始めた方の1人ですか?


サックス:

そうです。彼ら(Sony/Philips)は、設備投資に際し、ベータテストやプロモーションなど手助けが必要か聞いてきました。彼らは、私がソフトウエアの編集をやる隣の部屋にいたのです。

私はそこから40分離れたところに住んでいて、そこが同時に、唯一独立したSACDで録音するレーベルとなりました。

PENTATONEは、その後から参入してきました。ポリヒムニアのメンバーは、同様にそこによく手助けに来てくれました。でも唯一独立したレーベルだったのです。

私は、2001年に最初のハイブリッドのSACDを発売しました。Peter WispelweyによるRococo  Variations。(イアン・フィッシャーの)ブタペスト祝祭管弦楽団とも何度かレコーディングのトライアルをしました。BOXのものでは、彼らが最初の商品でした。

商業的な意味で、公式のSACDとしては、Channel Classicsのものが最初なのです。ドイツでレコーディング・セッションをやっているとき、Philipsのスタッフは、ある一つの部屋で作業をやって、私は隣の部屋で作業をやるなどのパラレル録音もありました。

その頃は、まだすべてがソフトウエアの処理ではなかった。そしてまだオープンなPCボードでの処理でした。当時はコンピュータ処理するのに、4か月かかったりして、数分間間隔でクラッシュしていたりしていました。(笑)

いまはソフトウエアで処理することが当たり前で、すべてシンプルにできてしまいます。私はMerging Technologiesのソフトウエア、そしてDSDの処理はPhilipsのソフトウエアで作業をやっています。

15編集単位で、コンパイルするようになっていて、私は200編集ぐらいの規模が必要でした。
コンピュータでの処理はまだ完全にハンドルできる領域ではありませんでした。

彼ら(Philips)は、SACDフォーマットをプロモートするために、いろいろ送ってくれて、私の録音もそれに沿って行われたのです。



記者:

あなたはかつて、南米に行かれたこともありましたよね?私が正しければ・・・


サックス:

私はボリビアに行ってました。Bolivian Baroque のレコーディングとして。ボリビアの至る所に行って、SACDのプロモーションをやってきました。SACDはどういうところにメリットがあるのか?マルチチャンネルがあればベストだけど、そうじゃなくて2chステレオでもメリットあるんだよ、みたいな・・・。



記者:

いまはまさにアナログとダウンロード型のハイレゾ(特にDSDフォーマット)の時代が来ますかね?私にはわかりませんけど・・・


サックス:

イエス! レコーディング機材の観点から、本当に信じられない時代です。悪い機材や悪い録音をすること自体が難しいことになるくらい進化している。

でも私の問題は、常にミュージシャン・ファーストだということです。
良質の録音、再生を楽しむという観点で、それらを利用してエンジョイしているだけです。

しかも私はオーディオファイル(オーディオマニア)ではありません。

私にとって、オーディオファイル用のレコーディングというのは、ピアノ録音のときにも、音をキャプチャーできるように、マイクをピアノのハンマーの上方や横のほうに設置するようなことのことをやるレーベルのことを言います。

私はそのようなことにあまり興味がありません。ユーザの方には、倍音が聴こえて、それがどのようにミックスされたのかが聴こえないといけなく、そして聴取距離が必要。もちろんそこが”(ワインの)テイスティング”とみたいなもんなんですが。。。

私は、Channel Classicsがオーディオファイル御用達のレーベルだ、なんていうつもりはサラサラありません。私はただ、DSDテクノロジーを使えることがハッピーなだけ。なぜならそれらは、もはや音楽を聴く方法でしかないからです。

それを使うことで感情(情緒)の起伏を表現できて、それを聴くことが可能になります。



記者:

あなたがDSDに行った理由は、感情の起伏のため?


サックス:

そう!絶対に。


記者:

あなたは以前はPCMで録音していましたよね?


サックス:

そうですね。最初の時代、1990年から2001年あたりかな。でもDSDはスーパー。
いまはハイブリッドのSACDであり、そしてダウンロード経由でも。
DSDは以前聴いたことのある音よりも、ずっと大きな改善がある。

私はいまでも改良を重ねてきた。2010年に、オランダの会社、Grimm(Philips系です。)の新しいコンバーターを入手した。ファンタスティックだった。

私が以前使っていたdCSやMeitnerのものよりずっとステップアップしている、と思う。ユーザはなにが起きたんだ?と思っていると思うよ。



インタビューは長いので、2部に分けます。






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