鎌倉愛のルーツ [雑感]
あと残された鎌倉ミッションに、流鏑馬と静の舞がある。
いつも身近に自分の楽しみの目標を見つけて、それを精いっぱい楽しむというのが、健康な人生を送る秘訣。
静の舞は、4月の春に行われる鎌倉まつりでおこなわれるので、今年はもう終わってしまったのだが、流鏑馬は春と秋に、鶴岡八幡宮で行われ、秋は、なんと9月16日にある。
鶴岡八幡宮例大祭の1つの行事として行われるらしく、もうこれが身近の楽しみ。(笑)
流鏑馬は、疾走する馬上から矢を放ち的を射る日本の伝統的な武芸の技術・稽古・儀式で、流鏑馬の流派として、武田流と小笠原流の2つに分かれるらしい。詳しくは、体験した時の日記で語ってみたい。自分が体験するのは、小笠原流のほうです。
もうひとつ体験してみたいのが、静の舞。来年春の4月の鎌倉まつりまで待たないといけないが、これも楽しみだ。
静は、義経が兄源頼朝と不仲になり、京を落ちるときにも一緒に行動していた。
義経一行は吉野へと逃げるが、吉野で義経と静は別れる。
義経と別れた静は、京へ帰る途中に捕らえられてしまう。
北条時政に身柄が引き渡され、1186年(文治2年) 3月1日、母磯禅師とともに鎌倉に送られてきた。
源頼朝は、鎌倉に来た静に舞わせようとするが、静はそれを断り続ける。
しかし、4月8日、八幡大菩薩に献舞するということで説得され、鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露することとなる。
静は、義経を慕う今様(いまよう・歌)にあわせて舞う。
吉野山 峰の白雪 ふみわけて
入りにし人の 跡ぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな
参列した者のほとんどが「静の舞」に心を動かされた。
頼朝は、静が義経を慕う歌をうたったことから激怒するが、妻の北条政子は「私が御前だったとしてもあのように舞ったでしょう」と言ってとりなしたのだと伝えられている。
鎌倉に来た静は、義経の子を身籠っていた。生まれてくる子が男子であったなら、その子の命を絶つことは決まっていた。
7月29日、静の産んだ子は男子。子は殺害され、その遺体は由比ヶ浜に捨てられた。
9月16日、静は傷心のまま鎌倉を離れ京に向かったとされているが、その行方は不明のまま。
由比ヶ浜に身を投げたともいわれている。
いまだに歴史の謎なのだ。
(静の舞~鎌倉と静御前、鎌倉手帳(寺社散策)より抜粋。)
こんな感じ。もう判官びいきで義経伝説が大好きな日本人にとっては、超有名でたまらん場面ですね。
2005年に放映されたNHK大河ドラマ「義経」。タッキーこと滝沢秀明くんが義経を演じて、静御前を石原さとみちゃんが演じていて、そのときのこの静の舞が、自分にはいまでも印象的に心に残っている。
石原さとみさんは、いまでこそ飛ぶ鳥を落とす勢いの超人気者になってしまったが、この頃は、演技もいまひとつプロになりきれず、女優、タレントとしてもいまひとつ、視聴率を稼げない女優とか言われていた時代。こんなに変わるもんなんですね。(笑)
源頼朝を中井貴一氏が演じ、北条政子を財前直見さんが演じていた。
このときの静の舞のシーンが、すばらしく格好良くて、このシーンだけ何回もVHSを巻き戻して、本当に何回も何回も繰り返して観ていたのを覚えている。
このとき静御前は、義経の子を身ごもっていて、歴史の解釈では、身ごもった状態で、舞を奉納し、その後に男の子を産んで亡きものとされた、というのが通常解釈なのだけれど、この大河ドラマ「義経」では、男の子を産んで殺されてから、その後に頼朝に舞を奉納した、という演出に変えられた。そのほうが悲劇性というか、静の舞に対する怨念が滲み出るという配慮から。。。
このときの石原さとみちゃんの静の舞はその”怨念の気”を見事に演じていてじつに素晴らしかった!
とにかく鎌倉時代が大好き。鎌倉時代の歴史を語らせると永久に止まらない(笑)。
やっぱり鎌倉時代って、その時代考証から自分は好きだったのだと思う。男性も女性もあの衣装。同じ武家時代でも江戸時代では、男性は頭を剃り上げてちょんまげ姿、でも鎌倉時代は、いわゆる剃ったりはしないし、なによりも烏帽子を頭の上に乗せている。
江戸時代の女性は、髪型はいわゆる大奥のドラマのように頭のところでまとめ上げるのだが、鎌倉時代の女性は、ずっと髪をたらす感じ。
衣装も、江戸時代よりも鎌倉時代のほうが、貴族っぽい優雅な衣装で好きだ。
いまはすっかり見なくなったけれど、子供のころからNHK大河ドラマが大好きで、必ず毎年観ていた。やはり太閤記に代表されるような織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国時代ものが好きだったが、それにも負けず大好きだったのが、鎌倉時代。
去年、鎌倉を偶然訪れてから、大の鎌倉マイブーム。
それは、やはり歴史で、鎌倉時代が大好きだった、というところに、その原点、ルーツがあると思うのだ。
子供の頃にあれだけ熱中した鎌倉時代。就職で上京してから、日帰りできるつい目と鼻の先にあるのに、30年間も鎌倉を訪れることがなかった。それがふっとしたことで、去年鎌倉を訪れて、その積年の想いを遂げた感じ。
実際、訪れた鎌倉の街の印象は、歴史が好きという以上に、街としての独特の雰囲気があって、東京とはちょっと時間の流れが違うゆったりとした感じのあるじつに素敵な空間であった。
やはり、自分の日記で鎌倉愛、自分が子供時代に熱中した鎌倉時代について語らないといけない。
いや語らせてほしい!
日本史が嫌いな人はスルーしてください。
自分は世界史よりも断然日本史のほうが好きだった。
共通一次世代で、理系男子は、社会科は負担の少ない地理・倫理を選ぶのが常識とされたが、自分は日本史・倫理と、日本史を選んだ。世界史は、あのカタカナ表記が覚えられなかった。(笑)いまは、音楽が縁でヨーロッパなど海外旅行が好きだが、あの頃とは雲泥の差だ。(笑)
どうしても、自分の”鎌倉愛のルーツ”であるNHK大河ドラマの「草燃える」のことを、自分の日記で語らないといけない使命感に燃えた。
急に思いついた。
長い前振りだったが、これが今回の日記の目的だった。
ちょっとネットから拾い絵を片っ端からやっていきます。
”ネットからの拾い絵”ということは、誰かの記事で採用されていた画像ということ。それを片っ端から使っていきますので、著作権的にクレームが来たら、そそくさと撤収します。(笑)
「草燃える」は、1979年に放映された大河ドラマ。自分が高校3年生のときにみたドラマだった。
とにかくハマった。長年観てきた大河ドラマとしては最高にハマったドラマだった。
日曜日夜8時から放映される大河ドラマだが、当時家庭用ビデオを持っていなかった時代。土曜の昼に再放送があり、それもちゃんと観るのが唯一の楽しみだった。
オヤジから随分バカにされたものだった。「お前、1回見たものを、なんでもう1回見るんだ?(笑)」
ドラマ冒頭は、そう!あの流鏑馬のシーンからスタートするのだ。衝撃的。
まさに鎌倉時代を象徴する流鏑馬。子供心に超カッコイイと思った。
そしてこのタイトル画面。懐かしすぎる!(笑)
ドラマのテーマソングもいまでも口ずさめるほど、完璧に覚えている。
この草燃えるのちょっと面白いところは、セリフ面で現代語や現代語調が多用されたことだった。視聴者から大きな反響を呼んだ。当時の子供頃の自分は、まったく意識しなかったが、後年そのことを知って、その斬新なアイデアに驚いた。
草燃えるを専門的に解説すると・・・
永井路子さんの原作「北条政子」などを中心に、大河ドラマ用に脚本が新たに作られたもので、源氏3代による鎌倉幕府樹立を中心とした東国武士団の興亡を描いた一大叙事詩。
それまでの源平を題材にした作品か、どちらかといえば平家や源義経を中心とした物語なのに比べて、この作品では平家方の描写は少なく、源頼朝と、頼朝を担いで挙兵した東国武士団の動きに焦点が当てられ、歴史観も「源氏の旗揚げは、東国武士団の旗揚げでもあった」という立場で描かれている。
ここがなによりも目新しかった。この時代を、このような観点から描いた大河ドラマは、この草燃えるが唯一なのだ。従来からの平家が絡むどちらかというと貴族的な軟弱なフンイキよりも、なによりもこの東国武士団という男らしい格好よさに自分は惹かれた。
源氏3代と北条家。
この方々が主役。
ある意味、年間を通しての主役は北条政子と言ってよかった。
源頼朝は、年間の真ん中あたりで、落馬して死亡し、主役は北条政子に交代する。
その中でもズバリど真ん中の主役は、
石坂浩二さん演じる源頼朝、岩下志麻さん演じる北条政子、そして松平健さん演じる北条義時だった。
北条家の初期の執権政治で、歴史的に有名なのは、初代の北条時政、そして3代の北条泰時だと思うのだが、2代の義時にスポットをあてるのは斬新だと思った。義時は政子の弟。そして北条家による執権政治を確たるものにしたのは義時。まさにそのためには身内含め、仲間の豪族を次々と失脚、殺害してく冷酷さだった。まさに政子との連係プレー。その義時は、ドラマ初頭では、とても好青年に描かれていて、後半のその人が変わったような冷徹ぶりは正直子供心にかなりショックだった。
松平健さんがじつにそこを好演していた。当時の松平健さんは、まさに暴れん坊将軍全盛の頃。
でも自分には、この北条義時役の松平健さんのほうが最高だった。
このドラマが貴重なのは、承久の乱まで描いていること。源氏3代が滅び、北条執権政治が始まった時、やや鎌倉武家政治に陰りが見え始め、予てより鎌倉幕府の全国支配を快く思っていなかった後鳥羽上皇中心の朝廷方が、打倒鎌倉幕府の命を下し、戦になった。
まさに朝廷と戦うのであるから、自分たちは朝敵になるのか?そんな鎌倉の御家人たちの大きな不安となるのは当然。
そのとき、鎌倉幕府側は、御家人たちを集めて、岩下志麻さん演じる北条政子が一世一代の演説をする。
いつも身近に自分の楽しみの目標を見つけて、それを精いっぱい楽しむというのが、健康な人生を送る秘訣。
静の舞は、4月の春に行われる鎌倉まつりでおこなわれるので、今年はもう終わってしまったのだが、流鏑馬は春と秋に、鶴岡八幡宮で行われ、秋は、なんと9月16日にある。
鶴岡八幡宮例大祭の1つの行事として行われるらしく、もうこれが身近の楽しみ。(笑)
流鏑馬は、疾走する馬上から矢を放ち的を射る日本の伝統的な武芸の技術・稽古・儀式で、流鏑馬の流派として、武田流と小笠原流の2つに分かれるらしい。詳しくは、体験した時の日記で語ってみたい。自分が体験するのは、小笠原流のほうです。
静は、義経が兄源頼朝と不仲になり、京を落ちるときにも一緒に行動していた。
義経一行は吉野へと逃げるが、吉野で義経と静は別れる。
義経と別れた静は、京へ帰る途中に捕らえられてしまう。
北条時政に身柄が引き渡され、1186年(文治2年) 3月1日、母磯禅師とともに鎌倉に送られてきた。
源頼朝は、鎌倉に来た静に舞わせようとするが、静はそれを断り続ける。
しかし、4月8日、八幡大菩薩に献舞するということで説得され、鶴岡八幡宮の若宮の回廊で舞を披露することとなる。
静は、義経を慕う今様(いまよう・歌)にあわせて舞う。
吉野山 峰の白雪 ふみわけて
入りにし人の 跡ぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき くり返し
昔を今に なすよしもがな
参列した者のほとんどが「静の舞」に心を動かされた。
頼朝は、静が義経を慕う歌をうたったことから激怒するが、妻の北条政子は「私が御前だったとしてもあのように舞ったでしょう」と言ってとりなしたのだと伝えられている。
鎌倉に来た静は、義経の子を身籠っていた。生まれてくる子が男子であったなら、その子の命を絶つことは決まっていた。
7月29日、静の産んだ子は男子。子は殺害され、その遺体は由比ヶ浜に捨てられた。
9月16日、静は傷心のまま鎌倉を離れ京に向かったとされているが、その行方は不明のまま。
由比ヶ浜に身を投げたともいわれている。
いまだに歴史の謎なのだ。
(静の舞~鎌倉と静御前、鎌倉手帳(寺社散策)より抜粋。)
こんな感じ。もう判官びいきで義経伝説が大好きな日本人にとっては、超有名でたまらん場面ですね。
2005年に放映されたNHK大河ドラマ「義経」。タッキーこと滝沢秀明くんが義経を演じて、静御前を石原さとみちゃんが演じていて、そのときのこの静の舞が、自分にはいまでも印象的に心に残っている。
石原さとみさんは、いまでこそ飛ぶ鳥を落とす勢いの超人気者になってしまったが、この頃は、演技もいまひとつプロになりきれず、女優、タレントとしてもいまひとつ、視聴率を稼げない女優とか言われていた時代。こんなに変わるもんなんですね。(笑)
源頼朝を中井貴一氏が演じ、北条政子を財前直見さんが演じていた。
このときの静の舞のシーンが、すばらしく格好良くて、このシーンだけ何回もVHSを巻き戻して、本当に何回も何回も繰り返して観ていたのを覚えている。
このとき静御前は、義経の子を身ごもっていて、歴史の解釈では、身ごもった状態で、舞を奉納し、その後に男の子を産んで亡きものとされた、というのが通常解釈なのだけれど、この大河ドラマ「義経」では、男の子を産んで殺されてから、その後に頼朝に舞を奉納した、という演出に変えられた。そのほうが悲劇性というか、静の舞に対する怨念が滲み出るという配慮から。。。
このときの石原さとみちゃんの静の舞はその”怨念の気”を見事に演じていてじつに素晴らしかった!
とにかく鎌倉時代が大好き。鎌倉時代の歴史を語らせると永久に止まらない(笑)。
やっぱり鎌倉時代って、その時代考証から自分は好きだったのだと思う。男性も女性もあの衣装。同じ武家時代でも江戸時代では、男性は頭を剃り上げてちょんまげ姿、でも鎌倉時代は、いわゆる剃ったりはしないし、なによりも烏帽子を頭の上に乗せている。
江戸時代の女性は、髪型はいわゆる大奥のドラマのように頭のところでまとめ上げるのだが、鎌倉時代の女性は、ずっと髪をたらす感じ。
衣装も、江戸時代よりも鎌倉時代のほうが、貴族っぽい優雅な衣装で好きだ。
いまはすっかり見なくなったけれど、子供のころからNHK大河ドラマが大好きで、必ず毎年観ていた。やはり太閤記に代表されるような織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の戦国時代ものが好きだったが、それにも負けず大好きだったのが、鎌倉時代。
去年、鎌倉を偶然訪れてから、大の鎌倉マイブーム。
それは、やはり歴史で、鎌倉時代が大好きだった、というところに、その原点、ルーツがあると思うのだ。
子供の頃にあれだけ熱中した鎌倉時代。就職で上京してから、日帰りできるつい目と鼻の先にあるのに、30年間も鎌倉を訪れることがなかった。それがふっとしたことで、去年鎌倉を訪れて、その積年の想いを遂げた感じ。
実際、訪れた鎌倉の街の印象は、歴史が好きという以上に、街としての独特の雰囲気があって、東京とはちょっと時間の流れが違うゆったりとした感じのあるじつに素敵な空間であった。
やはり、自分の日記で鎌倉愛、自分が子供時代に熱中した鎌倉時代について語らないといけない。
いや語らせてほしい!
日本史が嫌いな人はスルーしてください。
自分は世界史よりも断然日本史のほうが好きだった。
共通一次世代で、理系男子は、社会科は負担の少ない地理・倫理を選ぶのが常識とされたが、自分は日本史・倫理と、日本史を選んだ。世界史は、あのカタカナ表記が覚えられなかった。(笑)いまは、音楽が縁でヨーロッパなど海外旅行が好きだが、あの頃とは雲泥の差だ。(笑)
どうしても、自分の”鎌倉愛のルーツ”であるNHK大河ドラマの「草燃える」のことを、自分の日記で語らないといけない使命感に燃えた。
急に思いついた。
長い前振りだったが、これが今回の日記の目的だった。
ちょっとネットから拾い絵を片っ端からやっていきます。
”ネットからの拾い絵”ということは、誰かの記事で採用されていた画像ということ。それを片っ端から使っていきますので、著作権的にクレームが来たら、そそくさと撤収します。(笑)
「草燃える」は、1979年に放映された大河ドラマ。自分が高校3年生のときにみたドラマだった。
とにかくハマった。長年観てきた大河ドラマとしては最高にハマったドラマだった。
日曜日夜8時から放映される大河ドラマだが、当時家庭用ビデオを持っていなかった時代。土曜の昼に再放送があり、それもちゃんと観るのが唯一の楽しみだった。
オヤジから随分バカにされたものだった。「お前、1回見たものを、なんでもう1回見るんだ?(笑)」
ドラマ冒頭は、そう!あの流鏑馬のシーンからスタートするのだ。衝撃的。
まさに鎌倉時代を象徴する流鏑馬。子供心に超カッコイイと思った。
そしてこのタイトル画面。懐かしすぎる!(笑)
ドラマのテーマソングもいまでも口ずさめるほど、完璧に覚えている。
この草燃えるのちょっと面白いところは、セリフ面で現代語や現代語調が多用されたことだった。視聴者から大きな反響を呼んだ。当時の子供頃の自分は、まったく意識しなかったが、後年そのことを知って、その斬新なアイデアに驚いた。
草燃えるを専門的に解説すると・・・
永井路子さんの原作「北条政子」などを中心に、大河ドラマ用に脚本が新たに作られたもので、源氏3代による鎌倉幕府樹立を中心とした東国武士団の興亡を描いた一大叙事詩。
それまでの源平を題材にした作品か、どちらかといえば平家や源義経を中心とした物語なのに比べて、この作品では平家方の描写は少なく、源頼朝と、頼朝を担いで挙兵した東国武士団の動きに焦点が当てられ、歴史観も「源氏の旗揚げは、東国武士団の旗揚げでもあった」という立場で描かれている。
ここがなによりも目新しかった。この時代を、このような観点から描いた大河ドラマは、この草燃えるが唯一なのだ。従来からの平家が絡むどちらかというと貴族的な軟弱なフンイキよりも、なによりもこの東国武士団という男らしい格好よさに自分は惹かれた。
源氏3代と北条家。
この方々が主役。
ある意味、年間を通しての主役は北条政子と言ってよかった。
源頼朝は、年間の真ん中あたりで、落馬して死亡し、主役は北条政子に交代する。
その中でもズバリど真ん中の主役は、
石坂浩二さん演じる源頼朝、岩下志麻さん演じる北条政子、そして松平健さん演じる北条義時だった。
北条家の初期の執権政治で、歴史的に有名なのは、初代の北条時政、そして3代の北条泰時だと思うのだが、2代の義時にスポットをあてるのは斬新だと思った。義時は政子の弟。そして北条家による執権政治を確たるものにしたのは義時。まさにそのためには身内含め、仲間の豪族を次々と失脚、殺害してく冷酷さだった。まさに政子との連係プレー。その義時は、ドラマ初頭では、とても好青年に描かれていて、後半のその人が変わったような冷徹ぶりは正直子供心にかなりショックだった。
松平健さんがじつにそこを好演していた。当時の松平健さんは、まさに暴れん坊将軍全盛の頃。
でも自分には、この北条義時役の松平健さんのほうが最高だった。
このドラマが貴重なのは、承久の乱まで描いていること。源氏3代が滅び、北条執権政治が始まった時、やや鎌倉武家政治に陰りが見え始め、予てより鎌倉幕府の全国支配を快く思っていなかった後鳥羽上皇中心の朝廷方が、打倒鎌倉幕府の命を下し、戦になった。
まさに朝廷と戦うのであるから、自分たちは朝敵になるのか?そんな鎌倉の御家人たちの大きな不安となるのは当然。
そのとき、鎌倉幕府側は、御家人たちを集めて、岩下志麻さん演じる北条政子が一世一代の演説をする。
皆、心を一つにして聞きなさい。これが私の最後の言葉です。
亡き頼朝公が朝敵を滅ぼし、関東に政権を築いてから、
お前たちの官位は上がり禄高もずいぶん増えました。
お前たちはかつて平家のもとでどう扱われていましたか?
犬のように召し使われていたではないですか!
しかし今は京都へ行って無理に働かされることもなく、
よい暮らしができるようになりました。
すべてこれ、亡き頼朝公の御恩。その御恩は、
海よりも深く山よりも高いのです。
今、逆臣の讒言によって、理に反した綸旨が下されました。
今こそ頼朝公へのご恩を返す時。
名を惜しむ者は、逆臣を討ち取り、三代にわたる将軍家の恩に報いよ。
もしこの中に朝廷側につこうと言う者がいるのなら,まずこの私を殺し、
亡き頼朝公が朝敵を滅ぼし、関東に政権を築いてから、
お前たちの官位は上がり禄高もずいぶん増えました。
お前たちはかつて平家のもとでどう扱われていましたか?
犬のように召し使われていたではないですか!
しかし今は京都へ行って無理に働かされることもなく、
よい暮らしができるようになりました。
すべてこれ、亡き頼朝公の御恩。その御恩は、
海よりも深く山よりも高いのです。
今、逆臣の讒言によって、理に反した綸旨が下されました。
今こそ頼朝公へのご恩を返す時。
名を惜しむ者は、逆臣を討ち取り、三代にわたる将軍家の恩に報いよ。
もしこの中に朝廷側につこうと言う者がいるのなら,まずこの私を殺し、
鎌倉中を焼きつくしてから京都へ行きなさい。
おおお…と胸打たれる御家人たち。
これに一発奮起した鎌倉側。
幕府はおよそ20万の大軍を京都に向け、あっという間に京都を制圧。
鎌倉側の大勝利に終わった。
北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すこととなった。
このときの演説こそ、このドラマの年間を通しての主人公、北条政子の最高の見せ場なのだと自分は確信している。
まさに岩下志麻さんの強烈なキャラは、そんな尼将軍・北条政子の役にぴったりだと思った。
そして、いままで何度も言及してきて、もうご存知だと思うが、石坂浩二さん演じる源頼朝。これが自分の歴史人物の中でのヒーローだった。源頼朝をそのように思い始めたのが、この石坂さんが演じる頼朝像を見てからだった。このドラマ、とりわけ、昔の大河ドラマって、登場人物が端役に至るまで、みんなとても個性的で存在感があった。そういう猛者たちを取りまとめる、その長である頼朝が妙に格好よいと感じてしまい、憧れた。特に頼朝の死後、ドラマは、なにか明るく差していた陽が一気になくなってしまったような寂しさがあった。それだけ存在感があった。
頼朝を好きだと思うようになったのはある意味、その死後の寂しさを経験してからだった。あの頃はとてもよかった・・・的な感じ。
そこから源頼朝を徹底的に研究し、鎌倉の歴史を思いっきり勉強した。
鎌倉フェチのはじまりである。(笑)
ここで写真を眺めながら、それぞれの想い出にふけることにしよう。
おおお…と胸打たれる御家人たち。
これに一発奮起した鎌倉側。
幕府はおよそ20万の大軍を京都に向け、あっという間に京都を制圧。
鎌倉側の大勝利に終わった。
北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すこととなった。
このときの演説こそ、このドラマの年間を通しての主人公、北条政子の最高の見せ場なのだと自分は確信している。
まさに岩下志麻さんの強烈なキャラは、そんな尼将軍・北条政子の役にぴったりだと思った。
そして、いままで何度も言及してきて、もうご存知だと思うが、石坂浩二さん演じる源頼朝。これが自分の歴史人物の中でのヒーローだった。源頼朝をそのように思い始めたのが、この石坂さんが演じる頼朝像を見てからだった。このドラマ、とりわけ、昔の大河ドラマって、登場人物が端役に至るまで、みんなとても個性的で存在感があった。そういう猛者たちを取りまとめる、その長である頼朝が妙に格好よいと感じてしまい、憧れた。特に頼朝の死後、ドラマは、なにか明るく差していた陽が一気になくなってしまったような寂しさがあった。それだけ存在感があった。
頼朝を好きだと思うようになったのはある意味、その死後の寂しさを経験してからだった。あの頃はとてもよかった・・・的な感じ。
そこから源頼朝を徹底的に研究し、鎌倉の歴史を思いっきり勉強した。
鎌倉フェチのはじまりである。(笑)
ここで写真を眺めながら、それぞれの想い出にふけることにしよう。
ご存知、石坂浩二さん演じる源頼朝。存在感があって、格好良かった。子供心に憧れた。石坂さんは、大河ドラマの主役を演じるのは通算3回で、これは最多回数だそうだ。さすが昭和を代表する名優ですね。プライベートでは大変な有識者で、プラモ模型が大好きという楽しい一面もあります。
当時のTVガイドの雑誌。草燃える紹介されている。「源氏3代の野望と愛」とある。石坂・頼朝と岩下・政子、美男美女のカップル。
源氏2代将軍、源頼家を演じた郷ひろみさん。まさにバカ殿なんだが、それを郷さんは見事に演じていた。当たり役だと思った。頼家はその暴走、狂乱のバカ殿ぶりで、最後は政子、北条家によって幽閉されて殺害されてしまいます。
源氏3代将軍、源実朝を演じた篠田三郎さん。頼家が愚かなバカ殿だったので、篠田さん演じる実朝はずいぶんスマートでまともな将軍のように思えました。実際教養と知性のある将軍だった。朝廷と幕府が均衡を保っていられたのは、この実朝が後鳥羽上皇を崇拝して、両者の間をとりなしていたから、とされている。でも公暁によって鎌倉八幡宮にて暗殺される。それが引き金になって一気に朝廷、幕府が衝突ということになるんだな。
源義経を演じた国広富之さん。義経は、どちらかというと、日本では判官びいきの悲劇のヒーローとして描かれることが多いのだが、このドラマでは、軍事的才能はあるのだけれど、若気の至りで思慮の浅い愚か者として描かれているのが特徴的だった。
静御前を演じた友里千賀子さん。このドラマでは、友里・静は、身ごもった状態で、頼朝の前で、舞を奉納し、その後に産んで亡き者とされた。ドラマでは、その子供は、鎌倉の由比ガ浜の砂浜の中に御家人たちの手によって埋められるというシーンでした。強烈に印象にある。(笑)
三浦義村を演じた藤岡弘さん。三浦家は鎌倉幕府の有力な御家人で、北条家と密接な関係を築きながらも、じつは陰で次代の覇権を握りたいという策略家として描かれていた。3代将軍実朝を暗殺した公暁(2代将軍頼家の次男)を陰でそそのかして、実朝暗殺をさせたのは、この三浦義村だった、という描写だった。でも暗殺実施後、三浦義村は、公暁をあっさり裏切り見捨てた。
大江広元を演じた岸田森さん。この写真が見つかったのは最高に嬉しかった。大江広元は、まさに頼朝のブレーンだった。石坂・頼朝と岸田・広元はつねに傍にいて、なにあるごとに、頼朝は広元に相談している図がいまでも頭の強烈に残っている。岸田森さんは、本当に渋いいい名脇役の俳優さんだった。大ファンでした。
後鳥羽上皇を演じた尾上辰之助さん。当時大河ドラマに歌舞伎俳優さんが出演するのは常で、さすがに時代劇ものに関しては、1枚も2枚も格が上だな、と思いました。北条義時執権のときの承久の乱での朝廷方のトップ。その見事な演技はさすがでした。
伊東祐之(十郎)を演じた滝田栄さん。架空の人物。原作にも登場しない、このドラマのためだけに作られたオリジナル・キャラクター。青年時代の松平・義時となにかと深い関係で描かれ、ドラマ最終回では、承久の乱の後、政権安定した執権松平・義時の前に、そのときはもはや視力を失った琵琶法師となって現れて、源平の戦のことを、朗々と語るというなんとも因縁めいたシーンが最終回の最後のシーンだった。
以上、しかし、このドラマが放映されて、今年で39年経つんだよね。よくこんなにスラスラと頭から泉のように溢れ出てくるな、と思います。やはり頭の柔らかい子供の脳って、しっかり刻み込んでいるんだね。
草燃えるは、全51話なのだが、これのマスターテープが、NHKには残っていない、全話失ってしまった、というショッキングなニュースがあった。放送用ビデオテープのままNHKに残されていたのは総集編のみであり、通常放送回は1本も残されていなかったのだ。
これは当時の放送用VTRは機器・テープとも高価だったうえ著作権法等で番組の資料保存が制約されていたことも重なり、本作を収録した全話のマスターテープは他者の番組制作に使い回されたためだったからだそうだ。
その後、日本国民の一般視聴者からが家庭用VTRに録画した映像が提供されて、全51話ともNHKアーカイブズで観れるようになったらしい。でもやっぱりそこは家庭ユースのクオリティ。画像の乱れやノイズも多く、いまだに”Wanted、募集してます!”をやっている話(18話分)もあるらしい。
2004年頃に、自分も総集編DVDを購入しました。
久し振りに観たら、すぐに子供時代にワープして、まったく古めかしさなし、違和感なくのめり込みました。(笑)
語らせてくれてありがとう!
すっきりした!
自分の鎌倉愛のルーツは、すべてここにあった。
これを詳らかにしたことで、これからみなに遠慮なく、残された鎌倉ミッションを成し遂げたいと思います。