文章のリズム感 [雑感]
今から6年前の2011年に発売された「小澤征爾さんと、音楽について話をする」という本を読んだ。購入したのは、発売したと同時に購入したのだが、なかなか毎日忙しくて読めなくて、ついつい積読で存在を忘れていた。
昨日、何気なく存在に気付いて、この夏休みに読んでみようと思った。
発売当時、ゴローさんからぜひ買って読んでね、と言われて買ったのに、6年も忘れていてゴメンナサイ。
本の内容は、小澤征爾さんと村上春樹さんが対談・インタビュー形式で会話をして、それをテープ起こしで本にしたもの。
いやぁものすごい面白くてあっという間に読了。この内容を6年後に話題にするなんて、本当に申し訳ないと思った。
じつは日記にしようと思ったのは、村上さんのこの一言による記述が自分の心を捉えて離さなかったからだ。
「文章を書くのに大切なことは、リズムがあること。」
「文章と音楽の関係」と題されたインターリュード(間奏曲)として、この内容について書かれていた村上さんの持論は、まさに普段自分が日記を書く上で心掛けていたことを、そのまま代弁してくれたかのような快感があり、「そう!そう!まさにそれ!」という感じで大変感動してしまった。
現に、自分も3年前に「心をつかむ歌声にある「1/fのゆらぎ」特性。」というタイトルで日記を書いて、人を酔わせる歌声には、不思議と1/fのゆらぎ特性があり、人が書く文章もそうだ、ということを書いた。読んでいて感情が抑揚してくる文章のリズムってとても大切。
難解な用語を駆使して単に理屈っぽいだけの文章では、人の頭の中にはすんなり入ってこないし、人を感動させることはできない。
自分の原点は、文章はわかりやすく、そしてリズム感を兼ねそなえるべきもの、という考え方があった。
このように考えるのは、自分だけなのかな、とも思っていたのだが、大作家である村上春樹さんが、同様の考え方を持っていたのには大感動で涙が止まらなかった。
その村上さんの記述を抜粋してみる。
音楽的な耳を持っていないと、文章ってうまく書けないんです。だから音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになってくるということはあると思うんです。
それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。
前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか・・・
機械のマニュアルブックって読むのがわりと苦痛ですよね。あれがリズムのない文章のひとつの典型です。
新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。
でも多くの文芸批評家は、僕の見るところ、そういう部分にはあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でも、リズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。もちろん僕がそう思う、ということですが。
文章を書くのは、まさに音楽と同じです。耳が良くないと、これができないんです。
できる人にはできるし、できない人にはできません。わかる人にはわかるし、わからない人には、わからない。
読み手にとってと同じように、書き手にとっても、リズムは大事な要素なんです。小説を書いていて、そこにリズムがないと、次の文章は出てきません。すると物語も前に進まない。
文章のリズム、物語のリズム。そういうのがあると、自然に次の文章が出てきます。僕は文章を書きながら、それを自動的に頭の中で音として起こしています。それがリズムになっていきます。
村上春樹さんの小説は、じつは自分は”ハルキスト”と呼ばれるほど熱中している読者ではないのだが、1Q84が記録的な大ヒットとなって以来、新書が出るたびに必ず読むようにしている。だからファン歴としては浅い。
村上さんの文芸は、やはりなんと言っても読みやすい、わかりやすい、そして独特の村上ワールドともいえるとてもミステリアスなストーリー展開、そしてクラシック音楽の描写をさりげなく入れる洒脱さ、そして毎度のことながらエロい描写も必ずあるところもいい。(笑)
やはりそこに本人がいうリズムがあることは間違いない。次から次へと前へ読み進みたくなる好奇心というか。
それ以来ファンになって、1Q84以前の作品もほとんど買い揃えて積読状態で、定年になって時間にゆとりが出来たら、じっくり過去の作品も読もうと思っている。
今回の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」の本については、いわゆる小澤さんの人生をインタビュー形式で深く掘り下げて紹介していこうという趣旨。
全編通して驚いたのは、村上春樹さんの音楽に対する造詣の深さ。本筋はジャズだそうだが、クラシックに関しても相当なもの。小澤さんからこれだけの深い会話を引き出すのは、インタビューの準備があったとはいえ、かなりなものだと感じた。
もちろんオーディオマニアでもある。(アナログレコードファンかな?)
ご自身の小説にさりげなくクラシック音楽の作曲家や作品をしのばせるテクニックも、これだけの造詣の深さから来ているものだろう。
小澤さんの人生インタビューは、これは、これは、興味深い。ぜひ一読をお勧めしたいです。
いままでパブリックになっている小澤さんのインタビューや履歴なことよりも、もっともっと掘り下げた、本人の細かい描写の回想、思い出話、そして技術論などで相当新鮮で貴重。自分は初めて知った内容のものばかり。相当専門的で細かいです。
小澤さんの話していることで、印象的だったのは、
カラヤン先生は、曲(交響曲)を長いフレーズで見ること。それが指揮者の1番大切な使命。
何小節単位でスコアを読解していくんではなくて、もっと全体の長いラインで読んでいくこと。細かいアンサンブルに拘ってちゃいけない。カラヤン先生独特の指揮法=長いフレーズを作るのが指揮者の役目。
僕らはね、四小節フレーズとか、八小節フレーズとか、そういうのを読むのは慣れています。ところが彼の場合は、十六小節とか、もっと凄いときは三十二小節とか、そこまでフレーズを読めと言われます。そんなことスコアに書いてないんだ。でもそれを読むのが指揮者の役目なんだと。
こんな感じでとても深い内容で、小澤さんの人生をほぼ網羅する形で紹介されている会談形式の本。
発売からもう6年経っていて、本当に申し訳ない限りで、もうすでにみなさんご存知かもしれませんが、まだの方はぜひ読んでみてください。
クラシックファン、小澤ファンであれば、感動すること、勉強になること間違いなし!だと思います。
小澤征爾さんと、音楽について話をする。
小澤征爾(著)、村上春樹(著)
https:/ /goo.gl /P6Xf2C
昨日、何気なく存在に気付いて、この夏休みに読んでみようと思った。
発売当時、ゴローさんからぜひ買って読んでね、と言われて買ったのに、6年も忘れていてゴメンナサイ。
本の内容は、小澤征爾さんと村上春樹さんが対談・インタビュー形式で会話をして、それをテープ起こしで本にしたもの。
いやぁものすごい面白くてあっという間に読了。この内容を6年後に話題にするなんて、本当に申し訳ないと思った。
じつは日記にしようと思ったのは、村上さんのこの一言による記述が自分の心を捉えて離さなかったからだ。
「文章を書くのに大切なことは、リズムがあること。」
「文章と音楽の関係」と題されたインターリュード(間奏曲)として、この内容について書かれていた村上さんの持論は、まさに普段自分が日記を書く上で心掛けていたことを、そのまま代弁してくれたかのような快感があり、「そう!そう!まさにそれ!」という感じで大変感動してしまった。
現に、自分も3年前に「心をつかむ歌声にある「1/fのゆらぎ」特性。」というタイトルで日記を書いて、人を酔わせる歌声には、不思議と1/fのゆらぎ特性があり、人が書く文章もそうだ、ということを書いた。読んでいて感情が抑揚してくる文章のリズムってとても大切。
難解な用語を駆使して単に理屈っぽいだけの文章では、人の頭の中にはすんなり入ってこないし、人を感動させることはできない。
自分の原点は、文章はわかりやすく、そしてリズム感を兼ねそなえるべきもの、という考え方があった。
このように考えるのは、自分だけなのかな、とも思っていたのだが、大作家である村上春樹さんが、同様の考え方を持っていたのには大感動で涙が止まらなかった。
その村上さんの記述を抜粋してみる。
音楽的な耳を持っていないと、文章ってうまく書けないんです。だから音楽を聴くことで文章がよくなり、文章をよくしていくことで、音楽がうまく聴けるようになってくるということはあると思うんです。
それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。
前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか・・・
機械のマニュアルブックって読むのがわりと苦痛ですよね。あれがリズムのない文章のひとつの典型です。
新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。
でも多くの文芸批評家は、僕の見るところ、そういう部分にはあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でも、リズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。もちろん僕がそう思う、ということですが。
文章を書くのは、まさに音楽と同じです。耳が良くないと、これができないんです。
できる人にはできるし、できない人にはできません。わかる人にはわかるし、わからない人には、わからない。
読み手にとってと同じように、書き手にとっても、リズムは大事な要素なんです。小説を書いていて、そこにリズムがないと、次の文章は出てきません。すると物語も前に進まない。
文章のリズム、物語のリズム。そういうのがあると、自然に次の文章が出てきます。僕は文章を書きながら、それを自動的に頭の中で音として起こしています。それがリズムになっていきます。
村上春樹さんの小説は、じつは自分は”ハルキスト”と呼ばれるほど熱中している読者ではないのだが、1Q84が記録的な大ヒットとなって以来、新書が出るたびに必ず読むようにしている。だからファン歴としては浅い。
村上さんの文芸は、やはりなんと言っても読みやすい、わかりやすい、そして独特の村上ワールドともいえるとてもミステリアスなストーリー展開、そしてクラシック音楽の描写をさりげなく入れる洒脱さ、そして毎度のことながらエロい描写も必ずあるところもいい。(笑)
やはりそこに本人がいうリズムがあることは間違いない。次から次へと前へ読み進みたくなる好奇心というか。
それ以来ファンになって、1Q84以前の作品もほとんど買い揃えて積読状態で、定年になって時間にゆとりが出来たら、じっくり過去の作品も読もうと思っている。
今回の「小澤征爾さんと、音楽について話をする」の本については、いわゆる小澤さんの人生をインタビュー形式で深く掘り下げて紹介していこうという趣旨。
全編通して驚いたのは、村上春樹さんの音楽に対する造詣の深さ。本筋はジャズだそうだが、クラシックに関しても相当なもの。小澤さんからこれだけの深い会話を引き出すのは、インタビューの準備があったとはいえ、かなりなものだと感じた。
もちろんオーディオマニアでもある。(アナログレコードファンかな?)
ご自身の小説にさりげなくクラシック音楽の作曲家や作品をしのばせるテクニックも、これだけの造詣の深さから来ているものだろう。
小澤さんの人生インタビューは、これは、これは、興味深い。ぜひ一読をお勧めしたいです。
いままでパブリックになっている小澤さんのインタビューや履歴なことよりも、もっともっと掘り下げた、本人の細かい描写の回想、思い出話、そして技術論などで相当新鮮で貴重。自分は初めて知った内容のものばかり。相当専門的で細かいです。
小澤さんの話していることで、印象的だったのは、
カラヤン先生は、曲(交響曲)を長いフレーズで見ること。それが指揮者の1番大切な使命。
何小節単位でスコアを読解していくんではなくて、もっと全体の長いラインで読んでいくこと。細かいアンサンブルに拘ってちゃいけない。カラヤン先生独特の指揮法=長いフレーズを作るのが指揮者の役目。
僕らはね、四小節フレーズとか、八小節フレーズとか、そういうのを読むのは慣れています。ところが彼の場合は、十六小節とか、もっと凄いときは三十二小節とか、そこまでフレーズを読めと言われます。そんなことスコアに書いてないんだ。でもそれを読むのが指揮者の役目なんだと。
こんな感じでとても深い内容で、小澤さんの人生をほぼ網羅する形で紹介されている会談形式の本。
発売からもう6年経っていて、本当に申し訳ない限りで、もうすでにみなさんご存知かもしれませんが、まだの方はぜひ読んでみてください。
クラシックファン、小澤ファンであれば、感動すること、勉強になること間違いなし!だと思います。
小澤征爾さんと、音楽について話をする。
小澤征爾(著)、村上春樹(著)
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2017-08-13 21:57
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