マーラーフェスティバル2020に行きます! [海外音楽鑑賞旅行]
クラシックの作曲家は大半がそうなのかもしれないが、グスタフ・マーラーは作曲家として生前はまったくと言っていいほど評価されず、逆に批判、罵声を浴びながらその生涯を終えた。
マーラーの作品が評価されたのは、本当につい最近のことで、マーラーの作品を演奏指揮した直弟子のブルーノ・ワルターなどいることはいるが、マーラーの作品を頻繁に世間に取り上げ、真に商業的な成功に導いたのは、レナード・バーンスタインではなかったであろうか?
それ以来、マーラーブームと呼ばれるブームが何回も起きるほど大人気になり、いまではマーラーの交響曲、歌曲はクラシックファンに最も親しまれている作品のひとつと言えるようになった。世界中のクラシック業界どこもかしこもマーラー・ツィクルスが実演された。自分もあまりに多くて全部思い出せないけれど、自分がコンサートに参加したものでは、ラトル&ベルリンフィルのマーラー全曲演奏会、そして日本では、インバル&東京都交響楽団のマーラー全曲演奏会。
前者は、現地ベルリン・フィルハーモニーで交響曲第6番「悲劇的」、後者は、東京芸術劇場&横浜みなとみらいで全公演に参加した。
マーラーをコンサート演目に取り上げるのは、正直言うと、自分はもう少々食傷気味という感じがするくらいで新鮮味という点では、あまりに演奏され過ぎた。
いまではそんな感もある。
マーラーはウィーンで音楽の教育を受け、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、ウィーンで作曲家、指揮者としての活動をスタートさせるのだが、オペラを指揮しながらも、自分の作品を作曲していく過程で、そのウィーンでの評論界では全くと言っていいほど評価されず、まさに不遇の時代を過ごした。
その後、ヨーロッパを離れ、海を渡り、アメリカへ移住。ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の音楽監督に就任するが、やはり批判、罵声などの評価から変わらず。またクラシック不毛の地アメリカのオーケストラ、クラシック業界に対してマーラー自身が偏見の眼差しで見ていたこともあって、やはりそこでも不遇の時代となり得た原因があった。
そういう常に”評価をされる”という点ではまったく冷遇され続けてきたマーラーではあるが、唯一オランダ、アムステルダムでは、とても暖かく受け入れられ、まさに熱狂と言っていいほどのフィーバーであった。
当時コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者であったウイレム・メンゲルベルクとの出会いがそのような不遇のマーラーの人生を変えた。メンゲルベルクは、1902年6月のドイツのクレーフェルトの音楽祭で交響曲第3番を指揮するマーラーに出会い、一気に一目ぼれ。ぜひマーラーをアムステルダムに呼ぼうと企てるのである。
メンゲルベルクは、自分の一生涯をかけてマーラーをサポート、啓蒙していこうと決心した。
マーラーにとって、メンゲルベルクはまさに自分の音楽家人生にとって最愛で最強のパートナーとなった。
マーラーにとって、メンゲルベルクはまさに自分の音楽家人生にとって最愛で最強のパートナーとなった。
アムステルダムの聴衆とメディアはマーラーに対して暖かかった。
つねに熱狂と大歓声に囲まれた。
そしてメンゲルベルクの熱いサポート。
つねに熱狂と大歓声に囲まれた。
そしてメンゲルベルクの熱いサポート。
アムステルダムにいると新しい作品に対するインスピレーションを得ることも多く、またメンゲルベルクとの強力なコンビネーションですでに書き上げていた作品などの補筆なども頻繁に行う促進力を生むことも多かった。そしてなによりも自分の作品をここアムステルダムで演奏することで大絶賛を浴び、マーラーをとても暖かく迎え入れてくれた。
これをすっかり気に入ったマーラーは、その後メンゲルベルクに招聘され、何回もアムステルダムで客演を重ねる。マーラーにとって、アムステルダムは、”音楽の第2の故郷”となった。
こうやってアムステルダムは、マーラー演奏のメッカとなっていく訳だが、マーラー没後に1920年に盟友メンゲルベルクによって最初のマーラーフェスト1920がアムステルダム・コンセルトヘボウで開催され、メンゲルベルク&ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団によってマーラーの交響曲、歌曲などの全作品が演奏されたのである。
このマーラーフェストの第2回は、その75年後の1995年に開催された。このときはRCOだけではなく、ベルリンフィル、ウィーンフィル、そしてその他の楽団によって、アムステルダム・コンセルトヘボウでマーラーの全作品が演奏された。
自分はこの1995年当時、ヨーロッパに住んでいて、アムステルダムに同期の友人が住んでいて、現地で頻繁に交流していた。その友人は筋金入りの大のクラシックファンだったのだが、マーラーについてはいままであまり聴いたことがなく食わず嫌いだったところが多かった、ということだった。
でも自分が住んでいるこのアムスでのマーラーフェスト1995に4曲通って、初めてマーラーという作曲家を理解できたし、自分のクラシック人生に大きな転換期になった、と熱く語ってくれた。
とてもユニークなフェスで、普通はほとんど誰もよく知らないであろうマーラーファストであるが、自分がその存在を知ったのは、このアムスの友人の1995年度大会の体験談を通じて初めて知ったのであった。
その話を聞いて、ぜひそのマーラーフェスト1995の次回大会を熱望していた。
いったいいつのことになるか、まったく想像できなかったけれど、2017年のときに偶然ネット検索で、2020年にそのマーラーフェストが開催されることを知った。1920年大会、1995年大会は、マーラーフェスト(MAHLER FEEST)であったが、今回の2020年から改め、マーラーフェスティバル(MAHLER FESTIVAL)と改称された。
3回目のフェストがなぜ2020年なのか、だが、単純に想像して、第1回の1920年から、2020年が満100年にあたり、大きな節目と考えられたから、だと思う。
自分はもう色極めだった。
もうこれは絶対行くしかない。こんなユニークなフェスは絶対自分に合っている!
そこからは、このフェストに行くべく、猛努力を重ねてきた。これは先の日記で書いた通りである。
そこからは、このフェストに行くべく、猛努力を重ねてきた。これは先の日記で書いた通りである。
マーラーフェストについてはこんな経緯である。
今回のマーラーフェスティバル2020の日程表である。
ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団、ベルリンフィル、ウィーンフィル、グスタフ・マーラーユーゲント管弦楽団、ブタペスト祝祭管弦楽団、そして今回新たなメンバーに加わったのが、ニューヨークフィルである。ニューヨークフィルもマーラに所縁のあるオーケストラで、バーンスタインはこのニューヨークフィルの音楽監督、首席指揮者に就任していたとき、このマーラー作品を頻繁に演奏項目に取り上げ、またマーラー録音の教科書とも言える作品も数多残した。
それが近年のマーラーブームの礎となった。
だからニューヨークフィルの参加は至極当然と言えば当然である。
指揮者は、ヤーブ・ヴァン・ズブェーデン(ニューヨーク・フィル)、チョン・ミョンフン(ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団)、キリル・ペトレンコ(ベルリンフィル)、ダニエル・バレンボイム(ウィーンフィル)、ダニエル・ハーディング(グスタフ・マーラーユーゲント管弦楽団)、イヴァン・フィッシャー(ブタペスト祝祭管弦楽団)と蒼蒼たるメンバーである。
でも前回の1995年の一連のスター指揮者と比べると、今回はやや小ぶりかな?という感じは否めない。各々の楽団に所縁のある指揮者が選ばれるが、RCOにチョン・ミョンフン氏とは意外だった。
確かにRCOは首席指揮者で最有力候補のダニエレ・ガッティが女性スキャンダル(#MeeToo)問題で引責辞任したのが一番痛かったであろう。そしてハイティンクの現役引退、ヤンソンスのご逝去・・・とめぼしい候補が軒並みスピンアウトした。RCOのマネージメントはいまなかなか厳しい状況にあるそうで、フェストの指揮者選びは難航に難航を重ねたと思われる。
でも、しかしチョン・ミョンフン氏とは!
これは背後にある権力と金が働いたものと推測される。
この報を聞いたとき、すぐにピンと来ました。(笑)
・・・以下自粛。(爆笑)
この報を聞いたとき、すぐにピンと来ました。(笑)
・・・以下自粛。(爆笑)
ベルリンフィルの指揮者がペトレンコというのも楽しみだ。
おそらく、そう、おそらくだ。自分がベルリンフィルを振るペトレンコの図を見るのは、これが最初で最後になるに違いない。昔の予算体力と違い、いまやベルリンフィルが来日公演をおこない、それに4万~5万をかけて通うというのは、いまの自分にはできないというか不可能だ。
担当する曲は、交響曲第4番と交響曲第6番。
第6番をやってくれるというのは嬉しかった。
自分にとって、マーラー交響曲第6番「悲劇的」と言えば、絶対ラトル&ベルリンフィル。
自分はマーラーをバーンスタインで勉強してきたことはもちろんだけれど、自分のマーラー演奏の教科書は、近代のマーラー解釈の先駆者であるアバドやラトルによるところが大きい。
自分はマーラーをバーンスタインで勉強してきたことはもちろんだけれど、自分のマーラー演奏の教科書は、近代のマーラー解釈の先駆者であるアバドやラトルによるところが大きい。
第6番の第2楽章と第3楽章をどのような順番で演奏するのか?
旧来は、第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテと演奏するのが常であった。
旧来は、第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテと演奏するのが常であった。
それを第2楽章にアンダンテ、第3楽章にスケルツォの順番で演奏し始めたのが、アバドが最初であった。ラトルもそれに倣った。ベルリンフィルのシェフとして両先輩にあたるこの両人がこの順番で演奏したのに対し、新シェフであるペトレンコは、はたしてこの順番で演奏するのか?注目する点である。
これに向けて、ラトルのベルリンフィルの離任コンサートになった第6番の自主制作のCDも購入して、いま聴いている。どのような解釈の違いがあるか、楽しみである。
マーラーの歌曲には、じつはマーラーは、オーケストラ版と室内楽版の2つのヴァージョンを作曲している。リュッケルト歌曲集、子供の不思議な角笛、亡き子をしのぶ歌、大地の歌。
これらがオーケストラ版は、メインホールで交響曲とペアで演奏され、室内楽版のほうは、リサイタルホールの方でピアノと歌手の組み合わせで演奏される。前回の1995年大会と今回が違う点は、この室内楽版が演奏される点であろう。
自分はもちろんこの室内楽版も全部行くことにした。
アムステルダム・コンセルトヘボウのリサイタル・ホールも初体験である。
このマーラーの歌曲については、上の演目の他に、マーラー夫人であったアルマが作曲した歌曲、アルマの友人・愛人が作曲した歌曲を歌唱演奏する日もある。
これはかなりレアであろう。(笑)
マーラーフェストならでは、である。
マーラーフェストならでは、である。
もうひとつ楽しみなのは、オランダの室内楽ユニットのアムステルダム・シンフォニエッタの実演を体験できることだ。マーラー、シュトニケの室内楽版を演奏してくれる。
アムステルダム・シンフォニエッタは、Channel Classicsに所属しており、彼らの新譜はよく聴いていたので、その存在を知っていた。ピアソラのブエノスアイレスの四季などのアルバムは絶品だったし、自分もディスクレビューで絶賛の日記を書いた。
彼らが、日本に来ることはたぶんかなりの可能性の低さなので、こうやって現地に赴くしかないと思っていたが、まさかマーラーフェストで実現するとは思いもしなかった。
大変楽しみにしている演奏日である。
今回のマーラーフェスティバル2020、もうロゴ、カタログ、ポスターのデザインも決まっている。
フェスティバル・ロゴ
カタログ
ポスター
まさに人生に1回のチャンス!と書かれていて、まさにその通りである。
まさに人生に1回のチャンス!と書かれていて、まさにその通りである。
アムステルダム・コンセルトヘボウのホールのホワイエの壁には、このようにフェストのポスターが他のポスターと並んで貼られている。
前回の1995年大会は、赤色がトレードマークだった。
アムスに住んでいた友人が、当時のフェストに行ったときに通った4曲のカタログ。今年の6月に久し振りに同期会の飲みとして2人でサシで飲みました。そのときに写真に撮らせてもらったものです。
マーラーフェスト1995の非売品CD。やっぱりトレードマークは赤色です。
とてもレアな録音なので、ヤフオクで10万のプレミアで入手しました。
とてもレアな録音なので、ヤフオクで10万のプレミアで入手しました。
録音はオランダ放送協会によるもの。
このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、
コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された
自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようですが、
一般には全く流通していない大変貴重な非売品。
(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤である。)
このセットはベアトリクス女王も含むごく少数の人しか出席していない、
コンセルトヘボウホールの前マネージャー退任記念パーティで配布された
自主制作盤で、他にも世界中の大きなラジオ局には少数配布されたようですが、
一般には全く流通していない大変貴重な非売品。
(もちろん権利関係ははっきりクリアした正規盤である。)
これも本番までの予習材料で何回も聴き返すことになるでしょう。
この非売品CDに入っているカタログに掲載されているこの写真。
その飲み会で友人が語っていたこと。
そうここ!
このコンセルトヘボウの前にある広場で特設の会場が設置され、ここでメインホールで演奏されるフェストの模様が、ここでパブリックビューイングされていたんだよね、と熱く語っていました。
これは前回の1995年大会だけに実在したオプションであった。
今回の2020年大会も同じような催しが行われれます。
ただし、現在の最新技術を使ったいまの時代にあった仕様のイヴェントになります。
ただし、現在の最新技術を使ったいまの時代にあった仕様のイヴェントになります。
その他、本番の公演前にシンポジウム、討論会、インタビューや座談会なども行われる。
ファスティバル期間中、コンセルトヘボウはひとつの大きな展示会場スペースになる。マーラーの個人的な所持品などが展示される予定。~たとえばマーラーの未亡人であるアルマの家族アルバム(マーラーの孫娘:マリナ・マーラーからお借りできるもの)からの写真の数々。そして同様に、パリのマーラー音楽図書館からお借りできる物の数々など。
我々訪問者は、あのマーラーの有名なメガネ、スコア原稿、指揮棒、そしてシャツのカウフスボタンのようなものを実際じかに見ることができてさぞかし感激することになるであろう。
これは楽しみ!いっぱい写真撮ってきます。
まさに一期一会のフェスト。
このフェス期間中は、アムステルダムがマーラー一色に染まる期間なのである。
このフェス期間中は、アムステルダムがマーラー一色に染まる期間なのである。
この3年間、この写真を自分のパソコンの壁紙に貼り付けて、”行くぞ!コンセルトヘボウ”と毎日自分に叱咤激励をしていたのでした。
そんな3年間なのでした・・・じつは。
マーラーフェスティバル2020は公式HPが出来ていて、そこに関する記事、”マーラー・イン・アムステルダム”など興味深い記事の数々。
年明けてから、それの邦訳を日記でお送りしたいと思う。
自分も訳していながら、とても勉強になったというか、マーラーとアムステルダムとの関連について、自分の血肉になりました。
本番の2020年の5月まで、これからマーラー一辺倒の偏った投稿内容になりますので、そこはぜひご容赦を。
2019-12-22 15:00
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