流鏑馬 [雑感]
出典 Wikipedia
流鏑馬は、疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)を放ち、的を射る日本の伝統的な騎射の技術・稽 古・儀式。896年宇多天皇が源能有に命じ、馬上における実践的弓術のひとつとして作らせたのが始まり。
平安時代から存在したのだ。
その武芸文化を東の鎌倉に復活させたのが、源頼朝。
「吾妻鏡」には源頼朝が西に流鏑馬の教えを受け復活させたと記されている。
ちなみに「吾妻鏡」というのは、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。まさに鎌倉時代のことが書かれた唯一のバイブル書的存在。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、成立時期は鎌倉時代末期。
編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。全52巻。
子供の頃、鎌倉時代に憧れたとき、この吾妻鏡の現代語訳を読破したい、とかなり真剣に憧れた。それほど鎌倉ファンにとって、憧れの的だった歴史的資料なのだ。
鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬は、1187年に源頼朝が放生会の後に奉納されたのがはじまりで、後に神事として行われるようになっている。
幕府の行事に組み込まれたことも含めて盛んに稽古・実演されたようで、北条時宗の執権時代までに、鶴岡八幡宮では47回の流鏑馬が納められたとされる。
いまは、この流鏑馬の儀式のことを、「流鏑馬神事」(やぶさめしんじ)というのが、通常の言い方である。
頼朝公が始めて以来、ずっと800年余、この鶴岡八幡宮で、この伝統ある「流鏑馬神事」の祭祀が行われてきたのである。
途中、海外遠征でこの流鏑馬神事を披露したこともあったそうだ。ロンドンとフィンランドで開かれた、と言っていた。
流鏑馬の流派として、武田流と小笠原流がある。
以下、わつなぎさんのページを引用。
https:/ /watsun agi.jp/ budo/20 6/2/
武田流
流鏑馬は、疾走する馬上から鏑矢(かぶらや)を放ち、的を射る日本の伝統的な騎射の技術・稽 古・儀式。896年宇多天皇が源能有に命じ、馬上における実践的弓術のひとつとして作らせたのが始まり。
平安時代から存在したのだ。
その武芸文化を東の鎌倉に復活させたのが、源頼朝。
「吾妻鏡」には源頼朝が西に流鏑馬の教えを受け復活させたと記されている。
ちなみに「吾妻鏡」というのは、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。まさに鎌倉時代のことが書かれた唯一のバイブル書的存在。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、成立時期は鎌倉時代末期。
編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。全52巻。
子供の頃、鎌倉時代に憧れたとき、この吾妻鏡の現代語訳を読破したい、とかなり真剣に憧れた。それほど鎌倉ファンにとって、憧れの的だった歴史的資料なのだ。
鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬は、1187年に源頼朝が放生会の後に奉納されたのがはじまりで、後に神事として行われるようになっている。
幕府の行事に組み込まれたことも含めて盛んに稽古・実演されたようで、北条時宗の執権時代までに、鶴岡八幡宮では47回の流鏑馬が納められたとされる。
いまは、この流鏑馬の儀式のことを、「流鏑馬神事」(やぶさめしんじ)というのが、通常の言い方である。
頼朝公が始めて以来、ずっと800年余、この鶴岡八幡宮で、この伝統ある「流鏑馬神事」の祭祀が行われてきたのである。
途中、海外遠征でこの流鏑馬神事を披露したこともあったそうだ。ロンドンとフィンランドで開かれた、と言っていた。
流鏑馬の流派として、武田流と小笠原流がある。
以下、わつなぎさんのページを引用。
https:/
武田流
鎌倉・室町時代にかけて、武田家に伝授されていたが、武田家滅亡により、姻戚の細川藤孝に伝授され、以後、竹原家が継承し現在に至っている。
春の鎌倉まつりでの鶴岡八幡宮の流鏑馬神事は武田流である。
騎射(きしゃ):「式の的」と「板小的」を騎射し、成績の良かった者が選ばれ、土器で出来た「土器三寸の的」を騎射する。
笠(かさ):ヒノキで編んだ綾檜笠(あやひがさ)
射籠手(いごて):家紋の入った黒射籠手
小笠原流
流派の始まりは、小笠原家の初代小笠原長清、7代小笠原貞宗、遠祖の貞純親王とするものがあり、代々伝わり小笠原流の基礎が出来たとされている。江戸時代に第8代将軍・徳川吉宗の命を受け小笠原貞政が流鏑馬を制定し現在に至っている。鶴岡八幡宮の例大祭や下鴨神社の葵祭での流鏑馬神事は小笠原流である。
騎射(きしゃ):あげ装束という鎌倉時代の武士の狩装束を着た3騎と江戸時代の武士の平服にちかい装束を着た10騎ほどが行う。
笠(かさ):イグサで出来た綾藺笠(あやいがさ)
射籠手(いごて):金蘭
これを読んでざっくばらんに自分が理解した範囲で書くと、武田流と小笠原流の違いは、まず服装などのいでたちが違う。そして騎射のスタイルが違う。
武田流が、成績を競う儀式なのに対し、小笠原流は騎手は3騎~10騎と決まっている、より儀式に近いというところであろうか?
その違いは、武田流の的が、いかに中心を射るかの競技用の的になっているのに対し(残った者は土器の的を射る)、小笠原流は、ただの木の的だということなのだろうか・・・。
まさに鎌倉といえば、この流鏑馬。
ぜひ実際生で観てみたいと思っていた。
秋の鶴岡八幡宮の例大祭で、その流鏑馬神事が行われるのを知って、行ってきた。
例大祭というのは、1年に1回または2回、その神社で定められた日に行われる最も重要な祭祀の事である。
神社ごとにあるお祭りなのだ。おらが街の神社でも今のシーズン、例大祭やっている。
鶴岡八幡宮のどこで、流鏑馬をやるのか?
その流鏑馬馬場は、境内中央付近にある東の鳥居から西の鳥居かけて走る参詣道が流鏑馬馬場になるのだ。
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場の長さは254m54cm。
進行方向左手に間をおいて3つの的を立てる。
「一の的」「二の的」「三の的」
つまり騎手は、上の図で、右から左に向かって、馬に乗って走り抜け、腰には矢が3本備え付けてあり、一の的を射ったら、すぐその後に、腰の矢を取り出して、二の的を射る。そしてそれが終わったら、さらに腰の矢を取り出して、三の的を射る、という連続技の感じなのだ。
流鏑馬では、騎射が的を射抜く手前でそれぞれ違う掛け声をかける。一の的手前で「インヨーイ」と短く太く掛け、二の的手前で「インヨーイインヨーイ」と甲声でやや長く掛け、三の的手前では「インヨーイインヨーイインヨーーイ」と甲を破って高く長く掛ける。
なにせ、254m54cmもある長さなので、実際では、拡声器を使って、「いま走り始めました」「一の的的中」「二の的的中」「三の的的中」という感じで実況中継付きなので、自分の場所に近づいてきた、というのがわかる仕組みになっているのだ。
自分は、騎手が矢を射るその瞬間を自分のカメラで収めたかったので、上の図の三の的をちょっと過ぎたあたりのオレンジ丸の部分に陣取った。実際現場に行ってみてわかったことは、絶好のシャッターチャンスと思えるところは、大抵、報道陣席か招待席なのだ。(笑)
つまり、的のある向かい側は、全部報道陣席か招待席。我々一般席は、的のある側なのだ。
流鏑馬神事は、13:00~スタートなのだが、場所取りで、遅くとも11:00には行かないとというネット情報があったので、自分はしっかりと9:30には現場に着くようにした。これは正解だった。11:00じゃ全然遅い感じで、超満員だった。
じつにひさしぶりの鶴岡八幡宮。さすが例大祭。朝9:30でもかなりの人混みでした。
流鏑馬馬場を眺めてみる。
馬の出発点の方向を眺める。
出発地点。
ゴール地点。
こちらが一の的
二の的
三の的
自分は三の的の横のほうに陣取った。
場を盛り土して、的をセットします。
巫女さんたちが招待席に名前の札を張り付けている。招待席はこんな椅子のサービスがあるのだ。我々一般席はなにもない。なにか小さな椅子か、敷物を用意したほうがいい。でも地面は結構蟻地獄だったので、座る気はなくなったが。(笑)
招待席。みんな望遠付の素晴らしいカメラを持ってらっしゃいました。
こちらが、今日の例大祭の小笠原流の家元の招待席です。
続々と集まってきます。しかし、外国人の方、とても多いです。日本の伝統の神事を見たい、というのがあるのでしょうね。
いよいよ始まります。超満員です。
流鏑馬馬場の両端には、このような幕がかけられます。この写真は、自分に近いところですから、三の的の後の方のゴールの方です。
この方は?(笑)
13:00になったらすぐに始まるのか、と思ったらそうでもなし。まず鶴岡八幡宮の歴史、流鏑馬の歴史など、拡声器を使って延々説明が始まる。この部分だけで、50分はかかった。その後の本番の流鏑馬はほんの20分位で終わったので、いかにこの前振りが長いか、ということだ。正直、立ったままこれをただ聴いているのは苦痛だった。それでも朝から立ちっぱなしなのに・・・。
そして主役たちの登場。
3騎手たちの前に、2名が先導をきる。
なんか、一気に800年前の鎌倉時代に戻ったような、なんか煤けた気配。(笑)
要は、まず始める前に、一周して、みんなにそのお姿をお披露目する感じである。
そして、ついに3名の騎手たち登場。今回の流鏑馬神事に登場する3騎手は、山川芳重さん(源雅之)、廬泰和さん(源承徳)、猪谷亦三郎さん(源崇明)の3名だ。括弧内の源氏の名前は何を意味するのか、わからない。源氏の末裔としての名前なのか、はたまた。。。
この騎手たちは、毎年違うメンバーでやるのだそうだ。
まずは山川芳重さん(源雅之)
そして廬泰和さん(源承徳)
そして猪谷亦三郎さん(源崇明)。
ゴール地点で、みんな勢ぞろいの図。
そして本道を戻りながら、出発地点に向かう3騎手。
さぁ!いよいよここからが本番!まさにこの瞬間を捉えるために、いままで準備してきた。
出発点とゴールの両端で、赤と白の扇子を持った武士が、儀式の合図をして始まる。
事前に注意があった。それはカメラのフラッシュを炊かないこと。以前、そのフラッシュに馬が驚くというアクシデントがあったそうだ。
まっこんなもんだ。(笑)SNSサイトでは、もっと間近で、迫力ある写真を投稿されている方も多かったので、自分の不甲斐なさも感じるが、やっぱり席の良し悪しがすべてを決めると思う。
来年の鎌倉春のまつりの武田流ではもっといい席を陣取ろう。(招待されたい!(笑))
実際、生で見た流鏑馬は、かなりすごい迫力があった!タッタカタッタカ、と馬が疾走してくる迫力が凄くて、なによりも的に的中して割れたときに、バリンというすごい音が鳴ること。
そして一斉に観衆から「おぉぉぉ~!」というどよめき、大歓声と大拍手。
疾走した後、馬がかなり興奮しているのか、ゴール地点でヒヒ~ん、と大声でなく。馬の声ってすごく大きくて、びっくりする。
とにかくすごい大迫力。
流鏑馬カッコイイ!
最初の解説は長かったけれど、いざ始まってみれば、あっという間だった。
帰りの鶴岡八幡宮は、まさに年に1回の最大のお祭りの例大祭。
すごい賑わいだった。
カッコいい!そして、すごい迫力!で驚き、感動した流鏑馬。ちょっと鎌倉ビールで、休憩。
久しぶりに鎌倉来たから、江ノ電乗っていこうかな?(笑)
実際、生で見た流鏑馬は、かなりすごい迫力があった!タッタカタッタカ、と馬が疾走してくる迫力が凄くて、なによりも的に的中して割れたときに、バリンというすごい音が鳴ること。
そして一斉に観衆から「おぉぉぉ~!」というどよめき、大歓声と大拍手。
疾走した後、馬がかなり興奮しているのか、ゴール地点でヒヒ~ん、と大声でなく。馬の声ってすごく大きくて、びっくりする。
とにかくすごい大迫力。
流鏑馬カッコイイ!
最初の解説は長かったけれど、いざ始まってみれば、あっという間だった。
帰りの鶴岡八幡宮は、まさに年に1回の最大のお祭りの例大祭。
すごい賑わいだった。
カッコいい!そして、すごい迫力!で驚き、感動した流鏑馬。ちょっと鎌倉ビールで、休憩。
久しぶりに鎌倉来たから、江ノ電乗っていこうかな?(笑)
2018-09-17 16:57
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