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スリ騒動・顛末記 [海外音楽鑑賞旅行]

今回のオチはここだったりした。(笑)

まさかの展開だった。1990年代にヨーロッパに赴任して以来、海外旅行はずっとしてきたが、スリに会ったことは1度もなかった。パリやイタリア、スペインなどスリの温床、日本人は狙われやすい、ということはよく聞いているし、自分の旅慣れた友人もいっぱい餌食になった体験記も読んできていたが、どこか他人事だったかもしれない。

こうしてみると、やっぱり自分に責任があったんだと思う。

SNSでは速報したが、誰もが読めてしまうブログに載せることは、少しためらいがあったが、やはり自分の体験を話すことで、これから海外旅行に行く人にとって少しでも参考になればと思い、投稿することにした。

2015/10/9 朝6時に事象発生。大変な1日だった。

この朝の7時のタリス特急で、パリからアムスに移動する予定で、Gare du Nord駅に行ったところ、電子掲示板に我が電車がない。いろいろ聞き入ったところ、ベルギーでストライキがあったらしく、今日だけでなく明日までアムス行は不通とのこと。

ガーン、どうしよう??

アムスに移動できない、これは困った。

まず窓口で乗車券のリファンウド。その後、アムスに行くにはどうしたらいい?と聞いて、飛行機じゃなければバスしかないだろう?ということで、今いるところからどうやってメトロで乗り換えて、バス発車口まで行くか教えてもらう。

予想にしていないトラブルでかなり動揺していた。
やはりそこを見透かされていたんだよなぁ。

そこでオロオロと、切符のリファウンドや人に聞きまくっていたことなどが、たぶん目立っていたんだろう。日本人でしかも1人、荷物もカートを含めいっぱい抱えている。金持っている、というふうに見られたんだろう。いま考えると、自分側にも大きな責任があるような気がする。


「ヘイ、ヘイ、Youの背中にべっとりジャムがついてるぜ!」と30歳代くらいの若い男性が話しかけてくる。脱脂綿についているジャムを自分に見せる。

「とにかくジャケットを脱げ!」
と言われ、ジャケットを脱いでみる。

そうしたら確かに背中にべっとりと付いている。
 「だろう?ほ~らこんな感じ。」というように脱脂綿で拭って見せる。
 「気をつけろよ!」
と言われ、足早に立ち去った。

その瞬間、自分はすぐにピンと来て、体にたすき掛けにしていたカバンを確認したら.......見事だった。(苦笑)

スリ対策で、カバンは必ず体にたすき掛けにして、ジャケットでしかもその上から覆うように隠す、のがいいでしょう、とガイドブックにも書いてある。(笑)

彼らはその上を行っていた。

いかにジャケットを脱がせるか?

ホントに驚いたのは、ジャケットを脱ぐときに、カバンを取ったのだと思うのだけれど、たすき掛けにしていたのだから、少しは感じるものだけれど、まったく感じなかった。プロの仕業だった。

奴らはピンでは絶対やらない。自分に見えたのは、その話しかけてきた男だけだったけれど、自分が見えない背後に仲間がいたはず。そしてジャケットを脱ぐときにカバンを取っていったのはその仲間に違いない。

このジャム野郎の手口は、なんか有名らしいですよ。2人でやっているらしい。

本当に無意識のうちにスラれるんだから、これがパリの有名な洗礼のスリかぁ、と感心。

しかし事前にジャケットの背中にジャムを塗られていたとはまったく気づかず。


いつもは現金は、大金を持ち歩かず、財布を複数持って、分散させるのだが、なぜか前日、面倒くさいからひとつの財布にまとめてしまえ、とやったのがアホだった。

こういうときに限って、である。


海外でスリに会うのははじめての経験。相当動揺。


まず駅構内のポリスステーションを探した。インフォメーションのお姉さんに聞いたら、「Oh My God!」と同情されながら、駅の一番端にあるポリスステーションを紹介してくれた。

これがまたわかりにくく、途中で何回も人に聞きまくった。

そうしてようやくたどり着いて、事情を説明。

自分の担当は黒人の男性のポリスマン。

まずクレジットカードを止めろ!とアドバイスされた。

当然だ。でも電話番号を今年に限って用意していなかった。(ここにも自分の油断があった。)

黒人警官に、「三井住友VISA」と言っても、首を傾げるばかり。(笑)アメックスあたりだと通じる。日本のカード会社はダメだ、通じない、とそのとき悟る。

そしてカード会社に電話するにしても、まず黒人警官がフランス語でかけて、その後に私が英語でしゃべるなど、とにかくイライラ。これをカード枚数分、こりゃダメだ、と思う。

そこで日本の自分の旅行会社にかけることを思いつく。
幸いにも携帯はやられていなかった。


現地のSOS窓口を教えてくれて、そこでカード会社の電話番号を聞いたら一発で全カード分わかった。すぐにかけて、全部ストップ。

こんなに効率がいいとは!!!

やはり日本人相手だと恐ろしく効率がイイ。Things to Doを的確に教えてもらえるのだ! 

そこからは調書取り。現地用語では、いわゆるポリスレポート。
自分は日本人なので、英語で書かれたアンケート用紙に記入する。
住所、氏名、年齢、どこで起きたか?、スラれたもの(中に入っていたものなど詳細に。)、犯人像、など事細かく、7枚くらいあったんではないだろうか?

マークシート方式。

それを正式に警察が定型フォーマットにタイピングして印刷して、正式なポリスレポート(調書)として作成して、自分が何箇所にもサインをする。

警察用と被害者用があり、自分にもくれた。(あとで保険会社に請求するとき必要。)

なにせ、かばんごとであるから、パスポート、現金、クレジットカード、そしてなんとカートをロックする鍵もその中に入っていた。このまま見つからないとカートが開けれなく、壊さないといけない。

もうため息というレベルではない。


でもその直後にパスポートは自分のジャケットの内ポケットに入っていた。助かった!

パスポートを紛失すると、その再発行手続きを教えてもらうと、そのあまりに面倒くさいことに愕然。戸籍謄本とか例の色々な書類と顔写真などを現地にいながら日本とやりとりをして調達しないといけない。パスポートだけは絶対スラレないように気をつけないといけないのだ。仲間から聞いた話では、日本人のパスポートというのは結構いい値段で売れるらしいし......

まずは日本大使館に行け、と言われ、メトロのチケットを3枚余分にくれた。
そして日本大使館に移動。(結構距離的に離れていて、メトロ、徒歩と、この間の移動も結構疲れる、というかスリリングでした。)

はじめてのフランスの日本大使館。

凱旋門の比較的近くにある。

セキュリティチェックを受けて、はじめて中に入る。

その後に、普通の役所のようにガラス窓越しにきれいな日本人のお姉さんが2人いる。

用件を言ったら、あちらの部屋にどうぞ、と案内される。 
ガラス越しの窓口にこれまたお姉さんがまた複数いて列がでてきる。
 
まぁ、公務員というか、ホントにお役所的雰囲気ですね。

そこで、いろいろ説明を受ける。
特に現金をすられた場合の対応。一番ポピュラーで現実的なのが、クレジットカード会社による「緊急キャッシュサービス」というもの。

クレジットカード会社に電話して、大使館そばの銀行へ海外送金してもらう、というもの。

その説明を受けた後に、旅行会社から携帯に電話がある。

私のバッグが警察に届いている、という情報。たぶん現金は抜かれているだろうけど、まずは一安心。いろいろ相談をした。旅行会社がお金を貸す、という。その他、今後どうしようか、という話になって、アムスにホテルを予約してあって、コンセルトヘボウのコンサートもあるし、日本への帰国の便はアムスからを取ってあるので、それを無駄にする必要はないだろう、ということで、パスポートも無事だし、現金が調達できれば、そのままアムスに移動さえすれば旅行のかじ取りは元に戻ると思ったりする。とにかく、パリに支店があるので、そこまで移動してくれ、という。

パリ支店はガリニエ前のオペラ通りにある。

現金はないんですけど.....(笑)

迎えには行けない、という話。(がっくり)そこで、大使館(凱旋門)からパリ支社まで、重いカートを引きずりながら、歩くのかぁ~???(いま考えてもこれは無理。)

途方に暮れていたところ、大使館側の配慮でメトロのチケットをサービスしてもらった。
ここから最寄のメトロを使って、近くまで行って、そこから歩け、と。

これなら大丈夫。

なんとか、パリ支社にたどりつく。

きれいなお姉さんがたくさんいた。若いお兄さんも。

「お疲れ様、ご苦労様でした。」と一同からねぎらわれる。

「お水を一杯どうぞ。」

これがどんなにうれしかったか!!!朝6時から水も一滴も飲まずに休まずに動いていただけに.......

そして、すぐにバッグが届けられている警察にピックアップしに行く算段。
地図とパスポートと現金少々を携えて、再びその警察に行く。

その駅に着いてから地図を見るんだが、これがよくわからなくなかなかたどり着かない。(笑)
人に聞きまくって、ようやく警察の場所がわかった。

見張り番の警官に事情を説明したら、「ブラッグバッグ?」と言われ、あ~ちゃんと届いているんだな、と確信。

でも問題はここからだった。(笑)

受付のおばさんに、事情を説明して、「ピックアップしにきた。」と説明したつもりだったのだが、英語の下手なフランス人には通じていなかった。(というかオレの英語が下手なのか!)

ふつうにポリスレポート(調書)をとる算段に入った。

あれ?さっき駅の警察で作ったけれど....と説明したのだが、ここでも作る必要があると、言ったかどうか、英語が下手すぎてよく聞き取れなかった。(しかたなく従ったが......)


ここで出てきた調書は、日本語バージョンであった。
やっぱりパリはスリの日本人被害者が多いからなんだろうな、と思った。

仕方なく、またアンケートを記入。

その後、おばさんが2~3時間くらい待つかもしれないよ。ほれ、ここにこれだけ待っている人がいるんだよ。と言われた。確かにたくさん人が待っていた。

ここからひたすら退屈な待ち時間。
2~3時間くらい待ったと思う。

警官がやってきて、ようやく面接・尋問が始まった。

まさか自分が入るとは思っていなかったパリの警察署での取調室の一室.....

10畳くらいのスペースで、窓はない。オフィス用のフリーデスクにパソコンが置いてあって、警官と面向かって座る。さっき書いた調書を見ながら、警官はパソコンに打ち込んでる。(要は清書用調書作成のため。)

そしてその項目ごとに質疑応答、状況説明など。

結構長かった。警官はパソコンのキーボードがあまり打ち慣れていないようだった。(笑)

「ハイ、これでおしまい。」

と言われ.....


「へっ???」
「私のかばんは???」

「そんなものはない。」

「えーーーー!!(驚)」

警官はまったく認識していない。

話が通っていない!!!

警官は、「Youに連絡してきた旅行会社が、Youの宿泊ホテルから連絡があった、というなら、そのホテルにもう一回確認してみろ。ここには君のバッグなどない。」

「はぁぁぁ~???

それはおかしい、とかなりすったもんだ、して食い下がったが、警官は、いったん引き下がって仲間に確認してくれたようだったが、戻ってきて、「やはりバッグはここにはない。」と言われた。

もうどん底に落とされた想いだった。また振り出し???

旅行会社にもう一回電話して確認してもらったが、やはりここに届けられている、という情報。

そこで、警官をさっきの門番のお兄さんのところに連れて行って、このお兄さんは認識しているよ、と再度食い下がる。

そうすると2人でフランス語でやりとりをして、もう一回その警官は奥に引っ込んでいった。結構時間がたったが、「Youのかばんは、ここにあった!」とバッグを見せてくれたときはホントにひたすら安堵。

そこの真相になにがあったかは、もちろん私には不明です。(笑)

でもおそらく間違いなく、彼らは私がふつうに被害届を出しにきただけ、と勘違いしていた、ピックアップというニュアンスを理解していなかった、ということは確かなような....

それでまたパリ支社に帰り、即座に今日アムスに行ってRCOの公演を聴けるかどうかの検討。時間的に無理だった。

しかたなく翌日のアムス行の航空券を発券して、パリの緊急のホテルも取ってくれた。

まさに旅行会社がたまたま現地にあって、そのお世話になれたから、こんなにスムーズに行ったのだと思う。

もしこれを全部自分でやるとしたら、パリの街に路頭に迷っていたと思う。

そして帰国後、旅行会社からの請求書が届く.....入っていた保険は、病気、ケガは無制限なのだが、物損などは上限があって(しかも現金は保証外。)結局かなり自分が負担しないといけないような感じ(号泣)

保険のランクを決めるとき、どうしても病気、ケガのほうばかり目が行って、物損のほうはまったく気にしない傾向にあるのでいい経験になりました。あとで確認したところ、やはりどの保険も物損は上限が決まっている感じ。やっぱりスリは自己責任なんですよね。海外旅行するときに病気、ケガなどは絶対無制限にするのは鉄則、私が聞いた話では、保険に入っていなくて、海外でICU(集中治療室)に入るような病気、ケガをして、結局日本に帰ってから、自宅を担保にして債務生活に入ってしまった、という話はよく聞きました。だから海外旅行保険は絶対ケチっちゃダメなんですよ。でもそれはわかったけれどスリなどの物損がこんなに上限があって自己責任に近い形とは思いもよりませんでした。病気、ケガのほうばかり気にしていて盲点でした。

やっぱり海外旅行のポイントは、”リスクの分散化”。

これがすべてである。身に染みた。

こんな基本的で当たり前のこと、昔からずっと知ってはいたものの、自分が被害にあって、はじめて身に染みる。やっぱり自分に責任があったんだなぁ、とつくづく。

そういうことで、財産を失った今、冬のボーナス支給日まで、あと1か月半、瀕死の極貧、飢餓生活が待っているのでした。 (泣)

追伸:とにかくやつらは、日々いろいろなアイデアを考えるので、イタチごっこなんですね。この体験談を友人に話したら、やはり同じように被害にあった人がいて、その人はポシェットで体に括り付けていたにも関わらず、ルーブル美術館で絵画をじっと眺めていたら、ポシェットのチャックが背中側にあったので、その眺めている隙にやられた、とか....(笑)やつらはホントにつねにカモを探しているというか油断も隙もあったもんじゃないです。


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michelangelo

ノンノン様

何度も繰り返し、貴ブログを拝読しました。素晴らしいお写真と感動的なご感想を待ち侘びていただけに、読み手である私自身も更なるショックを受けました。これからは、ジャケットやコートの上に、レイン・コートを羽織っての海外旅行が常識になるのでしょうか。

私自身も2001年9月11日、初めての音楽遠征(クラシック音楽では御座いません)にてニューヨーク同時多発テロに巻き込まれました。1週間の延泊(東洋人差別も受け)や飛ばないデルタ空港に代わる(新たな)航空券の買い直しを含め、旅の総額100万円の出費となり、帰国した折に会社を自ら退職。その時、口から出た言葉は「二度と海外旅行などするものか」でした。

それでも今、思い浮かぶのはニューヨークで助けてくれた見ず知らずの方々による救いの精神と思い遣りです。確かに夢をずたずたにした心無い人間の行為は許し難い事実でありますが、私は現在ノンノン様が病気も怪我もなく、ご無事に日本に帰国されたことが何よりの奇跡だと感じています。美味しそうなお食事のお写真を拝見して、ホッとしました。

ウィーン音楽遠征は、ノンノン様の仰る通り、一昔前と比べて珍しいことではなくなりました。私の友人や知人も、旅行は趣味の一環。知識も経験も体力も財力もない私でさえ、2016年は女ドイツ独り旅を決行します。時間は掛かりましたが、心の傷は癒えるものです。

ノンノン様が1日も早く元気になられ、又「海外クラシック音楽遠征に行ってきます」と何時か御報告して下さる日を楽しみにしています。それまでの間、貴重な貴ブログ記事は沢山ございますので、何度も読み直したいと思います。中でも小林悟朗氏との御話は、大のお気に入りです。御金と違い、永遠に感じます。
by michelangelo (2015-11-04 17:42) 

ノンノン

michelangeloさま、

同時多発テロに巻き込まれましたか!それはもう災難中の災難としかいえない経験でしたね。幸い私は現金だけの損失で、残りはすべて無事でした。冬のボーナスまで債務生活が続きますが、健康、ケガがなかったことが幸いでしたね。財産を失ったことで、毎年実行は厳しくなりましたが1年お休みをもらって再挑戦です。

やはり海外音楽鑑賞旅行はとても魅力的で自分の生きがいです。行けるときに行っておこう、いつ行けなくなるかわからない、そんな気持ちで臨んでいます。

ドイツへ音楽旅行ですか?それは楽しみですね。くれぐれもトラブルのないことをお祈りしております。

悟朗さんのことはこれからも日記にどんどん登場させますので、楽しみにしていてください!
by ノンノン (2015-11-05 21:04) 

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