ほどほどで済まない、気になる人。 [海外ロック]
来月中旬にポール・マッカートニーが来日する。ぜひ行きたいと思っていたのだが、一般発売の前のプリセールのときに出遅れてしまいチケットをゲットできなかった。(>_<)
(なんと言っても、ちけっとぴあのチケットを購入するのに、クレジットカードを新規に作らせるあのやり方に本当に閉口!)一般発売に期待していたのだが、凄い争奪戦であえなく惨敗。
セカンド・ステージとしてオークションなどで狙ってみたが、小澤・サイトウキネンも真っ青のプレミア高額チケット。いまじゃ東京ドーム公演はほとんど出ていなくて、大阪公演ばかり。夏の大旅行の散財で、つつましやかな生活をしたい自分にとって、泣く泣くあきらめた。
本当は彼のコンサートに行って、その感想日記を書くときに、彼に対する想いを書きたかったのだが、仕方がないので、コンサートに行きたい〜と思いながら、前哨戦みたいな感じでしたためることにした。
ポールと出会ったのは、中学2年のとき。当時はビートルズは解散していて、ポール・マッカートニー&ウィングス全盛の時だった。このときはビートルズはまだ聴いたことがなくて、最初にウィングスと出会ってポールの音楽の素晴らしさに幼心にもイタク感動してしまった。
最初の出会いが、3枚組のUSAライブ。これは本当に擦り切れるほど聴いたものだ。なんと素敵なメロディーなんだろう!といままでに聴いたことのないフックの効いた旋律。夢中になった。子供時代のわずかなお小遣いを貯めてウィングスの他のLPも買っていった。
当時は洋楽は、ひとつのブランドというか、自分は日本のアイドルを始めとする芸能界を聴いている友達とは、ちょっと一線を画すんだぞ、という感じで、洋楽を聴くこと自体が格好いいステータスというか、ひとつのアイデンティティーみたいな感じで自分は他人とは違う、ということを示したかった、そんな反抗心真っ盛りの世代だったのかもしれない。ポールはそんな自分を誇張するためのアイドルであった。
ウィングスを聴くようになってから、ビートルズの存在を知って、逆に遡って、今度はビートルズに夢中。(笑)当時は、第2次だったか第3次のビートルズ復刻ブームで、素晴らしいジャケットを含めた、その完成度の高い音楽性には本当に惹かれるものがあった。
若々しい前期の頃よりも、より内向的で退廃的なムードが漂う後期の作品のほうが断然好きだ。結局ビートルズのアルバムLPは、ほとんど集めたのではないか、と思う。
いまのようなネットで情報氾濫の時代と違って、自分の身の回りにこういう洋楽の情報はほとんど皆無で、湯川れいこさんのミュージックライフで、その写真、記事を観て、すごい興奮するという感じだった。時々TVで特集されたときなんぞは、もう大変!(笑)
どちらかというと当時の洋楽は映像メディアは追い付いていなくて、ひたすらレコード鑑賞で堪能して、その音楽を聴きながら、自分の頭の中でステージ姿を妄想するというかそんな感じだったような記憶がある。いまの情報氾濫の時代と比較して、当時のほうが自分の中のスターのカリスマ性を磨くというか、自分が崇拝する偶像の尊厳を高めるには、返って情報がなかった時代のほうが幸せだったように想うこともある。
ビートルズの素晴らしさを知って、ますますその当時現役で活躍してたポールに、そのビートルズの影を観ているかのように、その想いを馳せていたのかもしれない。
よくビートルズの中にはジョン派とポール派のどっち?という議論があるが、自分はポール派だった。 ジョンの社会性メッセージ色の強い音楽、スタイルにも魅力を感じることは確かだが、ポールのほうがわかりやすいし、親しみやすい。なんと言っても、ラブソングを代表する彼の暖かいメロディーのほうが自分には心地よかった。
中学から高校、大学と進んでいくうちに、自分もどんどん内向的になっていく。
当時のロックはいわゆるブリティッシュ・ロックと米国ロックの2つに大別できて、自分は断然英国派だった。英国のほうがカリスマ性があって、ファッショナブルで尖っている感じがとても好きだった。
そのうちロッキン・オンの渋谷陽一に傾倒していき、彼の考え方、捉え方、お喋りに夢中になって影響を受けた。彼の進めるアーティストを積極的に聴くようになっていった。(でもレッド・ツッェペリンはあまり聴かなかった。(笑))
米国ロックを産業ロックとして馬鹿にしていたこともあった。
さすがにパンクは聴かなかったけど、その後のUKのニューウェーブは本当に虜になった。特に3人編成のロックバンドが異常にコンパクトで格好いいと思った時期で、スティングのポリスだとか、ポール・ウェラーのジャムだとか、徹底的にのめり込んだ。
そんなクラシックの世界とは正反対の世界を泳いできたのだが、社会人になってから、信じられないくらいピタッと全く洋楽を聴かなくなってしまった。
社会人時代の洋楽は、もうすでに自分がかつて憧れていた面影はなくて、昔自分が嫌っていた日本の芸能界とあまり変わらないような感じで惹かれるものがなかった。また社会人で仕事が中心の忙しい生活になると、そういう過激な音楽よりも、クラシックのほうが精神的に癒されるというか、精神性が高い音楽のような感じがして、ロックからは自然に離れていくような感じになっていった。
自分の音楽遍歴にそういう経過があるので、今回のポールの来日は、特別の感がある。
1980年代初頭だったか、ポールが来日するときに大麻を所持して逮捕されたときのこともよく覚えている。
そんな自分にとって、学生時代のロックの道を開けてくれたポールが、おそらくはこれが最後の来日公演になるはず。
一生で一度でいいからその生姿を観ておきたい、という想いが強い。
ポールはかなり歳なのに、見かけはかなり若い。でもおそらくは声なんかもうほとんど出ないというか、あの広い東京ドームでPA付きとはいっても苦しいものがあるんじゃないかなぁ、と思うのだ。華やかな頃しかイメージにない自分にとって、現在を知ることは極めて酷なこと。 そんな恐怖感もあるのだけど、やっぱり一目見たい。
本当にほどほどでは済まないくらい、今現在、気になる人なのである。
(なんと言っても、ちけっとぴあのチケットを購入するのに、クレジットカードを新規に作らせるあのやり方に本当に閉口!)一般発売に期待していたのだが、凄い争奪戦であえなく惨敗。
セカンド・ステージとしてオークションなどで狙ってみたが、小澤・サイトウキネンも真っ青のプレミア高額チケット。いまじゃ東京ドーム公演はほとんど出ていなくて、大阪公演ばかり。夏の大旅行の散財で、つつましやかな生活をしたい自分にとって、泣く泣くあきらめた。
本当は彼のコンサートに行って、その感想日記を書くときに、彼に対する想いを書きたかったのだが、仕方がないので、コンサートに行きたい〜と思いながら、前哨戦みたいな感じでしたためることにした。
ポールと出会ったのは、中学2年のとき。当時はビートルズは解散していて、ポール・マッカートニー&ウィングス全盛の時だった。このときはビートルズはまだ聴いたことがなくて、最初にウィングスと出会ってポールの音楽の素晴らしさに幼心にもイタク感動してしまった。
最初の出会いが、3枚組のUSAライブ。これは本当に擦り切れるほど聴いたものだ。なんと素敵なメロディーなんだろう!といままでに聴いたことのないフックの効いた旋律。夢中になった。子供時代のわずかなお小遣いを貯めてウィングスの他のLPも買っていった。
当時は洋楽は、ひとつのブランドというか、自分は日本のアイドルを始めとする芸能界を聴いている友達とは、ちょっと一線を画すんだぞ、という感じで、洋楽を聴くこと自体が格好いいステータスというか、ひとつのアイデンティティーみたいな感じで自分は他人とは違う、ということを示したかった、そんな反抗心真っ盛りの世代だったのかもしれない。ポールはそんな自分を誇張するためのアイドルであった。
ウィングスを聴くようになってから、ビートルズの存在を知って、逆に遡って、今度はビートルズに夢中。(笑)当時は、第2次だったか第3次のビートルズ復刻ブームで、素晴らしいジャケットを含めた、その完成度の高い音楽性には本当に惹かれるものがあった。
若々しい前期の頃よりも、より内向的で退廃的なムードが漂う後期の作品のほうが断然好きだ。結局ビートルズのアルバムLPは、ほとんど集めたのではないか、と思う。
いまのようなネットで情報氾濫の時代と違って、自分の身の回りにこういう洋楽の情報はほとんど皆無で、湯川れいこさんのミュージックライフで、その写真、記事を観て、すごい興奮するという感じだった。時々TVで特集されたときなんぞは、もう大変!(笑)
どちらかというと当時の洋楽は映像メディアは追い付いていなくて、ひたすらレコード鑑賞で堪能して、その音楽を聴きながら、自分の頭の中でステージ姿を妄想するというかそんな感じだったような記憶がある。いまの情報氾濫の時代と比較して、当時のほうが自分の中のスターのカリスマ性を磨くというか、自分が崇拝する偶像の尊厳を高めるには、返って情報がなかった時代のほうが幸せだったように想うこともある。
ビートルズの素晴らしさを知って、ますますその当時現役で活躍してたポールに、そのビートルズの影を観ているかのように、その想いを馳せていたのかもしれない。
よくビートルズの中にはジョン派とポール派のどっち?という議論があるが、自分はポール派だった。 ジョンの社会性メッセージ色の強い音楽、スタイルにも魅力を感じることは確かだが、ポールのほうがわかりやすいし、親しみやすい。なんと言っても、ラブソングを代表する彼の暖かいメロディーのほうが自分には心地よかった。
中学から高校、大学と進んでいくうちに、自分もどんどん内向的になっていく。
当時のロックはいわゆるブリティッシュ・ロックと米国ロックの2つに大別できて、自分は断然英国派だった。英国のほうがカリスマ性があって、ファッショナブルで尖っている感じがとても好きだった。
そのうちロッキン・オンの渋谷陽一に傾倒していき、彼の考え方、捉え方、お喋りに夢中になって影響を受けた。彼の進めるアーティストを積極的に聴くようになっていった。(でもレッド・ツッェペリンはあまり聴かなかった。(笑))
米国ロックを産業ロックとして馬鹿にしていたこともあった。
さすがにパンクは聴かなかったけど、その後のUKのニューウェーブは本当に虜になった。特に3人編成のロックバンドが異常にコンパクトで格好いいと思った時期で、スティングのポリスだとか、ポール・ウェラーのジャムだとか、徹底的にのめり込んだ。
そんなクラシックの世界とは正反対の世界を泳いできたのだが、社会人になってから、信じられないくらいピタッと全く洋楽を聴かなくなってしまった。
社会人時代の洋楽は、もうすでに自分がかつて憧れていた面影はなくて、昔自分が嫌っていた日本の芸能界とあまり変わらないような感じで惹かれるものがなかった。また社会人で仕事が中心の忙しい生活になると、そういう過激な音楽よりも、クラシックのほうが精神的に癒されるというか、精神性が高い音楽のような感じがして、ロックからは自然に離れていくような感じになっていった。
自分の音楽遍歴にそういう経過があるので、今回のポールの来日は、特別の感がある。
1980年代初頭だったか、ポールが来日するときに大麻を所持して逮捕されたときのこともよく覚えている。
そんな自分にとって、学生時代のロックの道を開けてくれたポールが、おそらくはこれが最後の来日公演になるはず。
一生で一度でいいからその生姿を観ておきたい、という想いが強い。
ポールはかなり歳なのに、見かけはかなり若い。でもおそらくは声なんかもうほとんど出ないというか、あの広い東京ドームでPA付きとはいっても苦しいものがあるんじゃないかなぁ、と思うのだ。華やかな頃しかイメージにない自分にとって、現在を知ることは極めて酷なこと。 そんな恐怖感もあるのだけど、やっぱり一目見たい。
本当にほどほどでは済まないくらい、今現在、気になる人なのである。
2013-11-02 03:46
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