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ひふみんを侮るな! [雑感]

将棋の加藤一二三さん、引退後、いまや「ひふみん」と呼ばれて、すっかりシニアタレント扱い。(笑)


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確かに加藤さんは、真面目で、寡黙な棋士達の集まりである将棋界では、昔から、ちょっと変わった人という感じもあり、ある意味「キャラが立つ」存在で、引退後にそういうところに着目して、いわゆる業界向きではないか、ということで、そのキャラをいい方向に強調しようというメディア業界の意図が見え隠れするように自分には思える。


将棋界の歴史で、もっとも現役生活が長かった功労者でもあり、その輝かしい戦歴もさることながら、ちょうどそのときに話題の藤井聡太四段の登場で、自身の引退とも重なり、新旧世代の交代を大きく、国民の眼に植え付けるタイミングの良さもあったのだろう。


でも自分には、いまの加藤さんの姿は、とても信じられないんだよなぁ。


加藤さん自身、たぶん意識しているところもあるはずで、そういう自分のイメージを意識的に作るような演技をしているように思えて、見てて正直痛々しいのだ。(笑)


当時から変わった人だったけれど、いまのCMで見たり、はたまた「ひふみんアイ」でCDデビューとか、いわゆる面白オジサンキャラで必死に自分を売り出す姿を見ていると、とても自分には痛々しい。


いまの人は、じつは加藤さんは、本当はじつにスゴイ人だったんだ、ということを、どこまで知っているのかなぁ?と思ったりするのだ。加藤さんの過去を知らないいまの人が、いまのキャラを見て、とても優しくて、かわいい老人キャラってな感じで、見ているんだろうなぁ・・・とか。


また引退後、自分を支えてきた家族への感謝を第一にした美談などで、優しい性格(これは昔から一貫した素晴らしいところです。)などがそのキャラ作りに拍車をかける。



人間ならば、誰しも人生のうちで最も活躍する、最大に輝いている、ある意味尖っている時期というのがあって、それを過ぎた後の、晩年の自分の立ち位置、イメージ造りというのは、やはり人生設計で考えていかないといけないところ。


いまの加藤さんを観ると、そんな人生の刹那を感じたりする。

もちろん、まだ始まったばかり。このイメージ作り、大成功で、華開くかもしれない。


自分も、それを願っている。


自分は小学生の頃から、将棋を嗜んでいたので、将棋界の変遷の歴史はよく知ってきているつもり。


自分の加藤さんのイメージといえば、まさにこの写真の頃。


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将棋界は、自分が物心ついたときは、升田幸三×大山康晴時代から、そして中原誠×米長邦雄の時代に差し掛かる時代。まさに大山時代から中原時代に移り変わる時代だった。


自分の世代では、升田×大山時代は、ちょっと昔の人で、自分のリアルタイム世代といえば、中原×米長時代だった。


中原誠名人の大ファンだった。


中原誠、大山康晴、米長邦雄、そしてそこに加藤一二三が入ってくる、という力関係の図式だった。

自分にとって、加藤さんの存在が圧倒的に輝いて見えたときは、中原名人が名人戦九連覇を成し遂げて、十連覇を成し遂げるか、というときに、当時の加藤一二三十段が挑戦者になり、名人戦史上稀にみる大激戦名勝負を繰り広げ、中原さんの十連覇を阻止したときだった。


名人位といったら、中原さんしかとてもイメージ湧かなくて、九年間もそうだったので、そこに加藤一二三名人誕生になったときは、かなり違和感と悔しい思いをしたことがある。


中原ファンとしては、加藤さんの存在は忘れようにも忘れられない人だったのだ。


名人戦というのは、普通七番勝負、先に四勝したほうが勝ちだ。でもこの戦いは持将棋に千日手2回と決着がつかない戦いが3回もあって、全部で十戦も戦ったのだ。名人戦のようなタイトル戦は、普通は旅館などを貸し切ってやるものなのだが、ここまでもつれるとは誰も思わず、旅館の予約が出来ず、最終戦は、ふつうの将棋会館でやる羽目になったのだ。(笑)


その最終戦も深夜におよぶ大激戦で、最後に加藤さんが中原さんの玉の詰みを発見した時は、思わず「ひゃあー」という寄声を上げたことは有名な話だ。


その大激戦だったその中原×加藤の第40期名人戦。


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1982年だったから、自分が高校3年生のときだったな。いまから35年前。鮮明に覚えているよ。

加藤さんがまさに勝負師として最高に輝いていたとき。


そんな時代を知っているからこそ、昨今の「ひふみん」ブームで、ある意味作られたイメージ作りに、自分は違和感を覚えるし、そんな演技している加藤さんを観ると、まさに痛々しいのだ。(笑)

 


でも思うのは、加藤さんの心の中には、やはり勝負師として生きてきたうえで、ここは引けないボーダーラインというのは必ずあるのではないか、と思うこと。


ひふみんキャラを演じていても、その線引きは絶対あるはずと自分は確信している。


「9」という数字は、つくづく因縁のある不吉な数字なんだな、と思ったのもそのとき。
この中原名人の十連覇ならず、そしてONこと王・長嶋の巨人10連覇ならず。そして後世知ったことだが、クラシックの世界でもベートーヴェンやマーラーのように第9番まで交響曲を作曲して、第10番を作曲しようとすると、みんな命を落としてしまう、この数奇な運命。


「9」という数字には、なにか強いそのような運命が隠されているんだな、とつくづく思う次第である。


加藤さんの棋歴はすぐに調べればわかるし、将棋にあまりに興味のない人はチンプンカンプンだと思うが、とにかく加藤さんはスゴイ人だったのだ。


その全盛期をリアルタイムの同世代に生きてきた自分からすると声を大にしてそう言いたい。


中原時代から谷川浩司、そしていまの羽生善治あたりからはもう完全に感情移入できなくなった。
そして将棋界から疎遠になった。


この感情移入できない、というのは重要なポイントで経年になるにつれて、避けられないことだと思っている。人間って、自分のもっとも感情移入できた時代のヒーローがいて、それが経年で、つぎからつぎへと新しい世代のヒーローが出ても感情移入できないのだ。自分の時代のヒーローを超えることはない。


いまの自分のクラシック演奏家やオーケストラについても言えるかもしれない。現在縁があって知り合えた演奏家の方々は、自分の運命の中で不可避の赤い糸で結ばれていて、なるべくしてなって知り合えた訳で、それを超えることはないと思う。


アラベラさん!とか追っかけしているけど、クラシック業界も世代交代が進んでいき、どんどん出てくる若い世代にどうしても自分の感情が追いついていけない、そんな自分を感じるのである。


自分が感情移入した時期のスターはその後超えられないものなのだ。

歳なんだ、と感じるとき。


音楽評論家の方は、そういう点で、大変な稼業だと思います。(笑)


加藤一二三さんは、クラシックについても造詣が深いようで、最近、クラシック関係でインタビューを受けることも多く、自分の視野にちょくちょく入ってくるようになった。まさかあの頃の加藤さんが 数十年後に、自分の目の前に、クラシックという切り口で現れるとは思いもよりませんでした。


「ひふみん」のイメージでもいいです。(笑)


見事に華開いて、第2の人生を謳歌され、今後もご活躍されることをお祈りしたいです。







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