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松島 瑞巌寺 [国内音楽鑑賞旅行]

古くから和歌に詠われる歌枕の地として、松尾芭蕉や伊達政宗をはじめ、多くの人が訪れ、その絶景を楽しんだ松島。

まさに名勝の地。

松島って日本三景として有名ですね。
約260の島がつくる日本三大美景のひとつ。
まさに穏やかな海に浮かぶ大小さまざまな島々を巡れば、その個性的な造形美を楽しめる。

じつは地理的には松島って仙台から電車で40分くらいで辿り着けてしまうのだ。
ただ、このような日本三景を楽しむなら、絶対夏だろう、という認識があって、今回真冬ならちょっと厳しいな、と感じていた。

ガイドブックには、いえいえ冬季限定のかき鍋クルーズというのもありますよ~♪なんてお誘いもしているが、ちょっと萎えるなと思っていた。

それで松島をあきらめようと思った矢先、自分の目に飛び込んできたのが、伊達家の聖地・瑞巌寺。その一流絵師による襖絵、障壁画などのあまりの美しさに、これは、いま観ないと、絶対後悔する。

しかもだ。この国宝の瑞巌寺。2008年からまさに今年の2018年3月まで平成の大改修がおこなわれたばかりで、拝観することが可能になったばかりなのだ。

今後また、松島に行くことってこれからあるかどうかも、怪しい。
まさに一期一会だ。

この瑞巌寺を訪れるために、松島まで行こうと思った。



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伊達政宗が約5年の歳月をかけて再興した。京都などから大工を招き、熊野山の木を使って造り上げたという。政宗が菩提寺として定め、自ら縄張りを行い造営。その随所に政宗の美意識とこだわりがあるのだ。

大改修によって拝観ルートが以前と違った。
上の写真の本堂に直接入れないのだ。

まずこの庫裡(くり)から入る。

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庫裡というのは台所のこと。

中の写真を撮り忘れたが、政宗はこの台所にも美しさを追求した。
台所はいわゆる実用本位の建物だけれど、政宗はここにも桃山風の豪壮な唐草模様が施したりなど、かなり美しさに拘ったのだ。

また大屋根にいわゆるいまでいう煙突があるのだが(台所だから)、そこにも政宗こだわりの唐草模様の彫刻などの装飾があって、美しい。

庫裡と廊下が国宝に指定されている。

まさに伊達なこだわりなのだ。(笑)
政宗って、本当に美意識のセンスがある武将だったんですね。

内部の写真を撮るのを忘れたのは、本当に悔しい。


庫裡からそのまま歩いていくと、すぐに自分が一番見たかった本堂につながる。
ここが一番の見所。

本堂は10室からなり、今はなき仙台城の大広間を彷彿させる構造で、その襖絵や障壁画はまさに絢爛豪華。国宝に指定されている。

この瑞巌寺の本堂を仙台城の本丸大広間と同じ構造にしたのは、瑞巌寺に対する政宗の特別な想いだったそうだ。

孔雀の間。

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自分が一番見たかった「室中孔雀の間」。仙台藩最初の御用絵師である狩野左京によるもの。
本堂の10室をこれから見て回るのだが、本当にこの本堂内の襖絵や障壁画はどれも桃山美術ならではの豪華絢爛さだ。

これをじかに自分の目で観れたのは、本当に人生の宝。
松島なんてそうそう行けないと思うからね。


この瑞巌寺を訪れた松尾芭蕉。
彼の「奥の細道」で、そのときのことをこのように詠んでいる。

十一日、瑞巌寺に詣。
雲居禅師の徳化に依て、七堂夢改まりて金壁荘厳光を輝、
仏土成就の大伽藍とはなれりける。



この孔雀の間を観たら、この歌の気持ちも分かるような気がします。


文王の間。
奥に伊達政宗の像がある。

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その像を横から撮る。ここを特に上段の間という。

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墨絵の間。
こういう白黒の濃淡だけの表現も美しい。

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松の間。

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礼の間。

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菊の間。

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素晴らしかった。自分は、この本堂の襖絵、障壁画を見たくて、松島まで来て、この瑞巌寺を訪れようと思ったのだ。まさに政宗の美意識ですね。伊達な男です。(笑)


これで本堂は見終わって、じつは瑞巌寺は、この庫裡と本堂とあともうひとつ宝物館ということころがある。いわゆる資料館みたいなところ。

宝物館

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伊達政宗

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この歴史価値観のある掛け軸。

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そして電光掲示板の仕掛けを使った瑞巌寺と伊達家などの人物との関係図なのでしょうか。

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これで瑞巌寺征服。

瑞巌寺は海:松島湾の側にある。
帰路に下っていくと。。。


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なんと、松島湾クルージングの発着場所に出てしまった。
なんたること!(笑)

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いろいろな松島島巡り観光船のコースがある。

正直迷いました。これも神のお告げ。クルージングしなさい!ということなのかな?ということで、出発時間を見るとあと30分もある。あと、この日はとても寒くて、観光船で外気にさらされながら1時間以上も海の上にいたら風邪ひくこと間違いなし。やっぱり松島湾クルージングは真夏でないとだめだよね、と正気に戻り、やはり自粛することに。

ちょっとその発着場所からあたりの写真を撮影してみました。

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発着場所にはこんなものが。
やはり瑞巌寺は、松尾芭蕉の奥の細道で有名な寺院だったんですね。
松尾芭蕉の奥の細道は、江戸から奥州・北陸を旅し、俳句として詠んでいった旅。
仙台に行ったことで、この松尾芭蕉の存在が自分の中で急激に大きくクローズアップされてきた。
                                                      
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松島って、じつは牡蠣の名産地。10月~3月がシーズンなのだ。
本当は、この松島湾沿いにある松島観光協会のカキ小屋に行きたかった。

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まさにスコップでザックザックの男ワイルドな世界。
これでとれたての牡蠣を蒸して食べるのは最高だろうな~と思っていた。
何回も言うけど今後、また松島に行くことなんてないかもしれない。
だったら一期一会でチャレンジしたかったけれど、やっぱり人気なんだな。予約制で結構満杯で時間的に折り合いがつかなかった。

その代案として焼き牡蠣丼をいただこうと、かねてよりサーベイしていたこのお店に。「南部屋」

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朝いちばんだったからね。

さっそく焼き牡蠣丼を注文。

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これはいただけないな~。正直がっかりしました。
ガイドブックに載っている写真とずいぶんイメージが違います。
ボリですね。
憤りを感じました。

仙台から仙石線で松島海岸駅まで40分。
じゅうぶん松島を楽しめたと思います。
牡蠣はちょっと残念だったけれど、瑞巌寺が最高に素晴らしかったので良しとしよう。


じつは自分の興味は松島だけではなかった。
今回は実現できなかったけれど、あの平泉もじつは仙台から40分くらいで行ける位置なのだ。

この平泉に高館というところがあって、北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれている。


平泉はあの奥州・藤原氏が開府して4代に渡って栄えたところ。兄・頼朝に追われた義経は奥州に辿り着き藤原秀衡氏の庇護のもと、この高館に居館を与えられた。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来するから。

秀衡死後にその子、泰衡は、頼朝の圧力に負けて義経を急襲。義経はここにて自害して波乱の人生を終える。

丘の頂上には、仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経公の木造が安置されている。

いわゆる高館義経堂。

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鎌倉ファンなら、義経の波乱の人生の最後の地を訪れたいと思うのは当然のことだろう。

後年、松尾芭蕉がこの高舘義経堂を訪れ、「夏草や兵どもが 夢の跡」と詠んだのは有名である。

NHK大河ドラマで、1番最初に義経を演じた当時の尾上菊五郎さんの「源義経」。これはVHSで当時の総集編をまとめたものがNHKから売られていてそれを購入した。そして最近見た大河ドラマでは、タッキーこと滝沢秀明くんの「義経」。

この両方とも、泰衡に急襲されたとき、最後に自害する場所は、大河ドラマではこの義経堂の中なんだよね。

これは昔からずっと疑問でした。義経堂は後年に建てられたもの。

ドラマとしてこの最後の地に義経堂を使うことが、絵になりやすい演出だったのでしょうね。

平泉は、支配した奥州藤原氏のもと、東北中の富が平泉に集められ、まさに華やかな「黄金文化」を築き、世界遺産にも登録されている。藤原氏は結局、義経を殺した泰衡を、頼朝が滅ぼした。(頼朝にとって、藤原氏の大勢力は気に入らなかった。 義経をかくまったことを理由に奥州征伐!)

その奥州征伐のときに、頼朝は平泉の毛越寺、中尊寺を見て、大層感動して、のちにそれを模した永福寺を鎌倉に建てたのだ。 その寺院の建立の目的は、弟の源義経、藤原泰衡をはじめとする、奥州での合戦での戦没者を弔う目的があった。

その毛越寺、中尊寺、ガイドブックで写真を見たのだが、これが素晴らしい!
まさに平泉は、「みちのく黄金郷」。 日本史大好きマニア、そして鎌倉の大ファンの自分からすると堪らない憧れの地だ。

平泉のことはもちろん子供の頃から義経絡みでよく知っていたが、 まさか仙台から電車で40分のところにあるとは!地理感がなかった。(笑)

松島湾クルーズ、そして平泉。
これだけでももう一度仙台を訪問する価値はあるのではないか?
一期一会なんて言ってないで、旅費もそんなに高くない訳だから、季節のいい夏にむけて、もう一度訪れてみようか?

もちろん仙台フィルの公演を聴くことは予定に入れないとね。(笑)
  

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