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棋士のプライド [雑感]

自分は、中原・米長時代の人なので、谷川浩司以降、羽生善治、森内俊之の時代を知らない。


その中で羽生善治さんは、まさに将棋界のすべてのタイトルにおいて、永世位を獲得という前代未聞の大記録を達成して、まさに羽生王国の一時代を築いた。これで国民栄誉賞も獲得しましたね。


いまの将棋界のタイトルは、


名人
竜王
王将
王座
王位
棋聖
棋王


だそうですね。ボクの時代には十段というタイトルがありました。(その代わり、竜王というのがなかった。)


将棋タイトル戦の主催スポンサーは新聞社ですね。


将棋界の場合、この中で最も歴史があり、権威があるのは、名人である。

名人戦の挑戦者になるには、順位戦リーグというのに所属しないといけない。
A級→B級→C級・・・など。


名人以外のタイトルは、たとえばトーナメントやリーグ戦などで実力さえあれば、どんなに若くても挑戦者になってタイトル挑戦できるのだが、名人だけは違う。


これはもう年功序列なのだ。


プロ棋士になって四段からスタートして、一番下のクラスの順位戦で勝って、成績とともに昇級していくわけだ。(だから自然と年齢を食ってしまう。)


名人に挑戦できるのは、A級順位戦、つまり八段以上の資格がないとダメなのだ。つまり棋士の段位と直結しているのが、順位戦なのだ。


将棋の世界で名人が特別の権威なのは、その棋士の段位、この年功序列的なシステムによるところが多い。


サッカーでいうJリーグのJ1,J2と同じで、降級がある。A級順位戦に所属していても、成績が悪ければ、B級→C級とどんどん降級してしまう。名人に挑戦できるのは、A級順位戦の優勝者なのである。


藤井くんは18歳だから、まだ名人位には挑戦できない。
他のタイトルなら可能だろう。


でも最近藤井くんは八段になったらしいから、A級順位戦リーグに昇格ということなのかな?


そして永世位というのは、そのタイトルを通算で5期保持した場合に、その棋士にその称号が与えられる。たとえば永世名人、永世棋聖、永世十段、永世王将、などなど。


名人は特に特別で、実力性名人になってから、世襲制というか木村義雄永世十四世名人、大山康晴永世十五世名人、中原誠永世十六世名人、谷川浩司永世十七世名人、森内俊之永世十八世名人、羽生善治永世十九世名人という感じで最高のステータスとして扱われる。


将棋界は名人位が最高の権威なのである。


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羽生善治棋士は、この将棋界の全七タイトルについて、すべて通算5期以上保持して、この全七タイトルについて、すべて永世位を持っているということだ。


これは将棋を知っている人なら、どんなに凄いことなのか?とにかく愕然とすることなのだ。まさに羽生王国、羽生時代と言っていいだろう。


自分は羽生棋士のこの快挙をニュースで知って、その前から羽生時代は漏れ聞こえてきたので、驚愕したものの、やっぱり記録はどんどん塗り替えられるものだなぁと感心した。


だが、自分が羽生棋士について、もっとも感動させられたことは、もっと違うことだった。


将棋棋士は普通段位で呼称されるが、タイトルホルダーの場合は、そのタイトルの冠で呼ばれる。でも無冠になってしまった場合は、順位戦のクラスに応じて、ふつうの段位の呼称に戻る。


大山康晴、中原誠、米長邦雄とか、過去のタイトルホルダーの常連で一時代を築いた棋士は、無冠になったときの扱いが難しいのである。


大山康晴さんや中原誠さんのように永世名人を含め、常にタイトルホルダー常連だった人が無冠になってA級順位戦に出戻ってしまった場合、彼らを九段と呼べるだろうか?


やはりそこは普通の人間の感性なら、とてもそういう失礼、無礼なことはできない。そこはなにかしらの配慮をするものなのである。


中原誠さんの場合、1994年、当時の肩書きであった「前名人」を失う際、それまでの実績からして「九段」とは呼べないということで、特例で「十六世名人」を現役のうちから襲位させるかどうか話し合いが行われた。


その結果、十六世襲位は見送られたが、代わりに「永世十段」を名乗ることで落ち着いた。


2007年11月17日、永世名人資格を取得して30年が経過したのを機に、また、森内俊之が十八世名人の資格を得たことや引退の期日(規定による)をあと数年に控えていることもあり、理事会が十六世名人襲位を提案し中原さん本人が了承。前倒しで現役のまま襲位した。1993年に無冠となってから、実に14年後のことであった。


大山康晴さんの場合は、十五世名人、米長邦雄さんは永世棋聖である。


やはり一時代を築いてきた棋士には、もし永世位を持っているならば、その名誉を尊重して、九段と呼ばずに、そういう永世位で呼ぶなどの配慮をするものなのだ。


やっぱり将棋の世界って全盛期で本当に活躍できるのは、その棋士人生にとってのほんの一時期。棋士の晩年というのは、A級順位戦からB級順位戦へ降格、さらにC級に降格。・・・そして引退。


実力、勝負の世界だから、本当にそれが厳しい現実。高齢になるほど身の置き方を考えないといけない。


だから自分は棋士の晩年の戦歴は見たくないのである。


どんなに高齢になっても、いかに長い期間A級順位戦やB級順位戦に踏みとどまっていられるか、ということである。


そういう意味でひふみん、加藤一二三さんは、若い時から引退までの長期間踏みとどまっていたという点で本当に素晴らしいのである。


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自分は羽生善治棋士にしこたま驚いたのは、彼がとうとう27年ぶりについに無冠になってしまって、A級順位戦に出戻ってしまったとき、将棋連盟はその輝かしい戦歴を配慮して、永世位で名乗ることを本人に勧めた。なにせ全七タイトルについて、全部永世位を持っているのだから、問題ないだろう。


ところが羽生棋士はそれを断ったのである!!!


羽生善治棋士は、通常通り、羽生善治九段として呼んでほしい。
自分にとってもう一度原点に戻って新たなスタートして、九段位でリスタートしたい。


オレは感動したよ!!!


羽生善治、男だなぁ~!


自分の世代にとって、羽生善治棋士は、どうしても新世代の棋士に思えてしまい、どこか没入できないところがあったのだけれど、この一件で、見直したというか、やっぱりタダモノではない、その大物ぶりにしこたま驚いたのでした。


それ以降自分にとって新世代棋士としては、やはり羽生善治棋士を応援したいと思うようになりました。


自分はこういう男気があるタイプの男が大好きです。


いままで地味だった将棋界を一気にメディアで取り扱われるようになって、明るい話題になったのは、藤井聡太くんのおかげであることは間違いない。


どんどん頑張ってほしい。


でも羽生善治棋士、全盛期が過ぎたなどという心ない戯言などぶっとばして、さらにもう一花咲かせてほしい。








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